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                                   2023//25 更新

 

(#禅の語録・選)

 

達磨禅師・ 外、諸縁を()め、

内、心に(あえ)ぐことなし、

(こころ)檣壁(しょうへき)の如く、以って道に入るべし

 

六祖壇経・ 外、一切善悪の境界に向かって心念を起こさざるを名づけて坐となし、

内、自性を見て動ぜざるを名づけて禅となす

(慧能大鑑禅師)

 

坐禅儀・  諸縁を放捨し、万事を休息し、心身一如にして動静(へだ)てなし

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工夫は只だ

人我の見を離る

見を離る々の機要

内、虚にして

外、事あるのみ

是人我を

離る々の道

これ坐禅の玄旨なり

  玄魯(井上 義衍老師)

_________________________________

 

①思わないようにする(思いを無くそうとする)ことは不要と理解し

②思った(考えた)内容や思う(考える)働きについて考えることは不要と理解し

③意図的に考えをする(例えば仕事の計画を考える)ことは不要と理解し

何かの状態をきっちりつくろうとし、それを維持しようとすることは不要と理解し

万事を休息して坐ること=五感の内容、意図的でない思いの内容意図的でない考えの内容でいます

①~④を理解し⑤ができるようになると、思いや坐中の状態などが気にならなくなるのでただ坐れます

 

何かを思わないようにすることは、間違いです。

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

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①事実・真実の絶対的な内容がすでにある

②事実を概念化(相対化)し迷い始めた

今の事実(五感の内容、思い考えの内容)に対して考えることをやめ

事実(五感の内容、思い考えの内容)のとおりに過ごすことをすると

④自ずと事実が事実のとおりに現れ概念を通さず直知しはっきりするという単純なしくみです。

 

悟りとはこれから何かになるのではなく、元々ある事実を事実のとおりに知ったということです

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

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空の義(頁243 参禅夜話「五薀皆空」)

一、          随所現、縁に従って所として現れざるなし

二、          無去来、本躰は天地一枚、何處からも来ず、どこへも行かぬ、何時も變らぬ、水の波の如し、不生不滅もこれから出た

三、          無染、因縁生のみにて相手がない、染汚の入る隙間が無い、煩悩ともいはず、菩提ともいはぬ、物に聞いてみよ。

参禅夜話 飯田 隠老師

 

 

 

祖師云 禅・ 禅・小冊子 ★青標 ★赤標 私見・己見  法 話 推 薦 

 

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一筆

言語表現。真実相。空性。無自性。自体。実相。現象世界。有自性(実体論)。法性。真実のあり方(空仮中の三諦)。真性。戯論寂滅の世界。不断不常不滅不生不一不異不来不出。不生不老不生不死。我執法執。業と煩悩とは分別から起こる。五蘊無我説。五位百法(有為法(心王、心所有法、色法、心不相応法)・無為法)。空(実体性がない)。真理(勝義諦)道理世俗(世俗諦)。我・法倶空(人・法二空)。(自性円成実、自性清淨、自性涅槃)。

仏心論(法身・法性真如・空生・円成実性・法報化(応)の三身説)

 

 

無念の様子(())

悟りの世界(())

「実体はある、実体は変化する(赤ちゃんの変化)(自我に実体がない)」(())

「発火(神経細胞が刺激に応答して活動電位を発生させること)」

「一秒に千回のパルス」

「一秒に数十億回の演算(ゼジタル計算機)」

 

 

見性とは、人が生まれながら自分に備わっている仏性を謂う。」

「庭前の柏樹子は外境なぞだはないぞ」

「考えたときしか出てこない観念上のもの」

「自分は意識の中」

「自己を忘ずる追体験」

「自己を創出してしまう(観念)」

「考えれば自己がある。やめれば自己が失せる」

「自分というのは考えたときにある。」

「考えなんです。考えそのものです。」

「考えるという働きがあるだけ。」

「考えを起こしたときに自分がある。思い考えたときに自分がある」

「考えたときしか出てこない観念上のもの」

「ないものをあると思い込んでいる」

「無意・無心・無作・子供の様に・仕管打坐・解脱の条件

「空の真理は因縁である」

「因縁生」

自分というのは、観念であって実体はない」

「自分があるのではなく考えがあるだけ」

「自己が生まれる・自己が現われる」

「意が止む(働きが止むことではない。考えで取り扱わない)」

 

(甲賀祐慈老師)

「一円相(天地の働き・仏の姿)」

由迷能起 仏照禅師

「只心より自ら造出して、自ら苦楽をうく」

「心は六塵を縁とする影と説けり」

「六塵の影なり」

「源を尋ぬれば有にも非ず無にも非ず、六塵の影なり」

「深般若と云ふは無生智恵也」

「善知識に逢ふことの難きなり」

由迷能起 仏照禅師

 

青野 俊董 老尼

「泥があるから、花が咲く 青野 俊董」

「這頭(しゃとう)・那頭(なとう)・那辺(なへん)・這辺(しゃへん)・那裏(なり)・這裏(しゃり)・這(こちら)・那(あちら)

「頭・辺・裏(場所を示す接尾語)」

「師(余語翆巌)」

「参禅問法」

「四馬の譬喩」

「欲望の奴隷」

「慈眼施・和顔施・心虜施・愛語施」

「愛心」

「あやまれる求道は破滅に導く(法句経)」

「我執・我愛」

「正師は人ではない、法である。」

「道理に暗い(愚痴)」

「泥があるから、花が咲く 青野 俊董」

 

「もう一人の私への旅 青野 俊董」

「老古錐(先が減ってまるくなった錐(きり)のこと)」

「親の言う通りにならないが親のする通りになる」

「名誉や金は凡夫の餌」

「坐禅は見渡しのきく高い山に登るようなものじゃ(沢木興道老師)」

「自縄自縛(じようじばく)」

「お能(金春(こんぱる)流家元)」

「表意文字」

「運水搬柴是れ神通」

「そんなものは道具にすぎなせん。それを使いこなす人間が駄目なら駄目なんです」

「財産も学歴も肩書も知識も技能も、すべて家財道具にすぎない、・・・使いこなす力量をもっていないと、・・・自分も駄目にし、周囲に害悪を流す結果となってしまう」

「徳川政府がキリシタン改めのための檀家制度、坊さんに見張り役としての、戸籍係をさせた」

「心猿意馬」

「自我・吾我(自己)」

 

「仏のいのちを生死する 青野 俊董」

「相手の鬼がくると、こちらの鬼も飛び出した」

「慢心を克服したという慢心が起きる」

「謙虚になったというおごり」

「利己の心」

「肉眼は他の非が見える。仏眼は自己の非が目覚める」

「観念の世界の延長」

「仏性の上の空」

働きを名づけて仏と呼ぶ」

「仏心を持った人間として育てていただきたい」

「天地の道理、真実を法といいます」

「はじめから仏。その仏に気づかず迷っているのを凡夫という(沢木興道老師)」

「本具仏性」

「この働きに気づき、この働きが見えてくること、これを「見牛」といいます」

「凡情脱落し聖意皆空ず(庵禅師)」

「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」

「一円相(天地の働き・仏の姿)」

「仏のいのちを生死する 青野 俊董」

 

「悲しみはあした花咲く 青野 俊董」

「高慢・卑下慢・多聞慢

「嘲笑・蔑称・失笑・苦笑・爆笑・哄笑・大笑・諂笑(てんしょう)・微笑」

「見せかけの幸せ」

「目は口ほどに物を言う」」

「顔は心の鏡」

「和顔施・愛語施」

「八慢 無病慢(健康を憍る)・少年慢(若さへの憍り)・長寿慢(長生きへの憍り)・族姓慢(自分の生まれ育ち、氏素性を憍る)・色力慢(セックスの強さなどを憍る)・富貴慢(持ちもの、財力の憍り)・多聞慢(博学多才の憍り)・善行慢(善いことをした憍り)」

「悲しみはあした花咲く 青野 俊董」

 

「美しき人に 青野 俊董」

「無耳人・無限人」

「明眼の人」

「娑婆(梵語・忍土)」

「凡夫人間の欲の満足」

「華は愛惜にあり、華は棄嫌にあふるのみなり(道元禅師)」

「取捨増愛の身びいきの思い」

「老心(老婆心)」

「和顔施」

「言葉づかい・立居振舞い(慎み)」

「常に如是経を転ずる」

「仏教の世界(自己)(他己)」

「美しき人に 青野 俊董」

 

「心の故郷からのお便り」

「分別の垢」

「嬰児行」

「慈眼施」

「同時・同悲」

「仏心にめざめ」

「天地の道理にめざめ」

「利衰毀誉(りすいきよ)」

「尊卑老稚(そんぴろうち)」

「心の故郷からのお便り」

 

今ここをどう生きる CDより

「実物提示」

「天地の働き」

「直に説明」

「」

今ここをどう生きる CDより

青野 俊董 老尼

 

竹村 牧男

禅と唯識 竹村 牧男

「空観をもとに再解釈し、・・・」

「無着(395~470)・世親(400~480)」

「成唯識論を翻訳(玄奘)(法嗣・慈恩大師・法相宗)・日本(興福寺・薬師寺・法相寺)」

「仏(自性身・受用身・変化身)」

「唯識学派(インドでは瑜行派)(止観行)」

「純粋なる形(坐禅)」

「見性(無分別智を実現)」

「体験させようとする」」

「暗証の徒(意味・意義の自覚出来ない者)(了解・表現)(己事究明)」

「古教照心」

「世界の把握、三科(五蘊・十二処・十八界)」

「三界虚妄、但是心作、十二縁分、是皆依心。」

「縁起のみがあり、・・・(中派)」

「心(心・績集された)・意(考える)・識(知りわける)・了別・(同義異語)」

「脳の働き(心)」

「識の所縁は唯だ識の所現のみ(解深密経)」

「八識(心王)」

「復数の心の複合体」

「相分(対象の側)・見分(主観の側)」

「識は、事的世界の(心所を含む)論理的な表現にほかならない(唯事論)(事的世界観)(唯識論)」

「禅・(心作無法・万法唯識)」

「見色明心・聞声悟道」

「自己の根柢・世界の根源」

「庭前の柏樹子は外境なぞではないぞ」

「自己と世界の究極の真実は、無相に尽きるのである(妙心)」

「思惟・分別に窮する事態に誘ったりして、・・・」

「思索」

(じん)那の仏教論理学」

「作用以前の私を想定(私は見る)」

「蘊処界」

「自然滅」

「言葉では捉えきれないことを、克明したものである」

「只だ這れ是なるのみ」

「元来祗這是(元来()()(これ))」

「唯識観という止観行」

「41位(十住・十行・十回向・十地・仏)」

「五十二位説(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)」

「無分別智が起きて、真如を体証する」

「聞思修の(さん)()

「阿羅耶識(大円鏡智)・末那識(平等性智)・意識(妙観察智)・前五識(成所作智)(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)」

「大応国師(理致・機関・向上)・白隠(法身・機関・言詮・難透・向上・末後の牢関・最後の一訣)」

「自己本来の真性を体得」

「十牛図

     尋牛(本来の自己を尋ねようと思。初発心の位)

     見跡(経験や師の指導により、信解を得る)

     見牛(真実の自己に目覚める。見性した段階)

     得牛(悟後の修行になお励み、深く自己を実現していく)

     牧牛(なお、動中の工夫に励む)

     騎牛帰家(真実の自己とまったく一体となる)(呼喚すれども回らず)

     忘牛存人(無心にして自由の境涯)」

     人牛倶忘(凡聖・迷悟・一切を払い尽くした真空無相のところ)

     返本還源(真空無相がそのまま真空妙有であるところ)

     入鄽垂示(真空無相がそのまま真空妙用であるところ。非用に生きる)

「片言隻句(へんげんせきく)」

「体証」

「色即是空、空即是色の色は五蘊の色。受想行識亦復如是。(五蘊即空性、空性即五蘊)」

「完全(円)」

「成就(成)」

「実(真実)」

「自性円成実」

無分別智を実現する道(無字の公案・隻手の公案)」

「個は厳然たる事実なにである」

「虚論寂滅の勝義諦(中論)」

刹那生滅の道理

「仮の設定」

「究極の悟りの世界

「縁起をも超えた、さらに言葉を離れた世界が、八不中道の戯論寂滅の世界(勝義諦)(究極の真理世界)」

「時間的な関係を仮の表現」

縁起事実の説明ではなく、仮の説明でしかないというのである」

「世界の実相(現在に現在が生まれる)」

「十世古今始終当然を離れず」

「善因楽果、悪因苦果」

「説似一物即不中(南嶽懐譲)」

「他是阿誰(たぜあた)(他は是れ阿誰ぞ)」

「他の奴(手下)(無45)」

「鈴木 大拙(ひじ、外に曲がらず)

(うん、これで分かるわい。なあるほど、至極あたりまえのことなんだな。なんの造作もないことなんだ。そうだ、ひじは曲がらんでもよいわけだ。不自由(必然)が自由なんだ。と悟った)」

「自明の真理・黄檗の仏法多子なし」

「十四不可記説」

「四有の説(生有・本有・死有・中有)」

「十二縁起を悟った」

「名色(非色の四蘊(受想行識))」

「大死一番・絶後()(そく)

「薪(たきぎ)」

「生が死になることもなし、死が生になることもない」

「悟り体験」

「嬰孩性」

「閑古錐(先のつぶれた錐)」

「悟りや思想をふりかざして得意でいる者」

「悪趣(地獄・餓鬼・畜生)」

「五停心(不淨観(貪)・慈悲観(瞋)・縁起観(痴)・界分別(我執)・持息念(数息観)(尋・伺))」

「清淨透明な心境」

「法身(有為法の本質・本性としての真如、法性)」

「報身(修行によって報われた身)」

「化身(我々凡夫の心に現われた仏の姿等)」

「体証」

 

禅と唯識 竹村 牧男

 

唯識のこころ 竹村 牧男

「阿毘達磨(アビダルマ)」

「倶舎論(五位七十五法(縁起によって集合離散))」

「我空法有(部派仏教)」

「一切法空(確固たる本体はない)」

「龍樹菩薩(八宗の祖師)(中論)AC150年頃・中観派(三論宗)

「瑜伽行派(無着菩薩・世親菩薩)・禅定(観法)(空観)(我・法の実体はない)(五位百法)(ただ識のみ)

「①影像門の唯識 ②縁起門の唯識 ③三性門の唯識」

「脳が映像を現す働き(心)」

「影像を見るものが識である」

「識の構造(4分)

見分・相分・自証分(自分を確認する)・証自証分(自証分をさらに確認する)」

「8つの心王・51の心所」

「現在のそれぞれの対象を認識(五識)

第六識(現在・過去・未来)認識の対象にすることができる」

「自覚的な心の領域」

「自我執着心」

「執着からの解放への道」

「唯識説(西暦四、五世紀)(弥勒・無着・世親)(インド)」

「慈恩大師(玄奘三蔵の弟子)(法相宗)(唯識思想)」

「興福寺(唯識の学問道場)」

「良遍僧都(解脱上人・貞慶の法孫)」

「成唯識論の入門書(心覚夢鈔)(自心を観察して夢から覚める道)」

「夫れ菩提(覚さとり)を得んと欲せば、須く自心を知るべし」

「実体(それだけで自在する本体をもった永遠不滅な存在ということです)」

「常・一・主・宰・常住・単一・主体者」

「不生不滅なる世界を自覚した」

「諸法実相(阿耨多羅三藐三菩提)

(唯仏与仏乃能究尽諸法実相)」

「戯論の寂滅(八不中道)」

「対象化されたものが成立しない」

「対象として捉えた自己ではなく、そうした絶対の主体たるもの、本来の自己の自覚する」

「不死への到達(覚)」

「(生と死との超越)(固執の住居)(妄執)」

「第八阿羅耶識(大円鏡智)・第七末那識(平等性智)・第六意識(妙観察智)・前五識(成所作智)(自他一体)(慈悲の主体が実現)」

「無住所涅槃」

「根源的な自己を自覚」

「煩悩障、所知障を断じて菩提と涅槃を実現」

「聞思修」

「聞薫習(もんくんじゅう)」

 

【三身仏

「法身仏(真理そのものを本体とする仏)」

「報身仏(修行が報われた結果、仏となられた仏)」

「化身仏(私たちに応じた姿に変化して現われられた仏)」】

「報土(浄土・蓮華蔵世界)」

「一切法空無自性、無生無滅、本来寂静、自性涅槃。(般若経)」

「讃嘆印可(嘆印)」

「五蘊無我説」

無いものである自我への執着こそが苦の根源

「蘊処界」

「五位(色・心王・心所・不相応・無為)」

「無住所涅槃」

「二無我(人無我・法無我)=無我」

「心王・心識(質多・梵)(citta・サンスリット語)(心)(中国・日本)(積集)(集起)」

「仮法・実法」

「念(記憶を意味する)」

「覚りに至ると前五感は成所作智になるといわれ・・・」

「前五識には分別はなく、」

「意識の世界の心作用」

「分別のない認識(直接的知覚)(現量)」

「意識(法を縁じて境となす)」

「根(器官)」

「意根(前滅の意)」

等無間縁(前刹那に識が滅し、その滅することによって、次の刹那に滅が生起する)

「三覚(現覚・比覚(論理的認識)・非覚(誤った認識)」

「意(考える)」

「阿羅耶識(蔵識)(能蔵・所蔵・執蔵)」

「根(感覚器官)」

「ダルマは現在の瞬間にしか存在しない」

「一切性(善・悪・無記)(三性)二世(現世・来世)にわたり自他を利益・損害・不善(悪)する原因もの」

「悪と有覆無記(染)」

「三苦(苦々(嫌のものに出会う苦しみ))・壊苦(えく)(気にいったものが壊れる苦しみ)・行苦(ものごとが諸行無常で移り行く苦しみ)」

「無明(癡)【諸行無常・諸法無我・一切皆空といった現象世界の普遍的道理、真如法性(理)縁起による事象・事柄について如実に知ることがないことです。】」

「悪行を生長するをもって業と為。」

「慚(自らをかえりみて恥じる)」

「愧(他者に対して恥じる)」

「一心多境・一境多解」

「我執・法執」

「生空智・法空智」

「用に迷うを知りて煩悩と為し、その法体に迷うを所智障と名づく」

「我執(我空・人空)・法執(法空)」

「我空・人空(生空)(衆生空))」

「空性」

「依他」

虚仮(こけ)(仮有)」

「四縁(因縁・等無間縁・所縁縁・増上縁)」

「心法(心王・心所)」

「空と言うは無自性を指す」

「因縁所成の故に空なりと言う」

「それ自体に本体をもたないという意味の無自性であることを示しているのだ」

「識としての現象にすぎない」

「影像(ようぞう)」

「刹那滅(諸行無常)」

「因縁所生法、我説即是空(中論・龍樹菩薩)」

「世界を説明」

「如幻・虚仮」

「禅定体験・覚体験

「三性(善・楽をもたらすもの)(悪・苦をもたらすもの)(無記・苦楽をもたらさないもの)」

「聖(無分別智という覚り智慧を起こした以後の世界のこと)・道(覚の智慧そのもの=菩提)」

「善悪(社会的規範)・楽苦(感覚的)・宗教的な善悪・楽苦」

「有為報(転変する現象世界)(事)・無為法(変化しない世界)(理)(本性)(本体)」

「52位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)」

「三性の譬喩の蛇・繩・麻の譬え」

「円成実性は空性そのもの」

万法如夢

「一切は夢幻のように実体のないもの」

 

唯識のこころ 竹村 牧男

 

インド仏教の歴史「覚り」と「空」 竹村 牧男

「覚体験」

「釈尊の覚」

「ゴータマ(最良の牛の意)・シッダルタ(目的を成就したの意)・ブッダ(目覚めた者)(覚者)・釈尊(釈迦族の聖者、尊者という意味)」

「次第説法」

「縁起という道理」

「相依関係」

「五蘊無我説」

「生起」

「仮和合」

「我空法有」

「一切法無自性」

業(行為とその行為が及ぼす影響力のこと)

「我空法有」

「我法倶空(人法二空)」

「業(行為とその行為が及ぼす影響力のこと)」

因是善悪

果是無記

「自我の妄執」

「識物作用を止滅する」

五蘊無我説

「五停心観(ごじょうしんかん)(観法)(止行)・(不浄観(貪・欲望)・慈悲観(瞋・怒り)・因縁観(痴・無知)・界分別観(我執)(界・四界・地水火風)・数息観(尋・伺))」

「観仏体験」

覚体験(空の体験)

「因分可説」

「果分不可説」

【「華厳経」

「三界は虚妄にして、但だ是れ一心の作なり、十二縁分は、是れ皆心に依る」三界(欲・色・無色界)

「心は、(たく)みなる画師の如し、種々の五陰を画く。

一切世界の中、法として造らざる無し。

心の如く仏も亦た(しか)り、仏の如く衆生も(しか)り。心と仏と及び衆生と、是の三は差別無し。

諸仏は悉く、一切はしん依り転ずと了知す。

若し能く是くの如く解せば、彼の人、真の仏を見る。」

「心は諸の如来を造ると」】

 

「十波羅蜜(六波羅蜜・方便・願・力・智波羅蜜)」

「空性」

「観相・憶念」

「覚体験」

「垢縛(くばく)」

「中観派

 

インド仏教の歴史「覚り」と「空」 竹村 牧男

 

 

竹村 牧男

 

「十牛図

     尋牛(本来の自己を尋ねようと思。初発心の位)

     見跡(経験や師の指導により、信解を得る)

     見牛(真実の自己に目覚める。見性した段階)

     得牛(悟後の修行になお励み、深く自己を実現していく)

     牧牛(なお、動中の工夫に励む)

     騎牛帰家(真実の自己とまったく一体となる)(呼喚すれども回らず)

     忘牛存人(無心にして自由の境涯)」

     人牛倶忘(凡聖・迷悟・一切を払い尽くした真空無相のところ)

     返本還源(真空無相がそのまま真空妙有であるところ)

     入鄽垂示(真空無相がそのまま真空妙用であるところ。非用に生きる)

 

「鈴木 大拙(ひじ、外に曲がらず)

(うん、これで分かるわい。なあるほど、至極あたりまえのことなんだな。なんの造作もないことなんだ。そうだ、ひじは曲がらんでもよいわけだ。不自由(必然)が自由なんだ。と悟った)」

「自明の真理・黄檗の仏法多子なし」

 

禅と唯識 竹村 牧男

「空と言うは無自性を指す」

「因縁所成の故に空なりと言う」

「それ自体に本体をもたないという意味の無自性であることを示しているのだ」

「因縁所生法、我説即是空(中論・龍樹菩薩)」

唯識のこころ 竹村 牧男

竹村 牧男

 

 

 

蘭渓録 蘭渓道隆禅師(訳者 彭 丹)

蘭渓録 蘭渓道隆(訳著 彭 丹)

「語録」

「隋縁去住」

「思慮分別を超えて無心に生きよう」

「知識を徹底的に否定した」

「淡々と無心に生きる禅の心髄」

「難解な公案より、・・・」

「心病」

「茶禅」

教えることは無いですよ(吉田老師)」

「悟りの風光を語ることにある」

「思慮分別のない一切平等の世界である」

「論理で理解しようとする」

『「東班【六知事】【都寺(つうす)】【監寺(かんす)】【副寺(ふくす)】【維那(いの)】【典座(てんぞ)】【直歳(しつず)】」

「西班【六頭首】【首座(しゅそ)】【書記】【蔵主(ぞうす)】【知客(しか)】【知殿(ちでん)】【知浴(ちよく)】」』

「無上の妙法をきわめ、・・・生死輪廻の因果から解脱するのだ」

「身心自然安楽

不被外物所移」

「思慮が尽き分別が消え、疑心がついに打破られるとき、・・・」

万事の根源を仮に「佛」と名づけて呼ぶだけのことだ(假名為佛)」

「思慮分別のない境智」

「教家(教宗)(経律)(論)(三蔵の経典)」

「結制・結夏4・15~7・15 90日間(夏安居・雨安居)」

「雲門文偃(864~949)(乾屎橛)」

「洞山守初(910~990)(麻三斤)(衣一着分麻)」

「耳聴不聞・目視不見」

「大参・小参」

「四季八節(立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至)」

「鉄餕餡(てつさんあん)(鉄饅頭)」

「死蛇頭(しじゃとう)(妄執)」

「無為を楽しもう(共楽無為)」

雑念で心を汚さないことだ(莫将雑念汚心田)」

「執着を放下すれば、(放却身心担蕩)(広くて平らかに)」

「性相宗(中観の法性宗・唯識法相宗)」

「自己の本来の面目を観ずることが出来た」

「祖意・教意・」

外境(げきょう)に執着」

逐物(ちくもつ)して却物(きゃくもつ)を知らない」

外から来るものからあなたは何も得ることができない(若自外来者、即是無得之人)」

「参禅有四般病

     有見處了、口不能説、急用不得者。

     有能言能用、而全無見處者。

     有無見無得、無言無用者。(断佛種の人)」

④有見得用得者。

呼ばれたときの無心の振り返りこそ、あらゆる思慮分別を超越した万物の真実の姿だ。その一瞬に喚ぶものと呼ばれるものが一体になり、一切空の境界が出現する。」

「本分事(本来空きわめること)を体得せよ

「佛法は凡夫の思慮分別で理解できるものではなく、諸仏しか知ることができないという。(法華経)」

【馬大師 正恁麼時如何

百丈云、正好修行(坐禅)

西堂云、正好供養(法会)

南泉云、拂袖便行(何者にもとらわれず超越している

大師云、経帰蔵・禅帰海・惟有普願獨超物外】

「露堂々(隠れることなく)」

「妄執をとりのぞけば、すなわち佛そのものである」

「於諸妄心、亦不息滅。(妄想が起きても、ことさらにそれを消そうとしない)」

「本来淸浄心(本心の輝き)」

「悟りの機縁は一瞬のうちに過ぎ去ってゆく」

釈尊の体得した絶対空の世界

「(悟りなどを)求めようとはしなかった」

「悟後の風光は思慮分別のない世界にこそ見られる」

思慮分別を越えた絶対平等の世界釈尊の到達した悟りである。」

「煩悩にも煩悩を殺すことにも執着しない」

「五岳(泰山・崋山・衝山・恒山・崇山)」

「一切空に徹した人。(一切空の境地にいる)(一切空の無事の境地)」

唯心の境に達した後は分別が生じなくなる。」

「唯心の境に達した後は分別が生じなくなる

「仏法は人それぞれの理解によって変わるものではない」

「思慮分別はいらない」

「舌が三尺も長くなったわい(余計なことを言いすぎた)」

「あらゆる分別を超えて到達した一切空の境地」

無心無作の妙用こそ悟りの真の姿である」

「一切空の境地(悟りの境地)」

「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)」

「淨裸裸(じょうらら)(むきだしのまる裸)」

「頭首(首座・書記・蔵主(ぞうしゅ)・知殿(ちでん)・知客(しか)・知浴(ちよく))」

「性覚真空、性空真覚(自己の本性を悟ることは真空の究であり、本性が空であることを悟るのは真実の悟りである。本性はすなわち一切空)」

「一切の思慮分別を断ち切ったあるがままの無心の境地」

言葉を発する以前の空の境地を観よ」

「佛法の根本義である一切空」

「無依の境地」

「あらゆる分別をとりはらった一切空の世界がすなわち空寂の相である」

「思慮分別の要らない大自在の境地に入る」

「馬大師(ばだいし)」

「非心非仏(一切空の境地)」

「情識意想を断ち切った一切空の境地」

「噁(オー)(この野郎)」

「理屈云々を持ち出し頭で理解しようとする」

「更向其中求解會」

「無心になることこそ佛法の世界である」

「妄執」

「明眼(みようげん)」

「一切空を体得し、自らの本来の面目に気づくこと」

「相にとらわれず、その本質を観て取るのが禅僧の本分である」

「是非分別の心(鬼眼睛)」

「あらゆる理屈を捨て淡々と日常を生きる」

「大病のもとは恣情にある。恣情(気まま・勝手)(恣意・放縦)」

「病魔・煩悩魔・生死魔」

「此事は貪子衣裏宝珠」

「無仏に執着した(空執)」

「悟後の心境」

「一切空の平等である」

「無心の道人(大悟した大自在人)(以心伝心)」

「出藍のハタラキ」

「回光返照(知慧の光を自らの内にさしむけて自己をかえりみよ)」

「佛という言葉にとらわれて自由がない」

「正法眼」

「無心無為」

「現成事」

「死眼」

「一喝(理屈を言わせない)」

「本来の面目はおのずからあらわれる」

「六根・六塵(無心無作)」

「煩悩も病いも仏性のうちである」

「石女の赤児を産む(理屈を超え分別を超えた無心無作の妙用)」

「あたり前のこと(本来の面目)(口は鼻の下にあり)」

「正法眼(佛法真髄)・破沙盆(はさぼん)(禅の奥義)」

「赤裸裸(煩悩や妄執にとらわれず)」

「露堂々として(何も隠すことなく)」

「悟りの智慧で衆生を救う」

「六根の妄執」

「無智の人(思慮分別にとらわれない無心の禅者)」

「見解」

 

「語録」

     ・・・・

「普説」

「普説とは大勢の人々を集めて行なう略式の説法。」

「宝を求めようとする心を捨てさりただ無心になれば、宝はおのずからそこにあらわれる。得るものにとらわれなければ得るものは大きい。」

「邪見・執見」

「貶す(けな・す)」

「明心見性」

「放下して自然のままに居ればかえって去住なきことを体得することができる」

「博学多知(此事)」

「巌頭全割(がんとうぜんかつ)

「雪峰義存(せっぽうぎそん)」

「過水の偈・洞山良价(とうざんりょうかい)」

「我(現象の自分)・渠(本性の自分)」

「無心の境地に到達した」

「空を悟らず、悟りが空であると悟らなければ、妙味とは言えない。」

「等覚(平等の悟り)・妙覚(真の悟り)」

「悟りの境地(寂)」

「心行(しんこう)(心と行い)」

「信根・念根・精神根」

「普説」

     ・・・・

「法語」

「法語とは佛法の道理を示す言葉」

「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)」

「多知多虜なるは意を息むことを如かず。」

「妄執」

「念を断つことが出来る」

「識見」

「無礙(むげ)の境地」

「究める心などそもそもどこにもない。」

「四威儀(行住坐臥)」

「悪趣(あきしゅ)(地獄・我鬼・畜生)(三悪趣)」

「不了事の漢(やから)」

「富貴名利は幻であり、・・・(金王・声名・喜怒哀楽)」

「恬静(てんじょう)な境地」

「咦咦(いい)(へへえ)」

「参禅学道は思慮分別で明らめることではない。」

「思慮の心が尽き、分別の念が消えるときおのずから根源(無心無作の境地まで徹底することができよう)(圜悟克勤(えんごこくごん))」

「空劫以前=父母未生以前(ぶもみしょういぜん)」

「一切法(あらゆる現象)」

「思慮分別が絶える一笑して帰着すべきところを知る。」

「杳冥(ようめい)の境」

「鏡のような無我の境地」

「本心(自性清淨心)」

「妄執を取り除く。」

「心の在り処を知ることができれば、・・・」

思慮分別のない安楽地入ることができたとしても、まだ終わりではない。」

「一切空の境地が出現した。」

「一念不生」

「全部方便にすぎない」

「自己の本心を知ること」

「洞徹する」

「法語」

     ・・・・

「偈頌」

「偈頌とは佛法の理を漢詩の形式で述べるもの」

「ただ無心に本分事に戻ろう」

「蔵山順空(ぞうざんじゅんくう)(1233~1308)」

「煩悩の去来を眺めてみよう」

「一夜雨声分明説破」

「自性清浄心」

「偈頌」

     ・・・・

「頌古」

「摩訶迦葉(まかかしょう)(禅宗西天第一祖)」

「説く佛法も伝える佛法もない、ただ無心に雲を眺める。これこそが世尊の伝えた佛法なのだ。」

「達摩(禅宗東土初祖)」

「日々の行住坐臥にある平常心こそ(道である)真の解脱である。」

「文字(皮・道副)・因縁(肉・尼総持)・

空(骨・道育)・三拝(髄・慧可)」

何者にもとらわれない無心の境地に入れば、絶対の境地を得ることができる。」

「異類(犬か猫のしぐさ)」

「異同の差別」

「無事の境地」

「融通無礙」

「一切の知覚感情を切りすてて無になり切る。」

「頌古」

     ・・・・

「仏祖讃」

「諸仏讃とは、諸仏や諸祖の徳を褒め称えるもの」

「仏祖讃」

     ・・・・

「小仏事」

「西天28祖」

「妄想の源」

思慮分別を見事に断ち切る(一喝)

「機用(ハタラキ)」

「三祖師(達磨・百丈・臨済)」

「一切空を体得しなければならない」

「思慮分別のない一切平等の世界」

「内空(人空)・外空(法空)」

「理(真理)・事(万象)」

「思慮分別を断つ」

心を使わず念を動かなければ、あらゆるものがもとより自然のままにあらわれる

冬瓜印子(とうかいんす)(いい加減な印可状)

「光(仏性)」

「見解・見識」

「死眼(本当の悟りではない)」

「小仏事」

蘭渓録 蘭渓道隆(訳著 彭 丹)

蘭渓録 蘭渓道隆禅師(訳者 彭 丹)

 

「参禅学道とは思慮分別で明らめることではない。」(蘭渓道隆禅師)

思慮分別を見事に断ち切る(一喝)

真如来現・離言真如・依言真如

「思慮の心が尽き、分別の念が消えるとき、おのずから根源(無心無作の境地)まで徹底することができよう

(圜悟克勤(えんごこくごん))」

 

「過去が入って来る隙間がない。確認の連続」(井上 希道老師)

2022年3/3031 初参禅の法話(1)(2(少林窟道場法語)推薦します。

「吐き切れ」(井上 大智老尼)

祖師から学ぶ 2022年3/252627(少林窟道場法語)推薦します。

 

思慮分別も分別のままなれば、見るままと少しも違はぬじゃ。

分別も分別せずば分別も分別ながら分別はなしと。

(般若心経恁麼来 飯田 欓隠 老師)

 

「須ラク回光辺照之退歩

 回光辺照(光を廻らして返し照らすと訓む)(心の作用が見るもの聞くものに移りゆく有様を光が物を照すのに譬へ、其の光すなわち心の作用を内の方へ廻らし返して己れの心の本體本性を明らかに照らすようにするが即ち回光辺照といふのである。

退歩を学すべし。(百尺竿頭さらに一歩を進むる(すがた)を之を名けて退歩といふ。)(回光辺照の(すがた)を形容した)(其處が即ち坐禅の目的であるから須からく退歩を学すべしと仰せられた。)

碧巖集講話・下・巻末・普勧坐禅儀 大内 青巒)」

 

「小説 道元」

「悟開」

「戯談(じょうだん)(四行論・四如是・二入四行)」

「如是安心・如是発行(報寃行・隋縁行・無所求行・称法行)・如是順物・如是方便」

「潙山三種生(想生・相生・流注生)」

「唯物(宝)・与仏(諸法)」

「思量箇不思量底(ち?)」

「不思量底(おもいはからないこと)」

「非とは本来の姿、自然の事実その侭である。」

「我執の煩悩」

「思慮分別の相対界を越え、絶対の悟りを享受すればよい」

「見性とは、人が生まれながら自分に備わっている仏性を謂う。」

「体悟」

「三種境地・功徳

正位一色・(平等の世界)・大功一色(没縦跡(しょうせき)(あしあと)(捉われない)の世界)・今時一色(任運自在の世界)(分別否定)」

「見成公案」

「信心銘三祖僧璨」

「仏は衆生として現前している」

自意識を捨てた無我の境地を悟った」

「百丈大智禅師」

「払拳棒喝(ふっけんぼうかつ)」

「叱声」

正法眼蔵(正しい法眼)・五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)」

「解会」

「如是相・諸仏の実相・真実人体(にんたい)」

「黒鳥(カラス)」

「真理体得者(仏)」

「妄我・真我」

「孤雲懐奘(こうんえじょう)」

「悟りの境地」

「三世徹通義介(てっつうぎかい)・四世瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)・五世峨山韶韶碩(がざんしょうせき)

「小説 道元」

 

禅話・道話・道語(禅道の教え)・ひろい読み

(尋言遂語・じんごんちくご・解行すること勿れ)

 

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覚元(検索) 井上 哲玄老師(YOUTUBE推薦します)2017/09/01登録

反応しない練習 草薙 龍瞬(推薦します)(クリック)

坐禅の要訣 井上 義老師(クリック)

不明分(クリック)

 

法 話 推 薦

 

東山寺攝心①仏法は伝えるものはない H31/4/28世尊拈華

井上 貫道老師YOUTUBE推薦します)

 

井上 哲玄老師 平成28年秋彼岸会法要法話於龍泉寺YOUTUBE推薦します)

井上 哲玄老師 2018924 カフェ寺 YOUTUBE推薦します)

 

安穏寺 禅会 丹下 覚元 老師 (ネット 動画)推薦します

 

しみP 399回坐禅中「事実」に触れているという実感はありますか?YOUTUBE推薦します

 

耕月寺 甲賀祐慈老師 法話 YOUTUBE アップされています 拡散・拡散

2018126 知る前の自己推薦します』

YOUTUBE 2021年3月6日耕月寺 甲賀祐慈老師 (雪ほど黒いものはない

 

井上 貫道老師 ネット録音(坐禅と楽しむ会@高知)伝心法要14提唱 井上貫道老師(推薦します)

ネット録音(坐禅と楽しむ会@高知)「禅」について 1.2.3 井上貫道老師(推薦します)

 

 

「一切法空無自性、無生無滅、本来寂静、自性涅槃。(般若経)」

「五蘊無我説」

 

 

 

井上 哲玄老師 2019526 雪ほど黒いものはない(YOUTYBE愛知禅会 於宇宙山乾坤院 井上 哲玄老師)

ネット録音 乾坤院 (201956)(提唱・質疑応答編)井上哲玄老師(推薦します)

 

「不思量底(おもいはからないこと)」

 

井上 希道老師 2021118 自分の本性(少林窟道場YOUTUBE推薦します

少林窟法語[まぐまぐ] 坐禅の心得 320 「今」に徹する (推薦します)

 

 

井上希道老師YOUTUBE推薦

令和3423 言葉に用はない

令和3528 生きた修行

令和5627 息念の法

 

 

 

 

 

(獅子吼)(今月一覧)(2015/1月~直近月)(拡散・拡散)

「リンク」→ 少 林 窟 法 語 音 声(井上 希道 老師)(少林窟道場)

201515 修せざるには

2015131 道を得る

201521 一心

2015228 一呼吸

2015313 我を忘れる

2015331 努力

201545 無いもの探し

201549 今の様子

2015413 入口

2015429 一心不乱

2015430 参究

2015512 綿密

2015519 万事

2015618 当たり前

2015623 持たない

2015624 有りながら無い

2015628 木人まさに歌い

2015715 一点

2015820 耳の世界

201599 実行力

20151011 我を忘れる

20151013 如法

20151029 修行の方法

20151125 菩提心

20151130 人知れず

201613 実行

201631 何もない

201635 決定

2016416

2016527 (随息観)

2016528 (数息観)

2016629 無常

201672 意根を座断す

 

 

 

2016/8/28 禅の根本

20170128 無心

20170129

20170130

東京参禅会20170213

20170308

2017324 感覚のまま

201759 五感を磨く

2017520

2017622 仏道修行

201774 禅問答

201784 今を体得する

2017817 新鮮な心

201797 禅定を練る

2017104 東京参禅会(1)

20171022 一念の参究

20171025 悟りの世界

20171031 本分

2017111 己を知る

2017114 無碍自在

20171112 般若心経

20171115 祖師と離れず

2017121 真実の味わい

20180117 問法の電話より

2018217 解脱への道

2018218 善悪を超える

2018313

2018413 事実に任せて

2018426自己が殺されている

201805157

2018710 今しかない

2018818 只の呼吸

201892 死の恐怖

20181118 有無を越える

20181211 赤心

201913 実相即無相

20190212 修行の目的

20190213 今を守る

2019225 徹する

201948 即念

201949 只する

201952 素直になる

201959 呼吸の工夫

2019919 禅とマインドフルネス

 

202055 今を離してはならぬ

2020528 お茶を喫し去る

202074 自己を滅する

 

2020830 臨済禅師と定上座

2020109 見るな聞くな思うな

2020119 無心

2020128 添えものなし

20201221 考えずして考える

20201226 釈尊の坐禅

2020・無字の公案

 

2021118 自分の本性

202126 幽霊

 

2021226 木人まさに歌い、石女起って舞う

2021322 非思量

 

2021323 言葉・概念・イメージ・心意識

2021324 心の摩訶不思議

2021416 何もしない

2021410 一息

2021624 禅チェア

 

 

202172 電話説法

2021927 今を究める

20211011 一心不乱に

2011114 呼吸に任せる

 

20223252627 祖師から学ぶ

202258 前後のない処

2022619 縁の本質

2022623 初参禅の心得

2022629 これはこれ

2022830 命とは

2022831 経典とは

2023213 風の正体

2023221 目を開く

2023222 雑念を切る

2023314 雑念の対処法

2023422 今だけになる

2023712 真実を知ること

2023914 執われない

 

 

「川上雪担老師ネット提唱2010年10月27日分に飯田欓隠老師と南天棒との話あり」

【「無と言わずに何と言う?」18年参禅・「初めの悟りでよかったのだ」

 

法 話 推 薦 終り

 

「道元希玄禅師」

「中峰明本(チュウホウミョウホン)」

「古先印元(コセンインゲン)」

「復菴宗己(フクアンソウコ)」

「業海本淨(ゴウカイホンジョウ)」

「明叟斉哲(ミンソウサイテツ)」

「遠谿祖雄(オンケイソオウ)」

「無隠元晦(ムインゲンカイ)」

「寂室元光(ジャクシツゲンコウ)」

「心地覚心(シンチカクシン)」

「孤峰覚明(コホウカクミョウ)」

谿

「法嗣(ハッス)」

 

 

 

 

 

「戦闘モード・反応モード・理解モード」

「苦しみの原因は求めて止まない心」

 

抜書き (草薙 龍瞬)

 

「狐が狐に安住して他を羨まぬ時を仏という。人が人に満足せずして求めてやまぬ時を狐という。無門関鑽燧・飯田 欓隠 老師」笑う禅僧(安永 祖堂老師)より

「以って非なる禅(野孤禅)(悟りを得たようにふるまう輩)」

 

喫茶去(お茶を飲んで目を醒まして来い)担翁禅話 安永 祖堂老師

1法身(悟りの体験)

2機関(悟りをはたらかせる)

3言詮(悟りを言葉にする)

4難透(悟りを徹底させる)

5向上(悟りを超越する)

6五位(悟りの整理)

7十重禁戒(悟りを日常の生活に活かす)

8末後の牢関(悟りの定義)

9最後の一訣(悟りからの飛躍)

笑う禅僧(安永祖堂老師)

「念起病、不レバ薬」

甲賀 祐慈 老師)

「自己は観念上の産物」

「考えることをやめると失せる」「考えを巡らすことをやめる」「考えていると自己は消えない」

2021/3/6 雪ほど黒いものはない

架空の世界

これ・それ

事実から一歩退いた

らしく振舞う

作りものの自分

悟りの世界から書かれている

活動の様子と名付けた(道・法とか異名)」(井上 義衍老師)

問題にするから、問題になります。気にするから、気になるのです。

 

「私が」聞いているのではありません。聞こえてる事実が、私です。

「私が」見ているのではありません。そこに木や草が見えている。

そのことが「いのち」なのです。私なのです。

道元禅師は、「万法に証明されている自分」に、納得のゆくことを「さとり」といっておられます。

問題にするから、問題になります。

さわやかな心、素直な心にいることを非思量という。

(〈いのちの呼吸より〉 板橋 興宗老師)

学道の人、悟りを得ざるは古見を存ずる故なり(道元禅師言)

追体験

笑う禅僧「公案とさとり」より(安永 祖堂 老師)

習禅にあらず(道元禅師)(令和2528 お茶を喫し去る)(井上 貫道老師)

概念化した空想の世界

「求めなければ、求められない。求めれば、求められない。」

「認めて執らわれるのが自我」

(井上 希道老師)

「想定外です(悟った後の事)(人間の考えの及ぶ範囲ではないです。)」松本自證老師

「悟る前は悟った後のことを理解することはできません。」

「悟りの境地とかはないですよ。境地ではないんです。」

一見明星は、自分がハッキリする(悟る)まで決してわかりません(どんなに理解しようとしても無理です。)

「お金が無くて苦しいのではなく、苦しむのが問題である。お金が無くても、苦るしまなければ、問題ない。」

KB)

「事実・事物が何かとハッキリするのが悟り」しみP

[第351回]悟るのに仏教用語を知っておいた方が良いか」推薦します

「大悟した瞬間というのは、すべてがなくなります。(あるのは一事実だけです。)」(色即是空 原田 雪渓)

 

ジ ャ ン プ

諸 老 師

(語 句 へ)リック)

偈・頌・道歌(クリック)

重要語句定義(クリック)

 

飯田 隠 老師((クリック)

飯田 隠 (後)(クリック)

 

 

井上 義衍 老師(前(クリック))

井上 義衍 老師(後)(クリック)

井上 義光 老師(前)(クリック)

井上 義光 老師(後)(クリック)

井上 大智 老尼(前)(クリック)

井上 大智 (後)(クリック)

板橋 興宗 師(クリック)

 

原田 雪渓 老師(クリック)

 

井上 貫道 老師(前)(クリック)

井上 貫道 老師(後)(クリック)

 

 

井上 希道 老師(前(クリック))

井上 希道 老師(後)(クリック)

井上 希道 老師 声法語(前)(クリック)

井上 希道 老師 声法語(後)(クリック)

少林窟道(HP(クリック)

 

 

 

甲賀 祐慈 老師(前)(耕月寺)(クリック)

甲賀 祐慈 老師()(耕月寺)(クリック)

丹下 覚元 老師(安穏寺)(クリック)

しみP(クリック)

 

 

KB会(前)(クリック)

KB会(後)(クリック)

渡辺 充(KB会)ネット動画(前)リンク先

渡辺 充(KBト動画(後)リンク先

 

 

鈴木 大拙((クリック)

鈴木 大拙(後)(クリック)

 

 

正法眼蔵(前)(クリック)

正法眼蔵(後)(クリック)

 

 

碧巌録(前)(クリック)

碧巌録(後)(クリック)

無門関(前)(クリック)

無門関()(クリック)

 

 

 

 

 

 

 

 

伝  偈

十 牛 図

座 禅 和 讃

信 心 銘

参 同 契

宝 鏡 三 昧

 

 

問答選・語録問答(クリック)

出所不明???

参考本譲ります

禅・少冊子

祖師云う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最 近 始め ジャンプ

 

月庵假名法語(禅門法語集 上巻)2021・?・?

 

 

 

最 近 終り ジャンプ

 

(文字に落ちて見たり 井上希道老師)

(カスを掻き集めてる 井上貫道老師)

(学問では無理です 井上貫道老師)

(修行する 井上貫道老師)

 

(体得底・学得底)(())

(学得底は問わず、体得底如何?)(())

言葉なしで考えてみよ)(())

言葉なしで思ってみよ)(())

 

 

 

2022713

 

夢想 第六集 井上 義衍

 

「二回目始まり」

「考え方で見ておるから、これを(身体を)本当の取扱いをすることが出来ない。それでみんなが困っておったんだなあ、という事をしっかり見付けられたんです。」

「空の真相とは因縁なんです」

「真に不擬の道(太虚・廓然・蕩豁(とうかつ)・朗月・(破家散宅)・」

「機能任せにしてごらん・・・徹せんということがあり得ない。」

「心の真相」

「二回目終り」

 

「2022・6・28」禅話ひろい読み

『三際(三世)「前際(過去)中際(現在)後際(未来)」(前後際断)(前後裁断)(前後截断)』

「法身偈(縁起偈)(縁起法頌)」

『「何かを得ようとするから迷い悩むのです」「繰り返し捨て去る作業です」「」澤龍山小林寺清涼晃輝彦岡山県津山市』

「言語に対する不信の表明(不立文字)」

「言葉のないところを顕わしているのだ」

「体念・体得・体認・」

「悟境」

「虚堂愚公禅師」

「把住(坐断)」

「比丘(乞士)」

「三聖興化(二人との臨済の法嗣)」

「南天門下(平松亮卿・聴松軒)」

「去今来(こらいこん)」

「見性(見本性・見仏性・見自性)」

「頌(うた)」

「本来の自分の心さえわかりさえすれば、・・・(山田 無文)」

『「我執がとれることが修行です」

「禅は人格形成」

「何にもない人になる」

「我執がとれる生活が修行です」

「自我が死に切るまで」(青蓮華)』

「リアルに見えるありのままに見える」

「眼不自見眼・目不自見眼」

 

「五乗〈人乗・天乗・声聞乗・縁覚乗・菩薩乗〉」

「師家の点撿」

「安居(安穏靜居)(江湖會〈ごうこゑ〉・結制)(4/16~12/15)(解制〈かいせい〉)」

 

『百年三万六千日(百年三万六千日)

弥勒観音幾是非(弥勒観音(いくばく)是非(ぜひ)

弥勒夢観音亦夢(弥勒も夢観音も(また)夢)

仏言応作如是観(仏(のたまわ)く応作如是観)

(沢庵和尚)』

 

五観の偈(食事誓願の偈)

一口為断一切悪

二口為修一切善

三口為度諸衆生

皆真成仏道

 

『禅の悟りと創造性 恩田 彰 ネットより

「見識・境涯・悟りに導き・悟りの境涯をふかめる。」

「禅問答は、分別判斷を断絶せしめて、直接に仏性すなわに真の自己(真の事実)をつかせせようとするのである。」

「真の自己(真の事実)」

「自己の本性(仏性)」

「禅の本質が真の事実(真の自己)の発見にある」

「禅の悟りは真の事実の発見にある。」

「禅では自他一如の真の事実の発見である」

「公開の秘密(密は却って汝が辺にあり)(木犀の花の香を聞くや)」

「後得智(有分別後得智)」

「悟りの機縁」

「悟りへ導く方法」

「真の自己というのは、一切の現象は、そこに存在するように見えるけれども、本質的にはその中味は全く何もないということである。」

「自己と他者が一つになった三昧を体験し、そこで自他一如の真の自己に気づく」

「日常生活に実現することが出来て始めて真の悟りといえるのである」』

 

「仏の智慧(四智・大円境智・平等性智・妙観察智・成所作智)」

「心(縁慮心・集起心・肉團心・堅實心・貞實心)」

「真の自己(体)・現われる特質(相)・働き(用・禅機)」

「大中大(えらい)」

「光明蔵三昧(二世孤雲禅師)(懐奘記)」

「承陽大師(道元禅師)」

「法嗣(義介・寂圓・義演・義準・併僧、道荐)」

「空相」

「自心本不生」

真。

唯須見。(三祖大師)」

「作麼生(如何と同じ)」

「菩(覚有情)摩訶(大有情)」

「世尊三十九世雲門山匡眞大師」

「不動智神妙録(沢庵禅師)」

「不疑之道」

「有心を以っても、無心を以っても、不可得といふ」

「本心捨心の妄想の妄想を放下し来らざる」

「妄察」

「依文解義」

「己見の多少軽重によって喚ひ換えたる異名目なり」

「身を見ざるは己見なき也」

「道何物解説法聴法。」

「見解を習い、・・・」

「坐断すべし」

「一切己見分別なし」

「心念作意の分別をからず」

「不動智神妙録(沢庵禅師)」

「坐禅用心記(瑩山禅師)」

「宝蔵論(肇法師)」

 

「四大元無主、

五蘊本来空、

ツテツレバ自刃

ルガ春風

(宝蔵論 肇法師)」

 

「心経鈔(心経和解)(盤珪)」

「般若心経止啼(したい)箋(天桂伝尊)」

「般若心経毒語註(白隠)」

「文殊師利(妙吉祥・妙徳・妙音)」

「般若菩薩・覚母佛母」

「楽道歌(南岳の懶瓉禅師)」

「仏祖正伝禅戒抄 万仞道担禅師(1698~1775)(生死辨)(三物秘辨)」

 

「喫茶去(茶を飲みに行け。出直してこい。)」

「慧能(雙峯和尚)」

「元来得ているものを得るだけだ」

「見識、境涯を調べたり、悟りに導き、さらに悟りの境涯を深める為」

「分別判斷を断絶せしめて、・・・」

「仏性すなわち真の自己(真の事実)・・・」

 

「只直に見、直にきけ、

直に見るは見るものなし

直に聞くは聞くものなし

即心記 至道無難禅師」

『「鈴木 

思いをいずくらない

体の反応があるだけ

思考の対象を立てない」』

「絶対無的自己同一(色即是空)」

「主体がない(対立観念が生じる)」

「現象に過ぎない」

「縁生の法則の支配下」

「如実知見」

「我執・他執

「慈悲喜捨(四無量心(徳目))」

「継起」

涅槃の覚知無漏の智慧)」

「自内証」

「妄楽・妄穏」

(すうく)狗(儀礼に使う藁で作った)(用が済んだら当然のごとく打ち捨てられる)」

「小冊(基本)」

「語句(説明)」

「悟りの体験」

「知見・覚知・感覚・器官」

「悟りの経験(明晰判明)(客観的証明)」

「涅槃の経験」

「証得した境地」

「縁生の現象」

「高流(高は敬まい流は流輩・トモガラいふ意味)(地位の高い御連中)」

「無念無想の境地」

「不思量無分別」

「弁道話(六度中の禅に非ず・三学中の定学に非ず)」

「安楽の法門(天台大師・法華文句・安(身に危険なし)楽(心に憂悩なし)」

「脱落(都べての束縛を離れ、自由自在に働けるということ)」

様子を唯これ安楽の法門なりと言われた」

「菩提(道)(履践(りせん)の義)」

「六塵(色聲香味触法)」

「保任(保護擔任)」

「無主物(空気等)」

「意根を坐断する(莫妄想・無念・無想・無心)」

「一心生ぜられば万法とがなし」

「」

「尋言逐語じんごんちくご」

「非理法権天(楠木 正成)」

「記憶があるだけ」

「便宜上のもの」

「過去も未来も現在の頭の中にある」

「動きが自分(金子 道居士)」

「明眼の師」

「苦諦(苦の原因は欲望である)」

「機能と心、六根、概念をまとめようとする」

「思考系」

「破空音」

「もの思わぬのは仏のけいこなり」

「高峰原妙→中峰明本」

【「私が・・・」「私を・・・」長谷寺 法話】

「居士(こじ)」

「詩(頌じゅ)・本則と頌(雪竇頌古・智鑑)・垂示(佛果圜悟禅師・克勤(えんごこくごん)200年後・著語(短評))

評唱・評(総評)」

「道元希玄禅師・道元大和尚」

「是非未生、迷悟未別の所を看るべし(瑩山假名法語)」

「懶瓉和尚の楽道歌」

「喜怒哀楽(感情)(八風)縁に依て発生するように、自己も縁に依りて発生するのか?」

「宗眼・教眼」

「五祖大師」

「慧能大師」

「涅槃(ニルバーナ・不生不滅)」

「悟りを有余涅槃という」

「代謝性呼吸・情動呼吸・随意呼吸」

「道元希玄禅師

仏性伝東国師(孝明天皇)

常陽大師(明治天皇)」

「空海かな文字発明(774~835)」

「いんも

 恁麼・什麼・甚麼

 かくの如く。どんな。いかに。「ーの事。どのよう。いかよう。疑問代名詞。麼(台湾)。?(中国)」」

 

「三玄門(三玄三要・権実照用)

體中玄(函蓋乾坤の句)(言中に何等の巧妙なき句にして、これによっておのづから理を顕はす)

句中玄(随波逐浪の句)(意路なき悟によって其の悟を泥まずして、能く其の堂奥を悟る)

玄中玄(衆流截断の句)(四句百非を離れた妙玄無盡の句)

碧巌録大講座 (加藤  咄堂)

「請益問(教えを請う)・呈解問(自己の見解)・蔵鋒問(懐中に匕首)」

「機(能観の心)(主観)」

「事(所観の境)(客観)」

「参禅学道とは思慮分別で明らめることではない。」

「思慮の心が尽き、分別の念が消えるとき、おのずから根源(無心無作の境地)まで徹底することができよう(圜悟克勤(えんごこくごん))」

「巌頭全割(がんとうぜんかつ)

「徳山宣鑑(とくさんせんかん)」

「聞解・語路・義路・知解」

「名誉顕彰・名誉毀損」

「悟りの境地・悟りの内容・悟った内容」

「三苦(苦苦・壊苦(えく)・行苦)」

「天澤東胤録」

「布袋和尚契此(けいし)(不明~917)」

「傅大士(傅翕・ふきゅう)(在俗居士)(497~569)」

「明庵栄西(みんなんようさい)(1141~1215)(建仁寺開山)(千光和尚)」

「心念。((意想。識観))」

「丙丁童子(びょうじょうどうじ)」

「曹山慧霞(そうさんえか)」

「一転語(迷いから悟りの新境地を切り開く決め手の一語)」

「仏(覚性)」

「霊覚(霊覚の性)」

「性(心)・心(仏)・仏(道)・道(禅)」

「働き(本性・本心)(仏)」

「観想(天台念仏)・観想念仏・称名念仏」

「本来本法性、天然自性身」

「一切衆生悉有仏性」

「明庵栄西(みんなんようさい)栄西和尚(ようさいおしょう)」

「半跏趺座(胡坐・あぐら)・結跏(釈迦像)」

「観想(天台念仏・称名念仏)」

「本来本法性天然自性身」

「一切衆生悉有仏性」

「栄西和尚(ようさいおしょう)」

「仏祖単伝」

「廓然無聖(空中に何もない聖も俗もない)」

「雪竇重顕禅師(セッチョウジュウケン・~1052)」

 

「花無心にして蝶招き

蝶無心にして花を尋ね

花開くとき蝶来り

蝶来る時に花開く

吾れも亦人を知らず

人も亦吾れを知らず

知らず帝則に従ふ(良寛)」

 

「花無心にして蝶招き

蝶無心にして花に至る

花亦知らず、蝶亦知らず

不知、不知にして帝則に叶う(良寛)」

 

「仏は人の心に住む(至道無難禅師)」

「底(なに。なんぞ。疑問を表す助字)」

「見の字が病と知るべし(盤珪禅師・般若心経)」

「抽象的真実・個別具体的な真実(安永祖堂・ユーチューブ)」

「坐禅はすべからく身心(ひく)落なるべし」?

「磋過(つまずき)

「離念・無念」

「智巍(ちぎ)(~597)・石頭希遷(せきとうぎせん)(~790)・南嶽懐譲(677~)・靑原行思(ぎょうし)(~740)・馬祖道一(ばそどういつ)(707~)・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)(~814)・潙山霊祐(いさんれいゆう)(771~)・雲門文偃(うんんうぶんえん)(~949)・法眼文益(ほうげんぶんえき)(~958)・趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)(~897)・薬山惟儼(やくさんいがん)(~828)・洞山良价(とうざんりょうかい)(~869)・曹山本寂(~901)・天童如淨(1163~1228)・雪竇知鑑(せっちょうちかん)(1105~1192)・虚堂智愚(きどうちぐう)(~1269)・無門慧開(~1260))」

「雪竇(天童如淨・虚堂智愚・無門慧開)(道元希玄)」

「大慧宗杲→拙菴徳光(せつあんとっこう)→大日能忍→覚晏→懐奘」

「日本達磨宗(大日能忍)(だいにちのうにん)拙菴徳光(せつあんとっこう)」

「拙菴徳光(せつたんとっこう)→無際老師」

「恫喝・然喝・誘喝・」

「西班(首座・書記・知蔵(じぞう)・知客(ちか)・知浴(しょく)・知殿(ちでん)」

「東班(六知事)(都司(つうす)・監寺(かんす)・副寺(ふうす)・維那(いのう)・典座(てんぞ)・直歳(しっさい)

「副寺(ふうす)(会計部長)・監寺(かんす)(執事)」

「永平元禅師(えいへいげんぜんじ)」

「菩提磨摩大和尚・達磨大師」

「2022・6・28」禅話ひろい読み

 

 

(遠 回 り し な い よ う に)

 

(火の車作る大工は勿れども人が作りて人を乗せゆく)

 

井上希道老師(少林窟道場)YOUTUBEアップされました

 

YOUTUBE 「しみP拡散・拡散

(松本自證氏の印可・20198月決着・悟り・50歳代)

 

坐禅を志す人へ(井上 希道老師)(少林窟道場 ホームページで入手可能)(推薦します)

 

抜隊 日本禅語録 十一 (古田 紹欽)

( 塩山仮名法語・塩山和泥合水集・抜隊和尚語録抄 )(推薦します)

 

魂に喝を入れる禅語(井上 希道老師)(少林窟道場 ホームページで入手可能・アマゾンで入手可能)(推薦します)

 

学道用心集提唱(井上 希道老師)(少林窟道場 ホームページで入手可能)(推薦します)

普勧坐禅儀提唱(井上 希道老師)(少林窟道場 ホームページで入手可能)(推薦します)

般若心経夢影録提唱(井上 希道老師)(少林窟道場 ホームページで入手可能)(推薦します)

 

鉄饅頭を噛み砕く・噛み砕け(割れるまで)(夢中問答集55・夢想漱石)

(頑張れ・頑張れ・菩提心・菩提心・努力心・努力心)

(大信根・大疑団「大疑情」・大噴志・「大勇猛心」)

(動中の工夫・静中の1000倍)

(かたつむりそろそろ登れ富士の山 白隠)

「問うな、学ぶな、手出しをするな(白隠)」

悟り損ない「自分が残っている」「自分が○○○×××(主語・形容詞・述語)」(())

ごみ拾い、ごみ拾い、粕拾い、粕拾い(())

「意識が芽生えにくくなっている」(())

 

普 勧 坐 禅 儀

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

 

「本来無一物、何處惹塵埃

「脱は束縛を離れる意、落は洒落などの時の落で滞りなくなった姿、・・・」

「恁麼(宋朝時代の俗語で、此の如しと云ふほどの意であります)」

「放捨諸縁。休息萬事。不レ二善悪。停心意識之運転。止念想観之測量。莫レ圖作仏。豈拘坐臥乎。」

「心要」

「蒲團(ふとん)(坐蒲(ざも))團(まるいかたまり)」

「不可説・不可思議・不可商量」

「其の差別は思量することが出来ます」

「生死を解脱した悟の境界」

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

 

二回目

「涅槃妙心(仏性)(圓通自在な道本)(目に見るに任せ)(耳の聴くに任せ可なり)」

「自然(時節因縁の純熟した有様)

「脱(束縛を離れるの意)」

「落(洒落などの時の落で滞りなくなった姿)」

「不可説・不可思議・不可商量」

「活作略・活手段」

「自己本来の面目を棄てて、悟りよ、仏よと、・・・」

「自在無碍なる活動(脱落身心)」

二回目

 

 

普 勧 坐 禅 儀

 

不 明 分

不明分

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2022/1/13

「自分自身に親しむ」

「【禅・坐禅・仏道・法】ということは、すべて【法の世界】に至るまでの方便」

「自分自身の自己ということを、見定め、・・・」

「【自我】というものの本当の正体を見つけ出す、それが【禅】であります」

「思想・知識・概念として受けとめないように・・・」

「ネコ(仏性)は、斬れるか?(貪瞋癡)」

「煩悩という名の仏性だ(悪いものとしてしまっているわけです)」

「道理にあった失敗」

「眼を開いて・・・」

「禅というのは、いまの自分の状態そのものだということ、他に求めてはいけない」

「呼吸を見る(坐禅工夫)」

「呼吸三昧(意識三昧)」

「眼耳鼻舌身意(げんびぜつしん)」

「自分の考えをまじえずに、・・・まったくその働きのままにまかしている」

「六根のままにまかして・・・(身心脱落)」

「すでに脱落している身心である」

「我見(分別心)(大悟縁の妨げ))」

*****

「身心を(から)められて、・・・」

「禅・法・道・自己」

「縁起の法(仏法)(禅)」

「道(縁起の法)」

「貪瞋癡は【縁起の法】に目覚めることによってのみ、断ち切ることができるのです」

「【法】は【人(思慮・分別)】の介在許さないので、・・・これを【無自性】といっております」

「禅病(病気がないという病気)」

「人も、縁起の法そのものである」

2022/1/13

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2022/1/14

「専門家が専門家を相手に提唱(他宗の人には少しも分からぬ)」

「心こそ心迷わす心なり心に心心許すな(時頼ときより)」

「一切の理に明らかになるための修行じゃ」

「業の障り」

「禅宗の修行は、天地同根万物一体となるための修行じゃ」

「妄想煩悩を・・・叩き殺してしまうじゃ。」

「臘八示宗」

「断命根」踟蹰

踟蹰悚慄(ちちゆうしょうりつ)す」【踟蹰(躊躇)悚】【悚慄(自分と自分を恐れる)】【悚(おそ・れる)】【慄(おそ・れる。おのの・く)】

「眠食」

「百丈大智禅師」

めの修行じゃ」

「妄想煩悩を・・・叩き殺してしまうじゃ。」

「臘八示宗」

「断命根」踟蹰

踟蹰悚慄(ちちゆうしょうりつ)す」【踟蹰(躊躇)悚】【悚慄(自分と自分を恐れる)】【悚(おそ・れる)】【慄(おそ・れる。おのの・く)】

「眠食」

「百丈大智禅師」

「二祖慧可大師(えか)・僧璨鑑智(そうさんかんち)・道信大医(どうしんだいい)・弘忍大満(ぐにんだいまん)・慧能大鑑禅師

「四念処(身・受・心・法)」

「止(一点集中)観(観察対象を広げる)(複数)」

「手に持っているのにそれを捜す姿・・・」

「人知を加えず探せず求めず・・・」

「曹洞宗(一炷40分)・臨済宗(一炷25分)線香の長さ」

「苦しみは私達の心が作り出している」

「その苦しみが生ずるのは、すべての識別作用縁って起こるのです。識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということは有りえない(スッタニパータ)」

2022/1/14

*****

 

不明分

不 明 分

 

坐禅の要訣 井上 義光老師

坐禅の要訣 井上 義光老師

 

思想・観念はその働きにすぎない

「追求するそのもの自体[心]であり真相である」

「一念の生ずる元を徹見しなければ自分の[心]の正体は分からぬ」

[今]の絶対境地に体達

自由無碍に体達する

粘着縛着

言葉に囚われ理窟で至ろうと・・・

見性が目的じゃ

禅は自己を究明するのが生命である

[見性]すれば煩悩の根が枯れる

[見性]とは自然の法に目覚めること

[空]を確信することが[見性]じゃ

「[何も無い]ことが本当にわかるから無用な詮索をしなくなる」

「自分の[心]以外に眼を向けたら方向違いをする」

「自分の[心]以外とは頭で探し、本など理窟を作り上げ理解を求めることである」

真相を体得するのが[見性]である

「眼の本性としてちゃんと見ている(眼は本性を全うしていることが分かる)」

事実と思惑との違いが明確になってくる

「余念を棄てて・・・「只」することじゃ」

法には[自我]はない

自ずから身も心も忘れて無くなるのじゃ

自ら仏となる

余念の余地を潰すのじゃ

什麼物(なにもの)とは[何物]じゃ

今に立ち返り、立ち返り・・・

誰じゃと問う汝は誰じゃ

「[今]の事実の参究が自己を習うじゃ。参究するとは徹することじゃ。徹すれば自己はない。他人が食べてもこちらの腹は膨らまぬ(他人の事実)」

 

 

「道とは法じゃ・法とは真理じゃ・真理は事実じゃ・事実とは[今]じゃ・[今]の真相が真理じゃ・今に徹すれば自己無きに至る。自ずから真理が明了するのじゃ」

何ものにも束縛されぬことじゃ

冷暖自知のみ

「人試みに意根を坐断して見よ、十が八九は必ず見道を得ん」

恁麼(いんも)は如是じゃ

見思の惑を断じ・・・

 

「着眼点は[今]じゃ。即念じゃ。[心]を一点に置いて余念を加えぬ事じゃ。前後際断した[無念の念]が分かった邪魔物を廃することが出来る」

超越した境界を得るのが本領である

只管三昧

思想観念を離れ、意識の差配を仮らず

「理窟の優劣を争い、経論の講釈に明け暮れて・・・」

「心を用いず力をも費さずして木石に去る可し」

「感情も心念粉飛も治まり、恰も木石の如しじゃ。死に切る寸前じゃ。[見性]疑いなし」

五蓋(五欲・名門利養・財色食名睡)

求むる自己も空である

[見性]は真実を見届けることじゃ

肯心自許

小成に安んずること莫れ

(わず)かに人空を了じたるを以って大悟と思うこと勿れ、まだ法空を証せず。大抵は人空に止まる」

仏見・法見の臭ありて自在ならず

「余習は除き難いもので・・・悟後の修行じゃ。古人に浅深があるのは之が為めである」

心境共に忘じて初めて真の[見性]じゃ

「[天地と我と同根・万物と我と一体]とはここじゃ。(あたか)と合するが如く、と合した様なものじゃ。合わせ目が無い。一つになった形容である

「純熟すれば春に逢ふて華開き、秋冷を経なば葉自から落つ」

自知するより外はない

語は十成を忌むじゃ

嬰児行は禅の極地である

「本当に[只]に成ったと言うことじゃ。真剣に[単]を練った結果に外ならぬ」

「自由無碍にして跡形の無いことを無為と言うのじゃ」

「何もなければ好くも悪くもない。何もない処には何でもあると云うことじゃ」

「[成るほど自分が呼吸をするのではなく、何もしなくても勝手に呼吸が呼吸をしているではないか]という自然の様子が分る」

「要は事実と観念の決定的な違いを見い出すことにある」

観念は謂わば空想じゃ

仮想の観念現象に過ぎぬ

[只管]ひたすら・純一無雑の意じゃ

只管打坐・只管活動・只管三昧(行住坐臥)

見性によって人格が一変してくる

天真爛漫

公案を頭でこねくり回す[クセ]がある

理窟が(こう)じるばかりで・・・

 

坐禅の要訣 井上 義光老師

二回目

*****

「坐禅の要訣」

「一念の生ずる、元を徹見しなければ自分の【心】の正体は分からぬ」

「本来【今】の絶対境地に体達する【道】が仏道修行である」

「人空を了じたるを以って大悟と思う勿れ、未だ法空を証せず内未だ?し、容易の看をなすこと勿れ、尚ほ仏見法見の臭ありて自在ならず」

「佇思滞留は入頭の辺量?のみ」

【見性】とは自然の法に目覚めること。本来の【心】に還ることである」

「空を確信することが【見性】じゃ

「自分の【心】以外とは、頭で探し、本など理窟を作り上げ、理解を求めることである」

「事実と思惑との違いが明確になってくる」

「法には【自我】はない」

「【今】の事実の参究が自己を習うじゃ」

「道とは法じゃ、法とは真理じゃ、真理とは事実じゃ、事実とは【今】じゃ、【今】の真理が真理じゃ、【今】に徹すれば自己無きに至る。自ずから真理が明了するのじゃ。」

何も無ければ引掛かりようがない

「人試みに意根を坐断して見よ、十が八九は必ず見道を得ん(元古仏)」

「【見】に体達した祖師である」

「只管を得るには随息がよい」

「我を忘れて虚しく時を送っておれば・・・」

「心念の紛飛」

「求める自己も空である」

「【見性】は真実を見届けることじゃ」

「公案を頭でこねくり回すクセがある」

二回目

*****

坐禅の要訣 井上 義光老師

坐禅の要訣 井上 義光老師

 

反応しない練習 (草薙 龍瞬

反応しない練習 (草薙 龍瞬)

 

「心の反応こそが悩みの正体です」

「ムダな反応をしないことです」

「苦しみをもたらしているものは、快(喜び)を求めてやまない、求める心なのだ」

「欲求がかなわない不満が生まれる」

「渇愛」

「心は求めつづけるもの」

「ムダな反応は止まる(言葉で確認する。感覚を意識する。分類する。【貪欲・怒り・妄想】」

「求めすぎる心」

「悩みの理由は妄想にあります」

「自分流の見方考え方で理解する」

「【ある】ものを【ある】とだけ、ありのまま、客観的に主観抜きのニュートラルな目で物事を見すえることを意味しています

「正しい理解に反応はありません。ただ見ているだけです。(何も考えない)」

「正しい理解をきわめた人(到達した境地)(解脱)」

「判斷しすぎる心」

「囚われない【人間が語る見解・意見・知識・決まりごと】」

「苦しみが止むとは、どういう状態なのだろうか。それは、苦しい現実そのものではなく、苦しみの原因ある執着が完全に止んだ状態なのだ」

「正しいと判断しない」

「苦しみを生み出す(執着の巣窟)(わだかまり)」

「判斷に気づく」

「バカもの、今だけを見よ(喝)。(過去を引きずる)」

「ブッダの思考法」

「今できることをやっていこう」

「感情もまた、心の反応です」

「反応して心を乱されてことは無意味である」

「相手に反応して心を失わない」

「自信がない人ほど怒りやすいのです」

「不動心(反応しない心)」

「反応するな、まず、理解せよ」

「記憶に反応して怒りつづけているのだから」

「記憶に反応している(過去を引きずる)」

「過去を思い出して、記憶に反応して、新しい怒りを生んでいる

「苦しめ合うために、関わっているのではない。理解し合うために、お互いの幸せのために関わっているのだ。」

「快(笑)(楽)。不快(泣)(苦)」

「心の反応が滅した(涅槃)と呼ばれる境地」

「心を静かでクリアな状態に持っていくのです」

「妄想(まぼろし)」

「欲望に流される」

「慈悲喜捨」

欲望に翻弄されていた

「苦しみの原因は求めて止まない心」

 

反応しない練習 (草薙 龍瞬)

反応しない練習 (草薙 龍瞬)

 

安 永 祖 堂 老 師

担翁禅話 (安永 祖堂)

 

「あなたが用を雜にこなした時に、雑用が生まれるのである」

「必死に探し回っても見つかるわけがない。」

「心理的イメージ(魔境)」

「心は悟らない。体が悟るとさえ教えられた。」

「体験(体が(ため)す)・経験((あかし)を経たもの)」

「聞声悟道見色明心」

「体験という個人的な解答(公案に対する正確な解答なるものはそもそも存在せず)」

「吹禅一如」

一音(いっとん)成仏」

「喫茶去(お茶を飲んで目を醒まして来い)」

「いかなる存在も不変の本質を有しない(諸法無我)」

「父母未生以前本来の面目(両親がおまえを生んでくれる以前の本当のあなたとは?)」

「禅を理解・禅を実践」

「解剖腹」

「下腹からゆっくり腹式呼吸」

「理を知る得ること(覚える・諭す)」

「機縁」

「禅の〔悟り〕の死体の検死作業」

「法を売る際に用いられたのが、(密参帳)」

「開悟の体験」

「密参禅」

「大悟の体験」

「となふれば佛もわれもなかりけり南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛(一遍上人〔法燈国師参禅伝説〕)」

「言語は只だ是れ載道の()なり(碧12則評唱)」

「言語道断心行処滅」

「認識対象」

拈弄(ねんろう)(公案を解脱さらに公案を自己の見地から捌く修練をいう)」

 

担翁禅話 (安永 祖堂)

笑う禅僧「公案」と悟り 安永 祖堂

 

「学道の人、悟りを得ざるは古見を存ずる故なり、(道元禅師)」

「追体験」

「聞声悟道見色明心」

「機縁(悟りを開くきっかけ)(五官の刺激による)」

「隠居禅」

「死んだ悟り・生きた悟り」

「平気で生きて居る事であった(平気で死ねる事かと思って居た)正岡子規(病状六尺)」

「独掌(みだ)りに鳴らず(碧18)」

「一隻眼(悟りの眼、覚者の見識)」

「三大(大乗起信論)体(本体・からだ)・相(現象・すがた)用(作用・はたらき)」

「禅定力(集中力)」

「意味飽和」

「拶処(拶「押す」逼(せま)る)」

「言語三昧の修行」

「無我・非我(アートマン)」

「因縁生起」

「不易流行(去来抄)」

「不変の本質(ブッダの本質)」

「狐が狐に安住して他を羨まぬ時を仏という。人が人に満足せずして求めてやまぬ時を狐という。無門関鑽燧・飯田 欓隠 老師」

「父母未生前の一句」

「悟境(理致・法理)(機関・はたらき)(向上・さとりのさらに上の境地)」

「密参禅(口伝法門)」

「1法身(悟りの体験)

2機関(悟りをはたらかせる)

3言詮(悟りを言葉にする)

4難透(悟りを徹底させる)

5向上(悟りを超越する)

6五位(悟りの整理)

7十重禁戒(悟りを日常の生活に活かす)

8末後の牢関(悟りの定義)

9最後の一訣(悟りからの飛躍)

笑う禅僧(安永祖堂老師)

「悟りを追体験」

「量質転化、不可逆地点」

「見性成仏((あら)われた性は成った仏)(自己の本性を見て、仏に成る)(見「現」あらわれる)」

迦葉尊者はにっこりとほほえんだのではなく、かすかに声を立てて笑ったことになる。

「道歌(宗教的な趣旨を詠みくんだ歌)」

「結びつかなければ本来何もない」

「折空観(分析的な見かた)」

「禅者は問われぬことは答えぬものだ」

抑下(よくげ)(たく)(じょう)(抑えつけてもち上げる意)(悪口を言っていながらその実は相手を褒めること)」

「独脱無依(虚堂録)」

「暗号密令」

「普遍的真理(抽象的に提示するという手法は採用しない)」

「名利俗事に貪著(名誉欲)(夢)(名利の一念)」

「三嗣の判(師匠を選ぶひとつの目安)」

「師家の務めはただひとつ待つことなのだ」

師資(しし)契合(かいごう)

「白隠禅(鋳型(いがた)(ぜん))」

「聞声悟道見色明心」

教壊(きょうえ)

「密室の伝法劇による死一番前」

「正法に不思議なし」

「正邪浅深を測る」

「以って非なる禅(野孤禅)(悟りを得たようにふるまう輩)」

「開悟体験(身心脱落・破家散宅)」

「色彩・音声・香気・冷暖・病痒(前五識・眼耳鼻舌身)」

「小玉を呼ぶ手段というも、またこれ小玉を呼ぶなり(夢窓)」

「追体験(人為的な手段)」

「仏もまたこれ(ちり)

「玄奘(げんじょう)・不空(密教僧・空海も私淑する)・神秀」

「天地未分・父母未生以前」

「境地・境涯」

「人を救うことによって自分が救われたように感じる」

「体が(ため)す・(あかし)を経たもの」

 

笑う禅僧「公案」と悟り 安永 祖堂

禅 ぜん ZEN(安永 祖堂)

 

円相(無始無終・無餘無欠)

本を読み、法話を聞く(悟りの死体解剖

 

禅 ぜん ZEN(安永 祖堂)

安 永 祖 堂 老 師

 

 

永平二祖 光明蔵三昧 井上 義衍老師

永平二祖 光明蔵三昧 井上 義衍老師

「取り上げて、そして、それを問題にして、それに決着を付けねばと、考え方で取り扱い過ぎるのです。」

「これ(自心)の作用なんだなという事がですね」

「問題にして困っておるだけなんですよ」

「実相の智見であり、因縁所生法としての智を得られてですね」

「分別することを一切止めて云ふ」

「(法)が(法)としての(縁)の動きのみですよ」

「【妄想起こらず】との妄想起こらざる時の様子

「現在の自分はつまらんものと云う先入観があって、・・・」

「自分の見解をもって、・・・そういう見解を持つ事を止めればよいのです」

「無量劫来生死ノ本(識神)」

「明星一見の大事(絶学無為の真相)」

 

永平二祖 光明蔵三昧 井上 義衍老師

永平二祖 光明蔵三昧 井上 義衍老師

 

松 本 自 證 老師

松本自證老師 (NET公開分より)

「悟りは無識の状態ではないです。」

「【自分がなかった】ことを自覚する体験とは違います認識が完全に止んでいないからです。」

「悟後の修行なんてないですよ。それは、悟り損ねたんです。」

認識が落ちきっていなかった。」

「【思いの世界に入ってしまう】ということもないです。」

「思い浮かぶが、思いに入ってしまうことは、ありません。」

悟りの境地とかはないですよ。境地ではないんです。」

「教えを理解することは不要です。」

 

松本自證老師 (NET公開分より)

松 本 自 證 老師

 

横田 南嶺 老師

横田 南嶺老師(YOUTUBEより)

「言葉や概念で把握しないこと。前後の考えがないこと。思慮のないこと。」

「無分別に基づく智慧(根本智)」

「分析的に把握しないこと」

「無分別智(根本智)」

「とらわれなしに知る智慧(後得智)」

「心のあり方(無分別心)」

「分別較・憶想分別」

「心生ぜざれば、万法咎無し。」

 

横田 南嶺老師(YOUTUBEより)

横田 南嶺 老師

 

安 永 祖 堂 老師

笑う禅僧「公案」と悟り 安永 祖堂

「学道の人、悟りを得ざるは古見を存ずる故なり、(道元禅師)」

「追体験」

「聞声悟道見色明心」

「機縁(悟りを開くきっかけ)(五官の刺激による)」

「隠居禅」

「死んだ悟り・生きた悟り」

「平気で生きて居る事であった(平気で死ねる事かと思って居た)正岡子規(病状六尺)」

「独掌(みだ)りに鳴らず(碧18)」

「一隻眼(悟りの眼、覚者の見識)」

「三大(大乗起信論)体(本体・からだ)・相(現象・すがた)用(作用・はたらき)」

「禅定力(集中力)」

「意味飽和」

「拶処(拶「押す」逼(せま)る)」

「言語三昧の修行」

「無我・非我(アートマン)」

「因縁生起」

「不易流行(去来抄)」

「不変の本質(ブッダの本質)」

「狐が狐に安住して他を羨まぬ時を仏という。人が人に満足せずして求めてやまぬ時を狐という。無門関鑽燧・飯田 欓隠 老師」

「父母未生前の一句」

「悟境(理致・法理)(機関・はたらき)(向上・さとりのさらに上の境地)」

「密参禅(口伝法門)」

「1法身(悟りの体験)

2機関(悟りをはたらかせる)

3言詮(悟りを言葉にする)

4難透(悟りを徹底させる)

5向上(悟りを超越する)

6五位(悟りの整理)

7十重禁戒(悟りを日常の生活に活かす)

8末後の牢関(悟りの定義)

9最後の一訣(悟りからの飛躍)

笑う禅僧(安永祖堂老師)

「悟りを追体験」

「量質転化、不可逆地点」

「見性成仏((あら)われた性は成った仏)(自己の本性を見て、仏に成る)(見「現」あらわれる)」

迦葉尊者はにっこりとほほえんだのではなく、かすかに声を立てて笑ったことになる。

「道歌(宗教的な趣旨を詠みくんだ歌)」

「結びつかなければ本来何もない」

「折空観(分析的な見かた)」

「禅者は問われぬことは答えぬものだ」

抑下(よくげ)(たく)(じょう)(抑えつけてもち上げる意)(悪口を言っていながらその実は相手を褒めること)」

「独脱無依(虚堂録)」

「暗号密令」

「普遍的真理(抽象的に提示するという手法は採用しない)」

「名利俗事に貪著(名誉欲)(夢)(名利の一念)」

「三嗣の判(師匠を選ぶひとつの目安)」

「師家の務めはただひとつ待つことなのだ」

師資(しし)契合(かいごう)

「白隠禅(鋳型(いがた)(ぜん))」

「聞声悟道見色明心」

教壊(きょうえ)

「密室の伝法劇による死一番前」

「正法に不思議なし」

「正邪浅深を測る」

「以って非なる禅(野孤禅)(悟りを得たようにふるまう輩)」

「開悟体験(身心脱落・破家散宅)」

「色彩・音声・香気・冷暖・病痒(前五識・眼耳鼻舌身)」

「小玉を呼ぶ手段というも、またこれ小玉を呼ぶなり(夢窓)」

「追体験(人為的な手段)」

「仏もまたこれ(ちり)

「玄奘(げんじょう)・不空(密教僧・空海も私淑する)・神秀」

「天地未分・父母未生以前」

「境地・境涯」

「人を救うことによって自分が救われたように感じる」

「体が(ため)す・(あかし)を経たもの」

 

笑う禅僧「公案」と悟り 安永 祖堂

担翁禅話 (安永 祖堂)

「あなたが用を雜にこなした時に、雑用が生まれるのである」

「必死に探し回っても見つかるわけがない。」

「心理的イメージ(魔境)」

「心は悟らない。体が悟るとさえ教えられた。」

「体験(体が(ため)す)・経験((あかし)を経たもの)」

「聞声悟道見色明心」

「体験という個人的な解答(公案に対する正確な解答なるものはそもそも存在せず)」

「吹禅一如」

一音(いっとん)成仏」

「喫茶去(お茶を飲んで目を醒まして来い)」

「いかなる存在も不変の本質を有しない(諸法無我)」

「父母未生以前本来の面目(両親がおまえを生んでくれる以前の本当のあなたとは?)」

「禅を理解・禅を実践」

「解剖腹」

「下腹からゆっくり腹式呼吸」

「理を知る得ること(覚える・諭す)」

「機縁」

「禅の〔悟り〕の死体の検死作業」

「法を売る際に用いられたのが、(密参帳)」

「開悟の体験」

「密参禅」

「大悟の体験」

「となふれば佛もわれもなかりけり南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛(一遍上人〔法燈国師参禅伝説〕)」

「言語は只だ是れ載道の()なり(碧12則評唱)」

「言語道断心行処滅」

「認識対象」

 

拈弄(ねんろう)(公案を解脱さらに公案を自己の見地から捌く修練をいう)」

 

担翁禅話 (安永 祖堂)

安 永 祖 堂 老師

 

星 清

中世禅思想の研究 (星 清)

中世禅思想の研究二 (星 清)

 

「禅宗(明眼宗)」

「明眼の禅者・参師聞法・己事究明」

「根本的境位・没蹤跡(もつしょうせき)・(痕跡を残さないこと)(無所住の境涯)」

自己の心源に徹証し・・・」

「繋縛なく(自由無礙の境涯)(無所得・無事の人・清風)」

「渡海僧・来朝僧」

「道元希玄」

「中峰明本(チュウホウミョウホン)」

「法嗣(ハッス)」

「古先印元(コセンインゲン)」

「復菴宗己(フクアンソウコ)」

「業海本淨(ゴウカイホンジョウ)」

「明叟斉哲(ミンソウサイテツ)」

「遠谿祖雄(オンケイソオウ)」

谿

「無隠元晦(ムインゲンカイ)」

「寂室元光(ジャクシツゲンコウ)」

「心地覚心(シンチカクシン)」

「孤峰覚明(コホウカクミョウ)」

「(本来無一物中無尽蔵)の境涯」

「」

「実悟」

「真実の把握(生死の根本)」

「生死の根源を覚知」

「悟得の境涯に似而非なるもの」

「理念・理説・知解」

「悟得の境涯」

「無言ノ言ヲ言トシテ()ワジ()ワジ(正受老人遺偈)」

「悟了同未悟」

「非有は無あり真如を意味し、非無は有であり、諸法を意味す。(真諦(非有)俗諦(非無)真俗不二(聖諦第一義))」

「(禅源諸詮)俗諦(縁起する色等の諸法)真諦(無自性なるによって諸法即空なる)・・・中道第一義(一真心の体)(不一不二)」

「聖諦(超越的絶対的真理)」

「如何なるか是れ本来の面目」

「禅の心要」

「色(現実)・くう(真理)・明(差別の世界)・暗(平等の世界)」

「幻住派(中峰明本)(幻住道人)(幻住庵)」

「未生(已生)」

「覚に浅深あり」

「来朝・環渓惟ー鏡堂覚円

       ー無学祖元(来朝)(円覚寺開山仏光禅師)」

自証した法そのものは、言説をもって説くしかできないものであり、・・・」

心源を徹証した悟得者境涯

「自心作仏」

「贅語(ぜいご)(むだな言葉)(冗語)」

「宗門の一大事を了畢して、」

「悟生死

「智解分別」

「悟明」

「前後・順逆・即離(分別商量)」

「邪正・曲直・難易」

「船居禅」

「顕密禅」

「乱想狂妄」

「真悟(本来無所求・無所得)」

「所悟」

「生じなければ滅することがないからである」

「菩薩(悟得者)」

「有漏(迷い・とらわれ)」

「参禅学道(自己を明らめ徹見するところにある)」

「高峰原妙ー中峰明本」

「根塵(眼根・耳根・臭根・舌根・身根・意根)(六識・六境・(法境)(色・声・香・味・触・法境))」

「是什麼(コレナンゾ)

「法執の病」

「〔心〕は分裂して〔二心〕となり、〔心〕の上に〔心〕を重めて重心となる(盤珪語録)」

「嗣法者」

「法嗣」

「法?不隠蔵(この事はすべからく是れ悟りてはじめて得べし)」

「心外無法」

「潜匿・顕露」

「抜隊禅師(嗣孤峰覚明)」

「教家手段

把住(学人の妄念妄覚を完全に奪い取る)」

接得手段(向上上昇せしめる手段)

放行(すっかり抜け切ってなにものにもとらわれなくなった自己をして、自由に解き放ち、実際の場において、その境位を全うせしめる向下の下降手段としてもちいられた教化方法)

「密旨を伝承、印可を得」

「学理の究明」

「悟得の境位」

「理智分別・理解理会」

「智解駄弁」

「実悟」

「仏性の啓発」

「心源を徹証(境涯)」

「念起病、不レバ薬」

「自性が仏性である」

「念起即病」

「絶対唯心論の絶対無の立場から有の実相を把握することを禅道の本質としたのである」

「心の根源を了得(見解・悟道・解脱・世尊・如来・成仏)」

「心源の徹証」

「本来の面目を体得」

「法を得ることは易しいが、法を守ることは究めて難しいからであるという」

「得悟の後にはさらに二十年三十年とその得たるところの法の長養しなければならないと説いたのである」

 

中世禅思想の研究二

「山居禅・菴居禅」

「心印を得て、」

「学解」

「思慮言語の及ばない」

「台密禅」

「境位」

「悟得」

「念起是病、不続是薬」

「境涯(悟達の境位)」

「心即是仏、仏即是心、心仏如々、亘古亘今(無門慧開より心地覚心に与えた)」

「所求・能求」

「不見の見」

「一亦莫守、没跡、無所住、無所得」

「分別論理」

「対象論理」

「端的看是什麼、恁麼看必不相錯(抜隊禅師遺偈)」

「さとりやぶれて無事(盤珪語録)(如来地)」

「道元希玄禅師」

「心意発明し、・・・」

「学解」

「天祐思順」

「野草春来、華自紅

「春来草自生」

「念起是病、不続是薬」

「妄想・妄覚」

「【心】から発する【念】は【用】であって、・・・」

「諸仏といわれるものは、すべて【念】の起こる根源を形成するもので、無念無心そのものといってよい」

「絶対唯心論の絶対無の立場から有の実相を把握することを禅道の本質としたのである」

心の根源を了得することが、いわゆる見解といわれ、悟道といわれ、解脱といわれ、世尊とも如来とも成仏ともいわれる所以であると説いたのである」

清淨虚空心源の徹証)」

「夢幻虚仮」

「計較思量」

「法を得ることは易いが、法を守ることは究めて難しいからであるという」

「得悟の後」

「法燈国師ー孤峰覚明ー(抜隊得勝・慈雲妙意)

「真の悟徹悟明(体得・己得者)」

「念起念滅の根源」

「思慮分別心」

「知解分別」

「三途・三悪道(地獄・餓鬼・畜生)」

「盲聾瘖瘂」

「法燈国師の座下『孤峰覚明・瑩山紹瑾(法嗣・峨山紹碩)』

「端的に是恁麼と看よ、恁麼に看ば相錯つことなからん(抜隊得勝・嗣法孤峰覚明)」

「当念起時不思量底、脱体現成(念起時に当って不思量底において脱体現成す。)(孤峰覚明)」

「無着無執(無所住)」

「非思量底そのもの(脱体現成)」

「即今底」

「法を()ぎ」

甚麼物恁麼来(分別認識を超えて決して認識の対象とはならないものを意味するものであった)」

理路の遮断

「無心なる動き、無着無執(自由無礙)」

「帰家穏座底、破家散宅(大悟徹底)」

「諸法を解釈、義理の説明」

「思弁、参学弁道」

「理説」

【絶対「無所住」禅境】

「仏法の真理を徹証把握」

「法孫」

「亮座主、馬祖道一に参見す」

「所疑」

「自証自悟」

「仏法の真理」

「本来無一物・無所得(境位)」

「法執の病」

「自由無礙な境涯」

「境位・境涯」

認識によって了得しようとするところに絶対解けない問題がある」

「求著スレバ、不レバ目前(臨済録)」

「声前の一句」

「無繩自縛の鉄鎖」

「見聞の主」

「心地覚心(法燈国師)・孤峰覚明(国済三光国師)・慈雲妙意(慧日聖光国師)」

「抜隊得勝(嗣法・孤峰覚明)」

「第22祖摩羅尊者

 心随万境転、」

 転處実能幽、

 随流認-得性

 無喜亦無憂。」

「無師独悟」

「境位」

「参師聞法の末」

「聞法修禅」

「弁道研鑽」

「自参自究」

「所証」

「自心是什麼物

「本来なにものもないのだ」

「理会」

「明極楚俊(1268~1338)(明極派・渡来僧)(法嗣・得瓊侍者)(瓊(ケイ・ギョウ・たま)」

「参学弁道」

「明眼の禅者」

「師と資(弟子)」

坐」

「牢閑(是什麼)」

「言詮不及、心行所滅の境位」

「直に心源に徹し真理に通達すれば、」

「見處」

「妄念妄覚の毒海」

「有耶無耶」

「言句理路」

「心底に徹し、不思量底の心地にいたってはじめて、そのまま脱体現成するものである」

「実参自究の主体」

「実参実究の弁道?鑚」

「念起念滅」

「抜群(千に抜き出た)・抜隊(万に抜き出た)」

「不動の境位」

「酒はこれ起罪の因縁である」

「剣去久刻船」

「想起」

「参意」

「意(祖意ー仏心の本質)(自己自心のの本分底)(境位を照合勘弁)(検証と証拠)(古教照心)」

「已得者」

「万法進みて自己を修証するは悟りなり(

道元希玄)」

「観念的把握」

「理説」

「把得」

「透関」

「策励」

「見聞主」

「嗣法者」

「(煩悩・菩提)(未得・已得)(未悟・悟了)」

「無着無執」

「未悟同悟了」

「「(非有)(非無)の世界は(空)と称される」」

「(不空)(真空妙有)」

「空理空論」

「牢関破」

「生悟り」

 

「不色空」

 

【色異空、

 空異色、

 色非空、

 空非色。】

 

【色不空、

 空不色、

 色即是空、

 空即是色。】

 

「一日不作、

 一日不食。 (百丈大智禅師)」

「悟明悟達」

「高安大愚(黄檗希運禅師の法兄弟)」

「多知聰明」

「自己の真実を徹見する正眼」

心外無法

「佛性を見得(成佛)」

「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」

「不物」

「超佛超祖」

「無所得・無所作・無所求・(境涯)」

「主なくて見聞覚知する」

「【悟り】などというものが実体として最初からあるかのように思うのは迷妄であり錯誤である。」

「妄想妄念」

「自心が徹見されれば、・・・」

「覿面当機(覿テキ・ジャク・あ・う)」

「道理・義理・分別・解会」

「魔境」

「自己本源(見聞主)」

「悟り破れて無事の人(盤珪禅師)」

「無分別智(無所得・無所住)」

「自己本源」

「六祖大艦慧能大師」

「口頭禅」

「所証」

「真正の見解」

「心源に徹せよ」

「心眼が開け」

「仏祖の所証」

「真の自己」

「見聞主」

「自己本源」

雨滴風声

「心路絶し・知見忘」

「妄心妄覚」

「煩悩・妄想」

「三不解(不解説法聴法)」

「四大色心・脾胃肝膽・虚空

「思量卜度」

「悟得・体得」

「実解」

「祖意に参ずる」

「自己の心源に徹し」

「中峯明本(嗣法・高峰原妙)」

「分別論理」

「念起念滅」

「見得」

「義解知解」

「悟明の徴候」

「妄念妄心」

「妄心妄覚」

「迷妄」

「すべて根拠のない夢幻なるものと思って一切住着しない(絶対無所住(無心))」

「無念・無想・無心などというものは存在しないのである。無念、無想、無心があると思うこと自体迷妄であり、・・・」

「悟達の境」

「阿屎送尿・着衣喫飯・困来即臥」

 

中世禅思想の研究二

 

中世禅思想の研究 (星 清)

中世禅思想の研究二 (星 清)

星 清

 

 

 

「心(縁慮心・集起心・肉團心・堅實心・貞實心)」

 

「脱落(都べての束縛を離れ、自由自在に働けるということ)」

「過去も未来も現在の頭の中にある」

 

真実ではなく思考による観念世界に過ぎない(夢事・妄想・無念・妄覚)」無無無」より(井上 希道老師)

「相手を立てて見た瞬間、自己が発生する。」無無無」より(井上 希道老師)

 

 

「考えをやめた世界(非思量)」(井上 貫道老師)

「もともとの様子に落ち着いた()」

 

 

「本当に自分の真相に徹しきって、死んで生まれ変わってきたんです」

「全部法で出来ておったとことを自覚したんです」(井上 義衍老師)

「空の真相というには、因縁なんです」

因縁生因縁滅という因縁によって、活動するだけのものである真相を知ってもらおうという事です」

「{吾我}の念{おれが}という観念が作った自分の様子」

「機能任せにしてご覧なさい」

夢想第六集般若波羅蜜多心経より(井上 義衍老師)

坐禅工夫の玄旨

「作事をするものではない」

「作る必要のないものを人は今から作ろうとしておるのです」

「我見と云われるものは認識作用で、何も実体はないんです」

「その迷い(自我)が本當に()れればそれで大安楽なんです』(井上 義衍老師)

 

「知る人の介在していない。死にきる。明けの明星の光で認識が再び動いて認識を超える世界にいたことに気付いた

考え方の中というものがある。実物というものが影も形もない

「見ている自分がいるかどうか」

(井上 哲玄老師)

青標

 

非思量に生きる(板橋 興宗老師)

 

「何にもしない(機能としての働きに手を付けないということです)」

「認識といわれるものから離れてしまって(なにもない存在になって)、はじめてそれ自身が自分なんです。それが真の様子です。・・・自分の消息です」

「出て来るどんな思いも手をつけなければ、煩悩にも妄想にもならん」

 

禅話プロローグ・五ヶ条の要文 井上 義衍老師

 

[凡所見色、皆是見心。心不自心、因色故心。色不自色、因心故色。故経云、見色即是見心。(達摩大師悟性論)]

 

これは読み物に過ぎません・実践には参師聞法が不可欠です (井上 貫道 老師)

 

正師を求める事が一番大切な事じゃ(随感録 飯田 隠 老師

正師を得ずんば、学ばざるに如(しか)ず

「先ず正師を探しなさい」(学道用心集 提唱 井上 希道老師)

「随正邪、有真偽(学道用心集・道元禅師)」

 

(一 見 明 星 悟 道 の 消 息 如 何)

大地と有情同事成道 山川草木悉皆成仏

有情非情同事成道 山川草木悉皆成仏

奇なるか,奇なるか、一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有するただ妄想執着あるを以ってのゆえに証得せず

 

「仏は是れ虚名にして、道も亦た妄りに立てしもの、二つ(とも)に実にならず。総べて是れ仮りの名なり。

司空本淨(嗣法六祖)」

「自己を明らめるのではなく、生死を明らめることが参禅の一番の根本であり、肝要な事柄である(中峰明本)」

「(百物を思わずして常に念を絶たしめんとする)こと莫れ。

(かかることをなすは)即ち是れ法縛にして、則ち辺見(一画的な考え)と名づく。

(六祖壇経)(求道と悦楽 入矢 義高)」

悟りの体験のみでの自己完結は、真の悟境ではない(鈴木 大拙)」

「我という実物はない」井上 義衍老師

「思いが起きると実物と違う受取り方をする」井上貫道老師

「所見を起こすことなきは如来の見」井上貫道老師

「思い起こしたことを問題にしているのは参禅ではない」井上貫道老師

「坐禅は知識の勉強じゃないですよ。体でやるんです。」井上貫道老師

「事実に即していれば、考えがやまるんです。」井上貫道老師

頭を動かさせ聞く、聞く

「自己の不在(悟り)」KB会)

「修行とは何もしないこと」井上 義衍老師

「思い浮かぶ想念は相手にしない」井上 義衍老師

自分の見解自分を見るのじゃなく、自分の機能自分で見る自然にわかる」井上 哲玄老師

「悟った人と同じ生活をしている」

「釈迦と同じ境地」

井上 哲玄老師

「一代説法は縁起の法のみ」井上 哲玄老師

「自我が取れれば大安心なんです」井上 哲玄老師

「幸せを手にしようと思っている限り不幸」

「幸せ(葛藤のない世界)」

「悩みや欲望のない世界」

「捨てちゃう世界」(KB会)

「自分は只の記憶(KB会)」

「分別が働いて我が生まれる」

「思考者の不在を思考が見る(悟り・考えるな)」

「天然の思考(金子閑道)(KB会)」

「思考能力の低下(本来の面目)(思考前)(KB会)」

「私のない状態に気が付けば終わりだ(KB会)」

「分別を起こすということは我が出ること(KB会)」

「主体はないが後で主体をつくるKB会)

「思考があると思考者があるように思う(KB会)」

「自分は思考ではない。思考者がある感じがする(自我)(KB会)」

「自我の生成過程KB会)

「確認できない。無いんだからKB会)

「自分のことを知らないことを知らない(自分のことを知っているような気がする)KB会)

「自我は思考過程の産物KB会)

「自我の不在に気がつく(悟り)」

「自我そんなものが無かったと自覚すること」

「現象界はバラバラだが一つのものが現れる。一つのものだから死なないKB会)

「認識が死に切る体験・・・認識が復活する体験」しみP

「意を止むを悟りそこね(全然関係ない)」しみP

「中に人はいない(中に人がいる)(悟り損ね)」しみP

「中に見ている自分がいる、いない」しみP

「そもそも人がいなかった」しみP

「(私がいないと思っている)私がいる(悟り損ね)」しみP

「(カアカアを聞いている)自分がいる」しみP

「真我という固定されたものは無い」しみP

「探求もしない・何もしない・一切手をつけないのが坐禅」しみP

「悟りの様子(事実が解るというのが悟り)(不立文字)(認識機能の止む瞬間)(無我・無常・苦しみが解る)

(認識が再起動)(体認として解る)」

「本物の師匠さんに出会えれば100%悟れる。言う通りに坐っていれば」

「事実が何かがわかるだけ(悟り)」

 

「考えないことではない」耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

「自分があるのじゃなく考えがあるだけ」

 

「不思量とは事実の生活の様子」井上 義衍老師

思いを起こさずにいる時自分の在りように、きちっと目を向けてその事実を見逃さないようにしているということが、不思量底を思量するということです」井上 義衍老師

「賊機(奪い取る・奪い去る・思慮を奪い取る)」

 

苦痛組織の損傷が生じたことを脳に警告するように設けされた生理現象です)」奇跡の脳より

 

「念に化かされることが無くなった(鈴木 正三)」

悟りを自由自在に使っていることがわかる(朴魯禅談集)」

「音を音として自覚しない」

「何にも思わず、縁に従ってサラサラ過ごす」

「知性でわからん事を尋ねる」

(井上 希道老師)

(坐禅を志す人へ)(井上 希道老師)

 

「坐禅の目的は・・・心の本を追求し明らかにすることである」

「分かっても伝えることが出来ない」

「思慮分別が出る以前に着目することです」

「徹して自己を忘じるのみ」

「知性や概念が動き出す以前の状態に立ち返り」

「天然の作用(摩訶般若の知慧)」

「天然の無為なる働き

空の体得見性であり悟りです」

「心を常にニュートラルにし、絶えずゼロになった時は、クセが落ちた時であり心の正体明らかになった時である」

心の正体はっきりした自覚見性

「心と言うているだけで心なんて別に無いのですね」

「そのこと(無実体)を確認するのが坐禅の目的です」

『「クセ」の無い心(別に「心」など無いでしょう)』

「大悟とは徹底なきなり、徹底死に切って、再び蘇生した時の自覚です」

「感覚や心の現象に過ぎない(一切の実体が無い)(心の真相)」

「坐禅は何も求めず何もせず何も思わず、・・・」

「心は何時も空っぽで五官も冴えています」

 

★赤標

 

『身心脱落(自己を忘ずる)・脱落身心(自己を忘じつつ其事に成切る)』

(槐安国語提唱 飯田 隠 老師

思量底とは自己なきことじゃ(普勧坐禅儀一莖草 飯田 隠 老師

思量スとは自己なきまゝに活動することじゃ(普勧坐禅儀一莖草 飯田 隠 老師

「公案なる者は畢竟身心脱落する迄の暫時の蒭狗(スウク・わらの犬)じゃ」(槐安国語提唱 飯田 隠 老師

「認識以前の様子を認識した」カアの前のことがカアの音で、はっきりわかった」「認識が戻った(縁によって)」

「これの活動だけ」(井上 哲玄 老師)

「見解が伴われていない現象(空)」(般若心経講和 丹下 覚元老師)

「体は名づけようがない(しかし名によって体を顕す)(お前の体を顕わす)(お前の名は何か)」(玄沙広禄)

「因縁生の作用あるのみ」井上義衍老師)

 

 

魔境(悟り損ない)

出身猶可易、脱体道還難。(境淸和尚(868937)(啐啄の機)・嗣雪峰義存)

(出身は猶お易かるべきも、脱体は道うことは還って難し)

(悟りを開くことは、むしろやさしい、むつかしいのはその悟りをピタリと言葉で言いとめることなのだ)

(求道と悦楽・入矢義高より)

 

 

 

魔境(悟り損ない)

 

出所不明???

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「心源に在り」

「本来空寂」

「心に任せて自在なれ」

「意に任せて縦横なれ」

「好醜は心より起る」

「心に随って自在なれ」

「他に問題があるのではないのです」

「人間の見解を持ってどうの斯うのする余地も何も許されないのです」

「人の考えではこの真相」

「是非の念で困っている」

「六感に任せ切ってごらんなさい」

「内外なき一念相

「考え方を基本にし、人間的なものを中心として、人を論ずるから如何にもならんのです」

本来の姿を徹見せしめる大安楽の道であると云うことです」

「心意識の作用、・・・法性心です」

「〔今〕の自分の様子」

 

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「四徳(常楽我淨)」

「今の在り様」

「自分の事に気づくんでしょう」

「その人が自分の中色んな事を思ってるだけですよ」

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「教行証(あかし)」

「観身不浄」

「永嘉真覚大師

諸行無常一切空

即是如来大円覚

(仏様のお悟りなった内用です)」

「四念住・四念処・四念処観(身・受・心法)(不浄観)(一切皆苦)(諸行無常)(諸法無我)」

「実質取り除く様なもの無いんですね」

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「物の発生の根源」

「人間従前の一念心が起きたのです(一見明星の消息)」

「この一念において迷うておったんだなあ」

知恵が付いたと、・・・迷いの元なのです」

道具(眼耳鼻舌身意)任せにするのです」

「物心付く前の状態になるということが大切なのですね」

「物心付以前の事実に徹する」

「どうもしない・どうも思わない」

「物心ついたという人の見解云々という世界から離れている様子がわかるのです」

?????

 

「信」初め・・・

「一切そういうものを投げ捨ててしまって、どんなことがあっても、人間的な要求に従って行動してはいかんという事です。それをやめさえすれば、直に大道そのものです。」

「人の見解を一切用いるという事をやめてしまいますと、現前ということが出てくるんです。」

「どうしても人間の見解をもって細工をしようとし過ぎるんです。」

「概念的取扱いとしての空です。」

「人間の見解を用いずに、機能のまんまにまかせてごらんなさい」

「唯須らく見を息むべし」

「妄見」

「人間を中心にして、いろいろな事を考えるから、・・・人の考え方の問題です。」

六感の作用がどうあろうとも一切かまわずに、・・・煩悩らしい作用が起きようが、立派そうなものが起きようが、かまわないことです。」

「小さく執着いるがために困っているだけなんです。」

「無作の作用」

「執着して自分で困っているんです」

「一方は苦しみ、一方は楽しむ(作用自体は一つ)」

「こぶし(使い方によるんです)」

「おたがいの様子というのは、仏心です」

「思う前にちゃんとある。(妄想が起きちゃおらん)」

「妄想(みだりに思いが起こる)」

「作用を法と言う」

「真如法界」

「信」終わり・・・

 

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出所不明???

 

最 近 始め

月庵假名法語(禅門法語集 上巻)

 

 

 

最 近 終り

 

 

板 橋 興 宗 老師 リンク先

 

板 橋 興 宗 老師

「息身仏」

猫は悩まない

あたりまえでいい

坐りませんか

心配しなさんな。悩みはいつか消えるもの

風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときはただ悲しめばいい。

「心豊かに」生きる智慧

混沌に息づく

人生は河の流れのごとく

猫のように生きる

心が軽くなる生き方のヒント

足の裏で歩む

いのちの呼吸

柔らかな心で

混沌に息づく

 

 

 

 

 

板 橋 興 宗 老師

 

板 橋 興 宗 老 師

「息身仏」

 

息身仏 (板橋 興宗老師)

 

「考えるから悩みが生まれる」

「欲望や考えに執着」

「完全無欠であり、何一つ迷いがない、・・・すでに足りていたのだ」

「カウンセラー」

「底抜けの人(身心脱落)(抜け落ちた)(一毫も仏法なし)(眼横鼻直)(言葉でいろいろ考えていた世界から抜け出したのです)」

「欲そのものは煩悩ではありません」

「受け流しておればよい」

「素っ裸のままの自分でいる」

「命の反応に任せる」

「自分の欲望の通りにならなければ、暴力に訴える」

「頭で理解しようと手を加えたのは、手作りのありのままになってしまう」

「頭の中の世界に生きてしまうのです(頭の中を空っぽにして、・・・)」

「言葉を使わない世界に生きようとするのです」

「言葉で考える世界から離れる修行をするのです」

「心のうちに起きた波紋は消そうとせずに、そのままにしておけばいい。消えるときがくれば、自然に消えます。」

「言葉で考えた頭の中の独り相撲なんですね。」

「空去来」

「良寛戒語

ことばの多き

話の長き

問わずがたり

てがらばなし

じまんばなし

おのが氏素性高きを人に語る」

「さしで口

人の話のじゃまをする、・・・

人の心の動きをよく見抜いておられる」

「頭の中でとやかく考えることがなくなることですね」

「【言葉】の持つ意味を十分にわきまえ、グチグチ考えないことでありましょう」

「言刃(ことば)」

「極論すれば【考えない】ことです」

「出息入息の法」

「世の中に出現するものは、すべつ空去来であり、無常であり、・・・」

「ただ過ぎ去ったことなどに、いろいろ執着することが、悩みとなることを説明したのです」

「その執着は、人間が言葉を覚え考えるため出る現象なのです」

「【不動】というのは、動かないことだはなく、何ごとにも動じない、執着しないという意味です」

「いろいろな執着を落として、落としていくことを【身心脱落】と言ったわけです」

「言葉で思い量る世界を超越し、非言語の世界に入っていくのがいい。」

「言葉で考えない世界(非思量)と言います」

「作為がないことです(非思量)」

「要は頭の中を空っぽにして、無重力の状態にしておくこと。」

「頭の中で波立たなくなり、静かになる。」

「問題が解決したというのではなく、問題そのものが消えてしまいました。」

「気づかないうちにそうなっていた。これが私の悟りなのでしょう。」

「息身仏」

「眼横鼻直。一毫も仏法なし(道元禅師)」

「腹のすいた時は食べ、疲れた時は寝る、平常心是道(瑩山禅師)」

「お悟りは修行の執着点ではない。」

 

息身仏 (板橋 興宗老師)

 

猫は悩まない

 

猫は悩まない 板橋 興宗老師

「【思い】に思い苦しむことになったのです。」

頭の中問題にするかどうかですね。」

「修行とは何か、ごく自然になることです。」

反応体

「人は極楽の世界に、すでにおることを知って極楽を求めないことです。」

 

猫は悩まない 板橋 興宗老師

 

あたりまえでいい (板橋 興宗老師)

 

「瑩山紹瑾禅師(1268~1325第四世・大乗寺二世・総持寺建立・伝光録・坐禅用心記・瑩山清規)」

「命の実感があるのです」

「【感覚・実感】が私であり、【いのち】なのです」

「知的理解の一助」

「決着を得るまで到りえるであろうか」

「慮知念覚や知的分別を根底より叩き破られ、・・・」

「底が抜けた」

「勝手に自分の頭の中だけで迷っているのです」

「道は貧にあり(道元禅師)」

「左脳の活動が抑制され、・・・」

「慕古心(もこしん)」

「無所説・無所悟」

「非思量を実感させるのが、・・・」

「五感、・・・融通無礙の心」

「非思量とは、からだが実感して生きることを言います」

頭で分別する前に、身体が明瞭に知っている」

「青柿(揺すって落として、熟させる)」

「円熟(木の上で熟す)」

「脱ストレスと右脳のはたらき」

「非思量これ坐禅の要術なり」

言葉でいろいろ考えるくせから離れて、・・・」

 

あたりまえでいい (板橋 興宗老師)

 

坐りませんか

 

坐りませんか (板橋 興宗老師)

「考えられた禅」

「禅の知識(禅を知る)」

「ホンモノの禅者はとにかく坐る」

「坐禅から何かを得ようと思わなくなりました」

「頭の空想だけで、頭の観念だけで、・・・」

「平常心(自然に振舞う心)」

「自然や平常心をつくってはいけません」」

脳を静かにするために、坐禅はあるのです」

坐禅と同じ心境でいられるようになります」

「【空】とは、簡単に言えばこの世の中のすべては千変万化し続けており、【これ】といった定まった形のものは無いということです。(万物流転・無常)」

「頭の中の一人相撲」

「人間の【常識を】破る問題を【公案】というのです」

「理屈では分からない問題をつきつけるのです」

「頭の中で一人相撲をして悩んでいる。取り越し苦労をしている。それだけのことなのですよ」

一切の希望を失うということは、雑念妄想を完全に放下したことになります」

「宗教心(ふぶな心・柔軟心)」

「世の中に我が物とてはなかりけり身をさえ土に還すべければ」

 

坐りませんか (板橋 興宗老師)

 

心配しなさんな。悩みはいつか消えるもの

 

心配しなさんな。悩みはいつか消えるもの (板橋 興宗)

「穏やかに飄々生きることはできるのです。(心がまえ)」

「悩みは実体というものはなく、すべて自分の頭でつくり出したものなのだと。」

「わざわざ悩みを生み出しているのです」

「考えることで自分を追い詰めているのです。」

「それを悩みにするか、しないかは、自分次第ということです」

「そこに、考えを持ち込まない」

「喜びも悲しみも、ただ【あるがまま】に受入れる」

考え無理に停止することではありません。頭ではなく、からだが素直に反応する状態です」

あたるまえの反応が禅でいう平常心なのです」

「ありのままでおればよいのです」

「言葉を重ねて考えるから、悩むのです」

「考えて判定する」

「自分の欲で判斷する」

「ありのままに生きれば(好日)」

頭を空っぽにしておけばいいのです」

「幸せの極意は【足るを知る】ことです」

「ないものを数えるのではなく、【いまある】ものに気づく、感謝する生き方へ変えていきましょう」

「【ありのままでいいのだ】と気づかれました」

「まずは早寝早起きです」

「頭で考えるからです」

「考えを遮断」

「一行三昧」

「言葉から離れる修行」

「何も考えず、ただ淡々と体をつかえばいいのです」

「考え込まず受け流していれば、消えてしまいます」

「心がどんどん澄みわたり、何もとらわれなくなります」

「見栄や虚栄心が消え去り(純粋無垢な心)(よけいな考えを捨て、無心になる)」

「思考の流れを断ち切ってしまうのがいちばんです」

「和顔愛語(わげんあいご)」

「言葉(言刃)(後味が悪い)」

「急ぐな休むな夢を追え(興宗)」

「八年間、井上義衍老師に参禅」

 

心配しなさんな。悩みはいつか消えるもの (板橋 興宗)

 

風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときはただ悲しめばいい。 (板橋 興宗)

 

風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときはただ悲しめばいい。 (板橋 興宗)

 

「非思量、これすなわち坐禅の要術(道元禅師)」

「自分の思惑をなに一つ加えないあり方なのです」

「大宇宙と一つに息づいている感じです」

「慈悲(無心)(風鈴のような心境)(無心の響き)」

「からだで反応する生き方です」

「事実の証明を述べているに過ぎません」

「観念の中で生きるのを止める」

「言葉で考えるという思考の働きがありません」

「体感」

思考の流れを断ち切ってしまう」

「出会った瞬間にその出会いは成り立ちそして消える

「自分の思い方なのです」

「事が完了しているのです」

出会い(因縁)

「考えるときは言葉を使って考えをつみかされていくのです。」

「考えをつづけないことです」

苦痛があっても苦悩はありません。」

「眼横鼻直なることを認識して、他に瞞ぜられず」

「【考えない】と考えるのもいけないのです」

「たんなる理解ではありません」

構えを伴った平常心ではなく、むしろ全く構えのない平常心こそが本当の道なのです」

疑問すらない者には解決ということもありません。」

目標に向かって真剣に修行する者だけ解脱という悟りがあるのです」

 

風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときはただ悲しめばいい。 (板橋 興宗)

 

「心豊かに」生きる智慧

 

「心豊かに」生きる智慧 板橋 興宗老師

「曹洞宗管長・総持寺貫首」

「ほんとうは、迷っていると思い違いをしているだけである。」

立腰

「賢者は聞き、愚者は語る。」

非思量の参究

「頭の中の観念の世界」

「〈正しい人ほど人を傷つける〉」

「一得一失(波紋・点検)」

さわやかな心、素直な心にいることを非思量という。(理屈や固定観念・色づけした見方)」

 

「心豊かに」生きる智慧 板橋 興宗老師

 

問題にするから、問題になります。気にするから、気になるのです。

 

「私が」聞いているのではありません。聞こえてる事実が、私です。

「私が」見ているのではありません。そこに木や草が見えている。

そのことが「いのち」なのです。私なのです。

道元禅師は、「万法に証明されている自分」に、納得のゆくことを「さとり」といっておられます

混沌に息づく

 

混沌に息づく 板橋 興宗老師

「一刻一刻の〈出会い〉を〈私〉というのです。

「なまの現実実体体験〈いのち〉ともいうのです。(縁)」

「刹那生滅・念々起滅・万物流転・諸行無常」

宗(宇宙の根本原理)(おおもとの筋道)」

「頭脳で問題にすることができません。」

非思量の参究身心を放下せよ)」

「無為自然(老子)」

「吾、我を(うしな)えり、これを知るか(荘子)」

無礙自在(むげじざい)の解脱の境究極とする。」

「善悪の思いを捨て、・・・」

「この世の中に、何ひとつ間違ったものがない。すべてが真実そのものであったことに気がつくことがあるのです。」

 

混沌に息づく 板橋 興宗老師

 

 

人生は河の流れのごとく

人生は河の流れのごとく(板橋 興宗老師)

「非思量に生きる」

「人はみな自分の心に迷わさる

「その人にふさわしい出来事に出会う」

「勝手に迷っているにすぎない」

「坐禅は脚を組むことに意味があるのではなく、腰を立てて背筋を伸ばすことに本来の意義があると主張している」

 

人生は河の流れのごとく(板橋 興宗老師)

 

人生は河の流れのごと 絵リック)

 

 

 

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猫のように生きる

 

猫のように生きる 板橋 興宗老師

 

「お坊さんというのは修行をするための道なのですよ」

「【ごくあたりまえでよかったんだ!】と自分で気づくということです。」

「眼横鼻直(あたりまえの事実を、ありのままにて、しかもそのままである真実頷き取ること。)」

「自らの身心以外の何ものも用いず本来自然の心性に還ること。(空手還郷)」

「(平常心是道)悟りとは日常茶飯から離れた遠くにあるのではなく、人間的営みのなかにこそあると説く」

「無為自然、無為(何もなさない)。自然(そのままでいいということです)」

「頭の中の観念が中心になって生きているからです」

「それを気にしないことです」

「言葉で考えないようにするわけです」

「観念の世界に生きてしまう」

「陀羅尼(翻訳によって原意からはずれることを厭い、サンスクリック語をそのまま漢字に音写した経文のこと)」

「修正義(還俗し在家主義を唱えた仏教学者大内青巒が明治23年(1890)に作成」

「警策(文殊菩薩の手の代わりとみなされている)」

「取り越し苦労しないで、・・・」

「言葉で考えて取り計らうことをしない」

「言葉で考えることを少なくして、・・・」

「言葉を使わないことです」

「心を素直にさせておくことなんです」

「悟り(このままでよかったのだ)と気づくことですね」

言葉で考えて悩み、苦しみ、争い、・・・」

「生存欲であって煩悩ではありません(息をするのと同じ)」

「実感こそが【命】そのものなのです」

 

猫のように生きる 板橋 興宗老師

 

猫のように生き ック)

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心が軽くなる生き方のヒント

 

心の軽くなる生き方のヒント (板橋 興宗)

言葉のない世界に生きているからです」

考えることが人間を苦しめているのです」

「志を持って意欲的に一生懸命生きれば幸せになれます」

「道心(求道心)」

言葉で考えることを少なくする努力が大切です」

「言葉をつながないように」

「思考の流れを断ち切る」

「言葉を言刃にしてはならない」

「なぜ人間だけが悩むのか。考えるからですよ。」

「人格を無視されるようなことを言われなかったし、もちろん言ったこともありませんね。」

「【いのち】そのものの働きを禅と言うのです。」

「修行方法(坐禅・読経)」

「禅とはその人のその時の実感事実を言います」

分析や評価をしないで無心に生きることが大切です」

「非思量に生きる」

頭を空にして生きるとは、どういうことかと言うと、それは無心に生きること。」

「悩みもないから悟りもない」

「論理を考えない」

「考えるとは・・・言葉で概念を組み立てていくことです。」

「どんな形にもなる、それが【空即是色】です。また【色即是空】です。」

「一切手を加えないことです。【頭を空っぽにしておく】」

「くよくよ考えない。これを仏道修行という」

「執着すると迷いが生じるのです(無明)」

「後の時代の人が分析して、とか因縁とかと哲学的に論理づけたわけです」

「自分が無心な状態になれば相手も無心になる(我欲をなくす修行です)」

「【苦悩の根源】を解放してあげようとするのが仏教の根本的あり方です」

「考えても仕方のないことをクヨクヨ考えている人が多くなったのでしょう」

「考えない人になること」

言葉をつなげるとは考えをつなぐことです」

「考えがそれ以上進まない」

考えるというのは言葉で概念を構築していくことです」

時間とは観念です

「最後まで【いのち】を楽しんでおりたいですね」

「息をいている【この】この事実を【いのち】という【ほとけ】ともいう」

 

心の軽くなる生き方のヒント (板橋 興宗)

 

心が軽くなる生き方のヒ ック)

 

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足の裏で歩む

 

足の裏で歩む (板橋 興宗老師)

「欲の追求より志を持って生きたいものです」

「『私』という観念は、自分で思いつくり上げているのです」

「思いを断ち切る為、・・・」

幸せ得るのではなく、感じるものです」

「大宇宙とひとつに息づいているようになれば、・・・」

「生まれながらの素直な感覚をよみがえらえるための修行です」

「『このままがいい』という大発見」

「迷いがふっ切れた」

悩みは、実は人間が自分でつくり出しているということに気づきましょう。それが分かって執着しなくなれば、もっと楽に生きることができます。」

正義で人を責める

 

足の裏で歩む (板橋 興宗老師)

 

いのちの呼吸

 

いのちの呼吸 (板橋 興宗老師)

「丹田呼吸」

「通身呼吸」

「出息入息(しゅっそくにゅうそく)の法」

「境涯を練る」

「それ以外にホトケはないとの自覚です」

頭でお茶を飲んでいる。それが迷いの根源です」

「私の思いで説明しているのです」

「・・・思いに思い苦しむ・・・」

もともと〈迷い〉というものはありません。迷っていると、思っていることが迷いです。迷いも悟りのうちです。」

「体得(からだで体験して納得する)」

「〈悟〉は求めると、〈悟〉は離れてゆきます。」

「葬式は残された人々を慰めるための儀式です。」

「問題にしなければ、苦になりません。」

「問題にするから、問題になります」

「今、なにげなく息をしている。自力でやっていますか。他力でやっていますか。宗教でやっていますか。無神論でやっていますか。」

「りっぱな人格者になることを目指すのでもありません。」

「頭の中では解決しません。」

 

いのちの呼吸 板橋 興宗老師

 

柔らかな心で

 

柔らかな心で(興宗和尚の人生問答改訂版) (板橋 興宗老師)

「次々に考えは考えを呼び、・・・」

「・・・刃傷ざたや自殺などは、考えることから起こります。」

「時間とともに自然にさめます。(考えることは、冷えかけた湯に熱を加えるようなものです。)」

「持ったものは、持ったことで悩む」

智は愚を責めず

 

柔らかな心で (興宗和尚の人生問答改訂版)(板橋 興宗老師)

 

混沌に息づく

 

混沌に息づく 板橋 興宗老師

「一刻一刻の〈出会い〉を〈私〉というのです。

「なまの現実実体体験〈いのち〉ともいうのです。(縁)」

「刹那生滅・念々起滅・万物流転・諸行無常」

宗(宇宙の根本原理)(おおもとの筋道)」

「頭脳で問題にすることができません。」

非思量の参究身心を放下せよ)」

「無為自然(老子)」

「吾、我を(うしな)えり、これを知るか(荘子)」

無礙自在(むげじざい)の解脱の境究極とする。」

「善悪の思いを捨て、・・・」

「この世の中に、何ひとつ間違ったものがない。すべてが真実そのものであったことに気がつくことがあるのです。」

 

混沌に息づく 板橋 興宗老師

 

 

板 橋 興 宗 老 師

 

蘭渓録 蘭渓道隆 (訳著 彭 丹)

 

 

蘭渓録 蘭渓道隆 (訳著 彭 丹)

 

禅の悟りと創造性 (恩田 彰) ネットより

『禅の悟りと創造性 恩田 彰 ネットより

「見識・境涯・悟りに導き・悟りの境涯をふかめる。」

「禅問答は、分別判斷を断絶せしめて、直接に仏性すなわに真の自己(真の事実)をつかせせようとするのである。」

「真の自己(真の事実)」

「自己の本性(仏性)」

「禅の本質が真の事実(真の自己)の発見にある」

「禅の悟りは真の事実の発見にある。」

「禅では自他一如の真の事実の発見である」

「公開の秘密(密は却って汝が辺にあり)(木犀の花の香を聞くや)」

「後得智(有分別後得智)」

「悟りの機縁」

「悟りへ導く方法」

「真の自己というのは、一切の現象は、そこに存在するように見えるけれども、本質的にはその中味は全く何もないということである。」

「自己と他者が一つになった三昧を体験し、そこで自他一如の真の自己に気づく」

「日常生活に実現することが出来て始めて真の悟りといえるのである」』

『禅の悟りと創造性 恩田 彰 ネットより

禅の悟りと創造性 (恩田 彰) ネットより

 

飯田 隠 老師

 

般若心経恁麼来

 

 

 

 

 

 

般若心経恁麼来 (飯田 隠 老師)

般若心経恁麼来 (飯田 隠)

「隆蘭渓註心経・天桂の止啼銭・賢首の心経

じょ・浦上隆應禅の心経帰一録・呑空師心経頌」

「具足(大方広〈方〉佛〈人〉華厳〈譬喩〉)」

「単三・単人主題(仏説阿弥陀経)・単法主題(大般涅槃経)・単譬主題(梵網経)」

「複三・人法主題(文殊問般若心・法譬主題(妙法蓮華経)・人譬主題(如来獅子吼経))」

「大多勝の三義あり」

「心(梵語カリダ)(草木などの(しん))」

「三界唯一心

心外無別法

心佛及衆生

是三無差別

華厳経」

「経(ソタラン・貫線・摂受の義〈義訳〉)」

「真理(不変・常)」

「通別は教相上の判釈」

「人空ばかりにして、法空を得ざるものは声聞等じゃ」

「理会じゃ」

「無理会と云うも已に理会」

「文字の講釈をせむ」

「蘊(積聚〈しゃくじゅ〉)」

「色(四大〈地水火風〉(大・到らざる非ざるなきを云ふ)」

「受(受け込む感覚)(苦楽捨の三受)(三苦〈苦苦・壌苦・行苦〉)」

「想(取像奔馳)(妄想)」

「行(最も其の多きを見る)」

「識(熾燃了別の性)(意・小乗)(唯識・大乗)(アラヤ識・第八識)」

「認めれば妄想、直きにこれを見て、認めざれば、大同鏡智」

「皆空とは実体を認めざる因縁性じゃ」

「拙度観(折空観)

「体空観(一空相観)」

「一因縁生にして、・・・」

「無常厭世観(釈迦)」

「宇宙と同化」

諸法の因縁生なるを知り、自己を亡じたるによりてなり」

「萬法と自己と、同証同化なることを明らむる」

「空(シュンニャタ梵語)(変化して止まざるの義から起った)」

「天地万有は皆自己無くして脱落現成すじゃ。(物即脱落)(空・色〈異名〉)(水・波)」

「不異・即是」

「馮済川

屍シカバネ在這裏

人在クニカ

人不皮袋

大慧大いに叱して、

形骸便人。

「靈皮袋皮袋一靈」

「如露亦如電應作如是観」

「正眼看来レバ常に変化しつつ、実体の認むべきなきことを不生不滅と云ふ」

「三論宗の八不中道(不生・不滅・不去・不来・不一・不異・不断・不常)」

「因縁生を空と心得れば・・・」

「四十九年の説法は空の一字に帰する」

「大論

諸法因縁、」

因縁生故去来

キガ去来所住

キガレ所住畢竟空也

是般若波羅蜜多。」

「集りて成れる因縁生なり」

「眞空(平等)」

「妙有(差別)」

「因果は無人(平等)より出づ」

「三科の法門(五蘊、十二処(十二入)十八界」

「水同鏡の例へ」

「見性作用(波羅提)」

「作用トハ何也ンゾヤ

目に物を見、耳に物を聞き、心に物を思ふ」

「識是レ佛性ナルコトヲ

ルハンデ精魂

因果差別によって起る処じゃ」

「流転門・還滅門」

「因果に任せて、何事も気にかからなくなるのじゃ」

「一切有偽夢幻泡影

露亦如如是観

金剛経」

「有為の法(物を認めて造作の法)」

「一一の無常観によりて無為法とはなりにけり(即ち空)」

「折空観(拙度観)」

「体空観(只管打坐・只管公案)」

「実体のなきことを云ふたのじゃ」

「眞空観」

「因果無人即空を悟れるひと」

「心常相滅の外道」

空の働きじゃ」

 

「不コトヲ

(信心銘)」

「呪(陀羅尼・ドハーラニー)(総持)

魔事(まじ)(ない))」

「羯諦(去・度の二訳)」

「波羅羯諦(明確の義)」

「波羅僧羯諦(僧の字を普くと讀む)(普く度し盡した)」

「沙婆訶(速疾・成就・究竟・の三訳あり)

「直訳

度、々、正度、普度、覚成就」

「向無理会

(大灯)」

「慎ンデ雑用心スルコト

「了然(元朝鮮の尼僧)(道元禅師四法嗣の随一なり)」

 

般若心経恁麼来 (飯田 隠)

般若心経恁麼来 (飯田 隠 老師)

 

活才術 (編者 井上泰岳) 中原 鄧州

活才術 (編者 井上泰岳) 中原 鄧州

 

「根本煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴・驕慢・疑惑・邪見)」

「愚痴(求むることの遂げられざる為に、その思いの凝って起る愚痴)」

「禅(禅那・静慮・(おもんばか)るというは第二義で虜を静むるといふのが第一義ぢゃ)」

「一切諸法因縁所成・本来無一物・一切皆空の理法を、・・・」

山老師と倶に(南天棒)(明治)」

「正念三昧」

「学解を以って身を飾りて、宗匠然たることは、我の大いに恥ぢとする所じゃ(売茶翁の月海)」

 

活才術 (編者 井上泰岳) 中原 鄧州

 

 

活才術 (編者 井上泰岳) 中原 鄧州

 

夢想 第六集 井上 義衍老師

夢想 第六集 井上 義衍

「それを考え用いて見ようとすると、それから外れるのです」」

「方法や手段を考えると、むつかしくなる」

(いい)(ぐさ)が多過ぎるもので、それで皆迷うんです」

「呪(真実語)」

「初めから人も法も何も無い自分、身心脱落というのはそうです」

「根本に誤りがあったという事です」

是非の心の起こるのをしばらく{心病}と云うたのです(思いの病)」

「考える余地も何にもかにも無くなって、・・・」

「空の真相というには、因縁なんです」

「みなあるその事実に徹底せられる事です」

因縁生因縁滅という因縁によって、活動するだけのものである真相を知ってもらおうという事です」

「空の様子」

「{吾我}の念{おれが}という観念が作った自分の様子」

「機能任せにしてご覧なさい」

夢想 第六集 井上 義衍

夢想 第六集 井上 義衍老師

 

観音様の眼と耳に学ぶ 井上 貫道老師

観音様の眼と耳に学ぶ 井上 貫道老師

「心眼・凡眼」

「そのまま見る力」

「余分なことを考えるからです」

「思いだけがいつまでもしつこくあるように思い込んでるんです」

「苦しみというのは、頭からくるんですね」

「自分の不手際(自分の力不足)(自分が自分を大事にしなかった証拠です)」

 

観音様の眼と耳に学ぶ 井上 貫道老師

観音様の眼と耳に学ぶ 井上 貫道老師

 

無無無 巨匠 飯田 老師全集随感録(井上 希道老師)

無無無 巨匠 飯田 老師全集随感録 (井上 希道老師)

 

無無無より

 

一瞬の様子

即今底に成れ、「心」を綺麗にせよ

実とは即今底であり実相のこと

 

:::::::::

飯田  語録 抄

73

見性とは自己を了するの意・

元古仏「自己を了するとは、自己を忘るるなり」・

白隠「忘れ忘れて忘るるも忘るる」・

73

見性=自他の隔歴がちれ・

有我執着・

断常のニ見に住着する・

因果無人・

粘着縛着・

心の底が見えてくる・

 

飯田 老師語録 抄 より

 

無無無

「道環(義光老師の長男)」

「釈尊により真実の道が明らかになりました(解脱の法門)」

「釈尊拈華、迦葉破顔微笑の一大事因縁」

「仏とは自分の本来の心である」

「人我の見(優劣を争う)」

「井上 玄魯義衍老師」

「雪渓老師(妻は吾人の姉)」

「不滅の原理原則(法)」

真相を体得するのが坐禅の目的である」

真実(仏法)を体得するのが仏道修行であ

り、坐禅修行である」

 

真実ではなく思考による観念世界に過ぎない(夢事・妄想・無念・妄覚)」

「知性・知識・観念という作り事」

「至り得た自覚(見性・悟り)」

「事実と虚像(迷いと悟り)」

「余分な心がなければ・・・」

「差別であり働き」

「見聞覚知の刺激に「心」を盗られ自失してしまう」

「囚われであり執着であり争う根元である」

自我が無ければそうしたごたごたは一切無い」

「一隻眼(空を体得)」

「無自性空の一声」

「作略(働き)」

「言い訳、説明じみたこと」

「意識で作り出した観念にすぎん」

「今の事実から離れてしまう」

「自分で問題を作って心が騒ぐんじゃよ()」

「単調になっておれば余分な雑物が落ちて無くなる()」

「知性優位精神」

「自他や得非の念を打ち砕いてくと初めて徹することが出来る」

「カス妄想」

「意識の根源を空ずるしかない」

「屁理屈」

「猿芝居」

 

「相手を立てて見た瞬間、自己が発生する。」

「自己を立てずに、・・・」

「縁に応じて跡形がない。」

「善悪全て心より生ず。」

「悟りがぶら下がっていて、・・・(悟りの暗窟)」

「平なんとか・海なんちゃ居士・(漢文・知力を誇り・人心を惑わした)」

「たった一つの意根から発する」

「見明星成仏」

「極地に達して求心の止んだ処じゃ」

「修行(只管打坐・公案工夫・戒法護持)」

「無師自悟は天然外道」

「道元(懐装・僧海・詮慧・了然尼(四名のみ))」

「忘れ忘れて忘るるも忘るる(白隠)」

 

無無無

無無無 巨匠 飯田 老師全集随感録(井上 希道老師)

 

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

 

「本来無一物、何處惹塵埃

「脱は束縛を離れる意、落は洒落などの時の落で滞りなくなった姿、・・・」

「恁麼(宋朝時代の俗語で、此の如しと云ふほどの意であります)」

「放捨諸縁。休息萬事。不レ二善悪。停心意識之運転。止念想観之測量。莫レ圖作仏。豈拘坐臥乎。」

「心要」

「蒲團(ふとん)(坐蒲(ざも))團(まるいかたまり)」

「不可説・不可思議・不可商量」

「其の差別は思量することが出来ます」

「生死を解脱した悟の境界」

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

二回目

「涅槃妙心(仏性)(圓通自在な道本)(目に見るに任せ)(耳の聴くに任せ可なり)」

「自然(時節因縁の純熟した有様)

「脱(束縛を離れるの意)」

「落(洒落などの時の落で滞りなくなった姿)」

「不可説・不可思議・不可商量」

「活作略・活手段」

「自己本来の面目を棄てて、悟りよ、仏よと、・・・」

「自在無碍なる活動(脱落身心)」

 

二回目

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

 

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

 

只管呼吸

天然自性の佛性

禅は室内が命

説法や著書は上っ面のこと

只管の境地

見性成仏=成った仏の性を見る=成った仏の性に気付く

大死一番して落ち込んだ者でないと解らない

頭悟りでは解らぬ

チラ悟りでも手も足も出ない

念の起こるところを見よ(法燈国師)

諸仏は念の起こるとこを知り玉う

この心の源を知るを見解とも、生死を出離するとも、解脱とも世尊とも如来とも成仏とも言うなり(法燈)

念の起こるところを見る、さすれば自然とその奥の般若波羅蜜と一体になるのだ

悟りとは真如を知ること

般若波羅蜜を知ること

体もない何もなし

念の出てくる以前の源が摩訶般若波羅蜜だ

摩訶般若波羅蜜の異名だ

それからモゾモゾとビデオの遅送りのように念が出てくる。念の正体がわかる。そのうち少しずつ体が出てくる

念の出てくる所(源)を見ようというのもそこだ。念の正体がわかれば、物心がついてから今まで、念に化かされていたことが分かる

念に化かされることが無くなった

体験した者のみが分かることだ

自ら体験しなければ解らない

悟れば誰もが本来仏であったことが分かる

みんな悟りを自由自在に使っていたことが分かる

只管呼吸

 

二回目

「悟った経験があればそれを堂々と披瀝して法戦をするのが古来からの禅の伝統である」

「義衍老師は、生涯、・・・印可証明を出されたのは戦後の直後、ある老婦人一人にのみ。」

「頭悟りでは解らぬ」

「和解に走るもあり、活達に走るもあり、あるいは殊勝に落ちるもあり、皆これ法の病なりと(澤水和尚)」

「法燈国師(円明国師)(心地覚心)(無本覚心)(嗣無門慧開)」

「諸仏は念の起こるところを知り玉う。この心の源を知るを見解とも悟道とも、生死を出離するとも、解脱とも世尊とも如来とも成仏とも言うなり(法燈国師)」

「念の起るところを見る」

「悟りとは真如を知ること」

二回目

 

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

 

求道と悦楽 (入矢 義高)

求道と悦楽 入矢 義高

()(なお)な心」

「直念直用」

「法執・理障」

「念多ければ人の心を乱す、念靜なれば真如の性(あら)わす」

「一切皆空の理」

「体現者」

「言詮」

「分析論理」

「隠喩・直瑜・譬喩出現」

「教相判釈」

「身心脱落の体験を得ることはむしろ易しいが、その境地をありのままに表現することは容易でない(中村 元)」

()れたもの」

「私が考える(それが考える)」

「禅機」

だれがそれを問うているのか(趙州禅師)」

「自己呈示」

「実体(法性)」

「何が言われているか(なぜそう言われているか)」

「祖仏はおまえだ」

「馬祖禅(作用即性)」

「三句(四句ハ非)(A、非A、非非A)」

「造語」

「只麼(しも)・与麼(よも)」

「只麼禅(鈴木 大拙造語)」

『「自然法(じねんほう)()(如如観)(禅観)(顕現)只麼経験(禅経験)(禅観と禅経験)」』

「道只没道(神会語録)(只麼亦不存)」

「定慧双修(神会の如来禅)(清淨禅)」

「そのまま禅」

「只麼(副詞)(用語を修飾)(名詞を修飾する形容詞)」

「没・句・摩・(意味のない語助)」

与麼(そのように)(このように)(そのような)(このような)」

「与(若・如)(かくのごとく)(かくのごとき)如・与同音通用」

「凡聖の心は妄である」

「出来あいの文句(借りものの質問用語)(!感嘆符号)」

「大悟の機縁」

「しさい(多子)(子細)」

表詮遮詮

「(百物を思わずして常に念を絶たしめんとする)こと莫れ。(かかることをなすは)即ち是れ法縛にして、則ち辺見(一画的な考え)と名づく(六祖壇経)

『「氷の水に帰すが如く(雪峰)」

「水の水に帰するが如く(玄沙)」』

「癡(あほう)」

悟りの体験のみでの自己完結は、真の悟境ではない(鈴木 大拙)」

 

求道と悦楽 入矢 義高

 

 

求道と悦楽 (入矢 義高)

 

自己と超越 (入矢 義高)

自己と超越 入屋 義高

「今ただ心が虚空のようでありさえすれば、学(求道修行)は完成するのだ(百丈広録)」

「心を木石の如くなれ(ダルマ)」

(ごつ)()として縁を忘ぜよ(三祖)」

虚空の如き心」

「一切の思量判斷を払い」

「体認」

「その働き、それがもともと君の本性あるいは本心というものであり、この心を離れて別に仏があるのではない(宗境録(すぎょうろく)巻十四)」

「即汝心是」

「辜負く(そむく)

「法縛(辺見)(法執)(理障)」

「遮詮偏重(表詮)」

「馬祖禅(雑貨舗)」

「石頭(純金禅)」

担板漢(ぼくねんじん)

「善巧方便(対機説法)」

「法執・理障」

「日に用いて知らず」

「仏は是れ虚名にして、道も亦た妄りに立てしもの、二つ(とも)に実にならず。総べて是れ仮りの名なり。司空本淨(嗣法六祖)」

「没蹤跡(痕跡なし)」

「你還会麼(君は解ったのかね)」

「喫粥去(まあ粥を食ってきなさい)」

「説破(お説き明かして下さい)

「死(未生前)(列子)」

「天地は我と同根にして、万物は我と一体なり(僧肇)(天人一元論)」

「天地与我同根、

万物与我一体。

 天地与我並生、

 万物与我為一。(荘子)」

「己事究明(自己の根源、自己の本質を見極める)」

「一隻眼(有眼無是)(無眼有是)」

 

「自己を明らめるのではなく、生死を明らめることが参禅の一番の根本であり、肝要な事柄である(中峰明本)」

「和泥合水(施泥帯水)と同義(向下救済)『(拖・タ・ひ・く)私』

「仏教の教え(人はいかにして輪廻を脱すべきか(命題))」

「諦念」

「生死(せいし)・死生(しせい)」

「契悟」

「生死無常」

「実存体験」

自己と超越 入屋 義高

自己と超越 (入矢 義高)

 

奇跡の脳 ジル・ボルト・テイラー

奇跡の脳 ジル・ボルト・テイラー

「心はいつも、自分自身に話しかけています」

「脳のおしゃべり」

「知力」

「考える心」

「からだを借りていただけだったことに気が付かなかったなんて」

「認知力」

「心はこのからだに対する愛着を捨てたんだ」

「自分が宇宙の広大さと一体になった気がしていました」

「大人の女性のからだをした赤ちゃんのよう」

肉体の境界がなくなってしまったことで、・・」

「頭の内側に居座った、劇的な静けさです」

「自分自身を宇宙と同じように大きいと感じるのです」

「魂が宇宙と一つであり、まわりの全てのものと一緒の流れる中にいるのを感じることが好きでした」

「わたしの内在の根底から溢れる深い内なる安らぎを感じるのが好きだったのです」

「わたしの内なる安らぎの体験」

「関わりをもたず傍観する」

「できないことに、くよくよしてもしようがない」

脳のおしゃべり沈黙します」

「自分自身を固体とし感じることをやめ、流体とし認知する(宇宙と一つになったと感じるようになったのです)」

「知覚を生じさせる」

「過去の出来事を考えるのを止められると学んだのです」

「怒りの導火線にすぐ火がついてしまう人」

苦痛組織の損傷が生じたことを脳に警告するように設けされた生理現象です)」

「右脳マインドには、現在の瞬間的時間以外の時間は存在しません」

奇跡の脳 ジル・ボルト・テイラー

奇跡の脳 ジル・ボルト・テイラー

 

禅話プロローグ・五カ条の要文 提唱 井上 義衍老師

禅話プロローグ・五ヶ条の要文 井上 義衍老師

「何にもしない(機能としての働きに手を付けないということです)」

「我見がある様子(わたしが聞く)」

「聞こえる(我見がややなくなった状態)(私が受ける様子がある)」

「主体のない在り方(ある)」

「知ってから活動しているんではないんです」

「知らんうちに活動している(法界と真如そのもの)」

「自分たちの真理があるんですよというのが、真実の得道です」

「性質が空であるがゆえに、すなわちこれ仏なり」

「認識といわれるものから離れてしまって(なにもない存在になって)、はじめてそれ自身が自分なんです。それが真の様子です。・・・自分の消息です」

「利害関係を中心にして働くことがなかったら、苦しまんでもいいんです。」

「人が後から名をつけただけです」

「出て来るどんな思いも手をつけなければ、煩悩にも妄想にもならん」

現じたり、滅したりすること自体が、あなたがたの手つかずの真相なんです」

「受け身以外に何もやっちゃいかんです」

意識外にあることを自覚しました」

「当り前のことが当たり前に分かっただけで、・・・」

「仏教(因縁)」

「そのまんまの様子にまかせるといいんです」

「六官を解放して、六官の作用がどうあろうとも一切かかわらず、・・・かまわないことです」

「法身(その自由な本来の道としての動き)」

「因縁生・因縁滅として行われている」

「心を用いると苦労する」

「苦労しようというても苦労する種がないのです」

「即心仏性なり」

「朗かなり」

「真を求むることを用いざれ、ただすべからず見を息むべし(道元)」

「追いかける心をやめなさい」

「あなたがたがみな真なんですわ」

禅話プロローグ・五ヶ条の要文 井上 義衍老師

禅話プロローグ・五カ条の要文 提唱 井上 義衍老師

 

坐禅を志す人へ 井上 希道老師

坐禅を志す人へ 井上 希道

「1940年(昭和15年)生」

「勝運寺住職(井上 千兮(かんけい)の次男)」

「24才井上 義光・照庵大智に師事」

「海蔵寺住職」

「至福の世界」

「丸出しの自分を体感自覚したのだ」

「坐禅の目的は・・・心の本を追求し明らかにすることである」

「自分の呼吸に成り切るだけであった」

「今に気付くことにより開かれる」

「本来の宝を磨き出す努力・・・坐禅の本旨である」

「概念の中毒」

「人知を加えず探さず求めず、たった一息に専念しただけである」

『念も言葉もイメージも存在し得ない、「空」の世界であった』

「超自己の崇高なる自覚である」

「無自己観の境地」

『真の「心」を自覚』

『本分とは「心眼」を開き、悩める人の苦を除き安楽に導くことである』

『根本解決「自我」の陶治であり「心」の究明である』

「心眼を開く(見性すること)」

「修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」

「分かっても伝えることが出来ない」

真実の「心」を体得することに尽きる』

「道元28歳大悟」

『本来「無我」であり、「」である。つまり「」であるという意味です』

「栄西(1年)兄弟子(6年)支那(3年)如淨禅師(26歳相見)」

「明星一見の実体験」

『「因縁所生の法」であり、それ以外に何物も無いぞと体得し自覚することを「悟りと言うのです」』

自己を忘じて「見性」する』

「真相を体得」

「身心自然に脱落し、本来の面目現前せん」

「法我見(勝他の念)」

「要は出たモノに着いていかない事がポイントです」

「散乱心を治める急所が手に入った」

「正念相続大難々々」

「ただ縁のまま」

「境界の違い(心境)」

「大安楽の境地」

「思慮分別が出る以前に着目することです」

「鍵の穴から入ってこい」

「知性以前の大真理」

「活手段」

「恁麼(インモ)(什麼・甚麼)

字義①是れ、是のように、如是(一体同化の意味)②何ぞ、どうして、如何に(擬議の意味)③是れ、其の、彼の(指示語)」

「徹して自己を忘じるのみ」

「知性や概念が動き出す以前の状態に立ち返り」

何も無いから「心」に問題が起らないのです』

「修行というものも無いのが本当の修行です」

「天然の無為なる働き

「天然の作用(摩訶般若の知慧)」

自ずから本来の面目が現前するんです」

念の出る元まで早くこぎ着けることです(前後のない念がわかります)」

空の体得見性であり悟りです」

「感情と絡んで残り、心を汚すからです」

「そんな自分を丸ごと空っぽにする」

「厄介な別の我見が発生(得たつもりになったらいけませんよ)」

「知性信仰」

「心を常にニュートラルにし、絶えずゼロになった時は、クセが落ちた時であり心の正体明らかになった時である」

心の正体はっきりした自覚見性

「何もないのに作用としてある」

「心と言うているだけで心なんて別に無いのですね」

作用させるものが有ると思い、それを心だと思っているだけなんですわ」

「言葉遊び」

「宗教思想理論」

『自然に「クセ」の介入が無くなるのです』

「煩悩が無くなるとは、何者も介入する余地が無くなる事です」

「この禅の極意は手元足元にあるのです。脚下照顧です

「心」今瞬間の作用でしかない・・・実体がないということですよ(実体は何もないのです)』

「そのこと(無実体)を確認するのが坐禅の目的です」

本当の自己が分かったら、「心」に問題起らないのです』

『体得した驚くべき自覚「悟り」と言うただけです』

「特別な事では無いのです。本当のことが分かっただけのことです」

「心の悪い癖(自我をとる)(自我を殺す)」

「頭の作りごと」

「仮想の世界を真実と思っているでしょう」

『「クセ」の無い心(別に「心」など無いでしょう)』

「知性は事実を瞬時にバーチャルにする(虚像)」

「これが間違いだと分かっていない」

「我見(自我)(諸悪の元)(クセ)(この厄介を取るのが坐禅修行)」

「絶対真実が目の前にあるのに・・・」

「バーチャルだから(実体がない)(知性)(心)(見聞覚知)」

「直ぐ言葉に引っ掛かる」

「自然の事実のこと」

「バーチャルで虚像であったことが丸見えになるのだ」

「知性・・・機能です(知性が悪いわけではない)」

「大死一番(無自覚状態)」

「大悟とは徹底なきなり、徹底死に切って、再び蘇生した時の自覚です」

「徹底成り切るとは、身も心も無くなり自分が無くなること」

「宇宙は時空間の様子」

「感情満足要求が希薄」

「ゴチャゴチャの心が発生する以前が本来の心です(心の無い心)」

「無いとは、無い物が無いのです(見性・悟り)」

「感覚現象にすぎない」

「感覚や心の現象に過ぎない(一切の実体が無い)(心の真相)」

無いのに囚われて感情を乱して苦しむ(迷い)」

「夢から覚めるためです」

「出たらすぐ捨てなければ・・・」

「坐禅は何も求めず何もせず何も思わず、・・・」

「菩提心が定着すると、夢も少なくなり質が変わります」

素直になれば言葉に引っ掛からないでしょう」

「無病の病」

一切を無視することが出来るようになった時、確かに自我から離れる道を獲得した」

「確かな修行方法」

「邪念がないからです」

「感性は感情であり気持ちです」

「心は何時も空っぽで五官も冴えています」

「邪念も自我も無いからです」

「全ての作用が無我であることに気が付きます」

「心を騒がせるものも縛るものも一切ありません(禅定と類似)」

「妄想妄念妄覚が起りません」

「心を束縛する物が何もないため、虚空に解き放たれてスカッとしたのです」

「禅定(心が発生する以前)(心の無い心)(無念の念)(只)」

「仏性の見を磨かずんば、・・・」

「クセを滅除」

 

坐禅を志す人へ 井上 希道

坐禅を志す人へ 井上 希道老師

 

語録のことば 唐代の禅 小川 隆

語録のことば 唐代の禅 小川 隆

「悟境」

『「即心是仏」という道理を理解したのでは決してない。「即心是仏」という事実を、我と我身に徹してイヤというほど、思い知らされたのである』

「多事(多子)(多数の事ではなく)(よけいな事)(無多子・無事・何事もなし)」

「いま、何しているの?うん、おデンワ」

「道は人様から聞くものではない」

思量を介さない自然な身心の反応自己の本分を見ようとする点、・・・」

「そのはたらきの外に別に仏をもとめてはならぬ」

「意識せず、思考を経ず、自ずからにずっとしてる作用」

「去(~しにゆけ)(洗いに行け)(喫茶去・お茶をおあがりではなく、お茶を飲みにゆけ)(下がってお茶でも飲んでまいれ)(その場では洗わない)」

「六根の運用(一切の(ふるまい)為は(ことごと)く是れ法悦(馬祖の語録P24))」

「対迷説悟、本既無迷、悟亦不立」

「造作(作為)」

「起心動念」

「任運自在(解脱人)」

「悟り(天然、自然)」

「作用即性」

「天皇道悟→龍潭」

「隋縁・任運」

「馬祖西来意(即今の自己の意)(即心是仏という活きた事実に外ならない)(平等無事)(好事〈菩提・涅槃〉はむしろ無いほうがよい)(本分事が具わっており)」

「本来性と現実性とを一体化せる実践主体を、・・・行住坐臥がそのまま仏作仏行とされるからである」

「無礙自在に立ちまわる流動的統体である」

「任運無作用」

「身心のあらゆる作用は仏性のはたらきと等置され、・・・仏作仏行と看なされる」

「自己の本来性と現実態を同時・即物的に同一視するのが、馬祖禅の基本的な考え方・・・」

「直指し、・・・ハットと目覚めさせ自覚させる処にあったのである」

「応諾・近前・廻首」

「眼不自見眼」

「〈仏(西国)〉〈覚性(中国)〉」

「覚性(霊覚)(応機接物)(揚眉瞬目)(運手動足)(自己霊覚の性)」

「禅とはこの性を見ることに外ならないのである」

「只這是(只だ()(なる)のみ)」

「南岳石頭」

「出家の師・開悟師」

「脳(こうべ)」

「只這箇漢是(只だ這箇(この)漢こそ是れなり)」

「渠(本来人・主人公)」

「(不一不異)(如々)」

水の偈

這の岸を離れて

未だの岸に到らざる時

(迷と悟の中間)(自己の不一不異の姿)」

「那箇尼(アレは)」

「那箇(去声アレ上声トレ)」

「(~尼)(~)(~は?)省略型の疑問文」

「(渠)(伊)(他)唐代・口語における第三人称の代詞(本来人)」

「渠は我に似ず、我は渠に似ず(薬山)」

「渠は今正に是れ我、我は今渠に不是ず(洞山)」

「無相の自己」

「我れ若し打たざれば、諸方我を笑わん(馬祖)」

「汝に仏性無し」

「自心を証らしめ(証自心)」

「馬祖・黄檗の一心の法」

「論理的・概念的思考を奪い去り、・・・」

「解会を生ずる人、・・・」

「性在作用」

「鑑覚聞知」

「作用即性説」

「赤肉団(肉団心〈心臓〉)」

「作用是性」

「それ(身心の作用)」

「肥ダゴ・臭皮袋・飯袋子・肉体の蔑称」

「仏性(全体の作用)」

「貪瞋痴等の煩悩すべて仏性(全体の作用)なのだというわけである」

「心」の本体虚空のごとくであって、いかなる形状位置も有しない』

「途中(錯雜する現実世界)・家舎(本来の家郷)(本来性の世界)」

 

語録のことば 唐代の禅 小川 隆

語録のことば 唐代の禅 小川 隆

 

禅話のひろい読み

「心の働き」

「空中無色(空の中に色は無い)」

『正師家は「身心脱落し来る者に「脱落身心」の()(はり)を施(宮崎慈空老師)」』

「作麼生(そもさん)(どういうことか)(生は助動詞・接助詞)」

「助辞?・終助辞・副助辞・接続助詞(か・を・に)(の・と)意味関係を示す」

「五辛(韮にら)(薤らっきょ)(葱ねぎ)(蒜にんにく)(薑はじかみ・しょうが)」

「具足戒(男二百五十戒・女三百四十八戒)」

「澤法眼」

「六道界(三界・界内)(欲界・色界・無色界)・四聖界(出三界・界外)」

「契悟(かいご)」

「手段禅(看話禅・念仏禅・礼拝禅・読経禅・横臥禅)」

『七仏「毘婆戸仏(びばし)・尸棄仏(しき)・毘舎浮仏・拘留孫仏(くるそん)・拘那含牟尼仏(くなごんむに)・加葉仏・釈迦牟尼仏」』

「四輩(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)」

「三帰戒(仏法僧)」

「五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)」

「六時(昼の三時・晨朝・日中・日没)・(夜の三時・初夜・中夜・後夜)」

「念に化かされることが無くなった(鈴木 正三)」

悟りを自由自在に使っていることがわかる(朴魯禅談集)」

「有りと見て無きは常なり水の月。

無しと見て有るは常なり水の月。」

「禅とは今の様子(松本自証)」

 

『章敬の懐惲に或る僧尋ねて曰く、

「四大五蘊の身中、阿那箇か是れ本来佛性」

章敬、及ちその僧の名を呼ぶ。

僧、應諾す。

章敬、良久しうして曰く、

「汝、佛性なし」

(伝燈録巻七)(臨済の基本思想 鈴木 大拙)』

 

『洞山の過水の偈

我今獨

處處渠。

渠今正是我。

我今不ニアラ。』

 

「天円地方(天丸地四角)」

「紙上談兵(机上空論)」

「古帆密参録」

「挨拶、(あしらい)答、饗宴(もてなし)、柔和たるべし」

「見かけの因果律」

「価値低減傾向」

「洞山(しゅ)(しょ)(洞山三頓の棒)(始祖洞山良介別人物(無門関十五則)」

 

『白隠

「生死(死生)を二ツニミテヲル」

「白隠ナラバ、ウヌハ生キテ居ルノ死ンデ居ルカト云ハン」

「秘シテ云ハヌト思ッタ、バカメ」』

「心塵脱落」

「華厳・唯心偈・心如工画師。画種種御陰。・・・心造諸如来」

「心性を徹見せん」

「不昧(因果を(くら)まさず)(因果は免れられぬのじゃ)」

「霊心性元空去来、幻化空身有生有滅」

「賊機(奪い取る・奪い去る・思慮を奪い

取る)」

「自我なく受け取る」川上徹宗

「自分があれば他がある」

「自我がある・葛藤・苦しみ」

「問うな、学ぶな、手出しをするな(白隠)」

「釣語(索語)」

「三要三玄(室内の詮索)(足利紫山))」

「ありがまま、ないがまま」

「機心(からくりこと)」

 

『「心経抄(正眼国師・盤珪禅師)

「大知慧到彼岸自心」

「無心・無念・無相・無作・無為」

心と名づけたるなり」』

「一体(今現に一体である)(一体の定義)」

「今しかない」

鑑(鏡のように照らす義)(鑑覚の病)

 

禅話のひろい読み

 

