構造主義


この考え方は新古典派よりも古く、そのルーツは植民地主義・帝国主義にまでさかのぼることができよう。(そういってしまえば、新古典派のルーツはアダムスミスだからもっと古いのだけど)世界経済においてすべての国は同様の発展をするものではない、とするのがポイントであると思われる。そもそも途上国、という呼び方の裏には、「どの国も同様の発展・開発がなされるものだ」という単線的発展段階説が暗黙のうちに存在する。簡単にいえば、アフリカの小国もいずれはアメリカのような豊かな国になれる、という甘い考えである。構造主義はそれを、パワーの観点から否定する。つまり、経済的に強い国は、弱い国を搾取もしくは圧迫し、弱小国の成長を抑制すると考えるのである。したがってここでは途上国とは呼ばれずに、(中核国に対する)周辺国などと呼ばれることが多い。

 

この構造主義の主張は新古典派よりも古く戦後すぐの途上国において実践された。すなわち、中核国の企業によって域内産業の芽が摘み取られるのを危惧した政府によって貿易の規制がかけられ、域内経済は国際経済とは切り離された環境で成長するように仕向けられたのである。(これは一般に「輸入代替開発」と呼ばれる。)が、これはしばらくするうちに内在する問題点が浮き彫りになり、徐々につぎの戦略に道を譲っていくことになる。

 

この構造主義をわかりやすくいうと下記のようになるんじゃないだろうか。

いじめられっこの言い分

「おかねがない。せっかくもらったおこづかいも、せっせと貯めたバイト代もみーんな、悪ガキどもにカツアゲされてなくなっちゃったし。これじゃ貯金がたまるメドなんてたたないや。だれかあの悪ガキどもを取り締まってほしい」

いじめっこの言い分

「へへへ。うるさいポリもいないし、ここではやりたいほうだいだ。カモもそこらにうじゃうじゃいるし、カツアゲしほうだいだ。まあ稼ぎが少ないのは不満だけど、我慢するか。」

 

そしていじめられっこは、家の外に出なくなった。家のなかでこづかいを貯めることにしたのである。代わりに、バイトにいかなくなったので、その分の稼ぎは減ったのだが。

なお、構造主義の名前の由来は、その主張する開発において、発達段階が構造的に前進していく、という考えに基づいている。

ここで簡単に説明すると、

 

第一段階:生活消費財の生産

第二段階:中間財と資本投資の充実

第三段階:資本財の生産

という構造になっているので、この構造および順序を乱す自由競争は途上国に持ち込むべきではない、というのが構造主義の主張であった。

しかしその主張も、これら3ステージを同時に取り込んだ東アジア諸国の政策の実現によって否定されてしまった。



英国居酒屋

経済学の部屋