日本とイタリアの意外な共通点?

というほど大袈裟なことでもないのだけれど、この国の人たちは、苗字で呼び合う。子ども達同士でも苗字(呼び捨て。肩書きはつけない)で、呼び合っている。ま、とにかく同じ名前が多いので、こうする他に仕方がないんだろうけれど、何となく親近感。そして、フルネームを書くときも、苗字・名前の順で書くことがある。名前・苗字の順の方が、圧倒的に使用頻度は高いのだけれど、日本と同じ、苗字・名前の順も違和感なく用いられている。これにも少し親近感。

この国には、だいたい、12人から13人に1人の割合で、ロレンツォとフェデリーコとフランチェスコとマテオとアンドレアがいる(女の子は、もう少しバリエーションがあるように思われる)。なので、この町の小中学校はひとクラス20人弱しか生徒がいないんだけれど、クラスに同じ名前を持つ子が2、3人いるのは、珍しくない。

そして、この多い名前の中でも、私は、フェデリーコとフランチェスコの区別がつかない・・・。だって、私にとって、この2つに差異はないんだもの・・・。ある幼稚園で、ずっと私がフランチェスコだと思っていた男の子が、実はフェデリーコという名前だったことが数ヶ月後にに判明。滞在先のお兄ちゃんロレンツォのクラスでも、私は間違えて覚えていた。フェデリーコに対して、思いっきり、「フランチェスコ!」と呼びかけてしまった。でも、このクラスには、フランチェスコという名前の子もいたから、ま、許されるでしょう・・・。

日本人の名前には、意味がある。私は自己紹介をする時、授業で日本語について説明する時、こう言うことにしている。

私の名前、ハナコの“ハナ”は、“フィオーレ(花)”という意味。本当は、違うんだけれども、「ハナという言葉は“フィオーレ”を意味するが、私の名前は別の漢字なので“いろどり”を意味する」、なんてイタリア語で言えるものなら言ってみて!(だいたい、“いろどり”とは、イタリア語の何に当てはまるのか。“コローレ(色)”というのとは、ニュアンスがちょっと違う・・・)。私の語学力でも、頑張れば、イタリア語でこのことを説明することが出来るんだけれども、漢字とは何か、ということから説明しなくてはいけなくなっちゃう。これでは、軽い自己紹介にはならないので、『ハナはフィオーレ』で、1年間通してきた。こう伝えると、みんな、「綺麗!いい名前ね」って、言ってくれる。

名前の話で盛りあがったのが、12月。“プリンチペッシーナ(小さなお姫さま、という意味)”内親王が誕生した時。私がイタリアに到着して間もない頃、雅子様御懐妊の発表があった。イタリアは、日本皇室に好意を持っているようで、連日、テレビ、新聞で大きく取り扱われていた。まだ日本を出発して間がないとはいえ、テレビに日本の風景が写るのはとても嬉しかった。素晴らしい内容のニュースであったことだし。ニュースでは、ご成婚の頃の映像も流されていた。フランチェスカは、日本のプリンチペッサ(皇太子妃。お姫様、という意味でもある)のことが好きなんだ、と私に教えてくれた。「私とひとつしか歳が違わないから、親近感があるの。だから、彼女のことは以前から好きなのよー」って。私は、雅子様の歳を知らなかった・・・。

11月に入ると、ファブリッツィオは、頻繁に「もう生まれたのか?いつ生まれるんだ?」と私に尋ねる。「名前はもう決まってるの?」というフランチェスカに、私は、「ノー」、ファブリッツィオは「シー。決まっている」と。そ・そうだったのか・・・。私って本当に何も知らない・・・(彼はイタリア語が読めるので(当然だ)、雑誌、新聞の記事から、私より多くの日本の最新ニュースを知っている)と、ショックを受けていると、「男の子だったら、ファブリッツィオだ」。そんな濃い名前は、イヤだ。

プリンチペッシーナの名前が決まった時、私は中学校に教えに行っていた。早速、この話題を使ってみる。「プリンチペッシーナが生まれたの、みんな、知ってる?」と、1年生のクラスで、半信半疑ながら尋ねてみたところ、ほぼ全ての子どもが、「知ってる!」、「ニュースで見た!」と。すごく嬉しかった。“愛”は、“アモーレ”の意味なんだよ。本当にすごく素敵な名前。黒板に、『愛』という文字を書くと、先生のパオロは、「おぉ!綺麗だ。サムライだ!」。彼は、「この部分が、刀を持っていて・・・。うーん、すごく綺麗な文字だ」と。私にはそうは見えなくて、首を傾げていたんだけれど、こんな素敵な表現を聞いたのは初めてだったので、感動してしまった。彼は、ファンタジーア溢れる素敵な先生であった。