音声法語 井上 希道老師

「知る事じゃなく、忘れる事」

「念も感情も入れず只素直にやっておればよい」

「あったというだけで今はない」

「執着から脱却する余地がない。執着しようがない」

「心はもともとカラッポで何もない」

「目的を持たず一生懸命やる(本真剣)(一心不乱)」

「執らわれて分別に走る」

「自己の身心他己の身心とを脱落せしむ」

「飛び歩く前の所に心を置く」

「何にもしない」

「心境・境涯」

「執われの元は自我」

「自我の本質はない」

「言葉の世界に居る限りわからない」

「役に立たん」

「引っ掛からなければ良い」

「淡々とやれば良い」

「無心に判斷すれば良い」

「様子を言っている(歩く・呼吸)」

「準じて任せておけば良い」

「禅は文字・概念を離れる世界」

「道元(十三~二十八歳大悟)」

「言葉以前の世界」

「バーチャルに執われて」

「言葉に執われた世界」

「言葉から離れる為に」

「探さない」

「分ろうとしては駄目」

「思う必要がない・捨てる必要がない」

「前後の念を忘ずる(自己を忘ずる)」

「執われる根源の自己」

「自我があって執われば・・・」

「知ろうとして、分ろうとして、・・・」

「理屈で知ろうと捨てないと」

「子供は言葉の概念を知らない」

「符牒」

「考え・概念を捨てる」

「耳のままの事実」

「出るままに任せてついて行かない」

「禅の奥義(何もかも捨てる事)」

「無心(何もしない事)」

「わかろうとするのが邪魔をする。やるだけ」

言葉で味を伝えられない食べさせる事)」

「別に捨てんでも次の瞬間消えている(説く人もある)」

「念というものはあって無いものだ」

「心の本質(勝手に出て消えてゆく)」

「法だけ説く」

「そのまま悟りを説く」

「カアカアはカラスにならず、カアカアはカアカア」

「反応するというのははなれている」

「お地蔵さんになって居れば良い」

「淡々とやる」

「考える事が止められた」

「屁理屈言うから解らなくなる」

「概念から離れ、思考系から離れ、何もしない、するから解らなくなる」

「言葉の概念を取り上げる」

「これは、これ」

「法(事・事実・万事)」

「考え・概念を捨てる(有りの儘・事実)」

「音を音として自覚しない」

「縁に応じて」

「次の今で消えていく」

「出るままに任せる」

「出る余地がなくなる(自己を忘ずる・三昧)」

「心というのは、ぽんぽん出て消えていく」

「執われないと云う事、反応しない」

「余念の入る余地が無い」

「反応しない(只見)」

「除かなければならんのだから、それを取る為に修行がある」

「一息を守る。捨てて捨てて捨て切る。捨てるものがないんだよ」

「捨て方を教えてくれる」

「解らせてくれる。解ったから言って、・・・」

「法(万物の働き)」

「縁より悟入する」

「文字・言語じゃダメ(振り回されてしまう)」

「感覚から知性へ(熱いから・・・)」

「仏性は自分自身の心を解明すること」

「言葉・思考系・分別から離れなさい、知性を用いるな」

「言葉を超える。概念を超える」

「悟るまで一端止めてしまえ」

「一切捨てること」

「拘る自我を取る」

「知性・概念から離れる・脱却・超える・殺す」

「一つに成る(純一に成る・正念相続)」

「只の働き」

「心とは空にして自在」

「只聞いとけ(縁に任せて)」

「境涯だめし」

「言葉で構築された」

「法(働き)」

「語句を追うこと勿れ」

「一つに成れば余念が入る余地が無くなる」

「何にもない状態」(正念)(禅の入口)(禅定)(雑物が無い)(只管)(一心)(余念が無い)(無心)」

「心を移す余地を与えない」

「言葉を持ち出す自我」

「事実の世界」

「考える用が無い(カラッポ)」

「其の儘悟り」

「これがこれ・それがそれ」

「言句に執われると何の役も立たない」

「縁の寄せ集め実体が無い」

「心の様子を会得する」

「一瞬の働き」

「心を一点に置いて心を動かさない」

「空っぽで縁に応じて・・・」

「はっきりさせることを悟りという」

「頭を持ち出すな」

「相等心境が進まないと」

火事は火事で事実、病人は病人で事実。なれど火事は消し、病人は治さねばならぬ、用がなければならぬ

「空の丸出し・無の丸出し」

「念の元を解決するしかない」

「解釈本(読み方が変わってくる)(参師聞法)(祖録から離れない)」

「一点に置く力」

「一つ心の様子」

「縁に応じて只あれば・・・」

「有縁を追うこと勿れ(見聞覚知)」

「何でも作務(禅・坐禅)」

「無いのがはっきりする(無いものを求めても何も無い)」

「縁に任せてやるしかない」

「畢竟今しかない、はっきりすることが悟り」

「くだらぬことを考えているか」

「木石(感覚自我がない喩え)(自由底)(木石になり石女になること)(生きながら大死一番)」

「特別に悟りがあるわけじゃない」

「意あれば自己不救」

「心に取り上げて問題化する」

「文字面だけ解釈」

「味元々ない(出会い)」

「悟りとは一切皆空」

「あったという事実はあったが、今はない」

「思う必要もなし・考える必要もなし」

「縁のままにらしく」

「余物を加えなくて良い」

「三不能(道心の無いもの・無道心・世知弁才・無記)」

「見性の一大事のみ」

「今は一つの事しか出来ない」

「分別が雑念を作る」

「頭を使わず縁に従う」

「言葉として受け取るからキズつく」

「その時の様子」

「求めなければ得られない、求めれば得られない」

「引っ掛け言葉」

「無我の働き」

「我見が入る余地」

「今、何やっていますか、いらんことを言う」

「何を問われても事実が証明している」

「今の事実。これが法」

「事実に捉われない」

「機能を持っている」

「法(差別)」

「諸法無我(法は無我)」

「人間も無我」

「こちらが空っぽになる、人間と物とが一体となる」

「思ったってしようがないから、思わなくなり、歩くだけになり、雑念がなくなる」

「自我を取る」

「拘りを離れる」

「縁に任せてあるだけ」

「機能しているだけ」

「只見るだけ(鏡)」

「無我の働きをしているだけ」

「煩悩を起こさん(執われる心を起こさん)」

「説けない」

「わからんことが解った」

「観念現象が実体を動かす」

「頭で作ったらダメなんだ」

「言葉から離れる」

「気持ちを捨てる」

「心の発生する前に居ること」

「熟し切って落ちるまで」

「煩悩の空なること」

「無分別の分別(無心の心)(空っぽの心)」

「仏とは空っぽの心」

「今の事実(今の縁に成り切る)」

「自我は空、本質はなにもない」

「引っ掛かったら地獄」

「妄想の世界、つくり事の世界」

「大悟する一歩手前に数年かかっている(釈尊)」

「文句の付け様がない」

「自我が取れた処の消息」

無の眼耳鼻舌身意」

「一つのわずかな気付き」

「出て来る以前におれるように・・・」

「無位自然(はからいなく)」

「大捨すべし」

「今、余念無くやる」

「欲の心が無くなる、心が楽になる」

「勝手に出て来たら、放っておけば良い(心の波が治まる)」

「意無くして縁のまま」

「無我の連続が大悟」

「念の出る前にいたって・・・」

「縁に従い切る事」

「言葉を覚える前の世界」

「一念心の正体(無自性空の体得)」

「捨てる法なく、得るものはなし」

「黙然として坐る(何にもしない)(持ち出さない)(探し出す)(一途にさせる)」

「思ったらさっとやる」

「出たものは必ず滅するようになっている」

「着眼点が分かればそれを守るだけ」

「思っている暇が無くなって来ただろう、ただ」

「観念やイメージを作り出さないこと」

「縁に従い去る・縁に従い切る・成り切る」

「イメージを一切出さない」

「仏性を持っている。それを見つけ出す」

「分かろうとするから」

「分かろうとするから、分からない」

「これという言葉を抜きに・・・」

「言葉が分かったからと言って、解決が付く訳では無い」

「執らわれる(煩悩)」

「頭で坐禅するのでは無い」

「修行とは体で行じること」

「無我になっていく道(徹する)」

「言葉から離れてくる」

「平等と差別が仏法」

「心があって、心が無い世界」

「生まれる前の世界・死んだ後の世界」

「心を持ち出すな」

「体得する世界(行ずる)」

「無視したらいい」

「言葉に支配され」

「縁のままに、素直に」

「今に執着なし」

「イメージを捨てる・概念を捨てる」

雪は白とも黒とも云わず、雪は雪にして雪にあらず」

「私がカアカア云ふとカラスですか」

カアカアはカアカアであり、カラスでは無い

「雪は白とも云わん」

「ミカンと云う言葉の世界」

「これはミカンともリンゴとも言わん(アップル)(呼び名)」

「さあやって見せろ、やって見せろ」

理屈が分かっても力にならぬ。体得せぬと」

「余念を入れぬ姿(仏道修行)」

「飛び回る癖が取れて来る」

「何にも思わず、縁に従ってサラサラ過ごす」

「一つ一つが縁の様子」

「縁のままに任せて(自己なし)」

「手段・方法として呼吸に心を置け」

「こちらの計らい事をやめよ」

「今の一瞬しかない」

心も縁によってパッパパッパ出てきているだけ」

「思念・想念に捉われている」

「知的行為」

「無自覚(死)(生きていながら死)」

「諸仏の位に入る」

「言葉から離れる・概念から離れる・言葉の範囲から離れられぬ(只見ているだけ)」

「余分な念を加えないように」

「連続しなければ・・・」

「空っぽの心・念の発生する以前・思惟しているのではない」

「素直に一息さえしていれば良い」

「因果に任せ切った」

「・・・も怖くなくそれも縁であると・・・」

「生きるのも事実、死ぬのも事実、様子が違うだけ

「余念なく」

「構えなしが隔てなし、何も持ち出さず(楽になる)(超越してきた)」

「過ぎたことは皆夢」

「今に徹する」

「前後際断」

「念は点みたいなもの出れば消える」

「自我を滅しなければ・・・」

「禅(一つになる)」

「無明(光明)」

「見る自分があってはならぬ(只見る)」

「何もしない所を守る」

「努力しないから結果が出ない」

「理屈の人、道理の人、頭だけの人」

「知識の拡大をして物知り」

「理屈だけ言う」

「眼や耳は事実のみ」

「心というものも無い事が分かる」

「一念心の正体」

「考えながら、観察しながら、自己運んでいる」

「自我が発生する」

「ないものを求める。なかったと本当に知る」

「出なくなくなってくる。弱くなってくる」

「一呼吸半歩(拘る必要なし)」

「大疑団(臨済宗)」

「縁に素直に随いなさい」

「仮りの様子が実相」

「何にもない、それだけ」

「何もないよ、ありのままですよ」

「空っぽになるように坐禅しなさい」

「本当に空であるとわかったとき(悟)」

「差し挟まずに」

「考えない努力をする」

「知性を持ち出さない努力」

「善になったり、悪になったり」

「何もしないことを努力する」

「努力しないことを努力する」

「自我が空なること」

「一念という縁」

「空の働き」

「空っぽのサラサラした・・・」

「空っぽの今だけを大事に・・・」

「出たものにラベルを貼ってしまう」

「価値観を超えちゃっている」

「考えない努力(事実だけになる)(自己を忘れる)」

「目的を持たない」

「禅定(心の発生する以前)」

「何にも考えないのが一番楽」

「煩悩にならなくなった」

「縁に随い去る」

「わからんことは、考えてもわからん。考えることをやめる」

「心を使わんようになる」

「我を忘れる(思考の機能の外)(イメージ作用・知性作用・概念作用)(思考の根源は空である)」

「本性を見極める(見性)(本性とは今の一瞬の念)」

「無我(一心不乱)(ある形になって心のどこかにあるのではない)(我を忘れてやっている)(妨げがない)」

「無記(三不能)」

「安心する為の仏法(禅)」

「世界を平和に(自分の手の届く範囲)」

「仏法は自我を滅する法」

「何にもないものを確かめる、確認する」

「いらんところに観念が入る。呼吸だけしとれば良い」

「本当に今に目覚めるのが悟り」

「事象」

「後先がない(悟り)」

「心の働き(煩悩)」

「自分の見方・考え方をすぐ入れる(言語)」

「見ている様子と違う見解なんです」

「この通り見えるだけ(考え方を入れる)(直に触れる)」

「思わないようにする。出ないようにする。(間違い)」

「今のこの様子だけに用がある」

「分別心を離れて自分に触れる」

「理解しているだけ」

「思いの上だけで生きている」

「考え方じゃなく実物に学ぶ」

「思いを相手にしない(思いを相手にしている)」

「概念の束縛の外に出る」

「義でわかっているが実がない人」

「煩悩の発生の元に到着しなければ」

「本当のこと(一切皆空)」

「縁がなければ何もないのと同じ」

「今今の流転だけ」

「只を会得した時が悟り」

「ないということがある」

「悟ったという煩悩がある」

「心を動かない世界」

「一切衆生、悉有仏性、草木国土、悉皆成佛」

「自己の仏性に目覚めることが肝要だ」

「栄枯盛衰・利害得失・喜怒哀楽・取捨増愛」

「只縁のままに」

「悟る(一心を極めること)」

「頭の作り事」

「余念を加え無ければ」

「389は何ぞや・389・(何だろうか?)(どうしてだろう)(何だろう)」

 

音声法語 井上 希道老師

 

KB会 渡辺 充

2013・07・29 十牛図他(二回目) 

自分(概念)が生まれる」

「自分というものを作り上げる」

「分別を起してバラバラにしている」

「自分というのは抽象」

「元々問題が無い。気が付かない」

「現在は問題無い。過去と未来が入ると問題になる」

「分別が邪魔をするから、気が付きにくい」

「自分というものがあると思っている」

「それが抽象とわかると問題なし」

「私の脳みそが有るのではなく、脳みそが有るのみ」

「見性=悟り」

「宇宙の運動なんだ」

「分別しないから・・・(対立しない)」

「見牛=見性」

「遠くに牛を見る」

「得牛=大悟徹底」

「見牛はもとに戻る」

「完全なる空」

「体(八)相(九)用(十)」

「無心(二念を継げず)(正念相続)」

2013・07・29 十牛図他(二回目) 

 

2019・9・23 人はなぜ楽になることを追い求めるのか

「葛藤が苦しい、つらい」

「自分をつくる(葛藤が起ってる、解消しようとする)(解消出来ないと悩みが生まれる)」

「問題発生は自分(事象事実はある)」

問題を作り上げない

「現象世界にあるのではない」

「自分を持ち出さないので問題にならない」

考えないとしようとするのは逃避

「自己の存在」

悩みと闘わなくなる

「悩む時は悩み、悩まない時は悩まない」

「何にもしないことにつきる。今この時にしている」

困った時は困る

「心理的問題があってもいじらなくなる」

「苦業から楽へ、元々楽だが苦楽を作る

「活動をやめることがむずかしい」

「身体を静めることで、心を静める(坐禅)」

「現象面に悩みがあると思っている」

「悩みは自分が作って、自分で悩んでいる」

「悩みに変わる。解消しようとする

「悩みの解消しようしなくなる

「自己が落ちると悩みが消える」

「悩みにならない(現実的になくなる)」

「現象だけが残る」

「自分の外にあるわけじゃない」

「不快な感情だから排除しようとする

「逃避するんだなあ」

「作為的になにかしている」

「消えた」

2019・9・23 人はなぜ楽になることを追い求めるのか

 

2019・10・21 思考の波が小さくなる

「思考とは感覚」

「思考ー思考者」

「思考が落ちれば思考者が落ちる(自己を忘るるなり)」

「ムー(思考が入らない(無字だけになる)(思考者がいなくなる))」

「人空・法空(客観世界が落ちる)」

「対立観念が起きない」

「自己がないよ結局」

「主体がない」

「抽象的に闘う」

「悟りの定義」

「自覚しようがしないが悟っている」

「自覚することの悟り」

「自覚のこと」

「因縁=空」

「人間機械論」

「作・反作用(バカヤロウーコノヤロウ)」

「感ずる主体はない(感じるのは事実)」

「思考(感覚)」

「思考(思考者)」

「思考者(思考)」

「自分がない(あらゆるものは自分になる)」

「自分という感覚がなくなる(自己の身心)(身も落ちる)」

(他己の身心)自・他(己)」

「人空(自分が落ちる)・法空(客観性が落ちる)」

「ただある(対立関係が起きない)」

「自己がないということ」

「主体がない」

2019・10・21 思考の波が小さくなる

 

2019・11・15 悟る為の手段比較

「主体がある気がする」

「思考の停止」

「満足如何いかんから・・・」

「今悟っていることを気づく」

「悟るよりも悟る後が大変」

「私なしで喋っている。水を飲んでいる」

「概念なくやっている、それが悟りなんだよ」

2019・11・15 悟る為の手段比較

 

2019・10・17 お気楽ZENN

「今生きている」

「将来のことは無い」

「実物は一つ」

「混乱しているだけ」

「身心の動き」

「遅れて認識している」

「認識の前に体が動く」

「認識は遅れる」

「知は実物に触れていない」

「概念と実物と違う」

「事象(実相)」

「無いものを有ると思う」

「対象が出来ると自分が出来る」

「困った事実はあるが悩みはない」

ずーと悟っているのに・・・

「自己を立てて、公案は惑わす」

「思考が悩みを作った(一人相撲)」

「事象があるだけ(問題があるだけ)」

「主体無きものが寝たり起きたり」

「問題をそらす」

2019・10・17 お気楽ZENN

 

2019・12・14 お気楽ZENN

「対象化が迷いの根源」

「これ何だ。対象が発生する。自分が発生する」

「ほとんどの時間は対象化していない」

「日常生活は、ほとんどのことが悟っている」

「無意識で考えている」

「思考で真理を求める」

「後は皆概念・イメージ本当だと思う」

「自分は考えた時にあるが、考えないときはない」

「起きて夢を見ている」

「自分の行動にブレーキをかける(引きこもりになる)」

「思考能力の低下(本来の面目)(思考前)」

「思考能力を押さえ込める。(スッキリする)(思考能力の低下)」

「考えなくても事実はある」

「思考は後付け」

「迷ってるのは頭の方」

「自己を立てて考え方を用いない」

「天然の思考(金子閑道)」

「自己を捨ててどうでもいいや。やけくそになる。(自己の放棄)」

「問題と自己とに分ける。聞こうとする自己とに分ける」

「認識の主体がないことがわかる。認識だけ」

「抵抗が大きいことが不安」

「思考と自分の対立(葛藤)」

「不快(怒り)苦痛」

「欲望(苦しみ)」

「緊張感は身体に現れる」

「顔の緊張が落ちる」

「空っぽの精神が大事」

「ガス抜き」

「瑕は付かない自分になる」

「無垢・無邪気(瑕付かない)」

「心理的な苦痛はない」

「こうあるべき自分をつくる」

「心理的な問題から解決できる」

2019・12・14 お気楽ZENN

 

2019・12・27

「自分は一体何物なのか?。答えられない。論理の問題。概念化されない」

「証明されないことが、証明されている(ゲーテル確定性定理)」

「思考が静まりかえる」

「只(自分がない)(働きかけない)(働いているだけ)(我がない)(即だに我が出る)(外から見る)(外からながめる)(出る前に止めとけ)」

「全体を自分だと感じる(体験)」

「自己の不死をはっきり見た」

「」

2019・12・27

 

2015・08・26自我とは何か

「現象界は一つの抽象」

「二つに分かれてしまう(色・空)」

「分別を起こすということは我が出ること」

「主体はないが後で主体をつくる」

「意(思考)」

「思考があると思考者があるように思う」

「自分は思考ではない。思考者がある感じがする(自我)」

「自我の生成過程」

「感じる」

「思考者はいない」

一つのものが個々に現れている」

「現象界はバラバラだが一つのものが現れる。一つのものだから死なない」

「貪瞋痴が引っ掛からない」

「自我がない」

「確認できない。無いんだから」

「個人的問題を一切なしで生きる」

「生と死、同時であり得ない」

「二つの対立ものは同時に存在出来ない」

「中道(分別起こさない)」

「対立概念を持たない(無我無心)」

2015・08・26自我とは何か

 

2019・11・28色即是空と縁、等

「自我が空と見えない」

「事象があるだけ」

「主体を立ててしまう」

「自と他を分ける(自他の分別)」

「世界がバラバラに見える。」

「自分がない。己別がない。分けられない」

(あたか)もあるが如く。実体は無い」

「全体が動いているだけ(全体運動、個別では無い)」

「体と自分を同一視してしまった」

「自分のことを知らないことを知らない(自分のことを知っているような気がする)」

「主体を立てる」

「主体があるように感じる(自我)」

「意が(から)むと自我が起こる」

「自我は思考過程の産物」

「一過性」

2019・11・28色即是空と縁、等

 

 

     ・・・・

     ・・・・

「五感の働きが存在して・・・実体はない」

「開放してコントロールしない」

「見てる世界が私」

「思考の対象を感情にしてしまう」

「日常の問題と直結しない」

「私が消えるはず」

「私のない状態に気が付けば終わりだ」

「怒り(嫌な気分)(自己が生まれる)(自我)」

「観察者は観察される物(AがBを観察するとAがBである)(Aが何かに観察されるのとは違う解釈)(観察者は同事に観察される物とは違う解釈))」

「自分のことを体だと思い込んでいる」

「私が悩んでいない(悩みが私)」

「見ているものがないんだ」

「ギャップがなくなる」

「思考者がいるような感じがする」

「思考者の不在」

「思考があるだけ」

「体が持っているという実感がなくなる」

「自我=(観察者の不在)」

「聞いている主体がない」

「思考者はいない」

「意識は只流れていくだけ(気付きを悟りと名付く)」

「自我がうまれる」

「主体を作る」

「無我・環境と一つ」

「自我意識(アイデンティチィ)」

「私は体じゃない」

「意識が自我を立てる」

「実体があると思う(じが)」

「自分の体だと誤解している」

「五感は起こさない」

「思考は起こさない」

「思考している主体があるように思える」

「考えがあるだけ。考える主体を作り上げる」

「死ぬものはなかった」

「自己に不在・自我の不在」

私という実体がある感じ、ああ無いんだだと気が付ければ・・・その一点だけ」

「エゴは思考から生まれる」

「エゴは考えの産物」

「思考が作ったものと思考がわかっている」

「見るだけでは私はない」

「心の動きが見える、それが自我」

「思考と思考者」

「思考が思考者があると思い込んでいる」

「私が出て来る(考えが浮かんでいるだけ)」

「実体だと思い込む(エガ・自我)(生死が発生)」

「思考が無ければ思考者が生まれない」

「無いものを在ると思い込んでる」

「我を忘れたい」

「自我の存在に気が付かない」

「思考過程が入る」

「無い状態を人為的に作り上げていく」

「自我意識が静かになる」

「思考が落ちた状態」

「フィット起きた時にフット気が付く」

「自己イメージ(自我)」

「時間は抽象」

「数字の123は抽象」

「ないと云う事を知っているから問題を起さない」

「即今がズート続いている」

「永遠とは今」

「未来は想像」

「自分は只の記憶」

「自分に抵抗あるかぎり落ちない」

「自己がなかったと気がつく」

「昔の不安とか未来の不安とかあるのではない、今の不安があるだけ」

「人為的に意図的に思考が落ちた状態」

「思考者の不在を思考が見る(悟り・考えるな)」

「思考のない状態(注意を向ける・集中している状態)」

「思考が思考を見てると、思考が落ちるとフト気が付く(身心脱落)」

「思考が落ちた状態(三昧)」

「思考が落ちる・落ちた(自分がないと気が付いた)」

「自分では気が付かないけど、我が落ちている」

「言葉やイメージがないとこれが生まれない(死の恐怖が生まれる)(脳みそだけのこと)(いやな感じの私が生まれる)(死の恐怖から私が)」

「思考が気が付く(悟り・見性)(いないと気が付く)」

「対象が残ってしまう(気が付かない、見性しづらい)」

「対象が変わる」

「我が落ちてることを知らない」

「気が付くと悟り(我がない)」

「不幸を消すことが幸せ」

「成り切ったら無為になる」

「何もしないのがめんどくさい」

「自分を忘れているのがうれしい(自我がない状態)」

「無記(善悪がない)」

「自我を持って不在とわかることがさとり(子供は悟れない。自我を持たないから)」

「自我の不在に気がつく(悟り)」

「言葉やイメージがないとこれが生まれない(死の恐怖が生まれる)(脳みそだけのこと)(いやな感じが私が生まれる)(死の恐怖から私が生まれる)(排除したいと思う)(恐怖に成りきればよい)(恐怖に成り切れば恐怖が無くなる)(基本的には逃避なんです)」

「単なる思考の性質」

「絶対的に消えない恐怖」

「私は捜せないがある感じを持つ」

「私があるという感覚しかない感覚があるだけ)(主体がない)」

感覚があるだけ、だから無い

「私が無いという時、世界は客観のみ」

「自己同一性(アイデンティテー)」

「考える・感情(感覚)」

「思考(言語化した感覚)」

「意識も感覚」

「感覚を感じている主体は無い(自己は無い)」

「自我の根源は思考にある」

「自我を生まれない」

時間が実体としてあると思っている(間違い)」

「過去・未来も無い(即今しか無い)」

「過去も未来も自分が作っている」

「過去と未来は即今にある」

「始まりない終わりなし(永遠)」

「今は始まりも終わりもない。即今が永遠」

「即今(過去の終わり未来の始まり)」

時間がもともとあるわけじゃなく、作り上げている」

「運動の仕方が変わる(光のスピード一定前提)」

「物の運動を表記(時間)」

「自我そんなものが無かったと自覚すること」

「時間を仮に導入する」

終わった事は捨てる(人生が遊びに変わる)」

「幸福を求めないのが幸福」

「死の恐怖から脱却できます。実践的にも理論的にも」

「悩み、心配が消えた状態(幸福)」

「自分(未知)」

「自己イメージ(自己)」

「自己イメージをガードする」

「いつも幸福の状態にある(逃避をやめる)」

 

KB会 渡辺 充

 

禅もう迷うことはない!(ニコニコ動画より 井上義衍老師)

禅もう迷うことはない!(ニコニコ動画より 井上義衍老師)

 

不思量というのはね

音があるのは皆の考えに関係ないでしょう

非思量でしょう

ただそういう音があったんです

 

思量を離れ「ただ坐って居ればいい」という概念で行くと違うんです

思量で非思量、不思量という概念を作ったんですよ

 

本当にやる人は方法論も何もないのです

要求のまんまに素直にいくのだからね

方法論何も素っ飛んでしまうんです

 

人の見解さえ用いなければ

ただ見ているだけ、あるだけで行くように出来ている

 

問題が無くなれば自然に真実しか残らない

何もかも皆、真相なんです

どう思ってもどうやっても皆真実だと言ったら

それならどうしようもない

そうなんです

すると煩悩というのは、絶えるのです

自分で今までどうにかしなければならないと思っていたものが絶えるんです

 

全部真実だから

皆自分の在り方を知らないから

この「私」という概念をもて余して

どうしたらこれが満足できるかという事を要求して、やっても、やっても、何をやっても効果がないから余計無茶苦茶をやる

 

哲学などをいくら研究したって

本当に人が救われることはあり得ない

知識ですから

 

本当は自分の真相を本当に知りたいということが、結論じゃないのですか

 

迷っていると言ったって

悟っていると言ったって

私たちの認識というのは活動するように出来ている

 

物心付いたという事は一口に言ったら

迷い始めたという事なんです

 

人間がこれ(身体)を勝手に私と思い込んでそしてそれを使い始めたんです

それですからそこで自分の実質を失ったんです

それすら分からないほど人間は混乱しているんです

 

観念的な立場にいる者をその観念的な、取り扱いをするものから

いっぺん離れなければいけませんよということがある

 

在るものが在るがまんまにというと

在るがまんまにという態度を作るからいけないのです

 

観念的な存在以外に身を知ることが出来ないからそれを一切止めなさい

 

真の宗教というなは

考え方で考え方を慰めるような教えではないという事です

 

一般にいったら一番役に立たない道です

その一番役に立たないものが一番役に立つ

それが座禅なんです

 

何もしなくてもということはですね

人間の考え方でひねくれる道ではないんです

頭で夢を見させるんだからね

夢で夢を生んでいったら

実物はどっかえ行ってしまうでしょう

 

無念というと念を無くすのだと思う

そうじゃないんです

これが念ですという種はないんです

始めから今「思う」といったて

何がどこでどう「思って」いるんでしょう

思いを無くすのではなくて

ただそういう事があったり無かったりする

それを無念という

 

浮かんできたものを、

取り除こうとか何とかいう事を、

いっさい止めさえすれば良いんです

それが奥義です

 

なりたかったら、ならうという事を止めなさい

やっている事は、やれているんでしょう

ことさらに思ってまたやろうとするから

それで出来ないのですよ

 

徹底的な「安心」というものは出来るものではない

何故かといったら

理性自体が自分を許さないのだからしようがないでしょう

自分の本心が自分を許さないのだから

 

自分を本当に捨てる唯一の道

それを坐禅と言ったのです

頭でやっていたという事が分かるんです

身体がやっていない自分を見付けたんです

 

禅もう迷うことはない!(ニコニコ動画より 井上義衍老師)

禅もう迷うことはない!(ニコニコ動画より 井上義衍老師)

 

井上 義衍 老師語録 抜粋

「意(心はものが思えるように出来ている)」

「考えの中にいるだけ」

「坐禅の本質(一切のものを無条件で、そのまま受け入れて、なんともない人になるんです。)」

「只、そのことがそのこととしてあるのみ」

「不思量とは事実の生活の様子です」

実体というのは、今の自らの様子在り方だけです。」

「人間の認識というものを一度離れませんと心の根源というものが、どうしても見つかるものじゃないんです」

「理解しようとする。それが、そもそも間違いである」

「事実を事実のまま示されている」

「影が生じて、何か正体らしきものがあると思うから、・・・」

私がないから死ぬ対象がない」

井上 義衍 老師語録 抜粋

 

井上義衍老師 悟りの真相 抜粋

「本当に落ちると周囲も自分もあるもんじゃないんです」

「人も物も本当に無くなってしまう時節があるんです(人法(とも)に忘ずる)」

「自分の我見、見解を捨てるその力いかんによる」

「考える習慣をとにかく止めて、手を付けないようにする」

「真相でないものはない」

自我心が死んでしまってみると、これは(身体を指して)法として存在している事が自覚できるのです」

「法身覚了すれば無一物(永嘉大師)」

「本源自性天眞佛」

井上義衍老師 悟りの真相 抜粋

 

工夫は唯だ人我の見を離る 見を離るるの機要 

内、虚にして 外、事あるのみ 

是れ人我を離るるの道 これ坐禅の玄旨なり(井上 義衍老師語録)

 

「得たものは初めからないのじゃ。備わっとるよ」

「釈迦の知った世界というのは、息をするこの根源を明白にしたんじゃないか」

「それは作った世界だ」

「知と意を扱いさえしなければ、・・・」】

「もう何にも求める事をやめて、このままでおれ」 百家の逸話 井上 義衍老師老師

 

自心を究めるとは自心を忘れることである(成り切る事である)」

縁のままに「只」やれる

ただ自分の思いにとらわれていたに過ぎない

言葉に実体も跡型もないことが判明する

「解っておることと、体得したこととは無関係じゃ」

ほど白い物は無い。分かるか?

宝境三昧提唱 井上義光老師)

 

何もしない(心を空っぽにしてやる)(井上 希道老師)

「坐禅修行は自我・我見を取って『仏性』を体得するのが目的です」(十牛図提唱ネット)(井上 希道老師)

「解ろうとする・ほっとけばすぐに消える」

「これがこれ・それがそれ」(井上 希道老師)

「言葉の世界に居る限りわからない」(井上 希道老師)

「子供には煩悩はない」

「子供は言葉の概念を知らない」

「考え・概念を捨てる」

「心なんて別にない。働きとしてあるだけ」

「反応するというのははなれている」

「概念から離れ、思考系から離れ、何もしない、するから解らなくなる」

「考え・概念を捨てる(有りの儘・事実)」

「無いのがはっきりする(無いものを求めても何も無い)」

「求めなければ得られない、求めれば得られない」

「禅定(心の発生する以前)」

「本性を見極める(見性)(本性とは今の一瞬の念)」

 

(井上 希道老師)

「自己の身心他己の身心とを脱落せしむ」(井上 希道老師)

 

(学道用心集 提唱 井上 希道老師)

「理解するのと違います」

「言葉だけの説明講釈師」

「心や念は本来何処にも無いからです」

「一切皆空を本当に体得する」

「打発にまで到らない」

「理屈で分かる世界とは違う」

「法理が分かると、到り得た積もりになる」

「禅の心得は、心の中に取り込まない事です。取り込まなかったら捨てる用もないのです。捨てる物もなく、捨てる作用も無いのですよ。」

「我を忘れることです(禅の要点)」

「何処にも無いのに、縁に応じてはっと内発する。これが自我であり隔てであり心です」

「発動する元が空だと分かりますから、・・・」

「仏法の理が幾ら分かっても、拘りの元が取れるものではありません」

「仏を出して見せよ、・・・ひょいと自分の指を立てた」

「頭で求めていく世界ではない」

「念の元、心の元などは何処にも無いから、・・・」

「悟りも仏も無いのが真実の世界です」

「事実には煩悩など何も無いからです」

「本当に我を忘れきって無くなると天地と融合し、事実によって再び呼び覚まされる時総てがはっきりするのです」

無我の正体が手にはいるのです」

(学道用心集提唱 井上 希道老師)

 

(普勧坐禅儀 提唱 井上 希道老師)

「概念の連鎖に従って論理の世界に落ちてしまうのです」

「念の連鎖、概念の連鎖が問題なのです」

「禅は総じて体得するもので、理屈で理解をしていく世界ではない」

「理屈や文字を追ってはならぬ」

「隔たりは仮想のもの・・・」

「雑念が出ても手を着けずにそのままにしておく」

「取り合わず、逆らわず、自然のままにしておく」

「自然消滅します」

「自己を忘じることが真実に目覚める道なのです」

「縁に応じて只ある」

「心の本源地」

「無我とは素直の極のこと」

「念が出る前の何も無い世界に達した」

「念が出る前の何も無い世界に達した」

「法理を如何に究めても・・・」

「自己の本分が明確にならない限り、・・・」

図らいの心が無くなると、認めるものが無くなり、捨てる物、迷う物も無くなります」

「空の体得が見性であり悟りなのです」

「自己を忘じ切らないと、空になっていないために本当の空が分からないのです」

本来の面目のその味ぱっと出現するでしょう(認識以前、知性以前、これを端的というのです)」

「念や感情は心の作用に過ぎない」

「縁ばかりで何も無いという『空』の様子が分かります」

「知識や理屈が一切届かない」

「縁のままに無心に『只』在る」

「縁に従い去る力」

「観念の作り事に過ぎないものを認めているからです」

(普勧坐禅儀提唱提唱 井上 希道老師)

 

(般若心経夢影録 井上 希道老師)

「五蘊の作用(実体は何も無い)」

「心を徹底遣わない」

「心の発生する源」

「無為自然の働き、空相の様子です」

「只」導くのが指導者の任務であり力量です』

「念のない事実を徹底守る」

(般若心経夢影録 井上 希道老師)

 

「お茶の味は飲んだ時だけする」(井上 貫道老師)

「即心是仏(今の様子)

 

完 璧 に 出 来 て い ま す(完成品です・未完成ではありません)

「完成品を壊すものがなにかの方向から出発するか、未完成品から完成品に行くか(起点にするか)・間違った方向から行こうとする)」 (井上 哲玄 老師)

 

「信じる必要がない」「疑いが出てこない」(体験者だから)(釈迦と同等の体験)(井上 哲玄 老師)

 

「機能のまま手をつけない」「自分の方から何もしない」

「そのまんまにしておきなさい(立ち切れてしまう・思いが起る)」

「一瞬の思いが迷い・悟りとなる(一念心・一念心が動く)」

「思いの世界へ追求していく」「機能は機能のまま」

「どのようにも変化するのが空」

「体験(信じる必要が無い)(違いは信じる必要があるか、ないかの違いだけ)」

(井上 哲玄 老師)

 

「五感(六感)の機能のままに任せる」「六根を解放する」「何もしない」

「思いが出て来てもそれを取り上げない」「思いをなくそうともしない」(井上 哲玄 老師)

公然の秘密(井上 哲玄 老師)

 

思いを相手にしているだけ

「自分の見解が死ぬと、この事実がはっきりする」

「思考を観察することでもありません」

「思いがでないようにするのではありません」

(井上貫道老師)

 

去 来 す る だ け(川上 雪担 老師)

 

「念」というものがない(百家の逸話 北野 元峰老師)】

 

「心の実体は何も無い・縁に随って出て来る」一念心の姿

「心のない心(無念の念)(無相の相)(自己を持ち出すな)(心を持ち出すな)(心を働かすな)(心の観念・概念を使わない)(考えを差し挟まない)(一日が短くなる)」

(井上 希道 老師)

「境界辺(体験者でない限り分からないし伝わらないものです)」

いくら理解しても体験底のものでない限り全く粕妄想でしかないのです」

(十牛図提唱ネット)(井上 希道 老師)

「自己消滅(井上 希道 老師)

 

仏教(私たちが本来自己などなかったことに目覚めることです)THE・禅 (原田 雪渓)

 

釈尊も只この今に目覚められたのみで、別に悟るべき何者もなかった(照庵大智老尼語録上)

 

動きそのもののところに、「心」という名をつけたんです(無門関 井上義衍老師)

 

意の全く無い一念を護持し通す[何にもない]と云うものがのこる

自分の考えを加えないようにして(照庵大智老尼)

 

本来の面目蔵する処()し、世界()する時も渠は朽ちず。

「心塵脱落」

語録の言葉 小川 隆

「いま、何しているの?うん、おデンワ」

思量を介さない自然な身心の反応自己の本分を見ようとする点、・・・」

 

 

 

「晴タル虚空ノ如クニシテ十方清淨ナルモ悟にアラズ。(光影)」

見聞主、是何物ゾ

「塵あるいは賊という」

「見解ハ心病ナリ。」塩山名法語 抜隊禅師

 

 

「仏になろうとするより、仏でおるのが造作のうて、ちかみちでござる。」

妄想を鎮めようと思うことも妄想である。妄想は本来ないものだが、ただ、自分が分別して出しているのだ。」

「起こる妄念を払うということは、血で血を洗うようなものだ。」

「妄念をあるものと思い、・・・」

「念は仮相なりと知って取らず嫌わず起こるがまま、止むがままにすることだ。」

「見聞の主を見つけんと思う、大なる誤りなり。」盤珪禅師逸話選 禅文化研究所選

 

 

 

お経というものは皆さんの説明書なんです(迷いと悟り 井上義衍老師)

 

「一切に心を取られない」「一切を無視する力」「引きずられなくなる」「?がつくと波風を起こす」

(井上 希道老師2017・11・6 音声法語)

 

「無いものをどうかしようと云うのですから、間違うておるのです」

意無レバ心滅。心無レバ行絶。不スルヲ。自然明徹

「中心になる心、そういうものが有ると思い込んでおる。それが間違いなのです」

「なることを一生懸命工夫しようとする。そういうことをする為にかえって出来ないのです。

じゃからなろうとすることを止めると本当に空そのものに根本的に徹する。という事が有り得るのです。

それは各自が皆な自知することです

凡情。唯教メヲ(心銘提唱 井上義衍老師

 

「六官を六官まかせにする・・・それを取りあげないでいきなさい

「自分の考えをもって六官を使うのをやめる」

「出てきたまんまで問題にならんようになるんです」

【「出てくるのを出てこないようにしようという事をやってはいかんのです

「機能を停止しようとするからです」「機能を純粋にさせるだけです」】

「考え方の道に自分を向けないようにするということが、これ(身体)の本質をみる道なんです」

(迷いと悟り 井上義衍老師)

 

「スズメがおりてきて、ピョンピョン飛んでおるのを見て、初めて今までの不自由さがコロッと落ちた(飯田隠老師)

無門関 竿頭(かんとう)進歩(井上義衍老師)より

 

抜粋 ネット ・井上義衍老師語録・(玄魯随聞記 井上義衍老師問答集)

【「なにもしない」ということは、人間の考え方でにひねくる道ではないということです】

 

【徹する」ということは自分もものも何もかも本当になくなってしまう様子があります】

 

「自覚のできるのは、自我心を用いるということさえやめさえすれば、必ず間違いなく徹するものです」

 

『七十五、

【これ(身を指して)がないことを知ったんです】

 

「悟るということは法も人もないことを、一切そういうもののないことを悟ったんです」

 

【「どうせにゃならん、こうせにゃならん」ということが一切なくなってしまうのです】

 

「ただ公案を通ったり色んなことをして一応見地が出来ておるだけで知らんことがわかった。

それに本人も本当にはっきりしたものはないということを知っておった」(南天棒印可人)(飯田隠老師

 

「悟というものをはっきりと自分で得なければいかん。それさえ自分で本当に確認が出来たらもう大丈夫です」

抜粋 ネット ・井上義衍老師語録・(玄魯随聞記 井上義衍老師問答集)

 

(「真実の自己」と表現しているわけです・

「働きそのものであるということを知ることです{法}・

自らが法そのものであったことに目覚める)」THE・禅 (原田 雪渓老師)

 

参同契普説 原田 雪渓老師236

禅の要訣は、自己を忘ずることのみです。自分という存在があると思っているまちがいを、明確に「なるほど、まちがいだったのか」と、自分自身で納得をすることです。

参同契普説 原田 雪渓老師

 

照庵大智老尼語録 上(井上 大智老尼)

法理で満足

法理と遊んでいる(増上慢・法我見)

只管がらくになってくる

日常生活と悟りとが一つでない証拠であります

口釈を云いたがるものです

心得次第

自から前後裁断(即念)

言詮不及・意路不到

只管を練って只管を破った人

智解を以って只管(悟)をおくそくすること(智解は許さない

智解を以って足れりとすることは、・・・よくよく注意しなければならない

照庵大智老尼語録 上(井上 大智老尼)

 

只管呼吸(照庵大智)・真の呼吸(朴魯)・息念の法(井上 義光)・一息・一呼吸(井上 希道)

吐いて吸う(稲田 心田)

むなしく時を過ごす(井上 希道老師)

実体がないから執着のしようが無い(井上 希道老師)

ないものを取り除こうとする(井上 希道老師)

(意根の坐断)(念の起こるところを見る)(莫妄想)

「自己というものを証悟したものが一人でもあるか(文遂和尚)」

釈迦の知った世界というのは、息をするこの根源を明白にしたんじゃないか(井上 義衍老師)

無い自分を有る様に思う(心銘提唱 井上 義衍老師)

「本 来 無 自 己」「渠を識るや(臨済録)」「文 字 語 言 の 徒」

 

「念を起こしてはならんと考えることもいらん」(臨済録 山田 無文)

心生ずるとは、一念の起こる事なり(大燈仮名)

「さてさて人は思案なしでさへゐれば、それで何も申しぶんのないのにと、・・・(盤珪禅師)」

三界は唯心なり一切を作り出すものであったかと観破された(照庵大智老尼)

純粋な事実だけの世界でいるという厳密な発見である(井上 希道老師)

意の全くない一念を護持し通す(菩提心の強いこと)(照庵大智老尼)

(前後際断された様子を自覚した念に投入して行く、この只管の一念をどこまでも護持して行く)(照庵大智老尼)

(前後裁断された念如何)

考える癖を無明の根本(洞天義光老師)

一心不乱に考えることをやめる。(照庵大智老尼)

 

「本当の味わいは体得しなければわかりません」(信心銘 照庵大智老尼)

 

道理以外で自己の知見を聞くのでなければとてもわからぬ」

(正法眼蔵啓迪 摩訶般若波羅蜜 西有 穆山老師)

 

余念なく(集中して)(井上 希道老師)

即今底=拘る物は何もない(即今=念の発生する以前)(井上 希道老師)

何もしない(五感に任せて)(井上 貫道老師)

「只、素直にする事が修行であり、行き着く処が悟り」(井上 希道老師)

お釈迦さんは今を自覚されただけ(大智老尼)

何もしない努力・只管呼吸(照庵大智老尼)

無の働き(照庵大智の妹・天地{あち})・無の妙用

何にもしないのが本当の修行(井上 希道老師)

 

坐禅しないと禅にならないのか 情けないのニュアンス(照庵大智)?(行住坐臥)

坐禅しとりゃ禅にならぬのか(大智→希道)

本来の様子を自覚する 本来一体ではないか! 何も無ければ!  (井上 希道老師)

見性の大事を体験したければ,大死一番し来たれ(般若心経夢影録 井上 希道老師)

「論理的・概念的思考を奪い去り、・・・」語録の言葉 小川 隆

 

眼不自見眼

「渠は我に似ず、我は渠に似ず(薬山)」

「渠は今正に是れ我、我は今渠に不是ず(洞山)」

「我れ若し打たざれば、諸方我を笑わん(馬祖)」

 

(悟 り へ の 道)(異 名 同 義)

(無の時の消息・如何)(不起一念時)

(不起一念・一念不生・一念未生・一念未起・以前の消息・如何)

(様・様子・状態・法位・境界・境地・境涯)

(学得底を問わず・体得底・如何)(空の体験・空の体得・空の自覚)

 

(停心意識之運転・止念想観之測量)

(意根を坐断せよ)

(無念・無想・莫妄想・只管・脱落・起滅・自作自演・絵師・念・想・観・心・意・識・無所住)

只須息見(三祖 信心銘)

(求 が () む)(もうそろそろ求を()むべし)求心止時即無事・(悟了同未悟)

華巌経云、我今普見一切衆生、具有如来智慧徳相但以妄想執着而不証得

(従容録第六十七則巌経智慧)

真実を悟るため(井上 希道老師)

(本 来 人 是 何 者)(如何是本来人)

(一 念 不 生)・(莫 妄 想)

 

「本当の無念無想とは、心の取捨しないこと一切とらはれないことかゝはらないことをいふのであって、

意識の動かないやうなことをいふのではありません」(参禅の秘訣 原田祖岳老師)

「調心の法(数息観・隋息観・只管打坐・公案単提(たんてい))」(参禅の秘訣 原田祖岳老師)

「出入観(入るを一つ、出るを二つ)・出息観(出る息を数える・散乱)・入息観(昏沈)・専心一意」

「無上道の体験・見性悟道・定力の練磨」「一息截断」(参禅の秘訣 原田祖岳老師)

 

(万 物 に 名 な し)

(万 事 を 休 息 し て)

心というのがないと会得する・悟り・見性)(井上 希道老師)

「無自己観の境地」

釈尊の発見を端的に表現すると「人は死なない」という発見である

「死」「自己」概念に過ぎない(存在しないのだ)

(人は生まれないという発見)(生死は概念である)(生死に実体がない)

人は死なないより(ネット)(三宝教団管長 山田 凌雲)

無 性 名 為 仏 性

即今底は雑念・余念・邪念なき純一な心である

 空は因縁生の代え言葉

(語句を漁り・法我見の魔道)(法我見が邪魔をする)(人我の見)

 

字義の説明(理屈を離れて)(井上 義光老師)

説明学問で終わってしまう(ネットより川上雪担老師)

「問うな学ぶな手出しをするな(白隠)」

坐禅は手段であっては成らぬ(井上 希道老師)

忘我しかない(ネット 川上 雪担老師)

明けの明星の所見あり100827 2/9渡辺 充(KB会)

「あるがままに見ていくだけ」「何もしないで見てろ」「見ていることが淨化」

「只管打坐(思考を流す)(手を加えなければ消えていく)(あるがまま)(只見ているだけ)」

「自己がない状態で生きている」「自分の中で自分と戦っている」

「火の車、造る大工はおらねども、おのが造りて、おのがのりゆく」「過去は記憶の中にしかない」「時間・空間も象徴」

「何もしないと解決する」渡辺 充(KB会)

川上雪担老師 20101027 玖延寺摂心会普勘坐禅儀(飯田隠老師と南天棒の話あり)

 

「聞く」私が、「聞こえる」私に、「在る」(())

言葉のない世界、言葉を忘れた世界、言葉が浮かばない世界、如何(())

言葉を浮かばせない・言葉が浮かばない・言葉のない世界(())

六根の働きだけ(のみ)(())

(創の一字)(())((つく)り出す)(())(妄想)(もともとないんだ)

発生する・創る・生じる・心は器官・五官六官・心官】(())

「○○○という概念がない」(())

「心があるのでは無く、発生する」(())

思い・想い

《状態・状況・境地・境涯・境遇》

「無・無心・無我・非思量・只管打坐・莫妄想・不思善悪・成り切る・妄なきところ・直知・数息観・随息観・即今底」(())

「思いが、浮んで、来ぬ」(())

「不知の知の知・不会の会の会・不解の解の解」(())

「思いとは言葉。言葉の世界。思いの世界。言葉の無い世界。思いの無い世界。非思量。」(())

「これ何?、それはこれ」(())

「これ何?、これ」(())

無我の状態、有我の状態。」(())

「出てくる自我」(())

自我が生まれる。在るのではなく。(())

思考が涌かない・浮かばない・浮かんで来ない・二念・三念が続かない(())

「(何もしない)(非思量)(万物を放捨する)(そのまま)(ありのまま)(心意識の運転を止める)(莫妄想)(面前より出入りする)(万物一如)(本来の面目)」(())

眼横鼻直(())

「只=そのまま」(())

 

「虚空猶従迷妄幻生(虚空すら猶お迷妄より幻生す)」

「空の働き・空の様子」

「髄 縁 起 滅」「判断停止」「唯心の所現」「自作自受」「自業自得」

本有自性ヲ悟テ、(本来的所有である自らの仏性の存在を自覚しることであり、)」

「本性は仏性に外ならないことを覚知すること」塩山和泥合水集

 

観念悟りの馬脚を現してしまった

「大慧は大悟十八、小悟不数(今までは皆嘘ぢゃ理會であったと云ふことぢゃ)」

「心意識之運轉は心のはたらきぢゃ、メル云ふは、はたらきままにして自己を忘ずることぢゃ

「念想観之測量は心の研究である、元来心が騒がざれば研究の必要はない、そこを止と云ふたのぢゃ

「不思量底とは自己なきことじゃ」

「思量とは自己なきまゝに活動することじゃ」

「思量は無形の心意識じゃ」(普勧坐禅儀一茎草 飯田隠老師)

「無事(何もしないこと)」

「本来無一物(仏性は常に清淨)、心は是れ菩提樹、身は明鏡の台なり。明鏡は本より清淨、何れの処か塵埃に染まん。」

(六祖壇経 解説)

見 性 経 験

「文字言句の出てこぬさきを経験せぬからである」

「仏の世界は実物で生きている」(成道会提唱 井上貫道老師)

有為法は、無常の故に無我である。

五薀法は、仮和合の故に無我である。

有為法は、縁起する故に無我である。

無為法は、寂滅の故に無我である。」

「そんなものがあるなら、それを出して見せてくれないか(生死)」

「おれの所には生死などというものはないぞ(関山国師)」

大地と我と同根、万物と我と一体(霊性的自覚の人でなくては僧肇のこの語を理解することはまず出来ない)

(鈴木大拙)

「無位眞人とは佛性を云ふ」

「口より出入りするは音聲なり」

臨済録 贅辯(岡田 乾児)

 

「我が語を(おぼ)ゆるなかれ」(馬祖)

自悟自得以外の(すべ)はない

「名や言葉を尋ねても眞實はつかめるものではない」

「仏の用作すは是れ仏性、賊の用を作すは是れ賊性、衆生の用を作すは是れ衆生性、性に形相無し、用に随って名を立つのみ

(諸方入門参問語録・大珠慧海)」

 

「ただ直下に自心の本来仏なることを頓了すれば、一法の得べくなく、一行の修すべきなし」(伝心法要・黄檗)

 

【どうすれば悟りが得られるか思案しなくとも、無事・無心であれば一瞬にして「道」を手にすることができる、

と臨済は説くのです】」(臨済録をめぐる断章 西村 恵信)

「何がしゃべっているか(知りえない)」

「理屈では絶対解決しないと理解する」

「身体を静めることで、心を静める(坐禅)」

「現象面に悩みがあると思っている」

「思考が思考者があると思い込んでいる」

「思考が無ければ思考者が生まれない」

「私が出て来る(考えが浮かんでいるだけ)」

渡辺 充 (KB)

 

「理論で一応整理をつけてみても、その理論で整理しただけなんです」(迷いと悟り 井上義衍老師)

 

「本当に悟りきった生活をしている人の笑いは、子供の笑いのように無邪気なところがある。」(禅入門 小林 幹夫)

「何も思わん稽古をすることである、・・・きれいな心が分かるようになるのだ」(山田 無文老師)

「文字の中に向かって求むること莫れ」(臨済録 山田 無文老師)

 

われわれの本質宇宙の真の事実と全く一であるというのが、釈尊の大覚によって看破された真実相であり、仏教の根本的立場である」(禅の正門 山田 耕雲)

 

「心、形なくして不可得なりと知る」「見即是性」「法身(理致ともいう)」(禅の思想 鈴木大拙)

「経験の表現方法」「無心の月が天辺に光っている」(禅の思想 鈴木大拙)

「向テカ什麼ルト。我レニ、如一レ。如スル一レ水。」

「馬が水にたってゐる・馬が水をながめてゐる・馬の顔がうつってゐる(水が馬をながめている)」(禅の思想 鈴木大拙)

 

「自分が落ちていく(考えているから自己が落ちない)」

「見性(今の自分の様子なんです)」

「考えた時しか現れない」

「考えをやめれば自己が失せてしまう」

「文句を言わなきゃ文句を言うやつが消えていく」

「心の整理をつけて理路整然と悟るということはない」

「数息観みたいなよけいなことはしない」

「最初から無我でやっている」

「無我になる必要ない」

「自分というのは観念」

「何にもしない(作り事をしない)」

「何にもする必要がない」

「何かする必要がない」

「何もしようがない」

耕月寺 甲賀祐慈老師

HP 今を坐る より

『「自己」というのは、意識の中で自分を認めるところの観念であり、この身を自分だと考えて何かしている様子です』

『「自己」が実際に存在しているというのは考えの上の錯覚なのです』

HP 今を坐る より(耕月寺 甲賀祐慈老師)

 

「内容の説明する人、内容と等しくさせる人」

「坐禅して考え事

「無我になろうとするから自我が立ってしまう」

「非思量(認識分別に移行しない)」

「空じている(無分別・無見解)」

(丹下 覚元老師)

 

 

「仏性を見ることを禅経験とした」(臨済の基本思想)

(鈴木 大拙)

 

 

大燈仮名法語抜粋

 

本来の面目を見せしめん為なり

彼の面目に相見し給ふ事なり

「肉身死すれども渠は死せず、肉身生ずれども渠は生ぜず、故に不生不滅の物なり」

念の起こる源を、能々坐禅をして見よ

心生ずるとは、一念の起る事なり

一念を以て色々に造り出すなり

念を収れば彼の本来の面目顯はるゝなり

本来の面目は生死輪廻無く

唯妄念の不淨を拭へば真佛顯れ出るなり

 

本来面目蔵無

世界壊時渠不朽(無門和尚)

 

本来の主人公に相見するを云なり

大燈仮名法語抜粋

 

南天棒禅話抜粋(中原鄧州・飯田隠書

無病の病

法執

犬(表)・(裏)坊主「仏性ありや」

因是善悪・果是無記

禅は物を知るのではない

「すべて公案というものは一旦迷わするように仕掛けてある」

「迷悟は元来生れてのち・・・所知障が三悪道を造りだす」

「畢竟妄想というものは、生後見聞覚知によりて建立された余計物じゃ」

「未生已前本来の面目に帰せしむる道具・・・仏性が現前して来る(大悟)」

【大悟(別に得るものがあるのではない)(妄想の除かれた場合を指すのだ)】

「いったん十分迷わして、その迷いを消してしまう。もう迷いが起こらぬように根絶やしをしてしまう。

隻手はその道具と思えばよい」

 

南天棒禅話抜粋(中原鄧州・飯田隠書

 

(抜粋)玄魯随問記 (井上義衍老師問答集)(ネット分より)

 

三、

自らが自分自身を本当に徹見して、そして自分が自分で許せる道(道を教えられ・その道を行ず・その自覚を得る)

八、

「自由に他意なく活動する状態が因果なんです」

「宇宙的因果関係で出来てきているだけなんです」

十、

自分で作って自分でそこにおる

十三、

「一度本当のことがわかったらもう絶対に再び迷うということが出来ない教えなんです」

十四、

「真相を本当に知る唯一の道です(坐禅)」

真相を今行じる、行じている状態である

二十一、

「悩みの種というものは、自分を立てて、自分の思うようにしたいということが出来ないために、ただ困っているのです」

「自我観の要求を全部捨ててご覧なさいということです」

二十四、

【「アラッ、これ自体(身)が人間の存在ではないんじゃ」ということがわかったんです】

これ(頭を指して)でやっとったということがわかるのです

二十五、

自分を本当に捨てる唯一の道である

自我を捨てる唯一の道(坐禅)

二十七、

宇宙の実相自体を徹見する道です

二十八、

人間の問題する以前にある

「周囲も自分もあるんじゃないんです。そこまで本当に行くものです」

「人間の認識の世界ではなくて、宇宙の発生以前の状態です」

「ちょっと念が起きたんです。今まで念の世界におらなかったんです」

「発生する根源がこの思いだったのだということがはっきりする」

誰も作ったものじゃなかったんです

二十九、

「意さえ使いさえしなければそのままでいい」

三十六、

観念の起きん人になればよい

「今度は活動していてもそれが出来るようになるんです」

【煩悩の起こる根源が「断ち切れました」ということが自分ではっきりわかる】

三十七、

「思うてやろうとするから、それで出来んのですよ」

四十一、

「どうかしょうとすることをやめるんです」

四十四、

「人もものも本当に無くなってしまうという時節があるんです」

「自分で脱落しておる実体を知られたんです」

四十六、

解脱しておる実体

人の見解を用いることをやめる

四十八、

迷おういうても迷われんのです

五十三、

一回きりのものです

見損ねておったんです

五十四、

自分の見解でしょう

五十六、

分別心に煩わされな

 

(抜粋)玄魯随問記 (井上義衍老師問答集)(ネット分より)

 

「心意識の運転を止め」大騒動をやっている自分の姿が本当に見えるのです。

「今の様に任せ切っておると自他の関係などと云うものがすっかり無くなって終って、自分も物も有るのか無いのかなんいも解らん処まで死に切って初めて決まるのです。」(心銘提唱 井上義衍老師)

 

四祖道信示牛頭法融」心銘 井上義衍老師より

 

夫れ百千の法門同じく方寸に帰す。

河沙の妙徳凡て心源に在り。

一切の戒門定門慧門、

神通変化悉く自ら具足して汝が心を離れず、一切の煩悩業障は本来空寂なり。

一切の因果皆夢幻の如し、三界の出ず可きなく、菩提の求む可きなし。

人と非人と性相平等なり。

大道虚曠にして思を絶し慮を絶す。

是の如くの法汝巳に得たり、更に欠少なし、仏と何ぞ殊ならむ、更に別法なし、汝但だ心に任せて自在なれ、観行を作すこと莫れ、

亦た心を澄ましむること莫れ、貪瞋を起すこと莫れ、愁慮を懐くこと莫れ、蕩々として意に任せて従横為れ。

諸善を作さず諸悪を作さず、行住坐臥目に触れ縁に遇う、凡て是れ仏の妙用なり。

快楽にして憂いなし、故に名けて仏となす。

師曰く、心巳に具足せば何者か仏、何者か是れ心、

祖曰く「心にあらざれば仏を問わず、仏を問うは心ならざるにあらず」。

師曰く「巳に観行を許さず、境起る時に於て如何が対治せん」。

 祖曰く「境縁に好醜なし、好醜は心より起る。心若し強いて名けずんば妄情何れよりか起らむ。妄情巳に起らざれば真心遍知に任す。

汝但だ心に随って自在なれ、復た対治すること無きを常任法身と名けて変異あることなし」。

吾三祖に受く頓教の法門、今汝に付せむ。

 

「四祖道信示牛頭法融」心銘 井上義衍老師より

 

井上 貫道 老師(前)クリック先

 

げんにーびー 正法眼蔵 現成公案 提唱 井上 貫道 老師

( これは読み物に過ぎません・実践には参師聞法が不可欠です )

げんにーび 現成公案提唱録

 

優劣の見

体験のあり方が成仏の様子

「こちらに余分なものが無くなれば無くなるほどはっきりする」

脱落(とつらく)

いろんなもので知ろうとする

眼で聞き、耳で読む

これ(自我)が死にきらないからでしょう

「すべて自分がいない時の体験(無我・無常・無心・無念・空・自分がいない様子)」

それを見ている自分という人がいる

どこかで見ている自分がまだいるんです

人間の考え方をやめて見たら・・・

一味

我見を取る

「機能としての道具立てが具わっているだけです」

我見の突っ張り合い

「これ(目)とこれ(物)の関係でこういうこと(見える)が起こるだけなんです(空ということはそういうことでしょう)」

その離れたところのものが見えるだけ

「六根と六境は無分別のままさまざまな働きをしている」

「分別の生活を離れないと・・・(無分別の世界の様子)」

 

()()(よその自分って言う意味の表現そっちの自己自他のない世界がクリアー仏様の世界自他でない世界)」

【「こちら側から物を見ている気がします」

「はじめは自分らしい気配の自分で見ています」

「こちらは無くなってしまってただ物が見えてるだけになります」

「ただ自分自身を明きらめなさいよ」】

「それは考えないという事実によるしかないじゃないか、というわけですね(非思量)」

「不思量が論なのに対しこちら(非思量)は実なんです。実物を生でぶっけているのが非思量なんです」

非思量ということは考えないことなんだよ

「思量(こっちから見たり聞いたりするようなやり方)」

分別を使って・・・これが思量です

『受け身の立場で向こうから教えられて「聞こえくる」とか「見える」という在り方になると自分の考え方を使っていませんね』

確かな事実これが非思量です

(坐禅無分別を習慣づけるためのもの)

「身心脱落(今までの分別意識があったものが全部離れたときの自分に触れたということですという・・)」

分別意識を全部離れきっているでしょ

分別を離れて見ると

「自分が聞いたのか何もついてないでしょう[私が聞いた]なんて一つもついていない」

「非思量というのは、そのことが[パン]これだけで確認できる」

思量(能動的・見よう・聞こう)

不思量(受動的・見える・聞こえる)

不思量底を思量する

・・・するでしょう(思量)

・・・みたら分かるよ(不思量)

・・・みたらわかる(不思量底を思量する)

無分別の確認作業

「無分別の様子で生きていることがなければ・・・」

自分の様子を一番確認しやすい

本当の自分確認が出来にくい

「思考能力自体(分別する力)が苦しみや悩みではない」

「(仏道をならふといふは)一個のものの様子以上にないなあと思います」

自分の様子だとわかるはずなのに・・・

見解が起こると・・・

自分がない(自意識のすっかりとれた)

残っているのはただの概念だけです

見ているものがある間は・・・

「余分なものを捏造(ねつぞう)し、付け加えて、その事実だけでものを処理できない」

人間がこしらえた言葉でしょう

後念生ずれば前念おのずから消す

全部意識の働き

別のものであるかのように思われた

「(人と法というものは別ではない)いう視点に立っているこのことが大前提だ」

 

「一如(人と法が別ではないという意味ですね如是の法恁麼(いんも)事一等身心一如

二つのものがあるのではない)」

(とら)え方が異なる

一如の様子・分別の様子

「事実に学ぶということは難しくいうと(非思量)ということですね」

非思量ということは事実ということです

人間の思慮分別が入る前・・・

一法のさずくるなし

ただ触れて動いている

余分なものが取れたらいいでしょう

貪りって何かといったら分別でしょう

そのことがただそれだけだったら楽なはず

「頭や分別に引っかかっている間は通らないようになってるんです」

「大体公案というものは分別を止めるために使われてきたんですね」

一般人が見ない生活をしている

きちっと踏まえているわけですね

思い計らい

 

「分別で探せる範囲はおのずから限度があります」

手が届かない

法とか心の本性といわれるものです

無明(分別心)

この通りのことがあるだけ

「ただ働く心の様子がある働くものがある清浄の心性本覚の様子」

本覚(本来固有の清浄な覚性、即ち真如理体)

悟り(二乗「声・縁」、三乗「声・縁・菩薩」、五乗「仏・菩薩」)

ものが有るように捉えている

「自己を忘ずることによりそれを除く(無明を除く私というものを除く)」

元から具わっている本性に目覚める

初めから自分の様子としてきちっとある

私という者が一つも無い働き・・・

そういうものを自分の上で発見したんですね

「自分らしいものの一つも無い時の自分の働きに触れて・・・」

身心(法性水)

真実の様子が宿るように出来ている

 

「思慮分別が及ばない様子があることに気付くんです」

罣礙(けげ・けいげ)

「尋ねようとするような分別心というのが一切とまるんです」

【大般若転読偈文

諸法皆是因縁生、因縁生故無自性、

無自性故無去来、無去来故無所得、

無所得故畢竟空、畢竟空故是名般若波羅蜜、南無一切三宝無量広大、発阿耨多羅三藐三菩提】

「二度迷いの世界に戻れなくなるという事です」

【悟りの内容(その通りの事に気付くその事に出会うこの事に触れる)「あっ、悟り悟りとか言っていたけど、この事なんだなあ」】

悟りの様子

自他の見が取れた

自他を離れた動き

「自分自身の本性、自分自身の本当の姿を、自分自身で徹見して、それで疑惑はすっかり無くなる」

比べる力が無限にある

全ては自分の様子以外の何ものでもない

見が起きると・・・

 

げんにーび 現成公案提唱録

 

二回目

げんにーびー 正法眼蔵 現成公案 提唱 井上 貫道 老師

( これは読み物に過ぎません・実践には参師聞法が不可欠です )

 

井上 貫道 老師 提唱録

井上 貫道 老師 提唱録

 

思慮分別を扱う世界じゃない

悟りとは自分自身に目覚めるだけ

初めっから自分にちゃんと自分というものが備わっていたということに気付く

ものがないから失うものがない

性即ち是れ心

有余涅槃ー体

無余涅槃ー体なし

無住所涅槃ー一切障りがない

本来自性清浄涅槃

 

貪瞋痴の災いを消された状態=涅槃

 

自分で内容が解る

 

性・心・仏・法

サイコロの目、一・二・三

サイコロに違いない

 

始から自分自身のあり様なのです

自分自身で見届けなさい

自分自身の本心を自分自身で見届けて成仏

 

本源清浄の心(此の一事のみ真実)

 

始から誰しもが自分で備えている様子に気付いた

 

悟りっていうものは出てくる様な気配はない

 

気がついた内容「元からそうだった」

 

「二見」に渡る用がない

 

見解を離れる

今のあり様があるだけ

今こうやっているだけ

 

人間の見方がそこに入ってくると、それくらいわからなくなる

 

自分の中で考え方がふっと起きる

自分の中で考え方が納得しないだけ

 

はっきりしていることがわかる

 

ように出来ている

 

頭でなく実物で修行していくんじゃ

 

自分の考え方がそこに入ってくるからでしょう

 

自分を立てると苦しむ

 

その通りに見えたり聞こえたりする

 

井上 貫道 老師 提唱録

井上 貫道 老師 提唱録

 

余分なものを付けるから変になる

 

「自分の聞き方受け取り方を付けて味わうから気に入ったり入らなくなったりする」

 

遂に塊を遂うと成す

 

頭で色々思う

 

意根を坐断して、知解の路に向かわざらしむなり

その後身心脱落し、迷悟を放下す

須らく言を尋ね、語を逐うの解行を休すべし

 

五語の所言

張らず、細めず

 

吐きながら曲げて、吸いながら元に戻す

(痔を防ぐ、括約筋を締める)

股関節

 

考え方で(もてあそ)んで(ずーと考えていただけ)

 

見解で識別しない

 

解決しようと思って自分の頭の中で色々なことを始めます

 

出ないようにするようなことも一切しません

 

造作して作り変えるようなことは一切そない

 

こちらの考え方で出てくるものを相手にしない、処理しない

 

「生まれた後から身に付けた色んなものを本当に使わないでいるということです」

 

人間の考え、見解を差し挟んだら事実が歪められる

 

真相・事実がそのまま伝わる

 

悩み苦しみの問題は考えの上で起こる現象です

 

働くだけずーとそのまま思っているということはありません

 

思いっていうのは出てきたらすぐ止んでしまいます

 

今、目の前にある様子でいて欲しい

 

「考え方、出てくるそういうものを相手にするものではない、これをやらないのですね」

 

井上 貫道 老師 提唱録

 

 

二回目

思量分別等の事を用ゆべからず

余分な思いは一切付いていません

眼は妄想を起こす道具ではない

「光ほどの物が消えて新しいものが出てくる気配はない」

「思慮分別の上で物を扱っているのと実際は本当に違うのです」

大先輩たちにそうやって皆自覚したのです

思いを相手にしているだけ

思慮分別を用いることを本当に止めて過ごす

思慮分別の外なのです

「思量をひとつも付けていない時は一体どうなっているか・・・」

【「悟境」「悟り」ってそれほど特別なことじゃないのです】

意馬馳走す六塵の境

心猿飛び移る五欲の枝

過ごし方が下手なのだよ

分別を離れると・・・

自分の様子から目がそれているとわからない

攝心

相に著して修行す(悪法)(黄檗禅師)

もののあり様として・・・

二回目

仏法を学ばんと欲せば、一切学ぶことなかれ

ものの真相を心底はっきり明らめる道

持ち物がないから失うものがないのでしょう

「慎んで外に向かって遂うこと勿れ」

始めから自分自身のあり様なのです

「思慮分別を離れる、使わないということが、どうしても重要なのですね」

知解の路に通う

理知に訴えて知ろうとする

余分なものを付けるから・・・

心を軽じて教を重んずるなり

教義・法理・道理

今の有様で生きている

「自分の見解が死ぬと、この事実がはっきりする」

【「思慮分別・意図的に考える・「思考」・「とにかく相手にしない」・「自分の見解で識別しない」】

【「坐る」ということは考え方を、出てくるそういうものを相手にするものではない。それをやらないのですね。】

井上 貫道 老師 提唱録

 

げんびーに対話集 1 井上 貫道 老師

げんびーに対話集 1井上 貫道老師

 

「考え方を付けず」

「考え方を通して・・・」

「ずーと考え方の中で、取り扱ってるだけの様子だってことが、まざまざと見えるじゃないですか」

「頭で小細工した話」

「一切問題にしないで、・・・」

「考え方を本当に離れて過ごす」

「諸縁を放捨し、万事を休息して」

「考え方が止まる」

「考え方を持ち込まず、・・・」

「考え方を離せない、いつまでも考えてるからでしょう」

「思慮に渡るな(思い切ってごらん)」

「思慮分別を離れる」

「分かった様なこと言ってるけど、」

「自分の考え方を付けたら見えないよ」

「自分の勝手な思い」

「私の様なものは、・・・」

「いらんことなの、・・・」

「隔てを自分でつけてる」

純粋っていうことは、そんなことは付けない

「困るからです、質問されたら。」

余分なものが落ちて行って、・・・」

「対話が少ない」

考えを止む事実だけがはっきりあって、ぼーとしないものです」

考え方を離れてみると、考え方じゃない事実が今あるじゃないですか」

「考え方を付けず・・・」

「考え方が止まると、素通しでものがどうなっているかっていうのが初めて見ることができる」

「好き嫌いを抜きにして、こうやってふれてと、そのままのものにふれる」

「真っさらな体験」

「最初から付いてないじゃないですか」

「今、生きている様子だけでいいじゃないですか」

「いきなりこうなる」

「瞬間瞬間ありのままに居れて、・・・だって、それしかないじゃん」

「外を見てることが内面でしょう」

「今の内面の様子」

「鏡の中って全部向こうの様子ですよ」

「人の思いを離れて、事実ってものがある」

「自分の思いで作りあげたもの」

「常に考え方を通してものを見ていることを、やめてみることだけじゃん」

「頭を巡らせて、・・・」

「どこも忙しくはないですよ」

「いろんなことなんか考えないんだよ。ひとつひとつ、そのことを考えてるだけです」

「本当の有様」

「生き様」

「問題が起こるのは自分の上で起こる」

「思った思いを問題にしている」

思い起こした思いが自分を苦しめている

「自分の分別で取り扱わない」

「考え方を離れる」

「考え方で思い起こしたことを相手にする

考え事相手にしてるだけ」

「あるのはここの様子だけ」

「この様子があるだけ」

「そのとおりの様子があるだけ」

「本当の様子の中」

「自分を立てない、立てられないから出て来ない」

「端直」

「その通りに聞こえる事実がありながら、・・・」

「自分勝手なことをやっているだけ」

「騒ぐのは自分の頭の中だけ」

「自分を騒がしているだけ」

「坐禅って、人の思いをどうこうする様な行じゃないのよ」

「この真実がどうなってるか」

「カラスが鳴いたときにカラスが鳴いてるとおりの声がするだけだった」

なーんにもしないんだよ・・・思いが付いてたんでしょう」

「いろいろ思えることを相手にしてたんだろうねえ」

「払うものも、取り除く必要がないくらい何もない。」

「それでいいじゃない?・・・そうですね、・・・」

そのとおりにそのことが受入れられたら、問題は起きないんでしょう」

自分の思いが付いて、・・・」

「自分勝手に一人自分の中で起こして、・・・誰かに付けられた様に思ってる」

「自分の中でつまらないことやって混乱してるだけじゃないですか?」

「自分勝手な真相」

「・・・ふれた瞬間に、ここで自分の中で問題を起こすだけ・・・」

「理解することじゃない」

「共通の概念」

「既成概念」

「実物は理解よりもっと確かです」

「事実に用がある(非思量を使う)」

「坐禅している中身」

「人間の考え方を付けるから本質から離れる」

「知らないうちに離れる」

「せっかく忘れているのに思い起こして・・・」

「何も思い起こしてないときには、一切問題になるものは自分の中にないことよく知ってるじゃないですか?」

「事実を本当にこうやってふれる力がないから短気なんですね」

「手を出さないでほっといてくれた」

「親切にほっといてくれました」

「十四才修行に出た」

「やれてることに学ぶんだもんね」

「間違いのない事実がそこに、・・・」

「思いがそうやって騙すんですよ」

「人は生活してて迷ったりすることは一切していないってことじゃないですか」

「思っているだけですよ。実物の方はひとつも迷った様なことはしていないよ」

「本当にそうだっていうことが自分で納得いくってことじゃん」」

自分の見解が死に切らないということでしょう」

「ものに対する見方っていうものが本当に止まったときに、・・・」

思うということが本当に根切れしない

「自分の機能」

「自分の様子」

「ご覧なさいということは、今どうなってるかってことに眼を向けるということでしょう」

「わざわざ自分で悩みを作って苦しむんでしょう?。ありもしないのに。」

自分の中でそれを問題にしてるだけじゃないですか」

「自分の中でやってるだけですよ」

 

げんびーに対話集 1 井上 貫道老師

げんびーに対話集 1 井上 貫道 老師

 

井上 貫道 老師(後)クリック先

 

参禅夜話 飯田 

 

空の義(頁243 参禅夜話「五薀皆空」)

四、          随所現、縁に従って所として現れざるなし

五、          無去来、本躰は天地一枚、何處からも来ず、どこへも行かぬ、何時も變らぬ、水の波の如し、不生不滅もこれから出た

六、          無染、因縁生のみにて相手がない、染汚の入る隙間が無い、煩悩ともいはず、菩提ともいはぬ、物に聞いてみよ。

 

参禅夜話 飯田 

 

参禅夜話 飯田 欓隠

 

公案大別(三つ)(頁二七五)

勦絶(そうぜつ)(そうぜつ)

何も彼も追払ってしまう処じゃ何もないという者も無いといふのが此れじゃ(悪平等に陥る)

建立門(こんりゅうもん)

一々差別の脱落

没縦跡(もつしょうせき)

悟りを忘れたたる境界なり跡滅

参禅夜話 飯田 欓隠

 

坐禅の要訣 抜粋 井上 義光 老師

自分の[心]以外に眼を向けたら方向違いをする

自分の[心]以外とは頭で探し、本など理窟を作り上げ理解を求めることである

眼の本性としてちゃんと見ている(眼は本性を全うしていることが分かる)

道とは法じゃ・法とは真理じゃ・真理は事実じゃ・事実とは[今]じゃ・[今]の真相が真理じゃ・今に徹すれば自己無きに至る。

自ずから真理が明了するのじゃ

着眼点は[今]じゃ。即念じゃ。[心]を一点に置いて余念を加えぬ事じゃ。

前後際断した[無念の念]が分かった邪魔物を廃することが出来る

「心を用いず力をも費さずして木石に去る可し」「感情も心念粉飛も治まり、恰も木石の如しじゃ。

死に切る寸前じゃ。[見性]疑いなし」

(わず)かに人空を了じたるを以って大悟と思うこと勿れ、まだ法空を証せず。大抵は人空に止まる。

余習は除き難いもので・・・悟後の修行じゃ。古人に浅深があるのは之が為めである

[天地と我と同根・万物と我と一体]とはここじゃ。(あたか)と合するが如く、と合した様なものじゃ。

合わせ目が無い。一つになった形容である

本当に[只]に成ったと言うことじゃ。真剣に[単]を練った結果に外ならぬ

[成るほど自分が呼吸をするのではなく、何もしなくても勝手に呼吸が呼吸をしているではないか]という自然の様子が分る

 

「一念の生ずる元を徹見しなければ自分の[心]の正体は分からぬ」

言葉に囚われ理窟で至ろうと・・・

禅は自己を究明するのが生命である

[見性]すれば煩悩の根が枯れる

[空]を確信することが[見性]じゃ

[何も無い]ことが本当にわかるから無用な詮索をしなくなる

真相を体得するのが[見性]である

余念を棄てて・・・「只」することじゃ

法には[自我]はない

何ものにも束縛されぬことじゃ

什麼物(なにもの)とは[何物]じゃ

誰じゃと問う汝は誰じゃ

人試みに意根を坐断して見よ、十が八九は必ず見道を得ん

求むる自己も空である

[見性]は真実を見届けることじゃ

肯心自許

心境共に忘じて初めて真の[見性]じゃ

嬰児行は禅の極地である

要は事実と観念の決定的な違いを見い出すことにある

観念は謂わば空想じゃ

公案を頭でこねくり回す[クセ]がある

仮想の観念現象に過ぎぬ

理窟が(こう)じるばかりで・・・

 

坐禅の要訣 抜粋 井上 義光 老師

 

伝 法 偈~心 銘

 

↓ リンク↓ リンク

 

耕 月 寺 ( 甲賀 祐慈 老師 )

20191126 坐禅のやり方問答(文章スクロール)

 

 

 

 

 

 

 

 

心 銘 牛頭禅師( 心銘提唱り 井上 義衍 老師 )

  

  

座  和 讃

  

参  

宝   

 考 本 ります

(悟りの消息)

 

「リンク」生死を越える(NHK 宗教の時間より)(井上師)(スプリチュアルTV友の会掲示板より小泉義仁(テディ)書き込み)

井上 義衍老師 信心銘提唱 音声(井上 哲玄)老師 浜松禅会より・ネット公開されています 2016916日分)

 

青 野 敬 宗 老 師  録(あおの けいじゅ)

井 上 義 衍 老 師 問 答 集

 

禅 少 林 窟 道場

 

芸 州 忠 海 ・禅 少 林 窟 道場

 

 

リンク 少 林 窟 法 語 「ぐまぐ」( 井 上 希 道 )(少 林 窟 道 場)

 

少 林 窟 法 語 「音 声(井上 希道 老師)(少林窟道場)

 

少 林  法 語

巨匠 飯田隠老師全集随感録

禅 語 提 唱

 

 

 

 の 決 

心 の 決 ( 釈 尊 と 悟 り )

十 牛 図( 井 上 希 道 )(少 林 窟 道 場)

学道用心集(井上 希道)(小林窟道場)

 

↑ リンク↑ リンク

 

抜粋 まぐまぐ!(井上 希道老師)

 

 

抜粋 まぐまぐ!(井上 希道老師)

 

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

リンク 坐禅のやり方

リンク 工夫について

坐禅とは

 

 

松本 自證 氏 (井上 貫道 老師の印可) 東京都

ダルマサンガ 飯高 転石 氏 (原田 雪渓 老師の印可) 滋賀県・千葉県

屋久島 芙蓉寺 守時 道林 氏 (原田 雪渓 老師の印可)

渡辺 充 (KB会)(佐藤 正真老師の室内終了19272004{原田 祖岳老師の弟子}・山本龍広老師室内終了(釈迦牟尼会)) 東京都 

悟ることは容易いが、表現する事は難しい。 誰の言葉か???

 

修行の根本 照庵大智老尼

 

正修行とは一念の前後際断された様子を自覚して「念」に投入していくのです。

「只管の一念」を護持

只管=余念のない事=何の癖も汚れも無い=縁に応じて自在=本質の純粋性を不純にしている

認める事の非なる事を知らねばならぬ

坐禅・只管・髄息とかにのみ思いを置かず常に今に在る相手なし

物の上に考えや念を添えねばその物のみ

一念を「今」ということに替えて

自分の考えを加えぬよう注意し「千変万化のまま只在る」ように努力

意の全く無い一念を護持し通す菩提心の強い事が肝心

 

修行の根本 照庵大智老尼

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

①思わないようにする(思いを無くそうとする)ことは不要と理解し

②思った(考えた)内容や思う(考える)働きについて考えることは不要と理解し

③意図的に考えをする(例えば仕事の計画を考える)ことは不要と理解し

何かの状態をきっちりつくろうとし、それを維持しようとすることは不要と理解し

万事を休息して坐ること=五感の内容、意図的でない思いの内容意図的でない考えの内容でいます

①~④を理解し⑤ができるようになると、思いや坐中の状態などが気にならなくなるのでただ坐れます

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

 

①事実・真実の絶対的な内容がすでにある

②事実を概念化(相対化)し迷い始めた

今の事実(五感の内容、思い考えの内容)に対して考えることをやめ事実(五感の内容、思い考えの内容)のとおりに過ごすことをすると

④自ずと事実が事実のとおりに現れ概念を通さず直知しはっきりするという単純なしくみです。

何かを思わないようにすることは、間違いです。

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

悟りとはこれから何かになるのではなく、元々ある事実を事実のとおりに知ったということです。

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

 

甲賀 裕慈 老師(前)(耕月寺)リンク先

リンク 坐禅のやり方

リンク 工夫について

 

 

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

リンク 坐禅のやり方

リンク 工夫について

リンク 坐禅とは

 

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

無我というのは方便です

悟りという境地なんてありません

悟りというものをこしらえて観察している様子

何か特別なものになろうとしたら間違いです

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

自分の心境を見ていないのを無我という

何か変わるわけではありません

問題にしなければただ事実だけあって問題は生じない

どうにもならないものと思うしかありません

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

自分を問題にしたときしかあらわれません

元来存在しないものです

無我無心というものを獲得することもまた出来ません

無我無心でもって聞き見みしている

考えの中を彷徨する

自分のようすとしてとらえた

ものはすでに観念です

観念上自分が想定されるだけです

心の安定など求めず

 

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

自分というものが架空のものだと実証すれば救われる

自分でなんとかしようとしないのが正しい工夫のありようです

自己なきままいけば問題にならず問題が起きなければそれがそのまま救いということです

2014/5/6 耕月寺 摂心 甲賀 祐慈

縁に従ってパット出てパット消えていく・物はすべて終わっている・それでもうしまい・何んとかしようとする・観念の世界で遊んでいる・獲得しないと納得しない・只、変化しているだけ・知る道じゃない・獲得するものはない・等価値にしておけばいい・この身体は自分のものではない・ほんの一時のもの・

(自分を何とか、自分の心をなんとか)・何かある、でも何もない・何か特別な者になる・(こうならなければならない、そうじゃない)・そうゆうことを一切やらない道・工夫して悟ってやろう、とたんに迷ってしまう・知らないままでいい・知ろうとしない・知らなくていい・

2014/5/5 耕月寺 摂心 甲賀 祐慈

結果を得たい・分からなかったら、分からないまま・頭を通す必要なし・何のいい様子を求めて行く・何ものも得ることは出来ない・

(無心、悟りを得ようと、ないものは得られない)・見ない・手をつけない・何もしない・物のいいよう・対象としてとらえる・(妄想は除きようがない、出てきたら、もうない)・仏教、坐禅は知ることではない・(悟って見たら何もない、得るものはない)・

 

2014/5/4 耕月寺 摂心

思い・働き・作用・自分のことを勝手に迷わす・底辺に自分をすえている・(まず自分を捨てていない、大事にかかえている)・何かを得ようとする・今の様子・妄想を除きようがない・

 

2015/1/9 耕月寺 摂心 甲賀 祐慈

知る必要なし・示す必要ない・自分を投げ出す・結果としてのものを出したくなる、見たくなる・わかることじゃない・答えを出す必要ない・自分の存在が答え・あり様が答え・何もするな・自分で作り出している・どうでもいい・どうなってもいい・知ろうとするから迷う・分かる必要はない・事後処理・信じ切れない・まだ何かあるにちがいない・どこまでいっても、あーだこーだ・知らないままでいい・

分からないままでいい・結果を出す必要ない・坐ることが結果である・

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

自分を捨てる

自分を殺す

自分を放り投げる

自分を忘れる

自分を観察しない

自分に手を着けな

自己=生じてない・滅しない・(生じないものは滅しない)・ないものはなくならない・

2014/5/17 耕月寺 摂心

甲賀 祐慈

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

 

耕月寺 抜粋(甲賀 裕慈・川上 雪担老師の弟子)

 

 

耕月寺 甲賀祐慈老師 

 

2019・4・26~4・30 ネット動画

「自分があると思い込んでいる(無明)(縁起)」

「聞いている、これが本来の面目だ」

「どうしようもない」

「変化している様子」

「自分自身に参ずる」

「死なない、ないんだから」

「無いものは生じない、死なない」

「観念から這入るから、考えから這入るから、・・・」

「ただ働いているだけ」

「働いている姿」

「方法じゃない」

「ただ変化していく」

「考えのなかしかない、考えた時にある、物理的にはない」

「考える機能を通してある」

「ないはずの自分に悩む」

「ないものをあると思い込む、それをなくすだけ」

「観察しつづける」

「考えに迷わされている」

「出て来るものに一切手出ししない」

「変化の様子」

「自分というものがなかつた」

「自分というものは考えそのものである」

「耳学問」

「自分の本性を知る(見性)」

「任せて坐っていれば気分がいいものですよ」

「考えを取り扱っているだけ、だから解決つかない」

「わかるとか、わからないとか、関係ない」

「偽物も本物もない(参ずる)」

「機能」

「迷いの様子があるのであって、・・・」

「今の様子としてとらえる」

「見えるのを確認している」

「観念上の有無」

「物理的には存在していない

「確認している心の状態」

「仏教・悟りなんてない」

「言葉で差し示すことが、することが、出来ない(パン)」

「妄想をなくすんじゃない」

「外のものになるんじゃない」

「事実に任せていればいい」

「今に参ずんです」

「悟りを求めて何かになるんじゃない」

「悟りなんかない」

「無我なんて・・・」

「知ろうとする、解ろうとする」

「知るとは観念上のこと」

「六根はおかまいなしに働いている」

「考えの中にいるだけ」

「今の自分の有様」

「働きとしての事実に教えられればいい、・・・」

「お釈迦さんは無いと言っている。・・・自分の考えで有ると思っている」

「自分が居ると頑なに言っている」

「意のなかで考えた時にある」

「意という働き、変化していくだけ」

「それを称して迷いと称している」

「意がただ変化しているだけ」

「最初からないんです」

「変化しているだけ」

「やめればなくなってしまう」

「自分で自分を迷わせている」

「何とかする必要はない」

何にもしない、これ坐禅要訣なり」

「如来の行、やってきたままですよ」

「自分の考えで細工をしないこと」

「後から出て来るのは全部説明である」

「今そのもの」

「迷いの様子・悟りの様子・今の様子

「意識・観念を持って自分をコントロールしようとする」

「意は働き」

「考えれば迷う」

「見性なんて今の様子なんです」

2019・4・26~4・30

 

2019・4・30

「悟りという様子」

「知らずに・・・やっている(眼耳鼻舌身意)」

「働きに任せればいい」

「吐く息が基本」

「坐禅したら坐禅しない。¥、坐禅らしくなる、考えの虜となる」

「無眼耳鼻舌身意(忘れた・・・、忘れて・・・)」

「自分が落ちていく(考えているから自己が落ちない)」

「見性(今の自分の様子なんです)」

2019・4・30

 

2019・1・17

「考えて納得しようとする(おさまらない)(解決しない)」

「座相の格好しているだけ」

「なんいもありませんよ(釈迦)」

「自分というなは考えそのもの」

「納得いかない」

「自分というのは考え」

「有るか無いか考え・観念、実体がない」

「ないままにしておく」

「考えなしでやる」

「考えた時しか現れない」

「考えをやめれば自己が失せてしまう」

「ないものがありようがない」

「かってに消える。それが無我」

「困ってりゃいい」

「文句を言わなきゃ文句を言うやつが消えていく」

「今に成り切ればそれでいい」

「心の整理をつけて理路整然と悟るということはない」

「すばらしい境涯に遊ぶということはない」

「解らないものを解って悟るものではない」

「如来の様子(如来、来たるが如し)」

「座相なんてどうでもいい」

「作り事をしないで正直にすわればいい」

2019・1・17

 

2019・01・18

「あなたがどうなんか」

「観念上のことですからね」

「追い続けることになる」

「今の様子に参ずればいい(観念じゃなく)」

「成り切ろうとやっとる奴が自分ですからね」

「坐禅をやってる奴をやめないと坐禅にならない(関門です)」

「疑問のままにしておければいい」

「なんとかしようとするのが迷い」

「聞こえたものはどうしようもない」

「出て来ておしまい」

どうかしなければならないのか自分が出て来ている

「座中の一切はどうなってもよい」

「ダメと言っても、自分、いいと言っても自分」

「勝手に消えてしまう」

「自分をなくす(意識という自分をなくす)」

「自分の考えとして扱わないといい」

得たいと思うならば捨てなければならない

「自分というのは考えの中の自分」

「考えの中にしかない」

「考えの方でもって坐る」

「むずかしく考えすぎ」

「特別な心境にもっていく必要はない」

「数息観みたいなよけいなことはしない」

「余計なことをやっている」

2019・01・18

 

2019・01・19

「余計なことをしない」

「どうでもいいこと」

「問題にしなければ・・・、問題にする奴が消える(我)」

あるものをなくそうとする・うまくいかない(自分)」

勝手に静まっていく

「作為」

2019・01・19

 

2019・01・20

「縁の如何を問わず、問題しなくなる」

「自分というのは考えの中にある」

「考えが勝手に出てくる、勝手に見えてる、勝手に聞こえている。(だから無我)

「六根は勝手に働く」

「自分なしでやっている」

「最初から無我でやっている」

「無我になる必要ない」

「無我のまま妄想」

「手を付けない」

「手を付けるから迷う」

「六根の働き(自分と関係ない)」

「何とかしようとする」

「知るとは観念の問題」

「考える世界から離れる」

「それを何とかしようとする(我)」

「考えをなくすことではない」

「今の自分に参ずるしかない」

2019・01・20

「迷われない、考えをやめればいい。」

 

耕月寺 甲賀祐慈老師

 

 

玖延寺 抜粋(阿蔵葺心あくらしゅうしん・川上 雪担老師の弟子)

リンク 普 観 坐 禅 儀

 

玖延寺 抜粋(阿蔵葺心あくらしゅうしん・川上 雪担老師の弟子)

自己に実体はなし、自己そのものを見ることは出来ません

観念の世界

観念上の造作

特別な悟りの境地などありません

何とかする必要ない

自己をつかまえることは出来ません

出来ないことをしようとするから悩むのです

観念をいじろうとしていないか

玖延寺 抜粋

思いの中身・性質

二つの思いが同時に存在するのではない

思いをどうにかするということは物理的に出来ない

出来ないことはしない

振り返らずにいられる力

力を引き出すもの

万物は絶えず変化する

不変の実体(自分)というようなものは存在しえない

玖延寺 抜粋

自分がない、まず事実あると知らねばならない

自分という思い

阻害要因=自分というイメージに対する執着

観念・イメージとして自分というものができてくる

「自分の」という形容詞をつける

イメージとは言葉の作りだす残像・実在しないものです

意志伝達手段=複雑な言葉という道具

玖延寺 抜粋

自分というのは観念です

意識が存在するかのような錯覚からぬけ出せていないから

未だかって過去が目の前に現れ出てきたことがあるか

玖延寺 抜粋

 

観念・イメージに影響されるー心の病

「自分」というイメージが諸悪の根源

手を着けることが出来ない(思いに対して)

忘我=記憶の全くない時間

ふりかえらなければ一切はなく、ふりかえれば一切がある

思いの上でのことだったと知った

意識上の「自分」と違う本当の自分があった

イメージに振り回されるということが根本的になくなった

玖延寺 抜粋

人の思い込み、意識上のひっかかりが実によくみえる

仏教は事実に基いた救い

仏典を乱読して何かしら仏教らしいものを持ってはダメです

自分は自分を振り返れない

人間の考えにならない事実そのもの

思い込みやとらわれは、それがない人にしかわからないという面があります

法性=悟りを開いた存在

玖延寺 抜粋

何か悟りの完全無欠のすばらしい境地があると思っては間違いです

答えはない

説明以前の存在・説明不能の存在

存在と説明がくっついてあるように見える

あることのように思ってしまう

悟り=ないものはないとしてそれを説明する

身心共になしっていうのか、事実なのですよ

ないものを観念という

事実のみの世界

玖延寺 抜粋

説明ゼロの世界

記憶ゼロの世界

悟り・忘我

存在そのものに救いがあるということを体得するもの

記憶が無い

能動的な意識の働きかけ

言葉の表現不可

自分というのは観念です

観念のこねくりまわし

玖延寺 抜粋

脳みそスクリーンに映し出すのは一つだけ

思いも常にたった一つずつしか存在しません

自分という観念におさらば

悟りがむこうから来てくれる

こっちから追いかけまわしている限りは金輪際ダメだと思い知って下さい

全くの五感だけっていうと記憶がない(意識の死)

意識が存在するかのような錯覚からぬけ出せていないから

玖延寺 抜粋

死という観念に振り回されない人

思量分別で理解しようというのは間違っている

物の存在と思いがくっついて見える故

人は錯覚している

人は観念から決別する覚悟が必要

忘我=証

特別な境涯なんてありません

未だかって過去が目の前に現れ出てきたことがあるか

玖延寺 抜粋

今しかないっていう事実

観念以前にとどまる

事実のみ

近い将来悟りに結びつくと思うなら、絶対にそんなことはありません

悟りというのはたった今のことだから

迷えない確かさ

玖延寺 抜粋

玖延寺 抜粋(阿蔵葺心あくらしゅうしん・川上 雪担老師の弟子)語 録

 

甲賀 裕慈 老師(後)(耕月寺)リンク先

 

丹下 覚元 老師(安穏寺)リンク先

 

安穏寺 丹下 覚元 老師 (ネット動画)

安穏寺 禅会 丹下 覚元老師

2018・8・7公開

「必ず今《どうなんだ》と問われる」

「今どうなの」

「今が《どうか》と云う事です」

「ハッキリしている。穏やか。安らか。・・・」

「今やること以外にやることはない」

「思えるけど・・・」

「本当に自分を生きる」

「それだけでいい」

「思い起こしたことを・・・」

「無我のポイント」

「自分の都合が立ち上がる」

「自分流の主観がなかった(禅定)」

「元々禅定の状態である」

「坐禅の要点」

「事実を捏造する・しない」

「脚色している。編集者が私達なのです」

「人間のもつ本来の静けさ、私というものが立ち上がる前の感覚というもの(悟り)」

自分のルールを優先して人に強いる

「悩み苦しみから自由になる」

「新たに思い出したこと」

「今思い出している・起こしているだけ」

「思い方を入っていない」

「火が消えている、思いが起こらない

「この身に上に起こっている様子なんです」

「特殊なものにしない」

「見解が立たない」

考えを用いず体感する」

「自己の身心に参ずる」

2018・8・7公開

「認識作用・分別作用に移行していない(空じている)(様子)」

「そこで生じて終わっている」

「人間の見解が追いつかない」

「身の上の事」

「体の上に写し出されている」

「悟りの様子だとかえり見る」

「非思量の状態」

「思考のペダルを漕ぐ」

「坐禅に囚われている」

「無我なる様子」

2018・8・7公開

「悟りの状態にある」

「価値判断に移行しない」

「真如の現われ」

「自己流の見解がどこにも入らない」

 

二回目

「人間の見解です」

「認識作用・分別作用(空じている)」

「そこで出て終わっている」

「見解が及ばない・追いつかない」

「人間は元から悟っている」

「分析・哲学」

「物と一つになる」

「最初から一つなんです」

「思考のペダルを漕ぐ」

「活動させない」

「禅定」

「仏道修行ぽいものをしている」

「自己が明らかになって・・・」

「自己が本尊」

「無我なる様子の象徴」

二回目

2018・8・7公開

 

2018・12・2

「手を付けないとは」

「出来事」

「感受する」

「反応する」

「ネガティブな反応」

「カラクリ」

「直後の反応(リアクション)」

「手を加えない様子」

「本当に力を抜かさせる」

「余分な事をしない」

「あるべき姿」

「坐禅ぽい

「考え方をしていた」

「形のキープしていただけ」

「坐禅らしい坐禅」

「ルールを捨てる」

「思い起こした時に記憶という」

「独立精神」

「脳の働き」

「横柄さ」

「私ルール」

「私というのが立ち上がっていない状態」

「常攝心」

「思考のお手付き」

「私のお手付きがされる前」

「人間の見解が入る前」

2018・8・7公開

 

「過去にそんなことがあるましたと今顕われている」・

ブログ

「観るというのは観念分析智ではダメ」』

 

22019・4・22 仏道修行の要点

「扱わずにいられる」

「自分のエゴに気づいてくれない」

「からっぽ人間・無能人間・傍観人間」

22019・4・22 仏道修行の要点

 

2019・4・22 般若心経講話

「レシピ本」

「ありのままに見る(如是)」

「見解せずに見る」

「見解が伴われていない現象(空)」

「空なる世界」

「見解を伴わない様(色の様子・空)」

「伴っていない状態」

「自由性(無我)」

「一本の木が用途多様」

「真実の様」

「怒りの様を否定」

「そうゆう様として見ている」

「見解を添えている」

「見解のない空なる様子」

「認識にのぼらないから空」

「見解という世界」

「空なる世界」

「滑走路(文字)」

「事実のに、・・・(言語がある)(考え)」

「言葉を越えた・・・」

「生きた坐禅」

「解説には用はない」

「そういうまんまに生きてもらいたい」

「薀蓄(解説したもの)」

「分析」

「悟りの内用と等しくなる」

「今の様子の説明」

「悟るようにさせる人」

「提唱(させてくれる人)」

「直に悟らせる(印可証明)」

2019・4・22 般若心経講話

 

安穏寺 禅会 丹下 覚元老師

安穏寺 丹下 覚元 老師 (ネット動画)

 

井上 哲玄 老師 (ネット動画より)抜粋

認識作用が死に切って再び認識作用が生まれて、「自分の存在・もの・が無かった」と気づく

生まれながら仏だと気がつくかどうか

 

意識を動いた時に(証・覚・解脱・悟・色々な表現)

体験者から体験者に伝わっているだけ

悟りたくなくとも悟るようになっておる

何もしない事が修行(大変難しい)

認識が死に切る、再び認識が動く

深浅の違いはありません(釈尊と同じ)

六根の機能の中には価値観は無い

熟睡している時は気がつかない(目覚めた時に気が付く)

縁によって活動する(自我などない)

「釈尊と説かれたものと異質なものとなっている」

物が二つ無かったら迷わ無い

知る者が介在していない(死に切る)

縁起の法則を説く為に世に出現する

認識する前の有様がどう成っているかを学ぶ

「何もしない」様にしようとする

全く何も解らない(思量が死に切っている・再び認識作用が動く)

人が機能を作っていたと、勘違いしていた

「目標を立てて向かうのは間違いだと知って欲しい」

何にもしない事が修行

認識が再び動いた

眺めている人が居なくなるまで

気づかれる前の状態が重要

自分の存在も何も無かった

耳に自我は無い

真只中では気がつかない

自分を眺めている

知るだけ余分

思いは実体を伴っていない

認識の前に気づく事が大事

事は起きて終わっている

聞きながら自分の考えを入れる

火は熱いと知る事は悟りでは無い

 

 

弟子によって師匠が証明される

事は起きて終わっている

自己はどこにもない

私の思い立つ時、自我が出る

やっぱりお化けが出るか

それがどうした

「妄想・観念」は無い

現実に空っぽでしょう

本当に死に切った人の様子

 

体験の無い人が伝えられ無い

(しば)るのは考え方だけ

井上 哲玄 老師 (ネット動画より)抜粋

 

井上 哲玄 老師 人我の見 ラジオ

人我の見 ラジオ 井上 哲玄 老師

「27才 井上 義衍老師 見性」

「人我の見が起きようなものがない、有様がある」

「人我の見が介入しようがない」

「元来具わっている」

「そのとおりの活動する」

「内、虚などいらんこと、外もいらん」

「自活動(天然の働き)」

「比較対象」

「本質を知る」

「自分というのは考え方(認識上)」

「認識だからやっかいじゃない、認識をはずれれば、自他の見解がとれれば」

「とるもんじゃない」

「しっくりしないほど、はっきりしている」

「考え方の中に入っていってしまう」

「今の様子しかない、何かある気がする」

「考え方に縛られない」

人我の見 ラジオ 井上 哲玄 老師

井上 哲玄 老師 人我の見 ラジオ

 

 

 

井上 貫道 老師 提唱録(電子書籍)(商品紹介より)

井上 貫道老師 提唱録

(電子書式)(商品紹介より)

思慮分別を扱う世界じゃない

人の見解をすっかり付けずに離れた様子「不思量底」

自分の思いが出てこない時

考えを付けているのか

考えを付けず実物そのままでいるか

「思量と不思量」

とにかく相手にしない

出てくる思いに対して、自分の見解で識別しない。(評価)

出てくるものに対して、出ないようにするようなことも一切しません。

こちらから造作して、作り変えるようなことは一切しないで坐るのです。「坐禅の工夫」

井上 貫道 老師 提唱録(電子書籍)(商品紹介より)

 

リンク 井 上 貫 道 老師 紹介ホームページより

分別心が起きて分からないと言わせている

今は探すものでもなく、尋ねるものでもない

事実は残らない・取って置けない

入って来る声だけまじりっけなく聞く

学んだものが邪魔をする

頭で考えた質問ばかり

自分自身を持ちこまない

自分の聞き方で持って聞く

今から離れたことはない

探す場所などない

見を立てない

自分の聞き方から離れる

自分で自分を苦しめる

子供は我を忘れて生活している

 

 

井 上 貫 道 老師 紹介ホームページより

 

リンク ネット掲載 抜粋 提唱 井 上 貫 道 老師

ネット掲載より 井上 貫道老師

 

坐禅入門①~⑨より

人は考えていない時に悩んだことはない

「考えること止めている時は・・・クリアーでしょう」

「自分自身の様子・・・探さないということはですね、すごく難しいんですね探すほうが楽なんですね

「何もしない、どうするんだろうって考えるからですよ、それを止めるのですね、そういう思考止める」

それらは考え事ではありません

「はっきりしている事、こっちを大切に扱うんです」

「本当に自分自身を見きわめる事に尽きるんです」

「悩み苦しみっていうのは、必ず今起こすだけなんですよ」

何をやっているんだろう?]っていうのは思いです」

聞こえた事に対する思いです

「思っている事であって聞こえてる事はそういう事ではない」

「事実に学んだんです、考え方でなくて・・・」

考えると難しくなるんですよ

音がしているだけで済んでませんか?

見極めるって時は思考を使わない

考え方で見ている

「自分がどうあったらいいかって事が問われているだけで・・・」

無条件でいてみる

頭のほうで何か探るのでなくて

ちらっと[なるほど、そうだな]

「・・・ただそのまんま受け入れられるようなところまでいけば大丈夫です」

坐禅入門①~⑨より

 

「修行するっていうことは、思慮分別を扱う世界じゃないのですね」

・・・・・・・

本当は[鏡の中の様子だけ]なんです

仮に名付けて心となす

[それ・これ]

「眼耳鼻舌身からの感覚がなければ意は起きてきません」

「(参じる)すっかりこちらのものがなくな

り事実だけになった様子です」

すでに解脱しているんです

実証方法を伝えて来た

「考えにひたっていると、[考え方]の世界に行っちゃいますね」

考え方に変えてしまっているんです

後から考え方に変えてるだけです

考えをやめるんじゃないんですよ

何も思わないようにするのではない

考え方の世界に行っちゃいますね

「自分が関わって考え方に変えてしまっているんです」

「きれいさっぱり他のものがなくなっているんです」

単に力んでいるだけです

「今の自分そのものに参じていくことが修業」

「[みんな何か目標を立てて、努力をして今の自分とは別なものになろう]としてしまっています」

「[今の自分そのままが真実で何の問題もないんだ]ということがなかなか伝わらないですね」

理想を求める境地を頭で探しています(真実から外れています)

「[そうなれるか][できるか][そうなっている]ことを確かめてください」

「[どうしようか][こうしようか]というのが休まっている時が正法現前です」

「今この様子そのものであることが精進で

す」

「頭で理解しようとしている様子が見受けられますね」

機能としての[思い]は問題ありません

 

ネット掲載より 井上 貫道老師

 

・・・・・

【悟りのイメージが危険

悟りに用がないということにすればいいんです。

悟りたい分かりたいという気持ちに用がある人は何しているかというと、いつも追っかけっこしているんです。

実際は手を叩くと「パン」だけで終わってるでしょう。

それで満足いかないのは「考え方」があるからです。】

・・・・・

 

2017・2・26 考え方を離れる(ネットより)

「考え方の上で物を取り扱っている」

「概念を取り扱っている」

「生き様」

「正しく受け取っている時の姿」

「自分の考え・見方を付けない」

「自分の考え・見方を通して触れている」

「運転しなければそのままでいられる」

「余分な物を付けないこととは、・・・こんなことなんか」

運転しないで過ごしているすっかり分かる

「ありそうに思っている」

「それにちがいない」

「わからないですか、わかっているはずだ」

「その通りになる」

「ありのままに居てごらん」

「考え方を起こさない時は問題はない」

「見方が持っていますが」

「見方を持っている(心意識の運転をしている)」

「思量分別を離れる」

「聞く耳を持たないから横柄になっている」

2017・2・26 考え方を離れる(ネットより)

 

 

 

「そのままほうっておくんです(心意識の働き・修行)」

「問題になるのは思い出した時だけなんですよねえ」

只管(管・ひたすらと訳されます・宋代意味として[必ず][確かに]です)

「諸仏の過ごされた境涯というものを身体で楽しむことが出来るのです(二度と迷いの世界に戻れなくなるという事です)」

一生の参学の大事おわりぬ(道元)

「自覚がない限りは誰も自分にそれがあると思っていないのです」

 

「出たものを出たままに何も手を付けずにいれば、全然心を煩わさないよね」

「主なくて見聞覚知する人を、いき仏とは是をいふなり(至道無難禅師)」

「理想を求める境地を頭で探しています(真理から外れています・迷いの根源なんです)」

倫理・道徳の世界ですね

「自分自身の今の様子に目に向けて、それをきちっと見極める」

思慮分別を扱う世界じゃないのですね

意根を断ち切れるのです

坐禅は[真実]に用があるのです

 

実際にはありません

妄想を相手に見るようになる

真実に目を向けるのです

意(思い)

追求せずに過ごしてみる

是非をつけない

「よしあしでものを見ない、比べない。これが[意根を断つ]ということでしょう」

思考回路から離れる

「思考回路を使わないと、真実というものがよく見えます」

「真実(自分の思慮、分別、考えかた)をやめてみたときの自分のすがたです」

「事実に即していれば、考えが[やまる]んです」

修行とは何もしないこと

「思いが出ないようにするのではありません」

相手にしない、手をつけない

すぐに余分な思いが起きてきます

「人の見解が本当にぶち切れてしまう・・・

(井上義衍老師)」

「[ものの存在も、人の存在も、すべてなくなってしまう]という事実があるんです」

自己に参ずるのみ

自己自身に徹見せよ

自分の見解を起こさずに・・・

「考え、思いの上生じたものと造りものでない事実の区別」

妄想を相手に笑えるようになる

「真実(ぬきさしならない今)」

「是非、よしあしでものを見ない、これが(意根を断つ)」

思考回路から離れる

 

井上貫道老師提唱録本文より抜粋

2015/6/11 考えても事実・・・

2015/6/12 事実はあなた・・・る

2015/6/13修行とは何もしないこと

2015/6/14 坐禅の極意

2015/6/15 仏道修行

2015/6/16 何も思わない・・・

2015/6/17 すべては自己なり

2015/6/19 坐禅は年月・・・

2015/6/26 悟り(見性)

2015/7/2  今の人には・・・

2015/7/14内も外もない

2015/7/24 仏道は理想を・・・

2015/8/11 修行とは・・・

2015/8/16 春秋提唱

2015/8/18 春秋提唱(2)

2015/8/19 夏季大摂心

2015/9/1  意根を断つ

2015/9/13 意根を断つ続き

2016年東山摂心会

 

ネット掲載より 井上 貫道老師

 

・・・・・

悟りへの道 2014729 公開

今のあり様に学ぶ

【人がいなくなる・個性が無くなる・物と一つになる「そのような事は無い」・想定している】

「一つになったと言うことは、一つになっていない証拠」

問題が発生しない

体験の無い人はえがく

既に一体

自分の考えでどうこうするのでは無い

悟っている内容に気が付かない

さとりと言う鳥は生け捕り、捕まえたら死ぬ

悟りへの道 2014729 公開

・・・・・

・・・・・

神戸坐禅会29・1・29 提唱 ネット動画より

「自分の方から働き方をしない」

「作り事でしょう」

「一切手をつけるな」

「考え方をやめると真実がど真中にいる様子がわかる」

「影像を追わなくなる」

「絵空事を相手にしている」

「思い事を相手にしている」

「ことさらにやらない」

「お茶の味は飲んだ時だけする」

「表現する程度」

「考え方の上に立って整理したのみだ」

「事実にふれるとほど遠い」

神戸坐禅会29・1・29 提唱 

・・・・・

ネット動画より

ネット(2018・8・3 公開)

 井上 貫道 (丹下 覚元)

 

「今の有様だけ」

「理解が付いて・見解が付いて」

「見方を付けた」

「名前は付いていない」

「人間が付けた」

「自分流の見方なんて出来ない」

「皆余分な事」

「見解を付けず・離れて」

「問題になる事を取り上げる」

「健康の時には問題にならない」

「自覚をする教え」

「自分自身の有様(自分自身を知る)」

「考え方を止めないと治まらない」

「自覚すると、増えもしなければ、減りもしない」

 

ネット(2018・8・3 公開)

ネット(2018・6月))

 井上 貫道老師 (丹下 覚元老師)

「所作でわかる」

「どういう様に過ごしているか」

「不生滅の活動(空)」

「片付け様とする、思う」

「坐禅だけする」

「正しく理解され、実行されていることに用がある」

「本当にその事が有るだけ」

「考える事を止めて体験する」

「その時にその事をやるだけ」

「知らぬが佛」

「どこにも無くなる」

「他のものを持ち込まない」

「煩悩の数だけ幸せがある」

「考え方を止めないと治まらない」

 

ネット(2018・6月))

 井上 貫道老師 (丹下 覚元老師)

 

2018・12・11 成道会提唱

「悟りの内容を明確に説かれています」

「人間の見解が付く以前の確かな真実がある」

「向こうの様子が向こうから来る」

「努力することを一切必要なし(万法が証せられる)」

「考えている範囲」

「時は今の様子だけ」

「頭の中はそうじゃない」

「今の有様だけ」

「考え方の離れた世界に入ってこない」

「考えてる方を相手にしている」

「実物は一言も文句を言ったことはない」

「考え方と違うということがわかる」

「自分という顔を出した・・・」

「つまらない事を考えるのをリセットする」

「考え方でしか物を見ない」

「仏の世界は実物で生きている」

「今活動している様子」

2018・12・11 成道会提唱

 

只管打坐の極意》

「すでに解脱してるんです。そのことに気づ

き、ああ、なるほど確かに解脱してるな、となるのが坐禅です」

「考える必要は一切ないのに」

只管打坐の極意》

 

《坐禅の内容、座禅中にどのように過ごすのか》

「目に見えるもの、耳に聞こえるものは、これらすべて、自分自身の様子さんです。事実に即していれば、考えが『やまる』んです。」

「五官の機能に任せる」

「六根の働きのままに、浮んできた思いをとらえず手をつけずにそのままにしておく。」

「修行とは何もしないこと」

「五感を自分の為に使うことをやめる」

「思いが起こってもそれを相手にしない、手をつけない」

「思考を観察することでもありません」

「思いがでないようにするのではありません」

「何も捨てるものはないんです」

「今の様子に参ずるのが下手なんだね」

機能としての『想い』は問題ありません。それに自分の考えをかぶせるから問題になるんです。手をかけてしまっているんです。」

「『坐禅』というのは、今の実相、活動にそのまま親しくしていればいいんです。」

観察するのではなく、事実のままにあることです」

「考えが整理されただけのことです」

《坐禅の内容、座禅中にどのように過ごすのか》

 

リンク ネット掲載 抜粋 提唱 井 上 貫 道 老師

 

リンク ネット掲載 抜粋 提唱 井 上 貫 道 老師

普勧坐禅義 井上貫道老師 2014/99/公開

 

勉強したものは放り出す

話が入らない

自分の聞き方を持っている

自分の分別で取り上げる

「見方考え方を付けているか、いないか、非思量」

今、事実(即今底)

自分自身の正体を見破った(釈尊の悟り)

非思量の世界・徹見する・事実の世界

わかったように表現する

坐禅は即今底

今の事実を考えを付けず参ずる

今の自分の様子だけで足りる

 

 

感違いしている

持ち物一切持ち込まない

非思量の世界(事実の本当の姿)

活動しているだけ

本質を見ないで勝手に思いわずらう

自分で不自由にする

思い起こし(記憶)問題にする

頭で考えた質問(頭で作った質問)

形を作って坐っているだけ一応形だけ

本質にはない

苦しむのは(自分を立ててる)

子供に学ぶ(自分を認めていない)

【「この物の働き」と理解した方理解しやすい】

 

普勧坐禅義 井上貫道老師 2014/99/公開

YOU TUBE 井上貫道老師

成道会提唱 井上 貫道老師(丹下 覚元老師HPより)

「坐っている時、どう過ごしているか?(何しているのだろう)」

「どのように坐っているか」

「教わったことを、実践しているか」

「私には悟りとはと考えるのは問題がある」

「考えている範囲」

「時はいつでも今の様子だけ」

「その場限り」

「必ず今やっている様子だけ」

「考え方を取り扱わない」

「なってるけど知らない」

「自分の体で味わってもらう」

「時間が短かった、よく坐れたというものではない」

考えた世界を離れた世界に入っていない」

「こっちのこと(自己)を忘れる」

「親しくなると自分を忘れる」

「考え方で追いつかない」

「考えてる方を相手にしている

「その時の有様」

「考え方が付いて、見方が付いて実際に触れていることが、(ないがし)ろにされる」

「実物は一つも文句言ったことはない」

「実物を見ないから」

「それが仏教の心髄」

「求めるな・探すな・尋ねるな」

「今の事実から離れていく」

「それを不生不滅」

「探し始める、真空から目をそらし始める」

「今の自分の活動の様子」

「人間もリセットすれば、・・・」

「自分自身の真相(坐禅)」

成道会提唱 井上 貫道老師(丹下 覚元老師HPより)

 

2018・6月 井上 貫道老師(丹下 覚元老師HPより)

「求めることをしない」

「一番素直な行為」

「人間の考え方の範疇から外れない」

考え方でない世界

「考え方の前にある(見聞覚知)」

「本能自ら空」

「何ぞ除くことを要す」

「一切しない」

「様子が出て来る」

「有るのは思いの中だけ」

「考え方なんかいらない、本質が見えなくなる(坐禅)」

「分析をやるとわからない(手を付けると)」

「手付かずにそのものをそのままに見る」

「気づくと、自覚すると人は変わる」

「坐るということを、正しく理解され実行されているかに用がある」

「見方・考え方」

「何もしてない(見ている・聞いてる)(比較対象を持っている)」

「考え方の上の何もしない」

「呼吸(何もしない)」

「考えることをしない(坐禅の体験)」

「知らぬが仏」

「思わない時何処にあるのか」

「思い起こした時だけあるだけ、思いがやまると何処にもない」

「他のことを持ち込まない」

「考え方の方が気になっている」

「煩悩の数だけ幸せがある」

「取り除く必要はない、残らない」

「煩悩の塊、何処にあります」

2018・6月 井上 貫道老師(丹下 覚元老師HPより)

 

2018・8・3 井上 貫道老師(丹下 覚元老師HPより)

「坐ってなにがしを求めるのじゃなくて、」

「人間の付けた見解(有無・明暗・・・・)」

「真空は見解は一切ない(実相)(現象・活動)」

「見解に付けても、離れても真実は変わらない」

「分った様に理解している、事実から離れる」

「事実を見せただけ」

「理解が付いて見解が付いて変えている」

「そのまま終わってしまう、見解が付かない」

「見ていることと違うことをやる」

「見方、考え方を付けた」

「一念を起こさず(真相)」

「求める・尋ねる・探す」

「聞いたものを蓄える」

「頭の中で(ひね)くり回す(やめることが修行の一番肝心な事)」

「方向付けている」

「理解しないと分らないか」

「生きてる様子だけ」

(つか)んで取り上げるから問題になる(相手にする)」

「人の様子を見て問題にする」

「問題になった時だけ相手にする」

「問題にならない事は相手にしない」

「私達の本性(問題にならない事)」

「この真実を伝える」

「このものの働き」

「自分自身の真相(自覚)」

「実物そのまま受取るか」

「屁理屈が沢山付く」

「実践しないと無理」

「教え(お茶をのめば、お茶の味がします)」

「教外別伝(実際に飲まないと分らぬ)」

「自覚しないと自分のものにならない」

「自覚するとスッキリする」

2018・8・3 井上 貫道老師(丹下 覚元老師HPより)

 

 

「非思量の世界」

「無心・無我」

 

「普勧坐禅儀 井上貫道老師」

「取り扱いをしない」

「人がなければ出来ない、人がいなければ運転出来ない、測量が出来ない」

「概念化して持っている、・・・」

「聞き方を持っている」

「分別で取り扱うから」

「言われた通りやってない」

「自分の思い・考え方・見方を付けているかいないか(不思量・非思量)」

「自分の今の様子」

「今の様子に目をむけていない」

「勝手に想像している」

「頭で考えた質問」

「心というのは何の正体もない」

「出ると気がつく」

「自分で自分を苦しめる(自己の考え方が出て来る)」

「坐禅をするとは自分を持ち込まない

「自分の聞き方を持って聞くからダメなんです」

「事実を知りたかったら、事実に触れること」

「分別心を持ち出すから分からなくなる」

「見を立てない(坐る)」

「修行のあり方」

「隠したものは一切ない」

「自分を離れて捨てていけない」

「普勧坐禅儀 井上貫道老師」

 

YOU TUBE 井上貫道

 

ネット掲載 抜粋 提唱 井 上 貫 道 老師

 

京都坐禅会ネット動画抜粋 井上 貫道老師

京都坐禅会ネット動画 井上 貫道

29・1・292・264・235・287・308・2710・2911・2630・1・2830・2・2530・4・22

 

「自分の中で問題がおきる」

「考え方を離れないと、よくわからない」

「思いを離れていない」

「考え方で扱っている」

「自分で何もしていない(取り扱わない)」

「何もしない(無為・無作)(自分の考え方で手を付けない)」

「考え方を学ぶのでなく自分自身の真相に触れてごらんと説いている」

「皆自分の中で問題を起こしている」

「思いというのはこんなに人を惑わせるものなんだ」

「理解するということじゃない」

「決着が付くという事はこれくらい簡単なことですよ」

「音には考え方は付いていない(音がするばかり)」

「悟りの様子でしょう」

「人格が一変する」

「思量分別を超えている」

「悟れるとか用はない」

「考え方を全てやめてしまう」

「真相に親しくいること」

「坐禅中は『求めない』事」

「想念が出て来る事は問題ではない・・・取り扱うから厄介になっているだけであって、出て来たことに問題じゃないんですよ」

「思いの評価はしてはいけない」

「求めない」

「真相から離れていく」

 

京都坐禅会ネット動画 井上 貫道

京都坐禅会ネット動画抜粋 井上 貫道老師

 

高知楽しむ会@高知 井上貫道老師

高知坐禅会

 

襌 提唱

「分別心を離れた様子」

 

伝心法要14 求めるものがないということ

「分別の想を生ぜられば、求めるものがないならば、」

「妄やめれば寂静なり」

「真実そのものが展開されているだけ」

「真実そのものがよくわかる」

「考え方を整理するのではない」

「考え方はいらない実物が考えてくれる」

「考え方のほうを取り扱っている」

 

高知楽しむ会@高知 井上貫道老師

 

ネット法話 長 井 自 然 老師

悟りへの道他ネット動画 長井 自然老師

 

考える主体

考える実体を認めている

問題は起きない・取り扱わない

悟ると言う事が無くなると悟る

問題無い所に居る

どうこうしたがる

万法にもう証せられている

主体・実体がない=解脱と言う

脱落身心=始から脱落している

執着がなけりゃ問題ない

実体が有る様に錯覚する

ほっとけば良い、無くなって行く

思いの処理法

其れらしき物を追っかける

此方から運んでは行かない

知ろうとしないでもちゃんとある

どうこうしようとするから混乱する

始から問題なかった

事実じゃない錯覚している

問題起きなきゃ修行なぞいらない

此方から何かし様とするのを解決

ほって置くことが坐禅

消滅する

思いと誤っている

言葉を認めている

「思いをほっとけるようになる」

「二つにならないと考えにならない(一つだと考えにならない)」

「行きづまる」

「いまそれで充分だ」

「取り扱わなければ問題は起きない」

「取り扱うことをほっときなさい」

「悟るということが無くなると、悟る」

「悟りの真っ只中にいるのに悟る必要などない」

「何も間違いのない所に居る」

「どうこうしたがる」

「何も問題ない」

「主体自体これぽっちりもないことを、はっきりする事が解脱」

「始めから解脱した身心」

「意の作用」

「一つだと考えることが生じない」

「考える産物」

「なんで迷わなければならんか」

「始めから問題がなかったんだ」

「解決しようとする(ほっとく)」

 

悟りへの道他ネット動画 長井 自然老師

 

30・8・26 ネット動画 長井 自然老師

「思考、考えをほっときゃいいんです。

捨ててかかる、これが廃ってしまうと、私というものが消滅するんです。

これですよ。これが坐禅です。

私が消滅したら、外も消滅する

。自他のないあり様で、今生活出来ているのですけど、頷けない。

これ思考、考えで取り扱うからです。」

「思考、考えとしてものを取り扱ってる間は実物を見ることは出来ない。

如是の法としてのご自身の本来のあり様を自覚することは出来ない。

ですから真相を知りたいということがあったら、自覚したいということがあったら初めから思考、考えを捨ててかかりなさい」

「それ自身がそれ自身を自覚出来ない」

30・8・26 ネット動画 長井 自然老師

 

ネット法話 長 井 自 然 老師

 

ネット法話 川上 雪担 老師

坐禅についてー只管打坐 川上 雪担

 

「心が心を見ることをしない」

「必ず手をつける」

「そういう自分を見ている」

「影を眺める」

「かってな空想を追う」

「只管打坐にはならない」

「自分が自分を観察することは不可能なのに、・・・」

「空想し、それを追う心あって、・・・」

「・・・ないことに苦しむんです」

「心がないとは心がたった一つということ」

「自縄自縛する縄をほどくんです。ほどき終わればもと仏」

「歴史宗教イデオロギーなど、もと人間のかってに作り出したものです」

「ついには自分というものがまったく失せるんです」

「自分という思い込みの殻を抜けるんです」

「体がなくなって風景と自分が一体化している。それを見つめている自分があったらだめです。(忘我といいます)」

「ほんとうに忘れ切って、そうして一念起こるんです」

「なにかしら手段を取ると手段倒れです」

「いったん人間を卒業するんです」

「やさしく云えば元の木阿弥、難しく云えば、一句持って来なさい。是は是、不是は不是。」

坐禅についてー只管打坐 川上 雪担

ネット法話 川上 雪担 老師

 

原 田 雪 渓 老 師

 

原 田 雪 渓 老 師

(「真実の自己」と表現しているわけです・

「働きそのものであるということを知ることです{法}・

自らが法そのものであったことに目覚める)」THE・禅 (原田 雪渓)

 

「ない」ものを認めて「ある」と思っている(宝境三昧普説)

顚倒妄想して迷っていると思っているだけなんです

(宝境三昧普説)

「空・法(理論付け・因縁果を法則として立てた)」

THE・禅 (原田 雪渓)

迷いようがないものを迷っていた(宝境三昧普説)

徹底的に思慮分別を出し尽くしてしまう(公案禅の特色)

(宝境三昧普説)

「無我になって様々の生活が出来ている人を仏様という」

(宝境三昧普説)

「もともと自分なんていうものはないのに、なぜ、自分を忘れる必要があるのか」(宝境三昧普説)

「自分を忘れるということが目的です」

(宝境三昧普説)

なりきらない限りは自分がある

自分というものがなくなればよろしい(宝境三昧普説)

(脱落身心)

すでに脱落をしている身心である。したがって身心を脱落するだけ不必要なことだTHE・禅 (原田 雪渓)

「意根を座断して知解の路に向わざらしむるなり」

(宝境三昧普説)

六根の働きのままにまかせておく。

自分の考えをまじえずにまったくその働きのまままかしている THE・禅 (原田 雪渓)

「このもの」が縁そのものになった

THE・禅 (原田 雪渓)

「すでに脱落をしている身心である。したがって身心を脱落するだけ不必要なことだ(脱落身心)」

THE・禅 (原田 雪渓)

身心脱落(相手になりきって相手も自分もなくなった状態ですから平等です)

脱落身心(自分を忘れてものになりきる・差別)

(宝境三昧普説)

自分を忘れることが目的です(宝境三昧普説)

仏教(私たちが本来自己などなかったことに目覚めることです)THE・禅 (原田 雪渓)

念として生じたものはすべて影です(宝境三昧普説)

無病の病(宝境三昧普説)

 

 

 

原 田 雪 渓 老 師

 

原 田 雪 渓 老 師

(「真実の自己」と表現しているわけです・

「働きそのものであるということを知ることです{法}・

自らが法そのものであったことに目覚める)」THE・禅 (原田 雪渓)

仏教(私たちが本来自己などなかったことに目覚めることです)THE・禅 (原田 雪渓)

自分さえ忘れさえすれば仏様(宝境三昧普説)

求むれば必ず落とし穴に入る(宝境三昧普説)

「自己を忘じなければ本当の相をつかむことは出来ないのだ」

(宝境三昧普説)

「捨てず、(つか)まずになっておりさえすればよろしい」

(宝境三昧普説)

業障の海はみな妄想より生ず(普賢経)

本倶仏性(本来の自己)(宝境三昧普説)

自我を忘れて認識する以前の状態に戻ることです(宝境三昧普説)

釈尊の教えは無我の教え THE・禅 

原 田 雪 渓 老 師

 

原田 雪渓 老師

     ・・・・

思いに執着して、其処から離れられない

 

想いや考え其のものは、善でも悪でもありません

 

邪魔にする必要の無いものを、自分の考えを用いて、わざわざ邪魔にして、其処に有るものを、其の侭(つか)む事ができない

 

迷いだとか悟りなんて云うものは、元々有るものでは無い

 

思いに執着してそれから離れら無いだけの話

 

捨身施虎

 

絶対に手を付けて正しいものを求めない様に

 

理として理解をして、真実坐ると云う事に懸命になって解る

 

本来の面目(私そのもの)

 

自分の一念に苦しめられている(正受老人)

悪いと思う(自分)一念が自分自身を苦しめている(正受老人)

其れに囚われ実在と思い込み、思い(わずら)う事によって自分の迷いを作り出す(正受老人)

なんにもありはしない(正受老人)

 

 

念を休せば即ち安楽なり

 

自分の考えの中のこと

 

一切の業障海は、皆妄想より生ず(普賢経)

自我の迷執

妄想=無いものを有ると思う

 

見聞覚知の働きをしているものを、自分だと思っている。妄想の根源です。

 

自我を滅しましょう、空になる為

 

自分の考えの中で空を作る

 

人我の見が無くなる

 

去来の相

・・・・・

 

原田 雪渓 老師

 

原田 雪渓 老師

THE・禅 原田 雪渓

応量器(あなた自身をきれいに掃除し、片づけておきなさい。)

自我の本当の正体

「自分自身を介在させますから、ものが比較して見えるわけです」

禅の修業(自己の介在から離れる修行)

知識・教養・学問

「いま」の世界に自分が安住すること

思想・知識・概念

わからないことがわかった

煩悩という名の仏性だ

親しむ(距離をなくす)

「一方がなくなれば対照の片方もなくなる。片方だけ残ることはあり得ない」

目を鼻端にそそぎ

身心脱落

生き死にを超越

意識によって意識を擦りつぶす

分別心をなくす

六根の働きのままにまかせておく

第二念の意識(分別心)

「自分の考えをまじえずに、まったくその働きのままにまかしている」

「すでに脱落をしている身心である。したがって身心を脱落するだけ不必要なことだ(脱落身心)」

我見(対象に存在してると思い込んでいる・分別心)

眼のつけどころ(問題意識)(自己というものを解明)(脱落する縁に合う)(心掛け次第)(目標のつけるところ)(視点というもの)

自己に親しむ

心を(おさ)める心を整える

現在「いま」を確実につかむ

「現在・如是・空・無・道・禅・法」

変計

このものが縁そのものになった

 

「私が{悟りを開いた、私が目覚めた}というものではありません」

このものとは何か(私の正体)

このものの働き六根の働き

六根という道具の機能が集まっている

識は人間にしかない

無此物無彼物(増阿含経)

此物有故彼有彼物

「自己を認めることによって一切のものが生じる」

知にも属せず(妄覚)

不知にも属せず(無記)

「仏教(私たちが本来自己などなかったことに目覚めることです)」

・・・・・

「釈尊の悟り」

事実の後(ものを認める)(心に銘記)

因果に安住する

「自我・自己・自分というものの存在がまったくない」

「自分の死んだことを自分で知ることできません」

識によって生じた自我

「自我に執着することによって苦しみや迷いを起こしている(自我の迷執)」

自我の迷執から解脱・解放(禅の修業)

真実の自己に目覚める

本来の自己に目覚める

一切のものが空になる

「悟る以前と悟った以後とかあるようでは本当ものではありません」

釈尊の教え(無我の教え)

法を示す正師

事実を素直にそのまま受入れる

     ・・・・

「空」

識の働きによるもの

相対的なものの見方

振りまわされ

 

「心(自分がものを認め自分がものに対して木や石ではないと感ずる働き)」

「意(ものを計る、分別する働き)」

「識(決め込む・思い込む働き)」

念(考え)

想(念を相続)

法は無相

同じ事実を様々な言葉で表現

特別な名称はない

空の空空の縁空の自分

活動(業・カルマ)

自我の所作

「一切のものも移り変わっています(実体がない・無常)」

自分は空になったけれども相手がある

仏(ものの本質をいいます)

仏世界(本質だけの世界)

「生死(このものの変化の様子、無常ということです)」

本来の自己に目覚める

・・・・・

「禅の要訣」

真実の自己に目覚める(自己を忘じる)

捨てきること

真実の自己を表明

このもの(自分の象徴)

「脱落(一つになったこと)(自己の身心他己の身心、自他、主客をして完全に脱落した、一切のものがなくなったということです)(空になったということです)」

信決定

法理

事実というものは考えの前にある

見性を認める自分があるうちは、・・・

見性以前と以後と隔てができてしまう

無我意識

事実で「ある」と認識「迷い」

事実も「ない」と体得「悟り」

{「目的を持たない」ということが目的になってなっています}

手段・方法(途中のもの)

公案がなくなったとき

「働きそのものであるということを知ることです」

「自らが法そのものであったことに目覚める」

(真実の自己)と表現しているわけです

を備えているか否かが、人と動植物の相違を生む」

「修行の目的は識の参究する点にある」

識の空であることを知る

「一応、説明として「空」といっているだけ」

禅というのは特殊なものではない

「わかっているというだけではいけません」

葛藤に身心を(から)められて身動きできない

自己不明縁起の法

「心(はっきり自分がものを認めて、自分はものに対して木、石ではないと感じる働き)」

「意(ものを計る、分別する働き)」

「識(決め込む・ないものをあると思い込む働き)」

念(考え)

「想(念を相続していってしまう・続けて想うこと)」

「思うのを止めよう一念だけにとどまるように努めよう一切の働きのままに坐りなさい」

「考えないでおこうそのままにしておこう一切おもいません

「実相は無相なり(至るまで)方便」

同じ事実を様々な言葉で表現

「空・法(理論付け・因縁果を法則として立てた)」

変化していく活動(業・カルマ)

三悪道(餓鬼・畜生・修羅)

仏(ものの本質)

真実の自己に目覚める

真実の自己の表明

自分の一切の考えがなくなった

明確に自覚すること

「一切のものがなくなった空になった空であったと自覚すでに脱落していた一体であった」

「これから空になって、無になって、一つになって、修行するということではありません」

自覚する者がある

問題自体が空

信決定

認識は事実の後に生じる

禅に執着

「目的を持たない」ことが目的となっている

「働きそのものがあるということを知る」

「真実の自己」と表現している

修行の眼目は識の参究する

識の空である(因縁生)

見性じゃ作用にあり

因縁に任せていく生活

因縁に安住する

「縁に左右されない自分が本来の自分自身である」

「苦の元になるようなものは、なにもなかったことに気づかれた」

「参禅の三要素参師聞法坐禅工夫戒法の護持」

「考える癖・坐禅の力・(離れる)(自我意識)」

理に契うも亦悟にあらず(参同契)

自分の介在があるかないかの一点

柔軟心(円通)

識によって生じた自我自我に執着

真実の自己に目覚める

自我が介在して本来の自己と一つになれない

本来の自己に目覚めている

釈尊の教えは無我の教え

信決定

法の上人の上

自分を仮に鏡にみたてなさい

「自分を運んで自分を立ててものを証するを「迷い」といい、ものが来たって自分を証することを「悟り」という」

自我意識を滅却する

「坐禅」(方法・手段ではない。結果でありながら結果を求めている

そのままにしておきなさい

「自分の考えで手をつけない心の本来の働きのままにまかせておく

「自己を運ばない、自己を忘れるということです」

心の作用(本来の動きを止める動かさないのは大変な間違い木石ではない心の作用のまま

観(決定すること・決めること)

一切不要なこと

自我の迷執

「自我というものは本来ないもの、あると思う(無明)」

実相(ものの本質)

無相(姿・形もないもの空

昏散(昏沈(こんちん)・散乱)

待悟禅

坐に執してしまいがちだからです

相手(法空)・自分(人空)もなくなる

ないものを認めてわざわざ苦しんでいる

「生と死を認める自分が完全になくなった状態、これを「生死一如」といっています」

大死一番

「自我が生死ということを問題にしているだけです」

・・・・・

THE・禅 原田 雪渓

 

原田 雪渓 老師

 

原田 雪渓 老師

参同契普説 原田 雪渓

 

石頭希遷

(大仙の心・仏心)

(人・回互・暗)平等

(法・不回互・明)差別

禅理(平等)

禅機(差別)

宇宙の真相

自分自身も法則そのものであった

居士(こじ)・大姉(だいし)

喧々囂々(けんけんごうごう)

法則に従って動いている

「法は実際見ることができない(実相は無相である)」

自分自身の法に気づくこと

自他の見自他自我の見

契(かなう)融合

「雨あられ雪や水と隔つれど

落つれば同じ谷川の水」

体(かたち)・相(すがた)・用(はたらき)

私自身もともと実体のないもの

ないものを認めてあると思うことが間違い

(きょう)(さく)で連策

空(平等)事象(差別)

理(平等)事象(差別)

要は自己を忘じること

 

 

経行経行鐘(きんひんしょう)

粥座(しょくざ)齋座(さいざ)薬石(やくせき)

行住坐臥(身口意)

空平等理

事象差別事

分別心を生じさせる

私自身が作っている

疑煩悩

三物「血脈(けちみゃく)嗣書(ししょ)大事」

回互(えご)・平等不回互・(さべつ)

事実というのは善悪を離れた状態

「見性だとか悟りだというようなことは、すこし努力すれば出来ます」

自我迷執

普賢経(一切の業障海はみな妄想より生ず)

業(はたらき・行為)

「「ない」ものを「ある」と思っている(妄想)」

坐に執するきらいから公案禅が生まれる

自我が滅した状態(無自性空)

取捨の二義を見ず

二つに見るから苦しむのだ

相対的思考

実相は無相である(空をつかめる)

本来そなえている機能(仏知見)

仏道は、自らが自らを救う道である

思考以前の状態生活

平等面(みんな一つのもの)

差別面(みんな独立している)

契(融和している)

自分を無にしていく

(差別・平等)別のものではないことの実証

差別のままが真の平等である

純粋にはたらいている状態(三昧)

因果無人

「葛藤にまかして、雑念にまかせ、いっさい手をつけずに」

自分というものがなくて

期が熟す

自分のなくなった人

相対的なものからきれいにはなれること

本当に自分というものが忘じきれてない

その業がまた苦の種となる

病気のない病気無病の病から脱する

処理仕方

「仏道というものは、取るもの、捨てるものは、なにもありません」

「自分の考えを一切もちいない、とりいれない」

「因果の力によってさまざまな差別の相を生じているというだけの話」

「言葉を追っていても決して自己を忘じることができせん」

禍福

平等一面におちやすくなる

回互・不回互(明平等・暗差別

「縁におうじてさまざまな姿にあらわれてくる」

二見相対の考え

いまの自分の事実を悟りといっています

自分で気がつくだけの話です

「意識の範疇に自我をたてて・・・(意識以前の事)」

「どうしても教えや説明を真実であるかのごとく思いこむ」

真実のものをさぐろうとしますから・・・

自分の考えをはたらかせる

疑煩悩

お経の講釈や道理の説明は不要です

人間が認識している世界全体のこと

見性しただけではだめだ

「まだ得たという残りものがあった。それを離した(白隠)」

考えのなかで・・・終始しています

既知の知

「六根のはたらきのままにあるということに気がつくはずです」

見性(自分の性「無自性」を見るという事

単に六根のはたらきがある

独参して法戦

 

「禅の要訣は、自己を忘ずることのみです。自分という存在があると思っているまちがいを、明確に「なるほど、まちがいだったのか」と、自分自身で納得をすることです。」

 

自我の迷執(自我があるという思いに迷わされている)

あるあると執着して・・・

すべてのものとまったくひとつになる

天地と我と同根、万物と我と一体

はたらきというものは無始無終(本来仏)

仏性にめざめる

坐禅を道の道具にして結果を得よう・・・

求心をやめる

触目

二回目

「禅理(平等)・禅機(差別)」

「高租 承陽大師(こうそじょうようだいし)」

「居士(こじ)・大師(だいし)」

宇宙の真相(ものには法則があって、その法則に従ってすべてのものが動いている)」

「私自身も法則そのものであった」

「自分自身の法に気づくということです」

「求心をやめなさい」

「自我の見をなくした人(仏)」

「私自体が法自体であった」

「契う(かな・う)」

「差別・平等・融合」

「体・相・用」

「いっさいのものの本性を見る(いっさいのものは無自性である)」

「人人具足箇箇圓成」

二回目

 

参同契普説 原田 雪渓

 

原田 雪渓 老師

 

原田 雪渓 老師

宝境三昧普普説 原田 雪渓

 

洞山悟本禅師

洞山良价和尚

仏性には私達の一挙手一投足である

{「妄想・分別・我他彼此・雑念・妄念」皆んな仏性なのだ}

本覚思想

本来本法性天然自性身

見性というものは作用にあります

独参(参禅入室)

ものの本体差別(しゃべつ)に上においても平等の上においても同じものである」

差別も平等もない世界を今と呼んでおります

迷執

「ものと自分がひとつのものであった」と言う自覚がある

自我の迷執

今よりほかに何にもない

如(変わらない)

もともと一つのものである

自分さえ忘れさえすれば仏様

求むれば必ず落とし穴に入る

顧佇(こちょ)(ふりかえる・たたずむ)

自ら因縁のままに任せていればよろしい

落とし穴から()い出る

「自己を忘じなければ本当の相をつかむことは出来ないのだ」

自覚することが「涅槃寂静」

今の自分の様(三法印)

「捨てず、(つか)まずになっておりさえすればよろしい」

空(活動・変化する)

空を説く(仏教)

因縁生(ものの移り変わり)

無我の働き(三昧)

我執があるから苦しむ

(きず)(つみ)(とが)

有財餓鬼

業障の海はみな妄想より生ず(普賢経)

「ない」ものを認めて「ある」と思っている

理屈を覚えるだけ

正法眼蔵(自分の本性)

無病の病

「無い」ものがある

法なんてもともとないものです

 

「顚倒(常住我淨・四つの顚倒)

無常を常と思・楽を求める・自分だと執着する(見聞覚知する者を認めて)・淨だと思う」

 

徹底的に思慮分別を出し尽くしてしまう(公案禅の特色)

 

自分の介在が「あるかないか」だけが問題なんです)

 

(「どう見ても雪ほど黒いものはない」自分のないところからいえばみんな同じことなんです・能の金春(きんぱる)(ぜん)(ちく)師直

 

顚倒妄想して迷っていると思っているだけなんです

 

いい事も悪いこともなくなる

 

一切自分の思慮分別を用いずに、六根ままに生活する。それを仏と云う

 

円覚経

「始めて知る、衆生本来仏なることを」

 

卑下慢

貪瞋痴

本倶仏性(本来の自己)

平等心是道(びょうどうしんでどう)

元がない(空)

癖と我は同じもの

坐忘

因縁性、無自性のまま(自分が無い)

自我を忘れて認識する以前の状態に戻ることです

生ずる以前の状態

(まず)いな(*つたない・せつ)

「もともと自分なんていうものはないのに、なぜ、自分を忘れる必要があるのか」

本人歌い、石女舞う(自由自在)

身心脱落(平等一面)

脱落身心(差別にまま)

立職・立身・首座和尚・得度の師匠(受業師)・法幢師(ほうどうし)・本師

 

わかる・知る・理解

点検する態度(聞く)((アメ)人)

実相は無相である

すべては縁起である

迷いようがないものを迷っていた

自我の迷執・自我の思惑

縁起・無自性・(実相は無相)

一炷

 

「この身を支配する何物かがあるように妄想を起こして一つのものを二つに見る。これを無明という」

 

六根の働きのまま仏である

なりきらない限りは自分がある

自分というものがなくなればよろしい

 

持って居る宝を自覚

参(差別)・同(平等)・参同契(諸法実相)

手巾(しゅきん)

「自分というものを忘れている時節があります」

「縁に触れて{ハタッ}とこの大事に気がつく」

「煩悩と同時に悟りも菩提もなくならないといけない」

第六意識というて心とはいわぬ

「私どもの考えている心と仏法でいう心とはまるっきり違って居る」

「わざわざ我をこしらえて、狭いところで生活している」

もともと無いものに気がつく

「無我になって様々の生活が出来ている人を仏様という」

「結局ひとつのものがいろいろなものに変わっている」

「意根を座断して知解の路に向わざらしむるなり」

意根(意識の根)

「自分の思惑、見惑(煩悩)に囚われていただけなんだ」

「自分の考えの中に自分というものをつくりあげている」

「自分を忘れるということが目的です」

「もともとまよいというものはなかったんだということに気がついた」

「自分が持っているものに気がつくかつかないか」

見惑・思惑

言葉に迷わされないように

習禅

知解の路

迷悟を放下(第二の様子)

迷惑・妄想・顚倒・増減・誤謬

自己に参ずる

「お示しを参考にしていく云うことではありません」

仏性の別名

「血脈・嗣書・大事(三物)」

未生以前の本来の面目

如如(ありのまま)

「身心脱落(ものになりきって自分を忘れる・ものになりきってということです)」

 

身心脱落の様子を宝境三昧というています

 

身心脱落(相手になりきって相手も自分もなくなった状態ですから平等です)

脱落身心(自分を忘れてものになりきる・差別)

目的をもってはいけないという目的をもつ」

私が私をつくりだしてからの妄想ですから

習禅・習学

今が自分の様子(絶学)

話頭(わとう)

「意識(考案)を起こしやすいように作られています、意識によって意識を忘れていく(道具)」

点検の道具

「法と自分とを隔てている、自我というものを忘じきらなければいけないといわれている」

成住壊空

理屈が取れて来て

「本当に縁のままに只になってやれる」

天然自性心

求心をやめて随息に務めてごらん

無になれば身心脱落

 

(かく)(さく)(耳元で鈴を鳴らした)

伍位(時・処・位)

斯く斯く(かくかく)然々(しかじか)

我見を用いる

身心脱落(平等)(忘)

脱落身心(差別)(活かす・活)

妙(言葉に出していうことができないようす)

自分の計らい

「参師聞法・坐禅工夫・戒法の護持」

三物(血脈・嗣書・大事)

見を止むべし

 

私という我見を立てるから

 

意(心)の働きを考える道具だと思ってごらんなさい

(自分の心)に囚われていたに過ぎないことに気がついた

拘ることがなくなって本来の自由さが現れてくる

因縁生の法(縁起説)

相手が立てば執着心が起る

心地を開明する

大安心(因果に任せ、結果に任せて、一切心を用いない)

結果を自分自身の考えで取り扱わない

(ひらめ)いて

梵網経

弾指(65回刹那・900回生滅が繰り返されている)

自我の見という認識を起こす

蚕吐く糸十筋集(一糸)・一糸を十集(?)

