私見、スポーツカー

                                    【スポーツカーのイメージ】
 
 いきなりスポーツカーの話題もどうかと思うのですが、車好きならやはり気になるジャンルではないでしょうか。
ただひとくちに「スポーツカー」と言っても多種多彩であって、あれもスポーツカー、これもスポーツカーということになりかねないわけです。

例えば思いつくだけでもざっと・・・

スポーツセダン
スポーツサルーン
スポーツ4WD
コンパクトスポーツ
スポーツミニバン
スポーツハッチ
スポーツトラック
スポーツピックアップ
スポーツクーペ
SUV
スポーツハイブリッド
オープンスポーツ
軽スポーツ
リアルスポーツ
スポーツワゴン

 こうしてみると「スポーツ」がつくジャンルのクルマは結構多いと思いませんか。詳しく調べたら更に増えていくのは間違いなさそうですよね。ところでこれらの呼称に「ファミリー」とか「固有の車名」や「国名」を加えたり引いたりすると、もっと身近に感じる車名になってきますね。そんな身近に感じるスポーツカーですが、これだけ数が多いと、とても分類しきれないのが事実でしょう。
 
 そこではなはだ勝手ではありますが、ここでは独断と偏見で「私が思うスポーツカー」もしくは「私がイメージするスポーツカー」と限定させて頂きたいと思います。 また同時にお断りしておかなければならないのは、私はどこにでもいる普通の車好きであって、いわゆるエンスーやクルマオタクでもなければ職業で実際に設計や製造、販売に携わったことが一度もない、ずぶの素人なので、理論や技術、史実にそぐ合わない表現があるかもしれませんが予めご容赦願ければ思います。
 

               まず私が「スポーツカー」という言葉でイメージするのは「小さく低く軽いクルマ」です。


 その小さなスポーツカーも多種多様で数えあげれば限がないほどありますが、私の思うそれはかなり狭い範囲をさします。 日本車だとかつてあった ホンダのSシリーズ や トヨタスポーツ800 がそれにあたります。どちらも1960年代に生産された日本を代表するスポーツカーで排気量も同じ800ccですが、ホンダはオートバイメーカーならではの精巧で緻密なエンジンを搭載するスポーツカーであったのに対し、トヨタのそれはパブリカのパーツを多用してコストを下げ一般大衆の手の届く金額で販売するのが目的であったスポーツカーだったと言われています。

 そのローコストが最大の目的だったスポーツカーですが空力に優れたデザインを取り入れたのはやはり、かつて航空機を開発していた長谷川龍雄氏で、当時としては珍しかった風洞実験を用いて少ない馬力で十分な性能を発揮できるよう設計したとあります。 また日本で初めて外板にアルミを使用したりと、最終的に販売価格を下げ一般の人にも手が届くスポーツカーを販売するという目的があるとはいうものの何とも贅沢な設計ですね。 他には空力のセンターラインをボディーの中心するなど航空機の理論をしっかり取り入れてあったようです。

 この空力理論は長谷川氏ならではもので昭和20年代初期、すでにトラックのシャーシーに乗用車のボディーを載せて風洞実験を行いクルマの空力設計論文を自動車技術会や日本機械学会で発表していただけに、ことスポーツカーの設計に関して空力を重視したのは自然な流れだったのでしょう。 その後、昭和40年頃にプリンスやホンダRA301が東大航空研究所の風洞実験を行っていようですが、それよりも20年も前に自動車の空力に着目していたことに大変驚きを感じます。

 私がまだ子供の頃、学校の近くにある会社の駐車場に赤のヨタハチがよく停まっていました。当時の近所のクルマといえばサニーやカローラなどように一般大衆車が多く、純粋にスポーツカーと呼べるクルマはこれ一台きりしかなかっただけに子供の目には本当にかっこいいクルマに映ったものでした。やがて免許を取得してクルマを運転するようになってから、一度だけヨタハチが中古車で売られているのを発見し、みせてもらった事があります。

 当時いくらで売っていたのか覚えていませんが、それほど高い金額ではなかったような気がします。何故なら同じ中古の最終型のハコ型のスカイラインと比較していたはずなので。販売店の説明だと珍しいクルマではあるけれど程度は良くないので維持するのは難しいと言われた記憶があります。また実際にフロアーカーペットなどはカビ臭く半ば腐っている状態でエンジンもやっとアイドルしているようでした。 コスモスポーツ、トヨタ2000GT、ダットサンフェアレディー等は幾度か見かける機会がありましたがヨタハチに関しては、これが最後で現在に至っています。




                                  【古いスポーツカーばかり?】 

 ここまでお読みの方は私は古いクルマばかりに関心があり、最近のスポーツカーには関心が無いとお思いかもしれませんね。 答えとしては全くそとおりだと言わざるを得ないでしょう。何故ならこの当時のスポーツカーは先のとおり小型で軽量なのが最大の特徴で、それが可能だったのは現代のスポーツカーのように乗員を守る為のボディー設計は重要視されていないため軽量化にあたって自由度が高かったのが主な理由と考えています。

 日本にもマツダロードスターという名車があります。デビューしたのは日本がバブル景気真っ盛りだった1989年に発売され、その人気は国内はもとより海外メーカーにも多大な影響を及ぼし1970年代以降衰弱していたオープンカーを再び活性化させたのは有名です。

 その魅力的な和製オープンカーは当初1600ccでスタートしましたが、その後1800ccを経て現在は2000ccまで拡大されています。主な理由は安全性の為に増えてしまった重量をバランスさせる為だと言われています。エンジンやボディーサイズが拡大したにも関わらず最小限の重量増加に止めた技術には大変驚きますが、900キロ前半からスタートしたボディーは現在の最も軽いモデルでも1000キロを悠に超えてしまいました。また当初150万円台だった販売価格は現在では220万円台に跳ね上がってしまいましたね。

