ポーターは「国の競争力優位」の序文で次のように述べている。「ある社会グループ、経済制度、そして国が発展し繁栄するのはなぜだろうか。この問題は、社会的、経済的、政治的単位が生まれて以来長きにわたって、学者、企業、政府の注意を引き付けて離さなかった。人類学、歴史学、社会学、経済学などの多彩な分野において、ある組織は進歩し、別の組織はなぜ衰退するのかを説明する要因を理解しようという努力が休みなく続けられてきた。」

国の発展、繁栄というのは一過性のものではない。一時期に先進国入りした国でさえ、途上国レベルの発展レベルに凋落しないという可能性はゼロではなく、国の繁栄は持続することが約束されていないのである。その意味で一般に途上国といわれる国が経済開発を進める背景と、先進国が高度な産業状態を維持する背景はある意味で同じである。また、一般に途上国といわれている中にも驚くべき格差があり、世界と先進国と途上国の二つに二分することは正確な表現ではない。最も一人あたりGNPの低いモザンビ−クから、最も高いスイスまで133カ国は広く分散している。従って、世界のすべての国はそれぞれ任意の国を取り上げて「相対的に」先進国であるかあるいは後進国であるかをいうことはできるが、任意の国ひとつを取り上げて絶対的にその国を先進国か後進国か定義することはできない。(恣意的に何かの数値的基準をもって言葉上で定義することは可能であるが。)すべての国が発展途上ないし維持の努力を行っているというのが最も事実に近いと思われる。

本論はそのような考えにたちながら、一般論として何が産業化を促進するのかについて考えてきた。その中で途上国あるいは先進国という言葉が出てきたがそれは「一人あたりGNPが635ドル以下の国=低所得国」をさしたり、「一人あたりGNPが7911ドル以上の国=先進国」を示しているわけではない。ここで述べられたいくつかの産業化要素については、すべての国においてあてはまることなのである。

本論は第2章で、これまで議論されてきた中心課題が「市場か政府か」あるいは「政府の失敗か市場の失敗か」、「自由化政策か開発国家主義か」という二者択一的な議論から、市場と政府の機能を効果的に組み合わせるところに移ってきたことを確認した。そして産業化の過程ではコーディネーション問題が普遍的に発生し、これを解決することが重要であり、政府ないしそれに準じた当局の調整能力がここで補完的に機能することが効果的であるとの認識を強調した。

第3章では産業化とは何を意味するのか、という核心部分の議論から出発し、シュンペーター的な新結合、すなわちイノベーションが産業を高度化し複雑化させると論じている。そしてこのイノベーションを発生させるのは市場競争の競争圧力であり、またその競争圧力は企業がもつ「成長見通し」によって加速化されることを説明している。企業のイノベーション活動と市場競争は相互刺激によってお互いをグレードアップさせるのであるが、市場は無生物的であるがゆえに、企業からの活発な働きかけが重要になるのだ。そこで、企業の活動は何によって活発化されるのかというのを競争圧力以外の要因で説明しなくてはいけないのだが、それは「利益可能性」という言葉に表される。企業は追加的私的利益の追求を行動の前提としているがゆえに、新規利益の可能性が示されればそれがインセンティブとなるのだ。もちろんその前提として、競争状態が条件となる。現時点で充分に利益をあげている状態でありその状態に満足していると、追加的利益に対するインセンティブはそれだけ薄くなってしまう。また、その示された新規利益の可能性がより確実であればあるほどインセンティブは増加する。その利益可能性は、より具体的にみると新規技術の可能性と、新しい市場が存在する可能性に分けられる。

第4章ではより具体的に新規技術のもたらす効果とインセンティブとしての重要性についての議論を展開した。その中で、@情報の生成、A情報ネットワークの充実化、B業界標準の選定、C技術管理、という政府政策が企業に対して強いインセンティブを与えることを確認している。これらに関して共通して得られる事実は、自然状態ではさまざまなコーディネーション問題が発生するので、放任的自由競争が産業化を阻害するケースが存在することである。特に技術の習得は産業化の核心部分であり、そこに必然的に生じるコーディネーション問題を積極的に解決していくことは必要なことでもある。

続く第5章では新しい市場やセグメントが存在する可能性が企業活動にインセンティブを与えることについて議論している。新しい市場とは海外にある途上中の市場である必要はない。この「新しい」というのは当該企業にとって新規参入する場合であれば、旧来から存在する市場でも構わないのである。重要なことはそれが「利益的」であると「新たに認識される」ことなのである。この理論からすると、国内市場を国内企業のために確保するという行為はそのまま「新しい市場の存在を国内企業に示す」行為である。日本がほとんど輸入代替工業化政策のみによって成長しえたのは、巨大な潜在的市場を国内企業に確保し、さらにその国内企業間の熾烈な競争を維持したことによる。特に規模の経済が重要な産業に対して市場確保が企業に与える影響は大きいものである。産業特性や技術特性などに応じて発生する規模の経済性や学習効果の速さの違いはそのままコーディネーション問題の内容と程度を決定するのであり、それらの違いを考慮しないまますべての技術や産業などを一般化して扱うことが間違いを生むかもしれないことを示唆している。また、企業が自らを他地域の他企業に比べて競争力のあるものと認めた段階で、その他地域市場が「新しい市場の存在の可能性」となる。輸出振興策が成功する背景には、企業が輸出先市場で競争力があるものでなければならないのである。同様に、政府の「成長を保証するシグナル」が出されたときはそれがインセンティブを与えることもある。ケ小平による南巡講和がよい例である。同時にこれらの議論は、一般に認知されている貿易自由化が輸出振興策と同値ではなく、さらに部分的にしか事実に妥当しないことを意味している。

