ヴェネツィアの虹。それは今まで見た中で一番、綺麗な虹だったかも。

バスの中から窓の外を見ると、雨は小降りになったけれど、相変わらずの強風にさっきまでの雨雲が姿を消して、空には180度の虹が。バスが動き出すと、虹の起点が海の向こうに。

今日は、本当に距離的にも、精神的、肉体的にも、長い長い1日。今日は、などといいつつ、イタリアに来てから約1ヶ月半。毎日が長い長い1日なんだけど。

ことの始まりは、数日前。自室から階下へ降りて行くと、ちょうど、ステイ先の奥さん、フランチェスカが電話の最中。「ハナコ!弟が日曜日にヴェネツィアに行くけど、一緒に来ないかって聞いてるわ。お金は要らないんだって!」。なんだかよく分からないけれど、お金は要らないというので、行く!行く!と答えておく。

土曜日、私が帰宅すると留守中に弟が来たらしく、旅行の詳細が書かれた紙をフランチェスカが渡してくれた。彼の勤めている会社から、ヴェネツィアへ“ジータ(小旅行)”に行くらしい。私の滞在している家から、すぐのところに弟の会社があり(彼の家からだと歩いても5分はかからないのでは?)、その前を早朝5時40分に出発。私は、5時半に弟が家まで迎えに来てくれるらしい。

当日の予定は、10時45分、ヴェネツィア到着。昼食は12時半から13時くらいに、“Laguna Blu”という名前の典型的なヴェネツィアン・レストランで。メニューは、ボンゴレ(あさり)のスパゲッティ、魚のフリット(ここの人たちは、貝もイカも海老も“ペーシェ(魚)”と言うので、きっと海老か何かのフライだと思われる)、フライド・ポテト、そして飲み物。

そのあと、ヴェネツィアの町をウロウロして、17時15分に、“Gli Etruschi”という展覧会へ入場。そういえば、数日前にフランチェスカの弟が来た時に、“エトルスキ(エトルリア)”を見るんだと言っていた。私はエトルリアに非常に興味があるので、「わぁ!エトルスキ、大好き!嬉しい!」と言っておいたんだけど、どうしてヴェネツィアでエトルリアなんだろうと、とても疑問だったのだ。なるほど、ヴェネツィアで“モストラ(展覧会)”があるのか。それなら納得。

18時30分に町中を出発し、19時頃バスで帰路につく。夕食は各自、自由にとり、24時に朝の場所に到着予定とのこと。

それぞれが配偶者か婚約者を連れて来る。そして、その分の費用、つまりバス、船の料金、レストラン、展覧会の入場料は、既に含まれていると。フランチェスカの弟が、皆が1人ずつ連れて来るんだ、というようなことを言っていたけど、これではっきりと納得。お金が要らないというのもそういうことだったんだ。既に彼が払ってくれているわけだ。だって、バス代は、15人で乗ろうが30人だろうが変わらないものね。その時に、弟が私に30人と言ったので、30人が30人を連れてきて、60人か・・・大ツアーだなぁ、と、ぼんやりと思っていたのだけれど、実際、集合場所に行ってみると、全部で30人と少し。15人が15人を連れてきて30人だったみたい。でも、これくらいの聞き違いはしょっちゅうなので、命にかかわること以外は気にしない。

そして、もらった紙には、それ以外に同伴するのなら、船代がいくら、レストランがいくらと書いてあった。

「明日の朝、5時35分に迎えに来るからね。寒いから家の中で待っておいて。そんな時間に来るのは僕の車だけだから、窓から見えたら出て来るといいよ」と言って、フランチェスカの弟は夕食を食べ、彼の家に帰って行った。

この弟、本当にイタリア人かと思うくらい、背も高くて、体が大きい。ま、この町に住んでる人たちは、背の高い人が多いのだけれど。そして、声も大きく、身振りがやたらと大きい。という、どこからどう見ても、イタリア人だとしか思えない人である。いつも、冗談を言っていて、大笑いしている、とても明るい人。フランチェスカもとても明るいおしゃべりな人なので、この人たちが独立する前、両親と一緒に住んでた頃はどんなだったんだろうと、思ってしまう。彼女たちのお父さんも、明るい楽しいひとだし。

