NEON GENESIS EVANGELION FAN FICTION
星に願いを 2B


「……アスカ」
 ちょうど校門を出たところで、あたしは声をかけられた。
 ちょっとくぐもった、張りのない声。
 振り向かなくてもわかる。
 シンジだ。
「その、ごめん。待ち伏せみたいなことして……」
 シンジは今にも消え入りそうな声で話かけてきた。
 あたしは振り向かず、だけど歩みを止めて、シンジの声を聞いていた。
 胸の鼓動を悟られないよう。
 意識して、ゆっくりと、呼吸をして。
 
 ここんとこ毎日、訓練&起動実験があったので、あたし達は授業が終わると、すぐにネルフへと行かなければならなかった。
 あたしはシンジと顔を合わせることがないように、なるべく早く教室を出てネルフへ直行した。訓練中は事務的なことしでしか口をきかなかったし、訓練が終わったら速攻で家に帰ってた。
 今日、久しぶりに訓練が休みだったので、夜までどう過ごそうかと思案していたところ。最後の授業が終わったとき、シンジの姿が無かったので、すこし安心、すこしがっかりして、帰りの支度をしたところだった。
 でも……
「でも、こうでもしないと、アスカと話せないから……」
 シンジの立場としてみれば、それは当然だと思う。
 ある日を境に、いきなりあたしがシンジを避け始めたのだ。
 なんの事前通告もなしに。
 シンジとしてみれば、その原因なり、事情なりを聞きたいと思ったに違いない。
 でも、あたしはそれをシンジに話すことが、できない。
 ので、今の今まで、そして今でも、シンジを避けつづけている。
「その、僕、何かアスカに嫌われることしたかな?」
 少し自嘲を含んだ、それでいて苦しそうな、声。
 その声に、あたしは胸が締め付けらる思いがした。
 今すぐ振り向いて
「なに言ってんのよ。ばか」
 って言ってやりたかった。
 その一方で、シンジから逃げたいという衝動に駆られている自分もいる。
 あたしはその二律背反で体が引き裂かれそうだった。
「もしかして、あの夜の……こと?」
 だんだんと小さくなってゆくシンジの声が頭の中でこだまし、七夕の日の夜のことが、脳裏をよぎる。
 
 あたりは漆黒の暗闇。
 光あふれる、銀河。
 触れ合う、肩。
 感じる、吐息。
 近づく、唇。
 シンジの瞳に写る、あたしの、瞳。
 
 気が付くと、あたしは駆け出していた。
 
 

 
 
「一体、いつまでやってるの?」
 エプロンをつけながら、ヒカリが聞いた。
 あたしは洞木家のリビングで、膝を抱えて座っている。
 あれからどこをどう走ったのか、検討もつかないが、気が付くとヒカリの家の前に立っていた。ヒカリはまだ帰ってなくて、家には誰もいなくて、あたしは玄関の前でヒカリを待った。
 帰ってきたとき、ヒカリはとても驚いた顔をしたけど。
 でも、すぐにいつもの笑顔になって、あたしを家の中へ入れてくれた。
「少しは、あたしに事情を話しくくれてもいいじゃない」
 ヒカリはそう言うが、本気であたしから聞き出そうとはしない。
 何かあると親友の勘は感づいてはいるらしいが、それほど深刻そうではないと思っているのか、あまり突っ込んだ質問はされない。
 いずれ時期がきたら、あたしから話してくれると思っているのだろう。
「今日は、お姉ちゃんも、ノゾミもいないの。ありあわせだけど我慢してね。アスカが来るとわかっていたら、ちゃんと用意したのよ」
 ヒカリは、陽気に鼻歌を歌いながら、準備に取り掛かる。
「そんな……」
 あたしは、そう言うのが精一杯だった。
 ホント、この前から調子が狂いっぱなしだ。
 以前のあたしはこうじゃなかった。
 もっと活動的で、くよくよなんかしてなくて、元気いっぱいだったはずだ。
 シンジなんかに何を言われても全然平気だったし、気に入らないことがあると、怒鳴りつけたりもしていた。
 ……
 やっぱ、あいつ、あたしのこと……うるさくて、暴力的だと思ってんのかな?
 
