子ども達の“ウナ・ジータ(遠足)”に誘ってもらった。

「日曜日にヴェネツィアへ遠足に行くんだけど、一緒に行きたい?」と、小学校の先生ティッツィアーナが私に言った。え?ヴェ、ヴェネツィアですか!?遠足でヴェネツィアに行くの? 私、聞き間違えたのかなぁ・・・。でも、確かに、「ウナ・ジータ」遠足って言ったよね。

行きたいのなら、席が空いているかどうか確認してあげるわ、とのこと。私は、もちろん、「行きたい!」と彼女に伝える。

そして、確かその話の翌日。小学校での私の授業が終わったあと、校長先生が呼んでいるというので会いに行く。校長室を訪ねると、「明日、遠足があるけど、一緒に行くか?」と。あれ?遠足は日曜日じゃなかったのか。

まだ、イタリアに到着してすぐの頃。まだ、言葉があまり聞き取れないので、私の聞き間違い、勘違いだったんだなと納得する。

彼の話によると、明日は、中学校1年生のクラスがローマへ遠足に行くのだとか。それに私も同伴させてもらえるらしい。行き先は、ティボリ。ヴィラ・デステと、ヴィラ・アドリアーナというところ。実は、私、数年前に両者とも訪れているのだけれど、子ども達と一緒の遠足だなんて。こんな機会、滅多にないだろうし、イタリアの子ども達の遠足に興味もあるので、「もちろん行きたい!すごく行きたい!」と校長先生に伝える。まさか、こんな遠足だとは夢にも思わずに・・・。

私が行きたいというのを確認すると、校長先生は紙に書いて説明してくれた。「4 マッジョ (5月4日) ローマ」。そして、次に彼が書いたのは、「5.30−21.35」といういくつかの数字。??? こ、これって、も、もしかして、じ、時間を表しているのでは??

目が点になって、ぼーっとしている私に、イタリア語の説明が続く。ぼーっとしているとただでさえ分からないイタリア語が、ますます分からなくなるので、しっかりと話を聞かなくっちゃ。

明日は私もローマへの遠足に連れて行ってもらえる。予定されていた授業は、またいつの日かに振り返る。集合場所は、駅の前に朝5時半。帰りは同じ場所に21時35分に到着予定。パニーノか何かお弁当を持ってくること。集合場所までは、中学校の先生アンジェラが送ってくれる、とのこと。

その後、アンジェラに会い、そのまま彼女に車で送ってもらう。これで彼女は私の家が分かったので、翌朝、5時10分に迎えに来てくれるとのこと。車内で、明日は天気が悪いかもしれないから傘を持ってきなさいね。お弁当を用意していけばいいのね、という私の質問に、アンジェラは、「私があなたの分も用意するから、いらないわよ」と。

遠足でローマに行く、と言うので、なんだ、ローマって近いんだ・・・なんて思ったのに。早朝5時30分集合というのは、いったい何なんだ!?。そういえば、到着後すぐ、家族にローマまではどれくらい?と尋ねたら、鉄道で4時間という答えが返ってきたっけ。「ローマへ遠足」と聞いて、これも聞き間違えだったんだと思ったんだけれど、やっぱり、それくらいはかかるんだ。これからは、自分の耳をもっと信じることにしよう。

家に帰り、フランチェスカに、明日ローマに行くよと伝え、「じゃ、パニーノがいるのね」「ううん、先生が私の分も持ってきてくれるって」「朝は、早いんでしょ」「うん、5時10分に迎えに来てもらうの」などという会話を交わし、翌朝に備え、夕食の後、早く寝ることにする。遠足に行くよ、と伝えると、朝は早いのね、と当たり前のように言われたので、もしかして、これは普通のことなのか。

まだ、外は真っ暗闇の4時半頃に慌てて目覚ましを消し、当然、家族は寝静まっているので、そーぅっと階下へ。約束通り迎えに来てくれたアンジェラの車で駅へと向かう。駅前には、プルマン(大型バス)が1台。引率の先生は4人、子ども達も、全員揃って、ローマに向けて出発。

私は、昨夜、眠りに入った時点から、早朝5時半出発、バスの中では爆睡してやる!と心に決めていたのに、ここの人たち、誰ひとりとして寝やしない。私は、アンジェラの隣の席に座ったんだけれど、先生方、子ども達も、席に着くと、すぐに、ずーーーーーーっと、大声でしゃべっている。私も最初は、アンジェラと話をしていたけれど、もうだめ、我慢できない・・・と、大型バスの中、たったひとり眠りにつく乗客になることにする。車は大声のイタリア語を満載して、アウトストラーダ(高速道路)に入り、8時ごろに、朝食休憩。子どもたちは、持参してきたパニーノを齧り、私達は、アウトグリル(パーキングにある土産物屋と簡単なレストラン、バールがくっついたもの)で、カフェ・ラテとコルネット(クロワッサン)の朝食。そして、再び、アウトストラーダを南へ下り、10時頃、目的地ティボリに到着。はぁ、疲れた。所要時間はちょうど4時間。車内を見て回ったわけではないけれど、この4時間で、寝ていたのは恐らく私だけのはず。やれやれ。