フランチェスカの弟に関して疑問がひとつ。イタリア滞在中、最大の疑問といっていいかも。それは、彼の名前。1ヶ月半も一緒に暮らしているので、薄々とは分かっているのだけれど、どう考えても納得出来ないので、明日、彼の友達が彼に名前を呼びかけるのを楽しみに待つことにする。私に話をする時、フランチェスカは“私の弟”と言うし、子ども達は“おじさん”と呼んでいるから。

当日の朝は、5時には起きないといけないので、前日は早くベッドに入る。

そして、日曜日、5時35分。ドアの鍵をかけている間、満面の笑顔で運転席に座っているフランチェスカの弟の顔を見ただけで、可笑しくて笑っちゃう。だって、可笑しいでしょう。朝、5時35分に私を迎えに来て、笑っているイタリア人を見るのって。想像しただけで、笑っちゃうでしょ?ね?。

銀行に寄って、5時50分くらいに集合場所に着くと、バスはまだ来てなくて、結局、出発したのは、6時ちょうどくらい。6月にもなると日が昇る時間も早くなり、ちょうど出発の頃に、丘の真ん中から太陽が昇って行くのが見えた。5月の初旬に中学生たちと遠足に行った時は、真っ暗闇だったのにね。

メンバーはだいたいが奥さんか彼女連れ(主人か彼連れかもしれないけど)の2人組で、小学校低学年の妹と小学校高学年の兄と母の3人連れ。小学校高学年(中学生かも)の女の子2人とその母。彼女たちは姉妹なのか友人なのかは不明。彼女たちは、車の中から私をチラチラ見ていてバスに乗り込む時に、チャオ!と言ってくれる。

先にフランチェスカの弟がバスに乗ったんだけど、後部ドアの後ろの一席は、後方を向いていて真ん中に小さなテーブルがあり、4人向かいあって座れるようになっている。その席に彼が座ったので、私もその隣に座る。これから約5時間。どうして後ろを向いてヴェネツィアに行かなくてはいけない?と思わないでもないけど、まぁ、そんなことはどうでもいい。向かい側の席には、女性2人。最初に紹介してもらったけど、名前は覚えられなかった。まぁ、彼女たちも何度も私の名前を尋ねたけど、今ごろは忘れているだろうから、気にしない。金髪の女性と、ショートカットの女性。そして、通路を挟んだ席に、ロレンツォという名前の男性。彼はフランチェスカの弟の友人みたい。誰がこの会社の人で、誰を連れて来て、どういう関係なのかは、さっぱり分からなかったけど、そんなことは、別にたいしたことではないので、気にしない。昼食時も、ヴェネツィアの町を散策する時も、この5人で一緒に行動することになる。

私は、もう、出発した時点から、眠たくて眠たくて。30分くらいは起きていたけれど、そのあと、寝てしまう。彼等4人は、眠くないみたいで(イタリア人はやっぱり、どこかおかしいと思う)、元気いっぱいに大声でしゃべって大笑いして楽しそうだった。でも、私は、聞き取れないし、眠たいので寝る。寝るといったら寝る!。しかし、フランチェスカの弟。とにかく、この人は動作が大きいので(ま、だいたいのイタリア人はそうなんだけど)、座席が頻繁に揺れてよく目が覚める。でも、ここはイタリアなのでそんなことは気にしない。私はヴェネツィアに着くまで寝るんだ!。そして、しばらく寝たかなという頃、「ハナコ!」と、彼が私の腕を揺すって起こすので、「ん?朝ご飯かいなぁ」と、目を覚ますと、座席の背もたれを指差して、リクライニングを倒した方が楽だ、とのこと。ご親切にどうもありがとう。でも、出発してから2時間近く過ぎているし、わざわざ起こしてまで言うことではないと思うんだけれど。でも、彼は(というか、だいたいのイタリア人は)こんな風に、とても親切。

そして、“アウトグリル”高速道路の休憩所で、朝食。カプチーノと中にクリームの入ったクロワッサンを買ってもらう。ここでも、冗談を言って大笑い、大騒ぎしたあと、再びバスでヴェネツィアへ向かう。しばらく走ったあと、地図のコピーを配ってもらって、ヴェネツィアの説明を聞く。車内でこうやって説明をしたり、人数確認をしたりする女性が一人いたんだけれど、彼女が誰でどうしてその役なのかは不明。配ってもらった地図には、レストラン、展覧会の場所、帰りの集合場所、等に印がされていたんだけど、渡された瞬間、隣で「リストランテ!」という叫び声。「最初に、レストランが目に入ったよ!アハハ!」とのこと。あなたがそんな人なのはよく知ってるよ。

