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「30年ブレッド録音エッセイ一束」'2011.6月〜8月青木タカオ「ちょっくら〜」メインに戻る
10枚組新録音弾き語りアルバム「30年ブレッド」詳細はこちら

「レコーディング」'11.6/7

 近々、弾き語りのレコーディングをする予定となった。

 どんな形になるかは未定ではあるが、

 レコーディングするなんて、5年ぶりくらい。

 話が決まったら、なんだかちがう自分になってくるような気がしてきた。

 違う生き物のような。

 大工が大工になるような。

 探偵が探偵になるような。

 ミュージシャンになるのとは、少しちがう気持ち。

 全能力をそれに向けて感覚を変えてゆかねばならない。

 一曲一曲と、向き合わねばならない。

 一緒に服を選ばねばならない。


「濃厚な日々」'11.6/14

 今、古い歌から録音をしているのだが、

 レコーディングまでの準備期間が一週間しかない。

 その一週間で10曲選び、一枚のアルバムとして録音するのだ。

 もう、時間がないったら、ほんとに時間がない。

 まず曲選びから始まるのだが、とにかく若い頃の僕は多作であった。

 一年で60曲とか作っていた。そのどの曲にも想い出はたっぷり。

 ずっと、曲選びをするために歌っていると、

 僕の日々は新曲とともにあったのだなと思えた。

 時間の流れは、自分の歌とともにあった。

 当時の気持ちもよみがえってくる。

 先日は、30年ほど前の10曲の歌を録音した。

 話が来たのは一週間前。それで歌える状態にまた自分を戻すのは大変であった。

 次の録音までまた一週間。濃厚な日々が続きます。 


「宇宙のように」'11.6/15

 今、自分の歌を録音しているのだが、

 とても不思議な気分だ。

 先日は、'82年の歌を録音。歌うことでさえももう何十年ぶりの歌ばかり。

 しかし、いざ歌ってみたら、なんとも自然に歌え、いいテイクが多く録音できた。

 実はアルバム10枚分の録音をこれからするのだが、

 なんだか宇宙のように意識されてきている。

 ひとつの惑星は、全体のバランスと引力の中にあると。

 '82年に作った歌もまた、そこにすでにある惑星のように思えた。

 アルバム一枚目が、すんなりと一日で録音できたので、

 十枚目まで、このままいける予感がする。

 惑星がもうそれぞれに見えているような気がするのだ。

 宇宙のように。


「歌の待ち合わせ」'11.6/16

 突然、歌に呼び出しがかかった。

 何十年も歌詞ノートの中にいたのに。

 ライブでも、まったく歌われていないのに。

 今度の日曜日に会いましょうと言う。

 久し振りの再会である。歌の待ち合わせ。

 それは、レコーディングのマイクの前。

 ・・・・・・・・・

 今、古い歌を順に録音しているのだが、 

 準備期間が一週間しかない。

 仕事から帰ってきてからギターの練習、そして歌。

 アパートで練習しているので、大きな音を出すことはできない。

 一度も大きな声を出すこともなく、レコーディングに向かう。

 そしてマイクの前に座り、「はい、お願いします」と言われる。

 ワンテイクで録音は決めるのだが、

 さて、自分がどんな声を、どんなふうに出すのか歌い出すまでわからない。

 大きな声で練習していないので。

 それでも、それがなんだか楽しみなのだ。

 まるで、歌と待ち合わせをしているようで。

 練習とは、まるでちがう。ちがうんです。

 歌のたましいが来ているという感じなんです。


「俺は泣きそうになった」'11.6/19

 本日、レコーディングするための歌を昨日、用意していた。

 その中の一曲、もう25年ほど前に作った歌、

 その歌詞が、歌詞ノートに入っていなかった。

 たぶん、ライブで歌うためにファイルから抜いたままになったのであろう。

 もう一冊、歌詞ノートはあったので、そちらも見たが、そこにもなかった。

 その頃、自主テープも何本か作ってあったのでその中にあるかなと思ったが、

 そこにもなかった。当時のライブビデオの中でも、たまたま歌っていなかった。

 明日、録音するというのに、歌詞がわからない。これは想定外。

 もしかしたら入っているかなと思うカセットテープがあるのだが、

 そのテープだけが、どこにもない。ありそうなところ、

 ありったけ探したけれど、ない。ないんですよ。

 しっかりと残しておかないとこういうことになってしまう。

 明日は、アルバムの曲順どおりに歌って録音してゆくのだが、

 その曲だけ後日というのは、バランスが悪い.。

 ストリートで歌っていたときの古い歌詞ノートがあるなと思い出した。

 やっとこそのファイルを見つけて、1ページ1ページ見ていった。

 あるかないか。書き直したその一割程度の歌の束の中に。

 そして、歌詞はありました。

 俺は泣きそうになった。

 メロディーも途中不安だったが、全身全霊で思い出した。


「ゆっくりと近づく」'11.6/20

 今、100曲のレコーディングをしている。

 一週間に一度。やっと20曲、終わったところ。アルバム二枚。

 28年前、そして27年前の歌。

 その20曲はどれも歌うことでさえも25年振りのようなものだった。

 以前、インドを旅していたとき、一週間ごとに次の街へ向かったことがあったが、

 なんだかそのときと似ている。

 アルバムは10枚となるのだが、それは10の訪ね所のような感じ。

 しっかりとその街や村での、想い出や出来事があり、それを再現しているようだ。

 今のところ、しっかりと歌えている。よいテイクも多い。

 だんだんと今の僕の時間に近づいている。まだ遠いのだが。

 今は、1984年にいる。次は1985年の歌を録音する。

 その街はこれから行くところ。


「歌が呼ぶ」'11.6/22

 今、毎週10曲ずつ録音をしている。

 次に録音する曲ももう決めてあった。

 そして昨日の仕事中、ふとある曲が記憶によみがえった。

 (そういえば、そんな曲あったなぁ・・)

