言い訳


とうちゃん、かあちゃん、就職もしないで学生続けててごめんよ。留学用の奨学金をとったといっても、全部で

240万円くらいしかないもんな。180万円の学費払って、月5万弱の寮費払って、教科書を買ってたらすぐになくなっちゃう金額だから、あとはあなたたちに頼ることになる。イギリスの物価は高いからね。日本で250円程度のサンドイッチが2ポンド、つまり400円だ。文房具も何もかも日本の1.5倍以上はするんだ。元は取り返せるほどの収穫はあると思うけど。

しかも、帰国後にもまだ就職せずに学生続けるつもりなんだ。ごめんよ。今回は、そんな僕の言い訳を書いてみたいと思う。

 

終身雇用の原則は壊れつつある。いまや中途再就職は珍しくないどころか、一回くらいはすべての人が経験するようになるだろう。ヘッドハンティングならまだいい。あれは従来の勤務先での業績を評価するものだから、持っている肩書きに捕らわれた人物評価ではないからだ。しかし、もし上司との軋轢やリストラで懲戒免職になったときは、裸の自分で勝負しなくてはいけない。そういうとき、業績的背景とともに、学問的背景が問われることになる。このことは、そもそも終身雇用制度がなかった西欧では当たり前のようにおこなわれてきている。別に必ずしも西欧化しなくてはいけないなどと明治期日本人のようなことは言わないが、グローバルな企業展開は、必ず世界的スタンダードの構築を必要とする。つまり、西欧方式の就職システムでも、従来の日本式終身雇用でもどちらでも世界標準に成りうる可能性はあったのだが、今のところ流れは西欧的システムであろう。その意味では、西欧の就職形態を参考にするのは当然のことである。

ここで、西欧式の就職システムを簡単に紹介したいと思う。まず、学問への道は就職してからも開かれている。日本のように学部卒業をもって学問と切り離されることなく、就職後

2年間くらい貯金して留学に備える、あるいは大学院に入学する、という人が多い。大学院側もそういった社会人入学によって実務経験を学問に取り込むことを望んでいる。翻って日本では、慶応のSFC、京都大学の人間環境研究科など少数を除いてほとんどの大学院は社会人に対して開かれた門とはいえない。それは、学問が仕事に与える効果が高く評価されていないことと、学問と仕事の両立が不可能であることに由来する。西欧では、学問的なバックグラウンドをもとに採用を決定するのである。日本のように会社への忠誠心や人物評価に頼った評価ではない。だから、学問的背景が注目に値するものなら、中途再就職は非常に有利になる。事実、修士号取得者や博士号取得者が実業界で活躍しているのだ。しかも、一流企業の最高責任経営者は、いくつもの企業を転々と変遷しているのである。

 

僕は、博士号を取得した後に、就職したいと思っている。きっと“いま現在”の人たちからすれば、「博士号をとったら研究者の道しかない」と思われてしまうだろうが、僕が

50歳になったときは、博士号取得者が実業界で活躍する日本であるように思う。もしそうでなくてもかまわない。少なくとも確実なのは「普通の人」であることは、もはやいいことでも美しいことでもない、ということだ。つまり、「他人と違う部分」をアピールすることが今後魅力とされるに違いないと考えている。もちろん「何でも屋」ではなくて「特定分野のスペシャリスト」になるわけだから選択肢も少なくなるとは思うが、“はまった職種”にはすんなり潜り込めるだろう。博士号を持っている人に向いている仕事、という分野もあるに違いない。

 

おそらく、

80年前には大学そのものに行く人なんて「学士様」と言われたように、研究者志向の人しかいなかったはずである。そして30年前には理系ですら大学院まで進む人はごくわずかで、学部卒即就職がほとんどだったはずだ。しかしそのどちらも、時が経つにつれ、実業界で活躍する人が多くなっていった。今や理系は大学院卒が当たり前の時代である。それと同様に、今後終身雇用が衰退して、相対的に学問的背景が重要視されるようになるならば、文系でも修士号は当たり前のようになるはずである。事実、一部の商社銀行ではMBAの取得を奨励している。

 

そして僕はさらにその先をいく。



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