私は、ここで幼稚園、小学校、中学校の合計8校で『日本文化』を教えることになっている。3歳から14歳まで。どの年齢の子もとっても人懐っこくてかわいらしいのだけれど、一番、嬉しくて感動したときは、これかな。

ここイタリアでは新学期の始りは9月。6月の半ばから9月の中ごろまで、3ヶ月に及ぶ長い夏休みが。6月の半ば、といっても、劇の発表会のための練習をしたり、スポーツ大会があったりして、6月はほとんど授業は行われなかった。その中で、学年末のイベントのひとつとして、『映画鑑賞会』なるものがあった。私の滞在している町にひとつだけある映画館。そこに8校の児童達が、低学年組(幼稚園と小学校1年生)、中学年組(小学校2〜5年生)、中学生組に分かれて、それぞれ違う映画を見ることになっていた。私は、低学年組と中学年組に参加して、一緒に見ていたんだけれど、それは中学年組の映画のあった日。

滞在先から歩いて映画館へ向かい、すでに暗くなった館内に入ったところ、後ろの方に座っていた誰かが、私に気が付いた。「ハナコ!」と叫んで手を振ってくれたら、他の子どもたちも、それに気がついて、映画館の3分の2くらい埋まっていた子ども達全員が、振り返って「ハナコぉ!!」と叫んで手を振ってくれたの。

そして、2ヶ月ぶりに会った小学校の小さな子達は、「ハナコ!元気だった?」と、駆け寄って来てくれて。女の子達は、順番に抱きついてキスしてくれた。私も君達に会いたかったんだよぉ。

あぁ、本当に、かわいい。そして、嬉しい。ありがとう。本当に、ここに来てよかった。


小学校1年生のクラスでの出来事。

まだ小さいから、1年生と2年生のクラスは着物と歌やゲームだけで良い、と言われていた。先に行った小学校では、その通りにしたんだけれど、ここの小学校の子は、どうも積極的。

日本のことについて、いろいろと私に質問したあと(小さいのにすごい!)、日本語を教えて、とのこと。何が良いか聞くと、「数字を教えて」。1年生なんて本当に小さいし、覚えてもらうつもりもなく、軽い気持ちで黒板に書き始めた。最初にアラビア数字を書いて、読み方をローマ字で書き、最後に漢数字を。そして、みんなで声を合わせて読んだら、「次は挨拶を」だって。一度、黒板の字を全部消して、『OHAYOU』、『KONNITIWA』、『KONBANWA』、『SAYONARA』と書いていたら、一番後ろの席に座っていた、金髪の小さな男の子が走ってやって来た。

「あのね、8と9が書けなかったの」
「え?」
「8とね、9が間に合わなかったの。来てくれる?」

彼の言うままに、彼の席へと行ってみると・・・。すごい!彼のノートには、1から7までが、綺麗に漢字で書かれているじゃない。「OK」と、続きに『八』、『九』と書いてあげると、「10は、“ピュ”」と言って、彼自身が『十』の文字を。“ピュ”というのは“プラス +”のこと。私が黒板に書いたとき、「10は、ピュなんだぁ!」って、みんな、目を輝かせていたの。

まさか、ノートに写してもらえるとは思っていなかったので、少々、感激。先の小学校では折り紙もしなくていい(出来ない)と、言われていたんだけれど、この子達なら出来るかも・・・と、挑戦してみることにする。

見本として、たくさん用意していたんだけれど、小さいので、一番簡単な犬を作ることにする。これは、本当に簡単なので、みんな、ちゃんと作ることが出来て大成功。そして、終業のチャイムも鳴り、帰る準備をしていた時。

さっきの金髪の小さな男の子が走り寄ってきて、「ねぇ、次に来た時は、鳥を作ってくれる?」だって。次回の授業では、折り紙をするかどうかは分からないんだけれど、「いいよ」と伝えることにする。だって、あんなキラキラする目で見つめられたら・・・。「ありがとう!」と、嬉しそうに彼は去っていった。別の女の子も近づいてきて、「次に来た時は、星を教えてくれる?」。これは、次回も絶対に折り紙の授業にしなきゃいけないね。

そして、翌日。2年生のクラスで授業をするため、廊下を歩いていた私に、昨日の男の子が走ってきて、「僕達のクラスに来てくれたの!!」。ごめんねぇ、許されるのなら、毎日でも君に折り紙を作ってあげたいんだけどねぇ。本当だよ。


ある日、もう家に帰ろうかと廊下を歩いていたら、先生に教室に入るよう手招きされる。授業は終わったらしく、チャイムが鳴るまでゲームをしていたところの様子。

『単語あてゲーム』。1人の子が前に出て黒板に、その単語が何文字あるかを示す下線を引く。他の子たちは、手を挙げて思い思いのアルファベットを言う。それが、その単語に使われていれば当たりで、黒板に書く。そして、最終的にその単語を当てるという、たわいもないゲームなんだけれど、小学校1年生にしては高度な遊びか??

