私は、英語が喋られない。イタリア語だって、関西弁なまりだ。それでも、何とか伝わるのが、イタリア語の良いところ。それだから、英語は嫌いなのーーー!

とはいえ、日本で生活していた頃は、日本人の話すカタカナの英語が、大嫌いで、何とかしろよ・・・と思っていたんだけれど、イタリア人の思いっきり!イタリア語的読み方英語を見ていると、カタカナ英語で何が悪い?と、開き直ってしまうようになったりして・・・。



ある日、フェデリーコがキッチンで、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、「ハナコ!カースペール!カースペール!」。

何だか、一生懸命に、私に何かを話そうとしてくれているのだけれど、相変わらずふにゃふにゃと喋るので、何が何だかさっぱり分からない。私に伝わっていないということに気が付いた彼は、「カースペールを知ってる?見たことある?」と、基本に戻って質問してきた。そんなもの知らないから、「知らない。見たことない」と、答えると、「カースペールはね、冷蔵庫の中にこうやって入って(身振りで示してくれた。すごくかわいかった)、外に出られなくなって死んだの」。

ん??この話、どこかで聞いたことがあるような・・・・。あぁ!カースペール!。映画の『キャスパー』のことだ!。「あぁ、知ってる!知ってる。分かった!カースペルね。見たことあるよー」。これで、彼は心置きなく、カースペールについて私に語ることが出来た。

しかし、この説明で分かった、私っていったい・・・。



ロレンツォが、「ハナコ、イートレルの写真を見たい?」。「はぁ?イートレル??」。「イートレルだよ、イートレル。ドイツの・・・」。

はぁ、ドイツ?更に私の頭の中は、ぐちゃぐちゃに。「それ、何?アニメか何か?」と、尋ねると、パソコンを見に来て、とのこと。言われるままついていくと、百科事典のCDロム。

アドルフ・ヒットラーだ・・・。確かに、綴りは、『イートレル』って書いてあるわ・・・。



小学生達と一緒に、ローマへ遠足に行った時。この時の目的地は、ヴィラ・デステと、ボルゲーゼ公園にある動物園だった。

プルマン(バス)が目的地に近づくと、俄然騒がしくなる車内。窓の外に見える、標識を指差して、呟いている保護者達。私の耳に聞こえてくる言葉とは・・・

「ゾーよ」。「ゾーだ」。「ゾーに着いたぞ」。

確かに、『ZOO』って書いてあるけれど、それ、『ズー』って読むねん・・・。誰か、彼等に教えてあげて下さい。

でも、あれだけ、「ゾー」、「ゾー」、「ゾー」という洪水の中にいると、もしかして私が間違えているのか・・・と不安になってしまうのが、恐ろしい。ま、イタリア語で動物園のことは、『ゾー』という。ってことにしておけばいいんでしょうかね。




「ハナコ、これ何ぃ?」。

雑誌の広告をペンでぐちゃぐちゃと塗りつぶしたのを指差して、フェデリーコ。「アリー・ポッテール」と言うと、「ノー!!」と、否定されてしまった。

世界中で大人気のハリー・ポッターは、当然ここイタリアでもすごい人気。そして彼等は、彼を『アリー・ポッテール』と呼ぶ。

「どうして?アリー・ポッテールじゃないの」と言うと、フェデリーコは、「ノー!。アリリリリリリー・ポッテールルルルル」と、もっっっのスゴイ巻き舌で、言ってくれた。私は、調子が出ないと、巻き舌が出来ないので、何度か試してみたのだけれど、この時は上手くいかず。フェデリーコは、「ハナコ!。エッレ!エッレ!。これ、これ!」と、なんと、紙に『R』の文字まで、書いてくれる有様。それは分かってるんだけどさぁ・・・。「私は、エッレが、言えないの!」と、半ばヤケになって叫ぶと、ロレンツォが、「えぇ!そうなの!?」と。君達だって、ハナコの『ハ』が、発音出来ないくせに・・・。

ロレンツォは、フランチェスカにわざわざ、「ハナコは“エッレ”が言えないんだって」と、報告をしていた(しなくていいよ・・・)。フランチェスカは、「そうよ」と、別に驚く風もなく。イタリアでは子どもの頃に、練習をして言えるようになるんだって。

