NEON GENESIS EVANGELION FAN FICTION
星に願いを 2


 音を立てないように、部屋のドアを空ける。
 後ろ手でドアを閉めて、足音を忍ばせ、廊下を歩く。
 リビングルームに入ると、カーテン越しに透き通る、朝のやさしい光が部屋を満たしていた。
 楽しげな小鳥の声が、聞こえてきそうだ。
 
 かなり早い、朝の時間。
 ミサトなんか当然、起きてくる時間ではない。
 シンジもまだ、ベッドの中で夢を見ているに違いない。
 あたしはすでに学校の制服に身を包み、あとは玄関に行き、靴を履くだけ、という準備万端の体制になっている。
 ちらっと、シンジの部屋の方を向いた。
 それだけで、心臓の鼓動が1.5倍くらいに跳ね上がる。
 鞄を持っていない方の手――右手で、胸をおさえた。
 それくらいでは、この高鳴りは、全然収まりそうにないんだけど。
 目を閉じて、大きく息を吸い込み、深呼吸の要領で心を落ち着かせる。
 
 と、そのとき
 シンジの部屋のドアが、開いた。
 薄いブルーのTシャツに、グレーの短パン。
 数瞬、あたしを見つめ、やがて少しはにかむような、悲しげなような、なんともいえない笑顔を向けた。
 あたしは、その表情を見つめ続けることができなくて、視線をそらす。
「アスカ……」
 重い声が、リビングに静かに響く。
「最近、早いんだね……」
 あたしの返事を期待しているのか、シンジはそれっきり何も言わない。
 視線をそらしたまま、あたしは右手をぎゅっとにぎり締める。
 息苦しい。
 突然、あたしの周りから、空気がなくなってしまったかのようだ。
 
 あたしはあの日以来、まともにシンジの顔を見ることができなくなっていた。
 顔を合わせると、あのときのことが思い出されて、どう対処してよいかわからなくなってしまう。
 喉に何かが詰まってしまったかのように、声を出すことができなくなり、思考も頭の中でぐるぐると空回りを続ける。
 心臓は踊りだし、体中の血液がいっせいに頭に集まり、顔の表面が、まるで日焼けでもしたかのように熱い。
 なので、あたしとしては、なるべくシンジと会うことが無いように、こんな朝早くから起きだして、シンジが起きる前に登校してしまうことにしていた。
「……アスカ」
 沈んだシンジの声が聞こえる。
 あたしは、居たたまれなくなり、くるっと振り向いて玄関へ向かって駆け出した。
 と、その拍子
 
 ごいんっ!
「あうぅっ!」
 目の前が暗転し、一瞬、カラフルな星が飛び散った。
「……――っつ」
 あたしは頭を抑えてうずくまった。
 こ、これは壁ね。きっと。
 振り向いた時に、そこに思いっきり突っ込んでしまったんだわ。
 ああ、もう、最悪……
「アスカ、ちょっと見せて」
 耳の近くで、シンジの声が聞こえる。
 シンジはあたしの手を取り、髪をかきあげて、壁にぶつけたおでこを心配そうに覗き込んだ。
 
 どきん
 
 あたしのすぐ近くに、シンジがいる。
 あたしの目の前に、シンジの顔が見える。
 あの日と、同じくらい、近くに……
 あの時は、静寂と暗闇との中で。
 今は、朝のやわらかな光に包まれて。
 すこし開きかけたシンジの唇から、吐息いがもれる。
 あたしはその唇を、じっと凝視していた。
 ふ、と、あたしは、シンジの視線に、気づく。
 目が合ったとたん、一瞬で顔が真っ赤になるのがわかった。
「……ゃ……」
 あたしは恥ずかしさのあまり、うつむき、力なく、つぶやく。
「あ、ご、ごめん」
 シンジは、慌ててあたしの額から手を離した。
 あたしは急いで立ち上がると、シンジの脇を通り過ぎ、今度は壁にぶつからないように慎重に方向を定め、玄関の扉を開けた。
 
 

