準備は本当に万全なのか。不安を残しつつも、1年間のイタリア滞在に向けて出発。しかし、ま、行けば何とかなるでしょ、っていう気持ちの方が多いのは事実であることを、正直にここで白状しておきましょう。関空までついて来てくれた友人達に、旗を振って見送ってもらい(なんと、手作りのイタリア国旗を持参してくれたの。いやぁ、ホントにいい友人を持ったもんだぁ)、2001年4月19日、大好きな国へと旅立つ。しばらくのお別れだね、バイバイ神戸、そして日本。

ローマで国内線に乗り換え、アンコーナの空港へ向け再度、飛び立つ。予想どおり、小さな小さな飛行機。乗客も僅かで、もちろんアジア人は、私ひとり。そうだよねぇ、アンコーナだものねぇ。離陸が遅れたので、30分遅れで到着する。ホームステイさせてもらう家の人が迎えに来てくれているはずなので、ひやひや。これまた予想どおり、小さな小さな空港に降り立ち、でっかいスーツケースを受け取り、少々、緊張しながら、ゲートをくぐる。あ、あの人かな?私の迎えは・・・。

「ハナコ?ブオン ジョルノ!」と、笑顔で右手を差し出してくれたのは、イ、イタリア人だぁ!。こういう人を、絵に書いたようなイタリア人っていうの?。恰幅が良くて(とだけ、今は言っておこう・・・)、スーツとサングラスがとっても良く似合う。彼ファブリッツィオの車で、彼の家へと向かう。車で15分ほどとのこと。車内では、頑張って彼と会話を交わす。彼が住んでいる町は、小さい町なんだって。私が住んでいるところは人口100万人だと(私はこの後、数ヶ月間、何人ものイタリア人にこう言い続けたあとで、150万人だということが発覚。出来る限り、訂正したので許してくださーい)伝えると、「あぁそれなら、本当にピッコロ(小さい)・ピッコロだ。着いたらビックリするよー」って。彼はこの町で生まれたのではなく、近くの町の出身なんだとか。たった15分、でも私には、途轍もなく長ーい時間に思えた頃、高速道路を下りる。そして、大きな綺麗な家の前に車は止まった。

ドアを開けて出迎えてくれたのは、わー!赤い髪のすごーーーーっく、美人な奥さん。「チャオー!ベン ベヌート!(いらっしゃい!)」と、キスしてくれた。2階にある、私が使わせてもらう部屋に荷物を置いて、キッチンへ。ひゃー!困った。私、彼女が何を言っているのか、さっぱり理解出来ない。ファブリッツィオとは、ちゃんと話が出来たのに・・・。だって、フランチェスカは、私が外国人なの分かってるぅ?っていうほど早口なんだもの(後日、家族と話す時はさらに早口、これでも私のためにゆっくり話してくれていることが判明)。学校に行っている子ども達が帰ってきてから昼食にするので、ちょっと待っていてね、とのこと。

しばらくして、小さな男の子が帰って来た。制服なのかな、水色のチェックの上着を着た男の子。わぁ!かーわいい!!。お母さんが、ご挨拶は?って言うと、ちょっと照れた感じで「チャーオ」。そして、再びお母さんが、キッスは?と言うと、近づいてきて抱き付いてほっぺにキスしてくれた。わぁ!ますます、かーわいい!。お兄ちゃんは、学校で食べてくるということで、ファブリッツィオとフランチェスカ、そして弟のフェデリーコと4人で昼食を食べる。

昼食後、キッチンで私はフランチェスカとおしゃべり。ファブリッツィオとフェデリーコは、居間で何かをしている。ファブリッツィオが大量の風船を膨らませて、床をいっぱいにしちゃった。ん??何が始るの?。フランチェスカもファブリッツィオも、忙しそうにしているし、私は、どうしたものか・・・困ってしまったんだけれど、あぁ、そうだ、いいことを思いついた。ひとりで居間の風船と戯れていたフェデリーコを手招きする。ちょっと警戒(?)しながらも、近づいてきたので、彼へのお土産にと持って来た浴衣を着させてあげる。どうして浴衣なのか、っていうと、「プレゼントを持っていきたいけど、日本のもので何か興味のあるものはありますか?」という手紙を書いたら、7歳の弟のリクエストとして『キモノ』という返事が帰って来たの。小さな男の子の着物を手に入れることが出来なくて、かなり大きなサイズの浴衣になってしまったんだけれど、彼は気に入ってくれたみたい。着せ終わると、「マンマァ!見てぇ!」と、おおはしゃぎ。

