DIARY(2002) April

4/30(Tue)                          『月日がたつのが早いです』  

アースデイから早くも10日たってしまいました。月日がたつのが早い今日この頃です。雑事におわれながらのライブで私はかなり喉がまいっていたのでしたが、アースデイに参加させていただけることがとてもうれしく本当に楽しくすごさせていただけました。スタッフの方々本当にありがとうございました。そして全然関係ないんだけど、公園でお会いした俳優の天本さん、あと楽屋にいらっしゃったとよた真帆さんにどぎまぎして(美しすぎてama全員が唖然としてしまったのが本音です)ちゃんと挨拶できなかった私ですが、どうか御無礼を許して下さい。

(hideko)

 

4/20(Sun)                               『EARTH DAY 2002』  

きのうのアースデイは、天気もよく代々木公園は人でにぎわっていた。といってもぼくたちが出演した『BeGood Cafe』は、そこから少し離れたアムウェイビルの室内だったのでわかりにくいためか、ちょっと人は少なかった。でもその様子はブロードバンドで放送されていたらしく(後で知ったのだが)ある意味では不特定多数の人がアクセスしたことになる。

amaのライブは30分だったので、何か、あっという間に終わった感じがしたけど、最後はお決まりのスタイルで、鳴り物や笛などをみんなに渡してみんなでチャカポコ。

でもいつも思うんだけど、みんな楽器を手にするとほんと楽しそうだ。銀河パーティーの時も時間の関係であまり長くはできないけど、やっぱりみんなで輪になって音で遊ぶことは、最高のコミュニケーションではないかと思う。

そうそう話は戻るけど、amaが演奏した特設ステージは1階にあるのだが、ビルの構造が地下から2階ぐらいまで吹き抜けになっていたので、タイコの音がすごい反響をしていてダルブッカというそんなに大きくはない中近東のタイコでもエコーもあいまってすごい迫力があって気持ち良かった。

それにしても実行委員やボランティアの人たちのパワーには恐れ入る。前日から準備や搬入でものすごく大変な労力を強いられているのに、みんなひょうひょうと役目をこなしている。それにみんながポジティブなのだ。みんなが高い志をもって参加しているのがよくわかる。だからこうして毎年続けていけるのだろう。

アースデイという「地球のことを考える日」が、もっともっと広がっていってほしい。そしてアースデイからアースウィーク、アースマンス、アースイヤーとなっていったら素晴らしいことだろう!

『Think Globally,Act Locally』

Love&Peace

(AKI) 

                   

 

 

4/19(Fri)                                 『アメリカの友人』  

アメリカに住んでいた時の友人からきのうメールが来た。彼は家にコンピューターをもっていないので、年に1,2回メールが来る。おそらく都会に出たときにネットカフェか図書館からメールをくれるのだろう・・・。

彼は今ニューハンプシャー州の片田舎のアクワースというところに住んでいてほぼ自給自足の生活をしている。そこは彼の実家で、ぼくもそこへ行ったことがあるのだが、ヨーロッパ風の田園風景がとても美しいまるで映画にでも出てくるようなところだった。

メールではいつも詩的な言葉で、家のまわりの自然を詠っている。実際彼は詩人であり、ミュージシャンでもあるのだが、彼のメールが来るたびにぼくの心は一気にアメリカに飛んでしまう。今はこうして日本で地に足をつけて暮らしているが、ぼくにとってのアメリカ生活はとても非日常的だったように思う。でもそれはぼくの人生のなかでは「自分に出会うためのイニシュエーション」でもあったのだ。そのさまざまな体験はいつか文章として書き留めたいと思っているのだが、それにはおそらくタイミングというものがあるのだろう・・・。それは自然に任せたい。

彼はメールでいつも、こっちにはいつ遊びに来る?と誘うのだが、それもタイミングなのだろう・・・。今年は行けそうにないが、もしいつか行ける機会が出来たら、美しいアクワースの森からネット中継なんてどうだろう?彼はティピ(ネイティブ・アメリカンが使っていた移動式テント)も持っているし、ティピの中で焚き火を囲んでのジャムなんて放送できたら面白いだろうな・・・。(今のところ機材は揃ってないけど)そのときは、『Mitakue oyasin at Acwoth』になるだろう。

ぼくは都会に住みながらそのタイミングを楽しみに待っている・・・。

そして彼は最後にこう書いていた。

ps  I hope your "earth day" gig goes well.  I'll be
reading my poems at town hall on Saturday night.