「元気ないね。アスカ」
 ダイニングのテーブルを拭きながらヒカリは言った。
「あ、あたし手伝うよ」
 のろのろとスローモーションのように、重い腰を持ち上げる。
「アスカは座ってて」
「でも……」
「いいのよ。大丈夫だから」
 そう言っている間にも、ヒカリはてきぱきと夕食の準備をする。
 ほんと、理想的な女の子よね。
 ヒカリって。
 はふ。
 ため息、だ。
「それより、碇君、今日は家にいるの?」
 シンジ?
 シンジは、多分、いる。
 今日は、ネルフへの召集も無いし……
 ミサトはネルフに行くって言ってたっけ。
 ミサトか。
 そういえば昨日、ベランダで涼んでいると、ミサトがひょこりと顔を出して
 
「ア、ス、カ」
「な、何よ……」
「あたしに何か隠し事してるでしょ」
 ミサトは片手に缶ビールを持ちながら、ニヤニヤしている。
「べ、べ、べ、別に何も無いわよ」
「それは、何も無いって顔じゃないわよん」
「ミ、ミサトには関係ないわ」
「あ、傷つくなぁ。それ」
 ミサトは笑って軽くいなした。
 街の灯りに目を向け、ビールに口をつける。
「あんた達がケンカしていると、なーんか辛気臭いのよね」
「だから、ケンカじゃないって」
「そう? ならいいんだけど」
 どうやらあたしたちのこと、酒の肴にする気はないみたいね。
 ちょっとは心配しているみたい。
「あんた達がケンカして、二人とも出て行ったら寂しいわ。あたしひとりだからね」
 ちょっとおどけてるが、瞳はとても優しかった。
 あれはあれで、気を使ってくれているのよね。
 いちお。
 
 ひとり、か……
 ……
 
 ふと、思う。
 あいつ。
 一人きりじゃ……ないのかな?
 今頃、一人で食べているのかな? ご飯。
 あたしもいない、ミサトもいない、あの部屋で。
 
 誰もいないとき、一人でご飯を食べたことがある。
 なんだか寂しくなって、リビングに行ってテレビをつけて、食べたっけ。
 なんで次からは、シンジが帰ってくるまで、ずっと待っていることにした。
 シンジがいると、部屋が暖かくなる。
 一人じゃないから。
 独りだって、思わなくていいから……
 
 がばっ。
 そう思ったら、いきなり、シンジのことが心配になってきた。
 あいつ、このところあたしが冷たかったんで、寂しい思いをしているんじゃ……
 
「ヒカリ! 悪いけどあたし、帰る!」
 あたしは慌てて支度をする。
 ヒカリがキッチンから出てきた。
「うん。それがいいわ」
「ごめんね、夕食の準備までさせちゃったのに」
「気にしないで」
 にっこりと、ヒカリが笑った。
 あたしはその笑顔に赤くなったが、思いっきり親愛の情を込めて、抱きついた。
 
 
 


 
 エレベータの扉が開くと同時に、部屋へ向かって駆け出した。
 キーをアンロックするのももどかしく、ドアを開ける。
 肩で息をしながら、靴を脱いでリビングに入った。
 
 照明が落とされた、部屋。
 壁のスイッチを探し、電気をつける。
 まぶしさに、一瞬、目を細める。
 テーブルもキッチンも、きれいに片付けられていた。
 食事をした跡が無い。
 シンジは、まだ帰ってないの?
 シンジの部屋の方へ向かおうとした時、浴室からもれてくる、シャワーの音が耳に入った。
 シンジ……お風呂?
 規則正しく、水の流れる音が聞こえる。
 あたしはほっと一息つくと、ダイニングチェアのひとつに腰をおろした。
 鞄を床に置いて、部屋を見回す。
 きちんと整理された、キッチン。
 きれいに壁にかけられた、フライヤー、お玉、トング。
 スパイスケースもちゃんと並べられている。
 流しには、洗い残しの食器はない。
 洗い物を残さないのが、シンジの几帳面なところなのよね。
 左に目を移すと食器棚。
 ミサト、一人暮らしだった割には大きな食器棚を持っていたんで、あたしとシンジの食器を入れてもまだ余裕があった。
 こんなに大きな食器棚持ってて、ここに婿でも取る気だったのかしら。
 壁に貼ってある当番表。
 ほとんどシンジが一人でこなしているので、有名無実化しちゃったけど。
 同居している女2名……立場が無いわね。
 