このように、政府の積極的な介入が効果的に産業化を促進するケースがあることを強調しているのだが、それには従来から存在する「政府介入への不信感」や「保護は必ず非効率性を生む」という主張に対して回答しなくてはいけない。第6章ではレントの種類を二つに分けて、非効率性を生むレントに加え、非・非効率的なレントが存在することを述べている。後者はすなわち、競争過程を前提としたレントであるならば、競争状態を創出ないし維持しながら産業全体を活発化することができるものである。一般にレントシーキング活動を誘発し、非効率性を生むのは直接企業を保護する種類のものであり、そうでなくて産業全体もしくは複数企業のうちのいずれかに対して与える種類のレントであれば、競争状態は喪失されないのである。さらに、政府の活動には常に情報の不足という問題に直面しているが、それが直ちに政府行動を禁止する理由にはならないことも論じている。直面している問題の内容が明確であり、それに対する処方も明らかな場合には、制度能力が相対的に充分であれば、政府介入による問題解決は政府の失敗を引き起こさないで、完遂されることが可能なのである。(註7-1)

このように議論は多岐にわたっているが実は本論を貫いている主張はただ一つである。それは、企業家精神を鼓舞することが産業化に対して最も重要であり、政府は政策介入を通じて企業にインセンティブを与えることが可能である。政府のみが企業間に競争を創出することができるが、逆に、競争を維持し得ない政策こそが失敗するのである。

依然として世界銀行や新古典派の流れを受けた経済学の中では政府の積極的な活動は忌避される傾向があるが、忌避されるべきは、「競争のない状態」なのである。競争状態こそが最も重要であるという主張はそのまま新古典派の中にも見られるのだが、彼らはそれを「自然状態のままに放置するのが最も競争的である」と信じてしまった点に問題がある。また、政府が「市場競争を歪めるもの」として信じてしまったことも重要な過ちであろう。市場の自然な状態のなかに、健全な競争があるかどうか、それが先に問われなければならなかった。もしそこになかったり、もしくは不完全であったら、人為的に補完することが必要になるだろう。従って、政府の介入や保護が競争を必ず「歪める」わけではなく、条件次第では「創出」ないし「補強」、「矯正」することも充分にありうるのである。もし政府がそのように行動した場合は、理想的な結果が得られるだろう。

一方で開発国家的見解の流れを汲んだ研究に見られるのは、成功する政策介入と失敗している政策介入を効果的に分別して説明できていないことである。たしかに東アジア経済の奇跡は政府が重要な役割を演じ、おそらくはそれがなければ望ましい結果は得られなかったのだろうが、それをもって政府介入を一般化して肯定することはできない。なぜなら多くの「政策介入を好む国家」が効果的な結果を生んでいないからである。アフリカや南米など未だに目覚しい経済発展・産業化を果たせないでいる国のほとんどは実は巨大な政府介入が存在しているのである。従って、重要になるのは何が「成功した政策のうちに含まれていたのか」、あるいは「失敗した政策に欠けていた要素はなにか」と問うことである。この要素はすなわち競争状態なのであるが、これを結論として引き出している研究はいまだに数少ない。

今後は、競争状態を議論の中心に据え、それを取り巻く政府環境や市場環境がどのようにに関わることが企業に好環境を与えるのか、という研究が期待される。そしてそれは産業化の初期段階であるか中盤であるかを問わず、産業を発展・維持しようとする政府に対して重要なアドバイスを与えるものとなるだろう。

 

註)

7-1::この点につきラルは次のように述べているがこれにはいくつかの間違いがある。”Since protection reduces the incentive to invest in capability building, it has to be carefully designed, sparingly granted, strictly monitored and offset by measure to force firms to aim for world standards of efficiency. Protection has to be selectively granted to a few activities at a time, because only a few have the capability to reach competitiveness and intervention resources on the supply side are limited. The most effective offset to the disincentives to capability development arising from protection seems to be strong pressures to enter export market __ a commitment to export disciplines not only the orientation lies in this to rather than in confronting to static comparative advantage.”まず、保護が必ずしもインセンティブを減退させるわけではなく、むしろ増加させるケースがあることを無視している。次に、国内競争が必ずしも国際競争よりも低い競争圧力しか持たないわけではない。国際競争が常に国内競争よりも熾烈であるという前提が必然化されていないのである。従って、途上国への政策提言としては不充分なものとなっている。)