 その曲は、僕の歌詞ノートから消えていて、僕の記憶からも20年ほど消えていたのだ。

 20年も忘れていたのに、突然に記憶に戻ってきた。

 そしてその曲を次の録音で歌うことにした。

 その曲なくて、その頃はないようなものだ。

 もし入れなかったら、大きく後悔していただろう。

 これは歌が呼んだとしか思えない。私を忘れるなと。

 よかったよかった。


「曲順・曲の椅子」'11.6/27

 今、古い曲を10曲ずつ録音しているが、

 当時当時の10曲を選んでいるので、

 その10曲は、おなじ時の同士のような存在だ。

 先日録ったのは27年前の歌なので、今聴くには照れるような歌ばかりである。

 しかし、ひとつのアルバムとして、その10曲を聴いてゆくと、今でも充分に聴けるなぁと思えた。

 全曲、演奏はギター弾き語りである。それも含めて、今でも聴けるアルバムとなったと思っている。

 10曲ではあるけれど、自分の中では、5曲+5曲のA面・B面のレコードと同じ感覚で曲順を作った。

 A面の1曲目、2曲目、3曲目、4曲目、5曲目。B面の1曲目、2曲目、3曲目、4曲目、そしてラストの5曲目。

 それぞれの曲が、それぞれの椅子にいて、お互いが呼び合う。

 言ってみれば、曲順は「聞こえないバック演奏」が一緒にあるとも言える。

 A面の2曲目になったとき、それは1曲目ともつながっているし、3曲目ともつながっているわけだ。

 そしてアルバム全体の中での役割も含まれる。充分にそれで「色」がついている。

 どの曲も、27年もたち古いと思われる歌かもしれないが、心配はいらない。

 1曲目から始まったストーリーを10曲目につなげていけばいい。

 23年前の当時とは、別のストーリーで。


「ギターマジック」'11.6/28

 今、100曲の録音をしていて、やっと30曲終わったところ。

 時期的には、僕が旅に出る前までの期間で、録音には愛器のYAMAHA FG180のギターを使った。

 当時の僕はヤマハのギターを使っていたので、サウンド的にもぴったりだと思えたのだ。

 そして次の録音からは、現在使っているギルド F47のギターでの録音にしようと決めている。

 ヤマハのギターでの録音は、普通に弾き、そのとおりの音での録音を良しとしたが、

 ギルドのギターでは、僕の弾き方ひとつで、いろんな表情の音が出るので、

 一曲一曲ごとに、弾き方を作っていかねばならない。

 ちょっとだけギターマジックを使おうと思う。

 歌に入るまで前奏で、風景が作れるくらいに。

 ほんの少しの弾き方の差ではあるが、それが大きくイメージを変える。

 魂込めて弾いてきます。


「旅立ちの日」'11.6/29

 今、毎週10曲ずつ古い曲から録音しているが、

 本格的に練習できるのは、いつも一日だけである。

 それも前日であることが多い。

 30年ほど前の曲は、ノートに歌詞しか書いていないので、

 一曲一曲、コード付け、そして録音用のアレンジをしないといけない。

 フレーズとフレーズのあいだの「間」も決めねばならない。

 古い楽曲は、どれも今、歌うには恥ずかしいものばかり。

 特に歌詞が、、。そのままで歌ったら、ちょっと他のみんなが歌えないだろうと思う。

 自分自身も。

 でも、ちょっとの言葉や「間」を変えるだけで、

 その楽曲が生き生きと現代にも歌えるということもわかっている。

 明日は録音という前日、その10曲の歌詞を、少しずつだが直したり新しく作ったりしている。

 普通であったら、たったひと言を変えるだけでも、一日かがりとなるところだが、

 次々と歌詞を自分が直してゆく。一度歌ったらパッパッパッと。

 明日にはそれで録音してしまう。なんとか歌をずっと聴けて歌えるように直してゆく。

 自分でも、信じられないスピードでそれは行われる。それなりのフレーズが次々と出てくる。

 それは、ほんとに良いこと。いつかいつかと言っていたのでは、できないこと。

 せっぱ詰まっているのだ。そしてかなりの集中。

 明日、急に海外に行くことになった人が、前日にいろいろ用意するように、

 必要なものを見つけてくるように。


「かっこつけてどうするの?」'11.7/2

 また、今日も午後には録音がある。

 100曲の録音。今回は旅から帰ってからの10曲。

 その中の半分は、歌い慣れたものがある。

 もう30曲、録音してきたが、それはふだんは歌っていないものばかりであった。

 それらはとてもよく録音できた。

 さて、今日の10曲はどれだけベストテイクで残すことが出来るであろう。

 試しに一度、自分で通して自宅で歌ってみて録音してみた。

 その録音を聴きながら、出かけてみた。

 それはいつも自分がライブで歌っているテイクに近いものではあるが、

 どの曲も録音のテイクとするには、足りないものがあると思えた。

 いままで録音してきた30曲とは、確実にちがう。面白くない。

 なぜだ、なぜだ。

 もう20年以上も歌っている作品ばかりなので、歌い慣れが起こっているのだ。

 ひとつの作品を、そして、かっこよく歌おう歌おうとしている自分がいた。

 かっこつけてどうすんの??

