東アジアの経済危機の見方


タイのバーツ投機に端を発する通貨危機はそのまま東南アジア全体の経済危機へと発展した。これに対しての評価は概ね二つに分かれる。一つは、「それは元々のアジアの経済政策に問題が潜在的にあって、それが表面化しただけだよ」という新古典派的見方。そしてもう一つが、「今回のアジアの経済危機は『例外的』かつ突発的な事件であって、長期的に見た場合、なんら問題はなく近いうちにアジア経済は復活する」とする評価である。ちなみに世界銀行

+IMFはどちらかというと前者の見方に近い。

アジアの経済政策の特徴を簡単に挙げると、

  1. マクロ経済の安定と輸出成長の達成
  2. 機能的な公共政策とそれに従った成長 
+ 特定産業の振興
  • 事業に有効な環境の整備 
+ 市場機能の活用
  • 人的および物的資本の蓄積
  • 効率的な資本の再配分

といったところになろうか。もちろんそれぞれの国には独自の環境があるために、最終的にはバラバラの政策ではあったが、基本的にはこれらが共通して見られる特徴である。これら特徴についてはいずれ別の項目で説明をしたい。今回、特に重要なことは1番と2番の要件についてである。長期的にはどちらも国家経済収支は安定していたのだが、中身がちょっと違う。

1番のマクロ経済の安定というのは新古典派が特に重要視する要素である。国家経済の収支をつねに監視し赤字を許さないという方針である。一方、2番の要素は修正主義あるいは制度学派が重要視する要素で、政府の役割を重く見てそれに付随するコストはたとえ短期的に赤字でもいとわない、とするものである。

この二つの見方の違いは、どの経済スパンで評価するか、という点に集約される。新古典派が一時的な赤字でさえ許さないのに対し、公共政策を許容する制度学派は一時的な赤字は次期決算で打ち消されるから許される、と考えるのだ。一時的に借金をしたところでそれが倍になって返ってくればもうけもんである。

アジア経済の場合、多くの国が一時的な借金をしてそれを運用していた。これは成長が投資をよび、そして信用を得ていったからである。お金を貸す富裕国にしても「アジアの国は今後も成長するだろう」という暗黙の信頼があったのだ。アジア諸国はそういった国や企業からお金を一時的に借りる形でそれを効果的に運用し、経済を発展させていったのだ。

さて。今回の経済危機によってIMFがアジア諸国にお金を貸すことになった。しかしそれにはいくつかの付帯条件がつく。一番重要なことはIMFが新古典派であって、マクロ経済の収支を重要課題と認識している点である。したがって、この付帯条件によってアジア諸国は一時的な借金も許されないいわゆる均衡経済を強要されている。均衡経済とは公共投資を大幅に削り、公営企業を私営化し、政府介入を極力減らしていこうとするものだ。つまり、これまでのケインズ主義的政策を転換して小さな政府を目指すことを強いられているのである。

さて。では上記のことをわかりやすく説明しよう。

【登場人物】

新妻=アジア諸国の政府

姑=IMF

+世界銀行

夫=地場産業

新妻「困ったわ。夫の給料がこの不況でさがりっぱなしだわ。お義母さん(姑)にお金を借りないとやっていけないわ。でもあのヒト、口やかましいのよね」

姑「おやおや、お金に困っているようだね。いいわ。貸してあげましょう。でもワタシの言うことをよく聞いてそれを守るんだよ。まず、家計簿見せて」

姑、家計簿を見て驚く。

姑「何? これは。夫にお金かけすぎじゃないの? 英会話教室にマージャン代にコンピュータ? それにゴルフセット? なんでこんなに夫がお金つかってるの?」

新妻「だって、夫が今後も会社でライバルたちに差をつけて出世するためにはそれなりの投資が必要じゃないですか。英語ができなかったりゴルフができなかったりコンピュータができなかったりしたらもう出世できませんよ。マージャンみたいなつきあいだって必要だろうし。今苦しくても出世したら充分に元が取れると思うんですが。」

姑「いらないいらない。そんなものはね、余裕が出てきてからでいいの。まずは家計を引き締めることが先決よ。だって、赤字を解消できる保証なんてどこにもないでしょ? それに、なんで英語やらコンピュータが必要なのかがわからないわ。もしかしたら必要なのは簿記検定とかフランス語かもしれないでしょ。もし必要なのが英語じゃなかったらどうするの? ムダじゃない」

そうして、新妻は夫の英会話教室やらコンピュータ教室などすべての投資を解約し、毎月赤字が出ないように気をつける日々を送っているのでした。


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