彼と彼女の温度差 -3-
「それって、やっぱりキスするなって事なの?」
顔色を失ったハウルの、死にそうな声に、ソフィーは「そうじゃなくて!」と早口で返します。
「場所と時間を考えてって言っているの!」
恥かしくてこっちが死んでしまいそうだと、ソフィーは熱を持った頬を隠す様に両手で包み込みました。
ソフィーの言葉は、人前でキスするなと言っている訳で、裏を返せば、ソフィーが不必要な羞恥を感じる場所でさえなければ、キスしても良いという事になるのです。
恋愛事に初なソフィーに取って、この発言だけでも、清水の舞台から飛び降りるような多大な勇気が必要でした。
きっとこの感覚は恋愛上手なハウルには分からないんだわと、心の何処かがちくりと痛みましたが、ソフィーはそれに気が付かない振りをしました。
「キスするには場所と時間を考えて・・・?何で?」
ケロリとしてハウルは言いました。
ソフィーはその言葉を頭の中で3回は繰り返し再生して、まるで蝋人形の様に顔色を失いました。
「だって、ソフィーにキスするのはしたいと思った時なんだよ。場所と時間を考えてするような、そんな種類のキスじゃないでしょ?ああ、ソフィー。君がさっき言った通りじゃないか。朝の挨拶やお休みの挨拶とは違う。時間も場所も決まっているキスと、愛しくて堪らない時にするキスは違うだろう?」
聞き分けの無い子供に言って聞かせるような、穏やかで力強い声でした。
ソフィーはぱくぱくと言葉にならない声を逃がす様に唇を動かしました。
「それなのに、ソフィーは場所と時間を考えて、だなんて無茶を言う。本当に君は未だ恋愛に不慣れなんだね。」
くすくすと笑い愛しげに手を伸ばしてソフィーの頬を撫でようとするハウルから、ソフィーは本能だけで逃げました。
頭がパンクしそうになりながら、ああ、やっぱり、と心の何処かで思っている自分を感じます。
ハウルには、何を言っても通用しないと。
怒るだけ無駄だったのかも、とも思います。
「ソフィー。」
「もう一回言うわ。・・・いいえ。ハウルが分かってくれるまで何回だって繰り返してやるんだから!時間と場所を考えて!じゃないと私、一生ハウルとキスなんかしてやらないんだから!」
「ええっ!ちょっと待ってよソフィー。君は僕の話をちゃんと聞いていたのかい?!」
「聞いてたわよ!でも私は嫌なの!ハウルは平気かもしれないけど、人の目が有る所で、その・・キ、キスなんて冗談じゃないわよ!恥かしくて毎回死んでしまいそうな程心臓が暴れるのよ!それに!マルクルにだって良くないわ!!」
突然自分の名前が会話の中に出てきて、マルクルは意味も無く直立不動で二人を見ました。
「マルクルは未だ子供なのよ!それなのにあんな事を見せられたら教育上良くないわ!」
「『教育上』ってなんだよソフィー。僕達が仲が良い事を見るのがなんで悪い事なのさ!」
「ああハウル!貴方には常識ってものがないの?ちょっと考えてご覧なさいな!キングズベリーでもがやがや街でもポートヘイブンでも、道のど真ん中で堂々とキスしてる人なんか居ないわよ!」
この事実を突き付ければ、いくらハウルでも納得するだろうと、ソフィーは勝った気になり胸を逸らせました。
『キス』なんて言葉を連発するのは奥ゆかしく恋愛にも疎いソフィーには非常に恥かしい事だったのに、ここまで来てしまうと、恥かしいのを突き抜けて何を持って来られても負けないわというような、強い気持ちになっていました。
でも。
ハウルは、ソフィーの剣幕にはちょっと驚いているものの、ちっとも負けただなんて思っていないようににっこりと笑いました。
これが曲者なんだわ、とソフィーは身構えます。
「分かってないのはやっぱりソフィーだよ。道を行く人が誰も堂々とキスしていないだって?!ああ、働き者が故に出不精の僕のソフィー。それは君がちゃんと周りを見て居ないからだよ。君は帽子屋として頑張っていた時も、外出なんて殆どしなかった。ねぇ、そうだろ?」
「・・・少しは、外に出ていたわ。」