念として生じたものはすべて影です

境涯が自分のものになる

「無というもの」「只」「空」というものが残る

知徳

「すべて自分ことを角度を変えて意識を起こしやすい状態にして、その起こした意識によって自分を忘れるというのが公案の趣旨です」

「要はいかにしたら、もともと無我であるものを、自分自身で実証することができるかということです」

自分を忘れることが目的です

自分の正体

心が静まって集中している状態にすぎない

必ず自己を忘じきることがある

人の側に迷悟というものがある

「ものの無いという様子を説明された(因縁果を立てて)」

「わかったことと体験をしたということは、まったく無関係です」

「只、このままというようなことは、全部病気ですよ」

言葉を(ろう)する

「自分の見方・考え方をやめて見なさい(煩とか証というものはない)」

「ただ凡情を尽くしなさい。別に聖解はありません」

「今の事」の変化、心、無相、仏、如来

いつも(から)になって生活する

必ず気がつく

公案(曹洞宗(和頭))

今の様子がわかりたいだけ

無一物の状態

今というのは「何にもない」ということです

元々なかった

法(諸々の差別の事象・形ある、ないに限らず)

有るかの如く妄想している(元がない)

実はすべて虚妄なものである

本来無自己

「一師一友のところにある」

「病は自心不及のところにある」

脱落(自分のなくなった様子)

自我の迷執

「思議、分別、妄認を出し尽くすために手段、方法が必要だ」

気にかかるものがなくなる

自己の忘ずる手だて

()()彼此(びし)

無理会

無病の病

宝境三昧普普説 原田 雪渓

 

原田 雪渓 老師

 

原田 雪渓 老師

色即是空 原田 雪渓

 

「人の〔はからい〕の入る余地のないすべての自然の理や真実に気づくこと(法)」

「不立文字(分別をはなれる)」

「聞思修より三摩地(さんまじ)に入る(目覚めること)」

「身心脱落(縁に成りきって、自分と物とか同化したときの様子のお言葉です)」

「脱落身心(自分を忘れて物がなくなった様子)」

「三仏忌(2/15涅槃会・4/8降誕会・12/8成道会)」

分別を起こす道具を〔意(意識)〕といいます」

感覚には分別するものがなくて、をいう考えの作用があるだけです」

「一隻眼(いっせきげん)」

「無所悟無所得」

「悟りの病、仏の病」

「菩提心、慕古心(もこしん)、実を求める」

「覚(行者自らの心の実相覚知することである)」

「独参(参師聞法)」

「実(如是の法)」

「如是の法(行住坐臥、生死去来、苦楽昇沈)」

「己見をもって仏道をみてはいけない」

「迷いも正法であるということを考えることができないからです」

「肯く(祗管)」

「自分の働き・法の働き」

「万物(法・実相・差別)」

「大悟(身心からの解脱)」

「悟りを求めるという煩悩」

「何も考えることが出来ませんでした」

「源というのは、万物の本質です」

本来の自己因縁生)に目覚めることにある(我執をとる)」

仏教の教えというのは、因縁生です」

「争いの根源は、すべて我見(自我)ですよ」

意という心意識分別する機能が働く)」

「人というのは、どこにもいないのです」

「観世音菩薩(慈悲)・観自在菩薩(智慧)(私達自心の事)」

「眼(観)(六根自在)(観自在)」

「心の働きそのままにしておく」

「法理」

分別する道具ではない(五感)

心の働き(分別)

「五蘊〈色受想行識〉の機能

「大悟した瞬間というのは、すべてがなくなります。(あるのは一事実だけです。)」

「見性(自分の本性を見る)」

「妄想分別(分別心)」

「祗管(ひたすら)」

「妄想分別を一切相手にせず」

「六根の機能を、そのままにまかせて坐る」

「参師聞法(独参)」

「相見(しょうけん)(法を尋ねる)」

「坐禅の目的は、坐ることを忘れて坐るという状態がいちばん大切なんです。」

「自分自身に目覚めるということです。」

ないものには垢のつきようがない

「それをきれいに洗い落としておきなさい、ということです」

「成仏以前は仏性ではないので間違いないようにと、」

「鏡になりなさい、鏡のようになりなさい」

「坐禅をしながら、自分の坐禅の様子を評価する」

「評価することをやめなさい」

「気がつけばそれで終わり、」

「師資(師と弟子ではありません。自分の法は自分自身です)(師資証契)」

「疑煩悩」

「豁然」

「認識そのものの根源を見破り、因果の実相実体そのものが、いまの私である」

「明星一見開発悟道」

「一切衆生は元来成仏しているという事実を確認されたのです」

観念化迷いの根本であると思います」

「自性は無性である(因縁所生法)(現実の存在、事実)」

「仏智見に開示悟入する」

 

色即是空 原田 雪渓

原田 雪渓 老師

 

原田 雪渓 老師

禅に生きる 原田 雪渓

 

「自分の心の中で綺麗、汚い、甘い、辛い、好き、嫌いという分別を起こす」

分別を起こす道具を〔意(意識)〕と言います」

心の働きというのは、ただの考える道具です」

修行(聞思修)

「永平高租様大祖常齊大師」

「平等是道(びょうじょうぜどう)」

「わからない、わからないと、自分でちゃんんとわかっています。」

本来のものは、もともとないので、なくなりようがありません」

「大虚(ものがはっきりしている状態)」

「頓悟(なるほど、そうか)」

「自分が揀擇(けんじゃく)を起こしている」

「安心を求めることが苦となる」

「坐禅をしていることすら忘れるように坐らないといけない」

「自分をモニターしている自分があるわけです」

「〔何もない〕と思うのは自分なんです。〔ものがある〕というのも〔ある〕と思っている自分があるというだけのことです。ですから、迷いでも悟りでも、縁というようなものでも、自分が目覚めれば一切のものがなくなり、本当にになる。」

「ありながら空になる」

というのは、まったく何もない世界をいいます」

「縁によって縁を忘れる」

「三輪(身口意)」

「煩悩(貪瞋癡)」

「念(暗記をする。暗記していることを声を出して読む)」

「一切のもの(差別)が法そのもの(平等)であったことに気がつかれたということです」

「毘盧舎那佛の変身(莫妄想・主人公・庭前の柏樹子・一本の指)」

「聞声悟道・鵲(カササギ)騒鴉(カラス)鳴・見道明心」

「過去は過去のことを思うからあるが、・・・」

「身心脱落というのは、縁によって自分を忘れ、縁になったことです。脱落身心というのは、自分がなくなったからあらゆるものがないということです。」

「佛作佛行」

「初七日・不動明王」

「二七日・釈迦如来」

「三七日・文殊菩薩」

「四七日・普賢菩薩」

「五七日・地蔵菩薩」

「六七日・弥勒菩薩」

「七七日・薬師如来」

「輪廻というのは、亡くなってからのことではありません。いまの自分たちの現実。生活です。」

「修羅禅・地獄禅」

「塵埃(じんない)を惹(し)

「龍(大きな檀那で非常に裕福な人です)」

「中心になるべき存在は何もないということです」

「無所悟無所得」

「本證妙修・修証不二」

「人の認識を超越したものがなければいけない」

「生きていることの説明にすぎません」

「一切の分別心を放下し、五感を開放して坐ると、」

「死猫児頭、最も尊し(人の値をつくるなし)」

 

禅に生きる 原田 雪渓

原田 雪渓 老師

 

井上 義寛 老師

 

 

井上 義寛 老師

 

何にも無いというものが、どうしても有ると思って求め尋ねてしまう。

何にも無い世界は有るのだけれども、自分で今そこにいると覚知することがないと云っているのです。

何にもないと云う事をも忘れる。

ここが真のなんにもない世界なのです。

そこに留まってしまっている。これも一つの執着、見なのです

。「悟り」というのが一種の「見」になる「艦覚の病」。

芙蓉寺 掲示板よりとのこと(守時 道林師)

小川 隆 2016 04/10 tv こころの時代より

(馬祖・如何是西来意・庭前の柏樹子)

(如何なるか是学人の自己・はて庭前の柏樹子を見るや)

(馬祖・如何是西来意・即今是什麼意「これなんの意ぞ」)

(如何是仏 麻三斤 衣一着を作るのに必要な重さ・衣の中身)

 

井 上 希 道 老 師 (前)リンク先

 

魂に喝を入れる禅語 (井 上 希 道 老 師)

魂に喝を入れる禅語 井上 希道老師

 

【見性「特別に何かが有る訳では無かった」と悟ることである】

「ありのままを会得することこそ悟りなのである」

真底(ほど)落ちする体験をすることである(体得の絶対条件である)」

 

自我とは拘りである

囚われ拘る自我

心の作用から起こる(怨み・妬み・怒り)

心自体の作用

心は実体のない霊体なのだ

如何なる心も「今」発生することである

「完全なる空想であり観念現象に過ぎない(虚像)」

【心とは実体が無く、無いながら無実体の作用が厳然として「今」「今」あると言うことだ】

【縁に従って如何様な姿にもなって「今」「今」現れ「今」「今」消えていく】

何も無いから、だから何も残っていない

「今忽念として現れ忽念と消える」

観念で実体が無い想像世界

【心自体は「今」「今」時限(じぎ)()()りのものである】

「本来無為にして無我であることを体得するのが悟りであり見性である」

再び迷えなくなるのが解脱である

「味という具体的客観的なものは無いからだ」

感覚的自然現象

実体のない幻なのだ

何れにも存在しない

自我(迷い)を越える「只」になる

心の計らいを一切捨てよ

【「念を起こる前の本来の「今」、前後の無い「瞬間」に早く気が付くことである。言葉や概念から離れることである。意識を巡らさないことである。心を拡散させないようにすることである。】

【「只」一切の方法・手段は必要なし、何も無いのが「只」だ】

「縁のままに素直に片づける事が道ではないか」

付いていかずにほっておく

「じっとして何もせず出たものは無視する。そのままにしておくことが自然のままと言うことだ」

認めたり付いていかないことだ

「心を刺激せず、目的を持たず、結果を求めず、心を全く使わぬが一番良いのだ」

知的行為が無用となってくる

自然のまま・有りのまま

「自然(人間の計らいに影響を受けない絶対な道なのである)」

「言葉によって観念の虚像世界を構築・・・ヘダテを為すのである」

「精神の正体を知る事、心そのものを知る事である」

「探したり、求めたりする、それ自体が心だからである」

「心を迷わせる自我が問題であり、それを如何にして陶冶するかが目的なのである」

「正しい行なくして、身心一如は得られないからだ」

公開口頭試問

「何物にも毒されぬ心境ほど強きものはない」

酔生夢死

心得次第・努力次第

【「今」素直に縁に従いさるしかないではないか】

因果に背いた事を望まぬ事である

安住して他を見ないこと

欲望・作為・欺瞞

常套手段

活語・活文字

無の真相は知性の外にある

概念とは観念現象であり知性の道具である

観念による仮想世界に過ぎない

何一つ実体のない空想世界である

知性の束縛を離れ・・・

決して概念での解答ではない

無限の事実が有るのみ

法剣が「無」である

聞思修より三摩地に入る(無の体得)

心の所産

(知性・感情・見聞覚知)囚われる

比較分析力

価値評価

「環境としての縁とそれを知る人間との相対関係になっていることが、自我発生の原因なのである」

対立構造が解消・・・

「既に詮索の余地がなく完璧な出来上がった世界である(身心一如・自他不二・天地と同根、万物と一体)」

「人間的計らい事が一切無いことを自覚することである」

計らい事をする自己

知的作用・分別・比較

【言葉を覚え始めた時から、「隔たり」を開始したのだ】

囚われのない精神作用が「無」である

【「無」も無いと悟るのが本当の「無」】

無心の真相

「空の説明であり、心を説いていると思えばよい」

縁に拠って今仮に有るだけである

空を体得することが悟りである

縁のままになって、自己が無いことを言う

応無所住而生其心

【心は「縁」に依って瞬間に現れる作用である】

追体験

【只管(純一無雑)(欓老)】

只見、只聞

法の刃を抜いて斬りかかる

赤心

縁に依って色々に現れた姿に外ならない

好き嫌いに(ひるがえ)されなくなるのだ

妄念・惑念

次第に執着が弱まり・・・

雑念が弱くなったと言うことだ

それだけ自我が弱くなり楽になる

淡々と好き嫌い無く出来るようになってくる

素直になれ、理屈を捨てよ

事実の観念化

知的行為

意識的知的行為

知性

実体のない虚像

観念上の妄覚

惑乱・葛藤・幻・囚われ

分別する自己がなければいい

心なき(無分別・分別する自己が無い)

精神の浮遊による思惑癖

無理会の処を・・・

無理会を得る

無理会を体得

「理屈、観念を直ちに発見して直ちに切り捨てる努力である」

「今」の一瞬を守って居ればいいのだ

【本当に純一に「只」坐禅することを「只管打坐」という】

何も無いものを求めるのだ

自己の束縛を離れた境界・・・

「自我を立てなければ常に主人公であるぞとの教えなり」

人生とはこの上の様子に過ぎない

真空妙有(仏性の消息であり働きである)

言葉について回ったら・・・

「一生・言葉の奴隷となって朽ち果てねばならぬ」

心の姿

観念の妄覚

「心は縁に従って忽念として現れ、忽念として無くなる」

三界唯一心造

縁に随い去る事が肝要なり

頭の計り事

妄想(念想観の奴隷・心念琥紛飛)

感情の翻弄されて苦しむ

空想を逞しくして、自我を強くする

【「只」縁に成り切って自己を忘れよ!】

「自己の感情に翻弄されることが無くなるのだ」

超越的精神の表現としての言葉に過ぎない

決定(けつじょう)(しん)

因縁性空と体得

邪悪なる働き

「心に持ち込まない、捕らわれない様子である」

理屈が間に立っている

因果の正直な様子に過ぎない

我見束縛の様子

観念の奴隷

 

魂に喝を入れる禅語 井上 希道老師

 

魂に喝を入れる禅語 (井 上 希 道 老 師)

 

般若心経夢影録・HPより(井 上 希 道 老 師)

般若心経夢影録 HP より 

 

「起坐行歩・行住坐臥」

「言句に執着して道理に落ちる人、と真に行じて体得しようとするんです」

「(真理・心・法・道・空)」

「因縁所生法の法(因縁果)」

「因縁生起」

「《只》在るに過ぎないのだ」

「この事を体得する(空の体得・空を体得)」

「自得するしかないぞ」

「知的計らい一切から離れて、無分別になって素直に行ずる」

「実地に行ずる以外には真髄を会得する道は無いのです」

「実相般若・観照般若・文字般若」

「般若(仏智・自己の無い心の働です)」

「何も無い処から出る智慧」

拘りも何も無い《只》の心です」

空っぽの心でなければ現れない智慧です」

「赤心の不分別智」

「成ろう・至ろう・得ようと思わないことです」

「思うだけ、到ろうとするだけ煩悩なので徹することができないのです」

「実体が無いからです」

「無い者をどうやって体得するかが一大事因縁なのです」

「経(布の縦糸)(常・不変・真理・法)」

「自己を忘じ解脱する」

「自我・我見は無いのです」

「分析は禁物です」

「脱落して本来の面目が現前する」

「過去の事実を、常識で捕まえて・・・無い物を後から作り上げた虚像ですから・・・妄想・妄念・妄覚です」

「拡散状態は平常心を目茶目茶にします」

「妄想を繰り返します」

「念が入り込めなくなるのです」

「(念のない念)(心のない心)(前後際断した念)(虚)(空っぽ)」

「念なしで見ることも聞くこともできるようになる」

「出た念に必ず心を取られてしまい、妄想して惑乱します」

(実体が無いことを縁次第で自由自在に何にでも成る意です)」

無い縁次第現れる

「一切の苦厄実体が無い

心の発生する源へ迫ったのです。遂にその元へ到達して一切を明らかにしました」

「空の働きを《色》と思えば間違いないのです」

「万物固有の作用」

意根を坐断せしめて・・・《只》に導くのが指導者の任務であり力量です」

《無》意識辺を叩きつぶ奪い去って空っぽに導いた所です」

「前後のない端的に目覚めて・・・持ち込まねば《受想行識》と連続しないのです(無の意味であり脱落のことです)」

《無》は即ち心に持ち込まないことです」

「見聞覚知のままにしておくのです、只見、只聞いて心に留めない、持ち込まない、心を動かさないことです」

「実体のない心の働き」

の別名(実体のないこと)」

「菩提(道・真理)薩婆訶(速やかに・成就・直入の三義)

「結果は行じて後の様子」

「念のない事実に気付きます」

「自己を捨て尽くす努力」

「説明の余地がない」

「念のない一点」

「只管とは縁自体ですよ」

「想念し続ける心」

般若心経夢影録 HP より 

 

2回目

2回目

 

「広本六百巻・略本(正宗文)・無訳」

「言句は死物です」

「真空妙有の大悟」

『「空」の働き』

「因果流転」

『「今」仮にこのように「只」在る』

「実体がないことを悟りなさい」

「全て仮の姿(事実)(空)」

『カリダ梵語「心」の字に当てた(草などの芯を指す)(全ての中心の意味)』

「実体が無いから(無いものをどうやって体得するかが一大事因縁なのです)」

「見性の大事を体得したければ大死一番し来たれ」

「実体のないこの真相を体得」

「一心にすれば、自我、我見は無いのです」

「この消息を体得する為自ずから本来の面目が現前す」

事実そのものは意識以前であり、意識や観念とは関係無いと言うことです」

「出た念を認めず、手を付けずに放置する事が一番です」

「余念を入れず」

「味とは感覚・・・」

縁次第で現れる」

「皆空と決着付けて・・・」

「一切の苦厄に実体が無い

「五蘊の作用(実体は何も無い)」

「要は全て縁」

「自覚・体得」

「是の心身を自分だと固執してしまったことです」

「心を徹底遣わない」

「心の不動」

「心の発生する源」

「見た物と一体同化」

「自己も囚われも何も無かった」

「身体感覚」

「人間の思い」

囚われて雑念煩悩が発動する」

「煩悩発生の原理」

「解決方法」

「一念の発生」

「想念・妄念・妄覚」

「悟りの消息」

悟りの垢を取って大成(大悟)に導いているのです

空の働きと思えば間違いないのです」

「空の働き」

「出た囚われるから」

「即今底に徹して体得する」

「無為自然の働き、空相の様子です」

「邪魔物である自己」

「只」導くのが指導者の任務であり力量です』

「人我の見に拠る」

「空相に目覚めさせている」

「精神作用・感覚機能」

是の事を本当に体得するためには、名前や言葉や念から離れなければ駄目なのです」

「生きながら捨てることを、自己を忘ずるというのです」

「何物が仏法に非ざる」

『「今」なすべき事を「只」すればよい』

「自己の無いことを知らしめられ、・・・実体の無いことが証明されるのです」

「至道無難禅師はナシ、ナシ、ナシ、ナシ。」

『「只」の働き』

「白隠ー正受老人ー至道無難禅師」

「見を息むべし」

「自己無き消息」

「障道の因縁」

「念のない事実を徹底守る」

「散漫も治まり、・・・」

「念のない一点」

「只管とは縁次第です」

「自然に安住する」

「想念し続ける心」

「他の一切の行為を停止する事です」

「無意識に作動する」

「心に何もない」

「体得した自覚」

がある故い、がある故にりが可能なのです(意が法となる)」

2回目

 

般若心経夢影録・HPより(井 上 希 道 老 師)

 

十 牛 図 提 唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

十牛図 井上 希道老師

 

「その働きが心であり・・・」

「この知る自己が煩悩の始まりであり、囚われの本なのです。」

「実は貪瞋痴の三毒は自分で造り出した囚われの姿であり、・・・それにより惑乱・葛藤し苦しみ迷うことになるのです」

「形も所在も無い心」

「知性で理解し得心する方法です(文字)」

「坐禅修行は自我・我見を取って『仏性』を体得するのが目的です」

「本当の心を究明することです」

「見聞覚知のまま・言語・概念・感情本来の自然の様子・心が発生する以前・念が起る前の世界・煩悩も邪念も囚われもない心です(この気付きが大切なのです)」

「余分であり計り事だからです」

「何もしないことが修となるのです」

「成り切る(禅)」

「即念とは前後の無い『今』のことです」

「分別のない自覚の連続」

「余念なく『只』行ずることです

「知性の世界にすぎず、・・・」

「人牛倶忘(悟りです)(一隻眼)(心眼)(仏性に目覚めた)」

「四聖諦(苦集滅道)」

「知的能力が却って苦しみの根源である(知る自分がある)」

「自我・我見の働き、・・・」

「八正道(見・思・語・業・命・精進・念・定)」

「心的現象(自我・我見)」

「一切の問題が発生しない(涅槃の世界)」

「境界辺(体験者でない限り分からないし伝わらないものです)」

「無いものを語っていますから尚更分からないのです」

「本来の心を体得」

「作用が『只』有るだけで、・・・」

初めからそうであった自覚することをりというのです(静寂そのものです)」

「知的計らいを一切止めて(自己を捨てて)・・・」

「一心に余念なく・・・」

「頭を遣わぬ事です」

「涅槃寂静(涅槃妙心)」

「理念の外の様子」

「心という魂物が有りそうなことを言って・・・」

「求むべき心は無いにも関わらず、・・・無いものを探させるのか。惑乱・葛藤(心の波)」

「この事実を明確に体得した時が悟りです」

「何も考えず、何も求めず余念なく『只』することです」

「坐禅修行は実地に『只』坐っていることで全てです」

「心が言葉から離れ概念から解脱されますから・・・」

「知的混乱の元である概念の連鎖と多様化を阻止できるので、・・・」

「理論的理解では決して楽にならないし救われることはないのです」

「心を持ち出さない(成り切りと言う)」

「悪知悪覚を取ってもらうこと(独参)」

「従来不失」

いくら理解しても体験底のものでない限り全く粕妄想でしかないのです」

「語句に囚われる皮肉な関係がある」

『「我々の本来は」「有情非情同時成道」「山川草木悉皆成仏」「天地と同根、万物と一体」「本来本法性、天然自性身」「妄念を除かず、真を求めず、幻化空身即法身」「道本円通いかでか修証を假らん、宗乗自在何ぞ工夫を費やさん、全体遙かに塵埃を出ず」「境界辺の語句は到り得てそれが本当だ真理だと得心することであって・・・」』

「書物を漁るな。探し廻るな。意識や知性を巡らせて探すと、妄想の深い迷路に落ちるぞと警戒を促しているのです」

囚われから離れた自分を発見することが出来たのです」

「雑念・煩悩が自然に静まってきて、・・・」

「心配が心配を誘い、不安となり疑心暗鬼となり、遂に恐怖と成って夜も眠られなくなり、心身が衰弱して壊れていくのです」

「観念や感情の運転によるものです」

「考え方や理屈で解決しようとしても不可能だと知ることです」

「先ず分からぬ事だと知ることです

「事実はそれだけであり他に無いと言うことを心身で覚証するだけです。これが体得です」

「自分の理屈を持ち出さない」

「感情作用にすぎない」

「実践しなさい、信じなさいです」

何もないから表現が出来ないし、観念も概念もない世界など想像も出来ないと言う事です」

「理屈を幾ら知っても解決に成らない」

「心の調御法」

「心の姿勢なのです」

「理屈は知性の世界」

「一隻眼(心眼・仏智)」

「求心が止み何も無い境地」

「仏性を徹見し体得した自覚症状のことです」

「覚証」

鑑覚の病

「忘牛存人(神秀上座)(妄覚する自己が有る)」

「一切皆空(六祖)」

「虚像を構築して勝手に夢を見て騒いでいただけだと言う」

「無為自然の働き」

「観念の介在が無い・・・」

 

十牛図 井上 希道老師

十 牛 図 提 唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

 

正法眼蔵 有 時 提唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

有時 正法眼蔵 井上 希道老師

 

「自我が発生したからです」

「自我によって発生するからであり、・・・」

「執着の本である自我が取れて無くなるのです」

「我を忘れ切ることです」

「心の全てを捨て切って掛かることです」

「自我が消滅し、(道)(法)が現前して一切が明了々となるのです」

「余分なものが入る余地のない・・・」

「分かるための努力や、理解のための努力は絶対しないことです」

「心を撹乱するのです」

「言葉に振り回されますから」

「我々自体の様子に過ぎない事を自覚しなさい」

「言葉に事実があると誤認しています」

「虚像世界を弄する」

「知性が知覚を認知し概念化するのです」

「全ての心の働きを止めてみよ」

「知性の領域ではない」

『「只」はいいようがない』

「解ろうとする」

「観念現象にすぎない」

「ほっとけばすぐに消えます」

「知解で計らうこと」

「時の仮の様子」

「見徹(体得)」

「私は未だ囚われて不自由していると思ったりしている」

「因縁所生の法・空の働き・真空妙有」

「自己が有ると勝手に思い巡らせて惑乱。・・・どうしても囚われる」

「虚像世界」

「妄念世界」

『今、「只」縁に従っておれば端的です』

「知的行為を展開」

「一向に埒が明かない」

「知性的な追究はしないことです」

「知的作用」

「検試問」

「法眼宗を五家随一と評した(老師)」

「心が不在」

「考える必要ない」

「感情が出ても追わない」

「天然の自分」

「雑念は自ずから無いのです」

「純一になれば余念は自然に無くなるのです」

「知情意が治まり、・・・」

「何かと求めたり、探したり、知るためじゃない。何かを得るためでも無いのです」

「時とは・・・観念世界のものだということです」

「自己がない様子」

価値を付けるだけ

「本当に徹するには、何かが有ったら駄目なのです」

「迷いの自己が落ちた」

「自覚症状を悟りというのです」

「八に至って初めて悟りという言葉が許される(十牛図の八)」

「見性(臨済の言う見性とは、十牛図でいきますと、牛を見つけたところで見性と言います。)(省有りと呼んでいるところです)」

「覚証」

「満足感も何も無いからです」

 

「因縁所生の法(無自性空)(その物に固定した実体が無いからです)(空)」

 

有時 正法眼蔵 井上 希道老師

正法眼蔵 有 時 提唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

 

学 道 用 心 集 提 唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

学道用心集 提唱 井上 希道

 

「幻化の空身即法身。法身覚了すれば無一物」

「知的分析を加えない」

「只その事だけで終わるから、何事も起こらない」

「本来本法性天然自性心。三世の諸仏、何によって修行する。」

《第一章 菩提心を起こすべき事》

「因縁性空(仮和合)」

「心に一切問題が起こらない」

「念の元、心の元などは何処にも無いから、・・・」

「自我の妄念」

「虚像仮想世界」

「観念世界」

「精神現象」

「自覚と浄化」

「意が起こる元を究めるのです」

「自分で作った虚像」

『「只」の世界を体得することです』

「無我(拘りが取れた世界)」

「本来の身心一如に治まるのです」

「無用な自意識を立てるから、相手が出現して対立するのです」

「認める自己があるからです」

「自分が自分を迷わせているのです」

自分が自分に囚われていると言うことです」

自己さえなければ対立も束縛する者もないのです」

「本来は迷ったり囚われたりしては居ないのです」

「囚われを解く鍵(公案)」

「概念に囚われ、言葉に捕われ、自分の心に囚われている証拠です」

「どうしても理解してやろうと思って・・・」

「考えの世界(概念・空想の世界)」

《第二章 正法を見聞しては必ず修習すべき事》

「真実であるとか、事実だとかの理屈を越えて、・・・」

「我見のない作用」

《第三章 仏道は必ず行によって証入すべき事》

「疑義の念」

「即にその物だと気付いた途端、・・・」

「囚われのない本来の自己」

「悟りも仏も無いのが真実の世界です」

「仏の境界は何にもない世界ですから、・・・」

「頭の中の虚像の作り事の世界に迷い込んでると言う事なのです」

「事実には煩悩など何も無いからです」

「悟りと言うのは決定的な自覚症状を得た時です」

「迷いが起こらんでしょう」

「自分から迷って行く」

「意も心も無い、自己が無いことが分かる」

有るのは単に事実だけだと云う事が分かる。その他は自分で作り出す観念現象精神現象に過ぎないと言うこと。それらに迷わされているだけだと言うことが分かる」

「修行のポイントが手に入る。今が本当に練れる。楽になり今が益々はっきりする」

『「只」は何もしないことですから。』

「本来空であることを体得」

「自己無きが故に迷いも無い」

「自己無きを体得した時、・・・」

《第四章 有所得心を用て仏法を修すべからざる事》

「自己無きをもって本源と為す」

「縁に従い去る」

「解脱とは無我です」

眼が眼を行じていることを本当に体得するだけです」

「抑下の卓上(よくげのたくじょう)・卓上の抑下」

法に目覚めた人仏と言うだけです」

「娑婆事」

「(作り事)説明・言語・観念・概念」

「事実は穢れも迷いも無い純粋な世界です」

「真理を体得するのが目的です(本来の様子です)」

「徹底純粋普遍を真理というのです」

「是れこのままで良かったのだ」

「勝手な概念やイメージに翻弄されて観念上空想して虚像を送り出して行くもんですから、・・・」

「執着の構造」

「知的理解を惑乱させる表現だからです」

「知的大脳作用の世界ではないということに、早く気が付くしかないのです」

「求心止む時即無事」

「自己を捨て尽くす、自己を究明し尽くす、(そのような者は何も無いのです)」

「何も無いのに何かが有りそうに思い、分かりたいと思う、それが自己なのです」

「念が生ずるのです」

「一呼吸が守り切れたら雑念・煩悩の入る余地が無くなるでしょう(無我の世界が現成するのです)」

「自己を運んで他に求めていたからです」

《第五章 参禅学道は正師を求むべき事》

「師の正邪に随って、悟の真偽あり」

「無いのですから求めても意味がないし得られるはずもないからです」

「事実の方からはっきりそうだと合点させられた時が悟りです」

「自分が理解した考え方で、理論化し想像で述べた物に過ぎないぞ」

「証明によってのみ正伝されると言うことです」

文字言葉観念の対象となり思考の道具です」

「滅するとは囚われから離れ、気に掛けないことです(この身を忘れると言う)」

 

「本当に我を忘れきって無くなると天地と融合し、事実によって再び呼び覚まされる時総てがはっきりするのです」

「知的行為も感情作用も段々落ちてきますから、・・・」

「心も又空であると悟り、」

「汚れる物も汚される物も何も無くなった解脱の世界」

「余念が無いのが只管です」

「意識的な計らい事」

「何も考えない事です」

「無自覚の内に連続」

「初期状態」

「意がある限り徹せられない」

「考える自己がないのです」

「自分の正体を体得することです(見性)」

「心の正体がはっきりしさえすれば、自分自身に迷わなくなるのです(見性)」

「知らん顔して眼を瞑って死んでおれば良いのです」

「計らい事なしに静かになります」

「心地が進んだ上での我を忘れかけておる様子です」

無我の正体が手にはいるのです」

「身に為す事なく、心を全く用いない」

「何も思わず、願わず、求めずが肝要なのです」

「見聞覚知の全てが本来自然の作用で、迷いも苦しみもないのです」

《第六章 参禅に知るべき事》

「心操を調ふの事(もっと)も難し。」

「南岳慧思多才の人なり、尚ほ達磨に参ず」

「仏道は思覚・分別・卜度(ぼくたく)・観想・知覚・慧解の外在ることを。

「障道の因縁」

「無駄事」

「無いものを求めていくから悟れる訳がないし救われる筈がない」

「正体を徹見」

「観音(観音菩薩・観自在菩薩)」

「流れその物になることを、《所知を忘ず》と言うのです」

「その消息を伝えるには体得でしかなく、伝法は自らを証するしかない」

「日暮らし」

というものは何処にも無いのだけれども、縁に応じて思念としてパッパッと出て来る。そして何処へともなく消えて何も跡形がない。有って無い、無くて有る。それが心なのだと言う一節です(空を悟ったのです)」

「仏もない世界が廓然無聖です」

「心の坐禅」

「意識上の自分があるから問題が起きるのです」

「認識そのままだから何事も起こらない」

「この消息の自覚症状を悟りと言うのです」

「本来因縁所生の法即空を体得すれば・・・」

拘らない力無我と言うのです」

「無限の作用」

「無常流転」

「縁の作用」

無我に導く、心のもつれを解いて自由を得る、自我をとるための道」

《第七章 仏法を修行し出離を欣求(ごんぐ)するの人は須く参禅すべき事》

「雲心・波心」

「伝える為の道具」

「先ず正師を探しなさい」

「聞いても分かる世界ではない」

「要求が有るだけ作意となり、・・・」

「余念なく感情やイメージもなく、それだけになるだけです」

「理解するのと違います」

「自己の無いことを体得します」

「囚われず薄らいできます

「言葉だけの説明講釈師」

「分別機能の作動」

「心得次第」

「知的作為が休息」

「必ず元に戻る」

「一瞬一瞬の自分を見守り続けなければいけません」

「何も出てこない、心も念も未だ存在しない一瞬にまで到達した、ということです」

「心や念は本来何処にも無いからです」

「一切皆空を本当に体得する」

「自分を忘れる事」

「境界辺」

「妄想妄念に人間は苦しむ」

「無我に突入」

《第八章 禅僧(あん)()の事》

「一時の様子に過ぎない」

「心を求めたら心がなかった」

「性は変わらない。縁次第と言うことです」

「打発にまで到らない」

「先ずそれを止める事です」

「生を明め死を明むるは仏家一大事の因縁なり(修正義)」

「理屈で分かる世界とは違う」

「この体が無くなると生死と言う言葉が無用となる」

要するに忘れることであり、気に掛からなくなることです」

「生死の実体など、何処にも無いじゃないか(自己を忘じた消息があってからのことです)

「未生以前の消息」

「自己無き境界」

「自己仏」

「その時の様子でしかない」

「法理が分かると、到り得た積もりになる」

「付いて行かないことです。やがて治まりますから。」

「自動復帰機能・自然調律機能・自然治癒力」

「何事も気にしない境界」

「禅の心得は、心の中に取り込まない事です。取り込まなかったら捨てる用もないのです。捨てる物もなく、捨てる作用も無いのですよ。」

「何処にも無いのに、縁に応じてはっと内発する。これが自我であり隔てであり心です」

「発動する元が空だと分かりますから、・・・」

「前後のない純粋な『今』ですから問題化しないのです」

「自分の認識する前」

「拘る自己を取って行くのが禅修業ですよ」

「囚われる『心の癖』を取るだけです」

「浮遊現象」

「我を忘れることです(禅の要点)」

「知的作為・感情作用」

「仏法の理が幾ら分かっても、拘りの元が取れるものではありません」

《第九章 道に向って修行すべき事》

意根を坐断せよ、十が八九は、忽然として見道することを得ん」

「安心・生死解脱の道を体得する」

「先ず娑婆事を捨てなさい」

「迷うべき者は何も無いと言う事がはっきりしたのです」

「忽然・頓・端的」

「自己を忘じた境界」

「力量」

「自分の心に自分が囚われて迷っていた」

「『只』自己を取る、隔てを取る。それが仏道の様子を明むることです」

「人々分上に豊かに具われりと雖も修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」

「道理で分かったものは法理に過ぎない」

「自ずから純粋になり無色透明になるのです」

「自己無きを証するのみです」

「道理が十分に理解できても、・・・理解する自己がある限り・・・」

「悟った自己が残っている限り・・・(十牛図第八章の所)」

「第七章迄が声聞縁覚第八章が大乗法門(十牛図)」

「娑婆心を先ず捨てて道心を専らにすべきです」

「我見を陶治」

「道念」

「疑義の念」

「迷悟を放下す」

「方法と段階がある」

「意根を坐断せよ」

「『今』の事実には理屈が一切無いことを、はっきりさせることです」

「心に実体がない」

「発露した瞬間に終わっていて、綺麗に消えて無いでしょう」

「計らい事なしに」

《第十章 直下承当(じきげじょうとう)の事》

「参師聞法・工夫坐禅」

「囚われ葛藤する」

「計らい事なしにする事」

「只縁に応じてパッと現れてさっとさっと消えて何も無い」

「それに取り付かなければ、迷う事も無い」

「心は心のままにしておけばよいのです」

「何も実体が無いからです」

「手を叩く影像が眼中に有るだけ」

「何の反応も無いのも自然」

「仏を出して見せよ、・・・ひょいと自分の指を立てた」

「何もない無念の念を守ることである」

「言詮を見ざれば」

「心の置き所」

「越格の力量(行解相応)」

「頭で求めていく世界ではない」

「多聞多知」

学道用心集 提唱 井上 希道

学 道 用 心 集 提 唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

 

普 勧 坐 禅 儀 提 唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

普勧坐禅儀 提唱 井上 希道

 

「本来に目覚める(何のために坐禅するのか)」

「坐禅は何も求めず、何も為さず、何も思わず、只端坐です」

「何もかも放下して、・・・」

求める物が無ければ身も心も用いる必要はない

「本来無一物・空の体得・仏法現前」

「言葉や概念で理解を求めたら・・・」

「葛藤が無くなるから楽になり明らかになるのです」

「心を用いない」

「概念の連鎖に従って論理の世界に落ちてしまうのです」

「念の連鎖、概念の連鎖が問題なのです」

「問題化する、そんな余地がないのです」

「只一息」

「自ずから自己が無くなるのです」

「目は無心に鏡になって映しておるだけです」

「普勧坐禅儀二十八才選」

「禅は総じて体得するもので、理屈で理解をしていく世界ではない」

「当下に眼横鼻直、一毫の仏法無し、心印単伝の法」

「涅槃妙心を体得」

「理屈や文字を追ってはならぬ」

「思慮分別等の事を用ゆるべからず」

「文字法師」

「聞思修より三摩地に入る」

「虚無の手放し・無意識状態・無感覚状態・虚脱状態・無記、虚無の落し穴」

「意が法になるかと言いますと、意は知性を中心にしたもので、物を見分けたりする道具なのです。意がなければ真理か非真理か分からないでしょう。道か道でないか分からない。意が無いと法にならない理由です。(自覚症状をもたらす知性が無いということなんです)」

「心を自由にすること」

「縁に従い去り、・・・」

「隔たりは仮想のもの・・・」

「念の正体の明確化」

「本来何も無いからです」

「激発し・・・」

「道力」

「居家(こけ)」

「放下して関係を断つ」

「分別・認識しない」

「自然の独立作用」

「遊戯現象」

「雑念が出ても手を着けずにそのままにしておく」

「取り合わず、逆らわず、自然のままにしておく」

「自然消滅します」

「自己を忘じることが真実に目覚める道なのです」

「真実の消息」

「相対化するのです」

「何も起こる余地がない」

「真空妙有の端的」

「縁に応じて只ある」

「正師の印証」

「葛藤のない自由を得て・・・」

「心の本源地」

「心の様子が見えるように・・・」

「無我とは素直の極のこと」

「真理に目覚め救われるが」

「本来の真実を知ることです」

「雑念と正念」

「縁次第で何でも成る(大自在)」

「念が出る前の何も無い世界に達した」

「何も無い真実である自然の様子」

「呼吸とは作用のことです」

「正念相続に没頭」

「無言は・・・知的活動は要りません」

「真理とは有りの侭のことです」

「宇宙の真相であり真理なのです(無人因果)」

「瞬間の縁」

「無我は自由ということです」

「心に持ち込みません」

「何処までも知性の世界です」

「もう言葉の用は無いでしょう」

「理屈の無用なること」

「聞き去ること」

「観念・概念の世界」

「法理を如何に究めても・・・」

「身心自然に脱落して、本来の面目現前せん」

「ありのままの真実相」

「有りの侭の人になれ」

「自己の本分が明確にならない限り、・・・」

「未悟と悟後」

「前後のない即今・その場その場・淡々と縁のままに」

「さらさら縁のままに・見聞覚知のまま・(・・・作用のままに任せる)(如法)」

「只管打坐ができるようになると、只管活動ができるんです」

図らいの心が無くなると、認めるものが無くなり、捨てる物、迷う物も無くなります」

「目的意識」

「空の体得が見性であり悟りなのです」

「自己を忘じ切らないと、空になっていないために本当の空が分からないのです」

「一切の計らい事をしない」

「縁その物になって、・・・」

「理屈で解釈し、・・・理屈に翻弄されて・・・」

「自己を空じることができません」

本来の面目のその味ぱっと出現するでしょう(認識以前、知性以前、これを端的というのです)」

「心というものは何も無い。縁に応じてぱっと出て、ぱっと消える。これが心です。」

「縁に応じて忽然と出てくるものです」

心の正体を見とどけるのが修行の目的です」

「自分の正体を徹見する」

「幾ら法理を知り尽くしても駄目なのです」

観念を巡らし、知性を巡らして心を究明する限り、絶対に本来の心には出会うことができないんです

「先ず知性と感情から抜け出ることです」

真理とは宇宙の真実の姿で、有りの侭のことです」

「一切皆空・色即是空・空を体得」

「縁のままそのまま、只在る、これが脱落の様子です」

「何も無ければ思うこともないではないか

「心念紛飛」

「未だに行為の完成度は稚拙では」

「低稼働状態」

「念や感情は心の作用に過ぎない」

「天然の働きのことを不思量底というのです」

「即にちゃんとある様子に学ぶことです」

「自己を空じて何もなくなることです。縁に応じて何にでも成ると言うことです。」

「成りきるのが目的です、考えることじゃないんです」

「娑婆事に翻弄」

「内側に騒がせるものが無いからです」

「いくら損得を聞いて分かっても、・・・」

「煩悩も雑念も涌いてこないんですね」

「心の始まる前のところ」

「記憶は単なる情報」

「縁ばかりで何も無いという『空』の様子が分かります」

「知識や理屈が一切届かない」

「縁に対する作用に過ぎない」

「確かな自覚」

「心を用いない」

「心地を解明」

「自己なき働き」

「縁のままに無心に『只』在る」

「『只』を示した」

「疑義に念」

「平安の境地」

「心の根源」

「縁に従い去る力」

「無我の仏の境界」

「言葉を追いかけ、他に求めた・・・」

「脱落とは自己のない事です」

「自己なき消息」

「真実の消息」

「心とすべき物が何も無いからです」

「分別を分別せずば、分別も分別ながら分別もなし

「観念の作り事に過ぎないものを認めているからです」

「禅とはその物と同化してその物自体目的になる事です」

「損得勘定・優劣意識等(不純物)」

「心の問題」

「その物の関係性だけです(因縁所生の法)」

「縁に依って自由自在(空)」

「観念上で作りあげた虚像に過ぎない」

「心に取り込まないことです」

自分も実は迷っているものは何もなかった。只その事が分からなかっただけだ」

「本来あるがままの世界」

「念のない念に気付くまで・・・」

「自己を立てて是非しているものがある」

「不疑の道に入る」

「挑発語」

「超越底」

「真相を自覚するだけ」

「対機説法」

「知的作業を根本的に止めることです」

「悟ることは彼等にしてみれば、ごく簡単なものなのです」

「自己が解けると言う体得底の信念」

「群盲模象」

「活眼の師」

「知性の機能が活動していない状態」

「端的には意根を絶つこと。簡単に言えば心を持ち出ぬことです」

「淡々と只しなさい」

「心の浄化安定を得る」

「作用し流転しているのです」

「仮想盲覚」

「安楽の境」

「無我とは我を忘れることです」

「我を取ること(坐禅修行の根本)」

「余分な念や気持ちを加えなければ・・・」

 

普勧坐禅儀 提唱 井上 希道

普 勧 坐 禅 儀 提 唱・HPより(井 上 希 道 老 師)

 

井 上 希 道 老 師

井 上 希 道 老 師

井 上 希 道 老 師

 

生死は時間と空間の現象じゃ、「死」といふものが別にある訳ではない(随感録 飯田欓隠老師

2016/7/21事実のままにより 2+2=?耳の働き・耳の姿・在りのまま・4は心の働き・五感の役割の違い・空の働き・無我の働き・自在のまま・縁のまま・在りのままの真実がわかる・理屈のはいる余地がないよう一生懸命になれ・一切心を持ち出さない・感じ方・思い方」・

空と言うものが有るのでもない・空であることも分かるし、空もないことが解る・一瞬一瞬展開しているだけの事(禅の心・禅の世界 空より) 

捨てるとは「引っ掛からない」ただの心だ坐禅はこうするのだ 下 より 

(代名詞を使って表現・作為があっては駄目・是何ぞ○△□(仙涯)・概念を通さず)

単を練る・単調・単的・その物になる・一切の自己を運ばない・縁と一つになる・隔てがない)

我を忘れ切った世界が無我なのだ、本来観念など理屈のないすっきりした世界なのだ、

理屈のない事実だけの無我の実証坐禅はこうするのだ 下 より)

どうしても自分の心の汚れは自分でしか取れないのだ坐禅はこうするのだ 下 より )

 

一瞬の念の発生源を見届けよ。、その為には今を離すな、雑念無しの一念(坐禅はこうするのだ )

生死という概念をもって、形を云々した時から生といい、死というものが存在するんですけれども、それはただ縁の生滅を繰り返しておるに過ぎない(時時縁による生滅の流転)(少林屈法語・縁次第・)

心が静まったという現象自体が大事なんじゃない(心の落とし穴)(自己が無くなる)(守るべきものない・何も無いところに達する)

  (少林屈法語 )

生死を超越するということは、体という概念・思惑を超えることだ(少林屈法語・縁次第・)

(「ないものを求める」心の実体はなにもないが、なんにでもなる真相を体得。なくなる・なかった・本当に知る・空・無である。

音声法語2016/5/20

たった一念の変化・心を一点の置く力・思考系と縁が切れる・音声法語2016/05/23

純粋な事実だけの世界でいるという厳密な発見である 

無用の精神行為を止める、身体機能と感覚器官が現実に即して働いているだけ

 

意識によって自他が仮想的に対立的に存在する。いわば知性における想像的構造物に過ぎなかったと言う発見である

自己が無い事がわかる、無我なんだ、自己が無くなった働き、(自由無碍)音声法語 2016/9/1

一瞬の様子、即今底に成れ、「心」を綺麗にせよ、実とは即今底であり実相のこと(無無無より)

念を出すべく努力しなければ出なくなる(続・坐禅はこうするのだ 

体が軽くなり心につっかかっていた自己暗示的なものが瞬時に消えたのです坐禅はこうするのだ 下 より )

ヘダテとはすぐに思いの世界にしてしまう心の癖だ。見聞覚知意にすぐ執り付く癖だ坐禅起・下より)

自分というものが自然に無くなっていく坐禅はこうするのだ 下 より )

体が軽くなり、心につっかかっていた自己暗示暗示的なものが瞬時に消えたのです(坐禅はこうするのだ 下 より)

 

道理が判明しただけに過ぎない、ほんのちょっと解ったくらい(マグマグ265

ないものを想像で創った世界を現実化しようとする2016/8/26音声法語 無我のまま)

瞬間の自己を見つめる・自分の呼吸を見つめる・呼吸から離さない・一心不乱に自分の呼吸を見つめている事・2016/8/30法語)

無力で役だたず・空っぽ・使う為に一回無我になる・空想した無我とは違う・自分流に創らない2016/8/26音声法語 無我のまま)

雑念はほって置く事しかない、自分を捨てて素直になる、(坐禅はこうするのだ 上)

2016/8/2/ 音声法語 素直に成りきったんが祖師方の本領で内容である

イメージは観念現象であり、想像空想の世界です(坐禅を志す人の為に)

数息観のいけない理由は数えるために余分な知性を認め用いているからです(坐禅を志す人の為に )

 

2016/8/28/ 禅の根本

禅の本質・純粋な今に目覚める・心が何も介入しなくなる・なんで、意図を考えてしまう・言葉と一切関係ない・言葉にしよう・言葉にたよる・言葉に真実はない・言葉に実体はない・引っ掛からなければ怒りようがない・今でないものを持って来い、困るだろう・今を出して見よ

何処までも無心にただ思うだけです、今、生まれ立ての純粋無垢の心で有ることを体得する、思おうとすることを止めると、

何もかも奇麗に消えて跡形もないのです(坐禅はこうするのだ 上)

自分流に創らない・本当の事を知る(事実)20168/26音声法語 無我のまま)

行の目的は自我を殺す、自我は身心の隔たりによって起こる、身心一如に戻れば無用な心的作用は起こらぬ、(まぐまぐ107

自我に実体も固定性も無いから、心も空だと自覚したときが消滅したときである。自我も心の働きにすぎない。(まぐまぐ 107

心身が無くなる・自己を忘ずる、意根を座断する、空の体得=心の実体の無いことを自覚した瞬間、意識を加えないこと、(まぐまぐ 130

20161224 無い物を捨てる、無いと云う事が本当に解ると見性

理屈を入れずに、単調に素直にやる。理屈が出たら捨てる。頭は空っぽに成り楽に成る。前後が無い。心の中に跡形が無い。頭の中に残ら無い。

2017/1/20

 

身も心も用いない努力、動かないことであり心を徹底遣わない、身体の不動・心の不動、涌出し続ける雑念・煩悩の正体の解明、

出所の究明、「今」瞬間に現れ「今」瞬間に消える、「今」瞬間に着目、「今」着眼して出て来る元へ、元へと精細に追求し続けた、

心の発生する源へ迫った、その元へ到達して一切を明らかにした、(般若心経夢影録)

20170129 音声法語

先ほど食べたスイカの味はどうであった、あの音は何ぞ(飛行機の音)、何者が合掌しておるのじゃ、何と見る(タケノコの根っ子)」}

多くを聞いたとしても本当に坐禅しない限り意味が無い、説法は一言で良い、「本当に今に成り切り切ったらそれで御仕舞いだ」

余分な手続きとして先ず分からせる、すると信じる道が開けるのだ。信を起こせしめる為にすぎない(井 上 希 道 坐禅起・上より)

心が何処かへ行く気配が無い。心が無闇に連続して行かない

何と無しに夢の中にいるように無抵抗なのだ、何のイメージをも浮かばない一時、心が透き通ってきたら目や耳がそのまま心になっている、

自分の中に激しく閃光が走った、何も思うことが無くなっている、深い深い落ち着きに浸っていた、(坐禅はこうするのだ 上 より)

 

何も無い今の禅坐禅はこうするのだ 下 より )

自分というものが自然に無くなっていく坐禅はこうするのだ 下)

心的行為が自我、知的作用も自然に沈静化

念を出すべく努力しなければ出てこなくなってしまった

自我=無意識に心を支配する癖のこと

心に何もないから実に静かで実に平和である

我を忘れた消息・無我の体得

自己の根源を自己で見極めるだけの事

決着が付かぬ限り続かぬ

心もまた即今の縁に即して作用しているだけ

只の心とは何と軽やかなんだろう坐禅はこうするのだ 下 より )

完全に澄みきった水の様(坐禅はこうするのだ 上)

ものに囚われることが少なくなる

(妄想・空想の世界が本当だと思っている)

観念の世界は虚像世界なのだから

色即是空、空即是色の消息を得。(心の決着より)

 

概念(言葉)の外に出る・(音声法語 )

「無知の作用・無分別の作用」・(音声法語)

空になってみないと空の真相が解らない

単・即今・只管・工夫する(練る)

何か有るかと言ったら、「只」縁のみだ。是を仏性と言うのだ

「解った」と言うものが邪魔をする

自我の根本をこわす・心を持ちださない・概念観念を持ち出さな

捨てて、捨てて、空っぽ・禅の極意

空の真相・解脱の消息、空の真相・解脱の消息

(何にもしない)法理上からそうののですが、手段から目的

拘りの想像世界に過ぎない続・坐禅はこうするのだ)

本来の自分の様子が見えぬ坐禅はこうするのだ 下 より)

 

坐禅はこうするのだ 下 より (井上 希道)

因縁果の一時の様子に過ぎなくて、縁に従って自由に何にでも姿形を替える・様子・具合

を現じた言い振りが「空」「無」とかだ

透き通った心は、求めなければ得られないが、求め心が有ったら得られない。難しいように思えるが、ただ一心不乱に一呼吸をするだけでいい

一瞬の念の発生源を見届けよ。その為には今を離すな

言葉の世界ではない事を言葉で言っても無駄

虚像を創り

一瞬の一念の始まりがつくと「心とすべき塊物が無い」

総ての世界は心に因って生まれているのがよ

理屈もない、迷っていない、因果の真理其の侭

三昧我れ知らず死に切って縁より呼び覚まされた時自己の正体がはっきりする

 

真理を知らんと欲せば自ら坐して味あうべし

我を忘れ切ったら途方も無い世界が開ける

ただ見聞覚知のみになるのだ

雑念を無視して一切取り合うな

坐禅はこうするのだ 下 より (井上 希道)

 

能動的に働きかける心的行為が自我(続・坐禅はこうするのだ)

念を出すべく努力しなければ出なくなる(続・坐禅はこうするのだ)

瞬間の自己追求(衝撃的な自覚作用=悟り)

捨てて、捨てて、空っぽ・禅の極意

余念や感情を持ち出さない=空ずる   十牛図提唱 

忘我だから気が付かない(川上 雪担)

 

概念を持ち価値観を与える

得ようとせず捨てて帰ろう

何にもしない

本当の姿に出会う

「すると云う事は自我を運ぶ事」

分別のいる余地が無い

何かありそうに思う・疑心暗鬼

只見ろ・只聞け

空の働き

余念なく(集中して)

心を使わない

努力をゆるめ無いように・

瞬間の自己を見つめる

 

成り切っておる事を禅と言う

何かありそうに思う・疑心暗鬼

単になれ(純になれ)

只もあってはいかん(老尼)

自分の心に迷っている

自分の心に迷っている

分別のない自覚の連続(十牛図)

知的なものは一切ない

空の働きにすぎない

名相を離れなければ成らない

求めるものは何にも無い

余念(知識・雑念)を入れずに

注意を払う

物に引っ掛からなくなった

 

働き出す前の心が本当の心

学窮(がくきゅう)()

そこに居ればよい(正念相続)

出尽くしたもの

手を出さない

地切り場切り

心の発生以前の事実

(真実の様子=見性=悟る)

第六十七則 巌経智慧

華巌経云、

我今普見一切衆生

有如来智慧徳相

但以妄想執着

而不証得(従容録)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井 上 希 道 老 師

井 上 希 道 老 師

井 上 希 道 老 師

 

井 上 希 道 老 師 (後)リンク先

 

大部分の禅の修行者は見跡、見牛の辺を往来している。

得牛に至ってはまずないといっても、よいくらいものかと考える。

普通、無字の初一関を型どうり透ったのを見性といって許すようである。

定力熟す(魔境)

手の感覚がなくなる次に足の感覚が無くなる。

自分と外界と隔てがなくなる。

体が空になってズーッと天まであがって行き、

天一杯にひろがりました。

先師から「それは多分眠っていたのだろう」などと冷かされた。

参禅入門  大森 曹玄

心と言うは、無一物なり

念は一物あるなり。心のかたまるなり

たとえば、心、水の時、自由なり

念、氷の時、動かず

凡夫と言うは、念深き時の名なり

仏と言うは、念を離れたる時言うなり(至道無難禅師)

 

解脱への道 抜粋 井上 大智 老尼

悟りの牢屋で遊んで居る

悟の牢屋の破れ難き事

[何にもない]と云うものがのこる

禅の主旨や意味が判っても意味がない

解脱([本当の真理]に目覚めること・この自覚症状を[悟り]という

絶えず[只]を練っていた

自己がないことがはっきりした[見性]である

総ての念を無視し続ける(単を練る)

ここはどうしても体験が必要です

心に持ち込まなければ棄てる者も無い

持ち込まない、棄てない一点を守ることだ

 

解脱への道 抜粋 井上 大智 老尼

 

只あるだけ・鏡になる・只見るだけ・無我の働き・空の働き・空になってみたらわかる・無我になってみたらわかる・今になってみたらわかる・

縁に従って素直にやって「無に働き・空の働き・空の様子」・成りきった時、空の依得・

(自我を殺し、本当の今に目覚める)・(物に従い切って「一体になって」我を忘れ切っていく)・

心の力が抜けて瞬間我が身がとても軽くなり思わず立って歩いた。半ば無意識の様であった

(体がない、立とうと思っても体がない、体を捜しても体がない・意識が回復・平日の所見と違う)

息念の法=只この呼吸を正念に、一心不乱に専念すること(井上 義光)

自分が自分でなくなり、まるで空中に浮かび無重力が無抵抗に成ってしまった

悟といふ事は、かくのごとく人々の本より迷はずして、ただ本のすがたなる事を、ただ、たしかに見つくるをいふなり(鉄眼和尚仮名法語

あれは何の音ぞ、ヘリコプターの音です、まだその程度か(飯田 隠)

 

言葉のない世界、言葉を忘れた世界、言葉が浮かばない世界、如何

言葉を浮かばせない・言葉が浮かばない・言葉のない世界

一心の根源にいたらざる人なる(鉄眼和尚名法語)

純粋になると有りの侭が輝いて見える。本来これなんだ

道に南北の祖なし(祖は阻の誤りなりと・飯田隠老師

ほって置くことが坐禅(長井 自然)

脱落身心=始から脱落している (長井 自然)

実体が有る様に錯覚する(長井 自然)

公案を喰い過ぎて食あたり(飯田 とう隠)

無い自分を有る様に思う心銘 井上義衍)

心とは執着なり(心銘 井上義衍)

執われを自己・自我とする

付いていない(ちり)(ちり・ほこり)を取るような教えは正しいですか?

 

 

(障子や壁の中にいる)

体も無く瞬間の音となっていた

透き通った心境

澄んだ心

外と自分と一体だ

透明の存在感

何も浮かんで来ない

 

 

古田 紹欽 (禅問答と悟り)解説

文字にとらわれな

理屈づめに究めたところで・・・

論理的推究

「非思量(薬山)(一体何を一所懸命に坐して思量しているのか?」

非論理の論理

修行体験

無自覚なものではない

「自己の本性を徹見する(真実の自己を知る見性仏性を見る)」

「見は(あらわ)すとよんだほうが誤解がなくていいとおもうが・・・」

本性は仏性である

古田 紹欽 (禅問答と悟り・鈴木 大拙)解説

自己を忘ずるのが安心の要訣である(百家の逸話より 井上義衍老師)

 

百家の逸話より青野敬宗編 得るものは初からないのじゃ、備わっとるよ臨済芝居・曹洞行儀見習いそれは作った世界だ(井上義衍)知と意で扱いさえしなければいつでもゼロのはずであるもう何にも求める事をやめて、このままでおれ「放っとけ」「取り合うな」月と一つになって、何にもなくなったんですが・・・「それもいい、それも放っとけ」分別するものがキレイにのいてしもうたものといつも同化・・・】

 

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渡辺 充 (KB会)

渡辺 充 (KB会)

 

具体的な物には対立は起さない、抽象的な物に対立す

今を意識出来ないけど、今に成る事は出来る。自分というものが有ると、今は意識出来ない

見牛(見性の事)(かすった・垣間見ただけ)(前に戻る)、理屈じゃなく肌で解る、得牛(大悟徹底)(前に戻らない)、人牛倶忘(空)

主体は有るんですか?、私が実在しているんですか、私がいるんですか?、私がいないんですか?、

主体が無い事に気が付くことが重要、現象しか無い

死んだとて何処にもいかぬ此処に居る、呼んでくれぬな返事は出来ぬ  (一休)

悟りがその人の生き方になると悟り其のものが無くなる(頭に浮かば無くなる)

意識化すれば解消する(徐々に消えて行く・いつの間にか忘れてしまう・忘れてる事を忘れている)

「仮に悟りと呼んでいるだけ・聞いている主体が無い・なんにも聞いている主体が無い・意識が流れているだけと気付く事

 

「元々無いものに名前を付ける・実体は無い・問題を作っているだけ・問題が有るのでは無く・一人相撲・自己がすると思う・他が有ると思う・バラバラに思う・思考過程」

「自性霊妙常住の法に於いて断滅の見を生ぜざるを名づけて不殺生戒となす」

「耳で聞いていると思い込んでいる・目で見ていると思い込んでいる」

「同時にあれば対立する・同時に無いので対立しない・生は生・死は死・生と死は同時に無い

「イメージは悪くないが、事実だと思うと、錯覚すると、問題が起きる」

 

 

葛藤が起きないと自我が生まれない

葛藤が起きないと自我が生まれない

あっちちの時は自分はない、だからないんだ

「思考は問題ない、思考者を立てると問題となる」

個人が生きていると思っているのは錯覚

即今只今意識出来ない・過去と未来しか意識出来ない

迷いの根源は救われたいという思い

宇宙の生命体は一つで色々現れる法身仏

意識を動かした所に自分が生まれれる

本体は自分の体ではない・体中何処にも無い(自己)

何々と考える・実体が有ると考える

意識が流れて行くだけ・それを悟りと呼んでいるだけ

死ぬ者は元々ない、死ぬ様に見える(夢・幻)

あえて公案みたいなもので二つに分ける

空間(無我)・時間(即今)

何が喋っていますか? 何が聞いていますか?

 

葛藤が起きないと自我が生まれない

生まれる事も、死ぬ事も無い(不生不滅)

生死=分別が生まれた時生死が生まれる

自分の事を考えている間、解脱しない

空(塊がない)・塊がある様に見える 

思考者が思考をいじ得ると思っている

主観と客観があるから問題が生まれる

意識的に思い出す様に坐禅はなっている(浄化されていく)

生死は本質的に存在しない、形式的には存在する

五感を取って残っているものは無い渡辺 充(KB会)

三界には安定する場所が無いが、安定を求める

神秘的体験(魔境)正師が必要

思えば思った侭にしておく(自己が消える)

見聞覚知の主体はない(空)・ 現象が有るだけ・現象が無くなる(死)

 

浮かんで来るものが消える(阿頼耶識に戻らない)

最大の問題は恐怖、最大の恐怖は死、恐怖の本質は自己

「ない」と言うことが解ることが全てだ

自我以外問題は無い(実体が無い)

無明があって悟る・無明は幻想である・悟りも幻想である

思考がなければ空を自覚出来ない

自分は宇宙其の者何処へも行かない

気が付かないと苦しいものがある

思考が無ければ自我は生まれない

自分が生まれる(自分を生じさせる

宇宙が宇宙を知ろうとしているのが人間

観念が動かない限り生死は無い

雲が流れる様に見ている(気付き)

雲の様に浮かんでいる事に気付き

気付いている時は気付いている事を知らない

気付いている事に気付いてる(過去)

 

生死は本質的に存在しない、形式的には存在する

今現在完全無欠である(衆生本来仏なり)

明けの明星の所見あり100827 2/9渡辺 充(KB会)

自分の事を考えている間は解脱しない

他己の身心を脱落せしむ(対立関係が無くなる)

身心脱落(塊が無くなる事・感情移入が起きない)

 

無限絶対の存在で有りながら有限相対と思っている

賊(盗ってしまう働き)(分別を盗ってしまう)

本覚思想(もともとさとり)(元々悟っている)

自己が無いと云うのをどうやって見抜くか?要点の全て

ポット浮かぶのはよいが追いかけるな

抑圧が薄くなると夢となる(出せば、解消する

「山川草木悉皆成仏・成仏するのでは無く・成仏している」

じーと耐えることが出来ると消えていく

滝という現象があるだけ、実体がある訳が無い(機能があるだけ)

 

「思考が自己を作りあげた」と気が付く

その問題は架空(どの問題も架空)

今の侭が完璧なんだ、悟る必要も無い

我がない方が楽(我をたてれば苦しい)

時間は見れない(概念・過去未来は見えない)

思考を見ている者を作ってしまう

「自分が自分を知る事は論理的にありえない(目が目を見られない)」

自分を知ると云う事は不可能(自分が無いのだから)

自我の不在が解る(見性と呼ぶ)

私の考えでは無く、考えが有るだけ

自分という者が無くなると、心配が無くなる

不昧(決まっている)不落(次は自由)

人空(主観)自分が空、法空(客観)世界が空

本覚思想(もともとさとり)(元々悟っている)

 

 

 

思考過程が生死をつくる

経験が経験者を作る

感情を十分に味合えば解決する

現象に生と死と分けているだけ

感覚があるだけ

生老病死の根底は分別にある

 

我が落ちる(楽になる)

連想する事が自我

心配はないんだ

実体とあると思っているだけ

迷っていると思っているだけ

悟りに迷う、迷って悟る

空性=川の流れ

分別が落ちる

即今(空)

話している主体なない

(かたまり)がない

我々は感覚であるのみである

分別が動くから自分が発生

生死に実はない

自我が無くなると対象が変わる

生死も抽象概念

生も波、死も波(不生不滅)

分別も落ちている

我を出さない(思考停止)

思考者は思考の産物である

思考者が問題である

感情が入ってきたらダメ

自分というものを作りあげる

悟り(真理を悟る)

次々に思考を続けるのが自我

もともと問題が無い

自我の不在に気が付く

何もしなければいい

自意識は葛藤に有る

 

体(本体)・相(形)・用(働き)

無明が私を生んだ

ないからないんだ

自分はない

分別を持たない(子供)

不思量底=無意識=非思量

主観と客観は存在しない

間違いだと分かる事が洞察

考え事=白昼夢

主体は無い・思考者はいない

実感出来ない(自己・我)

問題は葛藤なのだ

幸せを求めないのが幸せ

花が咲いて枯れる様に

自分というものを作りあげる

変化がしているだけ

考えない訓練(坐禅)

(から)さを味わうと消える

抽象だということに気が付く事

抽象だと解れば問題ない

「何もしない」と努力(坐禅)

やっていることは方便

状況だけが有る

思考の妄想

想念が先で私が後に付けている

過去も未来も思考の中しかない

分別の根底は自我

自分と言う塊が消える恐怖

感覚のみでいれば良い

悟りとは面倒臭い

錯覚の上での苦しみ

亡くなっている様に見える

 

人の本質は死な無い

気が付かなくても完璧

思考だけ思考を見る

精神するとは言わない

思考を(いじ)らない

解脱と束縛からの脱出

イメージは虚像

それはイメージ・抽象概念

努力しない事は大変

死はイメージ

論理的に突破出来ないと理解す

一つの生命体しかない

思考者なしで見ている時

手を加えない

浮かぶ侭にして置く(只管打坐)

苦しむとは思考

無意識を意識化する(浄化)

知的な理解で届かない世界

意識の根底は無い無い無い

何もしない事が難しい

わざわざ迷っている

無心=二念を継がないこと

意識が無意識を抑圧している

 

空は見えない(視覚出来ない)

無我・無心で生きられない

施無畏を施す

思考がなければ生まれ無い

感覚が主体を作り迷い

無意識の意識化

不落因果・不昧因果は同じ

成り切る事が解脱

 

何もしないのが最善の策

 

思考無ければ(動物)生死なし

意識化すれば体が解決する

見ているものを作ってしまう

葛藤が自己を作ってしまう?

思考する主体は無い

主観と客観は存在しない

人間以外の動物は死を知らない

問題にしている事が問題

生きて死ぬだけ

気が付か無くても完璧である

何が生まれて死んだのか

生死する主体は何か?

思考・概念其の物

自分の思考だと思っている

体には自我が無い

(自我・抽象)

自己を作るのが思考

思考に手を加えない

生死が有る様に見えるだけ

本体が移り変わっているだけ

無くなると思うから恐怖

自意識の根源は葛藤

空の働きだった(仏性の表われ)

全て方便

自意識が落ちる

悟った後の方が大変なんだ

 

 

葛藤の感覚が自意識

「ないもの」を守ろうとする

 

葛藤の感覚が自我

時間・空間の概念で実際は無い

生と死を概念で分ける

「自己がある」と思う感覚が有る

縁起は説明(後付け)

概念化して分けてしまう

概念として生と死

脳味噌が作り上げた生と死

現象として生と死は有る

生が死に変わるのでは無い

現象が有るだけ・変化が有るだけ

自分を見る事を止める事

不生だから死ぬ事は無い

只反応しているだけ

見てる主体が見えない

思考者(自我)が有ると思う

生まれて無いから死ぬ訳が無い

本質は生死は無い

分別が取れた働き

波は水では無い

手を加えない事がすべて

因果に落ちる(六道輪廻)

只管打坐(思考を只見て行け)

感情は(いじ)らなければ消える

因果無人(無我・空)

生と死は思考

バナナとリンゴは対立しない

抑圧が薄くなると夢となる

流すか、成りきるか

流すか、見てるか

非思量(二念を継がない事)

現象世界しか無い

 

見聞覚知(機能があるだけ)

只、流していけ

無意識が意識化してくる(坐禅)

我を捨てて行く作業

完璧だったと解るだけ

自我(自己イメージ・実在しない)

思考は思考を見れる

思考している自体が自我(錯覚)

すべての問題は自我だけ

無求事

 

 

 

 

 

 

 

渡辺 充 (KB会)

渡辺 充 (KB会)

 

KB会(後)リンク先

 

ネ ッ ト よ り

さとりをひらくと人生シンプルで楽になる

(渡辺篤史)

思考のでっち上げ

思考の雑音がうるさ過ぎる

思考は本当の自分では無い

【大いなる存在と一つである(悟り)(この状態を保つこと)】

不滅の存在

本当の自分に気付き

さとりをひらくと人生シンプルで楽になる

 

人生が楽になる超シンプルな悟り方

エックハルト、トール(飯田 史彦)

大いなる存在

思考の暴走が弊害

思考の束縛

思考がお(しゃべ)りをやめれば(無心状態)

大いなる存在との一体感(無心)

無我境地(自分の存在の認識)

「念に集中させて思考活動ストップさせる方法」

手段が目的に変わる今にある

心の平安の度合い

 

思考を本当の自分と見做(みな)すことをやめる

心に静けさ

感情も含んでいる

観察するだけ

今にある状態におれば煩悩は消える

「時間の概念を捨てる、今この瞬間に焦点をあてる」

時間は幻と理解しよう

人生は今だけ

評価・分析

観察するだけ

時計時間・心理的時間

無意識状態にならないよう、今にある

苦しみを取り除くため

とけて消えてしまう

「外側におこっていることに関心を持つように内側にも関心を持って下さい」

思考の中の幻

今にあるだけ

人生が楽になる超シンプルな悟り方

ネ ッ ト よ り

 

無門関 まえがきより 安谷 白雲

無門関まえがきより 安谷 白雲

意根を坐断せよ(学道用心集)

陶酔禅

「決して無念夢想になるのではない

「なるほど衆生本来仏であったすべての存在はもとから完全無欠であったのだ(大自覚が爆発する)」

「仏の境界を実現実行しているのである」

「悟りの実行であるからだ」

【禅の三要素(大信根・大疑団・大憤志)】

「真の自己を見出し、真の自己に帰ることであるから・・・」

最初の見性は・・・第三の見牛にすぎない」

大悟徹底に到って、始めて第四の得牛となる」

数息観

出入息観(出①・入②)

出息観(出①・一呼吸を一つと数える)

入息観(入①)

 

随息観

「出入の息を絶対に見失わないようにする」

雑念(毒にも薬にもならない)

歩行禅(経行きんひん)

臨済(早く)・曹洞(遅く)・師原田祖岳(普通)・小乗仏教(普通)「坐禅一時間・経行一時間のイメージ」

無門関 まえがきより 安谷 白雲

 

自己の決着は即今底

投稿者:鈴木正道メール  投稿日:2010 821()104145

坐禅修行には一切の手段は必要なく、「只」坐禅すれば良い。一番良いのが一切何もしないことである。それが本当の坐禅である。

坐禅ばかりの時、自我も念も心もない。ところが「只」坐禅ばかりになれないから色々の手だてが必要となるのである。
つまり
信念粉飛し妄念雑念に翻弄されて片時も坐禅に成らないための対策が必要であり方便がいる。
坐禅ばかりとは坐禅に徹してこの
心身を忘れることである。これを坐禅に成りきると言う。一つ事に没頭し尽くすことである。最も単純なことであり、最も困難なことである。

 

「観念知識によって(眼耳鼻舌身意)を有る様に思い込んでいる本当は(眼耳鼻舌身意)」(ネット法話 川上 雪担老師)

念起念滅しているが念を観察する者がない(ネット法話 川上 雪担 老師)

非思量ということは考えないことなんだよ(げんびーに 井上貫道老師)

(坐禅無分別を習慣づけるためのもの)(げんびーに 井上貫道老師)

只、そのことがそのこととしてあるのみであって、それが人と言われておる私達の実体である。(井上 義衍老師語録)

工夫は唯だ人我の見を離る、見を離るるの機要、内、虚にして外事あるのみ、是れ人我を離るるの道、これ坐禅の玄旨なり、

(井上 義衍老師語録)

不思量とは事実の生活の様子、自分自身を離れ即今の事を離れて学ぶことは出来ない、計らいの心の現われ思いを起こさずいる時の自分の在りようにきちっと目を向けその事実を見逃さないようにする。(井上 義衍老師語録)

意つまり心はものが思えるように出来ている(井上 義衍老師語録)

(前後際断された様子を自覚した念に投入して行く、この只管の一念をどこまでも護持して行く)(照庵大智)

 

前後裁断された念如何

裁断=前際(過去)後際(未来)が断ち切れていること・前後の際(あいだ)が断たれていること・

即今底=念が出て来る前=心がない心=無念の念=空っぽ=只を守る

釈迦の知った世界というのは、息をするこの根源を明白にしたんじゃないか (井上 義衍)

即今底を練る=一点追及・守り切る・自失・無意識・無思・在りのまま

自分というのは観念です、意識が存在するかのような錯覚からぬけ出せていないから、

未だかって過去が目の前に現れ出てきたことがあるか、玖延寺 抜粋

我が落ちる・執われたら駄目(幻)・執われないことを会得する・在りながら無い・執着するものが無い(解脱している)・

井上 希道・H27131日・音声法語

道を得るより(自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

同時に・消えてなくなる・同化して・衝突が起らない・自分という意識が無い・心にひっかかるものがない・とらわれない

「小川 隆 NHK宗教の時間より

鉄牛(口を差し挟む・吸いつくす)・看話禅で悟って文字禅で表現・不生の仏心(生まれ無い・生じない・もともとある)・

はた庭前の柏樹子を見るや「如何是西来意、即今是恁麼意(馬祖)」

 

(因縁所生の法・因縁生起・縁起・実体がない・実体がない真相を体得することが悟りである・縁次第で変化する(一切皆空))

(体がない、立とうと思っても体がない、体を捜しても体がない・意識が回復・平日の所見と違う)

修行の根本より (照庵大智)

一念の真相を体得する・自分の考えを加えぬよう注意・万事にご注意・(現実・一念・念・即今・一心・満身・只管・如法・三昧)とも代えて・一念の前後裁断されて様子を自覚した念に投入・只管=余念のないこと・念の上に念を重ねて不純にしている・

認めることの非なる事を知らねばならぬ・意の全く無い一念を護持し通す・修行の根本より (照庵大智)

柳田 聖山

浄土真宗(初期禅宗の別名)【(元来黄檗仏法無多子)(なんだ黄檗の仏法は単純なんだな)(簡明直截であり純一無雑であることだ)

(今しかないと、ないんだと本当に知るのが禅)瞬間の自己を見つめる

 

自己の決着は即今底

投稿者:鈴木正道メール  投稿日:2010 821()104145

坐禅修行には一切の手段は必要なく、「只」坐禅すれば良い。一番良いのが一切何もしないことである。それが本当の坐禅である。

坐禅ばかりの時、自我も念も心もない。ところが「只」坐禅ばかりになれないから色々の手だてが必要となるのである。
つまり
信念粉飛し妄念雑念に翻弄されて片時も坐禅に成らないための対策が必要であり方便がいる。
坐禅ばかりとは坐禅に徹してこの
心身を忘れることである。これを坐禅に成りきると言う。一つ事に没頭し尽くすことである。最も単純なことであり、最も困難なことである。

 

無いものを有る様思って、自ら矛盾を起こす 心経 心銘提唱(井上 義衍)

元来無我なる事を識得すれば無覚煩悩一時に消滅して今此の身心直に是れ天真佛なり(梅天禅師)

無心とは見聞覚知を心に非ずと知るを無心というなり、見聞覚知の根源を知るべし、忘心未だ起こらざる、元来心と云う物は無けれども、

今心と説くは光影の異名なり(梅天禅師)

悟りとは見聞覚知を心にあらずと認得して只生れ付きの本来人と成って迷悟なきを仮に名けて悟と云う(梅天禅師)

明眼庵主偏―公案解答集、瞎驢庵主偏―公案四百則―島田春浦氏の匿名

 

無證、無無證、是名畢竟證。外に於ては色声等に染せず、内に於ては妄念心を起こさず

坐禅をすればなにかが得られる、坐禅をして何かを得ようとするその心

切の法は空なり、山河大地は是れ名なり、存在するが如く見えるが実体なし、渡してやる事ができぬ、お前の中にある

自心の本性、不生不滅、これを喚て本来の面目となす。本来の面目を徹見す、これ所謂見性なり。

猪肉の良き所、一斤私にもくれと、屠家は刀を放下して、又手していわく、「どれも、これも、良き肉ばかり」と言う師、省あり。

馬祖―盤山―普化

一切諸法は心に由て生ず、心を求むるに不可得なり、畢竟空なり、(従仮入空観)

心性は空なりと雖も、縁に対して一切諸法を出生す。(従空入仮観)

心性は空に非ず、仮に非ず、(中道正観)

水波の隔ての生ぜざる以前、仏と衆生との分かれざる以前、そこを名づけて本来の面目といひ、本分の田地という

一実多名、その(もの)()るや天地に先立ちて生じ、古今に(わた)りて常に現在す。体を論ずれば、妙有真空、円明寂浄、思議すべからざる者。

(洪川老師―尽心第十二則)

 

法身を覚了すれば一物もなし、本源自性の天真佛(証道歌)但能無心、便是究竟。

自性を了徹す。(澤水仮名法語)法の病。大悟大徹。見性なきにはあらず

駆求する所の心を歇めたなら、念を息め慮を忘すれば、仏自ら現前す

身を誠に生れたりと見るは迷いなり、夢幻と深く信ずべし、(二十参問答・夢窓)

執着の心なく、二念をつがざるを仏とは申す(二十参問答・夢窓)

身は四大仮和合にて我物に非ず、心は無性本空にして、一法の撮るべきなく、又一法の捨つるべきなし。(天桂伝尊)

主人公そのものが残っているからだめなのです。それが本当に落ちさえすればいい。心銘提唱 (井上 義衍)

意識の中に、自己のない真相が、意識自体がはっきり自覚する 心銘提唱(井上 義衍)

 

自我の根本をこわす・心を持ちださない・概念観念を持ち出さない(井上 希道)

(無心、悟りを得ようと、ないものは得られない・)耕月寺 甲賀 裕慈

(妄想は除きようがない、出てきたら、もうない)耕月寺 甲賀 裕慈

空(変迁流転して少しもとどまらぬということ、本質が自性のないということ)井上義光老師語録

自心を悟らんと思わば、まず念の起る源を見るべし(跋隊禅師 仮名法語)

諸縁を放射し、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管すること勿れ。心、意、識の運転を停め、念、想、観の測量を止めて、

作佛を図ること莫れ。兀兀として坐定し、箇の不思量底を思量せよ。不思量底をいかんが思量せむ。非思量。言詮不及、意路不到。

涅槃経 獅子吼品  一切諸法、従縁生、無性名為仏性、明見一切事理、無非如来性

悟とは見聞覚知を心にあらずと認得して、只生れ付の本来人と成って迷悟なきを仮に名けて悟と云うふ。 (梅天禅師法語)

 

鉄饅頭を咬み来たり、咬み去らば、必ず咬み破る時分あるべし。(鉄饅頭=公案の比喩)(夢中問答集  夢想漱石)

自心を悟らんと思わばまず念の起る源を見るべし(跋隊禅師 仮名法語)

看話禅(悟り)・文字禅(説明)・生悟り(野狐禅)・平等・無事禅(ありのまま)・本来の自己

諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ること莫れ。豈に坐臥に拘わらんや。(普勧坐禅儀  道元)

諸縁を放捨して、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心、意、織の運転を停め、念、想、観の測量(しきりょう)を止めて、作佛を圖ること莫れ。(普勧坐禅儀)(言詮不及・意路不到)

禅家のいわゆる見性とは、この物を徹見、証知するに外ならず。(之を称して仏性・真如・無)

(現代相似禅評論 飯田 欓隠)老師

成仏の道とは、自心を悟る是れなり、自心と云うは、父母もいまだ生れず、 わが身もいまだなかりしさきよりして、

今に至るまで移り変ることなくして、一切衆生の本性なる故に、是れを本来の面目と云へり。

自心を悟らんと思はば、先ず念の起る源を見るべし。

自心これ何物ぞと深くうたがひて、悟りたきのぞみ深きを、修行とも、工夫とも、志とも、道心とも名けたり。

一念自心を見るにしかず。(抜隊―仮名法語)

見聞覚知の働きをしているものを、自分だと思っている。妄想の根源です。(原田 雪渓)

 

衆生と仏と分れる以前の消息、本来の面目、本分の田地、本体は一つだが用が違う

特定の一公案に全意識を集中することで、人の意識を限界点まで追い詰め、その極致で意識の激発・大破をおこして劇的な大悟の実体験を得させようとするものである。(禅の語録 導読 小川 隆)

解釈不可能な公案に全意識を集中しつづけ、その極点で爆発的な心の撃破を起こして大悟に至るというもの(禅の語録 導読 小川 隆)

思路を断ち切り、意味と論理を超越した絶対的大悟をもたらし得るとされたのである(禅の語録 導読 小川 隆)

禅=静寂なる自己の本性の内面に在りつづける(禅の語録 導読 小川 隆)

悟りについて説くのではなし、実地に悟らさていった(禅の語録 導読 小川 隆)

 

「現実態の[我]と本来性の[渠][渠]は[我]だが、[我]は[渠]ではない」(禅思想史講義 小川 隆)

「妄念さえ生じなければそのまま仏性そのものである」思量するのは妄念である、意識が動けばたちまち的外れだ

(禅思想史講義 小川 隆)

「[ほれ庭先の柏樹]それが見えるか?それを見る汝自身のことを言うておるのだが」(禅思想史講義 小川 隆)

悟り(仮説の概念)知的分別を奪い去り・・・心意識の思考の及ばぬところ・・・(禅思想史講義 小川 隆)

 

不可得・無所得(固まりが無い事じゃ)(参禅夜話 飯田欓隠老師)

真理の代名詞(空・無)(照庵大智老尼語録 上)

思うことを縁として邪推するから迷いの元となる(井上 義衍老師語録)

因縁生のものは実体がない、これを空という(井上 義衍老師語録)

大地と有情同事成道山川草木悉皆成仏

有情非常同事成道山川草木悉皆成仏

即今=思考活動が発動していない状態

禅語を読む 西村 恵信

洞山五位

正中偏(君位)理法は現象世界では、はたらきとして現れる

偏中正(臣)現象世界は理法そのものである

正中来(君、臣を視る)現象世界は縁起の理法そのものである

兼中至(臣、君に向かう)現象世界は理に(かな)い、空に帰する

兼中到(君臣合す)理法と現象は一つである

 

 

即今底を練る=一点追及・守り切る・自失・無意識・無思・有りの儘

20160806空っぽである為には、何にもしないこと

(即今を練る、守る=念が出て来てもついていかない)

自分の心境を見ていないのを無我という

息念の法=只この呼吸を正念に、一心不乱に専念すること(井上 義光)

分かっただけでは力になりません(欠野 アズ紗)

練る=見失わない様に勤めると言う事

悟りという境地なんてありません

知ろうとする心の起こってる、根本を解明しなさい。

何か特別なものになろうとしたら間違いです

練る=見失わないように勤めると言う事

身心脱落 脱落身心 自己を忘るるなり

 

雑念が入る隙間のない徹底した呼吸をすればいいのです

呼吸作用は一切の意識とは無縁であるように思える

無意味な連続的思考作用

無我=こだわる主体さえない世界を抽象的に言い表した言葉

悩みや煩悩が浮上しなくなる

理屈を持ち出して云々する世界ではない

言葉の媒介なしに認識する世界

我慢ごっこ

捨て尽くして何も無くなれば失う物は何も無い

坐禅は迷いの元である「隔たり」を取る修行である

「ただ」縁のままに素直にしておればよい

静かな自分を全身で味わう

知的解釈、知的満足・(危険な陥穽)

禅の理論化はことごとく災いとなる

知解・分別を加えない修行

一切の念を退け何もない一瞬にいることが出来る

 

無心でおれよ・無心でおれよ(山田 無文)

一心生ず=分別の念慮(禅への道 鈴木 大拙)

晴れたる虚空如くにして十方清浄なるも悟にあらず

我が念の起こる源にゆいて見るべし

無心の用地、迷といふべきものなく、悟といふべきものな

 

自ら看て取らせねばならぬ(禅の語録 導読 小川 隆)

合理的知性主義・体験的直感所義(禅の語録 導読 小川 隆)

一念がバカッ!と大破せねばならない(禅の語録 導読 小川 隆)

 

 

「四祖道信示牛頭法融」心銘 井上義衍老師より

 

夫れ百千の法門同じく方寸に帰す。

河沙の妙徳凡て心源に在り。

一切の戒門定門慧門、

神通変化悉く自ら具足して汝が心を離れず、一切の煩悩業障は本来空寂なり。

一切の因果皆夢幻の如し、三界の出ず可きなく、菩提の求む可きなし。

人と非人と性相平等なり。

大道虚曠にして思を絶し慮を絶す。

是の如くの法汝巳に得たり、更に欠少なし、仏と何ぞ殊ならむ、更に別法なし、汝但だ心に任せて自在なれ、観行を作すこと莫れ、亦た心を澄ましむること莫れ、貪瞋を起すこと莫れ、愁慮を懐くこと莫れ、蕩々として意に任せて従横為れ。

諸善を作さず諸悪を作さず、行住坐臥目に触れ縁に遇う、凡て是れ仏の妙用なり。

快楽にして憂いなし、故に名けて仏となす。

師曰く、心巳に具足せば何者か仏、何者か是れ心、

祖曰く「心にあらざれば仏を問わず、仏を問うは心ならざるにあらず」。

師曰く「巳に観行を許さず、境起る時に於て如何が対治せん」。

祖曰く「境縁に好醜なし、好醜は心より起る。心若し強いて名けずんば妄情何れよりか起らむ。妄情巳に起らざれば真心遍知に任す。汝但だ心に随って自在なれ、復た対治すること無きを常任法身と名けて変異あることなし」。吾三祖に受く頓教の法門、今汝に付せむ。

 

「四祖道信示牛頭法融」心銘 井上義衍老師より

生死を越える(NHK) 井上義衍老師

活動

考え方の捕えた様子のもの

作用付したとも、ものとも

概念

考え方の問題では無く、事実として在る

真性を見誤る

あるものに名称を付けた

一切問題を起こしていない

人の念が起きた

正念思惟

後から捕えて苦しんでいる

自覚した智慧

「この身の動作は心より起こる

まず心を調べし身を苦しむなかれ

身は几石の如く知る所なし

なんぞ心に随って(からだ)を苦しめんや 仏本行経」

調(ととの)っている事実

分別を振りまわさない(赤子)

 

二回目「井上義衍老師テレビ生死を超えるより

無い物を有ると認めて思い違いしている

認識の手が届かない世界で生きている

分別を振り回さないから真実に近い

手を付けるといかん

思いの出てくるのは必然

任せ方

無心の態度

自分を使わない態度

 

泣いたと思ったらもう笑っている(前後際断の世界)

刺激を受容した瞬間には何の想念も生起していない「絶対の今」

即今底は雑念・余念・邪念なき純一な心である

現実の現象に心を置く

自ら造り出した想像物・想像物に固執する

二念へと連続する余地を裁つところに達する

文字を追い回し思考を駆使しても意味がない

妄想の地獄の中で苦しんでいるだけ

感情や思いが起こる元の世界

我々の身体もただの寄せ集め、一瞬の因縁の出来事である

お釈迦さんは今を自覚されただけ(大智老尼)

 

 

亡是非論―是非を亡ずるには、無心の世界へ住する

何かを求める、其処には何得られぬ

大悟大徹。見性なきにはあらず。

但無生死、煩悩等心、即不用、菩提等法。

心が空で存在性をもたぬものだと徹見する。(宛陵録―入矢義高)

縁より得入する者は永く退転なし

自我と言う実体は変わらないと思っている

見の字が病と知るべし(盤珪禅師)

思考者が消える(自我が消える・身体も消える「身心脱落」)

不落にて野孤になりたるとがのうえに

不昧で脱す二度のあやまち(天桂禅師)

集中するから拡散が止まる

 

 

こころが無相となり、無執着になれば、それが仏だ

心が空で、存在性がもたぬと徹見する事

自己の本性を徹見する。自己究明

心という塊物が有りそうな事言って(希道)

何もないから、縁しだいで何にでも成る

縁より得入する者は永く退転なし

 念を()め慮を忘ずれば、仏自ら現前する。(黄檗―伝心法要)

 悟 簡単、 表現 難しい、 空は因縁生の代え言葉

万法本より不生不滅。諸法本来寂滅の相。

学得底は問わず、体得底如何(自得・自証)

悟るのは簡単だが‘表現するのが難しい

仏に成るより、仏でおるがた易い。

すべてを捨てるが故にすべてを得る

五蘊皆空と照見して無我無心を経験=見性

 

心が空で存在性をもたぬものであると徹見す

悟とは自分に対する執着から離れること自分の本体を体得

小さな悟り、囚われている心、その心に気付く心、その間に悟りあり

正法眼蔵人人具足、唯だ磋過(しゃくわ)する事勿れ、磋過(しゃくわ)

不起一念、未起一念。一念未起。一念未生、性は無形無体なり。

禅において問題とするのは、以前の消息(伊藤康安)

但無生死、煩悩等心、即不用、菩提等法。

心が空で存在性をもたぬものだと徹見する。(宛陵録―入矢義高)

心生ずるとは、一念の起こる事なり

 

 

直心にまかせて振りまわせし人なり。

心=夢相=無喜憂=天真佛=直指人心見性成仏

それを知っても、是れと指して形容する物なき故なり。

法を得ない所が、法を得た処。不得底の処。駆求の心。

無念無想無住の当体が自己本来の面目。

思い出さないは、過去の事、思わないは現在の事。

心と言う概念・観念を設定して、実在であると錯覚す。

念無念念、行無行行、言無言言修無修修。

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽。

是心是仏、是心作仏 (心造)

高臥放任―何も考えずに寝ころがっている(絶観論)

是非未生・迷悟未分の所を看るべし

心と云うは名のみ有って実形はなし。

この身夢の如し、虚妄の見より生ず。(維摩経)

自己本無生(この自己は本来無生滅)

釈尊の教え=宇宙の実相自体を撤見する道

 

諸行無常・諸法無我=幻=空=無自己

一切諸法、皆由心造、莫生妄想分別 (宛陵録)

自ら作りて自ら受ける、自作自受

自身を空ぜよ、空=実体のない事、

悟ろうとする念が自然にやんでくる(大休歇)

見=眼根・聞=耳根・覚=鼻舌身根・知=意根

寂滅は梵語涅槃=大成功の義円寂=不生不滅常楽我浄

無の大悟は自己を忘ずる時現前する

釈尊の教え=宇宙の実相自体を撤見する道

 

別に心というものはない(髄感禄 飯田欓隠老師)

 

自我を滅しましょう、空になる為(原田 雪渓)

自分の考えの中で空を作る(原田 雪渓)

 

因縁所生法、我説即是空、亦説為假名、亦説中道義

 

真箇縁と一つに成ったとき、我の無いことが自覚される(飯田 とう隠)

自己の身心と他己の身心と同時脱落(飯田 とう隠)

五見=有身見・辺執見・邪見・見取見・戒禁取見

性は作用にあり、万法は唯識の所変、自我というものの介在

万法にもう証せられている長井 自然老師)

艦覚の病=悟りを開いたという自分がまだ残っている病

夢幻の生滅にばかされた(鉄眼仮名法語)

ただ本のすがたなる事をたしかに見つくる事をいふなり

三昧・定・等持・正定・止息・寂静・心を一境に住す

六根のはたらきのままにある、縁そのものになる

(只這れ是れ)要末後句一、只這レ、碧巌五十一(風間 敏夫)

問いかけと同時に自分自身をそこに露呈する

知慧・徳相=真如法界=本来の面目=本心=一心=諸法実相

四大本来空、五蘊又無主、畢竟空也

ただ無念無心、迷ー識ー事、悟ー智ー理

機=張って未だ発せざるの力を云う

 

心と云うは名のみあって実形なし、古人は無心と云えり(大応)

無心の時取付く処なき(大応)

心想より生ず

念を静めて

地一声=思わず知らずハッと発する声

目は只写すのみ

あるに似たるものを妄といふ

悟りなぞなきに悟りをもとむる(井上 義光)

無生法忍=一切の法は本来空であって生ずることがない

なにもないのじゃという体験が脱落である、無我の実証

苦楽はないのに楽を求め

捨てるものも得べきものもない

無明とすべきものは実はなにもない

如来ちは即ち諸法如の義なりなり(金剛経)

悟り(仮説の概念)(禅思想史講義 小川 隆)

 

 

一見明星 大悟の消息

不思善不思悪時本来面目

応無処住而生其心

説似一物即不中

生死なし

不生でととのう

只管=純粋ということ

何もしない(井上 貫道)

即今底=拘る物は何もない

只管=純粋と言う事

仏曰 一切唯心造なり

執われを自己・自我とする

何か変わるわけではありません

無我というのは方便です

 

 

放下着

一箇半箇=一人いるかどうか

有縁空忍

念(心に生じる想念)

自己を忘るる

自心を悟る

応無所住、心無実体、生其心。

 

自性を了徹す(澤水仮名法語)

法の病

大悟大徹

見性なきにはあらず

 

不識

自心是何ものぞ

如=本来、変異なき義

性=作用にあり

不起一念?

 仮に名前を付ける

 悟了同未悟

 非思量底を思量す

但直下無心、本体自現。

石中に火あり、打たずんばでず。

父母未生以前本来面目

至道無難唯嫌揀擇(けんじゃく)

 悟りは状態

悔い改めるとは

過去との清算

 新しく出発する

空―縁起による存在の外には

存在をあらしめる実体のない

こと

 仮和合

 自性を了徹す。

(澤水仮名法語)

法の病。

大悟大徹。

見性なきにはあらず

得る物は何もなし

始めから備わっている

息をする根源を明白にする

元来無我なのに我を立てる

無心の姿

末後句一、只這

見性=心の性体を見破る

思考は言語化されている

言語化された感覚

反応するから生まれる

 

自我は存在していない

念を(つな)げない

透明人間になると夢に成る

念を(つな)げるのを()める

我説即是空(龍樹の中観論)

求心歇処即無事

文字に執着

罰掌賞掌

 

 但直下無心、本体自現。

大悟大徹。見性なきにはあらず。

 生死は仮相

妄をも除かず、念にも著せず

 無為寂静

 心の空なるを悟る

 

 一念無想 ― 空

但能無心、便是究竟。

 大悟八遍小悟その数知らず

 悟了同未悟

 観―明了―因縁生滅

不知息念忘慮仏自現前

心境・消息

只須息見(三祖 信心銘)

如=本来、変異なき義

ありていのまま=仏

天地同根万物一体

心を求めても何も無い

 

何処にも求むべき心は無い

無所得=無所得失

心としての正体は何も無い

 

 本来無相無名

 非幡非風

 仏性―賊性―衆生性

 言を尋ね語を逐ふこと莫れ

 

悟りの陣痛・愛着

 

無心・念止め無心になる

無求無著。教化接引門。

己事究明

父母未生以前の消息

無念の心、無想の心。

不起一念の処。

是心作佛、是心是佛。

但直下無心、本体自現。

五陰為心。

本具の自心を知る。

無所得無所悟

只管打睡

脱落忘却

自性を了する=無所得

盤山―猪肉案頭

禅なしで悟った人

心元是妄 慧能

本性=虚空

一念未生以前消息

已起・未起・不起・未生

時光を過ごす

作用即性(はたらき)

達磨西来 畢竟無意

悟了同未悟の境地の打開

身心自然脱落本来面目現前

心意識の運転。念想観の測量。

見性は大悟にいたる途中のものだ

 

 

 

 

不起一念

一念不起のところに還帰。

一念不起即ち本心

自己の本性に、徹底する。

一心不生、万法無咎

偈(梵語)・頌(じゅ)

諸法皆是因縁生

概念化し迷い始めた(松本 自証)

本心は無念であり無心である。

宇宙に遍満して虚空の如き心。

無心と云ふは自性を見得する儀

生死の根源を究明す

心思

 

空の真相=因縁

自己を求めるに不可得なり

妄想・執着

一念不生の處(大燈国師)

如水帰水(玄沙禅師)

無我に徹する

一念無想=空

妄想分別(我見我慢)

直下に無心なれば、本体自ら現ず

学得底を問わず体得底如何

「空心静坐(無記の空に着する)」

過去・言葉・概念(離れる)

迷えない・執らわれない(世界)

執らわれ・分別・迷い

因縁空

心境が進んで来る

自我を殺してくれる

理会の対象にならぬ

 

無為=己見のない

忘我した状態で世界を見る・聞く

積聚の義

求心止時即無事

好醜は心より起こる

縁に応じて自在に変化すべき物

法身=宇宙の本体

無我底

性=不改の義

菩提は覚

法執

因縁生にして実体なきもの

不知息念忘慮仏自現前

如是の法汝に附す

唯自心生唯心造心も心造

解行を休すべし  (道元)

涅槃=満足・成功・自在の義

感受作用・思考作用

自己を認むる一念

四祖 罪を持ち来たれ

心で計る((井上 義衍)

見惑頓断・思惑如(ぐう)

八風吹けども動ぜず天辺の月

 

はたらき=仏性

徹酸餡・徹饅頭

祖師西来意の意はない

自我=反射作用 (山田 無文)

自我の迷執

妄想=無いものを有ると思う

人我の見が無くなる(原田 雪渓)

 

 

惟儼の「思量箇不思量底」

(考えることのできないことを考える)

(現にあるこのものが思量する[おもいはかる]ことのできないものであると思量する)

摩訶止観の(観不思議境)の説 (池田 魯参)

 身是菩提樹 心如明境台

 朝朝勤払拭 莫使若塵埃

菩提本無樹 明境亦非台

 本来無一物 何処若塵埃

 恵能

念(常念不忘・現在心)

想(思慮・過去心)

観(観察・未来心)

(意識界)

 

心(対境覚知)

意(思量・推量)

識(分別)

(対象界)

 

 鑑智(僧璨)―信心銘

顕禅師―応病与薬―方便説法

 趙州―放下著

 石頭

 至道無難、唯嫌揀擇(けんじゃく)

 但だ憎愛()ければ洞然として明白なり。

  違順相争う、是れを心病と為す。

 

  揀擇(けんじゃく)―撰り好み

 

無薬ならば薬はいらぬ

(病)(薬) 

 有―空無

 有我―無我

 生滅―無生滅

 ―布施

 愚痴―知恵

 邪見―正見

 惑い―解(さとり) 

 僧問う「一物不将の時如何」

 州曰く「放下著」

 僧問う「一物不将子の箇の甚麼(なに)をか放下せん。」

  州曰く「放不下ならば憺将(たんしゅう)し去れ。」

 僧「於言下大悟」

   憺将(たんしゅう)―担ぐ

只石を切る底是什麼物(ナニモノ)

 一日大きなる石を切るに、石やや硬し。

   力を尽くして一鎚すれば、(タチマ)ち石より

  火光の飛を観て、豁然としてす。

 

 

 

 

 大珠慧海―頓悟要門

 中峰

 道元

   珪盤

頓悟―頓とは頓に妄念を除き、

悟とは無所得を悟る

 禅定―妄念生ぜざるを禅と為す、坐して本性を見るを定と為す

八風―利衰毀誉称譏苦楽

本性―無生心

定――境に対して無心にして風に動ぜ

 外一切善悪の境界に対して心念起こらず、

 名づけて坐と為す。

 内に自性を見るに動ぜざるを、

 名づけて禅と為す。

 諸法空を坐と為す、証得を禅と為す。

        (坐禅論)

 仏道を習うというは、自己を習うなり。

 自己を習うというは、自己を忘るるなり。

 自己を忘るるというは、

 万法に証せられるなり。

 万法に証せられるというは、

 自己の身心および他己の身心をして

 脱落せしむるなり。

 一切は不生の仏心で調いまするわいの、

 仏心に目覚めるだけ

 師の法要をうけじ。いかにしてか救得ん。

 前え出でられよ

 今少前え出でられよ

 なんと能く受けらるるではないか

 

自己の決着は即今底

投稿者:鈴木正道メール  投稿日:2010 821()104145

坐禅修行には一切の手段は必要なく、「只」坐禅すれば良い。一番良いのが一切何もしないことである。それが本当の坐禅である。

坐禅ばかりの時、自我も念も心もない。ところが「只」坐禅ばかりになれないから色々の手だてが必要となるのである。
つまり
信念粉飛し妄念雑念に翻弄されて片時も坐禅に成らないための対策が必要であり方便がいる。
坐禅ばかりとは坐禅に徹してこの
心身を忘れることである。これを坐禅に成りきると言う。一つ事に没頭し尽くすことである。最も単純なことであり、最も困難なことである。

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

①思わないようにする(思いを無くそうとする)ことは不要と理解し

②思った(考えた)内容や思う(考える)働きについて考えることは不要と理解し

③意図的に考えをする(例えば仕事の計画を考える)ことは不要と理解し

何かの状態をきっちりつくろうとし、それを維持しようとすることは不要と理解し

万事を休息して坐ること=五感の内容、意図的でない思いの内容、意図的でない考えの内容でいます

①~④を理解し⑤ができるようになると、思いや坐中の状態などが気にならなくなるのでただ坐れます

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

 

①事実・真実の絶対的な内容がすでにある

②事実を概念化(相対化)し迷い始めた

③今の事実(五感の内容、思い思えの内容)に対して考えることをやめ事実(五感の内容、思い思えの内容)のとおりに過ごすことをすると

④自ずと事実が事実のとおりに現れ概念を通さず直知しはっきりするという単純なしくみです。

何かを思わないようにすることは、間違いです。

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

悟りとはこれから何かになるのではなく、元々ある事実を事実のとおりに知ったということです。

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

 

大部分の禅の修行者は見跡、見牛の辺を往来している。

得牛に至ってはまずないといっても、よいくらいものかと考える。

普通、無字の初一関を型どうり透ったのを見性といって許すようである。

定力熟す(魔境)

手の感覚がなくなる次に足の感覚が無くなる。

自分と外界と隔てがなくなる。

体が空になってズーッと天まであがって行き、

天一杯にひろがりました。

先師から「それは多分眠っていたのだろう」などと冷かされた。

参禅入門  大森 曹玄

諸行無常(すべての存在は移り変わる)

是生滅法(是がこの生滅する世界の法である)

生滅滅已(生滅へのとらわれを滅し尽くして)

寂滅為楽(寂滅をもって楽と為す)

 

佛心

真如(ありのままなるもの)― 心が特別な姿かたちをもたぬ

法性(存在の本質)    ― 心が変化すべきもない

解脱           ― 心が支配されるものをもたぬ

菩提           ― 心そのものが碍げられないで自由

涅槃           ― 心そのものがひっそり静まりかえっている

(宛陵録―入矢義高)

二入四行論

 

理入―教より宗を悟る

無有分別・寂然無為・名之理入

行入

四行

報怨行ー前世の怨みに報いる

 

髄縁行ー因縁に任せる

 

無所求行ーものを求めぬ

 

称法行ーあるべきようにある

 

禅の四病(作・止・任・滅)―円覚経

作―作為・行為する所に在るものと考える

止―心の動きを止めること

任―其のまま主義・作為するに及ばず・念に止めを刺すに及ばず

滅―泯絶の義・分別意識を掃蕩する

唯識説(分別作用)

心を心王と心所に分ける(心の主体と作用)

心王に八種あり

眼・耳・鼻・舌・身・意の六識、

第七末那識、

第八阿頼耶識(根本識)

 無垢識

(自性清浄心・地論宗)

 九識心王(日蓮)

 

(臨済録 小川 隆)

「本来の自己に立ちかえった、只それだけのことである」「得法とは新たに何も得る必要のない自己、それに気づくだけのことである」

自己は自性の活きた作用「即心是仏」「作用即性」「平等無事」「無依の真人」

本来性もその作用を離れて存在しない

 

体験がないかぎり執着から離れられない

是れ什麼(なん)たる乾屎(かんしけつ)ぞ(クソ同然の体たらくか)

現実体の作用は本来性の現れに外ならず

無事是れ貴人(よけいなものが何もない人)

 

 

得とは不得だ 

得とは不得だ 

一心既無、随処解脱

 

 

 

(臨済録 小川 隆)

 

 

(心意識=心の粗細)

心=対境覚知異木石名為心

意=次心寿量名為意

識=了了別知為識

(念想観=研究の粗細)

念=これを想う

想=二度三度考える

観=いよいよ決定する」

   普勧座禅義一茎草 

 飯田とう隠

 

 空観―平等の理

仮観―万象差別の道理を観察

中観―平等にも差別にも偏せざる

 

 性―不改の義

三惑―(無明―法性・塵沙―化導・見思―空寂)

三観・三智・三徳

無明―法界を了せず

塵沙―無智の数多

見思―解等

 一切智―

差別の相に惑い平等の理に暗き者には、世の中のものは一切空なりと観して空に迷はぬから見思惑を破りて其処に一切平等智得る    (空寂一相)

 

道種智―

一切差別の境界に応用する智

(十界諸種の差異を知る)

 

一切種智―

一切の法は元来無差別である

   (二辺既に知る中道にあらざるなし)

 

(従義の注)加藤 咄堂

心に関する注意 

1、一切の判断分別を断つべし、善悪是非な

くんば自ら消滅すべし。

2、判断分別の主体たる念想観の能力を停むべし。

3、求法、得道、作仏の念をも起さざるべし。

4、無常の理、無我の理を直観すべし。

5、大慈悲心に住すべし。

6、主観、客観すべて執着すべからず無念夢想是れ清浄の念なり。

7、若し精神散乱する時は心を鼻端又は臍下丹田に置くべし。

8、若し精神昏沈する時は心を髪際又は眉間に置くべし。

9、小疾病の時は心を両跌の上に置くこと亦妙なり。

一〇、斯くして無念、無為、無住着、不偏、不倚の統一されたる精神状態に於いて箇の不思量底を思量し非思量の境域に至りて自己本来の面目を現前す。(禅学要義 加藤 咄堂)

 

 

 

 

 

法身ー理法そのものを佛の不滅の本身と見たもの

 

報心ー真理体現者としてその果報(功徳)を具えた仏身

 

化身ー衆生を救済の為この世に色々な形をもって現れる

佛の人格身

 此非有非空亦有亦空―中諦―中道

 

貪瞋痴慢疑―見惑―思惑

 

止観―寂静

身口意の三業の心を寂静

観(慧)―明了―因縁生滅

 

一念無想―空

 

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。(寂滅為楽)(三法印)一切皆苦(四法印)

達磨・   外、諸縁を()め、内、心に(あえ)ぐことなし、(こころ)檣壁(しょうへき)の如く、以って道に入るべし

六祖壇経・ 外、一切善悪の境界に向かって心念を起こさざるを名づけて坐となし、内、自性を見て動ぜざるを名づけて禅となす

坐禅儀・  諸縁を放捨し、万事を休息し、心身一如にして動静(へだ)てなし

折空観・小乗の空観・存在の分析・実態の空・仮の姿・実体は本来ない

体空観・大乗の空観・あるがままの姿それを空と達観・引き寄せて結びし芝の庵なれば・解くればもとの野原なりけり・

解くずそのまま野原なりけり一切皆空(安谷 白雲)

只=余物を雑えざるの義・純一無雑の境界(禅学読本 飯田欓隠)

輪=煩悩碎破(さいは)と菩提運載のニ義(無門関鑽燧 飯田隠)

小川 隆 2016 04/10 tv こころの時代より

(馬祖・如何是西来意・庭前の柏樹子)(如何なるか是学人の自己・はて庭前の柏樹子を見るや)

(馬祖・如何是西来意・即今是什麼意「これなんの意ぞ」)(如何是仏 麻三斤 衣一着を作るのに必要な重さ・衣の中身)

知的解釈・知的満足、危険な陥穽、禅の理論化はことごとく災いとなる読み損ねる

雪山偈 諸行無常、是生滅法(是れ生滅の法)、生滅滅已(生滅を滅し終わって)、寂滅為楽(寂滅をもって楽と為)

嘉大師 「妄想を除かず、真を求めず、、無明の実性こそは即ち仏性」

 

念は仮りの化想也・取らず・嫌わず起こるまま・止むままにすべし(盤珪)

生するに似たりと云えども、実に生する物なし、縁つき滅するに似たりと云えども実に滅する物なし、生死なきところ、即人々の自性を云う

(月庵仮名)

本分ハ無相ナリ・我ハ是レ・什麼物ゾ若シ不会・為汝等諸人・下一句子・看看・一心法界・法界一心。

無の時の消息・如何(無念・無想・莫妄想・只管・脱落・起滅・自作自演・絵師・念・想・観・心・意・識)

妄想・分別を生ずること莫れ滅するに似たりと云えども滅するに似たりと云えども

元来悟るものがなかった、守るものがなかったと、悟りを持っていることの不是

悟りは開くものでなく、本よりあるもの、そのままのもの=不生 盤珪

無心=仮無真なきにあらず、仮=増愛の心是れなり、真=無増愛の心是れなり

 

身心倶に無になる、 即ち是れ仏道なり

縁の働き、作用あるのみ(自我はない)

因縁所生法、我説即是空、亦名為仮名、亦名為中道。

涅―不生、槃―不滅、大涅槃―不生不滅。

 色―眼。声―耳。香―鼻。味―舌。触―身。法―意。

彼の面目に相見(大燈仮名法語)

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽。(大涅槃経)

 念は過去にありし事を記憶(メモリー)

生したるに似たり、死したるに似たり

念を息め慮を忘ずる以前の消息

喜びも悲しみもあるけれど、ひっかからない

因縁所生法・我説即是空・」因縁生=自性が無い=無自性

一遍目が開くと天地雲泥の差が出来るもの稲葉 心田

仏性の義を知らんと欲せば、時節因縁これなり。

自己の本心・本性を徹見して成仏せしむ

天真爛漫の技巧なき自然は失われてゆき三毒の色が染まる

 

 縁起―無自性―空、心は消滅することなく

佛性の異名ー法性・真如・第一義空・実際・法界・涅槃

 心を求むるに不可得(対象は存在しない)

心と云うは名だけあって実体はない(観念)

見性―悟(自己の仏性にめざめる)

 念は過去にありし事を記憶(メモリー)

知―妄覚、不知―無記、虚空―空

諸縁境界の處に留まらざる處を無想

駆求息む時節、道自ら開かれる。(駆求の心息み、念忘ずる時)

無住―に心という名を与えた心の体とは法界そのもの

心が空で存在性をもたぬと徹見すること

無住―無縛―無解、無為―無所得―無所住―如

元来悟っている、只、自覚がないだけ

思慮分別を用いなければ分からぬと思った

見思惑―空観―   一切智―   ―般若・煩悩

塵沙惑―假観―    道種智―   ―解脱・涅槃

無明惑―中観―   一切種智―    法身・(天台宗)

身心脱落ーその場に成り切って自己を忘ずる

脱落身心ー自己を忘じつつその事に成切る

 

生まれざる以前と死して後とは一つなり

実体らしきものが何処にも在るのではない 心銘提唱(井上 義衍)

無念所の消息・尋ねる、他己

消息を本来心と云う 心銘提唱 井上 義衍

妄念本体なし、心の起こす所心本妄無し 起心・動念

脱落身心、死人となりてなりはててするわざぞよき

人には悩み苦しみといった煩悩はもともとない

もともとないものを、あるように思う

高臥放任―何も考えずに寝ころがっている(絶観論)

万法本より不生不滅なり、常目寂滅相と云う

我ありと思う心を捨てよ(一休・骸骨)

仏の道理は開けるが純一になれない

 

永遠の生命の自覚

自己究明

自心分別の境界

心意識を遠離

 心想より生ず

 妄想執着

 妄念妄想・無欲

 識とは分別の義

 一念未起以前。

 念を捨つべし

佛縁にふれる

 無為自然

 無心の鏡

 妄空

 如―寂

 一起一滅―常なき思慮

 一念不生(念念不生)

 解脱―心にとりつく所なし

 離心無心

 悟無念

 悟心空

 生死は我執からくる

 無所得を悟るー除妄想

 実に悟て示すにてはなし

人の思考以前の事実

分別を起こさざれば=能見

釈迦(梵語)=能仁

 

 

唯自身を証し無分別に住す

自己所証の所

念念従心起・念念不離心

 

無自性空を体得

心の持ち方

一見所知を忘ず

自己を全忘

心源に在り

境涯・世界・所・消息・時

鑑覚聞知

考えぐせの一時停止

即如今底の直指

如是の法

感受作用・思考作用

忘我の消息

諸法皆是因縁生

げに怪しきものは人の心

人は生まれながら悟っている

 

 

意識の中に自己のない真相が意識自体がはっきりと自覚をする(井上義衍老師)

心性を静めて宇宙大精神と脈絡貫通する所あるを徹見する (加藤 咄堂)師 島田 番根(みつね)

一切只、因縁ばかりである因縁の離合、集散(生死の巻 西有穆山禅師)

自覚体=仏性の性は無始以来虚空と寿を同じくし、未だ曾て生ぜず、未だ曾て滅せず

解決出来るものでもない。理解出来るものでもない。無解決・無理解。

身心とも自己がなくなる、是非未生、迷悟未分の所を看るべし、分別なければ、妄想おこらず、得るものがないということを得。

無所得の得。無所悟の悟

仏の用を作すは是れ仏性、賊の用を作すは是れ賊性、衆生の用を作すは是れ衆生性、性形相なし、用に随ってを立つ

人風=利衰毀誉(向かてほめそしる)(褒貶)称譏(かげでほめそしる)苦楽・四順四違

 

自己の身心と他己の身心と同時脱落(飯田 とう隠)

我なきに我を立てて自ら苦しむ(飯田 とう隠)

中心となる心が有ると思い込んでる、それが間違い(井上 義衍)

変化を空という。印度(シュンニャタ・瞬若多)

心は能く積集す、意は能く広く積集す

境は幻の如く、自心の所現なること了せば

 

生より死にうつると、こころうるはこれ誤りなり

心と云うは名のみ有って実なしー無心

無想定―空見、無見―念の起らざる處

念とは心の起伏する所(心の相)

正念とは無念なり、工夫とは無想なり(卍庵老人)

非思量底を思量す、座禅の要術なり(道元)

三界は虚妄にして但一心の作(華厳経 十地品 第22)

無念=何も思わぬことではなく、思う対象に執着せぬ事

念起念滅も同じ実体なき無念(井上 義衍)

山上有山(趙州録開普説・飯田とう隠)

無念とは一切処に無心なる、無起動=無念

鏡に写った現象にすぎない(山田 無文)

後念生ぜざれば前念自ら滅す(心銘・牛頭法融)

迷人=求得求証、俉人=無得無求

 

得失是非 一次に放却す(三祖 僧璨)

善悪都べて思量する莫かれ(六祖 曹渓)

無師独悟=師匠と同じになった状態、無自独悟=師匠以上

不起心・一念不起・不起一念・心作仏(是心作仏)・自性空(無自性)

只、一度命根を絶せんことを要す(井上 義衍老師語録)

無の自性(信心銘提唱 井上大智)

五眼=肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼

心生ずるとは、一念の起こる事なり(大燈仮名)

六識=只知る力、七識=伝送識、八識=本質的な心

 

 

 

 念想喧動

 本性云うは無生心

 境に対し無心―八風動かぬ

 唯心の所現なり

如(如常・変易なき事)

空はものが自性をまたぬこと

妄の反対語は真ー捨妄帰真

佛とは迷はざる心を云うなり

 無心似鏡

 無念似空

 主客未分の所

 心本妄無し

因縁の故に有、因縁を離れて空。

 諸見を起こさざるなり

 妄見を作す

 見を息むべし

 寂静・安楽・無為無相

念を静めるー散乱の病を止めん為

  縁起説―因縁生起

如露亦如電、應作如是観

 念想喧動―禅定

無心―無生心

無住の心―無住心・鏡・仏自現前

諸法無解、本無縛故(中峯)

 佛性―仏様の性質―仏心

一念不生、無想無念

 

主客未分

 

  無念の処を暫らく心と云う

 万事はみな心のなす事な

天地未分前

分別・妄想からの解放

 一念を持って色々造ります

心不起処是也(楞伽経)

そのままで、そのままで不生だ

有分別・無分別

見性ー人人本具の仏性を徹見す事

 ()自己()不可得

自己尚不可得(伝心法要)

自悟

点 滅 ( 生 滅 )

 妄想・妄念

如実知息自心

求心・捨心の妄想を放下。

 見性の者・説性の者

我身(ぬし)なく、虚空にひとしく

念の起る源を見るべし。

心源

任運自在ー物に任せ縁に随う

我見・偏執の心深し

 正機・傍機(悪人正機)

執着の心なし

 一心=無心=無念

 

これが生起する。(ウダーナ)

 

明心見性

空心静坐

(和解・活達・殊勝)法の病

深竿

 

 四病(作・止・任・滅)

無分別=無生死

 起滅

離心是無心

 自然解脱

妄念不生

 境涯・境地

妄起・分別

 無念=一切処無心=真念

一切唯心造

 非吾我

明星一見悟道の消息

 内不起妄念心

納得不要

 一切唯心造

明星一見大悟の消息

忽然念起

不起の一念

とは鏡の上のくもり

心隋境起 (心銘)

 

 学解・体解

見地不脱=法執

 無失物・無所得

 妄見・妄想

 梵天=離欲

本性=無生心

 起滅・空寂

聞声悟道・見色明心

 心所造

夢幻泡影露電

 悟上得悟

真如=万有の本体・永遠に不変な物

 覚観=証す

観=そのことを見る

 観察=観念

覚観=証す

 

 

 

祖師西来意の意はない

 

 

作仏用是仏性、作賊用是賊性、作衆生用衆生性、性無形相、随用立名

真箇縁と一つに成ったとき、我の無いことが自覚される(飯田 とう隠)

自性を了徹す。(澤水仮名法語)法の病。大悟大徹。見性なきにはあらず。

 但だ直下無心ならば、本体自から現ず、本源清浄心=精明の本体(伝心法要)

自己を忘ずる時、どこも全自己じゃ。我=一物を認めた時起こる一念。(飯田とう隠)

 無念を宗と為し、無作を本と為す、真空を体と為し、妙有を用と為す。(荷沢大師・顕宗記)(神会・頓悟無生般若頌)

人は死なない より(ネット)(三宝教団管長 山田 凌雲)

 

釈尊の発見を端的」に表現すると「人は死なない」という発見である。自己=影も形も色・臭いも重さも無い

人間が頭の中で勝手に作り上げたイメージに過ぎない「自己」「人」概念に過ぎない人の死も概念に過ぎない「死ぬ人が存在しない」

「死」というものは存在しない生死は概念であって存在しない

 

人は死なない(三宝教団管長 山田 凌雲)

心性を静めて宇宙大精神と脈絡貫通する所あるを徹見する (加藤 咄堂)師 島田 番根(みつね)

 

廓=ほがらか・はっきり、然=意味を強うする文字、無聖の二文字は蛇足(南天棒禅話より)

諸仏は念の起こるところを知り玉う。

この心の源を知るを見解とも、悟達とも、生死を離脱するとも、解脱とも、如来とも、成仏ともいうなり。(法燈国師)

工夫は唯だ、人我の見を離る、見を離るる機要、内虚にして、外事あるのみ、これ人我の見を離るるの道、これ坐禅の玄旨なり(井上義衍)

須休尋言、遂語之解行、自心自然脱落、本来の面目現前、放捨諸縁休息萬事、不思善悪莫管是非、停心意識之運転、止念想観之測量

(普勧坐禅儀)

業(自我に汚染された行為)、唯自心現、唯自心見(魏訳)、唯心所現(唐訳)、唯自心之所現

「無我(思い込みによる錯覚にすぎないということを教える言葉なのだ)」(語る禅僧 南 直哉)

四諦の真理(これ無いときに、これが無い。これが消滅するから、これが消滅する)

 

観=知慧を持って対境を照見すること

諸行無常(幻化の空身)一切空(諸法無我)=涅槃寂静

識=心の作用の面(識別・認識)性=不変の意(本質・性質)

(実法はない・空という状態・実在はない)(山田 無文)

自性本来清浄=自性清浄心=如来藏心=仏性

本体は是れ自心の作、那ぞ文字の中に求むることを得ん(苑陵録)

息念忘虜、自心是佛、此の心即仏心、観念遊戯

般若―照明、解脱―解縛、法身―清浄

平等差別・正偏・黒白・明暗・参同

我なきに我を立てて自ら苦しむ(飯田 とう隠)

釈尊の教え=宇宙の実相を徹見する道 (魯玄随問記 井上義衍)

人我の見を離れる、内虚にし、外事あるのみ(井上義衍)

無分別智を持って道と為す、道を体得せしめんが為(北野玄峰)

一心不乱に考えることをやめる。(照庵大智老尼)

自我の取り切れるまで。自我の自然消滅。

言語道断、心行所滅、言語道断、不可思議、不可説

 

何にも無いと言う無心の境地(山田 無文)

前後際断で活動し続けているのが我々の心である

実体の無い働き=空(井上 希道)

業(心の作用の名と思えばよい)(井上義光老師語録)

自意識を離れ、自己を忘れきって

解行を休すべし、言を尋ね悟を遂う

心の本体の働きに自分の考えで手をつけない

本体の働きのままにまかせておく

 諸縁を放捨して万事を休息して善悪を思わず是非を管すること莫れ

 私というものを認める(何かもとになるものがある)妄想

仏=ものの本質をいう・本質だけの世界

一切のもの=無自性・無常・空である

仏教の生死=このものの変化の様子=無常

妄想・分別・我・無我・悟り・煩悩

身心自然に脱落して、本来の面目現前せん

一切のものがなくなった・一つになった=空

 

 一箇所に固定していられない、実体がないからです・無常

禅の要訣=農夫の牛・乞食の椀を奪う、大切にしているものを奪う

人生の目的=私の自分自身に会う・本来の自己

咄=禅僧が修行僧を叱りつける語

我と大地有情と同時成道、山川草木悉皆成仏

分別対立を超える・一抗に埋却す (鈴木 大拙)

三昧・正受・当持・止息・寂静・禅定

 

諸縁境界の處に留らざる處を無念と云う

見・妄想・妄心の分別による分別なければ妄想おこらず

佛になるより佛のままで居るのがよい(盤珪)

有心(有主宰)・無心(無主宰)

何一つ真実をそなえていないものはない

無念=一切処に無心なる、思求無く、起動なく

生ありと思うべからず、死すると思うべからず(月庵仮名)

心と云うは名のみ、有って実形なし、古人は無心と云えり(大応仮名)

 

生死なきに生死を見、身心なきに身心有りと思う(月庵仮名)

無住心=無住処=仏心=常寂=本心の形相

実に生すと思い、実に滅すと思へり

是非未生、迷悟未分の所を看るべし。

一体となる・隔たりがなくなる・脱落

自心を知らんと思わば、先ず念の起こる源を知るべし(抜隊禅師)

一切有為法、如夢幻如影、如露亦如電、応作如是観(金剛経)

生死なきに実に生死ありと思い、我が身本来実なし

 

織=了別の義

蘊=積み集める=陰

逆菩薩

「心虚無境・境名無心」

 法理

一切唯心造

 空の自覚

 空の体得。

 自得底

真妄・迷悟・定散・是非

 思量底を思量す、非思量

 忘己時

 

般(音写)=円寂

正覚=この上ない佛の知慧

 夢幻泡影露電

本体の顕現・冥伏

 本来人是何者

自性の体=無形不可得

 一法印=諸法実相

自我と自我意識

無相・無体・無生・無滅を解す

無師自悟

祖師西来意の意はない

意識なしに見る

 無所念=一切処に無心

自我が縛である(飯田 とう隠)

 自然に解脱す

無所念=無心 仮に名字を立てる

 無心の表情

日常底

 念想観の休息

不起一念時

 自心を空ずべし

鑑覚の病

 念の起こるところを見る

真実=無自性空・因縁所生の法

かりに心と名付けたまでである

念起是病、不続是薬  臨済

唯須息見

理に契うも又悟りに非ず

 

 一念不生の処

 未起以前の消息・境地

無道無悟

豁然として

妄念本体なし、心の起こす所

 心本妄無し

起心・動念

念を休す

只管活動(只々)

悟りの(あか)取り

念の出る前に居る事

心が発生する以前に居る

吾宗無言句、無一法与人

したら、いかん

何にもしないから一番楽

いらん事をするな

自己究明に踏み出す

髄息三昧

死ねば自己の本性に帰る

本来不生不滅のもの

因縁所生の法

台密禅

自己の無自性に徹する

本当に自己を忘ずるまで

自分の心に(くく)られている

無縄自縛

自分の念に(しば)られている

不自由千万

自己なきに徹する

余念をまじえず

実地の忘じ方

作用即性

擬議(ため)(なか)れ(ためらうなかれ)

艦覚=自知自覚

一箇半箇=一人いるかどうか

有縁空忍

知力からの発想をしりぞける

関係なく一息一息

頭で作り事

縁に一つになる=従う

 

感得

因果無人

因果無人

無明=理に暗い名

一心に三昧

余念のない

因果無人

理だから体はない

元来無我なのに我を立てる

我見のある人

大悟即迷

菩薩=覚有情(悟るべき人)

我執を取り除ける

妄想禅

無事禅

公案の奴隷

元の姿に立ち返る

無心の姿

髄息三昧

工夫は意根を断ずる

呼吸は頭に置けない

工夫の仕方

一番弊害のない工夫の仕方

忽然、忽念と脱落

自己を忘じた自覚はあっても

深浅の差

見性=心の性体を見破る

時間の賊

法=万物=万物の働き

祖師西来意の意はない

心斎・坐忘

自意識の囚われから解き放たれ

このもの(自己)の働き

法=実体がない

今に在る努力が修行

空っぽの心

眼横鼻直

我法二執の縛を去り

縁(知覚のこと)(鈴木 大拙)

法執の病

 

我見、自我の働き

以前の状態

馬鳴「忽然念起を無明と言う」

無所悟・無所得

自己を運ばない・自己を忘れる

心の作用

自我の妄執

悟りの様子

自他・主客を完全に脱落

佛知見=仏の境界

 

空の教え

本来の自覚に目覚める

思うということによってある・過去・未来

生に対する執着

働きそのもの=真実の自己=法

修行の限目=識の参究

実体ない=識の空=空=因縁生

見性は作用にあり

苦のもとはなにもない(縁起

仮の城=空

禅に酔ってしまっている

参禅門法・坐禅工夫・戒法の護持

 

考えるという癖

 

是非善悪の思いを捨て

心意識停止・念想観識量

即念・即念底

世界唯一心造

無分別・念以前

 

了別の故に識と名づけ

 

坐執

言忘慮絶

法執

菩提心=求道心=努力心

 

 

この性(真理)金剛不壊の生命

自己の真理当体に目覚める

如=平等無差別の義

聞く耳を持たず、見る眼がない

我と我見を妨げる

無我の教え

 

釈尊の教え=宇宙の実相自体を徹見する道井上義衍)

華巌経云、我今普見一切衆生、具有如来智慧徳相但以妄想執着而不証得(従容録 第六十七則 巌経智慧)

其の物は、いつでも縁に応じて何にでもなって行く。この自在を空と仮りに名づけてあるだけ。

この自在を自覚する。 信心銘提唱 (井上 大智)

動念即乖・擬心即差(念を動ずれば即乖「そむ」く・心を擬すれば即差「たが」う  黄檗(伝心法要)

身心脱落=カ地一下=云うことも、教えることも出来ぬ奴(飯田とう隠)

只余物を雑えざるの我、純一無雑の境界、識得底の眼(飯田とう隠)

「妄念さえ生じなければそのまま仏性そのものである」(禅思想史講義 小川 隆)

思量するのは妄念である、意識が動けばたちまち的外れだ(禅思想史講義 小川 隆)

 

「現実態の[我]と本来性の[渠][渠]は[我]だが、[我]は[渠]ではない」(禅思想史講義 小川 隆)

欓隠云く・「一休、良寛の禅は愛すべくも学ぶべからず」(照庵大智老尼語録上 井上 大智老尼)

意根を坐断す、意根を断絶して本来の面目を識得する(少林窟 井上希道)

「心が静まったと言う現象事態が大事なんじゃ無い、小さな結果を大事にしてしまう所に心の落とし穴がある」

因縁説・縁起説=方便、法=事実の真相、因縁によって形成されっているものは、中心が無く、実体も無い。始終変化=無常、

無始無終=無我、認めようがない=無相(The・禅  原田 雪渓

「空と云うものが別に存在するものではありません」(仏教の大意)鈴木 大拙

「それはそれ」も理屈の内・(○△□も観念に陥る事)・「見たまま」というだけいらん事・井上 希道)

意識の中に自己のない真相が意識自体がはっきりと自覚をする (心銘提唱 井上 義衍

 

鉄饅頭を咬み来たり、咬み去らば、必ず咬み破る時分あるべし。(鉄饅頭=公案の比喩)(夢中問答集  夢想漱石)

言説で以って説けない、思慮で以ってはかる事も出来ない處を示したもの(公案禅話 伊藤古鑑)

たらちねに呼ばれて仮に生まれ来て、心おきなに帰るふるさと(一休)

死にはせぬどこにも行かぬここにおる、呼んでくれるな返事はせぬぞ(一休)

「一切の相対を超絶して除くべき煩悩もなく求むべき菩提もなく云々」(禅学要義 加藤 咄堂)

「天地自然の物象を本体現相妙用との三方面より観察」(禅学要義 加藤 咄堂)

心意識=心の働き・念想観=念・念に念を重ねる・観・決定する。決める

生受=受を生ずる・蝕受に依って知る事・感覚を受け入れそのものの生ずる事であるがそれも出来ないからそれを休めよ(公案禅話 伊藤古鑑)

201512/15 長井 自然 提唱

此の身を私だけと思っている、修行しようが、しまいが身も心も何処にもない。(脱落身心)

修行して身も心も離れなくなりました。消滅しました(身心脱落)。

 

諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ること莫れ。豈に坐臥に拘わらんや。(普勧坐禅儀  道元)

三界は悉く皆唯心の所造、有相の諸法を転じ去れば空相に帰る、万法は悉く皆唯識の所変、真実と認むべき者なし

過水の偈 洞山良价

切に()む他に随って(もと)むを、迢迢我与疎なり、我今独り自ら往く、処処に渠に逢ふことを得、渠は今正に是れ我、我は今是れ渠ならず、

応に須く与麼に会して、方めて如如に契ふを得たり

静かな呼吸が私を透明な世界、いわば「空」へ導いていく(欠野 アズ紗)

ありのまま見る力が備わって結果自分の中で問題化しないだけである 悟りの道をつっ走る(欠野 アズ紗)

今の何も無い心境をどこまでも練りなさい悟りの道をつっ走る(欠野 アズ紗)

終った後からあれこれと考えるだけ新たな今今を失っている。終わったら終わった事実があるだけ(欠野 アズ紗)

一念心の生ずる源を裁断して、無心の根源に到達す(真正見解の眼)

 

五薀・色(物質現象の世界)・受(感受の世界)・想(表象の世界)・行(意志の世界)・識(知識の世界)

「無眼耳鼻舌身なしは断見。無の眼耳鼻読む」(禅学読本 飯田欓隠)

眉毛堕落=偽りの法を説く者は法罰によって、眉毛抜け落ちるという信仰に基づいている(禅の語録 導読 小川 隆)

耕月寺 修行記より 抜粋(青野 敬宗 の教え)甲賀 祐慈

手の甲に一指し指で・一の字・「この指と一緒に動くのは、あんたの頭から足の先までのどこだね」「頭で考えたってわからんよ、考えや知識でわかるんじゃないんだから」「胸に円相を描いて、ここを空にして坐りなさい」「五感をみんなそのままにして、まわりのもので自分をまどわさない、頭を動かす根源が自覚されるときが来ます」甲賀 祐慈

只認めて心に留むるが故に、顛倒妄想して迷うておると、思うていたことに気が付けば、しめたものじゃ(井上 義光)

井上貫道老師 抜粋

自分で聞いたという認識がない、思考回路のうえで物事を追求する、鏡の中の様子だけ、鏡は存在しない

仏性とは性を見る事では無くて、見ると言う働き、聞くと言う働きそれ自体、即ち見即性だと云う事、揀沢(差別・迷)明白(平等・悟)

碧眼録(大森 曹玄

因縁説・縁起説=方便・法=事実の真相・因縁によって形成されっているものは、中心が無く、実体も無い。・始終変化=無常・

無始無終=無我・認めようがない=無相・(The・禅  原田 雪渓)

 

まだ実悟にあらず、解脱の深坑と云う

心境不二の境地(本来の面目)

心=アーラヤ識・意=マナス(末那識)・意識=六意識

縁より得入する者は永く退転なし

諸縁境界の處に、留らざる處を無念と云う(宝山仮名)

因縁所生法・我説即是空、因縁生は無自性

無住心=無住処=仏心=常寂=本心の形相

無念=何も思わぬことではなく、思う対象について執着せぬこと。

認めるべき何ものも無いのが仏法だ

それがどうした相手にするな

不可得(無所得固まりが無い事じゃ)(参禅夜話 飯田 欓隠)

取り入れるから、捨てなければ成ら無い

息機忘見=機心を息め観念を忘ずる(苑陵録)

無記ー名が付けられないと云う意味

有に非ず無に非ざる物をば、夢にも知らざるなり

五語=真語・実語・如語・不誑語・不異語

 

念を収れば、彼の本来の面目顕はるるなり

一念不生の処、一念不生の心是なり

不可得ー存在としての実体を、もたない為、認識の対象たり得ぬ

心と云うは名のみあって実形なし、(大応仮名)

迷い=一つのものを二つに見て隔てを立てる

有求皆苦・無苦則楽・有心皆苦・無心始楽

因果は知性面の事象(仏教の大意)鈴木 大拙

識(知覚と意識とを含む作用を表す言葉)

空と言うものがある訳でも無い、仮の名付けに過ぎない

無心=一切の分別・意識を絶した心

心が空で存在性を持たぬものだと徹見すること

主なくして見聞覚知する人を、いき仏とは是をいふなり(至道無難)

 

菩提心=観無常是なり(道元)生死を思うこと

已起も未起も元来有るものではない

自我を殺す為の無であることを忘れるなと

心空なれば自在なり(欠野 アズ紗)

元来無自性空であるから別に求めるものは無い

大地と有情同事成道山川草木悉皆成仏

有情非常同事成道山川草木悉皆成仏

心生ずるとは、一念の起こる事なり(大燈仮名)

一心不乱に考えることをやめる。(照庵大智老尼)

 

 これ何物ぞ

自作自受

 仏魔同面

念起是病不起是薬

八風吹不動天辺月

=本来変異なき義

=作用にあり

即今底ソモサン

多言多慮はかえって迷う

心法双亡

自我の撲滅しか無い

只麼(しも)=其の侭

古則公案・現成公案

息念忘慮、佛自現前(伝心法要)

見惑・思惑 思考以前の状態

了別の故に識と名づけ

見惑・思惑 思考以前の状態

菩提・梵語・道・覚と訳す

寂滅為楽=寂滅を楽とす

波起波・無風起

空の概念に執する病

虚無

瞥地(べっち)の智通の病

自我意識を滅却

 

 一機=自己の思想を自己の動作にて表現する事 

(一挙手一投足)

一境=自己の思想を外界の事物を借りて表現する事

(麻三斤) 

(井上秀天)

涅槃(音写)=寂滅=解脱

 元来は吹き消す

 吹き消した状態

 煩悩の火が消えた

 悟りの境地

 無念=宗

無相=体

無住=本 (六祖壇経)

無念=宗

無作=本

真空=体

妙有=用 (神会・顕宗記)

一法印=諸法実相

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。

(寂滅為楽)(三法印)

一切皆苦(四法印)

 

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、

寂滅為楽。

 

(心意識=心の粗細)

心=対境覚知異木石名為心

意=次心寿量名為意

識=了了別知為識

(念想観=研究の粗細)

念=これを想う

想=二度三度考える

観=いよいよ決定する」

 

普勧座禅義一茎草 (飯田とう隠)

心=はっきり自分がものを認めて、自分はものに対して、木や石ではないと感じる働き

意=ものを計る、分別する働き

識=決め込む。例えばないものをあると思い込む働き

念=考え、考えが一つだけあることは、ありません

想=念を相続していってしまうこと、続けて思うこと

観=

     THE・禅(原田 雪渓)

心(対境覚知)

意(思量・推量)

識(分別)

    (対象界)

 

念(常念不忘・現在心)

想(思慮・過去心)

観(観察・未来心)

(意識界)

 

諸法従因縁生。

従因縁生故無去来。

無去来故無所住。

無所住故畢竟空。

言是般若波羅蜜。

法相宗(五重唯識?)

三論宗(八不中道)

天台宗(三諦円融観)

華厳宗(法界観)

真言宗(阿字観)

受=感受作用

想=表象作用

行=意志作用

識=認識作用

感受作用(受)・表示作用(想)・意志作用(行)認識作用(識)

随感録 飯田とう隠

 

凡夫四倒

 

苦計為

無常計

無我計

不浄計

 

随感録 飯田とう隠

 

二乗四倒

 

常計無常

楽計為

我計無我

淨計不浄

 

随感録 飯田とう隠

 

仏四徳

 

常ー不遷名

楽ー安穏名

我ー自在名

淨ー無漏名

 

計ハ執着の事・離れ得ぬ・妄想のはからい

三徳

智((まど)はず)

仁((うれ)へず)

勇((おそ)れず)

 

 

(びょう)すれども()らず・()すれども()らず)

(賛すれども及ばず・生受(さんじゅ)(やす)めよ)

(本来の面目、(かく)すに(ところ)()し)

(世界()する時(かれ)()ちず)

本来無一物(本来 一物無く)

亦無塵可拂(()た塵の払うべき無し)

若能了達此(若し能く()れに(りょう)すれば(だつ)

不用坐兀兀(坐して兀兀(ごつごつ)たるを用いず)

   豊

 

本体(仏)

同一の原理ー法身ー理ー空ー正ー真如

現相(法)

異別の原理ー般若ー事ー仮ー偏ー万法

妙用(僧)

調和の原理ー解脱ー無礙ー中ー回互ー不二

趙州録講演(ネット)

三宝教団元管長 窪田 慈雲

「我がないことに気づくことが悟りの内容」

悟りのカスを取る修行

俺がいないんだから

我なき我(自由時自在)

世界観

論理は観念(事実じゃない)

事実には観念がない

公心(大我)

仁ー「布施(慳貪)ー持戒(破戒)」ー貪

勇ー「思考(瞋恚)ー精進(懈怠)」ー瞋

智ー「禅定(錯乱)ー智慧(愚痴)」ー痴

心(小我)

 

 

松本 自證 より(井上 貫道老師より印可)

①思わないようにする(思いを無くそうとする)ことは不要と理解し

②思った(考えた)内容や思う(考える)働きについて考えることは不要と理解し

③意図的に考えをする(例えば仕事の計画を考える)ことは不要と理解し

何かの状態をきっちりつくろうとし、それを維持しようとすることは不要と理解し

万事を休息して坐ること=五感の内容、意図的でない思いの内容、意図的でない考えの内容でいます

①~④を理解し⑤ができるようになると、思いや坐中の状態などが気にならなくなるのでただ坐れます

 

①事実・真実の絶対的な内容がすでにある

②事実を概念化(相対化)し迷い始めた

③今の事実(五感の内容、思い考えの内容)に対して考えることをやめ事実(五感の内容、思い考えの内容)のとおりに過ごすことをすると

④自ずと事実が事実のとおりに現れ概念を通さず直知しはっきりするという単純なしくみです。

何かを思わないようにすることは、間違いです。

松本 自證 より(井上 貫道老師より印可)

悟りとはこれから何かになるのではなく、元々ある事実を事実のとおりに知ったということです松本 自證 より

(井上 貫道老師より印可)

 

 

布施(慳貪)ー貪

持戒(破戒)ー貪

忍辱(瞋恚)ー瞋

精進(懈怠)ー瞋

禅定(錯乱)ー痴

智慧(愚痴)ー痴

虚堂十病論

     病在自信不及処

     病在是非得失処

     病在我見偏執処

     病在限量窠白(くわきう)処

     病在機境不脱処

     病在得小為足処

     病在一師一友処

     病在旁宗(ぼうしゅう)別派処

     病在位貌(ぼう)拘束処

     病在自大了一生不得処

(無門禅師)

描不成兮画不

賛不及兮休生受

本来面目没

世界壊時渠不

(公案禅話 伊藤古鑑)

 

言葉を消す、考え思う事もなくなり、精神作用が消えるので、心が無心になります

心の寂滅なるを識りて、一切の念慮無くむば、是を正覚と名付く

妄念生ぜざるを禅と為す、本性を見るを定と為す、本性とは是れ汝が無生心なり

川上雪担老師 抜粋

心という架空映像、我という架空のたがを外す、自我の発生以前、自分という架空理論

参禅=自己に参ずる・老師に参ずることではない・経典の中・指導者の言葉の中に求めてしまう、間違い。

自己に参ずるよう指導が指導者の務め・役目

因縁説・縁起説=方便・法=事実の真相・因縁によって形成されっているものは、中心が無く、実体も無い。始終変化=無常・

無始無終=無我・認めようがない=無相

The・禅  原田 雪渓)

五法・名=(事物の仮名)・相=(事物の色相)・分別=(分別虚妄の想念)・正智=(正見の智)・如如=(不変不異の真如

 

 

三身・法身(宇宙の真理)・報身(体得)・応身(教を()れる)

四法界

・教(仏陀の言教)・理(言教の説かれた道理)・行(道理に従う修行)・果(修行によって得る果)・真宗(教行信証)

 

不坐量底を坐量す

不見量底を見量す

不坐量底を坐量す

不見量底を見量す

不六根底を六根量

不万象底を万象す

不死量を死量す

 

(禅学読本 飯田欓隠

(心意識=心の粗細)

心=対境覚知異木石名為心

意=次心寿量名為意

識=了了別知為識

(念想観=研究の粗細)

念=これを想う

想=二度三度考える

観=いよいよ決定する」

 

普勧座禅義一茎草 (飯田とう隠)

心=はっきり自分がものを認めて、自分はものに対して、木や石ではないと感じる働き

意=ものを計る、分別する働き

識=決め込む。例えばないものをあると思い込む働き

念=考え、考えが一つだけあることは、ありません

想=念を相続していってしまうこと、続けて思うこと

観=

THE・禅(原田 雪渓)

心(対境覚知)

意(思量・推量)

識(分別)

    (対象界)

 

念(常念不忘・現在心)

想(思慮・過去心)

観(観察・未来心)

(意識界)

 

(即今=念の発生する以前)

本体=言葉の実体化されたものに過ぎない

三自性(妄想自性・縁起自性・成自性)

なんもないのじゃという体験が脱落である

語句を漁り法我見の魔道

認め様のない念に速く気が付く事

本来無一物=因縁生の故実体がない

神秘・至高体験は必要なし関係なし

意の全くない一念を護持し通す(菩提心の強いこと)(照庵大智)

 意図しない思い・正念、意図した思い=妄想・雑念

宇宙の本体たる真如(万法即真如)(禅学要義 加藤 咄堂)

 

言葉が無ければ考える事が出来ません

真如=絶対の義・生滅=髄縁起滅

心は常に湛然として、応用自在なり

 

 

我見さえなくなれば

只、この今に目覚められた(釈尊)

単純=無難

定三昧、万事を休息して

法我見=妄念・妄想・妄覚

心の性体を究めればすべて明白

 

公案の解釈のやり取り

身心脱落=柔軟心

思案・思い・考え

 一念の真相

 

只没(しも)に閑

水の自性

不要=放下着

二念を継がず(二念=妄念)

無病・無薬

一切唯心所造

只、我の見を捨てる

只、見を休めさせる

 

「因縁にまかせて体得する以外に方法はない(心)」(照庵大智老尼語録 上)

無念=念を起こしながら念に囚われないこと(信心銘より   山田 無文)

実地に吸ったり吐いたり、頭で考えられない、心意識・念想観=意根を坐断すること=様様な思いは止めるべき

一法界の理に達せず=無明と名づく(起信論)(執念・妄想・調伏)=真の工夫=只管工夫=工夫なし(苦しみ、悩みが寄り付く隙間がない)

(一切から離れ落ちて甦った時の自覚、本当の自己を忘じた有様)

其れに囚われ実在と思い込み、思い(わずら)う事によって自分の迷いを作り出す(正受老人)

因縁所生の法・因縁生起・縁起・実体がない・実体がない真相を体得することが悟りである・縁次第で変化する(一切皆空))

( まぐまぐ 246 井上 希道)

迷いだとか悟りなんて云うものは、元々有るものでは無い(原田 雪渓)

(体がない、立とうと思っても体がない、体を捜しても体がない・意識が回復・平日の所見と違う)

 

人風=利衰毀誉(向かてほめそしる)(褒貶)称譏(かげでほめそしる)苦楽・四順四違

即今底=念が出て来る前=心がない心=無念の念=空っぽ=只を守る・

自我意識を擦りつぶせば・自我意識の滅却、悟ったすべてが空になった

 

禅は自己を究明し、自己の心性を徹見する(伊藤 古鑑)

思いに執着してそれから離れら無いだけの話 (原田 雪渓)

一切の業障海は、皆妄想より生ず(普賢経)

依他起性(えたきしょう)(三性の一つ)(有・無・仮実)

仏性か現れかつ仏性と等しいと考えた

本来の面目(私そのもの)(原田 雪渓)

子供は言葉の概念がない(単的・禅的)

(囚われない・離れている・反応しない)

 

一切の存在は縁によって起ったものとする

一切法は縁起(所縁となす)一切法は無我

悪いと思う(自分)一念が自分自身を苦しめている(正受老人)

なんにもありはしない(正受老人)

自分という塊(かたまり)なんてない

自分の一念に苦しめられている(正受老人)

言葉の遊戯に過ぎぬ・言葉に引っ掛かってはならぬ

 

三受・苦受・楽受・不苦不楽受(捨受)

経典・観心によらない大機大用の禅

三性=善・悪・無記(善悪にあらざる性)(非善非悪の中間性)

知心不心(心不心)(心銘・牛頭禅師)

自分の本来の姿、心とは執着なり

我とは変化せず自在である(主たる属性)

心は能く積集す、意は能く広く積集す

(実法はない・空という状態・実在はない)(山田 無文)

鏡に写った現象にすぎない(山田 無文)

観念が滅んだ時、執着が抑圧される

己事究明、自性本来空寂

縁慮=縁に応じて慮生ずるは散乱の心

即今底=拘る物は何もない

 

 

自心の現ずる

自心所現の境界

自心の所見

自心所見の分別の相

了別の故に識と名づけ

識の現ずる所

作麼生(如何に同じ)(支那俚言)

寂=安静不動

唯心に依るが故に起る

蔵識の現なり

如=平等無差別の義

妄縁=諸縁に動かされている

坐禅看心=妄想分別を断ずる

無念を持って宗となす

昏乱=昏沈と散乱の二心なり

自心所現の分別の見相

妄念もと空

離欲・寂滅

畳を三歩で歩け

忽然念起を無明という(馬鳴)

その動き自身に任せて

空=妄計性の句義

心を体得

統一性・相互関連性

自性の無性なる、徹する

説き様が無い

現実ー認識ー実体がない(無我)

阿羅漢(声聞の究竟位)無学位

単・即今・只管・工夫する(練る)

即今を練る・

即念底に参ずる

只管を練る

今を只やる

即今がおさまる・

即今底の自己を離すな

 

識心寂滅無一切念處是名正覚

波起

 

 

 

禅 の ひ ろ い 読 み

禅 の ひ ろ い 読 み

禅 の ひ ろ い 読 み

 

野狐禅・サル禅

 

「理に契うも亦悟にあらず」

意根を坐断するが目的

 

自己の空なることを体達

 

自覚に深浅あり

 

善事を髄喜せず・悪を喜ぶ

 

自己から離れて

 

そのものと一つになる

今ここにあるー有

今ここにないー無

一時去来今

 

不可知

 

自性を悟る人

 

泡影

 

一息・休息・求息む時

息む自然となくなるとき

 

(実相即無相=空、無我・無常だから)

 

仏性とは働き (山田 無文)

 

万物と一体、実感として(見牛・見性)(山田 無文)

何もかも牛(客観)自分も牛にならねばならない(山田 無文)

 

前滅後生、前滅後生 (山田 無文)

 

{京都}・南禅寺・建仁寺・東福寺・相国寺・大徳寺・妙心寺・天竜寺

{鎌倉}・建長寺・円覚寺

{山梨}・向獄寺

{富山}・国泰寺

{静岡}・方広寺

{滋賀}・永源寺

{広島}・仏通寺

二十四派

 

 

聞く耳を持たず、見る眼がない

如何なるか是れ祖師師西来意?・庭前の柏樹子・和尚{境}を将って人に示す勿れ・我れ{境}を将もって人に示さず・如何なるか是れ祖師西来意?・庭前の柏樹子・

「如何なるか学人の自己?還(は)た庭前の柏樹子を見る麼(や)」

 

 

不求・求めぬということ・意思の働きあり

 

アートマン=息=呼吸

 

非我=自身ありという見解を捨て去る為に

 

仮の想いが起こる

 

働きがたましい

死人どこ行く処とてない

 

心たましい

 

 

一期無常

刹那無常

 

常=主宰=我

 

涅=不生

槃=不滅

 

三法印

唯一実相印(大乗)

実相印

 

如何にして縁起

 

何ぞや実相

 

あるに似たるものを妄といふ

 

妄は虚妄とて、実にはその体なきもの

 

空=平等

分別心をとじさせる

私自身がつくっている(因果一如)

自分がさまざまな感情をおこしている

不安の材料はぜんぶ自分がつくっている

事=差別

理=平等

要は自己を忘じること

 

自分とはなにか

 

涅槃寂静(動くものがない)

 

石鞏(せっきょう)禅師

換骨(かんこつ)脱体(だったい)

 

動中の工夫の中で見性悟道が多い

 

妄想分別は捨てるべきもの

かたち(体)

姿(相)

 

自分の考えにすぎない

 

仮にそういう手段をや方法をもちいている

 

ふたつに分かれて見えている

 

思惑(自分のとりはからいか)

 

円満なはたらき

 

自分のとりはからい

 

三物(さんもつ)(血脈・嗣・大事「参同契・宝境三昧」)

 

回互=平等

不回互=差別

 

回互=お互いの力をめぐらせてたすけあっていく共存・相互扶助の様子

 

 

 

元来物は其物そればかりで比較のたたぬもの

(碧眼集提唱録 飯田 とう隠)

 

無住の心境(無我無心・無念無想

 

五蘊皆空と照見して無我無心を経験=見性

真如実相

 

見性=一切衆生悉皆仏性

 

仏と同じ性質=仏性

 

直下無心になれば本体自ら現ず

 

非思量の境界=仏の境界=文字あることなし

言語判断、心行所滅

 

「心性徹見、妄想起滅の本根を裁断」禅海一灈

 

行=遷流の義

 

知ろうとする心の起こってる、根本を解明しなさい。

何にも無いと言う無心の境地(山田 無文)

 

佛魔同体(山田 無文)

忽然念起の無明

 

体解

 

求心止時

 

本心は鏡の如し(山田 無文)

 

自我というのも反射作用・条件作用(山田 無文)

 

即念の工夫(梅天禅師)

 

落ち切る脱落

 

本来の面目=活動=働き

只、縁のまま生きる

 

縁などというものが、別にあるのではない

 

人の見解が中心になると、縁といわれる対象が出てくる

 

取り付いていく=煩悩

 

煩悩でないことが分かるから自然に落ち着く

頭の中で処理が出来ただけで終わり

 

一念心

 

取り上げない

 

空の真相=因縁

 

機能の自活動

物事を公平に見ることが出来ない

 

心が動き始める

 

人間の見解が落ちてしまつた事実で生活

 

自分の見解があるからダメ

 

人間的な認識から離れる

心の根元を見つける

 

このもの(自己)の働き

 

明星そのものとなられた

天地と我と同根、万物と我と一体

 

(かい)=融和をしている

 

行思ー弟子ー石頭希遷(参同契)

 

仏=覚性

 

自己霊覚之性

 

明心

 

仏刹(ぶっせつ)=仏国土

 

仏身観(三身説)(身のあり方)

 

法身・報身・応身

 

心、諸の如来を造る(唯識説)

 

只、今帰りました

 

心の一様子

(観念・概念・妄念)の世界

 

縁のよせ合わせ

因果無人

因縁生起の法

無我の体得

解脱

永遠の生命

不滅の生命

 

無い物を探すから苦しむ

 

縁に任せ

 

我を忘れる

 

禅の世界・心の世界

可視化出来ない

自分だけの世界

 

本質として具わっていると想定される固定的実体的なものを「人我」

 

無生法忍=一切の法は本来空であって生ずることがない

 

永遠に変化せぬ存在を真にして実なるものとして真実とよぶようになる

 

真諦・俗諦・真実・方便

 

自然無為の世界

 

実・虚

 

思念

 

悟りなぞなきに悟りをもとむる(井上 義光)

 

なにもないのじゃという体験が脱落である、無我の実証

 

師は道しるべ

 

無我の身を我と執着

 

苦楽はないのに楽を求め

 

思量・分別・妄想を出さしめ

 

見知の覚証

 

鑑覚

 

涅槃妙心の消息

 

 

法=実体がない

 

考え方を教え示しているのではない

悟とは見聞覚知を心にあらずと認得して、只生れ付の本来人と成って迷悟なきを仮に名けて悟と云うふ。 (梅天禅師法語)

 

自我=反射作用 (山田 無文)

 

前後際断今只々やる

 

坐禅しとりゃ禅にならぬのか(大智→希道)

前後のない念

 

捜す

 

人我の見離れる

 

祖師西来意の意はない、空っぽの意である

 

ないものを守る

単を練る

 

思考を廻らす

 

煩悩=知性=自我

道具=言葉=価値付け

分別から離れる=知性から離れる

知性をもちだすな

 

一切捨てろ内容如何問わず

安心して悩んでいる

 

打成一片=一色辺=大死底

 

ゆっくり動作=雑念の入る余地がなくなる

 

徹底

そのものと一つになる

縁に任せる

成り切る

余念を入る余地なし

自己を追求

 

今の自分自身を見失うな

 

無我=余分な物がない=隔てのない心

 

喜びも悲しみもあるけれどひっかからない

 

自在無碍

余念・雑念を入れずにやるのが修行

 

今に成り切る

 

本来の様子を自覚する

本来一体ではないか!

何も無ければ!  (井上 希道

 

頭悟りではわからぬ

チラ悟りでは手も足も出ない

 

艦覚の病=悟りを開いたという自分がまだ残っている病

 

呼吸に任せて我を忘れ切ればそれで良い

 

他に求めるものは何もない

 

宇宙限りない働きを強調したもの

淡々と只在る

 

自分の念の始末

 

見聞覚知の無自性の様子

 

無駄矢を放つばかり

 

自然に素直に成り自由に成る事がよく分かったろう

思い計らう事無く大自然のままただ在る

 

 

自己は我見

 

捨てるものも得べきものもない

 

無明のため真空の実相が解らない

 

自我を認むるに依って無明となる

 

無明とすべきものは実はなにもない

 

意根=いろいろなことを思いめぐらす門

 

隔たっていない(距離がない)

 

隔たった状態(分別心)

 

その心澄みわたりてとぎ立たる鏡のごとし

 

打成一片・一色辺・大死底の人・普賢の境界

 

法執の病

薬害の中毒

 

界は間隔の義である(槐安国語第8則 飯田

 

未離欲(公案禅話 伊藤 古鑑)

 

一転語

 

只=余物を雑えざるの義・純一無雑の境界

(禅学読本 飯田欓隠)

 

輪=煩悩碎破(さいは)と菩提運載のニ義

(無門関鑽燧 飯田隠)

 

天地一枚になられぬのじゃ(飯田隠)

 

相対的なものからきれいになれる

(参同契普説 原田雪渓)

 

楽が苦の種となる

 

病気の無い病気(無病の病)

 

(かん)()

何物にも捉われない

其心=仏心

 

井上 貫道老師 提唱録

(電子書籍)(商品紹介より)

思慮分別を扱う世界じゃない

人の見解をすっかり付けずに離れた様子「不思量底」

自分の思いが出てこない時

 

考えを付けているのか

考えを付けず実物そのままでいるか

「思量と不思量」

とにかく相手にしない

出てくる思いに対して、自分の見解で識別しない。(評価)

出てくるものに対して、出ないようにするようなことも一切しません。

こちらから造作して、作り変えるようなことは一切しないで坐るのです。「坐禅の工夫」

井上 貫道老師 提唱録

(電子書籍)(商品紹介より)

 

取るもの、捨てるものはありません。只、そのものに成り切ればいい(参同契 原田雪渓)

 

心真如門

心生滅門

無念、無心でいなさい。それが仏だ。

 

万法は無生なもの

心は幻化の如きもの

 

 

迷いの無い世界

 

必ず徹せるの時節在るのだ

 

自分というものが自然に無くなってゆく

 

本来の姿(山田 無文)

一心に只する=修行

 

即今底に着眼し如法に動作

 

今何をしているそれは「これです」

 

歩行させる主体があるのでもない。縁に従うってそれで作用し作用が発露するだけ

 

自分の観念に自分が囚われてそこから脱出できない為に苦しむのです

 

固執

 

自己滅却の勇気と実行

 

安らぎの世界

 

空を練る・無を練る・只管を練る(自我がない)

禅は坐るのが目的ではない、悟るのが目的である(山田 無文)

 

心の中は空っとして何もない(山田 無文

 

入力装置

 

印記

 

心の一切から離れるしかない

心を使うな・動かすな

 

無というもあたら言葉の障りかな

無とも思わぬ時ぞ無となる(至道無難)

思わじと思うもものを思うなり

思わじとだに思わじな君

 

自我を殺す為の無であることを忘れるなと

 

息念無性と体得した境界

因縁は暫定的な作用(井上 義衍)

 

鑑覚の病(悟りを開いたという自分がまだ残っている病)

 

忘我した状態で世界を見る・聞く

 

毀誉褒貶利害苦楽

 

何にもない所から純粋な意識が出てくる(山田 無文)

 

法=軌持の義(物のキマリのこと)

 

宇宙の真理=正法眼蔵と名づけ、現わした

 

其の真理を体得した、主観的状態を涅槃妙心と云う、客観的状態を実相夢相と名づけた

 

静慮=長念・妄念を脱離

 

参=参互(さんご)・参差(しんし)(一つとして同じものはない状態を云う)

 

同=同一・同等(平等にして差別のないとこを示す)

 

天地同根、万物一体(同の義)

 

契=別々の我、同にして異、異にして同、契合(合)

 

天地万物は

相の上=参と差別

体の上=同と平等

用は平等即差別、差別即平等の契合(此の理)

 

 

一心は湛然静寂

忽ち生じては忽ち滅す

化の如きもの

 

真空の理を能く証得したる者を仏・祖師とも

云う

 

心は虚空界に同じ

 

夢相・無形・無住所なる者である

本源自性天真佛

 

只あるべきやうにして時光を過ごす

 

心地を離れない

一念駆求の心の歇得ずる処

 

這箇(シャコ)・菩提樹・悟道・正覚・清浄法身仏の境界・

 

外諸縁を息め

内心喘ぐことなく

心障壁の如くにして

道に入るべし

法界(六根)の一つ

妄想、顚倒総て意識より生ずるなり

 

空相より生じ、空相に帰する

 

無依の道人

 

眞仏は無形なる者

眞法は無相なる者

三界は悉く皆唯心の所造

有相の諸法を転じ去れば空相に帰る

万法は悉く皆唯識の所変

真実と認むべき者なし

 

無依の道人の境界(嫌う底の法なき)

 

一念心の生ずる源を裁断して、無心の根源に到達す(真正見解の眼)

已起も未起も元来有るものではない

 

平生底

 

分別思量を六識と名けられる

 

六塵が六根に縁の繋がった影響

 

迷相を起す

夢相の境と達観

 

却=梵語=却波(ゴッパ)=時間

 

無生空相

因果無人

因縁所生の法

因縁生起

縁起

諸行無常

是生滅法

 

寂滅の法

 

八風(利衰・苦楽・毀誉(きよ)称譏(しょうき)

 

参禅=自己に参じることだ

 

物を認めて着するから煩悩となる

衆生は菩提を煩悩として使い、菩提は煩悩を菩提として使う

 

心をトメルから苦しみ・悩みが生ずる

 

五欲=財色食名睡

 

物真正の見解を識得

 

是と認めるは造作である

 

心法

 

一言を吐いて其の賢愚を知る

 

真正の見解と云って別にはない

に執着する心が薄らぐ物である

 

八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不出)

 

教信行証

 

 

201512/15 長井 自然 提唱

此の身を私だけと思っている

修行しようが、しまいが身も心も何処にもない。(脱落身心)

修行して身も心も離れなくなりました。消滅しました(身心脱落)。

 

子天狗=鼻持ちならぬ

 

人の見解が死に切っている(井上 義衍)

 

見牛=見性(山田 無文)

牛・仏性・尊厳な人格・宇宙始まって以来・

塵未来際・今日渠に会うた・境界が高い・なかなかついていかない・仏性が逃げてしまう・牛が隠れてしまう・煩悩、妄想の世界と隔たりがある・こっちの方が煩悩、妄想に逃げている・

 

朴魯ブログより

身心脱落・只管の消息・念の本源・真の呼

吸・寂滅為楽を知る

法の病(和解に走る・活達に走る・殊勝に落つるもあり)抜隊法語より

 

無い自分を有る様に思う(心銘 井上義衍)

無いものをどうかしようと云うのですから、間違うておるんです

(心銘 井上義衍)

心とは執着なり(心銘 井上義衍)

 

無心でおれよ・無心でおれよ(山田 無文)

 

咦(イイ)(イ キ わら・う)

(フフンとせせら笑うこと・多くは詰る「なじる」ことに使う)

 

釈尊見明星成仏・見明星

 

執われを自己・自我とする

 

仏曰 一切唯心造なり

 

禅の心・禅の世界 空より 井上 希道

空と言うものが有るのでもない・

空であることも分かるし、空もないことが解る・

一瞬一瞬展開しているだけの事

 

公案を喰い過ぎて食あたり(飯田 とう隠)

 

生死を越えてより 井上義衍

 

機能に従って

認識の手が届かない処

考えで問題にしている

 

(さん)は玉の輝き

 

眼根より源へ 文殊

耳根より源へ 観音

心より 源へ 普賢

 

五陰

色=

受=入力・出力

想=思・計算

行=動き・出力

識=全体・意識

 

治心

 

一心を善く治める

 

心を徹見、体得する

 

本体・現相・妙用の三方面より観察

 

如=不異

 

顚倒の想滅して肯心自ら許す(宝鏡三昧)

 

働きの自在さ・心がないんだ・その時の様子・一念心の流転・今を守る・一心不乱・余念なし・事実なし・念に任せ切る・

 

無自性空・無碍自在

 

我脱・底が抜けない

 

心が千変万化す

 

執着する物がない

とらわれる物がない

 

味わい

五感・意思・知性・感覚・感性

 

天地と同根・万物と一体

 

無得正観

 

中・十二・百(提波?)

 

南六宗

三論ー中論・十二門論・百論(世親)

成実

倶舎

律ー唐招提寺・鑑真和尚754年・四分律・淫盗殺妄

法相ー興福寺・薬師寺・無著・世親(45世紀)・唯識・成唯識論・

華厳ー東大寺・重々無尽(事々無碍法界)

我執・法執

止観行

過水の偈 洞山良价

切に()む他に随って(もと)むを

迢迢我与疎なり

我今独り自ら往く

処処に渠に逢ふことを得

渠は今正に是れ我

我は今是れ渠ならず

応に須く与麼に会して

方めて如如に契ふを得たり

実体が無い侭やって来て去って行く

視点、自分があって、観念があって、決して無くならない

自分があるという思い観念

思った結果本来無い

迷う必要が無いのに迷う

観念に迷わされている

観念に囚われてしまって

何かの体験、悟りの体験、そんなものは無い

んです

そう云う事を求めると迷ってしまう

自分というものは無い

貪瞋痴をなくすのじゃ無い

問題にする必要はない

出て来るにつれ迷い

問題にする必要が無い

迷いの侭にしておけば良い

何にもする必要無い

実相の侭いけば良い

そのまんま

出て来るまんま

何んとかしようとする

観念上のものは必要無い

全部×じゃない・全部○です

 

人は死なない より (ネット)

(三宝教団管長 山田 凌雲)

釈尊の発見を端的」に表現すると「人は死な

ない」という発見である

自己=影も形も色・臭いも重さも無い

人間が頭の中で勝手に作り上げたイメージに過ぎない

「自己」「人」概念に過ぎない

人の死も概念に過ぎない

「死ぬ人が存在しない」

「死」というものは存在しない

生死は概念であって存在しない

人は死なない(三宝教団管長 山田 凌雲)

 

五欲=財色食名睡

 

分け隔て起こして見る

 

自分を立てて物を見る

 

勝手な思いを描いているに過ぎない

眼は妄想を起こす道具じゃありません

 

思慮分別等の事を用いない

 

「思い」を相手にしているだけです

 

付いていない(ちり)(ちり・ほこり)を取るような教えは正しいですか?

 

生死(しょうじ)出離の深義

顚倒の想滅して肯心自ら許す(宝鏡三昧)

 

鈴木大拙は悟っていると思います(KB界)・

 

追い回す事をやめる

 

自己との対話

見ているものが自我

 

汝但諸縁、内クコト、心如クナレバ牆壁シト一レ

(達磨大師)

 

そうとうしゅう(曹洞宗)

きょうさく(警策)

 

自己を求めるに不可得なり

 

 

余念が入らない

概念が入らない

 

自己を離れて

 

単純に成る事

 

心を統一になる、する、

不純物=自我=隔て

 

思うようにならない

因果の世界の丸出し(真実の世界)

本当の事分かる=安心する

自我が落ちた

真実に目覚め・大悟・見性

 

言葉に引っ掛かる

 

聞かずにして聞く

 

とりつかれるか

とりつかれないか

 

只聞く

 

これ何ぞ

 

心をもちいない

 

心が発生する以前になる

 

一点に置く

 

何もしないが一番いい

 

見性・悟り(自覚症状)・脱落・解脱・涅槃寂静・今の様子・執われず

 

自我を滅す

 

雲がわいて来るすきがなくなる

 

道理が邪魔をする

 

成り切って自己を忘ず=一見明星

 

実行に実が伴わない

 

釈迦

BC624~BC544 南仏説

BC566~BC486 北仏説

BC466~BC386 宇井説

BC463~BC383 中村説

 

空無辺所(無所有処)

非想非非想処

 

八正道

初転法輪

十大弟子

 

波たたせる物

とらわれる物

 

因縁性空=旋風風(つむじかぜ)・頭の中だけ(渡辺 晃道)

 

無心・

無我・

とらわれない・

苦しみがない・

縁に任せる・

自由自在に出来る・

心を一点に置く・

自我を殺す・

念の空なる事・

自我を捨てて・

自然と同化・

無為自然・

はからいなく・

自在にしている・

気にならなくなる・

自己を忘ずる・

縁に任せて自己を運ばない如是の法・

働きがないと役にならない・

無我が活動体にならないと・

切る(捨てる作業)・

引っ掛かっている(修行)・

決着がつくまで・

心眼・

空観・

一隻眼・

無我・

無我の連続(大悟)・

自我が境の方にとられている・

念が出る前・

とらわれから救われる超越の道・

縁に従い切る・

わずらわされなくなる・

のんびりしてくる・

今だけ前後がなくなる・

表現方法・

言葉に迷う・

純粋に余念なく=只・

機能の一つを呼吸とよぶ・

目は只写すのみ

分別と科学する・

無我の働きをしている・

とらわれはからい事・

縁の機能・

実体があれば出せる・

実体がない・

(出会い、関係する「縁」)・

縁の問題・

味も又消滅す・

縁がなくなれば消滅す・

味という実体はない感覚の問題・

(一切皆空・空だから・仮に・縁によって)・

言葉を消す、考え思う事もなくなり、

精神作用が消えるので、心が無心になります

 

空と言うものがある訳でも無い、

仮の名付けに過ぎない

 

否定的表現

比喩(空・無自性)

 

言葉が無ければ考える事が出来ません

真如=絶対の義

生滅=髄縁起滅

水の自性

 

 

 

あれは何ぞ音ぞ

ヘリコプターの音です

まだその程度か

(飯田 隠

 

理屈から離れる

 

自己、我見、とらわれもなく、日常は縁のまま・只空っぽ

 

様子

働き

ないものを求める

空想・妄想・妄覚・空想・

念・想像(空想・妄想・妄念)

あるべきしてある

 

空・無・言葉で表して

 

解脱・見性(正体がはっきりと)

 

六祖壇経

外一切善悪の境界に向かって心念を起こさざるを名づけて坐となし、内自性を見て動ぜざるを名づけて禅となす

 

達磨

外、諸縁を()め、内、心に(あえ)ぐことなし、(こころ)檣壁(しょうへき)の如く、以って道に入るべし

 

坐禅儀

諸縁を放捨し、万事を休息し、心身一如にして動静(へだ)てなし

 

思って行ずる=菩提心

勉強しようと思うのと実際することとは別

実践→菩提心

 

地一声

噴地一発

爆地一声

 

地一声=思わず知らずハッと発する声

行=遷流の義

 

学解・博識・是非得失・自他の見・

霊魂不滅は妄想話

一切只、因縁ばかりである

因縁の離合、集散(生死の巻 西有 穆山禅師)

自己を忘ぜり

能く宇宙と同化

四大性と一致

 

因縁生滅して

 

修証隔別(修と証との二元論)

修証不染汚(本法性・自性身)

理会の対象にならぬ

同道唱和

五見=有身見・辺執見・邪見・見取見・戒禁取見

 

六根が純粋に動いている状態を三昧という

(雪渓・参同契)

無所悟・無所得

「因縁所生法・我説即是空・」

因縁生=自性が無い=無自性

宏智禅師(ワンシ)・仰山(キョウザン)

圜悟(碧眼録)・萬松(従容録)・林泉

(容谷集・空谷・虚堂集キドウ)

縁の働き、作用あるのみ(自我はない)

華厳三十四品・集成経典

 

菩提究尽

縁の侭我見無くなる

心騒ぎ無くなる

気になるもの無くなる

表すんでくる

さらさらできる

心の騒ぎ無くなる

(わずら)わされ無くなる

隙が無く

 

空=精神が作用しない=ものが本体を持たない

本体=言葉の実体化されたものに過ぎない

言葉の意味を見てしまう

 

徳の面

起用の面

本来の面目を得せしめてやる働きを示す

我見の根

知解の分別

師資(弟子)関係

性に形相なし、用に随って名を立つるのみ

心は常に湛然として、応用自在なり

 

心の寂滅なるを識りて、

一切の念慮無くむば是を正覚と名付く

 

識心寂滅無一切念處是名正覚

 

頓に自心を悟り

 

頓に妄念を除き、悟とは無所得を悟る

 

心を根本と為す

念想喧動す

妄念生ぜざるを禅と為す

本性を見るを定と為す

本性とは是れ汝が無生心なり

自我さえ無ければ

 

「一心如来蔵・未起に約して真如・已起に約して阿頼耶識」

岡本 南海(禅教一致)

 

自己の心性を識得する

岡本 南海(禅の真髄)

 

達磨西来畢竟無意

因果無人

「心虚無境・境名無心」

 

空っぽの心

 

菩提=覚・智・道=仏の悟り=意訳

無念為宗・無作為本(顕宗記)

無念為宗・夢相為体・無住為本(六祖壇経)

妄心起こらざる

妄心不起名為戒=無念

 

無妄心名為定(妄心無きと)

知心無妄名為恵(心に妄無きを知る)

 

何か有るかと言ったら、「只」縁のみだ。是を仏性と言うのだ(井上 希道)

成り切っておる事を禅と言う(井上 希道)

精神行為・身体機能・感覚器官

知的なものは一切ない(井上 希道)

比較・分析・判断・決断

カリダ=梵語=心=草の心=全ての中心

縁=実体が無い=空相

無=空の別名=実体の無い事

有情=衆生と訳す=生存するものの意=心を持つ生き物

非情=無情=草木山河大地

有情・非情合わせて衆生と言う場合も有る

妄念・妄想

無所得を悟る

円=無相

外=無窮

中円=無住処

夢の中の迷妄の所行

本源清浄の心

仏の用を作すは是れ仏性

賊の用を作すは是れ賊性

衆生の用を作すは是れ衆生性

形相なし

用に随ってを立つ

 

 

 

本当の自己は(はく)の樹だ

我を奪い去る働きがある(賊機)

本来の自己(法身)

苦悩、流転の世界

「三界」・六道と見られているものは、こ情やわらく

ういう何ものでも無い私に他ならない(唯自心現)

業(自我に汚染された行為)

唯自心現

唯自心見(魏訳)

唯心所現(唐訳)

唯自心之所現

私たちの自己は心・自我・意・識を離れている

三昧・正定・正受

打成一片、不起一念

識(知覚と意識とを含む作用を表す言葉)

現に起こっている識

現起する識の因となる業識

識の自体(本来のあり方)である

涅槃=梵語=仏の悟りの世界

諸法=一切万法

物を識別する、精神作用

寂滅為楽=寂滅を楽とす

一念生ぜざれば、その立處即ち西方極楽なり

煩悩、妄想の汚れにも染まず

妄心・妄念

五薀

色(物質現象の世界)

受(感受の世界)

想(表象の世界)

行(意志の世界)

識(知識の世界)

首楞経・円覚経

     ・・・・

感覚と知覚の違い

一息(井上 希道)

良寛(法華賛)提唱 井上 義衍

・・・

虚堂録・碧眼録・臨済録・無門関・大恵書・江湖風月集・禅儀外又

・・・

枯崖漫録・羅湖野録・大恵武庫・林間録・山庵雑録・叢林盛事・叢林公論・雲臥記談・

・・・

正法眼蔵・従容録・五位顯訣・五位元字脚・二師録

・・・

驢鞍橋(鈴木 正三)

大慧(宗門武庫)

汾陽頌古・汾陽十八問(汾陽善昭9471024)・

径山虚堂(きんざんきどう)

星際啓示録・解謎十八問(?)

円覚経・観音経(妙法蓮華経・観世音菩薩・普門品)

百雑砕(粉々になる事)

少室逸書(鈴木 大拙)・「観心論・澄心

論・修心要論・絶観論・神会の壇語」

小室六門・小林三論(破相論・悟性論・血脈論・二種入・安心門・心経頌?)

(輪廻思想・業の思想・心を整える・心行完成者・身心具現・サンゲ教団)

ウパニシャド(奥義書)・バラモン教・

ヴェーダ聖典・大パリ(ニッバーナ経)

法(ダルマ)「為すべき行い・務め・目覚めた真理」・

ニルヴァーナ(涅槃)

 

死後の運命

対機説法

応病与薬

パリー語・聖典語・音読

無我(アートマン)

賊(我執)

否定されるべき自我

肯定されるべき自我

 

遊行経(熾燃(しねん))灯明

 

意識の根源を空ずる

自覚症状「見性」

「不知」を会得

因果の無自性の体得

一瞬の様子

即今底に成れ「心」を綺麗にせよ

実とは即今底であり実相の事

即今底とは六根「眼耳鼻舌身意」の作用自体を言う

作用自体に自己の無い事を徹見するを「見性」という

 

本来無一物(本来 一物無く)

亦無塵可拂(()た塵の払うべき無し)

若能了達此(若し能く()れに(りょう)すれば(だつ)

不用坐兀兀(坐して兀兀(ごつごつ)たるを用いず)

 

五眼=肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼

五語=真語・実語・如語・不誑語・不異語

 

心が空で存在性を持たぬものだと徹見すること

 

作仏用是仏性

作賊用是賊性

作衆生用衆生性

性無形相

随用立名

 

鳩摩羅什の弟子(十哲)肇法師(384-414)(法蔵論)

・・・・・

意(思考)

自己調節する

思考も感覚である

思考は言語化されている

言語化された感覚

自己調節

思考を見ている者

見ている主体を立てる(思考者)

智慧の実(リンゴ)

思考と思考者との間で闘う

対立の強さが自我の強さ

矛盾・葛藤

自我が強い・苦しみが多い

自我即苦

身心が分かれている

自我と言う実体は変わらないと思っている

気晴らし

問題から目を(そむ)ける

希望は絶望の子供

(やわ)らげ様としている

自我は存在していない

事実はそうなの

自己は宇宙に一つ、死な無い事が解る

 

自我が肉体と同一するから死への恐怖が表れる

 

とんでもない者を自分と思っている

自我が無ければ一つ

宇宙が僕と云う形を取っている

部分と言うものは無い

分断化されて見ている

無いものは有ると思っている

考える主体化(自我)と考える

 

自我は抽象概念と思えない

実体として思え無い

 

実体と思った瞬間に問題が起きる

拡散を押さえる

集中するから拡散が止まる

緊張させる

心を修める

念を(つな)げない

思考者が消える(自我が消える・身体も消える「身心脱落」)

透明人間になると夢に成る

自我が無くなる

自意識が無くなる

対立関係が無くなる

念を(つな)げるのを()める

反応するから生まれる

意識と無意識の壁を取りはらっぱらう

身体から解消して行く

 

黄檗宗は臨済正宗と称していたが、明治9年黄檗宗に改めました。徳川家綱 寺領10万坪受ける

 

四法界

教(仏陀の言教)

理(言教の説かれた道理)

行(道理に従う修行)

果(修行によって得る果)

真宗(教行信証)

 

明けの明星の所見あり100827 2/9

渡辺 充

照用同時・理事不二・権実・断葛藤

 

何故脳は神を創ったにか?

