開発経済学の今日までの流れ


1940年代後半〜60年代前半に主流だった所期開発経済学は、「構造主義」ということばに集約できる考えを共有していた。この考え方によると、途上国の経済は先進工業国の経済とは構造的に異なっており、その結果豊かな「北」の諸国と貧しい「南」の諸国との経済格差はますます増大する。特に、先進諸国との貿易はますます途上国を不利にするという貿易悲観論が一般化された。そして、途上国では市場機能は働かない、という前提のもとに、「万能な政府」が期待された。

1960年代後半になると構造主義に対するさまざまな批判が提出されるようになり、開発経済学のパラダイムは大きく転換した。1960年代後半以降の開発経済学は類型化すると、新古典派アプローチ、改良主義、新マルクス的従属論の3つの潮流に分裂した。、その中から新古典派アプローチがあらたに主流派として塚わっるようになった。改良主義は新古典派アプローチを補完する支流として位置づけられ、新マルクス的従属論は開発経済学に敵対する「異端派」として冷眼視されるに至った。

新古典派アプローチは、構造主義を徹底的に批判する中から形成されたものである。新古典派アプローチは、途上国でも先進国同様に市場は機能し、また途上国の開発が失敗した、あるいはゆがんでしまった主な原因は途上国政府による過度の介入にあると論じた。すなわち、彼らは「万能な政府」ではなく「万能の市場」を期待し、政府の失敗を市場の失敗よりも深刻なものとして考えたのである。従って、より小さい政府像が理想的とされた。そして貿易自由化が最適な戦略であると唱えられた。

しかし、1980年代も後半になると新古典派アプローチに対するさまざまな批判が噴出しはじめ、開発経済学は再度のパラダイム転換の時期を迎えた。新しい開発の政治経済学、新制度派アプローチ、新成長モデルアプローチなどが有力であるが、いずれも新古典派が前提としていた「途上国でも市場は充分に機能する」という信念に対する批判から生まれている。途上国では不完全市場あるいは市場の欠落が支配的な状況であると想定され、政府と市場の役割が新たな観点の下で再評価されはじめ、制度あるいは組織の果たす役割に大きな焦点があてられるようになってきた。

このパラダイム転換に際して大きな角石となったのが、1991年度の世界銀行レポートおよび1993年の世界銀行レポート「東アジアの奇跡〜経済成長と公共政策」である。従来、新古典派アプローチに徹していた世界銀行の姿勢が徐々に変化し、政府の役割を認めつつあるという意味では画期的なことであった。一方で、従来の新古典派アプローチに対して、別の視点から疑問を与えていたグループもある。1993年のレポートで「修正主義」と呼ばれたグループである。彼らはより積極的に政府の役割を評価していった。すなわち、いくつかの個別事象を研究するにあたり、政府が強いリーダーシップをもって市場介入し、そしてそれが肯定的に影響したことを論じたのである。

1991年度の「世界開発報告」によると、政府のなすべきことは次の4つである。第一に、初等教育、保健衛生、家族計画など人的資本を蓄積し改善するための投資。第2に、民間部門の競争を促進するための規制緩和および必要なインフラストラクチャーの整備。第3に、輸入保護撤廃や外資規制緩和を通じる対外開放。第4に、マクロ経済安定。これらの政策は一括して「基礎的政策」と呼ばれている。政府介入は、っこの産業や企業を優遇あるいは差別するのではなく、市場経済の枠組みを全体として改善するために行われるべきである、という考え方を「市場友好アプローチ」という。他方で、政府が国有企業を設立して生産活動に直接かかわったり、保護や規制を通じて特定産業を振興することは望ましくない政策として退けられた。

「東アジアの奇跡」報告は、やはり基本的には新古典派に立脚しながらもいくつかの点で従来の世界銀行には見られなかった新しい見解が提示されている。まず注目されるのは、「主に北東アジアのいくつかの国(日本、韓国、台湾)では、政府の介入は、それがなかった場合よりもより高くより公平な成長をもたらした」と、積極的な政府介入の友好性を条件付きで部分的ながら、初めてはっきりと認めた点である。ただし、介入が成功するためにすぐれた制度が必要であり、それを整備することはきわめて困難なので一般の途上国はまねをするべきではないと指摘されている。

また、1991年のマーケットフレンドリーアプローチに加えて、あらたに「機能的アプローチ」という考えも示された。これには二つの方法が必要で、一つは市場ベースの競争を裏づける基礎的政策である。これは1991年の報告で示されたものと同じである。そしてもう一つが、政府能力が整った国において、より積極的な選択的介入が生み出す「コンテストベース」の競争原理である。コンテスト・ベースの競争とは、望ましい報償を求めて、明確なルールに基づき、官僚が審判となって行う政府主導の企業間競争である。具体的には輸出実績に基づく低金利融資割り当て、銀行の業務成績に基づく支店認可、コスト引き下げ目標の達成に対して与えられる税制上の優遇措置などである。これらのシステムは自由放任政策よりは困難が伴うが、うまく運営されたときは「市場競争」よりも「より優れた結果を引き出すことができる」という。

ただし、この議論はまだ未熟な点が残る。すなわち、制度能力の高さをいかにして測るのか、という点である。東アジアの国々はほぼ同じ傾向をもった政策を実施し、否定的な結果は産まなかったが、ほかの途上国ではほぼ大失敗に終わったケースがある。これらの違いは、政策の適切差よりも、官僚機構、適正な官民関係、所得最配分メカニズムなどの「制度能力」が大きく影響するのである。少なくとも、二つの条件が必要になってくると考えられる。すなわち、公正な官民関係と私利私欲のない官僚の存在である。日本では審議会が産業界と官僚の望ましい関係を結んでいたし、官僚が国家の競争力上昇という点を基点にして政策を作成していた。韓国でも産業界と官僚間に大きな癒着はなかったし、官僚には強いプライドがあった。

1993年の報告では制度構築の可能性については深く言及されていなかったが、97年度版の「世界開発報告〜開発における政府の役割」では、政府の能力は改善しうるし、またそうすべきでる、という肯定的な意見が発表された。

1997年の報告では制度能力に関する戦略を二つに分けた。第一に、現時点の指針として、各政府は自己の能力に合わせて介入の内容と方法を決めるべきである。官僚がしっかりしていて政策能力が高い政府は産業政策も含めて積極的な政府介入を行なってもよい。他方で、能力の弱い政府は欲張らずに分相応の基本的な仕事に専念すべきである。第2に、長期的な政策目標として、弱い政府は制度能力を向上させていくべきである。このために必要な努力として、権力の乱用を防ぐために必要なルールを設定すること。官僚の雇用・昇進・政府サービスの提供において競争原理を導入すること。政治参加や分権かを通じて市民の声を反映させること、の3つが指摘された。このような議論はかつての「小さな政府が美しい」といった議論を陳腐化させ、市場偏重の新古典派アプローチからの脱却をしめしているものといえよう。ただし、政府能力の高さをどのような尺度で測るべきなのか、政府能力の有無にかかわらず、介入が望まれる分野はないのかなどの反論があることも否めない。

 

参考文献:

白鳥正喜訳・世界銀行著(1993)「東アジアの奇跡〜経済成長と政府の役割」東洋経済新報社

絵所秀紀(1997)「開発の政治経済学」日本評論社

大野健一・桜井宏二郎(1997)「東アジアの開発経済学」有斐閣アルマ

世界銀行著(1997)「世界開発報告〜開発における政府の役割」世界銀行



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