 
「大丈夫よ。ちょっと赤くなっているけど」
 あたしのおでこをなでながら、ヒカリは言った。
「あ、ありがと」
 あたしは、まだ、すこしだけずきずきする、おでこをさする。
「でも、なんだって壁にぶつけたの?」
 ヒカリは、くすくすと笑った。
 あ、なんか、かわいい。
 笑った顔なんか、特にいーわねー。
 すれてなくて、なんか良いなぁ。
「な、何? アスカ」
 うっ、ヒカリ、そんなにあからさまに引かないでよ。
 あたしが、怪しい視線を送ったからって。
 あたしは単に、かわいいものを愛でる目で見てただけよ。
 こほん
 あたしはわざとらしく咳払いをした。
「で、アスカ……」
 ヒカリが声を潜める。
「一体どうしたのよ」
「何が」
「何がって、わかってるでしょ」
 一転して、心配そうなヒカリの目。
「わ、わかってるって、何がよ」
「ん、もう」
 できの悪い妹を叱るような、優しい、瞳。
 ヒカリは、さらに声を潜める。
「い・か・り、クンのことよ」
 いかりクン、ね。
 わかって……るわ。
 わかってるのよ。
 あれだけ、あからさまに態度に出していれば、誰だって気づく。
 そう。
 あたしは、シンジを……避けている。
 それは家に限らず
 学校でも、ネルフでも。
 ここ数日、あたしはシンジとまともに話をしていない。
 話をするどころか、顔も合わせていない。
 以前は、学校では、毎日といっていいほど、シンジとケンカをしていた。
 ケンカの原因はとってもくだらないこと。
 たとえば……そうね。
 人から頼まれごとをされたりすると、シンジって断れなかったりする。
 別にいいのよ。
 いいんだけど……
 その相手が、女の子だったり……
 それが、ちょっとかわいかったり……
 シンジが少しでも、でれでれしてたら……
 ……なんか……むかつく。
 気分は最悪。
 いらいら、したり。
 ちょっとしたことで、怒りを爆発させたり。
 
 この前、お弁当にあたしのきらいなピーマンが入っていたことがあった。
 あたしは、シンジのことでちょっと不機嫌だったけど、おなかすいてたし、シンジのお弁当が食べられる幸せを思うと、ちょっと許してあげようかな、なんて寛容な気分になってたの。
 (えらそう? そうよね。きっと……)
 でも、お弁当のふたを開けた瞬間、気分は180°方向転換。奈落の底に突き落とされたわ。
「シンジ! なんでピーマンなんかいれるのよ! あたしがきらいだってこと知ってるでしょ!」
 多分、あたしはとてもひどい態度をシンジにとっているのだと思う。
 シンジは、たまたま一緒に住んでいるというだけで、あたしの分のお弁当をわざわざ作ってくれているのだ。
「1つも2つも、作るのに変わりないよ」
 と、シンジは言うが、時間をかけてお弁当を作ってくれたシンジに対して、あたしは感謝の気持ちどころか、怒りをぶつけたのだ。
 それも、とても身勝手な理由で。
「でも、とても栄養があるものだから、少しは食べないとだめだよ。今日はちょっと工夫をしてみたから試してみてよ」
「だ、だからといって、あたしに断りも無く入れないでよ!」
 むちゃくちゃ、だ。
 シンジは、あたしのために良かれと思ってやってくれたのに。
 その場は、ヒカリがあたしをなだめすかして落ち着かせ、何とかその新作のピーマン料理を、あたしの口に入れさせることに成功した。
 食べてみると、あたしの嫌いなピーマンの苦味がなくて、とてもおいしかった。
 
 あとで、いつも、落ち込む。
 なぜ、あんな態度を取ってしまうんだろう。
 あたしって、とてもいやな女の子だわ。
 あたしが男だったら、こんな女の子、絶対に好きにはならないだろう。
 身勝手で、わがままで、すぐに怒り出す。
 感謝の気持ちも、表したことがない。
 強引で、自分勝手で、いつもいばりちらして。
 でも……
 自分でも、どうにもならないの……
 シンジの前に出ると、必要以上に気を張らずにはいられなくなる。
 そうしないと、自分が自分でなくなっていく気がして。
 甘えたら、だめだって。
 自分の弱いところを、見せたら、だめだって。
 ドイツにいたときも、そうだった。
 精一杯、背伸びして、虚勢を張って……
 