 ひとつの形に、歌をまとめようとしているが、その分、新鮮さが失われている。

 いつもながらの演奏と歌で、録音することもできる。

 それでよしとすることもできる。それが一番という人も多いであろう。

 しかし、今回はどの曲も、作りたてのような感覚で録音して来ようと思う。

 もう一度、生まれたての言葉のように歌って来よう。


「よくあること」'11.7/3

 昨日の録音で、フィンガーピッキングの曲があったのだが、 

 みごとにワンテイク目はボロボロであった。

 この一週間はその歌ばかり、練習したのであったが。

 きっとその曲の、フィンガーピッキングに不安があるからだろう。

 それと同じように、たっぷり練習をしても、良いテイクが録れるとは限らない。

 ライブの場合も、あまり練習できなかったときの方が、良いライブだったりすることはよくある。

 たぶん不安など感じられる余裕がないのであろう。

 練習していないぶんだけ集中するということもあるだろう。

 たとえば、それが日本武道館コンサートだとして、

 たっぷり練習してゆくよりも、ほぼふっつけだった方が、逆にいいライブになる場合はあるだろう。


「ムスタフアのために歌う」'11.7/6

 アルバムの正式盤として録音をしているのは、これで四枚目となるが、

 今回はまるでちがった気持ちでマイクの前に向かっているような気がする。

 とくに気をつかっているのは、その状況と風景が浮かぶようにしているということ。

 そのうたの生まれたところまで戻るくらいに。

 「さよなら、ムスタファ」という歌を先日、録音したのだが、

 ワンテイクで、本当によいテイクで録音が出来た。

 1991年より、何度も何度もライブで歌ってきている歌だが、たぶん一番のベストテイクであろう。

 この歌の場面設定は、トルコ共和国のネブシェヒールという町からアンカラ行きのバスを僕が待っているところで、

 その町で出会ったムスタファという男のことを回想し歌いかけるというものなのだが、

 本当に、そのときのバス停で僕が待っていて、歌いかけるように歌うことが出来た。

 それは録音を聞いてみれば、必ず伝わると思う。

 いままで、ライブで何度もこの歌をうたってきたが、やっぱりそれは聴いているお客さんのために歌って来たのだ。

 今回の録音は、僕と歌とムスタファと風景がマイクの前にある。

 これはライブではできなかったこと。

 今回の録音は、いままでとちがう集中力で歌っている。


「そんな音を聞いた」'11.7/10

 ギターの弦を張り替えてまだ10日なのだが、

 かなりこの暑さが弦にこたえたのか、こもった音になってしまった。

 僕の部屋で弾く分には、あまりわからなかったが、

 友達の部屋の録音室では、かなりその音のちがいがわかった。

 友達が言うことには、湿度も関係しているのだという。

 7時間ほど、その部屋にいて、その終わりにギターをじゃらんと鳴らしてみたら、

 古い古い音がした。

 長いこと古道具さんで吊り下げられていたような、そんな音。

 その古い古い音には、僕自身はよく知っていた。

 僕のギターは「ギルド」というメーカーなのだが、

 弦をほとんど交換しないでいたギルドの友達のギターのような音になっていた。

 あと、古道具屋で弾かせてもらった、外国製のギターの音にも似ていた。

 ま る で お じ い さ ん の よ う な お と

 よく見れば、僕のギターは作られて40年もたっているので、

 ギターとしたら、かなりの年齢になるだろう。この暑さでへばったのか、

 一瞬ではあったが僕のギターが、おじいさんのように思えた。

 (そうか、きみは、おじいさんだったのか・・)

