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旅行記:日本海を見に(2001.7)

青春18きっぷ

「さて、どこに行こうか?」

このとき自分は、まだ使用していない「青春18きっぷ」を手に取り眺めながら考えていた。

鉄道好きで旅行好きで肩肘張った事が嫌いな自分にとって、休暇シーズン毎に売り出される、「鈍行列車に限り1日中乗り放題」が自慢のこの切符。学生時代は言うに及ばず、社会人になってからも時々お世話になっている。

普通の旅行は、まず「行きたい場所」が先に決まって次に交通機関が決まって切符を購入、という段取りを踏む。しかし、この「青春18きっぷ」を使う時は、まず「鈍行列車に乗って出掛ける」ことが第一で行先は二の次、といった、旅行の目的がすり替わったような倒錯した旅行だって可能になる。

そんな具合で、画家が何も描かれていないキャンバスに向きあうのに似た気持ちで、次の週末に出掛ける行先を思案していた。

 

夏の日本海を目指して

かくして、まっさらな切符を手にしながら、これまでに行った記憶、見た記憶が無いところを思い起してみたところ、「夏の日本海」の記憶が無いことがが思い浮かんだ。これで基本コンセプトと言うのも大袈裟だが、「方向」は決まった。

あとは、通常旅行に行く場合の段取りと同じく、基本コンセプト(今回の旅行の場合は「鈍行列車に乗って日本海の海を見に行く。」)に沿って、やれること・やれないことを整理して組み立てて詳細な旅程を出してゆく。「まだ乗ったことのない大糸線に乗りたい」「まだ歩いたことのない糸魚川や直江津の街を歩いてみたい」「海の近い駅で途中下車したい」「金はないから日帰り。朝早い始発で出発するのは我慢」など、枝葉はいくらでも生えてくる。

結局今回の旅行は、日帰りで「八王子→(中央線の始発)→松本→(大糸線)→糸魚川→(北陸線・信越線)→青海川→(上越線最終)→八王子」という旅程となった。

 

海に至る道

大糸南線

ある土曜日5時18分。中央線の始発列車が高尾駅より松本を目指して出発してゆく。当時自分は西八王子に住んでいたので、この電車を捕まえるのは簡単であった。

しかし。この時自分がいたのは自宅の布団の中である。寝ぼけ眼で時計を見た瞬間、一気に目が醒めてしまった。大慌てで身支度を済ませて駅に向かい、次の中央線に飛び乗り、大慌てで西へ向かった。鈍行でもたったの3時間強で長野県の塩尻到着。急いで駅蕎麦を流し込んで、松本行きに乗り換えた。

松本からは、信濃大町を経由し、日本海沿いの糸魚川まで走る大糸線に乗り換える。大糸線の沿線には穂高、アルペンルート、白馬といった大観光地をいくつも控えており、今日も乗り換え通路は観光客で混雑していた。

私鉄のような雰囲気がある、大糸線専用ホームに立つ。事実、大糸線の南半分は、もともと私鉄だった路線を国鉄が買収したものである。車両とか駅設備とか線路とか架線柱とか、いろんなものが国鉄の規格品に比べて一回り作りが華奢な気がする。

大糸線は、近景に穏やかな安曇野、遠景に雄大な北アルプスを臨みながら走る。「高原列車」そのものを絵に描いたようようである。

しかし、ところどころ古風な鉄橋で横切ってゆく、北アルプスより流れ出る川は、その細い流れとは対照的な異様に広い河原に大きな岩がゴロゴロと転がっている。北アルプスの厳しさ・険しさの片鱗が見える。

車内はほぼ全席埋まるくらいの混み具合。自転車を詰めていると思われる大きな袋を持参している人をよく見かける。車内の乗客ののほぼ1/3を占めていた、ザック持参の登山客のほぼ全てが、穂高駅で下車していった。

信濃大町を過ぎると、車窓の雰囲気が一気に変わる。今まで車窓の遠くにあったはずの山と山とが互いに近づいてきて、平地が狭くなり線路と道路が並んで地形を忠実になぞるように谷筋を縫ってに走るようになる。

後日、並行する国道から大糸線を見たが、線路はまさしく地形に刃向かうことなく、健気に上下左右にねじ曲がりながら雪の中に消えてゆくのが見えた。

坂を登り終わったあたりで山の中にポッカリと浮かぶ青木湖が見える。それを過ぎると程なく線路は下り坂・・・ということは、もう分水嶺は越えて、日本海に流れ込む姫川沿いに入ったのだろうか。

線路沿いを列車の進行方向と向きを同じくして流れる姫川は水量も豊かで、流れも速く、そして力強い。

南小谷到着。小さな駅だが、ちょうどJR東日本と西日本の境界になっている。列車はも全便ここで乗り換えとなる。1日数本しか来ない特急列車用の、細長いホームが伸びていた。

 

 

北線

JR西日本のディーゼルカーが、たった1両でよろよろと坂を昇ってきた。昭和40年製の、エンジンが2個付いたキハ52型と呼ばれる車両である。折り返しで松本まで引き返す、平成10年製造のE127系電車と並ぶと、「33年の差」が目立って仕方がない。

年老いた車体には、後付けされたワンマン装置や冷房装置などが、ゴチャゴチャと縛りつけられているいる。

すぐに糸魚川行きのディーゼルカーが発車。ここまで苦労して登ってきた線路を、苦もなく下ってゆく。道路も鉄道も厳重に落石覆いや雪崩覆いで守られており、ものものしい。冬の気候の厳しさを感じる。