 一人のときは、すごい殺風景に思ったんだけど、壁一枚隔てても同じ家にシンジがいるというだけで、全然、違う。
 
 と、そのとき、シャワーの音が止まり、バスルームのドアが開く音がした。
 リビングを隔てるアコーディオンカーテンの向こうで、シンジの気配がする。
 と、そのとき
「アスカ、帰ってきたの?」
 台詞とともに勢いよくカーテンが開かれた。
 お風呂上りの、ちょっと上気した顔。
 濡れっぱなしの、髪。
 そして気のせいか、ちょっと潤んだ、黒い瞳。
 こくん。
 あたしはちょっと顔を赤らめて、視線をそらし、小さくうなずいた。
 だって……
 だって、シンジったら、上半身裸なんだもん。
 さすがに下はバスタオルを巻いているけど……
 花も恥らう乙女の前なのよ。
 ちょっとは気を使いなさい。気を。
「そ、そっか。あ、アスカ、ご飯、まだ? 僕、まだだから、これから作ろうと思って。い、一緒に食べる?」
 でもシンジは、一向に気づいた様子はない。
「あ、それとも食べて来ちゃった?」
 少し声がトーンダウンする。
「え? ううん。まだよ。まだ」
「そ、そっか。良かった。ちょっと待っててね。今作るから」
 なんだか、シンジ嬉しそう。
 その姿を見ていると、あたしも嬉しくなってくる。
 でも、シンジを見ていると、心臓がどきどきするのは相変わらず。
 息も、できないくらい。
 でも。
 この、どきどきが……
 
 なんだか
 気持ち、いいの
 
 と、シンジが着替えにあたしの前を通り過ぎようとした瞬間。
 
 はらっ
 
 何かが、落ち、た。
 
 
 ……
 …………
 ………………
 ……………………
 …………………………
 ………………………………
 ……………………………………
 
 
 
 
「きゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」

「う、うわあああぁぁぁぁぁ! ご、ごめん!」
 
 
 
 
 


 
 
 
 カーテン越しに差し込む、朝の光。
 やわらかくあたしを包んでいる。
 鏡の前で、薄くリップを引き、上下の唇を合わせる。
 ん、完璧。
 午前7:30
 あたしはすでに制服に身を包み、後は靴を履けば、いつでも学校に行ける準備が整っていた。
 ひとつ深呼吸をし、部屋のドアを空け、リビングに向かう。
 
「お、おはよう」
 キッチンに向かっているシンジに声をかける。
「あ、お、おはよう。早いね、アスカ」
 シンジは、あたしを振り向いて、こころもち顔を赤らめた。
「な、なによぉ。あたしだってちゃんとおきるんだから。たまには……
「う、うん。そうだね。ごめん、ごめん」
 シンジは笑いながら、それでも、忙しく手を動かしていた。
 さりげなく、自然に言えたかな?
 変じゃなかったかな?
 あたしは、まだ上気する頬を、ちょっとたたいた。
「あ、あたしも手伝うよ」
 制服の上からエプロンをかぶって、キッチンへ入る。
「あ、大丈夫だよ。もうすぐ終わるから」
「でも……」
「そう。じゃ、お皿、並べてくれるかな?」
 キッチンの入り口で立っているあたしを見て、シンジは笑顔で言った。
「それと、コーヒーカップも。コーヒーは多分もうできていると思うよ。それと、冷蔵庫に野菜が洗って入れてあるからそれを出して。あ、ミサトさんの分はいらない。今日は起こさないでくれって」
 シンジは、てきぱきと指示する。
「あ、はい」
 あたしは、返事をして、言われた作業に取り掛かった。
 
 昨日、あれから大変だった。
 あたしも大変だったけど、シンジがすごい恥ずかしがっちゃって。
 でも、ご飯を食べないわけにはいかないから、なんとか支度をして、二人で食べて。
 食べているときも、あたし達は、終始無言だった。
 シンジは、ずっと真っ赤で、てれちゃって。
 でも、それがかえって、あたしに精神的な復活を促すことになったみたい。
 シンジを見ても、大丈夫。
 前みたいに、「逃げ出したい!」 と、思うことがなくなった。
 あ、正確に言うと、まだ、恥ずかしいっていう気持ちは、ある。
 胸が、どきどきする。
 顔が、赤くなる。
 でも、なんていうか、それが、そのまま受け入れることができるっていうか。
 上手く説明できないんだけど、それが、あたしのあたりまえ、普通の状態になっていて、とりたててパニックを起こすようなことはなくなったの。
 でも、昨日はシンジがあの状態だったから、ろくに話もすることができなくて、すぐにお互いの部屋に入っちゃったけど……
 今日は、ちゃんと話さなきゃ。
 今まで、ごめんねって。
 嫌いになったわけじゃないよって。
 
 でも、やっぱ、面と向かって言うのは恥ずかしくて、なかなか言い出せない。
 朝ご飯も終わって、食器を片付けて。
 気が付くと、学校へ行く時間になっていた。
 
 


