「もしかして・・・ソフィーの両親は仲が悪かったのかな?一番身近な両親がそんなだから、キスされるのが恥ずかしいだなんて刷り込まれたのか?」
「でもハウルさん。ソフィーは僕やヒンやおばーちゃんにはニコニコ笑ってキスしてくれますよ。」
言い難そうにおずおずとマルクルが口を挟みました。
ハウルはぽかんっと口を開けて固まります。
開け放たれた窓から入り込んだ風がそんなハウルをからかうように吹き抜けました。
「何、だって?」
「えっと。あの。その・・・」
ハウルさん、顔が怖いです、と正直にマルクルは口に出来ませんでした。
怯えて半歩後ずさりながら、マルクルは師匠の迫力に促されるように言葉を紡ぎます。
ソレは酷く聞き取り辛く、ハウルの耳に届くのがやっとでした。
「ソフィーは、おやすみなさいのキスとか、ありがとうのキスとか、良くしてくれますけど、別に照れてるみたいじゃなくて、自然な感じで。あんな風に真っ赤になって怒るのは、ハウルさんからキスされた時だけなんです。だから僕、いっつも何で怒るのかなって、分からなくて。」
不吉な静けさが辺りを覆いました。
ハウルの不自然な色の無い表情がマルクルに向けられます。
短く息を呑んで叫び声を飲み込むのがやっとのマルクルは、救いを求めるように階段に目を向けました。
そしてそこに、二つの黒いショートブーツを見付けたのです。
「あ・・・!」
「・・・つまり。」
救世主の名前を呼び掛けたマルクルに気付かず、悲壮な表情でハウルが呟く。
「僕からのキスだけを、ソフィーはあんなに嫌がってるっていう事?」
「ハ、ハウルさんっ!」
軽い足音の主と両手で顔を覆って嘆いているハウルを交互に見て、マルクルは慌てました。
「僕以外にはソフィーから笑顔付きでキスもするだなんて・・・!ああ、何て神様は意地悪なんだ!」
「ハウルさんっ!」
足音は規則正しくハウルへと近付いていきます。
「僕がこんなにソフィーを愛してるのに、ソフィーはそうじゃないだなんてっ!!今僕は世の中の全てが色褪せて見えるよ、マルクル。こんな絶望があっただなんて・・・」
ぴたりと足音が止まりました。
そしてぱこんっとハウルの頭を叩く何か。
その『何か』に、ハウルは勢い良く伏せていた顔を上げました。
そこには。
怒っているんだか照れているんだが、一見では判別の付かない表情のソフィーが居ました。
「ああ、まさかとは思っていたけど。本当に分かってなかっただなんて!!」
「・・・ソフィー。」
「マルクルが間違った認識を持っているのはハウルの所為ね?!マルクル!ハウルの常識は間違ってるわっ!」
真っ赤な顔をしたままソフィーは身を守るように手に持っていた箒を抱き締めました。
どうやらこの箒は、ソフィーにとってお守り代わりのようです。
随分風変わりなものですが。
「さっきから聞いていれば好き勝手な事ばかり!」
「ソフィー、ソフィー!ねぇ許してくれる気になったの?!」
漸くほんのちょっぴり開いた心の扉に跳び付くようにハウルはソフィーの身体を胸に閉じ込めようとしましたが、ソフィーが突き出したほうきに阻まれてしまいました。
「未だ許してないっ!ちゃんと約束してくれなきゃ一生口なんて聞いてやらないんだから!」
「約束って何?あ、もしかしてもうキスするなとか無茶な要求だったら、約束なんて出来ないから!」
自分で口にして、本当にソレがソフィーの望みだったらこの世の御終いだという顔をしたハウルに、ソフィーは困った表情を浮かべました。
「そういう事じゃなくて。」
急に口が重くなったソフィーに、甘えたがりの子供が母親に纏わり付くようにハウルは少しでも近付こうとうろうろとします。
近付けば箒が追い払うように左右上下前後に揺れるので、いつまで経ってもソフィーを抱き締める事は出来ず、眉を寄せて悔しそうに唇を噛み締めます。
