386.海軍艦上爆撃機「彗星」(空廠十三試艦爆)

全幅:11.50m 、全長:10.22m、 総重量:3,650kg、 最大速度:552km/h
発動機:愛知 水冷12気筒「アツタ」21型 1,200馬力、爆弾:500kg×1または250kg×1
武装:7.7mm機銃 機首×2 旋回×1、乗員:2名
初飛行:1940年11月

 1937年(昭和12年)海軍は九九艦爆に代わる高性能機としてドイツのハインケル社から輸入したHe118急降下爆撃機の国産化を検討したが、時局柄中止となり、新たに海軍空技廠の山名正夫技師を主務者として設計試作する事となった。要求性能は九九艦爆とは較べるべくも無いもので、当時の最先端の零式戦闘機を超える高性能を狙った画期的なものであった。 

 この十三試艦爆には、初期にはダイムラー社のDB-601輸入エンジンが選択されたが増加試作では同エンジンの国産版であるアツタ21型を搭載した。これは高速性能を出すため機体前面面積の有利な水冷式を敢えて採用し、爆弾倉も完全格納式とし徹底的な空気抵抗の低減が図られた。主翼は中央部分は厚翼、先端で薄翼として空力的捻り下げを採用、翼幅は航空母艦のエレベータで制限されることから11mに押さえた結果、小さなアスペクト比となっているが適切な翼断面形状の選定から全体として抵抗の少ない失速性の優れた主翼となっている。 

 また爆弾倉の関係から中翼構造となり長い主脚、必然的に幅の広いトレッドとなって、彗星の独特のプロフィールを形成している。また各種装備も新機構が採用された。とくに引き込み脚や、フラップなどは全て電動式であり、また特殊な計算機能をもつ照準装置や、発動機も初の本格的な燃料噴射(高圧)が採用された。これらの意欲的な設計は、民間では横槍が入ってかえって実現し得ず、空技廠であればこその新技術への挑戦であった。

 彗星は現在1機だけが復元機として現存しており、東京靖国神社の遊就館(戦争博物館)に桜花とともに展示されている。この彗星は昭和47〜8年ごろ、遠藤信彦氏がヤップ島のジャングルの中で数機を発見し、昭和55年に日本テレビの協力を得て主に3機の彗星の部品を集合し日本に持ち帰り、不足部分は手作りで復元したものである。こういった復元技術は欧米では格段に高いものであるが、日本では全く経験の無い中でしかも種々の理由から75日間という、信じられないほどの短期間の作業であったため、充分満足できる仕上がりではないが、関係者の努力には敬服する次第である。この復元作業はTV番組として放送され、後に靖国神社に寄贈されたものである。

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