 
「あ、あの……そ、その、ね……」
「ん? なに?」
 あたしは学校へ行く途中、シンジに声をかけた。
 かけたけど……
 ああっ!
 やっぱり恥ずかしい!
 シンジの顔をまともに見れないよ。
 でも、ちゃんと。
 ちゃんと、あやまらなきゃ。
 でも、気ばかりあせって、言葉が出てこない。
 ああ、もう!
 そんなあたしの様子を変に思ったのか、シンジがあたしの方を見た。
 と、そのとたん
「あうっ!」
「あっ!」
 あたしは、何かにつまずいて倒れそうになった。
 でも、シンジがすばやく支えてくれて。
 あたしは、倒れないようにシンジにつかまって……
 でも、これって
 結果的に言うと
 抱き合っている……格好なんだよね。
「あ、ごごごごごごごごめん。ごめんなさい!」
「あ、い、い、い、い、い、いや、いいよ。だ、大丈夫だった?」
 あたしは、首振り人形のように(そんなものがあるのかわからないが)首を縦に何度も振った。
 はずかしーよー。
 なんで、何も無いところで、こけるかなぁ。
 あたしは顔を赤くしてシンジを見た。
 シンジもあたしの方を見ている。
 と、突然
「ぷっ……」
 笑いの衝動が二人を包んだ。
「ふ、ふふふ……」
「あ、あはは、あはははは」
 あたし達は、笑った。
 何がおかしいのか、わからなかったけど。
 
 でも、シンジ。
 笑顔がまぶしい。
 
 そのとき
 突然、わかった。
 まるで、今まで頭の上にあった真っ黒な雲が、さっと水平線のかなたに去っていったかのように。
 あたしの心は、晴れ渡っていた。
 
 あたしは、シンジのことが
 
 好きなんだ!
 
 
 この笑顔も
 あのしぐさも
 そのやさしさも。
 
 全部。
 好き、なんだ。
 
 なんで今までわからなかったんだろう。
 こんな簡単なことが。
 あたしは、新たな物理学の法則を発見した科学者のように興奮していた。
 
 
 告白……
 
 どきん!
 その言葉に、あたしはどきまぎした。
 告白、か。
 こくはく……
 
 あたしは隣を歩くシンジをチラッと見る。
 シンジはあたしの視線に気づいて、にっこりと特上の笑顔を、くれた。
 
 
 


 
 でも、いつ、どうやって告白したらよいものか、全然わからなかった。
 ドイツにいたとき、告白されたことは何度となくあった。
 でも、あたしはそのとき、男の子と付き合う余裕が、時間的にも精神的にも全然無くて、すべてお断りしていた。
 女の子の友人というものもあまりいなくて、ましてや恋の相談なんかできる親友は一人もいなかった。
 ヒカリ、だ。
 あたしは、日本で初めてできた友人の顔を思い浮かべた。
 ヒカリだったら、何がいいアイデアがあるかもしれない。
 
 と思って、相談しに行ったのはいいけれど。
 いざとなると、やっぱり話そびれちゃって。
 結局、何の収穫も無いまま、洞木家を後にしたのだった。
 ま、いいか。
 
 でも、よく考えると。
 告白って、普通、男の子の方からだよね。
 なんで、女の子のあたしからしなきゃいけないのかしら。
 そう思ったら、突然シンジの鈍感さに腹が立った。
 あいつったら、そばにこんなにかわいい女の子がいるっていうのに、全然気が付かないんだから。
 まったく、もー。
 いったい、あいつはなにやってんのかしら。
 あたしが、こんな気持ちでいるなんて、ちょっとは気づいてもよさそうなのに。
 もー、シンジのドンカン、ドンカン、ドンカン!
 
 などとぶつくさいいながら、帰り道にある、高台の公園を歩いていた。
 ここはちょっと見晴らしが良くて、恋人達にはもってこいの場所だった。
 夕方の公園は、人気も少ない。
 いいムードかも。
 シンジと二人でこんなとこ歩けたらなぁ。
 えへへ。
 
 なんてことを思いながら、何気なく、一組のカップルに目を向けた。
 
 目を向けて、
 あたしは、立ち止まる。
 
 そのカップルは、街が一望できる、公園のはずれにいた。
 あたしから見ると、夕陽を背にして。
 
 一人は、シンジだった。
 
 そして、もう一人。
 銀色の髪が夕陽を反射して、きらきらと光っている。
 紅い瞳の
 あの子
 
 
 
 その、2つの影が……
 
 
 重なった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

[続く]


あとがき
 『星に願いを』第弐話Bパートをお届けします。
 Aパートを掲載してからすでに10日がたってしまいました。
 申し訳ありません。(汗)
 
 あと、残すところ、2パート。
 旧暦の七夕までに完結していると、いいな。(汗)
 

2000.7.26
なお

 
 

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