まずは、ヴィラ・デステを見学。ガイド付きで、建物の中をぐるりと説明してもらって、それから庭園へ。なんとか、ガイドを聞き取ろうと試みるのだけど、ほとんど分からず。「この右の部分、ここが重要なんです」と言うのは、聞き取れるんだけれど、その後の部分、何が重要なのかがさっぱり。それじゃガイドの意味がないって。やれやれ。

2時間ほど、ヴィラ・デステを見学した後、バスに乗り、ヴィラ・アドリアーナの近くまで移動。公園の近くでバスを降り、ここで1時間強の休憩で昼食。そして、私は、先生方に質問攻めにあう。「ここで何をしている」とか、「どうしてイタリア語が話せるのか」、「どうして、こんな田舎の学校に来ようと思ったんだ」などなど。そして、一般的な日本の話へと。「日本では何を食べるの?肉も食べる?」という話になったので、「米と魚を食べるけど、肉も食べるよ」というようなことを答えると、「どんな肉を食べるの?」ときた。私、当時、肉の種類の単語を全く知らなくて(ポッロは鶏肉のことなんだけど、その頃は、豚肉だと信じていたくらい)、困ってしまって、「全部。イタリアと同じように食べるよ」と答えておくことにした。すると、「ウサギも食べるの??」だって。どうして、そういう特殊な質問をするんだぁ。

アンジェラが私のために用意してくれたのは、親切なことに米。米のサラダ。日本でいうご飯とは、全くかけ離れたものだけど、私はこれが結構好き。“インサラータ・ディ・リーソ”という。「美味しいよ」と言いながら、割と量が多いな、なんて思いつつ、美味しく頂く。すると、彼女の鞄の中からは、大きなビニール袋が。中には、パニーノが4つほど。「これも食べなさい」とくれたので、一番小さそうなのを選んでひとつもらう。5月初旬とはいえ、ローマの日差しはきつい。やや北に位置する山間の町から来たこともあり、なおさら暑く感じる。他の先生方のお弁当は、パニーノ。中に挟んであるのは、サラミ、生ハム、チーズ、トマトといった感じ。パオロのリュックサックから出てきたのは、1本の缶ビール。2時間もこの炎天下を歩き回ったあとのリュックの中の缶ビールは、果たして美味しいんだろうか、という素朴な疑問が、私の頭に浮かんだけれど、いやいやその前に。先生、仕事中では?。ま、イタリアではビールひと缶程度じゃアルコールのうちには入らないだろうけど(どれくらいだとその「うち」に入るのかは、私には分からないけれど)。

昼食を済ませた子ども達は、近くのバールで買ってきたジュースやジェラート(アイスクリーム)を片手に、サッカーボールを蹴ったり、鬼ごっこをしたりと、ローマの空の下、暴れまくってる。どうして、そんなに元気なんだ・・・。私は、お腹も膨れて眠気に襲われているというのに。

先生4人と一緒に、そのバールへカフェを飲みに行く。5人分注文して、アンジェラがまとめて支払おうとすると、カウンターの中のお姉さんが、「お金はいらない」とのこと。今日は、子ども達がいっぱい買い物をしてくれたから、そのお礼なんだって。

公園へ戻ると、子ども達は、影もない公園でまだ暴れまくっていて、集合の合図にも不服そう。

ヴィラ・アドリアーナでは、3時頃から2時間ほど見学。幸運にもこの頃から空が曇り始める。数多くの噴水が並ぶ緑の多い庭園の中を歩くヴィラ・デステは良いものの、ヴィラ・アドリアーナは、砂っぽい乾燥した廃墟という感じの場所なので、炎天下に歩くのはうんざりだなぁと思っていたもので。そういえば、4年前に友人と来た時も、ここで雨が降り始めたんだっけ。

ここもガイド付きで、2時間歩き回り、私はもうくたくた。アンジェラも疲れたと言って腰を下ろしてた。はぁ、早くバスに戻って眠りたい。今の望みはそれだけといってもいいかも。

5時半ごろにバスに戻り、マルケ州に向かって出発。車内でビデオを流し始めたけれど、そんなこと気にしていられない。私は眠りたい。というか、もう、起きていられない。くたくた。ビデオを流したのは、子ども達を黙らせるためだと思うんだけれど、相変わらずの大声のおしゃべりは続いている。私の前に座ってるパオロと名前を知らない女の先生も負けないくらいの大きな声で、手を振り回しながらしゃべり続けているし。でも、そんなことは気にならないくらい私は疲れてるので、悪いけれど寝る。ね、疲れたよね。誰か、「私も疲れてる」と言って!

