日本史の学び方


中学、高校時代、日本史で苦労した人というのは結構多いのではないだろうか。今回は、なぜ日本史というものがつまらなく、そんで味気ないかを探ってみることにする。加えて、日本史の正しい理解の仕方を提案してみようと思う。

 

まず、日本史に対するネガティブな意見の大半は「年代を覚えるのがめんどくさい」「いちいち漢字でややこしい名前を覚えられない」「藤原氏多すぎ」といったようなものだろう。明治以降の近代の歴史に言及すれば、はっきりいって一つ一つの歴史的事件を覚え、首相の名前を順序良く漢字で書くなど大変な作業だ。実をいうと、僕は日本史で高校に教育実習に行ったことがある。そのときの生徒の反応もそんなようなものだった。

ここで一つ言いたい。まず、大学受験の日本史に関していえば、あれは「いかに記憶力がいいか」「いかに覚える努力をしたか」という点をチェックするだけの試験であって、ほとんどの場合、日本史理解の要点を抑えた問題作りにはなっていないということが言える。慶応・早稲田・京大の日本史の過去問を本屋さんで立ち読みしてもらえばいいが、ほとんど「数字」か「単語」を記入するタイプの問題ばかりだ。しかも重箱のスミをつつくような出題である。教科書にも名前が出てこないような傍系の藤原氏の名前など書けるわけがない。こんな問題を入試に出すから、受験重視の高校では「記憶力」に頼った日本史の授業しか展開できないのである。唯一、日本史の正しい理解を前提にした入試問題を出しているのは東大だけである。その意味では、東大の問題が一番素直だということだ。それに、基本に忠実で、重箱のスミなど覚えなくてもいい。東大では日本史は4問しか問題がない。しかしそれぞれは記述式で、「なぜ〜したのか」「この事件が後に与えた影響はどのようなものか」「このグラフから何がいえるか」といった形式の問題になっている。

つまり、受験対策の日本史の勉強としても二種類あるといえよう。一つは、記憶力に頼った勉強方法。そしてもうひとつが内容理解に勉めた勉強。前者は、ただひたすら覚えた量が、点数に直結するのである意味楽ではあるだろうが、人間、無味乾燥な事柄を闇雲に覚えていくのは限界がある。そして後者は、暗記する必要はないが、自分の中で歴史事象を消化して納得する必要がある。それは、暗記のような単純作業ではないから、当然過程は比較的大変なものではある。

暗記作業の方法はさておき、以下では歴史事象の効果的な内容理解の方法を考えてみたい。まず、歴史は人間が作るものだという前提にたつ。これは、例え自然現象が起こったとしても、それが与える影響には必ず人間社会が関与するものだということ。例えば、浅間山が噴火して飢饉が起きた。あるいは冷害で東北地方が大飢饉に見舞われた。コメが豊作でコメの値段が下がった。このような時点ではまだ自然現象の範囲内だが、それが一揆を誘発した。あるいは政策に転換が生じた。コメの価値を維持するために諸策が講じられた。となると、それは人間社会が関与した歴史事象になる。すなわち、例え自然現象が根っこにあったとしても、ほとんどすべての歴史的事象にはそれなりの人為的な理由や影響が関与しているのである。

では、歴史を学ぶ上では何が要点になっているのか。それは主に二つの要素から成り立つ。すなわち、「権力」と「カネ」である。おそらくほとんどすべての歴史事象はこの二つを巡る行為で説明できよう。もちろんこの二つは相互補完関係でもある。権力があれば、カネを得る方策を作ることができるし、カネを大量に抱えていれば、権力を得ることができる。そして、実は文化史もこの二つで説明できるのである。文化というものはカネがなければ発生しない。つまり文化があるところにカネと権力が集中していたと考えることも可能なのである。江戸時代前期には大坂で元禄文化が生まれた。これは大坂商人を中心にカネがあったからである。江戸時代後期に江戸で文化が花開いたのも、江戸に経済の中心がうつってきたからに他ならない。もっと古い事例でいえば、鎌倉時代には鎌倉と平安京の二つに文化が生じた。しかし、実際は平安京の方が数段も上だったのである。これは、鎌倉幕府が実は武家政権といえども平安京に比べて極めて脆弱な政権であり、源頼朝自身、かなり貴族へのあこがれを持ち、なにより荘園でカネを作っていたことを裏付けるものである。したがって、鎌倉幕府の成立をもって武家政権の確固とした確立と考えるのは実は間違いなのだ。同様に、権力を中心に歴史を捉えていくと、天皇家内の様々な陰謀、謀殺、クーデターや藤原一族の内紛、宗教を背景とした経済的バックアップの理由も簡単に理解することができる。例えば聖徳太子が作ったとされる「冠位十二階の制」は、貴族秩序を成文化して、「王位簒奪」を予防し、権力を守るために作られたものと理解することができる。事実、この法律に関しての事実上の考案者、蘇我馬子は自らをこの十二階の一番上にも組みこんでいない。これは「絶対的な権威」を守るためには、秩序づけはむしろマイナスだったからである。

具体例が多くなってすまないが、「権力」と「カネ」を巡る攻防、そしてそれを守るための権謀術数によって歴史は作られているのである。

これを現代にあてはめても同様のことがいえる。日本国内を見た場合、今の日本の文化を形成しているのは、一部の華族、財閥、軍閥ではない。中流の一般家庭である。しかも、オジサンではなく、その子供たちが高度の文化を形成している。これは「カネ」がそこにあることを示す。さすがに権力は民主主義の徹底のために分散化してしまっているが、途上国に目を向ければ、一部の王族、金持ち一族が利権を守るために様々な謀略を巡らしている事実には枚挙に暇がない。

このように、歴史は「権力構造」と「カネ」を巡って作られていくのである。これを無視した受験勉強は、もはや日本史の正しい理解を損ね、ただの記憶力競争になりさがってしまうのである。



英国居酒屋

経済学の部屋