NEON GENESIS EVANGELION FAN FICTION
星に願いを 3


 みっともない顔。
 髪はぼさぼさ、目は真っ赤。
 泣きはらしているのが一目でわかる。
 惣流・アスカ・ラングレーともあろうものが、みっともない……
 あたしは手鏡を放り出し、ベッドにうつぶせになった。
 学校休も。
 こんな顔で人前に出れない。
 でも……今日はネルフに行かなきゃならないのよね。
 ミサトから何かいいファンデ、教えてもらおうかな。
 リツコの方がいいか。
 ああ、でも、もうどうでもいいわ。
 ネルフだって、一日ぐらい休んでも大丈夫でしょ。
 休み、休み。
 あたしは、このままもう一眠り……
 と
 部屋のドアをたたく音がする。
 ん?
 ああ、シンジね。
 今日はあたし、学校行かないのよ。
 だから、シンジ一人で行ってね。
 あたしは、寝不足なんだから。
 寝不足はお肌の大敵……
 ん?
 うるさいわね。
 行かないって言ってるでしょ。
 そうよ、具合が悪いのよ。
 心も、顔も、重病なの。
 そうよ、誰のせいだと思ってるの?
 でも、もういいのよ。
 終わったことだし……
 実はあたしって、結構あきらめがいいのよ。
 昔っから、物事に執着しなかったし。
 あんたは、あんたで、よろしくやってなさいね。
 あたしはもう邪魔なんてしないわ。
 知らなかったんだもん。
 しょうがないじゃない……
 
 ……
 
 いいかげんにしてよ!
 あたしは大丈夫だって言ってんのよ!
 さっさと学校にでもどこにでも、行ったらいいわ。
 早くしないと遅刻するわよ!
 
 ……
 
 わかったわ。
 わかったわよ。
 ええ、あたしは大丈夫よ。
 病気じゃないわよ。
 ちょっと……ね。
 大丈夫。すぐに元通りになるわ。
 だから、気にしないで。
 
 ……
 
 大丈夫だって言ってるでしょ!
 何回、言わせるの!
 
 
 
 ……
 …………
 ……………………
 
 
 
 
 
 
 
 
 行っちゃった、か。
 
 
 シンジの……
 
 
 
「ばか!」
 あたしはベッドの上に起き上がり、枕をつかむと思いっきりドアに向かって投げつけた。
 
 
 
 


 
 
「ね、アスカ行くでしょ?」
「ほえっ?」
「なーに。聞いてなかったの?」
「あ、あはは。ごめん。ごめん」
 あたしは、照れ笑いをして、ヒカリに振り向いた。
 結局、あたしは午後から学校に行くことにした。
 顔を洗ってみてみるとそんなにひどくなかったし、ファンデーションである程度ごまかせた。
 なにより、一人であの家にいることが耐えられなくなった。
 
 音が無い部屋。
 時計の音だけが響く部屋。
 色が無い部屋。
 あたしだけしかいないの部屋。
 誰もいない部屋。
 誰も……
 やりきれない気持ちが、心の底にたまっていく……
 
 
 あたしは4時間目から学校に来ていた。
 シンジはあたしを見るなり、安心したように微笑んだ。
 その顔を見ると、ちくんと針を刺されたように胸が痛む。
 ばかっ。
 なんで、あたしにそんな顔するの。
 あんたは……
 あの子を選んだんだから……
 あたしにそんな顔しないで。
 その顔を見ると、胸の奥がきゅっと苦しくなる。
 目の奥が、じんじんとしびれてくる。
 まっすぐに立っていられなくなる。
 あたしはシンジから視線をそらした。
 
 
 あの子は来ていなかった。
 あたしは、ほっとしていた。
 今、あの子を見て、あたしは冷静でいられる自信が無い。
 どうなってしまうのか、自分でもわからなかったけど、あの子と会うのはもう少し気持ちの整理がついてからにしたかった。
 でも、今日、ネルフに召集がかかっている。
 8割方の確立であの子と会う可能性が高い。
 そのことを思うと、今から気が重くなってくる。
 
 もともと、あたしはあの子のことを嫌っているわけではない。
 ただ、よくわからない。
 理解不能、とでもいえばいいのかな。
 別に、悲観主義者(ペシミスト)ってわけではないけれど、あたしは、すべての人と分かり合えるなんて、もともと思ってもいない。
 気が合わない人だって、いる。
 だから今まで、あたしはあの子のことを気にしたことは無かった。
 「ちょっと変わっている子」
 それがすべてだった。
 でも……
 昨日からあたしの心の中には、それとは別に、どす黒い雲が広がっていた。
 
