日本グランプリ・ロスから誕生した
「富士グランチャンピオンシリーズ」

 
 
1970年、相次いで日本グランプリからの撤退を表明したトヨタとニッサン。

この撤退は当時の排ガス規制や所属ドライバーのテスト中の死亡事故、さらにあまりにも短時間で高性能なレーシングカーを作り上げたトヨタとニッサンの莫大な開発費用などが経営的にも限界に来ていたことも理由の一つだろう。日本ではもう活躍の場はなく、世界に挑戦するしか道はなかった。

事実、トヨタは、川合稔がテスト中に事故死するまで、1971年のCAN-AMシリーズへの参加が決まっていた。


  日本グランプリロスは、ビッグマシンの戦いに慣れてしまったファンには耐えがたいものだった。

そして、その人気をメーカーマシンなしでプライベーターのマシンと海外の有力ドライバーとマシンを招待してビッグマシン時代のレースを再現できないかを模索して誕生したのが「富士グランチャンピオンシリーズ」であった。1970年度もシリーズ化はしていないものの、富士300マイルに最後の登場となった「ニッサンR382」と黒沢レーシングチームの「マクラーレンM8C」、富士インター200に、G.モレッティの「フェラーリ512S」、酒井正の日の丸カラー「ローラT160」、風戸裕の白い「ポルシェ908II」などのレース開催により、ある程度の手応えは主催者である富士スピードウェイは感じ取っていたので、翌年、スムーズに「富士グランチャンピオンシリーズ」の誕生となった。
 

 1971年度は、2.5リッター以上排気量無制限のCAN-AMルールで行われ、酒井正のマクラーレンM12がチャンピオンとなるが、第3戦富士500Kmに日本初登場したコスワースFVC1800ccエンジンを搭載した「シェブロンB19」と「ローラT212」がマクラーレンや風戸ポルシェ908IIをも上回るコーナーリングスピードを見せつけ、これに魅了された主催者及び参加ドライバーたちは、次々とローラ、シェブロンを発注すべく動き出したのだった。世界的に人気となっていた2リッタースポーツカーレースをメインに富士グランチャンピオンシリーズを変えていったのはごく自然なことであり、翌年1972年からは、シリーズチャンピオンは2リッターマシンに懸けられ、それまでのビッグマシンたちは、優勝賞金を狙えるだけのオープン参加となり、1973年からは、ビッグマシンは参加できず、2リッターまでのグループ5のマシンとフェアレディ240Zなどのスポーツカーのみのレースとなった。

そんな1971-1972年に活躍したビッグマシンたちを蘇らせてくれたのが今回の展示作品であります。
 

 

TOP : T.Sakai with his McLaren M12 in 1972 Fuji 300 Miles.

TOP : 71' Fuji GC Champion "Tadashi Sakai" with his McLaren M12 in 1971 Fuji Masters250Km race.
(C) Photograph by H.Makino.
   
 富士でのビッグマシン最後の戦いとなった1972年富士グランチャン!!
 
 

TOP :1/24scale #3LOLA T280 DFV(Leftside) and McLaren M12.
Built by Teruo Nishioka.
 
 打倒!!酒井マクラーレン
高原敬武が1972年グランチャンに持ち込んだ最新鋭のマシンは、
F1エンジンを積む「ローラT280 DFV」だった。
製作者の西岡氏の新たな試みによりこのモデルは誕生した。
フルディテールに作り上げた作品は下記の特集をご覧ください。
モデル・スピードライフ・リターンズ第3号にて
この作品を掲載中です。

 
 


TOP : 1/24scale "LOLA T280 DFV" built & photograph by Teruo Nishioka.
 
TOP : Lola T280 driven by Noritake Takahara in 1972 Fuji Masters 250Km.
(C) Photograph by Mbontaro.
 
 
もう1台の"McLaren M12"

 高原が酒井レーシングよりレンタルして臨んだ1972年富士GC開幕戦「富士300Kmレース」で高原は、見事初めての7リッターのビッグマシンで、酒井正に次いで2位でゴールして見せた。
このM12は、1970年東京レーシングカーショーでル・マン商会ブースで展示されていたメタリックブルーのM12であり、隣には、後年、「ミノルタ・マクラーレン」となるM12も展示されていた。(実は、ヤマハが手放したマクラーレン・トヨタであったことは後に判明する)
 
 このブルーメタリックのM12は、意外なヒストリーを持つ車であった。
 
 

 
 
TOP : 1970 Tokyo Racing Car Show and 1971 Fuji 500Km race.
#17 M12 driven by Kenjiro Tanaka.
He had a last of the race.