ヴェネツィアの説明が始まると、さすがに車内は静かになる。そして、すぐにあちこちから寝息が。もちろん私の前の3人も、ぐっすりと。イタリア人って、本当に分かりやすい人たちねと思うのはこういう時。小学生じゃあるまいし、皆、立派な大人なんだからさぁ。説明が終わって、ヴェネツィアのビデオを見ようということになり、皆、起きてまた騒がしくなる。テレビの真下に座っていた弟が、大きな口を開けて寝ているのが、可笑しくて、皆で大笑い。

そんなこんなで、ヴェネツィア到着。まずまず、眠れたし、楽しかったし、良しとしよう。

ヴェネツィアはご存知のとおり、運河で囲まれたというか、運河の中にある町。車は入られないので、当然、バスも市街から離れたところで降りることになる。この辺りは、トロンケットという名前らしい。ここに着くまでの間には、工場地帯もあり、ギリシア行きと思われる大型客船が何隻も停泊していたりもする。さすがは大海運国といった感じ。狭い入り組んだ路地の続く町並みしか知らない私にとって、この辺りはヴェネツィアの別の面を見たような気がし、非常に興味深かった。

バスを降りてから船への乗り継ぎはあっさりと運び、順調に町中へ到着。以前、小学生たちの遠足で来た時は、これだけに1時間近くもかかったので、本当に嬉しい。サン・マルコ広場に向けて、ヴェネツィアの美しい町並みを眺めながら船は進むのだけれど(全員、迷いもせず、2階の屋根のない外の席に座った)、私の後ろに座っていた小学生の女の子2人組が、「ハナコ!私たちと一緒に写真を撮ってくれる?」と。わぁ、驚いた。私がどこかで授業をした子たちだったんだね。そして、すごく嬉しい。

サン・マルコ広場近くに船は着き、そのまま、全員でゆっくり、ゆっくり歩いて、サン・マルコ広場へ。そして、また、ゆっくりゆっくり歩いて広場の回りを1周する。この間に何をしているのかといえば、冗談を言い合って大笑いして、ショーウィンドウの中を覗きこんだり。

それから昼食を食べにレストランへ。迷路のような路地を幾度も曲がってたどり着いたレストラン。何が典型的なヴェネツィアンなのかはよく分からなかったけれど、間口は狭い。細長く部屋が続き、L字型になるように奥に一つの部屋が。その部屋が私たちにあてがわれていて、そこに入ろうとしたら、その部屋の中は30席とのこと。そして5人だけここ、と奥の部屋の外のテーブルを指される。そして、どうしてなんだかそこに座るのは、当然のように私たち5人。本当に、決められていたかのように。なぜだかはよく分からないけれど。でも、フランチェスカの弟を見ていると、なんとなく理由は分かる。とにかく、そういう感じの人なの。そして、このあと、このテーブルで良かったと思う事件が・・・。

このレストランは団体客がよく利用するみたいで、なんと、日本人の団体ツアー客が私たちのテーブルの横にやって来た。「彼らは日本人なの?」と聞かれたので、「そうだよ」と言って、笑っていると、添乗員さんが説明を始める。「このリザベーションの札があるテーブルにですね、少し狭いですけど順番に詰めて座ってください」とかなんとか言ってる。フランチェスカの弟は私に、「何を言ってるか分かるか?」と尋ねてくる。当たり前だろう。分からなかったら、私はいったい何人なんだ。「もちろん」と答えると、興味津々の表情で、私の前に座った金髪の女性が、何と言っているかを尋ねる。すごく困ってしまって、かなり考え込んだあと、「セデーテ」とひとこと言ったら、4人は大笑い。「セデーテ」。座るという動詞の命令形・二人称複数、要するに「座ってください」というひとことを一生懸命、考えて口にしてみた。私が反対の立場でも、考え込んだ後に言ったのがこれじゃ、大笑いしちゃうよね。でも、他に言いようもないし。イタリア人の団体なら、どやどや入って来て、勝手にその辺に座って、ここは違うと店員に言われたら、悪びれた様子もなく、面倒くさがりもせずに、席を替わるだけだろうから。一応、そのあと、「彼等は、既に予約してたから」と言って、納得してもらう。

