途上国の産業化における政府の役割(案)・概要

 

第一章

:序論

本論の目的、枠組み、各章の説明など。

 

第二章

:途上国の産業的開発に関するこれまでの諸説 〜途上国経済は構造そのものが先進国経済とは異なっているため、それらとは隔離して発展させる必要がある。国際市場にリンクされた貿易、特に一次産品に特化した貿易はいずれ途上国経済を搾取の対象にしてしまうという輸出ペシミズムから、輸入代替政策によって、単線段階的に国家経済を発展させるべきだという主張を持つ。 Basic Human Needs、新古典派1960年代半ば以降、構造主義に対していくつかの反論が試みられた。新マルクス主義は先進諸国による途上国搾取に注目し、「中核国」と「周辺国」関係について議論を深め、途上国は一層経済発展が困難になるというある種悲観的な結論を得た。Basic Human Needs=修正主義者らは、途上国開発に必要なモノは社会的なインフラであるべきだと主張し、それは新古典派を補完する議論となった。そして構造主義に対して最も挑戦的な議論を展開したのが新古典派であった。構造主義が途上国に市場未発達性を主張したのに対し、新古典派は途上国経済にも市場機能は存在し、それを政府が歪める故に開発が頓挫するのだと構造主義を攻撃したのであった。そしてこの主張が構造主義にとって代わり、主流派となった。 〜構造主義はその議論の性質から、国内で需要のある製品について、輸入品を企業が代替していくことで経済発展を行うよう考えた。つまり、生活必需品について需要があればそれを国内企業が生産を開始するだろうし、次いで簡単な工業製品に需要がシフトすれば国内の工業企業がそれを生産するであろうと考えたのであった。しかし実際にこのような輸入代替政策は国内産業を過度に保護し非効率性を生んだとされ、ほとんどの国においては失敗もしくは転換を余儀なくされた。これを受けて代わりに採られた政策が輸出指向型産業化である。新古典派によると、この戦略は「貿易自由化」という言葉で肯定的に評価されている。すなわち、国内市場を国際市場に開放したことで保護による非効率性や価格の不均衡が是正され、要素配置(Resource allocation)が効率的に行われたと考えるのである。 〜一方で、東アジアの経済発展を「強い国家の指導力」や「強い国家介入」を理由と考える強い議論も存在する。アムスデンは韓国を題材にとり、「政府が価格を歪めた」ことが高い経済成長の原因だと結論している。またウェイドは台湾市場が政府によって管理され、ジョンソンは日本の戦後の高度経済成長は通産省の産業政策によって成立したと見ている。共通しているのはいずれも後発性利益を享受した政府主導型の経済発展であり、市場機能よりも政府機能を重視している点である。 〜このような開発指向型政府の政策を鑑みて、それまで新古典派に偏っていた世界銀行の姿勢にも変化が起きた。1991年、1993年そして1997年の開発レポートではいずれも「市場機能を損なわない範囲での政府介入は効果がある」という見方が示されている。これは政府介入の効果を認めた一方で、従来の市場至上主義を維持するという妥協的なアプローチである。1997年のレポートで結論的に主張されているのは、マクロ経済の安定などの「基本的な市場機能の確保」を前提とした上で「高い能力を持つ政府に限って市場介入を認める」という二段構えの政策である。これは1991年の報告から基本的に変化なく、市場機能と政府機能を妥協的に組み合わせたものに過ぎない。 〜このような市場機能と政府機能の比較、すなわち「政府の失敗」と「市場の失敗」のどちらをより深刻なものとするか、という答えの出ない水掛け論に対し、青木などの比較制度分析学派が主張するのは、市場拡張的アプローチである。これは「市場機能を拡張する点における政府介入が肯定される」という議論である。実際の市場においては、いたるところで「コーディネーションの失敗」が存在する。これは先進諸国にもあるが、特に途上国において顕著である。しかし政府がこれを「代替」するのではなくあくまで「民間の調整能力を補完」するところに政府の役割があるのだ、と主張するのである。これは市場と政府が敵対・代替する関係ではなく補完関係にあるという見方であり、従来の議論に対して新たな方向性を示すものといえよう。 〜では、市場におけるコーディネーションの失敗とはどんなものであるのか。それについては新ケインズ主義のいう複数均衡の議論がもっともこのコーディネーションの失敗に近い。多数のプレイヤーのいる市場においては、個人の利害と全体の利害が一致しないことがある。もしそこに全体を通じた議論などが存在すれば回避できるかもしれないが、情報フローが少ないところにおいては、「各自が個人的な利益を優先するために、全体として不利益が生じる現象」がおきるのである。これは、いくつかの選択のうちの一つであり、必然的に生じる均衡状態が複数存在するということである。これを途上国経済に当てはめれば、まさに「低レベルにおける均衡」が生じてしまっているのであり、プレイヤー=経済主体を超える存在による全体の調整が必要になってくる。

 

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