うーん、シンクロしてるネ!明日はきっといい日になるだろう・・・!。

(AKI)

 

 

4/16(Tue)                                 『先日のライブ』  

先日4/13ライブに来ていただいた方、どうもありがとうございます!今回はゲストにPURUNIMAさんをお迎えしていつもより奥深いライブとなりました。篳篥、笙、ウード、ダンブーラを使っての声明との融合はなんともいえない独特な雰囲気。神道と仏教の融合のような音とでもいうのでしょうか、ホント気持ち良かったです。PURUNIMAの皆さんありがとうございました。

そしてステージの、最前列に座っておられた方でお気づきの方もいらっしゃったと思いますが、PURUNIMAのメンバー、ロータスさんの持ってきていた水晶!これはすごいパワーでございました。左手で持つと膝が突如としてふにゃらとくだけてしまような感じになります。まさに「マニ水晶」とでも言うべきしろものでございました。私はamaの出番の前に「その水晶で腰から頭まで背中のほうのエネルギー通してください」と突然妙なお願いをしましたが、僧侶であるロータスさんは当然のごとくそれをにぎりしめ動かしながら何やらお経も唱えていただけました。そして私の持参の水晶(通称DOCちゃん)にもその「マニ水晶」でエネルギーチャージさせていただき感謝、感謝でございます。(DOCちゃんはamaのステージの際、時々私の前にいます)

又、機会があればPURUNIMAさんとも共演させていただけたらと思います。そして、PURUNIMAさん達のようなすばらしい他のミュージシャンも又ゲストにお迎えできたらと思います。

ありがとうございました。

(hideko)

 

4/7(Sun)                                 『インナーネット』  

メルマガはいくつか取っているんだけど、その中に『喜納昌吉&チャンプルーズ メールマガジン』がある。

喜納昌吉とは、あの「花」という曲で知られている沖縄のミュージシャンだ。以前、彼の本「すべての武器を楽器に」という本を読んだのだが、同じミュージシャンとして、彼の発するメッセージには、共鳴させられることが多いので、そのまま引用させてもらいます。

 


                     -魂のネットワークを作ろう-

  「人間関係のバランスから発想して、地球全体のバランスに思いを馳せてみると、
 また違った形で問題が見えてくるからおもしろい。
  たとえば20世紀の世紀末にはIT革命が流行語になったが、まだまだ僕には言
 葉だけがひとり歩きしているような気がしてならない。
  僕が心配するのは、インターネットだけでは不完全なのではないか、ということ
 だ。膨大な情報を、どういう心を持った人が最終的に結論を出していくかが、大い
 に問題になってくると思うのだ。
  かたよった一部の人に情報が握られていたのでは、いかにもバランスが悪すぎる。
  戦争を例にとると、情報によって人々の恐怖心をあおり、防衛の重要性を訴える
 こともできてしまう。
 「相手にやられる前に自衛しなければならない。だから武装するしかない」という
 情報をどんどん流すといった具合だ。
  でもこれでは本当の意味の平和はやってこないし、地球を7回以上も破壊し尽く
 すことができるという核兵器の恐怖が消えることはない。
  それよりもすべての武器を捨て、すべての人が楽器を手にすれば、地球はひとつ
 になるし、真の平和が訪れてくる。
  お互いが本当に理解しあって、有意義な情報や技術を人類の夢のベクトルに向け
 たとき、インターネットが素晴らしい意味を持ってくると僕は思うのだ。
  情報のバランスをとるためには、インターネットと平行して「インナーネット」、
 つまり心と心、魂と魂のネットワークを確立していかなければならないのではない
 だろうか。インナーネットをソウル(魂)ナビゲートと言い換えてもいい。
  IT革命=情報技術革命の枠から外れ、それらの文明の中に参加できなかった
 人々にも、情報や技術は友好的に伝わらなければならないはずだ。それができるの
 が「インナーネット」ではないだろうか。
  インターネットをかげから支える「インナーネット」は、インターネットの落と
 し穴を補うために生かされなければならない。
  人間関係の距離感の話からインナーネットの必要性に話が飛んでしまったけど、
 僕が言いたいのはバランス感覚の問題だ。
  地球の一番いいところは、太陽から近すぎもせず遠すぎもしないところ。
  人間関係も同じようにバランスが必要だ。近すぎもせず遠すぎもしない、友達が
 いちばんいい。
  インターネットは、インナーネット=ソウル(魂)ナビゲートと併用することで
 こそ、情報のバランスがとれていく。
  こう考えると、バランス感覚というのは、まったく何でも大切なものなのだ。 



http://www.champloose.co.jp

(AKI)