そして、事件が起こったのは、そのあとすぐ。添乗員の女性に声をかけてみたら、東京からのツアー客で、昨日フィレンツェに着いたのだとか。どうやら食事はツアーの中に含まれていて、飲み物だけは自分たちで頼むようす。メニューを見せながら、添乗員が「英語と似ていますから、だいたいは分かられると思います」となんとかか言ってた。そして、注文時に私にも聞こえてきたのだけれど、なぜだか、多くの人がカプチーノを頼む。一人が頼むと、皆、そうしちゃうんだろうね。そして、当然、カプチーノがやって来る。

騒がしくなる私のテーブル。私の横のショートカットの女性が、「ねぇ、あれ、カプチーノなの?」。私、「そうでしょうね」。金髪の女性もそれに気づき、「ハナコ、本当にカプチーノなの?どうしてなの?カプチーノが昼食なの???」。これは、昼食にカプチーノ、ではなく、昼食がカプチーノと言ったように聞き取れた。どうして?と私に聞かれても、私が聞きたいくらいだよ。

「ペルケェ!?(どうしてなのぉ!?)」と叫んで、4人が真剣な表情で私を見つめている。もう可笑しくて可笑しくて、私は笑いをこらえるのが大変なんだけど、とりあえず何か答えなきゃいけない。だって4人が私の答えを真剣に待っているから。仕方がないので、「カプチーノは昼食ではない。私たちと同じようなパスタや魚を彼等も食べるはず。私が思うには、彼等は間違えたんじゃないかな。きっと、食事の後にカプチーノが飲みたかったのよ。最初に頼んだので、先に来ちゃったのよ。」かなんとか答える。一同、納得してもらえた様子。だって、これ以外に言いようがないじゃない。きっと、事実もこんな感じだと思うし。

しかし、ざっと見まわしたところ、実に3分の1くらいのテーブルにカプチーノが並んでる。私は、注文してしまった日本人の気持ちも分からないでもないし、「日本人は昼食がカプチーノなのか!」と目を丸くしているイタリア人の気持ちも分かるし。本当に可笑しくて可笑しくて。でもこの場合、間違えているのは、明らかに日本人のオバサンたち。些細なことだけど、同じ日本人として恥ずかしいので勘弁していただきたいものである。正解は、注文するのは、水かワイン。コーヒーが飲みたいのなら、食後に注文すればいい。日本人のウェイトレスみたいに、「コーヒーは食後にお持ちいたしますかぁ?」なんて親切には、聞いてくれないからね。

まぁ、本当に可笑しかったから、構わないんだけどね。でもどうせなら、あのままカプチーノだけ飲んで出て行って欲しかったものである。またまた、「ペルケ!?(どうしてぇ!?)」と私のテーブルのイタリア人たちは叫ぶだろうから、そうしたら、「あぁ、普通の日本人は、米以外は食べないからね」とかなんとか、言ってやったのに。残念。

ワインもたくさん飲んで(ここの白ワインは、あっさりしていて美味しかった。いっぱい、飲んでしまった)、デザートのジェラート(これも美味しかった。パスタと魚、−やっぱりイカと海老だった−はまあまあ)を食べて、コーヒーを飲むか?とウエイターが聞きに来たので、私も頼んでもらう。そして、コーヒーも飲み終わって、席を立つのだけれど、この時、最初にフランチェスカの弟がコーヒー代を払おうとしたように思う。その時に、私たちの点呼係の女性が来て、ウエイターに、コーヒー代も食事代に含んでおいてよ、かなんか言って、払わなくてよくなった。ちょっとこの辺り、確信が持てないけれど、こんな会話が交わされていたような気がする。きっと、その分、日本人が払わされてるんだろうな。かわいそうな私たち日本人。

