『EURO』。当然、みなさん、ご存知のことだと思います。

この『EURO』、恐らく日本ではユーロと言うのだろうけど、イタリアでは字の如く、『エウロ』と言う(だいたい、なんでEUROと書いてユーロやねん!と私は言いたい・笑)。そして、『チェンテージモ』。複数形だと『チェンテージミ』。これは、100分の1、要するにセントのこと。50セントは、『チンクワンタ・チェンテージミ』。

小数点のことは、『ビルゴラ』と言うので、1.50EUROは、『ウーノ・ビルゴラ・チンクワンタ』(ニュースではこう言っていたけれど、お店では『ウーノ・チンクワンタ』と言っている)。あぁ、ややこしい!面倒くさい!!。ディエチミラ(1万)とか、チェントミラ(10万)という言葉が懐かしい・・・。値札を見ただけで、日本円に瞬時に換算できてしまうほど慣れ親しんだリラだったのに。エウロは、ちょっと考えないと日本円に換算できず、私、まるで外国にいる気分・・・!?


2001年の秋頃から流れ出した、テレビコマーシャル。八百屋で、お婆さんが買い物をしている。代金は、3,690リラ。財布を開けて、ゆっくりと数えて、ひとつずつお店のお姉さんの手へ。お金を落っことして、拾い上げて、ニタァって笑って、支払い終え、店を後にする頃には長蛇の列。リラがエウロに変わると・・・。代金は、3.30エウロ。お婆さんは、コインをひとつずつゆっくりと財布から取り出し地面に落っことして拾ってニタァっと笑って。当然、後ろは長蛇の列。そして、『エウロがやって来て、通貨は変わっても、生活は変わらない』。

エウロに関するテレビコマーシャルは、他にもいくつかあるのだけれど、私はこのコマーシャルが好き。


私がイタリアに到着した2001年の春には既に、ショーウィンドウの値札や、テレビショッピング、スーパーの広告はリラとエウロの2重表記。リラが大きく、その下に小さくエウロの表記が。これが2002年になると、エウロが大きくリラが小さくに変わるはず。

それはいいんだけれど・・・。

テレビのクイズ番組。回答者が大きなルーレットを回し、クイズに正解するとそのルーレットの賞金が貰えるんだけれど、このルーレット盤にも、リラとエウロの2重表記。ちょっと、可愛らしくて、最初、笑ってしまったもの。


夕食後、どこかへ出かけていたファブリッツィオが、パンフレットと丸めたポスターを手に帰って来た。「ハナコもここに来て、一緒に見なさい」とのこと。手にしていたのは、エウロのパンフレットと、硬貨が一覧になったポスター。

この日、私は初めて知ったんだけれど、エウロに統一される12ヶ国、それぞれに硬貨の裏側のデザインが違う。表側の数字が書いてある面は共通なんだけれど。ちなみに、お札の方は12ヶ国共通である。

そして、何が素晴らしいかって、イタリアのエウロは、すごくすごく、本当にものすごくカッコ良い。硬貨は8種類あるのだけれど、イタリアはその全ての絵柄が異なっている。8種類とも同じ絵柄だったり、いく種類かの絵柄(例えばフランスは3種類)だけだったりする国がある中、イタリアはさすが!、としか言いようがない。


夕方、ロレンツォが私の部屋にやって来て、「ハナコ!下に来て!すごくカッコ良いものを見せてあげる!」と。彼等はたまに、私を呼びつけて、死んだ蛇やら、鳥の死体やら、生きている蛙などを見せてくれることがあるので、「本当にカッコ良いもの?スキーフォ(気持ち悪い)じゃないの?」と、言いながらキッチンへ行くと、あぁ!本当にカッコ良いものだ!。

おじいちゃんがエウロのコインを持って、家へやって来た。

12月15日から、ミニキットという2万5千リラ分のエウロのコインをパックにしたものを、銀行で売り出した(?)んだけれど、早速それを両替してきたみたい。フランチェスカももちろん、全員、本物のエウロを見るのは始めて。裏っ返して並べてみて・・・。写真で見て絵柄は知っていたんだけれど、2エウロが分からない。尋ねると、「ダンテ・アリギエリ」とおじいちゃん。あぁ、これがダンテなのか。そして、「これは何?」と、おじいちゃんとフランチェスカ。「レオナルド」と、私。一勝一敗ですな。