________ → E_E____E → ELE____E → ELE_A__E  答え ELEFANTE (象) って感じ。

最初は、私、ルールが分からなかったので、座って見ていたんだけれど、ふと気が付くと・・・。

少し離れたところに座っていた小柄な男の子が、私の方をじっと見ていて、私がそれに気が付くと、彼は、指で『E』という形を作ってくれた。ん?これは、私に答えを言えと言っているの?きゃー、かわいいわぁ、と、私も手を挙げてみる。残念、『E』は外れ。すると、彼は、再び指で『T』の文字を。次は、指を輪っかにして・・・『O』だね。しばらく経つと、彼は私の隣にやって来て、自分は一切答えずに、私の耳元で、『C』とか、『D』と、アルファベットを囁いてくれる。そうして、これが見事に当たらないところが、とてもかわいらしい。

必ずといっていいほど、どのクラスにも1人、人懐っこい子がいるんだけど、このクラスはこの小さい男の子だね(彼は本当に「小さい男の子」で、よく先生に抱っこしてもらってるし、同じクラスの「大きな女の子」に膝の上に座らされて頭を撫ぜられているのも私は目撃した)。

そして、先生が私に問題を出すようにと。え?それは困ったなぁ、どうしよう。かなり、悩んだ末、『SAYONARA』『SUKIYAKI』『ARIGATOU』を出題することにした。どうして3つもなのか、というと、1つ終わると、あと1つ!もう1度!とせがまれたから。順調にアルファベットは埋まっていったけれど、どうしても最後の1つ、『G』が出ない。ヒントをと思い、猫はイタリア語で『GATTO』というので、黒板に猫の絵を書いてみた。輪郭を書いて、尖った2つの耳、目、鼻、ヒゲを書いたところで、誰かが『GATTO!』と叫んで、大正解。はい、お終い、なんだけど、お終いではなかった。

前の席にいた男の子が、「口を書いて!」。仕方がないので口を書くと、「前足も!」。私は、決して絵が上手ではないので、内心、ひやぁーと思いながら、なんとか前足。すると、次は、「体は?」とのこと。そして、「別の足も!」。尻尾は言われる前に書いて、出来あがり。でも、我ながら、ヘタクソ。

ひぇー、恥ずかしい・・・。だったのに、子どもたち、目を輝かせて、全員で「ブラーボー!!」と叫んで拍手してくれた。先生まで一緒に。しかし、どう見てもヘタクソだぞ、私の絵は。

後日。

このクラスの先生は、私を気にいってくれている様子?。話したことはないんだけれど・・・。ある日、校庭にいると、ちょうどクラス写真を撮っている最中。私を手招きして、「インターナショナル」と、なんとクラス写真に混ぜてくれた。私が彼女の隣に立つと、少し離れたところに立ってた、この間の「小さい男の子」が、チャチャチャと隣の子と場所を入れ替わって私の前に。

クラス写真ということは、大人になっても彼のアルバムに貼られている写真だよね。ちょっと、素敵。



夏休みが始る直前、まだ行っていなかった最後の幼稚園に、教えに(ほとんど遊びにだけど)行く。

いい加減な私は、この幼稚園には「一度も行ったことがない」と、車で送ってくれた先生に言ったりしていた。が、到着すると、出迎えてくれた先生が、「久しぶりね、元気だった?待ってたのよ」と。私がイタリアに着いてすぐ、挨拶をしに全校を回った時のことを覚えてくれていた様子。ありがとうございます。そして、忘れていて申し訳ない。

教室に入ると、先生が子どもたちに、「みんな、彼女を知ってる??」と、大きな声で聞く。知ってるわけないやろう、と、内心思っていると、驚いたことに、1人の子が、「私、知ってる!」って。「ハナコでしょ。この間、映画も見に来てたでしょう」だって。小学校に通っているお兄ちゃんがいるのだとか。私が一番最初に教えに行った小学校。家で話をしてくれているのも嬉しかったけど、私がその小学校に行ったのは2ヶ月も前なのに、覚えていてくれて、さらに感激。

この子、少し前が誕生日で6歳になったという、とってもオシャマなかわいらしい子。食堂に行く時も、私の手を引いてくれるし、いろいろ話をしてくれる。そして、素晴らしいことに、ウチのフェデリーコ7歳と違い、ハキハキと話すので、とても聞き取りやすい。

「今、家に小さい弟がいるの」
「へーえ。いくつなの?」
「うーんと・・・(しばらく考えて)、3ヶ月!」
おぉ!それは、本当に小さいや。

と、こんな会話を交わしつつ、横に座っている年下の女の子に、「ねぇ、彼女の名前知ってる?私、知ってる!ハナコって言うの!」などとも言ってくれてる。

そして、私が持ってきた着物を着せる時間に。ここまで慕ってくれてるんだから、どうしてもこの子に着させてあげたいじゃない。着物を見せて説明をしたあと、いざ着せる番になって、おいでと手招きするけど、来ようとしない。自分の隣に座ってる女の子を前に出そうとする。え?どうして?と、混乱する私に、ひとこと。「男の子のもあるの?」

はぁーーーーーーーーー!

お・男の子だったのか。君は!

