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allein in Deutchland

97年9月26日 9日目
路上を走る愉快な仲間たち(ルール・エリア)

朝起きてカーテンを空けると中央駅が目前に迫っており、列車の行き来が見られる。朝食はスクランブルエッグやベーコン等も並んでおり、今回の旅行で一番豪華であった。例によって朝食はゆっくりと優雅に食す。本当に駅前にあるケルン大聖堂の入り口だけを見てから列車でデュッセルドルフへ。

ここは日本企業のヨーロッパ基地となっていると言われるところで、日本企業の看板が実に多い。元来日本企業は国内でもローマ字を多用することから、ここの風景の切り取り方さえ工夫すれば「日本の風景」と嘘をついても絶対バレない。さらにここデュッセルドルフは市電タイプの地下鉄(京津線や広電宮島線が地下化したようなもの)が伸びているが、その中の一路線、郊外のクレフェルトまで伸びているものは驚くべきことに車内で「食堂車」ことRheinBahn-Bistro(ライン鉄道ビストロ)を営業してしている。十年ほど前に世界の路面電車の本を読んでいたとき、その様子が仔細書いてあったのにいたく感動し何度も読み返したことを思い出す。さっそく車体に皿と食器の絵が描かれた「食堂電車」ことU76系統クレフェルト行を地下駅で捕らえる。ウエイトレスの人が来て「ここは食堂車」らしきことを言うので、自分はここで食事をする旨を伝える。車両は江ノ電車両に似たシルエットを持つ2ドアの郊外電車風であるが、この食堂車のみはドアが片方だけである。また、向かい合わせの各座席には、小さいテーブルが並んでおり、その上にはきちんとクロスがかけられていた。メニューを見たが、さすがに出せるものは喫茶店程度、つまり飲み物に加えパン・スープ程度であった。紅茶(2.4DM)を頼んで、車内で飲んでいると窓の外は道路でしかも電車は信号で停まるのが何ともおかしい。沿線は日本の地方鉄道にも似通った雰囲気(田圃こそないが、単線の鉄道や駅、すぐ近くに生い茂る樹木の雰囲気は日本風である)の中、途中農村地帯を通って40分ほどでクレフェルトに到着。こちらクレフェルトも結構大きい都市である。ちなみに「食堂車」に頼らずとも食欲を満たすことができる今日でも、RheinBahn-Bistroはこの鉄道の名物として残されている。

この後、駅からDBの郊外線と客車Sバーン(これを牽いたり押したりしているのは旧東独製の143型機関車に代わっている)でエッセンまで行って「CityExpress」と呼ばれる世界最初のガイドウエイバスに乗りに行った。これは、都心の地下鉄内・郊外の高速道路内は新交通システムのようにガイドウエイで舵を取りながら走り、さらに排ガスを出さないトロリーバスとしても使えるという代物である。確かにエッセンの地下鉄内ではトロリーバス用の架線やガイドウエイバス用の踏み板があるのだが、これらには錆が浮いている。実は「CityExpress」は地下鉄内での電気運転をやめていたのである(郊外部ではガイドウエイバスとして専用軌道を使って運行している)。肝心のバス本体も、登場当時からのトロリーポールつきの車両は市内ではあまり見かけなかった。

時間に余裕があればさらに欲を張ってヴッパタールの「世界最初のモノレール」にも乗りたかったが、すでに午後4時半を回っていたので断念、ケルンに戻る。このあたりは地図ではすぐ近くに見えるが、エッセン−ケルン間は85kmもあり、特急でも1時間かかる。なお、ドイツでは普通運賃が高い(85kmで21DMで日本とほぼ同額だが、遠距離逓減の制度がないため長距離を乗るともっと高額になる)代わりに特急料金が安い(IC,EC追加料金が全線6DM・ICEは除く)。

この晩はユースホステルに泊まるが、実はユースホステルを利用するのはこれが生まれて初めてである。大学に入ってからあちこち旅行したが、旅行期間は短いものが多く、宿に泊まろうとする場合も駅からの交通が不便なユースは敬遠していた。しかし、このケルンのユースは中央駅の隣の「Koeln-Deutz」駅からすぐである。ユースに泊まらんとする若者について行くとすぐに到着。チェックインをして、あてがわれた部屋に入ると先客が1人寝ていた。荷物を置いて館内施設を見るが、トイレ・シャワーが共用であるのは当然として、洗濯機・乾燥機があり、洗濯をする環境は普通のホテルよりもむしろ整っている。自分の世間知らずさ加減を今更ながら悔いるが、この「洗濯機」の存在を知っていたらもっとユースを活用する計画を立てていたはずである。

部屋のロッカーに荷物を置いて、ケルン市内を散策。ケルン中央駅からすぐの鉄道橋は3複線になっていても列車の往来が激しい。この橋に沿って歩道が伸びており、すぐ隣を長編成の特急列車が走って行く。

そろそろ「お土産」という言葉が去来する。土産はドイツならワインにしようと思ったが、スーパーに行って買おうと思ったら驚いた。値段が安いのである。重く、また免税枠に制限があるという難点はあるが、ものによってはコーラより安い。7マルク(500円)のものを2本購入。

ユースのドミトリーに戻るとむさくるしいのが1人増えている。寝ていると、日本人らしい人が来た。名前は忘れたが、スイスからオランダまで自転車旅行中の28才の青年である。ここから話が盛り上がり、同室者はカナダ出身、メキシコ出身の元塗装工などと分かる。むさくるしい元塗装工氏はドイツに入国したばかりでどこに行くか決めていなかったが、自分を含めてみんなオクトーバーフェスト真っ最中のミュンヘンに行けと薦めた。隣の部屋のガキ共のかけるラジカセがうるさいが、みんな疲れているため9時頃消灯して寝る。

10時半頃アメリカ人らしき青年が入ってきて何やら言っている。ここで起きたのが間違いで、アメリカ人が「時計貸してくれ」と言ってくるではないか。何でも明朝6時に出なければならないらしく、そういう事情なら貸してもよいと思ったが、ここは外国である。幸い翌朝は早く目覚めたので、このアメリカ人を起こしておいた。

続き(9.27:オランダへ)


更新日 2005.1.26
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