 若い若いと思っていたけれど、、。

 ふと、僕は今日、ギターの横顔を見た。


「復活歌」'11.7/11

 先日の録音では、予定していた歌を四曲ほど入れ替え、

 お蔵入りになっていた歌を、なんとか復活させて録音した。

 歌詞を少し書きかえたりして。

 何とか録音できて良かった。本当に。

 それらの歌は、作り込みすぎたといった印象のもので、

 何度かいままでも歌詞やメロディーも直してきた。

 それでもだめでお蔵入りとなったのだ。

 悪く言えば「ボツ歌」になった。

 そのうちの一曲は、おおはばに歌詞も変えた。

 録音して、それがアルバムになったときのことをイメージして。

 今回、四曲ほど復活させた。

 それらは、ほんの一日か二日のうちに作り直しもしたのだ。

 こんなことは、普通できない。たいへんな作業だ。

 自分の音楽創作生活40年のすべてでやっているのだ。

 ちょっと今、奇蹟のような時間の中にいるのだな。

 四曲は復活した。録音できてほんとに嬉しい。


「オリジナルミックス」'11.7/13

 以前に作った歌を、今回の録音で歌えるように歌詞を直した。

 一度、作り、また作り直して、また作り直していた歌。

 いつも歌っていて、どうもしっくり来ない。なんだかまとまりすぎていて。

 最初に作ったのはもう18年ほど前で、今と歌詞もかなりちがう。

 先日、その映像を見ていたら、オリジナルのこのときの歌詞の方が自然だったことがわかった。

 最初に作ったときの想いがそこにあった。

 まとまり過ぎていた歌詞の言葉を、もう一度バランスを変え、

 オリジナルで作った最初の歌詞を基本に、全体の歌詞のテンションを調整し、

 生まれ変わったように、歌詞全体をまた作った。

 やっと、それでなんとか録音できる歌になった。

 大事なことは、作った当初のオリジナルの歌詞を心のもとにしたことだった。

 何度も作り直した歌であったのだが、

 作って18年後の僕が、その歌をやっと完成させたようだ。

 たぶん今回のようなことは、よくあることなのだと思う。

 ひとつの作品を完成させるヒントは、その最初に書いたものにある。

 原点に帰るというのかな。オリジナルミックス。


「ラジカセが歌っているのです」'11.7/15

 今、レコーディングをしているが、

 もっぱら携帯CDプレイヤーで、仕事の行き帰りに音源を聴いていた。

  イヤーインナータイプのヘッドホンで。

 自分の歌い方とか、ギターの弾き方とか気になりながら。

 ふと、以前のCDラジカセがあることを思い出し、

 それで聴いてみたら、まるでまた印象がちがった。

 現代は音楽をCDラジカセより、携帯プレーヤーで聴く機会は多いのかもしれないが、

 こうしてCDラジカセで録音した音源を聴いてみると、

 まるで、君、携帯プレーヤーで聴いているときと、ちがうのですよ。

 やっばりこれが基本形かな。

 携帯音楽プレーヤーも、それなりに良いのだけれど。

 一枚のアルバムとしての印象もしっかり見えてくる。

 そうなんです。

 CDラジカセが歌っているのです。

 イヤホンでは感じられないこと。


「よかったと言われた歌」'11.7/18

 僕の歌に8分近くの歌があり、それはライブでも数回しか歌ったことがない。

 もう25年ほど前、その歌を作った頃に一度だけ、ライブで歌った。

 その帰り道、普段はあまり話さない友達が、

 「あの歌よかったね」と、言ってくれた。

 その歌をいいねと言ってくれたのは、その人だけであった。

 今回、レコーディングでその歌を入れたのだけれど、

 とてもその言葉が心のささえとなった。

 録音してくれた友達も「なげーよ」と笑っていた。

 それでも、その歌には、ひとつの「よかった」がある。

 その歌にしかない。

 あのとき、友達にその言葉を言われなかったら、

 僕のこころは曲の長さにめげて、レコーディングには入れなかったでああろう。

 7分の最後まで、歌いきれなかったかもしれない。

 「よかった」には、強い効果がある。


「参戦」'11.7/19

 100曲録音に取り組んで、やっと70曲目までやってきた。

 ほんと長い歌の旅をしているような気分。

 自分の歌でこんな思いが出来るなんてなんて嬉しいこと。

 ボブ・ディランなら、アルバム30枚は余裕で出しているので、

 その3倍の曲は発表しているのだから、僕の100曲なんて子供みたいなものかもしれない。 

 ただ少しちがうのは、僕の100曲は、ボツ歌まで復活させてまでの100曲だということかな。

 ひとつのアルバムは10曲なのだが、やっぱりキラリと光っているのは、

 ボツ歌から復活した歌たちである。

 まるでオリンピックに常連メンバーで参加している人たちより、

 新しく参加している人たちがとても輝くように。

 ボツ歌たちはとても輝いている。

 この100曲アルバムの魅力は、そこにあるような気がしている。


「うずまき」'11.7/23

 今、新しいアルバムを同時に10枚作っているが、

 話が来たのが、少し前なので、曲順については集中して決めるしかなかった。

 録音の数日前とかに。(まあ、曲の順番はあとでも替えられるのですが・・)