昼食の後は、レストランの前で少し時間を潰して、どうやらサン・マルコ寺院に入りたいけれど、込んでいて列が出来ているので、ここで待っているらしい。イタリア人は、本当に立っているのが好きな人たち。よし行こう、ということになったので、サン・マルコ広場に向けて出発。日曜日だったし、観光地ヴェネツィアはものすごい人の群れ。私は、はぐれたら大変なので、フランチェスカの弟を見失わないように、一生懸命に歩く。ま、彼は大きいから、見失うことはないんだけれど。彼等といれば安心、と私はくっついているのだけれど、彼等が他のメンバーを見失う。サン・マルコ広場に着いたって、他の人たちは見当たらないし。電話をかけて、居場所を知らせてもらい、合流して、少し並んで、サン・マルコ寺院の中へ。

本当に、ため息をついてしまうほど、美しい教会。大海運国ヴェネツィア。本当にお金持ちだったんだよなぁ、とつくづく思う。世界一の列強国だったんだもんなぁ。その痕跡がはっきりと感じられる黄金の教会。イタリア人だって、綺麗だと感動してるんだもの、日本人の私にとっては、それ以上の感動よ。フランチェスカの弟は、中に初めて入ったと言っていた。ちなみに私は二度目。

サン・マルコ寺院を後に、また、町をブラブラ。特に何をするでもなく、買い物もせずに、ただ、ゆっくりと歩く。私と女性2人は、ショーウィンドウを覗きこんでいたけど、弟とその友達ロレンツォは別にショーウィンドウも見てなかったんじゃないかな。常に、肩を叩き合ったりして笑っている。

そんなことをしている間に、重大なことが発覚。フランチェスカの弟の名前が、やっぱり私の思っていたとおりだったことが判明。だって、何かおかしいと思うでしょ。家で耳にしても、聞き間違いだと思ってしまうでしょ。どうして、“フランチェスカ”の弟の名前が“フランチェスコ”なの!?。これは、確実に、食事前にカプチーノを飲む日本人より、おかしいよ。ま、彼等の両親も2人とも明るい楽しい人だし、私がどうこういう問題ではないから、いいんだけれどさ。でも、姉弟が生まれて、“ハナコ”と“ハナオ”と名付けたようなものでしょ。やっぱり、この国の人はよく分からない。

そして、集合時間が近づいてくる。集合場所は展覧会のある建物(バスの中で集合時間の説明があった)。もちろん、全員、印の付けられた地図を持っている。そして私が行動を共にしているイタリア人4人組。どちらへ向かえば良いか誰も分からない。とりあえず、サン・マルコ広場へ行くも、地図をどの方向へ向ければ良いか分からない。皆、かなり検討外れな自分の意見を言い合ったあと、フランチェスコが行き方を解明。おぉ、頼りになるじゃないかぁ。でも、大運河に面したサン・マルコ広場に地図を合わせること、日本では方向音痴として非常に有名である私でも3秒あれば出来るぞ。

そして、いざ、会場のパラッツィオ・グラッシに向かうのだけれど、迷路のように入り組んだ町ヴェネツィア。方向を見失うイタリア人達。5分毎に、道を尋ねながら進む。フランチェスコの携帯電話が鳴り、早く来いという電話だったようで、あと5分と叫び、皆で走り出す。ちょうどこの頃から、到着した頃からかなり怪しそうだった空から雨が降り始める。そして、しばらく走ったところで無事に、パラッツィオ・グラッシに到着。この頃には、だいぶん雨足が強くなっていて、傘を取り出すのだけれど、傘を持って来ている人は、全体のだいたい半分程度。私は持って来ていないので、金髪の女性の傘に入れてもらう。当然、フランチェスコが持って来ているはずがない。この人の荷物は、ポケットに財布と携帯電話のみ。

世界中に名の知れた大観光地ヴェネツィア、見るべきものはたくさんあるヴェネツィア、そこへ来てどうしてエトリスケ?と思っていたのだけれど、この展覧会は、昨年の11月26日から今年の7月1日まで開かれている、大々的なもののよう。そのせいか、ものすごい人の数。入るまでに少し行列。中に入ると、神戸市立博物館のルーブル美術館展なみの混雑。この展覧会は、考古学の先生が付いて説明してくれるのよ、と前もって、フランチェスカも私に言ってくれていた。しかし、1階の入口を入り、フランチェスコと2階に上がると、他のメンバーをまたもや見失う。まぁ、イタリア語の説明を聞いても、私には聞き取れだろうから、いいんだけどね。実は、これのためではなく、偶然、日本から持って来ていた『エトルリア文明』という本を直前に読んでいて、エトルリアについての知識は仕入れていた。実際、その本に載っていた展示品もいくつか目にして、あ、私、こいつについての説明が出来るもんねぇ、などと内心思ったりして。

