Forli'−タイトル
 


チェーザレ・ボルジア という名前をお聞きになったことがありますでしょうか?

『チェーザレ・ボルジア』という名前に聞き覚えがなくても、『マキアヴェッリ』『君主論』といえば、(名前だけでも)ご存知ですよね。『君主論』の中でマキアヴェッリが『この土地の救済のために、さる人物が、ついに神によって差し向けられたか、と思わせられたこともあった』と理想の『君主』として書いた人物がチェーザレ・ボルジアです。塩野七生さんの小説を読んで以来、すっかり彼に魅せられた私は、その作品の中に名前が出てくる町に行きたくてたまらなくなってしまったのでした。チェーザレ・ボルジアに関する詳しい記述は、別の機会に回すとしまして(あるのか?そんな機会!?)、この町フォルリの紹介を。

ローマ法王を父に持ち、軍隊を率いイタリアの統一という野望を胸に抱いたチェーザレは、1499年11月、ローマ法王領であるイーモラ、フォルリへと向かいます。2つの町を征服した後は、チェゼーナ、リミニ、ペーザロ、ファエンツァの町を次々と征服。
というわけで、これらの町のうち、行けるところに行けるだけ行きたい!というのが、今回の私の野望であります。しかし、どこをとっても、名前を聞いたこともないような小さな町。神戸の書店で、あるだけのガイドブックをめくったけれど、紹介はおろか、地図への記載もなくて・・・。どうやって行こう・・・と、悩んでいた時、1冊の本を発見しました。トーマス・クックの時刻表です。イタリアの部分を見ると、どうやら電車は走っている模様。イーモラ、フォルリ、チェゼーナ等の駅名も書いてあります。電車が走っているとなれば、もう、こっちのものですね。後は、イタリアに着いてからどうにかなるでしょう。
ということで、ボローニャより電車に乗り、フォルリへと無事にやってくることが出来ました。ここは、『イタリアの女傑』と称される、カテリーナ・スフォルツァが治めていた町。1ヶ月近くに及ぶ篭城戦の結果、チェーザレの手に落ちたのでした。
フォルリの小さな小さな駅で電車を降り、「Centro チェントロ(町の中心)」への行き方を尋ねましたが、要領を得ず。バスがあるような気もするけど、とりあえず言われたとおりに歩いてみることに。ガイドブックも地図も持っていない町に着くと、まずチェントロへの行き方を尋ねるのですが、この質問、あまり要領を得ません。どう考えても、町外れにある駅なのに、「チェントロ?それなら、ここだ!」なんていう返事が返ってくるんです。次からは、「ドゥオモ(大聖堂)はどこだ?」って聞いてみようと思います。だって、ドゥオモはたいてい町の中心にありますものね。まだ、試していないのですが、機会がありましたら、ぜひ結果をご報告させていただきます。

とにかく、かなり遠回りをしたような気がしますが、なんとか町の中心らしき広場に到着しました。しかし、よく考えると私が行きたいのは、15世紀に戦いのあったところ。こんな広場に着いたって・・・。広場でヒマそうに止まっているタクシーに声をかけてみることにしました。実は、駅から広場へ来る途中、『Rocca Ravardino』という標識を見つけていたのです。ガイドブック代わりに、日本を発ってからずっと読んでいる塩野七生著『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』によると、カテリーナ・スフォルツァが篭っていたのは、まさしくここ『ラヴァルディーノの城塞』であります。城塞というからには、きっと町外れにあるんだろう。地図もないから徒歩じゃ行けないに違いがない。と、諦めかけていたのですが、せっかくここまでやって来たんですもの。タクシーのお世話になってでも、行ってみようじゃないですか!。とは、いっても、やはり、金銭面に不安が・・・。
『Rocca Ravardino』に行ってもらえるか?と、タクシー運転手に尋ねてみます。すると、「15分位かかり、往復で3万リラ」だと。本当に『往復』で3万リラなのか、城塞を見ている間、待っていてくれるか、もう一度確認した後で、乗せてもらうことにします。ところが、発車して1分もたたないうちに、「どこに行きたいんだ?Rocca Ravardinoか?Castello Ravardinoか?」と運転手さん。Roccaは城塞。Castelloはお城。お城があるのなら・・・と、「じゃぁCastello Ravardinoに・・・」と呟くと、3回ほど曲がって、ココだよって。5分とかかりませんでした。「道は分かったね。帰りは歩いて帰っておいで。」だって(笑)。金額は、8,500リラ。親切な運転手さんでした。城塞とお城なら、お城のほうが見てみたいですよね。

降りしなに「カテリーナ・スフォルツァのお城だよ」と教えてくれて・・・。そうなんです。そうなんですよ!運転手さん!これが見たくて、日本からわざわざやって来たのだから・・・。
フォルリの町に着ければラッキーなんて思いで来たのに、お城まで来ることが出来て本当に感激でした。『ラヴァルディーノの城塞』というからには、町から外れたところにあって、一人では到底行けないだろうと、日本にいた時から諦めていたんです。

ちょっぴり興奮しながら(笑)、まずは、周りをぐるりと一周してみます。住宅に囲まれた場所にあるため、イメージが沸かないといえばそれまでですが、石積みの壁を見ているだけで思いは・・・。お城の中に入れるかな?という期待を持って行ったのですが、フェンスに鍵がかかっているし、さっきから屋根の上に、ライフルらしきものを持っているように見える人がウロウロ警備しているのが見えるような気がするんですけど・・・。何が何だか分からないけど(後で分かりました。現在は、刑務所なんですって。納得。)、昔は堀であったであろう、芝生の上に降りて、壁を触ったりして楽しんでました(←おバカ?結構、本気で楽しかったんですけど・・・)。
堀の中で、犬を散歩させているオジさんがいたので、降りられるんだぁと、私も降りて行ったのですが、下から見ると、結構な急斜面。堀ですからね。登れないんじゃないかと、真っ青になってしまいました(←これは、本当のおバカ)。結局、転んで手首を葉っぱで切ったものの、無事よじ登って帰ることが出来ました。でも、その葉っぱで切った部分が、腫れてきちゃって。翌日には治りましたが、少しビビっちゃいました(笑)。
ここまで、読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。きっと、何の事だかさっぱり分からなかったことでしょう(笑)。私にもう少し、文章力があれば・・・(涙)。申し訳ない限りです。おまけに写真もこんなのばっかりだし(笑)
それで、ですね。もし、万が一、何の事だか分からないけど、ちょっと興味あるなぁなんて思ってくださいましたら、ぜひ次の本の1冊でも、手にとっていただけますと、嬉しく思います。他にも数多く出ているのでしょうが、私が現在に至るまでに、読んだものはこれだけです。まだまだ勉強不足です。頑張らなくっちゃ。それと、もっともっとイタリア語も。
チェーザレ・ボルジアってどんな人?と少しでも思ってくださった方に
一応、頑張って読むぞぉ!という野望のもと、イタリア語で書かれた『君主論』を、調子に乗って、向こう見ずにも買ってきたのですが、さっぱりです(涙)。

1999.07


 

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