 一枚は10曲の構成になっている。それもA面、B面仕立て。

 できあがった仮MIXのCD-Rを聴いてみると、まだそれぞれの曲の録音の出来が気になってしまい、

 通して一枚のアルバムとして、聞き流す余裕がない。

 しかし、今のところとてもよい感じだ。

 時間がたつと、アルバムの10曲がうまくMIXされて、ひとつのアルバムの柄や色が出来てくるだろう。

 絵柄のあるレコードを回したときに出来るうずまきのように。

 10曲の曲順がアルバムを回す。

 ひとつの絵柄が徐々に見えてくる。


「唄いなれたうたほどむずかしい」'11.7/25

 今、100曲録音を続けていて80曲までやって来た。

 作った年代順に録っているので、唄い慣れたレパートリーに入った。

 録音を続けてゆくと、いろんなフレーズが自分の中でもう出来上がって、

 その通りに出来ないと、気になるという苦しみを味わっている。

 以前の曲は、何も決めごとがなかったので楽に録音できた。

 唄い方や弾き方が決まっているほうが、むずかしいんです。

 ライブではいつもベストテイクをこころがけているので、

 録音でよりベストテイクを残すなんて、かなり大変。

 アイススケートのフィギュアの選手の気持ちがわかる。

 細かいところまで決められているのだ。

 だからむずかしい。


「即座に変える」'11.7/26

 先日の録音は、かなり苦労した。

 練習もしていったのだけれど、何曲か、その場で曲の雰囲気を変えた。

 ギターの弾き方を急に変えて、録音。それでもそれは、それなりにうまく録音できた。

 録音していながら、何かちがうと思えたのだ。

 それは前の曲との、つながりの関係でもあッたし、

 部屋で弾いている音とはちがうイメージになったりもしたからだった。

 録音している途中で止めてもらい、即座に弾き方やアレンジを変えた。

 フィンガーピッキングだったものを、ピック奏法に変えてみたり、

 前の曲と「間」が似ているのがわかり、変えてみたり、

 即座に変更したものを、正式録音とした。

 それが大事であった。練習してきたからと言って、それがいいテイクになるとは限らない。

 「カン」が大事だ。

 唄っていって、二番と三番の間のアレンジを唄いながら何度も変えた。

 それはそれが必要だと思えたからだ。

 急に変えられるのも、弾き語りアルバムの良いところでもある。


「キーはFなんです」'11.7/27

 僕がいつか作りたいと思っていたアルバムは、

 ギター一本でも豊かなサウンドになっているアルバム。

 低音もどーんと出て、まるでひとつのバンドのようなアルバム。

 そんな想いがずっとあったのだが、実際に録音に入ってると無理があるとわかった。

 僕の歌のキーは「F」なので、必然的にカポが3フレットとか5フレットになってしまう。

 カポなしの歌なんてまずないのだ。

 これがキー「G」で歌えたなら、カポなしで歌えるので、たっぷり低音もギターから出せる。

 友達はキーが「G」か「A」なので、ほぼノーカポで歌えていて、いいなぁといつも思う。

 とにかく僕の思い描いていた、低音がどーんと出るギター演奏はちょっと難しかったということだ。

 (Eの押さえ方で、カポを1フレットにするという方法はあるが・・)

