【2001年8月12日】
- 待ちに待った出発日、私達は一路北を目指す。ただ、心配なのは帰省ラッシュ。一応の予定はたててみたものの混み具合によってはどうなることか・・・そんなこともあって、この日の宿は取っていない。とりあえず行けるだけ北へ移動しよう。一応、仙台市内を観て、石巻泊の予定。
- 7時ごろ出発したのだが、どうやら高速がかなり混んでいるらしい。とりあえず、下道を行ける所まで行こう、ということで、122号から16号、そして新4号と国道を進み、先で東北道に入ることにした。しかし、ここで常磐道廻りを選択しなかったことが、後の行程に大きく響くことになるとは、この時考えもしなかった。が、何と16号から渋滞が・・・その度に適当なわき道に入る。そこがまた混んでいたりで、どこだかわからなくなった頃、「政宗ラーメン」なるお店を発見!あれっ、ここはまだ埼玉県のはず!これは早速ネタになる、ととにかく写真撮影。もちろんその写真をこの文章のあるここに載せるつもりで・・・(詳細は8月14日編)場所の確認をすると、そこは幸手町であった。
- さて、場所が一気に飛び、茨城県結城市。一般道の渋滞を避けつつ、まだ下道を走っていた。すると、「結城政勝の・・・」の文字が目に飛び込んでくる。何だろう、と見たい気持ちもあったけれど、それでは石巻まで今日中にたどりつけなくなってしまう。止む無く諦めることにしたのだが、この結城の街は城下町の名残がそこここに残っていて、興味をそそられる建物がたくさんあった。ここは別の機会にゆっくり来ることにしよう。
- そして宇都宮。実は、3歳の頃住んでいたことがある土地である。しかし、記憶は断片的になっている。渋滞が続く中、亭主殿は○ークマンで雪駄を買い、再び北へ。途中、見覚えのある場所や、親戚の家のかなり近くを通り、矢板から東北自動車道に入る。しかし、この時すでにかなりの時間が経過していた。やがて福島県へ入るも、遅々として進まず。途中、吾妻PAの売店でパンを購入。かなり遅い昼食である。レストランはとてもじゃないが、混んでいてこの先の行程を考えたら行くことは出来ない。しかし渋滞は続く。そこで、私達はこの日の仙台観光を諦めざるを得なくなった。
- 国見SA、ここで運転のし通しだった亭主殿に代わり私に運転交代。程なく宮城県入り。いよいよ白石市に入ると、白石城が見えるのではないかとそわそわ。このあたりから車は流れ始め(ってすでに夕方近く)、仙台南ICから仙台南部道路、東部道路へ。でも、地図で見ると、東北道からはつながっていないはずだったんだけれど・・・どうやらこのまま石巻まで行けるらしい。しばらく進むと、伊達政宗の兜をかたどったという何とかスタジアムが・・・「あっ、これだ〜」と言いながら見ていたら、横から「脇見運転するんじゃない」との一言が・・・そうでした。私は運転中だったのでした。それ以外にも、「スピード出しすぎ、捕まっても知らんぞ〜」と横槍が・・・なので、一応優良運転手(昨年10年表彰を受けた)の私は安全運転で行くことに。でも、私の言う安全運転とは・・・
- そして石巻!もう6時半であった。宿を確保しなければ・・・が、2件目にして取れたので、そこへ向かう。フロントで手続きをすると、何と最上階大浴場があるらしいことがわかるv(=∩_∩=) 部屋に入って周りを見渡していたら、突然亭主殿、掛けてあった絵の裏を見て、「お札貼ってなかった」と。な、何と言うことを・・・これでもし貼ってあったら、と思うとゾッとする。でも、とりあえずホッ!
- 最上階の和食屋さんで腹ごしらえ。おつまみ7品+生ビールまたはお酒付きで2000円の「おつまみセット」をそれぞれ注文。これはお徳。しかも、料理が運ばれてくると、これが思ったより豪華。あとは、ご飯、味噌汁で充分だった。何だか次の日の朝食も期待出来そうo(^^o)(o^^)o わくわく
- 寝る前に、旧北上川を眺めながら、HPの日記を書き、いくつかのHPの掲示板に梵天丸@石巻のHNで書き込みをして就寝。何だか移動しただけの日になってしまった。
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