新しくてピカピカしている硬貨は、おもちゃのお金みたい。先生も子ども達も、決まって、「チョコレートみたい」というのが、可笑しくて。

マルケ銀行のパンフレットによると・・・

2エウロ:Dante Alighieri
ダンテ・アリギエリの横顔の肖像。

1エウロ:L'uomo vitruviano di Leonardo da Vinci
レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた、人体の絵。この有名な絵、みなさまもご存知のことでしょう。

50チェンテージミ:Il Marco Aurelio
ローマのカンピドーリオ広場の皇帝マルクス・アウレリウスの像。像の下には、ミケランジェロがデザインしたカンピドーリオ広場の幾何学模様も。

20チェンテージミ:"Forma uniche nella continuita' dello spazio" di Boccioni
これは何なんでしょう。これだけが謎だったのですが、Boccionという人の書いた絵(?)の一部のようです。

10チェンテージミ:La Venere del Botticelli
ウフィッツィ美術館にある、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』。私はこの硬貨が、最も好き。すごく綺麗。

5チェンテージミ:Il Colosseo
ローマのコロッセオ。

2チェンテージミ:La Mole Antonelliana
トリノのモーレ・アントネッリアーナ。残念なことに、私はトリノに行ったことがないんです。いつか、きっと・・・。

1チェンテージミ:Castel del Monte
プーリアのモンテ城。最初、私は、ナポリのヌォーヴォ城かと思ったのだけれど、違いました。

と、イタリアを代表するに相応しいデザイン。私はよその国の人間なんだけれど、それでも誇りに思ってしまう。やっぱり、カッコ良い、素敵だ、この国は。

テーブルに置いてあった、1エウロ硬貨をフェデリーコが奪い取り、キッチンの奥へ逃げた。全員で、「フェデリーコ!ノー!!」と叫ぶと彼は、「明日、学校に持っていく!先生に見せるの!」と。「あら、先生も持っているわよー」と、フランチェスカ。「私もそう思うよ」と、みんなで大笑い。フェデリーコは珍しいものがあると、何でも学校に持っていく。私が作ってあげた折り紙、5円玉も上っ張りのポケットに入っていたし。そういえば、「マンマ!学校に持っていきたい!先生に見せたいぃ!」と、梅干を抱きしめてたこともあったっけ。


2002年1月1日。

ついに、この日がやって来た。エウロが流通し始めた。しかし、ついに、といっても私はよその国の人間なので、それほどの感慨がある訳ではないのだけれど・・・。でも、私はリラが好きだったので、少し寂しい気がするのは事実。

朝、ファブリッツィオは、早速、ATMでエウロを引き出してきていた。まっさらで、おもちゃみたいな20エウロ紙幣。私、何に驚いたかって、2002年1月1日午前0時きっかりに、ATMがエウロ仕様になったこと!。まさか、そんなことが起こり得るとは思っていなかったので、本当に心から仰天してしまった。この国を見くびっていたことに、心から謝罪したいと思います。ま、確かに、何年も前から決まっていたことだから、準備期間は充分にあったんだろうけど。

昼食後、フランチェスコと出かけたら、ガソリンスタンドの自動販売機がエウロ仕様になっていて、リラが使えない。2軒目のガソリンスタンドは、1月1日のせいなのかお休み。ここもエウロだったらどうしよう・・・と言いながら向かった3軒目はリラのままだったので、一安心。なんだか、面倒くさいことになってるぞー。(注:この国のガソリンスタンドは、セルフサービス)

ドライブのあと、ビデオを借りに行こうとして、「エウロに変わっているかもしれない。僕は5エウロしか持っていない」(ここのビデオレンタル店は、自動販売機みたいなのが店の前にある。私は使ったことがないので詳細は分からない)。「5エウロは、ディエチミラ(1万)」と私が言うと、「あぁ。ディエチミラなら充分。大丈夫、足りる」。