 

 

:::::::::::::::::::

因縁所生・一切皆空

自己を()られてしまう

呼ばれても分からぬ

得て始めて法となる

苦しむ、心があるから

知ると云う事は問題を起こす

知的ー(こだわ)

自我を滅しなければ解らない

我無くして事に当たる

一つになる

余念無く

一つの様子(風・波・水・空気)

意を用い無い

縁には自己が無い

因果に任せ切る

事実の様子(仏性)

余念を入れるな

無視・捨てる・離れる

無我・無心

心を一点に置く

因縁所生の働き

差別・働き・無常・=法

構えて今守る必要が無くなった

只管活動(只々)

何にもせず、意に従わず・縁の侭

働きの侭・囚われが無くなる=本性

言葉=(観念・妄想・想像・)の世界

これは只これ

言葉に引っ掛かる

事実の世界(今)の世界

消却していく

一切皆空

悟りの(あか)取り

「有るが侭・今を言う・即今底・自我が落ちている」

心の起こる元を追求す

ある・様子がある

あるに引っ掛かり

縁次第

因縁所生(空)

悟り(はっきりする)

念の出る前に居る事

雑念・煩悩・

心が発生する以前に居る

只を守る・今を守る・練る・

心の中に取り込まない

取り入れるから、捨てなければ成ら無い

無我

縁の寄せ集め

要らないものを捨てる

(はか)らい事を捨てる

無心にやっておれば良い

念ない・イメージない・拘われが無い(影形)・一切皆空・自由自在

働きが無い

一心不乱の実行

何にも無い

入口が見えない

説き方が単純

それがどうした相手にするな

自然に呼吸している

集中する努力がいらない

したら、いかん

何にもしないから一番楽

いらん事をするな

自我の撲滅しか無い

力量を試す

引っ掛かる

点検

 

自我の定義(空)

重要なものとして(評価関係・関係性・説明原理)

記憶(見えるものが変わって来る)

重要なものでないものは、見えない

全部見える人は、全部重要なものが見る

今の自分だけを得らべる

すべてが見えた人

自分自身を完全を見えん人

体感

菩提薩埵()(しょう)法(布施・愛語・利行・同事)

楽寂光

 

枯木集(大通禅師)(東福寺 9世)

一体・二相・三用

体(六大)(地水火風空識)

相(四曼(大三法羯)

用(三蜜)(身口意)

 

五識(成所作智)

六識(妙観察智)

七識(平等智)

八識(大円鏡智)

九識(法界智)

 

四曼(①大曼荼羅(五色)②三麻耶曼荼羅

(五形)③法曼荼羅(阿等の字)④羯曼荼羅(作業威儀)

虚空無垢大菩提身

 

四照用

四料揀(しりょうけん)

事々無碍

空心静坐

首楞厳経

世界時間的に常、世界は空間的無辺である

か?

霊魂、体は一つか?

如来死後存在する

正信偈(親鸞上人)

西忘会(武者小路)

明心見性

「主観・客観・心・境・能縁・所縁・能取・所取・相互依存関係・表象」

無垢の清浄

「(和解・活達・殊勝)法の病」

 

265マグマグ(井上 希道)

知って囚われない機能

知る自己が無い

不知の知・無分別の知

道理が判明しただけに過ぎない

ほんのちょっと解ったくらい

一切の念に取り合わない

265マグマグ(井上 希道)

絶対無的主体(久松 真一)

(かれ)(かれ)

 

諸法皆是因縁生、因縁生故無自性、無自性故無去来、無去来故無所得、無所得故畢竟空、畢竟空故若波羅蜜。

 

囚われ無き在る侭の自己実現

自己と他己の対立を捨て去る事

固執的概念

自他の超越

体顕

「説心説性はこれ、七仏祖師の要機なり(道元)」

 

三有(三界)(迷える衆生)

有(有漏(うろ)煩悩)

三有「欲界(六道)(食・淫・名利・睡眠)・色界(十八梵天)(清浄な肉体)・無色界(四空天)(精神の純粋状態)」

向上の死漢

 

かねー銘(歌)

石ー碑

 

 

妄執が浮かば無い

 

純粋な消息を得んとするならば、巧を用いる

心が有ると駄目ですよ

 

心意識と云うものに縛られておる元来階級は無いものです。決して有り得無い。どの階級で聞いている。

 

小さな自己が引っ掛かっておる為にハッキリしなかったのです。

 

 

 

「隔てを取る事はその時その事に只一心に成っていれば良い」

「心が静まったと言う現象事態が大事なんじゃ無い、小さな結果を大事にしてしまう所に心の落とし穴がある」

認めるべき何ものも無いのが仏法だ

縁だから

釣語(てうご)・禅(ユズル)

法相宗(五重唯識?)

三論宗(八不中道)

天台宗(三諦円融観)

華厳宗(法界観)

真言宗(阿字観)

 

只麼(しも)=其の侭

多言多慮はかえって迷う

覚の世界

念慮を忘却する

滞句迷言

心法双亡

:::::::::::::::::::

本来の自己と出会い

盡十方界真実体(道元)

 

十住心(秘蔵宝(やく))鑰(やく・かぎ)

第一・異生(てい)羊心(凡夫)

第二・愚童持斎心(儒教)

第三・嬰童無畏心(波羅門教)

第四・唯蘊無我心(声聞乗)

第五・抜業因種心(縁覚乗)

第六・他縁大乗心(法相宗)

第七・覚心不生心(三論宗)

第八・如実一道心(天台宗)

第九・極無自性心(華厳宗)

第十・秘密荘厳心(真言宗)

(秘密曼荼羅十住心論)

覚心不生心(心の不生を覚る)

 

三蜜加持(阿字観・月輪観(げつりんかん)・五相成身観)

六大(地水火風空識{大})

三蜜(身・語・意)

汾陽(三訣・四句・頌古百則)

三訣・三句・三要・四転語・四喝・四賓主・互位・六相・十八問・詰問百題)

 

牛過窓櫺(ごかそうれい)

 

三種の病(眼耳口)

 

「始知衆生本来仏、生死涅槃猶如昨夢」

円覚経

諸法従因縁生。

従因縁生故無去来。

無来来故無所住。

無所住故畢竟空也。

言是般若波羅蜜多。

 

山川(さんせんn)草木(そうもく)日月(じつげつ)

 

自由意思を持てる

知性・理性(識)

感情(受)

 

五蘊(ごうん)(心)

色(体)(地・水・火・風・空)

受(感覚・感受)

想(表象作用)

行(意思・欲求)

識(認識・判断)

 

 

煩悩と云ったって、そんなものは何処にも存

在していない。只、思った時に在る

 

前際(今の様子)

 

(もてあそ)ぶものですから、いよいよ法の真相が解ら無くなるのです。

 

一切を放下する

 

波羅門経(仏教・ヒンズー教)

 

慈明和尚(石霜楚円)(986~1039)

錐で腿を刺す

 

認識以前の有り様に気付く

 

涅槃(音訳)・寂静(意訳)

 

三業(身口意)

四威儀(常住坐臥)

 

不生で聞く(盤珪)

仏になるとするよりも仏で居るほうが造作ない(盤珪)

 

十善戒

不殺生・不偸盗・不邪淫(身業)

不妄語・不綺語・不悪口・不両舌(語業)

不貪欲・不瞋恚・不邪見(意業)

真空妙有・真空妙用

 

たらちねに呼ばれて仮に生まれ来て、心おきなに帰るふるさと(一休)

死にはせぬどこにも行かぬここにおる

呼んでくれるな返事はせぬぞ(一休)

 

自己をなくす事

変化があるだけ

「死という実体はない。現象だけあるだけ。」

個別の問題は解決しない

自意識がない時は、自意識に気が付かない

自意識を意識(気が付く)

意識がないと気が付かない

 

好醜は心より起る

因縁生には実体なきもの

心を澄ましむること莫れ

 

追尋スレバ見、

一切莫レバ

明寂自

 

万法是真如、由不変故

真如是万法、由髄縁故

 

投機の偈(機=はずみ)

厳頭和尚(泥棒に殺される)

五薀十八界

 

「経験の無い者にいくら話しをしたとて何にもならぬ」

 

万法帰一、一帰何処

我在青州、作領布袗

重七斤。

 

{心非心、即是名心・鈴木 大拙

心「チッタム・cittam・ア(a)・否定語・

タチッタム・アチッタム・ヤチッタム・心は非心でそれが心だ」

般若「梵語ブラジュナージ又パンニャ・訳智慧・般若の智慧」

識「ジャーナ(智)jnanaVijnanavi(別の義・物を分別智慧)」鈴木 大拙}

 

無縄自縛・自縄自縛

 

スレバ一物

 

 

 

八正道

正見(業自性正見・十事正見「果報・父母衆生・現世来世」・四諦正見「苦集滅道」)・正思惟(出離「離欲思惟」・無瞋思惟・無害思惟)・正語(妄語・綺語・両舌・悪口)・正業(不殺生・不盗・)・正命(道徳・正当な生活)・正精進(四正勤「断不善・不生不善・善の増長・生善)・正念(四念処「身・

受・心・法」注意・気づいた状態)・正定(集中力を完成){正定正念によって正見が得られる}

 

三学

戒学(身口意の(さん)(まく)を止め善を修す)

定学(心の散乱を防ぎ安静にする)

慧学(煩悩の惑を破り真実の姿を見極める)

 

十二因縁(順観・逆観)

無明(むみょう)(過去世の無始の煩悩・迷いの中)

(ぎょう)(志向作用・業)

(しき)(識別作用)

名色(みょうしき)(物質現象・精神現象)

六処(ろくしょ)(感覚器官「眼耳鼻舌身意」)

(そく)(六つの感覚器官に感受対象が触れる事・外界との接触)

(じゅ)(感受作用)

(あい)(渇愛「有愛・非有愛・欲愛」刺激欲・心の刺激)

(しゅ)(執着)

()(存在・生存)

(しょう)(生まれる)

老死(ろうし)(老い・死)

 

平生底(へいせいてい)(日常)

 

三時業報

順現報受

順次生受

順後次受

 

無自性(むじしょう)

 

三悪道(趣)・四悪趣(道)

 

四弘誓願

衆生無辺誓願度

煩悩無尽誓願断

法門無量誓願学

仏道無上誓願成

 

鬼家の活計(思想に止まって働かぬ)

知見底(第二義)

三際(去来今・現代・去・未来)

 

四料簡

奪人不奪境

奪境不奪人

人境両倶奪

人境倶不奪

 

正機・傍機(悪人正機)

鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)

四大五薀

 

五停心観「(不淨観・貪・欲望)(慈悲観・瞋・怒り)(因縁観・癡{痴}・無知・因果の理)(界{十八界}差別観・我に対する執着・)(数息観・心の散乱・尋、伺)抑制」

 

九想観(九相・死体の朽ちていく)

 

「六念(六念処・六念法・六随念)念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天」

 

十念(六念・念休息・念安般{呼吸}・念身{身非常}・念死)

 

四大六根・四大色身

何処(どこ)彼処(かしこ)

著衣喫飯屙屎(あじ)送尿

 

三祖(信心銘)

石頭大師(参同契)

洞山大師(宝境三昧歌)

 

(「真実の自己」と表現しているわけです・「働きそのものであるということを知ることです{法}・自らが法そのものであったことに目覚める)」

THE・禅 (原田 雪渓)

 

六根の働きのままにまかせておく。

自分の考えをまじえずにまったくその働きのまままかしている

THE・禅 (原田 雪渓)

 

「このもの」が縁そのものになった

THE・禅 (原田 雪渓)

(脱落身心)

すでに脱落をしている身心である。したがって身心を脱落するだけ不必要なことだ

THE・禅 (原田 雪渓)

 

仏教(私たちが本来自己などなかったことに目覚めることです)

THE・禅 (原田 雪渓)

精神作(知性・感性・意思)

 

趙州録講演(ネット)

三宝教団元管長 窪田 慈雲

「我がないことに気づくことが悟りの内容」

悟りのカスを取る修行

俺がいないんだから

我なき我(自由時自在)

世界観

論理は観念(事実じゃない)

事実には観念がない

三宝教団元管長 窪田 慈雲

 

理に契うも又悟りに非ず

弘忍和尚(こうにん)

處々?跡なし

声色威儀を忘ず

 

風なきに波起こす

波起

 

悪取空者

ヨーガ(結びつく(身と心)(身心と真理)

 

 

起坐行歩

 

見性の大事を体験したければ,大死一番し来たれ(般若心経夢影録 井上 希道)

 

無の妙用

法眼・字眼・鑑識眼

石火の機

何の用にてか有る可きなどと思案して

 

宗(能尊の義)

 

師兄世尊伝金襴袈裟外、

別伝箇甚

阿難

阿難応諾、

却門前刹竿着、

阿難声に応じて大悟す

 

劉鉄磨(偽山)・妙法尼・実際尼(倶低)・お察(白隠)

 

深竿

吾宗無言句、無一法与人

 

学んで思わざれば(くら)

思うて学ばざれば(あやう)

「学而不思即罔

思而不学即殆」

 

十重禁戒

生命不殺仏種増長・第一不殺生戒

生命

 

欓隠云く「一休、良寛の禅は愛すべくも学ぶべからず」(照庵大智老尼語録上 井上 大智老尼)

 

知らざるを知らずとす、これ知るなり

 

 

 

無明(論理的二元論の別名)(鈴木 大拙)

唯識(絶対的観念論)・(鈴木 大拙)

 

文字に執着

向上・向下・理致・機関(言詮)(難透)(末期の牢関)()?

 

一、本分二、現成三、色相四、裁断五、直指六、為人七、賊八、機関

(禅友に与ふるの書 飯田欓隠

 

「あたりまえにおること

あたりまえのこと

その時の縁出会い(事実)

縁の出会い(実感)

生命はない

自覚している

言葉をおぼえ悩むということをおぼえた

体で実感すること

ごくあたりまえの人間になる

自分自身の生命を見ている」

(板橋 興宗)

 

三聚淨戒(攝律儀戒・攝善法戒・攝衆生戒)

 

厭苦欣(おんぐごん)(らく)諸悪莫作(しょあくまくさ)・自浄基意・衆善

 

因果無人・撥無因果

「断常の二見を打破、正見に安住す」

「心は猶お巧画師の如し、能く種々の五薀を作る」

心猶如巧画師

能作種々五薀

 

人惑・法惑

三句・三要・三玄・四照用

 

「法身・機関・難透・難解・法窟の爪牙(そうげ)・五位・十重禁・

末期の牢閑・最後の一決」

 

「自性を了徹す法の病大悟大徹見性きにあらず」

 

大悟の人再び迷う

 

思慮分別を取り扱う

「微露(序)

頌(詩)

本則(古則公案)

汾陽の百則の頌古

雪竇頌古(本則・頌)

圜悟(評・下語(着語)・垂示)」

 

是是非の人

般若二百七十四文字

参同契二百二十文字

 

六波羅密(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)

四諦・八正道

 

法相宗(唯識)(興福寺)

「表層心理(六識)(相縛)深層心理(7・8識)(麁重縛(そじゅうばく)

我癡・我見・我慢・我愛

自我執着(末那識)

根本心(一切種子)(阿頼耶識)

すっきり・さっぱり・さわやか」

 

妄想一意煩悩一身愚痴一口

作家(さっか)の漢

 

経行(きんひん・臨済)(きんあん・曹洞)

三聚(止邪・作善・利物)

三帰三聚戒

三聚十戒

 

白隠八難透(法窟の関鎖)

疎山寿塔牛窓櫺乾峰三種犀牛の扇子

白雲未在南泉遷化倩女離魂婆子焼庵

 

長沙蚯蚓

文殊(獅子)普賢(象)

 

三関門

掃蕩門(勦絶(そうぜつ)門・把定・否定)

建立門(扶起(ふうき)門・放行・肯定)

没蹤(もつしょう)(せき)

 

顚倒の想

 

 

「(鈴木 大拙)すーといくぞ無心になる事の稽古迷わない(鈴木 大拙)」

 

「第三節 安心から無心へ(ネットより)

行入「報怨行・髄縁行・無所求行・称法行」

二諦説(真諦・俗諦)

言は意を尽くさず

言葉の肯定と否定

唯伝一心(黄檗希運)

息念忘慮

無縁の観念の遊戯

無量寿経「是心是仏・是心作仏」」

 

成仏など、ケチなものは、こちらには無い

 

あるべきやうは禅の極意じゃ

境界が手に入らぬと分らぬ

 

あるべきやうは禅の極意じゃ

境界が手に入らぬと分らぬ

 

如来(普遍の真理を意味 まぐまぐ 276

 

「小室六門集

心経頌破相論(観心論)二種入安心法門悟性論血脈論」

 

「法身・機関・難透・難解・法窟の爪牙(そうげ)・五位・十重禁・

末期の牢閑・最後の一決」

無念無心、休歇(きゅうけつ)境界

 

乞食の歌(白隠)

問うな、学ぶな、手出しをするな

これが誠の禅法ぢゃほどに

 

自我・彼我

 

山王タキノ(井上義衍老師の印可)

山王タキノ氏の姉(飯田欓隠老師の印可

 

 

 

「川上雪担老師ネット提唱2010年10月27日分に飯田欓隠老師と南天棒との話あり」「無と言わずに何と言う?」18年参禅・「初めの悟りでよかったのだ」

 

「中論」

因縁所生法

我説即是空

ケテ仮名

亦是中道義

 

一念無想なる、これを空といい・・・

固着する

 

「悟りは語ることは禁じております。語ると理論に落ちるからです。(立花 大亀)」

 

六波羅密(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)

四無量心(慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心)

四摂法(布施・愛語・利行・同事)

人我(実体化された自己)

無心三昧

「一帰何処」「隻手音声」疑情が起り易い

夢幻(むげん)(ほう)(よう)

 

()(しゅん)()(生没不詳・室町時代初期の人・

了庵慧明(1337-1411)の実妹)

生死透脱

学窮(がくきゅう)()

()()(一回)引磬(いんきん)(四回)引磬(いんきん)(一回)」()()(二回)(ちゅう)(かい)経行(きんひん)二便往来」

 

 

三十七品(助道法)

四念住(四念処)

(観身不淨観受是苦観心無常観法無我

四正断(四正勤)

(未生悪令不生已生悪令滅未生善令生已生善令道増長

四神足

(欲神足心神足進神足思惟神足

五根

(信根精進根念根定根慧根

五力

(信力精進力念力定力慧力

七等覚支

(択法覚支精進覚支喜覚支除覚支捨覚支定覚支念覚支)

八正道支(八聖道)

(正見道支正思惟道支正語道支正業道支正命道支正精進道支正念道支正定道支)

 

十惑(十使)(見惑)

五利使(見道)(身見辺見邪見見取見戒禁取見

五鈍使(修道)(貪瞋癡慢疑

 

五住の煩悩

三界の見惑

欲界の思惑

色界の思惑

無色界の思惑

根本無明惑

 

如(如常・変易なき事)

 

阿波の文静((らい)(おう)(ぶん)(じょう)

 

悟境

足利直義(1306-1352)夢中問答集

 

二乗心(声聞・縁覚)

四相(生・住・異・滅)

 

釈迦十大弟子

舎利弗(しゃりほつ)智慧第一

目建(もくれん)超能力

大迦葉(だいかしょう)厳格な修行者

須菩提(しゅぼだい)「空」の最高理解者

富楼那(ふるな)説法の名手

迦施延(かせんねん)論議の達人

阿那律(あなりつ)天眼の持ち主

優波離(うばり)戒律の精通者

羅睺羅(らごら)釈迦の息子

阿難(あなん)記憶力抜群

 

心と言うは、無一物なり

念は一物あるなり。心のかたまるなり

たとえば、心、水の時、自由なり

念、氷の時、動かず

凡夫と言うは、念深き時の名なり

仏と言うは、念を離れたる時言うなり

(至道無難禅師)

 

十二支

無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死

 

「井上義衍テレビ生死を超えるより

無い物を有ると認めて思い違いしている

認識の手が届かない世界で生きている

分別を振り回さないから真実に近い

手を付けるといかん

思いの出てくるのは必然

任せ方

無心の態度

自分を使わない態度

無心非思量忘我自己を忘じて止心意識停念想観

 

「すべてから離れること

黙して語ったこと

言葉も思考も絶えた世界」

擬議(思いめぐらす様子)

 

 

楊岐の金剛圏

密庵の破沙盆

 

銘(警戒の辞を銘という)

智解の禅

智慧なき慈悲・慈悲なき智慧

回心の体得

観見法界、悉皆成仏

生死去来

淨穢両境

逆順是非

塵労煩悩

 

貪瞋癡(どんじんち)

 

「三性説

偏計所執性

円成実性

依他起性(縁起)」

唯識無境

真如

 

会下(門下)

大事を明らめる決意

接化(摂化摂受化益

印記

把住(はじゅう心を一つに集中して念を出さぬこと)

印記

瞋拳熱喝払拳棒喝

 

生や死や只是分別想裡(鈴木 大拙)

雲門の三句臨済の四料簡洞山の五位

忘機(心機・機関・カラクリ)

生死(しょうじ)

「唯一絶対のものただひとつで存在するものなどないのです空

関係性によって成立している

「あらゆる現象・存在は固定的ではない実体はない」

空の実践

縁起と空の思想

牛がいない・牛が空である

 

あなた自身が生み出した姿です

環境は内面の投影

紫・緋・黄(色衣)

法憧地

憧旗(どうばん)(旗章・はたじるし)

天竺(旗(法憧・自分の住している所へ旗を裁てる)

釣語(ちょうご)

江湖会(ごうこえ・江南湖北)

 

一隻眼(自己のないことが、はっきりすることである)(井上 大智)

無記(記すことが無い)

道に南北の祖なし(祖は阻の誤りなりと・飯田隠老師

 

求心止時即無事

師から戒名(いみな)授かる

百丈懐海法嗣30人

警(いまし・める)

珍牛和尚ー然室ー月(たん)ー西有穆山

五眼五力(肉天慧法仏・信進念定慧)

只管打坐(しかんだざ)

独摂心・常摂心

和顔愛語(わげんあいご)

曹洞宗(そうとうしゅう)

参同契(さんどうかい

嘉大師(ようが

(せん)

 

 

(十難無記)

一、世界は無住である

二、世界は無常である

三、世界は有辺である

四、世界は無辺である

五、身体と霊魂とは一つである

六、身体と霊魂とは別である

七、人格的完成者(如来)は死後に生存する

八、生存しない

九、生存し且つ生存しない

十、生存しないし且つ生存しないのでもない

(十四難無記)

十一、世界は無住且つ無常

十二、世界は無住でもなく無常でもない

十三、世界は右辺且つ無辺

十四、世界は右辺でもなく無辺でもない

(佐倉哲エッセイ集より)

 

「抜隊仮名法語

成仏の道とは自心を悟る是れなり

自心と云ふは父母いまだ生れず、わが身もいまだなかりしき・・・本来の面目・・・仏性・・・今の起こる源を見るべし」

 

過去七仏【毘婆戸仏・戸棄仏・毘舎浮仏・狗留孫仏・狗那舎仏・迦葉仏】

 

自己を忘ずるのが安心の要訣である(百家の逸話より 井上義衍老師)

百家の逸話より青野敬宗編 得るものは初からないのじゃ、備わっとるよ臨済芝居・曹洞行儀見習いそれは作った世界だ(井上義衍)知と意で扱いさえしなければいつでもゼロのはずであるもう何にも求める事をやめて、このままでおれ「放っとけ」「取り合うな」月と一つになって、何にもなくなったんですが・・・「それもいい、それも放っとけ」分別するものがキレイにのいてしもうたものといつも同化・・・】

直下(じきげ)自身(じみ)妄り(みだり)

四徳(常楽我淨)

 

西天四七(二十八)

一、摩訶迦葉(マカカセフ)

二、阿難陀(アナンダ)

三、商那和修(ショウナワシュ)

四、優婆鞠多(ウバキクタ)

五、提多迦(ダイタカ)

六、彌遮迦(ミシヤカ)

七、婆須密(バシュミツ)

八、佛陀難提(ブツダナンダイ)

九、伏駄密多(フダミツタ)

十、波栗濕縛(バリシバ)

十一、富那夜奢(フナヤシキ)

十二、阿那菩提(アナボダイ)

十三、迦毘摩羅(カビモラ)

十四、那伽閼羅樹那(ナギヤアラジュナ)

十五、迦那提婆(カナダイバ)

十六、羅睺羅(ラゴラ)

十七、僧伽難提(ソウギヤナンダイ)

十八、伽耶舎多(ガヤシヤタ)

十九、鳩摩羅多(クモラタ)

二十、闍夜多(シヤヤタ)

二一、婆修盤頭(バシユバンゾ)

二二、摩拏羅(マヌラ)

二三、鶴勒那(カクロクナ)

二四、獅子菩提(シソバダイ)

二五、婆舎斯多(バシヤシタ)

二六、不如密多(フニョミツタ)

二七、般若多羅(ハンニャタラ)

二八、菩提達磨(ボダイダルマ)

解空第一の須菩提尊者

智慧第一の舎利弗尊者

 

三聚(止邪・作善・利物)

【殺生・説過・瞋恚(瞋恚)

劫盗・貪媱・慳法財(貪)

妄語・飲酒・讃毀・謗寶(痴)】

【殺生・劫盗・貪媱・飲酒(身業)

妄語・説過・讃毀・謗寶(口業)

謗寶・瞋恚(意業)】

 

【十六條戒

三帰戒(信門)(南無帰依仏・南無帰依法・南無僧)

三聚淨戒(願門)(攝律儀戒・攝善法戒・攝衆生戒)

十重禁戒(行門)(不殺生戒・不偸盗戒・不貪淫戒・不妄語戒・不酤酒戒・不説過戒・不自讃毀他戒・不慳法財戒・不瞋恚戒・不謗三寶戒)】

 

悪口(妄語・両舌・綺語)

泥を()き水を帯ぶ

天知る地知る我れ知る

心意識(六七八識心の作用観法心の用い方

作用を用いること莫れ

不生不滅不増不減不垢不淨

 

如露亦如電応作如是観

 

【(表層心)相縛(煩悩)(てん)位の煩悩(まとわりつく)・(深層心)随眠位の煩悩麁重縛(そじゅうばく)種子(しゅうじ)

正聞薫習(しょうもんくんじゅう)

清浄な種子

対象に成り切ったらそのものになれる

 

マインドトーク(雑念・想念)

四威儀(行住坐臥)

威儀即仏法(道現禅師)

自己究明・生死解決・他者救済

空一円相

「罣礙(けげ)(罣障り・礙妨げる・引っ掛かる・拘る・執われる)

佗己とは万法である(正法眼蔵啓迪 西有穆山)

日常の働き

心頭の病(見性ー禅・説性ー教者)

仏(心性の異名なり)抜隊禅師

 

 

柳田 聖山

浄土真宗(初期禅宗の別名)

【(元来黄檗仏法無多子)(なんだ黄檗の仏法は単純なんだな)(簡明直截であり純一無雑であることだ)

現世の否定(インド宗教)

中国仏教(人間肯定)

「菩提達磨・牛頭(ごず)宗・北宗・南宗(荷沢(かたく)宗・洪州(こうしゅう)宗)((けい)(ほう)宗密(しゅうみつ)780~841)」

柳田 聖山

 

不用求真、唯須息見(三祖大師)

 

「小川 隆 NHK宗教の時間より

鉄牛(口を差し挟む・吸いつくす)

看話禅で悟って文字禅で表現

不生の仏心(生まれ無い・生じない・もともとある

はた庭前の柏樹子を見るや

「如何是西来意、即今是恁麼意(馬祖)」

小川 隆 NHK宗教の時間より」

 

もと備わっているものを自由に使えたら・・・観念知識の迷いのくらし観念ぐらししている無心でなんでもない追っかけなくなった

 

証道歌(最上乗仏性歌)

 

無一物中無尽蔵、死有月有楼台有り(弘法大師)

 

【「池田 魯参

惟儼の「思量箇不思量底」

(考えることのできないことを考える)

(現にあるこのものが思量する[おもいはかる]ことのできないものであると思量する)

摩訶止観の(観不思議境)の説

池田 魯参】」

 

六縁(行・住・坐・臥・言語・作務)

 

趙州の栢樹子

楊岐の金剛圏

密庵の破沙盆

東山の鐡酸餡

 

六大(地水火風空識)

空(無自性・不染汚・自在の三義)

不回互(差別・働き・法)

集諦(じったい)

諸法の無生、罪福の空を唱える

観念が動かない限り生死はない

私というものを究明しないと解決しない

対立関係が起きない

 

ないことを知っている

知っている人がいない

おかしくない体験

比べて見る

考え方の世界

自分の方からどうせんでもよい

自分の方から(考え方)で生きている

平等一辺等(片寄っている)

縛られない

「水は方円の形に従う(主体がある)

(水よなって方円の器を自在にする)」

説明の中に私という言葉が出て来る

認識の上に立っている

 

 

 

道号(鄧州・証明は師兄の無学)

徳雲閑古錐の頌

汾陽和尚十智同心

首山綱宗偈

「三玄・三要・三句・四喝・四料

 

世界で一番古くて大切なスプリチェアル(エックハト、トール)

境地にいること

自分の思考に振り回され無い

思考が主人になりすまし

 

人天眼目(五家の綱要書)

六道四生(りくどうししょう)

出生方法・胎卯湿化

 

無我の証明

構成要素

三句・三要(真仏・真法・真道)

【五蘊(色・物質・身体)(受・感受作用)(想・感覚作用)(行・意思作用)(識・認識作用)】

【精神の構造・自然の構造・言語・コード・構造言語学・発信者・受信者・音素(言語・コミニケーション)・少数要素(構造・文化)トーテミズム】

 

定・(三昧・禅那)

臨済宗(臨済義玄・黄龍慧南・楊岐方会)

偽仰宗(偽山霊裕・仰山慧寂)

曹洞宗(洞山良介・曹山本寂)

雲明宗?(雲門 文偃(ぶんえん)・法眼文益)

六趣(地獄趣・畜生趣・餓鬼趣・阿修羅趣・人趣・天趣)

 

禅は参ずべし講ずべからず

和顔(わげん)愛語(あいご)

語先後礼

西(せい)安(唐・長安)

 

菩薩の修行(五十二位)

十信・十住・十行・十回向・(凡夫の位)十地・等覚・妙覚・(菩薩の位)

十地「歓喜地(布施)・離苦地(持戒)・発光地(忍辱)・焔慧地(精進)・難勝地(禅定)・現前地(智慧)・遠行地(方便)・不動地(智度)・善慧地(願度)・法雲地(力度)

前七地まで(有功用道)

後八地以上(無功用道)

 

馬祖(嗣・南嶽懐譲・法嗣・百丈壊海「黄檗希運・潙山霊祐」)(法嗣・南泉普願・帰宗(きす)()(じょう)・麻谷宝徹・盤山寶積)(南泉普願・法嗣・趙州従諗・長沙景岑)(帰宗(きす)()(じょう)・法嗣・大愚・芙蓉霊訓)(盤山寶積・法嗣・普化

 

 

正師を得ずんば、学ばざるに如(しか)ず

 

白隠(法嗣・東嶺(とうれい)「峨山」・(すい)(おう)

峨山(隠山「機鋒峭嶮(しょうしゅん)」・卓洲「宗風綿密」)

 

 

南天棒(卓洲派・1837-87才寂))

(嗣羅山元磨・師蘇山元喬)

羅山元磨(法嗣・無学文奕(ぶんえき)「一人」「法嗣・大航宗潤」「師兄」・南隠全愚「無学文奕(ぶんえき)が代証」

・中原鄧州「無学文奕(ぶんえき)が代証」)

南天棒を誰が点検するのか(無学文奕(ぶんえき)言)

 

(すい)(おう)派(後・飯田欓隠老師

飯田 政熊(まさくま)

明治22・12・2初相見

明治31・11・2印可

欓隠(安名(あんみよう)

 

牛窓櫺(うしそうれい)

趙州従稔(間違い)

趙州従諗(しん)

 

法眼(法を知り)

智眼(根性を感じ)

慧眼(邪正を決択す)

三蔵教(教律論)

臨済の四料

臨済の四照用

臨済の四賓主

雲門の三句((かん)(がい)乾坤(けんこん)・截断衆流・随波遂浪)

洞山の三路(鳥道・玄路・展手)

洞山の五位

兜率三関『無47』

黄竜三関『無』

奇哉奇哉一切衆生皆具有如来智慧徳相

 

因縁正起

阿頼耶識縁起

観想縁起図

自我執着心

 

(機能・作用・働き)だけになる・反応する

 

自分と相手との存在感がなくなる

自空・法空(相手側)

境界がない

実体験しないとまずい

神秘的なものはない

今の状態が空

三性分別(善悪無記)

 

沢庵宗彭(たくあんそうほう)(たくあんそうほう)(1573~1645)(嗣一凍紹滴)

春屋宗園(しゅんのくそうえん)(1515~1597)

一凍紹滴(いっとうじょうてき)(1539~1612)(法嗣(はっす)・沢庵宗彭)

 

心の有様

 

三不能(滅定業・度無縁・盡衆生界・無縁不度・衆生不尽・定業不転)

【無記「判断を示さず沈黙を守る事である・善悪、善でもなく悪でもなく(三性)・(是非とも答えを出さないことをいう)」】

【結果を変える事は出来無い・無縁の人を救うことは出来無い・すべてのモノを救うことは出来無い】

 

末那識・伝送識

()(ごう)野録(やろく)(そう)(りん)盛事(せいじ)枯崖漫録(こがいまんろく)雲臥(うんぐゎ)紀談(きだん)

(さん)(なん)雑録(ざつろく)林間録(りんかんろく)人元(にんてん)(ほう)(かん)・(七部)

臨済録(りんざいろく)大慧(たいえ)武庫(ぶこ)正宗讃(しょうしゅうさん)(十部)

 

五燈録(傅廣續挿聯普)

傅燈録・廣燈録・續燈録・聯燈録・普燈録

 

鉢(梵語・鉢多羅・訳・応量器)

輪(煩悩碎破・菩提運載の二義)

梅湯(ばいとう)

知は是れ妄覚

不知は是れ無記

 

無功用の動作

 

飜譯名義集

(にい)(それのみ・はああと笑ってる様子)

狸奴白拈(りぬびゃっこ・猫・牛)

法眷(はっけん)(弟子兄弟)

師弟(すてい)・師兄(すひん)

 

諸悪莫作

衆善奉行

自淨其意

是諸仏教

(ちょうか)(どう)(りん)(741~824)

 

平等覚

作麼生(そもさん・如何といふ会話語)

掃蕩(絶対平等)

建立(相対差別)

 

二十四流宗源圖記(虎關和尚)

一、千光派 建仁開山 千光国師 栄西禅師(備中吉備津の人)

二、道玄派 永平寺開山 道元禅師

(山城京師の人)

三、聖一派 東禅寺開山 聖一国師 

圓爾辨圓禅師(駿河安部郡の人)

四、法燈派 興國寺開山 法燈圓明国師 

心地覚心禅師(信州神林の人)

五、大覚派 建長寺開山 大覚禅師 

蘭渓道隆禅師(宋、西蜀の人)

六、兀庵派 建長寺第二世 兀庵普寧禅師(宋、西蜀の人)

七、大休派 淨智寺開山 大休正念禅師 (支那、温州の人)

八、法海派 仏心寺開山 法海禅師

無象静照和尚(相州鎌倉の人)

九、無学派 圓覚寺開山 無学祖元和尚

佛光禅師(宋、明州の人)

十、一山派 一山一寧禅師(宋、臺州の人)

十一、大應派 横嶽寺開山 大應国師

南浦紹明禅師(駿河安部郡の人)

十二、西派 西子曇禅師

(宋、臺州の人

十三、鏡堂派 鏡堂覚圓禅師

(宋、西蜀の人)

十四、佛慧派 佛慧禅師靈山道隠和尚

(宋、杭州の人)

十五、東明派 東明慧日禅師

(宋、明州の人)

十六、清拙派 清拙正證禅師

(支那、福州の人)

十七、(みん)()派 (みん)()楚俊禅師

(元、明州の人)

十八、愚中派 佛通寺開山 愚中周及禅師(美濃岐阜の人)

十九、竺仙派 竺仙梵僊禅師

(元、明州の人)

二十、別傅派 別傅妙胤禅師(元の人)

二一、古先派 古先印元禅師

(九州薩摩の人)

二二、大拙派 大拙祖能禅師

(相州鎌倉の人)

二三、中厳派 中厳圓月禅師

(相州鎌倉の人)

二四、東凌派 東凌永璵禅師

(元、四明の人)

羅漢(声聞)

三昧(境一枚に成り切って、何らの囚われもない義に取ればいい。音訳・「三摩地・三摩提・三摩帝」義訳・「定・等持・調(ちょう)(じき)正心(しょうしん)行處(ぎょうしょ)」)

 

五爵(公・候・伯・子・男)

不落にて野孤になりたるとがのうえに

不昧で脱す二度のあやまち(天桂禅師)

 

無門関まえがきより 安谷 白雲

意根を坐断せよ(学道用心集)

陶酔禅

「決して無念夢想になるのではない

「なるほど衆生本来仏であったすべての存在はもとから完全無欠であったのだ(大自覚が爆発する)」

「仏の境界を実現実行しているのである」

「悟りの実行であるからだ」

【禅の三要素(大信根・大疑団・大憤志)】

「真の自己を見出し、真の自己に帰ることであるから・・・」

最初の見性は・・・第三の見牛にすぎない」

大悟徹底に到って、始めて第四の得牛となる」

数息観

出入息観(出①・入②)

出息観(出①・一呼吸を一つと数える)

入息観(入①)

 

随息観

「出入の息を絶対に見失わないようにする」

雑念(毒にも薬にもならない)

歩行禅(経行きんひん)

臨済(早く)・曹洞(遅く)・師原田祖岳(普通)・小乗仏教(普通)「坐禅一時間・

経行一時間のイメージ」

無門関まえがきより 安谷 白雲

 

【五蓋(貪欲・瞋恚・惛眠・掉悔(じょうけ)・疑)

惛沈・睡眠掉挙(じょうこ)(心を浮動させる)後悔(心を悩ませる)】

 

号諱

反俗精神

(おお)いに

【周羅の一結(を削ぎ落とす)(わずかに残る吾我の念慮をぶち切って終まう)】

【白槌(びっくつい)(告報の前に槌を打つのが式じゃ)】

 

慈明和尚(錐)

 

「見性とは仏性を徹見することじゃ(飯田)」

「多くの人が見性すると釈迦と同じ様な人となれると思うは大なる間違いじゃ(飯田)」

 

思考のコントロール

 

三要(大信根・大憤志・大疑情)

生受(苦労)

人我(実体化された自己)

法相宗

五性(菩薩定性ー仏果・独覚定性ー辟支仏果・声聞定性ー阿羅漢果・三乗不定性・無姓有情

 

「生滅とは髄縁起滅の義・・・差別の現相に名づけた名である」

 

髄縁起滅

意度商量(色々と考えること)

辜負(こふ)(そむく・欺く)

 

{巴鼻(ばび)(把手(とって)のこと)}

 

「依(こだわる・とらわれる・よりかかる・ひっかかる・恐れる・誘惑される・惑わされる・)(無依の道人)(自由無碍の人)」

()(じょう)(奪って許さないはたらき)」

「放行(与えて捨てないはたらき)」

(がっ)水和(すいわ)(ぜい)()泥帯(でいたい)(すい)(自ら泥をかぶり、水に濡れて衆生済度に尽くす)

「何物が汝を縛すと」

「只、因縁に任せて我を忘れて勇猛に骨折る外はない」

「断じて正師の言を疑ってはならぬ」

「唱道の師」

「騒音も静かに心を過ぎていく」

「朝から夜まですわっていてもほとんど雑念も起こらなかった」

「心境の変化」

「いっさいの活動が自分の心の働きであることがわかってきて・・・安心をえた」

「これこそほんとうの自分の姿だ、と深く自覚する(悟り)」

「石黒慧能・北原得一(師弟)」

空明

「はっきりした意識だけあって意識内容はなくなってしまったわけです」

「いっさいの活動が自分の心の働きである」

如実

無我の中で対象と一体化

「原子を石ころだと見ると、一つの細胞は地球」

「渠を識るや(臨済録)」

「性は不改を以って義となす」

「仏性・物性」

「達磨(通大と訳す)」

「宇(空観)宙(時間)」

「払拳棒喝」

【日本達磨宗 仏地覚晏「弟子・()()・懐鑑(法兄)・懐装(法兄)」(道元下へ)】

 

「念」というものがない(百家の逸話 北野 元峰)】

 

「法身・機関・言詮(ごんせん)・難透難解・五位・十重禁・虚堂代別・末後の牢関等・(公案配列)

「森羅万象(諸法、一切の法尽十方世界・空間の事・事相)」

「同(実相・平等・理相)」

「契(調和)」

「暑い寒い痛棒(第六意識)(心とはいわぬ)」

「法身(仏性)」

「識得」

「玄沙(なま爪をはがし痛いと叫んだ途端)」

「仏性はこれ仏性なれば、衆生これ衆生なり」

「証仏」

「真個の証仏(自己は諸仏なりと自覚することを用いず)(自覚したことを忘れた)(自覚したことを忘れぬ人)」

「仏縛」

「頭北面西右脇臥」

「行住坐臥、挙足下足の即今が時節因縁だ」

「回互(ものが互いに渉入すること)(ものが対立しながら融即する意にとる)」

()定放行擒(じゅうほうぎょうきん)(じゅう)自在(じざい)

玆(ゲン シ くろ くろ・い)

「正受老人 十六歳見性」

「天(梵語で提婆)」

「叉手(印度の礼法)(左の拇指を屈し、余の四指で握り腕前に来し右掌を以て掩ふのじゃ)(叉手當胸)」

「六相円融(総別同異成壊)」

『まぐまぐ!

「宗教とは真実を体得する教えであり、・・

決定的な静寂を得る」

「本当に我を忘れ切るとなにもなくなる」

「文字・言句に捕われて知解や理に走ると実地の修行を怠り、遂には実なきままに終わる298」まぐまぐ!』

 

【大智禅師 仮名法語

「菩提心とは無常を観ずる心なり」

「本来の面目を見得して、・・・」

「一念の心をとヽむることなかれ」】

「虚空(空無・清浄・無限定・無実体・不可得)(喩え・表象)」

「三昧(そのものに成り切る)」

「自己の身心・他己の身心・脱落・天地と同根万物と一体」

「心は働き・心の働き・道具・働き」

「法(現象)」

「差別(しゃべつ・対象のない世界)」

・・・・・

禅門佳話

「靈雲(桃花を見てさ悟り)」

「香厳(竹に当たれる小石の音)」

「元暁(げんぎょう)(死屍に溜まる水を飲んで廓然大悟)」

「死んだ教理・ヘボ理屈」

「念起是れ病、続かざる是れ薬」

「学窮奴(がくきうど)」

「任運無我」

「雲兄水弟(うんぴんすいてい)」

「荊棘林(けいきょくりん)」

「一点の情味を(さしはさ)まず」

「随正邪

真偽(学道用心集・道元)」

「心要」

「心読・体読」

「一念瞋恚(しんい)の炎」

「脚下を点検せん」

「憎愛の二見を離れ、・・・」

「精神に寸隙あれば煩悩妄想が頭を(もた)げる」

「仏光国師()円覚寺一世・来宋僧・366才大悟)」

「智学」

「無窓22才印可(仏国)」

山54才大悟」

心」

「尋剣客・・・見桃花(今日桃花を一見してようやく宝剣の所在を知った)」

「白隠下(阿察女(おくさつじょ)・杉山政女(まさじょ)・大橋大夫(律子){京都島原}{父徳川武士1000石}」

「行住坐臥、見聞覚知の一々に向かって如何と徹見せよ。・・・本具の仏性は忽然として現前せん」

「楠田謙蔵(嗣南天棒)」

「生死の二見を離れ、・・・」

禅門佳話

・・・・・

・・・・・

心にとどく禅のはなし(禅文化研究所編)

 

「仙涯義梵(嗣月船禅慧)1750-1830

「熱喝瞋拳以身説法」

「岡山、骨山」

「高峰顕日(1241-1316)後嵯峨天皇の子・無学祖元に嗣法する」

「無楽又無憂(大燈国師)」

「関山(慧玄)禅師(信濃国城主高梨美濃守高家の二男として生まれた・51才再行脚・54才見性)」

「新到相看(しんとうしょうかん)

「禅要・道髄・専心・観心・」

「一円相(円明寂静で真実絶対の境地を表わす円のこと)」

「南天棒(29才印可羅山)」

心にとどく禅のはなし(禅文化研究所編)

・・・・・

「念起こるこれ病、嗣がざるこれ薬」

「八識・五法・三性・二無我」

 

『三界』

▲欲界地獄餓鬼畜生修羅人天上

『天上』

▲欲界四天王(持国天・広目天・増長天・多聞天)忉利天(帝釈天・四方に三十二天)夜摩天兜卒兜卒天化楽天他化自在天

▲色界初禅天(梵衆天・梵輔天・大梵天)二禅天(少光天・無量光天・光音天)三禅天(少淨天・無量淨天・徧淨天)四禅天(福果天・無想天・無煩天・無熱天・善見天・善現天・色究竟天)

▲無色界空處天識處天無所有天非想非々想處天

 

『忉利天(帝釈天(善見城・喜見城)・善法堂天・山峯天・山頂天・鉢私地天・倶託天・雑殿天・歓喜園天・光明天・波利耶多樹園天・險岸天・雑險岸天・摩尼蔵天・施行地天・金殿天・鬘影處天・柔軟地・雑荘厳天・如意地天・微細行天・歌音喜楽天・威徳輪天・月行天・閻魔娑羅天・速行天・影照天・智慧行天・衆分天・住輪天・上行天・威徳顔天・威徳炎輪天・清浄天)』

 

四州』

▲東「弗婆提州(ほつばだいしゅう)」▲南「閻浮提州(えんふたいしゅう)」▲西「倶耶尼州(ぐやにしゅう)」▲北「鬱単越州(うつたんえつしゅう)」

 

引き寄せて結びし(しば)の庵なれば

解かずそのまゝ野原なりけり

 

自我消滅体験

 

「妄想を説破(せっぱ)

「実相そのものに触れしめるのでおりますから、・・・」

 

諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教

 

心柱

 

曼荼羅=本質

 

「三乗(声聞・阿羅漢果・独覚・独覚果・菩薩・ブッダ)」

「ないはずの自分を眺め暮らす(心銘 川上 雪担)」

罣礙(けいげ)(こだわる・心に引っ掛かる)・罣(障り)礙(妨げる)・罣礙心(けげしん)愛染心(えこひいきという気持ち)・厭足心(えんそくしん)(もういやになったという気持ち)

「縁に従って去ること」

 

『「考え方を付けているかいなか不可量、非思量」

「自分の正体を見破られた(悟りの円味)」

「言葉を楽しんでしまう」

「分別心を起こして」

「考え方じゃない」

「事実にふれて」

「見を立てず」

「このものの働き」

「見を立てない」』

『迷則此岸。悟則彼岸。迷悟共亡。離彼此岸』

『三不能(世智弁才)①無縁の衆生を度することあたわず②衆生界をつくすことあたわず③定業を転ずる事あたわず』

「頭の中の影像は追わなくなる」

「考え方を整理しただけなんだ」

「考え方から一歩も出てない」

《一切行無常・一切法無我・涅槃寂静》

「真(妄なき)・如(変わらず)」

 

「罣礙(心に引っ掛かること・こだわり・妨げ・恐怖もなし)」

「無礙(障りや妨げが無く自由自在・妨げのないこと)」

「計度分別(けたくふんべつ)(対象について分別心をもって区別を立て推量する心の働き)」

「分別(思惟計度とも訳される)

《阿毘達磨倶舎論

自性分別(直覚作用)・計度分別(判断推理作用)・髄念分別(追想記憶作用)》」

 

「度(渡る)」

「自性を了徹して」

「本有の自性の妙用なり」

「計較思量、向外馳求」

「莫存知解」

「聡明性にもとづく思量分別こそ、かえって悟りの障礙となるものであって、・・・」

「画餅不飢」

「声聞(四諦)・縁覚(十二因縁)・菩薩(六度)」

「浄土真宗(初期禅宗の別名)」

「擬議(躊躇)」

『文殊(理)・普賢(行)・観音(大悲)・勢至(大智)』

「五食(法喜食・禅悦食・念食・願食・解脱

食)」

五語=真語・実語・如語・不誑語・不異語

自我はもともとない、だからなくす必要もない

「エゴを滅ぼさなければというのが間違いである」

「二祖三仏忌・達磨忌・百丈忌・涅槃会・誕生会・成道会10/5

「淨名(維摩の漢訳)」

 

「解ろうとする・

ほっとけばすぐに消える(井上 希道)」

「分け隔てる」

「菩提薩埵四摂法(布施・愛語・利行・同時

)」

「涅槃反対語生死(しょうじ)」

「八大人覚(少欲・知足・楽寂静(ぎょうじゃくじょう)・勤精進(ごん)・不忘念・修禅定・修智慧・不戯論(けろん)

「過去心不可得・現在心不可得・未来心不可得(金剛経)」

「仏語心とは諸法所説の心法なり(楞伽経)」

「本来無一物、本より煩悩なし、是の菩提なし、・・・」

『「考えで問題にする」

「人我の見」

「思いが全部邪魔している」

(井上義衍老師)』

「即今・如今・只今」

「真壁の平四郎(瑞巌寺の開山・法性国師)・井原の平四郎(三日で大悟)」

「七大(地水火風空見識)」

《四天(須弥山の中腹に由揵陀羅といわれる山があり、その東西南北に持国天・広目天・増長天・多聞天がある。その四天にそれぞれ天主がいて、仏法を守護している。)》

「五食(法喜食・禅悦食・念食・願食・解脱食)」

『出家前阿部担厳老師井上義衍老師に参禅時「見る事、聞く事をやめてごらんなさい。巾が狭いでしょう・広がるでしょう・(見えてる・聞こえてる)(自我を立てないやり方)ネット上より抜粋」』

 

「鎌倉五山(円覚寺えんかくじ)(見長寺けんちょうじ)(寿福寺じゅふくじ)(浄智寺じょうちじ)(浄妙寺じょうみょうじ)」

「京都五山(南禅寺なんぜんじ)(相国寺そうこうじ)(建仁寺けんにんじ)(東福寺とうふくじ)(万寿寺まんじゅじ)」

《六随眠(十随眠)貪・瞋・痴・慢・見・疑》『五見「有身見(我見・我所見{我に属する})・辺執見(常見・断見)・邪見{因果の道理}・見取見{自らの見解を最高とし他の見解を誤り}・戒禁(かいごん)(じゅ)(けん){誤った戒律}」』

「空の働き・空の様子」

「羅漢(無学)」

「定盤星(秤の起点となる星印のこと)(注意する必要も無いものである。それにもかかわらず、それに気を取られる者は無駄なものに執着しているのである。)(平面の基準となる水平な台のこと)(定磐)」

「三明(宿命明・天眼明・漏尽明)」

「善法(五戒・十善・三学・六度)」

「三際(過去・現在・未来)(外・内・中間・空間的概念)(無相・無窮・無住処)」

「赤心(()(ごころ))」

「諱(いみな)(本名のこと)」

「四魔(四怨)(煩悩魔《心身を悩ます》・死魔《生命を奪い》・陰(五蘊)魔《身体苦悩》・天子(天)魔《善行を妨げる》)」

「三性(善性・悪性・無記性)」

「応物而現」

「見性(自己の仏性めざめること・悟り)」

「長沙(法嗣南泉禅師)(岑大蟲)」

「五味(乳・酪・生酥・熟酥・醍醐《酪(チーズ)》)」

「有無・断常・邪正・苦楽」

「応機接物殺活自在」

「七慢(慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑下慢・邪慢)」

「四等(慈悲喜捨)」

「四苦(生老病死)」

「五蘊(陰)盛苦(苦を盛る)(五蘊集苦)」

「可惜許(かしゃっこ)可惜乎(和語アタラ立派な物が相応に扱われていないのを惜しむこと)(乎・許は感動を表す助辞です)」

「五境(色聲香味触)」

「性空(萬法は因縁和合によりて生じたるものにして、その實性が空無なるを云ふ)」

「無性法忍(不生不滅の真如法性を認知して決定安住するを云ふ)」

『心意識「心(梵語質多Citta集起の義)」「意(末那Mana)思量の義」「識(毘若南Vijnana了別のこと)」』

「五欲(色声香味触の五境によっておこされる欲望のこと・財色食名睡)」

「八風(利衰毀誉称讃苦楽)」

『四相(我)(金剛経)

我相(実体としての自我があるとする観念)・人相(人であるとする観念)・衆生相(五蘊によって生存するという観念)・寿者相(一定のあいだ命あるものとする観念)』

有為法(因果関係、因縁のうえに存立す現象)(因縁和合によって造作された現象的存在のこと)」

無為法(不生不滅の存在のこと)(生滅変化離れた常住・絶対の存在因縁の支配を受けない解脱の境地)(仏教の絶対的真理のこと(涅槃・真如))」

「如常(本体如然)」

「平常法爾」

「自得の境涯」

「体解・体得」

「会(會)者定離・生者必滅」

『三障《煩悩障(貪瞋痴)》《業障(五逆・十悪)》《報障(地獄・餓鬼・畜生苦報)》』

「三事(貪瞋癡)」

『十悪八邪(観無量寿経第十六の冥想の説明)「十悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・愚癡)八邪(八正道の逆)(邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪方便・邪念・邪定)」』

 

「見性経験」

「無処有自(?)波澄、有処無風波起。」

「万人(まさに)歌石女起タッテ

「八種妄見(生滅・去来・同一・差別・断滅・常住)」

「正しい認識の手段(現量《直接知覚》)・比量(推論)・聖教量)」

「心・心相・有無・自心計・自心現量・分別計較」

「心(無心の心・心体・無我・非有非無の心・解脱・仏・法王・涅槃・皆空)」

「一水四見(魚《宮殿》・天人《瓔珞》・餓鬼《濃血》・人間《水》)」

「無我・空・無自性の協議」

「詮索」

「黒(本分)(本体平等の眞諦門を表し)・白(現成)(現相・差別の俗諦門を現してなり)」

「雪峰(輥毬)」

(ゆい)(きょう)経(枕経)」

「十波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧・願・力・方便・智)」

「潙山霊祐ー霊雲志勤(見桃花)ー雪峰ー(法嗣長慶慧稜)(雲門・玄沙)」

「京都相国寺 無為大拙(鬼大拙)(今北洪川)(荻野独園)」

「栄西(嗣虚庵懐敞)四十七才五年五十二才印可(二度の宋・黄龍派)」

「四摂法同時摂(布施《財・法》・愛語・利行・同事の四種の摂(衆生根縁を観察して、楽欲に元ずるように形影を分散し、和光同塵、おのが功徳に同じぜしめること)

「五智(大圓鏡智・妙観察智・平等性智・成所作智・法界體性智)」

「青原山靜居寺の開山 行思禅師」

「石頭庵希遷禅師」

「不思善不思悪是什麼

『四種縁起(本性、本質、実体といったものは存在せず)加行唯識派(阿頼耶識縁起)如来蔵思想(如来蔵縁起)華厳宗(法界縁起)原始仏教(十二支縁起・業惑縁起)』

『▲《頼耶縁起論(阿頼耶識に基づいて諸現象が成立する)▲《真如縁起・「如来蔵縁起」(一切の万法は真如、仏性からの縁に従って顕現するという考え方)》▲《華厳教学の起縁起観・事事無礙観・主伴具足(重々無尽を説き、唯心縁起の法門といわれる。その本性にそなわっている起の性質、すなわち動きという性能が外界に顕現した結果を縁起という)》▲《業惑縁起論(世界のあらゆる現象は、生き物の業因によって生じたものであるという説。他との関係が縁となって生起するということ。関係生、縁生、因縁法、此縁性)》

「淨縁起・染縁起」

「縁起(依他起性)」

「唯識無境」

「遍計所執性」

「我痴・我慢・我見・我愛」

「円成実性・真如」

「三性説(遍計所執性・依他起性・円成実性)」

「二辺遠離」

「名義相互客塵」

「四維(維=角=四隅)艮(東北)・巽(東南)・乾(西北)・坤(西南)」

「即生即滅の因縁法なり」

「この無なる性の自在あるのみなり」

「無性法の縁起生のみなり」

「隋縁真如」

「道号二文字、諱二文字(玄魯義衍)俗姓(井上義衍)」

「五性(凡夫性・二乗性・菩薩性・如来性・外道性)」

「創造性について新しい知覚術を求めて」

「英知へのターニングポイント思考のネットワークを越えて」

「仏(覚)」

「防非止悪の義」

「有の執情

「中論の四句の偈をもって三観を分別し、

因縁所生法、我説即是空一、亦ケテ仮名。亦是中道義。」

「曹山の四禁

《一》               心處路(元来去来を絶してをる)

《二》               本来(更に本来ありや、出せ見ん)

《三》               正恁麼(夫れ丈け餘計じゃ)」

《四》               未生時(時はなんともいはぬぞ)

槐安国語提唱第五則丈檗承嗣P486より

「轉とは宛轉投合の義、然れば宛轉し取り合わせ、人の機に投合する様に云ふ轉語とす(天桂禅師)」

《『「貪(どん)瞋(じん)痴(ち)慢(まん)疑(ぎ)悪見(あっけん)』『「忿(ふん)(いか・る)恨(こん)覆(ふく)(おお・う)(くつがえ・す)悩(のう)嫉(しつ)(ねた・む)(そね・む)慳(けん)(お・しむ)誑(おう)(たぶら・かす)諂(てん)(へつら・う)害(がい)憍(きょう)(おご・る)無慚(むざん)(は・じる)(はじ)無愧(むき)(は・じる)掉挙「昏沈・対義語」(じょうこ)(ふる・う)昏沈(こんじん)不信(ふしん)懈怠(けたい)放逸(ほういつ)失念(しつねん)散乱(さんらん)不正知(ふしょうち)』》

「五蓋(愛欲・瞋恚・昏沈睡眠・『掉挙・後悔・悪作(おさ)』・疑))」

「頻伽瓶(びんがびょう・へい)の喩(首楞厳経)迦陵頻瓶(かりょうびんが)(霊獣の一種・美しい声)」

『六喩「夢幻泡影露電(金剛経)」・「幻電夢炎・水中月・鏡中像(維摩経)」」』

「虚明(自己の心虚なれば明ならずと云ふことなし、鏡の物に應ずるが如し)」

「虚((うち)に他を()れず)」

「非思量(是法非思量分別之所解)(法菅経)」

『阿頼耶「(眞諦三蔵=無没識(不失の義))・玄奘三蔵=蔵識(攝蔵の義)」』

「一休25歳開悟」

「四恩(君恩・親恩・師恩・衆生恩)」

「から見識」

「如今鑑覚」

『煩悩(五位)「見一切性(三界一切に見惑)・欲愛性・色愛性・無色愛性(思惑)・無明性」』

「五根(信根・精進根・念根・定根・慧根)・根(能生・増生・増上の意味)」

「五欲(色欲・声欲・香欲・味欲・触欲)・又は(財・色・飲食・名誉・睡眠)五境に対し(色声香味触))」

「擬せんと欲すれば即ち(たg)う。是れ汝が為に根元を掲開し了れり(擬ーことさら何かをしようとする心です)」

「天地遥カニ隔(天地の隔たりよりも遥かに遠く隔たる)」

「看経(経を黙読すること)」

()(ぎん)

「菩薩の十信・十住(三賢)・十行(三賢)・十回向(三賢)・十地(十聖)」

「末法・滅法」

「蒲団(丸)・坐にく」

「法(事象・出来事)」

 

 

 

 

禅話 の ひ ろ い 読 み

禅話 の ひ ろ い 読 み

禅話 の ひ ろ い 読 み

 

心の決着・ 続・坐禅はこうするのだ より 井上 希道 老師

心の決着・続・坐禅はこうするのだ 井上 希道

 

「隔たり」を解決

その心印である内的客観性の体得(一大事因縁)

「隔たり」を解決対応

感応作用

心そのものの問題

思念・想像・イメージ

感情

心を究める・根元を究める

心から始まる以前の世界

一瞬とは意識以前の世界

一瞬の世界が心である

現象作用

瞬間的存在

瞬間的現象に過ぎない事実

事実である現象と精神との関わり

自然の作用

感覚刺激として現象化

機能と作用が一体である現実

観念の拡散状態

精神行為の様子

観念・現象の拡散作用

何も起こらない

「隔たりのない世界」「空白の世界」「何もない」そのままが本来だったのだ

「そこが」心の始まる瞬間、心として作用する所

認めて能動的に働きかける心的行為が自我だった

事実と思惑との的確な区別

現象という具体的な客観性の有るもの

観念や感情といった内的作用の世界とを切り

離すことが可能となっていたのである

観念作用もすべて一瞬の働きに過ぎなかった

そのままにしておけるところまで達したのだ

純化・単純化・心境

捨て尽くすことに専念

一切の念を取り会わない

専念し続けた

感情はほとんど機能停止

知的作用も自然に沈静化

反応作用が至って緩慢となり

深い静けさを実感する

精神が構造化する以前の世界

任せ切り、成りきることが出来る

何も無い世界が現れその世界が次第に長くなってきた

体が急に透明感を模様してとても軽くなってくる

「ただ」できるようになった

念を出すべく努力しなければ出てこなくなってしまった

過去の情報世界から脱出し始めた。畢竟自己がとれ拘りの根元が無くなってきた

自己の全忘

宇宙に蕩尽しきって何も無くなってしまった

知覚作用すら超越した

主体的なものが一切無いのだから作用が作用にならない

意識界

脱落底の作用

非思量の世界

純粋機能に治まった

意識自体が落ちて何も無い(無我)(空)(真空)死にきった

自己を忘ずる

 

有情非情同時成道

山川草木悉皆成仏

本来本法性天然自性心

 

一見明星の一大事因縁

自己とするもの、自分という存在が何も無かったことに、気が付いた。

現象的存在としては有る

「隔たり」が取れたその証しが体験であり消息である

作用(現実)観念(虚像)

概念を認めて「それに」囚われる

知性による想像的構造物に過ぎなかったという発見

 

心に他人を宿すと(他人を想像すること)既に内的対立している

知性と感性の幻夢と見破った

一切が一瞬のもとに完成、脱落し、消滅している。その事実を徹証したのである

解脱の精神構造

体験・実証の自覚

何も無い、一切皆空

「隔たり」を取らなければならない

一切気にかかることが無くなっており

過去も未来も概念と想像の構造物に過ぎない

因縁性の現象に過ぎない

因縁性次第で何にでもなる

条件次第で自由自在な世界

自覚した消息を悟りと言う

「それだけ、そのもの」の世界を無心とも言う(純粋な世界)

「隔たり」の無い世界・脱落・解脱

その消息を知った時が悟り

事実の瞬間(事実)

観念の瞬間(思念)

何もない世界(概念のない念・前後のない念)が手に入る

感情の静まり

無我の突入

空の体得

隔たりが取れるそれ自体が仮想のものであったことが判明

拘りが起こらない世界

縁に従って作用しているだけ

何物も無い

色即是空・空即是色

自我の残りもの

悟後の修行

悟りをも捨てる修行

認めて持ったら煩悩

何でも「ただ」することである

 

心の決着・続・坐禅はこうするのだ 井上 希道

 

心の決着・ 続・坐禅はこうするのだ より 井上 希道 老師

 

井上 義衍 老師(前)リンク先

井上 義衍 老師(後)リンク先

 

井上 義衍 老師語録

井上 義衍 老師語録

井上 義衍 老師語録

井上 義衍 老師語録

 

井上 義衍 老師語録

(井上 義衍老師語録)

(工夫は唯だ人我の見を離る

見を離るるの機要

内、虚にして

外、事あるのみ

是れ人我を離るるの道

これ坐禅の玄旨なり・)

不思量とは事実の生活の様子・自分自身を離れ即今の事を離れて学ぶことは出来ない・計

らいの心の現われ・

思いを起こさずいる時の自分の在りようにきちっと目を向けその事実を見逃さないようにする・整理しようとする自分の考え方を使わないおいて見る・

自分の思いによって不自由になる・

これに依ってのみ意根が死ぬ・煩悩でないことがわかるから自然に落ち着く・

只、一度命根を絶せんことを要す・

只、一度命根を絶せんことを要す・

思うことを縁として邪推するから迷いの元となる・

意つまり心はものが思えるように出来ている・

只、そのことがそのこととしてあるのみであって、それが人と言われておる私達の実体である・

自分自身というものを本当に知りたかったら・

事柄を知る自分・

自己を忘ずる・

縁に触れて動いているのみ・

(意=心=物が思えるように出来ている)・

無条件で受け入れてなんでもない人になる・縁の如何を問題にしなくなる・

分別がとまると一体感・

(我見=認識作用=何も実体はない)・

すべての作用は観念的なものではなく本質的に無我なものである・

自我ありと思う心を捨てて見よ・

元来自己はなきものなり(自覚)・

人々の思考と云う方便が何の役にも立たない世界・穢れようがないから浄まりようがない・

実体なしといえども物を生じ

自己を認めるから恐れがある・

あると思うから苦しむのだ・

物に自性なし・

変化体が変化作用する・

相の認めようがない・

因縁生には元来生滅すべきものはない・

悟という体験・

徹する=自分も物もなくなってしまう様子(落ちてしまう)・

迷いを起こさなかったら悟る必要もない・

因縁の相互作あると思うから苦しむ・自己なき・

変化の自在=空という・

見をおこさねば本来人・

人間が考えるのだ、都合のよいように分けたまでのこと・

人間の考え方の中の産物・

心の細工をしすぎる・

塵というものはない・

人間の為にあるんじゃない・

人は生まれてくる時に私というものを持って生まれてきたのではない私がないから死ぬ対象がない

応作如是観・集合体のもの塊はない・

実体があると思うのが迷いじゃ

色=地水火風の和合体・

想は像を写し、像を取る・識=了別の性・

因縁生のものは実体がない・

見解を離れると事実のまま生きられる・

このもの(自己)の上に現れた存在です・

思慮分別がやんでいない・人の思いに問題がある・

慎んで追尋すること勿れ・

只すべからく見を止むべし・

修行は思うことではない・

概念に替えて・

是非のない活動を是非しようとする心が迷いの根源・

善悪の念さえなければ・

縁の如何を問題にしなくなる・

我観・

(無為、無心、無作)

 

(井上 義衍老師語録)

井上 義衍 老師語録

(井上 義衍老師語録)二 回 目

 

二回目

不変動の境地

なにも知覚しない境地

事物本性を判然と洞察出きる能力を得る

実体として空花の如きもの

存在そのものの根元に突入することにある

事物をあるがままに捉えよ

事物そのものの中に埋没してしまうものだ

自我を持っていない

概念に束縛された生活

高度な思弁性を有し

【禅は何を教えるのだ禅は何も教えはしない各人の心から出てくるもの禅はただ方向を示すだけである方向指示をもって禅の教えとする

【禅の目指すところは精神の本性洞察すること、精神そのものを鍛錬し精神をして自己みずからの主とさせることである】

「迷ったことがないから取り除く方法がわからない」

忘自己

実体として在るものとして見る

「分別が止まると一体感としてただ自分の動きとしてのものなんです」

その炎が消えたら成仏

「自分がある」と思い込んだ

分別を処理しようとす範囲

我見の起こる前が自分の事実

我見、認識作用、実体なし

【事実は認識以前のもの(認識は事実の後に生ずる)】

主人公はおらんのです

法性(法の性質)

本来の(すがた)に接すること

心意識が妨げている

心意識を用いず

仮想なり

そのまんまの様子にまかせる

「死ということは生きている人の上にあるということです」

頭の中で処理出来ただけです

業(働き)

空の真相は因縁

得た法と得た人がある、是れまさに大病なり

「更にそれを追求する気持ちが起こる為に分からなくなる」

無心とは如何なる様子か?

 

頭の中でこねくり返す仕事

心が動き始める、こんな事でいいのか

自分の考え方を一切おいてみる

「そのまんま受入れてなんともない人になるんです」

問題にしようとする主人公消滅するんです

人の見解が死に切っている

縁などというものは別にあるものじゃない

「眼が物と触れ合う、見えるという生命が生れる(仏性という)」

「今までの誇りも面子も捨て去って裸で只の人となる」

【「在る」「聞こえる」「聞く」我見「私が聞く」】

音がした

思い方によってこんなに苦しめられる

「考え方と事実に開きがある、それが人に苦病を生じさせる」

「いろんな思いで、いろんなことを考えるんです」

みな概念に替えてしまう

実物そのものが見られる

心の細工を

 

塵というものはないんです

【仏教(自在を得る道)(身心放ち忘れ一切を無条件で受入)】

「私」を持って生まれてきた者はいない

「私」がないから死ぬ対象がない

六感の機能

「生まれながら具わっている仏性としての働き」

「自己意識の存しない解脱体として自己の活動」

人の見(見方)

人の見が入らねば

見るべきものが何もない

無明(認識して執着す)

【己見があればまじりっけがある(不純で在る)(人の見である)】

考え方で執えると事実とズレが生ずる

悟りという体験です

「是非しようとする心」が迷いの根源である

善し悪しの念さえなければ

「妄想が止みますと縁の如何を問題にしなくなる」

坐禅とは一切しないこと

「一切の動きが動きのまんまにどうあっても構わんのです」

人の考え方(人間の見解)

「境はこのもの(自己)の上に現われた存在です」

【「ドン」みなさんのところに、きちんと「ある」(今の様子がある)】

作り手も作られてもなしに生じ、生れてくる

「人我の見というものが離れる(我見の起る前)」

人我の見が離れる

分別がそういうふうに見させているんです

【「なにもしない」ということは、人間の考え方でにひねくる道ではないということです】

【「徹する」ということは自分もものも何もかも本当になくなってしまう様子があります】

「眠らなかった是非を論ずる気持ち

「考え方の生活と、考え方で事実をみている【生活と、考え方でない事実の生活とが、同じ「今」の中にある】

「他人の力を借りずして自分が自分で自分自らを確実に救い得られる道を知っている

「自覚のできるのは、自我心を用いるということさえやめさえすれば、必ず間違いなく徹するものです」

ら、夢は見ないんです。迷いを起こさなかったら悟る要もないんです」

 

摩訶般若波羅蜜多心経

 

「今から新しくおれを得るのではない。元来そのものであったことを自覚させるばかりじゃ」

「生は一時の作用、死は一時の作用にして自我はない」

「ただ因果の法のみあって秩序整然として必ず一糸乱れずその結果はある」

「因果のほかに全く道なしと看破された」

離合集散

 

【肇師

四大元無主、

五蘊本来空、

白刃

猶似春風

 

人法二空

集合体のものには塊はない

実体があると思うのは迷いじゃ

変化作用

変化の自在を空という

自己なきに自己を認めて

恐ろしき氷の角も元は水

「見る人の、心一つで宝とも、あだともならは、黄金(こがね)なりけり」

「心にもあらぬ心をいつのまに、わが心ぞと思いそめけん」

「自己なきものなりしことが自覚される」

摩訶般若波羅蜜多心経

二回目(井上 義衍老師語録)

・・・・・・・

ネットより

「我見の起こる前があって、その前が自分の事実です」

「我見というものは、認識作用で何も実体はないのです」

「意がやむ」

「考えの中で生活しているだけです。迷っているのではない」

 

三回目(井上 義衍老師語録)

 

「意根を坐断」

「自分の気に入ったようなことを探す。みんな人間の考えです。」

「手をつけずに、そのまま捨てておきなさい。」

「ただ事柄のみが在るようになる」

「ただ縁に触れて動いているのみ・・・」

思うことを縁として・・・」

「意(心はものが思えるように出来ている)」

「自分の考え方で、一切細工しないことです」

「参禅とは自己に参ずるということ。」

「考えの中にいるだけ」

「坐禅の本質(一切のものを無条件で、そのまま受け入れて、なんともない人になるんです。)」

「只、そのことがそのこととしてあるのみ」

「縁の如何を問わず問題にしなくなる」

考えで取り扱う世界から完全に離れた、宇宙の実相自体を徹見する道です」

「妄想が止みますと、・・・」

「不思量とは事実の生活の様子です」

「計らいの心は現れない」

「耳に聞こえるには実体はない。その時の耳と音との様子で、その時に只聞こえるように出来ている。」

「実体の在るもののようにして執えてゆくから、・・・」

実体というのは、今の自らの様子在り方だけです。」

「今の様子がなくならない」

「後から、いらん名を付けてみただけの話です。」

「人間の見解をもって、細工し過ぎるんです」

「心、自分を抜きにして一切存在しない。全活動というておられる。」

我見の起こる前があって、その前自分の事実です。」

我見といわれるものは、認識作用で何も主体はないのです。」

「認識は事実の後に生ずるもの」

「主なくして、見聞覚知しる人を、生き仏とはこれをいうなり」

「ただ機能と環境との関係にうち任せる

「法性(法の性質)」

「修行の眼目は、生まれながらのこの本来の(すがた)に接することです」

心意識を用いることがなければそのものに、いつも徹しておる

「本性の理」

「自我が死に切る」

「これ自体には意味がないのにあなたは考えようとする」

「すべての作用が観念的なものではなく、本質的に無我なものであるということが解ります。」

「立つことと坐ることは同時に出来んのdrす。」

「人間の考え方で取り扱うことをやめて、・・・そのまんまの様子にまかせるるんです。」

「六感の作用がどうあろうとも一切かまわず、・・・かまわないことです。

「それ自体があなたがたの手つかずの真相なんです。」

「人は、自分の《思い》に依って不自由になる」

人の意根が死ぬるんです(追求せずに過ごしてみる)」

考え方を用いることを一切止めて、念の事実に徹底学ぶことです」

「自分の死は自分で知ることは出来ないのです。死ということは、生きている人の上にあるということです」

「人間の見解でない本質的働き方をするものに教わっておいでになるということが大切なんです」

「善悪の思いがなくなるのです」

「思い切って只縁のまま生きることです」

「縁などというものが別にあるのではない」

「・・・この事実のほかに事実を求め、自分の気に入ったようなことを探す、みな人間の考え方」

「天然の動き方」

「そのものに任せて一切構いさえしなければ」、・・・」

「それを相手にしてはいかんのです」

「相手にするから煩うんです」

「自分の頭の中で解らないと思う方のことを解決しようと思っているからです」

「頭の中で処理ができただけで終わりです」

「業(働き)」

「空の真相というのは、因縁なんです」

「自活動(六根の機能)」

「心が動き始める」

「人間的な認識というものから一度きれいさ

っぱり離れて、・・・」

「人間の認識というものを一度離れませんと心の根源というものが、どうしても見つかるものじゃないんです」

「解決がついておることを単直に知る道です」

「幻影の全くない今の各自」

「理解しようとする。それが、そもそも間違いである」

「事実を事実のまま示されている」

「影が生じて、何か正体らしきものがあると思うから、・・・」

「自分も、ものも何もかも本当になくなってしまう様子があります」

「この身心は、そういう働きをする(無為無作の様子)」

「煩悩を滅するつもりで、煩悩を養うことにになる」

実体もなにもないものを、認識というもの必ずあるように思い込むのです」

「自分の見解が、自分の自由をうばっている

「受ける様子がある」

「聞く・聞こえる・在る」

「自分の考え方を使わずにおいてみる」

「諸法(身心のすべての動き)」

思い方によってこんなに苦しめられる」

「本当に念さえ起きさえしなければ、・・・」

「心の細工をし過ぎるために、本当の自分の姿がつかめんのです」

「塵というようなものはないんです」

私がないから死ぬ対象がない」

「人の見解とは違う大きな働きがあることが分る」

「その必然の在り方を《道》といい《心》という(心意識の働きの心ではない)」

「取り扱うのは人の見です。見方です」

「それを知る主体がない」

「縁の如何を問題にしなくなる」

「それを子供のようにともいい、それを無為とも無心とも無作ともいうのです(只管打坐)」

「《境》即ち、相手の世界というものは、みな、ただ、このもの(自己)の上に現われた存在です」

「我見の起る前があって、その前が自分の真実です」

「迷いを起さなかったら、悟る要もないんです」

「お経というものは生きている間にしっかり聞くべきものなのだ(一休)」

「自分を用いることをやめて、・・・」

「その自覚のできるのは、自我心を用いるということさえやみさえすれば、必ず、間違いなく徹するものです。それが法の様子です。」

 

三回目(井上 義衍老師語録)

 

般若心経講説

井上 義衍老師語録 併 般若心経講説

「空を相とし、・・・」

「仏意」

「生は一時の作用。死は一時の作用にして自我はない」

「因果の法には私はない」

『「心」はコロコロで自在に転ずることで、・・・因果作用の自在なるをいう。』

「これのあい寄り、あい集まる作用なり。」

「人法二空の自覚による。」

「ただこれ自知を要す。」

実体なきことを自覚したときのことをいう。」

『集合体のものは塊はない。

「色」とは地水火風の四大要素の和合体なり。「受」は六根が万境に対して受け込むいろいろの感覚なり。「想」は像を写し、像を取る。「行」は分別を起こし、相手を見て心が動き出す。その最もたくさんのものに名づけた。「識」とは了別の性、この了別を誤まるとき凡聖が分かれる。識を認むれば妄想となり、認めねば宇宙的となる。』

『これを「みな空」なり、と悟るを菩薩という。』

「因縁生のものは実体がない。これをみな空という。」

「なに物かに一つになって、己を忘じた時節がなければ、自体空なることがわからぬ」

「結局ものの根となるべきものはない。」

「あると思うから苦しむのじゃ」

「みな空なるを自覚してみれば・・・」

「その変化の自在「空」といい、変化ながらの物を「色」という」

「水と波と関係」

変化体が変化作用するまでで相の認めようはない。」

「ただこの作用のみと知れ(十八界)」

「十二因縁(無明・行・識・名色・六入・觸・受・愛・取・有・生・老死)」

実体を認めるから生ずる迷いなり。」

『霊雲の「桃花を一見してより、更に疑わず。」』

「元来、自己はなきものなりしことが、自覚される。」

 

井上 義衍老師語録 併 般若心経講説

般若心経講説

 

 

(井上 義衍老師語録)

井上 義衍 老師語録

井上 義衍 老師語録

 

井上 義衍 老師語録 1

(井上 義衍老師語録)

(工夫は唯だ人我の見を離る

見を離るるの機要

内、虚にして

外、事あるのみ

是れ人我を離るるの道

これ坐禅の玄旨なり・)

不思量とは事実の生活の様子・自分自身を離れ即今の事を離れて学ぶことは出来ない・計

らいの心の現われ・思いを起こさずいる時の自分の在りようにきちっと目を向けその事実を見逃さないようにする・整理しようとする自分の考え方を使わないおいて見る・自分の思いによって不自由になる・これに依ってのみ意根が死ぬ・煩悩でないことがわかるから自然に落ち着く・只、一度命根を絶せんことを要す・只、一度命根を絶せんことを要す・思うことを縁として邪推するから迷いの元と

なる・意つまり心はものが思えるように出来ている・只、そのことがそのこととしてあるのみであって、それが人と言われておる私達の実体である・自分自身というものを本当に知りたかったら・事柄を知る自分・自己を忘ずる・縁に触れて動いているのみ・(意=心=物が思えるように出来ている)・無条件で受け入れてなんでもない人になる・縁の如何を問題にしなくなる・分別がとまると一体

感・(我見=認識作用=何も実体はない)・すべての作用は観念的なものではなく本質的に無我なものである・自我ありと思う心を捨てて見よ・元来自己はなきものなり(自覚)・人々の思考と云う方便が何の役にも立たない世界・穢れようがないから浄まりようがない・実体なしといえども物を生じ・自己を認めるから恐れがある・あると思うから苦しむのだ・物に自性なし・変化体が変化作用

する・相の認めようがない・因縁生には元来生滅すべきものはない・悟という体験・徹する=自分も物もなくなってしまう様子(落ちてしまう)・迷いを起こさなかったら悟る必要もない・因縁の相互作あると思うから苦しむ・自己なき・変化の自在=空という・見をおこさねば本来人・人間が考えるのだ、都合のよいように分けたまでのこと・人間の考え方の中の産物・心の細工をしすぎる・塵とい

うものはない・人間の為にあるんじゃない・

人は生まれてくる時に私というものを持って生まれてきたのではない私がないから死ぬ対象がない・応作如是観・集合体のもの塊はない・実体があると思うのが迷いじゃ・色=地水火風の和合体・想は像を写し、像を取る・識=了別の性・因縁生のものは実体がない・見解を離れると事実のまま生きられる・このもの(自己)の上に現れた存在です・思慮分

別がやんでいない・人の思いに問題がある・慎んで追尋すること勿れ・只すべからく見を止むべし・修行は思うことではない・概念に替えて・是非のない活動を是非しようとする心が迷いの根源・善悪の念さえなければ・縁の如何を問題にしなくなる・自我観・(無為、無心、無作)

(井上 義衍老師語録)

 

 

(坐禅はこうするのだ・井上 希道)

言葉が頭の中を駆け回らない・観念が休息している・修行の点検・理論の外の事・拡散の余地を与えない・道理の世界に落ちる・見聞覚知をいちいち心に持ち込まない・考えられないほど静まり返っている・意識の空想物・只、淡々と我を忘れて居ればいい・ムの意味

を求めてはいけない・自然に自己は消失していく・公案とは疑問を起こさせ我見を出させ

て我を雪隠詰めにしていくように出来ている・分別で分別を追い込む・実体のない世界・事故を運んで理屈が加えっている・本当の境界となる修行が始まる・本来の自己に目覚める・知性による理念的発展・何の意味も効もない・如何に禅理に通じていても・工夫に苦労する・一点が定まれば・正念を相続して他事に落ちないように努力する事しかない・本来自然の機能で脱落している・理屈

が取れれば物と親しく一体となり隔てがなくなる・「何が」からどんな妄想を起こすか・

こちらはそれの仕掛け人・常に点検して居る・心境を高める・一呼吸は何もする事ではなかったのです・言葉に用がなくなり引っ掛からなくなって自由にやれるだけです・何も無いこの念で生活していけばいいのです・我を忘れ切って初めて本当の空が体得できる・

音として心静かに聞いていられる・透き通っ

た無心・只無心に居ると・心の様子の丸見え・限りなく自然であった・心の静けさが無くなって行く・即今底を試されっぱなし・日常底・やる気があっても何にも出来ない・今

その事に「只」在るか・執念に遊んで居ないか点検・只管打坐・只管行動がすべてである・形を整えて無目的に坐っておる・身にも心にも為す事なしの本当の無目的である・体だけの坐禅の形・空なる働き・作用、機能・単調な様子=如法・単そのもの・因縁生による働き・塊り物が一切無いということを体得した確かな消息を「空の自覚」悟りという・単調に只しておる・手立てに過ぎない・努力の仕方が分かっただけ・修行の継続・純度保持の雑物混入防ぐ・心の起こる元を自分で確かめるだけ・空=余分な物なく純粋その物の事・因縁により固定性が無く自在さをいう・正念相続・概念の世界から脱出・自分の様子の自覚・精神要因は何も無い・(分別・認識・感情)・(一点追求・徹底的に・割り切る・自失する・即念底)・心の働きを心という・目の様子・縁に応じて出ている・働きがあるから心と名づく・(心というのがないと会得する・悟り・見性)・・・・・・・・・・・・・

 

(坐禅はこうするのだ・井上 希道)

 

 

 

心銘 牛頭禅師 (井上 義衍)

 

(四祖道信示牛頭法融より)

(一切の因果皆夢幻の如し

蕩々として意に任せて縦横なれ

境縁に好醜なし、好醜は心より起る

心に従って自在なれ)

 

実体らしきものが何処にも在るのではない

 

因縁生にて実態なきもの

 

因縁生の様子

 

実体なき活動作用

 

六根の開放・純粋に任せ切ってゆくと真相がよく解る

 

     ・・・・・・・・・・・

ただ思った時に在る

 

そういうようなものを認めてどうかしようとする事をすっかり止めてしまうのです

 

追尋不見

 

全現成

 

心銘 牛頭禅師 (井上 義衍)

 

 

抜隊(ばっすい)仮名法語

 

初端成仏の直路より

成仏の道とは自心を悟る是れなり

万の念此の自性の中より起ること、大海より波のたつが如し

念の起る源を見るべし

主は是れ何物ぞ

念の源の自心を見窮はむべきなり

自心是何ぞ

聞く底のもの何物ぞ

我といふべきものなし

聞く底の主も見えず

一念不生

誰がかくしたる悟ぞや

初端成仏の直路より

 

抜隊(ばっすい)仮名法語

 

 

井上 義衍 老師語録 1

 

井上義衍老師 悟りの真相

井上義衍老師 悟りの真相

 

「言葉をただ操っているだけになった」

「ありもせぬ自我を認めて、・・・」

「三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)(諸法無常偈・雪山の偈)」

「宇宙的な因果関係で出来てきているだけなんです」

「霊魂というものは無いのです」

「思いを無くそうとする、そうじゃなくて、・・・作用自体のまんまで動いているのです」

「宇宙の真相を見破られた」

「それだから効果がない」

「自分の思うように出来ないためにただ困っているのです」

「その他に何か求めるからです」

「本当に落ちると周囲も自分もあるもんじゃないんです」

「人の認識の世界ではなくて、宇宙の発生以前の状態です」

(おもい)さえ使いさえしなければ、そのままでよいはずのものを、・・・」

「ただ六官の因縁生の結合体なのです」

「漸定的に存在している」

「ただ活動のみある」

「・・・死ねばいいんです。認識作用が。」

「知識に訴えて、・・・」

「念の起きない人になりなさい」

「なりたかったら、なろうという事を止めなさい」

「それは思いでしょう。・・・思いで重ねてやろうとするから、それで出来ないのですよ」

「作り事をする」

「人も物も本当に無くなってしまう時節があるんです(人法(とも)に忘ずる)」

「身心脱落・脱落身心・(本来本法性、天然自性身)」

「自分の我見、見解を捨てるその力いかんによる」

「考える習慣をとにかく止めて、手を付けないようにする」

「雑念と決めるのです。それが雑念です」

「無くそうと思うから、それが間違うのです」

「真相でないものはない」

「人の見解が無くなっている」

「そうやって取り組むものだから、それでやれないのです」

「考え方で在るんじゃないでしょう」

「人間が認識する以前から在るんです。万事そうです」

「不思量の真相をそのままに言う時に、只管打坐と言ったんです」

「不思量という概念を作ったんですよ」

自我心が死んでしまってみると、これは(身体を指して)法として存在している事が自覚できるのです」

「全部法で出来ていた事を自覚したんです」

「言葉の(あや)

「言葉を(もてあそ)んでいる人」

自分を用いるということが無いところにおいて、そういう事実に触れた」

「今の在る事があったりなかったりするだけで行くだけですからね」

「松本ウタ・山王タキノ」

「得たものを摑まずにすんだ」

「得た『人』がまだそうやって残る」

隠老師(二十三才一応大悟)

「無いものを在ると認めたのです」

「人間の言種だ、考え方だ、その以外の動きであった」

「人我の見を起こす」

「法身覚了すれば無一物(永嘉大師)」

「本源自性天眞佛」

 

井上義衍老師 悟りの真相

井上義衍老師 悟りの真相

 

玄魯随問記 (井上義衍老師問答集)(ネットより)

玄魯随聞記 井上義衍老師問答集 ネットより

 

1、

自心の真相を本当に自分自身が知る(自分に対してどうしても不安が起きるのが必然なのですその解決をつけるのが宗教の中心

三、

自らが自分自身を本当に徹見して、そして自分が自分で許せる道(道を教えられ・その道を行ず・その自覚を得る)

七、

活動体

自我観

ありもせぬ自我を認めて・・・

自らが自らを自らに救い得る教え

八、

「自由に他意なく活動する状態が因果なんです」

「宇宙的因果関係で出来てきているだけなんです」

十、

自分で作って自分でそこにおる

 

十三、

「一度本当のことがわかったらもう絶対に再び迷うということが出来ない教えなんです」

十四、

「真相を本当に知る唯一の道です(坐禅)」

真相を今行じる、行じている状態である

十九、

「思いというものの作用自体が作用自体のまんまに動いておるんです」

「念の活動自体にそのまんまに行くところに無念ということがあるのです」

二十一、

「悩みの種というものは、自分を立てて、自分の思うようにしたいということが出来ないために、ただ困っているのです」

自我の要求じゃからです

「自我観の要求を全部捨ててご覧なさいということです」

二十二、

「外縁を放捨して万事を休息し」

二十四、

【「アラッ、これ自体(身)が人間の存在ではないんじゃ」ということがわかったんです】

これ(頭を指して)でやっとったということがわかるのです

二十五、

自分を本当に捨てる唯一の道である

自我を捨てる唯一の道(坐禅)

二十七、

宇宙の実相自体を徹見する道です

二十八、

人間の問題する以前にある

「周囲も自分もあるんじゃないんです。そこまで本当に行くものです」

「人間の認識の世界ではなくて、宇宙の発生以前の状態です」

「ちょっと念が起きたんです。今まで念の世界におらなかったんです」

「発生する根源がこの思いだったのだということがはっきりする」

誰も作ったものじゃなかったんです

二十九、

「意さえ使いさえしなければそのままでいい」

三十、

因縁生としての結合体なのです

三十四、

ただ活動のみあるんです

「物心付いた(迷い始めたということなんです)」

「作り事をしようとするのを一切やめるんです」

三十六、

観念の起きん人になればよい

「今度は活動していてもそれが出来るようになるんです」

【煩悩の起こる根源が「断ち切れました」ということが自分ではっきりわかる】

五十三、

一回きりのものです

見損ねておったんです

五十四、

自分の見解でしょう

互十六、

分別心に煩わされな

三十七、

「思うてやろうとするから、それで出来んのですよ」

三十八、

あるものがあるように働きをする

作り事をする

【「今の働き自体、これなにものぞ」ということなのでしょう。それ自体何が、ということなのです】

観念上の訓練を習慣付けてみたんです

四十一、

「どうかしょうとすることをやめるんです」

今の一念だけなんです

四十二、

作り事をする

世間一般の修養方法

役に立たんでしょう

四十四、

「人もものも本当に無くなってしまうという時節があるんです」

「自分で脱落しておる実体を知られたんです」

四十五、

「悟るということは、宇宙の発生以前、・・・発生する以前の自己に徹したんです」

「考え方以前に出来ている事実以外に何もない」

「実体らしいものは何もないところに徹したんです」

四十六、

解脱しておる実体

人の見解を用いることをやめる

四十八、

迷おういうても迷われんのです

五十七、

「今まで自分の観念としてのもので取り扱おうとしておったものを、そういうものまでみな捨ててしまう」

六十、

「それをなくしょう、なくしょうと思うから、それで間違うのです」

真実だけで人はおらん

自然に人の見解がなくなっている

六十一、

思いと共死にすりゃ良いんです

自分で力を失って倒れるまでやらせるのです

六十二、

思量を離れて

【「考え方で行くといけませんよ」ということです】

 

六十三、

向かう前からあるんです。万事そうです

六十七、

「何でもやりながら、別にどうということもない人になる」

七十、

自分とは何か

七十二、

「不可得の中只麼(しも)に得たり」証道歌

七十三、

それがどうした、それが何になるのか

見性の様子なんかも証明(欓文

それがどうした

七十五、

【これ(身を指して)がないことを知ったんです】

「悟るということは法も人もないことを、一切そういうもののないことを悟ったんです」

【「どうせにゃならん、こうせにゃならん」ということが一切なくなってしまうのです】

「ただ公案を通ったり色んなことをして一応見地が出来ておるだけで知らんことがわかった。それに本人も本当にはっきりしたものはないということを知っておった」(飯田欓隠

「悟というものをはっきりと自分で得なければいかん。それさえ自分で本当に確認が出来たらもう大丈夫です」

 

七十九、

自我観を強烈に育てていく

八十三、

学ではね、知識ですからね。

 

玄魯随聞記 井上義衍老師問答集 ネットより

 

玄魯随問記 (井上義衍老師問答集)(ネットより)

 

玄魯随問記 (井上義衍老師問答集)

玄魯問答記 井上義衍老師問答集

 

「宇宙的な因果関係で出来てきているだけなんです」

「地獄を自分で作り、・・・」

「自分で作って自分でそこにおる」

「自我観というものを中心にせずに、・・・」

「見えておるものが見えておる」

「意根を坐断する」

「観念でそう思うたって、・・・」

「その状態を念というんです」

「自分の観念で・・・一切止めたんです」

「考え方でやっておるから」

「アラッ、これ自体(身)が人間の存在ではないんじゃ」

「普通知ったとか知らんとか言うのは皆その程度のものでしょう」

「これ(頭を指して)がやっとったという事が解るのです」

「自分を本当に捨てる唯一の道であるからです」

「宇宙の実相自体を徹見する道です」

「手が付けられないものを人間が手を付けとったという事が解るから、それで無明の凡ゆる煩脳としてのものの発生する根源がこの思いだったのだと云う事がはっきりする

『「意さえ使いさえしなければ、・・・意を使っているから仕末が付かんのじゃないか」と云う事が解ったものですから、・・・』

「見解を使わん様にしたんです」

「宇宙の様子、凡その真理が解るでしょう」

「造りごとをしようとするのを一切止める。そうすると自然に徹するのです」

その思いを無くするんじゃなくて、・・・活動する様にできているのですから、・・・活動自体に任せりゃいいんです」

『只「是非を菅すること莫れ」と言う』

物心付く以前の動き方としての箇所へ、自然に落ちてゆくのです」

「観念の起きん人になればよい」

「念の起きん人になりなさい」

「それが行われる人になる」

煩悩が起る根源「断ち切れました」という事が自分ではっきり解る

「なりたかったら、なろうという事を止めなさい、・・・」

「やれているものを、殊更に思うて又やろうとするから、それで出来んのですよ」

「観念的な理としてのものでどうかしようとする事を、止めるんです」

「そういう風に矢張り作り事をする」

「本当の自分を求めようとする態度ではなくて、・・・真似るんです」

「人法倶に忘ずるという事ね」

「宇宙の発生以前、これ(身を指さる)が発生以前の自己の自己に徹底したんです」

「人間が只考えで、これ(身)を問題にしておるだけですから、・・・」

「今度は迷おういうても迷われんんのです」

「一回限りのものです」

「そしてそれを無くしょう、無くしょうと思うから、それで間違うのです」

「自然に今迄の人の見解がなくなっている」

「最初の人はね(何かになり切ろうとします)」

「それで共死させればよいんです(思いをもって、思いと共死すりゃいんです、)(趙州の無字)(白隠の隻手の音声)」

「要らん所での力を費して苦労すると、間違うと気狂いになるですわ」

「考え方でゆくといけませんよという事で、考え方で在るんじゃないでしょう」

『自分を用いるということが無い処に於て、そういう様な事実に触れた、「アラッ、アアそうかい」という事が、こう気が付いた』

「これ(身を指して)が無いことを知ったんです、法も人もこう無い事を本当は、悟るという事はねもう一切そういうものの無いことを悟った」

『処が「悟った」ということがある為に、これ(身)が亦出てくるのです』

「不可得にして只麼(しも)に得たり(証道歌)」

「それは人間の言種じゃ、考え方じゃ、それ以外の動きであった」

「法身覚了すれば無一物(永嘉大師)」

 

玄魯問答記 井上義衍老師問答集

玄魯随問記 (井上義衍老師問答集)

 

心銘提唱 牛頭法融禅師 (井上 義衍老師)

心銘 牛頭禅師 (井上 義衍)

 

(四祖道信示牛頭法融より)

(一切の因果皆夢幻の如し

蕩々として意に任せて縦横なれ

境縁に好醜なし、好醜は心より起る

心に従って自在なれ)

 

実体らしきものが何処にも在るのではない

 

因縁生にて実態なきもの

因縁生の様子

実体なき活動作用

六根の開放・純粋に任せ切ってゆくと真相がよく解る

ない自分を有るように思う

知心不心(心不心)

ただ思った時に在る

 

そういうようなものを認めてどうかしようとする事をすっかり止めてしまうのです

 

追尋不見

 

全現成

 

人の見解を持ってハッキリさせようと思って取り扱いをするから今の真相に迷いを起こす

 

思量の道の付けようが無い

 

思量を放置しておいて解るものか?

 

只管の実を知らぬ

 

人量の凡てを放てば本来の面目が自ら現ずる(求め方の真相)

 

作仏と求めるの漢子(かんす)なり

 

無心底を求める

 

念起も念滅も同じ

実体無き無念と云うことが解れば

再び念に対して疑いが起こらぬ

 

心不

 

今の自分の働き、そのものに任せきって見せる

 

無い自分を有る様に思う

 

無いものをどうかしようと云うのですから間

違っておる

 

有りもせんものを向こうへ向こうへと求めて行く

 

心とは執着なり

 

本来の姿の徹見せしめ大安楽の道である

 

消息を本来「心」という

 

人間の世界は苦の世界である

苦を苦と知て生きればよい

 

自ら(みだり)に思い(みだり)(わずら)うている

 

事実に(わずら)わす様に自分で造作している

 

万法=「今」自分の様子

 

縁に随って動いている

 

無いものを有る様に思って自ら矛盾を起こすものです

 

一切の因果皆夢幻の如し

 

心に任せて自在なれ

 

好醜は心より起る

 

何を如何しなければならんという欲求が全く停止したのです

 

静かにして六感に任せてごらんなさい

 

人間のあらゆる問題を一まとめにして生死と云うんのです

 

無いことがよく解るんです

 

自分の本来の姿のまま

 

心と云うとどうしても考える心のように思う

 

動き方をするものを(しん)と名付けたのです(活動体・環境)

 

心銘 牛頭禅師 (井上 義衍)

心銘 牛頭禅師 (井上 義衍)

 

大悟したと云うから

何かありそうな気がするでしょう

そういう必要の全くない状態にパパッと徹した訳でしょう

 

何も持っておらんという事を持ちたがるんです

 

空が大事ならかついで行け

 

本来の面目とか主人公そのものが残っておるからだめなんです

それが本当に落ちさえすればいいんです

 

自分の考えで(あやつ)るから逃げてしまんです

 

仏祖の考えは畢竟

ただ自分の自性の無性なることに

本当に徹せしめる道である

 

 

種々雑多な手段と方法を用いようとする

 

細工をしようとする

 

虚沖=どちらも無いという事です

 

本当の大悟という事は

大悟したと言う様なものも

何もあるんじゃないんです

 

自己というものの本当にない様子が解る

 

何も気に(かか)るものが無いんです

 

沈心虚真

 

自知出来るか

 

(あまね)く・不徧

 

今の真相に教えられてゆく

 

何も気に(かか)るものが無いんです

 

沈心虚真

 

自知出来るか

 

(あまね)く・不徧

 

今の真相に教えられてゆく

 

意識の中に自己のない真相が

意識自体がはっきりと自覚する

 

何を自覚したのか

自己も何もないながらに

(ただ)動いておるその真相に

(ただ)(ポン)気がついただけです

たったそれだけの事です

 

夢幻空華

 

何かありそに思っていたのが

何もないものが無いままに活動しておる

カラッとそれに気が付いてみると

人間の全ての誤りの根元が

そこではっきりした

 

何も用がないのに

何を一生懸命になって

つまらんことをするんじゃ

 

そんなつまらん事を

何時までも追いかけているから

役に立たんのです

 

自己を忘じた様子の自覚

 

人法共に全くない真相に撤しきった様子

 

何もない所から出て来ておしまいになる

 

四等・四摂法(布施・愛語・利行・同事)

 

言葉によって鮮明に悟を得ようとする

理解そう云う理解じゃないと云うんです

 

心銘 牛頭禅師 (井上 義衍)

 

心銘提唱 牛頭法融禅師 (井上 義衍老師)

 

二回目

「ただ因果のみにして、人も物もないのです、それが人の様子、ものの在り方です」

 

ただ思った時に在る

 

ないものを確める自分が居る

 

他のものの入って来る事を許さない

無心底を求める者得がたし

同じ実体なき無念

 

(いたずら)に心を労する用がない

 

【「念起念滅」虚幻即処現、即処滅実体なき無念

「心、仏、衆生というてみたって、何もそういうものがあるのじゃないのです

「体自虚幻」

【「過去」と云のも今の念ですよ】

無いものを有る様に思って・・・

 

「取り出して見せる様な物が無いのだけれども・・・」

取り上げたりしなければよいのです

 

決め手がない程自由なのです

 

一切莫執

 

 

自分自身を自分で知らぬ

 

心意識の作用(法性心)

 

消息を本来「心」というのです

 

夢を夢と知って生きる

(みだり)

 

「心意識の運転を止め」

大騒動をやっている

自分の姿が本当に見えるのです。

「今の様に任せ切っておると自他の関係などと云うものがすっかり無くなって終って、自分も物も有るのか無いのかなんいも解らん処まで死に切って初めて決まるのです。」

「真に自己を忘じきってしまった状態において初めて自分の本当の姿を見い出されたのです」

「別に何にも問題になる様な事が凡てなくなり、全く気に懸かるものがなくなるのです」

「働きそのものに任せきってみると・・・」

 

二回目

二回目

 

 

「心と云うと・・・その必要な動き方をするものを心と名付けたのです

「その他に特殊な境地が何処かにあるんじゃないのです」

「考え方を離れて動いておる今の様子に親しくしてゆくからそれで初めて自分がみつかるんですよ」

「自分の考え方で操るから逃げてしまうんです」

「自分の自性の無性なることに本当に徹せしめる道であるということです」

「大悟したと云ふから何かありそうな気がするでしょ、そういう必要の全くない状態にズバッと徹した訳でしょ」

「そんなに空が大事ならかついで行けい、と突っ放されている」

「主人公そのものが残っておるからだだめなんです、それが本当に落ちさえすればいいんです」

「この意識の中に自己を忘ず」

「意識の中に意識をなくす」

「その真相に唯気がついただけです、たったそれだけの事です

人間の考え方・心の在り方

「後の事を考え、先の事を考えたりして心配することをやめなさい」

一切莫顧

 

無い自分を有る様に思う・・・

凡情

唯教メヲ

「そのものを無くしようとするなそれが妄想を退治する道なんです」

「無いものをどうかしようと云うのですから、間違うておるのです」

自然に止むんです

「その時にそれを滅しようとする様な態度をとるのをすっかり止めてしまいなさい」

意無レバ心滅

心無レバ行絶

スルヲ

自然明徹

 

「只知る力、分別を始めるところに意識・・・」

「妄想の根源と云ふものは、第八識阿頼耶識と云われる」

「中心になる心、そういうものが有ると思い込んでおる。それが間違いなのです(一切問題が無くなるのです)

「なることを一生懸命工夫しようとする。そういうことをする為にかえって出来ないのです。じゃからなろうとすることを止めると本当に空そのものに根本的に徹する。という事が有り得るのです。それは各自が皆な自知することです

二回目

・・・・・・・

ネットより

「我見の起こる前があって、その前が自分の事実です」

「我見というものは、認識作用で何も実体はないのです」

「意がやむ」

「考えの中で生活しているだけです。迷っているのではない」

二回目

心銘提唱 牛頭法融禅師 (井上 義衍老師)

 

三回目

「煩悩業障は本来空寂なり、」

「人の思考以前の事実である」

「たゞ思った時に在る」

「人量の凡てを放てば本来の面目が自ら現ずるからです」

「無心底を求める者得がたし」

「道具としては皆が具えている六感だけです

「念起念滅・前後無別・後念不生・前念自滅」

「即処理・即処滅」

「欲求が全く停止したのです」

「本来の姿を徹見せしめる・・・」

「この心意識の作用・・・法性心です」

「現れている消息を本来《心》というのです」

「自分で造作しているのです」

「死に気って初めて決まるのです」

「無病無薬」

「自己を忘じきってしまった状態において初めて自分の本当の姿を見い出されたのです」

「妄想があると思うからそれをどうにかせにゃならんと云う事が起きて来たんです」

「自分のことになると問題が起きるんです

「自分自身を問題にするからそのことが問題になって苦労しているだけだと云うことが、よおく解るでしょ!」

「有りもせんもんを・・・」

『意無レバ心滅

心無レバ行絶

自然明徹。』

と云うものは五感から入って来たそのもを只知る力、そこで只知るだけなら良いのですが、それを分別を始めるところに意識というものが災を起こす所以があるんんです」

「中心になる心、そうゆうものが有ると思い込んでおる、それが間違いなのです」

「宇宙全体が初めから自分のそのままの姿である事がよく解るのです」

「心随

「後からの言い草です」

「何も気に懸るものが無いんです」

「無見にして常に現ずる自分の真相」

「頑嚚(理に暗い)」

「本当に考え方を離れて動いておる今の様子に親しくしてゆくから、それで初めて自分が見つかるんです」

「仏祖の考え方は畢竟たゞ自分の自性の無性なることを本当に徹せしめる道であるということです」

「大悟したと云うから何かありそう気がするでしょ、そういう必要の全くない状態にズバッと徹した訳でしょ」

何んにも持っておらんという事持ちたがんです(一物不将来)

何もないながらに唯動いておるその真相に唯気がついただけです」

「何時までも追っかけている(一切莫顧)」

「人法共に全くない真相に徹しきった様子があります」

「四等(四摂法・布施・愛語・利行・同事)」

三回目

心銘提唱 牛頭法融禅師 (井上 義衍老師)

 

迷いと悟り(井上義衍老師)

迷いと悟り 井上義衍老師

 

物も発生の根源

心というものが活動を始めた

この一念において迷うておったんだなあ

本当に赤ん坊のようになって

「この様子がわかるのが心の本当の様子です」

物心付く前の状態

「どうもしない、どうも思わない、いらん事をせん」

元来解脱していたと自覚された

思考をはじめると(わたくし)となる

「そういう働きをするものをしばらく心と名付けた」

「徹したら何ぼ思ってもこんどは違わないのです。(自由自在に使えばいいのです)」

「考え方で取り扱って始末がつかずにいるのが人間の姿です」

標準がないから

自分の為の自分の都合

まだ思う余地もなければ煩う場所もない

それに手をつけてはいかんのです

「これを取り上げずにおくと、煩悩でもなければ妄想でもない」

始末がつかんですね

「これが(老師自身体を指して)どうせにゃならんというようなことが、すっかり無くなるのです」

【人から悪口を言われても、ぶんなぐられても「あっそうか」ということで終るほど立証されるんです】

いっこうに問題にならんのです

「自分の都合が無くなるからこれの真相が解るんです」

「只管は(おおやけ)な公案なんです」

「物心ついた時点から無明というものが起きたんです」

もともと無いんですから、見解じゃから

「人間になったということは、出てきてから後に知らずに私と思った。そこから始まっただけです。」

それは考え方で生まれて来たんでない

考え方で処理しようとするから・・・

「ある程度今までの考えからだんだん離れる傾向にある」

この私という道具を自分だと思うて・・・

正法というのは作るんじゃないんです

因縁という実体はなくならん

「場所があるんじゃなくて、あなたにあるんですよ、あなたが作る、すぐみな出てくるんです」

自我の強烈な人ほど強い

自我心のない世界

「自分の心といわれるものの本性を知ってください」

「お経というものは皆さんの説明書なんです」

何も観念はないんでしょう

「人間の都合を離れてこれはこういう働きをするようにできているんでしょう」

無為無作の心境

あんまり考え込み過ぎるんです

「念を起こして使うと具合が悪いということに気が付くはずです」

縄で風をつなぐ

無為の様子

「自分の事となると欲望がくっつくから分からんようになるんです」

「この世は実は何も無いんだ」別人言

自我を持って見ておるんじゃないな

「自我心の発生の根源は本質的に備わっているんじゃなくて、思い込みなんじゃから、それに(わずら)わされることはない」

「思い続けているのはよくないが、ただ、あるというならよろしい」

「分別心というのは、自分の都合を考えるんですわ」

「分別智というのは、すべてのものを自分の都合のいいようにということが主体になって、そしてそれを使おうとする」

「思いが思いとしてただ働くというならいいです」

起こさずではなくて、起きんのです

【これ(環境)とこれ(六)との関係ですから・・・】

「自分のために貪・瞋・痴を使うと毒になるんです。他人のために使うと薬になるんです。」

【それはもともと自我のない「法」としての働きですからね】

「六官を六官まかせにする・・・それを取りあげないでいきなさい

「自分の考えをもって六官を使うのをやめる」

「出てきたまんまで問題にならんようになるんです」

【「出てくるのを出てこないようにしようという事をやってはいかんのです「機能を停止しようとするからです」「機能を純粋にさせるだけです」】

「智解の路に向はざらしむる(道元)」

「考え方の道に自分を向けないようにするということが、これ(身体)の本質をみる道なんです」

「自我をなくすと、煩悩というものは自然に消滅するのです

【自我「自然に(私)という観念がこれを形成したんです、それを自我と言うたんです」】

「六根の機能の機能としてのただ忠実な作用のみにまかせることです。(私)というものがそれを使わない」

我見というものが起きてこない(無為)

「意の色声香味触法(無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法)」

分別せんでもいいんだ

見ておる主体がおって見ておるんです

「筋を知っているということは分別心が動いておるんです」

誘因

「何のないところから動いておることを気がつかれたんです」

「見解さえ加わらなければこれが(身体)はっきりするように出来ているんです」

「迷いということは・・・自分の都合のいい考え方をするから起こるのです」

「考え方でとらえた物の様子で・・見解で迷いを起こしておる・・・」

「これを自分だというふうに考え方で自我として認めた」

「あら!本当に人間らしいものも法らしいものも、何もなしに活動するように、これ(身体)は出来ているんだなあというこの一点だけを受諾されたんです」

「法自体としても宇宙と一つになって初めっから出来上がった道具立て自体であるとそういうことを知られたんです」

「これ(身体)を立派なものに仕上げようとするような見解をもつところに、大きな間違いがある・・・」

「そういうふうになろうというのではなくて、そうなんです」

 

 

「修行らしい事を、やって、やって、やり抜かせるというような方法をとらんです」

「すべてのものが因果関係によって動いているだけのものですよ」

それは考え方なんでしょう

修行の方向

「どうにかせにゃならんとかそんな事も関わらんでいいんです」

五官のままで生活しなさい

五官自体の素直な働き

すべての考え方を捨てて・・・

この道具自体は「私」はないんです

「本当に五官のままの生活ができたときには、自己のないという事が分かるはずなんですね」

考え方でいちいち追っかけている

自分の見解でやっているんです

本当の五官の純粋な生活

「その時、その時の因縁生としての現われなんです」

ただあるというだけならいいんです

「(身体を示されて)これは用なしなんです」

「それは人間の世界において人間が要求している範囲内の良かりそうな事なんです」

「思う事でもない、行事でもない、言う事でもない。」

「事に執するも元これ迷い、理に(かな)うも(また)悟りにあらず」

「理論で一応整理をつけてみても、その理論で整理しただけなんです」

 

「本当に考える事をみな捨てていくと分かるんです」

悩み(わずら)

知見の力

「見さえ起こさなかったら、いいという事が分かった」

「簡単に言えば、坐っておったのが立ったんです」

「これ(身体)の作用の一部分なんです。生死というても。」

「七難三毒ただこれこれ」良寛

悩まんでいいんですよ

「ただあったり、なかったり、するだけなんだよ」

理屈を言うては収めようとした

気が起きんようになっているんです

多くは対面なんです

「考えを起こし過ぎると取り越し苦労をするんだ」

縁に触れてなるようになるんです

「頭でひねくって解決しようとするから、こんどはそれに縛られて身動きが出来んようになるんです」

 

「正しいとも、正しくないとも言えない、存在事実なんです」

ただあるという自覚です

引っ掛かりがないでしょう(解脱)

本当に無我の様子

「外部とのすべての縁を断つという事、内部が起きてくる心の動きに対しても、云々する事をやめる事」

場所を選びません

手放しにする

 

「善し悪しを全部超越した世界に自分が存在している事実を、はじめに把握せんと問題はおさまらんでしょう」

機能が縁に従ってどんなにでもなる、考え方じゃないんです」

「考え方をやめたんです、ただあるがまんまにいったんです」

自覚というのは、その事実をそうじゃった、と確認が出来ただけなんです

ハッとした瞬間自己が忘じられていた事気付く、というか・・・

離れれば、きっといくんです

「熱いという事を知ることじゃなくて、熱いんです。認識じゃないんです」

この身体はその作用体なんです

「法というものは固定したあり方はないという事を知っていればいいんです。」

五官自体には「私」はないんです

思いの動き機能の働きとがある

思いがどんどん(ふく)らんで自分の中にそれが実在しているように思う

余分な思い

思いを止めるだけ

余分な事を思った人

考え方がいろいろ問題を起こしているのです

考えると苦しみが起こる

考え方を止めたら楽になるのです

「思いにも自分が起こしている思いと、必然的な湧き起こってくる思いとがある。ですが、そこのところが分けにくいから・・・」

「自分で思ったものでないものは、何ともないはずです」

 

迷いと悟り 井上義衍老師

 

二回目

 

迷いと悟り(井上義衍老師)

 

信 心 銘(井上義衍老師)

信心銘 井上義衍老師

 

「人間の見解を用いさえしなければ、・・・」

「人間の見解を一切用いるということをやめてしまいますと、《現前》ということが出てくるんです」

「心の細工をし過ぎるために、本当の自分の姿がつかめんのですよ」

「なんにもないところから生じながら、・・・」

妄想というようなものも、人の見解のうえに、ただわずかに起きたものです。それさえ起こしさえしなければ、問題はないもんですよ」

(わずら)いはないんです」

「その作用を法というんです」

「人の考え方を以って考えを救ふことの不可能なることを自知され、・・・」

「思考の力の及ばざる境地に達せられて、(つい)に法体自体無性の実相に徹せられたのである」

信心銘 井上義衍老師

 

二回目

「凡ては空なり」

「無用なることを自知」

「考え方をもって考えを救ふことの不可能なること」

「事実の存在に身心共に任せ切った結果、終に人の思想思惟の世界から離れた思考の力の及ばざる、境地に達せられ、終に法体自体無性の空相に徹せられたのである」

「人間の見解を用いさえしなければ、・・・」

「人間的な要求に従って行動してはいかんということです」

「どうかせにゃならんということが全然なくなってしまう」

「玄旨を識らざれば、・・・」

「心の細工をし過ぎるために、・・・」

「停止せにゃならんと動いているんです(いらんことをしてるんです)」

「すぐ相手にするからです」

「それをどうかせにゃならんということが起こるんです」

「人の見を用いると、・・・」

「概念的取扱としての《空》です」

「人の考え方の問題です」

「実相は無相なり」

「性に任ずれば道に(かな)う」

(みだ)りに自ずから愛着る」

「自分自身を縛っている気がしているだけです」

「無為、無作の作用に執着して、自分で困っているんです」

どんなにもなるように出来ている作用なんです」

「自分を一切用いることさえしなければ、・・・」

見解を用いることさえしなかったら、・・・」

「人間的見解で扱わんことです」

「心を持って心を用う」

「夢幻空華(決まりがないものをこういったのです)

「迷いを起こさなかったら、悟る要もないんです」

「《意》というのは、・・・縁に触れれば、そっーいうことが動くように出来ているんです。(それが法なんです)」

「無為無作(この身心はそういう働きをする)」

「無為無作の様子」

「それに操られて困っているだけです」

「それが非思量の様子です」

「思う前に、ちゃんとあるんじゃから、手をつける必要がないでしょう。それだから妄想が起きちゃおらんです」

「あるといったんでも、ないといったんでもない。ただ《無》といったんだ、とおっしゃっています。」

 

二回目

信心銘 井上義衍老師

 

信 心 銘(井上義衍老師)

 

夢 想 1~4( 井 上 義 衍 老 師 )

夢想 1~4 井上義衍老師

 

▲垂語

「一つものを自ら離したのみ」

「離した主は人の思いなり」

「思わざればそのものなり。いと易き道なり。人多くこれを難きとなす、・・・人自らが招く所なり。」

「只是れ万事を放下し放下をも放下すればよし」

 

▲只管

「分解会觧を成して通過せりとなす」

「禅は意想に非らず」

「真に徹せざるを自白する語なり」

「意上に造作せる只管となるなり。故に始めより誤まれり。」

『学道の第一の用心は我見を離れること、我見を離れるとは、この身を執せぬこと、この身を執せば如何に従昼至夜鉄石の如く坐禅するとも仏祖の道を究め得ることは難し(道元禅師)』

「人試みに意根を坐断せよ、十は十乍ら必ず道を徹見せん、・・・」

「是れ自ら解脱するの道なり」

 

▲真の宗教とは

「自分免許」

(かんがみ)(さとる)の病」

 

▲識中に自己を忘ず

「空無遍所・非想非々想定(境涯)

「勲(?)練修行」

「認識を問題にしていたと云ふことに気付かれた」

「只管(内に思うことなく、外諸縁を捨てゝ一切成すことなし。これ意識の中に自己を忘ずるの道である)」

「意識の中に自己を忘ずることであって意識をなくすことではない(大死一番大活現成)」

(まなこ)、眼を見る(あた)はざるが如し」

「求心の全く止む時である」

 

▲大用現前規則を存せず

「大用(私のない作用と云ふことです)」

「自己中心の観念(自己中心の考え方)」

「人間も地球上にある(ちり)と同じように唯一つの存在者だと云ふことです」

「自分に一つの考え方を持つから善し悪しが起るのであって、物にあるのではないのです」

「使い道に依って暫らく善い悪いということが出て来るまでのことです」

「私することさえなかったら煩悶も苦悩もみなすっかりなくなってしまう」

「事実を概念で捉えて、人間の観念の上に移してするのです」

「無念無想(・・・あるが儘にある存在で・・・ただ其のものゝ活動なのです)(其の作用)」

「思念上の造り事」

「俺が私がという観念・・・中心にして凡てを見ること、・・・」

「自我ない存在なのです」

 

▲真の道人

「自己なき処に於いて始めてこの実証あるなり」

「無作の妙用無為の妙用

「迷は知見のみなり」

 

▲正法眼蔵 現成公案 提唱

「仏法の語のみありて其の実なし」

「人見の産物」

「其のものの実相真相ではない」

「自己を忘じてものの真相に徹す」

「即生即滅の因縁法なり」

「この法なる性の自在あるのみなり」

「無性法の縁起生のみなり」

 

▲弁道話要旨

「法界自性の実証者」

「古来経験者が経験者に伝えた確かさから来て居る」

「因果作用」

忘自己の事実ありて始めて納まるものである」

 

▲正法眼蔵弁道話

「弁道(道を(わきま)える)」

「『ただ在る』というようすです」

「たしかに風鈴のように、人は肉体といゝ精神というこの道具を用いながら、この道具の中に何も特殊なものが存在しているのではなく、自由に動くように出来あがっているのが人の様子です。それが真相です。

「顔を手で打たれも怒るという感情の働きというものすらもなくなり、そこで解決がついてしまう。」

(くん)(れん)

「因縁所生法あるのみである」

「狸奴白牯(妄想の人)」

「自分の一念が起きるところに問題が残っているのだという意味で示されている」

「一切人の見解を用いぬことを指示」

「本来そのものであるものを(きず)つけているのは、認識が認識の取り扱いをすることに於いて起る誤りの全体を自分自ら知っているので、どんな扱いようをしてみても自分の扱いようであるのが分っているのでどうすることも出来ないためであって、この識の上から離れる道あることを知らぬが故に、従来それを処理してくれる人がなかった」

「そこに在るものが在る、見えるものがちゃんと見えているという以外に何の心を使う要もない、そのままに行く」

「意識の中に自己を忘ずる」

「意識自体はそれを自分とも何とも知らない、無とも知らない処に徹し切る、それが真実です。」

「何も生じない、何も知らんということ、・・・」

「(印可後)三年近く如淨禅師について修行を続けられ、・・・」

「あると思うからいけない」

「法としては本来そのくらい簡単明瞭な、・・・」

「口頭禅話」

「方法論を考えたって仕様がない。」

「始めから脱落しているんじゃ」

「脱落している自分を知る」

「自分の生活の真相」

「どうもしないでいる」

「悟りというものは、さあ取れ、である。そのまゝそこにある。それでいいじゃないか(北野玄峰老師)

自分の自覚する様子をずっと観察しているようでは悟りになりません。それはまだ認識が中心になっているのです」

「認識の主体が残っており従ってその認識の届く範囲のものしか探りあげられない。」

始めからそのまま出来あがっているのに、従来の心意識がとかく邪魔しているだけのことです」

「真実が確然とせぬというておられるです」

「『迷悟さらに二心なし』即ち迷いと悟りと二つ別にあるわけでない、一念起ると迷悟が生ずるのみなのです

 

『一切の時にいて妄想を起さず、妄想を起さないとは妄想の心の上におって、それを無くそうとするのが妄想である。妄想の真っ只中におるときに、それが妄想だと思うな。そう思うことが妄想である。真実らしいものをわきまえようと考えるな(円覚経)』

「無心ながらに一如の状態で、・・・」

「仏法とは各自の本性なのである」

「認識・・・取り扱い得る道具であって・・・自我なる主体はない」

「死時の三愛(境愛・自体愛・当生愛)」

「断見外道・常見外道」

「仏法は実相は無相である、因縁所生の法である」

「ただ法が滅し法が生ずるだけです」

「四有(生有・本有・死有・中有)」

「自覚し悟ったという意識が仏なのではなく、悟った生の内容そのものが仏なのです」

「・・・心を離れて実相に証せられたぞ自覚あるのみ・・・」

「止観(元来静かにして物を観察する態度のことですから、坐禅そのものとは違います)」

「止観は心で観ることで、禅の見性とは体で直接みるということです」

「一念を手放せば厚い妄想の層も、さらっと解けて達せられるものです」

「見色明心」

「聞声悟道」

一念心を起こす故に迷わされるのです」

「人間の煩悩、考え方、認識等に関係なく、・・・」

「六根をそのままに打ち任せていると、・・・」

「人間的な考え方でないものが動いているのだという様子が分る」

「無念ながらの状況」

▲正法眼蔵弁道話

 

▲常済大師坐禅用心記

「夫れ坐禅は直に人をして心地を開明し、本分に安住せしむ」

「この活動を且く心となす」

「・・・一切の作用、それが必然にある。それを(しばら)仏性とも名付けたのです

「一つ物を一面から心と名付け、一面から身と名付けただけのものです」

「心は海水の如く、仏性の様子です」

「因果それ自身には目標はないのです、無目的です」

「妄息めば寂生じ、寂生ずれば智現ず、智現ずれば、真(あらわれ)ると。(すべか)らく善悪の(おもい)を休すべす。」

「然(しこう)して」

「寂静無漏」

「何の目的も持たずに機能が機能のままであって、これを使う主人公はない。」

「全法界は只因果である」

「縁に触れてなんとでも現はれて来るのです」

「本来の面目の様子」

 

夢想 1~4 井上義衍老師

夢 想 1~4( 井 上 義 衍 老 師 )

 

夢 想 5( 井 上 義 衍 老 師 )

夢想 5 井上義衍老師

 

     示衆

工夫は只だ

人我の見を離る

見を離るゝの機用

内、虚にして

外、()あるのみ

是れ人我を離れるゝの道

これ坐禅の要旨なり

玄魯

 

     一大事因縁

「この存在しておる事実を釈尊は徹見されて・・・」

「因縁という名称をくっつけたのです」

「因縁というものには実体はないのです」

「自己の見解というものを捨ててやって頂きますというと・・・」

 

▲仏教の生命

【至道なり、何の難きことがある。

ただ自ら是非の見を起こすに依りて

明確を欠くのみなりと。(三祖大師)】

「但だ一度命根を絶せん事を要す」

「見た如く観念を造る人なり」

 

     般若心経一口語話

「因縁生の作用あるのみなり」

 

     信心銘提唱

法界(ほっかい)

「人間的な要求に従って行動してはいかんという事です」

「人の見解を一切用いるという事をやめてしまいますと、現前ということが出てくるんです」

「どうにかせにゃならんということが全然なくなってしまう」

「それにとらわれてどこまでも追いかけていくと、きりがないんです」

「人の考え方の問題です」

「六感を解放して、六感の作用がどうあろうと一切かまわずに一々のその時その時の作用のままに、煩悩らしい作用が起きようが、立派そうなものが起きようが、かまわないことです。」

「架空なものを目標に置いて比較するというのが一般に用いられておる様子です」

「人間は観念で二つのものを並べて、それを比較してうんぬん言うんですけれども、事実は比較のできないように出来ているんです」

「作りごとをしようとするんです」

「悟れば好悪なし、・・・本当にどうかせにゃあならんということがなかったということが分るんです」

「迷いを起こさなかったら、悟る要もないんです」

「眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしん)」

「意(どうもせん、どうも思わんのに、向かえば、縁に触れゝば、そういうことが動くように出来ているんです。それが法なんです)」

「▲究竟(くきょう)▲窮極(きゅうきょく)▲契心(かいしん)▲調直(ちょうじき)▲虚明(きょめい)▲心力(しんりき)」

「所作倶に息む」

「思う言うたって思う前に、ちゃんとあるんじゃから」

「最初は妄想は起きんのですから、煩悩は起きないんです」

「そういう事が行なわれたその作用を法と言うんです」

「真如の法界(何か特殊な事があるんじゃなくて、平生の自分達のやっている事自体です)」

「声が片っ端から出ながら片っ端から消えておるでしょう本当にありながらない、ないながらある」

「去今来(こらいこん)」

『「いかなるかこれ道」手まりをころっところがして見せたんです(雪峰)』

 

▲参禅工夫の玄旨

「元来これから作事(つくりごと)をするものではないということです。作る必要のないものを人は今から作ろうとしておるのです」

「作用体」

「余計楽になるんです」

「認識作用」

「影を捕えた」

「機要(大切な・重要な)」

『「私が」という見解を離れるということ、それが大切だということです』

「我見の起る前があって、・・・」

『それが「道」です』

「認識作用で、何も実体はないんです」

 

夢想 5 井上義衍老師

夢 想 5( 井 上 義 衍 老 師 )

 

正 法 眼 蔵 行 佛 威 儀( 井 上 義 衍 老 師 )

正法眼蔵 行佛威儀 (井上 義衍老師)

「仏魔・法魔」

「仏縛・法縛」

「知見・解会」

「教家・経師・論師」

「叩掌」「コウ・ク」

「そんな事を問題にするのは、自分の、皆、憶測によって、これ(身心)を縛って、雁字搦めにして動きが取れんだけのものだよと。」

「それに患うのは、只、自分の一念です。」

「無繩自縛」

「穿鑿(せんさく)するから、それじゃから始末が付かんのじゃないですか」

「ああ、人間の見解というものは、心というものは、こんなに自分を迷わせる種なんだなと言うことが、ここで、明瞭になったんです。」

「考えてそれを取り扱おうとするから、それを止めさえすれば事実なんです。」

「法という何か実体らしいものが、存在しておるという事じゃないのです。そういう法らしい存在がないのが、法の実体なんです。(真空妙有)」

「ないながら、活動するというのが、法の実体なんです。(仏)」

「見解を離れて、初めて、そういう真相が分かって、・・・」

「境地」

「悟る得る様子(修証を假らん。工夫を費てん)」

「その作用と言うたんです。」

「人の見解が一度死んでしまうと、よう分るのです。」

「只、法が法として、活動をしておるだけの話なんです。」

「法性としての、只、動き以外のなにものでもないんです。師資ともに。」

「縁起の法としての働きの様子を業とも名付けたのです。」

「今の事実を学んでいただきたいと言うことが真意であります」

「今、一切から開放されている自己の在り方各自が自覚なさってほしいと言うことです。」

「明星一見の大事」

 

正法眼蔵 行佛威儀 (井上 義衍老師)

正 法 眼 蔵 行 佛 威 儀( 井 上 義 衍 老 師 )

 

生 死 を 越 え る (NHKより)( 井 上 義 衍 老 師 )

生死を越える(NHK) 井上義衍

活動

考え方の捕えた様子のもの

作用付したとも、ものとも

概念

考え方の問題では無く、事実として在る

真性を見誤る

あるものに名称を付けた

一切問題を起こしていない

人の念が起きた

正念思惟

後から捕えて苦しんでいる

自覚した智慧

「この身の動作は心より起こる

まず心を調べし身を苦しむなかれ

身は几石の如く知る所なし

なんぞ心に随って(からだ)を苦しめんや

仏本行経」

調(ととの)っている事実

分別を振りまわさない(赤子)

 

二回目

「取り上げて問題にしている」

「一切の見解を捨てられた」

「初めて念が起きた」

「考えることで無明の根源が出た」

「無いものを有ると認めて・・・」

「本性・法身・自体」

「身は木石の如く知る所なし(仏本行経)」

「認識からコロと離れて・・・後から認識して・・・」

「分別を振り回さない・・・」

正受して批判しない」

「考え方でものを見ようとする」

手付かずにしておれば・・・」

「(坐禅中)頭の中で考え方をしていない」

「(坐禅)手をつけるといかん(出て来るのは必然)(任せておく)(無心の態度)」

「考え方を手離す(法自体の動き)」

「考え方に用がない」

「考え方と違う動きがある」

「日々是好日(実相)」

二回目

生 死 を 越 え る (NHKより)( 井 上 義 衍 老 師 )

 

いろいろから? 井上 義衍老師

いろいろから 井上 義衍老師

「仏智見を開くいうのは、只この事」

「自分勝手な悪戯をすることを全部止めなさいということなのです。・・・それでもう終わりなんです」

「法として、道として、それを無為というたんです」

「この工夫は只、『私』という見解を離れるということ、それが大切だということです」

「人我・我見(認識作用)(何も実体はないんです)

「考え方と事実の違い」

「今、自分のところに直にある。すばらしい人の本来の面目です」

「忘自己の時節ある。徹する」

 

いろいろから 井上 義衍老師

いろいろから? 井上 義衍老師

 

井上 義衍 老師(後)リンク先

 

THE・禅 原田 雪渓 老師

THE・禅 原田 雪渓

応量器(あなた自身をきれいに掃除し、片づけておきなさい。)

自我の本当の正体

「自分自身を介在させますから、ものが比較して見えるわけです」

禅の修業(自己の介在から離れる修行)

知識・教養・学問

「いま」の世界に自分が安住すること

思想・知識・概念

わからないことがわかった

煩悩という名の仏性だ

親しむ(距離をなくす)

「一方がなくなれば対照の片方もなくなる。片方だけ残ることはあり得ない」

目を鼻端にそそぎ

身心脱落

生き死にを超越

意識によって意識を擦りつぶす

分別心をなくす

六根の働きのままにまかせておく

第二念の意識(分別心)

「自分の考えをまじえずに、まったくその働きのままにまかしている」

「すでに脱落をしている身心である。したがって身心を脱落するだけ不必要なことだ(脱落身心)」

我見(対象に存在してると思い込んでいる・分別心)

眼のつけどころ(問題意識)(自己というものを解明)(脱落する縁に合う)(心掛け次第)(目標のつけるところ)(視点というもの)

自己に親しむ

心を(おさ)める心を整える

現在「いま」を確実につかむ

「現在・如是・空・無・道・禅・法」

変計

このものが縁そのものになった

 

「私が{悟りを開いた、私が目覚めた}というものではありません」

このものとは何か(私の正体)

このものの働き六根の働き

六根という道具の機能が集まっている

識は人間にしかない

無此物無彼物(増阿含経)

此物有故彼有彼物

「自己を認めることによって一切のものが生じる」

知にも属せず(妄覚)

不知にも属せず(無記)

「仏教(私たちが本来自己などなかったことに目覚めることです)」

・・・・・

「釈尊の悟り」

事実の後(ものを認める)(心に銘記)

因果に安住する

「自我・自己・自分というものの存在がまったくない」

「自分の死んだことを自分で知ることできません」

識によって生じた自我

「自我に執着することによって苦しみや迷いを起こしている(自我の迷執)」

自我の迷執から解脱・解放(禅の修業)

真実の自己に目覚める

本来の自己に目覚める

一切のものが空になる

「悟る以前と悟った以後とかあるようでは本当ものではありません」

釈尊の教え(無我の教え)

法を示す正師

事実を素直にそのまま受入れる

     ・・・・

「空」

識の働きによるもの

相対的なものの見方

振りまわされ

「心(自分がものを認め自分がものに対して木や石ではないと感ずる働き)」

「意(ものを計る、分別する働き)」

「識(決め込む・思い込む働き)」

念(考え)

想(念を相続)

法は無相

同じ事実を様々な言葉で表現

特別な名称はない

空の空空の縁空の自分

活動(業・カルマ)

自我の所作

「一切のものも移り変わっています(実体がない・無常)」

自分は空になったけれども相手がある

仏(ものの本質をいいます)

仏世界(本質だけの世界)

「生死(このものの変化の様子、無常ということです)」

本来の自己に目覚める

・・・・・

「禅の要訣」

真実の自己に目覚める(自己を忘じる)

捨てきること

真実の自己を表明

このもの(自分の象徴)

「脱落(一つになったこと)(自己の身心他己の身心、自他、主客をして完全に脱落した、一切のものがなくなったということです)(空になったということです)」

信決定

法理

事実というものは考えの前にある

見性を認める自分があるうちは、・・・

見性以前と以後と隔てができてしまう

無我意識

事実で「ある」と認識「迷い」

事実も「ない」と体得「悟り」

{「目的を持たない」ということが目的になってなっています}

手段・方法(途中のもの)

公案がなくなったとき

「働きそのものであるということを知ることです」

「自らが法そのものであったことに目覚める」

(真実の自己)と表現しているわけです

を備えているか否かが、人と動植物の相違を生む」

「修行の目的は識の参究する点にある」

識の空であることを知る

「一応、説明として「空」といっているだけ」

禅というのは特殊なものではない

「わかっているというだけではいけません」

葛藤に身心を(から)められて身動きできない

自己不明縁起の法

「心(はっきり自分がものを認めて、自分はものに対して木、石ではないと感じる働き)」

「意(ものを計る、分別する働き)」

「識(決め込む・ないものをあると思い込む働き)」

念(考え)

「想(念を相続していってしまう・続けて想うこと)」

「思うのを止めよう一念だけにとどまるように努めよう一切の働きのままに坐りなさい」

「考えないでおこうそのままにしておこう一切おもいません

「実相は無相なり(至るまで)方便」

同じ事実を様々な言葉で表現

「空・法(理論付け・因縁果を法則として立てた)」

変化していく活動(業・カルマ)

三悪道(餓鬼・畜生・修羅)

仏(ものの本質)

真実の自己に目覚める

真実の自己の表明

自分の一切の考えがなくなった

明確に自覚すること

「一切のものがなくなった空になった空であったと自覚すでに脱落していた一体であった」

「これから空になって、無になって、一つになって、修行するということではありません」

自覚する者がある

問題自体が空

信決定

認識は事実の後に生じる

禅に執着

「目的を持たない」ことが目的となっている

「働きそのものがあるということを知る」

「真実の自己」と表現している

修行の眼目は識の参究する

識の空である(因縁生)

見性じゃ作用にあり

因縁に任せていく生活

因縁に安住する

「縁に左右されない自分が本来の自分自身である」

「苦の元になるようなものは、なにもなかったことに気づかれた」

「参禅の三要素参師聞法坐禅工夫戒法の護持」

「考える癖・坐禅の力・(離れる)(自我意識)」

理に契うも亦悟にあらず(参同契)

自分の介在があるかないかの一点

柔軟心(円通)

識によって生じた自我自我に執着

真実の自己に目覚める

自我が介在して本来の自己と一つになれない

本来の自己に目覚めている

釈尊の教えは無我の教え

信決定

法の上人の上

自分を仮に鏡にみたてなさい

「自分を運んで自分を立ててものを証するを「迷い」といい、ものが来たって自分を証することを「悟り」という」

自我意識を滅却する

「坐禅」(方法・手段ではない。結果でありながら結果を求めている

そのままにしておきなさい

「自分の考えで手をつけない心の本来の働きのままにまかせておく

「自己を運ばない、自己を忘れるということです」

心の作用(本来の動きを止める動かさないのは大変な間違い木石ではない心の作用のまま

観(決定すること・決めること)

一切不要なこと

自我の迷執

「自我というものは本来ないもの、あると思う(無明)」

実相(ものの本質)

無相(姿・形もないもの空

昏散(昏沈(こんちん)・散乱)

待悟禅

坐に執してしまいがちだからです

相手(法空)・自分(人空)もなくなる

ないものを認めてわざわざ苦しんでいる

「生と死を認める自分が完全になくなった状態、これを「生死一如」といっています」

大死一番

「自我が生死ということを問題にしているだけです」

・・・・・

THE・禅 原田 雪渓

 

THE・禅 原田 雪渓 老師語 録

 

参同契普説 原田 雪渓 老師

参同契普説 原田 雪渓

 

石頭希遷

(大仙の心・仏心)

(人・回互・暗)平等

(法・不回互・明)差別

禅理(平等)

禅機(差別)

宇宙の真相

自分自身も法則そのものであった

居士(こじ)・大姉(だいし)

喧々囂々(けんけんごうごう)

法則に従って動いている

「法は実際見ることができない(実相は無相である)」

自分自身の法に気づくこと

自他の見自他自我の見

契(かなう)融合

「雨あられ雪や水と隔つれど

落つれば同じ谷川の水」

体(かたち)・相(すがた)・用(はたらき)

私自身もともと実体のないもの

ないものを認めてあると思うことが間違い

(きょう)(さく)で連策

空(平等)事象(差別)

理(平等)事象(差別)

要は自己を忘じること

 

 

経行経行鐘(きんひんしょう)

粥座(しょくざ)齋座(さいざ)薬石(やくせき)

行住坐臥(身口意)

空平等理

事象差別事

分別心を生じさせる

私自身が作っている

疑煩悩

三物「血脈(けちみゃく)嗣書(ししょ)大事」

回互(えご)・平等不回互・(さべつ)

事実というのは善悪を離れた状態

「見性だとか悟りだというようなことは、すこし努力すれば出来ます」

自我迷執

普賢経(一切の業障海はみな妄想より生ず)

業(はたらき・行為)

「「ない」ものを「ある」と思っている(妄想)」

坐に執するきらいから公案禅が生まれる

自我が滅した状態(無自性空)

取捨の二義を見ず

二つに見るから苦しむのだ

相対的思考

実相は無相である(空をつかめる)

本来そなえている機能(仏知見)

仏道は、自らが自らを救う道である

思考以前の状態生活

平等面(みんな一つのもの)

差別面(みんな独立している)

契(融和している)

自分を無にしていく

(差別・平等)別のものではないことの実証

差別のままが真の平等である

純粋にはたらいている状態(三昧)

因果無人

「葛藤にまかして、雑念にまかせ、いっさい手をつけずに」

自分というものがなくて

期が熟す

自分のなくなった人

相対的なものからきれいにはなれること

本当に自分というものが忘じきれてない

その業がまた苦の種となる

病気のない病気無病の病から脱する

処理仕方

「仏道というものは、取るもの、捨てるものは、なにもありません」

「自分の考えを一切もちいない、とりいれない」

「因果の力によってさまざまな差別の相を生じているというだけの話」

「言葉を追っていても決して自己を忘じることができせん」

禍福

平等一面におちやすくなる

回互・不回互(明平等・暗差別

「縁におうじてさまざまな姿にあらわれてくる」

二見相対の考え

 

いまの自分の事実を悟りといっています

自分で気がつくだけの話です

「意識の範疇に自我をたてて・・・(意識以前の事)」

「どうしても教えや説明を真実であるかのごとく思いこむ」

真実のものをさぐろうとしますから・・・

自分の考えをはたらかせる

疑煩悩

お経の講釈や道理の説明は不要です

人間が認識している世界全体のこと

見性しただけではだめだ

「まだ得たという残りものがあった。それを離した(白隠)」

考えのなかで・・・終始しています

既知の知

「六根のはたらきのままにあるということに気がつくはずです」

見性(自分の性「無自性」を見るという事

単に六根のはたらきがある

独参して法戦

 

「禅の要訣は、自己を忘ずることのみです。自分という存在があると思っているまちがいを、明確に「なるほど、まちがいだったのか」と、自分自身で納得をすることです。」

 

自我の迷執(自我があるという思いに迷わされている)

あるあると執着して・・・

すべてのものとまったくひとつになる

天地と我と同根、万物と我と一体

はたらきというものは無始無終(本来仏)

仏性にめざめる

坐禅を道の道具にして結果を得よう・・・

求心をやめる

触目

参同契普説 原田 雪渓

 

参同契普説 原田 雪渓 老師

 

宝境三昧普普説 原田 雪渓 老師

宝境三昧普普説 原田 雪渓

 

洞山悟本禅師

洞山良价和尚

仏性には私達の一挙手一投足である

{「妄想・分別・我他彼此・雑念・妄念」皆んな仏性なのだ}

本覚思想

本来本法性天然自性身

見性というものは作用にあります

独参(参禅入室)

ものの本体差別(しゃべつ)に上においても平等の上においても同じものである」

差別も平等もない世界を今と呼んでおります

迷執

「ものと自分がひとつのものであった」と言う自覚がある

自我の迷執

今よりほかに何にもない

如(変わらない)

もともと一つのものである

自分さえ忘れさえすれば仏様

求むれば必ず落とし穴に入る

顧佇(こちょ)(ふりかえる・たたずむ)

自ら因縁のままに任せていればよろしい

落とし穴から()い出る

「自己を忘じなければ本当の相をつかむことは出来ないのだ」

自覚することが「涅槃寂静」

今の自分の様(三法印)

「捨てず、(つか)まずになっておりさえすればよろしい」

空(活動・変化する)

空を説く(仏教)

因縁生(ものの移り変わり)

無我の働き(三昧)

我執があるから苦しむ

(きず)(つみ)(とが)

有財餓鬼

業障の海はみな妄想より生ず(普賢経)

「ない」ものを認めて「ある」と思っている

理屈を覚えるだけ

正法眼蔵(自分の本性)

無病の病

「無い」ものがある

法なんてもともとないものです

 

「顚倒(常住我淨・四つの顚倒)

無常を常と思・楽を求める・自分だと執着する(見聞覚知する者を認めて)・淨だと思う」

 

徹底的に思慮分別を出し尽くしてしまう(公案禅の特色)

 

自分の介在が「あるかないか」だけが問題なんです)

 

(「どう見ても雪ほど黒いものはない」自分のないところからいえばみんな同じことなんです・能の金春(きんぱる)(ぜん)(ちく)師直)

 

顚倒妄想して迷っていると思っているだけなんです

 

いい事も悪いこともなくなる

 

一切自分の思慮分別を用いずに、六根ままに生活する。それを仏と云う

 

円覚経

「始めて知る、衆生本来仏なることを」

 

卑下慢

貪瞋痴

本倶仏性(本来の自己)

平等心是道(びょうどうしんでどう)

元がない(空)

癖と我は同じもの

坐忘

因縁性、無自性のまま(自分が無い)

自我を忘れて認識する以前の状態に戻ることです

生ずる以前の状態

(まず)いな(*つたない・せつ)

「もともと自分なんていうものはないのに、なぜ、自分を忘れる必要があるのか」

本人歌い、石女舞う(自由自在)

身心脱落(平等一面)

脱落身心(差別にまま)

立職・立身・首座和尚・得度の師匠(受業師)・法幢師(ほうどうし)・本師

 

わかる・知る・理解

点検する態度(聞く)((アメ)人)

実相は無相である

すべては縁起である

迷いようがないものを迷っていた

自我の迷執・自我の思惑

縁起・無自性・(実相は無相)

一炷

 

「この身を支配する何物かがあるように妄想を起こして一つのものを二つに見る。これを無明という」

 

六根の働きのまま仏である

なりきらない限りは自分がある

自分というものがなくなればよろしい

 

持って居る宝を自覚

参(差別)・同(平等)・参同契(諸法実相)

手巾(しゅきん)

「自分というものを忘れている時節があります」

「縁に触れて{ハタッ}とこの大事に気がつく」

「煩悩と同時に悟りも菩提もなくならないといけない」

第六意識というて心とはいわぬ

「私どもの考えている心と仏法でいう心とはまるっきり違って居る」

「わざわざ我をこしらえて、狭いところで生活している」

もともと無いものに気がつく

「無我になって様々の生活が出来ている人を仏様という」

「結局ひとつのものがいろいろなものに変わっている」

「意根を座断して知解の路に向わざらしむるなり」

意根(意識の根)

「自分の思惑、見惑(煩悩)に囚われていただけなんだ」

「自分の考えの中に自分というものをつくりあげている」

「自分を忘れるということが目的です」

「もともとまよいというものはなかったんだということに気がついた」

「自分が持っているものに気がつくかつかないか」

見惑・思惑

言葉に迷わされないように

習禅

知解の路

迷悟を放下(第二の様子)

迷惑・妄想・顚倒・増減・誤謬

自己に参ずる

「お示しを参考にしていく云うことではありません」

仏性の別名

「血脈・嗣書・大事(三物)」

未生以前の本来の面目

如如(ありのまま)

「身心脱落(ものになりきって自分を忘れる・ものになりきってということです)」

 

 

身心脱落の様子を宝境三昧というています

 

身心脱落(相手になりきって相手も自分もなくなった状態ですから平等です)

脱落身心(自分を忘れてものになりきる・差別)

目的をもってはいけないという目的をもつ」

私が私をつくりだしてからの妄想ですから

習禅・習学

今が自分の様子(絶学)

話頭(わとう)

「意識(考案)を起こしやすいように作られています、意識によって意識を忘れていく(道具)」

点検の道具

「法と自分とを隔てている、自我というものを忘じきらなければいけないといわれている」

成住壊空

理屈が取れて来て

「本当に縁のままに只になってやれる」

天然自性心

求心をやめて随息に務めてごらん

無になれば身心脱落

 

(かく)(さく)(耳元で鈴を鳴らした)

伍位(時・処・位)

斯く斯く(かくかく)然々(しかじか)

我見を用いる

身心脱落(平等)(忘)

脱落身心(差別)(活かす・活)

妙(言葉に出していうことができないようす)

自分の計らい

「参師聞法・坐禅工夫・戒法の護持」

三物(血脈・嗣書・大事)

見を止むべし

 

私という我見を立てるから

 

意(心)の働きを考える道具だと思ってごらんなさい

(自分の心)に囚われていたに過ぎないことに気がついた

拘ることがなくなって本来の自由さが現れてくる

因縁生の法(縁起説)

相手が立てば執着心が起る

心地を開明する

大安心(因果に任せ、結果に任せて、一切心を用いない)

結果を自分自身の考えで取り扱わない

(ひらめ)いて

梵網経

弾指(65回刹那・900回生滅が繰り返されている)

自我の見という認識を起こす

蚕吐く糸十筋集(一糸)・一糸を十集(?)

念として生じたものはすべて影です

境涯が自分のものになる

「無というもの」「只」「空」というものが残る

知徳

「すべて自分ことを角度を変えて意識を起こしやすい状態にして、その起こした意識によって自分を忘れるというのが公案の趣旨です」

「要はいかにしたら、もともと無我であるものを、自分自身で実証することができるかということです」

自分を忘れることが目的です

自分の正体

心が静まって集中している状態にすぎない

必ず自己を忘じきることがある

人の側に迷悟というものがある

「ものの無いという様子を説明された(因縁果を立てて)」

「わかったことと体験をしたということは、まったく無関係です」

「只、このままというようなことは、全部病気ですよ」

言葉を(ろう)する

「自分の見方・考え方をやめて見なさい(煩とか証というものはない)」

「ただ凡情を尽くしなさい。別に聖解はありません」

「今の事」の変化、心、無相、仏、如来

いつも(から)になって生活する

必ず気がつく

公案(曹洞宗(和頭))

今の様子がわかりたいだけ

無一物の状態

今というのは「何にもない」ということです

元々なかった

法(諸々の差別の事象・形ある、ないに限らず)

有るかの如く妄想している(元がない)

実はすべて虚妄なものである

本来無自己

「一師一友のところにある」

「病は自心不及のところにある」

脱落(自分のなくなった様子)

自我の迷執

「思議、分別、妄認を出し尽くすために手段、方法が必要だ」

気にかかるものがなくなる

自己の忘ずる手だて

()()彼此(びし)

無理会

無病の病

宝境三昧普普説 原田 雪渓

 

宝境三昧普普説 原田 雪渓 老師

 

井上 哲玄 老師 (ネット動画より)

井上 哲玄 老師 ネット動画より

 

眺めている人が居なくなるまで

 

2015116

雨の音の悟り

人を見て法を説く

生き様工夫(人我の見を離れる)

考え方の問題では無い

働き

意(心の働き)

純粋に働いているだけ

自分が種にしているだけ

物には種は無い

生まれた侭機能しているだけ

実体も何処にも無い

気づかれる前の状態が重要

自分の存在・周囲の存在(皆目解らない)

縁に触れて活動している

死に切っている

自分の様子を知ってほしい

無心・無我

五感は執着したくとも出来ない

固定観念が無いから

「俺に対してとか私に対してとか言わない。

其の通りに聞こえてくる」

何にもしない事が修行

気づく事・間違いない

 

認識作用が死に切って再び認識作用が生まれて、「自分の存在・もの・が無かった」と気づく

 

体験だけ・体験者だけ

学問・思想・概念として形成

身心と分けられるものでは無い

同時生滅

自分の存在も何も無かった

体験者から体験者に伝わっているだけ

身心は一体のもの・分けられない

無明とは認識のことです

物とズレる(考えると)

必然な働き

法=法則と名付けている(有り様)

自分自身を自分で救う道

一声

裏表はない

善悪はない

物に咎・過ちが無い(相手に届かない)

実践して見ないと解らない

自分の事を自分でやっている

2015116

・・・・・・・・・・・・・・

201687

説明であって、事実がある

万人共通の者

雪は黒い

六感が自分のお師匠さん

とことん自分と付き合う

確証が有るか無いか

縁に触れて活動しているだけ

気付きと理解は違う

様子が有るだけ

脱落しているのを気付く人は居ない

認識作用活動していない

熟睡している時に知ってる人がいたら?(起きた時に気付く)

再び意識が動いて覚醒した

想像で物を書く

思いが継ぐ

受身の有り様が問題を起こす

後追いの見方

事実見方じゃ無い

自分を観察する事じゃ無い

自分を納得させている

自我を立てて

思いを取り上げている

考え方処理の仕方

201687

 

2016916

理解上は何処まで行っても理解

自分の事は解らない

2016916

 

201687京都禅カフェ二回目

二回目

目が反れている

「活動に仏性あり、その物が仏性では無い

「認識作用が無くなって、落ち込んでしまっている。再び認識作用が動き、認識作用で知った」

名称は一切付いていない

取り上げて問題にする

考え方である

取り上げ無い

問題にしない

取り上げる人がいない

活動の話

説明であって

確証が有るか無いか

理解と気付きは違う

様子が有るだけ

脱落しているのを知っている人はいない

認識外の働きを知った

知っている人が居る間は駄目

次の体験者(嗣法)によって照明された

生き様

観察者(後追い)

観察すると云う事は無い

201687京都禅カフェ二回目

 

2014514公開 メイプハウス

学ぼうとしている(学びようが無い)

知識の勉強90%邪魔

知識を通して聞く

あれは形

伝わり(にく)

考え方の世界

活動しているだけ(手を加えない)

「思慮・分別が消えてしまった」

「意識が動いていない。再び認識が動いて境が明確になった」

「認識でしった事では無く、認識以前の状態

が悟った」

考え方の世界

叩かれる(叩いて貰う)

考え方の中に深け込んでしまう

起きたら立ち消え(思い)

思いが切れませんと思ってしまう

相手迷惑

(いく)ら考えても味はしない

考え方が騒がせる

それがどうしたの

問題意識は何でも()

「思量・思考が消える時、自己・自我が消えている(自分の存在が無くなった時)」

同時、生・同時、消滅

区切りを認識出来ない

想定

本気じゃ無い

考え方だけ投げ出しなさい(落ちる)

自分が可愛い、投げ出し(にく)

悟りの習熟度

公案の(ひも)解き方

雪山(雪の山・山に雪)

思いは切らなきゃ駄目ですよ(実は切れている・切ろうとすると方向が違う)

決める人はいない(決める人がいるのが問題)

無い物を有ると思い込んで無くそうとする

幻(一人相撲)

無い物を有ると思って闘っている

有る様に見えて

2014514公開 メイプハウス

 

2016711最新カフェ寺メイプルハウす

人間の本質の自覚

自ら体験が無いから

考え方

仮説したって、しかたが無い(確証ないものは)

当て()め様とする側に問題がある

生き様

説明は()らない

理屈を付けて見たり

基準

有様

スッキリさせ様とする

自分の思いを満たそうとする

考え通りに()らん

人の思い通りに()らぬ

考え方なのか

余分な物がくっ付いて居ないから

2016711最新カフェ寺メイプルハウす

 

20161218一泊禅会

自我の存在は絶対に無い(井上義衍老師)

人間的な考えが邪魔をする

思いが邪魔する

考えで(さぐ)ったら絶対不可能

20161218一泊禅会

 

2016916浜松禅会

空認に住する事勿れ

(さぐ)る事をやめて

静かになったと動いている

やめるとやまるの違い

主体・私・自我観

始から備わっている(手付かずで良い様に成っている・有様)

体験者の話を信じる

理解は何処まで行っても理解

考え方を使っている証拠(放っときなさい)

期待せんでもそうなる(悟り)

二見に動かなければ良い

取り上げんでも良いのに取り上げる

何にも無いと云う素晴らしさ

仏性を越えた物は無い

釈尊を越える者は有りえ無い

2016916浜松禅会

 

2016924浜松禅会

道理として理解した止まり

力を入れず、心も費やさず

思えると云う活動

一切価値観が付いていない

過去の話(今は無い)

今出して見なさい(出さなければ自分が作り出しているだけ)

今に問題がなければそれで終わり

私って持ち合わせていない

自我観が無い

六根の機能の中には価値観は無い

真の有様を知ると云う前提

方向違い

六根の機能がはっきりしたと云う事

別の物だと思う

認識作用に間違いでする認識する(自我観)

無いものを有ると思っている

公案と云う物はひっかかる様に出来ている

腹を立て様として腹を立てている訳じゃ無い

理の理解では決着つかない

2016924浜松禅会

 

20161028中野サンプラザ

体の活動以外ありません

有様だけ

仏道は自己なり(井上義衍)

受け身

自我意識は全く有りません

説明の部分

思えると云う働き(意)

立ち消えて行っています

妄想・雑念と云うものでは無い

別物になってしまう

理解で終わってしまうだけ

耳に自我は無い

どうしたらいいか解らない

暗中模索

真只中では気がつかない

考えを手ばなして

比較対象的

生まれながら仏だと気がつくかどうか

すぐに頭の回転するな

本当に自分の中、見直す

自分を眺めている

熟睡している時は気がつかない(目覚めた時に気が付く)

意識を動いた時に(証・覚・解脱・悟・色々な表現)

知るだけ余分

弟子によって師匠が証明される

聞きながら自分の考えを入れる

黙って聞いてあげる

思いは実体を伴っていない

その侭にして置く

立ち消えるのでは無く、消えてる。

同時活動

何か付けたく成る

「見た侭」も説明

説明要らない事実

計らずも

計らいしている

観察する人がいると

自我が無いのに自我が有ると思う(実体が無い気づき)

実体

その時限り

完結している

学ば無い時

其の時の活動のみで跡形無くなっている

なっている

出来て無いと思う事と取り組んでいる

より純粋に成る

認識する前の有様がどう成っているかを学ぶ

機能・(認識する前の有様がどう成ってますか)

知る者が介在していない(死に切る)

認識が再び動いた

気づく(認識した事を大事にするのでは無く)

認識の前に気づく事が大事

20161028中野サンプラザ

 

 

20141225公開

第二念に渡るな(道元)

一念も立ち消えていく

死に切るまでせられないと得られない

執着、とらわれている

事は起きて終わっている

本当に死に切っている人の様子

対象が生まれてくる

対象が起きない所が大事な所

働きに学ぶよく観察する

「思量なのか・思量の前なのか・観察する」

思量にわたる事が無い様に成っている

世間・常識は別問題と考え余処に置く

無条件に住える人と成れる

考え方に置き変えてしまう

自己を立てるから

戒(おかす事が出来ない)

自然体

まわりの人の見方

「自覚した法優劣は無い。その後の生活によって違いは出る」

円熟し切るとは遠くなる

受け取る力が無い

こっちから縁を動かす力がある

知っただけ自由自在に使っていく力

べき・はずが無くなる(無条件)

自分の考えに合わないから不条理(自分の方に条件がある・もともと無条件である)

無条件を壊すのが人の見解

実体は無い(実体らしく見える)

死は自覚出来ない

知らぬが仏

実質そう有る

20141225公開

 

20151130 メイプルハウス

今の活動のみ

言葉を通して理解しようとしてしまう(理解じゃない

日常生活の実践

仮説はあくまで仮説

自己を用いてる活動は無い

善・悪が入れば自己が入る(選り好み)

反応は悪いのでは無い

決めない働き

触れたその時

その後は理解する

理解ではダメ

探そうとする

理解すればするほど厄介になる

理解の用は無い

聞こえた後に理由付けしてる

理由付け、理解の範囲

「理解している事を持ち出し、探ると余計分からなくなる」

触れてる事だけで満たされていない様な気がする(満足しない・理解しようとする)

大事にして生活してもらう

頭で探る

追求する

「言葉を越えたものを、言葉で伝え様とする」

自我観

永遠不滅の真理

考え方の世界

自覚する力を持っている

考え方では触れない所

知る人が居ないという状態

大事にする必要は無い(生まれた時からあ

る)

考え方の基準をおけば

円熟

活動した後の説明

表現は似ているが中味(実質)が全然違う

当たり前過ぎるほど当たり前

眺めている人も居なくなる

思っていると、在るとの違い

視野から消えたら在りえ無い

考え方を一杯持ち込んで

価値観さえ無ければ

実物には考え方は付いていない

考え方が取れない

問題に仕様が無い

日々時々刻々

悟った人と同じ生活している

できている事に気が付かないだけ出来ている

考え方で(うなず)けない

示しているのは其の一点のみ

言葉は色々ある

言葉に振り廻される

探らんですむ

観察(事実は観察するものでは無い)

基準(線の引き方)

善悪は無い

境地に達し

20151130 メイプルハウス

 

2014111 修行方法法話①

死に切る(認識作用が消滅・認識作用が再び

動く・五十才大悟)

迷いは生まれ付き無い(脱落身心)

その辺で許してしまう

得たものを(つか)む癖

聞いた後に己見が出る

真相を得ることが出来ない

蘊(つみ)

自己はどこにもない

不可能なことに挑戦している

私の思い立つ時、自我が出る

縁起を説く、出現化(因果の法則)

縁によって活動する(自我などない)

言葉の通りに聞こえていると(聞く力)

自我が立つとはじまる

観察は後追い

決着済の所で生きている

悟りたくなくとも悟るようになっておる

悟・未悟同

何もしない事が修行(大変難しい)

対象としてとらえてる

学・思想・論

生き様は皆様と同じ

謎々が解けたと云う感じ

縁に触れて活動しているだけ(見性)

決着がつく

認識が死に切る、再び認識が動く

以前の様子

人と物

自分・物・の存在一切無い

自己を忘じている

深浅の違いはありません(釈尊と同じ)

内容はなく同じもの

概念化する

人の思いは消えない(掴む)

物が二つない

考え方

ものに動かされている

考えが自分が苦しむ方向に行っている

思いが付いたら始まる

「妄想・観念」は無い

考えをくっ付か無い

現実に空っぽでしょう

思い込みしているだけ

火は熱いと知る事は悟りでは無い

認識が死に切っている時

取り除くものは無い

触れると間髪入れず

思いが立ち切れている(意)

立ち切れて行く

取り扱っている

「どうしたら」が難しくしている

反応したまま

まさに実感出切ることでやる

態々(わざわざ)難しいものからやる

意識は明瞭間

考え方の話

物が二つ無かったら迷わ無い

思いを満たす方

寂しい思いがします

起こって来た思いは否定しない

体験の無い人が伝えられ無い

一人も救われていない人はいない

救われている中で生活している

数少ない

何もしない様にする(作り事)

自分の方から何もしない

「何もしない」様にしようとする

考えが付く前

2014111 修行方法法話①

 

2015210 東京中野坐禅会②前半

自分の考えで手を付けない

何もしない

縁起の法則を説く為に世に出現する

表現

人様の表現

全く何も解らない(思量が死に切っている・再び認識作用が動く)

人が機能を作っていたと、勘違いしていた

思い込み世界で追求

勘違いしていた世界

「目標を立てて向かうのは間違いだと知って欲しい」

無師独悟(井上義衍)

考え方で構築

縁に触れての活動(心と名付けた)

仏性の働き

考え方では無い

出来事の後追い

表現が違う(言葉に付いて廻る)

決着が付いた人

探る様な思い

縁に触れて

それがどうした

やっぱりお化けが出るか

殺す(同化する事)

取り上げなきゃいい

取り組まなくていいと知る

考え方を越えての有様

出家・在家関係無い

救われる・救われている

決着済みである

救われている

何もしない

まず理解して解らないと

公案(編み出されたもの)

方向が違う

足を踏み込まん事

「釈尊と説かれたものと異質なものとなっている」

学問となっている

自他の境

考え方を使うな

探さなくてよくなる

(しば)るのは考え方だけ

一足飛び(道元)

自我の無い生活

自我の確立

利害関係で自我を持ち出す

2015210 東京中野坐禅会②前半

 

20170125 H28秋 彼岸法要法話

思える

考えを用いない

考えを使わずに

私の都合が立つと

見方・考え方じゃ無い

事実を示している

後形も無く綺麗さっぱり

何にも残さない

「二回目」

 

操作する

其の儘にしておく

考え方を用い無い

考える以前の事実に気が付いた

20170125 H28秋 彼岸法要法話

 

その時の有様に生きている

その時だけの活動

刹那に生きる

体験したという自分がいる(一時の思い込み)

受取り方

思考の世界

考え方で取り扱っている

虚論

 

・・・・・

2017・8・31 於川越

「教えを学ぼうとしている」

「有り様がどうなっているのか」

「自分自身が胸落ちがして納得が行く」

「思量を持ちいないで・・・」

「認識が死に切ったところに落ち込んだ・認識が動いた」

「自己が出て来ない」

「出来てない所に目が向いている」

「法(法則)」

「言葉では伝え難い事」

「ないもの相手に探そうとする」

「公然の秘密」

2017・8・31 於川越

・・・・・

 

 

・・・・・

「一切手を付けない」

「機能のままにして一切手を付けない」

「欲望を満たす為に考え方を・・・」

・・・・・

2019・5・26 乾坤院 提唱

「想は無心である(聞こえてしまう)(思えてしまう)(自分が考えて思うのではない)(無心の様子)」

「無心とはこうゆう状態ですよ、作るものではない、考え方で取り上げると混乱する」

 

「理解をしようとする」

「理解を超えたもの」

「悟りを開く(体験)」

「理解の範囲に終わってしまう」

「中味を観察しようとする」

「本質・事実にズレのない・・・」

「(世の中に雪ほど黒いものは無い)と聞こえたでしょう、問題を起さない、疑義を挟まない」

2019・5・26乾坤院 提唱

 

2019・5・26乾坤院 質疑応答

「その時、その時の縁でコロコロ展開する

元々無心のもの。物心付くまで」

「個人の所有物として見ている」

「子供は別人格(所有物として思っている)」

「一念心(思い)」「自我観を目覚める」

「お釈迦様と寸分変わらない」

「南無釈迦牟尼仏あんたの事です」

「今、あなたは救われていますよ」

「思いで悩まされる」

「決めた事は責任を持ち受け入れなければならない」

2019・5・26乾坤院 質疑応答

 

::::::

「耳自体は問題を起さない『何』というのはここ(頭)が起す」

「後からやる(善悪・利害)」

「見ぱなっし・聞きぱなっし・思いっぱなし・やりぱなっし、一切善悪(よいわるい)を言わ無いのが要件」

「どのようにも変化するのが空」

「体験(信じる必要が無い)(違いは信じる必要があるか、ないかの違いだけ)」

::::::

2014・11・1 修行方法法話

「理解ではない」

「側面から内容を観察している」」

「人の言葉に触れて・・・」

「これの活動」

「私が考えてんじゃない(無心)」

「私が見るんじゃない、私が聞くんじゃなくて、ちゃんと聞こえる(無心)・働き(無心の様子)」

「無心になろうとするのは間違い」

「無心とは作りものではない」

「これが所有物だと思っているが・・・」

「ちょっと思える(一念心)」

「一念の様子があるだけ」

「無心であり無我である」

「自我観(自他観)」

「正法眼蔵は自分のこと」

「自らがお釈迦様であることを気づいてほしい。覚証があるかないかの違い」

「悟り(気づくか気づかないかの違い)」

「今、あなた救われています」

「思いで悩まされる」

何もしないようにしている(何もしない)」

「自分の方から何もしない」

「何もしないことをやろうとする

いくら話を聞いてもダメ

「考えが自分を苦しめている」

「触れると活動する道具」

「思いも道具」

「あるという思い込みがある(元々空っぽ)」

「口を挟まない」

「言葉に置き換える(認識)」

「見えているだけ・聞こえているだけ」

「断ち切れていく」

「反応したまま」

「手を付けないで」

「気になるから」

「このもの活動のみ(仏法・仏道)」

「出て来るのは雑念ではない」

認識作用が死に切る(動いた時)」

「脱落が身心ではないのか」

「生まれた時から迷いというのはどっこもなかった(脱落の身心に気が付いた)」

「迷いが無くなりました。生まれた時から迷いは無かったのではないか」

「得たものを摑む」

「聞いた時から己見が起きる」

「己見は聞いた後に起こる」

「どんどん断ち切れていって・・・」

「不可能なことに挑戦している」

「自分の都合が立つ(自我観)」

「縁にあって活動するもの」

「悟った人と、悟らない人と、寸分の違いなく、生活している」

「受ける側の活動による」

「学・思想・論」

「今即にそうだ(悟り)これから境地になるんじゃない

「皆さんとなんら変わらない(ナゾナゾがとけた感じ)」

「誰でも気づきようになっている。真っ只中で生活している」

「内容は同じもの」

「体験を摑んでしまう」

「考え方の中の話」

「考え方の中で追求して答えを出す方向」

「起こってくる思いは否定しない」

「誰でも救われた中で生活している」

2014・11・1 修行方法法話

 

 

 

井上 哲玄 老師 (ネット動画より)

 

法話・提唱(ネットより) 川上 雪担老師

MS明朝

 

法話・提唱(ネットより) 川上 雪担老師

 

井上 貫道 老師(前)リンク先

井上 義衍 老師(後)リンク先

 

 

法話・提唱(ネットより) 井上 貫道老師

ネット掲載より 井上 貫道老師

 

坐禅入門①~⑨より

人は考えていない時に悩んだことはない

「考えること止めている時は・・・クリアーでしょう」

「自分自身の様子・・・探さないということはですね、すごく難しいんですね探すほうが楽なんですね

「何もしない、どうするんだろうって考えるからですよ、それを止めるのですね、そういう思考止める」

それらは考え事ではありません

「はっきりしている事、こっちを大切に扱うんです」

「本当に自分自身を見きわめる事に尽きるんです」

「悩み苦しみっていうのは、必ず今起こすだけなんですよ」

何をやっているんだろう?]っていうのは思いです」

聞こえた事に対する思いです

「思っている事であって聞こえてる事はそういう事ではない」

「事実に学んだんです、考え方でなくて・・・」

考えると難しくなるんですよ

音がしているだけで済んでませんか?

