雄勝〜自宅編



石巻でのリベンジを終えた私達は、史跡を求めてさらに北上を続けた。
というのも実は、夏の旅行の直後、雄勝に支倉常長関係の史跡があるとの情報が
2件寄せられていたからなのである。
旅行が急に決まった為、詳細を聞く時間もないまま旅立ってしまったのだが、
またいつ行けるやら・・・
もうこれは行くしかないでしょう、ということで、強行することになったのだ。
しかし、元旦というのに・・・
北上を続けるにつれて、他県ナンバーを殆ど見かけなくなった。
他県ナンバーは私達だけ?・・・しかし、後日私達の大○ナンバーの他に、
もう一台すぐお隣の足○ナンバーが来ていたということが判明。
探し回って、いくつかの史跡を発見しました。

実は、サン・ファン・バウティスタ号の造船地には、月の浦と雄勝の2つの説があるらしい。
そのことから、雄勝にも造船地の史跡が立っているのだ。
【雄勝硯「御留硯の由来」】

雄勝硯の歴史は、600年前室町時代といわれている。
元和年中(1615〜1624)藩祖伊達政宗公が
遠島(牡鹿半島)へ鹿狩りの折、硯二面を献上したところ
いたく賞賛され、褒美を賜った。
2代忠宗公は、硯師を伊達藩お抱えとし、
その硯材を産する山を「お止山(現お留山)」と称し、
一般の採掘を許さなかったと言われている。


元旦にしては暖かい日で、本当に史跡巡り日和であった。
っていうか、元旦に史跡巡りする人なんて珍しいかも。
ところが、他県ナンバーも見かけない場所柄か、トイレに行きたいと思って、
コンビニを探したが見つからず。
やっと見つけた小さなお店には、トイレがないっ( ̄□ ̄;)!!
緊急事態発生!と思ったその時・・・硯会館だか、観光センターだかを発見!
しかも外にトイレがあった(o゚▽゚)oニパッ
そして、トイレから出て帰ろうとしたその時・・・ちょうど2時、からくり時計が動き出した。
すると、何と・・・
最初は船だけだったのが、中から支倉常長が出てきて、手を振っているL(・o・)」
あわててカメラを取り出し撮影、と相成ったのであります。
下の写真は、その決定的瞬間スクーープ映像(?)

すっかり時間を使い果たし、松島についた時はすでに夕方。
抹茶をいただこうと思っていた観欄亭も閉まっているし、瑞巌寺も間もなく閉まりそう。
気がつけば、昼食らしきものを食べていなかったので、食事をして帰ることにした。
そして、帰途、「萩の月」と「笹かまぼこ」を何とかゲットしたい私達、
最後の望みの綱は、もはやサービスエリアしかなかった。
望みのものが見つからないまま、福島県内のSAで、お土産を買い・・・
更に南へ。ついに・・・見つけた!それは、「那須の月」(^-^;
まあ、似てるといえば似てるけど、仙台土産ということを考えたら・・・
私の実家へなんて持っていったら、必ずやツッコまれるに違いない。
結局、萩の月をゲット出来ずじまいでした。
という訳で、今回の旅の教訓
『仙台から元旦に帰る時、お土産は前もって買っておきましょう!』
さて、今回のお土産のいくつかをご覧下さいませ♪⇒見る人は