企業資源計画と生産連鎖最適化


今回の話はちょっとわき道。新古典派も構造主義も開発主義も忘れて、純粋な企業経営/経営革新について説明したいと思う。

そもそもトヨタがその経済規模の相対的小ささにも関わらず、フォードに代わって自動車産業内の確固とした地位を築いたのは、そのカンバン方式であるという考えが多い。もちろんそれだけではなく自生的技術革新の条件やいわゆる日本的経営のメリットが効果的に働いたことにも多くの理由が求められるが、純粋な生産システムだけを見た場合でも、トヨタが採用したカンバン方式には多くの強みがある。それはアメリカのMITによって「リーンシステム」と命名された。これは即ち、在庫ゼロと多品種少量生産の二つを同時に満たす生産方式で、簡単に言ってしまえば「必要な時に必要なモノ」をそろえていこうとする生産体系のことである。下請企業に特定の時間と部品の種類・数量を看板によって伝え、ムダな在庫を無くそうとしたのである。これによって少品種大量生産の持つ硬直的な生産システムから脱却し、消費者ニーズに迅速に対応することが可能となったのだ。事実、開発期間にしても車種にしてもフォードのもつ大量生産方式はトヨタの看板方式には及ばないのである。唯一勝ることがあるとすれば、同一車種を「規模の経済」によって効果的に生産することのみである。しかしこれは市場が飽和し、代替需要しか見込めなくなった現代では望みの薄い優位性に過ぎない。

ではトヨタシステムの次には何がくるのか。一部では「変種変量生産体制」というものが提唱されてはいるが、具体的にどういったシステムであるのかは実証されていない。個人的な感想からすると、大規模生産と小規模生産は対極に位置するものであって、「変量」というように柔軟的に規模の経済を実現したりやめたりというのはできないと思われる。それはつまり工場や生産ラインの物理的な巨大化・矮小化を任意に行うことを意味するからである。あるいは外部発注を用いての生産量コントロールだとしても、それは特許のかたまりのような自動車には向かない生産システムである。なぜなら外部発注は技術・知識の普遍性・共有を前提にしているからであり、それは同時に競争力優位が特許や独自的生産ラインに依存しないこと意味するからである。自動車産業においては企業それぞれが企業秘密的な要素を多分に持っていて、それは外部には依存できないものであることがほとんどである。

「少品種大量」でも「変種変量」でもないとすると、では次には何がくるのか。やはり「少品種大量生産」であることが推定される。市場が一度飽和してしまうと次にあるのは代替需要であり、それはほとんどの場合、商品の差別化が図られる。市場が飽和する以前であれば、「作れば売れる」のであって、差別化を強く意識しなくても物理的・機械的な生産力が競争力優位に繋がったのだが、代替需要の場合は別のところに競争力優位が存在する。すなわちコストパフォーマンスであったり、オプションの種類であったりするのである。それは、「自動車が欲しい」という根本的需要はすでに満たされているので、次には「隣の人のヤツよりもいいやつが欲しい」とか「サンルーフが欲しい」とかそういった「追加的需要」が加わるからである。そしてその追加的需要というのは単一化することが難しく、強いていうなら多様なニーズとしか表現ができないものである。したがって大量生産システムが復活することは望めない。そして既述の理由によって変種変量というのも不可能であろう。

少品種大量生産が引き続き存続するとしても、その規模は拡大の向かうと考えられる。実はそのトヨタシステム自体も一工場、あるいは生産部門のみにおいて実現されていたものであり、日本のあらゆる企業においてあらゆる部門において採用されていたものではない。そこで、このトヨタシステムの持つ「資源の最適化」というものを経営全体について適応させてみたいと思う。

ここでもう一度トヨタシステムの持つファクターを再確認しよう。

  1. 資源の種類と量を的確な時間に最適化すること。
  2. そのために生産ラインの上流と下流の距離が近く、常に連絡が密になっている。
  3. 情報と技術、目的意識の共有が最適化に貢献している。

一方で、企業経営というものを情報と生産の流通の点から見てみる。

@.市場情報は現場から支店に入り、そこから遡って本社の経営陣に伝わる。そしてその決定がR&D戦略を左右し、生産ラインはその開発を受けて稼動する。生産物はフィードバックとは逆の流れで市場に入っていく。