 あたしは……いやな子だ。
 
 
「明日のお祭りよ。箱根祭り。この前から行こうっていってたじゃない」
「え? あ、そーそー、お祭り、お祭りねー」
 現実世界とずれていた意識をむりやりこっちのほうに持ってくる。
 頭を軽く振って、あたしは答えた。
「もー、しっかりしてよ」
 ヒカリはちょっとふくれたが、でもすぐに身を乗り出して話し始めた。
「アスカは、日本のお祭りは初めてだよね?」
「うん。そうよ」
「屋台とかお神輿とか実際に見たことないでしょ」
「うん、ないない」
「じゃ、行こ! きっととても楽しいよ。気分転換になるし」
 ヒカリ……
 いい子だね。
 ほんと、あなたと友達で良かったって思うよ。
 気を使わせちゃって……ごめんね。
「うん。わかったわ。お祭り、行く」
「そう、良かった」
 ヒカリは、あたしに気づかないくらいの小さなため息をもらした。
「じゃ、待ち合わせ場所、決めましょ」
「うん」
 あたしはヒカリの言葉に、うなずいた。
 
 
 


 
 
「アスカ、最近調子よくないわね」
「ええ、シンクロ率もこの前と比べて23ポイントも下がってます」
 廊下の向こうから、リツコとマヤの声が聞こえる。
 あたしは、歩みを止めた。
「起動指数ぎりぎりね。何があったのかしら。ミサト、知らない?」
「ふえっ」
 なんとも、間の抜けた声が聞こえた。
「『ふえっ』じゃないわよ。あんた、保護者でしょ?」
「あ? あーあー、そ、そうねぇ。と言ってもほらあたし、ほとんど家にいなし。えへへ」
「『えへへ』じゃないわよ。作戦部長さん。この状態で使徒が来たらどうするつもり?」
 リツコのため息がここまで聞こえてきそうだ。
 別に、あたしは立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど、なんとなく立ち去るタイミングを逸してしまった。
「アスカちゃん、一体どうしたんでしょうか? 七夕過ぎたあたりから落ち着きがなくなったと思ったら、今度は一転して落ち込んでいるみたいだし。今日なんかとてもひどい顔して、なんだか……その、泣きはらしたような目で……」
「あ、うーん。なんていったらいいか……青春なのよ、彼女も、きっと」
「ミサト。もしかして、シンジ君と何かあったの?」
「え、ええと、多分ナニもないとは思うんだけど。あはは……」
「全く……。年頃の男の子と女の子が、ひとつ屋根の下に住んでいるのよ。少しは気を使いなさい」
「し、しつれーねー。まるであたしが何にも考えてないみたいじゃないの」
「全然、全く、さっぱり、これっぽっちも考えていないでしょ」
「う゛……」
「あら、何か反論でも」
「ちゃ、ちゃんと、考えているわよ。シンちゃん、女の子に免疫がなさそうなんで、あたし、ちょっと露出が高い服を着たり、上目遣いでそそるような視線で見つめたり、わざと胸を押し付けてみたり……」
「あなたね……」
 リツコが本気で頭を抱えているのがわかった。
「あ、アスカちゃん」
 と、マヤがあたしに気がついた。
「あ、あ゛あ゛あ゛アスカいたの?!」
 あたしを見たミサトの頭に大きな汗のマークが張り付いた。
「い、今のは冗談よ、冗談。あ、あたしがシンちゃんにそんなことするわけないじゃない。やーねーリツコったら。おほほほほ……」
 ミサトの笑いがむなしく響く。
 リツコはジト目でミサトを見ている。
「シンジは関係ないわ」
 回りの喧騒をよそに、あたしは胸に手を当て、静かに切り出した。
「調子が悪いのは、純粋に「あたし」の問題よ」
「そ、そう、でもアスカちゃ……」
「明日から、ちゃんとやるわ。それで文句ないでしょ」
「……」
 リツコとマヤは顔を見合わせた。
 しばらくの間、ミサトは考え込んでいるようだったけど、やがて、あたしに視線を合わせた。
「わかったわ、アスカ。でもね、何かあったら相談してほしいの。一人で悩んでいるよりも、力になれるはずよ」
 ミサトの瞳に力が灯されているような気がしたのは、気のせい?
 あたしは、視線を下に落としながら、ぽつりと言った。
「……わかったわ」
 
 
 


 
 
 
 ネルフには、パイロット専用のシャワールームがある。
 パイロットの総数を考えると、これはかなり贅沢なような気がするが、そんなことで気が引けるあたしではない。
 シャワールームに入ると、そこは全部で6つのボックスからなっていて、一つ一つが、簡単なついたてで区切られている。すこし背伸びすると、隣が見えるくらいの高さのもの。
 あたしはそこのひとつに入り、タオルをドアにかけ、ノズルをひねる。
 クリーンルームでLCLは全部洗い流せるはずだけど、やっぱりシャワ−を浴びないとすっきりしない。
 ノズルから勢いよく出てくる水滴を顔で受ける。
 熱さが心地よい。
 すべてを洗い流してくれるような気がする。
 いやなことも、何もかも。
 たとえば、
 