見極めるって時は思考を使わない

考え方で見ている

「自分がどうあったらいいかって事が問われているだけで・・・」

無条件でいてみる

頭のほうで何か探るのでなくて

ちらっと[なるほど、そうだな]

「・・・ただそのまんま受け入れられるようなところまでいけば大丈夫です」

坐禅入門①~⑨より

 

「修行するっていうことは、思慮分別を扱う世界じゃないのですね」

本当は[鏡の中の様子だけ]なんです

仮に名付けて心となす

[それ・これ]

「眼耳鼻舌身からの感覚がなければ意は起きてきません」

「(参じる)すっかりこちらのものがなくなり事実だけになった様子です」

すでに解脱しているんです

実証方法を伝えて来た

「考えにひたっていると、[考え方]の世界に行っちゃいますね」

考え方に変えてしまっているんです

後から考え方に変えてるだけです

考えをやめるんじゃないんですよ

何も思わないようにするのではない

考え方の世界に行っちゃいますね

「自分が関わって考え方に変えてしまっているんです」

「きれいさっぱり他のものがなくなっているんです」

単に力んでいるだけです

「今の自分そのものに参じていくことが修業」

「[みんな何か目標を立てて、努力をして今の自分とは別なものになろう]としてしまっています」

「[今の自分そのままが真実で何の問題もないんだ]ということがなかなか伝わらないですね」

理想を求める境地を頭で探しています(真実から外れています)

「[そうなれるか][できるか][そうなっている]ことを確かめてください」

「[どうしようか][こうしようか]というのが休まっている時が正法現前です」

「今この様子そのものであることが精進です」

「頭で理解しようとしている様子が見受けられますね」

機能としての[思い]は問題ありません

 

 

「そのままほうっておくんです(心意識の働き・修行)」

「問題になるのは思い出した時だけなんですよねえ」

只管(管・ひたすらと訳されます・宋代意味として[必ず][確かに]です)

「諸仏の過ごされた境涯というものを身体で楽しむことが出来るのです(二度と迷いの世界に戻れなくなるという事です)」

一生の参学の大事おわりぬ(道元)

「自覚がない限りは誰も自分にそれがあると思っていないのです」

「出たものを出たままに何も手を付けずにいれば、全然心を煩わさないよね」

「主なくて見聞覚知する人を、いき仏とは是をいふなり(至道無難禅師)」

「理想を求める境地を頭で探しています(真理から外れています・迷いの根源なんです)」

倫理・道徳の世界ですね

「自分自身の今の様子に目に向けて、それをきちっと見極める」

思慮分別を扱う世界じゃないのですね

意根を断ち切れるのです

坐禅は[真実]に用があるのです

実際にはありません

妄想を相手に見るようになる

真実に目を向けるのです

意(思い)

 

追求せずに過ごしてみる

是非をつけない

「よしあしでものを見ない、比べない。これが[意根を断つ]ということでしょう」

思考回路から離れる

「思考回路を使わないと、真実というものがよく見えます」

「真実(自分の思慮、分別、考えかた)をやめてみたときの自分のすがたです」

「事実に即していれば、考えが[やまる]んです」

修行とは何もしないこと

「思いが出ないようにするのではありません」

相手にしない、手をつけない

すぐに余分な思いが起きてきます

「人の見解が本当にぶち切れてしまう・・・(井上義衍老師)」

「[ものの存在も、人の存在も、すべてなくなってしまう]という事実があるんです」

自己に参ずるのみ

自己自身に徹見せよ

自分の見解を起こさずに・・・

 

井上貫道老師提唱録本文より抜粋

2015/6/11 考えても事実・・・

2015/6/12 事実はあなた・・・る

2015/6/13修行とは何もしないこと

2015/6/14 坐禅の極意

2015/6/15 仏道修行

2015/6/16 何も思わない・・・

2015/6/17 すべては自己なり

2015/6/19 坐禅は年月・・・

2015/6/26 悟り(見性)

2015/7/2  今の人には・・・

2015/7/14内も外もない

2015/7/24 仏道は理想を・・・

2015/8/11 修行とは・・・

2015/8/16 春秋提唱

2015/8/18 春秋提唱(2)

2015/8/19 夏季大摂心

2015/9/1  意根を断つ

2015/9/13 意根を断つ続き

2016年東山摂心会

 

ネット掲載より 井上 貫道老師

法話・提唱(ネットより) 井上 貫道老師

 

円通寺 法話・提唱(ネットより) 井上 貫道老師

MS明朝

 

円通寺 法話・提唱(ネットより) 井上 貫道老師

 

長井 自然 老師(ネット動画より)

悟りへの道他

考える主体

考える実体を認めている

問題は起きない・取り扱わない

悟ると言う事が無くなると悟る

問題無い所に居る

どうこうしたがる

万法にもう証せられている

主体・実体がない=解脱と言う

脱落身心=始から脱落している

執着がなけりゃ問題ない

実体が有る様に錯覚する

ほっとけば良い、無くなって行く

思いの処理法

其れらしき物を追っかける

此方から運んでは行かない

知ろうとしないでもちゃんとある

どうこうしようとするから混乱する

始から問題なかった

事実じゃない錯覚している

問題起きなきゃ修行なぞいらない

此方から何かし様とするのを解決

ほって置くことが坐禅

消滅する

思いと誤っている

言葉を認めている

悟りへの道他

「思いをほっとけるようになる」

「二つにならないと考えにならない(一つだと考えにならない)」

「行きづまる」

「いまそれで充分だ」

「取り扱わなければ問題は起きない」

「取り扱うことをほっときなさい」

「悟るということが無くなると、悟る」

「悟りの真っ只中にいるのに悟る必要などない」

「何も間違いのない所に居る」

「どうこうしたがる」

「何も問題ない」

「主体自体これぽっちりもないことを、はっきりする事が解脱」

「始めから解脱した身心」

「意の作用」

「一つだと考えることが生じない」

「考える産物」

「なんで迷わなければならんか」

「始めから問題がなかったんだ」

「解決しようとする(ほっとく)」

30・8・26 ネット動画 長井 自然老師

「思考、考えをほっときゃいいんです。捨ててかかる、これが廃ってしまうと、私というものが消滅するんです。これですよ。これが坐禅です。私が消滅したら、外も消滅する。自他のないあり様で、今生活出来ているのですけど、頷けない。これ思考、考えで取り扱うからです。」

「思考、考えとしてものを取り扱ってる間は実物を見ることは出来ない。如是の法としてのご自身の本来のあり様を自覚することは出来ない。ですから真相を知りたいということがあったら、自覚したいということがあったら初めから思考、考えを捨ててかかりなさい」

「それ自身がそれ自身を自覚出来ない」

30・8・26 ネット動画 長井 自然老師

 

30・8・26

「触れると生ずるという有様だけがあるんです」

「後の言種」

「苦しいと実体はない思いがあるだけ」

30・8・26

 

悟りへの道他ネット動画 長井 自然老師

 

 

長井 自然 老師(ネット動画より)

 

井上 貫道 老師

井上 貫道老師

何もしない(井上 貫動)

五感に任せて(井上 貫動)

尋ねない・

距離がない・

 

井上 貫道老師

隔てがない・

(自己・空・無我)・

修行とは何もしないこと・

 

井上 貫道老師

真実を人は思考で汚しています・

(心の様子=空=無自性)・

(全部捨てる・只管打坐)・

 

井上 貫道老師

相手にしない・

手をつけない・

意根の意は思いです

修行とは何もしないこと・

 

井上 貫道老師

 

自分で聞いたという認識がない

思考回路のうえで物事を追求する

鏡の中の様子だけ、鏡は存在しない

それをどう捉えるかは、悟る前と後ではまったく違う・

人は考えていない時に悩んだ事はない・

自分の中に考えが浮かばない時は悩まない・

五感からの感覚がなければ意は起きてきません・

(目がみえるもの、耳がきこえるもの、自分自身の様子)・

(六根の働きのままに、浮かんできた思いにとらわれず、手をつけずにそのままにしておく)・

考えを「やめる」んじゃないですよ・

思いが起ってもそれを相手にしない・

手をつけない・思考を観察することではありません・

思いがでないようにするのではありません・

井上 貫道老師

井上 貫道老師

 

事実に即していれば、考えが「やまる」んです・

思考を観察することではありません・

思いが出ないようにするのではありません

(真実=自分の思慮・分別・考えかたをやめてみた時の自分のすがたです)

(人間はそこに考えを入れてしまう・

今ある事実にだけ目を向ける、そこに人間の思いを挟まない。事実とずれてくる。そこに苦しみが生まれる。)

(真実=自分の思慮・分別・考え方をやめてみた時の自分の姿です。)・

思いというものが人をたぶらかして真実からかけ離れさせてしまう。)・

事実に即していれば考えが「やまる」んです。)・

六根の働きのまま思いを手つけず、そのままにしておく。)・

思考を観察することではありません・

思いが出ないようにするのではありません・

言句は死物です

読んで法理を理解するのではなく、行じて初めて真意到達す

井上 貫道老師

井上 貫道 老師

 

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

 

只管呼吸

天然自性の佛性

禅は室内が命

説法や著書は上っ面のこと

只管の境地

見性成仏=成った仏の性を見る=成った仏の性に気付く

大死一番して落ち込んだ者でないと解らない

頭悟りでは解らぬ

チラ悟りでも手も足も出ない

念の起こるところを見よ(法燈国師)

諸仏は念の起こるとこを知り玉う

この心の源を知るを見解とも、生死を出離するとも、解脱とも世尊とも如来とも成仏とも言うなり(法燈)

念の起こるところを見る、さすれば自然とその奥の般若波羅蜜と一体になるのだ

 

悟りとは真如を知ること

般若波羅蜜を知ること

体もない何もなし

念の出てくる以前の源が摩訶般若波羅蜜だ

摩訶般若波羅蜜の異名だ

それからモゾモゾとビデオの遅送りのように念が出てくる。念の正体がわかる。そのうち少しずつ体が出てくる

念の出てくる所(源)を見ようというのもそこだ。念の正体がわかれば、物心がついてから今まで、念に化かされていたことが分かる

念に化かされることが無くなった

体験した者のみが分かることだ

自ら体験しなければ解らない

悟れば誰もが本来仏であったことが分かる

みんな悟りを自由自在に使っていたことが分かる

只管呼吸

 

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

朴魯禅談集 堀部朴魯峻雄

 

井上 希道 坐禅はこうするのだ より

井上 希道 坐禅はこうするのだ より

言葉が頭の中を駆け回らない・

観念が休息している・

修行の点検・

理論の外の事・

拡散の余地を与えない・

道理の世界に落ちる・

意識の空想物・

只、淡々と我を忘れて居ればいい・

ムの意味を求めてはいけない・

自然に自己は消失していく・

分別で分別を追い込む・

実体のない世界・

本来の自己に目覚める・

知性による理念的発展・

何の意味も効もない・

如何に禅理に通じていても・

工夫に苦労する・

一点が定まれば・

 

井上 希道

井上 希道 坐禅はこうするのだ より

本来自然の機能で脱落している・こちらはそれの仕掛け人・

常に点検して居る・

心境を高める・

透き通った無心・

只無心に居ると・

心の様子の丸見え・

限りなく自然であった・

 

心の静けさが無くなって行く・

即今底を試されっぱなし・

日常底・

今その事に「只」在るか・

執念に遊んで居ないか点検・

形を整えて無目的に坐っておる・体だけの坐禅の形

思考判断の繰り返し・

顚倒夢想の連続・

観念現象、虚構の世界の形成・

 

井上 希道

井上 希道 坐禅はこうするのだ より

現象を現実だと誤認・

理屈でやっている間・

空の活動体に目覚める・

虚像の世界・体が透明になる・

自意識が取れて行く・

言葉が単なる符丁・

言葉の答えは説明であり理屈・

聞くと感情も立つ・

何もない心が一切を生み出す・

虚像化する知的癖・

本来執着の余地がない・

(知性・概念・現象作用「虚像物」)・知的作用・

感情刺激・

そのまましておけばよい・

一切挿{はさ}む余地の無い・

分別の虜{とりこ}・

 

井上 希道

井上 希道 坐禅はこうするのだ より

念を入れず只只やるよう努力・

念を用いず離さない・

我見の起る元に立ち返る事・

心に何も無かったら何事も起らぬ

只只淡々と来る・

一瞬の心の様子の体得・

(無我の自覚・無我への突入)・

(無自性空・真空妙有・脱落)・

(雑念=単発の念が飛び交う)・無念の念だけを守る・

感情も念もなく・

我見が無ければ心は透明

心念紛飛・

一心を一点に置く・

(相手対立、余分なものがない)・無我の働き

事実自体から離れている

 

井上 希道

見聞覚知をいちいち心に持ち込まない・

公案とは疑問を起こさせ我見を出させて我を雪隠詰めにしていくように出来ている・

考えられないほど静まり返っている・

事故を運んで理屈が加えっている

本当の境界となる修行が始まる・

正念を相続して他事に落ちないように努力する事しかない・

理屈が取れれば物と親しく一体となり隔てがなくなる・

一呼吸は何もする事ではなかったのです・

言葉に用がなくなり引っ掛からなくなって自由にやれるだけです・何も無いこの念で生活していけばいいのです・

我を忘れ切って初めて本当の空が体得できる・

音として心静かに聞いていられる・

やる気があっても何にも出来ない・

身にも心にも為す事なしの本当の無目的である・

「何が」からどんな妄想を起こすか・

只管打坐・只管行動がすべてである・

概念としての拘束性が無くなってくる・

自我の正体をはっきりさせることだ・

(自分の中心は心、心はというと何もない)・

 

井上 希道

(感覚の世界知性の世界、別々、境をつける)・

(分別癖が自我という、我見となるこれを取ればいいんだ)

(知の納得、感情がどうにもならない)・

言葉で追求していたのでは究明出来ない・

今の一呼吸に身も心も任せその他の事を一切捨てる・

捨てるという無駄な事をする必要なし

その時その場の縁のみになって淡々とやっておればよい・

(見聞覚知のまま前後がなく、やれるようになる)・

主観としての時間と空間が存在する限り認識する物が存在する・

(心念紛飛が治まれば何をしていても、姿勢がどうであっても拘らない)・

修行の要領が手に入ったに過ぎない・

(空=実体として固定した物ではない)・

(どうして=分別を引き起こす、絶好の引っ掛け言葉)

(妄想=念を次々と発展させて空想虚想をする)

自分というものが無ければ当然そうなんですね・

(自然法爾=無心=本質は素直の極を言い表したもので我見の無い事)・

心念紛飛が治まれば姿勢がどうであっても拘らないのだ

疑問とは念想観である空想の世界

 

井上 希道

井上 希道 坐禅はこうするのだ より

 

井上 希道 ・坐禅はこうするのだ より

続・坐禅はこうするのだ 井上 希道

 

必ず本来の自己に出会い

瞬間の事実には観念的な言葉や理屈や想像的なものは存在していない

瞬間の世界

知るという精神行為も捨てる

何もないので、何もする必要がない

能動的に働きかける心的行為が自我

客観性の有るもの観念・感情の世界内的作用

雑念も放置しておれば次の瞬間きれいに消滅しているという事実

観念作用も一瞬の働き

問題意識を待たない

心の世界を解決つける

感情はほとんど機能停止

感情が静まる

精神が構造化する以前の世界

何もない世界が現れ、次第に長くなる

体が急に透明感・軽くなる

念を出すべく努力しなければ出なくなる

知覚作用する超越

身も心も落ちてしまってなくなる

この世界は瞬間世界

拘りの想像世界に過ぎない

端的と余物の無い純粋をいう

仏法なそという特別なものはない

縁に従って自由に「ただ」是の如くあるだけ

大願心

正師求

執念を強制的に切断し自己を取り戻す

無我へと突入する(空の体得)

心もまた即今の縁に即して作用しているだけ

どこにも何物もない

自我の残りもの

「ただ」すること

心から払いのけて

知的展開

 

 

「大智老尼

宗教とは只管工夫

学人の死活問題

手紙禅

義光

坐禅の要訣」

心を持ち出さない

自我を持ち出さない

自己を忘ずる

脱落

普通答えとは言葉で説明するものと思っている

言葉を出して答えようとした瞬間に間違ってしまう道理が分かった

分かろとする迷いがすーと消えていた

前後際断した決断の一呼吸

体が無くなる

自分の戻るところが呼吸

本来の大自然に目覚める

心なんて取り出せるものじゃない

我を忘れきって行くことだ

悟=心の本当の様子を体得することだ

大自然の心

理屈の無い今だけ

本来自己がない

法我見

知性的、観念的な想念世界以前の純粋な事実だけの世界

心に問題が生じるということは、瞬間の事実の世界と認知し、思惑する。知性の世界との境がはっきりしていないからだ

事実はすべて瞬間、今の存在しかない

瞬間の事実には観念的な言葉・理屈・想像的なものは存在しない

この瞬間の純粋な世界が確定すれば、心はそれに則して作用するだけ

心も瞬間の作用でしかない

仮想存在

感覚作用

観念の作為が介入

瞬間に出る諸々の思惑

心が浄化され拘りが無くなる

本当の安らぎ

もともと何もありません

認識・判断・知性的なものに一切囚われず考えず、馬鹿に成りきってやりなさい

素直な馬鹿になりなさい

すぐ思い(心の癖)を巡らせること

着眼=修行の心得

実体が何もない

今だけの作用=心

心に決着

この一瞬に自由自在に作用し消滅して、一切拘るものがない

本来何も無い心の本質を自覚した時一切がなくなる

知識・概念・観念現象の支配から脱却

事実の世界と観念現象の世界との明確な境をつけること(今の事実に徹する)

禅修業=徹することが目的であり結果であり方法でもある

徹することの一事実にだけに成り切ることである

成りきる=同一化・単純化して全自己を忘れることである

自己を忘れる=一瞬の本当の世界によって目覚めさせられるである

目覚めさせられるとは、そのものによって解脱するということだ

呼吸ばかりになって我を忘れきればよい

知的行為をやめる

心境の変化

落ち着き

一呼吸に拘りきり

努力の継続

素直に信じてそのまま実行するか

「理論的に回答を出さなければ」と思っていた

言葉による概念で定義しようとしていた

言葉以前の厳然たる事実に目覚めなければならぬ

頭の中の想像世界

事実の世界と抽象的な虚像の世界との区別が付かなければ嘘だ

理屈の世界

言葉での味は伝えられない

澄み切った純粋な私

純粋な存在

感情作用が静まっている

軽さと透明感

空気になったみたいな感じ

観念の世界から離れ事実だけの呼吸の世界

雑念は出るが、心騒ぐものがない

自動的に切れていく

付いて行かなくなっていた

拘りの自分が砕けていく様子

自己が立っている

耳がない、自己が無い(端的の様子)

実体体得

見るもの聞くものに囚われない

「無・ただ」の世界を体得

言葉を離れ、概念を離れること

概念化した言葉

徹底事実に心を置き、観念で捉える癖を壊していく

言うこと、思うことなどすっかりなくなってしまっていた

自他の隔てを取る

大事な本質がよく見える。あれこれに気を回さない

心に持ち回らないで捨てるということ

心境は深まり

心的要因

・・・・・・・・・・・・・・・

雑念がない状態を即今又は今と言う

即今=思考活動が発動していない状態

一切の思慮・分別・想念・即今が生まれない

心的状態

思慮・分別・想念などの思考活動は感覚を受容し念(思い)が心に浮かんだ後発動する

継続的思考活動

現実の刺激を言葉を用いて抽象化したり概念化する

制約を脱した自在活動自体=解脱

無自覚的な思念の連鎖癖

連鎖性を破壊する努力

心的状態

只管とは「即今」雑念や余念のない状態にある人間の行為を指していう言葉

正念とは心に意がない状態(無念の念)

異なった角度から説明したものに過ぎない

偏り疲労・捻(ひね)る

散漫

無用な精神作用(分別)

隔絶作用「こだわり」の元「こだわり」による自縛を実感し

方法論

文字を追い回し思考を駆使しても意味がない

理論的説明を求めに来たのではない

心理体験科学

呼吸というのは作用その瞬間の働きそのものの様子

呼吸という実体はどこにも無い

設問

言葉や観念現象

思考作用以前

自然の働き

理論というのは作用の説明に過ぎん

事実の消息を「只管」

取り上げる主体もなく認めるものもない

知性や観念の世界

一切が無くなる

無我=こだわる主体さえない世界を抽象的に言い表した言葉

精神作業

思考・考察

思考作用

自分が実験者、被実験者

そのものが、そのものを教えてくれる

我を忘れきれ

 

続・坐禅はこうするのだ 井上 希道

続・坐禅はこうするのだ 井上 希道

 

即今底(心的状態)

雑念が入る隙間のない徹底した呼吸をすればいいのです

余念の入る余地のないことが要訣です

呼吸作用は一切の意識とは無縁であるように思える

心が分散

自己認識

知性・理性

 

自己判断の絶対視

命懸けで坐断した後の話

偏り緊張・偏り疲労

拡散、思念が始まる

雑念に遊ぶ

無意味な連続的思考作用

離脱現象

自分がなくなっていく

我慢ごっこ

観念を添える性癖がある

悩みや煩悩が浮上しなくなる

無くなれば救われて楽になる

自己が解け落ち、解け落ちた分だけ軽くなり素直になり真実になる

理屈を持ち出して云々する世界ではない

言葉で説明する世界

心が占められる状態(三昧)

言葉が現実の世界を生み出すことになる

言葉の媒介なしに認識する世界

している自分が無くなっていく

誰の手という区別はしないのだ

何物を見ても一切に囚われていない

禅は心の実践・実証科学である

見た瞬間に意識が勝手に作動し、心を拘束する。そこから自我が起こるのだ

常にしているそのものを離してはならぬ

思考の世界

観念の世界

捨て尽くして何も無くなれば失う物は何も無い

禅は認識以前の絶対世界(即今)に目覚め、その普遍の世界に常住する

坐禅は迷いの元である「隔たり」を取る修行である

知的解釈、知的満足・(危険な陥穽)

禅の理論化はことごとく災いとなる

理論化は迷いの上塗り

空の働き・空の作用・解脱

考える瞬間があっただろう。瞬間に頭脳へ迷いこんだのだ

隙間があるようではいかんのだ

深く深く治まって静寂に達していた

読み損ねる

目的意識

言葉が走り出る

何事も起こらんのだ

観念現象

即発的に作用する

観念操作

是非善悪を考えることなかれ

十二時を「ただ」法に従って動作すべし

即今底を守ること

細心の注意を払い続ける

器量

視感覚に過ぎない

言葉とまったく無縁の世界(事実の世界)

揉まれる

組織に役立つ才能

結果を是非しても無駄である

心を乱さず淡々と仕事をし、そのものをはさすな

人間修行として生かせ

作用自体にはないのだ

この消息を体得する為の修行

執着すべき何物おない世界

何でも「ただ」することが道

認知以前の自然な様子

心の計らいを捨てる

「ただ」縁のままに素直にしておればよい

実在感・充足感に満たされている

静かな自分を全身で味わう

縁のまま「ただ」しておるのが禅修業じゃ

心がければ

執念が去って即今底にあるべく努力するこれを道という

境涯

一瞬後にはそれはない

心が浄化

念(心に生じる想念)

知解・分別を加えない修行

即今底に常にあらんとする努力

如何なる認識にも固執しない世界

心として現成する

念の切れた状態(前後際断)

前後際断の状態を把握でき、それを維持出きると、念を手をつけずにしておくことも可能となる

囚われ翻弄されるレベル

「今」に気付く

一切の念を退け何もない一瞬にいることが出来る

念をそのまま一切を手をつけず無視出来る

手をつけず転がしておく

真理の説明

適正な指導

初期指導目標

「念」をほっておく

受容レベル

何もしないということだ(雑念をそのままにしておける)

「工夫なき工夫」が真の工夫(坐禅の正修行)

精神構造と構築過程

即今底=子供が言葉を発生するまで

念が切れている=小学校一・二年生頃まで

行為の一つ一つが、長く心に跡を引くことがない

泣いたと思ったらもう笑っている(前後際断の世界)

禅とは子供の心の状態に戻ることである

前後際断は煩悩解消の原理

子供こそ修行者の手本

念を意識する自分が問題

分別をする自己が災いの種、即捨てればよい

脱落の法縁

引きずる余念

無用な雑念

自然にすべて落ちていく

「ゼロの今」

念と念との切断状態(前後際断)

半眼で心を虚に置いている

知識や説明で分かる世界では断じてない

その時の実力

努力による自得こそが禅の要

精神作用が冷静

思考そのものが多面的・深く・純粋になっていく

感性の適性度

精神が極めて安定

観念現象は際限のない永久運動・修行の災い

見識

まだ分別が入っている

頭脳を通すだけ迷いの世界になる

無我=思考活動と行為との狭間がまったく無くなった心身一体化のこと

狭間=何も無い「ただ」の想念等に過ぎず

まったく仮想的存在である

念のない状態

一切の心的余物無い世界が自然で最も楽で安定している

着味禅(目的を掲げる)

人格の統治

外界への囚われ

泰然自若

外境・人の言葉

「人の言葉を松風のように聞け」

「ただ」聞ける

自己を意識することはない

無我の活動状態

無我の時、無我であることを知るはずがない

刺激を受容した瞬間には何の想念も生起していない「絶対の今」

心が揺さぶられ想念が生まれる

自己の想念に苦しむ

即今を守る手段(念仏の本質)(雑念の余地が少なくなる)(無字の公案)「ムー」と唱える。本質は同じ

心胆を練る

禅は心を空にして一切を捨てる修行である

悟りとは身心一如の実証

行為と知覚との一致の確証を得ること

禅は生活全般における実践そのものである

文字に固執

即今底は雑念・余念・邪念なき純一な心である

黙思

「即今底」の持続

注意の継続的の喚起

喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う「中庸」「即今底」のことではなかと

「工夫なき工夫」とは工夫の念さえも捨てきった究極の修行法

現実の現象に心を置く

雑念・雑慮・我見・妄執・拘り・心の癖

自ら造り出した想像物・想像物に固執する

二念へと連続する余地を裁つところに達する

感情の拡大現象が消滅していく

道念

工夫の構え

任せる力

正念相続

決着のついてない者が禅を語ることは謗法の罪

 

続・坐禅はこうするのだ 井上 希道

井上 希道 続・坐禅はこうするのだ より語 録

 

井上 希道 参禅紀・上 より

(坐禅記 上  井上 希道)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

無念の念(一念)

言葉や理論の無い世界

道理の無用な本当の世界世俗性を見ていない

只管工夫とは先ず心の拡散を防ぎ、一念を一点に置く事

即念を守る努力

着眼・修行の方法・修行工夫

意識以前の無限絶対の体得

自我を破り大自然の真理に目覚める

心そのものを知る

手とは何か

着目し努力すればよいか

想像の世界、虚像の代物に過ぎぬ

坐るだけで成り切る

純粋そのものに目覚める

本来の様子

無我の体得

無欲の安楽さ

大自在を得

束縛とは自我である

見聞覚知意

概念・観念

余念の無い一心を守り切る

一心・一念を離さず

単純に只在るようになる

元来束縛の無い世界

自ずから安楽になる

怠慢心

既成概念

自分勝手な解釈

その元はたった一つ

今に在る努力が修行

現実の今を明白にする

前後際断で活動し続けているのが我々の心である

記憶や思い込みが引っ付いていて、本来のものとは全く別ものなのに、その区別が付かない為にもつれている

只単々と自分を空にして今日ばかり

本来心はもつれても迷ってもいない。明明白白自由自在に活動して一切に拘わる余地も無く、今のみの上に作用しているのだ

記憶作用によって執着心が生じ、瞬時が混濁し煩悩と化してくる

前後際断している今に体得する

畢竟その人を仏と言う

心静かに

念が転んで延長して行く

出ていてもそれらに拘らず

心のない一心

戦う必要が無くなった為、苦しみが大幅に減少した

頭でわかる世界ではない

頭が空白に成ってしまった

自分が自分でなくなり、まるで空中に浮かび無重力が無抵抗に成ってしまった

心の力が抜けて瞬間我が身がとても軽くなり思わず立って歩いた。半ば無意識の様であった

行く着く所はこれしか無い

自分で作った虚像(理屈)

迷いの世界から総てを見ている

事実の前には理屈は何の役にも立たん

事実に我見があるか、どうじゃ、ここが今の入にじゃ

自分の思いを入れず

我を忘れて行く修行

煩悩の根を切り尽す

本当に忘れ切って無我に体達した時、煩悩の無い悟りの世界

時間が違うにも拘らず、ごちゃごちゃになっていてどちらもはっきりしないのだ

何の分別もいらなかった

素直であること、事実であること、観念で捕らえない事

今ばかりの連続でしか無い

観念や煩悩に取り付かれる余分なものは無い

自分などという限りある固より物はどこにも無い

思い込んでいる見方=我見

心中何もした形跡が無い、ただ空の働き

純粋になると有りの侭が輝いて見える。本来これなんだ

意識の存在以前

何もない今に一点で作用している限り総て一つ事だと言う事だ

自分の純度が少し良くなった

皆目修行の方法分からなかっのがはっきりしたと言う程度だ

四十年五十年やっても来れないんだ

心のジャングル地帯

向こう岸の本来の自己

手作り虚像や思い込みを自分だと思っているに過ぎない

明快・適切な禅の指導が出来る人

この程度の心境は何の力にもならない

心の波が静まったぐらい

濁れが沈んだだけだ

余念が急に入りにくく成って来た

今に戻ることがとても簡単になり、でた余念にすぐ気が付く

本来の自然な心に戻っている

動いているという者が無い

無邪気な赤ん坊のしぐさ

念の無用なる世界

一体同一化

一段と軽くなり

余分な気持ちが消え去った

自分が明らかになり楽になる

知性や感情の外に出る事

在るが侭にちゃんと見ておれば良い

心の拡散を防ぎ雑念の誘惑から脱出

今の一点に集中し切らねばならぬ

自然に出来、自然の目で、自然が見られるよう成らねば本来は見えぬ

何も無いと言うしか無い

別世界である

これがこれだからです。これしか無いからです。

その物に成ればみな分かる

「へだて」=「我見の起こる所」

人為化

人為的な感情・知性による判断・認識などの働き以前

そのまま・そのまま・理屈のない世界が仏法なのだよ

その入口が見える所まで来ているから「今」を熟させねばならぬ

理屈の束縛の無い仏の世界

道理の要らないという道理が分かった自分である

理屈の先き送って

見解・見方

無色透明

相手そのものに自分が成った(自他一如)

自他共に存在しつつ自他が無い

有難いと思う余地さえない

所作までが自然に美しく立派にあってしまう

話し方・立ち振るまい

「そう成る」

さっぱりとした心の作用

相手にしたり、二念三念を働かせたりの作為が無かれば心は常に平安に違いない

安楽さに腰を掛けてそれを味合わっとるではないか

成り切り成り切り我を忘れ切らねばいかん

今に徹していく

「一瞬に本当に在る」

修行はただ今に成り切ること

放任して置くことが出来るようになる

深い落ち着き

既成概念も無ければ自我もない風俗性も何も無い

只管の正念を間断なく相続

雑念の元が生きて居る

我れを忘れて来る(無我の世界)

外の刺激に因って大きく目覚める

境に気付く

迷いが溶けた瞬間

瞬間ばかり前後に拘わらなくなる

悟後の修行が大切

無我の現成=本来の人=悟りそのもの=大悟

十中八九は煩悩の手作り物であり迷いの計らい事

坐禅を概念化

幾ら聞いても分からないし、又語れるものでもない

未解決の一点が残っている

何の気持ちもなく

念と関わりのない事実

言葉の外、概念の外の事実

感覚作用のみに徹する時

「ただの今の一点」を見失わなければ

見失わぬ努力

「ただ在ることは総て禅である」

瞬時に消え去って行く

道を妨げ迷わす縁は勇気と決断を以って避けねばいけない

道のみを見て人を見ない

要は捨てる力それがそのまま今を守る力に成るのだ

持ち込まれば捨てる用はいらぬじゃ。初から乱れはせぬぞ

何もない今の一点

何物にも固着しない

今を正念(只管)が継続すれば

念が出たら一瞬の内に捨てる

新鮮な今

「何もない今に一点」

静まった心だけでも外界諸条件を的確に把握出来ている

手作りの虚像(不安・心配・恐れ)

「何もない今の力」

無念の念

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その優位を誇り悦に入っている

三昧=雑物の無い純粋その物の世界であり、無我である。仏の境界であり、悟りである。

 

仏の教えは真実に目覚める事によって煩悩の元を解決するものである

我見=無明=我見の陶治

坐禅の目的は仏教の教えに従い仏が授けようとされた真理の世界を体得することである

 

縁、ただ、縁に成り切る

何も考えず今、一呼吸だけになれば良い

何も浮かんで来ない

得意高慢の絶頂

老尼が学人にあまり手荒なことをしたらいかんぞ

余念の余地の無いように

見聞覚知に一々とらわれているのが自我(妄想)

執着はその物と離れ観念で認める所から起こる

この確かな状態を体得するのが禅の目的である

事実以外は総て妄想として切り捨て一刻も早く今に帰るのだ

 

修行とは念が転んで取り留めもなく、空想していく癖「煩悩・自我」を破り本来に目覚める法である

 

余念の入る余地を与えず寝たまま今の一呼吸をただやれ

夜練る時寝坐禅をしてそのまま自然に寝ると朝まで坐禅のままでいられる

今ただ在ることが禅であるその努力が修行である

一呼吸とは一日二十四時間ということであったか

心が何処かへ行く気配が無い。心が無闇に連続して行かない

ただ気にしなくて

何と無しに夢の中にいるように無抵抗なのだ

何のイメージをも浮かばない一時

空白の今

 

今」のなすべき事に意識を集中せよ

念を働かせずに念を集中せよ

 

立派な考えや結論を導き出す事では無く

成り切って自己が無いことの自覚である

雑念を無視

心が無いのだ

手元が明らかになっていますね

今を本当に体得するだけですね

理解・考えて分別して見たところで、説明に過ぎない

禅は無自性を体得して迷いを根本から解決

自分の空かる事を先ず自覚

 

人間的計らい事を一切辞めなければ大自然の様子が「因縁無自性空」分からぬ

 

無視して取り合わぬ事だ

自我で色々分別好き嫌いを付けて見た所で

自我を殺すには自然のままに任せてゆくんだただ行為するのだ

一瞬の体得じゃ

理屈の無い世界が仏道よ

 

呼吸と時間で表すなら一秒の1/10から1/100に刻んで念を入れて呼吸した

 

これでは修行するといっても何もすることが無いではないか

理屈の中で生き我見で皆に接し

心が透き通ってきたら目や耳がそのまま心になっている

一点の余念を入れることなく

 

(坐禅記 上  井上 希道)

(坐禅記 上  井上 希道)

 

感情悟り

全く放置する事が出来た

相手にされない訳

自分の中に激しく閃光が走った

「ただの心」

何も思うことが無くなっている

「無の動き」

 

理屈や余分な感情さえ無かったら(それだけ本来そう成っている)事実の世界なのだ

 

「我を忘れ、成りきり切った」

 

完全事実の世界に目覚め、感情や念の連続性、粘着性が解けて煩悩に成らなくなるという論理は全くうなずく以外にない

 

その世界が急速に分かり始めてきた

深い深い落ち着きに浸っていた

人の死ぬることを、心配する前にお前達の心眼を早く開け

こだわりの無い在るが侭の世界

今その事に何も思いが入る余地なし

前後際断の念は無念でありこれが念の本来なのだ

 

自己がある限り我見であって総て煩悩であり苦しみの種まきでしかないのだ

 

意識以前に戻す事

継続さす力が弱い

「何も無い念」を練った

工夫をしている積もりに成っているだけ

呼吸三昧

俗念が消失して道念堅固

理屈に遊んでいないかどうか?

余念の入る余地が無い

無の世界・空っぽの世界

只管打坐とは無味乾燥にして無限の静けさ

それが無ければ問題は起こらない

相手にならない道、今の事実に徹する

日々着眼を失っていく

既成概念で行動を決め付けていたのだ

我見が少しずつ取れて消え、日常が段々と楽に成って行く

癖も我見も雑念も発動してしまっている

空っぽで縁のみにただ有れば良い

ただの心という事これを空という

空っぽの心

雑念・煩悩がわかない

縁に対応

心の透明度

今自我なく空気の如くただ縁に応じて、ただあることが禅であり仏道なのだ

 

法我見を振りまっていた

人の話はただ聞くように心掛け

寝る時は何も考えず寝るように

我見で時を過ごした

工夫三昧

我見は取り外さなければいけない

道念が強くなると俗念が弱まり我が弱くなって道が現れる

道とは自我が本質的に無い事

只管(本当の有りの侭・その物・その場にただせしめられて行くだけ)

自我の無い様子

心身一如、自他不二

縁より悟入する=三昧の消息

考えたり、思ったりは無駄事、迷い

頭や気持ちで求めたり探した色々していた事が根本的に間違っていた事に気付き

 

今の事実に着眼が落ち着く

ただ一呼吸すれば良い

心を究める事=心眼を開く

余念の余地なく、工夫の余地なく、今に徹しその物と同化し、この心身を滅し忘れて行くのが修行

 

仏性=無自性

我見のぶっつけ合い

架空なものを求めるのでは無く

空想的な世界となってしまう

定まりがないが故に自性がない

固定性の無い事、縁次第で何にでも成って行く自由性を「空」といいも物の実体とすべきものがないので因縁無自性空ともいう。これを体得するのが坐禅の目的である。解脱である。

 

「念の解決」

理論や意気込みで押し切る

人の心を無視して傷付けていた

知る事が禅では決してない

釣られて振り回される

ただ聞いて心静かに淡々として居ればよい

泥多ければ仏大なり

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その努力が何時でも何処でも坐禅している事なのです

禅は本来の自己に目覚める事です

「成り切る・徹する」事にある

今に目覚め何も入りようの無い自然の世界

あるがままの今・瞬時の今・真理の世界・自己を越える

コレはコレしかない、コレと言う言葉も関係ない

理屈のない世界、符丁や名前と本質と混乱し得ないから迷わない

念を付け足すと同時に迷いが始まりその物自体が見えなくなり、混乱が始まるのです

 

心はコロコロ変わるから心と言う

時折強く顔を出し

自己開眼

自分がしていると思い込んでいる

本来理屈の何ものも無い、六根ことごとく清浄なのだ

その物意外何物も無いのが本質なのだ

歩くとは素直に只歩く事だ。何処に理屈が有る

ただ理屈がそのものを見えなくしているからだ

「言葉・観念・概念」に振り回され私自身の既成概念に完全に囚われて居る

 

「あるがままの今」を体得すること

今一瞬一瞬の今に成り切る

成り切るとは大自然に帰り、理屈漬けになっている自己を超越することだ

 

自己は自然に脱落する

純粋な今に帰る努力

何もない今の一点に帰納している事が分かってくる

理屈も何も無い一心で今々その物のその物の事実に成り切って行けば良い(只管を練る)

 

見聞覚知を意識で捕えないでそのまま意識や感情の起こる以前

存在以前の世界が「只管」である

本来の大自覚が悟り

禅は形ではない精神そのものだ

心眼を開くことだ

妄想の地獄の中で苦しんでいるだけ

巨大な心の嵐

満身呼吸そのものに成った時、自我が脱落して、その物の無自性なる事を自覚する

 

この明快な大自覚を悟りと言い、見性と言い、脱落と言い三昧の消息と言う

 

自己を忘ずる事。計らいのない大自然の道

自己なきを法と言う

法に成り切ると禅と言う

妄像を切ってしまう事

勝手に悩み・悶え・苦しみ・涙し・怨み事を言っているのは誰だ

妄想以前

本来の今・瞬間の今

感情や思いが起こる元の世界

坐禅は心を明らかに

大自然の様子

我々の身体もただの寄せ集め、一瞬の因縁の出来事である

本来は今、このままで仏なのだ

我の塊さえなければ

今その物には自我など何もない

我を忘れるのじゃ

少々心得ているのだから

本当の今はこの様に余念のない「今だけ」

総て自分が作り出して居る過去の既成概念でしかない

心の癖を解く事

一切を放棄して身にも心にも行為しなければ目的や方法などを持つ必要はない

 

自然の侭に有る

精神作用が刺激し合う

身も心も何もすることの要らない状態「今、本来の自然」

自然の心にならない

雑念はほって置く事しかない

我見=癖=濁れ

今、生まれ立ての純粋無垢の心で有ることを体得する

今に徹して我を忘れ切れば良い

その物に成り切れば自我は自ずから脱落しておる

完全に澄みきった水の様

邪念のない心

隔てのない上から見れば

釈尊は宇宙は人々の心から造り出しているのだと申していられます(大智 只管工夫)

 

「何れより来る!」

「これ何んぞ!これ何んぞ!」

自分の呼吸を自然にまかせて調えます「呼吸の単になる」

事実の一息

只静かに坐る

自分自身の作り出している心の作用でしかなかった

「心はコロコロ変わるから心という」

今には後先など無いのです

形容詞が引っ付くのだ

形容詞の念を用いてはならぬ

自我を殺すとは超越することだ

認識作用・判断作用・知的作用・喜怒哀楽・感情作用

一度は殺し切って木石の如く、我を忘れ切らねば「本来の様子を自覚することは出来ぬ」

 

何処までも無心にただ思うだけです

思おうとすることを止めると、何もかも奇麗に消えて跡形もないのです

心の静けさこそ

ずっと深まりいい心境を得る事が出来ようものを

つまり単々と為すべき事をただやって行くということは至難の事だよ

観念の癖の強いこと

素直に単純にあるがままにただある日常禅の着眼工夫それが修業です

心乱れる事なく何処までも静かに只在る部分

本当の有るが侭の今

静寂な心の安らぎ

自我が本当に切れていないからだ

なのに他に向って今を深く求めるとは!

事実以外に無い「今」

「心に持ち込む事をしない工夫」

只聞く・只見る・只有るが侭を知る・只努力心あるのみ・只勇気あるのみ

自分を捨てて素直になる

手元がはっきりしつつある

自我の無い心

澄んだ心の目

只の理屈屋

ただ自然の様子

自我・我見を捨てた

素直な心で今ある

 

成せばなる

成さねば成らぬ成るものを

成らぬはなさぬ我が心なり

(大智 老尼)

 

意識・イメージを切ってしまえ

一切ほっとけばいい

有るが侭を、只素直に聞きっぱなしておればよい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

多くを聞いたとしても本当に坐禅しない限り意味が無い

説法は一言で良い

「本当に今に成り切り切ったらそれで御仕舞いだ」

余分な手続きとして先ず分からせる、すると信じる道が開けるのだ。信を起こせしめる為にすぎない

 

(坐禅記 上  井上 希道)

 

井上 希道 参禅紀・上 より

 

井上 希道 参禅記・下 より

(坐禅記 下 井上 希道)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

自他の意識・相対観・構えの自己・自己中心

 

心的活動も本来その時その場だけの働きなのです

 

心の質を決め疑うことを知らない、恨むことを知らない

 

「(記憶作用の発達~比較(分別心)・環境認知、判断・(計らいの無いその物自体と一如であった世界)と隔たり煩悩化し始める」

 

一念一念が単独で発生し、消滅、前後際断、その場限り・

 

本来すべて脱落し総て解脱している

 

一念の千変万化でしかない

 

念を連続させ、その虜になってしまう

 

自分の心に振り回されている

 

心の源が無い

 

平静を失い

 

哀れと言うもなかなか愚かなり

 

恨む理由も原因も何も無い

 

実際は我がまま、我見の為、素直さを失い、心の濁り、疲れ果て、朽ち果て、ボロボロに成る

 

理屈のない事実ばかりが真実なのだ

 

真理の具現

 

理屈のない事実だけが無我の実証

 

空虚感

 

頭の中は空っぽですか

 

抵抗心が無くなっている

 

我を忘れ切った世界が無我なのだ

 

本来観念など理屈のないすっきりした世界なのだ

 

後はそれを塾させるだけ

 

一息だけを一心不乱にするんですよ

 

その真意を知らんと欲せば自ら坐して味あうべし

 

自分を知る力さえ持ち会わせぬ人間ならば流れに身を任せ無気力に生きていけばそれでよい

 

真理の表現なればなり

 

我見も又空

 

無我=三昧=夢相=道=脱落

大自覚=悟り

 

たった一息に成り切って我を忘れ切れば良い

 

何を言ってもいちいち理屈を言うから何も言わずに一息だけをさそう

 

自我を破る

 

いじけた性格

 

本心

 

雑念の無い心の自分

 

雑念が無かったら心と言うべきものが無い

 

心と思っていた心は雑念のように出た跡かたの事。元の心はそんな姿や形のあるものではなかった

 

先ず感情の安定

 

精神疲労

 

雑念は遊んでいるだけ

 

先ず感情の安定

 

精神疲労

 

雑念に遊んでいるだけ

 

雑念の出る余地の無い一息

 

一瞬の念の発生源を見届けよ

その為には今を離すな

 

坐禅とは心を解決する為にする

 

心の静けさを保たせる指導が下る

 

私が良しと言うまで何もするな

 

皆幾ら出しても買えない心の世界を得る事が出来る

 

雑念なしの一息

 

理屈っぽく

 

事柄に囚われなくなっている

 

只、この体が対応しているにすぎない

 

禅の修業は自分の見解を離れその物に徹して自分を忘れて無我になるとはその事

 

その時はその時

 

言葉の世界ではない事を言葉で言っても無駄

 

何も無いカラッとした笑い

 

どんな言葉もそれを言伝える事は出来ません

 

その物自体に自覚するしか道は無いのだ

 

 

 

因縁果の一時の様子に過ぎなくて、縁に従って自由に何にでも姿形を替える・様子・具合

を現じた言い振りが「空」「無」とかだ

 

一瞬の一念の始まりがつくと「心とすべき塊物が無い」

 

見聞覚知の世界総てが心であるという絶対観しかないのだ

 

総ての世界は心に因って生まれているのがよ

 

理屈もない、迷っていない、因果の真理其の侭

 

意味ずけ

 

「知る知らない」に拘わらないこの心境

 

「何もない無の心、只の心」

 

前後を見ない

 

比較や分別の到着店=我見

 

我を忘れて行くしかない

 

心が解ける

 

無意識の中のただ

開ければそれが禅の世界だ

 

純一にして条件を持たない心

 

畢竟無我の心

 

心を明らかにしないで得る事が出来ると思うか

 

自我をねじ伏せる急所

 

妄想禅

 

死んだ状態

 

自分を完全爆破する。ボタンをセットしたと自然と教えられた

 

他の一切が無かったのだ

 

成り切るとは我を忘れること、これが超越の道だ

 

三昧我れ知らず死に切って縁より呼び覚まされた時自己の正体がはっきりする

 

単純行動の元

(好嫌・要求)(自己の確立)(個人的見解)

見聞覚知・感情と合体・人を傷つけ自分も傷つく・排他的・攻撃的・人格の徳性を殺す

 

透き通った心は、求めなければ得られないが、求め心が有ったら得られない。難しいように思えるが、ただ一心不乱に一呼吸をするだけでいい

 

瞬間の今が煩悩と拘わらない

 

雑念の切る事が出来る様になってきたらしい

 

無心の今が戻った

 

浮ついて心を失っていた

 

法には存在ってないのだ

 

人を試すのは少し速いぞ

 

理屈で物を見る癖

 

心無しに見なさい

 

只の心とは何と軽やかなんだろう

 

心なしにやれ

 

自分で構えるものを持たず、ただ淡々としていた

 

心を治める方法を掴んで帰りました

 

禅とは自己との闘い

 

真理の表現なればなり

 

真理を知らんと欲せば自ら坐して味あうべし

 

君が考えている状況には居りません

 

無心な素直な心に導かれて行く

 

自分の中のドロドロした淀みがろ過されて次第に偽りのない誠実な心に成って行く

 

心の浄化

 

自分の総てを捨てる

 

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

我が侭

 

身勝手

 

口から出放題の事を言って

 

一生を美しく心安らかに深い自信を与えてくれる大きな大切な道があることがわかりました

 

ただ真実の為、それが道である、道の為にする

 

自分自身が既に真実そのものですよ

 

心が波立ち、拡散し、感情や思いに振り回される

 

心を深く静め、波立ち、拡散、身勝手な思いを止めねば本来の自分の様子が見えぬ

 

自分に都合の良い利得と主義主張を正当な権利としている為、人と人相反することがしばしば生ずる

 

明らかに自己無き証を悟り言う

 

仏の世界が明確に成った様子

 

仏法=仏性=無我の当体

 

求め得るものも無い

 

無いものを追い求めるのだから迷う

 

坐禅ばかりになって我を忘れ

 

心を静め拡散を収め無色透明純粋自然な心であればこの事がそうだと具現されて確固たる確信が起きる

 

我見=迷いの根源つまり我見を取れば良い

 

成り切るとは本来に帰る大自然に目覚める

 

すぐに取り付く心の癖

 

今の一瞬に着眼しなければならない

 

自我のない本来と区別

 

自我を根本的に退け、取り合わない工夫をする

 

大きく自覚すべき一大因縁がある

 

修行は行である。実行である

 

本当に精魂の総てを掛けてやるのだ

 

要は理屈や我見の入る余地を与えぬよう一心不乱に努力することだ

 

身も心も元々汚れのない迷いのない妙智力で在った事に気付く一先ずここを悟りと言う

 

ここに於いて本来とすべき何物も無い事に体得する

 

無縄自縛から解脱、自在の人

 

あれこれ思うスキ間のないよう真剣にやる

 

我を忘れ切ったら途方も無い世界が開ける

 

思いに遊ばぬよう常に一息に居りなさい

 

あれこれ思う余地を与えぬようただ歩きなさい

 

自己の無いことが分かってきます

 

今を見失うから雑念に心を取られる

 

雑念なく純粋になること

 

物思いに耽って

 

どうしても自分の心の汚れは自分でしか取れないのだ

 

他の念が起こらない

 

(坐禅記 下 井上 希道)

(坐禅記 下 井上 希道)

 

思いが思いを誘う

 

余念なく邪念無く純粋にしてありがままを言うのだ

 

只管歩行

 

雑念の入る余地なく一心不乱になり切って歩けば良い

 

体が軽くなり、心につっかかっていた自己暗示暗示的なものが瞬時に消えたのです

 

堂々と目を見る事が出来る

 

これがこれでしかないことが、ようやく分かるようになった

 

頭の外のものであることを教え

 

空想の世界と現実の世界との区別をつかんだ

 

つまり現実が分からないのだ

 

虚像を創り

 

根本が我見だ。それを取るのが修行だ。ただ見聞覚知のみになるのだ。つまり大自然に帰る。真実に復帰する道が坐禅修行なのだ。

 

感情が乱れ

 

好き・嫌いの自己中心になっていた

 

理屈や言葉で音を聞いている

 

言葉でこたえていた

 

判断が邪魔をしていて真実の今が分からなく成っていた

 

今とはそんなややこしい、面倒なことの一切ない世界

 

判断が邪魔をしていて真実の今が分からなく成っていた

 

今とはそんなややこしい面倒なことの一切ない世界

 

有るように思うのは個だけであり、計らいである

 

「雑念を何とかしてやろうとか、どうすれば良いのか?」などという迷いがないからです。出ても知らん顔して呼吸だけしておれるようになっていた

 

出た雑念は放って置くしかない

 

放って置く力が備ってないから出たらすぐに執りつき次々に思いを転がして何処かへ行ってしまう

 

雑念に振り回され無い(平和・安らぎ・解放・自由な世界)

 

落ち着きが深まり

 

頭の中だけで色々に考えて言葉で分かった積もりに成っていた

 

自然に雑念が収まるのです

 

自然に心のもつれが無くなり重苦しさが消え心も身も嘘のように軽くなる

 

自分がとてもよく見えるのです

 

その結果が心を豊かにし、自信とゆとりに成るのだ

 

捨てるとは引っ掛からないただの心だ

 

己の虚「ゼロ」にして「ただ」あるならば仏の世界なのだ

 

我見の根本「無明」の消滅して心と仏「ネハン」と現成するのだ

 

三昧の消息

 

心を明かにした証しと思えば良い

 

「その言葉には多く形容詞が付いている、その意味がわかるか!」

 

言葉は既に形容でしかない

 

迷いの絵空事

 

心を用いて見てはいかんぞ

 

無心に見ているだけ

 

我を忘れてただそれだけ

 

何も無い今の事実に目覚めて来ると、自然に心が柔らかくおおらかになり、はっきりして来る

 

研ぎすまされた、心の冴からだと思う

 

感覚というものは存在以前の出来事である。感覚自体であり、他には何も無い

 

味わいの世界・体得の世界

 

心が曇ったり、汚れたり、波立っている

 

極めて新鮮に深く味わえたのだ

 

求めたり・思ったり・するから自分の状態がよく見える

 

「何も無い今の念」

 

お釈迦様とは今に目覚めた人のこと

 

音に有るとか無いとかの理屈はない

 

一瞬一瞬の厳然として前後に拘わっていないことを知った

 

思いの世界

 

これが分かったところで何の力にもならない

 

我を忘れてただ有るだけ

 

本当にただに成ったならば見聞覚知意のままに消滅していることが分かる。つまり空の体得である。ひとまずここを悟りと言う

 

空の人体実験

 

ヘダテとはすぐに思いの世界にしてしまう心の癖だ。見聞覚知意にすぐ執り付く癖だ

これが我見よ、迷いの元だ。これを破るのが仏道修行だ

 

夢から覚め迷いから解放されたる今を体得することである

 

言葉に取り付、感情に取り付いて念が転んで自縄自縛

 

大自然の在るべきようにただある

 

生死も因縁に過ぎない

 

禅を今以上に理屈で振り回し

 

求めて努力するかどうかに依っているだけです

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今とは一切と云う事なのですよ

 

自信力

 

体験による自覚

 

一時の知的なものでしかなく

 

人間覚悟に勝る安らぎは無いと思った

 

心地を解明する

 

即今の消息

 

心の正体を見届ける

 

只今に目覚める事

 

本当の今は自我も何もない

 

自我がないということは、迷いが無いということ、これ以上悟る物も何もないと云う事なのだ

 

自我の束縛から脱した世界

 

自覚出来た時、連続していない。念の様子が分かるのだ

 

自分の心が根本的に整理され静かになる

 

言葉を弄ぶ

 

身も心も任せ切ればどうしようもない真実にぶち当たる

 

付いて回りさえしなければ妄想に成らん

 

連続するクセを自我と言う

 

雑念と妄想が出て来てもそれに囚われない力が備わるような偉大な力が存在する

 

只の事実にすぎない

 

自分の考え方がどうしても出て来て心を騒がせていた

 

落ち着きに気が付いた

 

批判・評価も起って来ない

 

考えを挟まないで聞ける

 

説明しても駄目だ

 

やたら深い静けさだ

 

「無い」という実感こそ「有る」という本当の実在感なのかも

 

理屈ではない、本物の存在「今」が此処にある

 

これが「今」の本物だ

 

方丈!「今」が見つかりました

 

別な事を試されたのだろうか?

 

水を打ったように静まり

 

あとは練るだけ

 

これはこれでしかない、そのものよ

 

今を見つけたがさっぱり役に立たない

 

分からん時は分からんと知る

 

色々の頭の作用が出なくなったように思うがやはり状況に応じて現れる

 

只の世界の体得

 

拘束を受けて

 

疑問の心

 

疑問が取れてみて

 

心の軽さ・自由さ

 

仏法なぞ今の今まで習ったことも無い

 

言葉が違うだけで皆一つごと

 

言葉に惑わされないで、その事実自体余念なく成り切ることです

 

自分の心をはっきりさせたところだ

 

どうあっても「今」だったその事だけ!

 

自分を捨てる超越するとはこの事か!これを「無我」というのか

 

心を空にして見っぱなし聞きっぱなし

 

初から本当は「無我」じゃないか

 

迷いの無い明朗な静けさが深まって行く

 

何時もながら妄想の素早いこと

 

何の妄想も思考も感情無く、知的作用は無くなっていた

 

妄想の一切ない世界

 

事実の今として体得すべく

 

全精魂をそれに集中する事

 

「執念・妄想」が今を狂わせている事実

 

等等等から解放される

 

執念が頭の中に無い為「そのままの今」

 

意味なく見え完全にそれで終わっている

 

今をしっかり練りなさい

 

一人相撲

 

去去来来

 

意味なく、只居れる

 

頭の中の妄想を捨てて

 

何事も寄せつけない今

 

無風状態の心の目

 

ただの心

 

心配しても、しなくても

 

雑物が加わっている

 

理屈の余地

 

禅には初歩も終わりも無い

 

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

我を忘れ切った世界が無我なのだ

本来観念など理屈のないすっきりした世界なのだ

理屈のない事実だけの無我の実証

 

一瞬の念の発生源を見届けよ。その為には今を離すな

 

雑念無しの一念

 

本来の自分の様子が見えぬ

 

どうしても自分の心の汚れは自分でしか取れないのだ

 

体が軽くなり心につっかかっていた自己暗示的なものが瞬時に消えたのです

 

捨てるとは「引っ掛からない」ただの心だ

 

自分というものが自然に無くなっていく

 

何も無い今の禅

 

(坐禅記 下 井上 希道)

 

井上 希道 参禅記・下 より

 

悟りへの道をつっ走る 欠野 アズ紗

悟りへの道をつっ走る 欠野 アズ紗

 

ほんに修行の要点がはっきりしたとも言う程度であることを自覚して更なる真実世界へ邁進して欲しい

 

明日ありと思う心にほだされて、今日もむなしく過ごしむるかな

 

一瞬に自由自在に生滅して拘るもの定着しているものが何も無い。その心の本質を自覚した時、一切が無くなるのだ。これが自己超越であり悟りである。

 

知識・概念・観念現象の支配からの脱却すること。今の事実の世界と観念現象の世界との明確な境をつける事「今」の事実に徹する事

 

成り切るとは同一化し単純化して全自己を忘れること

自他のヘダテ(隔て)を取る

 

一大事の自覚が悟りである

 

あれこれ思わずただ一呼吸に徹すればよい

 

「無い」このさわやかさを味わえた

 

静かに思うところに心が居ることが出来ない

 

悩みの意味がわかれば、もうそれは悩みではない

 

観念で捕らえる癖

 

何の思いや感情も無い

 

思いという世界から解き放たれた事実だけの呼吸の世界

 

透明の存在感

 

今がはっきりし始めているのです

 

それ位の心境などすぐ乱れてしまいますよ

 

言葉に翻弄されている

 

知性による想像力と概念の拘れから起こる煩悩

一瞬への注意が絶対不可欠かと言うと、すぐ理論化したり言葉に置き換えて観念の虚像の世界をつくる

 

見ればその物と一体化した親しさがあるのでその様に云うしかない(障子や壁の中にいる)

 

一切空の世界

 

無駄事・娑婆事にすぎない

 

自分がしているほど実感していたではないか(一体化の様子)

 

ヘダテ(自我)があるとすべてと対立し、衝突する。禅の修業とはこのヘダテをあるだけですぞ

 

ヘダテが無い状態

 

無心とは素直の極、決着のついた瞬間の働き、

前後の無い「今」ばかり

 

一切空の世界でした

 

分かっただけでは力になりません

 

空の体得、即ち一度徹底死に切らねば得られぬものがあるのですよ

 

ありのまま見る力が備わって結果自分の中で問題化しないだけである

 

人間の勝手な思いによって人間が迷い、苦しんでいるだけだった

 

雑念と呼吸は五割ずつぐらいですかな

 

着眼の一点(何も無い自然の様子)

 

喜怒哀楽を使いながらその感情に捕らわれているのである

 

自分が自然に成れば成るほど楽になる(自己確立の様子)

 

息が流れる空調ただあるのは呼吸のみ

 

体も無く瞬間の音となっていた

 

縁に応じて「只」あるのみ

 

考えるものではありません

 

あれこれ考える為に不是なり

 

一心不乱に考えることをやめること

 

これが修行いてほかにはございません

 

今の何も無い心境をどこまでも練りなさい

 

欲しければ自分で取るしかないぞ

 

禅には初歩も終わりも無い本当に「今」に徹する。それが禅の始まりであり、終わりである

 

心軽やかなこと

 

精神の実力

 

良くても悪くても過去は過去

 

即今、今が大事なのじゃ

 

徹することの作用

 

一つに成り切る力

 

終った後からあれこれと考えるだけ新たな今今を失っている。終わったら終わった事実があるだけ

 

事実と理屈とは全く無関係

 

心が理屈に占領されている

 

感情感覚が出てくるが一切とらわれぬこと

 

悟りへの道をつっ走る 欠野 アズ紗

 

悟りへの道をつっ走る 欠野 アズ紗

 

静かな呼吸が私を透明な世界、いわば「空」へ導いていく

 

この明確な証を立てた一大事件を悟りという

 

理屈を立てず縁のみ今じゃ成り切るのじゃ

 

人格教育

 

余分な意識があると引っ掛かる

 

心空なれば自在なり

 

是非善悪を考うること勿れ

 

透き通った心境

 

その純粋さを確かめている

 

見る力が無いということは、とんでもない世界にいるもんだと痛感した

 

こだわりを捨てさせて下さった今

 

食事禅

 

相手の内容がきっちりと見える

 

こだわりが無くなるからだ

 

自己が取れると

 

迷うのは自分が迷っているだけだ

 

理屈が先行すると

 

こだわりを取ると自由になる

 

理屈を入れなければ妨げるものは何も無いのだ

 

こだわりを思い切ってとることが大切である

 

お金や物にこだわっていては永久に悟ることは出来ない

 

静かに沈み込みほとんど消えたしまった

 

 

澄んだ心

 

執着や欲望で心の目が曇る

 

精神の修養

 

縁が結果を作る

 

理屈で対立する

 

自己を立てるな

 

理屈をいうな

 

念を切れ

 

今を守れ

 

理屈が多すぎる

 

迷いの世界から抜けられない

 

釣り上げられない

 

感情が切れているかどうか試されたのだ

 

心を空っぽにしてしっかり修行するんですよ

 

心を用いずただ見なさい

 

自他対立の世界

 

執着の世界

 

濁れが大きすぎて保てない

 

夢や妄想は奇麗に消えていた

 

雑念せず

 

心の治療に徹する

 

道の気付き

 

観念的・理論的に深めている場合がほとんど

 

理論的説明

 

対立的視点

 

知識の勉強で得た世界の限界

 

知識や考え方の勉強ではない

 

意識や観念の世界とは関わらない世界

 

純粋な事実だけの絶対世界、そのことを明らかに体得する

 

知性を働かせず、一息を大切にする

 

心を使わないこと・心を働かせないこと

 

他の過ちを見るなかれ

他のなさざるを責玉るなかれ

おのが、何を、如何に作せしかを、みずからに問うべし (法句経)

 

邪心がなく心から相手のことを思って上げている。本当の親切心だからだ

 

何の報酬も求めることなし、この真心を尽くす人を菩薩と言う

 

悟りへの道をつっ走る 欠野 アズ紗

悟りへの道をつっ走る 欠野 アズ紗

 

井上希道老師の音声法話(前)リンク先

 

井上希道老師の音声法話より

井上希道老師の音声法話より

井上希道老師の音声法話より

おもいのままに

 

行動しない・

目的もない・

体を忘れる・

何にもしない

考えない・

手段目的なし・

心を持ち出す必要なし・

心がないのに心が動き出す・

出て来る根源・

今を守る・

呼吸を守る・

持続

正念相続・

一つになり自己を忘ずる・

緊張感・

一個半個・

ただ

余念を入れない・

余念がとれる・

一心に・

一つになって・

仏道修行・

執らわれのない状態・

単を練る・

即今を練る・

そのものになる・

只管を練る・

今今を行ずる・

迷いがなくなる・

単純化する・

縁より悟入する・

縁と一つになる・

自覚症状・

縁に準ずる・

自己を忘ずる時・

成り切る・

今をはなさない・

前後際断・

(心を出して見よ・出す心などない)・

快活・

自在・

単座・

知情意の安定・

一心を練る・

単純にしていく・

行じきる・

空しく時を過ごす・

(徹したら体がなくなる=無我)・

(何もなくなる=一切皆空)・

心の中に取り込まない・

取り込まない力が付く・

受け取る自我がなくなる・

取り込まなければ・

取り込まなければ問題がおこらない・

取り込まない力・

取り込まなければ捨てる用ない・

只淡々とやる・

縁に従って・

縁に任せて・

端的・

空っぽ・

在るがまま・

自己自身の勝手な思い

迷って来た物が落ちた・

総て佛作、佛行・

歩くとは?・

坐るとは?・

確信を持って言える

自己の様子・

縁の様子・

念の出る前にじっとおる・

祖録から離れない・

(前後がない・前後際断)・

知って理解して得られるものではない・

実体がない・

分別以前・

単純になる・

つたえるべきものがない

言うべきものがない

ありのまま・

いらんことをする癖・

思いません・

空の体得・

心が発生する以前・

常に今しかない・

何にもない心・

一般語で悟り・

心が発生する前におる・

自己をくっつけない・

(変化、働き、作用)・

心の中に持ち込まない・

固まった物がない・

即今底の自己を離すな・

実地を踏むべし・

脱落底・

一心・

無心・

余念なし・

頭の中だけに存在する

考えて分ることではない・

(菩提心=求道心・怒力心)・

分別の自我・

見性=本当の様子・

空=働き・

身心一如・

身心を一つにする・

身と心が離れて飛びまわっている・

一息に没入・

間違いのない真理を悟る

(只、吐き、吸うだけ)・

何か他にありそうとしてさがさない

ないということが、はっきりする

心はないもの

意識は観念の世界

ないものをないものを追っかけている

自我、心に塊があるわけがない・

(自我、心=不純物)・

不純物を取る・

見えれば捨てればいい・

自己を習う、自己を捨てる・

(事実から離れる、自己を滅する)・

(他己の身心=他の人と物)・

求めんでもよい・

見たまま聞いたまま・

自我が落ちる・

一切を忘れる・

娑婆心が取れる・

心を取られた・

空しく、真剣にやる・

けんついのいる所・

純真性を守る・

空っぽ・

正念相続を守る・

(只見、只聞、心を動かさないで事を処する)・

構えなし・

隔てなし・

何も持ち込まず・

何も持ち出さず・

(一日が楽に成る、気に成らなくなる、超越する)・

過ぎたことは夢・

(今、即念、一息)・

執着を断ち切る・

これが修行の本旨です・

今に徹する・

過去を引きずる・

一つに成り切る・

引き出してくる・

とらわれる・

あれこれ、心の中で操作する・

知性、知力・

自己を守る・

迷い、苦しみの元・

執らわれない・

迷いなし・

何にもない・

一呼吸・

理屈なし・

取る為の修行・

見耳に執らわれるな・

心が取られる・

取られる瞬間・

呼吸は刃・

呼吸を守る・

引っかかっている・

雑念・

処理しようがない・

修行のしようがない・

煩悩との戦い・

煩悩三昧・

呼吸だけになる・

煩わされなくなる・

頭の中をきれいに整理する・

(徹する・成り切ると言う)・

動作を遅くする・

(一挙一動、自己を離さない)・意識を外に持ち出さない・

妄念に持っていかれる・

心の出る前・

理屈のない呼吸・

悟り=本来ないんだ・

修行=削ぎ落とす・

今、鮮明になる・

心は病んでいない・

是何ぞ・

自己を持ち出すな・

思い煩う自己がない・

縁と一つになる・

無相(縁)・

自己の様子・

縁に自己を殺されている・

体得、悟る・

自我というものを立て・

只管活動・

余念、雑物がない・

縁に執られるな

心を向こうに執られるな

心を持って行かない(平等智)・外に飛び廻る縁・

自覚症状・

束縛・

無明の鎖が切れる・

(平安、満足、安心)・

純心に・

純真に、余念なく・

峨点・

後は行ずる・

隔てがなくなる・

同化する・

自己なしでやる・

単純な事の連続・

自他の隔てが取れる・

自他不二・

自我を取る・

(仏法を語る人、行ずる人)・

不純物が取れて来る・

余念、雑念を入れさせない様に・(前後を見ない、今だけ)・

余分な物が落ちる・

今に徹する・

淡々と導ける様指導・

煩悩に打ち勝つ・

条件の寄せ集めにすぎぬ・

(余念、観念、無視する)・

ひっかかる・

今を守り切る・

心が外へ行って執られる・

今だけに成り切る・

理解力・

井上希道老師の音声法話より

おもいのままに

 

井上希道老師の音声法話より

おもいのままに

 

(余念、雑念を無視する)・

空っぽになれない・

頭で聞く・

不純物が取れて来る・

素直になれない・

素直になるのは難しい・

純粋に・

一心に・

自分を点検する・

思うことも思わないこともない・

する必要がない・

無碍自在・

単を練る・

手のつけ様がない・

文句のつけ様がない・

云い様がない・

八風吹けども天地の月・

常に心を平安・

今で安住・

(只、やる)・

只管工夫・

(超理屈、事実ばかり)・

縁に従う・

成り切る・

(空っぽにして、縁のまま)・

余念を入れない・

余念が取れる・

一つになって・

仏道修行

執らわれのない状態・

その物になる・

今今を行ずる・

事実に密着する・

放心する・

ボケとする・

一呼吸を守る・

在りのまま・

ない物を作り出す想念・

自我の根本は空・

前後のない今に着目・

打発

詮索人間・

そのまま悟りの横行・

縁が無くなったら消滅する

今でない物はない・

念の空なる事・

言葉にひっかかってはダメ・

説明余地のない在りのまま・(心の動き・自然発生{雑念、癖}・

流れる自分・

眺める・

勝手に動く癖が取れて来る・

見つめる自分だけになる)・

心のない心・無分別の分別・

仏=空っぽの心

真実の心に導いてくれる・

捜したらダメじゃ・

未生以前の所

自己の胸襟より持ち言い来たれ

時の無駄

参師問法

即今事作麼生・

引き摺り込まれる・

只を獲得するがよい・

自我が出現した時・

いつでも空っぽ・

只やっている・

(只見・只聞・只歩・只食)・余念なし・

他念を入れず

一つになって・

空=拘らない・

無=ひっかからない・

自我の根本を解決する・

(働き、作用があるだけ)・

心の働きを持ち出すな・

(何にもしない・心を使わなくてよい)・

(妄念・妄想・妄覚)・

知覚・

認識・

空なる様子・

見性・

悟り・

自なく捕らわれない様子・

(感情、妄情、イメージ)・

因果丸出し・

仮の様子・

(無相、実相)・

見性の一大事のみ・

単調に成る・

単を練れ・

着眼を得るまで・

心の拡散が起らなくなる・

その事だけに成る・

一心不乱・

物に成り切る・

事に成り切る・

着眼に到着・

縁のままに任せ切る・

自我が落ちて縁のまま・

取り上げて振り廻されない様に・

縁のみ・

自己のない=仏という・

正念単座=自然に・

自分免許・

じっと守っていればいい・

持ったら真空の法を汚す・

拘りを取りなさい・

参師門法・

余念なくやる実行力・

心に実体ない・

他の機能を捨てる・

思慮分別を用いない・

縁に応じて出て来る・

(何処から、何処へはない)・時節因縁・

(単純・素直・一心に成る)・即今底=拘る物は何もない・脱落一歩手前・

放下して・

縁を選ばず・

物に引っ掛らなくなる・

守るとも練ともいう・

(観念・現象・実体がない)・手段がない・

呼吸=実体・問題にしない・

(見る、聞く、そのまま)・

実際に役に立たない・

一念心の問題・

詮索するな・

只聞けるようになる・

聞きっぱなし・

とらわれない・

やっている事にとらわれない・

理屈をつけない・

自己なくやる・

空っぽを守り通す・

説けない・

耳無くして聞く・

口を開けない(言葉となる)・自己なし・

如法となって・頭を使うな・

知識を使うな・

今の事に淡々とやる・

自我が出て来て波風を立てる・

縁に従い切る・

余念が事を入れるな・

心を持ち出さず・

心を極める・

迷わない・

無分別の所・

観念の世界・

観念やイメージを出さない・

呼吸という言葉にひっかかる・

理屈に拘る自己・

理屈を滅していくのが禅修業・

雑念が出ても動作が出て来る・

一念が涌いて対象が出て来る・

法=命・

念が出て来たら放って置く事・

念について行かない・

観念、概念の世界・

自我の本質は何もない・

縁の働き、作用がある・

何にもせず・

素直に、何も思わず・

分別を始める前の心・

念のない様子・

飛び歩く余地を与えない・

余念を入れず・

雑念を入れず・

只淡々とやっていればよい・

法=事実の事・

事実の様子が今の様子・

意識以前の事実・

何の念も入れない・

自己がない・

何もしてない・

迷えなくなった=仏

元々ない=空・

有無を越える=一切皆空・

純の純になる・

認めてしまう自我・

無理会の所・

無知の平安・

他を見ない・

念の出るる手前でおること・

余念がない=無我・

今と一つになる・

後に引きずられる・

今でないものはない・

今の事実に集中する・

執着するから重みになる・

明らかになる・

根源を明らかにする・

今を追及す・する自分がない・邪念がない・

迷えなくなる

執らわれる根本がなくなる・

心の静けさが失う・

何んもかも忘れて・

何もしていない・

思いは詮索している暇がない・

心を浄化される・

理屈を取る為の修行・

(心を動かさない、使わない)・

自我がないから・

煩悩も又空なり・

(慈悲・作用・役に立つ)・

空を悟っただけではダメ・

(意識なしに・作為なしに)・

縁にふれて作用する・

心はもともと空っぽのもの

総てを捨てる・

自己を忘ずること・

      

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

 

着眼と継続

自我が無くなって来る・

自我を捨ててありのまま・

空そのものの働き・

知性を使わないこと

坐断

没自我

縁の様子・

因縁無自性空・

自我も空なる事・

手段・

役に立たない立ち枯れ禅・

自己済度・

空なる事がはっきりする・

落ち切るまで・

放下して空っぽ・

説明しない・

雑念を入れない・

即今底を離さない・

意をはさまない・

自我・

即念底に参ずる・

実地を練る・

縁に任せて・

如法・

(知ろう、分ろうとする)・

自己を練る・

求め廻る・

求める自己から離れられない・

自己を如何に捨てていくか

心の中万事を休す・

念の出る前・

自己のない所・

禅定を練る・

只管打坐・

ただ・

余念なく・

純粋・

語句を追うこと勿れ

言語追うこと勿れ

遅速に関係なくなる・

自己を究めていく・

余所に心を持っていかない・

只管呼吸・

考えて遊ぶ・

呼吸はやや深くやや遅くする・

(自我、執らわれ、拘り)・

成り切り・

死に切り・

無我になる・

観念、感情作用・

飛び廻る心・

意識以前・

意識始まる以前の所・

心が発生する以前の所・

心のない心・

自分のない心・

物と一体・

自我を忘れ・

時間がなくなる・

している意識がなくなる・

徹する時・

無の自己・

自性徹見・

事と一つ・

念の発生する以前・

(捨てる・忘れる・離なれる)・

言葉の表現ない・

概念・

出る余地がなくなる・

三昧・

音を音として意識しない・

おもいのままに

無は性空なり、見性・

自己を忘れる・

空なる自在性・

その時限りの縁

万事を休止・

(見る物・聞く物が心)・

空っぽ・

一切皆空・

考えない努力

正念相続の上動作・

自己の計らいのない・

縁に縁にされる・

自我がない・

エゴがない・

無分別の分別・

前後のない=無我・

縁を選ぶ・

わかろうとするな

求めるものがあるから尋ねる・

疑問を起こすな・

他に求める・

自我を立てた分別・

自我の塊を叩き潰す・

今の事実になる・

現実に目覚める・

縁は無限=方法・

縁のみになっている=如法・

本来念はない

心を持ち出さない・

前後なくなる・

自己を忘ずる・

心の飛び歩きが少なくなる・

観念を使う訓練する・

ほっとけばよい・

虚=空っぽ・

知性を持ち出さない・

捕らわれる自我を捨てなさい・

単調・

単を練る・

単純になる・

一つになる・

一心を守る・

熟してくる・

(因果・無我・空・自在)・

観念=煩悩の元・

身がないが如く動ける・

前後ご切れてくる・

今だけの自分・

今がはっきりして来る・

事と一つになる・

今そのものになる・

事と一つになる・

過去がなくなって今だけ・

念がでなくなる・

空虚になる・

何にもしないのが本当の修行・

無我に突入する・

透明に成って来る・

一心を守る・

自己の心を究める・

(自己主張の正当化・正当性)・

禅の面白み・

どんな煩悩も切れてくる

(心=発動する・

心を持ち出さない・

考えを持ち出さない・

感情を持ち出さない・

縁が無くなると・

心とは海と思えばよい

思い込み・

縁のみ・

幻の実体・

はっきりさせる事=悟り・

頭を持ち出すな・

初期参禅・

空の作用

(感情を乱さない、心静かに)・

即今がおさまる・

はっきりして来る・

心意識の運転以前にならないと・

余念が無ければよい・

因縁無自性空・

(心にじーと置く)・

一呼吸でなくてもよい・

一切の考えを離れて・

(自己なし=解脱)・

自己とは自我がないところ・

念の起る以前の所・

(死にきる・徹し切る)・

執われる自我があるから・

一心になる力・

無分別の所に着目せよ・

二つに見る・

心意識の運転以前・

まず五感に任せる・

(考え、思う必要はない)・

振り廻されてしまう・

単純な五感に執着しない事・

(姿、形、塊ない)・

(余念、雑念がない状態が禅定)・

思わず・

使わず・

ころがして、ついていかない・

心を動かさず・

心、体を開放して知らん顔・

飛ぶ癖が取れてくる・

心静かになる・

心一点に・

自由無碍・

縁のまま・

動く心に捕われない・

単純になる事・

空っぽになる・

そのままになる・

前後のない一瞬におればよい

心境の進み始めたら・

縁(相手)に応じて変わっていく・物心が付く前に帰る・

心がパット出てパット消える・

念が重ならない・

(点と同じ、点が連続している)・(楽に・考えず・思わず)・

捕われの心を持ち出さない・

その時の自分しかない・

迷う自分を持ってしまえば・

心の中がハッキリしない・

ひっかかりを取る(修行)・

只あるだけ・

鏡になる・

只見るだけ・

無我の働き・

空の働き・

空になってみたらわかる・

無我になってみたらわかる・

今になってみたらわかる・

迷えない・

空の働き・空の様子」・

成りきった時空の依得・

外を忘れ「自己を習う」・

呼吸の作用に合わせて行く・

心が治まらない・

出て来る隙がなくなる・

心が発生する前・

余念が入る前の今を練りなさい・(三不能「努力心のない人・

世知弁済の人・無記」)・

一心不乱が禅・

一心になることが禅・

(坐禅・書道禅)・

性が空の働き・

空なる様子・

一切の目的を持たない・

右往左往しない・

心が自然に静まる・

心の様子・

無心が死んでしまう

心が奪われる自失す・

無為自然の働き・

無我で動いてる・

無我=自然の働き・

心の中は何もしていない・

(大死一番=悟った時「体験」)・言葉以前の存在・

捜したら言葉の世界・

(練る・訓練・修養・修行)・

何もしない・

次第に分かって来る・

事実のままに任せ・

計りごとをするのが自我)・

念が入ってないことを守る・

正念相続・

空っぽの心・

縁に任せて・

動きある心を静める・

心を一点に置く・

余念が入る隙を与えない・

念が入ってないこと・

心を一点に置く・

見ている自己がない・

見たまま・

このまま・

引っかかりがない・

騒がなくなった・

楽になってくる・

心の波が静まる・

心を一点に置き余念を入れるな・空の働き{根源は無常}・

自我から解放・

今を自由にする・

 

 

 

 

 

 

 

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

外に心をとらわれない・

自己がなくなってしまうと・

失敗という真理もある・

引っかかる心があるあいだ・

(心から離れる、見性の第一)・

(不純物の排出=空っぽ)・

(働き・作用{縁に任せ})・

事に任せ淡々としていく・

(想像、虚像化)・

観念で探し廻る・

事実に目覚めるだけ・

丁寧に今今をやるだけ・

落ち着け・

余分の意識を持ち出すな・

知らずして我を忘れる・

これでいいのだ・

価値づけをする・

急所を掴む・

只呼吸をするだけ・

求めなければいけない・

ポンと出てポンと消えていく・

連続している・

只自然とおればよい・

(疑わない・思わない・

我はない・

自分というものはない・

護持しなければならない・

自我も空・

 

理が分かっただけ・

只、淡々と坐る・

身と心と一つになる・

只、呼吸と一つとなる・

そのものと一体・只やる・

只を練る・只を参究する・

与念無く・

只あれば・

(理屈・道理・過去から離れる)・

空なる自我性・

空の働きにすぎない

知ってわかったものは役に立たぬ・

考えない事・

「それはそれ」も理屈の内・

(○△□も観念に陥る事)・

「見たまま」というだけいらん事・

自我を捨てる・

たった一念の変化・

心を一点の置く力・

思考系と縁が切れる2016/05/23

泡の一瞬消滅して・

心を持ち出さない・

何にもしない・

生死は概念であって、実体がない)・

(生死というものは存在しない・

意識を持ち込まない・考えない・

作用の流転・発生の今・

「我執を無くす・離れよ・無我・無常」・

「無主・無我・作我・私見」・

言葉で坐禅している人は・

塊がない無相=空・

心は本来空・自性は空なり・

大自然の様子・

心は空は何にもない・

単になる・

単調になる・

呼吸はやめるわけにはいかない・

呼吸に成りきる・

自覚すべきものない・

一息になる・

自我を殺す・

この身を忘れる・

空なるものと空体験・

実力をつける・実体が無い心・

ほっておく・

相手にしない力・

続ける為切る・

切ればなくなる・

切って呼吸にかえる・

手をつけない・

自己がない・

作用が無限・

応用編・

働きが自由・

数息観(暴れる馬・余分の念)・

「髄息観(呼び名の違い・言い方の違い)」・

数息観・髄息観 2016/5/28

自我も空なりと徹見する・

只聞忘れる・

自己忘れる・

縁の様子・

知性の雪隠詰め、

疑団の一色・

一つに成り切る力・

縁に従って何にもしない・

縁のまま従う

我を忘れる・

我なくして・

縁と一つになる・

今と一つになる)・

縁の様子・

説き方が色々ある

素直(自我なし)

心の発生する以前におればよい・

(自然体=素直に)・

努力心=ことさらにやる・

様子のまま・縁のまま・

なんの努力もいらない・

静けさにまかせて・

余分なものが出なくなる・

精神性が機能しなくなる・

意根を坐断する=殺す・

意識を殺す・心が軽くなる・

(自我・拘りを取る)・

縁のまま・縁に従う・

縁と同時・

一点に集中する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

即今底=念が出て来る前=心がない心=無念の念=空っぽ=只を守る・

(考える余地を与えてはダメ・何故見えるのか?・目に任せて見る・わからんまま見る・わかるはずがない・見る・見える・見た・離れて)・

(自己ない・自我ない・執らわれがない・認めるべき物がない・なんにもない)・

(非思量=思量が世界を超える・考える世界を超える・只淡々とやって行く・・飲む時は飲む・心なし・自己なし・我なし)・

(前後のない、今以外のもの認めない、一呼吸を守る)・

(我見=差別、平等どちらかにかたよる作用)・

発生してから捨てるのでは一手間かかる・

(理屈でわかっても体得しなければ、力にならない、用・作用に成らない)・

(心というものはない・心が発生する以前の心・観念の世界)・

(心境が進む、前後のない事実)・

(自己を忘ずる=大死一番・縁によって動き・

(自我=縁に応じてパット動く時、自分の都合に応じて不純物があるかないかだけ)・

不安が取れる・自信が出て来る・痛快・求める物がなくなる・これで十分・安心、安住して来る・やすらぎ・菩提心が落ちる・これからが危ない

(成りきらないと、徹することが出来ない、過去が落ちない、自己が残る、一切の事を忘れ、今だけに成る)

(雑物、余念ない、自己がなくなる)・

(思い、考え、心的作用を引き起こす、元の事=自己)・

(念は点みたいな物、ついて行きさえしなければ、自動的に生滅)・

(してはいけない・何もしない心・空っぽの心)・

(そこの処にじーとしておればいい・戦わずして、素直に一呼吸・一息さえ忘れて・熟し切るまで単調に)・

(即今を練る、守る=念が出て来てもついていかない)

(無心、安心、やすらぎ、安住する力・無執着・心が騒がない)・心が楽になる(執着がなくなる)・

(何故、黒いか・名前に拘らない・言葉から離れてくる)・

縁に応じているといいんだ・気にかけない・

(思って見ただけ、実行しなくけりゃ、・実行の継続)・

(護持する、正念相続)縁なき衆生・

(仏性、真理=宇宙の全体の様子)・

(何ら求めるものも、捨てるものも認めるものも超越・大自然の様子)・

相続していれば必ず落ちる時が来ます

(余念なし、雑念なし、自己なし、無我になる)・

(今でない物はない、今は始まりも終わりもない)・

(妄想、雑念、煩悩、が無くなると、見性・悟り)・

(綿密に淡々とやる、高次の修行方法)・

何にも無いのが仏・何にも無いから仏)・

(分る、分らないを持ち出すと分らなくなる)・

(因縁生起、因縁所生、縁起、仮にあるだけ、実体がない・一切皆空)・

(観念、想像物、空想、念無くして素直に見る)・

(今の事実、今の縁に成り切る)・

(不安、不平が無い・安全、安定、安らぎ・結果が出る様に行ずるのが仏法)・

(無我の作用・空っぽの心で分別)・

(今をどうやって捕まえるか・今を形にして捉える・一呼吸を失うな・一事実を失うな・自分を離すな・今の一点に収まる・瞑想と二人ずれ・明晰にやる・速度を落とす)・

(妄想=実体がない=振り回される=苦しみの元)・

(没頭する力・成り切る力・継続する力・余念を入れず・只する)・

たった一つを守っていればいい・

(見ない・聞かない・思わない)・

(皆空・仮の姿・縁のよせ・実体がない・縁次第でなんにでもなる・働きの事)・

(分っても力にならん、体得しなければ)・

(他否定、自己肯定、自己保存)・

只管に(ひたすらに)理屈が言えても実力がない、法が分らない・

(余念、雑念が取れて来る、自動的に)・

(何でも只やる、何心なくやる)・

(逆らう物がなくなった、構えがなくなった)・

(聞きぱなし、見ぱなし、思いぱなし)・

(わかった・観念の世界・実体がない)・

自得=本来無我=無意=無作=空・物を取り上げて思考する以前の状態・

(想像・妄想・妄念・妄覚のない世界)・

単を練る・単調・単的・その物になる・一切の自己を運ばない・縁と一つになる・隔てがない)

只管活動=事と一つになる=余念なし・

自由無碍=仏・熟すまで、自然と・

一切皆空である事明らかになる・

(人の説き方、言い方に違い)・

(理が治まる・余念、雑念が自然に自動的に取れる)・

(仏の世界に生まれ返る、大死一番、悟りを目的)・

(呼吸に任せる・縁に任せる)・

(心なんてものはない・落ち着いて・騒いでいるの反対語・あるがまま・空っぽ・虚)・

(余物がなくなる・徹底する・雑物がない)・

(我知るところにあらず・無自性空)・

(拘りがとれてくる・心境・境涯)・

(後から引っ付けてくる・執らわれ)・

(縁に任せてやっている・=法)・

真性がないことを体得=空=一切皆空・

手に持っていながら、捜し出す・

(心が空っぽになる=楽になる)・

(二人づれ・する自分と・呼吸に呼吸させられている・任せる・従う・一つになる・ままにある)・

忘れ切った時・自己を忘じた時・脱落した時)・

自我の正体=皆空・迷いの根本は空なり・

心を一点に置いて拡散させない・

わからない者になんぼ説明してもわからん・

(ああ思い、こう思う、こう思い、あれこれ思う、二見から離れる)・

(無記=ぼやとしている、判断を示さず、沈黙を守る、答えを出さない)・

(知識の元をさぐる・心の始まり・心の本来・つかまえなければならぬ)・

(心の様子・自己点検・心が静かであるかどうか・今がはっきりしているかどうか・言葉に囚われているかどうか)・

(境に従う事勿れ=心意識念想観止め)・

(意を殺す=見るまま・聞くまま)・

(前後のない・即今の一点・只管の連続・一心の連続・無心の継続)・

(分ることが危険・そのことに止まる・捨てる力がない・法我見)・

雑念、煩悩の発生する以前におればいい・

(自我がない事・空である・空を会得した事)・

(切る=呼吸に戻す・雑念を切る・成り切って)

本当の事がわかる手前で安易に流れる

(念・感情の動く前、生前、死後と同じ)・

感情、観念を起る前にじーと、じっとしている)・

(一つを守る・雑念、心、自己、煩悩を離れる・成り切る・超越・一点に成り切る・余分なものが取れる・余分な物が消滅する)・

(心の本当の様子・自覚症状・悟り)・

(法=事実=こと=万事=理屈ない=自我ない=自己ない=無我=縁に従って=概念を入れず=無心=はっきりした見性)・

論を越え・理を越え・意思を越え・論が論を呼ぶ)・

(空に目覚める・空を体得する・悟る・身心が一つになって自然体に帰る)・

(味は幻、実体がない、縁その時限り)・

(理を納得しても、力にならない)・

(素直・縁のまま・理屈ない・今だけ・法・無我一心・徹する・三昧・見性・悟り)・

(即今=念の発生する以前)

心が発生する以前の所におる・求めるが、執らわれず

(心・体・を出来るだけ使わない・身心統一・身心一如)・

(心が静まり・浪が静まり・何もせんぜよい)・

(自己がない、自然の働きの様子)・

(無分別の大切さ、無分別の自由さ)・

(知情意からみ合う、自分がからみとられる、大海の中にいる)・

(一呼吸を守りなさい・早く心の拡散が治まる)・

(心というのがないと会得する・悟り・見性)

(雑念はほっとくんですよ、なくそうと自己が立つ・

思うでもなく、思わんでもなく)・

(一念心・捨てる・我を忘れる・自分自身を捨てれ)・(

心の発生する前を体得しないと、はっきりしない)・

素直な自分になれる・

(心を持ち出さず、動かず、考えず、忽然とあればいい、ありのまま、そのまま)・

(空・無我・実体がない)

只管を練る(いま・一瞬・只を・ただ)・

(執らわれなくなってくる)・

(救わずにやまず=菩提心)・

心も縁によって出ているだけ・

離れた状態を見つけやすい・

見性してもチラチラ出て来る・

心を向こうに持って行かない・

(法も無く・空も無き・空)・

心の拡散がおさまるから楽になる・

その事だけになり、我を忘れる・

この身を忘れて動ける様になる・

(心・とられない・とらわれない)・

(余念を入れず・今、只の努力=菩提心)・

安住することが自信の根本とする・

(心意識・念想観・心・思考作用・知力・感情想像・イメージ・一切やめる・動かすな・持ち出すな・認識するな)・

(自我を殺し、本当の今に目覚める)・

(物に従い切って「一体になって」我を忘れ切っていく)・

ありながら、無想である「捕われない」「こっちを空っぽにする」・

縁に従って素直にやって「無に働き・

(余念を入れないように・心を持ち出さないように)・

(一つになる・単調になる・徹する・成り切る=禅)・

 

他を見ない・

不足の念・

自己を滅す・

因縁生起・

一切皆空因縁所生の法・

心に問題がなくなったら・

空っぽにやって行く・

自由底・

自我を取りさえすれば・(囚われている・拘っているものは取る・余念を入れないように)・

身体がなくなる・

自分の都合で・

他を見るから・

満足する・

足るを知る・

不足の念が起こりえぬ・

ありのまま・

自己を滅する・

この身体を一旦忘れる・

自己を忘ずる為・

音があると思っている・

出現しない・

無眼子・

思いが離れは事実・

どんな事が出て来ても捨てる・

縁の一姿・

心が重なることはありえない・

「感覚・感じ・幻」・

ない物を欲しがる・

自覚しない・

今に事実に即して・

「囚われ・箇執・自我」・」

「融通のつかない状態・執着・自我」・

自我を取る(執着を取る事)・

そこで終わる・

捨てる一点張り・

余分な心を持ち出すな・

常識が縛り・

囚われを取る・

常識の縛りが無くなる・

執着が無くなる・

自由自在に働く

囚われ・

概念(言葉)の外に出る「無知の作用・無分別の作用」・

分かっても働らかんから駄目だ・

只空っぽにして聞く・

「悟り・無我・空・自覚症状」・

心の無駄な働き・

波が静まる・

根負けする・

自覚症状・

今に目覚める・

実体が無い・

消えていくもの・

他を見ない・

三尺の向こうに眼を置く(一尺 三十cm)・

只の影だった・

ほっとけば・

只出て・

只消えていく・

心を使わない・

自我、自己を立てない・

相手を見ない・

只見なさい・

只聞きなさい・

只しなさい・

事実と観念の世界・

知情意・

自分の体を忘れ切る・

我を忘れ切るまで・

何もないが、何にでもなれる・

邪念、欲念がなくなる・

放念・

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

 

 

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

(禅の世界は理論の世界じゃない、言葉の以前の世界)・

(心が発生する前、念が発生する前、自我がない)・

こちらがいらない計りごとをしない・

何もしないことが出来る様になる・

(まず事実ありき、自我がないと体得する)・

別に伝えるべきものがないと伝えた・

(代名詞を使って表現・作為があっては駄目・是何ぞ○△□(仙涯)・概念を通さず)

(悟りでもあったら、持ったら、煩悩)・

(要する単調になる。只、見る、聞く、坐る)・

(何の作用もない、縁に任す、作用に任す、空っぽになる)・

呼吸の事実にしがみつく、余念の入る余地を与えない

(素直になったら、只、素直になっただけ)・

素直に只の呼吸をしていればいい・

(空っぽになって、知らん顔をしていればいい)・

まじりっけっを自分で作っている・

(余分なことをするから、縁に従い、縁に任せさしでがましことをしない)・

他になんにもしない、したらいかん)・

引っかかる自我が無くなっただけ

心の空なる正体・事に心を取られず・

(事に心無く、心に事なければよりしい・徳山)・

「空をやれば空に執われる、無をやれば無に執われる」・

「ないものを求める」心の実体はなにもないが、なんにでもなる真相を体得。なくなる・なかった・

本当に知る・空・無である。2016/5/20

空なる自在さ・

(知りたいという念・兀兀と練る・只只練る)・

(捨てる=何もしない)・

引っかからない自我がなくなっただけの話・

(現成公案、今様子になり切る・その時その場になり切る・空っぽになり・

我なく・

(一心不乱・成り切る・真剣)・

我を忘れてやる・

身も心もそのものになる・

忘れ切った処が無我・

自己が破れること・

自己がない事が解って来る・

平素の中で一心不乱でやっていた・

心はもともと空っぽ・総てを捨てる・

自己を忘ずること・余物

がなくなる・

雑物がない・

(これ何ぞ、何かありそうと思う)・

囚われのもと・

言葉を並べたためても意味がない・

歩く一歩も進めません・

逆菩薩・

自我を取るが禅・

(過去は変えようがない、何故なら無いから)

自己を究める・自我という迷いの袋が破れたら・

知的分別が介入して自我となる・

囚われの元が落ちて・

無くなるので・

現実の真相・

本来の心がはっきりする・

只管(純粋・一心・前後の無い念を練る)・

(妄想・空想の世界が本当だと思っている)・

不安が取れる・

解ったというものに囚われぬように・

努力をゆるめ無いように・

(成り切る・すべて捨てきる・無我・単純化・素直)・

1926/06/29(無常は今)・

心の発生以前の事実

1+12心の発生・純粋性=無我=空・

実体なし・

実体を掴もうとする欲・

知ろうとする・

知らないという前提・

求めるものがない=ありのまま・心の発生以前・

空想に感情が振り回されている・

(真実の様子=見性=悟る)

事々再生能力・

(有相・無相・仮にある・縁次第・空)・

心の発生する以前におればよい・(自然体=素直に)・努力心=ことさらにやる・

様子のまま・縁のまま・なんの努力もいらない・静けさにまかせて・余分なものが出なくなる・精神性が機能しなくなる・意根を坐断する=殺す・意識を殺す・心が軽くなる・(自我・拘りを取る)・縁のまま・縁に従う・縁と同時・(只やる・前後がない・過去がない・余念がない・余物がない・自我がない・只ことがあるだけ)・

一切気にならなく

なる・余念を入れない・一分のスキも与えない・一心を練る・単を練る・今を練る・今を参究する・しておる自分を見失うな・一息半歩・ものに囚われることが少なくなる・観念の世界、事実と関係ない・そいつを捨てなきゃならん・自我を捨てるのが禅・徹し切れない限り自我が切れない・自由闊達・泰然自若・自我を滅っしなければ、殺さなければ・理で分かったやつは何の役にも立たぬ・自我から離れた様子・(念・心・囚われから離れた状態)・念を入れ無いように・空っぽにして・囚われの業・心を静めるだけでも大変・何も思わない・縁に従ってやっているだけ・

 

2016/9/1

自己が無い事がわかる

無我なんだ

自己が無くなった働き(自由無碍)

 

2016/8/30

何もしない・心を使わない・考えんでいい・結果を出す必要ない・(じーとしている・勝手に動き廻る心の根本)・作られた観念、想念、妄念の世界・瞬間の自己を見つめる・自分の呼吸を見つめる・呼吸から離さない・一心不乱に自分の呼吸を見つめている事・

2016/7/21事実のままにより 2+2=?耳の働き・耳の姿・在りのまま・=4は心の働き・五感の役割の違い・空の働き・無我の働き・自在のまま・縁のまま・在りのままの真実がわかる・理屈のはいる余地がないよう一生懸命になれ・一切心を持ち出さない・感じ方・思い方」・雑念、煩悩の出る余地が無くなった・

 

2016/7/27

実地にその物と一つになる・思考の範囲を超える・自己を立てない判断・自我が立つ・論に固着する・自己が出てくる隙間がない・自我が落ちる・執われたら駄目(幻)・執われないことを会得する・在りながら無い・執着するものが無い(解脱している)・心を使わない・道理、理屈以前に事実がある・観念の世界に落ちている・(分かろうとする、している)・問題が発生しない・心から離れる(禅の入口)・

 

2016/8/23

着いて行く癖を淘汰

執着の根源を退治する

自分の癖を自分で発見し自分で淘汰する

疑念に成り切る

徹し切って自己を忘ずる

有念を殺す

 

20160806

空っぽである為には、何にもしないこと

 

2016/8/2/

素直に成りきったんが祖師方の本領で内容である

 

 

20168/24

一隻眼を具しても、只の連続は別、余臭が残る

 

2016/8/26 無我のまま

知性は想像力・あったってないに等しい・自由自在に使っていくこと・知性、感情も超えていくこと・無我を想像する・有我でやっている・本物だと師匠が言ってくれるまで・(今しかないと、ないんだと本当に知るのが禅)・虚像の世界・知性がその時限りしかないと自覚症状がない・実体がないんだからなれっこない・知性は気が付かない・知性は想像物、観念の世界・バーチャルで求めたってないんだ・凡情三昧・無力で役だたず・空っぽ・使う為に一回無我になる・空想した無我とは違う・自分流に創らない・本当の事を知る(事実)・ないものを想像で創った世界を現実化しようとする・(もうそんな物はないんだ「空も」)・

2016/8/26

 

2016/8/28/ 禅の根本

禅の本質・純粋な今に目覚める・心が何も介入しなくなる・なんで、意図を考えてしまう・言葉と一切関係ない・言葉にしよう・言葉にたよる・言葉に真実はない・言葉に実体はない・引っ掛からなければ怒りようがない・今でないものを持って来い、困るだろう・今を出して見よ・

 

20168/18

何処から出て来るのか

何故出て来るのか

自分離してはいけない、ゆっくり、はっきり、丁寧にすることなんだ

余念が入ら無くなる

自我が入らなくなる

分別を必要としなくなる

余念を加えないように

今只やっていればいい

自分を探求するから

分かりたい

分からないことが分かる

求めてしまう

観念を使って自己を運ぶと遠くなる

本当の自己に行き着く

縁に任せ

無心・無邪気・丸出し

知性・概念・知的行為を離れて

取るもの、捨てるものはありません。只、そのものに成り切ればいい(参同契 原田雪渓)

 

心真如門

心生滅門

 

今の事実に成り切る努力を禅修業とする

余念、雑念が入らなくなる・起きなくなってくる

心の騒ぎが治まらない

今=真理=真如(損得等を超越)している

無駄な動きをしない

本当の事=事実

今を見失う

今が常に今だから

混乱す

 

有りの侭の事を真理という・

「只聞く素直に、只見る素直に、心を持ち出さず」・

「言葉を離れ、概念」から離れ、思考から離れ、考えるな、思うな、イメージするな、言葉を持ち出すな、後から付けた名前に執われる」・

「心の働き、心の自由の働き、執り付きさえしなければ、囚われなければ」・

「隔てが取れて、身心一如、その時の様子、有りながら無い、実体が無い、言葉の世界、仮の姿、現象に過ぎない、幻に過ぎない、それが本質、夢相、有相が無相、空の実体、有りながら無い、無いながら有り、執着が落ちる」・

只、吸い吐いていればよい・

只、空っぽに・念が出てもほっとけばよい・

単々と、過不足なくやっていく・

生まれ前の心を出して見よ・

「単に成る=其の物に成る」・

瞬間の自覚の継続・

心のない心・

前後のない念成るだけ・

其処に居るだけ、何もしない・

念の無い処に居るだけ・

無我に突入して行く・

信念が邪魔をして進歩しない・

考えが邪魔をする・

「心の邪魔者を取りさえすれば、有りの侭が正法なんだ、真理なんだ」・

心の働きを捨てる(切る)・

念が出て来る前にじっとおる・

事実だけをやる・

事実だけを守る・

余念無く・

自覚症状=悟り・

一回の経験・

只聞く

「仮で有り、本当だから(空)という」・

主人公とは生まれる前から備わっている働き

お茶と呼んだらお茶の味がす・

自分の見方を使わずにそれが非思量と云われる過ごし方・

只、事柄のみが在るようになる・

子供は欲は無い・

周りの景色は自分が写っているのだ・

鏡=仏性・

無明が私を生んだ・

自我の意識は消える・

自分と言うものは無い・

自分に拘わらなくなって来た・

隔てが無くなって来た・

空っぽにおる・

空っぽになる努力(徹する事)・

(自我・隔てが残っておる)・

空に至っていない・

忘れて忘れて忘れているのも忘れていく・

取り切って行く・

心境うを練って行く・

真剣味が足りない・枠がない・

素直になる・

邪心がない・

自他の区別がない・

拘りを取ると自我などない・

考え続けて行き詰る・

我見が取れて来る・

疑義の念が起きて来る・

是は是・

理屈に囚われなくなって来る・

「只見・只聞・只やる・単調に成って来る」・

邪念を捨てて縁に従う(事実に従う)・

無いものを要求するから苦しむ・

有るが侭・

思うが侭、縁に従って自由に・

「今に成り切れば過去・未来は無くなる」・

「今を守り切る、どうする」・

「全て今・今で無いものは無い」・

今をハッきりする為に取り合えず呼吸に集中する・

拘り、囚われが取れて来る・

 

 

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

井上希道老師の音声法話より

井上希道老師の音声法話より

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

観念・概念・思考とは関係無い

説明以前に事実が有る

事実の中に没入する(成り切る・徹する)

 

20161122

見て見ていない・写るまんま・鏡の侭写っている・無我・分別しない・分別入れ無い・心を盗られない・「空・無を得る事」・徹して我を忘れる・「実体の無い働き=空

20161122

 

理屈無く有りの儘聞いて居る

心が治まなければ出来ない

自己が無くなって来る(静寂)

煩悩・雑念の入る余地が無くなる

衝撃的刺激を悟りと云う

心=実体が無く=空

空を得た時から始まる静寂

心は活動するから意味がある

今、今縁に応じて活動するから意味がある

囚われると問題になる

本性体得を見性と云う

不善を為さず

「心を活動、分別しない、意味が無い、只、囚われるな」

人格が変わって来る

分からん事が気に成らなくなる

理屈が解っても実力に成らない

波風が無いのに波風を立てる

余念無く事実のみになる

20161124

 

法我見が邪魔をする

単の練りが浅い・事実だけになる・妄想三昧・前後の念が取れて(工程の一つ)・

空になってみないと空の真相が解らない

 

自我がなければ事実の通りやれる

飛び廻ら無い・無我・次の今・

(自己が無くなる・自意識が無くなる・拘りが無くなる)・分別も自我も無い・無我の連続・執われない・隔て無く・見た侭が自分の世界・飛び歩かんようになる・空っぽにした時を過ごす・「坐禅は習禅にあらず、安楽の法門なり(道元)」・此の身が本当にないんだな・「見性する為に、本当の事を知る為に」・名相を離れなければ成らない・縁に従い・物に成りきり・迷いから解放・囚われなく・縁に任せて執着無く・真理の追究、体得する・空の体得・自己浄化(単を練る・単・即今底)・掴まえる自己がある・正体はない・縁によって知らせられる・縁が過ぎればなんも無い・「只見・只聞き乱れなくなる」・空の働き・「余念・雑物入れず」・

20161224

無い物を捨てる

無いと云う事が本当に解ると見性

20161224

心を動いているから・波立っている・無理恵の処・「得ようとせず捨てて帰ろう」・言葉遊び・観念世界・概念世界・自分が無くなる切るまで・「時の方向・空間の方向言うが」・絶対存在・天上天下唯我独尊・その時その物その限り関係づけて見ている・「同時=即今」・「論理に楊が無い・拘われが無い・自我が無い」・まず空を悟らねば・「何も言うこと・思う事も無し」・言詮不及・そうじゃないと手に入ら無い・

決着が付かぬ限り続かぬ

2017/1/20

理屈を入れずに、単調に素直にやる。

理屈が出たら捨てる。

頭は空っぽに成り楽に成る。

前後が無い。

心の中に跡形が無い。

頭の中に残ら無い。

2017/1/20

一隻眼を具す・前後際断・持ち応えらない・

言質(げんしち)・反論」・

無我の力「すると云う事は自我を運ぶ事」・何にもしない・本当の姿に出会う・

 

20170127 無心」

働き出す前の心が本当の心

{「20170129

先ほど食べたスイカの味はどうであった

あの音は何ぞ(飛行機の音)

何者が合掌しておるのじゃ

何と見る(タケノコの根っ子)」}

 

 

そこに居ればよい(正念相続)

出尽くしたもの

手を出さない

地切り場切り

「解った」と言うものが邪魔をする

自己の無い姿(本来無自己)

「単を練る」ことと関係無い

無いものを求める

求めるものは何にも無い

道理は後で解る事

道理を聞いてもしかた無い

無理慧の所

日常が救われる

聞く力

聞き取る力

思いを無しに見る

執われるが有るか無いか

全部自分の作り事で始まっていた

感情の支配が解消

拘らなく成る

拘われからの解放

一切の分別を入れては成らぬ

真実を悟るため

坐禅は手段であっては成らぬ

分別の入る余地が無い

仏を殺している元凶である

いつもの通り丁寧にする

「幻化空身即法身」

確認が取れる・(とど)まっていない・本来無いんだ・無いものを探す・何も無い所に行きつく所・

2017223

「言わず・言わず・そうか」

「痛いで・面白いもんだで」

「おまえ誰に向かって言っているのか・ああよしよし」

空っぽになって居ればよい

煩悩が無くなる

我見が強い人

縁を切る

只聞く力(感情を動かさず・囚われず)

同じ事をしても深浅がある

丁寧にゆっくり

今をやっていれば、自我が取れてくる

余念(知識・雑念)を入れずに

束縛・煩悩から解放(気楽・禅の様子)

心を使っていく(自由さ)

自我と云う縛りが無い(解放されている)

生死透脱

心の働きに過ぎない

記憶を持ち出す

言葉に振り廻されている

言葉の遊びをしている

 

2017/3/15 (山は山に非ず)

がいさい(涯際?)

形だけになる・

「何も無い呼吸・純粋な呼吸・有りの儘の呼吸」

「前後の無い・念の無い」

他に心を持って行かれ無いように・

拡散の心を取る

日常を修行として・

力が付いてくる・

念を入れず・

「心の実体は何も無い・縁に随って出て来る」一念心の姿

2017/03/15/ (山は山に非ず)

 

2017/3/16 

縁の出会い・

相手を取り込ま無いように・

雑物を捨てて行く

只、やるだけ・

余念が無く

2017/3/16 

 

如法・自我を殺していく・

波風がおさまる(本性が見えてくる)

 

「知的要求心・仏性を会得する」

「菩提心・努力心・向上心・向学心」

悟り(自覚症状の証)

 

2017/3/8禅修行

一事実を守り拡散する力を防ぐ

「観念・概念を切り離していて(一つごとに成り切る・徹する・自己を忘じ切る・事と一つに成る)」

(只聞くだけ・解せる等不可・分別・自我・執われから離れる事)

余念を入れずに

2017/3/8禅修行

 

2017/3/18

即今底を守る・今の様子の侭・念のない念・分別の前の念・其の儘の心・縁にとられないように・自己を運ばないように

2017/3/18

 

無限耳鼻舌身意(超越)2017/3/11

2017324 感覚のまま

とられないから

その時の縁に限り

思うこともない

「持続力・正念相続・落ち着くまで・決着が付くまで」

即今底を見逃さないよう

2017324 感覚のまま

 

自己は切れんぞ

一念心の純に行き着く

単になれ(純になれ)

只もあってはいかん(老尼)

自我が取れた世界(悟り)

 

2017329 単純

廓然として・連絡をたたれる・心に持ち込まない(加えない)・一息で切れ・ほっとく力が付く・邪魔されず・気がかからぬ様になる・透明度が増す・因果関係がはっきり見える

2017329 単純

 

機能の上に全自己投入

心を動かない・出て来ては捨てる

 

2017130

出てきてはすぐ捨てる

事実ばっかりに徹してやる

呼吸を守る

やりやすい

修行の方法

心が出て来ても放って置く事が出きる

着眼が解っただけ

相手にしない一点上にじっと

呼吸がはっきりになっていくか

2017130

 

今を大事に・今を離すな

心の様子

成りきる空であるとわかる

徹底する(我を忘れる・一心不乱)

 

一念心を究めた

空・自在

 

今あるべきように

あるがままに

只やっておる

われを忘れてやっておればよい

自他がない(衝突するものがない)

練りが深い

声の中に埋没させる(無字の公案・声を出させる)

「思う、考える事では無く、行ずること」

知っとる分だけ

無我の働き

初から自己はない(こしらえごとだから)

一つ事を守っていく(途中辺は無視していく)

あるがままにほっとく(天然の姿)

 

「ほっとくままで定着自然(天然)外道

そのままさとりそのまま禅)

熟して来ない▲熟させる

 

心の内に取り込まない

 

本来心はない実体がないなしもなし

正体を見届ける(見性)自我本来ない

事実が教えてくれる事実に任せ切る縁に任せて是非を付ける(是非を付けずに)

問題が起きなくなる自己に安住する様になるないものを欲っしたって得られるものがない不安・心配がない

 

無視する力

自動消滅するようになっている

わからそうとする(知識)

体得する

根本から枯らしていく

理屈で入るのではない

理で先にわかってしまうと・・・

自我・くせ・とらわれ

自由自在縁次第で何にでもなる)

 

「煩悩にならない捨てる力執われなくなる事実以外何も加えないそのもの一つになる空っぽにした状態頭が働かない邪心がとけて煩悩がなくなってくる禅の教育の特殊性」

 

比較対象

 

祖師の中でもカスが残っている者がおるので、まるのみは禁物だと(隠老師→大智老尼

 

わかるとは引っ掛かりがとれた

 

分別の入る余地がない

縁の様子・出合いの様子

分別するは心さわがせるもと

「徹する・忘ずる・空ずる」

 

余念を入れないように

やっていればいい

本質は何にもない

因果の法則は変りようがない

空である

物に引っ掛からなくなった

自分の本当の事が解った(悟り)

坐禅の要訣(邪魔物を取る・自我を取る)

理屈が無くなる

迷う根源が無くなる

 

20170704禅問答(牛過窓櫺(ごかそうれい)・尻尾が出られない・何故か?

言葉にとらわれ概念を通して事実で示す

視点を変える想像世界に入る引っ掛かっている事態が分からない引っ掛からない境地分からせるよりやらせないと

 

するんじゃない、作用として働く

「今になってない感情を殺しつくして体得せよ感情を終わらせて切り替えてその場限り地限り場限り修行上(波が治まり、透明になり、底が見えて来る)」

201775

 

探さず思わずに・・・

自覚症状(見性)

理屈が進むが実が伴なわない

禅機(相手に対)・禅要・法体

智恵自慢

自己のない働き

比較論を取る

「因果は無自性空実体が無い何にでもなる隔てが無い空といっているだけ悟りとは空となる事余念が無くなる実体験自覚症状景色が変る得たものを持ち歩く

くせをとればいいんだ

有我(自我)

心を一点に置く力

「事実と親しくなる隔てが無くなる無我になる只やっておればよい」

菩提心を起こすこと

「即念前後のない念心が発生する前の念形に現れていない念只管只事実と親しむ

「只、素直にする事が修行であり、行き着く処が悟り」

ないものを追い掛け回してもしょうが無い

空・無我

実体が無い・実体とすべきものが無い

心から安心する

思うな・思わない・只見・只聞く

 

井上希道老師の音声法話より おもいのままに

 

 

 

 

法相宗(五重唯識)

三論宗(八不中道)

天台宗(三諦円融観)

華厳宗(法界観)

真言宗(阿字観)

 

引っ掛からなくなり、迷わなくなったひと

【あるべきように・どうせんでもよい・縁に従って・おもわずしてやっておる・何にもする必要ない・理屈の入る余地が無い】

 

相手が思うのは勝手

現象・様子・消息

いくら考えても(らち)が明かない

無相が空

実体がないから執着のしようが無い

心の一切を使うな

むなしく時を過ごす

無我(余念のない事)

【眺める自己は迷える自己自己の本性を明らかにする(見性・悟り)迷え無いから自我がなければ淡々とやれる聞く力

言葉以前

縁に任せて(余念を入れずに)

根気よく、粘り強く

ただこれがあるだけ

迷えない

今ゝやるには知識はいらない

禅定を練る・守る(禅定・からっぽ

【観念の入る余地がない・分別の入る余地がない・ありのまま】

心の汚れ(自我)

意味付け

何もしない(心を空っぽにしてやる)

2014/9/14 観念を捨てる

2017/09/14観念を捨てる

自我を捨てる(理を捨てる・忘れる事)

理で解らせたり、理で解ろうとする

今は事実しかない

忘れて忘れて忘れたも忘れよ(白隠)

一切心を持ち出さない

観念世界に落ちる(何もしない・結果が出ている)

2017/09/14観念を捨てる

事に従い去る

自覚症状を悟りという

 

【(2017・9・24)無念の念(正念)・正念相続・正念を守る・(守るべきものが何もないところを守る・工夫無き工夫・(素直にただやってやるだけ)・実地実行(悟ることが目的)】

 

仏性をみがき出す

いつも安楽なの

禅は実行だから

空であることを体験(見性)

言葉で説明しちゃいかんぞ

考えさせないようにしないと

出ておるものには引っ掛かるな

ありのままにしておけ

一呼吸になれ

雑念してる暇がない

「大疑団で雑念妄想を切り捨てる、妄想する暇がない」

 

囚われの無くなった人

意を用いての要求が治まる

 

2017・10・4東京参禅会(1)

雑念に翻弄

放っておくように

引きずり込まれない手段として

一呼吸を守るように

一呼吸に注意を払うように

手立てがいります

即今底に焦点が徹し切るまで

これの努力を修行という、菩提心という

2017・10・4東京参禅会(1)

 

人々の世界・人々の会得

 

「何もしないところを早く見つけて時むなしく過ごす」

心の働き

他の念の起る余地を阻む

法の剣(疑団・疑念)

考え以前の働き

「2017・10・27

余念なしにやる・縁と一つになる・事と一つになる・自我がない・仮の縁の様子・自我がないと自覚する(悟り)・空に落ちる・無我に落ちる・無我がそのまま働らかなければならない」

妄想の世界・作り事の世界・無心の働き

2017・10・22一念の参究

一念心の正体(無自性空・通して体得する)

【一々の説明(消息・自覚の体得・会得)

口の先の仏法法我見大捨すべし妄想についていかない】

 

無我の体得

 

2017・10・25悟りの世界

心も身も忘れて無くなってしまう(自覚)

感情を復活させる

空想としてはあるが、実体はない

縁と触れあった時に出現する

どこかに有るもんじゃない

この音は何処かに有るんじゃない

引っ掛かるのは・・・心

2017・10・25悟りの世界

 

「拘り様が無くなり、引っ掛かり様が無くなる」

空の姿、空である

縁の転回だけ

 

言葉に囚われるからイメージする

死という今がある

「生の中に死を見たり、死の中に生を見たりしない」

生も死もない

念が起る前に到る(無我)

「無明というものはないが、引っ掛かっていることが無明であるから」

只管を守るのは難しい

 

2017・11・1己を知る

囚われて苦しむ

万物が生れてくる

「意識で取り上げさえしなければ」

「眼がある以上映る・眼のまんまにしておく」

「念を起さず・心をおこさず・感情を起こさず・何も思わず・何も知らずに見る」

ここを追求する

あるがままの本来に目覚める

唯一の道

只、淡々とやっておれということ

 

煩悩があるわけじゃ無い

執われるか、執われないかの差

2017・11・4 無碍自在

 

「事実・作用・事」

「従う(こちらを空っぽにする)」

「只、淡々と縁のままに無心にやっていく(成り切るという)」

「無念・雑念は汚すものない」

「やめさえすれば自由自在」

「観念・思考が落ちる」

「縁に任せて生死自在」

2017・11・6 音声法語

「一切に心を取られない」

「一切を無視する力」

「引きずられなくなる」

「?がつくと波風を起こす」

2017・11・6 音声法語

 

論理的に不条理

言葉に取り付かれる

「縁に任せる・従う・成りきる」

(はかりごと)をしない

一様でないから・・・

 

「実相即無相・空の働き・気がつかないからまよう・悟るということ・考えないと考える・自我の作為・計らい事・過去を捨てるという事は自分を捨てる事」

 

「心してやっているか、流れてやっているかの違い」

「己をなくしてそのものと一つとなって・・・」

「こだわりのない本来の姿」

「無心に・丁寧に・全自己・本分として」

 

三輪説法([身口意]?輪説法)

 

「今即ちこれ(即今底)・その時限り・」

「心を空っぽにして接する」

「本分を全うしておればよい(超越)」

 

「言葉となって迷いに突入す」

 

「引っ掛からなくなると・・・(言動等)」

余分なものが取れる

常に空っぽ汚さんように

空っぽを維持する・守る

なんにも出ない時間を、長続きするように

「頓知・詭弁・口頭試問」

何事にも引っ掛かる

残り物・調べ

余分な念なきに(自然に・只)

その時の心の様子

姿形が違うだけ

正念相続(修行)

言葉は道具(引っ掛からないようになる)

無(超越・空)

「因果の道理に従って生きていく・・・」

文字解釈

「自我が妨げているものがある」

「気に成らなくなる・ほっとく事が出来る・段々おさまる」

「自我がない・無碍自在(悟り)」

「空のところを守る・只・只管」

「今だけにずーとおれるようになった」

「落ちきって悟るまで」

「自覚症状」

「目が目をしただけ・耳が耳をしただけ・私がしているのではない

「煩悩が煩悩しているだけ」

「心が発生する前にずーとおればよい(只管打坐)」

「現象を捉えた現象論」

「不知の世界」

「大小ない(概念から離れる)」

「一様子」

「縛られると苦しみとなる」

「引っ掛かったら煩悩となる」

「縁がなくなったら消えてなくなる」

「雑念から離れようとしない」

「何もない・自由自在・出入り自由・縁に任せて・(何かあると引っ掛かる)・(そのものが縁に応じて活動す)」

「今に隙を与えないように」

「静め様としない」

「自我のない心の働き」

「無為自然」

「邪念・煩悩出ない様に」

「迷えなくなる、ハッキリするから」

「探しに行ってもない・ない物を探す」

「実相は流転して無相となる」

「美しいと思う主体がある」

「自分のない親切」

「言葉に引っ掛からなくなってくる」

「比較対照する自我」

「縁のままにして心を動かさない・分別しない事・知性を運ばずに・静寂のままになる

「体がなくなってしまう・引っ掛かるものがなくなってしまう」

「縁のままにしておく事が大事」

「意を運ばなければ」

「自己なしでやる」

「素直に単々とやればいい」

「邪魔ものを殺す・いらんものをとる・あるがまま」

「理屈に引っ張られる」

「何もしない・縁に任す・自己なし・無我でやっている・心が発生する以前に、・・・・縁に応じて・一つになる・(無心、無作でやって居る)・知的行為を何もしない・思考系オフ・感情系オフ・心を使わない・自と他対立・変わらないものがある」

「道理より実行」

「知恵が働き・利が走り・理屈屋・理屈の人」

「因果に任せ切る」

「何とか言おうとするものをとる・空っぽになる・単になる・ただやる」

「目は目の用をしているだけ、耳は耳の用をしているだけ」

「念の発生する前」

「心として発生する前」

「只、単々とするだけ」

「変化していく真実を空という」

「空と呼んでいるだけ」

「五感の事実のままに」

「離さないように・引っ掛からないように」

「念が見える瞬間、消える瞬間が分かっている」

「念の出る前に居れば良い」

「心を虚にして、空っぽにしておればよい」

「1+1=2(一方は働き)・1+1(ありのまま)」

「常に空っぽにしておく」

「余念なく、雑念なく出来るはずだが」

「サラサラ引っ掛かりなくやっていればよい」

「言葉に用のない世界に突入しなければ・・・」

「引っ掛け言葉にすぎない」

「作用しかない(無我だから)」

「動作させられているだけ」

「我点がいかないから」

「外に何もしてはいけない」

「知る必要がない」

「思いで動いている」

心そのものは善でもなく悪でもない」

「善悪を超えてやる(無心でやる)」

「気にするものがなくなる」

「動中で今々をやっていく」

「比較の念」

「単調・只やる・単を練る・余念雑念入れない・一心不乱・そのことだけに」

「今を味わえるようになった・安住する・縁のままに任せる・そのこと自体になる・任せる・邪魔をするものがなくなってくる・邪魔物をとる・一つに没入していく・とらわれてやっている・安楽の法門なり・自我をとる為・自我のない世界没入していく・我見にとらわれる・執着(自我)・引っ掛かったらダメ」

「心が今発生する」

「余念の入る隙が無くなってくる」

「引きずり込まれる」

「朝から晩までやり過して行く」

「思うことをやめなさい」

「概念・言葉・思考から離れる」

「外に知るべき真実はない」

「外のことをしてはならない」

「余念を入れずにやっていればよい」

「心を拡散させないこと」

「未悟の時」

「道は求めんでもいい」

「考えて悩むなら考えない方がよい」

 

 

『「20183・13?

只は仏の心・悟の内容言葉の無用・真実と一つになる寂然として来ないと・空っぽになって来て超越見聞覚知に引っ掛かる

意に持ち込まない・見て見ていない・聞いて聞いていない・体が無くなる・見聞覚知が無くなる放っとける極く楽になる」』

「呼吸しながら数をかぞえる、二つの事をしている」

「呼吸だけの世界・観念、思想、概念から離れた世界」

「事実だけの世界(歩くだけ・聞くだけ・食べるだけ)」

「前後が取れさえすれば楽になる」

「引っ掛かりなしに・・・」

「心と関わらなんから・・・」

「思う煩う動機がなくなる」

「己を救うのは他を救う為」

「禅マニア」

「つまらんことを考えなくなる」

「ないとこをあるように考える(悩み)」

「空っぽの所を護持するのは大変なんです」

「すべて心の影」

「頭で分ろうしてはダメだ」

「2018・4・13 事実に任せて」

「ああ思い・こう思い」・「過去の残物、今が死んでしまう」「出たものに着いて廻る」・「念の起こす必要がない」・「心のなかになにもないから、・・・」「空っぽ(非思量)」「ないものを求めてしまうから、・・・」「隔てがなくなる・涯際がなくなる・求めるべきものがないとわかる・自覚症状(悟り)」・「事実と親しくする・頭を持ち込まない・探す愚をやめる・頭ありき・理屈を持ち出す」・「早くそこを脱出した方がよい」・「犬が自分の尻尾を追い駆け廻る」・「自分で作り出した理屈」・「」「2018・4・13 事実に任せて」

「価値評価をするひまがなくなる」

「身も心もなくなる、我を忘れてやっている」

「やることはなんにも無い」

「知が付いて廻る、分った分らんが付いて廻る」

「知るべきは今の自分の様子」

「何も考える余地がなかった」

「煩悩との闘い」

「成り切る(三昧・徹底・一息)」

「悟るべきものが無かったと気付く事を悟る」

「自覚症状の事を悟りという」

「気付き方が違う」

「そのものによって自己を殺されている」

「縁によって自己を殺されている」

「何も出ない所・振りかえない・放っておく・空っぽになる・」

「我を忘れてコロコロやれるようになる」

「坐禅しているつもり」

「出て来ても関係ない」

「計らい事をせず」

「本来の心(何もない心・静かな心)」

「比較がない」

「本当の事を知る(真理に目覚める・安心する)」

「道理を教えられる」

「煩悩なんかないじゃないか」

「どうすればいいのか」

「安心出来ているのか」

「着眼を間違わないこと」

「一つに成り切る」

「疑義の念を入れさせない為にやるんだから」

「考えんでもいい、思わんでもいい・・・」

「解脱した時の内容」

「不条理・正解がない・解答が無い・只聞くや音として聞き取る」

「只聞くだけ」

「引っ掛からないこと」

「出たらすぐ捨てる」

「法の剣(無字・呼吸)」

「一切の見を持ち出さない」

「言葉に引っ掛からない」

「言葉に真実はない」

「事実が真実ある」

「考えるという世界に飛び込む」

「空想の世界」

「本当の心(何もない心・空っぽの心)」

「解答がないでしょう(一瞬は何歩)」

「思考以前の反応」

「悟り(本当に分かる)」

「執われる根源」

「雑念・煩悩を入れる余地を与えるな」

「いたり得た世界」

「考えを捨てる」

「公案は相手を確かめる為にある」

「疑義の念」

「歪んで写って取ってしまう」

「行の招く所」

「呼吸が楽になる」

の眼耳鼻舌身意」

「執われない」

「空・無の体得」

を持ち出すな」

「眼を開く」

「ほっとく事が可能になる」

「型はするが禅になるかならないか」

 

『2017・6・15 名法語

「考える必要がないのに考える」

「用のないことだから使わない」

「心を使わないのが禅の極意」

「問題がないのに問題を作る」

「心配する事も迷う事も起らん」

「縁のままにならないと悟れない」

「知的世界で心を揺るがす」

「倶心が全くなくなる」

「計らいを入れずに出来る」

「縁に従い去る」

「心の癖を落としてくれる」

「分別があった」

「自己が無くなってくる」

「認識の世界を超えてから自覚のしようがない」

「疑義の念が起きやすい」

「意識を持っていってしまう」

「只聞く(音に聞く)」

「意を持ち出した途端に・・・」

「意・念・感情まで持ち出して惑乱葛藤する」

「意を持ち出さない」

「法(不変・不滅)」

「総てを捨て切ってしまう」

地一下(外部刺激で・・・)

「無とは計らい事のとれは空っぽの様子」

「無心に聞いて無心に応じる」

「感情に踊らされる」

「性(宇宙の真理)(もともと)」

「無(超越)」

「初めから言葉はいらない」

「感情作用」

「概念・言葉・表現の世界じゃない」

2017・6・15 名法語』

 

「気にした時が妄想」

(いじく)らないないこと」

「邪魔にならない・相手にしていない・対立してない」

「見るままに・聞くままに」

「過去を引き出して比較する」

「味わいになる」

「思いを差し挟まなければ・・・」

「心を貸さない事」

「思い煩う事がなくなる」

「心を用いずに・・・」

「何にも無い所に任せ切る」

「簡単になること(無我)」

「意識の世界じゃから」

「機能だけ」

「一瞬の縁の様子」

「分別せずに分かっている」

心空なれば自在なり」

「後を残さない・振り返らない・是非しない」

「有りの儘に任せてやる」

「只管活動」

「堂々・只管・さらさらやる」

「有仏・無仏にも執われない」

「役に立たない悟り」

「自覚するか、しないか」

「これが本当に出来る人を仏と言う」

「自覚作用(はっきり)・見性・悟り・脱落」

「執われから脱出出来ない・抜け出せない」

「あちらに心を持って行かない(無分別智)」

「心を空っぽにしておくこと」

「ほっとけば、勝手に出て、勝手に消滅していく」

「後で取り上げるから雑念・煩悩となる」

「他の念を入れない」

「死に任せる・生死透脱」

「止め置き」

「見性は作用にある」

「今は作用の連続」

「世念の入る余地を与えないでやっていく」

「一見・・・に見えるが」

「事を分別するから・・・」

「只管をもって只管する」

「理に走るから・・・」

「分別が入らない」

「言葉に囚われない・相手に囚われない」

「心のあれこれがすーと落ちる」

「滅・忘・成り切る」

「空(自由自在)」

「心が騒がることがなくなる・使わなくなる」

「即今(空の働き)」

「法になり、真理そのものになっており・・・」

「只管活動」

「悟りとは今がハッキリしたと同じこと」

「余分な念を差し挟まない」

「事々確認の連続」

「悟りを持ち出さなければ法となる」

「心を虚にして居れば良い」

「今の事実の真相を書いてある」

「働きが別世界」

「知性や分別では届かない」

「念を動かさず、心を持ち出さず」

「空想力に迷わされる・今しかない・用がない・わからんし」

「斬られたことを考え、斬られたら痛い」

「火は熱い熱い熱い、熱くはない」

「食事食べた食べた腹はふくれぬ」

「無いものに苦しむ」

「仮想の話・仮想想念」

「煩悩妄想に用がなくなる」

「言葉に迷う」

「今をハッキリさせる」

「無いものをさがして求めている」

「心の中で(いじく)り回さない」

「一つ事を守っておれ」

「守るべき無きものを守る」

「囚われ引っ掛かり」

「精神活動・機能を停止する」

「はじめから無我だった」

「無我の働き(無の働き)」

「気にするから」

「心の動きをよく見る」

「どっから出てくるのだろうか?」

「音と同じだから(心)(出たらパット消える)」

「引きずっていると、・・・」

「出てくる前の心のハッキリすると見性」

「只淡々とやっているのか問題ですから。」

「手に任せ・縁に任せ」

「事実が流れとしてあるだけ」

「もはや何もこだわる必要がない」

「不安というものに不安していた」

「煩悩する必要がない」

「無我の連続」

勝手に出て、勝手に消えてるだけじゃないか

「只、坐っておればよい」

「縁を避ける」

「純粋を守れん」

「引っかき廻すことを避けて環境を選ぶ」

「活動する前の心(本来の心)」

「観念現象」

「バーチャルから解放される」

「人の体験は人の体験」

「雑念なんかほっとけばいい」

「振り回されるから煩悩」

「雑念を無視」

「雑念にならない・使われたら煩悩・使ったら菩提」

「今まで寝ぼけていました(悟り)」

「自覚症状のない悟りは悟りではない」

「自分の心に束縛を受けない」

「理屈が分っても役に立たない」

「念が自然に出なくなる」

「念も静まる」

「無限の自分がある」

「自分がない」

「有りの侭事実がよくわかるようになってくる」

「言葉に真実はない。言葉以前に真実がある」

「本来の心に目覚める」

「我のないこと」

「脱落の自覚」

「身を忘れる・心を忘れる」

「縁に任せ切る」

「空っぽの所で自由に動いている」

「何も無いから引っ掛かるものが無い」

「一瞬の様子しかない」

「無くなった(認識が起こったとき)」

「放念して」

「自己を忘じて三昧底」

「言句上にあらず」

「一年栄西・六年明全・三年中国・二年如淨禅師」

「余計な計らい事をしない。これが坐禅だ」

「只写すだけ」

「余分な計らい事をしない」

「余念さえとれば、只のなる」

「あなたの作り事。作り事をやめる」

「その時に任せればよい」

「想念によって亡霊に怯えているだけ」

「想念を連続させるもの」

「頭を介入させない」

「雑念が見えてくる(静かになると)」

「呼吸を見守り続ける」

「今に目覚めるを悟りという」

「空なることを体得する(見性)」

「事実ありき」

「言葉を必要としない世界」

「質問として捉えている」

「説明しようとする」

「説明で余分なこと」

「言葉の世界は空想の世界」

「《いいようがない》とわかればよい」

「後をのこさんだけ」

「実体がないからその場その場で終わっていく」

「一心(無我)」

「病に任せる」

「自由自在に転回していくのが心」

「無我の動作」

「意を用いず、只聞く、善悪を超越するのが禅です。只聞いて、只見ること」

「躊躇しない事」

「思いを捨てれば簡単な事」

「手を付けせえしなければ・・・」

「絡めとられる」

「取り付くと・・・」

「単一純一になる(只管打坐)(只坐るだけの力)」

「一つだけになる」

「思考の世界と係わりがない」

「心を捜すんじゃ」

「純粋なこと・ありのまま・仏性のはたらき」

「観念の世界・バーチャル世界・実体がなにもない」

「なんにもないことを体得するを悟りという」

「無我の働き・無作の動き」

「事実ありき」

「思考系が不必要」

「私心がない(誠)」

「読んどるより行じているほうがよい」

「読むより参ずる」

「行じて徹すること」

「心虚にして只やる」

「拡散の事実をおさめる」

「一心不乱」

「心の様子」

「今をはっきりさせる」

「心が心を迷わす」

「無いものを追求するだけ」

「出たものにかまうな」

「いらんもんを取ってくれるから」

「なんにも無いものを求めて・・・」

「求めることもやってはダメ」

「只やってればいい」

「只是の如し」

「もっとも単調になって」

「引っ掛かる自己が取れて」

「即今底に時を費やしている人は少ない」

「公案の域を超えていない」

一隻眼を具した位で、皆途中遍じゃ」

「そのものになって活動三昧になって・・・」

「身贔屓が出てくる」

「わかる、わからぬに落ちぬこと」

「無心というも空もない」

「只是の如くあるだけ」

「言句に取り付くな」

「他を見ないから比較がない」

「頓悟の前に練りがある」

「何にもしないままにしておく

「本当に無い事を確認する」

「自他不二」

「精神現象」

「時間軸」

「事実に従いなさい」

「作り事の自分にさめる」

「気にならなくなる」

「言葉から離れ、概念から離れ」

「思いの縛り」

「後に残さない」

「分析したらダメですよ」

「邪魔物が無くなるとサッパリする」

「自分でしておることがわからない」

「虚しく時を過ごす」

「枯木のように」

「木石のように」

「身も心も忘れ切る」

 

『2019・4・8 4・9 即念・只する

「心の出てくる前の所」

「即念(空っぽ)(無念無想)」

「自覚(見性・悟り)」

「即念の事(雜物のない事)(前後のないこと)(無念の念)(今だけになる)」

「からっぽが変化していく」

「自由無礙」

「人と思ってしまうと・・・(地面だと)(只見て終わらないのが)」

「聞きぱなっしが出来る」

「認識が入らない(バカになる)」

「なんにもない所」

「ないものをつかまえて(縁のままに)(五感に任せて)」

「働きがあるだけ」

「言葉が出る前の処」

「心を持ち出さず、やってればいい」

「本を読み散らかしている」』

「その間練っていた」

「すべての迷いから離れている」

「知識でものを見る(事実でものを見る)(夢を見ている)」

「独坐」

「即念の没入(垢を落とす)」

『2019・4・8 4・9 即念・只する

 

「二つにものを見る癖」

「知りたいという欲が落ちてくる」

「徹している(我を忘れている)(現成している)」

「別世界に入って作ってしまう」

「空っぽのところが大事」

「空っぽを維持するのが難しい」

「無人島には人はいない、探し廻っている」

「出ても相手にしない力」

(かかわ)らんから煩悩とならん」

「出てきてもほったらかす」

「自己消滅

「心を究めようとする」

「煩悩との闘い」

「煩悩(考える癖のみ)」

「子供には煩悩はない」

「なんにも思わない(赤心に帰れ)」

「出る瞬間消える」

「消えておるから次の働きが出来る」

「一念心の出てくるもと」

「心なんて別にない。働きとしてあるだけ」

「南泉18才大悟」

「答えようとする」

「これがこれをしようとする」

「誰がしようとしているか」

「認識以前にわかる」

「無分別の分別」

「只、聞き取り、聞き去る」

「分別せずにまず見る」

「体験禅」

「今しかない」

「己に足り他を羨まない」

「安住する力がある」

「心が騒がない」

「安心出来ない」

「心が騒がんようになったらそれでよい」

「知性を持ち出して・・・」

「問題を引っさげて・・・」

「問題視して」

「綺麗に消えて行く」

「夢を追いかけて」

「一息を守るだけ」

「空なることが分ってくる」

『聞きぱなし・音との関係の道具・カアカア=カラス・カアカア=カアカア(概念が出なくなる・聞く力)(心はポット出て、出た瞬間が見えて消えていく)(働きのことを言っていて実体がないんだ)』

「心が動かん」

「自分の心を自分が自由に使える(無我だから)」

「慈悲の塊」

「迷いがない」

「考えや観察が入るとすぐに捨てること」

「作為があれば出来ない」

「任せて知らん顔して」

「空っぽの所に任せておく」

「気にならなくなる」

「相手にしている限り・・・出てくる」

「あるがままの事実をそのまま素直に受取って終わっていればいい」

「一つのことに徹し切らないと前後が取れないから」

「求めるより実行しなさい」

 

 

 

 

 

井上希道老師の音声法話より

井上希道老師の音声法話より

 

井上希道老師の音声法話(後)リンク先

 

渡辺 充(KB会)ネット動画(前)リンク先

 

渡辺 充(KB会)ネット動画より

渡辺 充(KB会)ネット動画より

渡辺 充 (KB) ネット動画

(佐藤 正真老師の印可19272004{原田 祖岳老師の弟子})

東京都

ネット動画(毎月末水週日18302000

 

思考は言語化された感覚

迷いは存在しない

思考者(自我)・抽象

思考者(自我)が考えと戦う

葛藤が起きないと自我が生まれない

自我なんていらない

対立が生まれる(自我がある為)

自我があるから五感が弱まる

自我がなければ五感が強まる

自分だと思い込んでる

自分という塊があると思っている

自我のあり様がない

即今今だけ・過去がない

あり様がない

自我が有ると錯覚す

生と死が分別を起さない

中道の意味=分別を起さない

錯覚さえ落ちれば

我を捨てて(死人となりてなりはてて)

「因果=空=空っぽ=実体がない=炎=川の流れ=固定的な物がない=時間的に継続する物はない」

 

経験・経験者(抽象化)

経験が経験者を作る

因果無人

環境と自分が一つ(無我)

自我がないと見破れない

「汝これ彼(鏡)に非ず、彼まさにこれ汝」

無明が私を生んだ

条件付の塊が自我

過ぎ去り(空)

動かなければ良い

努力しない事が難しい・何もしない(坐禅)

とどまる事

方便

三昧

我が落ちる(無我)

我々は感覚であるのみである

あっちちの時は自分はない、だからないんだ

分別が動くから自分が発生

目が目を探す事は出来ぬ

感覚があるだけ

天上天下唯我独尊

身心脱落=悟った所

脱落身心=悟りがなくなる

状態に戻って(居て)気がつかない

迷悟なくなった時、完璧に我が落ちた時

生老病死の根底は分別にある

自他の分別(無明の根源)

末那識(自我)

完璧に我が落ちる

自意識の枠が落ちる=空

自他の分別のない智慧

思考が落ちている

思考の停止は出来ない

考えない(動かない)浄化される

刺激を切る

思考が落ちる(作業)

退屈から生まれる

私がなければ思考が途切れ途切れ

観察者

思考者

私が考えていると思う

方便(思考の連続を切る・連鎖を切る)

自我が自分と見做す

(つな)がっているものはない

継続するものはない

継続性の感覚をもつな

継続性をこっち側が作っている

瞬間瞬間切れている(前後際断)されている

生死も抽象概念

自分がいると思うから様々が見える

気が付くしかない

生も波、死も波(不生不滅)

因縁そのものになって生きている

「因縁に逆らわない・我を出さない・流れに逆らわない」

欲は持つことは、辛いこと、苦しいこと

「欲が有ろうが無かろうが、入ってくる時は入ってくる」

「安定な自我はない、苦しい自我ない」

連想する事が自我

「感情をただ見つめる。何もしなければ良い」

迷いの根源は救われたいという願望

心の問題

「騒ぐから・嫌・逃避する・心配・悲しみ」

主体は無い(無性)

打つ手がないと分かる事が重要

(いじ)らない

全く錯覚している

環境即自己

自分というものはこちら側

心配はないんだ

自分というものを立てるから

生死を脱す(死ねばよい)

実は分別していない

「思考は問題ない、思考者を立てると問題となる」

観察者

自分という者が無くなると心配が無くなる

心配を離れようとするから苦しむ

思考者は思考の産物である

その様に見える

思考者が問題である

悲しみから離れようとするから苦痛

即今只今

目的を持たない

腹が立っている事が問題

落ち着いた心に持って行きたい

不安から安心へ

憎しみから愛へ

心の内側が問題

苦しい時、悲しい時、動くな(有るが侭)

解決しようとしないで、其の侭、有りの侭

自分という者を立てるから問題となる

自分という者が有ると思うから

悩み、苦しみに打つ手なし

縁が無くなると消える

非思量(考えないことが出来るのか?)

熱い、寒い、悲しい、憎い、可愛いで終わる

思っちゃいけないんじゃない。二念を継がない

応無所住而生其心

因縁が無くなれば消える

実体が有る訳じゃない

自然に消えていく

癖を直す

二つ(自己)に分ける癖が無くなる

只、即今、今いる

其の侭でいるしかないんじゃ

悲しみがなきゃおかしいだろう

解放されようとするな

いじっちゃ駄目

其の侭にして置く

葛藤から逃れようとする

ほって置く

感情は感情

言葉でいじくると悩みになる(葛藤状態になる)

気に成らなくなる

心理的なもの

言葉のもの

自己が無くなれば

傷付くかどうか

傷付いた侭

保護しちゃう

無防備が完璧な防備

()()の譬え

死、只死ねば良い

只の一言で済む

死と言うものを外に立て、自己を立てるから

死ぬ事が苦しいなく、二つに分けるから苦しい

(いじ)らない事、先に行かせない、其処(そこ)()どめて置く

生死に実はない

自己が無くならない限り

死ぬ者が無くなる

死ぬ者は元々ない

死ぬ様に見える(夢・幻)

思考→動き

思考があると思っている

思考を動かさせるのは、因縁で動いている

思考者がいない(空)

私があると思っている

実体があると思っている

対立がない

身心脱落(自分がない・身体も無い感じ)

私がなくても自意識・五感は出来る

思考が生まれ、思考者が生まれる。(身体とくっつく)

自分と自分の身体といっしょにしてしまった

勝手な思い込み

身体と心を分離す

身体は実体としてない

照見五蔭皆空・度一切苦厄

皆空・身心脱落(同じ)

無意の真人・絶学無為の閑道人

因縁で起きているだけ

実体があるわけで無いので総て消える

実体がない(思考者)

何もしない為の訓練

対立(幸・不幸・生・死)

具体的な物には対立は起さない

抽象的な物に対立す

利害・是非・善悪(分別)

抽象的なものに葛藤を起さない

実体化してしまう

現象に生と死と分けているだけ

実体とあると思っているだけ

実体があると思っても駄目

経験はあるけど経験者はない

(つな)げている者はない

抽象化されたものを実体と思っている

断見・常見=自分を立てる

頭がそう作っている

自空・法空(対象・相手がなくなる)

境界がない

見た侭・聞いた侭バラバラにしない。この状態が空

対立がない、全く同じもの

全部自我

対立がない・衆生本来仏なり・四智

実体が無いことは全体となる

精神の安定、自己と宇宙の融合・安定

やってることを具現化

空からの解脱

迷っていると思っているだけ

気が付くプロセス

新しい状態に行く訳ではない

空(シニャータ・ゼロ)

空(塊がない)

塊がある様に見える

空を無常ととる

バラバラが本来の世界と思う

バラバラにした自分

自他を作る

実際の世界と思い込んでいる

バラバラでなければ一つ(如来・仏)

空=平等

個体がある訳じゃない

作り上げたものだ

実体化されはもの

事実だと思い込む

抽象概念(123

実体があって抽象化したもの

実体があると思うこと

自意識が無くならなきゃならない

五感を取って残っているものは無い

感じている主体がなくなった感じ(身心脱落)

思考が作り出したもの・仮空のもの・実体のないものを作り出したもの

自分環境を作り出した

絶対に安定しない

自分という者は体だと思い込む

対立すればするほど自意識が強くなる

自意識がないと気が付かない

問題が無い時は気が付かない

問題がある時だけ自意識が働く

無常の因縁がなせるだけ

決め事が無いと説明出来ない

自意識を持たない

山・川は対立因縁を持たない

対立関係を持ち易い

主体(自我)は抽象の(言葉)の抽象

自我しかない問題

死の恐怖

生死の始まり

迷い(生死)

意(思考)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自我(140924KB

自己イメージ

実在しない・根拠を持たない

意味の世界

本能が壊れてしまっている

自我の組み換え

生知ー生まれながらの大悟を四種類に分ける

カスが付かない

自我ー元々無い物を無理やり作り出している

自我を体に限定させている

因縁が有るだけ

素粒子は概念

因縁が生まれ変わる

業が生まれ変わる

何々から離れようとするから苦痛

本来は憂い無い

無意識が意識に表れるのを自我と思っている

流すことは何もしない事

体(身体)は自我が無い

身体は宇宙と(つな)がっている

精神を浄化する

中味が構造を作り出している

「身体がある」という感覚は間違い

葛藤が無くなる

身心脱落(身が無くなる)

大悟徹底は目的ではない

思い(わずら)うな

成る様に成るから心配するな

守るものがない

命に対する執着

対立の無い世界を仮に極楽と呼ぶ

無限絶対の存在

自分を忘れて一生懸命やる

我を無くせば良い

只聞く

こっちを立てない

憎に対して憎で返す

自我を喜ばせた

我が入っているとダメ

自我(140924KB

・・・・・・・・・・・・

数息観

調身・調息・調心(息・心「数息観」完全無

見・一分で二回)

数を数えている自分が無くなる事(三昧)

雑念を嫌がらない・悪いものでは無い

考えごとになる(一つで終わらせる)

思考を切っていく

連鎖が無ければ悩みが無い

思考の流れが有るだけ

引きづるだけ

調心、一回事に切る

(ただ) (ひたすら) (うち) (すわる)

声を聞こえている自分がある

余計な物が付いて無い

思考と思考者が別れている

思考者を落とす作業

思考も落とす作業

何かに集中する

身口意

思考を見れると思う

思考者がいると思い込む

思考者はいない

思考が動かしている

体の内と外を分けちゃダメ

自分の体を自分と思い込む

誤解さえ解ければいい

知覚している者はいない

自我を発生させて、自分がいたい病

主体・客体・客観・主観を分ける

自分と環境を分ける

まず先に写真が先に写っているだけ

抽出している(頭脳の働き)

印画紙(空)(全体が印画紙)

空間は一つ(空)

空は見えない・実体化されない

境目が無い

境目が有る様」に思っている

同時にあるんじゃない

切り取った環境(イメージ)

今しかない。過去・未来断絶されている

切るしかない

連続していない

人間の思考が見ている

空は誰もいない・スペースがあるだけ・時はない

時間はない

個別バラバラに見ている

空・物が無いから、時間が無い、空間が有るだけ

有ると思っているが、誰もいない。有ると思っているだけ

実体と見るから思考の抽出

バラバラにした事は悪い事ではない

数息観

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

思考・自発・自由意思

燃える=エネルギーが下がる

炭素・木(CO→C→CO2へ

観念

我=幻想・実在しない

自他の分別が根底(己事究明)

思考は物質的過程である

入力し出力だけ

自由意思がない

只管打座の真髄(非思量・只思量の侭にいる只思いの侭・

思考を

止めるのでは無い・手を加えるな)

思いを其の侭流す

只見るだけ・観察では無い

執着しなくなる

分別が落ちる

記憶の実体化

只の経験

束縛しているのは過去

過去と未来はない

過去を見つけた人はいない(抽象)

過去から脱落する・脱落している

メモリ替えたらどうなるの?

過去はない。過去を見つけた者はいない(抽象)

実体だと思ったら実体に使われる

束縛の原因

過去からの脱落・既に脱落している

即今只今意識出来ない・過去と未来しか意識出来ない

今を意識出来ないけど、今に成る事は出来る。

自分というものが有ると、今は意識出来ない

即今(空)

対象を意識する事は出来ないが、それになることは出来る

不知は無記(うさぎ・赤ちゃん・分析しない)

幻想(無明)()無いものを有ると思っている

淡々と

縁に任す

希望を持たない

希望(欲)は敵

思考・自発・自由意思

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

死んでどこへ行くのか

個人が生きていると思っているのは錯覚

宇宙の生命体は一つで色々現れる法身仏

法身仏・阿弥陀仏

迷いの根源は救われたいという思い

心配はない・悲しみはない(外に見た時に何とかしたい)

 

自分と自分以外を分別す

自分というものを立てるから問題となる

思考者を立てるから問題となる

自分を立てるから問題となる

自分というものを立てるから苦しむ

 

心配を離れようとするから苦痛

思考者は思考

思考者は思考の産物

私が心配する

死んでどこへ行くのか

 

 

渡辺 充(KB会)ネット動画より

渡辺 充(KB会)ネット動画より

 

自意識の根源

分別を持たない(子供)

不思量底=無意識=非思量

考え事=白昼夢

分裂が自我

見る者と見られる者と対立

自我意識は本来対立感

緊張が取れて来る・顔が変わる

只、見る・聞くが本質(仏性)(思考が無い)

大円鏡智

平等性智=空

妙観察智=差別

成所作智

意図していない

主観たる自分が存在しない

主体は無い・思考者はいない

 

意識が流れて行くだけ

それを悟りと呼んでいるだけ

 

八識は時空を越えている

何々と考える・実体が有ると考える

思考者を作るから

抑圧ある所に矛盾が生じて自我が生まれる

思考の妄想

成り行く主体を作る

自己を作る事

無字と自分を融合(三昧)(一所懸命)(成り切る)

あえて公案みたいなもので二つに分ける

元々はこうだったのだ(見性・悟り)

本来、今仏だ

幸せになりたいと感じない

不幸の時幸が生まれる

幸せを求めないのが幸せ

必ず壊れる・無常だから

人間」・自分が作ったものは必ず壊れる

三界には安定する場所が無いが、安定を求める

聞いている主体は何

法身仏=空

相()=体

法身仏=

「たしかに、生きる者を知りにけり

泣けど、笑えど、只、なにもなし」

状況を替えようとする、脱しようとする

只、(つら)いだけ

空性が解っていない

求めるものがあったら苦痛

追体験

忘れずに忘れている

考えない訓練(坐禅)

自ら悟りがやって来る

相手を追い込んで行かないと()師家の?

花が咲いて枯れる様に

(から)さを味わうと消える

自意識の根源

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

途中家舎

追体験の構造

途中(差別)

帰舎(平等)

無我無心で生きていく・我を出さない

 

本体は自分の体ではない

体中何処にも無い(自己)

話している主体なない

(かたまり)がない

ないからないんだ

自分はない

何かが動いている(認識対象になりえない)

状態があるが主体がない

別、本性

無位の真人、如来

気がつくか、どうか

障害をどう取っていくか

理屈だけ実感がなくても理解

人形

無いけど動かしている

ワード・エクセルは見える。ウィンド10は見えない

悟り臭い

分別も落ちている

境涯

我を出さない(思考停止)

実感出来ない(自己・我)

あるように感じている

葛藤しているだけ

自分を感じている痛みを感じている

葛藤が自意識、自我を生む

問題にしちゃダメ、病気なんだ

意識化

思考が生まれる。それを見る思考

思考過程が生まれる

体が癒してくれる

外のことを考えない

動かない事(体を止める)

注意が自分の方に向かって来る

言葉が浮かば無い

三昧

無心、思考は出る

自我・自意識は容器の外側

自分に意識を(つぶ)す(無字・南無阿弥陀仏)

三昧・正念・正受・無我・無心

何かに対象を立てて自分を殺す

何もしない

意思化したら消える

感情と体はくっいている

「私が処理してはダメ体が処理する何もしない」

思考過程の結果

思考は停止(何もしない)

自意識が無くなる

思考自体は悪くない

自意識を持つ思考は悪い

問題は葛藤なのだ

感情が入ってきたらダメ

感情と共にいる

途中家舎

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

渡辺 充(KB会)ネット動画より

渡辺 充(KB会)ネット動画より

 

・・

 

 

思考言語化された感覚

過去も未来も思考の中しかない

自我が落ちる

現象

葛藤(精神が摩擦を起こしている)

葛藤の無い精神

空の思想ー竜樹(実体が無い・流動している分けられない)

実体が無いから分けられない

境界が見つからない

分けてみている

六識=感覚の総合

意=思考=感覚と見る

心は感覚じゃ無いと見ている

言語化された感覚

感覚の主体が生まれる(錯覚)

心に引っ掛かったら無明

自我・自意識・世界をバラバラに見る(分別)

流す(只)

闘えば主体が生まれる

我を立てなければ良い

六識=脳で処理している

知情意

七識・八識

「坐禅=七識を消そうとしている

八識を意識に上げる(浄化する)

この構造が坐禅」

無意識を意識化する作用

七識を止める(坐禅)

動かなければ浄化される

手を加えない

夢→通路(八識←→六識)七識休し

魔境

幻覚を本当に見ている

潜在意識

葛藤は苦痛

大悟=深い見性(宇宙と一体)

パイプ(通路)センターを得ていない

見性の程度(色々ある)・日常になると戻る

悟りが無くなる

悟りが有る間はダメ・なくすんだ

身心(しんじん)脱落

自分がいると思っているのが、身を作ってい

る(自我)

獲得した物は失うのだ

大円鏡智=あるが侭に見る=体

平等性智=妙観察智=相

成所作智=用

問題は幻想だ

ないんだ(其の侭でいい)

花が咲いて、(しお)れていく

遅咲きの方が力がある

思考言語化された感覚

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

無字

真理を見る目

 

内(=自己)外(=無字)打成一片

 

無門慧開は無字に六年かかった

無字(客体)が無字(主体)をやっている

知的な理解で届かない世界

末那識(自我意識)

論理的に突破出来ないと理解す

無字していると末那識の働きが弱まる

浮かんで来るものが消える(阿頼耶識に戻らない)

浮かぶ侭にして置く(只管打坐)

意識化されて消えて行く(切れる)

考えるな(坐禅の秘訣)

浮かぶ侭にして置く

思いに引っ張られてしまう

思い出して消えて行く

抑圧されている(忘れずに忘れている・(つら)いから・

出してやらないと解消しない)

分けてもう一度結合す

意識的に抑圧している

心の傷を出す

有るが侭で居なければ成らない

無字

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

生死

今聞いているのは誰なんだ

主体は何ですか

問題は是だけなんだ

「ない」と言うことが解ることが全てだ

塊が無い

錯覚している

一つの生命体しかない

考えているような存在では無い

現れである

知る事は出来ない、本来其のものだから

有る様に見えるだけ

様々な現れ方をしているだけ

個別の人間はいない

集中していると雑念は沸かない

個別性は存在しない

感覚が作り出している

生死

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

自我について

その場その場に成り切って行く

自我について

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

貪瞋痴

自分と言う独立している者は無い

独立していると思っている

苦しみは苦しくしかない

心の葛藤から逃れたら苦しむんだから

苦しむとは思考

動いてはダメ

苦しむれば終わりが来る

思考は言葉化された感覚

ちょっと前の思考を見ている

感覚があるだけ

時空に執われない

体に執われていない

本質は囚われない

思考と思考者との関係

何が喋っていますか?

何が聞いていますか?

体じゃ無い

生死はありはしない

無明は実体じゃ無い

架空のもの

悟りも実体じゃ無い

全体運動があるだけ

無明があって悟る

無明は幻想である

悟りも幻想である

不知は是れ無記

迷ってそこから悟る

物や動物は無記

自己がないそれは即菩提

自己を立てない(貪瞋痴・問題無くなる)

気に病まない人がいる

貪瞋痴

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

時間

経験者=抽象・勝手に作り上げた者

時間の呪縛に囚われている

解脱と束縛からの脱出

わざわざ迷っている

有限相対・無限絶対

何時でも即今しかない

即今が永遠にある

生まれていない

生まれていると抽象化している

変化しているだけ

獲得する為じゃない

本覚思想

不覚

始覚

元々完璧

其処にどうやって気がつくか?

