私がイタリア語を好きな理由は、前にも述べたとおり、言葉の響きが綺麗で、可愛らしいから。

この響きを可愛らしくしている原因のひとつが、これ、『変異名詞』ではないだろうか。これのせいで、単語の数が多くなって、たくさん覚えなきゃいけなくなって、泣かされているのが事実だったりするだけれど。ま、パターンが決まっているので、それを覚えてしまえばいいだけの話なんだけれど、それがなかなか。

この『変異名詞』の中で、皆さんにもいちばん、馴染みがあるのが、“-ino”じゃないだろうか。語尾に“-ino”をつけると、縮小、親愛の意味を表す言葉になる。例えば、小さいという意味の“ピッコロ”につけて、“ピッコリーノ”は、とても小さくて可愛らしい、という意味。犬は、“カーネ”というので、子犬は、“カニョリーノ”。猫の場合は、“ガット”なので、子猫は“ガッティーノ”。ちなみに女の子の猫だと、“ガッティーナ”になる。

ね、とても、可愛らしいでしょう。そして、もう、うんざり・・・ってほど、面倒くさかったりもするでしょう。



■“poco ポーコ” という言葉

“poco ポーコ”は、『少し』という意味の言葉。これに、縮小を表す“-ino”をつけた、“pochino ポキーノ”という言葉をよく使う。例えば、食事中、「おかわりは?」と聞かれた時など・・・。私は、少しだけなら食べられそうなので、「ポキーノ」。逆にフェデリーコは、少しでも多く食べたいので、「ポキーノ!」。同じ“ポキーノ”でも、胃袋の状態と、食に関する執念はかなり異なる。

語尾に“-etto”をつけても、縮小を表す。“ポーコ”にこれがつくと、“ポケット”さらに、“-ino”がついて、“ポケッティーノ”。

食事中、更におかわりが欲しくて、皿をマンマに突き出し、「ポケット!ポケット!ポケッティーノ!!お願いぃ!!ポキーノォ!ポキッシモォ!(“-issimo”は、フォルティッシモにみるように、最上級形。ポーコの最上級、ポキッシモは、むっちゃ少しだけって意味だ)」と、切ない、すごく甘えた声で、必死に哀願するフェデリーコ7歳。毎度のことなんだけれど、いつ見てもこれが本当に可愛らしくて・・・。そして、何が可愛らしいかって、この「ポケッティーノォ!!」という哀願の仕方が、お父さんとうりふたつ、ってこと。



■“piccolo ピッコロ” という言葉

フェデリーコ7歳は、まだまだマンマがいないとダメなお年頃。時々、「ひゃー」って、マンマに抱きついてベタベタ甘えてる。マンマは、愛しそうに、「ピッコレット!」とか、「ピッコリーノ!」と、彼のことを呼ぶ。これは見ていて、本当に微笑ましくて、羨ましくて、幸せな瞬間なんだけれど、時々、「ピッコロ!」と呼ぶのにだけは、笑いそうになってしまう。

だって、「ピッコロー!」って・・・。そのまんまやん?。なんだか可笑しいんだもの。

ある日、プレイステーションで遊びながら、フェデリーコが冗談で(これは冗談にはならない、明らかな事実ではあるのだけれど)、「太ったロレンツォ〜!」と歌った。すかさず、「お前も!」と反撃するお兄ちゃん。すると、「違うぅ。僕は、ピッコリーノ〜!」と、歌うフェデリーコ。確かに、彼は、一族でいちばん年少の子どもであるため、家族中から、ピッコリーノと呼ばれてはいるんだけれど・・・。私と体重が5キロしか違わない、7歳の男の子は、決して、ピッコリーノではない・・・。

しかし、フェデリーコはピッコリーノであるというのも事実であるため、ロレンツォも認めて肯かざるを得ないのであった。私は、って?。もちろん、大爆笑でございます。



■“goccia ゴッチャ” という言葉

“goccia”は、『しずく』という意味。これに、“-etto”がついて、“ゴッチェット”。更に“-ino”がついて、“ゴッチェッティーノ”。“-ino”だけがついて、“ゴッチーノ”と言う時もある。

