2023 ホビーフォーラム「くるま村少年団」
“くるま村的 日本モータースポーツの歩み四部作”遂に完結!!


 
 
1963年から1973年頃までのくるま村的な「日本モータースポーツの歩み」

 ホビーフォーラム2018-2019, 2022-2023年展示による「日本モータースポーツの歩み 四部作」ついに完成 !!
一貫して1960年代から1970年代半ば頃の日本モータースポーツのマシンや日本人ドライバーなどを中心に展開してきた「くるま村少年団」でありますが、クラブメンバー方々のご協力あって、日本モータースポーツの足跡をモデルカーにより表現することができました。この場を借りてお礼を申し上げます。

 2018-2019年では、主に、トヨタ、ニッサン、タキ・レーシングチームが日本グランプリなどで激突した「T.N.T」の時代のマシンたちや生沢徹、風戸裕、鮒子田寛、高橋国光、そして、高原敬武などの世界的日本人レーサーの活躍を中心に展開しました。
 コロナ禍で中止となった2年間を境に、2022-2023年は、日本モータースポーツの夜明けとなった「1963年第一回日本グランプリ」と「1964年第二回日本グランプリ」から今は無き船橋サーキットで伝説のドライバー 浮谷東次郎と生沢徹が死闘を繰り広げた「1965年第一回全日本クラブマン選手権」や新たに完成した「富士スピードウェイ」を舞台として世界的なグランプリに生まれ変わった「1966年第三回日本グランプリ」などを中心に、メーカー撤退後の1970年代初頭にプライベーター中心に発達してきた「富士グランチャンピオンレース」などを交えてレースの歩みを展示したものでした。

 今年のホビーフォーラムの前に、過去のホビーフォーラムを振り返ってみましょう!
 「2018 ホビーフォーラム
 「2019 ホビーフォーラム
 「2022 ホビーフォーラム

 では、今年(2023年度)ホビーフォーラムの「くるま村少年団」のブースを見てみましょう!
 
 向かって右側より、「第一回日本グランプリ 海外招待レース」ヘアピンカーブでの1シーン、
次に1966年より富士スピードウェイで開催されたグランプリに出場したニッサン・ワークスのマシンたち。
さらに、チーム・トヨタの2000GTからTOYOTA-7の各種ワークス・マシンたちが並ぶ。
奥には、ビッグマシンによるグランプリ終焉に伴ってプライベーター主体に人気となった
「富士グランチャンピオンシリーズ」の初期に活躍したマシンたちが続く。



TOP : 2023 Hobby Forum club"Kuruma-mura".
(C) Photographs by mbontaro.
 
 鈴鹿サーキットが誕生したことにより、日本のモータースポーツは加速的に発展していくことになる。
その第1歩がこの「第一回日本グランプリ」であった。5月2日と3日にかけて行われたレースは、軽自動車から海外スポーツカーレースまで細かくクラス分けされて行われたため、どれがグランプリなのかが明確に示せず、各参加メーカーはこぞってクラス優勝を「グランプリ優勝」と新聞等に宣伝し騒ぎ立てていた。これは「第二回日本グランプリ」でも繰り返されていて、どのレースが「日本グランプリ」なのかが明確になったのは、富士スピードウェイに移って開催された「第三回日本グランプリ」まで待たなくてはならなかった。

 今回もスロットカーモデラーであります H.K氏には大変お世話になりました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
今回の「第一回日本グランプリ」外車招待レースの出場車の
主役というべき5台をすべてスロットカーとして製作していただきました。どの車も妥協せず分かる限りの資料をもとに製作していただき感謝に堪えません。特に塗装においては、納得いくまで何回も塗りなおしをして製作されたと聞きました。その甲斐あって素晴らしい仕上がりになっています。

               

            TOP : Inter national machines race at Suzuka in 1963 "1st Japan GP"
                 They are all 1/24 scale slotcars. Built by H.K.


 

TOP ; #2 Lotus 23 driven by Peter war and #8 Porsche 356carrera2 driven by Van hanshutain.


TOP : Jaguer Dtype VS Lotus 23
 
1966年記念すべき富士スピードウェイのこけら落としのレースとして開催された
FIA公認でJAFが主催する世界基準グループ6規定に沿ったグランプリであった。
1969年まで続いたグランプリに出場したニッサン・ワークスマシンたちに
集合してもらったのがこの展示である。すべて1/24スケールのスロットカーである。


 

TOP : 1966-1969 Nissan Works GP machines in Fuji.
#12 Fairlady S(1966), #10 Nissan R380II(1967), #18 Nissan R381(1968) and #21Nissan R382(1969).
All 1/24 scale slotcars. #10 built by H.K. #21-18 built by T.Sudo. #12 built by my friend.


 
TOP : #12 Moto Kitano and his machine "Nissan Fairlady S".
1/24scale Nitto Slotcar.
Built by my friend.
フェアレディSは、1966年、プリンス自動車を吸収合併することがすでに決まっていた時に
行われた「第三回日本グランプリ」にあえてニッサン製マシンとして参加させた幻の
プロトタイプマシンです。 まだ、トヨタとの関係がなかったヤマハと開発したといわれる
直列6気筒DOHCエンジンを搭載したマシンでありました。
雨の日本グランプリ予選をトップ通過させた北野元選手の力も素晴らしいものでした。

 
 
ニッサン・スカイライン2000GT-R

 


TOP : 1/24scale 1972 Nissan Skyline 2000GT-R
In 1972 Fuji Masters 250Km.
Driven by M.Kurosawa.
Built & photographs by Mr.M.

