その年の春、バカペラシンドロームととも呼ぶべきバカペラブームが日本中を席捲していた。 デビューアルバムの初回プレス数は600万枚。 インディーズ時代に友人らにタダで配った自家製バカペラCDには数字にならないプレミアがついているのだという。 猫も杓子もバカペラ。そんな言葉が言葉どおりであったのだ。 もちろんNHKの朝の連続ドラマ小説『我が妻との闘争』のテーマソングとしてタイアップされたのも火付け役にはなったのだが、やはり呉エイジのそのファルセットボイスがようやく認知され始めてきたということだろう。 呉エイジ。 1999年の宇多田ヒカルを超えたアーティストであった。 この数年は彼にとって、波瀾に満ちた時間だったに違いない。 今、彼は姫路の県住を抜けて東京に住んでいる。 姫路に残してきたヨメと子供には一月に一回会えたらいいほうだった。 ***** ある日のこと、呉エイジはツアーのため地方のコンサート会場へ向かった。 向かう先は故郷でもある姫路であった。 明日から始まる3日間のパカペラ祭り。 その前日は到着後は休息ということになっていた。 久しぶりにファミコンのソフトでも探してみるか・・・。 まだ彼が1HPクリエイターだったころ、彼はよく親友の「のぶお」を連れて幻のファミコンソフトを捜したものだった。 あのときはまだヨメともうまくいっていたっけ・・・。 想い出にふけりながらハンドルを握っていた呉エイジだが、視界の隅にあるものが光った。 『ファミコンソフト有りマス』 ファミコンソフト。懐かしい響きだ。 今となっては、プレステソフト、プレステ2ソフトと呼ばれしものたち。 その寒々しい佇まいを見せるその店構え。壊れかけた看板には小さく『ファミコンショップ小寺』と書かれていた。 中に入ると、そこには何本かのファミコンカセットが置いてあった。 もっと宝の山状態を期待したのだが、それは行きすぎというものか。 これだけしかソフトがなかったらもうダブリばっかりかな・・・。 冷房が効きすぎているのか、それともこのがら〜んとした店内がそうさせるのか、呉エイジは鳥肌が立っていた。 しかし、数本目のファミコンカセットを手に取ったとき、呉エイジの別の部分が勃った! 呉「サーカスチャーリー・コードベロニカ!!」 幻のソフト、サーカスチャーリーの上をいく幻のソフトであった。 ほ、ほしい。 しかし、足元を見られて高値をつけられるのはくやしい。 表情はあくまでクールに。 呉「こんな古いのも売り物なんですか?」 ふと、店員の顔を見ると、それは小寺くんであった。 小寺「それはお金では売れませんな」 すべてを知って悪巧みを考えている、そんな悪代官の顔であった。 呉「うぬぬ・・・。では何なら売ってくれるというのだ?」 小寺「あなたのその美しいファルセットボイスとなら」 呉「ふん、バカバカしい。ファミコンのカセット一つとこのワタシの声を引き換えにだと?」 明日からはこの姫路で故郷に錦を飾るコンサートが始まるのだ。 両親だって、久しぶりに会うヨメ、おさむだって聴きに来るのだ。 小寺「買っていただけないのなら、あなたは客ではありません。お引き取りください。」 呉エイジはカセットと小寺君の顔を見比べたあと、カセットを置いた。 |