A.生産ラインに関してはダウンサイジング、基幹業務への特化などによって外部発注が多くなっていて、上流(資源輸入)から下流(販売)まで他企業と連携しながらのビジネスである。

B.情報と技術、目的意識は他企業であるがゆえに共有化は難しい。

以上のそれぞれの3つを比較してみると、生産ラインでは可能であることも企業活動全体については適応が難しいことがわかる。理論上は可能であっても現時点で適応されているか、といえばそうではない。そこでトヨタシステムの経営への適応を試みることには、経営自体の最適化を図るという意味でかなりの経営改善が見込まれるだろう。

では以下で、いかに経営を最適化していくかを検証してみる。

企業の活動は複雑化し、一企業内に複数のセクションが存在するのが普通となっている。そしてセクションごとに特化された情報を独自の手法で管理するのが従来一般的であった方法で、情報システム・データベースの共有化は図られていなかった。ここに一つ、潜在的な弊害が存在する。それは、特化された情報であっても別の部署には有用であることが多い、という点である。地方の販売点にある顧客リストにある情報と生産ラインにある工場のコンピュータは一見無関係であるが、実は従来でもその間を支店・本社が介在しつつ結んでいるのであり、顧客ニーズが生産ラインを決定している側面も存在するのだ。他の例でいえば、市場競争が過熱化している分野には相応の人材が必要であり、それへの戦略にはマーケット情報と人事情報の二つを同時に必要とする。このように一見無関係な部所間でも情報の共有は必要であり、経営活動全体を包括する情報のデータベースの存在が重要になってくる。これの有無は最適化過程の短縮を意味するからである。間にいくつものフィルターをはさんでしまうと、最適化の遅延や情報の欠落は免れないのだ。

生産ラインにおいても同様のことがいえる。資源段階から流通・販売までをひとつの情報データベースで包括することは、生産量・生産物・流通などの最適化を短縮し、効果的な最適化を実現することにつながる。しかし問題は生産に関連する企業は他企業であるので、上流と下流の距離を密にすることには自ずと限界がある。グループ企業であればある程度の共有意識・情報の共有化は期待できるが、踏み込んだ部分までの情報の共有には疑問が残る。もしそれを実現しようとすれば、自動車企業とその下請企業の関係のように、ほとんど1対1の契約にならざるをえない。唯一解決の可能性を持つのは、その生産ラインを資源から販売まで担当するコーディネーター企業の存在であろうか。他の企業活動は一切せず、その生産物に対してのみ存在意義をもつ企業を共同出資で誕生させてしまうのだ。もちろんそこにも将来における処理の問題とかあるが。

現在欧米で流行っているサプライ・チェーン・マネジメント(SCM)は、Enterprise Resource Planning (ERP)のなかでも最も期待されている最適化部門である。これはまさに上記で記したトヨタシステムの生産部門全体への適応なのだが、多くの場合、企業間の文化的差異、目的意識の違いを無視したものになっている。たしかに生産ラインでの上流情報と下流情報を結合させることは最適化の迅速化、顧客ニーズ満足の向上などメリットを多く生むが、何をよりどころにライン上の企業が終結するのか。その分部についての解答がいまだにないところが今後の課題になるだろう。

たとえば、トヨタの例でいえば、本社であるトヨタを中心に生産の上流からは数次下までの下請会社が連なり、そして下流の販売のほうには、トヨタの各系列販売会社が連なっている。SCMの場合、どこにその重心をおくのかという重要なポイントについてなにも触れられていない。トヨタの場合、重心以外の周辺部分にかなりのしわ寄せが来ていることは周知の事実である。すなわち、本社機能の柔軟性をもとめるために、下請会社がそれに応じる柔軟性を見せねばならず、それは頻繁な工具交換や、二次下請への圧力へと波及していくのだ。これをそのままSCMにあてはめた場合、最終的には遊休施設の量的操作をいかに柔軟性をもってこなすかがポイントとなる。極端な話、数次下請への発注をゼロから100のあいだで振幅させうることができるのならSCMにも未来はあるだろう。



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