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旅行記その3:通勤ひとりたび(2003.10.1〜)

第1週(2003.9.29〜10.5)

9月29日(月曜日):プロローグ

人の2倍超もの電車通勤

個人的な事情から、1ヶ月程度電車通勤をすることになった。会社の寮を一時的に引き払い、同じ茨城県内にある実家から通うだけの、一見簡単な通勤・・・しかし。

諸手続のため通勤にかかる時間を計算すると、自宅玄関から会社玄関まで「片道平均2時間半」。思わず笑った。

人は毎日の通勤にどれだけの時間をかけるのだろうか。例えば、首都圏の人の電車通勤時間は平均で「片道66.9分(※1)」かけている。翻って自分。「片道平均2時間半」の通勤時間は軽く平均値の2倍を超えている。もはやこの「通勤」は「通勤」ではない。立派な「ひとりたび」である。

そうでなくとも、今までは、転勤に応じて会社の寮を転々とするる生活をしていたため、「通勤時間」は短いもので1分、長いものでも片道30分程度だった。それが、一時的とはいえ「1日のうち合計5時間も通勤に使う」生活に変わる。果たして自分は、この「遠距離通勤」に耐えられるのか。

車内でのひまつぶし

問題は長い通勤時間の間、電車の車内でまたは乗り換え待ちの時間、何をして時間を潰すか?である。

本を読んだり、音楽またはラジオを聴いたり、帰りの時間には缶ビールで宴会なんか始めちゃったり、人によっていろいろあると思う。

で、自分は?

「毎日、この『ひとりたび』の日記を書こう」と思う。

朝、その日の仕事に不安と緊張を覚えながら混んだ電車に揺られること。夜、仕事から解放されたふぬけな表情で見るガラガラの車内の様子。引っ越しばかりで「遠距離通勤」とは縁の薄そうな今後の勤め方を考えると、これはまたとない「経験」である。

それ以前に、、自分は飽き症である。今後そんな「遠距離通勤」をすることになったとしても、その記録を毎日同じペースで1年も2年も書き続けることなど、出来そうにない。翻って今回の「遠距離通勤」、期間は1ヶ月程度で終わる見込みが立っている。その程度だったら、この通勤日記は格好の「車内のひまつぶし」になる。

見切り発車

まぁ我ながら安易ではありますが、こんな感じで1ヶ月間更新してゆきますので、お暇な方はおつき合い下さいませ。

『長らくお待たせいたしました。3番線普通列車水戸行き、信号が青に変わり次第発車いたします。ご乗車の方は車内でお待ち下さい。本日は電車遅れまして大変御迷惑をおかけしております。』

なーに言ってんだか。

(※1)第9回大都市交通センサス「通勤定期券利用者全体の平均所要時間(首都圏)」

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9月30日(火曜日):定期券を買いに

定期券

用事があった水戸に行き、その帰りに定期券を買う。

水戸−(JR常磐線・水戸線)−下館−(真岡鐡道線)−折本間。1ヶ月33,090円なり。

私鉄(真岡鐡道)と連続で買ったので、いま流行りのSuicaにはしてもらえず、従来からの自動改札機に「通す」トランプのような磁気定期券になった

しかしこの磁気定期券、4年くらい前まで同じようなものを使っていたが、どうもデザインが複雑になった気がする。数字のところにわざと汚したような横線が引っ張ってあったり、蛍光オレンジで着色してあったり・・・。昔の磁気定期券は、数字のところは使い込んでゆくうちに汚れてゆくものだったと思うが。

しかし、硬質プラスチックのSuicaと比べると、この磁気券はどうも頼りない。

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10月1日(水曜日):新しい朝が来た

いつもならまだいい夢を見ている時間であった。

朝6時過ぎに自宅を出発する。橙色の朝日が、寒い風が、まだ半分寝ている体にしみ渡る。

これから1ヶ月、こんな早起きから毎日を始めるか最初は不安だったが、いざ始めてみると結構心地よいものである。「あーたーらしーい朝が来た、希望の朝だ」というラジオ体操の歌を、十年ぶりぐらいに口ずさみたくなる。

朝の光を浴びながら、下館6時49分発の水戸線に乗り、空席を見つけて陣取る。水戸線の車内は暖房がしっかり効いており、ちょっと暑いところ駅ごとに冷たい風が入ってくるのがまたよい。

1時間ほど電車に乗り通した後の7時54分、水戸に到着。さっきは橙色だった朝日が、もう高いところまで昇っている。さて、今日はどんな1日になるのだろうか。

1ヶ月ほど体調を崩し休んでいた後の出勤なので、そういう意味でも結構気になる。

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10月2日(木曜日):一日が終わる

「だりー」。いきなりそれかい。

こんな感じですがすがしい朝の出勤に対して、夜の帰宅というのは非常に淀んだものである。

第一、この時間だと会社を出る時間には空が暗くなっている。それに一日の勤務の後で心身ともにダレている。

そういう状態で向かい合わせの座席を独り占めした日には、乗り換えるのが面倒で、このままダラダラと電車に乗り続けていたいとすら思う。それじゃ家には帰り着かないのに。

だいたい自分が使うのは、水戸18時33分発の水戸線。この時間の客は、半分は高校生(部活だろうか、この時間に帰る学生が結構多い)で残りのうち半分はオッサン、半分は女性である。