 チーム・トヨタのマシンたち
日本グランプリにおいてなぜかニッサンには勝てなかったチーム・トヨタ


 




TOP : 1.24scale #3 1969Toyota-5 and V8 DOHC 5000cc engine.
Built by Mr.M.



TOP : 1/24scale 1969 "JP6".
Built by T.Sudo.




須藤氏渾身の作品、遂に完成!!
「68' TOYOTA-7」

1968年鈴鹿1000Kmレース優勝車
福沢/鮒子田組

 
68' #1 TOYOTA-7 in 1968Suzuka 1000Km races.
Driven by S.Fukuzawa/H.Fushida.
They got a win.
Built and photographs by T.Sudo.




1/24scale 68' Toyota-7.
V8 DOHC 3000cc engine.

 今回の製作ポイントは?!
 今回はあまりボディをピカピカにはせず、ゼロ戦じゃないですがカナードやフェンダーやリアスポのエッジにレース中の飛散物で剥がれたように見せるため、シルバーを差してみたらいい雰囲気になりました。
By Takehiko Sudo
 
 
 
 
 

 
 

 この1968鈴鹿1000Km優勝の1/24 Toyota-7は、昨年ホビーフォーラムにて1972年富士グランチャンピオンシリーズチャンピオン獲得50周年記念のプレゼントとして鮒子田氏にお渡しする予定が、諸般の事情で叶わず、今年2023年12月に完全な形で須藤氏より鮒子田氏へプレゼントすることができました。

 


偉大なる伝説のレーシングドライバー鮒子田寛のために製作しました。
須藤武彦 2023. 12.29

 
 
 
ビックマシンの激突が終焉した後のチーム・トヨタ

 

 
TOP : 1/24scale "CELICA 2000" in 1973JapanGP.
Driven by M.Kanie.
Built and photographs by I.

 
 
 
製作者のIさんからのこのセリカについてのコメントです。

  73日本グランプリTS-bのセリカ2000蟹江車です。
本戦ではリヤスポイラーのホモロゲが取れておらず装着されていませんでしたが、予選では装着されていたので、こちらの仕様としました。
 エンジンルームは本戦用の資料が少なかったため、テスト用を参考にしてあります。ボディ本体はハセガワ、パーツはアオシマ、フジミ、ジャンク品を組み合わせ完成させました

 
 
日野プロトタイプJ494
Built & photographs by Mr.M.



Hino Proto J494 in 1967 Tokyo Motor show
 
  

 日野プロト J494 について Text report by Mr.M

 自社製 YE28 ツインカム 1.3L ツインプラグエンジン日野は 1966 年自社開発の YE28 エンジンを搭載したプロトタイプ車 J494 を製作しました。
1966 年日本グランプリではなく、その年の 8 月 14 日フジスピードウェイ全日本ドライバーズ選手権にデビューし完走(ドライバーは山西喜三夫氏)なんとカレラ 6・デイトコブラにつぐ 3 位に入賞、しかし残念な事にこれが日野のプロトタイプカーとして最初で最後のレースとなってしまいました。
YE28 エンジンも潤滑系統に問題を抱えていたそうで、原因がオイルポンプの容量不足と分かったのは 1 年後だった(1967 年の日本 GP の後)との事。
実車はその後モーターショーに展示された後 廃棄されたそうです。

 ツインカム、ツインプラグのエンジン、左右分割のフロントラジエター等、特徴あるメカニズムとは裏腹に、油温の問題からフロントを切り取って搭載された大きなオイルクーラーはこの車のスタイルをかなり歪にしてしまいまた。
 翌年 1967 年の日本グランプリにエントリーした日野サムライはご存知の通りレースには出られませんでした、試走でエンジンを壊してしまい、ブリスカという小型トラックのエンジンを急遽搭載してまで出走を目指しましたが叶いませんでした、スタイルの良かったこのクルマの方が有名なのは皮肉な事です。
 J494 型は日本グランプリの出場車ではなく、1 度しかレースに出場せず、実車も現存せず、ほとんど忘れられてしまいましたが日本ではプリンス R380 に次ぐ2台目のミッドシッププロトタイプです。
YE28 エンジンの足跡などについても資料によって話が異なる所もありはっきりした事は不明です。
モデルは“Qモデル”のボディーキットをモディファイし“中”を表現したくてボディーの厚みを極力薄くし内側をスクラッチするなどしました。
 
 69' Porsche 917 in 69' Japan GP.
Built by Mr.M.
名手ジョー・シファートと共に来日した当時まだまだ未成熟だった“ポルシェ917”。
ほとんど富士スピードウェイを走らずに迎えた本番。シファートは、3周目に
トップに立ちしばらく先頭を走ったが、何百周も走りこんでいるニッサンR382に
抜かれて、その後D.パイパーが乗り順位を落としたが、終盤シファートは、鬼畜の
ごとくタイムを上げて自らの予選タイムを破る“1分46秒台”を記録してゴールするも
リアタイヤはバーストしていたという凄まじさだった。
 
 ボディをユニオン/エレールの917Kを母体にして大改造されたということである。
しかし、リアカウルの再現は素晴らしいものであり、この時代のポルシェ独特のエキゾースト
の形状も真鍮パイプなどで作られたとのことだがとても手作業とは思えない逸品だ。


 


TOP : 1/24scale 69'Porsche 917 in 69' Japan GP.
Built & photographs by Mr.M.

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SPECIAL THANKS : H.K, M , SEB. Mr.I, T.N and O.Aihara.
And a friend of mine.