私が1年間、イタリアに滞在する目的は、『文化大使』などという名目で(きゃー、この響き、照れくさい!イタリア語では“アンバッシャトーレ・クルトゥラーレ”という。最初、校長先生に言われた時、自分のことを指しているとはとても思えず、帰宅して辞書を引いてしまった。そんなことは、日本を発つ前に覚えておくことである)、こちらの子ども達に『日本の文化』を伝えること。そんなこと、私に務まるか、かなり不安でもあるけれど、頑張ってみようか。

ドキドキ、緊張の授業初日。のはずなんだけど、まったくと言っていいほど、緊張はしなかった。イタリア到着の日、空港に迎えに来てくれていたステイ先のご主人に会う直前の方が、緊張したかも。ローマからアンコーナまでの約1時間、機内でドキドキ、ドキドキしていたもの。そのあとも、これを書いている時点で、約2ヶ月、授業をしているけれど、困るということはあっても、緊張したことはなし。あ、先生がオトコマエだった時は、ちょっとドキドキしたかも。

ま、それはおいといて、最初の授業の話。

初めて会う、イタリアの小学生たちは、本当に本当にかわいかった。

ここの小学校は、私が教えに行く3つの小学校の中で1番小さな学校。丘の上にある城壁に囲まれた小さな町にあり、児童数も各学年10人程度。女の子が4人だけというクラスもあるなど、本当に微笑ましい学校。イタリアの小学校は、日本と違い、1〜5年生までの5学年である。

1年生と2年生は同じ教室で、まとめて授業をすることに。黒板に私が、日本語で何か書くと(確か、漢字で数字を書いたんだと記憶している)、小さな子どもたちが、いっせいに教卓に立っている私の周りにやって来て、口々に、「それをノートに書くの?」「ねぇ、書くの?」「書いたほうがいいの??」。本当に、全員(といっても2学年合わせても20人もいないけれど)、走ってきて、ひとりずつが叫ぶ。そんなつもりで黒板に書いたわけではなかったけど、せっかくなので、「書いて」と言ってみる。すると、いっせいに席に戻る子どもたち。が、そのあとすぐ、皆がノートを手に私のところへやって来て、「どこに書くの?」「ここに書けばいいの?」「この下に書いたらいいのぉ??」。どこでも良かったんだけど、そういうイタリア語を知らないので、「ここに書いて」と、指差してみる。席に戻る子どもたち。あまりの展開に呆然としている私の前にみたび走り寄る子どもたち。両手にペンを握り締め、「鉛筆で書くの?」「ペンで書くの?」。「これ」と、手にしているペンを指差すと、次は、「何色で書けばいいの?」「黒で書くの?」「青で書くの??」。私の周り、イタリア語の大洪水。

イタリアで教えるというのは、こういうことだったんだ、と新鮮な驚きを覚えつつも、授業は大混乱の中、進んで行く。日本から持参した着物を着て、子どもたちにも着せて、折り紙を皆で折って、簡単な日本語、数字や挨拶などを教えて。あ、2年生のクラスでは、日本から持ってきたけん玉やコマ、お手玉でも遊んだっけ。そういえば、この時間は、本当に大変だった。イタリア人の本物の先生がいなくなってしまって、子どもたちと私だけに。教室の中はというと、走る、叫ぶ、飛ぶ、そしてまたまた叫び回る子どもたち。「シレンツィオ!!!(静かに!。“サイレンス”の意)」と、本物の先生に叫んで欲しかったんだけれど、誰も助けに来てくれず。私の声では、この混乱した教室内では、絶対に届かない。

でも、ま、子どもたちは楽しんでくれているようだし、私も楽しいよ。最初は、当然、誰も出来ないんだけれど、だんだん、何人かの子がコマを回せるようになったり、「ハナコ!日本のおもちゃは、スゴクいいよ」と、嬉しそうな男の子を見てると、本当に来て良かったなと思う。ただ、この騒ぎだけはなんとかしてくれい。頭が痛くなるよ。

日本では、最近、学級崩壊という言葉をよく聞くけれど、ここも似たようなものじゃないかと私には思える。私は、最近の日本の学校には行ったことがないので、実際、どんな具合なのかはTVの特集や新聞記事から推し量ることしかできないけれど、要するに騒いだり、席を立ったりして、先生の言うことを聞かないんでしょ。ここイタリアと同じじゃない。でも、このイタリアのすごいところは、それでも『崩壊』はしていないところじゃないだろうか。とても秩序だっているとは思えないけれど、先生が叫べば皆、一応、言うことは聞くし(あれだけ叫ばなきゃいけないこと自体が、日本の感覚だと『崩壊』では、と思われる節もあるけど)、田舎で小人数の学校だけあって、皆、素朴でとても素直ないい子たちばかりだし。

そうそう、この小学校では、かわいらしいプレゼントももらった。初日の授業が終わって、隣の教室に向かおうとしていたら、金髪の女の子が、私に「このキーホルダー、私が作ったの。明日、君にも作ってきてあげるね」と。まだ、1日目の授業が終わったところで、それほど仲良くもなっていないのに、翌日、ピンクとグレーの紐で編んだキーホルダーを作って来てくれた。彼女の名前はシルヴィア。3日目には、アンディという2年生(多分)の男の子が、ピンクの髪留めをくれたし(これはお姉ちゃんか妹のを奪い取ってきたものでは?)、その光景を見ていた別の男の子も、クリップを「これ欲しい?」と言って私に手渡してくれた。なんだか、歓迎してもらっているようで、本当に嬉しい。

私がこの学校で授業をしたのは、木〜土曜日の3日間。次の日曜日に、この町で花のお祭りがあるとのこと。事前に、校長先生から、このお祭りの為に折り紙を作って欲しいと頼まれてた。金曜日にはノーマルな折り紙。小さい子達とは、いちばん簡単な犬を。上級生とは、鶴、手裏剣、口がぱくぱく開く鳥、などを。土曜日には、和紙を使って着物の女の子のしおりとカードを子どもたちと一緒に作る。

まぁ、皆、じっと座っていないので、教えるのの大変なこと。例えば、最初に、「半分に折って三角にして」と言うとする。すると、全員が、その三角の紙を頭の上に掲げて「ハナコ!これでいいの!!」「これでいいの!?」「ハナコ〜!!」と絶叫。本当に、全員がよ。だから、1人ずつの目を見て「それでいいよ」「あってるよ」「OK!」と言ってあげなきゃならない。「それでいいよ」と言って、別の子の相手をしていると、最初の子が私の所に走り寄ってきて「ねぇ、これでいいの?」。すると他の子たちも、私は既に「あってるよ」と言ってあげたにもかかわらず、わざわざ教卓まで「これでいい?」と見せに来てくれる。そして、次の作業の説明をして、またこれの繰り返し。折り紙が完成した頃には、私は喉が痛くて、疲れ果てていたんだけれど、子ども達はすごく喜んでくれていたから、まぁいいか。来た甲斐があったというもの。

日曜日の午前中、ステイ先の家族と一緒に、花のお祭りへ。飾られているとばかり思っていた、和紙の人形が、学校の前でひとつ1,000リラで売られていてびっくり。あぁ、そんなことなのなら、こっそり手直ししておけば良かった・・・。ほら、ここ、糊がしっかりついてない。