MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
カイロ(エジプト)
バルクーク廟+修道場 複合体

神谷武夫

バルクーク廟


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死者の丘

 カイロの町の東側、南北に長く伸びるムカッタムの丘は「死者の丘」、あるいは「ハリーファの丘」とも呼ばれる。丘の麓は巨大な墓地で、庶民の小さな墓標から スルタン(王)の大規模な廟建築までが建ち並ぶ 特異な風景のエリアである。
 エジプト人はファラオの時代から 墓地をピクニックの場所とする伝統をもち、豊かな家柄は ここに住宅のような墓所を建てて、宿泊もできるようにしたので、家々が建ち並ぶ住宅地のようにも見える。
 近代になると そこを占拠して住み着く者も多くなり、生者と死者の共存する閑静な町となっている。このエリアがモニュメンタルな墓地として発展したのは マムルーク朝(1250-1517)の時代で、歴代のスルタンや貴族が 諸所に自己の墓廟を建てるばかりか、そこに しばしば公共建築を併設した。

  
バルクーク廟+修道場 複合体、通路と中庭

 マムルークというのは 白人奴隷のことで、イスラーム勢力が中央アジアを征服した8世紀から、被征服民のトルコ人(当時は 今のアナトリア地方ではなく 中央アジアに住んでいた)やモンゴル人、そして中東のギリシア人やクルド人などの 白人が奴隷とされた。
 奴隷といっても 通俗のイメージとはちがって、才能や能力さえあれば、官僚や軍人となって 出世することもできた。その高位の奴隷軍団がクーデターを起こして政権を取ったのが マムルーク朝、すなわち「奴隷王朝」である。

  
中庭と廟のド-ム屋根、礼拝室内部

 中東のチェルケス人出身のバルクークは、前半のバフリー・マムルーク朝に代わって 後半のブルジー・マムルーク朝を始めたスルタンで、ムカッタムの丘に 自身のための廟、2本のミナレットを伴ったモスク、修道場(ハーンカー)、給水所と寺子屋(サビール・クッターブ)が合わさった 大規模な複合体を計画した。


 バルクーク廟+修道場 複合体


バルクーク廟+修道場 複合体 1399-1410年 平面図
( アンリ・スチールラン『イスラムの建築文化』より)

 カイロの市街地は高密度になっていて、整形の土地を得るのが困難だったが、ムカッタムの丘であれば、広い敷地に 整然とした施設配置をすることが可能だったのである。造営は 彼の死の翌年に、スルタン位を継いだ 息子のナーシル・バルクークによって始められた。この新しい複合建築形式を創造した建築家の名は チェルケス・アルハランブリと伝えられ、種々の機能に独立した形を与えつつ、統一感のある全体像にまとめあげた腕は みごとである。

  
石造のミンバルと、墓室の内部

 技術的には 前節のイブン・トゥールーンのモスクから5世紀も経っているだけに、架構法は高度に発達していたので、レンガ造ではなく 石造によって、はるかに複雑で立体的な 空間と造形を獲得している。
 といっても 全体計画はシンプルな枠組みに納められていて、約 40m角の中庭のマッカ側が 列柱ホールの礼拝室となっているから、一見、通常のモスクのようにも見える。しかし 実際は 礼拝室の両側に 直径 14mを超える大ドーム屋根の墓室があり、その横手には3層のデルヴィーシュ(スーフィーの 修行僧)たちの寮室が並んでいる。
 2ヵ所の入口脇には、エジプトに特有の、下階の給水所(サビール)と上階の寺子屋(クッターブ)を組み合わせた施設がある。こうした複合施設は、後のトルコのオスマン朝時代に キュリエと呼ばれる公共建築複合体に受けつがれていくが、ここの全体が 大きなマドラサ(学院)のようにも見えるのは、イスラーム建築が 建築種別ごとにデザインを変化させる ということをしなかったせいである。

  
廟の外観と、墓室の天井

 初期のアラブ型列柱ホールと 最も異なるのは、大小さまざまなドーム屋根が 組み込まれていることだろう。ここでは 木材がまったく用いられず、列柱ホールの屋根でさえ、レンガ造の小ドーム屋根をつらねている。背の高い墓室の内部空間は 最も装飾的につくられ、大理石の寄木細工による カラフルなミフラーブまわりや、ステンドグラスの入った ゴチック風の3連窓、そしてドーム天井の有機的な装飾パターンが 強い印象を与える。
 北墓室には バルクークとバルクーク、南墓室には彼らの妻や娘が、男女を分けて葬られた。50mの高さの、繊細で手の込んだ姿をした双子ミナレットからは、ムカッタムの丘全体ばかりでなく、カイロ市街まで見渡すことができる。

( 2006年『イスラーム建築』第1章「イスラーム建築の名作」)




< 付・モスクにおける礼拝の形式 >

バルクーク廟のモスクにおける、少人数の礼拝の様子を 紹介する。


バルクーク廟の礼拝室における、夕べの礼拝


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