TOP : 1972 Fuji GC "Fuji 300Km race".
#1 T.Sakai and his M12. with Takahara's M12.
(C) Photographs by Mbontaro.

 
 高原が酒井レーシングからレンタルしたM12は、元々ローサー・モッチェンバッハが乗っていたトロージャン(元エルバ・カーズ)製マクラーレンのプロダクションモデルのマクラーレンM6Bだったのだ。
しかも、1968年CAN-AMシリーズで戦っていた由緒ある車体であった。そして、あの最終戦でジム・ホールのチャパラル2Gと絡んで、大クラッシュしたマシンそのものである。
 どのような経緯でそのマシンが日本に入り、市場に出たのかは定かではないが、後にこのM12は、元々#11のマクラーレンM6Bに戻されて日本のヒストリックカーレースに出場し、高原氏も一度ドライブしている。
 
 M6BとM12の関係については、ブルース・マクラーレンの遺作の1台となったロードゴーイング・スポーツカー「マクラーレンM6GT」のホモロゲーションに関わってくるのでご興味ある方は以前に編集した「ミノルタ・マクラーレン回帰」をご覧ください。
 

               
 
TOP : Lowther Mochenbach's McLaren M6B, which was active in CAN-AM in 1968,
was modified and became Sakai Racing's other McLaren M12.
 
 
TOP : 1/24scale "McLaren M12" built & photograph by Teruo Nishioka.
 
 72 Minolta McLaren M12 登場!!
 1972年富士300マイルレースにおいて、酒井正のマクラーレンM12は、予選で「1分44秒63」を記録し、1969年日本グランプリで北野元がニッサンR382で叩き出した「1分44秒77」フルコースポールポジションタイムを3年ぶりに更新した。
そして、さらなる速さを求めて、当時まだ無名だった“由良拓也”のデザインを採用し、ボディを一新している。それは、当時のマクラーレンM8Dに似せたようなリアカウル形状だった。


     
      
          TOP : Tadashi Sakai and his Minolta McLaren M12 in 1972Fuji Masters 250Km race.
                         (C) Photographs by Mbontaro.


 製作者のI氏は、このミノルタ・マクラーレンをフィッシャー製の1/24スケール「McLaren M6B」から改造して製作されたとのこと。 しかし、フロントに多少M6Bの面影を見ることができるだけで、これを聞くまではすべてフルスクラッチされて作られたのかと思ってしまう。 実車の独特なボリューム感をとてもよく再現されている逸品ではないだろうか。
 
             



        

          TOP : This body was made by modifying the resin body of the Fisher McLaren M6B.
                            (C) Photographs by I.
                                Built by I.

 
 津々見さ〜ん!!頑張ってくださ〜い!!
思わずそう叫んでしまいそうなジオラマであります。
今回の相原氏の作品は、当時はよく見かけたシーンでありますが、
押し掛けでゴールしてもちゃんと順位をもらえた時代でありました。
あのTetsuさんも「第三回日本グランプリ」で途中で止まってしまった
黄色いプリンスR380を半周以上押してピット迄たどり着き、その場で
へたり込んでしまったシーンもありました。懐かしいですね!

 
 

 


 Special thanks photographs.


TOP : 1/43scale TUDOR CARRERA 6 built and photographs by O.Aihara.
Tomohiko Tsutsumi and his open style Porsche 906 in 1969 Suzuka 12hours.

   
 
"OSAMU WORLD" 満開 !!
 
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TOP : Leftside " ZERO-FIGHTER ENGINE"
 
TOP : 1/43scale GRD machines.
#21 GRD 273 driven by Tetsu. And Hiroshi Kazato's #22 GRD.
They had team mate that it's "Team Nippon".

#69 GRD S72 was Fuji GC machine.
 
 

TOP 1/43scale "Aston Martin DB4 Zagato".
Built by Sebring

 

 END


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SPECIAL THANKS : H.K, M , SEB. Mr.I, T.N and O.Aihara.
And a friend of mine.