気が付かない

意識化される作業

連鎖が自意識の根源

思考の連鎖

主体があると思っている(錯覚である・思考者はない)

因果が有るだけ

思考する主体=思考者を作り上げる

思考者を立てると苦痛

二念・三念をさけていく

二念を続けない(切る)=非思量

努力しない事は大変

方便=公案(二念を切る)

只、経験があっただけ

自分が継続していると思うから、他の物が存在していると思う

因縁で動けるから空

空だから因縁で動ける

無自性(無私)

存在の根底は

事実を恐れる事はない

死はイメージ

「見つからない」と何がない

自分を捜している

自分は何か?(外にはない・内にもない)

「捜している」其の物に気がつけば良い

連鎖していると気が付かない

自意識に関連した連鎖はない

今の侭で良い・気が付けば良い

時間

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

坐禅の弊害・正師

無意識から出て来る魔境

出て来たまんま

「不安・恐怖」に成り切る

「不安・恐怖」を見ている者が自我

あるべき人間を作ってしまう

枠を絶対作ってはダメ

主体・自我を(つぶ)さないとダメ

自分が怒りを作っている

イメージ・虚偽・抽象概念

体との一体化が無くなれば良い

坐禅の弊害・正師

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

宝境三昧

自己を持つ

六根(五感・意=心=思考)

見ているものを作ってしまう

葛藤が自己を作ってしまう?

思考する主体は無い

思考者が思考をいじ得ると思っている

分別の根底は自我

(五感・意)=境=六根

自他を分ける

対立の世界を見る

思考しなければ良い(空っぽになれ・空っぽに坐れば良い・)

煩悩は排除せよ

煩悩はない

煩悩が自我を支える

生まれてもパット消える

自分と言う感覚が有ると思い込んだ

経験はあるが主体は無い

思考性

執着性

執着を切る

執着を切るから正しい対応が出来る

心配しなくても大丈夫だ

引っ張られた・苦しむ

相手が空だから執着する対象では無い

思考性を持たない精神(考え無い)

考え無い事をやろうとしても出来ない

宇宙の生命体は一つしか無い

一つの生命に目覚めて下さい

因縁に任せとく、因縁に任せ無いと苦しむ

思考する主体は無い

葛藤が自己を作ってしまう?

宝境三昧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

生と死・自我と無我140625

「生をあきらめ死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり」

(道元)

生死のなかに仏あれば生死なし(夾山禅師)?

生死のなかに仏なければ生死に迷わず(定山禅師)?

人間以外の動物は死を知らない

幸・不幸の感覚は無い

生と死は思考過程の産物

分別を起さなければ生死無し(生死を知らない)

エルバーナ=涅槃=境地=仏=「エル(不足)バーナ(火・炎)」=解脱の状態

問題にしている事が問題

生きて死ぬだけ

何が生まれて死んだのか

生死する主体は何か?

生死=分別が生まれた時生死が生まれる

思考・概念其の物

思考過程が生死をつくる

思考無ければ(動物)生死なし

現象しか無い

存在していない

私は全宇宙なのだ

現象としての生死は有る

生死は宇宙本来の働きだ

思考能力は大変なもの

其の物を素直の言っている

とっぴな事を言っているのでは無い

知らない事を恐れる事は出来ない

死のイメージの恐怖

自分と言う塊が消える恐怖

問題を解決しようとすればダメ

問題其の物になるんだ

最大の問題は恐怖

最大の恐怖は死

恐怖の本質は自己

亡くなっている様に見える

 

死んだとて何処にもいかぬ此処に居る

呼んでくれぬな返事は出来ぬ(一休)

生死は本質的に存在しない

形式的には存在する

仮説を排除する

主体は有るんですか?

私が実在しているんですか

私がいるんですか?

私がいないんですか?

主体が無い事に気が付くことが重要

現象しか無い

生と死・自我と無我140625

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

因果・因縁・業・空130225

一つの世界

自己は無い

人の本質は死なない

自分は体では無く宇宙其の物

死ぬ訳が無い

生まれる事も無い

今は現在は不完全思っている

思考がなければ生まれ無い

思考がなければ空を自覚出来ない

自我以外問題は無い(実体が無い)

不落因果・不昧因果は同じ

成り切る事が解脱

元々対立は無い

気が付かないと苦しいものがある

気が付か無くても完璧である

森羅万象は全て完璧だ

悟りは思考が理解する

私が悟ると言う事は無い

森羅万象が悟る

悟りは余計もの

解った解ったと思考するも汚れ

そのまんま大丈夫だったんだ

完全無欠じゃ無いと思っているだけ

苦しいときは苦しいんだ

対立が無いから極楽そのもの

気が付けばいいだけの話

気が付かなければ苦痛

自分の事を考えている間は解脱しない

因果無人

因果しか無い

自分守ろうとして大変

我を出さない事

自己が解る事は宇宙が解る

思考に取り付かなければいい

非思量=分別を起すな・善悪を考えるな

思考を(いじ)らない

欲を持ち出でると苦しむ、持って居ないと楽

業無人

自分が居ないと楽ちん

自分を持っていると苦しむ

誰一人完璧で無い人はいない

自我がない(空)真理から離れていない

元々完璧

大悟=大変な経験をしたんじゃ無い

自分という分けた瞬間に不完全に思う

空(絶対平等)

(絶対差別)

心(働き)

因果・因縁・業・空130225

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生死・嫌な気分

生きていると思っている

生きていながら死ぬことは無い

不生

生死の中に仏あれば生死ない

分断されない

現象としては生死あり

活動の一つ

物事の裏表

「体が自分だと誤解だと思っている

誤解を解ければ良い」

有限相対・無限絶対

我々を動かしているもの

忌み嫌うものは無い

無意識に(ふた)をする(考え無い事にしよう)

もがく

嫌な感情から連想しない

脳を使う(思考過程)

感情と思考とは違い

操作を意図的にしない

思考の問題(心理的な問題)

イメージを見て執着する

イメージとイメージの関係

人空(主観)自分が空

法空(客観)世界が空

執着が起きない

問題にするかどうか

自分が生まれる(自分を生じさせる

つつか無い(さらさら流れる)

底=強めているだけ

観察者無くして観察する

自分が思ったのか

自分で思おうとして思っているのか

勝手に出て来ている

意図しない

思いを見る

自分の思考だと思っている

思考だけ

勝手に出て来るだけ

手の付け様があると思っている

思量)

自分の思考だと思う

有るのは思考だけ

分別を起す

相互作用が不味(まず)

只の感情

何一つ問題無い

自分で問題を作っている

問題を作るのが自己

自己を作るのが思考

思考の持っている性質

やめた所が非思量

思考が只流れているだけ

思考に手を加えない

感情の侭にある

「引っ掛からないから只流れて行く、消えて行く」

生死・嫌な気分

 

精神の浄化

三世実有

実体は空

空即是色(空から生まれる)

色即是空(空になる)

生まれた思い込んでる(不生)

無生

あると思っていると諸問題生ずる

意は感覚である

色空教相上分けている

自我の成立は思考にあり

思考は思考を見る(自我の発生)

思考をいじる

葛藤を起こす

思考は思考を生む

三昧の状態

教えない事は出来ないから三昧になる

思考に対立関係が生ずる思考と生じない思考がある

自我意識が生ずる思考

注意=思考停止(只管打坐)

行動をゆっくり(注意)

変化が起きない

思考の停止=三昧=坐禅

自我意識が無い

正念相続

分別を起さない

思考を切る

何も無いのが本質

自分という塊が無いと言う事に気が付きました

皆空(主体が無い)

何か足り無いと思っているだけ

既に達成されている

求めるものが無い(求めるものが有るとダメ)

悩み・苦しみは仮空である

考えるのはやめる

精神の浄化

 

思考は自発的で自由意志はない

自我(想像・安定しない・有るものと思っている)

思考過程(入力・出力)

思考を止めるのでは無い(思考の侭で居る)

手を加えるな、其の侭に流す

過去未来は無い(抽象化したもの)

過去を脱落すれば自由

無明は幻想

過去に執われる

思考は自発的で自由意志はない

 

自我について120829

その場その場に成り切って行く

自分が身体とは根拠が無い

自分が身体とは思い込んでいる

世界に名前のあるものなど無い

痛いのを感じてる人はいますか?(痛いのがあるだけ)

頭でイメージ(見る事はあるが、見る人はいない)

主体が無くなる(脱落する)

緊張感が落ちるから楽になる

対立するものがなくなる

離れている

経験が残るが、経験者はいない

見ているものは、見られない(目が目を見られない)

見てる者がいると考える

無限絶対・有限相対

身体を持っているという実覚がなくなる

自我は存在していない(作っているだけ・夢を見ているだけ)

自我が有った事がない

自我はイメージ出来ない(定義出来ない)

自我と言うのは感覚

思考

思考者(自我その者)

見ているものが有ると思ってしまう(思考者)

思考者が落ちる(自我が落ちる)

チラと解る(見性)

成り切る(消そうとするとダメ)

自分というもの(無いのかもしらないなあ)

見惑・思惑

実際に有るのですか

架空で有る(仮空)

(もや)としたものが有ると云う感覚

自我が無いんです

悟る必要は無い(現在今が完璧である)

その事を仏性と云う(仏性で無いものは無

い)

仏(絶対平等)・法(絶対差別)・僧(円融)あえて分けると

切り取れない

空間の変形

分けられない(仮に分けると)

現実を二つに分けると(平等・差別)理論

運動の原理が因果

時間が無い(即今だけ)

即今しか無ければ存在は無い

自我は葛藤の感覚

悟っているんだ

確かめる作業をやっているだけ

絶対矛盾の自己同一(仏と人は自己同一であり絶対矛盾)

(西田幾多郎)

自我について120829

 

時間の終焉(即今)100226

過去も未来も無い

過去が無ければ自己が無い

生即死

記憶経験から動く

記憶経験からしか動けない

感情の問題

洞察

次元が変わる

神反証不可能

非物質が物質に影響を与えるが

悟りにはどう悟るのか方法論

どうすれば悟れるんですか?

洞察を言う言葉

脳みそを変容させる

何を洞察するか(無我)

どうやったら無我を洞察出来るか

洞察もない

音と音を聞いて居る人を後で分けている

悟り、無分別、無我

今現実の悟りの状態

後に分別を生じて見るものと見られるもん分ける

余計な事をしてしまう

自分が見ていると思っている

ないものを守ろうとする

肩の力が抜ける

我を張って

あっなかったんだ

塊が無い(無我)

比較が止まない

火の車作る大工はあらねども己が作りて己が乗り行く

(蓮如上人)

時間の終焉(即今)100226

 

現成公案100326

現成(其の侭・有りの儘)

絶対差別(しゃべつ)・絶対平等・円融(混ざったところ)

仏(絶対平等)法(絶対差別)僧(円融)

有る様に見えるだけ

自己が証するは迷?

自己が無くなってしまう

自覚出来ない

見性(自己を見る・自性を見る)

意識は中味です

意識が無ければ自我は無い

俺が()しいだけ(欲しいだけがあって俺が無い)

煩悩即菩提

現成公案100326

 

現成公案100423

真理を探そうとするのは迷い

自己を無くす事

分別は後に加える(本来悟っている)

知らない事は考えられない

神の定義(アリストテレス)動かされずに動くもの

幻覚の幻想

現成公案100423

 

現成公案100528

再構想

主観だけの時は主観だけ客観は無い

客観の時は客観ばっかり(自己が無い)主観が無い

中観派・唯識

観念が動かない限り生死は無い

私と言うものを究明しないと解決しない

対立関係が起きない

他己の身心を脱落せしむ(対立関係が無くなる)

身心脱落(塊が無くなる事・感情移入が起きない)

悟りがその人の生き方になると悟り其のものが無くなる

(頭に浮かば無くなる)

良寛(悟り臭さが無くなる)

自由(おのずからなる)

意識化すれば解消する(徐々に消えて行く・

いつの間にか忘れてしまう・忘れてる事を忘れている)

葛藤の感覚が自我

自意識の生まれる

現成公案100528

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現成公案110128

観察(自分の思考を自分で見ているのが自我)

見ている者が生まれる(自我)(迷い・苦しむ・生死流転)

「体が無くなるのは恐怖では無い・爪を切るのは恐れない」

自己が無いと云うのをどうやって見抜くか?要点の全て

自我(撲滅・錯覚)

無くなると思うから恐怖

抑圧が薄くなると夢となる(出せば、解消する)

有るべき(自意識)

自意識即苦しみ

自意識の自我(分別化)

主観と客観は存在しない

間違いだと分かる事が洞察

主観と客観があるから問題が生まれる

色即是空(私と言う塊がありません)

自分を対象に出来ない(五感)

意は対象に出来る

葛藤が苦しみの根源

洞察はどうやって生まれるのか

因果(業・カルマ・行為)

空間(無我)

時間(即今)

葛藤を起こさない

現成公案110128

     ・・・・・・・・・・・・・・・

原子力の説明110428

自他が有る(相手を立てる)

自他が無い(相手を立てない)

自意識の根源は葛藤

三昧・禅定

自意識が落ちる

気付き

原子力の説明110428

 

110527

表象

中身空っぽ(色即是空・空即是色)

仮説(自我)

勝手な推理

推理が入っている

確定出来ない

見ているものは無い(見えているが)

{見付から無いと云う事は「無い」と云う事(空)}

悩む主体が無いから脱落す

悩みを無くそうとする

いじったらアウト

いじら無い事

其のまんまにする事

非常に難しい

誰が悩んで居るんだ

コントロール出来ない

「切る」とはそのまんまにする事

非常に難しい

坐禅などのトレーニング

じーと耐えることが出来ると消えていく

自己の不在を見つける(悟り)

自己の不在を確認する事(悟り)

{「何も無かった」と解ったと思考が認識する事を悟り}

いじるな

何もするな(大変なんだ)

思考が気につかない

思考が落ちる

思考過程

悟りの不条分

悟りも落ち

思考過程に浮かば無い

何も認識しない(境涯)

苦悩からの脱却

思考のしている事を理解

求めなければ得られ無い

我が落ちる(楽になる)

悟った後の方が大変なんだ

物事がはっきり見える様に成る

終わらない、終わりが無い(エンドレス)

「思考が自己を作りあげた」と気が付く

夢幻の如く(体が軽くなる)

自己以外にない

想像物、メモリー

見える様に、見えるだけ

対象を持たない(煩悩即菩提)

我々の本体は宇宙

110527

110701

洞察(悟り・(ひらめ)き)

その場限り

現象面

守っている主体が無い

因果の道理歴然として私なし(道元)

私なく因果の道理だけで世界は動いている

分別心は因果で動く

悟りに迷う、迷って悟る

体の一体感さえ取れればそれで良い

「水が泡を作っている。泡単体では無い。泡は水である。水は泡では無い」

葛藤の感覚が自意識

「胃の病の時は胃のを考える、胃の病が無い時は胃を考え無い」

「ないもの」を守ろうとする

110701

 

110729

「個人の問題は自分で作っていると洞察する

事が肝心なんだ」

自と他は抽象なんだと解る事だ

自分が分けていると解る事

獲得すべきものは無く余計な事をしない事

悩みは自我意識である

主観・客観は錯覚である

{不落因果(宇宙にものが無い・個人がいなければ・絶対平等)}

不昧因果(差別)

仏教(平等・差別・円融)

仏も地獄に落ちる(不落因果)

不落因果であり不昧因果

教相上

怒っている主体は無い

110729

 

120627

頭の中の世界

自分と闘っている(だから苦痛・イメージに闘っている)

「自意識・自我」

自我即苦痛

肉体に影響する

頭を使って解るものじゃ無く、体で解る方が

楽じゃないんじゃないんかなあ

思考が切れる・警覚策励・((きょう)(さく)・曹同宗)((けい)(さく)・臨済宗)

執り付か無い様にしよう

ぽっと生まれぽっと消える(手付かずにして置く)

思考に付いて廻らない

自我を立てる(反応してしまう)

120627

 

130327 自己憐憫

苦しさが自意識

自分があるという感覚

貪欲(念が続いていくのが貪欲)

感情は普通のこと「正念」

時間は存在しない「思考が創り上げたもの・瞬間しか無い」

過去心不可得・未来心不可得・現在心不可得{即今しか無い

「二回目」

自分を流していけばいい

死と闘ったら駄目なんだ

時間は存在しない(この瞬間しか無い・即今だけ)

即今しかない(過去心・現在心・未来心不可得)

130327 自己憐憫

 

140827 見聞覚知他

見聞覚知(機能があるだけ)

主格・客体を付けているだけ

不生の仏心・無位の真人(見聞覚知のみ)

自性は空

滝という現象があるだけ

実体がある訳が無い(機能があるだけ)

汝(私)彼に非ず・彼まさにこれ汝(過水の偈)

区別出来無い

140827 見聞覚知他

 

14・01・29 悟るための坐禅

パターン・形式主義

見えているだけ

思考をいじら無い(其の儘にして流していけ)

無意識を綺麗にしなければ成らない

ポット浮かぶのはよいが追いかけるな

只、流していけ

感情が入らなければいい

本覚・失覚・始覚

何かと対象に成り切る(自分が無くなれば解る)

いじるな((いじ)ることが問題)

浄化する為

理屈をいくらやっても駄目

考えに取り込まれる

考案が無いと苦しい

決着が付かない

無事禅(無求事禅)

完璧だったと解るだけ

安心する

俺が無くなる

感情から逃れようとする

定力

迷いがある(感情)

悩みが無くなる

14・01・29 悟るための坐禅

 

141029 意識

「善悪を立てない事が善・善悪を立てる事が

悪」

お任せするのは非常に難しい

自分を殺していくしか手はない

動くのをやめる

空の表現が様々になる

空性

空(龍樹以降)

141029 意識

 

141126 自意識の根源

緊張が取れて来る

「仮に悟りと呼んでいるだけ

聞いている主体が無い

なんにも聞いている主体が無い

意識が流れているだけと気付く事」

只、なにも無い

求めるものがあるは苦痛

追体験

趣味の世界

考え無い訓練

141126 自意識の根源

 

140924 自我

自我(自己イメージ・実在しない)

自我の発達

生知

時空を越える

因縁が生まれ変わる

流す事は「何もしない」

余計な事をしない

体には自我が無い

守るものが無い

対立が無い(極楽)

我をなくす

140924 自我

 

161026 ユング・孤独感・空虚感・欲

望の本質

ないものの発見

1/3有理数・√2無理数π

220 x2-2=0 x2=2 x=2・√-1虚数

複素数(実数と虚数)・虚数 i2=-1

何もしない事を理解する

現成している

色の背後に空がある

空が色として表われている

空の働きだった(仏性の表われ)

表われ方が変わっているだけ

因果のかたまり(空)

バラバラに見ている

全部一つ(主観・客観ない)

即今が変わっていく(因果の流れで動く)

本体が移り変わっているだけ

完璧な状態から逃げようとする

何もしなければいい(じたばたしない)

161026 ユング・孤独感・空虚感・欲望の本質

 

161228 epr相関エヴァレット解釈・神はサイコロを振らない

運動・素粒子・粒

考えがあるだけ

体から離れた意識

表現の問題

分別落とせ

架空だと落ち着く

快感の回路をつくる

161228 epr相関エヴァレット解釈・神はサイコロを振らない

 

161128 因果無人・アルコール中毒

「世界はバラバラにあると思い込んでいる。

バラバラの世界が元々だと思うのは無明」

自他の分別が起る

変化があるだけ

個別性で見るから(イメージ)

意識・思考・イメージと自分を一体している

(現象だけ)

定義しようがない

定義したものとそれ以外と分かれてしまう

連続性(我々は勝手に考えている)

手を加えない事がすべて

問題を解決しようとする

何もしない事が出来無い

全て方便

因果無人(無我・空)

161128 因果無人・アルコール中毒

 

160928 戒・ユング・八正道・四諦

何をか求むべき

構造を理解する(理屈を理解する)

思考者が考えていると思う

思考が思考者を立てる

自我の不在が解る(見性と呼ぶ)

落ちているが気が付かない

意味のない言動で気が付く

思考だけの状態が生まれる

我がない方が楽(我をたてれば苦しい)

160928 戒・ユング・八正道・四諦

 

150624 芭蕉の句

聞いて居る主体

自分の事は見えないはず

(対象化出きる・出来無い)

(解らないが答え)

本質は絶対解らない

仮に何々と呼ぶ

心の本体を探す(心不可得)

抽象化して作る自分

見つからない(絶対的主体性)

自我は無い

主体が有ると思い込む(抽象)

空間(体)・時間(記憶)「自分だと思い込む」

束縛が有ると思うのは錯覚

何も無い所(空)

実体化した概念

自分と云うものは見つけ得ない

自分をいじってはダメ

パターン化

業の本質(条件付)

感覚しか無い

意は感覚(言語化された感覚)

言葉で悩む

思考は思考を見れる

思考している自体が自我(錯覚)

働きかけたらダメ

「自分が問題を作りあげて、問題を解決しようとする」

観察者なし観察

闘ったからダメ、負けるに決まっている

流すか、成りきるか

流すか、見てるか

連鎖して我が強くなる

自己=空、空性(自分はない)

観察者がいない

身体は死ぬが本体は死なない(生まれていないから死なない)

死んだとて何処にもいかぬここにいる

すべての問題は自我だけ

一所懸命(三昧)(自分が有ると云う意識が無い)

自分を知ると云う事は不可能(自分が無いのだから)

いなかった事がわかる

深い悟り(悟りと云うものはなかった)

求めるものがなくなる

無求事

150624 芭蕉の句

 

 

 

 

自我は条件付け

人の信頼を得られない

葛藤の無い人生

お金と幸せは関係無いんじゃないか

炎・

川の流れ=空(固定的な物はない)

自我を否定

経験者があって経験する

経験に経験している主体を後で立てる(空)

空=因果・全体のフォームが変わるだけ

無我に生きる・環境と自分が一体・自己が無くなる

子供は欲はない

周りの景色は自分が写っているのだ

鏡=仏性

成所作智=運動

無明が私を生んだ

条件的(かたまり)が自我

過ぎ去り(空)・諸行無常

自己を立てる(自我)

動かなければ、それで終わる

努力しない事が

「何もしない」と努力(坐禅)

やっていることは方便

(とど)まろうとするのが自我

やっているいる事は方便

止まろうとするのが自我

三昧になりなさい。我を落とす

我々は感覚だけ、感覚が有るだけ、頭脳が内と外を分ける

自分が笑っていると思わない

自分が何を考えているか分かる

自我は条件付け

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

体に注意することによって、無意識を浄化する

無意識は意識化される

五感が動き、思考が動き、意識化される

見たり、聞いたりしているだけ(本質)

機能があるだけ

末那識=自意識の根源

阿頼耶識=記憶

無意識を綺麗にしていく

 

意識は無意識にアプローチ出来ないが、体は

無意識にアプローチ出来る

 

見聞覚知だけの事を

(仏・無字・隻手・不生の仏心・無為の真実)

自我の生まれる以前

見聞覚知の主体はない(空)

現象が有るだけ

現象が無くなる(死)

機能が有るだけ

汝是渠にあらず、渠まさに是汝

見聞覚知する主体が無い

(滝の様なもの・パイプの様なもの)

我々は自分以外を見る事は出来ない(空性)

見るもの聞くものが自己

対象が自己

不生不滅、全体が不生不滅

見聞覚知しかない

現象しかない

自分の内に無いと見抜く

想念と自己と二つ有るんじゃ無い

想念が自己である

想念が先で私が後に付けている

富士山は存在しません

定義出来ない

断片化された山はない

抽象化している

意識の誕生

     ・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

仏教質疑応答

業=カルマ=行為

世俗の欲

空=無=ゼロ

空性(くうせい)=真理=仏性

業=因果

生まれ変わり、死に変わる、実体が無い

具現化

精神の流れ

自己はイメージ、実体では無い

気が付く

仏教質疑応答

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

公案禅

心体無くなる

宇宙が心として理解出来る

主観客観無くなる

本来面目現前せん

何に集中して構わない

思考を停止して坐禅に成り切る

軽いタッチでも通してくれる

癖を断ち切る

思考の連鎖

知的作業では無い

根気がいる

思考だけ思考を見る

思考も一元的であるはず

思考・メモリー、連鎖を繰り返す・反発す(苦痛)

苦痛から逃れようとして思考する

エンドレス

断ち切ろうするのが禅

自意識は消えませんね

自分と体が分かれている

心身一如、一致すればよい

分かれている、夢を見ているだけ、本来一致している

無我・無心

頭を使わないか勝負

無字の公案ばっかり二十年

役割分担

チーム

混同されるとややこしくなる

意識=気付き

精神=心の働き

精神するとは言わない

公案禅

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

坐禅の弊害・正師、質疑応答

条件付

意識の押さえ込みが弱まっている

神秘的体験(魔境)正師が必要

恐怖・心配・不安・抑圧しちゃダメ、闘ってはダメ

出て来た侭にして置く

こうあるべきだと云う枠を絶対作ったらダメ

恒常的な者・錯覚

対立を起こさない

何でも正しい事を言う訳では無い

本心、本性は継続している

イメージは虚像

身体との一体化が無くなればいいのだ

それはイメージ・抽象概念

坐禅の弊害・正師、質疑応答

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

意識

自意識(私)(末那識)

無意識を意識化する(浄化)

圧力がなければ自然に上がって来る(夢を見る)

子供は溜まらない(浄化されている)

善悪を立てない事が禅

お任せするのは大変

自分を殺して行くしか手が無い

動くのをやめる

もがくんだ

身心一如

空の定義(実体が無くなる)

全部空なのだ

無常だから空

境目が無い

森羅万象は空

全体が分かる(悟り・見性)

意識は色・感覚

思うのは悲しみの始まり

バラバラに見る

自由だから束縛する

意識

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

十牛図

考えが問題では無く、支えている自我が問題

自我=思考

自我=思考者生まれる

自己と云うものは無い

無限の過去から無限の未来へ生きつづける

人の本質は死な無い

生まれ変わり死に変わる

自分は宇宙其の者何処へも行かない

生まれる事も、死ぬ事も無い(不生不滅)

完全無欠だけれど完全無欠と思えず

思考が無ければ自我は生まれない

思考が無ければ空は自覚出来ない

自我以外問題無い・実体は無い

実際は無い自己を(つぶ)

対立概念では無い

条件付

成り切る事が解脱

実体は無い

気が付かない

気が付かなくても完璧

自分と環境が対立しない

自業自得じゃ

森羅万象は完璧

自覚出来る

自分が空っぽだと解る

思考が解る

悟りは思考が理解す

私が悟ると言うことが無い

思考が解る

思考が働いている分汚れている

前に戻す

元々完全無欠

「逃れようとしないで、変に(いじ)くらないで、

其の侭・有りの侭」

気が付いてもらえるが、気が付けばいいだけ

空の中の出来事

気が付かない

自分の事を考えている間、解脱しない

因果無人

因果しかない

我を出さない

思考の発生は因果

宇宙が宇宙を知ろうとしているのが人間

思考に執り付かなければいい

パッパ浮かぶ・パッパながれる

相手をイメージしない

思考を(いじ)らない

誰独り完璧でない人はいない

「大悟=どんな事が有っても真理から離れていない・

完璧である」

真理=自我が無い=空

悟りの真っ只中にいると確信したら

自分と言う者を分けた瞬間不完全

自分を大事にする(思考が)

差別(相)・空(体)・働き(用)

主体が生まれる(自我)

無心=二念を継がないこと

見牛=ちょと見ただけ

得牛=大悟

人牛倶忘=空(無い無い無いの世界)

十牛図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

三法

臨済=参千~四千・曹同=一万ニ千

総持寺=90%・永平寺=10

専門道場=研修システム

空間が先にある

空間の変形が人・物

物は抽象化された物

円融・平等・差別が一緒になったところ

絶対平等=空=あらゆる物には塊が無いと云

う事

思い込む

自分が無ければ問題が起きない

外側に見ると過去が圧迫する

空から色が生まれる

空が変化して色となる

変化したもの

色と現れている

空は見えない(視覚出来ない)

空とは「こうゆう物です」とは言えない

無我・無心で生きられない

対立が無くなれば優しくなれる

三法

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

四法界

「バラバラの物が関係していると思っているが空間が有るだけ」

只有るのが理法界

感覚が有るだけ

感覚の世界

バラバラに見たんじゃダメだ

色=差別・空=平等

理事無礙法界

(礙さまたげる・さまたげない・色即是空・空即是色)

事々無礙法界

即今は時空を越える

只の記憶

単に心の問題

問題は心の問題であり、諸問題、環境の問題ではない

心が作っている

苦しい時は苦しめ、それから離れようとすると問題が起こる・

避ければ苦しむ

自分を立てると苦しむ

解決しない侭解決する

って解る事が解決

手を加える事が迷い

 

知的問題が無い所から出発して

最初の所に戻るが最初の状態と違う。「此の侭で良かった

と解った」・衆生本来仏なり・自分は完璧だ

 

無事禅になってしまう

ぐちゃぐちゃ悩む事が無くなる

余計な事にエネルギーを使わない

心配しなくなく

四法界

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

仏界20110225

三聚戒・十重禁戒

脳味噌の中で見ているだけ

脳味噌の作り上げたもの

空間が有る・実体(見方)

絶対平等(体)(仏)

絶対差別(相)(法)

円融(用)(僧)

現象世界(生死)

生死の内に仏あれば生死なし

殺す事は有り得ない(不生・不滅・殺せない・不可能だ)

不生・不滅=生まれていない・死なない

分別なく行動する(働き)

対立の無い所から行う、我が無い所行

思考者なしで見ている時

思考している時に思考者が生まれる

気付いている時は気付いている事を知らない

気付いている事に気付いてる(過去)

只、見ている(分別を起すな)

雲が流れる様に見ている(気付き)

雲の様に浮かんでいる事に気付き

手を加えない

思考の自然の流れ

気が付いたら手を加えない、其の侭にして置く

何もしないのが最善の策

仏界20110225

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

察者と観察されるもの

観察されている=思考・感情

観察者(見ている自分)

問題を起こさない(プラスイメージ)

問題を起こす(ミイナスイメージ)

恐怖が問題

思考と思考者とのギャップの問題(感情が問題)

頭の中に起きている

不幸と自分は別

何もするな

何もさせない

遮断

わざと悩ます

妄想を除こうとするのがまずい

意識的に思い出す様に坐禅はなっている(浄化されていく)

意識化されたものは無害

妄想は無害

努力を終わるのは難しい

其の侭にしておく

(いじ)らない事

動かない事

動かない訓練

動かない練習

努力しない努力

余計な事をしない

構造を理解しないと

知的理解し実践する

現実に悩む(どうする)

「悩みことから逃げる」そこが問題だ

空想妄想の世界

自分にとって現実

痛みがある

対処する(対処しない事が対処

憎しみがわかれば憎しみが生まれる

完全無欠

無限絶対完全無欠の状態である

自己否定

救われているんじゃ

問題など解決する必要ない

時間が無い、今時間瞬間しか無い

継続するものは無い

現象が有るだけ

観察者と観察されるもの

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

死・許し140528

洞山五位・玄沙師備

正中偏(正位が偏位として現れる)

個人と云うものを否定

只、因縁あるのみ(一の見方)

偏中正(偏が同じもので)転移・平等性智

思考過程

バラバラになったものを実体があると思うのが問題

抽象化

イメージを実体だと思い込む

関係妄想

相手のイメージと接触

相手に無い、此方に有る

作り上げた相手に対するイメージと自分と闘っている

自分のイメージに執着している

世界は自分しか居ない

天上天下唯我独尊

殺人も自分の中の世界

その人を拝んでいるのでは無い

殺人は有り得無い(生と死が無い)

死は全部死・生は全部生

生と死は二つ無い

同時二つ無い、有ると思い込んでいる

初めての瞬間は今、生と死は今

物の世界では無い、事的世界である

 

固定されたもので無く流れているものを自我

と呼ぶ、流れが無くなると自我無く死と呼ぶ

抽象的に取り出せる

何かが生まれたくじゃなく・何も生まれ無い

無生なれば不生もいらない

俺が生まれるー生

俺が無くなるー死

ローソクの炎の様なもの

意=思考=感情

識=感覚

思考=言語化された感覚

人間は感覚のみ

感覚以外しかない

感覚していれば悟り

感覚が主体を作り迷い

感覚のみでいれば良い

主体を立てるー末那識

意識の根底は無い無い無い

痴=無明=自我・自己を立てる

意識化すれば体が解決する

自我が作り上げたものを憎んでいる

自分を憎んでいるので苦しむ

感情を十分に味合えば解決する

避けている

自己イメージ

葛藤が自意識を作る

対立感

意識と自意識

対立観念を持っている

逃げてしまう

味わえば脱落する

逃れようとするのが苦痛

自分で作ったイメージを恐れている

何もしない事が難しい

実体化してしまう

自己イメージを持っているから傷つく

絶対に傷付か無い

施無畏を施す

死・許し140528

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

現成公案100625

法を外に見る

真理を求める主体が真理

何もしなくていい

求めない

苦痛を(やわ)らげる

時間・空間の概念で実際は無い

空間から入る方が優しい

外に見る癖

それから時間の方見る(即今しか無い)

空華

概念・抽象

過去から未来を抽象する

即今しか無い

即今が永遠

無限絶対の存在で有りながら有限相対と思っている

メカニズムとしてはある

生と死を概念で分ける

現象面として生と死

「自己がある」と思う感覚が有る

空性

縁起は説明(後付け)

縁起から空を説明している訳では無い

抽象化しないと生まれ無い

分別しない・生まれ無い

概念化して分けてしまう

概念として生と死

脳味噌が作り上げた生と死

現象として生と死は有る

生が死に変わるのでは無い

現象が有るだけ・変化が有るだけ

必要以上に恐れる事は無い

執着する事

あんまり大した事じゃ無い

時間は見れない(概念・過去未来は見えない)

現成公案100625

 

現成公案100730

死がない生(死が無ければ生ばかり)

高いが有って低い(低いが有って高い)

継続する者(継続性)

何かが変化するもの

死と云うものは実体が無い(現象は有る)

生と死は分かれていない(現象・変化が有るだけ・

刻々の変化が有るだけ)

自分が無いと解れば

現成公案100730

 

現成公案100827

明けの明星の所見あり

仮空のもの

分別が取れる

何処からも来ていない(生まれていない)

何処にもいかない(行き様が無い)

実体が無い(影が有るだけ)

不生不滅

不生だから死ぬ事は無い

生まれて無いと解れば楽ちん

現象世界が現れているだけ

生まれていないから死な無い

悟(空が解る)

目が目を見えない

只反応しているだけ

本体が親を借りて現象世界に現れて来た

見てる主体が見えない

葛藤だけなんだ

多重人格、強烈な抑圧

自分を見る事を止める事

感情の浮き沈みが無くなる

過去の出来事を思い出す

何分も続かぬ

何時か消えて無くなる

意識化する作業(坐禅すると同じ作業)

業と仏性と同じ(自分が業)

現成公案100827

 

現成公案100924

条件付けている

思考は思考を見る

思考者(自我)が有ると思う

思考を見ている者を作ってしまう

葛藤が苦痛

思考をほっとく事は難しい

悩む時は悩めば良い

余計な事はしない方が良い

自覚が出来ない(薫習(くんじゅう)

知覚する事が出来ない

個人の問題は解決する

現成公案100924

 

現成公案101029

空性

因果無人

真空妙有(空即是色)

改善しょうとする(問題が起こる)

罰・悪・業はないんだ

因果其のものになる(空)

無我無心

身に付かない(悟ったかて)

集中とは違う

気を張る((りん)としている)

緊張では無い

生まれて無いから死ぬ訳が無い

本質は生死は無い

分別が取れた働き

賊(盗ってしまう働き)(分別を盗ってしまう)

禅機

自我と関係無い

思い込んでいるだけ

自分が自分を見たら不味(まず)

自我を立てる事が悪い

自我を削る

分別を無くす(無我無心)

悪の悪たるものは無い

莫作(まくさ)

莫作だけ残す(為す事(なか)れ)

現成公案101029

 

現成公案101126

本覚思想(もともとさとり)(元々悟っている)

私が無くなる(無くなれば消えてしまう)

花が咲いて(しぼ)んで消える

大円鏡地(見た侭・聞いた侭)(矛盾無し・対立しない)

意味付け

イメージと関連する(彼と関係して無い)

事実だけ錯覚する

 

絶対平等(平等性智)・絶対差別(妙観察智)・

働き(成所作智)

 

(いじ)らなきゃいい(煩悩即菩提・衆生本来仏なり)

波は水では無い

自分が思っていると思っている

気付くのも思考である

そうじゃないよ

因果だけ人はいない(業)

因縁(因果が流れている)(個性は無い・業の流れ)

因果無人(宿命論)

因果の道理

()っていることが明日作る

因果に落ちる(六道輪廻)

因果に基づいて思考が起きている

思考・意識・感覚

感情は(いじ)らなければ消える

気が軽くなる

欲望とか無くなってくる

「イメージは悪くないが、事実だと思うと、錯覚すると、

問題が起きる」

バナナとリンゴは対立しない

成所作智(働き・動き)

大円鏡地「(平等性智・絶対平等)(妙観察智・絶対差別)」

因果無人(業)

不昧(決まっている)

不落(次は自由)

現成公案101126

 

 

110930

洞察・悟り・見性(真理が解る)

真理とは自己が解る(生活が変わる)

比較を止めると楽となる

メカニズムになっていると楽となる

悟りを外に見ている

「悟って・消して・元の木阿弥(特別なものがあるじゃ無い)」

悟ったと云うのは不完全である

自己が消える時此の世界が見える

内外打成一片

思えば思った侭にしておく(自己が消える)

一つに成る()り方

手を切る()り方

根本の所が解らないと

(から)むと問題になる

アクションが起こる(自己が発生・二念を起す)

其の(まま)流す

分別を取っていくしか無い

110930

 

110930 断食レポート

「般若波羅蜜多智(無分別智・見た侭・聞い

た侭・余計なものを入れ無い)」

我とは五感だ

自分と他人とは一つだ

空性=川の流れ

110930 断食レポート

 

20120130 アップ 上坐仏教・大乗仏教の位置づけ

BC300 阿含部

BC100般若部

龍樹(空の思想)

四諦「苦・集(執着)・滅・道(八正道)」

無意識の意識化

まず真理を悟る

真理が個人を解放する

実体が無くなる

意識が無意識を抑圧している

無意識が意識化してくる(坐禅)

20120130 アップ 上坐仏教・大乗仏教の位置づけ

 

120530

思い闘っている

自分と環境を対立しない

不生不滅(生まれていない)

「見ている自己・見られている自己」

無意識が表面に上がって来ている(意識化)

精神が楽になる(葛藤が無くなる)

自分全体を無にする

「心・身・自我」

有限相対の存在だと思い込んでいる(無限絶対の存在)

120530

 

170125 生死の巻等

概念化が起こる

概念化しないと自意識は起きない

誤解を解かねばならん(数字の123と同じ

・抽象的なもの)

実体がすると思っている

気に病むのは思考

気に病むのは病気

我を捨てて行く作業

身口意の意の方便

思考そのもの(思考者がいない)

思考が気がつく(見性・悟り)

思い通りに行かない

実現しているが気が付かないだけ

対立感が無くなった時

悟りとは面倒臭い

「この世の中には問題など存在しない・有るわけない」

有ると思っているのは事実

空虚を埋めたい

その問題は架空(どの問題も架空)

錯覚の上での苦しみ

実体であると思うのは架空

もがく

論理の力は限界ある

対面を取ればよい(楽になる)

170125 生死の巻等

 

 

150826 自我とは何か

自我(自分があるという感覚)

主体が無いが

主体が生まれ無い(五感)

意(思考)

思考者があるように思う

(自我・抽象)(思考者はいない)

自我なんていらない

感情が豊になる

自我が無くなると、五感が強くなる

絶対に解ら無い(宇宙の本体)

一つのものが様々に現れている

貪瞋痴慢疑

自己と境の関係だけ

自意識が強くなる

生と死は同時にあり得無い

同時に存在出来無い

錯覚

中道(分別を起さない・対立、概念を持たない)

150826 自我とは何か

 

130729 時間の終焉

わざわざ迷っている

即今が永遠・今の永遠

生まれていると抽象化

宇宙の変化(性と死)(時間感覚)

完璧な状態になる

獲得する為じゃ無い

思い込んでいるだけ

言語化されたもの

思考している主体があると思っている

主体があると思っている(錯覚なんだ・抽象なんだ)

非思量(二念を継がない事)

無自性

存在の根底

気が付くには、どうすればよいか

130729 時間の終焉

 

130925 世界は必然か偶然化

心が()(みだ)されるのが嫌なのだ

影が自分

思考が動か無くなる

心が無くなっると、身も無くなる

本来の面目現前せん

130925 世界は必然か偶然化

 

131030 色即是空他

思考(働き)

自意識

自分と自分の体といっしょにしてしまった(思い込んでしまった)

バラバラじゃなかった(見た侭・聞いた侭・今の状態が空)

自分と相手との存在感が無くなる

自空・法空(相手側)

境界が無い

実体験しないとまずい(神秘的なものでは無い)

今の状態が空

なかなか気がつかない

131030 色即是空他

 

120725 坐禅の本質等

雑念と闘ってしまう

雑念を出さない様にする

まずい(考え事)

思考の連鎖

引きずる

出たら出た侭

思考が切れない

思考があるだけ(思考者はいない)

体の内と外を分けては駄目

自分の体を自分だと思い込む誤解している

知覚している主体(自我)

自分を分離

同時には無い

切り取りはイメージ

境目が無い

時は無い

運動している(時間)

個別がある前提

空(時間が無い)

時間(個別の変化)

動く(実体として見る)

思考が見る

物が無い(運動の概念が無い・時間が無い)

バラバラにしたのは自分だ

120725 坐禅の本質等

 

130529 仏教質疑応答

業(カルマ・行為)

130529 仏教質疑応答

 

121029 三宝等

頭で作り上げた抽象だけ

只、起きているだけ

実体化(無明)

脳みそが作り上げた世界

主体・主観が無くなる(全宇宙が自己になる)

感覚すべて自己そのもの

元々バラバラでは無い

意味付がみつから無い

己事究明

サラサラ流れていけばいい

現象世界しか無い

121029 三宝等

 

120829 自我について

主観を立てると体といっしょだと思う

いっしょだと思っている

頭が創っているのが体だ

概念化で切り取り

実際ないんだよ

自分が消えたら(自我)(主体が無くなる)

緊張感が無くなる

自他の対立がなくなる

体を持っているという実感が無くなる

自分がいると思っているだけ(元々無いんだ)

バーチャルの中に存在しているだけ

自我はイメージ出来無い(大きさ形・等無い)

(定義出来無い)

俺は居なかったのだ

消そうとするんじゃ無い。なり切るんだ

自分というものは無いんだなあ

理屈が解った

実感した

体がついていかない

見惑・思惑

闘う対象が無い(架空のもの)

自我を無くそうとするのはナンセンス

今の侭が完璧なんだ

悟る必要も無い

比較しようが無い

柱は縦・梁は横

円融(事実)ー平等ー差別(しゃべつ)

分けられない

運動の原理が因果

即今

葛藤の感覚

自我即苦痛(苦しみの根源)

確かめる作業をしているだけ

120829 自我について

 

生死が有る様に見えるだけ

151030 ニュートリノを考える

「大死一番(大活現成)・主観が落ちた・人空・法空」

「見性・悟り・身心脱落(大死一番)」

考を排除する必要ない

自分というのが気がつく

「自分」という感覚は無くなる(五陰皆空)

解った自分が残っている

求めようとすると逸脱する

自己とは何ぞ

対象化出来無い

自己は自己を知る事は出来無い

自分の人生に葛藤なしで送れるか

151030 ニュートリノを考える

 

 

140306 十重禁・不自讃毀他戒

解脱(煩悩)・煩悩即菩提

十重禁戒

達磨一心戒・仏戒(仏)

一心だけがある

戒=真理

「自性霊妙常住の法に於いて断滅の見を生ぜ

ざるを名づけて不殺生戒となす」

個別のものは無常

一心は無住

生死なし・生死の分別・只変化するだけ(頭が作りあげた)

自己に目覚める

久遠実成

生と死は思考

「元々無いものに名前を付ける・実体は無い・問題を作っているだけ・問題が有るのでは無く・一人相撲・自己がすると思う・他が有ると思う・バラバラに思う・思考過程」

「自分が自分を知る事は論理的にありえない(目が目を見られない)」

知りえると錯覚している

不知最親切(雲門)

不生不滅

現象は色々ある

自分が全体である

死にえない(大安心)

生と死が無い所からはじまる

バラバラじゃない、一つ、一心(全体は一つ)

自己愛(エゴイズム)人と敵対(慈悲心)

「一つで見た(善)・二つで見た(悪)」

「仏(平等・真理)・法(差別)・僧」

対立を起こすのが破戒

一つだと解るのが悟る

「山川草木悉皆成仏・成仏するのでは無く・成仏している」

不識・廓然無聖

空の状態にいる

「耳で聞いていると思い込んでいる・目で見ていると思い込んでいる」

悟りの真只中にいる

迷っていると夢を見ている

140306 十重禁・不自讃毀他戒

 

20120130 上坐仏教と大乗仏教の位置づけ

無意識の意識化

解脱・悟り

苦しみだけがあり主体がなくなる

個人の解脱を求めない

20120130 上坐仏教と大乗仏教の位置づけ

 

 

160629 大悟・法・迷い

脱落身心(悟りがなくなる)

状態にいて気が付かない

程度の問題

分別・対立・自他の分別

抑圧が取れて浄化される

枠が落ちる(空)

分別・対立の世界(苦しみの世界)

悟り(真理を悟る)

解脱(六道輪廻から離脱)

自他の分別がなくなる

獲得するのでは無く、障害をはずす

思考が落ちている

思考の停止

考え無い事が目的(動かない事)

思考を落とす作業

考え無い作業

自他の分別が有るから

「同時にあれば対立する・同時に無いので対立しない・生は生・死は死・生と死は同時に無い

対立してない(抽象概念)

自分が居るから分けて考える

自と他を強力に分別している

因縁其のものになって生きている(因縁に逆らわない)

流れに逆らわない(我を出さない)

次々に思考を続けるのが自我

何もしなければいい

160629 大悟・法・迷い

 

170222 浄土・真宗・親鸞

自我と病を持っている

自分が無力だと認めない

何もしない事

偽装の自分

究極(其の儘いる事)

考えるべき事は無い

行うべき事は無い

移行する主体が無い(悟り)

無事の人(求めない)

自意識は葛藤に有る

自分を体と一緒にしてしまった

170222 浄土・真宗・親鸞

只管打坐(思考を只見て行け)

 

 

 

渡辺 充(KB会)ネット動画より

渡辺 充(KB会)ネット動画より

 

渡辺 充(KB会)ネット動画より

20180927 気付きについて

「末期の眼」

「恐怖は思考が作っている」

「何が死ぬにか」

「思考だけが・・・」

「感覚だけで実体はない」

「肉体・感覚以外に主体があるのか、ないのか」

「あると思う、無いと思う」

「無いのに動きがある」

「実際無い」

「状態の変化」

「生死じゃ無い」

「私は自分の体と思っている」

「私は体じゃ無い」

「見てる者を立てる(自己)(自我を立てる)(架空の物)」

「自分があるという意識、自分を探したが見つかない、作りあげた

「実体を作りあげた」

「思考は只流れているだけ」

「思考が思考を見る(思考者を立てる)」

「自意識が無い(犬)」

「魔境」

「思考を思考者を分けている」

「考えがあるだけ」

「こうしている者はない」

死ぬような私はない

「目が目を見られない」

「トレーニングなんだよ」

「あらゆるものは空性・空相」

20180927 気付きについて

「18・10・30 箇の不思量底を思量せよ。不思量底をいかん思量せん、非思量。これ即坐禅の要術なり。」

「底=強め」

「箇の(全宇宙等)」

「考えられないものを考える(非思量)」

「あつい・さむい・(只見ている)(非思量)(只管打坐)(観察しろ)(二念を継がない)」

「悩み悲しみはループ」

「考えていることが見える」

「定力・胆力・(苦痛に耐える)(知性で対応出来ない)」

「臍下丹田

思考に思考を重ねるのをやめときなさい」

「観察者と観察されるもの」

「問題点(心の傷)」

「忘れずに忘れる」

「淨

「気づくことが難しい」

「知的に分っても体がついていかない」

「あるがままに見ていくだけ」

「何もしないで見てろ」

「見ていることが淨化」

「考えてもしょうもないことを考える」

「引っ掛からなくなる」

「自己イメージを守ろうとすると大変なんだ」

「思考停止」

「18・10・30 箇の不思量底を思量せよ。不思量底をいかん思量せん、非思量。これ即坐禅の要術なり。」

「18・11・29 死とともに生きる

業(カルマ)(アルトマン)(アクション)(行為)(行為の結果)」

「事象」

「無我(善)・有我(悪)」

「自己否定(自己がなかった)(懺悔)」

「四聖(無我と悟る)・六道輪廻(我がある)」

「自己の不在を確認する・感じる」

「いつでも自己は不在」

「私という感覚(葛藤)(苦しみ感覚)」

「久遠実成の仏」

「自己を知ることが出来ない」

「防御しないから楽」

「価値観が違う」

「18・11・29 死とともに生きる

18・12・18 感覚はある。感覚を感じてる自分はない。感覚しかない。」

「いい感情は問題を起さない」

 

「いやな感情、問題となる(煩悩・怒り)」

「抑圧している」

「思考を流す(只管打坐)」

「手を加えなければ、そのまま消えていく(意識的にも無意識的にも)(あるがままに)」

「意識化されたものを只見ているだけ」

「感情は感覚が連続している」

「頭で考える前に感覚で反応する」

「何にも触らないこと(非思量)」

「後に引っ張らない」

「自分を捨てていく」

「日常生活を楽しく、楽に送りたい」

「体と思っている限り自分は死ぬのだ」

「数学の123と同じ(実体があると思っている)」

「数字1は傷付かない」

「自己の探求」

「自分は見えない」

「見ている者が忘れてしまう(自己を忘れる)」

「自分が落ちると一つになる」

「万法が自己だった」

「あらゆるものが自己」

「意識だけが残る」

「自己がないことに気が付かない」

「私がない状態で生きている」

「全体が空っぽになる」

「個別性」

「感覚はある。感覚を感じている自分はない。感覚だけ。」

「感覚を見ている者」

「感覚しかない」

「汝(自己)・渠(全体)」

18・12・18 感覚はある。感覚を感じてる自分はない。感覚しかない。」

 

二回目

「抑圧(忘れずに忘れている)」

「見性しても中身は落ちない」

「感覚しかない」

「只管打坐(思考を流す)(手を加えなければ消えていく)(あるがまま)(只見ているだけ)」

「観察者なしの観察(非思量・無)」

「出たままで消えていく」

「味わいきってないから残る」

「心の重み・生きることが楽」

「数字の一は傷つかない」

「自己がない状態で生きている」

二回目

18・12・18 感覚はある。感覚を感じてる自分はない。感覚しかない。」

 

「19・01・30 全ての根源的な問題は嫌な感じを避けることにある

「怨むことは苦しいこと」

「想起する」

「不快感」

「避けようとする」

「自分の中で自分と戦っている」

「火の車、造る大工はおらねども、おのが造りて、おのがのりゆく」

「頭を働かさない」

問題点に気が付かない(苦しみている物がわからない)」

「記憶がどれだけ自分を傷付けている」

「過去は記憶の中にしかない」

「時間・空間も象徴」

「成り切っていることを知らない、気がつかない」

「自分の中身を空っぽにする(増やさないようにする)(なにもしなきゃいい)」

「錯覚から生まれてくる」

「何もしないと解決する」

「19・01・30 全ての根源的な問題は嫌な感じを避けることにある

「19・02・26 生死問題とAI時間と抽象」

「生死問題は存在しない」

「今が生死」

「生死が連続しているだけ」

「思い込んでるのが問題」

「体との一体

「生死問題を作り上げているのは自分」

「生と死を生まれました」

「自分が作り上げた。問題は発生しない」

「即今は問題は無い」

「同じ事をくるくる繰り返す」

「葛藤の感じが自分という感じ」

「自分が作り上げた問題」

「『いやだと思わない』と思わないようになろうと、思わないこと」

「感情が起きないと平気」

「リンクしなくなる」

「何がこうやっているのかに帰着する」

「生死ー自分ー即今ー今の主体」

「トレーニング・システムの一環」

「無我になっている状態に気がつかないから完全」

「無我に気が付くのは無我じゃない」

「知覚出来ないがあることわかる

「死にはせぬどこへも行かぬここに居る

たづねはするなものは云わぬぞ(一休禅師)」

 

「19・02・26 生死問題とAI時間と抽象」

 

「19・03・28 偏桃体・三世の業報・仏教とキリスト教の比較」

「自分が見ていると思わないで見ている」

「無我の時は我は知らぬ」

「自分が返事していると思わず返事している」

「気が付かない(無我)」

「もともとない(無我)」

「自と他が出てくる」

「只錯覚しているだけ」

「これが仏教の姿」

「対立する時、我が出る」

「なんにもない時、気が付かない」

「脳みそが働く時、我がある」

「気がついたら我がある」

「聞こえただけ」

「気が付いた時、二つにわけている」

「只、業があるだけ」

「すべて業=業はない(無我)(因果無人)(因果は法があるだけ)」

「思いがあるだけ」

「気が付くか、付かないだけ」

「主体がないことが大事」

「それを見ている自己を究明する」

「わからないことがわかる、ことが、わかる」

「主体がわからない」

「主体がわからないことがわかる」

「何がしゃべっているか(知りえない)」

「自分が知り得ないことを知る」

「自分という塊がないことに気づく」

「何がしゃべっているの?」

「見えないものが様々な形で現れる」

「輪廻転生(魂の宿替えではない)」

「生死(現象世界)」

「仏(主体の世界)」

「主体はそれ自体が現れない」

「主体の内に時間・空間はない」

「わかったところで我に引っ掛かります」

「身に付くと葛藤が少なくなる」

「イメージと争っている(相手と戦っていない)」

「生死をいくら考えても解決しない」

「生死を考えている主体を問題にする」

「理屈では絶対解決しないと理解する」

「葛藤のない時(幸せ)(我のない時)(欲のない時)」

「欲望は苦痛なんだ」

「19・03・28 偏桃体・三世の業報・仏教とキリスト教の比較」

 

・・・・・

「如来(真如から来る)」

「妄想執着(妄執)」

「個別にするから執着が起こる」

「意識化出来ない(気が付かない)」

「実体があると思い込んでる」

「自己がないことに気が付かない」

「私がない状態で生きている」

「感覚しかない」

・・・・・

 

2019・07・31 日々是好日

「悩んじゃいかんと思う(悩むだけ)」

「解消しようと思う(悩み)」

「自己は悩みをなくそうとする

「悩みを解消しようとするのは、悩みを強くする」

悩んじゃいかんと考えるのが問題」

「苦痛の原因」

「悩みを解消しようとしなければ、悩みは消えている」

「悩みを排除しようとするのが苦痛なのだ

「排除出来ない」

「コントロール出来ない。コントロールしようとするのは間違いだ」

「抑圧(忘れようとする)」

「問題を作っているのは自我」

「悩みだけのなる(悩みに成り切る)(悩みに手を付けない)(悩みが脱落する)」

「条件満たされないと苦痛」

「何もしない」

「悩みをほっとく」

2019・07・31日々是好日 

 

 

渡辺 充(KB会)ネット動画より

渡辺 充(KB会)ネット動画より

 

渡辺 充(KB会)ネット動画(後)リンク先

 

飯田 隠 老師 (前)リンク先

 

禅友に与ふるの書  飯田 欓隠 老師

欓隠云く

「一休、良寛の禅は愛すべくも学ぶべからず」

(照庵大智老尼語録上 井上 大智老尼)

 

禅友に与ふるの書

悟得底

代語(語なきに代わる)

別語(語あるに別する)

見性の力が弱い

「本当に見性すればあとは只聖胎を長養するまでじゃ」

(至は相対到は絶対)

絶対といふのが、はやとがじゃ

廻り道

「ルーソー曰、猫は穀の上に寝て死す。可々大笑」

悟徹・未悟

因果経「只是因果無人」

一掌を与えて彼が命根を奪うもよし

「鉄酸餡を咬んで百味具足する迄やらねばだめだ」

一水四観(*一水四見・一処四見・一境四見天・人・魚・餓鬼

「境界①本人②現成③色相④裁断⑤直指⑥為人⑦賊⑧機関」

「一、本分二、現成三、色相四、裁断五、直指六、為人七、賊八、機関」

(禅友に与ふるの書 飯田欓隠

禅友に与ふるの書  飯田 欓隠 老師

 

随感録 飯田 欓隠 老師

随感録 飯田欓隠

 

凡夫四倒

 

苦計為

無常計

無我計

不浄計

 

二乗四倒

 

常計無常

楽計為

我計無我

淨計不浄

 

仏四徳

 

常ー不遷名

楽ー安穏名

我ー自在名

淨ー無漏名

 

計ハ執着の事・離れ得ぬ・妄想のはからい

 

菩提心(上求菩提、下化衆生の大誓願心)

 

 

 

忠如の最たなるもの

「菩提心(発心・道心)

菩提(梵語「覚」)

「それを慥かにはっきり自知した当体を無字といふたのだ」

「坐禅して何をする。何にもせぬのじゃ」

「意根を破るようにこしらへたものだ」

計(執着の事・離れ得ぬじゃ・妄想のはからいじゃ)

 

生死は時間と空間の現象じゃ

 

「死」といふものが別にある訳ではない

 

罰掌賞掌

何にも無い所まで只管打坐する

只(何んにもない事を指すの名じゃ)

 

性(人々本具の心を指す)

此の心はコロコロで自在をする

別に心というものはない

無字を打脱ければ分るか

「天地と同根、万物と一体なる事が実に手に入る、之が見性じゃ」

求心止時即無事

真正の見解さえあれば不品行でもよい

真正の師家は悟りを急がせぬ

正師を求める事が一番大切の事じゃ

理会に流れて居る

講釈をしておる

随感録 飯田欓隠

 

随感録 飯田 欓隠 老師

 

参禅夜話 飯田 欓隠 老師

参禅夜話 飯田 欓隠

 

無自性とは空の義

性は不改の義

人による事と知るべし

心の中に悪意をつつみ蔵すれば・・・

「生死や断常のいる隙間ない(地ぎり・場ぎり)」

「咲かぬから散らぬ・悟らぬから迷わぬ」

 

空の義(頁243 参禅夜話「五薀皆空」)

七、          随所現、縁に従って所として現れざるなし

八、          無去来、本躰は天地一枚、何處からも来ず、どこへも行かぬ、何時も變らぬ、水の波の如し、不生不滅もこれから出た

九、          無染、因縁生のみにて相手がない、染汚の入る隙間が無い、煩悩ともいはず、菩提ともいはぬ、物に聞いてみよ。

 

教理

心源に達せずんば・・・

法によって人によらず

仮和合(蘊の義)

なんにもない境界になった

元来我は無いものじゃ

「只管打坐・公案工夫・戒法護持」

「只管(ヒタスラ)・余物なき事じゃ・そへ物がない事じゃ・自己といふかたまりの認めやうがない」

何物が汝を縛する(四祖は悟った)

素法身(悟った儘の人をいふ)

 

頁三六三

心(コロコロの略カリタ「インド」植物の中心を指す

心随万境

転處実能幽

幽(自在の義縁に応じて自在に転変する活動を指して且らく心と名付けた迄じゃ実体の認むべきはない其自性が無いから変化無盡で活動出来る

 

不可得・無所得(固まりが無い事じゃ)

 

「智慧・分別ではいかぬとものじゃと気がついた」

法執

「打坐の真偽の点検する道具と見ればよい(公案)」

千七百の公案(景徳伝燈録の祖師の数である)

童子(色欲に触れざる)

五蘊皆空(蘊空)

蘊(アツマル)

「空とは何も無い事ではない(固まった我といふ者がない)(縁に応じて自在といふこと)

動中の工夫とは実地問題

公案大別(三つ)(頁二七五)

勦絶(そうぜつ)

何も彼も追払ってしまう処じゃ何もないという者も無いといふのが此れじゃ(悪平等に陥る)

建立門(こんりゅうもん)

一々差別の脱落

没縦跡(もつしょうせき)

悟りを忘れたたる境界なり跡滅

 

余念を(はさ)まない時

心に濁りある者と心得べく候

いふべき事があろうか

「殺(なりきるの意にして、外に物の無いことじゃ)」

何を悟るのじゃと

元来悟るべき物はない

わざと六しくする

手軽い手段

坐上の空論

元来自己に自性は無いじゃ

縁に応じて仮に現成するだけじゃ

即生即滅

他に心を奪はれぬ

元来忘るるものは無い

思うものもない

 

「思うものもないに思うからそれを忘るるといふのじゃ」

「万法が真に自己なればいい、別に自己といふものはいらぬなり」

身心に、自己といふ邪魔者がつかぬ

「人我の見が無くなる(聖人己なしと云ふ處じゃ)」

「道元(十五才栄西・十六才栄西没・高足明全九年従事・二十四才入宋)」

地獄極楽遊戯三昧

迷故三界城、悟故十方空

本来無自性

正師に就て聞くのが大事じゃぞ

「自己という固まりがあるから自在にいかぬ」

見性眼

禅定力

自己を忘じた所にある

未在(未徹在の略)

「心(コロコロの略)(カリタ)(インド・植物の中心を指す)」

 

心随万境

転處實能幽

*幽(自在の義)(縁に応じて自在に転変する)

 

活動を指して旦らく心と名付けた迄じゃ

「実体の認むべきはない其自性が無いから変化無盡で活動できる」

不可得(無所得固まりが無い事じゃ)

但空頑空

禁止門

 

参禅夜話 飯 欓隠

 

参禅夜話 飯田 欓隠 老師

 

書 参禅漫録より 飯田 (とう)隠 老師

書 参禅漫録より 飯田 (とう)隠

 

「禅話集(五巻)(欓隠禅話集・参禅秘話・参禅漫録)」

 

貪名愛利の妄念

 

無師自悟

 

謙信は宗謙

信玄は快川

大石良雄は盤珪

 

未生已前

 

大悟の縁とはなるまでじゃ

 

般は入の義

 

空とは一体ということ(天地同根・万物一体)

 

弾子=一秒の1/65

 

 

①坐して禅せざる者(穏座地が得られぬ)(煩悩はひっくるめて昏散の二つに帰する)

②禅して坐せざる者

行亦禅、坐亦禅、語黙動静体安然

③而も坐、而も禅これが眞箇・坐禅じゃ

即身心脱落

坐禅に坐せらるる

④不坐不

縁なき衆生は度しがたし

 

心地未だ明ならざる

 

己事未だ明らめず

 

坐に著すれば禅病となる

 

天地未分時

 

毀誉称譏利衰(きよしょうきりすい)苦楽(くらく)

 

八風吹不動天辺月

 

自己本有仏性の大自在能

 

山を見て不動

水を見て不休の心を養う

 

書 参禅漫録より 飯田 (とう)隠

 

書 参禅漫録より 飯田 (とう)隠 老師

 

禅学読本 飯田 欓隠 老師

禅学読本 飯田 欓隠

 

「迷いとは一つのものを二つに見て隔てを立てる」

「悟りとは分れながら本一つもので、争いようのないものでであるを自覚することを指す」

生きているのではない

存在しておるばかり

菩提心なきが為に魔道にお落ていた

「42才の時こおろぎの声で始めて真の見性(白隠)」

只縛を解け

認識してきた自我が縛である

自我の固まりが相手を認める

どこに自我がある

まあ体の中を捜してみよ

我なきに我を立てて自ら苦しむ

四祖14才の居士(六祖の祖父)

自我を殺すのが禅じゃ

無師独悟

見るばかりにして我はない

縁より悟入する者を証(さとり)と言う

同じ自覚が起こらねばならぬ

分かるる自己が別にあるのではない

ないことを殺すという

「我という者はその物の外に一物を認めた時起こる一念じゃ」

忽然念起を無明という(馬鳴)

「元来無縄自縛なりしことが明瞭なり」

物は元来何ともいわぬ

聞思修行より三摩地に入る

体解する

分別非意(永

「只身心脱落(地一下)を体得せし人これを証す」

「円覚経

メテ衆生本来成仏、

生死涅槃猶

只管活動

余物を交えざるの義

打坐の打は成すの義

余物余念を交えず

只になり単になるとき自己はない

「そのものの外に一物を認むる時に起こる名(自己即我)」

「我なきに我を作り人我の見を起こし、我の起こるもようを忽然念起の無明、無始の無明」

 

無明体依真如

真如体依無明

体のない処

無明の起こる実体はない

諸法ヨリ因縁生(空・無我)

体達自覚は容易ではない

無我を出して見よ

「無我にいながら無我がわからぬ(これ我があるからだ)」

 

「無眼耳鼻舌身なしは断見。無の眼耳鼻読む」

今に実体自我なし

元来我はないもの

自ら我をわざとたてて苦しむ

仏知見・開示悟入

只は余物を交えざるの義

尋思スルコト

不思量底とは自己のなきことじゃ

自己を求むるに不可得

縁にふれて念がとびだして大苦悩の時がくる

思不思を超越

 

不坐量底を坐量す

不見量底を見量す

不六根底を六根量

不万象底を万象す

不死量を死量す

 

 

自己のないことが自覚される

「思い起こすことありとも、それはそれに任せて、只そのものそれに純一になればそれでよい」

「南堂静禅師

心念何れより起こる

心念そのもの何如と見よ

紛飛その物も自性なし

能照の心なく所照の処なくんば・・・脱落・・・」

八風吹不動天辺月

坐禅せざる時の坐禅

豈に坐臥に拘らんや

平生坐禅した功力なること

「動中出来ごとを工夫の材料となし、純一無雑を以って修養の第一義とする」

 

外寂ニシテ(ウゴク)ゲル駒伏鼠

法執

着味の禅

個寺究明

妄源は一転して大円鏡智(真源)とならん

「認むればそこに塊りができる。これが我のもとじゃ。これをアラヤ識となす」

認めざれば塊はない

無我の我を計す

「無念にならんとする一念は、更に二念三念を生じて・・・」

心念紛飛

自己を忘ずる時

縛を取るとは自我を忘ずることである

 

五濁

第一見濁(瞋火・焼かれ・貪水に溺れる)

第二煩悩濁

第三衆生濁

第四命濁

第五劫濁(時代の濁悪)

 

「真相に体得すれば何も相手のあるものでない」

「其ものはそれだけで波の風によりて起こるようなもの」

水に自性なし我なし

風の縁に従う

一現象なり

無記とは善悪を超越したる処に名づく(教相上の無記とは違う)

無人因果

「無明が粘着縛して我執我慢が起ってきて真箇無我の境界が得られぬ」

聞思修より三摩地に入る

人空あって法空なきを浅般若

どうしても腹の立てようがない

念起是病、不続是

修行の要は小児になることじゃ

始めより腹が立たぬのである

 

「刀刀を切らず、水水を濡らさず、とあるはここを云うのじゃ」

要機(証修)・機要

二祖(107才・刑に処せられる)

栄西禅師(黄龍の禅明全・道元「懐奘・義介・瑩山」

虚堂(大應)

景徳伝燈(1700余人の祖師方が大悟せし因縁とある)

独参又は入室と云う

一棒の公案

ズル

正法眼蔵の三昧王三昧

三物秘弁の莫仞禅師

南堂静禅師

「禅への道の一助になれば・自我を殺す・自我など元々ない(欓隠)」

伊達受得居(陸奥宗光の父)

越渓和尚

 

禅学読本 飯田 欓隠

「脱落、解脱、縛を解くなり」

「我なきに我を作り」

「人我の見を起こし」

「諸法従因縁生=空==無我」

「無我を出して見よ」

『無眼耳鼻舌身意「なし」と返り点=断権。無の眼耳鼻と読めばよくわかる』

「固定性なし、自性なし」

「識得底」

『「只」の字屡々説『』

「余物を雑えざるの」

「純一無雑の境界」

『無記=善悪を超越とする処に名づけ語(教相上の無記とは違う)=無我』

 

「修行の要は小児になることじゃ」

「始めより腹が立たぬ」

 

禅学読本 飯田 

ニ回目

「皆一つものゝ分れである」

「本来仏であるのである」

「菩提は梵語(道・覚)」

「四祖は六祖の祖父である」

「無師自悟」

「亡自己(符牒)(翻筋斗・とんぼかえり)」

「無我を出して見よと引っかけると皆困る」

「無我にいながら無我がわからぬ、これ我があるからだ」

無の眼耳鼻と読めばよく分かる」

「《なし》とかえり点をつけると断見になる」

「不思量底とは自己なきことじゃ」

「外寂ニシテ内揺ウゴクゲル駒伏鼠」

「心猿意馬」

「心念紛飛」

「徴候は腹の立つと云うことがなくなる(無我の実証)」

「念起是病、不薬。」

ニ回目

 

禅学読本 飯田 欓隠 老師

 

現代相似禅評論 破有法王・飯田 欓隠 老師

禅家のいわゆる見性とはこの物を徹見、証知するに外ならず。(之を称して仏性・真如・無)

一物あり。(仏性・真如)・無)と言う。

天(命)・物(理)・人(性)

禅家の本源・人生の根基

禅家のいわゆる見性とはこの物を徹見、証知するに外ならず。(之を称して仏性・真如・無)

大悟したりと(いえど)も水瓶から火が出る筈が無いーー

妄覚に(おちい)

不断煩悩得涅槃柳緑花紅塵々三昧(一休禅師)

已後の境を説き

相似を述べ得るも

臨済・中峯・抜隊(ばっすい)・澤水

「迷へば(すなわ)ち生死に始まり、悟れば(すなわ)ち輪廻()む」

 

【法身・機関・言詮・難透・難解・五位・十重禁・虚堂代別・向上の子末後の牢関(公案数小 200~300・多 400~500)】

 

潙仰宗の謹巌・曹同宗の細蜜・臨済の痛快・雲門の高古・法眼の簡明

 

「自心を悟らんと思はば先づ念の起る源をみるべし(抜隊禅師)」

「我身を見るに幻の如く・水の泡・影の如く

自ら心を見るに虚空の如し形なし」

自心是何ぞ

聲を聞く主は何物ぞ

小見解に腰をかけ

【師家の許可を得ざる場合「(すべ)る」という】

見性とは説心説性にあらず

「特殊の心理的過程、偶発的気分にもあらず」

一超直入如来地の端的を示せる

見性即成仏なり

自性を識得すれば生死を脱す

生死を脱得すれば去處を知る

一生参学の事畢る

関東の一枚悟り・京都の梯子悟

 

現代相似禅評論 破有法王・飯田 欓隠 老師

 

証道歌 飯田 欓隠 老師

嘉大師証道歌提唱 飯田 隠老師

 

悟りとは、縁より悟入するを指すのじゃ

「縁と自己と一つになる時、自己がない事が自覚さるゝぢゃ」

「悟るのは自ら悟るのじゃ、人の力をかるものでない、之を冷暖自知と云ふぢゃ」

其の真偽を分たん

 

忘想、不

妄想(一つのものを二つに見て争うを指す)

法身覚了スレハ無一物、本源自性天真仏。

無一物中無尽蔵

汝甚得無生之意

「分別を分別せずば分別も分別ながら分別もなし」

空(実体のない事じゃ、縁に応じて自在に変化すべき物)

空(無自己・無染汚・髄所現・無碍)

 

【五陰・五蘊(積聚の義、集って成るものは空なるものぞの意)】

色(地水火風即肉体)

受(向ふから来るものを受けこむ感覚じゃ、眼の色に於けるが如しじゃ)

想(納領じゃ、受込んだものを想像するじゃ、これで善悪邪正が起って来る)

行(愈々遷流活動の義じゃ

識(心王で瞭別の義じゃ)

「五陰何れも愈々消滅して実体なき事の如しじゃ」

求心止時即無事

無いものを実と認めておったのだじゃ

「寂滅は梵語・涅槃(大成功の義・円寂・不生不滅とも訳す・常楽我淨)」

自己がないことが自覚される

自己を忘じた体得底の境界

妄想(一つのものを二つに見て争うを指す)

 

空(自己なきなり・無染汚・髄所現・無碍)

縁と自己一つになる自己がない事が自覚されるぢゃ」

「諸法無常なる故に諸法無我じゃこれを幻とも空とも云ふじゃ」

一切空(諸法の無我を指す)

摩尼(如意・離垢・増善)

五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)

五力(信・進・念・定・慧)

仏性徹見

 

四大元無主、

五蘊本来空、

頭当百刃

猶如春風

(肇法師)

 

ヲモ、不ヲモ

法空ニシテ無相ナルコトヲ

 

真、唯須見、

「念々変わりつつあるから相の認めようはない(空無相・仮名・空も亦空・仏の真の境界)」

「自己を認めぬから他己を認めぬ」

「因縁生、無自性(因果無人)」

「無人(平等にして無我)」

「無我(差別によって起るところ)」

「鞍上無人、鞍下無馬。」

 

【対境覚知異乎木石。名之曰心。

心籌量。名之曰意。

了了別名。名之曰識也。】

 

「般若(智慧と訳す)」

「空(髄処現・不染汚自在・払跡滅跡・無自性不可得、等)」

「天魔は梵語のマラ。(傷害と訳す)(人の悪くなるのを喜んで居る奴じゃ)」

「兮(助字、切り切らずと云ひ続くと云ふ

意になる)」

【三輪説法「口(身・意)輪説法・身・意」】

「自己が大有(おおあ)りで自己のない真似をする奴を払ふたのじゃ」

「人格が一変する」

「其のものはその物其の事で、皆すんで居る

「この愉快が報酬だ」

「心惑を生じ」

「諸行無常・是生滅法・生滅々己・寂滅為楽」

「始覚各来、本覚名如。

本覚は本来の面目じゃ、誰も持って居る。未生以前の面目とも云ふじゃ」

「只実参実究あるのみ」

「天地と融合し、古人我をあざむかざるの大真理を徹見す。(隠40歳・35歳南天棒印可・24歳仏通寺香川寛量印可)」

 

嘉大師証道歌提唱 飯田 隠老師

 

二回目

 

「自己がない事が自覚さるじゃ」

「不妄想。」

「妄想とは一つものを二つに見て争ふを指すじゃ」

「法身とは宇宙の本体じゃ」

「自身を空ぜよ」

「空とは実体のない事じゃ。縁に応じて自在に変化すべき物じゃ」

「積聚の義で集まって成るものは空なるものぞとの意より来たのじゃ」

『色(地水火風空即肉体)・受(受け込む感覚)・想(納領じゃ・・・想像するじゃ・・・)・行(愈々遷流活動の義)・識(心王で瞭別の義)』

「人空法亦空」

「諸門無常ニシテ一切空ナリ。即是如来大円覚」

「比丘(乞士・破煩悩)」

「清貧常楽、濁富常憂(文明皇后)」

「山は山川は昔に変らねど変りたてたる我心かな(熊谷頼綱)」

「怒りは短き狂気なり」

「唱道の師のみ」

「芥子却・磐石却」

「思はずともすむ事を思ふて苦しむのじゃ」

「但(余物を雑へざるの義)」

「三界無法、何処求心」

「二法(真妄)」

「性(不改以って義となす)」

「対立を治する為の一時の点眼薬にすぎぬじゃ()」

「残り物なし、サッパリと滅除して微塵残り物がないのでないと駄目じゃ」

「因果無人の大真理」

「他に念が移り易いからじゃ」

「名は元来仮化のものじゃ」

「自己のない真似をする奴」

「知解」

「比丘(乞士)と訳す(上に法を乞い、下に食を乞う)(士・尊敬語)」

「南天棒仏法夢にだも知らず」

「24才(M19)仏通寺 香川寛量老師 印可・27才(M22)南天棒 中原鄧州老師参ず・35才(M30)南天棒 印可・40才(M35)虚渓山(独悟)」

二回目

証道歌 飯田 欓隠 老師

 

南天棒禅話 中原 鄧州(飯田欓隠 書

南天棒禅話 (中原 鄧州 飯田欓隠?)

 

黙誅・舌誅・筆誅

余念を交えず正受するがよい(三昧の訳)

字講釈は禅宗の禁物(人は元来無自性)

菩提心(度衆生心・三界の大導師)

出家(家とは五欲をさす)

心常相滅

前後際断

時限(じぎ)り場()()

禅の極意は「唯の」一字にあるぞ

法嗣(法子)

屈晌布(くつしゅんぷ)

「択法眼(ちゃくほうげん)(真理を見分ける心眼)」

無眼子

冬瓜印子(とうがいんす)

安心決定(邪決定・正決定)

公案の説明を覚えてくる

阿弥陀(梵語・無量寿)

無師独悟

無自独悟

我慢勝他の念

韓(いみな)全忠・字(あざな)鄧州・別号((はく)崖窟(がいくつ)

南天棒は手の甲は胼胝(たこ)

見性は即ち見仏である

「身心脱落は畢竟空のところに体達すれば・・・」

黄楊(つげの)()禅(増上漫の人は延びようがない・のびにくい木)」

公案ばかりあさり歩いても果てはない

慈明(股に錐して眠らず)

大石は盤珪に参じた

禅病

掃蕩門・建立(差別)

口先仏法

蘊底をつくさねばならぬ

五位の出処は涅槃経の嬰児(ように)経じゃ

何事も念を止どめぬ

小児は大人の師・小児を学ぶのじゃ

五位というも、その模様を説明したのよ

求めずして至る

多々和々(赤ちゃんの言葉)

不顧前不慮後

()()

「ないものを有るがと模索(さぐり)しこそ無駄に心を用いしのみぞ」

「境界がそこに到らずして、その境界を気取る」

説然

殺盗淫

知見解会がある

佛見、法見

禅見

勦絶(そうぜつ)

 

検定法

「無字」四十五則。

「隻手」四十八則。

「法身」「機関」「言詮」三百則。

「法窟」「爪牙(そうげ)」百則。

「葛藤集」二百七十二則。

「臨済録」三十則。

「槐安国語」二十七則。

「碧巌」百則。

「無門関」四十八則。

虚堂代(きどうだい)(べつ)」百則。

「八難透」。

首山綱宗偈(しゅざんこうしゅうげ)」。

(ふん)(よう)十智同心」。

「白雲端三頓棒頌」。

「碧前無辺風月の頌」。

「碧後万斛盁舟の頌」。

「十重禁」。

「達磨無相心地戒体」。

「百八字の頌」。

「提綱一々」。

「五位提綱一々」。

拶所(さつしょ)」無限。

「末期の窂関」。

「最後の一決」。

 

巡人犯夜(夜回りが盗みをする・法眼宗の宗風)

意識分別がついておらぬ

拶所(禅病を破る妙業)

無病の病

法執

犬(表)・(裏)坊主「仏性ありや」

因是善悪・果是無記

禅は物を知るのではない

鏡に奪われざるに体得すればなり

 

「すべて公案というものは一旦迷わするように仕掛けてある」

「迷悟は元来生れてのち・・・所知障が三悪道を造りだす」

「きかぬ前未生以前にはそんなものはなかったのだ」

「畢竟妄想というものは、生後見聞覚知によりて建立された余計物じゃ」

「未生已前本来の面目に帰せしむる道具・・・仏性が現前して来る(大悟)」

【大悟(別に得るものがあるのではない)(妄想の除かれた場合を指すのだ)】

「いったん十分迷わして、その迷いを消してしまう。もう迷いが起こらぬように根絶やしをしてしまう。隻手はその道具と思えばよい」

智解の分際じゃ(益にたたぬ)

所知を忘ずる点において同一なればなり

掃蕩門・勦絶門

念起是れ病。不続是れ薬。

(うし)窓櫺(そうれい)の話

地一下(大悟して思わず発する一声)

【百丈以前は多くは「理致」で行った】

謙信(宗謙和尚)・信玄(快川国師)

思惑難断藕絲(ぐうじ)のごとし

余計物をとる手段を講ぜねばならぬ

 

南天棒禅話 (中原 全忠 飯田欓隠?)

南天棒禅話 中原 鄧州(飯田欓隠 書

 

南天棒行脚録 中原 鄧州

MS明朝

南天棒行脚録 中原 鄧州

 

普勧坐禅義一草 飯田老師

普勧坐禅義一草 飯田老師

 

「自己なきことが自覚さるゝぢゃ」

「行到水窮處、坐看雲起時

「修行して悟りを開く手続はいらぬ」

「粘着縛着」

「理会でおったと云ふことぢゃ」

「身心自然脱落、本来面目現前セン

「序正流通の教相」

「心意識(心の精粗によって名づけたるもの)」

「對覚知異ナル木石心、次壽量意、了ゝ別知

「念想観(研究の粗細)これを想ふは念ぢゃ、二度三度考へるのが想ぢゃ、いよいよ決定するのが観ぢゃ」

「風(音あり)・喘(咽喉が鳴る)・気(我知る)・息(我知らず)」

「後天の見惑を坐禅によって打破することが出来ることぢゃ」

「兀地(非思量の境界)」

かまはざれば妄想ではない」

 

二回目

「悉有佛性なれば、・・・」

「理会の入る隙間はない」

「自己なきことが自覚される」

「自己を忘ずる時、道が手に入る」

粘着縛着の自己を忘ずる」

「如何佛、飢レバラヒスレバ。」

「本来無一物何レノニカ塵埃。」

「時時メテ拂拭、勿使ムル塵埃。」

「法の上の向上門を得た、人の上からか破し来たったのちゃ、」

「今の悟りは気のきいた理會ぢゃ」

「大慧は大悟十八、小悟不数(今までは皆嘘ぢゃ理會であったと云ふことぢゃ)」

「妄想の羅列に過ぎぬのぢゃ」

「転レバ

「菩提心のもとに己見を勦絶しなければ皆無駄事ぢゃ」

「只其のものに任せて己見を加えざるの時、脱落せざるを得ないのぢゃ」

「生れぬ先も生れた後も、・・・」

「恁麼とは如ぢゃ」

「前後切断」

「妄想の入る隙間はないぢゃ」

「序正流通の教相」

「心意識之運轉は心のはたらきぢゃ、停メル云ふは、はたらきままにして自己を忘ずることぢゃ」

「念想観之測量は心の研究である、元来心が騒がざれば研究の必要はない、そこを止と云ふたのぢゃ

「放スル諸縁見たら見たっきり思ふたら思うったままぢゃ、境に奪はるゝことなしぢゃ、心中常に平穏なり、萬事に對して煩悩がない、内外玲瓏(れいろう)ぢゃ、何事も心柳に学ぶべし。

「元来相手は自己の反対なれば、・・・」

「心意識とは心の粗細によって名づけたるもの、對境覚知木石、名、次寿量、了別別知識。」

「念想観とは研究の粗細を云ふたものぢゃ、これを想ふは念ぢゃ、二度三度考へるのが想ぢゃ、いよいよ決定するのが観ぢゃ。」

「坐物・坐?・敷蒲団」

「結跏趺坐(如来坐)・半可趺坐(菩薩坐)」

「左を上(文殊坐)・右を上(普賢坐)」

「左手を上(降魔の印相)・右手を上(吉祥坐)」

「大きく開ければ気が散る」

「風は音あり、喘は咽喉が鳴る、気は我を知る、息は我知らず」

「何物の入る隙間もない・・・」

「不思量底とは自己なきことじゃ」

「思量とは自己なきまゝに活動することじゃ」

「思量は無形の心意識じゃ」

「見聞触香味

「波羅提(達磨の高足)」

「見性作用

「思非思量底

「四祖三祖問ふて云師乞解脱の道をあたえ給へ、三祖云何物が汝を縛すと、四祖時に拾四、言下に大悟す。」

「処知を忘ぜしめた」

「自己を忘ずるを主眼とする」

「知解を(まじ)へず」

「心猿意馬」

「妄想が起これば起これかまはされば妄想ではない」

「坐禅中の起こる念は念に任せてかまはなければ、・・・」

「非思量の超越的境界」

「芭蕉は佛頂禅師の印可なり」

「元より垢のなかったことが明確となる」

二回目

普勧坐禅義一莖(いっきょう)(そう) 飯田老師

普勧坐禅義一草 飯田老師

 

趙州録開莚普説 飯田老師

趙州録開莚普説 飯田老師

 

「忽然念起を無明トイフ(馬鳴)」

「念起是病 不続是薬(林才)」

「ニ物相対論」

「伊(かれ)」

「唱導の師」

「忽然念起の無明の妄執」

「証明の道(証明の正師)」

「思惑難藕絲

「罰棒賞棒」

「八風吹不動天辺月」

 

趙州録開莚普説 飯田老師

趙州録開莚普説 飯田老師

 

座禅箴管 道元禅師(飯田老師)

坐禅箴管 道元禅師(飯田隠 提唱)

 

「釈迦の坐禅右指を上にして、・・・結果を示す」

「我らの坐禅はを上にして、因を示す」

「知解が添ふてはならぬ」

「無をもう一つで殺さねばならぬ」

「正位(空界平等)・偏位(色界差別)」

「放諸縁一」

 

坐禅箴管 道元禅師(飯田隠 提唱)

坐禅箴管 道元禅師(飯田老師)

 

坐禅箴捃拾談 宏智古仏(飯田老師)

坐禅箴捃拾談 宏智古仏(飯田 提唱

 

「心は常に閑なり、・・・

「分別思慮の入る隙間はない」

「物(法理)・人(仏性)」

 

坐禅箴捃拾談 宏智古仏(飯田 提唱

坐禅箴捃拾談 宏智古仏(飯田老師)

 

飯田 隠 老師 (後)リンク先

 

坐禅箴捃拾談 宏智古仏(飯田老師)

 

井上 義光 老師 (前)リンク先

 

井上 義光 老師語録

井上 義光老師語録

 

字義の説明(理屈を離れて)

二義・三義に下って平易に書く

雑念・妄念のよりつくことのできない処

全く自己のないことを実証する

自己の無自性に徹すればよい

自己の本性に目覚めた

自分の心にくくられている

無縄自縛

自分の念にしばられて居ることがわからん

縁より悟入する

縁は万法

万法来たって我を証す

髄縁の法(吐く息・吸う息に成り切って観念をまじえぬこと)

工夫は意根を断ずるのが中心

わずかに意あらば自求不了

呼吸は頭におけない(頭で考えられない)

一切から離れ落ちていく(自己を忘じる)

地一下大死一番底

「我見が本当にとれき切って居らぬ処を打った」

祖師方に深浅の差は悟後の修行による

見性(自分自身の心の性体を見破るのである)

時間の賊

ころころところんで遊ぶ仏かな

字義説明

理屈を離れて

二義・三議に下って平易に書く

自己を認めた我

無明(理に暗い名)

野孤禅・ザル禅

「意根を坐断するのが目的自己の空なることを体達忘じたとき悟りに一歩をふみ込んだ処じゃ

自己の空なることを自覚する筈である」

自覚に深浅がある

一応の道理がわかる

理は事をはなれて存在しない

途中辺の人(禅病)

宗(能尊の義)

自己を忘じた

著するから煩悩とする

力を養えば執着がなくなる

心の上に現成してくる

自分の境遇に安住

物に執着する心がうすらぐ

塵・埃(伍欲六塵)「財色(情欲)名誉欲食睡」

坐るばかりが禅でなない

余念を雑えぬのが秘訣じゃ

「心の上には色々なゴミやホコリがうずたかく積もっている。掃除方法のわからぬ人が多い」

自他の見を起こすから苦しむのだ

刀、刀を切らず。水、水を洗わず

「只自分の思量分別を相手にせぬように努めることが骨が折れるだけじゃ」

「只坐れるようになるまでが時間を要する」

「只純一無雑になることが難しいのである」

むさぼらねば欲とはいえない

「見聞にとらわれるによりて物に執するのが病じゃ」

「サラサラとゆかない、一々にこだわる癖がある」

「我々は只自分の念うということに執われて苦しみ悩むのみじゃ」

「心の使うことのいらない処が判るのである」

心の健康な人物は容易に怒らぬものじゃ

自己を求むるに不可得ではないか

「あれを思いこれを思うて心を使わねば生きてられない」

 

見思惑

「理に迷う=見惑・伍利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見止み易い)」

「事に迷う=思惑・(貪欲・瞋恚・愚痴・憍慢・疑心)(ぐう)()の如し)((はす)の根)」

四大五蘊の集合体因縁生のもの

元来自我というかたまりはないものである

自我を認めて、受着する癖が惑わすのである(身見)

自在さが無我

四大仮和合

辺見(断見「空見」・常見)

「仏教には霊魂という言葉はなく之は神道のいう所で仏教では業というんだ」

業(心の作用の名と思えばよい)

「唯心という宇宙の本体が作用する働きに名をつけたものと思えばよい(業)」

人も物も因縁生のものだから

縁が尽きればコワレて死する

「見取見=自己の誤れる見解を固守して実なりと思い又は勝れていると思い込んでいる」

「戒禁取見=無因外道、因に非ざるものを因と信じたり、道に非ざるものを道と執する人々」

我無きことを実証した

「道理だから分かれば直に止む」

(ぐう)()の如く

思惑=(貪欲・瞋恚(しんに)・愚痴・憍慢・疑心)

驕慢=(他より自分の方がすぐれていると自負心をいう・悪口・見下げたり)

「正直な人はありのまま他を疑うことがない」

 

疑心暗鬼

本来の仏心に目覚める

「心の収まるにつれて、自己の本心が現れてくる」

思惑難断

檀那=布施(意訳)(財施・法施)

 

「顔施・眼施・言施・心施・身施・座席施・舎房施」

本来の清浄な心にたち帰らしめたい

心地の開明

身に体得

釈尊の真実

依文解義

自己の仏性を徹見

仏教は無我が中心である

自由無碍の境地

自我を捨てる

「忘ずるとはへだてのないことを自覚するのじゃ」

「へだてがないとは一切無自性のもの、不可得のものということが分かるのじゃ」

「自性のかたまり物のないことがわかる(生きながら一度死ぬることじゃ)全く不可得のものということを知るのじゃ」

「誰も皆、心というものがあると思うている」

「全く不可得心である。これが心の本性である」

「不可得の中只麼に得たり 永嘉大師

「四重禁殺・盗・婬・妄

「口に空を説いてみても本当に見性することが出来ない」

一つも法として得るものはない

「空心静坐(無記の空に着する)」

心は虚空の如くなる

「おもうことなく・念ずることなく・著することがない」

(たぶら)かしたり・妄想を起こしたりするようなことはない」

去来は自由であるのだ

「執着心を除けば自ら、自由無碍である」

般若多羅尊者ー仏大先ー達磨

 

六宗(有相宗・無相宗・定慧宗・戒行宗・無得宗・寂静宗)

 

見性は作用いあり

 

行入(報冤行・髄縁行・無所求行・称法行)

 

空(変迁流転して少しもとどまらぬということ、本質が自性のないということ)

 

無為にしてやすし

本心止む時即ち無

我見のツノ

感情の根が切れる

散乱心(雑念・妄想の多い人)

心に統一のない人

アレを思いコレを思い

只自己を究明する

自己の心の本質

我見がなくなる

散乱心はおさまる

小我(執着して大我を見る力がない)

自分の心の本性を徹見したのじゃ(自己を忘ずる)

心の本性を見とどけたもの

心の波をしずめおさめることじゃ

静まった心が本性じゃ

井上 義光老師語録

 

井上 義光 老師語録

 

参同契提唱 井上 義光 老師

参同契提唱 井上義光老師

 

仏法は実践体得にある

論理の縛に居る人

論理以外の大真理

「正体を究めればその瞬間より自由無碍じゃ」

「心」という実体はない

「心」一つの様子

「一つ物を二つに見る悪弊を自我と言う」

【道に南北の祖なし(祖はの誤りなり)と隠老師】

所詮、意識の分際

縁の違いにより、作用や働きが異なる

流注は自在なる働きの事じゃ

回互(もともと一つ物の意・平等の根本義)

不回互(差別・働き)

「差別のまま安住して妄念せぬことじゃ」

一念の真相を究明

【水と波・雨と水・水の流れ(皆縁の違いにより作用や働きが異なる)】

【「意」は「境」を識別する精神作用であり「心」じゃ】

チラつかせて妙を探させる家風じゃ

打発した

感情満足

師兄(しひん)

出来物

理窟は分かっていたと見え・・・

法我見

有無の二見が我見だから・・・

理窟でこりかたまった

打っての慈悲・突っぱねての慈悲

啐琢同時

与奪自在

 

事々物々を「言」で代表したのじゃ

【自分を自分と知る邪魔物、つまり「隔て」があるからじゃ】

見んと要せずして見ておるではないか

念の無い念に気が付かねば手がつかぬ

前後の無い「即念」に気が付かぬ

「あれこれ思うて自分で自分を縛るなと言うことじゃ」

平生の苦辛あっての後の事ぞ

坐って実証するよりほかはないぞ

道を踏みながら道がわからなくなるぞとなり

粘着縛着

成り切るとは自分が無くなる事じゃ

「自己を忘じることの偉大さと困難さを知るがよい」

諸縁を放捨しての修行

【まだ「悟り」がぶら下がっておった(理窟を言うた)】

「真を求むることを用いざれ、ただ、すべからく見をやむべし」三祖大師

自ずから結果が出るぞと

 

参同契提唱 井上義光老師

参同契提唱 井上 義光 老師

 

宝境三昧提唱 井上 義光 老師

無為無作、因縁無量で成り立っている

今の事実を信じ切れとの底意じゃ

それを得ようと求めです

 

回互(平等)

不回互(差別)

一姿に囚われて・・・

一つの全体作用に過ぎない

「五位という概念で解き明かしていることじゃ」

五位とは因縁所生の法を説いたもので・・・

使い得て後如何

【平等(一、五)を本体、作用とに見ればよく解るであろう、本来真空妙有】

応用の説明

宿命説(運命論)

天意説(神意説)

無因偶然説

「印度の亡びしもこれに依ると言うた人がある」

無自性空に因縁所生の法じゃ

「解っておることと、体得したこととは無関係じゃ」

【禅病は古来から多い(一口に言えば只管の練りが足りぬ、畢竟菩提心が弱いからだ)】

法我見の取れ難きは・・・

四顛倒(常楽我常)

ほど白い物は無い。分かるか?

思量・分別・妄想

尽し切らしむる法剣

忽然と自己を忘ずるであろう

顛倒想滅

 

肯心

自ら許す

「悟り」の牢屋

「何も無いというものが残っている限り真の仏法ではない」

裸をもう一つ裸にするのじゃ

【狸奴白牯「狸奴(猫)白牯(牛)」】

自我が心の主

分別思量

煩悩の出る隙間がなくなる

「只凡情を尽せ聖解なし(三祖大師)」

「一つ心が縁に応じて自由自在じゃ(天心の妙用)」

「思わくや理窟で探す愚をするなということじゃ」

只能く相続するを、主中の主と名づく

何もない落着き

「その場の縁に成り切り成り切りやるばかりじゃ」

「只」の練り廻しじゃ

地一下の体得

凡情の尽せぬ筈がない

面授面禀(めんじゅめんぼん)

正師の元で・・・

感応同交

 

宝境三昧提唱 井上義光老師

宝境三昧提唱 井上 義光 老師

 

坐禅の要訣 井上 義光 老師

坐禅の要訣 井上 義光

 

思想・観念はその働きにすぎない

「追求するそのもの自体[心]であり真相である」

「一念の生ずる元を徹見しなければ自分の[心]の正体は分からぬ」

[今]の絶対境地に体達

自由無碍に体達する

粘着縛着

言葉に囚われ理窟で至ろうと・・・

見性が目的じゃ

禅は自己を究明するのが生命である

[見性]すれば煩悩の根が枯れる

[見性]とは自然の法に目覚めること

[空]を確信することが[見性]じゃ

「[何も無い]ことが本当にわかるから無用な詮索をしなくなる」

「自分の[心]以外に眼を向けたら方向違いをする」

「自分の[心]以外とは頭で探し、本など理窟を作り上げ理解を求めることである」

真相を体得するのが[見性]である

「眼の本性としてちゃんと見ている(眼は本性を全うしていることが分かる)」

事実と思惑との違いが明確になってくる

「余念を棄てて・・・「只」することじゃ」

法には[自我]はない

自ずから身も心も忘れて無くなるのじゃ

自ら仏となる

余念の余地を潰すのじゃ

什麼物(なにもの)とは[何物]じゃ

今に立ち返り、立ち返り・・・

誰じゃと問う汝は誰じゃ

「[今]の事実の参究が自己を習うじゃ。参究するとは徹することじゃ。徹すれば自己はない。他人が食べてもこちらの腹は膨らまぬ(他人の事実)」

「道とは法じゃ・法とは真理じゃ・真理は事実じゃ・事実とは[今]じゃ・[今]の真相が真理じゃ・今に徹すれば自己無きに至る。自ずから真理が明了するのじゃ」

何ものにも束縛されぬことじゃ

冷暖自知のみ

「人試みに意根を坐断して見よ、十が八九は必ず見道を得ん」

恁麼(いんも)は如是じゃ

見思の惑を断じ・・・

 

「着眼点は[今]じゃ。即念じゃ。[心]を一点に置いて余念を加えぬ事じゃ。前後際断した[無念の念]が分かった邪魔物を廃することが出来る」

超越した境界を得るのが本領である

只管三昧

思想観念を離れ、意識の差配を仮らず

「理窟の優劣を争い、経論の講釈に明け暮れて・・・」

「心を用いず力をも費さずして木石に去る可し」

「感情も心念粉飛も治まり、恰も木石の如しじゃ。死に切る寸前じゃ。[見性]疑いなし」

五蓋(五欲・名門利養・財色食名睡)

求むる自己も空である

 

[見性]は真実を見届けることじゃ

肯心自許

小成に安んずること莫れ

(わず)かに人空を了じたるを以って大悟と思うこと勿れ、まだ法空を証せず。大抵は人空に止まる」

仏見・法見の臭ありて自在ならず

「余習は除き難いもので・・・悟後の修行じゃ。古人に浅深があるのは之が為めである」

心境共に忘じて初めて真の[見性]じゃ

「[天地と我と同根・万物と我と一体]とはここじゃ。(あたか)と合するが如く、と合した様なものじゃ。合わせ目が無い。一つになった形容である

「純熟すれば春に逢ふて華開き、秋冷を経なば葉自から落つ」

自知するより外はない

語は十成を忌むじゃ

嬰児行は禅の極地である

「本当に[只]に成ったと言うことじゃ。真剣に[単]を練った結果に外ならぬ」

「自由無碍にして跡形の無いことを無為と言うのじゃ」

「何もなければ好くも悪くもない。何もない処には何でもあると云うことじゃ」

「[成るほど自分が呼吸をするのではなく、何もしなくても勝手に呼吸が呼吸をしているではないか]という自然の様子が分る」

「要は事実と観念の決定的な違いを見い出すことにある」

観念は謂わば空想じゃ

仮想の観念現象に過ぎぬ

[只管]ひたすら・純一無雑の意じゃ

只管打坐・只管活動・只管三昧(行住坐臥)

見性によって人格が一変してくる

天真爛漫

公案を頭でこねくり回す[クセ]がある

理窟が(こう)じるばかりで・・・

 

坐禅の要訣 井上 義光

 

坐禅の要訣 井上 義光 老師語 録

 

親鸞のはらわた 井上 義光 老師

親鸞のはらわた 井上 義光

 

「大悟の妙心」

「清浄法身の仏を証得した」

「断ずべき煩悩が其儘菩提である」

「煩悩を断尽して後のことである(本来悟り切っているとか云ふのは)」

「実有と執着して我空を知らず又法の空なることも知らぬ」

「我見は取去り難いので、・・・」

「起こる働きであるが、・・・」

「五欲」

「只其の儘の心(即心仏性)」

「得心は・・・会得・納得・体験・実証」

「意識現象の相」

「縁に対せずして照す、・・・本心を知らねばならぬ」

「無自性の本性が手に入る」

自己という見解をスッパリと振り捨てた境地に顕現し来る妙徳である」

「三愛(境愛・自体愛・当生愛)」

「散乱の心を止むための方便なり」

「本来心と云ふけれども何も摑むで見様のな

い性空を、かりに心と名づけたのであって、更に何の形段もないのである」

「金剛経 応無住。而生其心。」

「其の心の本性は無自性にして不可得である

「仏と云ふは無自性を云ふたのである」

「心の異名」

「心猿飛移五欲枝。意馬馳走六塵境」

「引きずり廻されぬ様に執着心を捨てよと云ふのである」

「求める心は執着しているから之に引ずられる」

「意は諸法に対して移り行く」

 

五十二位「(煩悩を断破する階級を示したものである。)(我執、妄想の惑を断ずるのである)

(見惑・知恵の惑・理に迷ふているものを云ふ)(思惑・情意の惑・事に迷ふている者を云ふ)」

十信・・・初発心(三世因果ヲ信ジテ悪ヲ悔ヒ将来ノ悪ヲ憎ミ身口意ノ三業ニ於テ悪ヲナサヌ

十住・・・声聞・縁覚(善悪因果ヲ信ズルノ

十行・・・ミナラズ見聞覚知ノ事物に執着ス

十回向・・ル念慮ナクシテ宇宙ノ真相ガオボロゲニ知ラレル

十地・・・菩薩(初地ヨリ九地ノ菩薩ニ至ルト我執ト法執トヲ除イテ真如ノ真相ヲ知ル故ニ迷イナシ)

等地・・・仏(金剛不壊ノ心ヲ得ル爆地一破

妙覚・・・シ来ル)

 

「我執・妄想」

「見道所断・得道所断」

「諸法実相の事実を悟る」

「名があると何か物がある様に思ふが、決して何もあるものではない」

「只我心を明むる外は雑行なり」

「吾等は本来成仏し切っているのであるが、・・・」

「無我の体験」

「四肢五官の肉体」

「人を導く力」

親鸞のはらわた 井上 義光

 

親鸞のはらわた 井上 義光 老師

 

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親鸞のはらわた 井上 義光 老師

 

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解脱への道 井上 大智老尼

解脱への道 井上 大智

 

自照居士・南天棒印可(懐刀)

飯田欓隠老師南天棒に抜けんじること七歩

心の参究じゃ

心の性体を見極める

一隻眼体得

静寂な無心の境地

世界壊すともこの性懐せず

心の性体

釈尊の大真理の発見(真実の理)

ヘダテのない世界の徹見

水体・人間体

「竹は竹を通して竹の性を知り、松は松を通して松の性を知り、人は人を通して人の性を知る」

「空」「無」自由自在の義

必ず出なくなります

「「いづれより来たる」とその感情の源に向って切り込んでゆきます」

「「これ何ぞ」とくり返しながら感情と戦って行きます」

自然に出なくなります(現象)

自然に真理に徹するのであります

「呼吸の単になる」

余念をまじえず「只」やるんです

宇宙の大真理に徹して・・・

本質に目覚める工夫

只管工夫を活用

元々固まった心というものがない

純の純たる坐禅

感情と戦争するんです

自分で造った感情を自分で整理するんです

感情は自然消滅

落ちる地獄がない

待悟禅

悟りのローヤに入って仕まう

「法界一面に取り扱って人の言葉を問題しない(悪平等の人)」

悟りを振り回して・・・(禅天魔)

「目的をかまえるこの悟りはまだ本物ではないぞ」

天狗になってうけつけません

「只管が目的ではなく、手段となってまいります」

心(ころころ)と申していたそうです

「この心の性体を見届けることが仏道修行となるのです」

「自己の本性に徹することなので、それでこそ性を見ると云うことのなる」

自己のない静寂なこの確証・・・

「最後の心境に達する前・・・念々前後截断されている様子を自覚し、この自覚の上に立って、一つの念に投入して行きます」

物を認めるから問題が起こるのです

おのづから邪魔物が取れて・・・

即念を思惟するからです

邪魔の入る余地がありません

「涯際が取れて自然に見聞覚知されて行けるようになります」

自然に自発いたします(見性)

法界(平等の世界)

「平等即ち[空]の世界とみて[空]にのみ着したんであり、これを[空見外道]と申しまして、自由の分がありません」

一隻眼(法理の明らかな人)

似て非なる境界を造り出して・・・

結局説明に過ぎません

「日々底になり切って余念なければ、いつか気の付く時がまいります」

自分の仏を見出せばよいのです(自己仏)

自己あるが故に一切は現れて参ります

釈迦は自己仏を発見せられた

古則公案の毒にかぶれ・・・

死仏

金木石仏

味わい(冷暖自知)

方便経に縛せられ・・・

恵舜(えしゅん)()(面皮を焼く)

 

「空室道人

尽く()ふ水能く垢を洗ふと、

(なん)ぞ知らん水亦垢なることを」

直饒(たとえ)水垢頓に除くも、(ここ)に至りて須く洗却すべし」

教相家の世界

智解の洗却です

「何と思うても、云うても不足なることを知らねばなりません」

[我見が]万根の種です

我見の性を見破るのが[見性]です

「況や禅理を百万言云尽したとて何の価があるでしょう」

悟りの牢屋で遊んで居る

「自照居士・男天下に参じて無字を三年かかって悟り公案全部すまして印可を得・・・遂に大悟の境に至らずして逝去しました

悟の牢屋の破れ難き事

公案禅の弊害

悟りの光に惑わされて・・・

タダ只管が楽に出来る

タダようになることで・・・

真如実相の無想

悟りを捨てて悟りを生すか

凡聖の境

[何にもない]と云うものがのこる

「自ら豁然として自発するものである」

ほんとうに法空を自覚するもの稀なり

正法を名利のかてとする

唱道の者は多く、行道の者少しと・・・

「はっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らぬか区別がつかない」

余分な念は使わない

学人の点検法

悟りを振り回す間は・・・

欓隠曰く[この間何物がある]心の空なることも明了するよ

古則公案の毒

くらげ(メクラのこと)

殺すとは成り切ることです

在家禅

真に境涯を得た人

感情も気付きも入れない

自分を虜にしておく

「何も無くにあると、そのまま入って聞こえて終わる」

「表現しようとした時は、囚われているからだ」

「何もなしの(から)である時には、そのままさらさらと只々でいける」

「凡情が尽し切れるまで努力しなければならない」

至り得た後の話である(煩悩即涅槃)

普遍の真理の異名

解脱([本当の真理]に目覚めること・この自覚症状を[悟り]という

自己を忘じた力がないとできない

生とか死は観念であり言葉である

「[只管]という言葉・[只管]を邪魔している」

禅の主旨や意味が判っても意味がない

絶えず[只]を練っていた

自己がないことがはっきりした[見性]である

[悟り]が邪魔していたことが分かった

[見性]の力で[見性]を破らねばダメだ

[心]と[如是]と同じである

[悟り]の牢屋から救ってくれた

素直に[只]在ること

我を忘れて成り切ることだ

境(相手・環境)に用はない

自分の考えなどを入れず・・・

[地一下]の大自覚が無い

無目的の坐禅は知らん間妄想禅となり・・・

無明の根本を解決しなければ・・・

「[今]を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である」

「一隻眼(自己のないことがはっきりすることである・後の修行の大事な所である)」

 

(立川淨州編)

言葉や文字に囚われていて・・・

何もする必要がない

相手なし

あわてずに、素直に只実行する事が大切だ

(立川淨州編)

 

(浅羽武州編)

「有るように思えるが実体が無いので、因縁で常に変わって現れる。元来ないのですから空っぽであれば感情が出ても自然に過ぎ去る」

この様子を確に自覚した時が[見性]です

楽に[只]坐っていれば・・・

意を持ち込んではダメです

念に関わらない

 

総ての念を無視し続ける(単を練る)

自ら働き出たものに意を用いない

跡形も前後も何にも無いでしょう

何もしなければ自ずから如法

「心が縛られるんです、それで迷い苦しむんです」

ここはどうしても体験が必要です

気にならない一点に気がつくんです

思っても何も無いから・・・

心に持ち込まなければ棄てる者も無い

持ち込まない、棄てない一点を守ることだ

「その事だけに成り、[只]していることですね」

一切が法であるというのは後の話です

そのまま悟り(魔道)

心に何にもひっかかる者は無くなりました

時に悟った自信などが出る

今の事実のみに密着するよう・・・

悟りが邪魔してですね

(浅羽武州編)

 

(井上希道編)

「山上尚有山、転悟転捨」

点検

本当に読経三昧に成っただけぞ(詠嘉大師

明了する

何も理屈がない世界

(井上希道編)

 

解脱への道 井上 大智

 

二回目始

三十余年の病床生活と禅の力 井上大智

「最後の心境に達する前(即念の工夫)(念に前後截断されている様子を自覚し、その自覚の上に立って、一つの念に投入して行きます)」

「おのずから邪魔物が取れて自然の法に随ってかかれます」

「法界(平等の世界)」

「自分の法を見出せばよいのです(自己仏を発見すべきです)」

「自己がある故に一切は現れて参ります」

「我見の性を見破るのが見性です」

「自照居士南天棒より印可(公案全部をすまして)」

「大智(智惠)」

「悟の牢屋」

「公案禅の弊害」

「道理の者」

「意馬心猿(六窓一猿)」

「三界は只心の所造なり」

「公案のたのむに足らざりし、・・・」

「相似禅評論・公案解答集」

「亡我の境に遊んだ」

「無相定が得られなければ、・・・」

「心仕度」

「学人の点検法」

「悟りを振り回す間は、ダメダメ。」

「心の空なることも明了するよ」

「自心を空ぜよ」

「古則公案の毒にかぶれ、一生を棒にふるとせんがあはれむべし。」

二回目終

 

三十余年の病床生活と禅の力 井上大智

 

解脱への道 井上 大智老尼

 

信心銘 井上 大智老尼

信心銘提唱 井上 大智老尼

 

心の異名

気を病まない

仏性を徹見

順逆に順応して行くだけ

空見外道

この真理がわかるとシメタものです

三不能

思わず可可大笑

見聞のとらわれる癖を破りませんと心の性体がはっきりしません」

 

万法と一体

もともと一体であった事も明瞭いたします

 

「思慮分別の逞しい人は見聞覚知・・・比較軽量して妄想の深い人です(巧妙なるをもって世に処する妙術と考えています)」

 

元来が別に言うことも思うこともない

この大道、何物が汝をさまたげんや

取捨しているだけ

只見を息めよ

求めるものが一つもない

 

「只人々の我見を取るのみで、これを修行するのです」

 

我見性体を気破る(徹見する)

「求むるもののないことが自然に明了します(求心が息みます)」

「真を求めず、只見を息めよ、実にカンタン明了」

 

考えの入らぬ所(工夫なき工夫と申す)

 

空=「其の物の上に思いや考えをさしはさむなということに取られなければよろしい

其の物は縁に応じて何にでもなっていくこの自在を仮に空と名付けてあるだけ

 

「この自在を自覚する考えや思いが入りたがる習慣取るのが仏道修行なのです

真実の上を踏んでいるのに、この考えや思いが邪魔をしているだけです」

 

宇宙大真理を極めるのが本当の宗教です

 

「心は内にあらず・外・中間にあらず

つかまえどころのない心いつでも何にでもなる千変万化不可思議千万のものを仮に心と名付けたまでである

人々が勝手に心として固まったものがあるように考えているのです

一空

「もちろん悟りとか迷いとかいうものはありません」

何事も修行の結果です

感情こそ参究の中心点と心得られます

一つ心の動きに過ぎない

万法と一体

我見を取るのみ、これを修行する

我見の性体を見破る(徹見する)

求心が息みます

考えの入らぬところ

「縁に応じて何にでもなって行く、この自在を空と仮に名づけてあるだけ(自在の義)」

能(主観)境(客観)能境(自他)

心と名づけたまでである

「もちろん悟りとか迷いとかいうものはありません」

可惜許(かしゃっこ)

心の性体只唯心造

比較することに依って生じます

固定性のない説明

思慮分別の所作は自らいらなくなる

心力

真如法界も心の異名

観念遊戯

不二の法(求めるものがない)(仏道修行)

「人々ミナ相手を立てて迷うている事を知らない」

相手がなければ迷いようがない

無の自性

 

信心銘提唱 井上 大智老尼

二回目

「三祖が二祖大師の所へ行かれたのは四十才位・没百七才」

「仏性を徹見」

「只ミンナが勝手にこうじゃ、ああじゃと取捨しているだけである

「空見外道」

「連想観念」

「真空妙有がわからない」

「比較計量し妄想の深い人」

「何物か汝をさまたげんや(妙用)」

「我見を取るのみでこれを修行するのです」

「我見の性体を見破るあるいは徹見するのです」

「求むるもののないことが自然に明了しますから求心が息みます」

「これに考えを入れなければ問題のおきようがない」

「考えの入らぬところを、只々おし進めてゆく、これを工夫のない工夫と申すのです隠大師)」

「この自在空と仮に名付けてあるだけです(自在の我を自覚)」

「この習慣を取るのが仏道修行なのです(考えや思いが入りたがる)」

「考えや思いが邪魔をしているだけです(只見をやむべし)」

「宇宙の大真理を究めるのが、・・・」

「いちいち我見が出て方法につっかかって行く」

「実に千変万化していく不可思議千変のものを、かりに心と名付けてたまでである」

「取るということは、考えにおちないことで、・・・」

「本当の味わいは体得しなければわかりません」

「何の悩みもなく逍遥として、・・・」

「・・・一寸でも念を起こしますと真理に背くこと・・・」

「万事を放下せよ放下せよ」

「本来寂乱も好悪ない・・・」

「・・・悟りとか迷いとかいうものはありません」

「・・・勝手に心で酌み分けていろいろ計ってみるのです

「元来安楽の法門」

「元来ヘダテのないものを自分という・・・手造りしてヘダテをしているに過ぎません」

「結局一つ心の動きに過ぎない」

「万法は只一つ物の異名であって、・・・(三界は只唯心造)」

「何でも理屈をすてて行く、・・・」

「理屈が捨たれば、自ら明白となるものです」

「仏語で仏性」

「この真理は目覚めることを(かい)(しん)と申すので、つまり悟りです」

「思量分別の所作は自らいらなくなり、・・・」

「真如法界も心の異名なのです」

「観念遊戯の妙味にたわむれ、・・・」

この求むるもののないのを知るのが仏道修行なのです」

「狸奴白牯は迷える衆生のことで、・・・」

「見聞覚知に執着するから」

「元来悟るものがなかった守るものがなかった悟りを持っていることの不是なることを知って頂きたい」

「無の自性」

「自己のない説明」

「阻て」

二回目

信心銘提唱 井上 大智老尼

三回目

「憎愛の心を抱いて自分で自分を苦しめているんです」

「いろいろに心を労するからいけない」

「心を静める必要は無論いらないのである」

「只ミンナが勝手にこうじゃ、ああじゃと取捨しているだけである」

「タダ縁にまかせて行けばよい」

「空見外道」

「天然にそなわっているものです」

「連想観念の常に往来して邪魔をするのです」

「比較計量して妄想の深い人」

「元来が別に言うことも思うこともない」

「何物が汝をさまたげんや」

「只人々の我見を取るのみでこれを修行するのです」

「いたずらに真理をのみ求めて、・・・」

「只見を息めよ」

「考えをさしはさむために問題が起きるのです」

考えの入らぬところを只々おし進めてゆく、これを工夫のない工夫と申すのです」

「この自在仮りに名づけてあるだけです」

「考えや思いが邪魔しているだけです」

「比較のみの日暮し」

「勝手に心で酌み分けていろいろ計ってみるのです」

「仏性(仏語)」

「元来悟るものがなかった、守るものがなかった悟りを持っていることの不足なることを知って頂きたい、・・・」

三回目

 

四回目

「少しでも我があると、・・・仏性を徹見することはできない」

「玄旨(真理)」

「心を労するからいけない」

「求むるものが一つもない」

「我見を取るのみでこれを修行するのです」

「其の物の上に思い考えさしはさむなということに取られればよろしいです」

「縁に応じて何にでもなって行く」

「この自在を空と仮に名づけてあるだけです」

「自在の義を自覚する」

考えや思いが入りたがる。・・・この習慣を取るのが仏道修行なのです。」

考えや思い邪魔をしているだけです。」

「只見をやむべし」

「対立していない真相があるのです。これを参究するのが本旨です。」

「能(主観)境(客観)は自他と見られたらよろしいです。」

「かりに心と名付けたまでである。」

「本来の一空(本質)」

「理でわかっても味わいがない。」

「もちろん悟りとか迷いとかいうものはありません。」

「勝手に心で酌み分けていろいろ計ってみるのです。」

「万法は只一つの物の異名であって、・・・」

理屈をすてていく、・・・この理屈は相対的原理から生まれてくるもので、つまり比較

することに依って生じます。」

「元々万人に備わっている自分自身のこの真理に目覚めますことを契心と申すので、つまり悟りです。」

思量分別の所作は自らいらなくなり・・・」

「一念の正体如何」

「タダ、自覚がないだけであると、・・・」

四回目

 

信心銘提唱 井上 大智

信心銘 井上 大智老尼

 

照庵大智老尼語録 上 井上 大智老尼

照庵大智老尼語録 上 (井上 大智)

 

一隻眼を得てより僅かに7年

心の性体を見とどけろ

 

「仏の世界は絶対的でありますから相手があってはいけないのです」

 

行きながら生死を解決する

 

心の源をたずねてみようではありませんか(真理・悟り)(永久不変の生命を自覚、この真理会得仏の世界)」

 

法理で満足

法理と遊んでいる(増上慢・法我見)

只管がらくになってくる

日常生活と悟りとが一つでない証拠であります

口釈を云いたがるものです

心得次第

自から前後裁断(即念)

言詮不及・意路不到

只管を練って只管を破った人

智解を以って只管(悟)をおくそくすること(智解は許さない

智解を以って足れりとすることは、・・・よくよく注意しなければならない

 

釈尊も只この今に目覚められたのみで、別に悟るべき何者もなかった

 

心の真相の自覚

 

「言うことも思うことも耐えて閑道人」

「疑問も少なく素直に導かれるままに一心に成りやすいのだあります」

 

人面獣心

空心

自在の義

その物には本来固定性のないもの

「今死ぬる、何処へも行かぬここに居る、たずねはするな物はいわぬぞ」

 

散乱の心を止むるための方便なり

 

多名一心

固着

身命財

心の本性の発見する(見性)

心の本性を自覚する

浄化作用

見性の賜物

心の性体をみとどける

無我体

無我相

 

空(固定性のない無自性即ち無相の事只自在の事この本性コソ真理真空

 

空無(概念的理論の人)

半通過

一隻眼(大成の半途に在る人)

「自己の空なるを知った一色辺に堕した」

差別に生まれ出ない

 

「空の考えの上でかたづけてしまいます(空見外道)」

 

仏法は真如実相、実相は無相なり

心得一つ

坐死

宇宙の大真理に目覚める

心を究明

「現在の禅者は十が八、九、二人連れの工夫であります」

悟(真理の署名)

「見」をやめることに重点をおかねばだめなのであります

端坐のみです

「妄動的で日々の生活は死んでいる(有気の死人)」

「古人の悟られた因縁(古則公案)(書き付け仏法火の用心)」

無常の姿のみ

「只、壊れぬものはこの真理のみであります(金剛不壊)」

仏性(真理の署名)

坐の姿に着しては坐禅病になります

只何に在っても単にある

お経の講釈

只管の本質は純の純たるもの

感情に使われている(感情の性体を知って)

只一念より生ずる

腰をすえたがるものです(仏地に平等に偏す平等地に食いついてしまう

 

法理で満足

法理と遊んでいる(増上漫・法我見)

只管がらくになってくる

「日常生活と悟りとが一つでない証拠であります」

口釈をいいたがるものです

心得次第

自ずから前後裁断(即念)

言詮不及・意路不到

「只管を練って只管を破った人」

「智解を以って只管(悟)をおくそくすること(智解は許さない)」

「智解を以って足れりとすることは、・・・よくよく注意しなければならない」

坐執

事実は真理の証明者なり(飯田

真理の代名詞(空・無)

 

「今死ぬるどこえも行かぬここに居るたずねはするなものは云はぬぞ(一休禅師)」

 

欓隠云く、「一休・良寛の禅は愛すべくも、学ぶべからず」

 

知不知に属せず

「物を認めた世界(理論)理論を越えた無形の世界(精神)」

「物知り顔もみぐるしい(無言返って功あり)」

ボダイ心(努力心)

何処を捉えて一念とや申さんか

 

「心と云うたまでのもので本来はこころとも云うべきものはないのです(妙法・性体と名付けておる)」

何にでも現成す(心)

風なきに波起こす

心の働き(観自在菩薩)

「いつでも何処でも縁に応じて現成する(心)」

「因縁にまかせて体得する以外に方法はない(心)」

「思慮分別を起すことが悪いのです。見聞覚知すべてです」

自知底の味わい

単調な活動三昧(禅者)

破大乗無差別の人(無記・虚無の人)

単の連続である

「対立の中の真実(真理)を自覚するのが、実は禅者の目的である」

只管は即ち単である

坐禅は見性が目的である

 

「釈尊も只この今に目覚められたのみで、別に悟るべき何者もなかった」

 

二元的観念が中心となっている

自他の念がはなれない

不変真如・随縁真如

境遇を生かして行く

「自我の為にホンロウされて帰するところを知らない」

 

「「心なき」とは、心を空にして只見ている時、自分は雨となっている」

 

「仏とは心のむすばれのとけた形容語である」

即如今底

 

照庵大智老尼語録 上

 

照庵大智老尼語録 上 井上 大智老尼

 

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(無心ということより)

(禅の弟一義 解打鼓より)

臨済の基本思想

(禅仏教入門より)

禅の思想

悟 り

禅経験の研究について

禅の問答

古田 紹欽 (禅問答と悟り)解説

禅の第一義

禅仏教入門

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東 洋 的 一

禅 の 研 究 (選24

公 案 論 (全集 4)公案論 (全集 4)

金 剛 経 の 禅(新4 禅選集)

禅への道(新4 禅選集)

宗 教 論 集(選 集 8)

禅 ちくま文

新9 禅の見方・禅の修業 鈴木 大拙

続禅選集 5 東洋的な見方

選集 8 宗教論集

 

禅思想史第一 盤珪禅 鈴木 大拙

MS明朝

 

禅思想史第一 盤珪禅 鈴木 大拙

 

 

鈴木 大拙

 

禅の弟一義 解打鼓より)

「禅学の悟道と云うは万物の存在し、活動する理を悟るとの義なり(直覚的)(閃めく一條の理)」

皆妄執なり

這裡の消息を明にする

「分別上の思索を弄し・・・智慧にて推しさらんとする也」

「・・・未了底が智慧の上より自ら造り出して測度するより来る也」

「すーといくぞ無心になる事の稽古迷わない」

(禅の弟一義 解打鼓より)

 

(無心ということより)

無心というは妄想なしとの義である

無心の機能に外ならぬ

不生(思案なしの

(無心ということより)

 

 

 

(禅仏教入門より

知性の汚物を(ぬぐ)い去るだけ

三界にわたって真存在するものは何もない

なにもないのだ、絶対にないのだ

説かざる底の法(不是心・不是仏・不是物)

言葉であり観念にすぎぬ

「万法を生み出すものを法性もしくは法身という(大珠)」

この心が生じるとき一切の存在が生ずる

「無身は本来無象であって条件に応じて個々の形を現ずる」

根源的な分別を捨て去るにある

「悟り(分別知をことごとく棄て去ったところで到達されるものなのだ)」

存在の本当の姿(本来の面目)

(禅仏教入門より)

 

鈴木 大拙

 

禅学三要(参同契・宝境三昧・五位頌) 大内 青巒

禅学三要(参同契・宝境三昧・五位頌)

 

参同契

「石頭希遷(嗣 青原行思)」

「参(参互・参差(しんし))(万物差別の景状を形容)」

「同(同一・同等)(一切諸法の本体本性が平等一如にして差別のないところ)」

「契(契合・証契)(差別のままで平等の本体に(かな)う有様、万物の妙用))」

「現相・本体・妙用」

「回互(メグラス)たがいに、あひたがいに」

「是非直曲、深浅高低、凡聖迷悟、煩悩菩提、生死涅槃、明暗」

「対待の法」

用(作用・ハタラキ)

「規矩・規(曲尺・まがりがね)・矩(ぶんまわし・物を圓くする器械)」

参同契

 

宝境三昧

「汝不正是、渠正汝。」

薬山惟儼(やくさんいげん)(うん)(がん)(どん)(じょう)洞山(どうざん)良介(りょうかい)

「三昧は梵語、三摩鉢底(さまぼてい)(三摩地)(漢語・等持・正受・正定)」

「《等持》沈掉(ちんたう)を離るゝを等、心をして一境に任せしむゝを持と云ふ(沈掉(ちんたう)を離るゝ=心が昏沈と申して活機を夫って死んだように成るを昏と云い、掉擧(たうきょ)と申して心が妄動するのを(たう)と云ふ)」

一境と云ふは色々なことに心の動かないこと、即ちソレが持の字の意味です。」

「其の儘に心に受取って少しも動着することの無い有様」

「正定(心の落着くこと)」

沈掉(ちんたう)

「如(不変の義)(不易の義)・是(不動の義)((もろもろ)の非を離れたるに名づく)」

「不動不変(如是)」

「客塵(外から客に来た塵)」

「客塵煩悩」

「密(親密・綿密)」

「大小長短厚薄深浅是非曲直善悪邪正」

「體相用」

「用(作用)」

「富貴貧賤智愚強弱」

「天眞爛漫の如是の法」

「言教にばかり執着して・・・」

「佛性の義を知らんと欲せば時節因縁観ずべし(涅槃経)」

「真理の本体(如是の法・宝境三昧)」

「不動不変として移り変りの無いものじゃ」

本体と現われと働らく・・・」

「一念不生全體現、六根纔雲遮、斷スルモ煩悩、趣スルモ眞如是亦是邪、随世縁罣礙、涅槃生死等

「罣礙(さしさわり)・」

「詞咎め(ことばとがめ)」

「宇宙の真理に形がないから・・・」

「只この染汚これ諸仏の護念したまふ所ぞ」

「大小長短是非曲直深浅厚薄利鈍遅速」

「応病予薬」

「宝境(宇宙万象の本體心の本性)」

と云うたはのことでと云うたはのことじゃ」

「偏(カタヨル)」

「佛性の義を知らんと欲せば(まさ)に時節因縁を観ずべし(涅槃経第二十六巻)」

「見桃(けんとう)」

「理障・事障」

「仏病法病」

「あるように思う」

「料簡も起る

「本来成仏の自性」

奴と云ふは《説文》に貍の属で鼠を食ふ、家に蓄ふが故に、貍奴と呼ぶ。(猫)

「牯(牝牛)」

「凡夫の情識や思慮の及ぶ所で有らうぞ」

宝境三昧

 

五位頌

「洞山五位」

洞山(とうざん)良介(りょうかい)・洞山悟本禅師」

「本体・現相・妙用」

「字義の講釈」

「体・相・用」

「同じ木(体)、椅子、卓子、扉《相》」

「真言宗(六大、四曼、三密)(体相用)」

「天台宗(空諦、仮諦、中諦)」

「正ー体・偏ー相・兼ー用」

「正位ー空界ー本来物なし」

「偏位ー色界ー萬象の形」

「正中偏=理に背いて事に就き」

「偏中正=事を捨てて理に入る」

「兼帯は宜しく衆縁に応じて諸有に随す」

「何もコレと云ふ形は現はれて無いけれども、因縁次第で一切萬象の形が何でも現はれるだけのこと」

「真=不妄の義・如=不変の義」

「隋縁真如・法性・不変真如」

「五根・五境・無表色(色法十一)」

「正中偏(體の方から相を見た)」

「偏中正(相の方から體を見る)」

「分別(分れて見える)」

「門外の人に分らないやうな詞を使う」

「正偏・回互・五位・参滲漏」

「教相らしい(ことば)を使わず、」

「古鏡・月明(風流な字を使うたまでのことで有る)」

「附き(まと)はされて」

「名こそ換はれ、詞こそ違へ、」

「體・相・用との三つしか無い」

「體(宇宙平等の本体)(眞如・法性・菩提・涅槃・佛・如来・名けられる)」

「相(萬法差別の現相、諸法・事物・煩悩・生死・凡夫・衆生・名けられる)」

「(本體の活動して現はれてので有るからそこを偏中正と名け、又比本體そのままに現相を含容して居るからソコを正中偏と申したい)」

「體用圓融無碍自在の妙用であるから、其れをココデハ第五位の兼中到と云うたのじゃ」

「空理空論」

正中から来るのと偏中から(いた)るのと二途あるので・・・」

「一切の分別計度(けたく)を放下して、・・・」

「本體に打ち任せて任運自在なる・・・」

「煩悩菩提・生死涅槃・迷悟凡聖・苦楽昇沈」

「眼横鼻直((じょう)(よう)大師(だいし))」

五位頌

 

禅学三要(参同契・宝境三昧・五位頌)

禅学三要(参同契・宝境三昧・五位頌) 大内 青巒

 

襌之極致 大内 青巒

襌之極致 大内青巒

 

「教外別伝・不立文字・直指人心・見性成佛」

「一心の心の置き所一つで、・・・」

 

宏智頌古

「第一則 世尊陞座」

「第二則 達磨廓然」

「第三則 東印請祖」

「第四則 世尊指地」

「第五則 青原米値」

「第六則 馬祖白黒

《截流(流轉を截斷する)》」

「第七則 薬山陞座

「第八則 潙山牸牛

《お互いに安心しらべをもする(真宗)》《牸牛(じうし)(牝牛・めうし)(牡牛・おうし)》」

「第九則 地蔵種田

《悟りの形容》」

「第十則 洞山無草

《荊棘林中(げきょくりんちゅう)》」

襌之極致 大内青巒

襌之極致 大内 青巒

 

襌之極致附録 五位頌講話 大内 青巒

襌之極致附録 五位頌講話 大内 青巒

 

「《本體・現相・妙用》とを五つの名目の中に約めて説明せられたもので有ります」

「其體を申せば同じ木であるけれども其相はと申せは椅子には椅子の(すがた)が有って少しも卓子には似て居らぬ。・・・本主も木である戸も木であるが、各々其相の別々で、・・・」

「正(體・空界・本来物なし)・偏(相・色界・萬象の形)・兼(用)」

「空界と云ふは宇宙萬象の形のまだ現はれない本體のまゝの所を空界と名けたので有るから本来ものなし、もともと何も無い、何もこれと云ふ形は現はれて無いけれども、因縁次第で一切萬象の形が、何でも現はれるだけのことはたしかに含んで居る」

「隋縁真如(法性)」

「兼帯(圓融無礙)(正位・偏位片寄らず(枯木に花が開くようなもの))」

「正中より来るあり(全躰即用)、偏中より至るあり(全用即體)(芳叢體ならず)」

「正中来(無心離念に到り得た所に一切諸法の作用が歴々と現はれる姿で、即枯木に花が開くようじゃ)」

「偏中至(本より諸法の歴々分明なる、謂ゆる貪瞋痴慢と心の動く其まに寂然不動の所がある。)」

「芳叢體ならずと云って百花爛漫と開いて居るが、毫も其美くしさに誇る所がないと云ふのである。

「有りのまゝを中すた者」

自由自在の働きが現はれた姿が、第五の兼中到である。(正鳳金鸞分疎不下)(言語道断心行處滅)」

「回互(タガイにメグラス)」

「中(天桂老人)(邊表なきの中にして、本然不動、名の着くべき無く曾って變易なきを強いて中と曰ふ)」

「正のナカに偏があると云ふやうなナカとかウチとか云ふ意味では無く本體の正と現相の偏とを、中の一字で圓融させることに成る」

「博学の病」

「強ひて門外の人に分らないやうな詞を使ふたり・・・」

「義解ー講釈」

「本体(真如・法性・菩提・涅槃・佛・如来)」

「相(萬法の差別の現相・諸法・事物・煩悩・生死・凡夫・衆生)(本体の活動して顯はれたので有る)」

 

襌之極致附録 五位頌講話 大内 青巒

襌之極致附録 五位頌講話 大内 青巒

 

青巒禅話 大内 青巒

大内青巒禅話

 

参同契(さんどうかい

参[参互[参差](差別の現相)

同[同一][同算](平等の本体)

契[契合][証契](差別即平等・平等即差別の妙用・契うありさま)

[本体・現相・妙用]

回互(めぐらす・たがいに)

無常転変

堅湿煥動(四大の性)

地水火風(四大)[空大・五大]・[識大・六大]

小乗・四大

「規矩(規曲尺まがりがねで物を四角にする道具・矩ぶんまわし、物を丸くする器械)」

 

 

未得謂得

未証謂証

正師を選ぶ

宗(本家)

禅(禅那(梵)・静慮・正思惟)

太極(無極)陰陽・両儀

真如・法性

金波羅

断見・空見

紫・緋・黄

確かに物があるけど見えない

空無

「すべての物事に対し、みな向こう任せにして何事も気に掛けない」

夏冬の結制安居(江湖(ごうこ)会・揚子江・洞庭湖)

 

大内青巒禅話

青巒禅話 大内 青巒

 

禅の真髄 (一名 塗毒鼓)岡本 南海 (竹田 黙雷の居士)

禅の真髄 (一名 塗毒鼓) 岡本 南海 (竹田 黙雷老師の居士)

 

根本の上には無明・煩悩と云うものはないが、一念心の生ずるに随って、無明・煩悩の起滅がある。

諸法の空相を見るのみ。

畢竟是無生

純一無雑打成一片

平等無差別の眞智を明了

寂静無為空閑の陰処

「物の為に拘束せられない、是を生死自由と云ふ」

塗毒鼓(ズドック)

法縛

「念を息め、慮を忘すれば仏自ら現前することを知らずして・・・」

打成一片不起一念

六和合(一精明一心

要真正見解

真正の見解の識得

一超直入如来地

唯是平等無事底

大機大用

万法は無生なもの

心は幻化の如きものである

本源に到達し得た

取るべき者、捨つべき者なく

「一心は本と湛然寂静にして不生・不滅・不垢・不淨・不増・不減」

(まく)(こう)悟得

那箇(しゃこ)元来什麼(なに)

聞声悟道

見色明心

 

真正の見解と云って別にはない

無依の道人

仮名

即今目前聴法底の人を識取せよ

 

「所作運動の用処、是什麼(なに)物ぞ」

無住所なる者、即今聴法底の人

己事究明

因縁和合

「噂物語是非得失男女の容貌衣食住の好悪他人の財産の有無閑事の雑話

口真似鵡説法

 

「如何是心々不是処」

真空の理を証得(仏)

本源自性の天真佛(無相・無形・無住所)

「法界(六塵の一つ)(妄想顚倒総て意識より生ずる所のものである)」

法惑を破らない

繋縛(けばく)

「心に無心に・事に無事」

大休歇の田地

正棒・瞎棒

人我の見を起し

元来無仏無法

元来無仏無法

妄念が放起

已起・未起も元来あるものでない

「心は万境に随って転ずる元来無相なる者である(直指人心見性成仏)」

(如何是再来仏)

達磨再来意畢竟無意

法を得ない所が法を得た処である

不得底の意如何

馳求の心

歇得

万法(無性・無相)

無手足貴人

不起一念

一精明とは一心

「十八界空にして無なるところを了知せば六和合を束ねて一精明と為す」

無碍自在

一切馳求の心を()む(無事)

 

「無為無の田地(分別計較を為して顚倒迷妄する事ないやうせねばならない)」

三要・三玄

 

禅の真髄 (一名 塗毒鼓) 岡本 南海 (竹田 黙雷老師の居士)

 

二回目

禅の真髄 (一名 塗毒鼓)岡本 南海 (竹田 黙雷の居士)

 

(龍樹より 中村 元)

(空・空観=あらゆる事物が空である、それぞれのものが固定的な実体を有しないと観ずる思想である)・事象は相互依存において成立している理論、空の観念の基礎づけ・(空の語源・膨れあがった・うつろな・空=うつろ・0=ゼロ=空(漢訳))・何ものも真に実在するものはない・見せ掛けの現象・人空(個人存在が空であること)・法空(個人存在を構成している諸要素が空である)・空観=一切諸法があらゆる事物が空であり、それぞれの物が固定的な実体を有しないと観ずる思想・悟りの境地=涅槃・(龍樹より 中村 元)

 

至 道 無 難 禅 師 禅 師 集(公田 連太郎)

即心記

 

自性記

至 道 無 難 禅 師 禅 師 集(公田 連太郎)

 

大 燈 ( 平 野 宗 淨 )

 

 

 

大 燈 ( 平 野 宗 淨 )

 

一 味 禅(慧 極)

一味禅 慧極(瑞聖寺)(1691年刊本)

 

日本黄檗禅

是個什麼(コレコノナンゾ)

 

外形チノ(シゾ)カニシテ。動カザルヲ云。

(ウチ)(シゾ)カニシテ(アエ)カザルヲ云。

内外(カン)(ジャク)ナレバ無心

 

心身ノヒマナリ

 

余念余事ラズ

 

無心ノ田地トナシ

 

心頭ノ涼シキヲ覚ユレハ。

 

塵ナルコトヲシラズ。

 

打成一片トナルベシ。

一味禅 慧極

一 味 禅(慧 極)

 

禅 の 正 門 ( 山 田 耕 雲・三宝教団 )

禅の正門 山田 耕雲

「最初の禅体験(初関)(不鮮明なまま許されている)」

「自明の公理」

「釈尊の見性悟道の体験(体験内容の説明であり講釈)(観念の衣)」

「事実とその説明とは全く別のこと」

「円満完全、無限絶対の自己の本質に目覚め、(見性に悟り)この事実を明確に自ら納得する(証)・・・(深浅・強弱の差するが・・・)」

「この体験がない限り、・・・」

「正師の教え」

「本来、完全無欠の・・・仏様それ自体でありながら・・・自我の迷執のため・・・」

「二元対立を基本構造」

「観念の操作」

「勦絶し、・・・」

「円満完全、無限絶対の自己の本質に目覚め、この事実を明確に自ら悟るとき、・・・」

「禅の悟りとは、人空・法空の二空を悟ることである」

「空の世界を体験する以外に方法がないのであり」

「観念化・対象化・客観化」

 

47則 無門関 兜卒三関

1、          性いずれのところにか在る

2、          自性識得すれば方に生死を脱す、作麼生(そもさん)か脱せん

3、          生死を脱すれば便(すなわ)ち去処を知る、(なん)の処に向ってか去る(臨済餅)

「草(分別妄想、紛然と生起する観念・思想のむらがりと見て、・・・それを打ち払う)」

「参玄の玄は、玄々微妙の法・・・真の自己(真の事実といっても同じ)のこと」

「真の自己(無字・隻手・花薬欄・麻三斤・父母未生前自己本来の面目)」

「私自心とは心なのである」

「心が開く時に使う道具であり、その中に心が在るのではない」

「心は名のみあって、その実体は不可得であり没可(もっか)()である

「体験によってはっきりと看破された時、・・・」

47則 無門関 兜卒三関

 

「法空(客観の世界の空である)」

「観念遊戯(戯論(けろん))」

「外界に存在するように思えるから(法空)」

「空(無自性・無定性)(一定不動のかたまりはない)(諸行無常)(万有流転)」

「離合集散」

「状態の変化」

「開明」

「自己の実体が空であることがはっきりと悟られた時、・・・」

「二法空の真実に体達」

「人・法の二空を証悟」

「空見病」

「向上の死観」

「衆生を度せんとするに衆生なし」

本体(一体三宝の仏・正位・平等・空・真実・性空・実相・無・理・暗」

現象(一体三宝の法・偏位・差別・色・妙有・因縁・縁起・有・事・明)」

「体験による事実の把握」

「空疎な観念遊戯におちいる危険」

地一下の体験

「定力(精神集中の力をいう)」

「真正の見解(体験による事実そのもののの把握)」

「知的・観念・思想・をもって理解したものである(知見・解会)」

地一声・地一下

「なまじ見性などしたお陰で、・・・」

「猛烈な悟後の修行がはじまる」

「心の平安」

「興奮状態の生んだ一時的の異常心理(魔境)」

「迷情がうすれ、・・・」

「対立観念」

「禅の三大目的

一、          定力の練磨

二、          無上道の体験(見性悟道)

三、無上道の体現(人格の完成)」

「数息観・髄息観・公案工夫・只管打坐」

「環境の支配受けなくなり、・・・」

「無心定(無念無想)」

「言句や思慮の及ぶところのものでない(隠禅話集)」

「意識界の製造物に過ぎぬ」

「信・解・行・証・入」

「法の眼が明らかになったというだけ、・・・」

「分別妄想・観念思想」

「如淨禅師の下約2年有余」

「無理会(理解できない)」

没可(もっか)()(つかみ得ない)

(もつ)(しょう)(せき)(跡かたをとどめない)」

(だん)消息(しょうそく)(消息が絶えている)」

「因縁に対して性空」

「相に対して体と・・・」

「理致・機関・向上」

「法身・機関・言詮・難透・五位十重禁等」

「関鎖(戸をとざしたり錠をおろしたりすること)」

「向上(一旦見性の体験を得た上で、・・・)」

「疎山寿塔・五祖牛窓櫺・乾峰三種・犀牛の扇子・白雲未在・南泉遷化・倩女離魂・婆子焼庵」

「半可通者流」

「悟り深浅」

「初関透過の後、・・・」

「向上の死

「空見の落とし穴」

「法執・仏見・法見」

「観念思想」

「仏臭・法臭」

「平等一色の世界は、浅い見性だ」

「悟り病」

「洞山功勲五位

一.向位(向かうべき方向)

二、奉位(奉仕すること)

三、功位(成就した位・大悟徹底)

四、共功位(教化自在の位)

五、功々位(共功位の究極)」

「赤子如来」

「見牛位とは即ち見性位である」

「得牛位(大悟徹底)」

「六位以上の境界について・・・資格がないと思うので、・・・」

「内魔」

「見性後魔境・慢心」

「信解行証入」

「真の自己というのは真の事実ということと全く同じである」

われわれの本質宇宙の真の事実と全く一であるというのが、釈尊の大覚によって看破された真実相であり、仏教の根本的立場である」

「参師聞法・工夫坐禅」

「般若心経・修正義・坐禅和讃・普勧坐禅儀・学道用心集・臨済録・抜隊仮名法語・塩山和泥合水集・坐禅用心記・禅関策進・十牛図・正法眼蔵弁道話・禅門法語集」

「サトリ・証・悟・覚・見性」

「坐の功」

「見性は見牛位であるといわれている」

「未熟・不充分・不完全(見性不徹底)」

『「見性は説けぬ」「見性(仏性を徹見する)」・「性は無性の性」・「見性は地一下を欠けばなり隠禅話集)』

「八箇条(八大信条)

一、本具仏性・二、自我迷執・三、生命維持・四、因果必然・五、諸仏実在・六、感応道交・七、自他不二・八、成仏過程

「不徹底」

「自我なるものが全く中身がカラッポであることを体験的に確認することであって、・・・」

「悟りの眼を開いて見ない限り、普通考えている自我が本来無いものであるという事実は、絶対納得できない」

「妄想が希薄になるにしたがって・・・」

「未在」

「目覚めてみると、それらすべて自分の心の産物であって、一切の影像ことごとく自心の影法師に過ぎなかったことが明瞭となる」

「三匙の偈

一口為断(いっくいだん)一切(いっさい)(あく)(一口は一切の悪を断たんが為にす)

二口(にく)()(しゅう)一切(いっさい)(ぜん)(二口は一切の善を修せん為にす)

三口為度諸衆生(三口は一切の衆生を度せん為にす)」

「五観の偈」

「秘密経(独参?)原田祖岳老師弁」

「独参(他人にしゃべったり、聞いてはならん)(師弟相見の拝)(師弟の縁)(相見香)」

禅体験に導くべく全力を出し尽す」

カタカナがよい」

「従来持っている観念、思想を一切棚上げして、・・・」

「応機の指導」

爪先股の外側とが同じくらいのところにあるのが丁度よいのである。右の足のが少し下腹へ着くくらいにするのである

右の親指を下に、左の親指を上に重ねる(日本坐)」

「腹に力を入れる云ふ事は心を治める為には相当有効な手段の一カ条ではあるけれ共、・・・一切の方便手段を排して、・・・

「追い掛けても行かなければ、どうもどうもしなくてよいのである」

「自然に任せて、・・・」

「一切邪魔にもせず相手にもならず、・・・」

「体験且つ体現」

「欠(あくび)」

「自心の性を見徹して、」

「本性(自心自性)」

『故岩崎八重子嬢

「悟りに深浅ある事がわかりました」

「未徹在」

「小成に安じなかったから・・・此に到れりと、・・・」

「法執亡せず、己見存す、是病なりと、」

「執病も深いものだ」』

「心空及第」

禅の正門 山田 耕雲

 

禅 の 正 門 ( 山 田 耕 雲・三宝教団 )

 

禅 入 門 (小 林 幹 夫)

禅入門 小林 幹夫

 

「空の境地に爽快に安住する(真空及第)」

自由無碍

天地と同根の自心

「万物がそのまま自分の身体となった心境を指さす」

【達摩は万物自然と一つになったところを「体」と表現している】

空の機(はたらき)

第一、正中偏・空

第二、偏中正・天地と同根

「後の三つは動中で工夫」

正位(本来無一物)

偏位(万有の自相・対象界の存在をさす)

第三、正中来(空の(はたらき)が現われ出たところ)

第四、兼中至(正偏の二つを兼ねて大機大用を現ずる・機の主そのものになるところ)

第五、兼中倒(機の跡も悟りの跡も全く忘じはてたところ)

「迷いも悟りも心の(はたらき)きであり、・・・」

「心の主をつかまえることが悟りに通じ、・・・(自心仏)(天真仏・天心仏)」

「悟りの境地を楽しんで・・・」

「無依の道人(自由無碍)」

依(こだわる・とらわれる・よりかかる・ひっかかる・恐れる・誘惑される・惑わされる)

心の機(はたらき)

心の主

「ただよけいなことにくよくよこせこせしなくてなれる」

心の余裕が見出せる

悟り(大閑(おおひま)があけた)

清閑の境地

悟りの境涯

一念不生(念が全然出てこなくなって)

念の起こるのを一切やめて

(ほう)(ぎょう)(心を放って遊ぶこと)

()(じゅう)(心を一事に集中すること)

一念不生になれたら、

根性(根本性・仏性)

旧来の習気(煩悩の残り)

念(雑念・妄念というように、心にひっかかりをつくった状態)

「静かなる心とは、だから無心のことを言い、酒々落々のさっぱりした心境を言う」

物にこだわらない自由人の姿

「人にも物にも素直に接することができる」

「何もないところで生きているから、心にひっかかりをもたないのである」

(なんじ)が一念心自ら能く縛を解して随処に解脱す(臨済録)」

「文殊(自分の心の方清浄に煩悩に汚されずに保っ方の智慧である)」

「一つの悟りを別の面から見たにすぎず、仏教の智慧のあり様を、菩薩の名冠して表わし出した化身仏にしかすぎない」

「一切の欲望や煩悩を絶ちきって・・・」

「悟った(一切の雑念を払って空を知ったことである)」

一念不生おところ

「悟ったという経験ばかり残って・・・」

聖胎長養

「これを変わらずに維持するのも、また容易なことではない」

【南天棒云く「貧乏馬鹿幼児の心がなくては、禅門の奥義に到達できない」】

心王の主

「主なくて見聞覚知する人を、生き仏とはこれをいうなり(至道無難禅師)」

 

一念不生(鏡・明鏡止水)

「静寂摂心など何にもならぬ(臨済)」

「心の持ちよういかんによって、・・・」

「心というものは、もともとは空であり、無ある」

「本当に悟りきった生活をしている人の笑いは、子供の笑いのように無邪気なところがある。」

「くったくのない笑いがでてくることは確かである」

「何も思わぬは、仏のけいこなり」

「みんな自分が自分でつくりだした心の迷いにしかすぎなかった」

「天心仏(超越のところ)」

 

「心というは、無一物なり。

念は一物あるなり。心のかたまるなり。

たとえば、心、水の時、自由なり。

念、氷の時、動かず。

凡夫と言うは、念深き時の名なり。

仏と言うは、念を離れたる時言うなり」

(至道無難禅師)

 

「一無位の真人がそのまま偏界(客観界)と同体同根であるところがわかった悟りである」

「黒は平等相、白が差別相と見て、・・・(白隠・白が隠した・白に隠された?)」

「三昧から三昧の行が続いていくだけで、・・・(一行三昧)」

「周りの人の苦しみと無縁となる」

「師家の真似をしたがる・・・」

「誇る気持ちを無に帰することを教えているとも言える」

念の源のまんまに生きる生き方である(三昧王三昧の生き方という・三昧忘我の生き方)」

「意識悟り」

「自ら悟らない限り、・・・」

「情識・情念・気分・感情も、全然胸にも頭にも浮かんでこないように心がける

「洞山三種の滲漏(しんろう)(煩悩が漏れること)」

【見滲漏「機、位を離れずして、毒海に堕在す(悟ったの、偉いのと、そんな位や体裁にこだわって、自由な機を失ってしまうこと)」】

【語滲漏「体、妙宗を失して、機、終始に昧し」(悟りで得た智慧が、微妙な深いところまで達してないので、その人の心の機がいつも見当外れになります)】

【情滲漏「智つねに向背して見処に偏枯なり」(その人のえた慧が、現実の状況や他の人に柔軟に即応することができず、またその考えもかたよって、みずみずしさを失ってしまっている)】

 

禅入門 小林 幹夫

禅 入 門 (小 林 幹 夫)

 

禅のこころ 古田 紹欽

禅のこころ 古田 紹欽

「妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す」

「禅は一口にいえば心の問題の究明・・・」

「・・・仏にならふとせうより、仏で居るが造作がなふて、ちかみちでござるわひの(盤珪禅師)」

「性得の仏心」

「警(いまし)めた」

「真実の自己を徹見」

「無観」

「心炎意火」

「大地と我と同根、万物と我と一体(霊性的自覚の人でなくては僧肇のこの語を理解することはまず出来ない)(鈴木大拙)」

「禅は理屈で知るのではなく、体験によって摑むことを教えている」

「本来心とは『ものそのもの』だということである」

『五祖法演の四端

一、          福を受けたすべからず、すわち必ず禍殃(かおう)をいたす

二、          勢いを使い尽くすべからず、勢尽すときは、すなわち定めて欺侮(ぎぶ)に遭う」

三、          語言は説き尽すべからず、説き尽せば、すなわち機密ならず。

四、          規矩(きく)は行ない尽すべからず、行ない尽すときは、衆住りがたし。』

「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観(金剛般若経)」

「事実とはっきり認識することは、悟ることであり、・・・」

「百種須索(しゅさく)(せん)船計較(ぱんけいきょう)(頓悟要門)」

「理屈以前の為すべき行脚である」

「無作の作」

兀々(こつこつ)と静かに尋思す」

「花無心にして蝶を招き、

蝶無心にして花を尋ね、

花開く時は蝶来り、

蝶来る時に花開く、

吾れも亦人を知らず、

人も亦吾れを知らず、

知らず帝の則に従ふ。(良寛)」

「無という有になる」

「理屈で理解するのではなく、生活と行動の上に究めることでなくてはならない」

「身のわざわいにすらなる」

「食事誓願

一口為断一切悪、二口為修一切善、三口為度衆生、皆()成仏道。

「仏教は執着しない心の純粋な働きというものを得よと教えている(無心ともいわれる)(対象に心捉われない心の働きを指すのである)」

「無心(本心)(仏心)」

「真とは愛憎無き心是れなり(頓悟要門 

大珠)」

「徳育」

「大機大用大根」

「生死に捉われない自由の境地を得た」

禅のこころ 古田 紹欽

禅のこころ 古田 紹欽

 

山 田 無 文 老 師

 

わたしは誰か 山田 無文老師

「本来仏にさせて頂いておったと気がつくことが禅の悟りであります」

「完成されておるものが、煩悩の多いため、妄想が限りなくため、外に現れないだけである」

「戯論(けろん)」

「不審(プシン)(お早うございます)(ご機嫌いかがでございますか)(挨拶)」

「無位の真人にお目にかからして頂くことができるのであります」

「二元的対立」

「三要(体相用?はっきりしません)」

『「カーッ」これは声ではあるが、意味をなせん。言葉にならん』

「論理を超越した、理屈を越えた言葉」

「理論に陥っておる」

『三玄門(第一、玄中玄(理)・第二、句中玄(智)・体中玄(行)』

「三要(体相用と推察)」

「愛見の慈悲・法縁の慈悲・無縁の慈悲」

「慧能大悟24才」

「不可思議・不可説・不可商量

わたしは誰か 山田 無文老師

 

釈尊にかえれ 山 田 無 門

 山田 無文

 

「我宗門は、無念をもって宗となし、無相をもって体となし無住をもって本となす」

「無念とは念に於て念無きなり」

「無相とは相において相を離るるなり」

「無住とは人の本性なり」

「安心の法門」

「勇猛の二字」

慈明引(じよういん)(すい)の話」

「行道の人」

「道を知るものは多く、道を行ずるものは尠(すく)なし」

「敬意を表す」

「法とは釈尊のお悟り」

 

釈尊にかえれ 山田 無文

 

 

 

釈尊にかえれ 山 田 無 門

 

山 田 無 文 老 師

 

高峰原妙禅師の公案工夫」覚書 田中寛洲「ネットより」抜粋

「高峰原妙禅師の公案工夫」覚書 田中寛洲

「ネットより」

 

高峰原妙(12381295 元代)(法嗣中峰明本)

実参実究・純一無雑・無心三昧・別工夫無し・光陰を空費

「一帰何処」「隻手の音声」疑情が起り易い

無心三昧に入る

「計らいの念は消え失せてしまう」

思慮分別は絶え果て・・・

分別心のなせるわざ

「人境倶に忘ずる大死底に至って初めて分別心が尽きるのです。しかしそれは、そうしようと思って出来るものではない」

「空じようせずとも自然に万縁が空じられ六識の感官能力も「見て見ず、聞いて聞かず」という、有って無きの如き空々寂々の処に自ずから没入する(無心三昧)に入ることが出来る」

「大悟の境地を(無心三昧)と呼んでいる」

「空寂の境地に尻を据えてしまった」

「分別心自ずから脱落して(無心三昧)の妙境に入る」

「その無心の境地にも尻を据えてはならぬ」

「思を絶し慮を絶し・・・」

「人我(実体化された自我)」

「思慮分別を絶し・・・」

「平常心是道」・「無心是道

「直に知解分別の根(命根)を断ぜんがため」

「計らいを空じている」

「自然に「無心三昧」に入る」

「大死一番して自性を見徹する」

「生は(いず)()りか来たり、死し(いず)くに(むか)ってか去る」

【何とか分別をこそげ落として絶体絶命の窮地に到らしめようとする、雪厳禅師の徹困親切な大悲心の発露に他ならない(痛棒を以って打出す)】

「大死一番底の境地」

【「能為の心」「無心三昧」「計らい無し」】

「自性を徹見」

「無夢無想無見無聞、主甚麼(いずれ)の処にか在る。主無語」

【省力(計らいを絶した境地)】

「内外打成一片の三昧の境」

「決定心」

「光陰を空費」

「心が二つに分かれ、純一になれなかったというなは、分別心のなせるわざである」

「人境倶に忘ずる大死底に至って初めて分別心が尽きるのである」

「分別が入りにくい」

「所思即ち忘じて、万縁をして息まずして自ずから息ましめ、・・・頓に無心三昧に入る」

「使万縁不息而自息(万縁をして息まずして自ずから息ましめ、)」

「計らいの念」

「死地に入る」

(ただ)(これ)(これ)

【「向上の一路」は、見性底の境涯も空じ尽くして初めて得べきものである】

「余計な分別心を起して工夫専一ならず疑情に隙ができると、大死一番が不可能となり、光陰を空費することになる」

【「無心三昧」の妙境に入るが、・・・尻を据えてはならぬ】

「大悟の境地」

(みだ)りに人我等の相に(しゅ)して、・・・」

「心猿意馬を殺却し妄想塵労を断除すべし、・・・」

「思絶し慮を絶し、・・・」

「生受(苦労)」

「人我(実体化された自己)」

「説示・活作略」

「体験的に知悉」

「禅的境地」

「昏散(そう)(じょ)す」

【「省力の処」(不疑自疑、不挙自挙)人為や計らいを空じた拈提のことである】

「分別的理解をする者が多い」

「智解分別の根を断ぜんがため」

「自然に無心三昧に入る事が出来るであろう」

「分別を絶した純工夫(死工夫)」

大悟がいずれもこの「無心」に由らないものはない】

「外に向かって求める心が未だ止まず、・・・」

頭で公案を捌いて事足れりとするような事があってはならない」

 

高峰原妙禅師の公案工夫」覚書 田中寛洲「ネットより」抜粋

 

禅 語 を 読 む(西村 恵信)

MS明朝

 

禅 語 を 読 む(西村 恵信)語 録

 

禅の語録 導読 小川 隆

禅の語録 導読 小川 隆

 

ありのままを肯定する(馬祖系)

橛子(けつす)(鉄の棒くい)

悪しき知見をすべて滅し尽くす

突如打破

禅=精神の安定と統一

定=意訳語

坐禅・円観の法

如法の見解

仏性(仏としての本性)

聖なる観念を立てる者

心作是

心自作是

妄想作是

人の心が自ら作り出し

無縄自縛

聖なる妄想を描く

一切を空無と看る只没閑

明鏡(うちな)

嶽=岳の旧字

餡子の一句

咬み砕く

説心説性

眼裏耳裏

坐断舌頭

自己という実体はない

事のなりゆきに従うだけ

本来清浄なる本性のままにあること

報怨行・髄縁行・無所求行・称法行

妄想の所産

不如意の事

平常(びょうじょう)無事

清浄の性

一行三昧

守=不移

全てのものが消え去って

擬心入定

住心看浄

起心外照

摂心内証

頓(ただち)に

漸(しだい)に

坐=念の起こらぬ

禅=自己の本性を見る

本性の覚醒

只没(しも)に閑

起心は煩悩

動念は魔境

一切時中総是禅

起心即是塵労

動念即是魔網

浮沈・不浮・不流・不転

生死に囚われ

道を修めよう

道に向かおうとする(目的意識)

平常心是道

拵えごとなく

是非なく

取捨なく

断常なく

凡聖なく

平常心是道

自然の発露

自ら気づく

如何是祖師西来

密伝心印?