 カポなんて使わなければいいのかな。たぶんそうなんだろう。

 低音のかなる出るギターも買ったのだが、あまり効果がなかった。

 ちょっとせつないFのうた。


「たましいがへるおもい」'11.7/28

 昨日の録音では、10曲目までワンテイクで行くことが出来た。

 時間的な制限もあり、いっきに録音していった。

 そのうちの二曲は、とても想い入れのある歌であった。

 自分の中の「裏名曲」の存在になっているうた。

 この二曲だけは、ベストテイクで録音したいと思っていた。

 無事にとてもよいテイクで録音できた。

 録音されたものを再生できいてみたら、ただならぬ想いが伝わって来ていた。

 それは叫ぶとか、重いとかではなく、大切さが出ていた。

 100曲録音の中で、この二曲を気に入る人がきっといるだろう。

 10曲の録音を終わってみると、体も感覚もへなへなになっていた。

 たましいが半分くらいの重みになったようだった。


「ギターを二本持ってゆく」'11.7/29

 ようやく今日、100曲録音もラストの10曲となった。

 今日は、ギターを二本持ってゆく。

 ギルドF47と、キブソンB25

 40曲目からはずっとギルドF47で録音してきたが、今日のラスト2曲は、ギブソンにしようと思う。

 今回の100曲のうち約60曲は、小さなギブソンB25のギターで作ってきたからだ。

 ギルドギターを買ってからの、ここ4年ほどは、ギターケースにしまってままになっていた。

 しかし、考えてみれば、ほんとにお世話になったギターだ。

 1992年から2007年までかな。ずっと部屋ではギブソンB25を弾いていた。

 創作もこのギター。今回の100曲録音に参加しないのは、ちょっとギターとしてもせつないのではないか。

 それも途中まで僕はギブソンB25のことをすっかり忘れていた。

 わるいことをした。70曲目くらいからは部屋でギブソンでも練習している。

 そして今回のラスト2曲は、ギブソンB25で録音します。


「ギブソンに助けられる」'11.7/30

 昨日は100曲録音のラスト10曲を録りに行った。

 いよいよラストレコーディングではあるが、そのラスト10曲はフィンガーが約半分ほどあり、

 我ながら心配だった。特にある一曲は、難しい指づかいがあるのだった。

 昨日は、いつものギルドのギターの他に小さなギブソンのギターも持っていった。

 ギブソンのギターは、部屋ギターで15年ほど使い続けていて、録音やライブでは使わなかったが、

 創作はほとんどこのギブソンでしていたので、今回の100曲録音のラスト2曲で弾こうと決めていたのだ。

 録音は順調に進んでいったが、難しいフィンガーピッキングの歌だけが、何度やってもうまく録音できなかった。

 いつもなら普通に弾けるし、充分に練習もしてきたのだけれど、指づかいに無理があるために、

 録音では失敗してしまうのだった。ギルドのギターで何回も失敗してしまった。

 ラストにその曲だけ残った。その曲は僕の大事な一曲でもあった。

 録音担当の友達が「「録音ってこういうものだよ。こうなると思ったよ」と言った。

 そして「ギブソンで弾いてみなよ」と言った。

 たしかにギブソンギターの方が弦高が低く、フィンガーピッキングが弾きやすいのだった。

 しかし、たぶん同じように失敗するであろう。それがレコーディングだ。

 そう思いながら録音してゆくと、なんと奇蹟的にラストまでまちがわずに弾くことが出来た。

 ギブソンに助けられた。そして100曲の録音は完了した。

 もう5年ほどギターケースにしまっていた、ギブソンB25に。


「ギルドがんばった」'11.7/31

 昨日は、録音した100曲を、ひととおり聴いていた。

 アルバム10枚分なのだが、アルバムタイトルを付けなくてはいけないので 、

 聴きながら、アルバムタイトルのイメージをイメージしていたのだ。

 今、7枚ほどタイトルがほぼ決まった。

 100曲のうち、67曲はギルドのギターで録音した。

 通して聴いてみると、よくがんばったなと思えた。

 いろんな歌を、それなりに表現できていた。

 弾き語り100曲のアルバムを作れたのは、ギルドギターの豊かさが可能にしてくれたと思えた。

 言葉で言えば、マーチンとギブソンのサウンドのどちらも出せるような感じか。

 それでいて、ギルド自身のサウンドも出すことも出来る。

 一曲の演奏の中にも、それを表現するのは可能で、

 マーチン風のギターサウンドの途中で、ギブソン風の音を加えることが出来る。

 なんとぜいたくな演奏。

 この100曲録音が出来たのは、ギルドギターのおかげでもある。


「もうわからない」'11.8/1

 今回の100曲録音では、ギター演奏にとても苦労した。

 毎週録音であったが、練習はほとんどギター練習ばかりしていた。

 どの曲も、妙な弾き方をしてて、自分でも思い出すのが大変であった。

 一曲だって楽な弾き方がなかったように思う。信じられないけれど。

 100曲の唄のアルバムではあるけれど、100曲のギターアルバムにもなっている。

 ギターアルバムにもなっているのだけれど、聴いているとあまりに自然で、

 ギター演奏が僕には聞こえてこない。

 アルバムを楽しめる要素の大きなひとつではあるのに。

 録音したばかりなので、唄ばかりが気になっているのかもしれない。

 あと一年もすれば、ギターをほんとよく頑張ったとわかるかもしれない。

 録音してくれた友達がフィンガーピッキングについてこんなことを言った。

 ある曲では「青木さん、すごくへたに聞こえるよ」と言い。

 また別のフィンガーピッキングの曲では「青木さんそうういう、すごくうまく聞こえるよ」と、笑った。

 このへんが、僕のギター演奏の特徴ではあるようだ。


「カチンとはまる」'11.8/2

 10枚組のアルバムのそれぞれのタイトルを決めていて、

 8枚は決まった。企画の友達の提案で、

 曲のタイトルをアルバムのタイトルにしないということなのだが、

 僕自身はまったく、そのことにはこだわりはない。

 友達が言うには、ある曲だけを特別扱いになるのはよくないとのこと。

 しかしねえ〜、曲のタイトルがアルバムタイトルになっているときは、

 それがぴったり来ているんだと思うよ。

 まあ、今回は友達の意見を優先するとして、イメージはあっても、

 ぴったりとなかなか決まらない。

 これだと思えたときは、カチンとはまる。