エウロ。慣れるまで時間がかかりそう。


私のエウロデビューは、少々遅目の1月7日だった。

中学校で秘書をしているロシータが、私を近くにあるグロッテ・ディ・フラサッシ(フラサッシ洞窟)に連れていってくれた。鍾乳洞を見学したあと、絵葉書を買おうと入り口横の売店へ。客は少なかったんだけれど、エウロなので、清算をするのに時間がすごくかかる。洞窟の入り口と駐車場を結ぶシャトルバスには、もう、みんな乗り込んでいて、急いでくれ、と運転手が私達に言いに来た。でも、まだ私の前のお客さんがエウロでお釣りを貰い終わってない。

レジスターもちゃんとエウロ仕様になっていて、預かったリラを打ちこむと、エウロのお釣りが表示される。レジスターは賢いんだけれど、まだ誰もエウロに慣れていないので、どれが20チェンテージミだっけぇ???ってね。

ロシータが私に、「(葉書は)何枚?」と。「8枚・・・」。すると彼女は、カウンターの中のおじさんに向かって、「彼女も8枚よ!この人と同じだわ。2.89エウロよ」と、前のお客さんのために売ったレジスターを。あ、待って、ロシータ、違うの・・・。私は、小さいのが8枚と大きいのが3枚とステッカーを2枚、買いたいの。私は、続けて口にしているんだけれど、エウロに夢中で、誰も聞いてはくれない。

そして、私が1万リラを持っているのを見て、「お釣りも、あの人と一緒だわ」。2.89エウロに1万リラを支払ったお釣りの2.27エウロをおじさんが、「マンマ・ミーア・・・、マンマ・ミーア・・・」と呟きながら、ロシータと一緒になって、カウンターの上に載っている硬貨の山から選り分け完了。

なんだか、通貨が変わった、というのとは違う次元の問題が生じている気がとってもするのだけれど・・・。ま、いいでしょ。イタリアだからね。得しちゃった、ラッキー。


昼食後、フランチェスコが彼のおばあちゃんに説明を始めた。ポケットから取り出したコインをテーブルに並べ、「このコップが70チェンテージミだとする。どのコインを払う?」と、まるで、3歳の子どもに言い聞かすかのように・・・。私は、彼等のやり取りを聞いているのが、本当に大好き。だって、とってもかわいらしいんだもの。数度、これを繰り返し、ひいおばあちゃんは理解できたようす。

そして、そのあと、私に向かって彼女は、「君達のところも、これに変わったの??」って。まさか、こんなことを聞かれるとは思わなかったので、とりあえず、「ノー」とは答えたものの、先が続かなくて、凍りついてしまった私に代わって、フランチェスコが、「違う。彼女のところはヨーロッパじゃないから」。

なるほど、そう答えれば良いのか。これ以上ない、ってほどの最高の答えだ。

小学校へ行くと、何度か、「日本もエウロなの?」と質問をされた。「ノー」と答えると、2年B組のロレンツォは真剣な表情で、「じゃ、リラ?」。確かに。小学校2年生の彼にとっての世界は、これが全てなんだろうな。「エン」と、何度か繰り返したんだけれど、彼には通じない。「違う通貨。日本の通貨だよ」と言うと、理解してくれたみたい。

中学校で事務をしているロベルタとおしゃべりをしていた時。この日、彼女とはいろんなことを話したんだけれど、お給料の話に。「日本では、先生の給料は幾らなの?」と聞かれて、答えられなかった私。そんなこと、知らない・・・。私はこういう話をするために、ここイタリアに来ているというのに。深く反省しよう。

イタリアでは200万リラ(約12万円)くらいだとのこと。その金額は多いのかどうか分からなくて尋ねると、例えば工場で働いている人の給料は150万リラ(約9万円)程度なのだとか。

以前、フランチェスコと話をしていて、私が、「日本だとそれの倍くらいの値段がする」と言うと、「日本は給料が倍だから、ここと同じ位の金額だ」って。確かに、そういう風に考えても良いのかも。

しかし、こういう話をする時には、やっぱりリラで。自然にエウロで話すようになるのには、どれくらいの時間がかかるんだろう。

そして、そのあとロベルタは、「日本はエウロ・・・には、変わってないわよね?」って。ちょっと、一瞬、ビックリしちゃった。ロベルタ、あなたもフランチェスコに「日本はヨーロッパじゃないから」と、言ってもらう??