その頃、外は大雨。ヴェネツィアで雷の音を聞きながら、エトリスケの展覧会を見る。なかなか経験出来ることではないだろうね。レストランで会った日本人の人たち、かわいそうになぁと思っていたんだけど、本当にかわいそうだったのは、このあとの私。

ゆっくりと展示品を見て回る。ローマやフィレンツェ、ナポリの考古学博物館や、イタリアだけでなくルーブル美術館、ブリュッセルの美術館などからも展示品が集められていた。これはすごいことなのでは。こんな機会、滅多にないだろうし、良い機会に遭遇したものだ。

1階へ戻って、他の人たちと合流。しばらく座って、談笑のあと、じゃ行こうかということになり、30人のイタリア人がいっせいに立ち上がる。そして出口へ向かって歩き出す30人のイタリア人。しかし、そこは出口ではなくただの壁。おぉと気が付くイタリア人たち。30人のイタリア人がユーターンして、本物の出口へたどり着いた時には、外は大変なことになっていた。

雷は止んでいたけれど、ものすごい風に大雨。駅までタクシーに乗ろうよぅ、と日本での私なら確実に言っているはず。でも、ここはよりによってヴェネツィア。船乗り場まで、走って行くしかない。私と女性2人で一つの傘。フランチェスコとその友人ロレンツォが一つの傘(ショートカットの女性が持って来た傘)に入って、豪雨の中を走り出す。でも、ものすごい風だし、3人で一つの傘は、無いよりましという程度で、私のリュックと右腕はずぶ濡れ。そして、しばらく走ったあと、広場の真ん中で、誰かが「どっちに行けばいいの!」と叫ぶ。そこで、皆で建物の壁に寄り添い、地図を広げてああでもないこうでもないと。建物に寄り添っていても、屋根があるわけではないので、少し風除けにはなるかな程度であまり意味がない。やっと行き方が分かり、また走り出す30人のイタリア人。

しばらく走り、やっと船着場へ到着。屋根があったので慌てて駆け込んだけれど、誰かの(点呼係の女性と思われる)「ここじゃない!もう少し先!」の声に、またもや皆で濡れながら走り出す。今度の船着場には屋根がなくて、少し離れたところで雨宿り。私に、同じグループの女性が「全く、濡れなかったの?」と声をかけてくる。とんでもない!ずぶ濡れでございます。私は、死ぬほど暑くても、寒くても、そして心底から不快に思っているのにもかかわらず、いつも涼しそうな顔をしているとよく言われるので、この時もそう見えたんだろうね。そうこうしている間に、船がやって来る。屋根のない桟橋にいっせいに走りよる、たくさんのイタリア人。私たちの他にもニグループほどの団体が、船を待って雨宿りしていた。彼等は、自分たちの船だと思い、走って行ったようだけど、到着したのは私たちが乗る船。そして、違うと分かっても、先の団体たちは戻ろうとしない。というわけで、狭い桟橋は私たちが通る場所がなく。傘も屋根もないまま、団体の後ろで、ただ濡れるだけ。

私たちのグループには、車椅子の女性がいて、当然、彼女も桟橋の人ごみを掻き分けて船に乗らなければならないでしょ。「ペルメッソ!(失礼!)」と叫びながら、暴風雨の中を押されて行く車椅子を見て、フランチェスコが大笑いしてる。何が可笑しいのかよく分からないけど、イタリア人は、人が大変な目にあっていたり、特に雨に濡れているのを見るのが楽しいらしい。大笑いしている彼を見つめてると、何がそこまで面白いんだろうと、可笑しくなってきて、私も大笑いしてしまう。すると、寒かろうがずぶ濡れになろうが、どうでもいい気分になってくる。だって、こんなに面白いんだもん、いいじゃない、何だって。

