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Occasional Thoughts Around Books

by MORI Hiroshi
Aug. 1999


蒸気で動いていたんだぜ


 のりものが好きだ。「のりもの」は、いつも「means of transportation」本来の機能を超えた輝きを男の子に見せてくれる(いや、きっと、女の子にも見せてくれるだろう)。人間が最初に作ったのりものは船だと思うが、それが陸に上がり、コロが車輪になって、長い間、人や動物が引いていたのに、ついに機械的な動力を持つに至る。ほんの最近のことだ。つまり「のりもの」はいつも「最先端技術」という呪文で人を(特に男の子を)虜にしてきた。

 「鉄道 railway」という言葉の響きもまた、そこはかとなく魅力的ではないか。ただ二本のレールが地面にあって、ずっと先まで続いている、というだけのこと。なのに、それが何故か気持ち良い。行ったことのないところへ、きっと連れていってくれる。そんな予感? そういうのに弱い。工場にあるトロッコのレールでさえ、わくわくしてしまう鉄道マニアも多いはずだ。いかがだろう?

 さて、今月は蒸気機関車について語ってみたい(来月は飛行機の予定である)。

 煙を出して力走するその姿は、極めて生物っぽい。生態工学系とでもいうのだろうか。それを整備し、運転し、あるいはそれを利用したり、線路の付近に住んでいた人たちには苦労があったのだろうと想像するが、無責任に端から見ている分には、とにかく蒸気機関車は絵になる。筋肉のようにロッドを動かし、呼吸しながら坂道なんか駆け上ろうものなら、もうサイバーなんて流行の表現が不思議と似合ってしまう。そんな蒸気機関車賛歌は、しかし珍しいことではない。「男のロマン」なんて常套句を書きたいわけでもない。ただ、もう日本では本物が走る姿を滅多に見られなくなった。これが、素直に残念なだけである。「僕が子供の頃はまだいた」などと話すと、まるで恐竜でも見たみたいに子供たちには聞こえたりするらしい。歳をとったものだ。あ、言わないつもりだったのに・・。

 つい数年まえに、森はキットを購入して、蒸気機関車の模型を作った。本物の10分の1のスケールで、構造も本物と同じ。石炭を細かく砕いて、スプーンのようなスコップで釜に入れて火をつける。本当に蒸気を吹き上げて走る。狭い庭にレールを敷き、子供たちを乗せた車両を引っ張る力があった。森はゴーグルをかけて、運転手だ。「出発進行!」などと遊ぶ。子供たちより、ずっと嬉しい顔をしていたことだろう。

 作ってみて驚いたのだが、蒸気機関車にはギア(つまり歯車)がない。それなのに、前進もバックもできる。この驚異のメカニズムを、あなたは思い描けるだろうか? 人間とは賢いものだと感心した。まだまだ見捨てたものじゃない。

 昨年の夏に、イギリスまで蒸気機関車に乗りにいった。そのとき、三澤春彦著「ロンドン発 英国鉄道の旅」という本を読んだ。実に清楚に書かれた内容が素敵だった。

 ところで、イギリス人は凄い。なにしろ、森が作ったような模型の蒸気機関車が、本当に街から街へ走り、今でも営業している私鉄があるのだ(ロムニィ鉄道という。大きさは本物の3分の1だから森の模型よりも大きいが)。自分達が築いた文化だと、こうも愛着のクオリティが違うものだろうか。羨ましい国だ。

 もし、蒸気機関車の仕組みに興味があるのなら、細川武志著「蒸気機関車メカニズム図鑑」が最高のテキストである。驚くべき執念と愛情で作られた一冊。また、模型の蒸気機関車ならば、世界的に有名な平岡幸三氏が書かれた「生きた蒸気機関車を作ろう」が秀逸。森もこの名著に従って、少しずつ機関車を作り始めている。たぶん完成には10年以上かかるだろう。ようやく、100時間ほどかけて、テンダの車輪と台車までこぎつけた。あるいは、三ツ矢明著「特殊構造をもつ機関車とライブスチーム」などがこの分野の最先端だろうか。

 まったく、世の中には凄い人がいるものである。凄い個人がいて、凄い文化は生まれるのだ。



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