 友人が持っていた初期モデルを運転させてもらったことがあり一時は本気で買おうと考えたことがあっただけに、現在のそれは私が持っているロードスターのイメージとはあまりにもかけ離れてしまった感があります。現在の大型化したロードスターは難しい時期にさしかかっているような気がするのは私だけでしょうか。

 話がややそれてしまったので古いスポーツカーに戻します。1960年代あたりまで当時のフォーミュラーカー(グランプリカー)は別としてスポーツカーとレーシングカーの境がハッキリと別れていない所にも特徴があると思っています。一般の市販車でありながらレースに参加して一般道も走行できた時代のスポーツカーと言えばわかりいいかもしれませんね。



                                        【ロータス】

 その傾向は日本よりむしろモータースポーツの盛んなヨーロッパの方が強かったのではないでしょうか。特に英国のロータスはその代表格とも言えるスポーツカーメーカーで、1948年に自ら改造したオースティン・セブンでレースに参加したのを皮切りに、現在に至るまでスポーツカーやフォーミュラーカーを一貫して製造販売している有名なメーカーです。そしてなかでも私が好きなのはロータスセブンとエラン。 どちらも当時のロータスの主力車種でした。

 特にサスペンションアームが剥き出しのセブンは私が最も好きなデザインでパイプフレームにアルミ板で覆った様はまさにレーシングカーを彷彿させてくれます。セブンはレースカーのマーク6の発展型でパイプフレームを持つ量販車ということになります。その軽量化したボディとバランスの良さからクラブマンレース等で活躍していました。しかし当時GPレースの資金が必要だったロータスには、このパイプフレームを持つセブンはあまりにも手作業の工程が多く生産性のいいクルマとは言えなかったようです。

 コリン・チャップマン、 ジョン・フレイリング、 ロン・ヒックマン、もう一人ピーター・カーワン・テイラー。彼らに生み出されたロータス初のクローズドボディーを持つエリート(タイプ14)は自走できない状態で1957年アールズコートのモーターショーでデビューしました。いままでと違いオールプラスチック製のモノコックボディーは当時としては画期的で、また無駄の無い美しいデザインが多くの人を魅了し、予約注文も多数入ったようです。これによりスペースフレームを持つセブンとは違い新たにロータスの屋台骨となるべくエリートが誕生しました。 その後1958年に試作された10台のエリートはレースで活躍し更に予約注文数を増やしていきましたが、実車は一向に出荷されない日々がいたようです。

 1959年、手狭になったホーンジイからチェシャントに新しい工場が建ちボディーはマクシマーモールディング社が担う形となる。これで市販用のエリートは量産される形となりロータスはコヴェントリークライマックスから送られてくるFWEエンジンを組めば済むことになった。これで量産体制を組んだロータス社だったのだが実際の販売はキットカーの価格も含めて売れば売るほど赤字となっていく状態となってしまう。最大の理由としてはまさにドンブリ勘定と言っても差し支えないような営業試算が原因だったと言われていて、高価過ぎたエンジンの採用とボディーを作るメーカーからの値上要求だったようです。

 一方時期をほぼ同じくしてセブンの後継車の開発が進められていました。スペースフレームを採用せずエリート同様にドアを設け尚且つ手頃な価格で販売できる車種を。何故なら1958年からロータスはF1に参加していた為、市販車から資金を確保しなければならない台所事情もあったようです。ターゲットは当時エリートより遥かに格安で販売していたオースティンヒーレースプライトでロータスとしては現存するフォードのコンポーネントを多数採用し販売はフォードディーラー網を画策したようです。

 しかし彼らの構想とは逆にフォードの販売網は見込めなかった。そして残ったのがハリー・マンディーが設計したツインカムヘッドエンジンだけとなる。これでむしろフォードに遠慮がいらなくなったロータスは自由な設計度が高まりチャップマンのアイデアで無駄の無いスペースとできる限りの軽量化を具体的に進めることができたと言えるでしょう。このチャップマンの考えはその後も変わることなくすべてのロータス製のクルマの基本となっています。

 こうして本格的に開発が進められていく中でスペースフレームは全く考慮されなかったようです。またどうしても避けたいのがエリートで手こずったプラスチック外板ボディーの2重構造だったといいます。また当時のロータスはレース部門が大変忙しくスポーツカーとは言えロードカーに関心を示すスタッフが極端に少かなったとか。やがて全体のデザインも完成されてきた頃、ヒックマンはオープンカーに強度を持たせるにはプラスチックの単層構造では不十分との結論に至る。 やがてその結論が一度言い出すと滅多な事ではアイデアの変更を認めないチャップマンに苦慮することになる。(これもホンダにそっくりですね)

 どうしてもシャーシーを認めたがらないチャップマンにヒックマンは、かつてチャップマンがテスト用に製作したバックボーンフレームの採用の必要性を強く説得して認めてもらうことができ、本来の小型で無駄なスペースを待たない軽量化に成功したエランの完成に至った。またこのバックボーンフレームを持った設計には長らくロータスのスポーツカーの特徴にもなる。

 1962年の秋、エランはモーターショーでデビューして、翌1963春には販売されています。これは販売まで約2年もかかったエリートに較べると飛躍的に短い間で量販できたことになります。最大の理由はやはりオールプラスチック製のモノコックを止めてスチール製のバックボーンフレームを採用したのが生産性を上げられた最大の理由だったのでしょう。その後クローズドボディーや+2などボディーバリエーションを追加したりボディーを更に軽量化してエンジンチューンされたレーシングバージョンの26Rを加えてエランは1975年まで生産されました。




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