今日も、向かい合わせの席を見つけて、足を投げ出してダレながら家路に向かっている。車内を見回すと、多くの男の人がそうしていた。

正直言って何を考えるのも面倒くさい。腹も減ってきた。

あと家まで30分・・・。

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10月3日(金曜日):ちょっとしたイタズラ

電車やバスの車内で、お年寄りの人に席を譲る、という行為は良いことである。

しかし、お年寄りかどうか微妙な人(特に50〜60代の女性)に席を譲る、という行為は讃められたことだろうか。「んまっ、あたしまだ席を譲られるトシじゃないのに」と、結果としてあまり喜ばれないこともあると思う。

これを逆手にとって、「微妙な年頃の女性に席を譲って反応を楽しむ」といったいたずらが考えられる。「善意」だけでも人をおちょくれるのが、非常にタチが悪い。痛快である。

・・・

なんてことを混んできだ車内で考えていたら、目の前に立った白髪の男性と目が合った。反射的に席を譲ってしまった・・・悪意はないっす。

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10月4日(土曜日):土曜日

会社は休みだが・・・所用があって午前中水戸に行く。

その帰りの電車は、学校帰り・部活帰りの学生で割と混んでいた。しかし、今日は神聖なる土曜日の午後、大部分の人はもう今週は休むだけである。心なしか浮かれている人も多かった気がする。

朝方曇っていた天気も、午後になると晴れてきた。外の気温も暑からず寒からず。外の山々も、目の前の稲刈り作業、土曜日も動いている北関東自動車道の工事現場も澄んで見える。

何かしようと思い、乗り込んだ車両をみると、うまい具合に窓の開く車両だった。窓の開く車両は最近では珍しくなってきたが、ここ水戸線ではまだこれが主流である。

自分も嬉しくなって、1m四方くらいの窓を全部開けて、しみじみと走り去ってゆく景色を直に楽しんだ。

 

まさに「通勤ひとりたび」である。

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10月5日(日曜日):生き残る国鉄

今日も所用で水戸まで行ってきた。今日は何も書くことはないし、日曜日だから更新は休みかな・・・と思っていたが。

自分の趣味嗜好に関係のあることで、ちょっと見過ごせないものを見てしまったので、今日も日記をつけることにした。タイトルから分かる通り、興味無い人にはつまらない話かもしれない。

それ以前にこの煽り文自体が大げさ。

 

今日乗った水戸線の車両の天井に、扇風機が付いていた。扇風機自体は古い車両には付き物だった設備であり、特に珍しいものではない。しかし、何か扇風機のデザインがシンプル過ぎる・・・扇風機には色付きのJRマークが付いていたような気がする。不思議に思って目を凝らして見ると・・・。

扇風機には、銀色の「JNR」マークであった。解体されて十年以上も経つ、懐しい国鉄のマークである。

「まだ残っていたのか!」びっくりした。

現在、日本の鉄道の大部分はJR各社、つまり地域ごとの株式会社が運営しているが、15年ほど前の1987年までは、国が一体で経営していた。いわゆる「国鉄」である。当時の英字略称は「JNR(Japan National Railroad)」となっており、それを形取ったマーク(現在のJRマークに比べると横に細長い)も多く見られた。

旧国鉄の分割民営化とともに、古い会社の象徴であったこのJNRマークはほとんど消されてしまい(その代わりに各社毎に色分けされた、カラフルなJRマークが付けられた)、もう現役の車両で残っているものはほとんどないと思っていたが・・・「生き残る国鉄」あるところにはあるものである。

今日、その懐しい扇風機が付いているのを見たのは「モハ403-9」「クハ401-58(ただしトイレ前の扇風機のみ)」「クハ401-67」の3両である。興味を持たれた方は、車両の天井を注視して頂きたい。

 

今日は、「生き残る国鉄」をもう一つ見た。

JRが誕生する前、貨物列車といえば真っ黒な2軸車でが数十両つながった編成であった。屋根のある車両、屋根のない車両、形式の新旧がいろいろあって、編成にすると微妙に凸凹が目立つ編成だった。それを黒い蒸気機関車、茶色の電気機関車、煤で汚れたディーゼル機関車が引っ張る、無粋な列車だった。

国鉄末期、トラック・高速道路の普及による鉄道貨物自体の斜陽化と、効率的なコンテナ輸送の普及によって、これらの古い貨車は大量に処分された。それらの貨車の一部については、倉庫として売られ、今でも町の中でよく見かけるが。

今日、そんな昔ながらの貨車が現役で使われているのを見かけた。

友部駅で、コンテナを満載した貨物列車が停まっていたが、その最後部に何やら黒い物体が。ホームから見てみると、真っ黒の屋根がない貨車(無蓋車)であった。しかも側面のあおり戸は木で出来ており、向こう側が透けて見える。誰がどこから見ても人目で分かる、かなり古そうな貨車であった。

車体横にペンキで書かれている車両番号は「トラ150548(※)」。どんな事情があるかは知る由もないが、こんな昔の車両が今でも残っていたとは。しかも、それが明るい色に塗られたコンテナ車の最後に1両だけしがみついていたので、その無粋さはひとしお目立った。まさに「生き残る国鉄」である。

※(無蓋車・積載重量16t前後、番号150548号)という意味がある。もう一つ、この貨車には「形式 トラ45000」とも書いてあったが、貨車の場合、形式と車両番号の関係を説明するとややこしくなるので、ここでは省略する。

 

今日はいろいろ懐しいものを見かけた。本当ならこれらの写真を撮って載せたいところだが、生憎今日はカメラを持ち歩いていなかった。タイミング悪し。

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更新日 2003.10.04
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