車内放送(テープ)から「姫川の美しい流れと・・・」という観光案内が始まると、乗客が一斉に、進行左手の姫川を覗き込む。

このあたりは、平成7年の大雨で姫川が大氾濫し、大糸線も長い間寸断されていた場所である。護岸・擁壁のコンクリートも真新しい。河原には、大きな岩がゴロゴロと転がっている。途中、大きな錆色の鉄橋を渡る。これも姫川洪水の復旧で架け換えられたものだろうか。

いつの間にか居眠りをしていたようで、気が付いたら終点の糸魚川に着いていた。

あえて遠回りをしたとはいえ、6時間半も電車に乗り続け、ようやく辿り着いた日本海。しかし、海の方向に向かった、糸魚川の駅を降りて感じた・・・「どうも勝手が違う」。今まで「海は陸地の南側。南に向かって左が東、右が西」と覚えてきたこともあり、どっちが東でどっちが西か、訳がわからなくなる。

一瞬、めまいがした。

 

糸魚川

糸魚川の町

糸魚川の駅前通りをまっすぐ歩き、日本海に出る。暑いのだが、暑苦しさは感じられない。思わず軽井沢とか信濃大町とかの高原を連想した。

「日本海」といえば「冬」「荒波」「吹雪」「演歌」という先入観を、「夏の海」といえば「暑さ」「陽射し」「水着のネェチャン」「サザンないしはTUBE」という先入観をたいていの人は持っているのだろうが、夏の日本海は海も空も穏やかである。これは・・・歌にできるようなステレオタイプな想像には結びつかない。

糸魚川の街は、教科書に載るような雁木作りの家が並んでおり、日本海沿いに国道8号線が伸びるだけで、人は少なく、非常に寂しかった。夏の「活気ある」風景からは程遠い。

駅周辺に見るべきものはあまりなく、駅に隣接する「ヒスイセンター」で土産物の品定めをすて時間を潰す。

 昼食の時間を過ぎてしまっているのだが、ちゃんとしたものを食べる気力が湧かず、ジャムパンと名物のこしひかりアイス済ませてしまった。

 

北陸線

糸魚川を13時50分に出る北陸線は、一昔前の急行列車に使われていたタイプの車両である。車内は18きっぷで動き回っているに違いない一人旅の青年が散見された。

北陸線は、トンネルを抜けると集落の駅に達する、というパターンが続くのだが。

筒石駅だけは違う。駅がトンネルの中に設けられている。列車が通過するときの警報がトンネルにこだまして物々しく響く。駅の外はどうなっているのだろうか、気になる。糸魚川よりも筒石駅で降りて時間を潰すほうが面白かったかも知れない。

途中、目の前に海水浴場がある駅に止まり、浮き輪を膨らませた親子連れも乗り込んでくる。夏を実感させる。

直江津着。ホーム向かいの信越線新潟行きに乗り換える。車内はガラガラ。ここは信越線・北陸線・ほくほく線の交差する駅であり、各社各様の列車が待機しているのが見られた。

 

青海川

海の上の駅

直江津を出て、一頃流行った「電車でGO!」でおなじみの「ほくほく線」が分かれてゆき、一旦遠ざかった海岸線が近づいてくる。

海岸線をなぞって走っているうちに青海川に到着。ここは海のすぐ上に駅が設けられており、その筋ではちょっと有名な駅である。数年前のJRの旅行切符の紹介でも出てきた場所であり、写真を見せれば「見覚えある」という人も多いかもしれない。

ホームに降り立つと、目の前すぐに海が広がっている。風が爽やかである。

空は澄み渡っており、直射日光が山に遮られて射し込んで来ない。太平洋側の海が「太陽に立ち向かう」のなら、こちらは「太陽に見守られる」といった趣である。

駅のすぐ下にある青海川海水浴場に出る。日本海側の、それも砂浜ではなく石がごろごろしているので、海水浴客はあまり多くはなかったが、その誰もが「広さ」を満喫しているように見受けられた。まるでプライベートビーチである。

隣の鯨波は、きれいな砂浜になっており、こちらは多くの海水浴客を見かけた。とはいっても、太平洋側のような混み具合ではなく、のびのびしている。海水浴に行くなら、新潟はおすすめである。

 

上越線

空いている新潟の海に向けて、様々な臨時列車が出ている。帰りはそのうちの1本「マリンブルーくじらなみ4号」柿崎発上越線経由熊谷行き、という列車を捕まえた。青海川発15時44分。

この列車を使うと、高崎到着が19時18分になるが、こんなに時間と運賃をかけて、しかも三国峠を越えて海水浴に繰る人が、どのくらいいるのだろうか?とも思う。作者が乗った車両には1領辺り15人ほどしか乗客はいなかった。

信濃川は、大量の水をたたえて、ゆったりと流れていく。特に田圃が鮮やかである。冬は雪原でしかなかった一帯が、青く色付き、極上の魚沼産コシヒカリを育んでいる。

山がせまって来る。今の季節は明らかにシーズンオフのスキー場。雪の中では瀟洒なロッジがぽつんと草原の中に残されているのは、どうにも可笑しい。

東京方面は、ループを2つ擁する従来路線を行く。土合駅(下り線、新潟方面は「500段近い階段を行き来しないとホームに行けない駅」として有名)を出て1〜2分くらい走ると、進行右側の下の方に、ループを1周した従来路線と湯桧曽駅がハッキリと見える。

高崎到着、ここで八高線に乗り換える。倉賀野−小川町間は初めて乗る区間だが、外は日暮れ。大した感動もなくノリ通してしまう。

 

エピローグ

日本海側の海を、夏を意識しながら見に行ったのは初めてであったが、なかなか楽しめた。「こういう海もあるんだ」ということに気づいたのが最大の収穫である。

今自分の手元には、あと4回使える「18きっぷ」がある。

さて、次はどこへ行こうか?

 

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更新日 2005.9.22
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