 でも、もうだめ。
 今、シンジをまともに見たら、何を言い出すかわからない。
 あたしは、とても混乱しているんだと思う。
 冷静になって、考える。
 原因は、おそらく、あの夜のことだろう。
 あの夜の……
 
 ふと、シンジが座っている席を振り返る。
 そこには、シンジのほかに、いつものメンバーがいた。
 鈴原と、相田。
 三人は、何故か気が合うみたいで、いつも一緒。
 三バカトリオ、という、とってもありがたくない呼称まで頂いている。
 シンジはその中で、屈託のない笑顔で笑っていた。
 あたしはその笑顔を見て、まぶしさに目を細める。
 シンジの笑顔って……
 
 ……かわいいな
 
 
 今、あたし、何思ってたの?!
 シンジの方を見て、笑顔に見とれて……
 ぼっ!
 瞬間、耳まで顔が赤くなるのがわかった。
 うっわー
 あたしったら、なんてこと思っているのよ。
 シンジのことかわいいですって!?
 恥ずかしい!
 
 と、シンジと視線が合った。
 がたがたがた……
 あたしは、椅子を乱暴に引いて教室を飛び出した。
 
 

 
 真夏の日本では、水道から出る水は、期待したほど冷たくはない。
 けれど、ほてったあたしの頬を冷やすには、十分な温度だ。

 あたしは、何度も、何度も、何度も……水を顔に、かけた。
「アスカ……」
 背中から、ヒカリの心配そうな声が聞こえる。
「アスカ、碇君と何かあったんでしょ?」
 ヒカリは、あたしのそばに近づいた。
「何があったか、あてて、みせようか?」
 あたしは、顔から水を滴らせ、シンクに両手をついたまま、聞いていた。
「碇君に告白されたんでしょ?」
 ばしゃん!
「そ、そ、そんなこと、されてないわよ!」
「違うの?」
 少し悲しげな顔で、ヒカリは言った。
「おかしいなぁ。この前からのアスカの態度を見ると。絶対そうだと思ったんだけどなぁ」
 ヒカリは腕組みをしながら、思案げな表情を作る。
「それで、アスカは舞い上がっちゃって、まだ返事をしてない、ってのがいい線だと思ったのに」
「な、な、何、勝手なこといってんのよ」
「じゃあ、わかるように説明してよ。最近のアスカ、変だもん。友人としては気になるじゃない」
 説明、か。
 何をどう説明したらいいのだろう。
 
 七夕の夜。
 二人きりになって。
 いい雰囲気(ムード)になって。

 キスを……
 しそこねました……
 
 
 ……言えないわ。
 だって……
 だって、シンジは
 まだ、あたしに「好き」と、言ってくれてない。
 
 そうなんだ。
 シンジはいったい、どういう気持ちであたしにキスをしようとしたのだろうか?
 シンジはあたしのことを好きなんだろうか?
 こんなに乱暴で意地の悪い女の子なのに。
 普段の態度を見ると、それは……ない、かなぁ。
 だとしたら、やっぱ雰囲気に流されちゃった……のかな?
 シンジだって、男の子だもんね。
 好きな子じゃなくても、いいムードになったら、弾みでキスぐらいするかもしれない。
 キス……か。
 
 あいつ
 あの子と
 キス
 したの
 かな?
 
 
「……アスカ、アスカ、アスカ!」
「う、うわっ。な、何よヒカリ。大声出して」
「何よ、じゃないでしょ。一人で、トリップしちゃうし」
 そのとき、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「授業が始まるわ」
 あたしを振り返り、ヒカリが言った。
「……うん」
 あたしは、今浮かんだ考えを振り払うように頭をふり、ヒカリの後について駆け出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

[続く]


あとがき
 『星に願いを』第弐話Aパートをお届けします。
 なかなかいい調子での更新です。
 このまま、最後まで行ってくれればいいのですが。(笑)
 次回もそんなにお待たせしないはずです。
 であであ。
 

2000.7.16
なお

 
 

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