その年の秋のある日のこと。 呉エイジは独り、ヨレヨレになった青いジャケットを着て、夜の街をさまよっていた。 数ヶ月前の姫路コンサートの前日、原因不明の病気で声帯をおかしくしてコンサートを急遽キャンセルしたのち、呉エイジはあっというまに人々の話題から消えていった。 その早さは猿岩石以上であった。 一発屋だったのか? ポケットのなかにはサーカスチャーリー・コードベロニカがひとつ。 最後の100円玉も、さっき駄菓子屋で使ってしまった。 これから冬が始まるというのに、どうしたらよいというのか。 呉エイジはチワワのように小さく震えながら、公園のベンチに座る以外なかった。 じっとしていると、これまでの波瀾にみちた数年間が走馬灯のように頭のなかをよぎっていく。 電脳披露宴。HPの10万アクセス。『我が妻との闘争』のマックピープルの連載。20万アクセス。アミーゴ&スパークの充実化。怒涛の100万アクセス。バカペラCDデビュー・・・。 しかし、ワタシはもうすべてを失ってしまった。 残ってるものといえば、もうこのカセットのみ。 いや、もうファミコン本体だって手元にないのだから、あってもしかたないか・・・。 ワタシはここで独りさびしく死んでいくんだろうか。 いやだ、死にたくない。 ワタシはいつだって本気で生きてきたし、どんなときだって家庭も自分の夢もすべてがうまくいくように本気の勝負をしてきたんだ。 一回の失敗で本気の人生を辞めるわけにはいかないんだ。 もう一回返り咲いて、そしてそのときにヨメと息子に会いに行こう。 だが、しかし。 途方にくれた呉エイジ。 何時間、そこのベンチに座り込んでいたのだろうか。 あたりはもう明るくなってきていた。 夜明けだ。 しかし、ワタシに夜明けはあるんだろうか。 ・・・ょう! ん? ・・・ちょう! どっかで声がするなあ。 たいちょう! 隊長? この声はたしか・・・。 顔をあげると、そこにはのぶおがいた。 かつて一緒にファミコンのカセットを捜した8bit隊の仲間だ。 のぶお「捜しましたよ、隊長。」 わざわざ捜しに来てくれたのか、ありがとう! しかし、声は出なかった。 のぶお「だいじょうぶッスよ。事情はちゃ〜んとわかってますから。もうあと数十分くらいで声、出るようになりますよ」 ワタシのファルセットボイスが戻る?! しかし、どうやって・・・? 考えながらものぶおのクルマに乗って、かつて住んだ県住へ。 なつかしい。あの砂場も、あの駐車場も。 ワタシはここに何か大切なものを忘れてしまったのではないだろうか。 声をなくして初めて、ここに何かを置き忘れて東京に行ってしまったことを知った。 それは、家族の愛だ。 県住の3階まで足を運ぶ。 そう、このコンクリの感触だ。 ドアを開ける。 この匂い。おでんか・・・。やさしい家庭の匂いがワタシのカラダを包む。 バカペラがヒットしてからずっと忘れていた、この匂い。 ヨメ「おかえりなさい、あなた。」 確か悪魔に魂を売って魔法使いになった小寺くんは、「声」と引き換えに幻のカセットをワタシに売ったのだ。 だから、ワタシの声を買い戻すには、また「何か」と引き換えにしなくてはいけないのだ。 しかし、そのときに手に入れた「サーカスチャーリー・コードベロニカ」はポケットのなかにある。 何と引き換えにワタシの声を取り戻したというのか。 ワタシはのぶおのクルマのなかでずっとそれを考えてきた。 その答えはここにあった。 呉「ワシの声はどうでもいい! 今スグに『巨乳』を取り戻して来い!」 ヨメ「何言ってんの? あんたがバカペラ歌えなくなったせいで家計が真っ赤っ赤なんやねんで?! いまからさっさと東京行ってカネ稼いで来いっちゅうねん、このろくでなし!」 呉「この、一家のあるじに向かって『ろくでなし』とはなんだ?! ろくでなしとは?!」 ヨメ「それから言うとくけど、マックは1日2時間までやで?! わかってると思うけどな? これまでサボってた分、まとめて稼いできてや。ハイ、これ東京までの夜行バスのチケット」 呉「このワシが夜行バス?! せめて新幹線のグリーンに・・・」 ヨメ「ウダウダ言わない!」 呉「ならせめて『こだま』で・・・」 ・・・フェードアウト |