第五章

:技術革新に対する政府の役割

1) 技術の重要性に関する諸説〜技術に関しては過去にも何人かの学者によって重要性が示されている。

Lall, S.)は技術能力(Technology capacity)は単に与えられた技術を使いうる能力だとし、より重要なのはそういった新技術を吸収する技術受容能力( Technology Capability)であると主張している。特に韓国やシンガポールなどにおける高い教育水準に注目し、高等教育の充実がそれの重要な一端であることを示している。 TFP)の成長は見られない、したがって、最も重要な技術進歩がないので、その成長には上限があると議論している。彼の議論の中に見えるのは「技術進歩が果たす役割の重要性」であるという点である。

2) 政府はいかにして「技術受容能力」の蓄積を刺激しうるか?〜上記のような諸説に従って技術進歩が最も重要なものであるとするならば、いかにして政府がそれを育成しうるか、というのが次の質問になる。そしてその行為は当然第四章で説明されたように、国内市場競争を高い次元で維持するものとなり、経済発展に肯定的に影響するのである。ここでは、政府が果たすべき役割として四つあげる。そしてこれらは、政府以外には解消しえない自生的なコーディネーション問題なのである。

〜新技術、特に革新的な新技術というのは非常に流動性が高く、その導入はリスクの高いものとなる。しかし、革新的な技術を他の国に先駆けて国内に普及させることは当然高い競争力となり、国内製品に対する評価を高め、需要を増加させる。従って、新技術の導入に対してどのような姿勢をとるか、決定要因となる情報を広く企業間に流通させることが重要となる。当然政府がいずれの立場であってもシグナルを送ることはその新技術に対する評価を早期に固めることに貢献する。国家的な研究開発計画は、新技術に対する評価を情報として与えることができる例である。 〜明らかに優位性を持つと思われる新技術であっても、長期的な展望が不安定であったり、短期的な利益を優先させてしまう状況であれば、導入に踏みとどまってしまう。従って、当該新技術が長期的に利益的であることを保証し、導入に対するリスクを減らすことが必要となる。政府による当該製品の購入計画などはそれの例である。 〜ポーターによると、競争が企業間の技術移転を促進させるものとしても評価されている。また一方で共同研究によってより効果的な研究が行われうることもたしかである。従って、複数の共同研究チームを作ることが折衷的に合理的であると考えられる。事実、戦後の日本のコンピュータ開発においては通産省主導によって、国内企業6社が2社ずつ3つのチームに組み分けられ、成功的な研究を行ったことがある。 〜新技術が利益的であるならば、企業は当然それを欲するが、技術とは資本と一体化していることが多い。つまり、大掛かりな設備投資とその運営によってのみ導入できるということである。これには資本的な制約が加わり、特に途上国においては政府の援助なしに企業は導入できないことになる。しかし政府にも同時にすべての企業に対して援助することは不可能なので、同時期には数社に絞られることになる。このとき、その設備や技術を運営しうるかどうかという評価を前提にした技術の配分管理が必要になる。そしてこの競争過程を経て新技術を導入した企業は、また高次のレベルで新新技術を巡って競争することになる。言いかえれば、新技術の管理によって競争を高次に移行させることができるのである。

 

第六章

:市場拡大における政府の役割

1) 投資と市場の増大〜投資の増大はある程度のところまでは技術進歩同様に経済成長に貢献する。このことは、クルーグマンの「東アジアの神話」の結論が正しいかどうかはともかくとして、その過程で示されたことである。投資とは市場に対するインプットの増大であり、それは当然アウトプット=生産量の拡大を意識したものである。そして企業に対して「生産量を増やす可能性」、つまり「市場シェアの拡大」の可能性を示すことは、当然それに対する企業家努力を促すことになる。ケ小平の南巡講話によって中国南部に対して台湾や香港からの投資が増えたのはまさにこの典型であろう。この章では、政府がいかにしてそういったシグナルを送るかについて扱う。

2) 輸入代替政策による市場確保〜国内企業に対してまず示すことができるのは、国内市場であろう。これを国内企業に対して確保された市場というシグナルを送ることで、それを巡る国内企業間の競争を刺激することができる。当然国内市場の大きさは国土の広さ、国内人口、国民の購買能力に依存するので、各国バラバラである。

3) 輸出振興政策による市場確保〜国内市場はいずれ飽和する。特に購買能力が低かったり国内人口が少ない途上国においては早期に飽和する。従って、企業に対しては海外市場を示すことでその努力を継続させるように方向付けなければならない。ケ小平南巡講話の例はその逆のパターンとして認識されうる。つまり、ケ小平が中国国内の市場を示したために、香港と台湾の投資が増大したのである。これを自国の政府が行なった例としては、日本の首相がヨーロッパ市場にトランジスタを紹介し、市場開放を求めたこと、日本の労働力コストが高くなり、アメリカ市場におけるテレビ受像機市場で優位性が弱まり韓国メーカーの優位性が高まったことなどが挙げられる。

4) 「開放政策(

Openness Policy)」の再評価〜これまで輸入代替政策から輸出振興政策への転換は、貿易の自由化という言葉で肯定的に評価されてきた。しかし、上記のような解釈をするならば、その成否の違いは別のところに求められなければならない。つまり、どちらももっとも重要な市場の確保、市場シェア拡大の可能性を巡る国内企業間の競争維持、という点では同じなのである。従って失敗した輸入代替政策の原因は、過度に国内市場を保護した点で、飽和した国内市場で企業が競争的でなくなったことに由来するといえる。輸出振興政策においても、重要なことは成功している国の輸出が国内の複数企業によって行われている点である。輸出に力を入れていたとしても、国家的に保護された「ナショナルチャンピオン」的な企業はことごとく失敗していることに注目しなければならない。同時に、それら複数企業や産業全体に対しては強い保護が与えられているのである。従って、輸入代替政策と輸出振興政策の大きな違いは、貿易自由化ではなく、どの範囲で政府が市場を確保しているか、という違いしかないのである。東アジア経済の成功で注目された輸出振興政策の重要な点は、それらが複数企業間の競争を伴っていたからに他ならないのである。

5) 〜これら上記の議論を保証するものとして、いくつか例をあげることができる。

10%という低い貿易依存度を維持してきた。そして同時に自動車産業においては複数のメーカーを擁し、それらに対して国内市場を保証してきた。つまり、輸入代替政策を採り続けたのである。これは輸入代替政策が国内市場保護ゆえに非効率性や否定的な結果を生まないという証拠である。これが世界的に強い競争力を持つ産業になったのは、ほかならない企業間競争によるものである。 100%を超える。もともと国内市場自体の狭さゆえに輸入代替政策が不可能なのである。

 

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