 僕のアルバムタイトルのイメージ作りは今回、

 一枚目からアルバムを見ていって、次のアルバムにどんなタイトルがついているかをイメージしている。

 カタカナであるとか、漢字であるとか、タイトルが長いとか短いとか、

 あと二枚、カチンとはまるタイトルを探している。

 いつもだったら、そのに二枚は、曲のタイトルがついていたのではないかと思う。


「もう少し」'11.8/4

 昨日は、お休みだったので一日、ジャケット作りをしていた。

 ある程度、イメージはあったのだけれど、それを形にするのは大変であった。

 いらすとれーたーとかいう、ソフトをおぼえることにもなった。

 あと少し。

 ジャケットだけではなく、アルバムタイトルも10枚のうち9枚まで決定した。

 そのアルバムタイトルをみていると、いかにもそんなアルバムになっているような気がしてくる。

 これは、ひとつの楽曲が出来てくるときととても似ている。

 とてもよい楽曲。

 今回の録音に合わせて、一曲作ろうとは思ったが、それは出来なかった。

 その替わり、ジャケットでひとつの作品が作れたような気がする。


「アルバムタイトル」'11.8/5

 10枚組のアルバムタイトルが、やっと昨日で全部決まった。

 仕事しながら、なんとなく考えていると、ふと浮かんだのだ。

 他のアルバムタイトルは、休みの日に、横になって考えた。

 ノートに向かってアルバムタイトルはなかなか考えられない。

 イメージが大事だからだ。

 昨日タイトルを決めたアルバムは、最後の最後まで悩んだ。

 10枚決まってやっと落ち着いた。ほんとに。

 遠足に出発するとき、遅れて来た一人がやって来て、そして出発するように。

 メンバーはそろった。10人。

 これからが旅なのであろう。

 大きな作業であった。


「写真」'11.8/8

 アルバムのジャケット作りのために、家にある写真という写真をみんな見た。

 写真を撮り、それをくれた友達にはほんと感謝している。

 ほんとうに。僕もそうやって写真をあげてはきたが、、。

 デジタル写真の時代に入ってき、僕ももう5年はたったのだが、

 とても探しづらい。

 たぶんの僕のやり方がまずいのだろうけれど。。

 とにかく、同じシーンでの枚数が多い。それは良いことではあるのだけれど、

 フィルムカメラのときとは、やっぱりちがう。

 やっぱり良く撮れた写真は焼いておいた方がいいな。

 探しやすいし、形を感じる。


「まことに不思議な気持ち」'11.8/11

 やっと10枚組弾き語りアルバム完成のめどが見えてきた。

 その10枚組は、歌を作った年代ごとに10曲ずつ歌っていて、

 ジャケット作りでは、当時の僕の写真を使った。

 まるで当時の僕が作ったアルバムのように。

 歌っているのは僕ではあるけれど、歌ったのは今年である。

 それでも当時に作ったアルバムようであり、当時の僕が歌っているようである。

 なんともぜいたくな気持ち。

 かんちがいするほどに、そんなアルバムが完成した。

 ときがもどったような、まことに不思議な気持ち。


「ノートブック」'11.8/12

 今回の録音用にノートを一冊用意した。

 少し変形の細長いタイプのノート。

 B5の高さがあるのだけれど、幅は8センチくらい。

 外はビニールカバーがついている。

 そのノートをずっと持ち歩き、いろいろ書き込みをした。

 ほとんどのページがそして埋まった。

 こんなふうにぴっしりとノートを使いきるなんて、

 ほんと久し振りのこと。

 それが嬉しくてたまらない。


「感覚は古いが」'11.8/13

 今回、ジャケットを一気に10枚一日で作った。

 いや、一日ではない。5時間くらいなものだ。

 だいたいのイメージは出来たいたのだけれど、

 出来上がったものを見てみると、自分の感覚の古さにびっくりしてしまった。

 まるで'60年代、'70年代のレコードのようである。

 当時の写真グラフのようなイメージでもある。

 今回は10枚組なので、多少の変化をつけねばならない。

 その変化の付け方というのが、

 まるで、小さい頃に読んだ江戸川乱歩の本の表紙のようであった。

 続きもの、シリーズものの本と言ったら、僕の中では江戸川乱歩の本である。

 「人間椅子」「蜘蛛男」「人間豹」etc

 確実に僕の感覚は古い。でも、それでいいんじゃないか。

 若者にはなかなか、この味は出せないかもしれない。

 半日で作り、なおかつ感覚が古いって、、

 でも、大丈夫。

 その夜、僕にジャケットの神様が降りてきたようです。


「りゅうぐうじょう」'11.8/17

 録音で忙しかった二ヶ月間がやっと終わった。

 期日どおりに出来上がり、今はほっとしている。

 この二ヶ月は、考えてみれば、夢のような日々が続いた。

 とてもとても忙しかったのだが、、。

 毎日、音楽の事を考え、

 たった一日で、アルバム一枚分を録音し、

 CD-Rに焼いてもらって、聞きながら家路に向かった。

 西川口の駅の階段は竜宮城の階段のよう。

 そんな夢の日々の終わりの日。

 僕は手にパンのおみやげを持っていた。


「オフ前日」'11.8/18

 やっと明日、オフの日がやって来る。

 オフと言っても、やることは山ほどあるのだけれど。

 レコーディングにとりかかった6月始めから8月半ばまで、

 たったの一日でも、オフになる日はなかった。

 アルバムのイメージのことを考え、曲順のことを考えた。

 そしてひらめくのを、常に待っていた。

 ギターも疲れたはず。

 アルバムは無事に出たのだが、その前の数日感は最高に忙しかった。

 その後は、連日の猛暑で体はへとへとを通り越してしまった。

 そして明日はオフ。

 部屋じゅうのものが疲れているのがわかる。

 少しずつ、復活しようと思っている。


「僕は知っている」'11.8/19

 今回の録音した100曲。

 アルバム10枚になっていて、10曲ずつ入っている。

 完成してみると、どの曲もちゃんとアルバムにクレジットされているのだが、

 そこに来るまでのことは、僕が一番良く知っている。

 なにしろ30年分のアルバムなので、ずっと唄っているうたもあれば、

 どこかの紙切れに歌詞が書かれたまま20年以上もしまわれたままのうたもある。

 一枚のアルバムの10曲を作るために、僕の記憶の中のその曲が必要だと思って、