船に乗って、これでやっと座れた。展覧会を見たあと、5分くらい腰掛けただけで、昼食以降、4時間ほど歩き詰めだったので、もうくたくた。船の中ではフランチェスコを含め、何人かは立ったまま。イタリア人は立っているのと歩くのが好きな人たちである(でも彼は、私に「疲れた」と言った。意外な言葉。この人たちは疲れないんだと思ってた)。上着がずぶ濡れで寒いので、慌てて脱ぐ。ふと、絞れば水が出そうなくらいだな、と思ったので、本当に絞ってみたら、ぽたぽたと。それを見た、向かいに座っていた女の子が、「ママ、見て。すごい!」と言うので、私も可笑しくなって笑う。だって、本当に可笑しいんだから。ヴェネツィアで服が絞れるくらい、雨に濡れる。そういえば、ここまでびしょぬれになったのって、いつ以来だろうね。日本じゃ、コンビニかどこかで傘を買っているだろうし。

10分ほどで、朝、バスを降りたところへ到着。少し小降りになったとはいえ、まだ雨は降っているので、また走らなきゃいけない。小学生の兄妹は、私に微笑みかけながらガタガタ震えていて、見ていて本当にかわいそうだった。なのに、どうして微笑んでいるのかは不明。目が合うとニッコリするのは、イタリア人の本能なのよ、絶対に。でも、私も震えるくらいに寒い。今度は、フランチェスコが私をコートの中に抱え込んでくれたので、あまり濡れなかったんだけど、その代わり3人で傘に入ったロレンツォがずぶ濡れになっていた。ゴメン。

で、駐車場を走りながら、フランチェスコを含め皆が口々に、「ドヴェ プルマン? ドヴェ プルマン!!(バスはどこ!バスはどこなの?)」と叫んでいる。イタリア人ってやっぱりどこか可笑しい。

ようやくバスに乗り込んで、朝と同じ後ろむきの席に座り、ホッと窓の外に目をやると、今までに見たことがないほどの綺麗な虹。雨に濡れたことも、まあいいやって思ってしまうほど綺麗な虹。真剣に虹を見つめていると、横でイタリア人達が大爆笑し始めた。雨は小降りになってきたけれど、相変わらずの強風でしょ。そんな中、バスに向かって必死になって進んでいる人たちを指差して、皆で大笑いしている。折り畳み傘が飛ばされそうになっている姿が可笑しいのか、帽子を被っているのに傘を指しているのが可笑しいのか、よく分からないけれど、「ハナコ!あれを見ろ!見ろ!」と窓を叩いて知らせてくれるくらい。だって一人なんて、慌ててビデオカメラを取り出して写していたもの。やっぱり、イタリア人はよく分からない。

そういえば、何年も前、ナポリでものすごい夕立に遭遇して、びしょ濡れになった時も、イタリア人たちに指を指して笑われたっけ。イタリア人は他人が濡れているのが好きなようである。おかしな人たちだ。

バスが動き出すと、虹は、ちょうど海から突き出しているような形に。海から始まる虹を見たのは、生まれて始めてだったので、感動して見とれてしまう。するとフランチェスコが隣で私に「ドゥエ」と言うので何かと思うと、虹が2本。私は、ガラスに反射してるのかとぼんやりしていたら、なんと2本もの虹が。最初のは綺麗に七色。後のは、少し薄めでぼんやりと三色くらい。すごい!と見とれながら、今日のヴェネツィアは本当に楽しかったな、最後に虹も見られたし、と締めくくりにそう思ったけど、よく考えれば、このメンバーで、あと5時間。このまま無事に終わるんだろうか。

帰りの車中は特に問題もなく(バスが動き始めると同時に、私の前の席の女性2人が、お腹が空いたわぁ!と騒ぎ始めたけれど。彼女たちも、もう大きな子どもがいそうな、いい年齢に見える)、南に向かって順調に進む。8時にアウトグリルで夕食、との説明に、お腹が空いた!そんなに我慢出来ない!と叫んで、アウトストラーダ(高速道路)に入ってすぐのアウトグリルで下ろしてもらったりもしていたけれど、帰りの車内はいたって平穏。ここで降りたのは、フランチェスコ達4人組と、あと数人。私は降りなかった。だって寒いし。買ってきたパンを彼女たちが食べ終わると、ロレンツォのリュックからワインが出てきた。飲まなくても、このご陽気なのに、飲むとどうなるんだろうね。あ、変わらないのか。