教義の説明を期待

 

日常の営為を仏作伝行と是認す

接化の方法

 

理論に関する質問と回答

答えを質問者自身に発見させる、させようとする。

自ら看て取らせねばならぬ

 

即心即仏

汝箇是仏

汝疑那箇不是仏

指出看

自ら悟らせる

平常・無事

 

臨済

無事これ貴人

ただ造作するなかれ

ただこれ平常なれ

 

随所に主と作る

平常無事

真如の性有(総有真如性)

真如性

主人公・(かれ)(かれ)(かれ)

 

渠今正是我

我今不是渠

(洞山 良价)

 

便自見得也

一念子爆地一破

 

妄想顚倒の心

思覚分別の心

好生(こうしょう)悪死(おし)の心

知見解会の心

欣静厭鬧(ごんじょうおんどう)の心

 

 

朱熹=開善道?(嗣大慧)参じた経験

合理的知性主義

体験的直感所義

 

 

意識が動けば的はずれ

動念せば没交渉

得失論勿れ

危亡顧莫れ

勇猛向前

擬議(なかれ)

遅疑動念

 

禅の語録 導読 小川 隆

とぎれることなく、それをやってゆけば

不与物囚われず(物の(ため)(とら)われず)(何物にもとらわれず)

眉毛堕落=偽りの法を説く者は法罰によって

眉毛抜け落ちるという信仰に基づいている

盗人に入られたほうは、盗られるだけのモノを家のなかに抱えこんでいたんだ

「聖性にとらわれてはならぬ」という理念にとらわれている

実はもともと仏であったという事実に立ち返らせる

宋代・初期に勢力があったのは雲門宗であった

日本には大部分臨済宗楊画岐派の流れに属する

五祖法演の鉄酸餡咬み破りて百味具足するを得たり

一切の言葉や思考を差しはさむ余地のない

意味を奪われ、論理を断ち切られた絶対無分語句の譬えであり

無理やり噛み砕かせるような接化の様が「幹曝曝」形容される

五祖法演の一門=東山法門と称されていた

五薀の雲の覆われて仏性がみえぬ(分別・妄念・観念・煩悩)

妄念のおこらぬ状態で黙々と坐するならば涅槃の日輪が輝いていることになる。若し妄念生せず、忽然として浄坐せば大涅槃の日自然(おのず)

と明浄ならむ(華厳経)

専一に集中して動かぬようにすること(三昧の状態)

 

禅の語録 導読 小川 隆

心が沈・浮・流・転なしのとき活はつはつ禅でない時がない

悟りについて説くのではなし、実地に悟らさていった

答えを授けるのではなく、答えが質問者自身の内面から弾き出されて来るよう師の側が会話を仕組んでいるからに外れない。

理致・機関・馬祖、百丈以前、以後

あたりまえの日常をありのまま肯定す

眠たければ眠り、坐りたければ坐る、暑ければ涼み、寒ければ火にあたる

安直な無事に自是し得意げに誇示する口ぶり

特定の一公案に全意識を集中することで、人の意識を限界点まで追い詰め、その極致で意識の激発・大破をおこして劇的な大悟の実体験を得させようとするものである。

公案を定義に沿って合理的に解釈する立場を捨て活句と看なければならない。

解釈不可能な公案に全意識を集中しつづけ、その極点で爆発的な心の撃破を起こして大悟に至るというもの

禅=静寂なる自己の本性の内面に在りつづける

一念がバカッ!と大破せねばならない

妄想顚倒の心・無思量分別の心・「生死・知見・解会の心」・{静寂・喧騒}・(一気に押さえ込む)・

思路を断ち切り、意味と論理を超越した絶対的大悟をもたらし得るとされたのである

咄=禅僧が修行僧を叱りつける語

禅の語録 導読 小川 隆

禅の語録 導読 小川 隆

 

禅思想史講義 小川 隆

禅思想史講義 小川 隆

 

作仏(仏になるということ仏となろうとする)

念の起こらぬを「坐」とし、自己の本性を見るを「禅」とする

念不起為「坐」

見本性為「禅」

「本来性の別名(仏性・本性)」

「迷いの映像を排除することでも、悟りの映像を固定することでもなくそれが映し出されているスクリーンそのものに自ら気づくことなのです。頁44」

頓悟(時間差、段階差もありえない)

迷いや悟りの映像を実態視・・・

「把握されるべき個別の[相]がそもそも実在しない、ということです」

「そこからあるとあらゆるはたらき・・・すなわち[用]が際限なく生み出されてくる」

「ただ無念さえ得ればそれがそのまま解脱なのだ」

不作為がすなわち無念

妄(概念を立てる事起心して求めること

「不作為(心中に何物もなく、心も存在しない自性は空寂であり、本智が具わっている)」

無住心(体)

体用論

無念の法を立て、見性を立つ

ひたすら[無念]であれ

只没(しも)(只麼)[ただ]という意の口語」

只没(しも)(ぼう)たるのみ、只没(しも)に閑たるのみ(無住禅師)」

閑話(本筋からはずれた、よけいな話)

 

馬祖禅の基本的な考えかた

一・即心是仏

二・作用即性

三・平常無事

 

「今ふりかえったものは何なのか、[呼ばれて思わずふりかえるその活きたはたらき]」

平常心(びょうじょうしん)

[平常][無事]でいるのがよい

 

「現実態の[我]と本来性の[渠]

[渠]は[我]だが、[我]は[渠]ではない」

「妄念さえ生じなければそのまま仏性そのものである」

思量するのは妄念である

()(まえ)()の漢(()上・馬上・主人・本性・体・従者・下僕・僕・用・作用)」

南泉下・(趙州・蝶沙)

意識が動けばたちまち的外れだ

代語(公案に対する代案の提起)

別語(公案に対する別解の提起)

(じゅ)()(公案に対する詩偈による批評)

(ねん)()(公案に対する散文による批評)

(ひょう)(しょう)(じゅ)()(ねん)()を用いた講義・提唱)

 

 

心の激発、大破(実体験)

話禅で悟り文字禅で表現する

公案禅(看話禅・文字禅)

[作用即性と]

[無事]禅の否定

「ありのままに安住せず決定的な大悟徹底の体験を得なければならない」

活句の主張

「[ほれ庭先の柏樹]それが見えるか?それを見る汝自身のことを言うておるのだが」

活句・死句

円環の論理

妄想顚倒

思量分別

生を好み死を悪む心(好生悪死の心)

知見解会の心

静寂を願い喧騒を厭う心(欣静厭鬧(ごんじょうおんどう)

 

悟り(仮説の概念)

知的分別を奪い去り・・・

心意識の思考の及ばぬところ・・・

直下に是れ汝

概念的・論理的思路に陥らず・・・

死句的理解

本覚→不覚→始覚→本覚

自他の見

無理会話

理会(理解するということ)

古徳の方便(葛藤を断ち切る)

「大慧宗杲→仏照徳光→大日能忍(日本達磨宗)」

栄西(えいさい)

「こっちで一対のものを雙(双)(ふた・つ)そのうちの一方を隻(ひと・つ)といいます」

自然に内外打成一片

理屈・理窟

見性の体験(大事透脱)

ひじ外に曲がらず

体用論

 

円環の論理

(山是山、水是水)

(山不是山、水不是水)

(依前山是山、水是水)

 

禅思想史講義 小川 隆

 

禅思想史講義 小川 隆

 

禅学要義 加藤 咄堂

禅学要義 加藤 咄堂

 

 

先に入力p38

奪人不奪境

鐘なります撞木はならぬ

鐘がなければ音はせぬ

奪境不奪人

鐘はならない撞木はなるよ

撞木なければ音はせぬ

人境倶奪

鐘がなるか撞木がなるか

鐘と撞木のあひがなる

人境倶不奪

鐘もなります撞木もなるよ

鐘と撞木で音がする

 

言語道断(ごんごどうだん)心行所滅(しんぎょうしょめつ)

 

天地の真理

 

正中偏

偏中正

正中来

偏中至

兼中到

 

真理は到底文字言説の能く盡す所でない

 

宇宙の真理(正法眼蔵と名づけ)

「体得した主観的状態を涅槃妙心と云ひ其の真理の客観的状態を実相無相と名づけた」

 

現示出来ぬ(言語・文字・知解・理窟)

戒定慧

防非止悪

(妄念・妄想)を脱離

 

参同契「参参互・参差(さんし)(一つとして同じもののない状態)」

互に集って居るのが宇宙の現象

同「同一・同等(本体・本性は平等にして差別のないことを示す)」

契(契合)

相の上(参と差別)

体の上(同と平等)

用は平等即平等の契合

差別の妄想

事相を執着

同(作用)

処(居場所)

宇宙の本体たる真如(万法即真如)

無一物の妙(人境倶奪)

(人境倶不奪)(玄)

宇宙の真理(体相用の変化・五とした)

正位即ち空界(本来物なし)

偏位即ち色界(万象の形)

正中偏

衆縁に応じて

定・散

心猿意馬五欲六塵

「一切の相対を超絶して除くべき煩悩もなく求むべき菩提もなく云々」

 

「天地自然の物象を本体現相妙用との三方面より観察」

五段階に分けて説明

一切相対分別を離れたる

禅(静慮静める

 

文字に執着

 

捨諸縁

思万事

善悪

是非

心意識之運転

念想観之測量

作仏

坐臥

 

心の調へ方

不可説

不可思議

不可商量

 

差別した上のこと

 

「仏境界経

無為は外思量の境界

非思量の境界中には文字あることなし」

 

思量分別を止めたる所

心の散乱

一切差別相対を超越

繋縛(けばく)なき大自由の働き

六凡(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)

四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)

 

心に関する注意 p87

1、一切の判断分別を断つべし、善悪是非な

くんば自ら消滅すべし。

2、判断分別の主体たる念想観の能力を停むべし。

3、求法、得道、作仏の念をも起さざるべし。

4、無常の理、無我の理を直観すべし。

5、大慈悲心に住すべし。

6、主観、客観すべて執着すべからず無念夢想是れ清浄の念なり。

7、若し精神散乱する時は心を鼻端又は臍下丹田に置くべし。

8、若し精神昏沈する時は心を髪際又は眉間に置くべし。

9、小疾病の時は心を両跌の上に置くこと亦妙なり。

一〇、斯くして無念、無為、無住着、不偏、不倚の統一されたる精神状態に於いて箇の不思量底を思量し非思量の境域に至りて自己本来の面目を現前す。

 

無い処に行け

牛(自性清浄心)

我がものとする

真如内薫の力真如外薫の力

差別に執して居る

本来の面目の徹底

 

本来の面目(道元禅師)

春は花

夏ほとゝぎす

秋は月

冬雪さえて凉しかりけり

 

自性を了解する工夫

心外無法

実際の修行は師家に就くのを肝要とする

 

禅学要義 加藤 咄堂

 

禅学要義 加藤 咄堂

 

碧眼録大講座 序講 加藤 咄堂(師 大内 青巒{らん})( 友 島田 番根 みつね)

五家参詳要路門

曹洞ー心地究め

臨済ー機峰を戦はし

雲門ー言句を撰び

潙仰ー作用を明し

法眼ー利済を先とす

法=真理体得の智恵

生仏=衆生と仏

佛心と一枚となる大悟体得

妄ー真

無私忘我

心を鼻端ーーー散乱

心を臍下丹田ー散乱

心を髪際ーーー昏沈

心を眉間ーーー昏沈

心を足の裏ーー昏沈

一切の念処を絶つべし

妄想には自性実体がない

自然消滅

雑念妄想の紛起を止める方法

(注意転換法)数息を以って調息と為す

「出息入息、長に非ず短に非ず(道元)」

心・要・悟りそのものは言句の外にある

念仏によって非思量底の心地に安住せしめることを教えて居る

南無は梵語(ナマス)(音訳)

(意訳)ー帰命・敬礼・屈膝・帰礼・頂礼・度我

諸悪莫作

衆善奉行

自浄其意(自ら其の意{こころ}を浄うす)

是諸仏教

仏に成ろう得ようなどの念を懐かぬこと

相対的分別判断を止め

専ら意識の統一につとめること

無常観・不浄観

無我観に徹するようつとめ一切の執着を離れる

只管に打坐して身心の静寂を期せよ

碧眼録大講座 序講 加藤 咄堂(師 大内 青巒{らん})( 友 島田 番根 みつね)

 

夾山無礙禅師降魔表(碧巌録大講座 1巻末)( 加藤 咄堂 )

 

夾山無礙禅師降魔表(碧巌録大講座 1巻末)( 加藤 咄堂 )

 

本朝参禅録(碧巌録大講座1415巻末) 加藤 咄堂

本朝参禅録 (加藤 咄堂)

 

「・・・忘心縁起して生滅あり」

「如大尼(俗名千代野)」

「仏心・法身・本来の面目・主人公・仏性・真仏」

「徹翁の三轉語

者箇目前に非ず、目前は者箇の非ず、若し人此の両轉語を透過せば心経に苔生ぜむ、(者箇は又這箇・コノ又はコレラの義心経に苔生ぜむ・飽参の域に達することを云ふ)」

「石屋眞梁禅師、通幻寂霊禅師に謁し、問うて曰く、『生死到来の時如何』通幻いふ『生死を把持し来れ、汝がために道はむ』石屋拝謝し去る」

「学語漢」

「清さんと思う心は濁りけり」

「まよひをさまされて、(をのれめにあたらまよひをさまされて世に住むかひもなき身とぞなる)無難法語」

「はらうべきほこりもないといふ人を拂はんための箒なりけり(捨得)」

「本来不生なりと」

「仏法は治心の教えなり」

『高峰禅師の六轉語

一、          大徹底に入って元生死を脱す、何に依って命根を斷たざる。

二、          佛祖公案元と一箇の道理、何に依って明と不明とあらん。

三、          大修行人も元と佛行に尊ふべし。何に依って畏尼を守らざる。

四、          果日空に當る、照らさゞる所なし、何に依って片雲に遮却せらる。

五、          人ゝ個の影子あり、何に依って(足編に舀)り着かざる。

六、          盡大地も這箇の火坑、什麼ぞ三昧を得て焼却を被らざる。』

「福昌寺無三和尚(西郷南州の師)」

「心を禅要に傾け、・・・」

「禅は口耳の学ではないぞ」

「我有大力量、風来則能臥」

「乃木希典、南天棒より印可を得」

 

本朝参禅録 (加藤 咄堂)

本朝参禅録(碧巌録大講座1415巻末) 加藤 咄堂

 

普勧坐禅儀(碧巌録大講座13巻末) 加藤 咄堂

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

 

「本来無一物、何處惹塵埃

「脱は束縛を離れる意、落は洒落などの時の落で滞りなくなった姿、・・・」

「恁麼(宋朝時代の俗語で、此の如しと云ふほどの意であります)」

「放捨諸縁。休息萬事。不レ二善悪。停心意識之運転。止念想観之測量。莫レ圖作仏。豈拘坐臥乎。」

「心要」

「蒲團(ふとん)(坐蒲(ざも))團(まるいかたまり)」

「不可説・不可思議・不可商量」

「其の差別は思量することが出来ます」

「生死を解脱した悟の境界」

普勧坐禅儀 加藤 咄堂

普勧坐禅儀(碧巌録大講座13巻末) 加藤 咄堂

 

般若心経(碧巌録大講座7巻末)加藤  咄堂

般若心経(碧巌録大講座7巻末)加藤 咄堂

「実相般若(実相観)」

「煩悩の鍵が掛かって居る」

「菩薩(菩提薩埵)(覚有情)(上求菩提下化衆生)」

「我見我執」

「人空・法空」

「無我の道理」

「諸法皆是因縁生」

「眞空妙有(森羅万象様々な現象は皆な空の上に因縁に依って假りの姿を現わして行く)」

「梵漢兼拳」

「中道實相(空の本體)」

「水と波」

「如何なれば雪や氷と隔つらん とけぬも同じ谷川の水」

「八不(不生不滅・不垢不淨・不増不減・不去不来)」

「空中に現はれたる因縁の和合に過ぎない」

「空の道理は智もなく得もなく得た所のものは何もない」

「常楽我淨」

「大神(外から来る悪魔を払う)」

「大明(内から起る煩悩を払う)」

「無上呪(仏性の光輝く)」

「無等等呪(佛の慈悲心)」

「真空に囚はれず妙有に囚はれず」

「羯諦(迷いの岸から悟りの彼岸へ渡る)」

「波羅(総てを渡らす)」

「波羅僧羯諦(あまねく正しく渡らす)」

「菩提(覚り)」

「娑婆訶(成就)」

「我も渡れり人も亦渡らせをはんぬ。正しくも周く渡らせ終りたり。斯くて悟りの道成りぬ。」

「真空妙有の道理」

「執着するから迷いが出る」

 

般若心経(碧巌録大講座7巻末)加藤  咄堂

 

寶境三昧(碧巌録大講座8巻末)加藤  咄堂

 

寶境三昧(碧巌録大講座8巻末)加藤  咄堂

 

証道歌(碧巌録大講座91011巻末)加藤  咄堂

 

証道歌(碧巌録大講座91011巻末)加藤  咄堂

 

禅海一欄 今北 洪川老師

MS明朝

 

禅海一欄 今北 洪川老師

 

参 禅 の 秘 訣 原田 祖岳老師

参禅の秘訣 原田祖岳老師

 

「吾人の事実のみ」

「天地宇宙の実際のみ」

「認滅や観念の及ぶ範囲に引き下して、第二義の説明をすると一面は実相論となり、一面は縁起論となる。」

「・・・実相論は・・・空間的方面から・・・縁起論は・・・時間的方面から・・・」

「論ずる品物が二つあるのではない」

「性空因縁といひ、因果無人ともいふ」

「実相論・・・本性平等・・・無我観の基本となり、縁起論は・・・現相差別することを明かにして無常観の実際となる」

「実相(性空・無人・無我・無性・仏性・

法身・法性・真如・妙法・一心・涅槃とも称する)」

「人格化(弥陀大日とも称する)」

「符牒・無字・隻手・這箇(しゃこ)・」

「起信の心真如門」

「「実相(不生・不滅・不垢・不浄・不増・不減)(性空・無性・無相・無我・無人)」

「四徳・四法身(常楽我淨)」

「実相無相微妙の法門」

「無一物、無盡蔵」

「・・・現象界となって展開する有様を説明するのが縁起論であります」

業感(ぎょうかん)縁起論・頼耶(らや)縁起論・如来蔵縁起論・法界縁起論」

業感(ぎょうかん)縁起論は方便仮説であって、法界縁起論等が・・・如来の真実義であると思うことである。三世因果の道理、輪廻転生等の事実を無視したり、否定したりすると・・・是は大なる誤解である」

「法界(現象界の事実)(諸法・万法・と名付ける)」

「法(法則・法律)(大自然の法則・因果の厳律によってのみ起滅する・・・)」

我の妄認無我の実相

「八箇條(一、本倶仏性 二、自我迷執 三、坐禅持続 四、因果必然 五、諸仏実在 六、感応道交 七、自他不二 八、成仏過程)

「三因仏性(一、正因仏性 二、了因仏性 三、縁因仏性)」

「正了縁の三種の状態」

不変真如の水の上に髄縁真如の波起滅するに過ぎない」

「我(自在の義)」

「誰が汝を縛す、何ぞ更に解脱を求めんや(三祖大師)」

「本性本具の性能たる常楽我淨」

 

「諸法因縁生

因縁生自性

自性ナシ去来

キカ去来所得

所得畢竟空ナリ

畢竟空般若波羅蜜

(略般若経)」

「析空観(小乗空観)(分析して見れば)(体空観)(大乗的)」

「人空(人無我)(主観)・法空(法無我)(客観)・人法二空を證す」

「真相(因果無人・性空因縁)」

「前滅後生」

「仏性を明らかに徹見するまでは、・・・」

「明全和尚に師事してヶ年間坐禅を実行なされ、印可証明までも得られた。

「三時の業報(一、順現報受業。二順次生受業。三、順後次受業。)(三世因果・善悪業報)」

「安心決定」

「真実教」

「弥陀心中の衆生・衆生心中の弥陀」

「感応道交(一、冥機冥應。二、冥機顕応。三、顕機冥応。四、顕機顕応。)」

「機(求道心を動き出したもの・自覚的・他覚的・意識的・無意識的・潜在的・顕在的)」

「三匙の偈(一、為断一切悪。二、為修一切善。三、為度諸衆生皆共成仏道)」

「回向文(願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん瑩ことを)」

「瑩山紹瑾(常済大師)」

「禅は教の事実であります」

「専心一意」

「真理を真理の通り徹底的に正しく見破った」

「見損ふて居る」

「真事実を真事実の通り正しく完全に、(しか)も徹底的見破った」

「(符牒)法身・一心・仏性・諸法実相・真如法界・六大周偏・皆帰妙法・」

「心機一転」

「熱喝瞋拳」

「まだまだ立派な病人」

「空見識」

「何とでも勝手に()びやがれ(痛棒々々)」

「空吹く風」

「悟りなどと申す不調法いたしたる覚え更に之れなく候」

「爪先と股の外側とか同じ位の所、右の足の(かかと)が少し下腹へ着く位

「足親指だけを重ねる(右の指を下に左の指を上に重ねる、その上に尻当當をのせて、その上にお尻をノセルのです)」

「膝頭を少し離す。両手の握り拳二つ」

「爪先が胸に向っとおる様(法界定印)」

「心を治めるためには・・・(多少は下腹部に力を入れても宜しい)(自然にしておくがよろしい)」

「調心の法(数息観・隋息観・只管打坐・公案単提(たんてい))」

「出入観(入るを一つ、出るを二つ)・専心一意・出息観(出る息を数える・散乱)・入息観(昏沈)」

「凡てのために大海に波が立つようなもので、・・・」

「それを悪いと思ってアクセクする」

「どうもせないでよい」

「自然に自然に打ち任せておいて、・・・」

「あゝシマッタも何も入らない」

「本当の無念無想とは、心の取捨しないこと、一切とらはれないこと、かゝはらないことをいふのであって、意識の動かないやうなことをいふのではありません」

「只管打坐とは一切の方便手段を捨てゝタダぶつ坐るだけのことであります」

「熱心不熱心」

「止静(しじょう)・経行(きんひん)・抽解(ちゅうかい)」

「見当違いであります」

「叉手(しゃしゅ)(右手親指を二義握って)(腕を一文字)(二三秒間に一歩位)」

「陶酔禅・ボンヤリ禅・判睡禅」

「秘密経(独参)」

「総参」

「室前三拝・面前三拝・室外三拝・都合九拝」

「修行の用心」

「擇法眼」

「六道界(三界・欲界、色界、無色界)(界内)・四聖界(出三界)(界外)」

「契悟(かいご)」

「手段禅(話禅・念仏禅・礼拝禅・説経禅・横臥禅)」

「坐禅の要訣(三回仏性)一、大信根・(本来成仏)二、大疑団・三、大憤志」

「徹信・信徹」

「仮名文字のムがよい」

「意識悟り・分別悟り・イカサマ悟り」

『「天台の六即

一、理即(実相・仏性・真如・法身・衆生本来成仏)

二、名字即(知識、経巻、道理を見聞し名字言句の中に於いて一切皆仏法、一切皆成仏、思想的に理知的に認識的)

三、観行即(説の如く修行し、理智冥合する位、随喜、読誦、説法、兼行六度、正行、(観行五品)、心識上の知見)

四、相似即(真実の悟りに相似たる観法修行のできた人、(六根清浄位))

五、分眞即(一分の無明を断破、一分の仏性を見る、法性を分見する位)

六、究竟(くきょう)即(元品無明を断破、妙覚位)」』

「分別妄想の袋がブチ破れ」

『功勲五位説

一、          向位(向ふべき方向がはっきり分ったといふ位、(本具仏性、成仏道の過程)(信受奉行、専心一意))

二、          奉位(臣は君に奉し、子は父に順ずる、君父に対し奉重し奉仕する位)

三、          功位(成功した位、桶底を脱し、大悟大徹)

四、          共功位(主人の仕事を見習ひ覚える)

五、          功々位(共功位の究極であり、・・・)』

「没縦跡断消息

「十牛図といふものが(すこぶ)るよい」

「尋牛(じんぎゅう)・見跡・見牛・得牛・牧牛・騎牛帰家・忘牛存人(ぼうぎうぞんじん)・人牛倶忘・返本還源(へんぽんかんげん)・入廛垂手(にゅうでんすいしゅ)」

「本具の仏性(牛)」

「見牛位(見性位・明暗深浅)」

「理智として所有して居るが、・・・」

「元の木阿弥になってしまう」

「折角出した牛も、遂には行方不明になってしまふて、・・・」

「見牛位(六即の観行即と相似即の位であるし、・・・五位の第二の奉位に相当する・・・)」

「得牛(六即の分真即、五位の功位に相当)」

「思惑を断じ、・・・」

「吾人の本質は全く真空の白紙であり、無個性である。それを仏性と名づける」

「我体妄認禅(二元論)」

「絶対無我の真事実(絶対我の存在)」

「身息心」

「主観の反映であって客観的実在性というものが絶対にない」

「悉く自分の心の影法師」

「心識の作用」

「悟りの粕に執はれたのであります」

「信解行証入」

「半可通」

「信(仏法の大海は信を以て能入とす)(信は道の元、功徳の母なり)(信は入仏の初門なり)」

「解(参師聞法・工夫坐禅)」

「副産物的な利益」

「無上道の体験・見性悟道・定力の練磨」

「畜作畜行・餓鬼作餓鬼行・修羅作修羅行」

「仏祖の言葉だけを記憶して、・・・教理・禅理・思想・観念」

「殺活自在の力量」

「本質の自性清浄心」

「心性」

「人に法益を及ぼすのほか、・・・」

「縁まかせがよい」

「応分の悟証を得る」

「己心所具の法」

「一息截断」

「証るまでの手引きはどうでもするが、証悟は自分でなくては叶わぬ」

「思慮分別の境界ではない」

「見毒」

「無明の根源を截断する」

「自己という見のやまぬ間は、・・・」

「未得已得」

「凡夫量見で見しておれば、・・・」

「得処」

「量見」

「自己即仏になり切ったのだ」

「思量分別にわたってすましておったが、・・・」

「分別思量が息んで」

「こころをあきらむる」

「心地をあきらむる」

「見色明心」

「聞声悟道」

「純一弁道の現成」

「純一無雑に坐禅するが、悟りの要道だ」

「断惑証理」

「是法不可示、言辞相寂滅、言語道断、心行所滅、思量分別はこの(ことわり)なし」

 

参禅の秘訣 原田祖岳老師

参 禅 の 秘 訣 原田 祖岳老師

 

参禅入門 大森 曹玄

参禅入門 大森 曹玄

 

無我の働き・随処作主

「衆生本来仏なりとの本質を自覚して、自由自在に活用する所にある」

余念(余物を交えざるの義)

そのまま禅・無事禅・立枯禅

古来魔境

「手の感覚がなくなって来る

足の感覚がなくなって来る

外界との隔てがだんだんなくなってくる

ついには全身がなくなる」

魔境[殊勝を喜ぶ心・善境界]

断命根

空無識

三事[心・息・身]

[外、相を離るるを禅と名づけ、内、乱れざるを定と名づく](六祖)

我意を捨て私見を離れ

物を逐うて執着

三昧現成

正受の体験

無念夢想になってくる

禅意・禅心

ぼんやり禅

[見性を論じて、禅定解脱を論ぜず(六祖)]

調心修養

「自己の本性を明らめ真実の自己を知ることが眼目」

「外界との関わり合いに捉われる心を捨ててしまえ」

接化の手段

悟入の深浅

機関(はたらき)

大機大用

行持綿密の家門

真実の自己の自覚

回心(えしん)の体験

差別智をみがき・・・

境涯化

遊戯三昧・自由無碍の任運の生活

卓州派(言句の妙密)

隠山派(機鋒の嶮峻)

禅は古来[労して功なき]ものとされ・・・

無眼子(むがんす)

境惑を受ける

不生で働く世界

生れ付きに差(さが)う

本来の面目

この場に真実の自己を見出す

 

境涯

本心・本性・本来の面目・真実の自己

抽象的存在

「我、心身の在るのを覚えない(大死一番の状態)何回か経なければ」

見牛とは見性のこと

得牛(見性も本物といえる)

見たのと得たのとでは天地の隔たりがある

心牛

「見惑頓断、破杓の如く

思惑漸断、藕絲(ぐうし)の如し」

背覚

「境によって有なるにあらず、唯だ自心より生ず」

「帰家(自己本来のあるべき世界に住んでいた)」

心中の具戒

求心やむところ即ち無事

[無仏]の空見

求心やむところ即ち無事

 

「無仏」の空見

「聖意においては山、山に非ず、水、水に非ず」

無為の凝寂

作為の念

寂然不動の境地

一切の世界は畢竟「空」

外境に支配された

任運自在・悠々自適・遊戯三昧

禅心の生活

真実の自己を知る

【「我」頭の中で蜃気楼のような抽象的存在にすぎない】

見色明心、聞声悟道(金剛経)

見牛(見性深浅あり真実の自己

得牛(見性もやっと本物といえる)

見惑頓断()(しゃく)の如く

思惑漸断藕絲(ぐうし)の如く

見たのと得たのとでは天地の隔たりがある

正念相続の外にはないぞ

万物一体の理

「後念生ぜずんば前念おのずから滅(牛頭法融禅師)」

帰家(自己本来のあるべき世界)

心中の賊を平らげる必要

求心やむところ即ち無事(臨済禅師)

 

参禅入門 大森 曹玄

参禅入門 大森 曹玄

 

梅 天 無 明 禅 師 法 語

梅天無明禅師法語

 

只自ら一念迷うか

有所得の念(一念の迷いの根本と知るべし)

仏を求めること勿れ

我とする物は何ぞ(見聞覚知の四なり)

此の外に別に心と為すべき物なし

 

元来無我なる事を識得すれば無覚煩悩一時に消滅して今此の身心直に是れ天真佛なり

 

無心とは見聞覚知を心に非ずと知るを無心というなり

見聞覚知の根源を知るべし

忘心未だ起こらざる

元来心と云う物は無けれども

今心と説くは光影の異名なり

 

悟りとは見聞覚知を心にあらずと認得して只生れ付きの本来人と成って迷悟なきを仮に名けて悟と云う

 

色とは色身なり、受は受領なり、想は思想なり、行は造作なり、受想行は心所なり、識は分別なり、即心王なり是れ八識と云う

 

空とは脱落の真空なり亦本智なり

迷を除ひて悟を求むること莫れ

 

悟る可へきありと思ふて真を求めて休まず(あるい)は悟るべきなくと思うて迷をん除かず真に思慮分別の中を出でた

 

(ことごと)く方便の説

 

心源を見得して

 

四病(作・任・止・滅)(造作)

皆造業

 

梅 天 無 明 禅 師 法 語

 

東 海 夜 話・沢 庵 和 尚 (伊 藤 康 案)

(仏の自覚)

仏になるととは覚を開くこと

覚を得るのを仏に成るとはいふ

覚るとは自己の本性を徹見し、本来の面目を明めることである

 

 

 

 

東 海 夜 話・沢 庵 和 尚 (伊 藤 康 案)

 

禅 学 思 想 史 (忽 滑 谷 快 天)

MS明朝

 

禅 学 思 想 史 (忽 滑 谷 快 天)

 

仏教における無我思想における論理 眞田 康道(ネット)

仏教における無我思想の論理 眞田 康道

 

「無記(判斷不能)」

「事実を根拠とする法則性」

「無常偈(無常法)

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂静涅槃」

「無常とは、現象が生滅変化していく法の性質をいう」

無常を観ずるは即ち是れ(=人の空と法の空)をを観ずるの因縁なり、色は念々に無常なりと観ずるば即ち空たるを知るがごとく。(智度論)」

「法は無常の故に無我である」

「法には無常なる性質がある・事実を認識する必要がある。」

「理論的に知ることではない。経験を通して知れるのである。」

「如實知見(現観)」

「有為法は、無常の故に無我である。

五薀法は、仮和合の故に無我である。

有為法は、縁起する故に無我である。

無為法は、寂滅の故に無我である。」

「六界(地水火風空識)」

「転変の法」

「無我の実相」

「如實知見(観相の一つ)(形成される学理を観想)・部分から全体(仮観)・全体から部分(折空観)・縁起の理論」

「法性」

「無我とは空性の海に浮かぶ仮設という島である」

「縁起する世界」

「自性(ものが本来もっている固有性である)」

「空性(自性を欠いている状態である)」

 

仏教における無我思想の論理 眞田 康道

仏教における無我思想における論理 眞田 康道(ネット)

 

死ぬるも生れるも同じじゃ 立花 大亀

「言葉」です、つかまえることができない

これだ、という実態は、どこにもない

全部「言葉」です

理論遊戯

現実というものはハタラキのみである

悟って目覚めることを「覚悟」という

われは心によって創作せられた

 

形骸の差こそあれ根元はひとつである

論説のみに明け暮れ

目覚める

幸はわが心にあり

心境の清浄を願う

明歴々(露堂堂)対語

【平常心(格別に何も考えのない自然に起きる心です)】

死ぬるも生れるも同じじゃ 立花 大亀

 

西来意

如何なるか是れ祖師西来意?・庭前の柏樹子・和尚{境}を将って人に示す勿れ・我れ{境}を将もって人に示さず・如何なるか是れ祖師西来意?・庭前の柏樹子

如何なるか学人の自己?還(は)た庭前の柏樹子を見る麼(や)

 

公案禅話 伊藤 古鑑

公案禅話 伊藤 古鑑

 

庭前柏樹子

分別妄想

真空妙有

不思議

三世常恒、(ほう)()無作の説法

独立無伴

天然の性徳

雀はチュウチュウ

(ほう)()無作妙諦

無字経

自然の妙諦

烏はカアカア

(ほう)()無作

無説の説

柳は緑、花は紅

 

牛過窓櫺(ぎゅうかそうれい)

正念

愛欲

 

 

 

第六十七則 巌経智慧

華巌経云、我今普見一切衆生、具有如来智慧徳相但以妄想執着而不証得

 

麻三斤

MS明朝

 

 

不思善悪(本来面目)

「何事も思わない、本来の面目そのままの姿を丸出しにした」非思量の境界は是れ仏境界なり(文殊師利所説不思議仏境界経)

言説で以って説けない思慮で以ってはかる事も出来ない處を示したもの

生受=受を生ずる・蝕受に依って知る事・感覚を受け入れそのものの生ずる事であるがそれも出来ないからそれを休めよ

(びょう)すれども()らず・()すれども()らず)

(賛すれども及ばず・生受(さんじゅ)(やす)めよ)

(本来の面目、(かく)すに(ところ)()し)

(世界()する時(かれ)()ちず)(無門禅師)

描不成兮画不

賛不及兮休生受

本来面目没

世界壊時渠不朽(無門禅師)

 

 

非風非幡

客観のみに囚われ主観を忘れていた

禅は自己を究明し、自己の心性を徹見する

心動・風動・幡動・風幡心動・

 

 

 

 

百丈野鴨子

「ああ野鴨子がここに居る。なんでサッサと飛び去らざるか」

すぐ話が禅宗の根本問題に触れて行く(一超直入如来地)

 

道吾不道

生と死とを二元的にみてはならない

生すなわち不生といふ・滅すなわち不滅といふ(生死の巻 道元)

無間断に刹那生滅のものと見・・・

仏の生命のあらわれなりと悟れば・・・

生死を超越して生死にとらわれていない

雑用心

 

公案禅話 伊藤 古鑑

公案禅話 伊藤 古鑑

 

禅と公案 伊藤 古鑑

禅と公案 伊藤 古鑑

 

MS明朝

 

 

禅と公案 伊藤 古鑑

禅と公案 伊藤 古鑑

 

円悟心要講話(道元禅の要諦) 小川 弘貴

円悟心要講話(道元禅の要諦) 小川 弘貴

 

国訳禅学叢書4巻

語録14~16

上13項・下30項

本講下巻の25項

【頓悟漸修・

「理として、須らく頓に悟るべし、事として、漸修を要す」】

「知見・解会・見思惑(見惑・思惑)執着・心行処滅・言語道断・対概念」

「情の煩悩・理の煩悩」

「落ち着いた穏やかな自己になる(脱体安穏)」

【体解・体取・「体」は(あきらかに)と読む】

一念不生前後際断

に揀擇有れば即ち心を生ず

「彼我愛憎順違取捨」

「至道の要唯だ息心に在り」

「心既に息めば則ち萬縁休罷す」

【対立「心」です】

【「生心」(対立が出て来る)・「息心」(対立がやむ)】

「無の動きを無為とか無作とか言う」

「発心・所行・証果(学道)

「無為無事を以って極地と為す」

「心源澄淨」

「体験を表わす大事な言葉」

「動き働きということになる」

「四威儀(行住坐臥)」

「身心本性空なりと了得せば、・・・」

「情識を絶し、思量を忘ず」

「対立を立てて、そしてその対立にとらわれて、・・・」

「心の鏡の上に雑念がわく」

「有相観・有相無相三昧・無相三昧」

姿がす!と消える時もある有相無相三昧)」

【「ない我」を「ある我」として我々が作っておるもの】

「作り出すこと」

【無為(それでそういった様な作り出るもとの「我」がなくなるから「無為」になる)】

「対を絶した世界」

「心の眼で見ることを照と言う」

「自縛の縄」

「心の鏡の上に影が宿らない」

「能所倶亡」

「前後際断」

「前際中際後際断」

「本地の風光・本来の面目・」

「説法、学道(修行・道)」

「説心説性」

【「それ」「これ」】

「その人がその事をするということ」

無為(我をもとにした自分の生命の動きがないということ)」

「善功方便」

「止水明境」

息縁無喘

「無生死の自己」

「外、諸見を空じ、内、心智を絶し、徹底平常、騰騰任運、内外の護の為に大法を流通す」

自然(作意を加えないということ)」

「澄・寂」

「空読み」

「迷いの自己が滅したところのものが涅槃」

「啓迪(道をひらく)」

「教行証(方便)」

「教外別修・単伝心印」

「止悪修善」

「教行証・信解行証」

「虚に落つ」

「徹(とお)る」

「生死を生死にまかせる」

「その対を絶した世界を真如と言う」

「捉え方、表現の仕方」

「理障(所知障・分別越)」

「事障(煩悩障・倶生起)」

「究竟(真如)」

「絶対の境地」

「自然と悟りが開ける」

「見を起し心を生じ分別執着するが為に、・・・」

「頓に休して、一念不生の處に到れば、即ち是れ本来の面目なり」

「心(真如心)・念(妄念・無明心)起信論」

「面目というのは自己」

「学法・学道」

「瑜伽経(十七地)」

 

円悟心要講話(道元禅の要諦) 小川 弘貴

円悟心要講話(道元禅の要諦) 小川 弘貴

 

「高峰原妙禅師の公案工夫」覚書 田中寛洲「ネットより」

「高峰原妙禅師の公案工夫」覚書 田中寛洲

「ネットより」

 

高峰原妙(12381295 元代)(嗣中峰明本)

実参実究・純一無雑・無心三昧・別工夫無し・光陰を空費

 

「一帰何処」「隻手の音声」疑情が起り易い

 

無心三昧に入る

 

「計らいの念は消え失せてしまう」

思慮分別は絶え果て・・・

分別心のなせるわざ

 

「人境倶に忘ずる大死底に至って初めて分別心が尽きるのです。しかしそれは、そうしようと思って出来るものではない」

 

「空じようせずとも自然に万縁が空じられ六識の感官能力も「見て見ず、聞いて聞かず」という、有って無きの如き空々寂々の処に自ずから没入する(無心三昧)に入ることが出来る」

 

 

大悟の境地を(無心三昧)と呼んでいる

空寂の境地に尻を据えてしまった

 

「分別心自ずから脱落して(無心三昧)の妙境に入る」

 

「その無心の境地にも尻を据えてはならぬ」

 

思を絶し慮を絶し・・・

人我(実体化された自我)

 

思慮分別を絶し・・・

 

「平常心是道」・「無心是道

 

「直に知解分別の根(命根)を断ぜんがため」

 

計らいを空じている

自然に「無心三昧」に入る

大死一番して自性を見徹する

 

「高峰原妙禅師の公案工夫」覚書 田中寛洲「ネットより」

 

夢 中 問 答( 夢 窓 国 師 )

MS明朝

 

夢 中 問 答( 夢 窓 国 師 )

 

止観坐禅記 惠心僧都(岩波文庫 天台小止観 附録 関口真大訳註)

止観坐禅記 惠心僧都(源信)(岩波文庫 天台小止観 附録 関口真大訳註)

「平安中期、天台僧」

「往生要集・942~1017・第六祖源信和尚」

「悩乱せん」

「妄念起こす」

「坐禅とは身・息・心を調えて、・・・」

「眼を閉じて外光を断て、」

『心を観ずるに心為し、我が心おのずから空にして、罪福に主無く、妄念空なるが故に、幻のごとく化のごとく、来たるも所従なく去るも足跡なし。無心無念、不可思議にして、湛然寂靜、法界調朗なり。』

「一切の業障の海は、みな妄想より生ず。(普賢経)」

自性元より無なることを悟れば、生死は当下に絶ゆ。」

空観現前すると名づけて成仏となす」

「念想を断ずる処、三観おのずから冷然なり。」

「妄念を殺して無念に住し、妄心を殺して無心に居し、生を殺して無生に()み、相を殺して無相に遊ぶ。」

「生死の源は妄念なり。妄念の源は無念なり。無念の源は実相無相心地なり。」

「心の実相は、本理の一念三千なり。」

「止観坐禅の心要」

「本理の一念(仏知見)」

止観坐禅記 惠心僧都(岩波文庫 天台小止観 附録 関口真大訳註)

止観坐禅記 惠心僧都(岩波文庫 天台小止観 附録 関口真大訳註)

 

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正 法 眼 蔵

正 法 眼 蔵

 

弁道話 正法眼蔵啓 西有 穆山 老師 )

 

「成弁道業」

「三昧坐禅」

「三昧(禅定の変名)」

「思量分別の外に得ることゆえ・・・」

「教者(学問僧)」

「一念不生で無心にしておるときは、・・・」

「聞思修の三慧」

「珍しい証があるかというと、万法が一如と現成した、何も別事はない」

「文字の義解」

「・・・仏と変わらぬ境界にゆきつけばこそ、・・・」

「文字の背競べ」

「小乗の三法印(無常・無我・寂滅)」

「大乗では実相印」

「仏意を体得」

「偽仰父子(俊溌にして鋭く)」

「法眼(博学にして微細)」

「曹洞(事理に滞らず回互宛転(えごえんてん)して明暗双照の直理を説き、)」

「臨済(活発にして豪邁という)」

「本性を徹見して、・・・」

「師資の資は取るという義だ(弟子を資という)」

「蝉脱(蝉の脱け殻)」

「心脱落」

「有所得心が枷鎖となって我を縛するからだ」

「無念無心を稽古するがよい」

「諸縁万事を休息せよ」

「妄想執着の境界」

「実修して究徹」

「夢幻泡影」

「自己の知見によって玩ぶから、・・・」

「知見思量を截断」

「一切の見を離れて・・・」

「去来現(こらいげん)」

「四威儀(行住坐臥)」

「ただ因縁和合の上に暫く音響を出すだけである」

「因縁生のものだから無所住来、無所去じゃ」

「一切の執相を離れて、・・・」

「自己の主人公というは思量分別の境界でない」

「真言(観・羅字観等の観法)」

「唯識(唯識観)」

「華厳(法界観)」

「常接心」

「分別でくたびれるのだ」

「真に諸縁を放捨し、万事を休息して、・・・」

「妄想が疲れるのじゃ」

「煩悩妄想で疲れてしまう」

「貧名愛利」

「得直明心(宗師)契心証会(弟子)」

「無師独悟・無自独悟」

「非思量の境界」

「即心是仏・是心作仏」

「心地の開明」

「不文実行」

「宗見」

「わが心境になるかならぬかというにある」

「五仏(大日・不空成就・宝勝・(あしゅく)・弥陀)」

「小乗声聞の助道品・声聞の正道は四諦観じゃ。菩提分法はその四諦観を円成せしめるための助道品である」

「転名開悟」

「道理を弁えただけである」

「文字はただ仏法の道理を合点するまでの方便である」

 

正法眼蔵啓迪 弁道話 西有 穆山老師

弁道話 (夢想1~4)( 井上 義衍 老師 )

▲弁道話 要旨

「法界自性の実証者」

「古来経験者が経験者に伝えた確かさから来て居る」

「因果作用」

忘自己の事実ありて始めて納まるものである」

 

▲正法眼蔵 弁道話

「弁道(道を(わきま)える)」

「『ただ在る』というようすです」

「たしかに風鈴のように、人は肉体といゝ精神というこの道具を用いながら、この道具の中に何も特殊なものが存在しているのではなく、自由に動くように出来あがっているのが人の様子です。それが真相です。

「顔を手で打たれも怒るという感情の働きというものすらもなくなり、そこで解決がついてしまう。」

(くん)(れん)

「因縁所生法あるのみである」

「狸奴白牯(妄想の人)」

「自分の一念が起きるところに問題が残っているのだという意味で示されている」

「一切人の見解を用いぬことを指示」

「本来そのものであるものを(きず)つけているのは、認識が認識の取り扱いをすることに於いて起る誤りの全体を自分自ら知っているので、どんな扱いようをしてみても自分の扱いようであるのが分っているのでどうすることも出来ないためであって、この識の上から離れる道あることを知らぬが故に、従来それを処理してくれる人がなかった」

「そこに在るものが在る、見えるものがちゃんと見えているという以外に何の心を使う要もない、そのままに行く」

「意識の中に自己を忘ずる」

「意識自体はそれを自分とも何とも知らない、無とも知らない処に徹し切る、それが真実です。」

「何も生じない、何も知らんということ、・・・」

「(印可後)三年近く如淨禅師について修行を続けられ、・・・」

「あると思うからいけない」

「法としては本来そのくらい簡単明瞭な、・・・」

「口頭禅話」

「方法論を考えたって仕様がない。」

「始めから脱落しているんじゃ」

「脱落している自分を知る」

「自分の生活の真相」

「どうもしないでいる」

「悟りというものは、さあ取れ、である。そのまゝそこにある。それでいいじゃないか(北野玄峰老師)

自分の自覚する様子をずっと観察しているようでは悟りになりません。それはまだ認識が中心になっているのです」

「認識の主体が残っており従ってその認識の届く範囲のものしか探りあげられない。」

始めからそのまま出来あがっているのに、従来の心意識がとかく邪魔しているだけのことです」

「真実が確然とせぬというておられるです」

「『迷悟さらに二心なし』即ち迷いと悟りと二つ別にあるわけでない、一念起ると迷悟が生ずるのみなのです

 

『一切の時にいて妄想を起さず、妄想を起さないとは妄想の心の上におって、それを無くそうとするのが妄想である。妄想の真っ只中におるときに、それが妄想だと思うな。そう思うことが妄想である。真実らしいものをわきまえようと考えるな(円覚経)』

「無心ながらに一如の状態で、・・・」

「仏法とは各自の本性なのである」

「認識・・・取り扱い得る道具であって・・・自我なる主体はない」

「死時の三愛(境愛・自体愛・当生愛)」

「断見外道・常見外道」

「仏法は実相は無相である、因縁所生の法である」

「ただ法が滅し法が生ずるだけです」

「四有(生有・本有・死有・中有)」

「自覚し悟ったという意識が仏なのではなく、悟った生の内容そのものが仏なのです」

「・・・心を離れて実相に証せられたぞ自覚あるのみ・・・」

「止観(元来静かにして物を観察する態度のことですから、坐禅そのものとは違います)」

「止観は心で観ることで、禅の見性とは体で直接みるということです」

「一念を手放せば厚い妄想の層も、さらっと解けて達せられるものです」

「見色明心」

「聞声悟道」

一念心を起こす故に迷わされるのです」

「人間の煩悩、考え方、認識等に関係なく、・・・」

「六根をそのままに打ち任せていると、・・・」

「人間的な考え方でないものが動いているのだという様子が分る」

「無念ながらの状況」

 

▲正法眼蔵弁道話(夢想1~4)( 井上 義衍 老師 )

 

道元禅師 道話 井上義衍老師

 

「一知半解を心にとゞむることなかれ」

「見色明心」

「聞声悟道」

「自我心を起こして、この身心を(自分のもの)と思い込んだ」

「人の見解を用いておったということです」

「最上無為の妙術」

「この身心自体の自活動、・・・必然な動きをする。その必然なものに本当に任せきるということが一番大切なんです。それを(妙法)といい、(最上無為の妙術)といわれたんです」

「複雑な心の動き方の整理する道」

「忘じ切られたということです。」

「人間的見解をすべて捨ててしまって、この身心の自活動のままにいったんです。」

「一知半解を心に留むることなかれ」

「見色明心・聞声悟入」

「縁に触れてあったりなかったりする」

「法としてただそういう活動をしているだけであって、何か死んで、何が生まれたというのか。種はないんです」

「因縁生・因念滅」

「理解したんじゃない、なにもないものがなんにもなりに、その事実が活動した。それで、初めて確信が持てた」

「初めて人間の心意識、心の作用、働きというものからフッと離れた」

「考え方の及ぶ世界でない事実が、いまの自分の様子ですね」

「道元(24才でいかれ?・26才で大悟・28才位で帰国)」

「方法も手段も必要はないじゃないか」

「一師印証」

「葛藤の根源を切り、・・・」

「思いをもって取り扱うから、・・・」

「人の見を用いることをやめて、・・・」

「この身心と音の関係は、すでに済んでおるんですけれども・・・どういうわけだろうといって混乱する」

「間違いを起こす心の発生の根源をチャッと拭い去れるんです」

「見解を離れた存在であることが分かるわけです」

「是心作仏」

「いろんな考えが起きて困っとるだけのものですよ」

 

道元禅師 道話 井上義衍老師

辧道話 山田 霊林

 

「いらだたしい凡夫のはからいを、すっかり奪い去ってしまうところの妙術によって、・・・」

「さとり(證・覚・悟)」

「こころ((こころ)(こころ)・心)」

「邪解」

「身構え・気構え・心構え」

「為作造作・無為無作」

「理解が難しいのではなくて、行が難しいのである」

「理解だけで事足りるものであるならば、・・・」

「道を証し、心地をあきらめる」

「見色明心・聞声悟道」

「身心の構えがくずれる」

「心に屈託をとどめず、・・・」

辧道話 山田 霊林

 

現成公案 正法眼蔵啓 西有 穆山 老師 )

 

現【(現前・現在)(平常隠れておるものが顕れて来たこと、が、これはそうではない)(隠顕存没にかかわらぬのを現という)】

成【(成就の義)(未成のものが新たに成上ったこと)(成壊にかかわらぬを成就という)】

公【(公平)(諸法おのおの法位に住して物物

相礙えぬ)(公平担然)】

案【(任持)(現成公を持堪えて失わぬの義)】

言詮の及ぶところではない

言語道理には分別がある

無造作が公案である

現成公案は諸法実相である

通用の便仮のもの名前が仮のもの仮法

衆縁合成・諸法無我

諸法に我相がない

一つとして自性がない

万法無性である如く人人も無性である

尽法界はみな無性不可得である

男嶽は什麼物(なにもの)恁麼来(いんもらい)といわれた

「表から見れば実相と見え、裏から見れば寂相と見える」

見誤って・・・

豊倹(有無色空のことである豊と豊饒の義で物がたくさんあること即ち建立門である

倹(倹約の義で物をつぶし減らすこと即ち掃蕩門である

「凡夫は有に堕ち、二乗は空見に沈み、外道は断常に滞る」

棄嫌の情

憎愛のない者

凡夫憎愛の見の上にあるのみ

憎愛なければ洞燃(とうねん)明白で・・・

造作の見

生に労し死に憩う

取捨増愛の二見

一切の学解(心外求法の迷)

「講釈を聞いただけで済ましておいたのでは影を追うものじゃ、我がものにならぬ」

悟上得悟

(くら)

「真の悟りという時には、悟りらしいものは微塵もない」

見色則心、聞声悟道

 

「悟りというても、自己を究め万法を究めるほかない」

「能所を見て、いつも二見に(わた)っているから・・・」

()(けん)があるからだ

法に使役せられて自己を知らぬ

所住無うしてその心を生ずる

「無住所に安住するとは自己を忘ずることである」

 

「自己をわするるとは万法になり切ることだ」

佗己とは万法である

向上の大病

「僅かの学問を鼻にかけて天狗になるなどは実に痴けた話じゃ」

「生は死とならぬ、死は生とならぬ、生は生きり、死は死きりで決して会見せぬ」

不生不滅(生ずべきものがない滅すべきものもなし)

何物じゃ(業と縁とに引かれてこれだけのものが出ておるばかりである)

「生きれるものはない、ゆえに、死ぬるものもない」

生死はただ位じゃ

(おさ)める、摂心

悟った気になるもんだが・・・

「公案が主になって、坐禅がお伴になる(坐禅が坐禅にならぬ)」

 

「兀兀地の非思量に安住するが坐禅の的処である」

 

2回目

「どう見ても我というはない」

「名はただ人の通用の便り(一切みな仮法)」

衆縁合成(諸法無我)」

「有空(有無色空)」

「汝を縛するという煩悩はない

「自己の得処をもって、自在に宗乗を称えられるのだから、まだ知見の聞けぬもののためには、尚早で手に入らぬ」

「見色明心、聞声悟道」

「己見があるからだ」

「佗己とは万法である」

無所住にして生ずる心は、みな脱落の境界である」

「埒もなく思量分別する」

不生の生なれば死になるべからず不滅の滅なれば生になるべからず

「悟りも何もなくなる」

「一水四見」

「三界に繋縛」

兀兀地の非思量に安住するが坐禅の的処である」

2回目

 

現成公案 正法眼蔵啓 西有 穆山 老師 )

現成公案 (夢想1~4)( 井上 義衍 老師 )

正法眼蔵 現成公案 提唱

 

「仏法の語のみありて其の実なし」

「人見の産物」

「其のものの実相真相ではない」

「自己を忘じてものの真相に徹す」

「即生即滅の因縁法なり」

「この法なる性の自在あるのみなり」

「無性法の縁起生のみなり」

道元禅師 現成公案 (井上義衍老師)

 

「無処不周底(むしょふしょう)」

「現成公案(摩訶般若の様子・真空妙有)」

「ただずっとつまらんことを考えていた、それが災いをしていただけであるというんです」

「迷わんのだから悟る必要はないです」

「元々ないはずなのに、・・・」

「善悪を思わず是非を菅すること莫れ(普勧坐禅儀)」

「心を放下して、知見解会を捨てる時得るなり」

「思わないでもいいように、・・・」

「人の見解なしに行われているということを分かっていただける様子です」

「始終いろいろに思うことを捨てといて、今の様子だけに生きていくようにする」

「ただこの身心の道具任せにやってればいいんです」

「脱落してる様子にぶつかるんですよ」

「本当に、考え方でなしに活動してるということが本質なんです」

「その発生起源の分からない、それ自体に徹するということです」

「なんにも存在しているものではないということです」

「人の見解に(あずか)るような世界でない自分の真相なんです」

慮知の起らない世界で生きるようになって、・・・」

「思慮・分別」

道元禅師 現成公案 (井上義衍老師)

 

摩訶般若波羅蜜 正法眼蔵啓迪( 西有 穆山 老師 )

 

般若非思量の消息を文字をもって表わそうというのだから・・・」

「見性清浄心」

「大多勝の三義」

「人人の自性清浄心」

「波羅蜜(成就)」

「人空(浅般若)二乗・法空(深般若)菩薩」

「十八空」

「波羅蜜(成就・到彼岸)・摩訶(大多勝の三義)・般若(智慧・梵語)・」

「理を照らすを智慧」

「色(五根身の総称)・受(領納を義)・想(取像)・行(造作)識(了別)」

「・・・照見とあるゆえ、何かそこに物があるようで邪魔になる」

「一切皆空なりと照見」

「空(不可得・無自性・解脱超越・夢幻泡影

・言語を逐い駆けるばかり)(非有非空の義)(宇宙の実相)(無碍の義)」

「不可得(二相不可得の(いい)である)」

「取り得べからずというても物が無いではない、ただ不可得である」

「般若皆空(色即是空)」

「一切有為法、如夢幻泡影(金剛経)」

「二見を取るというのが、修行の一大事である」

「雖無(すいむ)(有無に堕せぬこと)」

「断悪修善」

「心地を譬えるに蓮華を出した」

「虚空を悪く執着すると死人になってしまう」

「この見がどうも取れぬ」

「虚空の性相」

「空病」

「般若の有名無実」

「道理上」

「自己の心地を開発」

「道理以外で自己の知見を聞くのでなければとてもわからぬ」

 

二回目

「摩訶(人人の自性清浄心)」

「対手があるからだ」

「進退・入出・好悪・是非」

「智(理を照らす・慧(事を照らす))」

「渾身(全身)渾はすべてに訓ずる」

「観(観達)」

『「身心色(五根身の総称)四陰心(受・想・行・識)(心法)▲受(領納を義)▲想(取像を義)」▲行(造作を義)▲識(了別を義)』

「取り得べからずというても物が無いではない(ただ不可得である)」

「雖無(ずむ)生滅」

「諸法は空相なるがゆえに不生不滅である」

「心地(蓮)譬え」

二回目

 

摩訶般若波羅蜜 正法眼蔵啓迪( 西有 穆山 老師 )

道元禅師 摩訶般若波羅蜜 提唱( 井上 義衍 老師 )

 

「脱落という真相に立証されて、・・・」

「ただ必然に、そのときそのときの作用があるのみです」

「苦痛というものが起きるもんである」

「思う要がなくなったんです(二禅)」

「見が起きなくなる(四禅)」

(すい)無生滅(むしょうめつ)

 

「諸法皆是因縁生。因縁生故無自性。

無自性故無去来。無去来故無所得。

無所得故畢竟空。畢竟空故是妙般若波羅蜜。南無一切三宝。無量広大。発阿耨多羅三藐三菩提。」

「念を起こさない」

「選り分けない」

「人間的に問題にせず、・・・」

「勝手に自分の都合のいいようにしたいと思うから、・・・」

「分別心がやんだ」

「今まで自分の見解で取り扱っていたが一切やんでしまったということですね(預流果)」

「煩悩をなくしたいから、なくそうと思わんのですよ」

「そのようなことを思わん」

「人がどうしようとも、こうしろうともしなければ、問題はなくなるんです」

「いろんなことがあっても、問題は起きんのです」

「もう気に掛からんようになる」

「①空無辺処(一切が空)(心の存在がある)②識無辺処(一切がある)(分かってる人の様子)③無所有処(有る所無し)(ものの動きとしての様子)④非想非非想(想うに非ず、思わざるに非ず)(分かったり、分からなかったりする状況)」

「仏の境地というのは、こういうような世界たは全く違うのです」

「勝止息(奇特の止息無上の止息)」

「因縁生(実体もなにもないものの活動体)」

「ものと思われているものも空相」

道元禅師 摩訶般若波羅蜜多 ( 井上義衍老師 )

 

仏性 正法眼蔵啓迪( 西有 穆山 老師 )

 

「精神ばかりを仏性とするは間違いである」

「真箇この仏性を手に入れた人にって、・・・」

「本来無一物というは仏性を表わして見せたことである」

「仏性を見届けるというが修行の根本である」

「仏性とは第一義空とある(涅槃経)」

「・・・廓然無聖といわれる。これは仏性をいい表わしたものだ」

「この仏性を《法華》では諸法実相という」

「見る眼さえ開ければ・・・《ただ息めればよいのだ》」

「・・・仏性に非るものがどこにある」

「一切諸法は縁より生ず、故に無性を名づけて仏性とする」

「一切縁起である。故に無性である」

「如来(如去如来)(金剛経)」

「一時縁生」

「縁生の法」

「貪名愛別の虫」

「有相の病いに陥るからだ」

学解では及ばぬというはこういうところである」

「縁生」

「なんぢいづれのところよりかれる。」仏界から来たか衆生界からきたか、・・・」

「眼見耳

「前後念を離れ、・・・」

「この身心は六大の集合体で、そこに分別心の受想業識が依りっておるだけ、ぜんたい何もおらぬ

「無所従来、亦無所去(本来空)」

執着なき境を極楽と云う(解脱上人)」

「得所」

「道眼」

「生にあって死を思い、死にあって生を思う、それが妄想である」

「生死透脱(生也全機・死也全機)」

有情にとれば仏性といい、無情にとれば法性という」

「仏性は名のみあって相はない」

「道理が知れても、(ほど)落ちのせぬのがここじゃ」

「見明星悟道」

「理窟ばかり稽古しても、・・・」

「されば幾つに斬れても、一頭というは少しも妨げぬ妄想はただ人人の憶度(おくたく)限りじゃ」

「弁現仏」

正法眼蔵啓迪 仏性 西有 穆山老師

正法眼蔵 仏性 提唱( 井上 義衍 老師 )

 

是什麼物(ししもぶつ)恁麼来(いんもらい)(是れ什麼(なに)(もの)恁麼(いんも)に来る)」

「思うことによって欠陥が起きているということがお分かりになった」

「これから成仏するんじゃない、すでに成仏しているんだから、その事実を知るんです」

「自分でいいとか悪いとかいうから妄想になるんです」

「人間的な見解を加えさえしなければ妄想じゃないんです」

「自念(じねん)」

「人間が考えているような、妄想なんてものはひとつもありません」

「相手にすると煩悩になるんです」

「見解があるから信じないだけです」

「コロッとないことが分かる」

「全体が仏性で出来ているんですけども、・・・」

「時節の因縁(説・行・証・亡・等)」

『人間の考え方の「天然」で、事実としての「天然」じゃないんです』

「思いじゃなくてあるという事実、・・・」

「知識のうえで弄ぶのがおもしろいということですね」

「みんなただ因縁所生法があって、・・・みな仏性の動きですよ」

「因縁生・因縁滅

「自分の真相を本当に徹見する道」

「仏性そのものの真相」

「細工をするから時間が掛かってしようがないんです」

「一時、ただ自己を忘じたというだけで、・・・」

「無常とは・・・因縁所生法いうことです」

「因縁によって作るものも作られるものもないんです」

「ものの真相は、根本に実体らしいものがあるのではない」

 

『目所見。

耳無聞。

心無識。

身無住。』

 

眼見耳聞(げんけんにもん)(しん)(しき)

蘊処界(うんじょかい)

(にん)(げん)金屑(きんせつ)

「ただ自分自身が自分自身としての真相に直接親しくしていく。それを《参禅》というんです」

「一切衆生の真実なりということです《真相》なりということです」

「莫妄想(もまうざう・まくもうぞう)」

「立派なものに作ろうとするんじゃないんですよ」

「みんな仏性の様子なんですよ(散未散)」

理性なんていうのは、人を惑わせる親玉なんです」

道元禅師 仏性 井上義衍老師

 

有時 正法眼蔵啓迪( 西有 穆山 老師 )

 

「名はあっても実体がない、自性がない」

「共に夢幻空華で、みな什麼物(なにもの)じゃ

「建立門・掃蕩門」

 

正法眼蔵 有時 提唱 ネット (井上 希道老師)

 

 

坐禅箴 正法眼蔵啓迪 (西有 穆山老師)

 

「門風を競い覇を争うようになった」

「機関禅・機関公案」

「非思量の境界」

「解することはいかに上手に解しても、解した通りに実際がいけるものではない」

「考え袋」

「去る念は追わず起こる念は妨げず、当念処を尽して兀坐三昧にゆく、ここが坐禅の正的じゃ」

「思量これ什麼物(なにもの)、不思量これ什麼物(なにもの)

「独りで倒れてしまうのだ」

「坐禅に任せる」

「全身を坐禅に任せる」

「木頭禅」

「心識不及の処を思量するのだ」

「思量箇不思量底」

「お悟り屋」

「南嶽馬祖の磨塼作境の話」

「身の坐禅・心の坐禅・身坐・心坐」

「妄想坐禅」

「聞解」

「心牛」

「車(身相)」

「師は説き、弟子は請問する」

「鬼定」

坐禅箴 正法眼蔵啓迪 西有 穆山老師

坐禅箴管 道元禅師 (飯田 隠老師提唱

 

「釈迦の坐禅右指を上にして、・・・結果を示す」

「我らの坐禅はを上にして、因を示す」

「知解が添ふてはならぬ」

「無をもう一つで殺さねばならぬ」

「正位(空界平等)・偏位(色界差別)」

「放諸縁一」

 

坐禅箴捃拾談 宏智古仏 (飯田 隠老師提唱

 

「心は常に閑なり、・・・

「分別思慮の入る隙間はない」

「物(法理)・人(仏性)」

 

 

 

正法眼蔵釈意 第一巻 橋田 邦彦

正法眼蔵釈意 第一巻

 

眼蔵雜観 橋田 無適 

四、廿四心と云ふこと

廌福寺無着長老二十四句下語?

即心是佛 至道無難

心即佛是 明々百草頭

是佛即心 諸佛無佛性

佛即是心 僧堂佛殿厨庫山門

即心佛是 説似一物即不中

心即是佛 蒼天蒼天

是佛心即 大地有情同時成道

佛即心是 只這是

即是佛心 密有密有

心佛即是 明頭來明頭来

是即佛心 拳頭眼睛

佛心即是 吾有正法眼蔵付属摩訶迦葉

即是心佛 父母未生前面目

心佛是即 我従来疑着這漢

是即心佛 一場(忄編)麼羅

佛心是即 盡大地覓一個會底不得

即佛心是 相随來也

心是即佛 日面月面

是心佛即 乃能究盡

佛是心即 心生法生

即佛是心 不昧因果

心是佛即 才生不智有

是心即佛 早知汝來處

佛是即心 築著?著

 

「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」

「西有禅師(六湛老人・月潭和尚)

「解釈行為」

 

正法眼蔵釈意 第一巻

正法眼蔵釈意 第一巻 橋田 邦彦

 

正法眼蔵釈意 現成公案釈意 橋田 邦彦

正法眼蔵 現成公案釈意

平等といふことも認識の仕方であり、差別といふのも認識の仕方である」

「概念の遊戯」

「生仏(衆生と仏)」

「萬法とは體驗のことである」

「身心脱落といふものを、・・・身心と云ふ固定的概念を超越することである。・・・身心一如把握するのが身心脱落である」

「《ものごと》の把握の根本問題」

「《ものごと》を観る立場」

「生とは何物からか生れたのではない、それ故《不生》といふのである」

「(現成公案)(あるが儘)(諸法實相)」

「現成これ生なり、生これ現成なり(全機の巻)」

 

正法眼蔵 現成公案釈意

正法眼蔵釈意 現成公案釈意 橋田 邦彦

 

正法眼蔵釈意 第二巻 身心学道第四 橋田 邦彦

身心学道第四 (橋田 邦彦)

 

「道(いふ)・不道(云はず)」

「道得(()ひ得る)」

「道副(皮)(文字に執せず、文字を離れず)・尼總持(肉)(《慶喜・歓喜・阿難》が阿閦(あしゅく)佛國を見たが一度見て二度とは見なかったと云ふのと同様に、時々物々の流動、體驗の前後際断は、一度あって二度とはないのである。)」

「道育(骨)地水火風は空である、五陰即ち、色受想行識は無である。その故一法として得られるものはない。即萬法すべて不可説である。あるものはあるがまゝにあり、成るものは成るがまゝになるだけである。」

「慧可(髄)言わず、禮拝すること三度して其の立つべき位置に立った」

《心》《人の働き》である。」

「《ものごと》が《心》である」

「實は何も《考へ》てなぞいないのだ」

「考えるものなくして考える」

「眼睛(眼球めだま)(人の働き)」

「一切衆生悉有佛性(大涅槃経獅子吼菩薩品)(本来本法性天然自性身)」

「圜悟禅師曰、生也全機現、死也全機現、福塞太虚空、赤心片片。」

「印可証明(成佛したということ)」

「見えるせうにしか見えない」

「一心とはこの働きのことである」

「把むことが心なのである」

「見えるがままにみる」

「内外去来(心)(ものごと)」

「無繩自縛」

「翻巾斗・蜻蛉返り」

「観るその働き、・・・」

「體驗の世界に没入しなければならない」

「理智による判斷を超越して如實な體驗に没入して行く外に途はないのである」

「心もて学す」

「身てもて学す」

「體得・體認・體驗」

「学道から来身のことを《眞實人体》と云ふ

「盡十方界、是箇眞實人体(玄沙和尚)」

「生死去来、眞實人体(圜悟禅師)」

「二種の生死、七種の生死を区別す」

「抽象を打開する為に、・・・」

「日々用而不知」

「平等の観方」

「流動の(すがた)が消えた不動の相である」

「有頂天が非想天である」

「非想とは不思量のことである」

「非非想とはそれ故非思量である」

 

身心学道第四 (橋田 邦彦)

正法眼蔵釈意 第二巻 身心学道第四 橋田 邦彦

 

正法眼蔵釈意 第二巻 行佛威儀第六 橋田 邦彦

行佛威儀第六 (橋田 邦彦)

「佛縛・法縛」

「佛魔・法魔」

「錯解」

「教家(仏教の教理を説く専門家)」

「概念的に把握する(法性の見)」

「無明・真如(反語)」

「罣礙(さまたげられること)(邪魔)(()えられる)」

「把握(肯定)・放行(否定)」

「無位の真人とは体験のことである」

「這箇(しゃこ)(それ)・那頭(あれ)」

「牆壁瓦礫を有るがままに摑むその働きが古佛心であるから、・・・」

行佛威儀第六 (橋田 邦彦)

 

正法眼蔵釈意 第二巻 行佛威儀第六 橋田 邦彦

 

正 法 眼 蔵 

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正 法 眼 蔵(後)リンク先

 

傅 光 録

 

 

傅 光 録

 

寶 慶 記 上中下 西嶋 和夫

 

 

寶 慶 記 上中下 西嶋 和夫

 

通身眼

 

師兄世尊伝金襴袈裟外、

別伝

阿難

阿難応諾、

却門前刹竿着、

阿難声に応じて大悟す

 

 

 

 

槐 安 国 語 提 唱( 飯 田  隠 老 師 

槐安国語 飯田 隠老師

巻一住大徳語要

巻二住大徳語要

巻三住崇福語要

巻四退崇福歸大徳語要

 

巻五頌古

巻六頌古

巻七拈古

 

 

巻五・巻六頌古

 

第一則 淨居叉手

「見性悟道の為」

「見性とは人人本具の佛性を徹見する事じゃ」

「自己を忘ずる時、・・・」

「何も気にかからぬ様になり、・・・」

「自己を殺し切れて居らぬのじゃ」

「即座発問の自由を與え、・・・」

「身心自然に脱落して眞個自己を忘ずる時。」

「始めから怒る念が起らぬである」

「病有一師一友之處」(虚堂)

「雪竇の頌は汾陽百則の頌に和韻した者じゃという事じゃ」

「身心脱落(自己を忘ずる時)」

「脱落身心(自己を忘じつつ其事に成切る)」

「窻(そう)牖(ユウ まど)」

「忘れ忘れて忘るるも亦忘るに致て始てよし」

「隋縁差別の幻境

第一則 淨居叉手

第一則 淨居叉手

2回目

「学人の禅機を養ふことを得ん」

「発問の自由」

「一挨一拶」

「龍吟ずれば」

「力量・大機・大用(正師正伝の印證)」

「病有一師一友之處(虚堂)」

「淨居天(清浄生活するんじゃ)」

「物知りになるのではないぞ」

「見性とは人人本具の仏性を徹見する事じゃ」

「天は梵語で提婆といひ(清浄自在光明最勝)」

「叉手(左手拇指を屈し餘の四で握り胸前に来し右掌を以って掩ふのじゃ)(又手當胸)」

「窻(ソウ)牖(ユウ・まど))太子の居間入口」

『身心脱落(自己を忘ずる)脱落身心(自己を忘じつつ其事に成切る)』

「徹骨徹髄(大死一番)」

「忘れ忘れて忘るるも亦忘るに到て始めてよし」

「正偏は本と一法の上の二義」

「見惑頓断如破石・思惑難断如藕絲

2回目

第一則 淨居叉手

第二則 迦葉結集

「如是経」

「涅槃(圓寂・不生不滅)」

「教相文句の棘の中に入る」

「見る時何物がある。聞く時何物がある。

思う時何物がある。元来病は無かったのじゃ」

「白隠は蟋蟀(こおろぎ)の聲を聞いて大悟した(シツシュツ・コオロギ)」

第二則 迦葉結集

第三則 思遷問答

「為人の腕力」

「只尋思去(行思を尋ねて)」

「汝恁麼リカ普谿ヨリ來」

第三則 思遷問答

 

第四則 大随劫火

「修禅の目的は・・・自己を忘ずるにあり、・・・」

「焼ける死ぬるも物の働きじゃ」

「・・・名に迷はされて苦しむのじゃ」

「始知衆生本来佛、生死涅槃如昨夢

迷悟の眼を潰して、悟を開く事はまだ易いが、悟りの眼を潰して凡夫に成り下る事は至難じゃ」

「我法二空の塵坑」

第四則 大随劫火

 

第五則 丈檗承嗣

「不ンバ三八九、對シテ所思

「何の意義もない」

「有レバ意自求不了」

「李雪尼(正受老人の母)」

「三八九は20・(念の字になるとか)(道術家の符帳)」

「會元慈明常に

昨日作孾孩、今朝祝年老

三八九、難古皇道

「三八九を明らめて永久の生命を得よと也」

「羅湖野録(安首座)

三八九、不免自沉吟

「無一物をも放下したのじゃ」

「無は能観の自己も空じゃ、得は所観の理も空じゃ

「空は無自性で融通自在じゃ」

第五則 丈檗承嗣

第六則 福慶遊山

「公案なる者は畢竟身心脱落する迄の暫時の蒭狗(スウク・わらの犬)じゃ」

「見地に腰を掛けるからじゃ」

「世を益し人を作らねば学ばざる同じじゃ」

「飛込んだ力で浮ぶ蛙

「無キニ風起

「立枯禅者」

「第八識頼耶無分別識・第七識摩那傅送識」

「言思道」

第六則 福慶遊山

 

第七則 巴陵銀椀

「師家分上」

「活眼を開きてこと・・・」

「冷暖自知は教える譯にゆかぬ。自ら修して自知するの外はない」

「文字の穿鑿は今は總に用事なしとしれ」

「疑念と云ふ虫が付くからじゃ」

「巴陵の鑑禅(嗣雲門大師)

「巴陵の鑑禅の三転語

如何吹毛劍、珊瑚枝撞。如何提婆宗、銀椀裏盛如何道、明眼人落

「臨済宗(・虚堂録・碧巌録・無門・大惠書・江湖風月集・襌儀外交・・枯崖漫録・羅湖野録・大惠武庫・林間録・山庵雑録・叢林盛事・雲臥紀談・叢林公論)」

「曹洞宗(正法眼蔵・從容録・五位顯・五位元字脚・二師録)」

「五祖云無味酸饀咬破百味具足

第七則 巴陵銀椀

第八則 盤山三界

執わるる

界=間隔の義

法=差別の義

境界を体得

無色界=精神的に生るのじゃ

心を平等と見てもよい

皆名相ばかりで実なし

第八則 盤山三界

第九則 岩頭黄巣

「黄巣天賜の寶劍を振りまはしたといふ事」

「人に本具底」

は思わず出た一聲じゃ

「丁の字の公案に九年ってぶちぬいた(平四郎)」

「秤の量の分量斗りに惑ふなかれ」

第九則 岩頭黄巣

 

第八則 盤山三界

二回目

省とは成程ここだなと気が附いたのじゃ大悟の豫備思想と見ればよい。・・・茲で荷物を御さすから、役に立たぬ片輪物を作り出すのじゃ

法とは法則で事物的に法則があるから、法に差別の義がある」

「兎角皆名相ばかりで實なしじゃ」

「境界を體得するにあるじゃ」

「我法二空の理體を悟って・・・」

「捨て捨も亦捨るに至て始めて、聖胎体長養位を許す事が出来る。未だ聖胎を得ずして長養するの理あらん」

「夢中の有無は悉く夢なりと知れ」

二回目

第八則 盤山三界

第十則 雲門古佛

「正法に不思議なし、増さず減らさず有りの儘なり」

第十則 雲門古佛

 

 

 

第四十四則 不思善悪

善悪元来無自性

 

我説即是空(龍樹の中観論)

 

因縁所生法、

我説即是空

亦説為假名

亦説中道義

 

空假中の三諦(性徳即理)

空假中の三観(性徳即智)

亦是分析法に過ぎぬ

人の説くの材料

第四十四則 不思善悪

 

 

 

巻七拈古

 

 

 

 

 

 

槐 安 国 語 提 唱( 飯 田  隠 老 師 

 

禅 の 語 録

禅 の 語 録

 

六 祖 壇 経 (中川 孝)

六祖壇経 (中川 孝)

 

(せつ)()一物(いちもつ)(そく)不中(ふちゅう)

甚麼物(なにもの)恁麼(いんも)に来たる」

「自性清淨心・見極め・体験した人」

「不思量底を思底せよ」

「ただある様子」

「滅却しきるまで」

「一切空だからとらわれることがなくなる」

「即今底・脱落底」

「今の様子」

「離さないようにする」

「今を本当に生きていればよい」

「概念操作」

「観念を使う」

「自己本来の心性徹見」

「能止心念」

「自己の仏性を徹見する」

「自性(本来具有する真性)」

「妄惑」

「真覚(さとり)」

「偈(音写)(頌とも訳す・詩のこと)」

「未見本性」

「識自本心」

「不変常住の真理」

「心是菩提樹、身為明鏡台。明鏡本清淨、何名染塵埃。」

『「非台」を「無台」としている』

「自悟自解」

「自性自度(自己の本性を徹見すること)」

「心そのものが道である」

「無念為宗・無相為体・無住為本」

()れ無念とは見聞覚知を具すと雖も、而も常に空寂なり(神会壇語)」

「関係条件(縁)の変化消滅」

「関係条件に随って生起するものにすぎないこと」

「無念とは何も思わぬことではなくて、思う対象について執着せぬことである」

「自性(真如法性)・自性空の真諦」

「心元是妄・知心如幻」

「外於一切善悪界、心念不起、名為座。内見自性不動、名為禅。」

「我本元自性清淨」

「結縛を断ず」

「空相に執着」

「心の空無なるを知り(悟性論)」

「自性の変化」

「自性起一念悪、自性起一念善」

「性本如空」

「自己の本性が変化する」

「自己の本性に具わる三身(自性の三身)」

「摩訶般若波羅蜜(大智慧到彼岸)」

「無記の空(落無記空)」

「自己の本性」

「一切処に住せず」

「性空(自性空)」

境に着すれば生滅起こる(着境生滅起)」

「自らの真如の性を用いて、・・・(用自真如性)」

「貪瞋癡も亦た実性為し(悟性論)」

「貪(欲界・瞋(色界)・癡(無色界)(破相論・神秀)」

「教化接引の門(伝心法要)」

「心地若し空ならば、慧日自から現ずること(百丈広語)」

「悟解(ごげ)」

()し本より自性は空寂なり」

「頓見真如本性」

「自見本性」

「識自性」

「無念(一切法を見て心が執着しない境地)」

「悟人自浄其心」

「不識身中浄土」

「外有五門、内有意門

「(虚空・兎角・不女児)(亀毛・存在しえぬものの例)(無にして言説あり)(妄分別)」

「実性」

「妄心不起・無妄心」

「乗とは行の義なり」

「自性自如」

「三科の法門(陰・界・入)(陰・五陰色受想行識)(入・十二入・外六塵、色声香味触法・内六門、眼耳鼻舌身意)(界・十八界六塵・六門・六識)

「転識(五・六・七識)」

「自性能含万法、名含蔵(がんぞう)(しき)(アーラヤ識)(潜在意識)」

「陰入界(陰界入)(薀処界)」

「自性若悟、衆生是仏。自性若迷、仏是衆生

「心生種種法生、心滅種種法滅」

「真仏(仏の自性(本質)である清淨な心をいう)」

「魔王(魔衆の王)」

「五欲(色声香味触の五つの対象に対する欲望)(財・色・飲食・名(名誉)・睡眠)」

《解説》

「看心看淨、不動不起」

「百物不思、念(ことごと)く除去せよ」

「自ら悟り自ら(さと)らしむ」

「本来無一物(仏性は常に清淨)、心は是れ菩提樹、身は明鏡の台なり。明鏡は本より清淨、何れの処か塵埃に染まん。」

「死句・説明句・活句」

「一物亦無(無一物)」

「眼中に物有る為し(四祖 入道安心要方便法門 道信)・鏡中亦物無し(鏡中無物)」

「当身本来清淨、自心本来不生不滅」

「心性本来常に清淨」

「深い見性の体験」

「見性・見自性・見仏性・見性成仏」

「塵尽きて自然に見性す(弘忍)」

「見仏性」

「悟道の人」

「あらゆる働きは自性によって起こることを説く」

「一法も得べきものがあるのではない(常・非常・長・短)外境無情の五対、法相語言の十二対、自性起用の十九対、計三六対」

「三科の法門(陰・界・入)(五陰・十二入・十八界)」

「第三十三祖大鑑禅師(慧能)

菩提本樹、

明鏡亦

本来無一物、

レノニカラン塵埃

六祖壇経 (中川 孝)

六 祖 壇 経(中川 孝)

 

馬 祖 の 語 録 ( 馬 祖 禅 師 ・入矢義高編)

馬祖の語録 入矢 義高 編

 

「作用即性」

「日用即妙用」

「性はつまり心であり、・・・」

「働き、・・・本性あるいは本心というものであり、・・・」

「即汝心是」

【「無心」を言うことは一度もなかったのである】

「罪性の空なる・・・」

「自心是仏」

「秀禅師

凝心入定・住心看淨・起心外照・摂心内証

「自性清浄心」

「在纏名如来蔵、

出纏名淨法身。

在纏(煩悩に覆われている状態を指す)」

「鏡は心に喩え、像は諸法に喩う」

「心真如門(無念なれば即ち是れ真如門)

心生滅門(有念なれば即ち是れ生滅門)」

「聞見仏性(声聞)・眼見仏性(菩薩)」

「迷(みうしな)う」

「妄念生ずる時、・・・」

「桶は煩悩迷情をプールするものに喩えられている」

「草(無明煩悩の喩え)」

「四句(四句分別のこと・A非A・A而非A・非A而非非A・)」

「已起・未起」

「真理は概念や論理を超えている」

「嘘(フーッと息をゆっくり吐くこと)」

「言葉は何のつっぱりにもならなかった」

「『楞伽経』では心はアーラヤ識意はマナ識を意味を意味するのが一般的で、・・・」

「咄(こらぁ)」

「不昧(歴然として明確・明澄であるものをいう)」

「音のない音を心で聞いて楽しんだのである」

「掃蕩門(根もとから払い去ったのである)」

「不是心・不是仏・不是物」

「有心は即ち道に乖く。・・・無心は即ち真の道なり、」

「妄想を離れず、」

「為さざる時是なり」

「円相(完全円満の姿・真如・仏性・実相

などのシンボルとされる)」

「作仏するというような妄想を起さないということ」

「画地一画曰、不得道長短(長短を道うことを得ず)」

「名を呼ばれてふり返る自己の本源(何だと直指することで覚醒をうながす)」

「代語」

「近日見処作麼生」

「葛藤(うねうねとからまり合い、まといついて処置しがたいものの喩え。究極のものを見失うことをいう。)」

「虚空(心の喩え)」

「汾州和尚の大悟

法身実相、本自具足、

一切万法、従心化生、

但有名字、無有実者、」

「一切心性不生不滅

一切諸法本自空寂」

「如手作拳、拳作手也・挙足下足」

「一切心性、不生不滅、一切諸法、本自空寂、」

「挙足下足」

「如手作拳、拳作手也」

「野鴨に気をとられて、・・・

「一物と説似せば即ち中(あた)らず」

「本来身の出どころ(什摩処来)当人本来の主体が問われている場合が多い」

「相手の振り返りを利用している」

「為人の法」

「法は文字を離れるが故に、」

「建立門・掃蕩門」

「馬祖の碑(大機の用)」

「心水」

「無心是道」

「不徹底」

「陥穽に落ち込む」

「善悪(すべ)て思量すること莫れ」

「心想生」

「因色故心」

 

[凡所見色、皆是見心。

心不自心、因色故心。

色不自色、因心故色。

故経云、見色即是見心。

(達摩大師悟性論)]

「隋縁所見」

「体非一切色」

「実無生滅」

「仏(覚性)・性(心)」

馬祖の語録 入矢 義高 編

馬 祖 の 語 録 ( 馬 祖 禅 師 ・入矢義高編)

 

信 心 銘

MS明朝

信 心 銘

 

証 道 歌

MS明朝

証 道 歌

 

宝 境 三 昧

MS明朝

宝 境 三 昧

 

坐 禅 箴

MS明朝

坐 禅 箴

 

趙 州 録 ( 秋月 龍珉 )

 

趙 州 録 ( 秋月 龍珉 )

 

伝 心 法 要 ( 黄 檗 希 運 禅 師 )

伝心法要 黄檗山断際禅師

 

『「一心の法」を説く』

「唯伝一心、更無別法。心体亦空、万縁倶寂。」

「真実の空に無礙自在のはたらきがあることの理法」

「無心(一切の分別意識を絶した心)」

無心なところを道と名づけるのだ」

「妄為」

「但だ直下無心ならば本体自から現ずる(但直下無心、本体自現)」

「念々無相、念々無為なる」

「唯だ無求無着を学べ。」

「唯学無求無着。無求即不生、無着即心不滅、不生不滅即是仏」

「教化接引門」

「実体としての自我をもたない点で空なるものとされる」

「迷語」

「境縛」

「直下無心・黙契而已」

「万法皆依此心建立。遇境即有。無境即無」

「心境双忘」

「心を万法の根源とす」

「唯説一心。唯伝一法」

「見有生、趣其滅、即落声聞道。不見有生、唯見有滅、即落縁覚道」

「般若(梵語プラジュニャーの音訳)(存在全体を根源的につかむ智慧)」

「識(個々の事物を分析判断する)」

「本智(寂智・霊妙な智慧)」

「業によって生を享ける」

「縁覚・独覚(自から理法を悟る)」

「権立接引の教」

「貪着せず」

「皆随機感現

「法身(自性虚通の法を説く)」

「報身(一切清浄の法を説く)」

「化身(六度万行の法を説く)」

「機縁に感応して顕現するものであり、・・・」

「心境契合(心境双忘)」

「心得違い」

「念慮をやめた者」

「但知息心即休」

「等正覚(正等覚・正覚)」

「得時不説知」

「無漏智(一切の心なき・但無一切心、即名無漏智)」

「名字・語句の意味ばかりせんさくして、究極のものを見失う」

「応無所住(本寂の体を示し)而生其心(本智の用を示す)」

「父母未生時面目来」

「見性(識心見性)(心性を洞見し、仏性にほかならぬことを自覚することである)」

 

伝心法要 黄檗山断際禅師

伝 心 法 要 ( 黄 檗 希 運 禅 師 )

 

宛 陵 録 ( 黄 檗 希 運 禅 師 )

宛陵録 黄檗断際禅師

 

「等置表現」

「有求皆苦、無求則楽」

「有心皆苦、無心始楽」

「機心を息め(息機忘見)」

「真如(ありのままなるもの)」

「心が空で存在性をもたぬものだと徹見すること」

「識(分析判断)」

「観念の働きを止めることだ」

「起心動念」

「汝心所起」

「衆生という観念を作ると、済度さるべき衆生があるのだと思いこむ」

「唯伝心仏」

「不可説(無処・真実・虚空)」

「心境禅」

「心所(しんじょ)の法」

「機心を忘ずる」

「人我(固定的・実体的な物)(無人無我)(法我)」

「無作(無為)」

 

宛陵録 黄檗断際禅師

宛 陵 録 ( 黄 檗 希 運 禅 師 )

 

頓 悟 要 門 ( 大 珠(だいしゅ) 慧 海 禅 師 )( 平 野 宗 浄 )

頓悟入道要門論 大珠慧海 平野 宗淨 

 

「個人の内的な体験」

「仏性を徹見することができた」

「山号(少室山)・達磨(少室と呼ぶ)」

「頓者頓除妄念(頓とは頓に妄念を除き)

悟者悟無所得(悟とは無所得を悟るなり)」

「聖人求心不求仏、愚人求仏不求心」

「皆由自心」

「諸根本」

「悟とは得られる何ものもないと悟ることである」

「見ることそのことを見るのが

「若し禅定無くんば、念想喧動して、其の善根を壊すと」

妄念生ぜざると為し、坐して本性を見ると為す。」

「是の如くなるを得れば、即ち無住心と名づく、無住心とは是れ仏心なり」

「本心の形相なり」

「自性見(空寂の体中に於て能く此の見を生ずればなり)」

「自性(ものその自体の存在をいう)」

「自性清浄心(如来蔵心・仏性)」

「無念為宗、妄心不起為旨。以清浄為体、以智為用」

「二性空(有無・善悪・愛憎・を生ぜざる)」

「仮立名字」

「念想喧動」

本性とは是れ汝が無生心(本性者是汝無生心)」

「《何が》《誰が》という主体、実体のないはたらきのみの心。」

無住心とは是れ仏心なり(無住心者是れ仏心)」

「仏身(法身・報身・応身)」

「無所念(能念・所念)」

「無心(聖凡を離れること。心識がないということではない。)(心そのものは不可得だから無心という)」

「即一切処無心是。」

「梵天(梵・離欲・清浄の義)(色界の初禅天)」

「妄心が起らない(戒)・妄心がない(定)・心に妄がないことを自覚(慧)」

「仮者愛憎心是也、真者無愛憎心是也」

『見色清浄、名為肉眼。見体清浄、名為天眼。於諸色境、乃至善悪、悉能微細分別、無所染著、於中自在名為慧眼。見無所見、名為法眼。無見無無見、名為仏眼』

「無生(観を起さず不起観)」

「如(物があるが如くにある、おかれているある方)」

「心所(心のはたらき)」

「印象覚」

「但だ本より自性空寂なることを了って、更にまた観を起さざる、即ちこれ宗通なり(神会語録)」

「宗通・心通(六粗壇経)」

「到(理法の究極に到達すること)」

「有為(因縁によって造られた現象的存在)」

「無為(生滅を離れた常住絶対の法をいう)」

「煩悩の火の消えたさとりの境地」

「無作とは心に何ものも造作しないことをいう」

「若心無染、自性空故、即無地獄」

「妄造」

「⑤眼耳鼻舌身意(五識)(成所作智)⑥意(妙観察智)⑤と⑥(化身)⑦心識(平等性智)(報身)⑧含蔵識(大円境智)(法身)《四智》」

「但離此二見、即是見仏真身。」

「法身(如如身・法性身・自性身・真身)」

「有因無立」

「無生法人を証せん」

「用に随って名を立つ」

「四悪趣(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅)」

「四州(東勝身州・南贍浮州《ぜんぶ》・西午貨州《さいご》)」

「三界(欲界《十四有》・色界《七有》・無色界《四有》)」

「二十五有(十善十悪五陰)(殺・盗・淫・妄言・綺語・両舌・悪口・貪・瞋・邪見・)(十善とは但だ十悪を行ぜざる)」

「六欲店(四天王・夜摩天・忉利点・兜率天・化楽天・他化自在天)」

「色界(初禅天・大梵天・第二禅天・第三禅天・第四禅天・無想天・五淨居天)」

「無色界(空無辺処天・識無辺処天・無所有処天・非想非非想処天)」

「六念(念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天)」

「一切処無心」

「涅槃・実相・空性」

「於外不染色声等、於内不起妄念心。」

「無空、無無空、即名畢竟空。」

「不得作空想(空の想を()すことを得ざる)」

「色性空者、即是万縁倶絶。万縁倶絶者、自然解脱」

「是れあるが故に彼あり、是れ生ずるが故に彼生ず」

 

頓悟入道要門論 大珠慧海 平野 宗淨

頓 悟 要 門 ( 大 珠(だいしゅ) 慧 海 禅 師 )( 平 野 宗 浄 )

 

諸方門人参問語録巻下 ( 大 珠(だいしゅ) 慧 海 禅 師 )( 平 野 宗 浄 )

諸方門人参問語録巻下 大珠慧海 平野 宗淨 

 

「本自無縛、不用求解。」

「ありのままにそのままにはたらき、そのままやってゆけばよい。」

「対治門(道をもって煩悩を断ずる法門)」

「無等(仏は他に等しいものがないから無等という)」

「困来即眠((つか)れ来れば眠る)」

「能生万法、喚作法性、亦名法身。

「応物現形」

「自ら見性せざるも、是れ性無きにはあらず(自不見性、不是無性)」

「嗜欲(しよく)」

「太虚は霊知を生ぜず、真心は善悪に()らず。嗜欲深き者は機浅し、是と非と(こうごも)争う者は未だ通ぜず。境に触れて心を生ずる者は定を()く、寂寛として機を忘ずる者は慧沈む。」

「物に傲り心を高くする者は我(さか)んなり」

「空を執し有を執する者は皆愚なり」

「文を尋ねて証を取る者は益を(とどこお)る」

「苦行して仏を求むる者は倶に迷う」

「心を離れて仏を求むる者は外道なり」

「心是れ仏なりと執する者は魔と為る」

「発動する」

「一切法不生、一切法不滅(華厳経)」

「若不随声色動念、不逐相貌生解、自然無事去。」

「無可疑慮、莫尋思、莫求覓。心性本来清浄

「仏真法身、猶若虚空、応物現形、如水中月。」

「悟人無得無求」

「心外求仏」

「将水洗水、将火焼火。(無知慧故)(都無義趣)」

「忽然偸物入手、即身是賊否。」

「起心是天魔、不起心是陰魔、或起不起、是煩悩魔」

「三観(空仮中)一心に帰す」

「五見に一つ(辺執見『かたよった極端なことを執する見解』《常見・断見》)『常見(我が死後常住)』『断見(我が死後断滅)』」

「不思議(不可思議)」

「維摩経(維摩詰不思議経)」

『「識」は、存在に対し、こころの作用の面から名づけたもので、識別、認識などの作用を含む。「性」は、不変の意で、本来具えている性質、・・・』

「仏是心作(仏とは心が作り出すものである)」

「迷人向文字中求m悟人向心而覚。」

「悟人了心無相(心の無相なるを了す)」

「但だ自性を汚染すること莫れ」

「応物現形」

「亦無可是

「万惑(ここ)に生ずるなり」

「我空法有(説一切有部の説)」

「作仏用是仏性(仏の用を作すは是仏性)、作賊用是賊性、作衆生用是衆生性、性無形相、随用立名」

「淨穢在心」

性に姿かたちはないそのはたらきに応じて名を設けるだけである。」

「涅槃のさとりをもちながら、しかも差別の世界にいる」

「応用自在」

「因(直接的内的原因)・縁(外から助ける間接的原因)」

「定是体、慧是用」

「莫尋言逐語」

 

諸方門人参問語録巻下 大珠慧海 平野 宗淨 

諸方門人参問語録巻下 ( 大 珠(だいしゅ) 慧 海 禅 師 )( 平 野 宗 浄 )

 

大 慧 書( 荒 木 見 悟 )

大慧書 (荒木 見悟)

 

「威音(威音王仏)那畔事・天地開闢以前・父母未生前(同義語)」

「念起念滅、本無実体」

「真如は自性を固定しないで縁に応じて一切の事法成就する」

「淨名(維摩の訳語)」

「不作奇特之想」

「別無聖解」

「真情を、・・・」

「知解所障」

「直須一念不生、

顚倒心絶、

方知無迷可破、

無悟可待、

無知解可障」

「知解の発生根拠(起処)」

「諸業従心生、故説心如幻」

「空寂に沈み(沈空趣寂)」

「寂静三昧」

「縦奪殺活(ゆるすも、うばうも・・・)」

「寂静主義」

「静に執われる見解をおこしはしない・・・」

「把持」

「静坐はあくまで方便説だとし、・・・」

昏沈(こんじん)掉挙(じょうこ)

「さまたげとなる理窟がかれにあないからです」

「人間にあるのであって、本心にはありません」

取捨(えりごのみ)(の念)を生じるのである」

「引き回されないで、・・・」

「引き回されない」

「心の本体はもともと惑ったことがありません」

「妙悟にまで行きついていない者のための方便の言葉にすぎません」

「決して意根によっておしはかってはいけません」

「挙心動念、又郤不是也(心念を動かすのは、かえってよろしくない)」

「分別不生、虚明自照」

「水やたきぎを運ぶがそれよ」

「但有心分別計較、自心見量者(?)、

悉皆是夢」

「現成(現在成就の義)(一切のものが直下に円満具足態として出現していること)」

「念念頭燃をはらう」

「是非善悪の未分の本来処」

「亦自不作顚倒想、有想夢想、悉皆清浄」

「此心無有実体」

「物の分かった凡夫なのである」

「所伝心体」

「和泥合水(泥にまみれ水に濡れると表現したのである)」

「心無所希、名立曰道」

「語証則不可示人、説理則非証不了」

「四句(有・無・非有非無・亦有亦無)」

(力をこめる時に発する声)

「すべて心のあり方のあらわれであって、・・・」

「聡明意識は悟りの重大な障碍となるが、・・・」

「不思議境界寂滅処断滅処

「問答禅」

「都莫思量」

「恐れたいのはさとりののろさ」

「有無の二辺」

「過現未の三際」

「手だてがふっとなくなると、自然に悟れます(技りょう勿然尽、便自悟也)」

「無疑無分別性」

「功名富貴」

「見性成道」

「愚人は対境を除くが、心を無にしない。智者は心を無にするが、対境を除かない。(伝心法要 黄檗希運)」

「所造者」

「到達した境地は、・・・」

「不得起心動念」

「放之自然、体無去住」

「空無浄潔」

「自調伏、自死矣」

「了達之世悉空寂」

「自証自得処」

『法従来分別生、還従分別滅、滅諸分別法、是法無生滅』

「是非曲直」

「法界是性之縁起故也」

「相是法界縁起故」

『汝但外息諸縁、内心無喘、心如牆壁、可以入道(達摩)

「解方便(どうして方便を理解できよう)」

「言葉に引き廻されません」

「安印可」

「代語(師家自身が大衆に代って語を下すこと)」

「別語(他人の問答商量の語に対し、別に自己独自の見識をもって語を下すこと)」

「心思▲意想」

「自悟自得」

「六知事(都寺(つうす)▲監寺(かんす)▲副寺(ふくす)▲維那(いのう)▲典座(てんぞ)▲直歳(しつすい)」

     解説

「思慮分別を背景とした問い」

(性地開発して、忽然として悟入する時に発する声)

▲正法眼蔵六巻▲大慧語録十二巻▲大慧法語三巻▲大慧普説五巻▲大慧宗門武庫二巻(弟子 道謙)

「知識才覚のしがらみはその繋縛を解いて、本来の機能を回復し、天衣無縫に活動しはじめるであろう」

「言語文字僧」

 

大慧書 (荒木 見悟)

大 慧 書( 荒 木 見 悟 )

 

禅 関 策 進

禅関策進 (藤吉 慈海)

「雲棲袾宏(1535~1615)」

「妄念を閉塞するための方便」

「公案問答の遊戯」

「坐仏の体験に徹しようとする」

「観念の念仏・口称念仏」

「事(具体的現象的方向)理(理論的本体的方向)」

「偏学の無力・偏行の盲目」

「自性清淨心(仏性の自覚)」

「見性とは元来人間が本来持っている自性、すなわち真実の自己にめざめることである」

「学解によって心地を開発することはできないが、・・・」

「語句の注釈を主としている」

「禅(靜慮)」

「靜(寂静)・慮(籌慮(ちゅうりょ))」

「定慧平等の故に静慮と称す」

「策(馬にむちうつこと)」

「尊宿(尊老耆宿)」

「五燈(仏燈録・宏燈録・普燈録・読燈録・聯燈録)」

「緇素《緇(黒衣・僧)素(白衣・俗)》」

「打成一片、忽然心華頓発、悟仏祖機

「無風起波」

「打成一片(あらぬる念虜を亡くしてそのものになりこること)」

「老僧四十年不雑用心(趙州)」

「般若の空智」

「心空を悟らん」

「根塵(六根と六塵)(六境)」

「無事(何もしないこと)」

「如有気的死人相似」

「自然念虜内忘」

「高慢で人をないがしらにすること」

「見地不脱」

「法執がのこり・・・」

「悪虜に主人公となられて、・・・」

「此の身虚空中に在って行くが如し(此身如在虚空中行)(未在)」

「知解分別」

「心木石の如く、意死灰の若くならんことを要す(心如木石、意若死灰)」

「本来面目(自己本来面目・真実の自己・仏性・自性・自性是真仏)」

「一念不生に至らば・・・、(ただち)に仏地に超えん」

「昏散の二魔」

「昏散と疑情」

「北斗面南看(普通の思慮分別をこえよ)」

「四句(有・無・亦有亦無・非有非無)」

「冷灰豆爆」

「相対差別」

「絶対無差別の境地」

「挨拶(推問答悟道知見の深浅を試みる)」

「先須截断一切聖凡虚妄見解」

「千手(護持)千眼(照見)」

「内なる真如仏性」

「本有之性(本来そなえもっている仏性)」

「無我の境」

「不可推詳計較(推量・計量・比較・妄想分別)」

「脳後の一槌」

「祖師西来意(仏法の真髄であらゆる自在の妙境界)」

「妄習」

「日面仏(寿命1800才・長命)・月面仏(寿命一日一夜・短命)」

黄楊(こうよう)(ぼく)の禅」

「忘月指」

「禅息」

「分別境界」

 

禅関策進 (藤吉 慈海)

禅 関 策 進

 

神 会 の 語 録  壇 録(禅文化研究所)

神会の語録 壇語

 

南陽和上頓教解脱禅門直了性壇語

 

菩提(覚・智・道)意訳

五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)

七逆罪(五逆罪・殺和尚・殺阿闍(あじゃ)()

十悪罪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚痴

三障(煩悩障・業障・報障)

二障(煩悩障・所知障)

諸悪莫作(是戒)

諸善奉行(是恵)

自浄其意(是定)

是諸仏教

 

妄心不起名為戒

無妄心名為定

知心無妄名為恵

 

妄心不起(無念のこと)

無妄心(無念のこと)

無妄即無心を知る(恵である)

麤妄(麁妄

「妄心・法縛・法見」

「妄想・妄心・妄念」

「莫思量」

「寂心」

「起心作意の造作にほかならない」

「自性空寂心」

「縛定」

「無住は是れ本自性の体なり、寂にして其の心を生ずるは是れ照の用なり」

「生とは看なり、(無)の所処に当たって看る、即ち是れ(而生其心)なり

「無記とは善悪等の事を縁ぜずと雖も、然も倶に真心に非ず。但だ是れ昏住?のみ」

「一切の物を分別し、分別しながら妄心が生じなければ、・・・」

「如是諸根善分別、是本恵。

不随分別起、是本定。(十六)」

「善分別・妄分別」

「無住は是れ本自性の体なり・・・即寂は是

れ自性の定、・・・性自ら如なるが故に、(南岳慧思 宗鏡録九十七)」

「虚空に明るさや暗さが勝手に去来するのでして、虚空にはもともと動静(うごき)はないのです

「迷いと悟りの違いはありましても、菩提の本性にはもともと違いはないのです」

「・・・有り」と知るなり。未だ了了として見る能わず」

「常に空寂なり」

「是心作仏、是心是仏」

「仏とは即ち是れ仏性なり」

「莫作意(造作の心を起こさなければ、・・・)」

「無念のとらわれのない心で」

 

南陽和上頓教解脱禅門直了性壇語

     ・・・・・

 

頓悟無生般若頌

「眞空は理事皆な如なり」

「無念は是れ實相眞空」

「念想して能く知るに非ず」

「念念無求なれば・・・」

 

・・・・・・

 

荷沢大師顕宗記

「無念為宗、無作為本。眞空為體、妙有為用」

「眞如無念」

「名異體同、隋義立名」

「心不動揺。一切時中、獲無所得」

 

神会の語録 壇語

 

     ・・・・

 

洛京荷沢神会大師語(景徳伝燈録巻二八)

 

「須達自源」

「未断其疑」

「覚有浅深」

「徒学多知(徒らに学んで多知なるのみ)」

「不思一物。即是自心」

「自性如空、本来無相」

「只是明心」

【悟相「解悟(性と相を明了するを謂う)」「証悟(心の玄極に(いた)るを謂う)」】

 

洛京荷沢神会大師語

 

・・・・・

 

荷沢寺神会和尚五更転

 

「哲理詩」

「離思尋」

「莫作意」

「不思・無思」

「莫思量」

「見聞覚知(知覚・認識)」

「常空寂」

「常自在」

「見本性等空虚(本性の空虚に等しきを見る

)」

「無念無思是涅槃」

「心はもともと空寂(無生滅)であり、妄念が生滅するという立場である」

「無念を見るものは見聞覚知を具すと雖も常に空寂なり(壇語十五)」

「生滅の二心が息む」

「生滅の二辺を離れよ」

「頓悟漸修」

「解悟(先悟後修)」

「証悟(先修後悟)」

 

「念不起更無餘(想念を起こさねば、余計なものは何ひとつなく、・・・)」

「看心の内観の禅」

「義解を生ずるのみ」

 

神会の語録 壇語

神 会 の 語 録  壇 録(禅文化研究所)

 

玄 沙 広 禄 上・中・下(唐代語録研究班)

玄沙広禄 上

「生滅も去来もなし」

「本来成仏を体得できた人」

「・・・総べて汝が心を出でず」

「・・・汝が(ため)見解を()こと無し」

「無事禅一辺倒」

「主客未分のところ(百雑砕)」

「原初の消息」

 

「雪峰系(石頭希遷ー天皇道悟ー龍潭崇信ー徳山宣艦ー雪峰義存)」

「判断停止」

「一心無異」

「如(あるにまま)」

「仏の用作すは是れ仏性、賊の用を作すは是れ賊性、衆生の用を作すは是れ衆生性、性に形相無し、用に随って名を立つのみ(諸方入門参問語録・大珠慧海)」

「唯心の所現」

「執取して解を生ずるものならば、・・・(徳山)」

「自作自受」

「自業自得」

「一色(平等一味の世界)・衆色(個々の事象の世界)」

「自己本来の面目を実体のあるものと考えているのである」

《「問うて曰く、如何なるか是れ学人の自己、師杖を以って当而に学人を指す(南泉・嗣白馬和尚)」》

「不是我底(我が(もの)(あら)ず)(我に(あら)らず(もの)・とは読みにくい)」

「そのとは他ならぬ、五蘊四大のことだ」

「大人というカテゴリールとらわれている汝はすでに小人だという意」

「只如然(ただあるがまま)」

「言語道断、心行処滅(瓔珞本業経因果品の句)」

「三乗即一乗(法華経)・三界一心(華厳経)・一心三観(摩訶止観)」

「法眼宗(理教に傾きすぎ、・・・)・臨済(大機大用)」

「魔事・魔境・心魔」

玄沙広禄 上

 

玄沙広禄 中

「自己本無生」

「法法皆如是」

「三慧(聞思修・聞思知)」

「隠(裏)顕(表)・隠顕の法」

「眼より源に返るを名づけて文殊(妙観察智)と為し、耳より源に返るを名づけて観音(無縁大悲)と為し、心より源に返るを名づけて普賢(無為妙行)と為す。三聖は是れ仏の妙用にして、仏は是れ三聖の真体なり。文殊門より入らば一切無為の土木瓦礫、汝が機を発すを助く。観音門より入らば、一切の音響、蝦蟆蚯蚓、汝が機を発するを助く。普賢門より入らば、歩を動かさずして致る。」

「本来具足、不生不滅、無去無来」

「你心王所為」

「真常は真如が常住した悟りの境地」

「新たな迷妄が浸み出して流れだす、」

「真常にとらわれる」

「悟りさえ忘れ去るように導いて行く」

「鏡を打破し来たって相見せよ」

「平等法門」

実在でもなく非実在でもないという空の理

「色欲見愛四住」

「三惑(無明惑、見思惑、塵沙惑)」

「自己仏」

「如冰帰水(冰=氷)、如水帰水」

「是什麼」

「平常仏性(遭茶喫茶)」

「因心成体道理」

「三箇木毬(雪峰禅師)」

「実体化作用」

「一法(一心法)」

「心法無形通貫十方(眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰う)

「心機開けず」

「見聞覚知、識性覚知

「聾瘂盲瘖」

「顚倒した邪険」

「落落地(心境が濶達で、こだわりのないさま)」

心は本来無自性(実体性がない)」

「七仏通誡偈

諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。(自ら其意を浄くす)」

「目的意識を払い去れ」

「体は名づけようがない(しかし名によって体を顕す)(お前の体を顕わす)(お前の名は何か)」

「道は本と言なし、言に図って道を著わす(華厳大疏)」

「本自具足・本自円成」

「空亡に落ち(落空亡)」

「心思」

「息念」

「呼ばれても振りかえりもせぬ(呼喚するも(こうべ)を廻らさず)(呼喚不廻頭)

「さてどう名を付けたらよかろう」

「心印法門」

「無心に任運するに如かず」

「禅臭」

「現行三昧(唯識論)アラヤ識の中に蔵されている種子から諸法現前すること」

「境を忘ずるは猶お易く、心を忘ずるは至難なり(伝心法要)」

「鏡は心に喩え、像は諸法に喩(馬祖の語録)」

「円覚(如来の完全な悟り)(諸法は無常にして一切空即ち是れ如来の大円覚)」

玄沙広禄 中

 

玄沙広禄 下

「働きを僧に求めている」

「咎を犯させようとする」

「一円相(円満具足の姿・真如・実相のシンボルとされる)」

「体のみあって用なき、・・・」

「馬祖・大梅・天龍・倶胝」

「天地は一指なり、万物は一馬なり(斉物論)(相対を超えた絶対の境位)」

「『挙一手堅一指』の禅」

「警覚」

「学解・知見(本分事)」

「意旨・省覚」

「虚空猶従迷妄幻生(虚空すら猶お迷妄より幻生す)」

「識得・辨得」

「真実人」

「尽十方世界は真実人の体なり」

「自ら幻出し、・・・」

「妄想に導かれて生じた幻影である」

「天魔・心魔・魔事・魔境」

「深奥の理」

「善悪を(すべ)て思量する莫かれ」

「何為見性。見自本性」

「無従心・自性涅槃・無言説・無繋縛・無形相・一心法門・大涅槃・定念総持・真如性海・無為大道一真法界・無去無来・菩提薩埵・無性涅槃・金剛三昧実諦・自性清浄心・如来蔵・実相般若・正因仏性・中道一乗・淨性涅槃・一念真如」

「西天の二十八祖は無住の心を伝う(顕宗記神会)」

「四種涅槃(法相宗)(自性・有余依・無余依・無住処)」

「前念・今念・後念」

「観想念等の慮」

「諸法(十如是法相)」

「自円証の体得」

「自知自証」

「竪起払子」

「もとは馬祖に『何の法を以てか法を人に示す』と問われた百丈が払子を立てたのによる

「如然(もともとそうあるべきしてそうある)」

「心意識でもって作りあげたものです」

「枯木、髑髏・裏眼晴(一切の情識を絶ち切った虚空の如き心の喩え)」

玄沙広禄 下

玄 沙 広 禄 上・中・下(唐代語録研究班)

 

禅 の 語 録

禅 の 語 録

 

信 心 銘 義 解( 中 峰 和 尚 )

信心銘義解 中峰和尚

 

智解の禅

百四十六句(五百八十四字)

嗣高峰原妙

「至道(しいどう)一心の異名なり」

 

吾祖は之を(なづ)けて至道

仏は之を証して菩提

衆生は之を(くらま)して無明

教中には之を(あらわ)して本覚と為す。

皆一心の異名なり。

 

明心見性

「心外に法を求めば、・・・」

如(不変の處をいう・境に転ぜられぬを如という)

「趙州の栢樹子・楊岐の金剛圏・(みっ)(たん)破沙(はしゃ)(ぼん)・東山の鉄酸餡」

「如(不変の処をいふ。境に転ぜられぬを如と云ふ)」

「虚幻」

「皆一心より変ずる所なり」

「心悟れば本無為なり」

「心に由って變ず」

「凝念とし、万虜忘ず」

「識は是れ水、心は是れ水中の乳なり」

「策励勧進」

「妄に分別を生ず」

信心銘義解 中峰和尚

信 心 銘 義 解( 中 峰 和 尚 )

 

禅 門 法 語 集

禅 門 法 語 集

禅 門 法 語 集

 

二 十 三 問 答( 夢 窓 国 師 )

二十三問答 夢窓国師

 

西山夜話・夢中問答

名 疎石・号 夢想

高峰禅師の法嗣

「道心(常なき理を知りて名利をすつる心なり)」

「よろづあしき事をなさずよきことを行ふて仏とはなるなり」

「善悪をなす源一つを明らむべし」

「源は心なり」

「何の心も何の念もなさぬ心」

「念のなきを、よしあしの源を明らむるとは申し候。」

「夢幻と深く信すべし」

「色かたちあるをまことの佛とおもふべからず」

「念おこるは衆生なり、念なければ心やがて佛也」

「妄念おこりて衆生となり、念なくてそのまま法界なれば、佛となづけたるなり。」

「一念の妄念により、」

「一心の名にて候。」

「心のなきを佛の心とし、念のおこらぬを御法なり・・・」

「何の念もなきように、・・・」

「二念をつかず、」

「わが心もとよりぬしなき法界にて、・・・」

 

二十三問答 夢窓国師

二 十 三 問 答( 夢 窓 国 師 )

 

鹽(塩)山【抜隊(ばっすい)】仮名法語

先ず念の起る源を見るべし、自心是何物ぞ、一念自心を見るにしかず、誰がかくしたる悟りぞや

万の念此の自性の中より起ること、大海より波のたつが如し

ありのままの自己とは別次元に本来の自己を見出そうとする(石頭系)

抜隊(ばっすい)仮名法語

 

初端成仏の直路より

成仏の道とは自心を悟る是れなり

万の念此の自性の中より起ること、大海より波のたつが如し

念の起る源を見るべし

主は是れ何物ぞ

念の源の自心を見窮はむべきなり

自心是何ぞ

聞く底のもの何物ぞ

我といふべきものなし

聞く底の主も見えず

一念不生

誰がかくしたる悟ぞや

初端成仏の直路より

 

抜隊(ばっすい)仮名法語

 

塩山 抜隊禅師(ばっすい)仮名法語(塩山(しおのやま)

 

輪廻の苦を免れんと思はゝ、直に成仏の道を知るべし。

成仏の道とは、自心を悟る悟るこれなり。

自心と云うは、父母いまだうまれずわが身もいまだなかりしさきよりして、今に至るまで移り変ることなくして、一切衆生の本性なる故に、是れを本来の面目と云へり。

此の心もとより清浄にして、此の身生るゝ時も、生るゝ相もなく、此の身滅すれども、死する相もなし。

又男女の相にもあらず、善悪の色もなし、譬喩も及ばざるゆえに、

是れを仏性と云へり。

しかも万の念、此の自性の中よりおこれこと、大海より波のたつが如し、鏡に影のうつるに似たり。

此の故に自心を悟らんと思はゞ、先づ念の起る源を見るべし。

 

塩山 抜隊禅師(ばっすい)仮名法語(塩山(しおのやま)

 

二回目

先念の起る源を見るべし

自心是何物ぞ

一念自心を見るにしかず

誰がかくしたる悟ぞや

「念の起るをばいとふべからず、愛すべからず、只其の念の源の自心を見窮むべきなり」

皆是幻にして眞にあらず

庭前の栢樹子

「声を聞物は何物ぞ(悟れば則仏なり)」

此身は死る時も一心は死することなし

色身の生ずる時も、一心の生ずることなし

有相に深く著して

一心の異名なり

「念の起るをばいとふべからず、愛すべからず、只其の念の源の自心を見窮むべきなり」

「心に浮び目に見ゆることを皆是幻にして眞にあらず、貴ぶべからず、愛すべからず、厭ふべからず、心物(こころ)に染こと無くして虚空の如くならば・・・」

実相とは衆生の本源なり

諸業の根本は識情なり

これ何ぞ

佛(心性の異名)

万事にとどこほらぬ模様をこのんで・・・

「佛見・法見すら猶存せず。何の心病がのこらんや」

如是・文字・言句を求めてなにかせん

「端的に渠を看よ、即今見聞する底の主人公、畢竟して是何ぞや」

渠は是誰ぞ

本源の自性の現成する

二回目

仮名法語  塩山 抜隊禅師

 

三回目

「理解の間に滞在せり。」

「成仏の直とは自心を悟る是れなり」

「一切衆の本性なる故に、是れを本来の面目と云えり」

「この・・・仏性と云えり」

「此の自性の中のよりおこること、大海より波のたつが如く、鏡に影のうつるに似たり」

「・・・先ず念の起る源を見るべし。」

「自心これ何物ぞと、・・・」

「其の心(一切の相を離れたる本性なり)」

「所住なき心」

識情忘ずれば、解脱の人なり」

「解脱の深坑」

「説く所は相似たりと云ふとも・・・」

「見解皆心病なり」

「心とも性とも名くべきもの一もなし」

「只其の起る源を知るべし、(此の念いづこより起るぞと疑へば、・・・)」

「此の心これ何物ぞと、・・・」

「我が身の中に何もなくして、・・・」

「一切皆夢幻なり」

「みな妄想なりと見て、・・・」

「只見る主是れ何物ぞと見るべし」

「正見の善知識」

「自己清浄法身をとむることなかれ」

三回目

 

鹽(塩)山【抜隊(ばっすい)】仮名法語

 

鹽(塩)山 和 泥 合 水 集(抜隊(ばっすい)禅師)

鹽山和泥合水集 抜隊(ばっすい)禅師

 

「自性を了徹して、・・・」

「説似一物、即不中。(心頭の病)」

「何物が来るぞと問われて、・・・」

「本有の自性を悟りて、・・・」

「直指人心見性成仏」

「自性の者を禅とし、説性の者を教者とす」

「内空に著せずして、・・・」

「自己の心仏」

「無心に道を体得して、・・・」

「貪瞋痴の三毒は迷情を以って根本とす」

「分別の心念を衆生とす」

「心性の異名なりといふことを知るべし」

「見性見徹する所の我にひとしきを證明せらるゝ悟なり」

「酒は起罪の因縁なりと」

「空見なり」

「・・・自性を見徹せば本源の無心の道を体得し、・・・」

「正法眼蔵・涅槃妙心」

「法性の現する時節(見性にあらず)(光影なること)」

「義味におつる語を死句とす」

鹽山和泥合水集 抜隊(ばっすい)禅師

鹽(塩)山 和 泥 合 水 集(抜隊(ばっすい)禅師)

 

澤 水 仮 名 法 語

MS明朝

 

澤 水 仮 名 法 語

 

永 平 仮 名 法 語

永平仮名法語 道元禅師

 

向上

「只心の自在なるを、向上の一路を()み得たる人と云ふなり」

言句は是れ門を叩く瓦子と。

向下

萬象總寺の言句なり

理知

心境如々にして皆空なり

心の一理を会得

自ら無心ならば一切明なるべし

「一念不生の處を悟りなば、自然に本分の心に相應」

大疑

物を貪欲する猫の心を斬ると云ふなり

「一念不生の心は是れ無相の佛なりと悟りて・・・」

大悟

「心は本より不生なり、法は本より無法なり、煩悩本より是れ菩提なり」

心として求むべき心もなし

法として尋ぬべき法もなし

「煩悩として断ずべき煩悩もなし(本より菩提なるが故に)」

「(菩提として証すべきなし)と悟るを大悟と名く」

自心、仏性本来清浄

「心は是本より不変常住にして、其形像なければ・・・」

【伝法偈(釈尊)

法本無法なり

無法亦法なり

今無法を付するの時

法々何ぞ曾て法ならんと】

 

心と云ふは無心なり

法と云ふは無相なり

無相なれば生老病死の躰なし

 

仮の四大を実と思ふて・・・

「心は又無心にして其実性なければ、生老病死に煩なし」

空寂の心

此心を実有と思ふて・・・

「空理を知らざるが故に生死に輪廻すと説けり」

心の一法より生ず(空寂を以って體とす)

実体なき心

大用

妄念は此心の用なり

本来の面目

「祖師の一念不生心と、吾等が思量分別の妄想の心と、微塵ばかりも隔なければ、祖師も伝え玉はずと云ふ也」

当体の心は本より不生不滅也

見性

見性と云ふは仏性也、万法の実相也

得法

只一念も生せずんば自然に佛祖の心に相応す

無相

無念

一念不生なるを無念とす

一念不生の人

教内

教外

 

永平仮名法語 道元禅師

永 平 仮 名 法 語

 

聖 一 仮 名 法 語

聖一仮名法語 聖一国師

 

東福寺開山

自心是仏

自心を覚了せん

「一切の悪知悪見思量分別を止むるを無心の至極と云ふなり」

四大五蘊の体

空とは煩悩菩提の性なり

一切假りに化現す、唯夢幻の如し

 

一心を悟る時は、万事皆空にして一物なし

菩提とは一切衆生に仏性なり

一心の根元

畢竟空の(むね)を得るなり

一心おこりて生死あり

無念無心のとき、全く生滅なし

 

聖一仮名法語 聖一国師

聖 一 仮 名 法 語

 

大 応 仮 名 法 語

大応仮名法語 大応国師

 

此心と體とを明むべし

四大(無主無我)

法界(不来不去常住不変)

心性は虚空と同体にし朕跡なし涯岸なし

「森羅万像が悉く是れ本地の風光、本来の面目なり」

一法を相伝するに非ず

「安心、安楽の處を傅えて更に一法として人に授くる所なし」

銀山(性體・本源清浄の心體)

一念未起以前

自己本来の心地と本地の風光とを見つ可し

一心こそ諸事に(へん)

「何事も思はずしてある時は、晴空の如く」

無き言を思うて・・・

「心と云ふは名のみ有って實形はなし(古人は無心と云へり)」

念より結ぶ生死はあるべからず

一分の見性得果

 

 

是心作佛

是心是佛

諸仏正偏知

海従心想

(観無量寿経)

「教外別伝と云ふは鏡影も打破して・・・只問へば答るばかりなり」

三重の義(理致・機関・向上)

理致(心性等の理語なり)

「機関(慈悲を垂れて、鼻を扭り目を瞬ろがしして乃ち云、泥牛飛空、石馬入水、等是れなり)」

向上(仏祖の直説諸法の実相等總て異るとなし)

唯諸事に於て執心なきを云ふなり

惑性

道無心合人。

人無心合道。

 

大応仮名法語 大応国師

大 応 仮 名 法 語

 

瑩 山 仮 名 法 語

瑩山仮名法語 瑩山国師

 

嗣徹通禅師(永平寺)

「閑に坐して念を静めて寂静湛然なるを坐禅と云ふなり」

散乱の病を止ぬん為

黙然禅の咎なり

一念不生無相無念

 

 

諸縁境界の處に留らざる處を無念と云ふ也

妄を起こし妄を止るは、両共に妄なり

心を以って心を忘ずれば心還って有となる

是非未生迷悟未別

 

瑩山仮名法語 瑩山国師

瑩 山 仮 名 法 語

 

大 燈 仮 名 法 語

大燈仮名法語 大燈国師

 

27才大悟56才寂

赤松圓心・浄財

後醍醐天皇・大徳寺

(嗣大応国師法嗣関山国師)

 

「然らば生は生に任せ、死は死に任せ、生死に於て煩はざる、即これ一念不生の處なりと思食候歟」

本来生死無く、本来念想無く、一念不生の相もなし、前後際断して廓落虚明なりと思食候歟」

一念不生の處には、無仏無法、無迷無悟。

本来の面目を見せしめん為なり(仏心・法身・主人公・仏性・真仏・元名字なきなり)(彼の面目に相見し給ふ事なり)(大悟・大徹)(家主)】

「念の起こる源を、能々坐禅をして見よ」

心生ずるとは、一念の起る事なり

一念を以て色々に造り出すなり

念を収れば彼の本来の面目顯はるゝなり

 

「肉身死すれども渠は死せず、肉身生ずれども渠は生ぜず、故に不生不滅の物なり」

本来の面目は生死輪廻無く

唯妄念の不淨を拭へば真佛顯れ出るなり

 

本来面目蔵無

世界壊時渠不朽(無門和尚)

 

黙然の邪善・無想定・空見無見

本来の主人公に相見するを云なり

 

一切有為法

如夢幻泡影

如露亦如電

應作如是観(金剛経)

 

大燈仮名法語 大燈国師

大 燈 仮 名 法 語

 

正 眼 国 師 法 語(盤珪禅師)

MS明朝

 

正 眼 国 師 法 語(盤珪禅師)

 

正 眼 国 師・芳 野 歌(盤珪禅師)

正眼国師(盤珪禅師)芳野歌

 

「悪ときらふを善じゃと思ふ、きらう心が悪じゃもの」

念にとりやはぬ事を肝要に可被成候

「起る念をすこしもとんじゃくせずして、おこりまゝやみまゝに被成候へ者、自然に本心にかなひ申候」

 

念は見なり、聞たる縁にてかりにおこりゆゑ

念に定は無御座候

 

正眼国師(盤珪禅師)芳野歌

 

正 眼 国 師・芳 野 歌(盤珪禅師)

 

心 経 抄(盤珪禅師)

心経抄 盤珪禅師

 

本来明かなる心なり

「よき名字を付け(心・道・空・菩提・涅槃・般若・智恵)」

何もなき所

万法は皆一心の変作なる

此の心本より自性なきことを知れば・・・

因果撥無の外道

百千の念に到ても只一念なり

只念々一念にし無念と知るべし

縁より起りたるものを・・・

実に縁起にして、無実なるものなり

 

 

「名の付けように事かいて心と云ひたることなり」

心と云ふものあるような・・・

見の字が病と知るべし

見に落るなり

「一切に見がやめは、仏の大涅槃と云はれたる所なり」

無自性なるを常住仏性と説かれた

悟入の縁

無自性の病となるなり

自性を悟りたる

得手勝手の悟なり

分別におつる問のことは顚倒なり

無所得なるべき處なり

 

心経抄 盤珪禅師

心 経 抄(盤珪禅師)

 

大 智 禅 師 仮 名 法 語

仮名法語 大智禅師

 

生死の大事を了畢せんと思はゝ、まず無上菩提心をおこすべし。菩提心とは無常を観する心これなり

十二時法語

 

心に何事の思ふことなく

大 智 禅 師 仮 名 法 語

 

鉄 眼 和 尚 仮 名 法 語

鉄眼和尚仮名法語

 

「空といふは真空、真空は法身、法身は如来の事なり」

「諸法実相・草木国土・悉皆成仏」

受(納領の義・苦楽捨)

一念のまよいの意

「昼は妄想となり夜は夢となる」

「実にはその体なきものにて、あるに似たるものを妄といふ」

虚妄

なき物なれども・・・

一念の妄想

行(遷流の義)

真如体を見つけずして・・・

如(如常にして、変易なき事を表はす)

鬼の形ともなり、仏の形ともなる(如幻の方法)

法界平等一相(心真如門)

「さまざまのすがたより見るがごとし(心生滅門)」

幻化虚妄

「幻化・夢幻・幻業・幻

「衆生幻業をつくりて幻果をうくるゆへに諸仏幻慈をたれて幻法をとき、幻苦をすくって幻業をあたふ」

「夢幻の生滅にばかされて生死無常の行苦をうけ行蘊の遷流となす」

幻は本より生ずる事なし

涅槃といふもかりの名なり

 

「悟といふ事は、かくのごとく人々の本より迷はずして、ただ本のすがたなる事を、ただ、たしかに見つくるをいふなり」

「始知衆生本来成仏」(円覚経

本来成仏とは本より仏といふ意なり

なきものなる事をさとりて・・・

「一切万法はみな法身真如の体なる事」

我身ぞとかたく執着する

法身の当体を悟る

「この身をすなわち、法身真如とみたまふ」

いづれの処がこれ起滅す

本分の田地にかなへる人のありさまなり

「無記はいまだ善悪のわかちなき愚痴無明のすがたなり」

「その心すみわたりてとぎ立たる鏡のごとくすみわたる水ごとくなる心すこしの間生ずる事あり」

心すみわたりて・・・

「はれたる秋のそらのごとく心虚空にひとしくして、法界むねのうちにあるがごとくおぼえて・・・(過半成就せるすがたなり)(打成一片)(一色辺)(普賢の境涯)」

祖師のふるまいをなす

一心の根源にいたらざる人なる

一切空なる処をさとりといひ

不起一念

一物不将来

鉄眼和尚仮名法語

鉄 眼 和 尚 仮 名 法 語

 

禅 門 法 語 集

禅 門 法 語 集

禅 門 法 語 集

 

大 応 国 師 語 録(禅の古典2 荒木 見悟)

 

大 応 国 師 語 録(禅の古典2 荒木 見悟)

 

大 燈 国 師 語 録(禅の古典3 平野 宗淨)

 

大 燈 国 師 語 録(禅の古典3 平野 宗淨)

 

寂 室(日本禅語録十 入矢 義高)

 

寂 室(日本禅語録十 入矢 義高)

 

抜 隊(日本禅語録十一 古田 紹欽)

抜隊 日本禅語録十一 古田紹欽

 

塩山仮名法語

「抜隊(大悟三十一歳2ヶ月)」

「抜群(千挙)抜隊(万挙)」

「庵主禅」

「驀直の禅」

「理路の禅」

「心地覚心ー孤峰覚明ー抜隊得勝」

「情識知解」

「他見を許さず(密参帖)」

「見性・見聞の主・自心・自己の本源」

「公案根本(自心の見得にある)」

「今時の学者行道の者は少なく、義解の者は多し、・・・」

「機は機根で能力であり、・・・」

「皆人々具足スル本有ノ自性ヲ悟テ、文字言句ノ上ニアラズ」

「五種行(経の受・読・誦・解脱・書写)」

「写経禅」

「自心の妙を悟得すれば、・・・」

「酒が起罪の因縁」

「仏性ヲ悟得シテ、・・・」

「本来の面目(自心を悟る)(父母未生以前)(一切衆生の本性)(仏性)」

「万ノ念、此自性ノ(ウチ)ヨリオコルコト、・・・念ノ起ル源ヲ見ルベシ」

「自心是何物ゾ」

「是何物ゾト(ミル)、是ハ皆自心ノワザトハ心得タレドモ、・・・ナンノ道理トモ知ラズ。」

(モチイル)ニ、(したがっ)テ自在ナルコト(あきらか)ナリ。」

「生死ノ人トフベキモノナク、法ノ求ムベキモノナシ。」

「念ノ起ルヲバイトフベカラズ」

「染着」

「魔(殺者・能奪命)」

「観世音・観自在(新訳)」

「色(物質的存在の意)」

 

「心(如意宝珠・大道・阿弥陀・大通智勝仏・地蔵・観音・普賢・父母未生以前・本来面目ト名ク)」

「有相(有為の相)・有為(因縁によって生滅変化するもの・有相はその現象)」

「心法」

「業(行為)」

「唯(じき)ニ自性ヲ見テ、()()ニワタラザレバ(しん)()(はつみょう)ス。

「応に色に住まって心を生ずべからず。応に声・香・味・触・法に住まって心を生ずべからず。」

「是什麼が説明聴法を解す」

「機(はたらきの意)」

「分別心の働きによって心を煩わされることがなく、直ちに心の働きを絶し・・・」

「江西の馬祖といわれるその江西を西江といったものと解される(一口に西江の水を呑み尽くしたら、・・・)」

「聞底是何物ゾ」

「自心是何物ゾ」

「我手ノ中ニ我トイフベキ物モナク、心トナツクベキカタチモナシト知ル物は、サテなに物ゾト、我ニカヘリテヨクヨク見バ、ナント知ル心モウチウセテ、ナンノ道理モナキコト、・・・」

「識情を滅せよ(業の根本)」

「晴タル虚空ノ如クニシテ十方清淨ナルモ悟にアラズ。(光影)塩山名法語 抜隊禅師」

「見聞主、是何物ゾ」

「空(縁起による存在の外には、存在をあらしめる実体のないこと)」

「無念無想の境地」

(いまだ)実悟ニアラズ。古人是ヲ解脱ノ深坑ト云。(悟りというものに捉われた深い(あな)に堕ちたものといっている)」

「塵あるいは賊という」

「見解ハ心病ナリ。」

「・・・何ノトガカアルベキ。」

「自性ヲ悟時、・・・」

「妄見の心病」

「業識(善悪の業によって起る果報識)」

「無明(無知)」

「何ノ心病カノコランヤ」

「自性ヲ悟ル」

「知見解会(げえ)(知見理解)」

「一切の道理義味、直下ニ放捨シテ、端的ニ渠ヲ看ヨ。畢竟ジテ是何ゾヤ。(当面蹉過ス)(心・性・仏・本来の面目・本地風光・公案・有・無・空・色・知・不知・真・妄・語・黙・悟・迷)」

「根(機能・能力)」

「渠ハ是誰ゾ」

「身意識情、知見解会、命根ト共ニ滅却シテ、本源ノ自性ノ現成スルコト、」

「正恁麼」

「冥界」

「我レト答ル物ハ是何物ゾト」

「是ヲイトハズ、愛セズシテ、只、念ノヲコル源ヲ知ベシ。」

「念のウスクナルニシタガヒテ、(心の働きが薄弱となるに従って、)」

一念不生なる時、・・・」

此心是何物ゾト、・・・我身ノ中ニナニモナクシテ、十方ノ虚空トヘダテナシ。(是即心・是如法)」

「無作の妙用」

「只見ん主、是何物ゾト見ルベシ。」

「説明上のことでしかないという。」

「イカナルカ聴法底ノ物ト」

「自己清淨法身ヲトムルコトナカレ(自分のうちに形としてあるもののように思ってとどめてはならない)」

「父母未生ノ本来ノ面目アラハルベス」

「此時念ヲオコサズシテ、・・・」

「一大事ハ心ノシル物ニモアラズ」

「ミナ妄想ノ類ヒニテ候ナリ」

「此声ヲキク主ノアラハシタルト御心得候コト、大ナルアヤマリニテ候。」

塩山仮名法語

 

塩山和泥合水集場

「和泥合水(わでいがっすい)()泥帯水(身を泥水によごすこと)(和光同塵・同意語)(人々を済度するための慈悲心の方便)(泥と水とをごっちゃにした野暮な語という意味をいっている)」

「本有ノ自性ノ妙用ナリ」

「法縛」

「真理展開」

「窠窟(かくつ)(窠は穴の中におる鳥の巣・窟は穴ぐら、共に穴の意)」

「多子(多事・特別のこと)」

「文字・語言・学解のオヨブ処ナリヤ。」

「染汚(ぜんま・ぜんな・呉音ぜんお)」

「心頭の病(説似一物即不中)(八年)・所証ハ無ニアラズ只コレ染汚(せんお)セズ(後八年大悟)」

「差別(しゃべつ)」

本有自性ヲ悟テ、(本来的所有である自らの仏性の存在を自覚しることであり、)」

「本性は仏性に外ならないことを覚知すること」

「性は心の本性」

見性ノ者ヲ禅トシ、説性ノ者ヲ教者トス。」

「知の働きを止めて、・・・」

「心印(仏心印・仏印)(仏心・人心)(印は標準)」

「言句ヲ記得シテ、玄ヲ談ジ妙ヲ説テ、・・・祖録ヲ学得シタル教者ナリ、生死ノ大事ニヲイテ少シモ用ニタツベカラズ。」

「玄妙の理」

「発心(発菩提心)」

「心念動ゼザル」

「意(根)法(塵境)」

「波瀾(波は少波・瀾は大波)」

「我人(人我・人間が内在的にもつと誤り考える実体)」

「無為(有為の対象、つくられたものでないもの、生滅変化しないもの)」

「自性ノ妙用」

「廻向(回向ともかく)」

「自らの本性を徹見すれば、・・・」

「龍吟雲起、虚嘯風生(転変自在)(作用)」

「一念生セズシテ、六根清淨也」

「禅定ハ近シ」

「・・・円空ニ著セズシテ、・・・」

「邪念ノ心ナシ、コレヲ清淨戒ト名ゾクト」

「得悟の真偽」

「法塵」

「野孤(真に悟ってもいないのに、悟ったふりをして他を欺き誑かすことを、野孤に喩えていう)」

「染着」

「自性ヲ見照スルヲ工夫トシ、情識ヲ坐執スルヲ坐禅トス」

「煩悩の賊」

「人我(人我見)」

「心身を構成する人に常住不変で唯一絶対な我があるとする人我の邪見

「五蘊ヲ皆空ズ(色声香味触法の集り)による仮の和合でしかなく、すべて無実体の空なるものであること」

「咄(言葉や文字で言い表すことの出来ないことを警め叱して吐く一語)」

「本覚の真性」

「妄心寂滅」

「羅漢(四果の階級・須陀洹果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果)」

「菩薩(十地の階級)」

「心地(心の根ざすところ)」

「自性の妙用」

「情識の寂滅」

「諸行無常。是生滅法。生滅滅已。寂滅為楽。(涅槃経第十四)」

「慮知分別」

「一切ノ苦楽ハ、生滅ノ心念ニ依テアリ。・・・自性無心ナラバ、苦楽共ニ断除ス、」

「一心不乱」

心源ヲ観ズレバ、有相執着ノ情忘ジ、自己ノ仏性出現ス、・・・」

「欲の(つりばり)

存在は実有であると執着するような考え方はなくなり、・・・」

「三教(儒・仏・道)」

「サトリハモトノ自性ナリ、」

「夢・幻・泡・影・露・電・星眼翳・燈火」

「心の所作(経教ハ皆心法ノ目録)」

「心法の目録(経教)」

「心機ヲ亡ジテ、・・・」

「乗(教え)」

「心ヲアキラム」

「三輪(施者・受者・施物)ヒトシク空ジテ」

(がま)蚯蚓(きゅういん)(蛙とみみず)」

「人我(妄執によって身体のうちに存在するとする実体我。我とは永遠不滅の本体をいう)」

「有所得心」

「即今ノ見聞ノ主是何物ゾ」

「タダ自性ヲ悟ルベシ」

『華厳の四法界

事法界。理法界。理事無礙法界。事々無礙法界。事(現象)。理(真理)。事々は事理の一体を越え、現象そのままの上に、直ちに真理を見る宇宙観』

「心をもてあそぶ従輩(精魂ヲ弄スル漢)」

『意句(句到意不倒)(意到句不倒)(意句倶倒)(意句倶不倒)』

「自性ヲ見ヨ」

「見色明心聞声悟道」

「文字言句」

那箇(なこ)カ是諸人ノ妙心」

『「五陰(五蘊)」色(身体)・受(感受作用)・想(想念作用)・行(心作用)・識(認識作用)「固定した実体的なもののないことをいう」・蘊(集められたもの)・陰(旧訳)』

「紛飛の念」

「空定ニアラズ、・・・空見ナリ(空に捉われた見方)」

「知見忘ジ、照絶シ、心行所滅シ、一応用蹤跡ナクシテ、・・・」

「心行(心の働き)」

「義解・邪見」

「機ははたらき」

「人我(自己に対する執着)」

「咄(驚きあやしんで発する声)」

「本来の面目(人間が本来的に倶有している真実性)」

「自性ヲ徹見セバ、本源ノ無心ノ道ヲ体得シ、・・・」

「此見ヲナス底是什麼物(なんもの)ゾト」

「徹証(徹悟の証明)」

「父母未生前(天地未分已前)」

「キク底ノモノ端的是ナンゾ」

「心王は心作用の根本となるもの」

「自己に真妄アリ、識神ヲ妄トシ、仏性ヲ真トス、」

心作用を起す根本をなすものを打ち破る・・・(識神を打破セザレバ、・・・)」

「機関(機に対する関門)(修行者を接化指導する作略・手段をいう)」

「理致(道理・すじみちで修行者を接化指導する経論の道理をもってすること)(公案)」

識神ヲ坐断シ、無心ノ道ヲ体得スル時ハ、・・・」

「照(照用で心の働きをいう)」

「識心(心)」

「法塵・法執・法縛」

「仏教の教義的理解の立場(義路の内)」

「機鋒」

「自心ヲアキラメント要セバ、直ニ一切ノ声ヲ聞底ノ本源ヲ見窮シテ、心路絶シ命根断ズル処、是自己安身立命ノ時節也。」

「妙悟ハ心路ヲ(きわめ)テ絶セン事ヲ要ス。」

「悟証ノアトヲ忘ゼザルヲイフ。(従来の

(じっ)()ノイマダ忘ゼザルヲイフ)」

「薀処界(五蘊・十二処・十八界)」

「一念不生ナレバ、・・・」

「知解」

塩山和泥合水集場

 

抜隊和尚語録(抄)

遺誡

法語

(そもそ)什麼(なに)んでか己となさん」

「渠は是れ誰ぞ」

「刻舟尋剣。(心・性・仏・法・真・妄・道・禅・有無・『非有・非無・非非有・非非無』・自己・主人公・公案・因縁・自然)」

名相知見を一時に放下して、・・・心機を絶して・・・豁然(かつねん)として徹証せん。」

「東山水上行(動かないはずの東山が水上を流れて行く)」

「無主の主を身を為し、無我の我を性と為す。」

「万事を()、義理を離れて、得失是非を一時に放下して、己に還って看取せよ。」

「根塵(六根六塵)(六識)」

法語

 

抜隊 日本禅語録十一 古田紹欽

抜 隊(日本禅語録十一 古田 紹欽)

 

盤 珪 禅 (禅思想史第一)(鈴木 大拙)

 

盤 珪 禅 (禅思想史第一)(鈴木 大拙)

 

盤 珪 禅 師 法 語 集 (藤本 槌重)

 

盤 珪 禅 師 法 語 集 (藤本 槌重)

 

盤 珪 禅 師 語 録 (鈴木 大拙 編校)(岩波文庫)

 

盤 珪 禅 師 語 録 (鈴木 大拙 編校)(岩波文庫)

 

盤 珪 禅 師 逸 話 選 (禅文化研究所編)

盤珪禅師逸話選 禅文化研究所選

「嗔根を断絶」

「つまらぬ分別心から生ずるものであるから、頓着する必要はない」

「是誰生死(是れ誰が生死ぞ)」

「人のことまでに口出しせぬことじゃ」

「仏道を学ぶ者が思慮分別をもってすれば、・・・非思量のところを悟らせるのだ」

「悟り破れて無事となる」

「悟りさとりと重宝するが、・・・」

(いん)()()は、すなわち仏性である(大日経信心品)」

「大石内蔵助(参禅)」

「古則公案(文字言句)」

「無作の妙用」

「種々の難行苦行しなくても、自心の仏を見い出すことが、できないと説くのは、・・・人々に本来具わっている仏心をそのまま用いて、・・・」

妄想を鎮めようと思うことも妄想である。妄想は本来ないものだが、ただ、自分が分別して出しているのだ。」

「人々は仏体にして、一点の迷いもない。」

「心をくらまさぬを如来と言うのである。」

「26歳悟」

「仏になろうとするより、仏でおるのが造作のうて、ちかみちでござる。」

「真に法眼を具えた古人」

「無作の妙用の獲得」

 

「起こる妄念を払うということは、血で血を洗うようなものだ。」

「妄念をあるものと思い、・・・」

「念は仮相なりと知って取らず嫌わず起こるがまま、止むがままにすることだ。」

「見聞の主を見つけんと思う、大なる誤りなり。」

「法眼宗」

盤珪禅師逸話選 禅文化研究所選

盤 珪 禅 師 逸 話 選 (禅文化研究所編)

 

至 道 無 難 禅 師 (公田 連太郎)

 

至 道 無 難 禅 師 (公田 連太郎)

 

信 心 銘

 

 

 

信 心 銘

 

証 道 歌

 

 

 

証 道 歌

 

参 同 契(かい)

 

 

参 同 契(かい)

 

宝 鏡 三 昧

 

 

宝 鏡 三 昧

 

五 位 頌

 

 

 

五 位 頌

 

道 元 禅 師 語 録 ( 境 島 元 隆 )

道元禅師語録 鏡島 元隆

 

如淨禅師(嗣雪竇智鑑(せっちょうちかん))(法嗣無外義遠(むがいぎおん))

「心塵脱落・心塵脱落」

懐装(法嗣義尹(ぎいん))

如淨悟時(心塵脱落?)

「号・諱(いみな)・寺号」

「我にとらわれ真実の相を示す」

「弁別・緇素(くろしろ)」

「マケイシュラ(自在天)・頂門眼あり(竪て眼)」

「如是経」

「真理を感得する」

「知見の根を断ち切る」

「ものははじめて真実の相を示すのである」

「対境がすべて執着の相手でなくなることだ」

「執着の対象となれば、・・・」

「天地自然の道理を感得」

「思量を超えた事実として、・・・」

「何の執われもない」

【「我」とか「誰」とかの二見にわたらないものであって、・・・】

「奇特禅・無事禅」

()()馬後漢(追従する男・常に他に追随して、主体性のないもの)」

「心に人を(あざむ)くものがないから、・・・」

「姓を問われて仏性と答える(四祖道心一小児五祖(こう)(にん))」

「平生底以外に示すものはないと提示する」

「究極のねらいは自然と一如して生きることにある」

「思慮分別を超えて、・・・」

「把針の人(針をとる人)」

「底(ところ)」

「分別することを断ち切ることである」

「是非善悪の分別にとらわれて、・・・」

「思議を超えた境界」

「仏法にとらわれた見方」

「仏法にさえ執われてはならないものである」

「第二念に()()せざれ、・・・(分別心)(第一念・無分別心・正念)」

「他事なくんば、・・・」

「第一念にとどまることも(しりぞ)ける」

「天台(小止観)(閉眼)」

「宗蹟(そうさく)((ぜん)(ねん)清規(しんぎ))(微眼)」

「如浄(宝慶記)(常眼)」

「思量分別の能く解する所にあらず」

「聞思修・三摩地」

「三慧(聞慧・思慧・修慧)(聞い・思惟・実践)(了解・生ずる・体得)」」

「無分別之思」

 

道元禅師語録 鏡島 元隆

道 元 禅 師 語 録 ( 境 島 元 隆 )

 

正法眼蔵八大人覚講話(瑞応寺 橋本恵光老師)

MS明朝

正法眼蔵八大人覚講話(瑞応寺 橋本恵光老師)

 

普 勧 坐 禅 義

 

 

普 勧 坐 禅 義

 

学 道 用 心 集

 

 

学 道 用 心 集

 

般 若 心 経

MS明朝

般 若 心 経

 

臨 済 録

 

臨 済 録 贅 辯 ( 岡 田 乾 児 )(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

臨 済 録 贅 辯 ( 岡 田 乾 児 )(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

臨 済 の 基 本 思 想(全集第三巻)鈴木 大拙

臨済の基本思想 全集第三巻 鈴木 大拙

「知性的なものでなかった」

「分別意識上」

「分別智(論理的思索)」

「直示説法」

四喝・四料揀・三句・三玄三要・四賓主・四照用

「人格的代名詞」

「仏性を見ることを禅経験とした」

 

『彼(黄檗)は心を説く(心思想)(萬法唯心)(唯傅一心)(自心本来是佛)(本源清淨心)(此心即無心之心)。』

 

「心思想」

「概念は抽象的」

「分析の結果・分別識上の話」

「法身の寂・報身の智・化身の用」

「淨妙国土(清淨衣・法身仏)・無差別国土(無差別衣)(報身仏)・解脱国土(光明衣)(化身仏)・(法報化)(清淨・無分別・無差別)」

「此の種の身、是れ你が即今目前聴法底の人なり」

「用(文殊)(法身妙慧)(理)・無差別(普賢)(智身知根)(菩行)・解脱(観音)(大慈悲)(生死)」

「長沙景岑(嗣南泉普願)」

「眼(文殊)(妙観察智)(源に返る)・耳(観音)(大慈)・心(普賢)(妙行)」

「人には何も不足がない」

「現今目前聴法無依道人」

「佛は本来佛なのだから作佛の成佛のと云ふことはいらぬ」

「用思想」

「禅機の挙揚」

「四料揀(人境論)」

「四照用(照用論)」

「三句・三玄・三要」

「文殊(理)・普賢(行)」

「應物現身」

「三句・・・一句須らく三玄門を具すべし、一玄門に須らく三要を具すべし」

「知性的領解」

「室内の秘事」

「賊・截断・色相」

「根機を料揀」

「概念の上で云えるこてで・・・」

「見得する四つの方角であると云ってよい」

 

『「学人接得の方法論

六祖慧能(見)・荷澤神會(知)・馬祖道一(大用)・臨済(人)」』

「心・性・智・法」

「佛・眞身・本来身・法身」

「達摩が心を説き、慧能が見性を説いても、・・・」

「建立(肯定)・掃蕩(否定)」

「欠少無し」

「使用自在」

「草賊大敗(小盗人は大敗をやったわい。)」

「一拶を與へる」

「心(いつわ)る」

「知識を求めるのでないのは固まりであるが、・・・」

「未得底」

「四喝(金剛王寶剣・すべてのものを截断するに喩へたと)(人境倶奪)(用)」

「踞地金毛の獅子(喝の體)(踞地・不動)(何ものも近傍すべからずであろう)・存在の実体は、思量分別即ち理性的分析を容れるべき餘地のないもの、そのままで體得すべきであるといふ意味なのである」

「探竿影草・竿(魚釣竿の先に何かつけて魚のゐるか、ゐないかを探索することだと云ふ)(人を試みる喝)(言語道断底)」

「無義を義とするものである」

「受け取る対機と心境如何に由るものである」

「知性衣・理性衣・分別衣」

「赤裸裸・本来無事の姿に直面」

「無分別が分別せられ、分別の底に無分別を見るのである

「求心歇む處即ち無事なり」

「無事・無功用・無造作・平常」

「畢竟空を徹見することに外ならぬのである」

『「無明の一念の起滅の處を求むるに不可得なることを了することである」「貪愛の一念なるものは諸法空相の處には何ものの攫み得べきにあらざることを了することである」

「元来清淨の法界では一念心の解を入るべきなきを了することである」「煩悩などといふものの元より空にして依る所のないものであるといふことを了することである」「因縁も空、心も空、法も空なることを了することです」』

「知性的技巧」

「相似の表顯」

「文字の勝相」

「霊性的自覚はこのはたらきそのものであると云はなくてはならぬ」

「聞くものを見つけるわけにいかないのである」

「浄土思想では他人のはたらき」

「本願の機能」

「聞くものが聞く」

「あるものはありないものはない」

生死というは因果のことである

「白隠の皮薄」

「枯木の禅徒」

「知性的分別を掃蕩」

「二性空(有無・愛憎・善悪とかいふ二元的思想を起さぬことである〈大珠慧海〉))」

「解脱は知性的分別の論理から離れる義」

「離脱の事実があれば、それはそのままで霊性的自覚の體得なのである」

「布施(二性空)」

「一切性空」

「一切處に無心なることを得(一相もの得べきものなしといふことになる)」

 

臨済の基本思想 全集第三巻 鈴木 大拙

臨 済 の 基 本 思 想(全集第三巻)鈴木 大拙

 

臨 済 録 を め ぐ る 断 章(西村 恵信)

臨済録をめぐる断章 西村 恵信

 

(胡僧)碧い眼のした坊さん

テラ(もとは役所の意味)

教宗・仏心宗

息妄修心宗(?~706神秀)

泯絶無奇宗(石頭希遷700~790・牛頭法融594~657)

直顕心性宗(馬祖道一・臨済)

荷沢宗(荷沢神会674~758「空寂の知・空寂知」)

二元論的思考

漸修漸悟

頓修頓悟

南岳懐譲・馬祖道一・百丈懐海・黄檗希運

北宗時代「黄龍慧南(1002~1069)「四家語録(馬祖・百丈・黄檗・臨済)(語録として最初)」

論註(経典解釈)

禅心

「伝灯の祖師でなければ語録の提唱は許されていない」

勘弁(勘も弁も調べるの意)

潙仰公家(品位が高い)

曹洞土民(綿密丁寧)

雲門天子(なかなか直接に見ることが出きない言句を撰んで親疎を論ずる)

法眼四機(利済を先にして親疎を論ずる・弟子の指導がとても親切であった)

臨済(機鋒を戦わせて親疎を論ずる・弟子の「はたらき」を見て評価を下す)

真理の明(体・現象)

真理の暗(用・本質)

明暗を包み込む

「一切衆生に本来具わっている仏心を大切にして毎日を生きる」

道果(悟り)

静かな禅心

「平常無事」を貫く

概念の遊び

勘弁(人の罪過を許して問責しない)

悟境

活動しているのが仏心、仏性である

()(じゅう)(掴まえる)

(たっ)(かい)(突きたおす)

佇立(ぽかんとする)

向下の修

向上の一路

迷いから離れただけです

悟りを払拭

没蹤(もつしょう)(せき)

異類中行(畜生道)

分別心の為自我を形成

必要もないのに悩んでいる

正法眼蔵(仏心)

禅の修業は己究明

正法眼蔵(正覚「悟り」の内容そのもの)

擬議(佇思(ちょし)

 

 

「人法ともに空である事を知る・般若の智慧・正見・真生の見解」

無生滅の世界

仮の姿(実体はないのを見究めた)

「縁起によって出来上がっている仮の現象、何一つ実体と言えるものはない」

無常の風

修行の邪魔になる

佛を求めようとする

絶対無的主体(久松真一)

「渠(かれ)・一無位に真人」

業(行ない)

【どうすれば悟りが得られるか思案しなくとも、無事・無心であれば一瞬にして「道」を手にすることができる、と臨済は説くのです】」

坐禅して人が仏になるならば(蛙図・仙厓)

無事(ありのまま)

人惑(権威の否定・殺仏殺祖)

「我が語を(おぼ)ゆるなかれ(馬祖)」

「ただ直下に自心の本来仏なることを頓了すれば、一法の得べくなく、一行の修すべきなし(伝心法要・黄檗)」

固定的な実体でもない

理屈が無くなった者

真空・偏空・但空

「形のないものはどんな形にもなり得るということです」

心地の法を説く

心法

心ははたらきである

 

 

第二十二代伝法偈(摩拏(まぬ)()尊者)

心は万境に随って転じ、

転ずる処実に能く幽なり。

流れに随って性を認得すれば、

喜も無く、亦憂も無し。

 

途中(日常生活の只中の行動)

家舎(自己の主体性)

成りきる(決してその状況に引っぱり込まれて、主体性を失ってはならないということです)

「死に切れ・・・無心になって生と死の二元分別を超え「自由に生きる」ことにほかならないのです(執着的自己を徹底的に抹殺する・・・)」

「自分が無心でおればどんな環境においても、自分にとって不都合なことは一つもない、ということです」

【平常心(造作無く、是非無く、取捨無く、断常無く、凡無く、聖無し。)馬祖】

無心にその場その場を行じていく

禅心

自己確立の方法

知識の習得に終わってはならないです

 

臨済録をめぐる断章 西村 恵信

 

臨 済 録 を め ぐ る 断 章(西村 恵信)

 

禅 語 を 読 む(西村 恵信)

禅語を読む 西村 恵信

 

(かつ)然領(ねんりょう)()

菩提達磨(二入四行論)

僧璨鑑智(信心銘)

大鑑慧能(六祖壇経)

嘉玄覚(証道歌)

荷沢神会(神会語録)

馬祖道一(馬祖語録)

蘊(龐居士語録

黄檗希運(伝心法要)

臨済義玄(臨済録)

南泉普願(南泉語録)

趙州従諗(趙州録)

洞山良价(洞山録)

雲門文偃(雲門広録)

大慧宗杲(大慧普覚禅師語録)

五祖法演(五祖法演禅師語録)

明庵栄西(興禅護国論)

永平道元(正法眼蔵)

蘭渓道隆(大覚禅師語録)

南浦紹明(大応国師語録)

宗峰妙超(大灯国師語録)

夢想疎石(夢中問答)

寂室元光(1290~1367)(永源寂室和尚語)

中峯(ちゅうほう)明本(みょうほん)(1263~1323)

高峰原(こうほうはら)(みょう)(1238~1295)

抜隊(ばっすい)(とく)(しょう)(1307~1387)

(塩山名法語)

一休宗純(狂雲集)

沢庵宗彭(不動智神妙録・太阿記)

鈴木正三(驢鞍橋・反故集・(ふもと)草分(くさわけ)・四民日用・万安禅師「曹洞宗」・大愚)

雲居希膺(雲居和尚語録)

隠元隆琦(いんげんりゅうき)(1592~1678)(隠元禅師語録・黄檗和尚太和集)

 

一絲(いっし)(ぶん)(しゅ)(1608~1646)(久我家の出身)

(もく)庵性瑫(あんしょうとう)(1611~1684)

愚堂(ぐどう)東宴(とうしょく)(1577~1661)

至道無難(1603~1673)(即心記・自性記)(嗣愚堂(ぐどう)東宴(とうしょく))(正受老人)

道境慧端(1642~1721)(嗣至道無難)

白隠慧鶴(仮名法語)

東嶺(とうれい)円慈(1721~1792)(嗣白隠慧鶴)

卍山道白(1636~1715)(鷹峰法語)

盤珪永琢(御示聞書・行業曲記)

道者超元(1602~1662)(どうしゃちょうげん)(念仏禅・盤珪)

大愚良寛(良寛禅師奇話)

()堂東寔(どうとうしょく)(1577~1661)

孤峰覚的(1271~1361)

月舟宗胡(1618~1696)

鉄眼道光(1630~1682)(てつげんどうこう)

 

生死の一大事を解決する為

庵居禅

理屈が多く

【仏性(本来の面目)(念起に源ヲ見ルベシ)(自心是何物ゾ)】

仏心宗

 

小室六門集

心教頌

破相論(相対的な考えを破る)

二種入(真理に至る二つの道)

安心法門(心を安らげる教え)

悟性論(人間の本質とは何か)

血脈論(真理の伝わり方)

報怨行・随縁行(無我)・無所求行

 

「あらゆるものの本性は清浄である(法と名づける)」

シャーナ(禅那)

「真実の自己」の発見の道

悟りの智慧

物を相対的に見る眼を捨てて

「世界に存在するものは、自己の本性別物ではないことを悟った

【神秀の孫弟子((どうせん))(736末期)

最澄に北宗禅を伝えたと言われている】

北宗五方便(書物)

頓(坐禅と悟りを一つものと見る)

漸(坐禅は悟りの手段と見る)

無生を了じて

「煩悩を断ずるを涅槃と名づけず、煩悩生ぜざるを乃ち涅槃と名づく」

無住心(物に執着しない心)

「直下に無心ならば本体自ら現ずる(黄檗)」

本質論・存在論・認識論

「本源自性の清浄心(黄檗)」

【形なき自己「一無位の真人」に覚めた人間】

無相の自己

真正の見解

(ぼう)(せん)

18才見性(趙州)

挨拶(相手の心境に探りを入れる)

心境に探りを入れる

 

阿弥陀経

「水鳥樹林悉皆念仏念法」

P114

洞山五位

正中偏(君位)理法は現象世界では、はたら

きとして現れる

偏中正(臣)現象世界は理法そのものである

正中来(君、臣を視る)現象世界は縁起の理法そのものである

兼中至(臣、君に向かう)現象世界は理に(かな)い、空に帰する

兼中到(君臣合す)理法と現象は一つである

 

肯心自許

法相宗(全て心の造り出す・唯識説)

「本性を見抜かせる。真実の自己に目覚め自己の内に仏陀その人の追体験する」

 

 

洞山「修正五位」

真実の世界の姿

正(体・空・理)

偏(用・色・事)

 

功勲の五位

修行の進み段階

向・()・功・()(こう)・功功

 

弟子(曹山本寂)

「五位君臣旨訣」

 

洞山・無情説法

「雲巌曇晟(うんがんどんじょう)(782~841)」

 

【洞山

無情説法不思議

若し耳を()って()かば、終に会難し、

眼処に聞く時、(まさ)知る()し。】

「本来の自己をそのまま享受しようとするものです」

活祖意

死話頭・死語

学問を習うことではなく祖師の心に直参

道元(高租)

「無際了派(1149~1224)臨済宗楊岐派」

長翁如淨(1163~1228)

 

【学道用心集

菩提心を発すべき事

正法を見聞し、必ず修習すべき事

仏道は必ず行に依って証入すべき事

有所得心を用いて、仏法を修すべからざる事

参禅学道は正師を求むべき事

禅に参じて知るべき事

仏法を修行して出離を欣求する人は、須らく禅に参ずべき事

禅僧行履の事

道に向かって修行すべき事

直下承当の事】

 

「清浄なものであることを確認するだけで、悟りを開くことを期待せず、ただ無所得・無所悟のうちに」

慧満(嗣慧可・653年)

法相宗(道昭・629~700)

最澄(67~822・北宗禅)

南宗禅・義空(嗣塩安斉安)

栄西・聖一(教禅兼修)

蘭渓・祖元(来朝僧)

南浦紹明(応燈関)

道元の曹洞宗

 

印可(禅の師と認める印)

15日布薩会

新月・満月

罪の告白・懺悔

「15日までのことは聞かないでおこう、これからどのように生きるか、一言で言ってみよ」

悟鏡

公案参究・公案工夫

看話(かんな)禅・公案(こうあん)

 

「二種の大病

多く言句を学び奇特の想を作す

言句上にあらず」

静座・観心・黙照

見月忘指

平常禅

五祖法演・圜悟克勤・大慧

印記(悟りの証明書)(栄西)

虚庵懐敞(きあんえしょう・生没年不詳・建仁寺・京都)

無学祖元(1226~1286)

高峰顕日(こうほうけんにち・1241~1316)(沿東の雲居寺・20年・「大燈」56歳)

「無理会の処に向かって究め来たり、究め去るべし(示衆法語・大灯国師)」

【念の不所に別に物あるべきと思ふなり(有の見)(大燈)】

「有の見、無の見とて、何れも捨べき」

「生まれざる以前と死して後とはひとつなり」

真如月(本来の自分)

真如の月はひとりでに現れるようなもの

妄念さえ払えば

自分で悟って仏に成ることだ

 

雲居希膺

「吾が平生を顧みるに、錯って解悟を認めて以て実悟と為し、(ほしいまま)に大口を開いて祖を(ののし)る。()れは是れ相似の仮禅。」

独接心

雲居希膺

 

金剛経(六喩の偈)

一切有為の法は夢幻泡影の如く、露の如くまた(いなずま)の如し。応にかくの如きの観を作すべし、と。

盤珪27歳大悟

不生の仏心に気付くだけでよいのだ

法名貰って弟子の礼

悟解了知の大いに錯って・・・

一切の音声を止めよ

一念未興已前

その抜け切った生きざま

霊性的自覚の外にない(鈴木 大拙)

【守一・看淨・看心(慧能まで・定慧不二

・見性経験が重んじられシナ禅の基礎が確立された)】

見性経験

見神経験

凝心状態(エクスタシィー)

静態面を体と云い、動態面を用と云って居る

【傅大士(心王銘)・法融(心銘)・僧亡名(息心銘)】

 

禅語を読む 西村 恵信

 

禅 語 を 読 む(西村 恵信)

 

臨 済 録  小川 隆

臨済録 小川 隆

 

話の前提

脈絡

三斤の麻・一疋の布

ショウリョウ(相談する・協議する)口語

庭前の樹を見る否?・見ゆ

壇の外の樹有り

塀見る否?見ゆ

前後に非論(かかわらず)十方世界悉(ことごと)く見え悉く聞こゆ

庭前の~を見る汝自身

「如何是仏・汝是阿誰・見る麼(ほれ見えるか?)」

今現にこれを見ている汝その人

太鼓の音が聞こえるか?

