MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
サマルカンド(ウズベキスタン)
レギスターン広場 複合体

神谷武夫

レギスターン広場


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ティムール朝の首都、サマルカンド

 モンゴルの最大の英雄は チンギス・ハーンである。彼は 12世紀にモンゴルを統一して、その帝国のハーン(遊牧国家の大君主)になると、ホラズム地方から西アジア、さらには東欧にまで遠征して大殺戮を行い、各地の住民を恐怖の底におとしいれた。その死後の 1258年には、モンゴル軍がバグダードのアッバース朝を滅ぼす。
 中東のイスラーム世界は 完膚なきまでに破壊されたが、その1世紀後に さらに災疫がふりかかる。分裂していたチンギス・ハーンの帝国を 14世紀後半に統一したティムールが、中央アジアにティムール朝を創設すると、中東、ロシア、インドに遠征して、またしても 各地で大殺戮を行うのである。
 ところがティムールは 大破壊のあと、今度は 征服地の文人、科学者、建築家、芸術家を かたっぱしから集めて 大帝国の首都 サマルカンドに連れ帰り、ここに 空前の文化振興と建設事業を始めた。建築では、巨大なビービー・ハーヌムの大モスクや、彼自身の 壮麗なグーリ・アミール廟が名高く、ペルシア芸術は 中央アジアに移された感があった。

  
ティッラカーリー学院見下しと、シール・ダール学院の壁画


都市デザインの手法「コシュ」

 サマルカンド、ブハラ、ヒヴァといった 中央アジアの都市において注目されるのは、トルコとは異なった形の 建築複合体が、都市計画的に重要な役割を果たしていることである。それらは 必ずしも最初から計画されたものではないので、むしろ 各時期におけるアーバン・デザイン と言ったほうがよいかもしれない。
 それは、都市内の重要な施設を建設する時に、既存の建物との関係を重視し、相互の軸線を通したり、両者の間に広場を形成したりして、あたかも 当初からの地域計画のような 複合体にするのである。そうした方法を「コシュ」と呼ぶのは、ウズベク語で「つがい」の意で、多くが 道路をへだてた2棟の場合が多いからである。
 その最大のものが サマルカンドのレギスターン広場で、ここでは3棟の学院(マドラサ)が 広場を囲んで向かい合い、その規模の大きさゆえに 中央アジア随一の都市景観をつくっている。

レギスターン広場のアイソメ図
レギスターン広場の平面図
(From "Beyond the Oxus" by Edgar Knoblock,1972, Ernest Benn)

 レギスターンというのは 砂地という意味で、かつて存在した水路が 砂やシルトを堆積した場所であったのだろう。各都市の中央広場が レギスターンと呼ばれるようになり、イスファハーンの「王の広場」と同じように、バーザールや 王の布告の場、あらゆる祝祭のための広場となった。サマルカンドのレギスターンは ティムールの時代に拡張されて 商工業の中心地となり、その孫のウルグ・ベクが 1420年に 大規模なマドラサと スーフィーの修道場(ハーンカー)を向かい合わせて建設した。

 ウルグ・ベクは 自身が科学者、天文学者でもあり、学問を奨励して、ブハラにも その名を冠した学院を建設している。その後、キャラヴァンサライやモスクも建設されたが、16世紀には凋落。17世紀になって 知事のヤラントゥシュが再建を始め、かつての ウルグ・ベクのハーンカーの跡に シール・ダール学院を、キャラヴァンサライの跡に ティッラ・カーリー学院を、それぞれ コシュの方法で建設し、現在の壮麗な広場を形成したのである。

ウルグ・ベク  
ウルグ・ベク学院


自己顕示的な建築

 マドラサは いずれも四イーワーン形式をとり、それぞれに約 100人の寄宿学生が住んでいた。いずれも マッカ側には礼拝室を設けるが、ティッラ・カーリー(金でおおわれた、の意)学院のものは とくに大きく、しかも 金箔を貼った華麗なインテリアのゆえに その名がついた。
 ティムールの造営した ビービー・ハーヌムのモスクが、あまりに巨大だったために 十分なメンテナンスがされず、半ば廃墟になっていたので、都市の中心部に 新たなモスクが必要とされていたのだった。そのために ティッラ・カーリーは マドラサを兼ねた金曜モスクとして用いられた。

   
ティッラ・カーリー学院モスクの ミフラーブと天井

 レギスターン広場は3学院のファサードの 大イーワーンで囲まれてはいるのだが、それは イスファハーンの(中庭的な性格の)「王の広場」とはちがい、それぞれの建物が 外部に向かって自己顕示的であると言える。
 アラブよりはペルシアのほうが 見た目の派手さを建築に求めたのであるが、中央アジアでは さらに外観の威容を表現するようになったのである。

(2006年『イスラーム建築』第1章「イスラ-ム建築の名作」)



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