なぜ企業は女性を採らないのか?


はじめにお断りしておくが、僕は、男女差別はしない主義である。いや、むしろこれまでの過去を振り返ってみても、女の子に振り回されるほうが多かった(涙)。ボランティアの活動にしても、ゼミにしても、「恋愛は格闘技だ!」にしても、バイト先にしても、常に女性に使われていたのが現実である。おそらく、それはウチの師匠同様、星座によって運命づけられたことなのかもしれない。ああ、もしかしたら僕も、嫁さんに頭のあがらない夫になってしまうのだろうか?

さて、今回は、女性差別問題を取り上げる。しかし、経済学のなかのさらに企業経営といった視点からのみの考察である。社会学的アプローチや、歴史的なアプローチをすれば、もっと違う見方や意見があるはずであるが、それは守備範囲を超えるものとして捨象する。従って、極めて一面的な説明であることをあらかじめ了承していただきたい。

男女雇用均等法というのがある。これは、欧米にならって雇用に関する男女間の差を解消しようとする法律だ。特に、イギリスの男女差別撤廃運動はかなり徹底的に行われており、面接時の質問や企業内の女性向け施設などに関しても、条例で最低限の枠組みが決められている。

翻って日本では、あまり女性の社会進出は活発ではない。かつてに比べればもちろん多くの女性が社会で活躍しているのだが、それでも欧米に比べればまだまだといったところだろう。この差はどこから生まれるのだろうか。上野ナントカさんとかタジマなんとかさんに言わせれば、「オトコによって不当に搾取されている」から、となるんだろうが、それはいささか被害妄想のような気もする。地方の旧態依然とした習慣のもとではそれもいえるだろうが、都市圏での欧米化された生活の中ではあまり説得力を持たないと思われる。以下、企業の組織構造とともに、それを説明していこうと思う。

まず、企業の本質は「利益追求」にあることは一般的な認識として正しいだろう。これは、「社会的役割」よりも優先される、というのが重要なポイントだ。もし「社会的役割」が「利益追求」に先んずるとするならば、コスト度外視および損覚悟で経営を行う、ということになる。従って、利益追求活動が企業の本質と前提する。

日本の企業の特質は、「終身雇用」と「

On the Job Training(OJT)」、「年功序列」がその主なもののうちのいくつかとしてあげられよう。これら以外にももちろん複雑に絡み合って相互補完しているファクターもあるのだが、今回の説明に使用するのはこの三つである。

新卒で採用された社員は、ある程度の長期間に渡ってOJTを通して社内教育を受ける。これが前提となって、「勤続期間が長ければ長いほど教育を受けている」⇒「年功序列」となるのだ。しかも、社内教育は、企業の独自文化を受け継ぐことでもあるので、それぞれの企業によって異なっている。従って、ある企業で受けた社内教育は、その企業に対してのみ強みを持つことになる。言いかえれば、他の企業で社内教育を受けた場合は、異なった教育を受けたものとして、ある程度の再教育を必要としてしまうのだ。(専門技術職を除く)

そして、重要なことは、これら社内教育が多額のコストを要するということだ。新入社員でも初任給は

20数万前後を受け取るのが一般的だが、はっきりいって、それほどの価値生産は彼らには不可能である。しかも、度重なる研修や福利厚生などを考慮すると、「教育を完了していない社員」に対しては赤字といってもよい。彼らがトータルで利益をあげていくようになるには、少なくとも数年間は必要なのである。企業にとってみれば、新卒採用は、最低数年間〜十数年間の勤続を前提としてもらわなければ採算が取れないのである。

ここで、女性社員のもつ特性について考えてみる。言うまでもなくそれは「寿退社」と「出産」の可能性であろう。(今回は飽くまで企業経営の視点からモノを考えているので、女性の社会的役割の重要性については触れない)これらの可能性というのは、コスト高の社内教育を考えた場合、非常にリスクの高いものなのである。特に、年齢を考えても、採算をとれるようになる以前に会社を辞めてしまう女性が非常に多い。これはいくら入社時に確認してみたところで、確実なものとはなりえない。もし、英語研修や、海外研修など「価値生産を伴わない純粋な教育」のみを受けた時点で辞職されてしまえば、赤字だけを生み出しただけに終わってしまうのだ。

欧米では、社内教育は重要ではない。それまでどこの大学院で勉強したか、あるいはどれだけの技術を手に持っているか、そういった背景で雇用が決定される。加えて、中途採用が広く普及していることから、企業文化の独自性が比較的薄く、どこの企業でも簡単に仕事に順応できる、という特性がある。これらは、育児が終わった女性には最適の環境だろう。

翻って日本を見た場合、育児休暇で3年ほどのブランクを空けた女性に対しては、その3年間分の再教育をする必要が生じる。これは再びコストがかかることになるので、価値生産開始がそれだけ先に延びるということを示す。もちろん、技術職に関しては比較的早くに復帰することが可能だろうが、それでも企業文化に馴染むには相応の時間が必要になる。

結論をいってしまえば、長期的企業経営に主眼を置く日本的経営の場合、将来的に活躍する人材であるかどうかの保証がされない女性は、採用するにあたってリスクがあるということだろう。

もしあなたが企業経営者だったとしよう。そして二人の、同程度の才能を見込める人材があったとする。しかし片方は、もしかしたら「辞職するかもしれない可能性がある」としたら、やはり、「辞職しなさそうな方」を採ってしまうのは仕方のないことなのではないだろうか。これは「男性だから」とか「女性だから」という差別ではなく、「長期勤続が見込めるかどうか」という基準にたった差別であると解釈するのが妥当だろう。従って、もし男性であっても「ボク、もしかしたらそのうち辞職して、独立するかもしれません」などと発言すれば、女性同様の劣位性を持つことになるのである。

これらの話は、しかし、冒頭でも説明した通り、「終身雇用」「OJT」「年功序列」を前提としたモデルである。これらが欧米式に中途採用が広く普及するような企業環境に変わっていけば、自ずと女性への門戸も開かれていくと思われる。個人的には、「より有効な人材活用」という側面からすれば、有能な女性を登用しないのは最終的には競争力を削ることにつながると思っている。なんせ、世界の半分は女性なのだ。ダメ人間と化した男性よりもより新鮮なアイデアをもって、企業に貢献しうることは必至であろう。



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