 シンジがあの子と話しているのを見たこと、とか。
 その時、シンジが少しはにかむように笑ったこと、とか。
 シンジがあの子を、追いかけて行ったこと、とか。
 あたしのことを、ちょっと寂しそうな目で見たこと、とか……
 
 シャワーの音が、耳に響く。
 あたしは、目を、閉じた。
 
 
 どのくらい時間がたったのか?
 シャワーはいつの間にか、水になっていた。
 いや、あたしが温度を下げたんだ。
 体は冷えていたけれど、あたしの心の温度は、下がりそうになかった。
 あたしはノズルをひねってシャワーを止めた。
 髪の毛から、雫が滴り落ちる。
 金色の髪が濡れて、くすんだ色に見える。
 あたしはそれをじっと見ていたが、やがて髪の毛を両手でかきあげ、邪魔にならないように後ろでまとめる。
 バスタオルを取って、入り口のドアに向かった。
 
 
 紅い瞳と目が合った。
 
 
 彼女は衣服を、身に着けていなかった。
 生まれたままの姿。
 白亜の磁器のような白い肌。
 痩せている、痩せすぎに見える体。
 性別を感じさせない、まるで少年のような、透明な水のよう。
 それでいて、腰のあたりは丸みを帯びている。
 膨らみ始めた胸の隆起は、存在をわずかに主張し始めていた。
 形良くまとまっているが、あたしよりも一回り小さい。
 すこしだけ優越感を感じたが、そんなことを思った自分がひどく卑しい存在に思えて、彼女から視線をそらした。
 
 何か物言いたげな視線を感じたが、あたしはそれを無視して彼女の隣を通り抜ける。
 その時
 静かな声が、響いた。
 
「何故、心を閉ざすの?」
「心を閉ざす? あたしが心を閉ざしているって言うの?!」
 あたしは反射的に勢い良く振り返って叫んだ。
「そうよ」
 彼女は変わらず、静かな声で言った。
「な、なによ。あんたに何がわかるっていうのよ!」
 銀色の髪を揺らして、彼女は少しだけ振り向く。
 表情までは、わからない。
 あたしが興奮しているのと対象に、彼女は水のように静かだ。
 その、静かな水面に、小さな波紋が広がる。
「碇君、心配している」
 息が止まるかと思った。
「あなたのこと、とても心配している」
「う、うるさい! あ、あんたなんかに、何がわかるって言うの! あんたは……あんたは!」
 この子は……危険だ!
 あたしは、この子の前に出ると冷静でいられなくなる。
 理性のフューズが、たやすく切れてしまう。
 自分が自分でいられなくなってしまう。
「あんたはなんでいつも、そんなに冷静でいられるのよ!」
 だめだ。
 感情の制御がきかなくなってくる。
 もう一人のあたしが、必死にアラームを送ってくるが、ブレーキにはならない。
 このままでは、取り返しのつかないことになる。
 感情のヴォルテージが極限まで跳ね上がった。
「あんた……」
 だめ。
 それを言っては、だめ。
 もう一人のあたしは、必死に制御をかけるが、あたしの感情は、理性を軽々と押しのけたした。
「あんた、人形じゃないの?!」
 アスカ……
 あなた、自分で何言っているかわかってる?
「あたしは、人形じゃないわ」
 さっきとは違う、静かだが氷のような声が響く。
「あ、あんたは人形よ! あんた、碇指令が死ねって言ったら、死ぬんでしょ?!」
 彼女はほんの少しだけ躊躇し、そのとまどった自分に驚いているようだった。
 が、間をあけず、きっぱりと答えた。
「ええ」
 
 ぱん
 
 派手な音がシャワールームに響いた。
 
「やっぱり人形じゃない!」
 頬をはたかれたせいで、すこしうつむき加減。
 今にも泣きそうな顔にも、見える。
 その顔が、シンジのそれと重なった。
 あたしは歯を食いしばり、必死で声を振り絞る。
 
「みんな、みんな……だいっきらい!」
 
 頬につたわり落ちる、熱い何かを
 あたしは、感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

[続く]


あとがき
 『星に願いを』最終話Aパートをお届けします。
 いよいよ次が、最終パート。
 旧暦の七夕までに掲載できるといいのですが。
 

2000.8.2
なお

 
 

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nao@an.email.ne.jp