そうすると、二人の十近い年の差など夢か幻のようです。
「・・・もっと場所とか時間を、考えて欲しいの。」
か細い声と真っ赤になった頬を見て、ハウルは彼女が恥ずかしいと強く感じている事を知りましたが、彼女の言葉の何処に彼女をそうさせる要因があるのか皆目検討も付きません。
首を傾げて考え込もうとするハウルを見て、ソフィーは絶望的な顔をしました。
「信じられないっ!なんで分かってくれないの?!」
「ごめん、ソフィー。君の言っている事が分からないよ。」
「・・・本当に?」
疑わしそうに眉を寄せるソフィーに、素直にハウルは頷きます。
よろりと細い体を揺らして、ソフィーは殆ど崩れる様に椅子へと腰掛けました。
その弱々しい仕種に仰天したハウルが飛びつく様にソフィーの肩を抱きました。
今度は意地悪な箒に邪魔される事もありません。
「ソフィー、ああ、どうしちゃったんだい?」
「どうしたもこうしたも・・・ああ・・・本当にハウルは何処までもハウルなのね。」
「言ってる意味がさっぱり分からないよ!マルクル!お水!」
「はいっ!」
ぱたぱたと戸棚へと走り水を汲むマルクルに視線を転じた後、ソフィーはゆっくりとハウルの心配そうな顔を眺めました。
男にしては整い過ぎている顔立ちは嫌味をまったく感じさせず、見ているだけでも飽きる事はないでしょう。
ソフィーもこんな気持ちでさえなければ、こっそりと見惚れていたかもしれません。
先ほどまで怒って口も聞きたくないと思っていたのに、なんだか既に目の前の魔法使いを許してしまっている自分に気が付いて、ソフィーは複雑な気持ちになりました。
散々振り回されて、腹を立てていた筈なのに、落ち着くべき所に落ち着いてしまったような、諦めにもちょっぴり似た穏やかな気分。
・・・悪くありませんでした。
「ハウル・・・あのね。」
ハウルはこんな時は驚くほど敏感です。
ソフィーの声に怒気がちっとも含まれていない事に気が付いて、嬉しそうに笑いました。
「なんだい。」
ソフィーの前に膝を突いて、白い手を両手で包み込んで見上げてくるハウルは、まるで御伽噺に出て来る王子様のようで、ソフィーは急にドキドキしてきてしまいました。
深呼吸を一つすると、考えた末に小さく言葉を紡ぎます。
「・・・親しい人にするおはようのキスや、おやすみなさいのキスと、その、私にするキスって、同じ?」
「挨拶のキスと、ソフィーにするキスは勿論別物だよ。」
「・・・そうよね?その違いは分かってるわよね。」
分かっていてもアレなのかと、ソフィーはなんだか居た堪れない気持ちになります。
それでもはっきり言ってやらなければ、この我が道を行く魔法使いはきっと、あの事を改める事は無いでしょう。
透明で冷たいお水がなみなみと注がれたガラスのコップを持ってマルクルがソフィーの傍に戻ってきました。
お礼を言ってそれを受け取ると、ソフィーはくいっと一息でお水を飲み干しました。
喉をすぅっと通る清涼感に励まされてハウルを真っ直ぐに見詰めます。
「私。とても恥かしいの。」
「は?」
「人前で、その・・・あんな風にキスをされると。私はハウルと違うから。慣れてないし。」
「え?慣れてないって?・・・キスの事?」
「皆が見てるのに、あんな風にしないで!ハウルはいつも突然で私心臓が壊れそうなのよ。ハウルは平然としているのに一人で慌てて馬鹿みたいだし。所構わず、だなんて若いだけが取り柄の考え無しの人みたいで、嫌なの。」
ソフィーの淡々とした口調に、ハウルは目を丸くしました。
耳まで真っ赤なのに冷静を必死に装ってハウルに訴えるソフィーの気持ちを少しは汲んでくれるのでしょうか?
横ではマルクルが師匠に倣ったかの様にぽかーんと口を開けて、つっ立っていました。
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