フランチェスカも愛子という名前が好きだと言っていた。「響きが可愛いし、親しみがあるわ。私達の名前は、フェデリーコとか、長ったらしいから・・・」。そう、彼等の名前は不必要に長いので、愛称で呼ばれる。例えば、ロレンツォは、ローリー。フェデリーコは、たまにフェディと呼ばれているが、大抵は、キコと呼ばれている。到着した当初は、これが分からなくて、キコって何なんだろう・・・と、不思議だったんだ。ファブリッツィオは、ファーブリー。フランチェスカは、フランチーなんだけれど、フラと呼ぶことも多い。フランチェスコも当然フランチーなので、この姉弟は、いつもお互いに、「フラー」と呼び合っている。これは、いつになっても私の笑いを誘う・・・。

リカルドはリッキー。でも、リーと呼ぶ人もいて、最初、名前だとは思わずに、この人は何を言っているんだろう・・・と、固まってしまったものだ。アレッサンドロ、アレッサンドラはアレ。これも最初、人の名前だとは気が付かなかった。

フランチェスコは、彼の同僚のロレンツォのことを、ロレと呼ぶ。ローリーでいいじゃないねぇ。この言い方だけは、未だ慣れなくて、いつも笑いそうになってしまう。

フランチェスカには、「私の名前はハナコと短いけれど、友達はハナって呼ぶよ」と言っておいた。

イタリア人の名前は、基本的に、語尾が“0”が男の子の名前、“A”で終わるのが女の子。ロレンツォ、ロレンツァ。フェデリーコ、フェデリーカ。フランチェスコ、フランチェスカ。ロベルト、ロベルタ。マリーオ、マーリア。例外は、ルカ、マティア、アンドレア。これらは、男の子の名前。

だから、幼稚園に行くと、「ハナコは、男の子の名前!どうして?どうして??」って騒がれた。

中学校のパオロが教えているクラスに行った時、日本語で名前を書いて!と子ども達にせがまれ、順番に黒板にカタカナで書いていった。このクラスには、ニコという人懐っこい男の子がいる。春にも、このクラスでは、全員の名前を書いてあげている。彼の番になったとき、“NICO”と書いたのを見て、私は、ひゃー!と思ったんだけれど、“ニコ”と書くと、彼もひゃー!って言った。だって、日本語で、見たことのない文字で自分の名前を書いてもらえる・・・とワクワクしていて、“ニコ”は、ちょっと可哀想。簡単過ぎて・・・。

パオロが、「ニコは、日本人にもある名前なんだろう。でも、女の子の名前だ」と。うーん・・・。微妙なところではあるんだけれど、ま、同意しても良いだろう。「ルカも日本にある名前よ。これも女の子の名前だけれど」と言うと、ルカは笑っていた。そして、ふと思いついて、「ニコは、日本語では、ドゥエ(2)という意味だよ」と伝えると、みんな大爆笑。ニコ本人は、ものすごく喜んでいた。「僕は、ドゥエ!2人いるってこと!ドッピア(ダブル)だ!僕はドッピア!」。そこまで喜んでくれるとは思わなかったので、ちょっとビックリ。「じゃぁ、君は、人のドッピア(2倍)勉強しなきゃいけない。宿題もドッピアだ」と、パオロ。はい!この勝負、先生の勝ち!

アリーチェ5歳。彼女の幼稚園には6月に訪れ、そして1月に再びお邪魔した。初日、月曜日。彼女は私に向かって、「ハナコォ!コメ・ティ・キアーミ?(ハナコ!君の名前は何?)」。その、ハナコォ!という呼びかけは何なんだ!と思いつつ、「ミ・キアーモ・ハナコ(私の名前はハナコ)」と答える。翌日もアリーチェは、「ハナコォ!コメ・ティ・キアーミ?」。だから、なんでやねん・・・。木曜日にようやく「ハナコォ!ティ・キアーミ・ハナコ(ハナコ!君の名前はハナコ)」と言ってくれた。万歳!

そして彼女は私に、「兄弟はいるの?」と。「妹が1人いるよ」、「妹の名前は何?」。「・・・・・。カナコ」。アリーチェは、目を真ん丸くして、「君と同じぃ!??」

これで思い出した。ショックだった。私は、フランチェスカとフランチェスコの姉弟のことを、変な名前・・・って笑ってたんだけれど、ウチの姉妹もヒドイや・・・。私達は、漢字の文化の人間なので、文字で表すと全く違うんだけれど、私の名前はハナコ。妹の名前はカナコ。たまに親も呼び間違える。本人だって、たまに間違える・・・ことがある。「お姉ちゃんに電話」と、妹が受話器を差し出すので応対すると、彼女の友達だったということがしばしば。

あぁ、そうさ!そうだよ!。私に、フランチェスカ達のことを笑う資格はないんだ・・・。