達谷の窟(たっこくのいわや)

周辺地図(mapion)


概要

かの坂上田村麻呂が毘沙門天の加護を得て蝦夷の首領・悪路王を成敗し、鞍馬寺から毘沙門天を勧請したのがこの達谷の窟の始まりとされております。
今年で創建1200年なのだとか。

立派な鳥居(れっきとしたお寺さんですが。。。)の向こうに見えますのが毘沙門堂でございます。

毘沙門堂

こちらが毘沙門堂でございます。現在の建物は1961年に再建されたものなのだそうですが、なかなかかっちょいー建物ですね。しかし、何にもない状態だとどんなかんじなのかな?建物の下のほうが非常に気になります。

毘沙門堂の中に入って右手のところには額縁の中に入った石器が展示されてまして、ここが縄文時代かそれ以前の遺跡であることを示しております。すぐ目の前は川だし、縄文人が見逃すわけないよなー。しかし発掘調査とかはしてないんですかね?
ちょっと大谷観音を思い出させる雰囲気があるように思います。

北限の磨崖仏!

磨崖仏

もとは高さ16.5m、顔の長さ3.6m、肩幅9.9mという馬鹿でかい北限の磨崖仏だったのですが、現在では胴体部分が地震で崩れてしまって、顔だけしか拝むことができないのです。なんとも残念なことです。
でも素晴らしい存在感。いかした大日如来なのです。ありがたい!

その他

左は鳥居脇の立派な杉の木、右は不動堂(だったかな?)です。どちらも存在感がありますね。

ちょっとした感想など

西光寺というお寺の管理下にあるようで、お寺の建てた看板によれば(要約すると)「蝦夷の首領悪路王(=アテルイ?)がここに住み着いて善良なる一般市民に多大なる迷惑をかけており、それを退治したのがえらーい田村麻呂なんだぞ」と書いてあります。
しかしそんなことないでしょ。だってそのころこのあたりに住んでたのは蝦夷がメインなんだから、田村麻呂のほうが侵略者だと思うのですが。。。
でも看板はさらに続けます「この看板をみて朝廷よりの記述でけしからんではないかなぞと訴える手合いがおるようだがそんな戯けたことを言ってはいかん」(これまた私の主観入り要約)とのことなので、坂上田村麻呂に感謝して参拝しましょう。
中尊寺、毛越寺にお越しの際はちょっと足を延ばして参拝してみると良いと思います。車ならすぐですよ。おまけに厳美渓、一関市立博物館も近いしどちらも一見の価値ありです。あと毛越寺の方からくると途中に悪路王関係の伝説つきの鬘石(右写真)なんてのがありますのでこちらも見てみましょう。なんか石の奥の方にメンヒル状の岩が見えるような気もしたのですが、ちょっと入って行くのは大変そうだったし蚊もいたのでちゃんと確認はしてません。


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