そう思ってみれば、着ている服も靴も、男の子そのもの。髪だって短い。でも、目はくりっとしてかわいらしい顔立ちをしているし、それまでのオシャマな言動は、どう考えても、女の子だと思ったよ。ごめんよぅ、ビットーリオ。最初に名前を聞いていたら、間違えなかったのにね。

本気でビックリしてしまったけれど、「男の子のもあるよ」と、ハッピを見せると、ニッコリ笑ってやって来た。

次に私が会う時は小学生だね、ビットーリオ。私は、君に小学校で会えるのが、とっても楽しみだよ。どうしてかって?。彼が言っていた、小学生のお兄ちゃん。彼と似ていて、絶対にこの子が兄に違いがない、と私が思っている男の子がいるの。本当に彼がお兄ちゃんかどうか。ね、確かめてみたいでしょ。




イタリアの子どもたちは、本当に元気いっぱい。そして、すごく人懐っこくて、好奇心いっぱい。どのクラスで授業をしても、すごく喜んでもらえるので、私も嬉しいのだけれど、それが毎日続くと、さすがに疲れちゃう。

小学校5年生のクラスで折り紙を教えた時。いつもにも増して騒がしい教室の中。私も疲れてきて、珍しく『いや』になり始めた。どれくらい疲れてたかというと、先生に「次は何をしてくれるの?」と聞かれて、「彼らは何を言っても聞かないからもういいよ」って、投げやりなことを言ってしまったくらい。しかし、まぁ、とにかく、折り紙を始めたのだけれど、これが大変。「折り紙をしたいぃ〜!!」と、言ったくせに、やる気がない(?)ように私には思えるんだけれど・・・。

「分からない」、「折って」と、自分では全く紙を折らずに、全部、私に折らせようとする子。「これでいいの?あってる?」と、群がられるのは、いつものことなんだけれど、大抵、クラスの『本物の』先生が私と一緒に手伝ってくれる。でも、ここの先生は見ているだけだったので、私ひとりで全員の分をさばかなくっちゃ。おい、君!どうして私がさっき折ってあげたのに、それを広げるんだぁ!直せないのなら触るんじゃない!

早く終わらないかなぁ・・・などと思ってしまったころ、一番後ろに座っている女の子に気がついた。彼女、すごく楽しいらしく、ニコニコと満面の笑みで、ひとつの作業を私が説明するたびに、「出来たわぁ!これでいい?」と、頭の上に掲げてくれるんだけれど、それが全て、どう聞いたらそんな風になったの?という形ばかり。どうして四角の紙を半分に三角形になるように折る、ということが出来ないんだ?。私のイタリア語がマズイのか?。でも、この簡単な説明。それ以上、どう言えばいいというのか。

でも、彼女、本当に楽しいようで、毎回、一番に、「出来たわ!あってる??」と、満面の笑顔で見せてくれる。そして、その全てが間違い。一番後ろの席まで歩いていって、直してあげなきゃいけないので、最初は、私、うんざりしてたんだけれど、だんだんとかわいくなってきて。また間違えるぞ、と思いながら説明していると、やっぱり一番に、自信たっぷりの笑顔で「出来た!」と見せてくれる。で、「違うよ」と、私が直しても、全く、気にしていない様子。彼女、『癒し系』っていうんだろうか・・・。私も、楽しくなってきたぞ!?

普段の数倍、疲れた後、ようやく作品完成。やった!私、よく頑張った!

で、後は、子どもたちをそれで遊ばせておいて、チャイムが鳴るまで逃げ切ろう、と思っていたんだけれど、「もうひとつ教えて!」と、きた。でも、残念、「紙がないから出来ないわ」。すると、ある男の子が、「紙はここに入ってる」と、教卓の横の戸棚を勝手に開けて出してくれた。余計なことを・・・と思わないでもなかったけれど、彼の『やる気』が気に入ったので、2つめの折り紙をすることにした。でも、『やる気』があるのなら、もうちょっとそれを形にして見せてくれると嬉しいんだけれど・・・。

A4サイズの紙なので、正方形に切ってから配ろうとしたんだけれど、ちょっと待てよ。彼らはもう5年生なんだから、それくらい出来るだろう。「正方形に切ってね」と言いながら、全員に1枚ずつ配る。20人くらいが、2人ずつ机を並べて座っているんだけれど、同じことを10回も言うのは疲れるでしょう。後ろの方には、「切ってね」だけ言って渡すようになっていた。一番、後ろに座っている、あの彼女、相変わらず満面の笑みを浮かべて、私が言う前に、「分かってるわぁ。半分に切ればいいんでしょう!」。え?は・半分!?。言葉のあや(どんなあやだ)で、“メタ 半分”という単語を使ったのかもしれないけれど、この子なら本当に『半分』に切っちゃいそう。慌てて、私が彼女の紙だけ、折り目をつけて、「ここを切ってね」と言ってあげたのは言うまでがない。

2つ目の折り紙も、相変わらずの大騒ぎだったけれど、彼女のおかげで私も楽しめたよ。本当に疲れた一日だったけれど、みんな喜んでくれていたし、良しとしよう。