「止むを得ない用事がある時だけだろう。そうすると君は用事を早く済ませる事だけに目を向けるから、余裕を持って通りを眺めたりはしない。だから気が付かない。それに僕の城に来てからは、老婆になった自分を見知った人達に見られるといけないからって、いつも回りに神経を尖らせていた。だからやっぱり回りをちゃんと観察なんてしてない。ああ、それにこれは僕も気が付かなかったからいけないけど。元の姿に戻ってからもやっぱり君は掃除洗濯繕い物、と大忙しでやっぱりゆっくり街を散策なんてしていない。だから君は知らないだけなんだ。」
「そんな事ないわ!皆が自分と同じだなんて思い込んでいるのは、ハウル!貴方よ!」
「違うよ。ソフィー。恋は人を変えるんだよ。どんなに貞淑な女性も理性的な男性も、恋人を目の前にしては常識とやらを投げ打って愛を確かめ合いたくなるものさ。」
「もう!寝言もいい加減にして!」
「しょうがないなぁ。」
ハウルは全然困った様子も無く、ただ溜息だけは大き目に吐いて見せると、さっと手を横薙ぎに払います。
力の有り余る魔法使いは、その一瞬で自分とソフィーの格好を外出用のそれに変えてしまいました。
ついでに、(と言うと怒られそうですが)、マルクルにも魔法を掛けました。
「え、何ですか?ハウルさん。」
「嫌だっ!こんな格好!!」
マルクルには緑と黄色のチェックのベストに薄いベージュの半ズボン、そしてハンチング帽。
ソフィーには鮮やかなオレンジ色のワンピースにたっぷりとしたレースのパニエ、そしてガーベラのコサージュをあしらったヘッドドレスを。
「さぁ今日は3人でキングズベリーに繰り出そうじゃないか。足を伸ばしてチェザーリで美味しいパイも食べよう。ソフィーも可愛い妹に会いたいでしょ?」
「そりゃマーサに会いたいけど・・・って、話が違うわ!ハウル!」
「僕も行って良いんですか?ハウルさん!」
目を輝かせたマルクルに大人の微笑でハウルは鷹揚に頷きます。
小さな瞳が好奇心に輝きました。
「嬉しいです!ソフィー。僕皆で外出なんて初めてだよ!」
「え、あの、マルクル?」
「チェザーリってお店はソフィーの妹が働いている所でしょう?僕ソフィーの妹に会ってみたかったんだ!なんだかずうずうしいような気がして今まで言えなかったけど、やった会えるんだね!」
「マルクルってば。」
「ねぇハウルさん!僕王宮の広場にも行ってみたい!別に中に入らなくても良いんです!」
「ああ、そうだね。マルクル。折角だから行ってみようか。それにそこの広場は恋人達で賑わっているだろうからね。僕達の目的にもうってつけだ。」
ハウルは左手にソフィー、右手にマルクルの手を繋ぐと、大声でカルシファーを呼びました。
「カルシファー!留守番頼むね!マダムをちゃんと見てるんだよ!」
「嫌だよ!ハウルっ!おいらとばーちゃんが一緒に留守番だなんて!」
未だに苦手意識の抜けないカルシファーの憐れな嘆きを背に、ハウルは踵を楽しげに踏み鳴らして扉をキングズベリーへと繋げました。
「ハウルっ!目的って何よ!」
喧嘩中だった筈なのに上手く丸め込まれてハウルのペースに巻き込まれたソフィーが納得いかないとばかりに睨み付けます。
でも繋いだ温かな大きな手に、逆らう事は出来ませんでした。
「だから、ソフィーの言う事が間違ってるって証明をしてあげる。」
にっこりとハウルが笑います。
太陽のまぶしい光の子供達までハウルに惹かれて集まって来た様に、金髪がきらきらと光り輝いていました。
「今日皆で恋人ウォッチングをして、片手分堂々としたキスを数えたら・・・その時はソフィー、君が折れるんだよ。」
「えぇ?!何よそれ!!!」
「僕はしたい時にソフィーにキスしたいんだもの。これは譲れないよ。さぁ出発!」
反論し掛けたソフィーの言葉を封じる様に、三人一緒に扉から外へと飛び出します。
強く手を引きながら、ハウルは楽しげに言いました。
「ソフィー。約束だからね!」
結局その日数えた恋人達の熱いシーンは、全部で八つでした。
END