 なんとか、歌詞をみつけメロディーを思い出し、演奏を思い出し、

 今も歌えるように歌詞を少し変え構成も考え、それでレコーディングに持っていった。

 長い間、ほんと長い間、その曲は、紙の中で眠っていたのだ。

 眠っていた歌だけじゃない。僕自身の「ボツうた」にされて、記憶からなくされた歌もあった。

 1枚目の録音から歌の変換作業をしていたら、もしかしたら「ボツうた」も直せるような気がして、

 多くの「ボツうた」をもう一度復活させた。奇蹟のようなパワーで。

 ちょっとだけ歌詞やアレンジを変えるだけで、それは今も歌えるうたになった。

 10枚組は完成して、100曲そしてそろっているわけだけれど、

 その曲名を見ていると、ちょっと泣きそうになる。

 おいで、ここにおいでと、そしてやって来た歌たち。

 その歌たちが、どこから来たのか、僕は知っている。


「おじさんに会いに行った」'11.8/21

 池袋の写真を撮るおじさんに会いに行った。

 今回の10枚組のジャケットで何枚も写真を使わせてもらったので、

 その感謝の気持ちを込めて、CDを持って行った。

 郵送でも良かったのだが、心配なことがあったからだ。

 知っている電話番号にかけると、

 「現在、使われておりません」のアナウンスが流れた。

 それで直接、会いに出かけた。もしかして長期入院などしていないだろうかと。

 最悪の事態もありえるなとか思いながら、ある程度覚悟はしていった。

 池袋に行き、メモして来た住所をめざすと、それは以前に住んでいた場所で、

 僕の完全なかんちがいであった。電話番号も以前のものにかけてしまったのだ。

 新しいアパートには、一度だけ行ったことがあり、

 かすかな記憶を頼りに探し訪ねた。公園のそばということは憶えていた。

 それなりのアパートを探してゆくと、郵便ポストにおじさんの名前を見つけた。

 (ああ・・、よかった・・)

 ドアを叩くと、おじさんの顔がそこにあった。

 ふたりでビールと焼き鳥を買い、再会を祝った。

 「青木さんはいくつになりましたか?」「もう50です」

 「わたしは73になりました」。この会話がいつもある。

 そして、おじさんの写真を何枚も使ったCDを見せると、とても喜んでくれた。

 CDをかけられるものが今はないので、明日ビックカメラに買いに行きますと言う。

 「実は、、今日の昼に退院してきたんですよ」と、おじさんは言った。

 今回は一週間ほどの入院だったとのことだが、それは知らなかった。

 昨日訪ねたら、おじさんに会えなかったわけだ。

 ・・・・・・・・・・

 そのアルバムには、おじさんを歌ったうたが二曲入っている。

 そしてこの30年の僕のうたを伝えることもできる。

 なんて嬉しいこと。間に合ったような気分。

 帰り、おじさんは駅まで送ってくれるという。

 おじさんはもう、ほんとゆっくりとしか歩けない。

 ・・・・・・・・・・

 ほんとゆっくりとゆっくりと二人で椎名町の駅まで歩いていった。

 同じこの椎名町の駅を数時間前に降りたときの僕の気持ちは、

 とても言葉で言えないくらいに不安なものであった。

 しかし、こうして一緒におじさんと今、歩いている。

 まるでふわふわとして、夢のような時間であった。

 ありないことが起きているような、

 そして改札で手を振った。よかった、ほんとうによかった。

 おじさんに会いに行った。


「全員で」'11.8/24

 今回作ったアルバムは10曲10枚組で100曲。

 それも一枚一枚が、sideA 、sideB に5曲ずつわけて入れてある。

 それぞれの曲が、sideA 、sideB の何曲目かという位置にあることになっている。

 sideA なら、5曲目がラストとなり、sideBもまた5曲がそれぞれにある。

 (実際は6曲目がsideBの1曲目)

 むずかしい話ではなく、以前のレコードやカセットテープと同じ感じ。

 ちょっと変わっているのは、sideAもsideBも5曲ずつだということかな。

 ・・・・・・・・・

 そして10枚で100曲。どの曲もそれぞれ大事な役目を持っている。

 100曲であっても、大事ではない歌は1曲もない。

 こんなことってあるだろうか。

 100曲がそれぞれに大事な位置にあるなんて。

 一曲たりとも代わりがないのだ。

 100曲が100人と考えれば、100人がひとチームのようなもの。

 体育館に100人の人。その全員が仲間。

 そしてその100人で旅に出るのだ。僕はその旅に期待している。

 お互いに助けあって、進んでいってもらいたい。


「歌詞カード」'11.8/29

 10枚組のアルバムは、発売の日、歌詞カードが間に合わなくて、 

 今、徐々に作っているところだが、友達より

 「わたし、歌詞カードいりません」と、連絡が来た。

 僕個人としたら、それでも送りたいと思うのだが、

 友達が言った言葉は、わかるような気がした。

 たしかに聞き取れない言葉がほとんどないと思うし、

 歌詞カードを見るなら、聴いたほうが早いという感じもある。

 しかし、友達が言っていたことは別のことでもあるように思う。

 今、歌詞はアルバムの中に入っている魚みたいなものである。

 その魚はどこかに向かっている。

 右であるか左であるか、上であるか下であるか、

 角度は30度であるか60度であるか、それはその魚の意志である。

 歌詞カードは、言葉が横に並んでいて、下の行に下がってゆく。

 友達は、歌詞を魚のままにしておきたいのであろう。


「感想が嬉しい」'11.8/31

 先日出した、10枚組のアルバムについてライブで感想をもらった。

 「アオキさん、初期の頃の歌がいいですねー、とくに人物描写のうたが・・」

 「ありがとうございます。複雑な気持ちですが・・(笑)」

 「あの千葉のおじさんの歌もいいですねー」

 「八街のおいちゃんですか、、あれは一度ボツになった歌で25年振りに唄ったんです」

 嬉しいな。一度ボツになった歌がそんなふうに、また聴かれるなんて、

 それに「良かった」と、言われるなんて。

 たったひとりでもいい、それだけで歌がしっくり来る気がした。

 アルバムに入った、その歌も自信がついたであろう。

 しっかり胸をはって、それにいるってわけだ。

 感想が嬉しい。 


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