朝と同じように、幹線にあるバールに止まり、ここで夕食。私はカプチーノとパニーノを。幾人かの子ども達は、家から持ってきたパニーノを外で齧っているし、私のようにパニーノを買っている子も。私が立ったままパニーノを齧っていると、隣でバスの運転手が美味しそうに冷えたビールをグラスで飲んでいたけど、気にしないことにする。私じゃ怖くて運転できないような(だいたい、私は運転免許を持ってないけど)険しい山道が続いていて、少し前から雨も降ってきているけど、気にしない。彼はイタリア人なんだから大丈夫。イタリア人のプロは、本当にプロフェッショナルな仕事をするんだから。

そして、暗闇の中、バスは北へ向かって走る。私は、窓の外に見え隠れする町明かりをぼんやりと眺めたり、うとうとしたり。そして、早朝の出発、炎天下の中の屋外の見学、昼休みにはサッカー、午後も歩き詰め、さすがに疲れただろうと思われる、午後8時ごろ、マイクを手に全員で、大!合唱大会〜!!が始る。おいおい、この車内には、「消灯」という言葉はないんかいな。

そのままの大騒ぎの中、21時50分、早朝、出発した駅前に戻ってきた。なんだか、ここを出発したのはるか昔に感じる気分。バスが到着する少し前に、マイクを通して、先生が、「みんなぁ!明日は8時から、数学よぉ〜!!」と叫んだのが、とっても印象的だった。もう、好きにしてください。明日の私の授業は、9時からだから。

中学生にもなるとハードな遠足なんだな、でも私にとっては滅多に経験できないであろう貴重な体験。いい思い出になったや、と、帰宅してすぐにベッドに横になる。もちろん、横になった途端、眠りに落ちていく。もう、くたくた。

翌土曜日、小学校へ授業をしに行く。休み時間にティッツィアーナに会うと、私を手招きして、「明日の遠足のことだけど・・・」。

はっ!

も、もしや、その言葉は、ひょっとして・・・。私の勘違いかと思っていた、最初の話。いや、だいたい、『日曜日−ヴェネツィア』、『金曜日−ローマ』。いくら、私のイタリア語がつたないとはいえ、そんな聞き間違いをするはずはないんだ。落ちついて、冷静に考えてみよう、私。

ふふふっふふ。ここまで来たら(どこまでだ?)もう、いいもんね。連れていってもらえるのなら、どこにでも行ってみましょう。

長くなるので、完結に要旨だけ記すと、今回の遠足は、小学校5年生のクラス。集合は町の広場に朝5時10分。私は、4時45分に、滞在先の真向かいに住んでいる、先生ステファーニアのところに行き、広場まで乗せて行ってもらう。そこからプルマン(大型バス)で、ヴェネツィアに着いたのは、10時頃。バスの駐車場から船への乗り継ぎが順調に運ばなくて、ムラーノ島に12時頃に到着。ここでガラス工場を見学し、そして、再び船でブラーノ島へ。この島での滞在は、1時間ほど。座って昼ご飯を食べるか、町を散歩するか、とのことだったので、散歩を選択。昼食の時間がなくなったので、歩きながら家から持ってきたパニーノを食べる。ヴェネツィアの本島、サン・マルコ広場に15時頃に着き、そこで自由行動。

この遠足は、子ども達とその父兄も同伴だった。私は、金髪で背の高い先生ルチーアと、1組の夫婦と4人で、迷路のように入り組んだヴェネツィアの町を散歩する。どうして、こういう組み合わせなのかは、よく分からないけれど、あの2人はどう見ても夫婦っぽいので(この夫婦はどことなく顔も似ている気がする)、彼らの子どもは友人達と自由行動をしているんだろうな、と私は思っていた。近所に住んでるとかなんとかで、担任のルチーアと仲が良いんだろうと。

2時間半ほどの自由行動が終わり、18時頃、帰路につく。私の隣に座った、英語の先生ダニエラは、昨日、違うクラスの引率でトスカーナへ遠足に行っていたのとか。もちろん、早朝出発の深夜帰宅のコース。「疲れたわぁ・・・」と何度も呟やいていた(そりゃそうだろう)。今日は、日曜日。当然、明日は月曜日なので、朝から仕事。ふぅ、私、イタリアの中学校の先生にだけは、なりたくないかも・・・。

途中で夕食の休憩を挟み、帰宅したのが、深夜0時。

3食持参の遠足というのも考えがたいけれど、『月曜〜土曜 学校』、『日曜 5時〜0時 遠足』、『月曜〜土曜 学校』。どうしてこれで平気なんだろう。私が歳をとって、体力がなくなってきているだけなのかしら。

でも、ひとつだけ言えるのは、子どもの頃から、このパワー。日本も、ちょっと考え直さないと、いつまでたってもサッカーは勝てないね。

そして、数週間後、私、凝りもせず、3度目の遠足に参加してきた。行き先はローマ。小学校3年生のクラスで、父兄同伴、出発は朝6時、帰宅22時。6時集合と聞いて、遅い!ラッキー、と喜んでしまった自分が怖かったりして。学年末のこの遠足。1年に一度の機会だからか、3年生の子どもの兄弟(幼稚園くらいの子もいる)、両親、そして祖父母までが参加した大家族がいたりと、なんだかすごいことになっている。そして、私がヴェネツィアで一緒に自由行動をしたあの夫婦の姿も。彼らの子どもは、いったい、何人いて何歳なんだ!と思って、ここで気が付いた。小学生の遠足に、先生のご主人が一緒に参加していたのね。

やっぱり、この国は面白い。