お客さんがやって来た。近くに住んでいるフランチェスカの弟だということ。手に何か持っていて、私に、「日本のものだよ」って。フェデリーコが急いで包みを開ける。中から出てきたのは、黄色いオートバイのおもちゃ。ふむふむ、確かに日本のものだ。だって、『HONDA』と書いてあるもの。あぁ、分かった。あの風船といい、このおもちゃといい、もしかして・・・。弟がフェデリーコに、「ハナコには、何をもらったの?」と尋ねる。するとフェデリーコ、大きな声で、「キモノー!」って叫んでた。今日は、フェデリーコのお誕生日なんだね。そんなつもりは全くなかったんだけれど、お土産を用意してきていて良かった。

フランチェスカの弟がいろいろと話しをしてくれる。良かった、彼は比較的ゆっくり話してくれるぞー。何を言っているか理解出来るもの。それにしても似ていない姉弟。彼が説明をしてくれる。「僕の目は茶色いけど、姉の目は青いだろ。彼女の息子達も同じで、フェデリーコは茶色いけど、お兄ちゃんのロレンツォの目は青い」。へー、面白いねぇ。確かに、お父さんファブリッツィオの目は茶色いけれど。フェデリーコも何か言いに来たけれど、何を言ってるんだかさっぱり分からないぃー。私が凍り付いていると、それに気がついたのか彼が、「君には、フェデリーコが何を言っているか分からないだろう。僕にも分からないんだァ!わっはっはー!」と、とっても理解しやすい冗談を言ってくれた。フランチェスカといい、この弟といい、本当によくしゃべる明るい人だねぇ。確かに、フェデリーコは、歯が生え変わるお年頃のようで、前歯がなくて、何を話しているか聞き取りにくい。お母さんが言うには、鼻が少し悪いんだって。だから、よく注意をするんだけれども、ふにゃふにゃしゃべる癖が治らない、って。

コーヒーを飲みながら、そんな話を交わしていると、お兄ちゃんが帰って来た!。本当だ!目は青い。肌の色も白くて(これはお母さん似。フェデリーコはお父さん似で色が黒い)、かわいらしい顔立ちの男の子。しかし、それにしても、12歳だと聞いていたのに、デカイ。私よりも、でっかい!。ロレンツォが帰ってきてから、続々とお客様がやって来る。誕生日プレゼントを手にした、子ども達。小さい町だからなのか、友達も年齢がバラバラ。ロレンツォとフェデリーコの間の年頃の子ばかりがやって来る。まさか、1学年5人、とかの小ささじゃないよねぇ・・・。

そうそう、私、ロレンツォにもお土産を持ってきてたんだ。手紙によると、ロレンツォはポケモンが好き、とのこと。ポケモンのカードを渡すと、わぁ!と歓声を上げて、友達も集まってきた。そして、彼は、ポケットから大量の、8センチ位あるイタリア語のポケモンカードの束を出して見せてくれた。本当に、好きなんだねぇ・・・。日本語が書いてあるー!と、皆で大騒ぎ。ロレンツォが代表して、私に質問を。「これは何ていう名前?」。私、ポケモンのキャラクターは、全く知らないんだけれど、名前なら教えてあげられる。カードに書いてある日本語を読んであげる。「イタリア語では何て言うの?」。え?そ、それは、知らない・・・。

記念写真に私も寄せてもらった後、帽子を被った小さな男の子がロレンツォと一緒に近づいて来た。青い目に明るい色の髪のとっても可愛いらしい男の子。ロレンツォが、中学1年生だから・・・彼は小学校の3年生か4年生くらい?。フェデリーコとロレンツォのちょうど間くらいだね。彼は食べているチョコレートを私に見せ、ロレンツォが私に何かを言う。「これは日本のもの?」と言ったように思えたので、「ノー」と答える(後になってよく考えると「日本にもある?」だったのかも。こっちの質問の方がしっくりくるし)。すると、帽子の男の子は、齧りかけのチョコレートを私の手に乗せてくれた。え?「くれるの?」と聞くと、「食べて」って。食べると、「美味しい?」とのこと。「シー(イエス)」と答えると、満足したのか、ニコっと微笑んで去って行った。わぁ、この子、本当に可愛い・・・。

パニーノとピッツァ、お菓子にジュース。そしてフランチェスカお手製のケーキを食べて、子ども達はそれぞれの家へと帰って行った。そして、これから1年間、ここが私の家。ホストファミリーは本当に親切な人達だし、子ども達は可愛いし。イタリア語をもっとしっかりと勉強しておくんだった・・・という、出発直前の私の後悔も吹き飛んじゃった!?。チャオ、イタリア、1年間よろしくね。


後日・・・。正確には、私が学校で授業を始めてから。

フェデリーコの誕生日パーティーに来ていた、ロレンツォとフェデリーコの間の年だと私が思っていた子ども達。彼達は皆、ロレンツォの友達、同級生だということが判明。リカルドなんて、あんなに小さいのに、ロレンツォより1つ年上だった。・・・・というか、ロレンツォ、君が大きすぎるんだよね。