昼食後、いつものように食べ過ぎて(食べさされ過ぎて)、放心している私に、隣に座っているフランチェスコが、ヴィーノだかグラッパだかの瓶を片手に、「ハナコ、ゴッチェッティーノ?」。この時ばかりは、私も素直に(よっぽどのことがない限りは)、「うん。ゴッチェッティーノ・・・」と返事をする。お酒を飲むか?と勧められるのは、日本にいたって、イタリアにいたって、嬉しいものだから。でも、これは『1杯』やろう・・・、と言いたくなるほどの量を決まって注がれるので、“ゴッチェット”やら、“ゴッチェッティーノ”の意味は、はっきりいってよく分からないのが、正直なところではあるのだけれど。

パブやバールに飲みに連れて行ってもらう時。新しいお酒を注文すると、決まってフランチェスコと彼の同僚のロレンツォは、私に、「ゴッチェッティーノ?」と、自分のグラスを差し出してくれる。私はあまりお酒を飲まない(飲めない)ので、そのブランデーだか、リキュールだか、よく訳の分からないキツそうなアルコールを1杯注文するのは、誘われても辞退しているのだけれど、この「ゴッチェッティーノ?」は、よほどのことがない限り、ありがたく、ひとくちいただく。

いつになっても言葉は上達しないし、時々、疲れ果ててしまって、私はここで何をしているのだろう?。私はここにいてもいいんだろうか?と、落ちこむことも多々あるのだけれど、この「ゴッチェッティーノ?」は、私に、ここにいてもいいんだよ、って言ってくれている気がして、すごく、暖かく嬉しい気分になる。

だから、これは、私がすごく好きなイタリア語のひとつ。



■ラ・ヴァルケッタ・マージカ

どんな法則があるのか(それとも、そんな『法則』は存在しないのか)、よく分からないけれど、語尾に“-ino”をつける言葉と、“-etto”がつく言葉が存在する。前述の通り、犬、“カーネ”は、“カニョリーノ”。そして、ウサギ、“コニーリオ”は、“-etto”がついて、“コニリエット”となる。

舟を意味する、“ヴァルカ”は、“-etto”がつく言葉で、小舟は“ヴァルケッタ”となる。

イタリアの子どもは折り紙が大好き。私のことが好きなのか、私が折り紙をしてあげるから好きなのか、微妙なところではあるのだけれど、私が教室に入ると、みんな大騒ぎ。小学校の2年B組も例外にもれずそうだった。「今日も、折り紙をしてくれるのぅ??」と、群がる子ども達。それは、私には決められないので(授業時間を私のために割いてもらっていたので、本物の先生に相談しないと私だけでは決められない)、「うーん・・・」と、適当にあしらっていたのだけれど、ラークエルが、「みんながちゃんと席に着いたら、紙を配ってくれる?」と。その言い方がとても可愛らしかったので、思わず、「いいよ」と答えてしまった。だって、この問いに対する否定的な答えを、正直に言って私は持っていない。

当然、昼休み中に折り紙は終了するはずがなく(残り10分程しかなかったから)、結局、授業に1時間程ずれ込んでしまって、本当に良かったのか不安ではあったのだけれど・・・。

子ども達にとても人気があるのが、『だまし舟』。2年B組の子ども達も、大はしゃぎ。出来あがった舟を、仲間内で試してみて・・・。エレナが、本当に嬉しそうに、「これの名前は、ラ・ヴァルケッタ・マージカっていうのよ。そう呼ぼーうっと!」。

ラ・ヴァルケッタ・マージカ。魔法の小舟。

このクラスの子ども達には、私のほうが、とっても素敵な魔法をかけてもらった気がする。1年間のイタリア滞在、決して忘れることの出来ない素晴らしい出来事がいくつもあったけれど、このクラスの子ども達と過ごせた時間は、そのうちのひとつである。