【ロータスセブン】
ロータスでもう一つ好きなクルマがセブンと述べたのは先のとおりです。私が最初にみたセブンは1973年頃で当時よく通っていた地元の喫茶店の前に停められていたアルミの外板で覆われたペッタンコな姿を見たのが最初でした。またその車名すら知らなかったのも無理なかる事で当時、私はまだ2輪車の免許しか持っおらず、次期単車を買うべく友人とアルバイトの相談に夢中になっている頃だったのだから。
何故そんなクルマがそこにあったのか。誰が乗っていたのか。今となっては知る由もありませんがアルミ製の小さいボディーと店内にいても響いてくる爆音のような排気音は当時のニキビ面には十分過ぎるほどの刺激だったのは言うまでもありませんでした。何故ならこうしても今でも覚えているのだから。その爆音のペッタンコがロータスセブンだと喫茶店の店主から聞かされたのは、それからしばらく経ってからの事だった。おそらく店主も誰かに聞いたのではないかと今にして思う。
やがてニキビ面も車の免許を取る頃になると仲間内では買えもしないクルマの話で盛り上がる。そんなウルトラ級ペーパードライバーの仲間の一人(といっても誰かの知人)が先輩がロータスを持っているから見に行かないと言う。ロータスと聞いててっきり、あの爆音のペッタンコを想像していたのだが、これがまた同じペッタンコでも屋根がついて幅がある二人乗りだった。色はくすんだ赤でお世辞にもきれいとは言い難いのが正直な感想で、またエンジンが後ろについているのだと言うが、それにしてはスバルやスズキほど愛想がないなと内心思っていた。
やがてオンボロアパートの一階から出てきた人がエンジンをかけると、これがまた見事に爆音だったのである。その時は走るところを見せてもらえなかったのが残念だった。(もっとも走る姿を見てもあまり意味はなかったかもしれないけれど)同じアパートの住民が怒るといけないというのでエンジンはすぐ止められた。そしてクルマの名前を聞いて驚いたのがロータスヨーロッパだということ。何に驚いたかというとヨーロッパと名前にではなく「ロータス」にだった。あのロータスといい。このロータスといい。それは見事な爆音だったから他ならない。
ウルトラ級ペーパードライバーにとって当時の憧れといえばスカイラインやZで、他には117クーペ、レビン、サバンナなどで外車といえばV8のドロドロいうアメ車くらいしかなかった時代だった。そんな時代に初めて見たペッタンコ2台が申し合わせたように爆音だったのだから単純な私の脳みそに記憶として埋め込まれるのは簡単だったのだろう。またそのオーナーが何故ボロアパートに住んでいたのか、そしてインスタントラーメンが主食に近かった理由を聞いたのも後になってからだったが、それが何故か私にはひどくかっこ良く思えたものだった。
何故それがかっこ良く思えたのか断言できないのだけれど、当時実家の隣に住んでいた若夫婦がいて、その奥さんが私の母と仲が良く頻繁に我が家に出入りしていた。ある日その奥さんが、いつものとおり母と話していることをそれとなく聞いていると。何でも旦那さんがクルマを買うと言ってきかない。奥さんとしては車などとんでもないという意味のことを訴えていたと思う。 ま、怒っていたわけです。しかしある日、隣人宅に2ドアの日産サニーがやってきた。当時のことなのでクーラーさえ付いていなかったのだが、あちらこちらへドライブに連れていってくれた。そんな時の旦那さんの顔は楽しそうだったし、自分もいつかは車を運転したいと思ったものだった。女性にはこういった男の気持ちが分からないものだと生意気にもニキビ面は思ったもので、そんな事と何か関係があるかもしれない。
あのロータスセブンは本当にロータスセブンだったのか時々思うことがあります。しかし今となっては残念ながら確かめる方法はない。細部まできっちり覚えているわけではないし。しかし仮に本物だとしても、それがどうだというのか?と言う疑問もある。肝心なのはあの時代にセブンに着目しそれを所持していた人がいた事だろうと思う。またそれから後に見たヨーロッパも同様に決して裕福ではなかった人が生活を切り詰めてまでも情熱を注いだクルマ。いや注げたクルマがあったと言うことが大事ではなかろうかと思う。それは彼が単に若いからできたと言うには説明が不足しているように思えてならない。
隣人を引き合いにだすまでもなく現在では考えられないクルマとの生活スタイルではあったとつくづく思う。時代と言ってしまえばそれまでだが生まれた時から車が家にあるのが当たり前の世代に育った人々には考えられないスタイルであって心情でもあるのだろう。きっとそうなのだろうと思う。でなけりゃ日本のスポーツカーが育たない理由が見当たらない。 興味が無いのである。
【オースチン・ヒーレー・スプライト MK1】
英国つながりでもう一つ好きなスポーツカーがあります。先にも少し出てきた「オースチン・ヒーレー・スプライト MK1」がそれです。
1958年に生産コストの低減、メンテナンスを容易にするため既存のエンジンや部品を多用して生産される。また英国小型車では初めてモノコック・ボディーが採用された事でも知られるます。エンジンはADO15 排気量948ccで馬力は42少々の小馬力といいながらも650キロと軽いボディーのおかげでクイックなハンドリングが楽しめたようです。
外観の最大の特徴は何といっても愛嬌のあるライトで日本では「かに目」と呼ばれていますが、欧米では「フロッグ・アイ」と呼ばれているそうです。個人的にはラジエーターの開口部のデザインも含めて「フロッグ・アイ」の方が的を得ているような気がしますけど。それはともかく当時は若者に相当人気があったようです。