 

4/5(Fri)                                    『覚悟』  

今、社会や国自体,世界中が古いものから新しいものへ移行していっています。転換期なのでいろいろな事が世界中で起こっているし、個人的にも何かしら変わってきている時期だと思います。

2,3年前から「もう、今までのようにはいかなくなるからね」という何かしらの宇宙的メッセージが個人的にも皆さんのところにも届いてるような気がします。そこで「まだまだこれでいっても大丈夫なんだ、よけいなお世話さ」と思った人、又は「わかってるってその兆候、そこそこ対処していってるんで何とか間に合うよ」と思っていた人もいると思う。

これでいっても大丈夫なんだと思った人は今、愕然として「こんなはずでは。。」と思い、そこそこやってるからと思った人は「あ〜多少、覚悟がたらなかった」と思っているはず。学期末テストの結果が発表された時みたいに。

どちらにしても宇宙から発せられたメッセージにたいして完全に今までの古いものをぬぐりさることのできた人はかなり少ないといえると思う。というか、何が古いもので新しいものかというのも洋服のように目に見えるものだったらわかるけど、そういうものじゃなければまずその判断もつかないこともある。古いものから新しいものに変えるにはかなりしんどい。まず古いものに対しての妙な思い入れや愛着心、プライド。新しいものを受け入れることに対する不安と恐怖心。

不安と恐怖。すべてはこれが人々の進展をはばんでいると思う。かくいう私も何度もこの恐怖にうちかつことができませんでした、今もだけど。でも、もう今本当に宇宙のエネルギーは待ってはくれず「さぁさぁ、あんたどうするんだよ、古いものはこわれたよ」と言いつづけ、それに対して「えっ、まだこわれてないから大丈夫なんじゃないの」とかいえなくなってきたと思うんです。きっと今まで以上にもっと覚悟を決めなくちゃいけないんだろうなと、思うわけです。いろんな意味ですごい抽象的な言い方だけど、皆さんは最近「覚悟」しましたか?        

(hideko)

 

 

4/2(Tue)                                 『血がさわぎます』  

今日昼の3時ごろPCに向かっていると何やら外から妖しげな女ボーカルの声が再び聴こえてきました。「おぉ、この声は!」私は思わずいてもたってもいられなくなり窓をガラッてあけてしまいました。  

そう、いつぞや夜のフラメンコの女の人が練習しているではありませんか!私はあまりにうれしくなってしまたので窓を大きく開けたんですけど、それがあまりにも勢いがあったのか女の人に「何!」風に見られてしまいました。で、恥ずかしくなり窓だけ大きく開けたままいそいで さっとカーテンを閉めてしまったんだけど。

っつうか私、髪はボサバサすっぴんで度近眼厚太メガネ、ジャージといったどうしょうもないいでたちだったのでよけにはずかしくて、それに「何おばはんみてるんだよぉ〜」とか言われてしまいそうなくらいの熱心さであったからよけに恥ずかしくなってしまって。。。とっさに「ハイ、すんません」的になってしまいました。

その後もなおはげしいステップ音からうかがえるように、彼女の踊りは熱をましていっているようでした。 でも、さっきのガラッと戸を開けてしまったことにより「音がうるさいのかしら」なんて思われてしまったのか、こころなしかよけに音楽のボリュームがさがったような?気がする。「音楽も聴きたいから、ボリュームでかくしていいですよぉ」と心の中でずっと願っていたのですが、残念!そのうち今日は早々と練習をきりあげてしまわれたような。。。

「いえ、ちがうんです、ただ私、血がさわいだだけなんですよ、もっともっとやって!」と言いたいけど、このかっこで再度登場するのが気がひけて。

そんなことないと思うけど、もしそのダンサーの人、これを見てくれたらいいなぁ。              「もっとボリュームあげてガンガン練習してください!」お願いします。                  

(hideko)

 

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