さすがに疲れたらしく、私の前に座ったショートカットの女性は眠り始めた。すると、フランチェスコ、彼女の鼻をくすぐって起きるのを見て、大笑いしてる。そんなこと、あなたの甥フェデリーコ7歳でもしないよ。いや、彼ならするか。私、家で大暴れしているフェデリーコ7歳を毎日見ていて、これでも(ま、彼は本当にかわいい子なんだけど)あと10年もするといい男になるんだろうなぁ。でも、このままだと、どんな大人になるんだろうと、少し心配していたんだけど、今、はっきりと分かった。こんな大人になるんだ。フランチェスコはといえば、再び寝始めたショートカットの女性を見て、「アンコーラ?(もう1度?)」と言っているから、思わず「何でやねん」と呟いてしまったよ。日本では、こういう人のことを「しょーもないことしぃ」と呼ぶけれど、よく考えてみたら、「しょーもないこと」を全部、排除したら、この国ではすることはなくなっちゃうんじゃないかな。でも、ま、さすがに彼はひどすぎるのではと思うけれど。

そして、8時頃に今度は全員降りて、夕食を食べる。チーズとハムのパニーノを買ってもらって、立ったまま食べる。ロレンツォが私に、自分のビールを飲まないかと勧めてくれるのだけど、寒いから飲みたくなくて断る。「本当に要らない?」、「ひとくち、味見してみない?」と、言い方を変えて3度も勧めてくれる。私は、まだシャツも湿っているし、足も濡れていて寒いからビールは要らないんだけれど。でも、彼はどうしても私にひとくち飲ませたいようなので、ありがたくいただくことにする。私は外国人だし、皆、気を使ってくれていて、食べ物を勧められた時に、断るのにものすごく苦労する。バスの中でも、チョコレート食べる?と勧められたけど、その前にウェハースを3枚も(すごく甘い)食べさされていたので(1枚だけで良かったんだけど、もう1枚!あと1枚!と言われて断りきれなかった)、要らないと言うと、すごく悲しそうな顔をしていた。本当に、ここの人は、勧められた食べ物、お菓子やワインを断ると、「あなたなんか大嫌い!2度と顔も見たくない!」と言われた時みたいな顔をするのよ。見ていると、イタリア人同士は、はっきりと断ったりしているけれど。

さすがに朝よりは、若干(でも、若干ね)、静かになったバスの中。夕食後、しばらく走って、「コーヒーを飲みたい人?」と、バスが停車すると、またあの4人組は降りて行った。この時も降りたのは、彼等の他には数名。私は寒いから、バスの中で待つ。羽織っていた長袖のシャツは、びしょ濡れで着られないし、バスに乗って4時間は経つのに、ジーパンの足元はまだ濡れているし。そして、バスはまた走り出すのだけれど、この道中、3度ともバスを降りたのは、フランチェスコ4人組だけ。34人も乗客はいるのに。この人たち、イタリア人の中でも、とりわけ面白い人たちなんだろうねぇ。

眠っていると、朝の時みたいにフランチェスコが「ハナコ!」と、私を揺り起こす。到着には早いけど・・・と、目を覚ますと、小さな男の子が、私にチョコレートを差し出して微笑んでる。きゃ、嬉しい、ありがとう。こういう起こされ方は大歓迎である(さっきのチョコレートを断ったのは、今回のように紙に包まれていなくて、すぐに食べなきゃいけない欠片だったから)。でも、日本だったら、今、寝てるからねと、横の人は言っているよね。再び、眠りにつくけども、しばらくすると車内が騒々しくなる。起きると、フランチェスコは既に席を立っているし、あ、着いたんだなと、私も降りる用意をするけど、一向にバスは止まらない。15分ほどして、やっと、うちに帰って来た!。紛らわしいので、直前まで座っていて欲しいものである。

会社の前に戻って来たのは、素晴らしいことに、ちょうど0時。偶然とはいえ、すごいこと。でも、雨だったから、ヴェネツィアを予定より30分早く出てきたんだけどね。そして、家までフランチェスコの車で送ってもらって、おやすみなさい。私は、翌月曜日はすることがないので、ゆっくり起きて、ダラダラ1日を過ごすぞと心に決めているけれど、彼等は、きっと朝から仕事だね。やっぱり、どこかおかしくないか、イタリア人。