「そう。僕も小さい時は出来なかったけれど、練習をして言えるようになったの。ほら。ルゥルゥルゥルゥルゥルゥルゥ!」とフェデリーコ。

分かった。よーく、分かった。私も練習します。



他に、なかなか伝わらない言葉としては・・・、

私の持っているカメラ、『キャノンは』、“カノン”。

友人は、バールで『ラム』を注文しようとして、なかなか通じずに困り果てていた。指差して、やっと理解してもらったこのお酒の名は、“ルム”。そしてこの時、タバコを買うのにも苦労した。何度繰り返しても分かってもらえなかった『キャメル』は、当然、“カメル”。

テレビで、NECのコマーシャルが流れた。私達の『エヌイーシー』は、“ネック”と呼ばれている。イタリア語だと、“エンネ・エー・チー”だもんねぇ・・・。



「ハナコ、君の名前は、どう書くの?」と、フランチェスコに尋ねられた。

まさか12月にそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったので(私は4月からずっと、彼のお姉さんの家にいる)、思わず、「え?何?日本語で?」と聞き返してしまったりして。

「いやいや。イタリア語で。ほら、何かを書く時に必要だから・・・」と、言うので、「アッカ・アー・エンネ・アー・カッパ・オー」と綴りを答える。すると、「アッチェント(アクセント)は?」と彼。

そう、これは、自己紹介をするたびに、必ずと言って良いほど聞かれること。『ハァナコ』なのか、『ハナコォ』なのかと。特に何も言わないでいると、ここの人は、私の名前『HANAKO』を『ANACO'(Oの上にアッチェント)』と書いている。別に、ハナコーでもハーナコでも、アンナでもジャポネーゼでも、私のことを呼んでいるというのさえ分かれば、私は何だっていいんだけどね・・・。

イタリア語を勉強している人以外は、意外にご存知ないと思うのだが、イタリア語には、アルファベットが21文字しかない。英語のアルファベット26文字のうち、J(ルンゴ)・K(カッパ)・W(ドッピア)・X(イクス)・Y(イプシロン)の5文字は、基本的には使われない。外来語に用いられるので、文字として存在するのだが、基本的には21文字。そしてこの21文字中、問題になってくるのが、Hの文字。この文字自体は『アッカ』と呼ばれているのだが、発音されない文字である。なので、『私は持っている』を意味する“ho”は、オ、『彼は持っている』を意味する“ha”は、アと発音される。私の名前、『HANAKO』は、発音されない文字『H』と、イタリア語には存在しない文字『k』を持った、非常にややこしい名前なのである。

話しを戻して・・・

今回の相手はフランチェスコなので、正直に答えることにする(普段は、面倒くさいので適当にへらへらしてる)。「日本語にはアッチェントがない」と。「だから、アーの上?オーの上?と聞かれても答えられない。私の名前は、ハナコ」。フランチェスコは少し考えて、「僕達は、アッチェントがないと言えない」。そして、更に少し考えて、「じゃ、アーの上、ハァナコ、にしておこう・・・」ってメモに書き込んでいた。勝手にするなよ・・・って思わないでもなかったけれど、別にどうだって構わない。こんなことは、私にとっては大した問題じゃないし。でも、ファブリッツィオもロレンツォもフェデリーコも、ごく普通に「ハナコ」って言うんだけれどな・・・。

しかし、この「僕達は、アッチェントがないと言えない」というのは、大げさな話ではないようで、名前を尋ねられ「ハナコ」と答えると、「何を言っているか分からない」と言われたことが何度か。何を言ってるか分からない、って、それが私の名前なんやないかい!と思ったりもするのだけれど、郷に入れば郷に従え、ということだし・・・、と、「ハァナコ」と、耳元でデカイ声で言うと、「分かった」と、納得していた。

小さい子どもには、私の名前は理解不能なようで、さっぱり分からないというきょとんとした目で凍りついていることがしばしば。マルゲリータだとか、ステファーニエっていう分かり易い名前じゃなくて、申し訳ない・・・と心から思ってはいるんだけれどね。

だから、皆さんも、イタリア人に名前を聞かれたら、思いっきりアッチェントをつけて、叫んでやりましょう。