すごいぞ!エウロ!。素晴らしいぞ!エウロ。

イタリアから日本までのエアメイルの料金は、1,500リラ。私の滞在している町の郵便局に行き、ミッレチンクエの切手をくれ、というと、1,200リラの切手を1枚、100リラを3枚くれる。これをポストカードに貼るとどうなるか。ご想像の通り、4分の1のスペースが切手。

ある日、いつもとは違う女性が、1,200リラを1枚、150リラを2枚くれたので、なぁんだあるんじゃない、と喜んだんだけれど、その次は、1,200リラを1枚、90リラを2枚、60リラを2枚。もういい!。これは、ポストカードには貼らず、手紙を書いた時に封筒に貼る分にするから、もう何だっていい!。

と、郵便局に行くのが楽しみだったんだけれど、1月になって、ミッレチンクエをくれ、と買いに行くと、おじさんが一覧表で確認し、差し出してくれたのが、0.77エウロ切手1枚。何が起こっているのか、にわかには信じられなかった私。はぁ・・・、本当に信じられない!。

便利なんだけれど、ちょっぴり寂しかったりして・・・。

しかし、何が嫌だといって、これから、ミッレチンクエの変わりに、セッタンタセッテ・チェンテージミと言わなきゃいけないってことだ!。あぁ、舌噛みそう。


まぁまぁ、そんなものでしょう・・・。

どこかの町のATMで、お金を引き出したら、リラが出てきた。今日は1月8日なのに!。という映像をテレビで流していた。これを見て、ちょっと安心してしまった私であった。だってね、一律にピタッと変わっちゃうなんて、この国らしくないよー。

1月の末、火曜日の朝、開かれるメルカート(市場)に行くと、表記はエウロ80%、リラ20%といった感じ。やっぱり、『10.00エウロ』より、『全て20,000リラ』と書かれた札の方が、しっくりくるんだけどなぁ・・・。スーパーマーケットで買い物をすると、値段シールがリラのままなので、レジのお姉さんは、電卓でエウロに換算してから、レジを打っていた。そうか。行列の原因は、これだったのか・・・。


日曜日のお昼に放送されている『Bel'Italia(美しきイタリア)』というテレビ番組。イタリア各地を紹介する番組で、私はこれがすごく好き。

この日は、レポーターがコインを手に、「1チェンテージモ硬貨に描かれている、モンテ城です」と。あー!ホンマやぁ!と身を乗り出した私にフランチェスカが、「フェデリーコ・セコンド(フェデリーコ2世)のお城よ」と。テレビをちゃんと聞いていなかったので、場所を尋ねると、プーリアだとのこと。硬貨に描かれるだけあって、とても綺麗な美しいお城だった。

フェデリーコ・セコンド。誰なのか、今だによく知らないんだけれど、インペラトーレ(皇帝)なんだとか。私が滞在している町から車で10分程のJesiの町の出身で、彼の名を冠したホテルや旅行代理店がある。春、私がこの町にやって来て間もない頃(確か、到着翌日)、Jesiに連れて行ってもらって、「ハナコ、この像が、フェデリーコ・セコンドだ」とファブリッツィオ。「フェデリーコ・セコンド!!僕と同じ名前!きゃほーーー!」と、フェデリーコが奇声をあげて・・・。と、私にとってはすごく愛着(?)を感じてしまう人物なのである。

プーリアにある、フェデリーコ・セコンドのお城。絶対に、いつか訪れてみよう。だって、大好きなフェデリーコと同じ名前・・・。