庭の柏樹子が見えるか

本分事(本来の自己)を以って人を接(みちび)きて初めて得し

本分の事・自己本分の事・

見る汝その人

文字禅

公案禅の中に文字禅と看話禅(北宋期)

南宋初(大慧)

看話禅で悟り、文字禅で表現する

意味を読み取るものでもない

あらゆる思考や判断が絶命し、意識が激発する悟りの一瞬に至る

言語上に在らず

一切放下

意識の激発・大破

通身眼

「理解しよう」とすることがいけない

理路

徧身是眼・通身是眼

多事=すでに看た・多子(たす)と同義

念念駆求心

駆求の心

仏=心の清浄さ

法=心の光明

道=随所にはたらく

(さまた)げなき(きよ)らかな光

意根を坐断す

瞬間の心が飛びだして来る

ここに着目、着眼して坐していれば

根っこがないことがわかる

切れるということは禅家の「何も考えるな」

知解・学解

二元的分別

「殺仏・殺父母」の観念を立てぬことか(聖性も定立しない譬喩)

金鎖の難(解脱の深坑・陥穽(かんせい)

一切念を起す勿れ

円環の論理

一切を空無と徹見する

分別心・思慮心・集起心・無分別心・分別意識

無分別心は分別心と共に働いている

「自分が自分に()めた無縄自縛の観念の枠にすぎぬ」

求心歇処即無事

心忙

仏法()多子(たす)

本来あるがままの自己

無事に時を過ごす

見処

 

体験がないかぎり執着から離れられない

動作(はからい)なり

(こしら)える

(とら)われず

聖なる観念を立てる者

観念を立てぬ事だ

禅に生きるが、禅によって生きるのではない

蜜受真訣(あるがままの我が心それがそのまま仏なのだ)

概念的思考を奪い去る

自覚の意識

{知的意識の判断させることで「悟り」の「体験」を得させようとするものであった}

粗堂集952年

宗鏡録961年

景徳伝灯録1004年

中国の禅僧の姓は皆「釈」

安史の乱(755~763)

議(もたついた)

嘉大師

「妄想を除かず、真を求めず、無明の実性こそは即ち仏性」

嘉大師

教条的な仏性観

本来無事

迷心(心を(みうしな)う)

「無門関は中国ではほとんど流布した形跡が無く、影響は皆無といって言い過ぎではない

どこにも実在しなかった

 

無縄自縛に気づき

「本来の自己に立ちかえった、只それだけのことである」

「得法とは新たに何も得る必要のない自己、それに気づくだけのことである」

得とは不得だ

「清浄光=法身・無分別光=報身・無差別光=化身仏」

即今目前に聴法さる底の人

即今目前聴法底人(三種身)

有比功用

一心既無、随処解脱

平常(へいじょう)(しん)()(どう)

無事是れ貴人(よけいなものが何もない人)

馬祖ー南泉普願ー長沙

恵能ー司空本淨

無修・無作・無事・無為・無知

「心」という観念を別に立てる必要はない

「心法」(仏性)の現れに外ならぬ

「身心の作用・運動のほかに独立の「心」なるものを立てなければ」

現実体の作用は本来性の現れに外ならず

本来性もその作用を離れて存在しない

{現実体を本来性と等置する(考え方)(作用即性)説}

「自性」(仏性・法性)

「心」の本体

提示の仕方

「一生無事の人」

「無依の道人」

「無位の真人」

自己は自性の活きた作用

「即心是仏」「作用即性」「平等無事」「無依の真人」

「遅疑」

「疑誤」

是れ什麼(なん)たる乾屎(かんしけつ)ぞ(クソ同然の体たらくか)

臨済録 小川 隆

臨 済 録  小川 隆

 

臨 済 録 山 田 無 文

臨済録 山田 無文老師

 

「言葉のないようなものは一人前の禅僧ではない」

「人の言葉を受け売りではいかん」

「お釈迦さまの受け売りではいかん」

「達磨大師の言葉の宣伝ではいかん」

「修行する必要もない真人が一人おる」

「主人公、仏性、本来の面目」

「こいつを見分けるのが、それをしっかりつかむのが見性ということじゃ」

「仏法(心のきまりごと)」

「坐禅によって心を練らなくてはならんが、・・・」

「思案分別をすることを止めることだ」

「三句・三玄・三要(理智用)

「分別を超えた一句」

「別物に考えないという体験が禅である」

「本来一如のもあると見ていく体験が禅である」

「意識そのものが祖仏だ」

「意識の本質を分析していくと、・・・」

「心を表現しただけのことだ」

「そんなものが実在するはずがない」

「観念の遊戯」

「人間が神を造っていくのである」

「聴法底の人とは何者であるか」

「是れ什麼(なに)ものぞ説法聴法を解す」

「五官の働き・六根の働き」

「実在をつくって来るのである」

「主人公である仏性である」

「仏性が念にとらわれるから、・・・」

「本性・仏性(本来無一物)」

「自性の本体が分かるならば、どこへ行ってもそのまま解脱だ」

「この念(仏を求める)起こさせた仏というものは、迷いの世界に人を導いて行く、はなはだ不吉ものである。迷いの根源である。」

「仏は是れ名句なり」

「法を得て始めて了す」

「法とは是れ心法なり」

心地(しんじ)の法を説く」

「何も考えないというのが、一番正しい見解である(真正の見解)」

「至道の真只中(はからいを捨て、分別を捨て、何も考えんところ)」

「無造作」

「認識の世界にウロついておる現象だ」

「何ものにもとらわれない」

「万法無生に達得せば、心は幻化の如くにして更に一塵一法無うして、処々清浄なる、是れ仏。」

「凝(こ)る・癡(おろか)・礙げる(さまたげる)」

「森羅万象すべて仮の姿で、実在するものは何もない。」

「心に何も思うことがない」

「取捨の念」

「何も求めんその心が仏じゃ」

「すべての存在は本来空相であって、真実のものは何もないと見届けるのである」

「文字言句にとらわれて、・・・」

「自我から離れることができんのだ」

「唯空名を見る」

「境(心境)に応じて出でん」

「言葉の上の説明」

「見方による」

「学者がこしらえた理屈(衣の色が違うだけ)」

「説明である、頭で考えた理屈である」

「学者の考えた理論にすぎない」

「人間が分別で考えておることである」

「法螺話」

「何も思わん稽古をすることである、・・・きれいな心が分かるようになるのだ」

「自性無く、生性無し。空名のみ有り、名字も亦た空なり(生れ出て来たということもない)」

「仏性(本来の面目)」

 

「法とは心の中の真理である。(姿も形もない)」

「三界唯心、万法唯識」

「何一つつかまえることはできんものである」

「その場の現象」

「ただ実在するのは人人の意識自体である」

「聴法底の意識じたい」

「無修無証」

「無依の真人」

「持っておるから病気をする」

「念をついではいかん」

「念を起こしてはならんと考えることもいらん」

「何も考えず、何も思わず」

「その何かを求める心があるうちは本当ではない」

「一念不生なれば、・・・」

「何も思わんきれいな心が、・・・」

「水の如く流れていく、・・・何もないではないか」

「公案を覚えるよりほかに目的のないやつらだ」

「仏法ほどやさしいものはない、禅ほど楽なものはない、何もいらんのだ。」

「働きのない心理状態」

「客観の世界に禅をつかもうとするからである」

「境・法・人」

「渠を識るや」

「真実の自己のつかみようはないのである」

「観念の迷いである」

「無限の人」

「清浄というやつもまた一つ衣じゃ」

「理智分別」

「ありのままに見ていけば、・・・」

「妄想を・・・掃除をして・・・」

「無心の境地に入れば・・・」

「そういう境地に入らんというと、とても見性なぞはできるものではない」

「空名にして実有なし」

「一念の邪念・一念の妄念」

「自由自在に働いていく」

「体相用の三面」

「人惑を受けざる(てい)の人を(もと)む」

「みんな自分で妄想を描いて、その解決を求めようとしているのだから、・・・」

「分別以前の言葉」

【「第一句・気焔の一句(喝・棒・払子)」「第二句・声前の一句」「第三句・応機接物」】

「一念の念も起こさんところ、無心でおるところ、無念無想なところ、何も思うことのないところ、何も求めるもののないところが、・・・」

「業が尽きたのだ」

「造業底の人なり」

「万法の無性無相に達するを名づけて大通と為す」

「一念心も起こらんところが心清浄だ」

「因縁空(森羅万象は、ことごとく因縁によって仮に結ばれておるものであり、実在ではないと分かること)」

「心空(お互いの心は本来無一物であって、塵一つないものだと分かること)」

「法空(この何もない心から、森羅万象を眺めていけば、すべてが空であり、すべてが無であると分かる)」

「文字の中に向かって求むること莫れ」

「あらゆる分別を捨てきって、・・・」

「心の中の波がすっかり静まって何もなくなった時に、・・・」

「正しい平々凡々な心境をつかんでくるだけだ」

「超然とした心境」

「見性したものの働きとしたもの」

「仏を断ち魔を断つというところだ」

「とらわれておらん」

「人の言葉を説明しておるだけだ」

「講義禅」

「真似をしておるだけで、形だけの禅僧だ」

「釣針(睡虎の機)」

「思慮分別の届かんところ」

 

臨済録 山田 無文老師

臨 済 録 山 田 無 文

 

臨済録講話 大森 曹玄

臨済録講話 大森曹玄

 

心や念が事に代えられることが・・・

空心静坐

見・知・用

住心観静

 

「臨済録がはじめて版にされたのは1320年だといわれている」

「喝(中国の発音Hoである・ほお!を音写したものか)」

「思慮分別や理知感情などの一切を超絶した当体をじかに躍動させるのが喝である」

 

【四照用・(人天眼目より)先照後用(人)先用後照(法)照用同時(耕夫の牛・飢人の食・骨髄の鍼錐)照用不同時(問答・主賓・合水和泥・応機接物)】

照(見る・観察する)

用(作用・働き)

 

擬議(思いめでらす様子)

不審(「今日は!ご機嫌いかが」というほどのことである)

探りを入れんでも・・・

箭鋒の機

起払子(花を提示)

家舎(自己本来の居り場所悟りの世界理想の世界

法兄(山田 無文)

見る働きそのものがわが本性だ

「我」など本当はないのだと自覚

 

「三句」

一句

(さん)(よう)(いん)(かい)朱点(しゅてん)(そばたつ)

来客擬議主賓分

二句

(みょう)()(あに)客無著問

漚和(おうわ)(いかでか)截流(せつる)

三句

看取棚頭(ほうとう)傀儡(かいらい)

抽牽(ゆうけん)都来(つらい)裏有人

【一句(機前の一句)(働きでる以前の一句)(自己の「体」において見ることである)

全く智解分別の容れる余地のないことである主客の別が生ずる主客・自他の別を生ずる以前の絶対の場で自己をつかむのが第一句である思惟分別を超えたところの絶対の一句である

【二句(声前の一句)(自己を「相」において見たもの)妙解(玄妙の見解)言語を絶したもの漚和(おうわ)(方便・手段・梵語「音約」截流の機(煩悩・妄想の流れを一切断ちきって・・・第一義の機用(はたらき)と同一のものになる)無位の真人の働きである漚和(おうわ)(音約で方便のこと截流の機(衆流を断つ)

衆流(煩悩・妄想のこと)流れを截断しつくすこと

【三句(落機落声)(自己を「用」において見たものである)棚頭(棚の上)肉体という人形を操っている人形使いであり、われの本来の主人公である

【鈴木大拙(臨済の基本思想)一句(人の姿をそのままのところに見るのである。)二句(人の表現而である三句(人の行為前である)臨済録の思想は人で貫かれている

【今北洪川一句(人々の自己現前の端的は、天機とともに流行する)二句(喜怒哀楽の玄機、動き出る)三句(行住坐臥著衣喫飯屙屎(あじ)送尿の妙用を発す)

 

馳求する心がない

「此の三種の身は是れ称が即今目前聴法底の人なり」

六和合(器官・意器官

【求める心が、実は求められる心、それ自体である】

四料揀(しりょうけん)(奪人不奪境・奪境不奪人・人境倶奪・人境倶不奪)】

奪人不奪境

自己否定(主観抹殺・忘我の境地)・客観肯定

鐘が鳴るか(しゅ)(もく)が鳴るか、橦木鳴らない鐘が鳴る。

奪境不奪人

客観否定・自己肯定(奔放自由の境地)

鐘は鳴らない(しゅ)(もく)が鳴るよ、橦木なければ音はせぬ。

人境倶奪・

自己否定・客観肯定(絶対無の世界)

鐘も鳴らない(しゅ)(もく)も鳴らぬ、鐘と橦木の合いが鳴る。

合いすらも鳴らない境地である。

人境倶不奪

自己肯定・客観肯定(あるがままの世界)

鐘も鳴ります(しゅ)(もく)も鳴るよ、鐘と橦木で音がする。

四賓主(好賓好主・好主好賓・悪主好賓・悪主悪賓)】

一切肯定の法爾自然の姿

「無位の真人の自在に働く四つの世界のあることを示す」

「順逆・困忙・貧富等さまざまの境遇の中に出入しながら、それらに拘束されない自由であることを無事というのである」

環境を転じてゆく

自在性

立枯禅

「外面的な差別に捉らわれないし・・・内面的一如平等のところにも定着しないところに」

「無我の正覚を得て真実の自己を知っておらねばならぬ」

二元視

【仏に執着し、「魔」を排斥するにちがいない】

生死の相対世界

「知性的分別によって心が二つに分裂した状態とみればよい」

真実の自己を自覚する

四大の如夢如幻に達するが為の故なり

感情の奴隷となって引ずりまわされる

相対分別の念

 

文殊(理・体・平等)

普賢(智・相・差別)

観音(用・平等差別理智一如円融)

 

法眼(法を知り)

智眼(根性を感じ)

慧眼(邪正を決択す)

 

206

三要真仏(心清浄)真法(心光明)真道(処々無礙淨光)空名にして而も実有無し佛(体)法(相)道(用)真仏無形、真道無体、真法無物のゆえに本来実体なし、畢竟「空名」のみというのである】

 

287

四喝

金剛(こんごう)(おう)宝剣(ほうけん)

()()(きん)(もう)獅子(しし)

如探竿(よう)(ぞう)

不作(なさず)一喝(よう)

 

「心を死灰枯木の境(有心の造作)(住心観静)」

「文字葛藤の繋縛を脱して・・・」

「是非善悪などの分別のない、ありきたりの何ともない心がそのまま道だ」

「仮名・閑名・空名に執着し、それらに縛られて・・・不自由の境・・・」

「眼横鼻直で無事である」

「祖魔に束縛されたことになる」

「求心魔」

「本来無事」

「嫌う底の法無ければなり。」

「揀擇、分別がないからである」

「無事」の境に打成一片になっているのが、道を成ずる一番の近道である】

「外面如菩薩、内面如夜叉」

「境塊子・咳払い・払子を立てる(その事自体には何の意味もない、無用の塊のようなものだというのである)

「境惑を受けず」

四賓主(好賓妙主・好主好賓・悪主好賓・悪主悪賓)

「めくら打ちという」

「無眼子の身」

「自分で余分なものを作りだしてそれに縛られているからその病を去り束縛を解いて本来の無病の健康体に立ちかえられるだけのことである」

「修行してはじめて()るものでもなければ、悟ってからでてくるものでもない」

「已起の念は(つが)ず、未起の念(忘念の根を断ちきってしまう)」

「起る念を切るのである」

「止まらぬ心、フト止まる心(忘念)」

「三界・・・心の影にすぎないものだ、真実の自己を自覚した境地」

【もとより念には実体はありはしませぬによって、移らばうつるまま、おこらば起るままに、やまば止むままにて、其うつる影にとんぢゃくさえせねば、迷ひはできはしませぬわいの(御示聞書・盤珪禅師)】

分別の念にかかわりさえしなければ・・・清浄心になることができる」

「・・・接する境堺に応じてさまざまに分別はするが、瞬時もとどまらずにサラサラと流動していると、分別しながら少しも分別の念にかかわらないところがある。それを一念不生というのである」

「聞かれんことは語らんものだ」

【その絶対の無をさえも頭で知性で知識的に理解しようとしたり、分別で判断して・・・「無」という固定的存在デッチあげてはなそうとしない】

「分別知が邪魔になっている」

(よく)()(たく)(じょう)(くさして()めるという賞めかたである)」

「一度悟ってみれば、何のことはなし、別にむずかしいものでもない」

「本来具足している自分の本心に気づけばよいのだから・・・(可可地)」

「真実の自己・・・一切の形相をはなれたものである。・・・ことごとくがその働きである」

「・・・自己を示す、(闊達自在にはたらいてゆくだけのことである)」

「中下根器(奪其境、不除其法)」

「中上根器(境法倶奪)」

「上上根器(境法人倶不奪)」

「境(万縁万境だから差別の世界にみてよい)」

「法(道理ということで平等の原理と見てよい。)」

「悟りかすが残っている」

「出格の見解(超根器)」

「語に随って解を生ず」

【「絶対無」という大きな荷物を背負いこんでいることに気がつかない】

「仏(体)・法(相)・道(用)」

「分別に堕すれば・・・」

「自己即仏と看破すれば、それで万事は事済みである」

その何もない無一物のところがわかれば、・・・ただそれだけのことである

「ありのままでいるのがいちばんよい」

「万法の無性、無相に達するを名づけて大道となす」

「境に転じられてはいけないというのである」

「分別の心を起こすと、種々の相対的の法を生ずる」

「分別心さえなければ、物・我ともに忘じて仏境堺に入ることができる」

「万境にひきずりまわされるということはない」

「空名にすぎない」

「そのものことが一切に名を与えている主体なのだ」

無依の道人を自覚するということが、何より先決問題である」

「無明是れ父」

「你が一念心、起滅の処を求むるに得ず」

「随処に無事なるを名づけて父を殺すと為す」

「貪愛を母となす」

「唯諸法の空相なるを見て、処処無着なるを名づけて母を害すと為す」

一念心の解を生ずること無く、便ち処処黒暗なる、是れ出仏身血。」

「你が一念心、正に煩悩の結使(けっし)空の所依無きが如くなるに達す是れ破和合僧。」

「因縁空・心空・法空を見て、一念決定断じて(けい)(ねん)として無事なる、是れ焚焼経像なり」

「連想、継続」

「仮りに起り仮りに滅して、実体なきものと信ずべし(盤珪)」

「随処に無事」

「貪着(愛着するから、煩悩の根本になるのである)」

【要は、「着する」ことが煩悩の根本なのである】

「一念未発のところ」

「結使(われわれの身心をしばりつけて迷いからはなれられないようにしている作用が結使である)」

「拘泥・執着を去って、・・・因縁空とは和合によってできたもので実体のあるものではない」

【心空とは「心を観ずるに心中に心相なし」で心即空ということ。】

「法空とは・・・虚妄にして本質なしということである」

「三空(因縁空・心空・法空)」

()()・人を縛する・三条五性・円頓の教迹・薬病相治す・実法無し・相似の表顕・文字の差排なり」

「真空・無相の理・便宜の説明・一個無事底・無事の境界に自適する」

「古教照心(自己の体験した境地の邪正を照らす鏡になる)」

「経文や祖録に読まれて、いたずらに心を動揺させ、疲れるばかりである。読んで口に風邪をひかせたところで無駄なことである」

「一念縁起無生」

「無事・無心・無生」

「分別せずに分別」

「仏法元来多子なし」

「本具の心源を掘りさげ、真実の自己の探求したことにほかならない」

「見障(知識・分別・佛見・法見)」

「自由な心の作用(自分で不自由にしている)」

【心の自在性「悪分別(理屈・妄想)」「濶達自在」】

「疑心がなければ見障がない見障がなければ真実の自己がハッキリ見えてくる

「自覚する能力をもたないだけのことである」

「勘弁(師家と修行者、主客、禅体験の程度やその力量・見解・悟りなどの真偽正邪を検討しあうこと)」

「無相世界」

「去来の相のない」

「絶対否定の働き」

「大小の差別を絶し、・・・」

「超絶した境涯」

「賊とは格外の人という義なり(古抄)」

「全く我意というものがない」

「人事(世間の挨拶・展坐具)」

「分別の世界に引きこもうとした」

「掃絶底を示した」

「教相家」

「理におちた」

「迷悟を超越した消息とみてよい」

「超脱ぶり」

「悟境」

「働きを奪った」

「無意識から意識に出るトタンに人は本来の面目にふれ、真実の自己を知る」

「自覚は人間だけに許された特権である」

「臨済の四喝(用・体・方便・人の働き)」

「超絶してしまった」

「禅機」

「見地・宗旨」

「平等の本体・差別の働き」

「自在に差別の境に生きるという」

「正法に不思議なし(三九は二十七)」

「掃蕩」

「虎に襲いかかった(よし!それまで)(無依の達人の活躍ぶり)」

「常情に堕し、・・・」

「他人の証明によって左右されるものではあるまい」

「這裏に妄想して什麼(なに)()ん」

「叱咤にも動じない」

「自己のないのが坐禅である」

「掃絶」

「機用を見ようとしているのだ」

「何か奇特なありがたいものでもあるかのように思う」

「独りみずから迷っているのである」

「絶対平等の世界・相対差別の世界」

「無形・無相・無住・無依・絶対的無・真空妙用」

 

二回目

 

臨済録講話 大森曹玄

臨済録講話 大森 曹玄

 

臨済録提唱 足利 紫山

MS明朝

 

臨済録提唱 足利 紫山

 

臨 済 録 (入矢 義高)

MS明朝

 

臨 済 録 (入矢 義高)

 

臨 済 録

 

碧 巌 録 (前)リンク先

 

碧 巌 録 抜粋

 

碧眼22則 雪峰鼻蛇

第二十二則雪峰鼈鼻(飯田

「その場々々の脱落」「心が落ち付かぬ」

「見性の間違い」「智慧の分際ぢゃ」

「達摩

若従ヨリ事上気力壮」

文字気力弱」

「皆是れ他に依って解を得るもの」

「自分の者は自分で見付けるの外はない」「知解の妄想」

第二十二則 雪峰鼈鼻蛇(大森 曹玄)

『鼈(ベツ・ヘチ・すっぽん)』

「鼻くそほどのお悟りに縛られて、・・・引きずりまわされているものもあります」

「この蛇を無位の真人と呼んだ」

第二十二則雪峰鼈鼻蛇(白隠・碧巌集秘抄)

「虚ハ無也」

「明頭ハ建立ノ方無也・暗頭ハ掃蕩ノ方也」

「把住放行トモニ打著シタト云心也」

「明頭ハ大機ヲサス・暗頭ハ大用ヲサス」

第二十二則雪峰鼈鼻蛇(間宮 英宗)

「何物にも執着したり、繋縛せられてはいけない」

「愛着の念を起こすことにより生ずるものゆへ、・・・」

(かす)智慧」「悪妄想」「言語道断の境涯」

第二十二則 雪峰鼈鼻蛇(釈 宗演)

「隣虚(虚空の隣して、居るちう意味)」

「妄想の粘縛」

第二十二則 (セッ)(ポウ)(ベッ)()(ジャ)(井上 秀天)

「コブラ」{眼鏡蛇}

 

 

 

 

 

 

 

碧眼22則 雪峰鼻蛇

 

碧眼37則 盤山三界無法

(碧眼37則 盤山 三界無法 飯田欓隠(嗣馬祖)(法嗣普化)

華厳の三界唯一心、心外無別法の見解を打破したのじゃ

別に心と云うものがあるのではない

あると思うから尋ねる

ないものを尋ねるから労して功なし 

求心不可得(二祖)・無自己処 体達 ・求心止時即無事

第三十七則 盤山 三界無法 (井上 秀天)

三界=宇宙の総称・無法=皆空の義・三界は現象に過ぎない

三界は無法・諸法は皆空・「諸法皆空、一切皆空」(三論教理)

三界無法、何處求心。

四大本空、仏依何住。

璿璣不動、寂爾無言。(伝燈録)(寂止無痕)

覿面相呈、(てきめん)更無餘事。珍重。

三論哲学の主張を禅的に提唱

(槐安8則盤山三界 飯田欓隠)

皆名相ばかりで実なし

 

(加藤 咄堂)

華厳の四法界

事法界=千差万別事象界

理法界=理の世界・無差別平等本体界

理事無碍法界=理と事相即して互融する世界。即ち一切の差別の事相物象は、本体平等の理によって起こり、平等の理体は差別の事象によって顕はると観た世界

事々無碍法界

差別事々そのままに融離するものにあらずして、一と多とか相即し、互融し、重々無盡に相融相即する世界を見る

四通りの観方がある

第三十七則 盤山 三界無法 (加藤 咄堂)

宇宙を心と法とに分けて見ている

心=精神・法=物質

因縁所生の法(仮和合の姿・宇宙の真理)

「三界唯心の所現」

心外に別法なし

心の本質は不可得なもの

「心を求めるに遂に不可得・汝の為に安心し了る」

便打云是什麼(便ち打って云はく、是れ什麼ぞ「圜悟」)

三界唯心萬法唯識

璿璣(センキ)(北斗七星)

生死の解脱

声聞ー羅漢(四諦の因果法)

縁覚ー辟支仏(十二因縁の法)(独覚自悟))

第三十七則盤山三界無法(天桂傅尊禅師)

「疑議セバ喪身失命」

「面前是レ何ゾ」

 

碧眼37則 盤山三界無法

 

第五十五則 道吾漸源弔慰

伊藤 古鑑

生と死とを二元的にみてはならない

生すなわち不生といふ・滅すなわち不滅といふ(生死の巻 道元)

無間断に刹那生滅のものと見・・・

仏の生命のあらわれなりと悟れば・・・

生死を超越して生死にとらわれていない

雑用心

大森 曹玄

把住(否定)・放行(肯定)

差別の姿がそのまま本来の面目だと受け取れるのが「直化に承当する」ことになりましょう

{「山はなぜ高いのか、水はなぜ流れるのか」いいようがないではありませんか(あるがままに在るだけです)}

いいようがない

井上 秀天

どちらともいえる

独断的に確言は出来ない

問題が解決するものではない

生と死とを相反せる二箇の状態と見て居ない

飯田欓隠

変化するものは空なり

お前のつけた名ぢゃ

名は迷路の始まりぢゃ

どうしてもいふことのできぬのである

釋 宗演

把住・放行

万象の本体論

生死は水面の波の如し

本来生なし死なし不生不滅

 

加藤 咄堂

把住底・放行底

断見二見に堕せず

業報因果の不断の相続

本来不生不滅の本体ある、明しい

本体と現象は同にして異、異にして同で・・

大海の波

「不生不滅の本体に悟入せんといたしますには、先ず不滅の方の事を考える前に、不滅の方から究明せねばならぬ」

「生がなければ死のないのは当然あるのに、死の恐怖や生の愛着から不滅の方ばかり考えて、不生の根本を究明せねば何時まで経っても此の一大事と究盡することは出来ない」

大内青巒居士云く

「元来は生まれたと云ふことを認めない上からでなければ死なないといふことも認められない」

不生不滅の本体と一致することが出来なければならない

屈棒(冤罪の者を打つこと)

勘検

心要を得

無生法忍(不生不滅の真如法性を認知して得る所の決定の位をいふ)

何故、「死んでどうなってもよい」といふ覚悟をなさらぬか

生死を生死に任すの道は開かれるのだ

第五十五則 道吾漸源弔慰

 

第七十七則 雲門餬餅

飯田

「向上(把住)」

「向下(放行)」

「半可通」

「自分免許」

「絶言絶慮處無通(三祖大師)」

加藤 咄堂

「禅機の妙用を論じて居る」

「向下建立門」

「胡麻の胡」

「徒らに名を追うて、・・・」

「符牒だけのこと」

「究竟、會得以外に、どうすることも出来ない餅である。」

自悟自得以外の(すべ)はない

「名や言葉を尋ねても眞實はつかめるものではない」

「自ら得たりとして居る者がある」

「多知多解」

「教家義学者」

「心要を問ひ」

釈 宗演

「向上(諸仏も無く)・向下(衆生も無い)(邪解)」

「やす悟り」

「鬼(幽霊・支那)」

「蒲州は麻黄・益州は附子(別答)

大森 曹玄

「向上(絶対平等の立場)(一切を否定しつくした第一義の境地)」

「向下(相対平等の世界)(一切を肯定する立場)」

「空無に捉われて・・・」

「餬餅(ごま餅)」

「観念論」

井上 秀天

「向上(第一義諦の上にたって)」

「向下(第二義諦の上に立って)」

第七十七則 雲門餬餅

 

第九十六則 趙州三転語

加藤 咄堂 第九十六則 趙州三轉語

第九十六則 趙州三轉語

「不可得、無自性であり、空である・・・」

「人々本具の心性を徹見し、・・・畢竟不可得と覚了した時に、・・・」

心不可得の大安心」

「口頭禅・相似禅」

「心不可得の覚醒」

「外、諸縁を息め、内、(こころ)(あえ)ぐこと無く、心、牆壁の如くにして以て道に入る可し(達磨)」

「法信」

「淨裸裸地」

「脱體現成」

「禅観」

本来の面目には去来定相定性はないといふに帰せられます」

「没思量底の道破

「不思、非思にして思量するの消息」

「拖泥滞水(だでいたいすい)(二義門に下る方便)」

「向上把住・向下放行」

「是れ汝が本有性なり」

第九十六則 趙州三轉語

風間 敏夫 第九十六則 趙州三轉語

「超越的理念に安心の根拠を求めようとするのも誤である」

「諸仏の法は人から教わって得られるものではない」

心は無自性にして変転窮りないものである」

「一旦起こった心をいろいろに理屈をつけて取りつくろうこと」

第九十六則 趙州三轉語

 

第九十六則 趙州三転語

 

 

 

 

 

碧 巌 録 抜粋

 

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無 門 関(前)リンク先

 

 

 

( 無 門 関 )抜粋

 

( 無 門 関 )

 

 趙州狗子

井上義衍老師

仏性を徹見しておる

「ありもしないものを、あるような気がして、それ自身に、自分の心に、自分がだまされて、さんざんな目に遭わされてするのが人の状態です」

「仮名の「む」です、漢字で書くから意義つくんです」

「だれも他人から伝えるもんじゃないんです。自分自身にあるものを自分自身が得る。(自知を得るのみ)」

この身心が問題になるからです

自己の真に気付く

「無」ということを唱えさせる

仏性徹見

加藤 咄堂

無の思想相似禅者性とは決定不変の義見識

「妄想顚倒底の心・思量分別底の心・生を好み死を悪む底の心・知見解会底の心・欣静厭(ごんじょうおん)(ねう)底の心」

「禅の話は聞く資格が無といふものじゃ

「理窟が分かったといふまでのことで、禅を会したのでも何でもない」

二見分別義解・正意(破相を正意となす)性執の大病

無得無失と見(峩山紹碩(しょうせき)

・・・

【無明は是れ父なり。儞が一念心、起滅の處を求むるに得ず。響の空に應ずるが如く、随処に無事んるを名づけて父を殺すと為す・・・貪愛を母と為す。儞が一念心、欲界の中に入る。その貪愛を求むるに、唯だ諸法の空相を見て、處々無着なるを名づけて、母を害すと為す。・・・儞、清浄法界の中に、一念心の解を生ずること無く、便ち處々暗黒なる、是れ出佛身血なり。・・・儞が一念心、正に煩悩結使、空の所依無きが如くなる、是れ破和合僧なり。云はく、因縁空。心空。法空を見て、一念決定、断じて(けい)(ねん)無事なる、便ち是れ焚焼経像なり。(臨済録)】

・・・

殺活与奪縦横自得自負、悟得

悟り得たる思いをなして、・・・

「語るべからず、思議も及ばず、でなければなりません」

「語るべく、思議すべき、何ものも無いというところ、・・・」

「遊戯三昧の境界と謂ふべきであります」

「・・・その源をさとり得れば、又、無念無心云ふべきものもなし、その時始めて知る。虚空の如く清浄なることを。(法燈国師)」

飯田 

佛(自在の義)

妄想の起こり様がない

其處(そこ)に腰を掛けずに、・・・

「成りきると云ふ者もなくなってくる」

「自然に天地一枚と成り自己を求むに不可得じゃ」

(ここ)は只自知するの外はない」

安谷 白雲

「無!」と仏性を突きつけて示した

「それをことさらに説明すると空のことであり、無我のことである」

【「頭でわかるだけであって「空」と呼ばれる活きた事実はつかまえられない】

「無我の事実に徹することができないし、無

我の生活を営むようにもなれない」

無字の講釈

頭で考えてはならない

自然に内外打成一片となる

伊藤 古鑑(公案禅話)

「三細(業識・転識・現識)」

【六麁(ろくそ)(智相・相続相・執取相・計名字相・起業相・業繋苦相)】

無明の妄業

偏見に堕している

「仏性は有無の相対分別で以って見るものではない」

「有無の偏見に陥り、・・・」

「無字三昧(本来皆空、本来無一物のところに達することだ)」

「世界は無の上のあらわれに過ぎないので、自己も無の上の現象だ」

「五蘊仮和合の身、地水火風の四大種の集合体」

なんのこだわれも起らない

「阿(インド語)(無・不・非の三義がある)」

伊藤 古鑑(禅と公案)

偏見を取るために、・・・

山田 無文

【その祖師の心境に証入することを、妙悟というのであるが、その妙悟を得るには「心路を窮めて絶せんことを要す」意識の根源を突きとめて、断ち切ってしまえというのである。】

思惟分別

「思惟の根源を断ち切って・・・」

知識の亡者

思惟の妄霊

亡者の妄動

【寸時も油断なく、「無!ッ無!ッ無!ッ」と、拈提していくならば、自ら無字三昧に入ることが出来る】

心の中の溝浚(ぞぶざら)

「妄念妄想をすべて外へ吐き出して・・・清浄無垢な心に立ち帰ることが出来る」

【自然に内外打成一片となる・大死一番・仏性現前】

朝比奈 宗源

「経論の講義はしても祖録の提唱はしなかったものだ」

験主問

大死一番されたのだ

対立を超えた境地に達する

尻だけを支える円座がよい

「雑念は消えはてて・・・」

「一切の意識の働き・・・皆妄念として斥ける」

「苦しい時は苦しいきり、楽しい時は楽しいきり」

「電流を通さずにスイッチばかりひねっているようなもの」

山本玄峰

貪瞋痴の三毒というやつが宿業となってしみ込んでおるからじゃ

ひろさちや

門外から仕入れた知識

異質的な物差し

次元の違った物差し

ほとけさまの物差しと人間の物差し

分別しないで物を見る

釈 宗演

「是非一回大死一番の境涯を経過せなければ成りません」

「命根断絶の境涯を経たのでなければ・・・」

「悟りの見識に引ッ付いているのを・・・」

「生死は迷いの代名詞と見れば宜しい」

 趙州狗子

 

 香厳上樹

井上義衍

なにかに頼ろうとするんです

【今までの自分を捨てたらどうかなるんじゃないか、と思って・・・それを捨てる気になればいい、「(しん)()(きわ)めて(ぜっ)せんことを(よう)す」】

なんにも問題のない人になる

「ただ縁に触れてやるべきことをやるということです」

「傷のついた夢を見て、その夢にうなされておるだけです」

「問題もなんにも元来ないにもかかわらず、要らんことをいうから、人間が苦労するんです」

飯田

此らは皆生れて後の分別ぢゃ

「未生已前のの面目を捉めた奴でなければ相談にはならぬ」

「今迄死切れぬ奴を大死一番せしめて大活現前・・・」

「物いふ計りが説法ではないぞ」

風起

一撃亡所知

ひろさちや

「レッテルを()がしてものをあるがままに見ることができるか?。そういう訓練をしておけ!と禅は言っているのでしょう」

「悲しみに遭遇して、泣かないのが禅ではありません(白隠印可の阿察(おさつ)の孫の死)」

山田 無文

桃の花(霊雲和尚とは兄弟弟子)

百丈禅師の遷化後師兄(潙山和尚)

「その言葉で言えない何かをつかんでこいというのが、この公案のねらいである。」

「どうしても相手を一度死にきるまで指導するのが禅というものである」

「言葉の無能に徹して・・・」

「断命根という境地にはいる」

山本玄峰

ああのこうのと喋らず人を接得していく

「ほんとうに書けないところ、いえないところに、ほんとうの人間としての行いの(もと)がある」

「一大蔵教を説き得るも、亦用不著(無門)

慎んで雑用心をする事勿れ

加藤 咄堂

四句百非を離れて道え

「樹に上る時は即ち問わず、未だ樹に上らざる時如何、師、笑うのみ(呵呵大笑)」

「一切の論議(有・無・非有非無・亦有亦無)(四つの命題)」

四四=十六

過去・現在・未来 十六*三=四十八

既起・未起 四十八*二=九十六

根本の四句を加えて百非

論理形式

(一・異・有・無)

不立文字・教外別伝

「本来の面目を語ることは不可能である」

伊藤 古鑑

口業(口で一句をいうことはできない)

身業(合掌礼拝は封じられてしまっている・行脚徧参のことも棚上げ・・・)

意業(千尺の断崖)

無口・無手・無足の人

無説の説・無手無足の行

二見はさらにない

自他の分別を見ない

是非の議論を超越している

対不対の二見

自他彼此の対待比較の分別

無説三昧・無手三昧・無足三昧

有眼の衲子(のっす)

【「説けない」ということで、・・・屁理窟屋の僧を相手にしなかったところに、・・・意味が十分あられていると思う】

文字禅・口頭禅

安谷 白雲

活きた仏道の修行

独接心

「立派に再来意に答えることのできる事実を発見させるのがこの公案の要点である」

 香厳上樹

 

6 世尊拈花

井上義衍

「如是の事無くして来らんや」

「是のごとき事」

「持ち合わせのものを自分でつかうことを知らん、ありながら、ようつかわんからです」

「本当はみな仏性の(すがた)なんじゃけど、いらんことを考えて、ただ、夢を見たんです」

 

6 世尊拈花

 

 趙州洗鉢

井上義衍

「つくり上げた自分を中心にしておるということです、考えによって、でっち上げた自分を見ておる」

「おかしいんです、なっておるのに、そういうふうになりたい。」

「この願いの通りに自分が現在おるにもかかわらず、それが自分で信じられないところに問題がある。」

「いろんな自分の考えをもって見ようとするから、分からんようになる。そこに問題がある」

「考え方をもってするもんですから、余計、複雑になってくる」

「・・・成仏し終った様子なんですけれども、その自らが成仏しておることが分からん、それで、みんな始末がつかんのです。」

「子供になって入り込みさえすれば、すぐにそれが得られるようになっております」

「自ら得ておりながら、それをとかく捨てるんですわ、自分で。」

「ないものを見ようというたって見れんじゃないかということです。」

「要らんことばかりしておった、ということが気がついたんです。」

「昔から解脱をしてるじゃないか。食べさえすりゃいい。」

「どうせんでも、どう思わんでも、・・・」

「本当に只。」

「真に任せきってご覧なさい。そうすれば、必ず徹せんということはないものです。」

井上義衍

飯田

「この上得ることはないと決定するのが大難々々」

「早知燈是火(早く知る(ともしび)は是れ火なることを)」

朝比奈 宗源

「正法不思議なし、春来れば花が咲き、秋が来たれば葉が落ち、飢えたら飯を食い、渇したら飲む、それが仏法のぎりぎりだ」

因果の道理、歴然として私なし

加藤 咄堂

 

ひろさちや

「あたりまえのことをあたりまえにすること」

「ゆっくり歩くのが禅の道です。そして人生です」

「人生そのものが、なにか目的があって生まれてきたものではありません、・・・─ついでに─生きてるんだと思っています」

【サトリは「無心」という人間の心は読めなかったのです、悟りを得ようとしてはいけない。悟りはついでに手に入るものだ】

灯を手に持って火を探す愚

山田 無文

「当たり前のことが何のこだわりもなくさらさら出来れば、それで良いのだ、・・・いらざる分別を加えるからいかんのだと、・・・」

安谷 白雲

「・・・対立観念という間違った考え方をもとに、・・・」

伊藤 古鑑

【対立的な考え方を「分別妄想」といいこれは間違った考えといわなければならない】

無説の説

「真空妙有・天然の性徳・自然の妙諦・妙・不思議・チュウチュウ・カアカア・柳は緑花は紅」

 趙州洗鉢

 

 奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)

井上義衍

心の作用ですね

車と言うた

【これを自分である、と思い込んだんです(思い込みなんです)】

概念的な製造物にすぎない

無作の妙用

不思議な働き

「人間的の考え方をする、道具が妨げて困ってるんですよ」

思い込んだ観念なんです

思うてみただけ

「主体になるもののない」のが、本当の主人公なのです】

空なら主体になるものはないじゃないですか。

ただ人間の感覚にすぎない

一点双忘なき自分

「今までの考え方で取り扱うことをやめて、ただ全身を放り出してやりさえすれば、一切のものとひとつなって働いていく」

自分の姿が本当に見つかるんです

飯田 とう隠   

自己を求むるに不可得・

自己を忘じて宇宙と一体・

求心を止めて大休歇自己なきを本来空・自己を忘ずる時

「禅友に与ふるの書より

・・・粉微塵微塵に破却したらどうじゃ。車の真似をしたら、法身の病である。・・・」

安谷 白雲

佛性の性質・能力・作用等

対立観念・両輪・表面の姿

全て一つだ真実・心棒

間違った無事禅

一つも捨てる・真実の自己

自我という錯覚に妨げられ

折空観・小乗の空観

存在の分析・実態の空

仮の姿・実体は本来ない

あるがままの姿それを空と達観

引き寄せて結びし芝の庵なれば

解くればもとの野原なりけり

解くずそのまま野原なりけり

一切皆空

山田 無文    

自我は何処にも実在しないと見る・仏教の人生観間違い

五蘊皆空を説くことにあるのではなく

般若波羅蜜多に依るが故に

阿耨多羅三藐三菩提を得たもう

般若の知恵に依って

空のわかることは一つの手段

空的手段によって

阿耨多羅三藐三菩提を得る第一目的

山本 玄峰

肝心な物は何処にありますか

そのものは決して死なない

そいつをつかまえにゃいかん

天地と我と同根

万物と我と一体

そういう境界

本当の自性の獲得

加藤 咄堂

一円相(仏性)(満月輪)(如来)

円相の相を現じて以って諸仏の体を表す(虚堂集)

定盤星(秤の起点となる星印のこと)(注意する必要もないものである)(無駄のものに執着しているのである)

秤の目盛が絶対であるという観念に囚われる

借事問

散空(散・「別離の相に名く」)

小乗の折空観(分析して空を観ずる)

大乗の体空観(有そのままに本体空なりと観ずる)

(非有非空亦有亦空の妙を体得)(真空妙有)

何れにも置くことなかれ(澤庵禅師)

甚麼辺の事をか明きらむ(重点)

朝比奈 宗源

心のあり方を修行によって見出す

 奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)

 

12 巌喚主人

井上義衍

「今の、直接に現在の自分の様子に教わるんです」

「言葉について回りすぎると分からんようになるから・・・」

【自分のことを自分で味わう様子が「説法」なんです】

無所従来亦無所去(金剛経)

 

 

12 巌喚主人

 

15 洞山三頓

井上義衍

「死にきったひとのいい分と、死なない人の言い分との相違があるんです」

「人間的な思想辺のが死んでしまわないと、どんなことをしても決着がつかんのです」

「本当に死にますと、別にどうもしなくても安楽なんです」

「決めたことを自分で知っておる」

「言葉によって得るということではなくて、本当に、いまの自分なんです」

「万法とはなんですか、自分自身の消息です」

 

15 洞山三頓

 

16 鏡清啐琢

井上義衍

聞声悟道、見色明心

「なにもないところから、みんな描き出すのです」

「観念を用いる以前に、・・・ちゃんと行われるように出来ている。それが、真の本当の姿なのです」

「外部にあるのではないのです、みんな自分のところにある」

「初めから、きちんとしているのです、永遠無窮に。」

「考え方では想像がつかんでしょう」

「できんということが分かるほど、釈尊以上になにか知っているのかというと、なんにも知らないんです。」

「知は是れ妄覚、不知は是れ無記」

「その境地にいかねば、ならん・・・考えを起こす」

虚論を離れて・・・

「七条を()る(袈裟・五、七、九、二十五条衣)」

「そのように形を求めるところに、誤りがあるということです」

「そのようなことに頓着せずに・・・」

【「煩悩を断たずに」・・・「煩悩即菩提」】

「だけども、今のようになにがゆえに、という気持ちが起きてくると、コロッと落第していくのです。ただ、それだけのことです。」

「聖人の境地におりながら凡夫の行を行う」

 

16 鏡清啐琢

 

17 国師三

井上義衍

辜負(こふ)(こふ)(そむく・人の好意や期待などに背く、または無にする)】

「なにものにも縛られておらんのですから、なんにも解く必要はないです。それが自分たちの本来の姿です。」

【「人暗裏に字を書く」「文才すでに現れる」趙州従諗】

要求がなくなったんです

 

17 国師三

 

19 平等是道

井上義衍

「諸法本来寂滅の相」

「道は、人々の脚根下にあり」(道元)

「境地が違っておれば・・・」

「そんな人間の考え方に関係ないでしょう」

「最高な修行の態度であるんです(万法に証せられた)」

「自分のすべてが落ちてしまってから・・・」

鏡に映っているもののほうが本当なんです。こっちのほうが嘘なんです」

(ちり)のせいというは嘘なり今朝の雪」(老師)

【本当は人が後から名をつけ、自分たちがいろんなことを教えられて、自分に(きたな)そうに見えるものを「煩悩・妄想」といい。

きれいそうに見えるものを、「道」と思うた】

 

 

19 平等是道

 

20 大力量人

井上義衍

(なん)()ってか脚を(もた)げ起こさざる」

「口を開くこと舌頭上(ぜっとうじょう)()らざる」

「明眼の納僧何によってか脚下の紅絲(こうし)(せん)を断たざる」

 

20 大力量人

 

22 迦葉刹竿

22 迦葉刹竿

 

井上義衍

「努力の仕方の真偽によって、早い、遅いということが、ただあるだけです」

「自ら苦しんでおるにすぎないということです」

「立派そうなものを欲求をしてあるために・・・」

「本当に何にもやらんことです」

 

22 迦葉刹竿

 

23 不思善悪

飯田 (とういん) 無門関鑽燧

 

地限り場限りになりきる時

「思はじと思ふも物を思ふなり思はじとだに思はじな君」

不思量底如何思量せん薬山曰非思量

非とは除不の非にあらず

「自己を忘ずるなり・身心脱落なり思量の真実體なり」

応無所住而生其心

()(かく)て人我の見が取れた

水の水に投ずるが如く

空の空に合するが如しじゃ

自己不可得

只本来面目の露堂々

求心が止んだ

蜜意蜜語の外にと云う

偏界不曾蔵

脱體現成

親密の蜜

冷暖自知

「なんにも無いと云う事も無い」と知った

汝が(えん)(えん)を要するが如し

妄想の皮を()ぎ、知解の(かい)を取ってしまう

サア呑め呑めと云う

行者(あんじゃ)(髪剃らぬ()()(そく)()居士(こじ)

受は納領の義(向ふに順逆の境があると認むるから。()れをこちらに受け込んで愛憎を起こす)

(きゅうをしょうずることをやめよ)

儼然(げんぜん)未散(みさん)なるはこの面目じゃ

世(遷流(せんる)の義・諸行無常・苦・平等・仏)

界(方位差別の義・色・法)

諸行無常(一刹那に九百の生滅ある自己を求めるに不可得なり)

諸法無我(宇宙を全自己とするは無常の(たまもの)なりと知れ)

空即是色(平等即差別)

色即是空(差別即平等)

渠とは本来の面目なり

そは元作られたる者に非ればなり

飯田 (とういん) 無門関鑽燧

井上義衍

本来の面目蔵する処()し、

世界()する時も渠は朽ちず。

 

思わじと思うも、物を思うなり、

思わじとだに思わじな君。

 

ただ自分の様子を、よく今の状態を護持せよ。

考えずにおれんというてたです

「考えてみりゃ、いくら考えてみても、どうしようもない。」

人間の思いというものから離れるんだろうか

自分の計らいから一歩も出られない

「もうどうにでもなれって放り出したんです。そうしたら、・・・ガラと一遍にいった。」

その後、初めて通ずるものである

人の見解が本当に死にきった状態をいうたのです、

井上義衍

(槐安第四十四則 不思善悪)

(飯田隠)

善悪元来無自性

我説即是空(龍樹の中観論)

因縁所生法、

我説即是空

亦説為假名

亦説中道義

空假中の三諦(性徳即理)

空假中の三観(性徳即智)

亦是分析法に過ぎぬ

人の説くの材料

 

 

 

23 不思善悪

 

24 離却語言

井上義衍

手に入りさえすればいいんです

「一切投げ出してしまうと、そういう事実が、これ自身の本来の姿であることがよく分かる」

【「無を無と言わずに何と言うべきか」という公案がある】

 

 

24 離却語言

 

25 三座説法

井上義衍

「一切の迷いというものがすっかりなくなってしまう。なにか本当らしいものを、どこかに見ようとする、

そういうふうなことに迷いが起きてくるものです」

「賊馬に乗って賊を(おお)う」(潙仰宗)

「考えだけが、こういって問題にしている」

「人間の六根のすべての様子を開けっ放しにして、自分流にひとつもそれをつかわずにやってご覧なさい。

そうすると、そのことが分かりますよ」

 

25 三座説法

 

26 二僧(かん)(れん)

井上義衍

「生じないんだから滅するということもないはずである」

「人の見解を用いてはいかんのです」

「あんまりみんな考え込み過ぎるんです」

「・・・名称のために、迷いを起こすというだけの話でしょう」

 

26 二僧(かん)(れん)

 

29 非風非幡(風動幡動・ふうどうばんどう)

井上義衍

風幡心動

「そういう事実をそのまんまにいきさえすれば・・・」

必ずなるようになる

「釈尊が見いだされたというだけの話でおたがいの持ち合わせなんです。有り合わせのものです」

「自己さえ、自分の見解さえ離れてしまってみれば、それで済むんですよ。」

「できるじゃない、できておることを知るだけです」

【「動きそのもののところに、「心」という名をつけたんです】

 

29 非風非幡(風動幡動・ふうどうばんどう)

 

30 即心是仏

井上義衍

「自分の真相に徹しておりさえすれば・・・」

「出会うとひとつに働く」

【あらゆるそういう動き方をしておる真相が今、行われておる、・・・それを「心」というんです】

「意識の中に自己を忘ずる」

「善し悪しは、鏡に映る影法師、よくよく見れば我が姿なり(老師)」

「眼は横に、鼻は縦なる(つら)をして外に求むる狼狽(うろたえ)坊主(隠老師)」

 

30 即心是仏

 

31 趙州勘婆

井上義衍

人を煩わせる

「うっかり引っかかると、・・・(泥中に刺あり)」

「見聞覚知としての様子・・・」

「見が起きて・・・」

「初めから脱体の消息なんです」

 

31 趙州勘婆

 

32 外道問仏

井上義衍

「心意をつかわずに」

「立っておったのが、座っただけなんです」

「心は始末がつかん収拾のつかぬような状態に置かれてしまっている」

収拾を生ず

無事に事を生ず

「問題がないのに問題を起こして困っておる」

「内己見を忘ずれば」

「・・・心を澄ませる」

「・・・是れ正に大病なり」

「・・・そういう作用があって、・・・」

「我見を育てる道です」

「・・・離れる道をしばらく示された・・・」

「まず、人間の生活それ自体を、他人のもののごとく観察する」

「ただ、どこまでも、そういう境地でいけばいいんです」

「見解に関係ない動き方があるんです」

 

32 外道問仏

 

33 非心非仏

井上義衍

()(しゃ)()に向かって、見得せば、参学の()(おわ)んぬ」

「そのものにくっついて執着していく」

「初めからだれでも、心を用いないのに・・・(無心・無心の(すがた))」

「問題をつくりたがるところに問題があるんです」

「非・不は脱落なり」

「解脱を証明したもんです・・・」

「それでもひとつの病です」

 

33 非心非仏

 

34 智不是道

井上義衍

「情を尽くして(すべ)て説き(おわ)る、只だ恐る信不(しんふ)(ぎゅう)なることを」

「人間的な取り扱い」

「・・・いろいろな名をつけて、それによって問題が起きたんです」

「・・・そういう名目にとかくくっついて動きのとれない状況にある」

「・・・要らん説明をして、そういう説明をするから、みんな余計迷うんじゃないか」

「みんな因縁所生法です」

34 智不是道

 

35 倩女離魂

井上義衍

「本当に万物は離魂の状態である」

「怪を見て怪とせざれば、その怪は自ずから消ゆる」

「一念不生前後際断のところ」

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

「人の考えによっていろいろに問題起こして苦労するけれども、」

「水は水、火は元火に返しけり、すわさらばこそ切にさようなら(紫式部)」

「われ死なば、どこにも行かぬここにおる、尋ねはするな(もの)は言わぬぞ(一休禅師)」

 

35 倩女離魂

 

36 路逢達道

井上義衍

「なにも持ち物がないんです。持ってるから邪魔になるんです」

「ただこの一念、念が起きたために、どうにもならない状態であったということです」

「無事無疑の真実の道人」という

「意の起きれば、直きに逃げてしまうんです」

「人間の病です」

「言語一切(ことごと)く六根の運用」

「痛みいずれより来る」

「我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ」

36 路逢達道

 

39 雲門話堕

井上義衍

「言うことも為すこともなき心こそ一切経の極意なりけり」

「妨げておるものが、自分と人の意なんです」

「・・・一念生ぜざらば全体現ず」

「六根を解放して、一切自分をもちいずにいきますと、その消息に少なくとも触れるということがあります」

「・・・六根わずかに動ずれば雲に遮らる」

「煩悩を断除するも、重ねて病を増す」

「煩悩をとろうとする、それをなくさにゃならんと思う、そこに重ねて病を増す」

「自覚した力ですね」

「真如に趣向すれば、またこれ邪」

「世縁に随順して、罣礙(けいげ)なし(涅槃生死空花に等し)」

「本当にあるもんじゃない」

「実体のないものに対して、・・・」

「・・・そういう心境になった自分に、・・・」

「一句に、すぐに釣り上げられたんです」

「自分の見解で真理を見ては駄目なんです、・・・自己というものが落ちてしまって、自然に現れると、本当の真理の像が見えるんです」

「・・・全身放下して、そのまんまでおいでになりさえすれば、絶対に間違いないです

「人々分上に豊かに備われり(道元禅師)(初めから豊かに具わっているんです)」

 

39 雲門話堕

 

40 てき倒淨瓶

井上義衍

他人(ひと)を傷つける

「善し悪しというものを初めから飛び越えておる状態です」

「・・・仮名の説のみ」

「空寂・廓然無聖・取捨なし」

「分別心のうえで妄想を描いた様子です」

「なんにも気にかかっておるもののない様子です」

「分別心すえなければ、この全体の人間の六根というものは、なんにも妨げるものはないです」

「煩悩を絶たずして、・・・」

「・・・漏るとか漏らんとか、是だとか非だとかいってみんな問題にしておるけれでも、・・・放下しなさい、颺下(ようげ)して。」

「仮に思いによって、・・・」

 

40 てき倒淨瓶

 

42 女子出定

井上義衍

「平等智に生きておる人、差別智にうえにおる人との違い」

「三界はただ心の上に描いたものである」

「心はないものをここにあるように描いて、取り扱ったり、取り扱われたりするようなことができる道具立てです。その中に、実体というものはありえないものです

「諸法は来処なく、また去処なし」

「所生さし」

「仏といわれる方は、本当になにもかもないところから、一切合切を起こすものであるということを徹見され

心の内容もそのとおりのものである」

「諸法は性なきがゆえに、自性あることなし、是くの如く分別して知るならば、この人は真義に達す」

「要はその知るものないということを知っておるという」

「是くの如く法を知るならば、畢竟、解するところなし

 

42 女子出定

 

43 首山(しゅざん)竹蓖(しっぺい)

井上義衍

「有語なること得ず、無語なること得ず。」

「染汚することを得ず(そういうようなものに引っかかってはいかんぞ)」

「触れずまた背かず、(いたずら)に労して、擬議を生ず(枯木の元)」

「一切のことを、起こしておるだけで、そのほかになんにもあるのではない」

「限りない動き方をするこの心の様子です」

「・・・観念的な世界の話だと多くの人が思うてるんです」

「それをやめると、よう分かります」

ものの様子

43 首山(しゅざん)竹蓖(しっぺい)

 

44 芭蕉拄杖

井上義衍

「本当に人が死んでしまいさえすればいいんです」

「死んでみないと分からない」

仮名のみです

 

44 芭蕉拄杖

 

45 他是阿誰(たぜあすい)

井上義衍

「この消息が本当に入りますといいんです」

「真相そのものに徹するという以外に釈尊の教えというものはあるものではない」

「自分の真相をはっきりと徹見された様子です」

「自分との距離ができる」

「因縁生因縁滅として、相即相入しながら活動している」

「向こうに置いて尋ねるから駄目なんです」

「その真実が本当にお前は分かってるんだろうか」

「真意が本当に分からんと、・・・」

「まず我見を離るべし」

「この身を執すべからず」

「十八界の聚散(じゅさん)」(聚合(しゅうごう)離散)

「舌に(かん)()

「ただ、あることがあるように、それが分かる」

「引き寄せて結べば柴の庵なり、(ほぐ)れば元の野原なりけり」

「心とて人に見すべきものぞなき・・・」

「それが見聞覚知一切の活動をしておる」

「どこにそういうことがあるか」

「是非を弁ずることなかれ、是非を視察するからです」

「妄想としての、頭の中にあるものを問題にしている」

「各自人々分上豊かに備われり、(・・・その豊かに具わっておるものを、そのまんまにいけばいいんです)」

 

45 他是阿誰(たぜあすい)

 

46 竿頭(かんとう)進歩

井上義衍

「得入すと(いえど)然も、(いま)だ真と為さず。」

「・・・悟りを中心にして、そこからあらゆるものを見ようとする」

「自分自身というものがどうしても残っておりますから・・・」

「得たものを物にしようとする」

「手放したものにしようとして手を下す」

「そんなことを教えても役に立たないのです」

「それだけ本当は害をなすということがあるんです」

「スズメがおりてきて、ピョンピョン飛んでおるのを見て、初めて今までの不自由さがコロッと落ちた(飯田隠)

「今まで得た道を中心にして、すべてのものを見ておられたに違いない」

「真実の得道(従来の身心を放下して)」

【もう一遍そういうものを頼りにせずに、頼りにすることをやめて、ただ「縁即宗」縁そのものによってただ動かされておることを知る。それが真相です】

「自然に全体にたどり着くのです」

「いつの間にか認めて処理しているのです」

「得てから後に、自分を認めておりますから・・・」

「十方世界に全身を現ずる」

「身の破れ果てたるときの心こそ万法一如なりけり」・・・この心には心意識としての動きはないんです】

「万法一如なりけり」

「ただ機能と環境との関係にうちまかせる」

「空も座断をする(宗妙にあらず)」

「心なき四方(よも)の野山の草木までわれを捨てればわが身なりけり」

 

46 竿頭(かんとう)進歩

 

47 兜率三関

井上義衍

「自性を識得するば(まさ)に生死を脱す」

「縁に遇うて即ち宗なるべし」

「わたしどもの本来の(すがた)に接するということである」

「自分の真相をしっかりそこで見たということです」

「見性ということは、自性に徹することです」

「直に自性を証すれば自性すなわち無性にて(坐禅和讃)」

「自性を図る(自己を本当に殺すことである)」

「徹しておるものを妨げておるものが人の心意識です」

「道理は述べましたけれど、・・・」

「離合集散」

「働きというものが・・・自我としてとらえるものがない(無我)」

「初めから無我なるゆえに知らんのです」

「見性悟道というのは一回しかあるもんじゃないんです」

「それは本当にうちまかせておくと、その様子が必ずあるんです」

 

無門関鑽燧 飯田 

四十七則 兜率三関

「見性とは自己を殺すことじゃ」

「自己を殺すとき仏性が徹見さるゝ。(事々無礙なるをうるじゃ)」

「打坐純熟すれば直にこれ身心脱落」

「其物(見聞覚知)其事(生死順逆)になりきって、なりきるといふことも忘れ、忘するるといふことも忘るゝに至って。思焉と自覚する處があるのじゃ。」

「見明星大悟」

「性(不改の義)」

「おまえの心をだしてみよとの意じゃ」

「因縁空に体達し」

「転語(自在の義)」

「空仮中とか阿字観とか皆邪魔物じゃ物其物はなんともいはぬ

「念の念とすべきものはなんにもない」

「あゝむだ骨を折っておったと帰家穏坐底じゃ」

四十七則 兜率三関

無門関鑽燧 飯田 

 

第四十七則 兜率三関 山田 耕雲(禅の正門より)

47則 兜率三関

1、性いずれのところにか在る

2、自性識得すれば方に生死を脱す、作麼生か脱せん

3、生死を脱すれば便(すなわ)ち去処を知る、(なん)の処に向ってか去る(臨済餅)

「草(分別妄念、紛然と生起する観念・思想のむらがりと見て、・・・それを打ち払う)」

「参玄の玄は、玄々微妙の法・・・真の自己(真の事実といっても同じ)のこと」

「真の自己(無字・隻手・花薬欄・麻三斤・父母未生前自己本来の面目)」

「私自心とは心なのである」

「心が開く時に使う道具であり、その中に心が在るのではない」

「心は名のみあって、その実体は不可得であり没可(もっか)()である

「体験によってはっきりと看破された時、・・・」

第四十七則 兜率三関 山田 耕雲(禅の正門より)

 

第四十七則 兜率三関 加藤 咄堂

「兜率従悦」

「己見」

「心要の妙諦」

「自性(自己の心性)はこれ何物ぞ」

「自性を徹見しろ」

「自己本来の主人公に相見」

「自心に執着を生ずるに由りて(みだ)りに自ら迷倒して、諸の纏縛(てんばく)を受く、・・・(涅槃経)」

第四十七則 兜率三関 加藤 咄堂

 

むもん関講和 山田 無文

四十七則 兜率三関

「釈尊の仏法は、只見性、真実の自己を自覚させる、これしかないはずである」

「鏡の如き清浄なる人間性の本性をうたわれたのである」

四十七則 兜率三関

むもん関講和 山田 無文

 

禅の心髄 無門関 安谷 白雲

第47則 兜率三関

「断見・常見」

「見識」

「不落因果の面・不昧因果の面」

「ある有名な師家が死に直面した信者に向かって、『死んだ後に何が残るか。死ねばそれっきりだ』とタンカを切った」

第47則 兜率三関

禅の心髄 無門関 安谷 白雲

 

無門関提唱 朝比奈 宗源

第47則 兜率三関

「撥草(撥草膽風(はっそうせんぷう))」

「半知識」

「自己のない世界にあっては、」

「張商英無尽居士(宰相)」

第47則 兜率三関

無門関提唱 朝比奈 宗源

 

 

 

47 兜率三関

 

48 乾峰一路

井上義衍

各自の真相としての堂々たる様子を投げつけて見せた

 

48 乾峰一路

 

黄 龍 三 関

 

 

黄 龍 三 関

 

( 無 門 関 )

 

無 門 関(井上 義衍 老師)抜粋

 

1 趙州狗子

仏性を徹見しておる

「ありもしないものを、あるような気がして、それ自身に、自分の心に、自分がだまされて、さんざんな目に遭わされてするのが人の状態です」

「仮名の「む」です、漢字で書くから意義つくんです」

「だれも他人から伝えるもんじゃないんです。自分自身にあるものを自分自身が得る。(自知を得るのみ)」

この身心が問題になるからです

自己の真に気付く

「無」ということを唱えさせる

仏性徹見

 

5 香厳上樹

なにかに頼ろうとするんです

【今までの自分を捨てたらどうかなるんじゃないか、と思って・・・それを捨てる気になればいい、

(しん)()(きわ)めて(ぜっ)せんことを(よう)す」】

なんにも問題のない人になる

「ただ縁に触れてやるべきことをやるということです」

「傷のついた夢を見て、その夢にうなされておるだけです」

「問題もなんにも元来ないにもかかわらず、要らんことをいうから、人間が苦労するんです」

 

6 世尊拈花

「如是の事無くして来らんや」

「是のごとき事」

「持ち合わせのものを自分でつかうことを知らん、ありながら、ようつかわんからです」

「本当はみな仏性の(すがた)なんじゃけど、いらんことを考えて、ただ、夢を見たんです」

 

7 趙州洗鉢

「つくり上げた自分を中心にしておるということです、考えによって、でっち上げた自分を見ておる」

「おかしいんです、なっておるのに、そういうふうになりたい。」

「この願いの通りに自分が現在おるにもかかわらず、それが自分で信じられないところに問題がある。」

「いろんな自分の考えをもって見ようとするから、分からんようになる。そこに問題がある」

「考え方をもってするもんですから、余計、複雑になってくる」

「・・・成仏し終った様子なんですけれども、その自らが成仏しておることが分からん、それで、みんな始末がつかんのです。」

「子供になって入り込みさえすれば、すぐにそれが得られるようになっております」

「自ら得ておりながら、それをとかく捨てるんですわ、自分で。」

「ないものを見ようというたって見れんじゃないかということです。」

「要らんことばかりしておった、ということが気がついたんです。」

「昔から解脱をしてるじゃないか。食べさえすりゃいい。」

「どうせんでも、どう思わんでも、・・・」

「本当に只。」

「真に任せきってご覧なさい。そうすれば、必ず徹せんということはないものです。」

 

8 奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)

心の作用ですね

車と言うた

【これを自分である、と思い込んだんです(思い込みなんです)】

概念的な製造物にすぎない

無作の妙用

不思議な働き

「人間的の考え方をする、道具が妨げて困ってるんですよ」

思い込んだ観念なんです

思うてみただけ

「主体になるもののない」のが、本当の主人公なのです】

空なら主体になるものはないじゃないですか。

ただ人間の感覚にすぎない

一点双忘なき自分

「今までの考え方で取り扱うことをやめて、ただ全身を放り出してやりさえすれば、一切のものとひとつなって働いていく」

自分の姿が本当に見つかるんです

 

12 巌喚主人

「今の、直接に現在の自分の様子に教わるんです」

「言葉について回りすぎると分からんようになるから・・・」

【自分のことを自分で味わう様子が「説法」なんです】

無所従来亦無所去(金剛経)

 

15 洞山三頓

「死にきったひとのいい分と、死なない人の言い分との相違があるんです」

「人間的な思想辺のが死んでしまわないと、どんなことをしても決着がつかんのです」

「本当に死にますと、別にどうもしなくても安楽なんです」

「決めたことを自分で知っておる」

「言葉によって得るということではなくて、本当に、いまの自分なんです」

「万法とはなんですか、自分自身の消息です」

 

16 鐘声七条

聞声悟道、見色明心

「なにもないところから、みんな描き出すのです」

「観念を用いる以前に、・・・ちゃんと行われるように出来ている。それが、真の本当の姿なのです」

「外部にあるのではないのです、みんな自分のところにある」

「初めから、きちんとしているのです、永遠無窮に。」

「考え方では想像がつかんでしょう」

「できんということが分かるほど、釈尊以上になにか知っているのかというと、なんにも知らないんです。」

「知は是れ妄覚、不知は是れ無記」

「その境地にいかねば、ならん・・・考えを起こす」

虚論を離れて・・・

「七条を()る(袈裟・五、七、九、二十五条衣)」

「そのように形を求めるところに、誤りがあるということです」

「そのようなことに頓着せずに・・・」

【「煩悩を断たずに」・・・「煩悩即菩提」】

「だけども、今のようになにがゆえに、という気持ちが起きてくると、コロッと落第していくのです。

ただ、それだけのことです。」

「聖人の境地におりながら凡夫の行を行う」

 

17 国師三

辜負(こふ)(こふ)(そむく・人の好意や期待などに背く、または無にする)】

「なにものにも縛られておらんのですから、なんにも解く必要はないです。それが自分たちの本来の姿です。」

【「人暗裏に字を書く」「文才すでに現れる」趙州従諗】

要求がなくなったんです

 

19 平等是道

「諸法本来寂滅の相」

「道は、人々の脚根下にあり」(道元)

「境地が違っておれば・・・」

「そんな人間の考え方に関係ないでしょう」

「最高な修行の態度であるんです(万法に証せられた)」

「自分のすべてが落ちてしまってから・・・」

鏡に映っているもののほうが本当なんです。こっちのほうが嘘なんです」

(ちり)のせいというは嘘なり今朝の雪」(老師)

【本当は人が後から名をつけ、自分たちがいろんなことを教えられて、自分に(きたな)そうに見えるものを「煩悩・妄想」といい。

きれいそうに見えるものを、「道」と思うた】

 

20 大力量人

(なん)()ってか脚を(もた)げ起こさざる」

「口を開くこと舌頭上(ぜっとうじょう)()らざる」

「明眼の納僧何によってか脚下の紅絲(こうし)(せん)を断たざる」

 

22 迦葉刹竿

「努力の仕方の真偽によって、早い、遅いということが、ただあるだけです」

「自ら苦しんでおるにすぎないということです」

「立派そうなものを欲求をしてあるために・・・」

「本当に何にもやらんことです」

 

23 不思善悪

本来の面目蔵する処()し、

世界()する時も渠は朽ちず。

 

思わじと思うも、物を思うなり、

思わじとだに思わじな君。

 

ただ自分の様子を、よく今の状態を護持せよ。

考えずにおれんというてたです

「考えてみりゃ、いくら考えてみても、どうしようもない。」

人間の思いというものから離れるんだろうか

自分の計らいから一歩も出られない

「もうどうにでもなれって放り出したんです。そうしたら、・・・ガラと一遍にいった。」

その後、初めて通ずるものである

人の見解が本当に死にきった状態をいうたのです、

 

24 離却語言

手に入りさえすればいいんです

「一切投げ出してしまうと、そういう事実が、これ自身の本来の姿であることがよく分かる」

【「無を無と言わずに何と言うべきか」という公案がある】

 

25 三座説法

「一切の迷いというものがすっかりなくなってしまう。なにか本当らしいものを、どこかに見ようとする、そういうふうなことに迷いが起きてくるものです」

「賊馬に乗って賊を(おお)う」(潙仰宗)

「考えだけが、こういって問題にしている」

「人間の六根のすべての様子を開けっ放しにして、自分流にひとつもそれをつかわずにやってご覧なさい。

そうすると、そのことが分かりますよ」

 

26 二僧(かん)(れん)

「生じないんだから滅するということもないはずである」

「人の見解を用いてはいかんのです」

「あんまりみんな考え込み過ぎるんです」

「・・・名称のために、迷いを起こすというだけの話でしょう」

 

29 非風非幡(風動幡動・ふうどうばんどう)

「そういう事実をそのまんまにいきさえすれば・・・」

必ずなるようになる

「釈尊が見いだされたというだけの話でおたがいの持ち合わせなんです。有り合わせのものです」

「自己さえ、自分の見解さえ離れてしまってみれば、それで済むんですよ。」

「できるじゃない、できておることを知るだけです」

【「動きそのもののところに、「心」という名をつけたんです】

 

30 即心是仏

「自分の真相に徹しておりさえすれば・・・」

「出会うとひとつに働く」

【あらゆるそういう動き方をしておる真相が今、行われておる、・・・それを「心」というんです】

「意識の中に自己を忘ずる」

「善し悪しは、鏡に映る影法師、よくよく見れば我が姿なり(老師)」

「眼は横に、鼻は縦なる(つら)をして外に求むる狼狽(うろたえ)坊主(隠老師)」

 

31 趙州勘婆

人を煩わせる

「うっかり引っかかると、・・・(泥中に刺あり)」

「見聞覚知としての様子・・・」

「見が起きて・・・」

「初めから脱体の消息なんです」

 

32 外道問仏

「心意をつかわずに」

「立っておったのが、座っただけなんです」

「心は始末がつかん収拾のつかぬような状態に置かれてしまっている」

収拾を生ず

無事に事を生ず

「問題がないのに問題を起こして困っておる」

「内己見を忘ずれば」

「・・・心を澄ませる」

「・・・是れ正に大病なり」

「・・・そういう作用があって、・・・」

「我見を育てる道です」

「・・・離れる道をしばらく示された・・・」

「まず、人間の生活それ自体を、他人のもののごとく観察する」

「ただ、どこまでも、そういう境地でいけばいいんです」

「見解に関係ない動き方があるんです」

 

33 非心非仏

()(しゃ)()に向かって、見得せば、参学の()(おわ)んぬ」

「そのものにくっついて執着していく」

「初めからだれでも、心を用いないのに・・・(無心・無心の(すがた))」

「問題をつくりたがるところに問題があるんです」

「非・不は脱落なり」

「解脱を証明したもんです・・・」

「それでもひとつの病です」

 

34 智不是道

「情を尽くして(すべ)て説き(おわ)る、只だ恐る信不(しんふ)(ぎゅう)なることを」

「人間的な取り扱い」

「・・・いろいろな名をつけて、それによって問題が起きたんです」

「・・・そういう名目にとかくくっついて動きのとれない状況にある」

「・・・要らん説明をして、そういう説明をするから、みんな余計迷うんじゃないか」

「みんな因縁所生法です」

 

35 倩女離魂

「本当に万物は離魂の状態である」

「怪を見て怪とせざれば、その怪は自ずから消ゆる」

「一念不生前後際断のところ」

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

「人の考えによっていろいろに問題起こして苦労するけれども、」

「水は水、火は元火に返しけり、すわさらばこそ切にさようなら(紫式部)」

「われ死なば、どこにも行かぬここにおる、尋ねはするな(もの)は言わぬぞ(一休禅師)」

 

36 路逢達道

「なにも持ち物がないんです。持ってるから邪魔になるんです」

「ただこの一念、念が起きたために、どうにもならない状態であったということです」

「無事無疑の真実の道人」という

「意の起きれば、直きに逃げてしまうんです」

「人間の病です」

「言語一切(ことごと)く六根の運用」

「痛みいずれより来る」

「我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ」

 

39 雲門話堕

「言うことも為すこともなき心こそ一切経の極意なりけり」

「妨げておるものが、自分と人の意なんです」

「・・・一念生ぜざらば全体現ず」

「六根を解放して、一切自分をもちいずにいきますと、その消息に少なくとも触れるということがあります」

「・・・六根わずかに動ずれば雲に遮らる」

「煩悩を断除するも、重ねて病を増す」

「煩悩をとろうとする、それをなくさにゃならんと思う、そこに重ねて病を増す」

「自覚した力ですね」

「真如に趣向すれば、またこれ邪」

「世縁に随順して、罣礙(けいげ)なし(涅槃生死空花に等し)」

「本当にあるもんじゃない」

「実体のないものに対して、・・・」

「・・・そういう心境になった自分に、・・・」

「一句に、すぐに釣り上げられたんです」

「自分の見解で真理を見ては駄目なんです、・・・自己というものが落ちてしまって、自然に現れると、本当の真理の像が見えるんです」

「・・・全身放下して、そのまんまでおいでになりさえすれば、絶対に間違いないです

「人々分上に豊かに備われり(道元禅師)(初めから豊かに具わっているんです)」

 

40 てき倒淨瓶

他人(ひと)を傷つける

「善し悪しというものを初めから飛び越えておる状態です」

「・・・仮名の説のみ」

「空寂・廓然無聖・取捨なし」

「分別心のうえで妄想を描いた様子です」

「なんにも気にかかっておるもののない様子です」

「分別心すえなければ、この全体の人間の六根というものは、なんにも妨げるものはないです」

「煩悩を絶たずして、・・・」

「・・・漏るとか漏らんとか、是だとか非だとかいってみんな問題にしておるけれでも、・・・放下しなさい、颺下(ようげ)して。」

「仮に思いによって、・・・」

 

42 女子出定

「平等智に生きておる人、差別智にうえにおる人との違い」

「三界はただ心の上に描いたものである」

「心はないものをここにあるように描いて、取り扱ったり、取り扱われたりするようなことができる道具立てです。その中に、実体というものはありえないものです

「諸法は来処なく、また去処なし」

「所生さし」

「仏といわれる方は、本当になにもかもないところから、一切合切を起こすものであるということを徹見され

心の内容もそのとおりのものである」

「諸法は性なきがゆえに、自性あることなし、是くの如く分別して知るならば、この人は真義に達す」

「要はその知るものないということを知っておるという」

「是くの如く法を知るならば、畢竟、解するところなし

 

43 首山(しゅざん)竹蓖(しっぺい)

「有語なること得ず、無語なること得ず。」

「染汚することを得ず(そういうようなものに引っかかってはいかんぞ)」

「触れずまた背かず、(いたずら)に労して、擬議を生ず(枯木の元)」

「一切のことを、起こしておるだけで、そのほかになんにもあるのではない」

「限りない動き方をするこの心の様子です」

「・・・観念的な世界の話だと多くの人が思うてるんです」

「それをやめると、よう分かります」

ものの様子

 

44 芭蕉拄杖

「本当に人が死んでしまいさえすればいいんです」

「死んでみないと分からない」

仮名のみです

 

45 他是阿誰(たぜあすい)

「この消息が本当に入りますといいんです」

「真相そのものに徹するという以外に釈尊の教えというものはあるものではない」

「自分の真相をはっきりと徹見された様子です」

「自分との距離ができる」

「因縁生因縁滅として、相即相入しながら活動している」

「向こうに置いて尋ねるから駄目なんです」

「その真実が本当にお前は分かってるんだろうか」

「真意が本当に分からんと、・・・」

「まず我見を離るべし」

「この身を執すべからず」

「十八界の聚散(じゅさん)」(聚合(しゅうごう)離散)

「舌に(かん)()

「ただ、あることがあるように、それが分かる」

「引き寄せて結べば柴の庵なり、(ほぐ)れば元の野原なりけり」

「心とて人に見すべきものぞなき・・・」

「それが見聞覚知一切の活動をしておる」

「どこにそういうことがあるか」

「是非を弁ずることなかれ、是非を視察するからです」

「妄想としての、頭の中にあるものを問題にしている」

「各自人々分上豊かに備われり、(・・・その豊かに具わっておるものを、そのまんまにいけばいいんです)」

 

46 竿頭(かんとう)進歩

「得入すと(いえど)然も、(いま)だ真と為さず。」

「・・・悟りを中心にして、そこからあらゆるものを見ようとする」

「自分自身というものがどうしても残っておりますから・・・」

「得たものを物にしようとする」

「手放したものにしようとして手を下す」

「そんなことを教えても役に立たないのです」

「それだけ本当は害をなすということがあるんです」

「スズメがおりてきて、ピョンピョン飛んでおるのを見て、初めて今までの不自由さがコロッと落ちた(飯田隠)

「今まで得た道を中心にして、すべてのものを見ておられたに違いない」

「真実の得道(従来の身心を放下して)」

【もう一遍そういうものを頼りにせずに、頼りにすることをやめて、ただ「縁即宗」縁そのものによってただ動かされておることを知る。それが真相です】

「自然に全体にたどり着くのです」

「いつの間にか認めて処理しているのです」

「得てから後に、自分を認めておりますから・・・」

「十方世界に全身を現ずる」

「身の破れ果てたるときの心こそ万法一如なりけり」・・・この心には心意識としての動きはないんです】

「万法一如なりけり」

「ただ機能と環境との関係にうちまかせる」

「空も座断をする(宗妙にあらず)」

「心なき四方(よも)の野山の草木までわれを捨てればわが身なりけり」

 

47 兜率三関

「自性を識得するば(まさ)に生死を脱す」

「縁に遇うて即ち宗なるべし」

「わたしどもの本来の(すがた)に接するということである」

「自分の真相をしっかりそこで見たということです」

「見性ということは、自性に徹することです」

「直に自性を証すれば自性すなわち無性にて(坐禅和讃)」

「自性を図る(自己を本当に殺すことである)」

「徹しておるものを妨げておるものが人の心意識です」

「道理は述べましたけれど、・・・」

「離合集散」

「働きというものが・・・自我としてとらえるものがない(無我)」

 

48  乾峰一路

各自の真相としての堂々たる様子を投げつけて見せた

 

無 門 関(井上 義衍 老師)抜粋

 

無 門 関(後)リンク先

 

従 容 録 ( 秋 野 孝 道・安谷 白雲 両老師)

 

 

 

 

第五則 青原米価(秋野孝道老師)

業障本来空

本来空で定まって居らない

得荊棘林

無記に善も悪もない

善悪無記三性(天童如淨禅師)

{「悟了同未悟」「法身覚了スレバ無一物、元是眞壁平四郎」}

諸悪莫作、衆善奉行(仏法の大意)

(けが)れた所を離れてしまって居る

 

第五則 青原米価(安谷白雲老師)

 

第十九則 雲門須彌(秋野孝道老師)

「作用(はたらき)」

「五欲(財色食名睡)」

「念念に疑ばかり生じて居る」

『白隠禅師67才の時に「吾初めて正念に住することを得たり」』

「須弥山というのは動かぬということである」

「安住不動如須弥山

 

第十九則 雲門須弥

「機ははたらきということだ」

「念念従心起、念念不離心」

「最初の一念は仏でも凡夫でもかわりはない」

「次の瞬間それが、すーと消えてしまえば問題はないが、・・・」

第二念がうごくときかならず自己本位の考え、自己中心の思想が起ってくる

自分勝手の理窟をいろいろ考え出して、それが正しい考えだと固執する」

「意見の相違なり、意見の対立となって争議がはじまり、乱闘がはじまる」

「無念無想は死人同様だ、なんの役にもたたない」

「色のつかない一念だ」

「一つは、その罪過須弥山ほどあるぞ

二つは、本来自己の丸出しだ、全現成」

第二十一則 雲巌掃地(うんがんそうち)(秋野孝道老師)

「法を穢した言葉」

「聖(四聖)(声聞・縁覚・菩薩・仏)」

「寒暖の縁に遭って氷になったり水になったりする(天地同根、万物一体)」

心が化けていろいろな物になって来るのである」

「消息がわかってしまった」

「心が千変万化して出て来た」

「本地の風光を語り合って居る」

 

第二十一則 雲巌掃地(うんがんそうち)(安谷白雲老師)

「迷い(見惑・理の迷い・八十八使)(思惑・修惑・事に迷う・八十一品)」

「悟り(見惑を断破・大悟徹底の人)」

「悟りを脱する」

「多事なし(大無事の人)」

「掃除に五つの徳(自心清浄・他人清浄・悪魔来らず・諸天降臨・諸仏擁護)」

「煩悩・見惑・思惑・塵沙・無明」

 

第五十七則 嚴陽一物(秋野孝道老師)

「禅学参究者」

「文字の末・言葉の影」

「本当の本体を現わすことは出来ぬが、・・・」

「理屈を云ふた」

「今迄の分別が無くなって仕舞ったことを言う」

「分別がなくなって見ると、・・・自由自在の解脱の境界を得た」

第五十七則 厳陽一物

「主観と客観の関係」

「自己と万物との関係」

「自分と境遇との関係」

「自分の意識の外には何もなかったことがわかる」

「没縦跡・断消息」

第六十七則 巌経智慧(秋野孝道老師)

華巌経云、

我今普見一切衆生

有如来智慧徳相

但以妄想執着

而不証得

 

第六十七則 巌経智慧(安谷白雲老師)

「文字どうり無念無想はクソの役にもたたない」

「禅僧の弊は教相を軽んずるところにある」

「華厳(縁議論)(六相円融・十玄談)」

「天台(実相論)」

「十如是(略法華)(本質の性能)」

「如来の知慧(長いものは長い見、短いものは短い見る知恵・白いは白い見、黒いは黒いと見る智慧)」

「如来の徳相(永平高祖は眼横鼻直といわれた)」

「重さと長さを比較するようなもの」

 

 

従 容 録 秋野 ( 秋 野 孝 道・安谷 白雲 両老師)

 

禅 語 句 抜 書

 

大地と有情同事成道山川草木悉皆成仏

有情非常同事成道山川草木悉皆成仏

 

奇哉奇哉一切衆生皆具有如来智慧徳相

 

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽。(大涅槃経)

 

諸法実相一法印)

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。(寂滅為楽)(三法印)

一切皆苦(四法印)

 

一切有為の法、如夢幻泡影、如露亦如電、応如是観。

 

諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。

 

蛇呑水々為毒、牛呑水々為乳。

 

因縁所生法、我説即是空、亦説為假名、亦説中道義

 

心猶如巧画師、能作種々五薀。

 

天地與我同根、萬物與我一体。

 

諸法皆是因縁生、因縁生故無自性、無自性故無去来、無去来故無所得、無所得故畢竟空、畢竟空故是名般若波羅蜜、

南無一切三宝無量広大、発阿耨多羅三藐三菩提(大般若転読偈文)

 

諸法因縁生。因縁生自性。無自性ナシ去来。無キカ去来所得

所得畢竟空ナリ。畢竟空般若波羅蜜。(略般若経)

 

身是菩提樹 心如明境台 朝朝勤払拭 莫使若塵埃(神秀)

 

菩提本無樹 明境亦非台 本来無一物 何処若塵埃  恵能)

 

春に百花あり秋に月あり、夏に涼風あり冬に雪あり、もし閑事の心頭に挂くるなくんば、すなわちこれ人間の好時節。

(無門関 19則 平常是道)

 

空手把鋤頭一、歩行騎水牛一、人従橋上過、橋流水不流(()大士(だいし)・善慧・497569

 

過水の偈 洞山良价

切に()む他に随って(もと)むを、迢迢我与疎なり、我今独り自ら往く、処処に渠に逢ふことを得、

渠は今正に是れ我、我は今是れ渠ならず、応に須く与麼に会して、方めて如如に契ふを得たり、

 

本自縛。不ムルコトヲ解。直ヂキニズレレヲ無等等トス。(大珠)

 

心は万境によって転ず、転処実に能く幽なり、流れに随うて性を認得すれば、喜びもなし亦憂ひもなし

 

ヲモ、不ヲモ。了法空ニシテ無相ナルコトヲ

 

スレバ一物一、

 

傅大士 法身の偈

空手にして鋤頭(じよとう)()る(鋤)、歩行にして水牛に()る(騎)、人橋上より過ぐれば(橋)、橋流れて水流れず(水)

 

四大元無主、五蘊本来空、以頭当百刃、猶如春風、(肇法師)

 

捨諸縁。休息万事。不善悪。莫是非。停心意識之運転。止念想観之測量

作仏。豈坐臥乎。(普勘坐禅儀 道元禅師)

 

本来の面目(道元禅師)

春は花 夏ほとゝぎす 秋は月 冬雪さえて凉しかりけり

 

迷即此岸 悟即彼岸 迷悟共忘 離彼此岸 (古語)

 

花無心にして枝を離れ 枝有心にして落花を送る 落花意ありて流水に随い 流水無心にして落花を送る

 

晴れてよし曇りてもよし富士の山、もとの姿は変らざりけり(山岡 鉄舟)

 

極楽へ行かんと思う心こそ、地獄へ堕つる始めなりけり(一遍)

 

「どう見ても雪より黒いものはない」「それがわかればよろしい」 能役者(金春(こんぱる) (ぜん)(ちく)

 

引き寄せて結べば柴の庵りなり、解くれば元の野原なりけり(古人)

引き寄せて結びし(しば)の庵なれば、解かずそのまゝ野原なりけり

解くればもとの野原なりけり、解くずそのまま野原なりけり

 

花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花に至る、花亦知らず、蝶亦知らず、不知(しらず)不知(しらず)にして、帝則(ていそく)(かな)う(良寛)

 

「鐘が鳴るかや橦木が鳴るか鐘と橦木の会が鳴る」

 

鐘が鳴るのよ、橦木は鳴らぬ、鐘が無ければ、音はせぬ。』「奪人不奪境」

『鐘は鳴らない、橦木が鳴るよ、橦木無ければ、音はせぬ。』「奪境不奪人」

『鐘も鳴らない、橦木も鳴らぬ、鐘と橦木の(あい)が鳴る。』「人境両倶境」

『鐘が鳴ります、橦木も鳴るよ、鐘と橦木で、音がする。』「人境倶不奪」

 

一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観(金剛経)

 

汝但諸縁、内クコト、心如クナレバ牆壁シト一レ二 (達磨大師)

 

 

 

禅 語 句 抜 書

 

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(偈)・(頌)・(道歌)

(偈)・(頌)・(道歌)

(偈)・(頌)・(道歌)

 

 

大地と有情同事成道山川草木悉皆成仏

有情非常同事成道山川草木悉皆成仏

七仏通戒偈

諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。

「始めて知る、衆生本来仏なることを」円覚経

奇哉奇哉一切衆生皆具有如来智慧徳相

万法是真如、由不変故。

真如是万法、由髄縁故。

一切有為の法

如夢幻泡影

如露亦如電

応如是観

追尋スレバ見、

一切莫レバ

明寂自

万法帰一、一帰何処

我在青州、作領布袗

重七斤。

諸悪莫作、衆善奉行、

自浄其意、是諸仏教

渓声便広長舌、

山色豈スヤ清浄身

蛇呑水々為

牛呑水々為

面前聴法底

即得法底

因縁所生法、我説即是空、亦説為假名、亦説中道義

我説即是空(龍樹の中観論)

求心歇時即無事

 

溪聲は便ち是れ廣長舌、山色豈に清浄身ならざらんや

(蘇東波)

心猶如巧画師

能作種々五薀

天地與我同根

萬物與我一体

求心歇処即無事

 

 

 

 

 

心の師となることを願い、心を師とせざれ(涅槃経・仏教要義 加藤咄堂)

心性は本と淨くして諸過を垢と為す、智慧の水を以て心垢を洗除せよ(文殊問経・仏教要義 加藤咄堂

心即ち濁乱を離るれば、我心を説て佛と為す(入楞伽経・仏教要義 加藤咄堂)

◆釈迦の伝法偈

法本法無法(法の本法は法ない)

無法法亦法(無法の法も亦た法なり)

今付無法時(いま無法を付するの時)

法法何曽法(法法、何ぞ()って法ならん)

心随万境

転處実能幽

幽(自在の義縁に応じて自在に転変する活動を指して且らく心と名付けた迄じゃ実体の認むべきはない其自性が無いから変化無盡で活動出来る)(参禅夜話 飯田欓隠)

天上天下

唯我独尊

三界皆苦

我当安之

「無常偈(雪山偈)

諸行無常、是生滅法、

生滅滅已、寂滅為楽。」

四大元無主、

五蘊本来空、

白刃

猶似春風。(肇師)

 

諸法皆是因縁生、因縁生故無自性、

無自性故無去来、無去来故無所得、

無所得故畢竟空、畢竟空故是名般若波羅蜜、

南無一切三宝無量広大、発阿耨多羅三藐三菩提

(大般若転読偈文)

「諸法因縁生

因縁生自性

自性ナシ去来

キカ去来所得

所得畢竟空ナリ

畢竟空般若波羅蜜。(略般若経)」

「大論

諸法因縁、」

因縁生故去来

キガ去来所住

キガレ所住畢竟空也

是般若波羅蜜多

 

【「華厳経」

「三界は虚妄にして、但だ是れ一心の作なり、十二縁分は、是れ皆心に依る」三界(欲・色・無色界)

「心は、(たく)みなる画師の如し、種々の五陰を画く。

一切世界の中、法として造らざる無し。

心の如く仏も亦た(しか)り、仏の如く衆生も(しか)り。心と仏と及び衆生と、是の三は差別無し。

諸仏は悉く、一切はしん依り転ずと了知す。

若し能く是くの如く解せば、彼の人、真の仏を見る。」

「心は諸の如来を造ると」】

 

 

中 国

空手把鋤頭

歩行騎水牛

人従橋上

橋流水不

()大士(だいし)・善慧・497569

一撃前知を忘る

更に修治を假らず

動容に古路を揚ぐ

悄然の機に堕せず

(きょう)(げん)禅師)

春に百花あり秋に月あり、

夏に涼風あり冬に雪あり、

もし閑事の心頭に挂くるなくんば、

すなわちこれ人間の好時節。

(無門関 19則 平常是道)

「心猿飛移五欲枝。意馬馳走六塵境」

「東山水上行(動かないはずの東山が水上を流れて行く)」

過水の偈 洞山良价

切に()む他に随って(もと)むを、迢迢我与疎なり、

我今独り自ら往く、処処に渠に逢ふことを得、

渠は今正に是れ我、我は今是れ渠ならず、

応に須く与麼に会して、方めて如如に契ふを得たり、

『洞山の過水の偈

我今獨

處處渠。

渠今正是我。

我今不ニアラ。』

「四大元無主、

五蘊本来空、

ツテツレバ自刃

ルガ春風

(宝蔵論 肇法師)」

有心得、

無心得、

言語得、

寂黙得、

レバ擬議千万程(古語)

廬山烟雨淅江潮、

レバ千般恨未消、

レバ別事

廬山烟雨淅江潮、

(蘇東坡)

本自縛。

ムルコトヲ解。

ヂキニズレレヲ無等等トス。(大珠)

心は万境によって転ず

転処実に能く幽なり

流れに随うて性を認得すれば

喜びもなし亦憂ひもなし

ヲモ、不ヲモ

法空ニシテ無相ナルコトヲ

真、唯須見、

トイフ不得ナリ

スレバ一物

無縄自縛・自縄自縛

神秀

身是菩提樹 心如明境台

朝朝勤払拭 莫使若塵埃

恵能

菩提本無樹 明境亦非台

本来無一物 何処若塵埃

欲知過去因

見現在果

欲知未来果

見現在因

 

生死事大

無常迅速

光陰惜しむべし

時、人を待たず

(中峰和尚 座右の銘)

五薀元非

四大本来空

頭當白刃

猶如春風(肇法師)

 

 

 

 

◆達磨伝法偈

吾本来茲土(しど)(吾れ本と茲土(しど)に来たり)

伝法救迷情(法を伝えて迷情を救う)

一花五葉(一花に五葉開く

結果自然成(結果自然になる)

*茲(ここ・に)

傅大士 法身の偈

空手にして鋤頭(じよとう)()る(鋤)、

歩行にして水牛に()る(騎)

人橋上より過ぐれば(橋)

橋流れて水流れず(水)

四大元無主、

五蘊本来空、

頭当百刃

猶如春風、(肇法師)

 

 

 

 

兜率三関(無門関四十七則)

兜率悦和尚。設三関。問学者

撥草参玄。只圖見性。即今。上人性。在甚処

得自性。方脱生死。眼光落時。作麼生脱。

得生死。便知去處。四大分離。向甚処去。

「四大分離して、自性何處へ去るかといふに対して無門は『不去・不来・不在・不住』の意を応答した」

黄龍三関(無門関附録)

我手何似佛手(我が手、何ぞ佛手に似たる)

我脚何似驢脚(我が足何ぞ驢脚に似たる)

人々有箇生縁(人々、箇の生縁あり)

 

電光影裏截春風

羊頭狗肉

さしあたるその事のみを思えただ

返らぬむかし知らぬ行く末(菅公

「はらうべきほこりもないといふ人を拂はんための箒なりけり(捨得)」

心既不妄起(心既に(みだ)りに起こらず・寒山詩)

水が水を濡らすことはない

理に契うも又悟りに非ず(参同契)

「坐禅せず、修道せず任運に逍遙して只麼(かく)も好し 楽道歌 関南和尚」

 

 

「蘇東坡の東林長老に贈る

『渓声は便(すなわ)ち是れ(仏の)広長舌、山色寧(いずく)んぞ清淨身に有ざらん』」

 

 

日 本

捨諸縁。休息万事。不善悪。莫是非

心意識之運転。止念想観之測量

作仏。豈坐臥乎。(普勘坐禅儀 道元禅師)

「唱ふれば、我も、仏も、なかりけり

只、南無阿弥陀仏の声のみぞして

未徹在

唱ふれば、我も、仏も、なかりけり

只、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

円照大師(智眞一遍上人)

法燈国師(紀州由良興国寺)

本来の面目(道元禅師)

春は花

夏ほとゝぎす

秋は月

冬雪さえて凉しかりけり

迷即此岸

悟即彼岸

迷悟共忘

離彼此岸

(古語)

花無心にして枝を離れ

枝有心にして落花を送る

落花意ありて流水に随い

流水無心にして落花を送る

 

三八九

境多所思

(正受老人の母・李雪尼)

(真田 信之の庶子・正受老人)

水不濕水

自己不自己

刀不

 

為せば成る、為さねば成らぬ成るものを、

成らぬは己が為さぬなりけり

彼れ此れと巧みし桶の底ぬけて、水もたまらじ月もやどらじ(ある尼僧)

みねの色(たに)のひゞきもみなゝがら、我が釈迦牟尼の聲と姿ぞ

(道元)

春は花、夏ほとゝぎす、秋は月冬雪さえて冷しかりけり

(本来の面目 道元禅師)

見るままに又心なき身にしあれば、己なりけりにのきの玉みず

(道元禅師)

 

千代能がいただく桶の底、ぬけて水たまらねば月も宿らず

鎌倉時代 一婦人の投機の偈

とびこんだ力でうかぶかわずかな

飛び込んだ力で浮かぶカワズ哉

「飛込んだ力で浮ぶ蛙

晴れてよし曇りてもよし富士の山、もとの姿は変らざりけり

(山岡 鉄舟)

腹はれて苦しきうちに明けがらす(山岡 鉄舟・「胃癌」)

腹はって苦しきなかに明からす(山岡 鉄舟)

眼横鼻直(がんのうびちょく)

かいらいし、胸にかけたる人形箱、ホトケだそうと、

オニを出そうと

こわい顔して目もとで笑ひ、わらふ目もとでまた叱る(俗謡)

雨あられ雪や水と隔つれど、落つれば同じ谷川の水」

極楽へ行かんと思う心こそ、地獄へ堕つる始めなりけり

(一遍)

よしもなく地水火風を寄せ集め、われと思ふぞあはれなりけり

恐ろしき氷の角も元は水

心ともしらぬ心をいつのまに、わが心とや思いそめけん

(古人)

 

「どう見ても雪より黒いものはない」

「それがわかればよろしい」 能役者(金春(こんぱる) (ぜん)(ちく)

「見る人の、心一つで宝とも、あだともならは、黄金(こがね)なりけり」

ころころところんで遊ぶ仏かな

楽しみは春の桜に秋の月、夫婦中よく三度喰うめし

柿に食ひに来るは鴉の道理かな(五竹坊・千代の兄弟弟子)

幼子の次第次第に知恵つきて、仏に遠くなるぞ悲しき

心とも知らぬ心をいつの間に、わが心とやおもいそめけん

さらさらととりこまないのは仏なりこるは鬼なり(?)

持つ人の心に依りて仏にも、鬼にもなるは心なりけり

さらさらと滞らぬが仏なり。良きも悪しきも凝るは鬼なり。

心とも知らぬ心をいつのまに、我が心とや思いそめけむ

散る桜残る桜も散る桜、心とどむな残る桜に

かたつむりそろそろ登れ富士の山(白隠)

忘れて忘れて忘れたも忘れろ(白隠禅師)

闇の夜に鳴ぬ烏の声きけは、生れぬさきの父ぞ恋しき(白隠)

 

 

 

傀儡師(かいらいし)胸にかけたる人形箱、仏だそうと鬼だそうと

心ともしらぬこころをいつのまに、我が心とや思ひそめけむ

引き寄せて結べば柴の庵りなり、解くれば元の野原なりけり(古人)

引き寄せて結びし(しば)の庵なれば、解かずそのまゝ野原なりけり

坐禅して人が仏になるならば(蛙図・仙厓)

解くればもとの野原なりけり、解くずそのまま野原なりけり

「心にもあらぬ心をいつのまに、わが心ぞと思いそめけん」

心とて人に見すべきものぞなき、ただ(つゆ)(しも)の結ぶのみ

思わじと思うも、物を思うなり、思わじとだに思わじな君。

年毎に咲くや吉野の山桜、木を割りて見よ花のありかを。

釈迦といういたずら者が世に出でて、多くの人を惑わしにけり

(一休)

極楽は西にもあれば東にも、北みちさがせ(みんな)身にある

(一休禅師)

今死ぬる、どこえも行かぬここに居る

たずねはするな、ものは云はぬぞ(一休禅師)

悟など云ふ無調法いたしたる覚え無之候(一休禅師)

本来の面目坊のたち姿一目みしより恋とこそなれ(一休)

やみの夜に鳴かぬ烏の声きけば、

生まれぬさきの父ぞ恋しき(一休禅師)

釈迦といういたずら者が世に出でて

多くの人を惑わするなり(一休宗純)

「仏には、心もならず身もならず、ならぬものこそ仏なりけり(一休)」

思わねば思わぬ者もなかりけり

身も果てて、心も果てしと思えども、

雪の降る日は寂しかりけり

火の中を分けても法は聞くべきに

雨風雪はものの数かは

おさな児のしだいしだいに智慧つきて

仏に遠くなるぞかなしき

悪しき人を見るたび毎に泣く菩薩

よき人になれよき人になせ

心をば水の如くにもちなして

方と円とを物にまかせん

心こそ心迷わす心なり、心に心心許すな(時頼)

 

迷いとは夢に火坑に落ち、

悟りというは夢に餅を食うが如し(天桂禅師)

「仏には、心もならず身もならず、ならぬものこそならぬものなり(天桂禅師)」

 

「七難三毒ただこれこれ」良寛

花無心にして蝶を招き、

蝶無心にして花を尋ね、

花開く時は蝶来り、

蝶来る時に花開く、

吾れも亦人を知らず、

人も亦吾れを知らず、

知らず帝の則に従ふ。(良寛)

 

花無心にして蝶を招き、

蝶無心にして花に至る、

花亦知らず、蝶亦知らず、

不知(しらず)不知(しらず)にして、帝則(ていそく)(かな)う(良寛)

(偈)・(頌)・(道歌)

 

(偈)・(頌)・(道歌)

日 本

耳もきかず、心もきかず、身もきかず、

きくもののきくを、それと知るべし(至道無難禅師)

三世不可得(至道無難禅師)

いろいろに表われ出づる心かな

心のもとは何もかもなし

「主なくて見聞覚知する人を、生き仏とはこれをいうなり

(至道無難禅師)」

生きておるものをたしかに知りにけり

泣けど笑えどただ何もなし(至道無難禅師)

「至道無難禅師

無というもあたら言葉の障りかな

無とも思わぬ時ぞ無となる

 

思わじと思うもものを思うなり

思わじとだに思わじな君」

道を問う(至道無難禅師)

主ありて見聞覚知する人は

いきちくしょうと是をいうなり

主なくて見聞覚知する人を

いき仏とは是をいうなり

「心というは、無一物なり。

念は一物あるなり。心のかたまるなり。

たとえば、心、水の時、自由なり。

念、氷の時、動かず。

凡夫と言うは、念深き時の名なり。

仏と言うは、念を離れたる時言うなり」(至道無難禅師)

大道の極意を

ことごとく死人となりてなりはてて

おもひのままにするわさそよき

ある人に

たちまちに死にはてて見る心こそ

かりに仏と名はつけにけれ(至道無難禅師)

ある人に

なにことも凡夫にかはる事はなし

仏祖といふも大魔なりけり

衣をきるに

ちくしょうのかたちにきたるけさ衣

天よりしはる縄としらずや(至道無難禅師)

生きておるものをたしかに知りにけり

泣けど笑えどただ何もなし(至道無難禅師)

耳もきかず心もきかず身もきかず

きくもののきくをそれと知るべし(至道無難禅師集)

無と言うもあたら言葉のさわりかな

無とも思わぬ時ぞ無となる(至道無難禅師)

をのれめにあたらまよひをさまされて

世に住むかひもなき身とぞなる (無難法語)

「忘れ忘れて忘るるも亦忘るに到て始めてよし」

「鐘が鳴るかや橦木が鳴るか鐘と橦木の会が鳴る」

 

 

鞍上無人、鞍下無馬。

「忘れ忘れて忘るるも亦忘るに致て始てよし」

野も山も花も我が身も鶏の声

何がのこりて聞くと云ふらん    (鎌倉 おさんどん)

つとめても亦つとめてもつとめても

つとめたらめはつとめなりけり

心とも知らぬ心をいつのまに

わが心とやおもひそめけん

「死にはせぬどこへも行かぬここに居る

たづねはするなものは云わぬぞ(一休禅師)」

「奪人不奪境

鐘が鳴るのよ、橦木は鳴らぬ、鐘が無ければ、音はせぬ。』」

「奪境不奪人

『鐘は鳴らない、橦木が鳴るよ、橦木無ければ、音はせぬ。』」

「人境両倶境

『鐘も鳴らない、橦木も鳴らぬ、鐘と橦木の(あい)が鳴る。』」

「人境倶不奪

『鐘が鳴ります、橦木も鳴るよ、鐘と橦木で、音がする。』」

 

「心こそ、心迷わす、心なれ、心に心ゆるすな心」

「如何なれば雪や氷と隔つらん とけぬも同じ谷川の水」

有りと見て無きは常なり水の月。無しと見て有るは常なり水の月。

内、虚にして 外、事あるのみ(井上 義衍老師)

人我の見を離れる(井上 義衍老師)

「心の中に何か浮かんででも、浮びっぱなしにして、追うな追うな(古老)」

「道という言葉に迷うこと勿れ、朝夕おのがなすわざとしれ(至道無難禅師)」

「生きながら死人となりてなりはてて、思いのままにするわざぞよき(至道無難禅師)」

主なくして、見聞覚知する人を、生き仏とは、これをいうなり(古人)」

「問うな、学ぶな、手出しをするな(白隠)」

「雨霰雪や氷とへだつれど、とくれば、同じ谷川の水」

「如何なれば雪や氷と、へだつらん、とけぬも同じ谷川の水」

(偈)・(頌)・(道歌)

 

(偈)・(頌)・(道歌)

(偈)・(頌)・(道歌)

(偈)・(頌)・(道歌)

 

重 要 語 句(リンク先)

 

生 死

「生滅とは髄縁起滅の義・・・差別の現相に名づけた名である」

生死を明らむは仏家一大事の因縁なり(道元禅師)

 

 

 

生 死

 

諸法皆是因縁生。因縁生故無自性。無自性故無去来。無去来故無所得。無所得故畢竟空。畢竟空故是名般若波羅蜜。

(大般若経)

空の義(頁243 参禅夜話「五薀皆空」)(参禅夜話 飯田 欓隠老師)

随所現、縁に従って所として現れざるなし

無去来、本躰は天地一枚、何處からも来ず、どこへも行かぬ、何時も變らぬ、水の波の如し、不生不滅もこれから出た

無染、因縁生のみにて相手がない、染汚の入る隙間が無い、煩悩ともいはず、菩提ともいはぬ、物に聞いてみよ

其の物は、いつでも縁に応じて何にでもなって行く。

この自在を空と仮りに名づけてあるだけ。

この自在を自覚する。 (信心銘提唱 井上 大智老尼

空(変迁流転して少しもとどまらぬということ、本質が自性のないということ)(井上 義光老師語録)

「因縁生のものは実体がない。これをみな空という。」井上 義衍老師語録 併 般若心経講説

「空といふは真空、真空は法身、法身は如来の事なり」(鉄眼和尚仮名法語)

因縁所生法、我説即是空一、ケテ仮名一、亦是中道義。 「中論」

「皆空とは実体を認めざる因縁性じゃ」

「空(シュンニャタ梵語)(変化して止まざるの義から起った)」(般若心経恁麼来 飯田 欓隠老師)

「空とは何も無い事ではない(固まった我といふ者がない)(縁に応じて自在といふこと)

参禅夜話 飯田 欓隠老師)

空(固定性のない無自性即ち無相の事只自在の事この本性コソ真理真空照庵大智老尼語録 上

「心というものは、もともとは空であり、無ある」

「因縁所生の法(無自性空)(その物に固定した実体が無いからです)(空)」(有時 提唱 井上希道老師)

「どのようにも変化するのが空」井上 哲玄老師

「因縁空(森羅万象は、ことごとく因縁によって仮に結ばれておるものであり、実在ではないと分かること)」

「心空(お互いの心は本来無一物であって、塵一つないものだと分かること)」

「法空(この何もない心から、森羅万象を眺めていけば、すべてが空であり、すべてが無であると分かる)」

(無門関 山田 無文老師)

「空(髄処現・不染汚自在・払跡滅跡・無自性不可得、等)」(永嘉大師証道歌提唱 飯田 欓隠老師)

「虚空(空無・清浄・無限定・無実体・不可得)(喩え・表象)」

「空の真相というのは、因縁なんです」(井上 義衍老師語録)

「この自在を空と仮に名づけてあるだけです」(信心銘提唱 井上 大智老尼)

「空性(自性を欠いている状態である)」

「自性(ものが本来もっている固有性である)」

「空(縁起による存在の外には、存在をあらしめる実体のないこと)」

「見解が伴われていない現象(空)」(般若心経講和 丹下 覚元老師)

「只」在るだけ・因縁所生の法(般若心経夢影録)(井上 希道)

「空の真相というには、因縁なんです」夢想第六集般若波羅蜜多心経より(井上 義衍老師)

「【空】とは、簡単に言えばこの世の中のすべては千変万化し続けており、【これ】といった定まった形のものは無いということです。(万物流転・無常)」(坐れませんか 板橋 興宗老師)より

「空と言うは無自性を指す」

「因縁所成の故に空なりと言う」

「それ自体に本体をもたないという意味の無自性であることを示しているのだ」

「因縁所生法、我説即是空(中論・龍樹菩薩)」

一念無想なる、これを空といい・・・

無自性とは空の義(参禅夜話 飯田 欓隠老師)

迷故三界城、悟故十方空

但空頑空

空(無自性・不染汚・自在の三義

空とは煩悩菩提の性なり(聖一国師 仮名法語)

真理の代名詞(空・無)(照庵大智老尼語録 上)

諸法ヨリ因縁生(空・無我)(禅学読本 飯田 欓隠)

空の真相は因縁(井上 義衍老師語録)

変化の自在を空という(井上義衍老師語録)

「どのようにも変化するのが空」(井上 哲玄 老師)

「三空(因縁空・心空・法空)」

 

「空(自由自在)」井上 希道老師

「空の真相は因縁なんです」(井上義衍老師語録)

 

 

活動の様子と名付けた(道・法とか異名)」井上 哲玄老師

 

 

 

 

 

無 心

「思うものもないに思うからそれを忘るるといふのじゃ」(参禅夜話 飯田 欓隠)

【「動きそのもののところに、「心」という名をつけたんです】

「心というものは、もともとは空であり、無ある」

「本来心と云ふけれども何も摑むで見様のない性空を、かりに心と名づけたのであって、更に何の形段もないのである」

(親鸞のはらわた 井上義光老師)

「其の心の本性は無自性にして不可得である(親鸞のはらわた 井上義光老師)

 

無念というと念を無くすのだと思う

そうじゃないんです

これが念ですという種はないんです

始めから今「思う」といったて

何がどこでどう「思って」いるんでしょう

思いを無くすのではなくて

ただそういう事があったり無かったりする

それを無念という (禅もう迷うことはない! ニコニコ動画より 井上義衍老師)

「無念とは何も思わぬことではなくて、思う対象について執着せぬことである」

元来忘るるものは無い思うものもない(参禅夜話 飯田 欓隠)

活動を指して旦らく心と名付けた迄じゃ(参禅夜話 飯田 欓隠)

「心は働き・心の働き・道具・働き」

「無心(何もしない事)」

「無心(一切の分別意識を絶した心)」(黄檗希運禅師 伝心法要)

無 心

 

無 我

「認むればそこに塊りができる。これが我のもとじゃ。これをアラヤ識となす」(禅学読本 飯田 欓隠)

「我という者はその物の外に一物を認めた時起こる一念じゃ」(禅学読本 飯田 欓隠)

「無我とは我を忘れることです」普勧坐禅儀 提唱 井上 希道

元来我は無いものじゃ参禅夜話 飯田 欓隠)

無我(余念のない事)(井上 希道老師)

諸法ヨリ因縁生(空・無我)(禅学読本 飯田 欓隠)

 

「無我(拘りが取れた世界)」(学道用心集 井上 希道老師)

「無我(差別によって起るところ)」(永嘉大師証道歌提唱 飯田隠老師)

縛を取るとは自我を忘ずることである(禅学読本 飯田 欓隠)

「無我とは空性の海に浮かぶ仮設という島である」

「無我(一心不乱)(ある形になって心のどこかにあるのではない)(我を忘れてやっている)(妨げがない)」

(井上 希道老師)

無 我

 

仏性とは性を見る事では無くて、見ると言う働き、聞くと言う働きそれ自体、即ち見即性だと云う事、

揀沢(差別・迷)明白(平等・悟)  碧巌録(大森 曹玄)

「仏と云ふは無自性を云ふたのである」(親鸞のはらわた 井上義光老師)

仏とは心のむすばれのとけた形容詞である

(照庵大智老尼語録 上)

素法身(悟った儘の人をいふ)参禅夜話 飯田 欓隠)

仏道を習うとは自己を習うなり(道元禅師)

仏(心性の異名なり)抜隊禅師

「仏とは即ち是れ仏性なり」

 

 

「悟りは語ることは禁じております。語ると理論に落ちるからです。(立花 大亀)」

「見性(仏と同じ性質があるので、・・・仏性なるものを徹見すれば、・・・)」(仏教要義 加藤  咄堂)

一切空なる処をさとりといひ(鉄眼和尚仮名法語)

何を悟るのじゃと・元来悟るべき物はない

参禅夜話 飯田 欓隠)

迷故三界城、悟故十方空

 

悟りとはこれから何かになるのではなく、元々ある事実を事実のとおりに知ったということです。(松本自證老師)

『「因縁所生の法」であり、それ以外に何物も無いぞと体得し自覚することを「悟りと言うのです」』

坐禅を志す人へ 井上 希道老師

 

見 性

「見性とは元来人間が本来持っている自性、すなわち真実の自己にめざめることである」

「我見の性を見破るるのが見性です」(井上 大智老尼)

 

 

 

 

 

 

見 性

 

 

本 来 面 目

 

 

一見明星悟道の消息

拈華微笑(ねんげみしょう)

万法に証せらる

身心脱落・脱落身心

本来の面目

不思不思悪本来の面目

父母未生以前の本来の面目

 

 

自分の真に気付く

己事究明

一心明らめる

天地同根・万物一体

主人公

本地の風光

真箇の自己

本地

本面目

 

を看よ

即今

見聞する

随処の

生死の相対世界

元観

元世界

 

無位の真人

無依の道人

絶学無為の道人

地一下(かじいちげ)

拈華微笑(ねんげみしょう)

聴法底

父母未生已前

発生する(生ずる)(())

抜書

 

「本来の面目(人間が本来的に倶有している真実性)」

 

【仏性(本来の面目)(念起に源ヲ見ルベシ)(自心是何物ゾ)】

【奇なるか,奇なるか、一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有する。ただ妄想執着あるを以ってのゆえに証得せず】

【「動きそのもののところに、「心」という名をつけたんです】

 

大地と有情同事成道 山川草木悉皆成仏

有情非情同事成道 山川草木悉皆成仏

父母未生以前の本来面目

天地未分以前の本来面目(分別不起以前に立ち帰る)

 

 

奇哉奇哉一切衆生皆具有如来智慧徳相

「自己なきものなりしことが自覚される」

霊性的自覚の外にない(鈴木 大拙)

 

這箇(しゃこ)(それ)・心のまま・一無位の真人・無所住底」

 

本 来 面 目

 

問 答 選・語 録 問 答

 

問 答 選

 

「翠巖夏末の話(碧8)

翠巖に眉毛ありや、(保福・賊と作る人、心虚なり)(長慶・生ぜり)(雲門・関)」

『「鹽官犀牛の扇子(碧91)(塩官全師〈嗣馬祖道一〉〈法嗣義空禅師〉〈日本徒來〉)

(情・見・縛・粘)

我がために犀牛の扇子を持ち来たれ

扇子破れぬ

犀牛児を還えし来たれ

対なし

 

 

趙州三転語(碧96)

 

「巴陵の鑑禅の三転語

如何吹毛劍、珊瑚枝撞。如何提婆宗、銀椀裏盛如何道、明眼人落

黄竜慧南三関『無』(佛手・驢脚・生縁)

 

黄龍三関(無門関附録)

我手何似佛手(我が手、何ぞ佛手に似たる)

我脚何似驢脚(我が足何ぞ驢脚に似たる)

人々有箇生縁(人々、箇の生縁あり)

兜率三関『無47』(上人性在甚処・眼光落時作麼生脱・四大分離向甚処去)(無門《不去・不来・不在・不住》)

 

兜率三関(無門関四十七則)

兜率悦和尚。設三関。問学者

撥草参玄。只圖見性。即今。上人性。

甚処

得自性。方脱生死。眼光落時。

作麼生脱。

得生死。便知去處。四大分離。

甚処去。

 

雲門の三句(かん)(がい)乾坤(けんこん)・截断衆流・随波遂浪)

 

洞山の三路(鳥道・玄路・展手)

汾陽十八問(汾陽善昭947~1024)

汾陽頌古・雪竇頌古

 

南泉(ぼう)鎌子(れんす)

 

楊岐の金剛圏

 

密庵の破沙盆

 

東山の鉄酸餡

白隠八難透(法窟の関鎖)疎山(そざん)寿塔の因縁(牛窓櫺)乾峰三種の病鹽官犀牛の扇子(碧91)白雲未在南泉遷化の話倩女離魂婆子焼庵(翠巖夏末の話(碧8))

 

 

 

 

問 答 選

 

語 録 問 答

一、《傅燈録巻十四》

僧、石頭に問う

『如何なるかこれ解脱』

答う

『誰が汝を縛ったのだ』

問う

『如何なるかこれ浄土』

答う

『誰が汝を汚したのだ』

問う

『如何なるかこれ涅槃』

答う

『誰が生死というものを汝に与えたのだ』

《「馬祖

『菩提達摩が西国からわざわざやって来たのは何の為であるか』」

『もう少し前へおいで、教えてやろう』という。そこで僧が一、二歩近づくや否や祖は一掌を与える。

『何の不可思議もないわい』といった」》

《僧問う『摩訶般若(偉大な又は絶対の般若)とは何ですか』

淸聳禅師曰く、『雪が烈しく降りしきって、一切のものがその中にかくれているわい。』

僧、無言のまま。

師問う、『わかったか。』

僧『わかりません。』》

 

摩訶般若

捨てるにあらず、取るにあらず。

人もしこれを会せざれば、

風寒うして、雪は降りしく。》

「僧問う、「いかなるか これ一句」(絶対究竟の一句)。

師応諾す(うんと返事すること)。

再び問う、(自分の言葉がわかったのか、わからぬのか、はっきりせぬようで、また問うた)。

師云、「我聾を患へず」(わしはつんぼじゃないぞ。)

『章敬の懐惲に或る僧尋ねて曰く、

「四大五蘊の身中、阿那箇か是れ本来佛性」

章敬、及ちその僧の名を呼ぶ。

僧、應諾す。

章敬、良久しうして曰く、

「汝、佛性なし」

(伝燈録巻七)』(臨済の基本思想 鈴木 大拙)』

 

 

 

語 録 問 答

 

何もしない(自然体で居る)(何も想わ無い)(何も想わ無いようにするのでは無い。)(何も行動しないという事では無い。)(無理に想う浮かべるという事では無い。)(想いは其の侭流れて行く)(嬰孩行)」(())

 

 

 

語 句

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一見明星 大悟の消息

「明星一見開発悟道」

「意(思えるという働き)」井上 哲玄老師

只管呼吸

見明星 大悟の消息

一法印)=諸法実相

諸行無常、諸法無我、生滅滅已、(涅槃寂静)。(寂滅為楽)。(三法印)

一切皆苦(四法印)

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽。(大涅槃経)

涅槃(音訳)・寂静(意訳)

「仏性(活動する働きを仏性という)」井上 哲玄老師

「有為報(転変する現象世界)(事)・無為法(変化しない世界)(理)(本性)(本体)」

「廓然無聖(空中に何もない聖も俗もない)

「法(万物の働き)・(働き)」井上 希道老師。法(法則)。法(現象・差別)ネット 原田 雪渓。

「法とは心の中の真理である。(姿も形もない)」(山田 無文老師)

断常・有無・是非・苦楽・生死・八風

「眞空妙有(森羅万象様々な現象は皆な空の上に因縁に依って假りの姿を現わして行く)」

「妄想(みだりに思いが起こる)」

「作用を法と言う」

「道元希玄禅師

仏性伝東国師(孝明天皇)

常陽大師(明治天皇)」

「空海かな文字発明(774~835)」

「いんも

 恁麼・什麼・甚麼

 かくの如く。どんな。いかに。「~の事。どのよう。いかよう。疑問代名詞。麼(台湾)。?(中国)」」

「底(なに。なんぞ。疑問を表す助字)」

「咦(いい)(イー)(コレを見よ・注意しろ)」

「咄(叱る言葉)」

「自性(固定的本質)

 

仏道を習うというは、自己を習うなり。

自己を習うというは、自己を忘るるなり。

自己を忘るるというは、

万法に証せられるなり。

万法に証せられるというは、

自己の身心および他己の身心をして

脱落せしむるなり。

「無量劫来生死ノ本(識神)」

仮和合(蘊の義)参禅夜話 飯田 欓隠)

()()(よその自分って言う意味の表現そっちの自己自他のない世界がクリアー仏様の世界自他でない世界)」(げんびーに 井上 貫道 老師)

空(無自性・不染汚・自在の三義)

不回互(差別・働き・法)

「死猫児頭、最も尊し(人の値をつくるなし)」

停心意識之運転・止念想観之測量

諸法従因縁生。従因縁生故無去来。無去来故無所住。無所住故畢竟空。言是般若波羅蜜。

因縁所生法・我説即是空因縁生は無自性

「喫茶去(茶を飲みに行け。出直してこい。)」

「六祖大艦慧能大師」

 

『集合体のものは塊はない。

「色」とは地水火風の四大要素の和合体なり。

「受」は六根が万境に対して受け込むいろいろの感覚なり。

「想」は像を写し、像を取る。

「行」は分別を起こし、相手を見て心が動き出す。その最もたくさんのものに名づけた。

「識」とは了別の性、この了別を誤まるとき凡聖が分かれる。識を認むれば妄想となり、認めねば宇宙的となる。』

井上 義衍老師語録 併 般若心経講説

「因縁生のものは実体がない。これをみな空という。」

井上 義衍老師語録 併 般若心経講説

「請益問(教えを請う)・呈解問(自己の見解)・蔵鋒問(懐中に匕首)」

「機(能観の心)(主観)」

「事(所観の境)(客観)」

業(縁起の法としての働きの様子を業とも名付けたのです)

「丙丁童子(びょうじょうどうじ)」

拈弄(ねんろう)(公案を解脱さらに公案を自己の見地から捌く修練をいう)担翁禅話 安永 祖堂老師

拈弄(ねんろう・注釈・拈って弄ぶ)(ひねくりまわす・切り上げる)

「教家手段

把住(学人の妄念妄覚を完全に奪い取る)」

接得手段(向上上昇せしめる手段)

放行(すっかり抜け切ってなにものにもとらわれなくなった自己をして、自由に解き放ち、実際の場において、その境位を全うせしめる向下の下降手段としてもちいられた教化方法)

 

趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)・徹通義介(てっつうぎかい)

菩提達磨(二入四行論)

僧璨鑑智(信心銘)

大鑑慧能(六祖壇経)

嘉玄覚(証道歌)

荷沢神会(神会語録)

馬祖道一(馬祖語録)

蘊(龐居士語録

黄檗希運(伝心法要)

臨済義玄(臨済録)

南泉普願(南泉語録)

趙州従諗(趙州録)

洞山良价(洞山録)

雲門文偃(雲門広録)

大慧宗杲(大慧普覚禅師語録)

五祖法演(五祖法演禅師語録)

明庵栄西(興禅護国論)

永平道元(正法眼蔵)

蘭渓道隆(大覚禅師語録)

南浦紹明(大応国師語録)

宗峰妙超(大灯国師語録)

夢想疎石(夢中問答)

寂室元光(1290~1367)

    (永源寂室和尚語)

 

中峯(ちゅうほう)明本(みょうほん)(1263~1323)

高峰原(こうほうはら)(みょう)(1238~1295)

孤峰覚的(1271~1361)

抜隊(ばっすい)(とく)(しょう)(1307~1387)

(塩山名法語)

一休宗純(狂雲集)

沢庵宗彭(不動智神妙録・太阿記)

鈴木正三(驢鞍橋・反故集・(ふもと)草分(くさわけ)・四民日用・万安禅師「曹洞宗」・大愚)

雲居希膺(雲居和尚語録)

()堂東寔(どうとうしょく)(1577~1661)

隠元隆琦(1592~1678)

(隠元禅師語録・黄檗和尚太和集)

至道無難(即心記・自性記)

卍山道白(鷹峰法語)

盤珪永琢(御示聞書・行業曲記)

白隠慧鶴(仮名法語)

大愚良寛(良寛禅師奇話)

 

「正観(せいかん)・

静慮(正しく法の生滅を観ること)・

寂静(法に住して乱れず)・

審虜(あれこれジュクリ考えることではなく、ものの生滅を有りの儘に明らかにすること)」

擬議(しりごみすること)

擬議(何か言おうとすること・「ちゅうちょ」の意はない思いめぐらす様子

擬議(躊躇)

(オー)(この野郎)

ラク回光辺照之退歩

 回光辺照(光を廻らして返し照らすと訓む)(心の作用が見るもの聞くものに移りゆく有様を光が物を照すのに譬へ、其の光すなわち心の作用を内の方へ廻らし返して己れの心の本體本性を明らかに照らすようにするが即ち回光辺照といふのである。

退歩を学すべし。(百尺竿頭さらに一歩を進むる(すがた)を之を名けて退歩といふ。)(回光辺照の(すがた)を形容した)(其處が即ち坐禅の目的であるから須からく退歩を学すべしと仰せられた。)

碧巖集講話・下・巻末・普勧坐禅儀 大内 青巒)」

「声聞(四諦)・縁覚(十二因縁)・菩薩(六度)」

「四聖諦(ししょうたい)」

「無常とは、現象が生滅変化していく法の性質をいう」

「涅槃(ニルバーナ・不生不滅)」

「悟りを有余涅槃という」

「野孤(真に悟ってもいないのに、悟ったふりをして他を欺き誑かすことを、野孤に喩えていう)」

「咄(言葉や文字で言い表すことの出来ないことを警め叱して吐く一語)」

「底(なに。なんぞ。疑問を表す助字)」

「磋過(つまずき)」

「羅漢(四果の階級・須陀洹果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果)」

「菩薩(十地の階級)」

 

心と云うは名のみ、有って実形なし古人は無心と云えり (大応仮名)

一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観(金剛経)

無記ー名が付けられないと云う意味

不可得ー存在としての実体をもたない為、認識の対象たり得ぬ

三昧・正受・当持・止息・寂静・禅定

からっぽの持続

諸法皆是因縁生

「生滅とは髄縁起滅の義・・・差別の現相に名づけた名である」

「鬼窟(情識にとらわれる世界)」

南嶽慧思禅師(南岳大師)

南嶽懐譲(677~)

 

心随万境転、転處實能幽。*幽(自在の義)(縁に応じて自在に転変する)

眼横鼻直

受(納領の義・苦楽捨)

只は余物を交えざるの義(禅学読本 飯田

打坐の打は成すの義(禅学読本 飯田

行(遷流の義)

如(如常・変易なき事)

「真如(ありのまま)」

「自性(ものが本来もっている固有性である)」

「空性(自性を欠いている状態である)」

「法(常に不変の意味を持つ)(動かぬ義がある)」「行(動いてやまぬ義がある)」

「和泥合水(わでいがっすい)()泥帯水(身を泥水によごすこと)(和光同塵・同意語)

(人々を済度するための慈悲心の方便)(泥と水とをごっちゃにした野暮な語という意味をいっている)」

「窠窟(かくつ)(窠は穴の中におる鳥の巣・窟は穴ぐら、共に穴の意)」

瞥地(べっち)・瞥(過目)(物をチラリと見ること)・地(助字)」(碧巌集講和 大内 青巒)

「智通(知恵通達)」

「坐物(疊)・蒲團(坐蒲)」」

【佛境界経

文殊菩薩問う

無為は是れ何の境界ぞ

無為は是れ非思量の境界なり】(碧巌集講和 大内 青巒)

「三祖道心禅師(信心銘の中の非思量の處、情識測り難し)」

居士(こじ)

逍遥(しょうよう)(気ままにあちこち歩き回ること)(そぞろ歩き・散歩)

運奔(うんほん)

執捉(しっしゃく)

神光慧可大師

三祖僧璨鑑智大師(そうさんかんち)

「五祖大師」

「慧能大師」六祖大艦慧能大師・慧能大鑑禅師・大鑑禅師(慧能)

大慧宗杲禅師(ダイエソウコウ)

靑原行思禅師

雪竇從顯禅師(セッチョウ)

詩(頌じゅ)・本則と頌(雪竇頌古・智鑑)・垂示(佛果圜悟禅師・克勤(えんごこくごん)200年後・著語(短評))

評唱・評(総評)

道元希玄禅師・道元大和尚

「巌頭全割(がんとうぜんかつ)

「雪峰義存(せっぽうぎそん)」

「過水の偈・洞山良价(とうざんりょうかい)」「我(現象の自分)・渠(本性の自分)」

 

無明(論理的二元論の別名)・唯識(絶対的観念論)(鈴木 大拙)

「念起是病、不続是薬」

踟蹰悚慄(ちちゆうしょうりつ)す」【踟蹰(躊躇)悚】【悚慄(自分と自分を恐れる)】【悚(おそ・れる)】【慄(おそ・れる。おのの・く)】

「二祖慧可大師(えか)・僧璨鑑智(そうさんかんち)・道信大医(どうしんだいい)・弘忍大満(ぐにんだいまん)・慧能大鑑禅師

一、本分 二、現成 三、色相 四、裁断 五、直指 六、為人 七、賊 八、機関 

(禅友に与ふるの書 飯田欓隠

向上・向下・理致・機関(言詮)(難透)難入(末期の牢関)()?機関・法身・言詮

法身・機関・難透・難解・法窟の爪牙(そうげ)・五位・十重禁・末期の牢閑・最後の一決

「理致・機関・言詮・透関・向上・難透・末期の牢閑」

「一、本分二、現成三、色相四、裁断五、直指六、為人七、賊八、機関」

「四念処(身・受・心・法)」

「止(一点集中)観(観察対象を広げる)(複数)」

疎山寿塔(難透随一)「運庵→虚堂」(古帆未掛こはんみか)(南泉斬猫)

蘊(アツマル)

 

把住(はじゅう心を一つに集中して念を出さぬこと)

瞋拳熱喝払拳棒喝

会下(門下)大事を明らめる決意接化(摂化摂受化益印記

即今底(六根の作用自体を言う)(無無無 より 井上 希道老師)

無生法忍(不生不滅の真如法性を認知して得る所の決定の位をいふ)

汝但諸縁、内クコト、心如クナレバ牆壁シト一レ二 (達磨大師)

過去七仏【毘婆戸仏・戸棄仏・毘舎浮仏・狗留孫仏・狗那舎仏・迦葉仏】

一隻眼(自己のないことが、はっきりすることである)(井上 大智)

三昧(境一枚に成り切って、何らの囚われもない義に取ればいい。音訳・「三摩地・三摩提・三摩帝」義訳・「定・等持・

調(ちょう)(じき)正心(しょうしん)行處(ぎょうしょ)」)

煩悩結使(クレーシャ・苦痛・心痛・非難)(惑・結使・塵労{漢訳})

 

【周羅の一結(を削ぎ落とす)(わずかに残る吾我の念慮をぶち切って終まう)】

【白槌(びっくつい)(告報の前に槌を打つのが式じゃ)】

「勘弁(師家と修行者、主客、禅体験の程度やその力量・見解・悟りなどの真偽正邪を検討しあうこと)」

「賊とは格外の人という義なり(古抄)」

無為(我をもとにした自分の生命の動きがないということ)」

自然(作意を加えないということ)」

「仏法(心のきまりごと)」

意度商量(色々と考えること)

 

如(不変の處をいう・境に転ぜられぬを如という)

「止(一点集中)観(観察対象を広げる)(複数)」

「已・イ・(すで・に)・のみ」

「巳・シ・ジ・み」

「己・コ・キ・おのれ」

(ほう)(ぎょう)(心を放って遊ぶこと)

()(じゅう)(心を一事に集中すること)

念(雑念・妄念というように、心にひっかかりをつくった状態)

{巴鼻(ばび)(把手(とって)のこと)}

「依(こだわる・とらわれる・よりかかる・ひっかかる・恐れる・誘惑される・惑わされる・)

(無依の道人)(自由無碍の人)」

「心(梵語カリダ)(草木などの(しん))」

()(じょう)(奪って許さないはたらき)」「放行(与えて捨てないはたらき)」

(がっ)水和(すいわ)(ぜい)・(自ら泥をかぶり、水に濡れて衆生済度に尽くす)

 

言葉のない世界、言葉を忘れた世界、言葉が浮かばない世界、如何

言忘慮絶

因縁所生法・我説即是空  因縁生は無自性

諸法実相一法印)

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。(寂滅為楽)(三法印)

一切皆苦(四法印)

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽。(大涅槃経)

死人となりてなりはてて、するわざぞよき(至道 無難)

見聞覚知    生仏

「空の真相とは因縁なんです」井上 義衍老師

達磨

外、諸縁を()め、内、心に(あえ)ぐことなし、(こころ)檣壁(しょうへき)の如く、以って道に入るべし

 

六祖壇経

外、一切善悪の境界に向かって、心念を起こさざるを名づけて坐となし、内、自性を見て動ぜざるを名づけて禅となす

 

坐禅儀

諸縁を放捨し、万事を休息し、心身一如にして動静(へだ)てなし

 

(心意識=心の粗細)

心=対境覚知異木石名為心

意=次心寿量名為意

識=了了別知為識

(念想観=研究の粗細)

念=これを想う

想=二度三度考える

観=いよいよ決定する」

普勧座禅義一茎草 (飯田とう隠)

心=はっきり自分がものを認めて、自分はものに対して、木や石ではないと感じる働き

意=ものを計る、分別する働き

識=決め込む。例えばないものをあると思い込む働き

念=考え、考えが一つだけあることは、ありません

想=念を相続していってしまうこと、続けて思うこと

観=

THE・禅(原田 雪渓

(対象界)

心(対境覚知)

意(思量・推量)

識(分別)

(意識界)

念(常念不忘・現在心)

想(思慮・過去心)

観(観察・未来心)

「恁麼(インモ)(什麼・甚麼)

字義

①是れ、是のように、如是(一体同化の意味)

②何ぞ、どうして、如何に(擬議の意味)」

③是れ、其の、彼の(指示語)」

坐禅を志す人へ 井上 希道老師

 

『心意識

「心(梵語質多Citta集起の義)」

「意(末那Mana)思量の義」

「識(毘若南Vijnana了別のこと)」』

対境覚知異乎木石。名之曰

心籌量。名之曰

了了別名。名之曰也。

(永嘉大師証道歌提唱 飯田隠老師)

【曹山大師

「正位は即ち空界にして本来物なし」

「偏位は即ち色界にして万象の象あり」

「正中偏は理に背いて事に就き、」

「偏中正は事を棄てて理に入る」

「兼中到(兼帯)は宜しく衆縁に応じて諸有に堕せず、染にあらず淨にあらず、偏にあらず、正にあらず、故にこれ虚玄の大道無著の真宗といふ」】(仏教要義 加藤  咄堂)

 

正(宇宙の本体)

偏(宇宙の現相)

正中偏(本体より現相を見たので、)

偏中正(現相より本体を見たので、)

正中来(正の方から行く)

偏中至(縁に随ひ機に応じてゆくので、)

兼中到(宇宙の妙用のあらわれた所で、)

(仏教要義 加藤  咄堂)

代語(公案に対する代案の提起)

別語(公案に対する別解の提起)

(じゅ)()(公案に対する詩偈による批評)

(ねん)()(公案に対する散文による批評)

(ひょう)(しょう)(じゅ)()(ねん)()を用いた講義・提唱)

(禅思想史講義 小川 隆)

「色(四大〈地水火風〉(大・到らざる非ざるなきを云ふ)」

「受(受け込む感覚)(苦楽捨の三受)(三苦〈苦苦・壌苦・行苦〉)」

「想(取像奔馳)(妄想)」

「行(最も其の多きを見る)」

「識(熾燃了別の性)(意・小乗)(唯識・大乗)(アラヤ識・第八識)」

「その作用と言うたんです。」(井上 義衍老師)

 

八に至って初めて悟りという言葉が許される(十牛図の八)

「見性(臨済の言う見性とは、十牛図でいきますと、牛を見つけたところで見性と言います。)

(省有りと呼んでいるところです)」(有時 提唱 井上 希道老師)

「恁麼・什麼(いずれ)・与麼・甚麼・(いんも・どんな・こんな・其の如し・其の通り・此の通り・宋代・俗語)」

 

「無為(有為の対象、つくられたものでないもの、生滅変化しないもの)」

「染汚(ぜんま・ぜんな・呉音ぜんお)」

意(感覚器官である)

印記

戒(シーラ)サンスクリット語

創の一字 ((つく)り出す)(())

定(ドヤーナ)

架空のもの

慧(プラジュニャー)・般若(プラジュニャー)

顕在(化)

冥伏(化)

「魔(殺者・能奪命)」

「色(物質的存在の意)」

貪瞋痴の三毒(貪瞋癡)

禅(梵語・禅那・思惟・冥想・静観)

「機(はたらきの意)」

「根(機能・能力)」

三徳 智((まど)はず)仁((うれ)へず)勇((おそ)れず)

只没(しも)・只麼(しも)・「ただ」という意の口語

愛見(愛は情意的な煩悩、見は理知的な煩悩)

機(はたらきの意)

「波瀾(波は少波・瀾は大波)」

「廻向(回向ともかく)」

「我人(人我・人間が内在的にもつと誤り考える実体)」

四祖道信(しそ道信)

 

心 巧みなるなる画師の如し

坐禅(禅那・ドヤーナ)

如如(真如の異名・五法の一)

無礙(自在に通達してさまたげるもののないこと)

無・空・無記

禅那(ドヤーナ)

空の体得

空(シューニャター)

菩提

色薀(地水火風「四大」)

自由無碍にして跡形の無いことを無為と言うのじゃ(井上義光)

[只管]ひたすら・純一無雑の意じゃ

江湖会(ごうこえ・江南湖北)

クラゲ(メクラのこと)

法憧地憧旗(どうばん)(旗章・はたじるし)

天竺(旗(法憧・自分の住している所へ旗を裁てる)

三障(煩悩障・業障・報障)

二障(煩悩障・所知障)

釣語(ちょうご)

紫・緋・黄(色衣)

「赤心(()(ごころ))」

「諱(いみな)(本名のこと)」

 

只没(しも)(只麼)[ただ]という意の口語」

独摂心・常摂心

只管打坐(しかんざ)

和顔愛語(わげんあいご)

「見惑頓断、破杓の如く思惑漸断、藕絲(ぐうし)の如し」

曹洞宗(そうとうしゅう)

五識(成所作智)

六識(妙観察智)

七識(平等智)

八識(大円鏡智)

九識(法界智)

姓・諱・字

法名(義玄)法字(臨済)

諱(恵鶴)字(白隠)

氏(うじ・姓)諱(いみな・本名)字(あざな)

師から戒名(いみな)授かる

九識心王(日蓮)

警覚策励・((きょう)(さく)・曹同宗)((けい)(さく)・臨済宗)

概念 観念 の世界

罣礙(けげ)(罣障り・礙妨げる・引っ掛かる・拘る・執われる)

「52位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)」

参同契(さんどうかい

嘉大師(ようが

佗己とは万法である(正法眼蔵啓迪 西有穆山老師)

趙州の栢樹子楊岐の金剛圏密庵の破沙盆東山の鐡酸餡

掛塔(かた・かとう)塔(掛ける)

掛錫(かしゃく)

 

直下(じきげ)自身(じみ)妄り(みだり)

六道四生(りくどうししょう)出生方法・胎卯湿化

人天眼目(五家の綱要書)

三重の義(理致・機関・向上)

波羅蜜多(到彼岸)

勘弁(人の罪過を許して問責しない)

【狸奴白牯(りぬびゃくこ)「狸奴(猫)白牯(牛)」】

勘弁(勘も弁も調べるの意)

【五陰・五蘊(積聚の義、集って成るものは空なるものぞの意)】

色(地水火風即肉体)

受(向ふから来るものを受けこむ感覚じゃ、眼の色に於けるが如しじゃ)

想(納領じゃ、受込んだものを想像するじゃ、これで善悪邪正が起って来る)

行(愈々遷流活動の義じゃ

識(心王で瞭別の義じゃ)

「五陰何れも愈々消滅して実体なき事の如しじゃ(永嘉大師証道歌提唱 飯田 隠老師)

四句百非(一・異・有・無)

「一切の論議(有・無・非有非無・亦有亦無)(四つの命題)」

四四=十六

過去・現在・未来 十六*三=四十八

既起・未起 四十八*二=九十六

根本の四句を加えて百非

論理形式

 

「大神(外から来る悪魔を払う)」

「大明(内から起る煩悩を払う)」

「無上呪(仏性の光輝く)」

「無等等呪(佛の慈悲心)」

「羯諦(迷いの岸から悟りの彼岸へ渡る)」

「波羅(総てを渡らす)」

「波羅僧羯諦(あまねく正しく渡らす)」

「菩提(覚り)」

「娑婆訶(成就)」

「定盤星(秤の起点となる星印のこと)(注意する必要も無いものである。それにもかかわらず、それに気を取られる者は無駄なものに執着しているのである。)(平面の基準となる水平な台のこと)(定磐)」

只管打坐(しかんだざ)

鉢(梵語・鉢多羅・訳・応量器)

狸奴白拈(りぬびゃっこ・猫・牛)

梅湯(ばいとう)

作麼生(そもさん・如何といふ会話語)

掃蕩(絶対平等)・建立(相対差別)

 

辜負(こふ)(こふ)(そむく・人の好意や期待などに背く、または無にする)】

(にい)(それのみ)

性とは決定不変の義

羅漢(声聞)

三細(業識・転識・現識)

六麁(ろくそ)(智相・相続相・執取相・計名字相・起業相・業繋苦相)

「阿(インド語)(無・不・非の三義がある)」

(それのみ)

(しゃ)()(しゃり)「今ここにおいて」ということです

「般若(智慧と訳す)」

生受(苦労)

(けい)(ねん)無事((けい)・遥かかなた)

人我(実体化された自己)

「性は不改を以って義となす」

(こつ)(木製・小棒)」

「平等・差別(正偏・黒白・参同・明暗)」

「回互(ものが互いに渉入すること)(ものが対立しながら融即する意にとる)」

 

「咄(驚きあやしんで発する声)」

「心王は心作用の根本となるもの」

「機関(機に対する関門)(修行者を接化指導する作略・手段をいう)」

「理致(道理・すじみちで修行者を接化指導する経論の道理をもってすること)(公案)」

「照(照用で心の働きをいう)」

「識心(心)」

「非思量(是法非思量分別之所解)(法菅経)」

「法縛(辺見)(法執)(理障)」

木火土金水(もくかどごんすい)・青赤黄白黒・春夏間秋冬

「去今来(こらいこん)」

「菩(覚有情)摩訶(大有情)」

金烏(きんう・カラス)

「二祖(両粗忌)三仏忌・達磨忌10/5・百丈忌1/17・涅槃会3/15・誕生会・成道会10/5」(成道日12/8

「心(如意宝珠・大道・阿弥陀・大通智勝仏・地蔵・観音・普賢・父母未生以前・本来面目ト名ク)」

「天(梵語で提婆)」

「本性(自心自性)」

「聖(四聖)(声聞・縁覚・菩薩・仏)」

払子(虫やほこりを払う)

「涅槃反対語生死(しょうじ)」

「淨名(維摩の漢訳)」

「希玄道元(高租承陽大師)(仏性伝来国師)」

 

「智(理を照らす・慧(事を照らす))」

「忽然念起を無明トイフ(馬鳴)」

授記(授けること)

機(ひきがね・発動の意)

受記(それとうけること)

「羅漢(無学)」

記別(一々区別して予言しること)

「三明(宿命明・天眼明・漏尽明)」

「善法(五戒・十善・三学・六度)」

堂頭(僧堂の師家)

末那(意・執我・分別)

12/14 成道会

《『「貪(どん)瞋(じん)痴(ち)慢(まん)疑(ぎ)悪見(あっけん)』『「忿(ふん)(いか・る)恨(こん)覆(ふく)(おお・う)(くつがえ・す)悩(のう)嫉(しつ)(ねた・む)(そね・む)慳(けん)(お・しむ)誑(おう)(たぶら・かす)諂(てん)(へつら・う)害(がい)憍(きょう)(おご・る)無慚(むざん)(は・じる)(はじ)無愧(むき)(は・じる)掉挙「昏沈・対義語」(じょうこ)(ふる・う)昏沈(こんじん)不信(ふしん)懈怠(けたい)放逸(ほういつ)失念(しつねん)散乱(さんらん)不正知(ふしょうち)』》

 

「非思量(是法非思量分別之所解)(法菅経)」

『阿頼耶「(眞諦三蔵=無没識(不失の義))・玄奘三蔵=蔵識(攝蔵の義)」』

「虚明(自己の心虚なれば明ならずと云ふことなし、鏡の物に應ずるが如し)」「虚((うち)に他を()れず)」

「有為(因縁によって造られた現象的存在)」

「無為(生滅を離れた常住絶対の法をいう)」

「無作とは心に何ものも造作しないことをいう」

「無我(一心不乱)(ある形になって心のどこかにあるのではない)(我を忘れてやっている)(妨げがない)」

恁麼とは如

「性空(萬法は因縁和合によりて生じたるものにして、その實性が空無なるを云ふ)」

「無性法忍(不生不滅の真如法性を認知して決定安住するを云ふ)」

道元禅師「一年栄西・六年明全・三年中国・二年如淨禅師」

「行入(報寃行隋縁行無所求行称法行)」

「轉とは宛轉投合の義、然れば宛轉し取り合わせ、人の機に投合する様に云ふ轉語とす(天桂禅師)」

『六喩「夢幻泡影露電(金剛経)」・「幻電夢炎・水中月・鏡中像(維摩経)」」』

 

虚堂十病論

病在自信不及処病在是非得失処病在我見偏執処病在限量窠白(くわきう)処病在機境不脱処

病在得小為足処病在一師一友処病在旁宗(ぼうしゅう)別派処病在位貌(ぼう)拘束処病在自大了一生不得処

()(ごう)野録(やろく)(そう)(りん)盛事(せいじ)枯崖漫録(こがいまんろく)雲臥(うんぐゎ)紀談(きだん)(さん)(なん)雑録(ざつろく)林間録(りんかんろく)人元(にんてん)(ほう)(かん)・(七部)臨済録(りんざいろく)大慧(たいえ)武庫(ぶこ)正宗讃(しょうしゅうさん)(十部)

五燈録(傅廣續挿聯普)傅燈録・廣燈録・續燈録・聯燈録・普燈録

南天棒禅話 (中原 鄧州・飯田欓隠?)  検定法

「無字」四十五則。「隻手」四十八則。「法身」「機関」「言詮」三百則。「法窟」「爪牙(そうげ)」百則。「葛藤集」二百七十二則。

「臨済録」三十則。「槐安国語」二十七則。「碧巌」百則。「無門関」四十八則。虚堂代(きどうだい)(べつ)」百則。「八難透」。

首山綱宗偈(しゅざんこうしゅうげ)」。(ふん)(よう)十智同心」。「白雲端三頓棒頌」。「碧前無辺風月の頌」。「碧後万斛盁舟の頌」。「十重禁」。

「達磨無相心地戒体」。「百八字の頌」。「提綱一々」。「五位提綱一々」。拶所(さつしょ)」無限。「末期の窂関」。

「最後の一決」。

禅の四病(作・止・任・滅)―円覚経

作―作為・行為する所に在るものと考える止―心の動きを止めること

任―其のまま主義・作為するに及ばず・念に止めを刺すに及ばず滅―泯絶の義・分別意識を掃蕩する

法相宗(五重唯識)(興福寺)三論宗(八不中道)天台宗(三諦円融観)華厳宗(法界観)真言宗(阿字観)

臨済宗(臨済義玄・黄龍慧南・楊岐方会)偽仰宗(偽山霊裕・仰山慧寂)曹洞宗(洞山良介・曹山本寂)

雲明宗?(雲門 文偃(ぶんえん)・法眼文益)(雲門宗・法眼宗)

空間 宇宙 空間の一部 空間の歪み 泡 宇宙が繋がっている 宇宙・空間はひとつ

不生・不滅 生じない(はじめから有る・姿になる・現象)・滅しない(元にかえる・変形するだけ)

時間 一瞬の連続

吸(足上)・呼(足下)・「4吸・7(止)・8(呼)秒。」

見思惑

「理に迷う=見惑・伍利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見止み易い)」

「事に迷う=思惑・(貪欲・瞋恚・愚痴・憍慢・疑心)((ぐう)()の如し)((はす)の根)」 井上 義光老師語録より

『煩悩(五位)「見一切性(三界一切に見惑)・欲愛性・色愛性・無色愛性(思惑)・無明性」』

「空劫以前=父母未生以前(ぶもみしょういぜん)」

「一切法(あらゆる現象)」

「鏡のような無我の境地」

思慮分別のない安楽地」

 

一隻眼・宗旨眼・二つの分別にわたらない・不二眼

「一隻眼(空の体得・無我の体得・一切皆空)」

一法印・三法印・四法印

二諦説(真諦・俗諦)

一転語(迷いから悟りの新境地を切り開く決め手の一語)

「二性空(有無・愛憎・善悪とかいふ二元的思想を起さぬことである〈大珠慧海〉))」臨済の基本思想(鈴木 大拙)

「巴陵の鑑禅の三転語

如何吹毛劍、珊瑚枝撞。如何提婆宗、銀椀裏盛如何道、明眼人落

「巴陸の三転語

巴陸

如何ナルカ是吹毛剣。」

陸云

珊瑚枝々撑ー着

【三身仏

「法身仏(真理そのものを本体とする仏)」

「報身仏(修行が報われた結果、仏となられた仏)」

「化身仏(私たちに応じた姿に変化して現われられた仏)」】

「法身(有為法の本質・本性としての真如、法性)」

「報身(修行によって報われた身)」

「化身(我々凡夫の心に現われた仏の姿等)」

兜率三関『無47』(上人性在甚処・眼光落時作麼生脱・四大分離向甚処去)(無門《不去・不来・不在・不住》)

黄竜三関『無』(佛手・驢脚・生縁)

雲門の三句(かん)(がい)乾坤(けんこん)・截断衆流・随波遂浪)

洞山の三路(鳥道・玄路・展手)

趙州三転語(碧96)

「三種の空(人空法空倶空)」

「三性(善・楽をもたらすもの)(悪・苦をもたらすもの)(無記・苦楽をもたらさないもの)」

「法身の三因(真如・智慧・功徳)・三徳恩徳(如来の大願力)断徳(一切煩悩を断じた)智慧の徳(一切諸法を照破する))」

三種境地・功徳

正位一色・(平等の世界)・大功一色(没縦跡(しょうせき)(あしあと)(捉われない)の世界)・今時一色(任運自在の世界)(分別否定)

三悪道(餓鬼・畜生・修羅)

「三苦(苦々(嫌のものに出会う苦しみ))・壊苦(えく)(気にいったものが壊れる苦しみ)・行苦(ものごとが諸行無常で移り行く苦しみ)」

「悪行を生長するをもって業と為。」

「慚(自らをかえりみて恥じる)」

「愧(他者に対して恥じる)」

「一心多境・一境多解」

「日面仏(寿命1800才・長命)・月面仏(寿命一日一夜・短命)」

 

三蔵教(教律論)

三昧(正受)

三眼【(法眼(法を知り)智眼(根性を感じ)慧眼(邪正を決択す)】

「三性説偏計所執性円成実性依他起性(縁起)」

三聚淨戒(攝律儀戒・攝善法戒・攝衆生戒)

貪瞋癡(どんじんち)

三悪道(趣)・四悪趣(道)「地獄・餓鬼・畜生・修羅」

三有(三界)(迷える衆生)・有(有漏(うろ)煩悩)

三有「欲界(六道)(食・淫・名利・睡眠)・色界(十八梵天)(清浄な肉体)・無色界(四空天)(精神の純粋状態)」

余念を交えず正受するがよい(三昧の訳)(南天棒禅話)

三要(大信根・大憤志・大疑情)

『三界』

     欲界地獄餓鬼畜生修羅人天上

『天上』

▲欲界四天王(持国天・広目天・増長天・多聞天)忉利天(帝釈天・四方に三十二天)夜摩天兜卒兜卒天化楽天他化自在天

『天上』

▲欲界

四天王(持国天・広目天・増長天・多聞天)忉利天(帝釈天・四方に三十二天)夜摩天兜卒兜卒天化楽天他化自在天

▲色界

初禅天(梵衆天・梵輔天・大梵天)

二禅天(少光天・無量光天・光音天)三禅天(少淨天・無量淨天・徧淨天)四禅天(福果天・無想天・無煩天・無熱天・善見天・善現天・色究竟天)

     無色界

空處天識處天無所有天非想非々想處天

 

『忉利天(帝釈天(善見城・喜見城)・善法堂天・山峯天・山頂天・鉢私地天・倶託天・雑殿天・歓喜園天・光明天・波利耶多樹園天・險岸天・雑險岸天・摩尼蔵天・施行地天・金殿天・鬘影處天・柔軟地・雑荘厳天・如意地天・微細行天・歌音喜楽天・威徳輪天・月行天・閻魔娑羅天・速行天・影照天・智慧行天・衆分天・住輪天・上行天・威徳顔天・威徳炎輪天・清浄天)』

 

四州』

▲東「弗婆提州(ほつばだいしゅう)」▲南「閻浮提州(えんふたいしゅう)」▲西「倶耶尼州(ぐやにしゅう)」▲北「鬱単越州(うつたんえつしゅう)」

 

三学

戒学(身口意の(さん)(まく)を止め善を修す)定学(心の散乱を防ぎ安静にする)慧学(煩悩の惑を破り真実の姿を見極める)

三時業報(順現報受・順次生受・順後次受)

「三達智(宿命智・過去)(天眼智・未来)(漏尽智・解脱)」

三句・三玄・三要(真仏・真法・真道)四喝・四照用・四料揀(しりょうけん)

【三句(一句(さん)(よう)(いん)(かい)朱点(しゅてん)(そばたつ)。来客擬議主賓分)(二句(みょう)()(あに)客無著問。漚和(おうわ)(いかでか)截流(せつる)機)(三句看取棚頭(ほうとう)傀儡(かいらい)

抽牽(ゆうけん)都来(つらい)裏有人)】(臨済録 大森 曹玄老師)

臨済の三玄説(体中玄・句中玄・玄中玄)

【三玄体中玄(法身仏・平等)句中玄(報身仏・差別)玄中玄(応身仏・没縦跡)】(無無無 より 井上 希道老師)

三要真仏(心清浄)真法(心光明)真道(処々無礙淨光)空名にして而も実有無し佛(体)法(相)道(用)真仏無形、真道無体、真法無物のゆえに本来実体なし、畢竟「空名」のみというのである】(臨済録 大森 曹玄老師)

「三句・三玄・三要(理智用)

三性分別(善悪無記)

「三性(善性・悪性・無記性)」

「三空(因縁空・心空・法空)」

「三愛(境愛・自体愛・当生愛)」

「三昧(そのものに成り切る)」

『三不能(世智弁才)①無縁の衆生を度することあたわず②衆生界をつくすことあたわず③定業を転ずる事あたわず』

「三際(去来今・現代・過去・未来)(過去・現在・未来)(外・内・中間・空間的概念)(無相・無窮・無住処)」

『三際(三世)「前際(過去)中際(現在)後際(未来)」(前後際断)(前後裁断)(前後截断)』

「三科の法門(陰・界・入)(陰・五陰色受想行識)(入・十二入・外六塵、色声香味触法・内六門、眼耳鼻舌身意)(界・十八界六塵・六門・六識)

 

三業(身口意)

三身 「法身(宇宙の真理) 報身(体得) 応身(教を()れる)」

三関門掃蕩門(勦絶(そうぜつ)把定・否定)建立門(扶起(ふうき)門・放行・肯定)没蹤(もつしょう)(せき)

『三障《煩悩障(貪瞋痴)》《業障(五逆・十悪)》《報障(地獄・餓鬼・畜生苦報)》』

「三事(貪瞋癡)」

「三苦(苦苦・壊苦(えく)・行苦)」

【「宏智(三種功徳)

     正位一色(差別がなくなり平等の世界が現われる)

     大功一色(悟りを得れば、何ものにも捉われない没蹤跡(あしあと)の世界が現われる

     今時一色(悟りを得れば、あらゆる分別を否定しつくして任運自在の境地が現われる)」】

四喝金剛(こんごう)(おう)宝剣(ほうけん)加()()(きん)(もう)獅子(しし)如探竿(よう)(ぞう)不作(なさず)一喝(よう)(臨済録 大森 曹玄老師)

四照用・(人天眼目より)先照後用(人)先用後照(法)照用同時(耕夫の牛・飢人の食・骨髄の鍼錐)照用不同時(問答・主賓・合水和泥・応機接物)】照(見る・観察する)用(作用・働き)(臨済録 大森 曹玄老師)

四料揀(しりょうけん)(奪人不奪境・奪境不奪人・人境倶奪・人境倶不奪)】

四賓主(好賓好主・好主好賓・悪主好賓・悪主悪賓)】

「四聖諦(苦集滅道)」

「四維(維=角=四隅)艮(東北)・巽(東南)・乾(西北)・坤(西南)」

「四縁(因縁・等無間縁・所縁縁・増上縁)」

『五祖法演の四端

五、          福を受けたすべからず、すわち必ず禍殃(かおう)をいたす

六、          勢いを使い尽くすべからず、勢尽すときは、すなわち定めて欺侮(ぎぶ)に遭う」

七、          語言は説き尽すべからず、説き尽せば、すなわち機密ならず。

八、          規矩(きく)は行ない尽すべからず、行ない尽すときは、衆住りがたし。』

 

四病(作・止・任・滅)(円覚経)

四大五薀

四大六根・四大色身

行入「報怨行・髄縁行・無所求行・称法行」

《四天(須弥山の中腹に由揵陀羅といわれる山があり、その東西南北に持国天・広目天・増長天・多聞天がある。

その四天にそれぞれ天主がいて、仏法を守護している。)》

四徳(常楽我淨)

「四念処(身念処・受・心・法)(常・楽・淨・我)(不浄・感受・無常・無我)」

四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)六凡(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)

三法・四法・五法

「一水四見(魚《宮殿》・天人《瓔珞》・餓鬼《濃血》・人間《水》)」

四相(生・住・異・滅)

『四種縁起(本性、本質、実体といったものは存在せず)加行唯識派(阿頼耶識縁起)如来蔵思想(如来蔵縁起)華厳宗(法界縁起)原始仏教(十二支縁起・業惑縁起)

『▲《頼耶縁起論(阿頼耶識に基づいて諸現象が成立する)▲《真如縁起・「如来蔵縁起」(一切の万法は真如、仏性からの縁に従って顕現するという考え方)》▲《華厳教学の起縁起観・事事無礙観・主伴具足(重々無尽を説き、唯心縁起の法門といわれる。その本性にそなわっている起の性質、すなわち動きという性能が外界に顕現した結果を縁起という)》▲《業惑縁起論(世界のあらゆる現象は、生き物の業因によって生じたものであ

『文殊(理)・普賢(行)・観音(大悲)・勢至(大智)』

 

四摂法(布施・愛語・利行・同事)菩提薩埵四摂法(布施・愛語・利行・同時)

「仏の智慧(四智・大円境智・平等性智・妙観察智・成所作智)」

「四摂法同時摂(布施《財・法》・愛語・利行・同事の四種の摂(衆生根縁を観察して、楽欲に元ずるように形影を分散し、和光同塵、おのが功徳に同じぜしめること)

『四相(我)(金剛経)

我相(実体としての自我があるとする観念)

人相(人であるとする観念)

衆生相(五蘊によって生存するという観念)

寿者相(一定のあいだ命あるものとする観念)』

「四句(一・異・有・無)(一非一・一句)(一亦非一・二句)(非一非ルス一・三句)(非トモ一亦タス一・四句)・乗(法・義)・4・4・16・過去・現在・未来・已起・未起・96非・元の4・100非」

「四等(慈悲喜捨)」

「四苦(生老病死)」

四諦・八正道

四無量心(慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心)

四重禁(殺・盗・婬・妄)

四顛倒(常楽我常)

四大・五大・六大・七大・五蔭・六根・六識・七識・八識・九識・九識心王

「⑤眼耳鼻舌身意(五識)(成所作智)⑥意(妙観察智)⑤と⑥(化身)⑦心識(平等性智)(報身)⑧含蔵識(大円境智)(法身)《四智》」

「五智(大圓鏡智・妙観察智・平等性智・成所作智・法界體性智)」

地水火風(四大)[空大・五大]・[識大・六大]

四弘誓願文(しぐせいがんもん)

「四徳・四法身(常楽我淨)」

「四魔(四怨)(煩悩魔《心身を悩ます》・死魔《生命を奪い》・陰(五蘊)魔《身体苦悩》・天子(天)魔《善行を妨げる》)」

「四恩(君恩・親恩・師恩・衆生恩)」

 

四威儀(常住坐臥)

四弘誓願「衆生無辺誓願度・煩悩無尽誓願断・法門無量誓願学・仏道無上誓願成」

四法界 ・教(仏陀の言教)・理(言教の説かれた道理)・行(道理に従う修行)・果(修行によって得る果)

四料簡 (奪人不奪境。 奪境不奪人。 人境両倶奪。 人境倶不奪。)

【四照用・(人天眼目より)先照後用(人)先用後照(法)照用同時(耕夫の牛・飢人の食・骨髄の鍼錐)照用不同時(問答・主賓・合水和泥・応機接物)】照(見る・観察する)用(作用・働き)(臨済録 大森 曹玄老師)

「照用権実の四句・照(観察)・用(實用應用)・権(機關差別)・實(本體平等)」

真宗の四法界(教行信証)

華厳の四法界 (四無碍=理無礙・事無礙・理事無礙・事々無礙)

「曹山の四禁

《五》               心處路(元来去来を絶してをる)

《六》               本来(更に本来ありや、出せ見ん)

《七》               正恁麼(夫れ丈け餘計じゃ)」

《八》               未生時(時はなんともいはぬぞ)槐安国語提唱第五則丈檗承嗣P486より

五濁「第一見濁(瞋火・焼かれ・貪水に溺れる)第二煩悩濁第三衆生濁第四命濁第五劫濁(時代の濁悪)」

五性(菩薩定性ー仏果・独覚定性ー辟支仏果・声聞定性ー阿羅漢果・三乗不定性・無姓有情)法相宗

「五味(乳・酪・生酥・熟酥・醍醐《酪(チーズ)》)」

「五種行(経の受・読・誦・解脱・書写)」

「五辛(韮にら)(薤らっきょ)(葱ねぎ)(蒜にんにく)(薑はじかみ・しょうが)」

「五停心(不淨観(貪)・慈悲観(瞋)・縁起観(痴)・界分別(我執)・持息念(数息観)(尋・伺))」

 

五見=有身見・辺執見(常見・断見)・邪見・見取見・戒禁取見

「五智(大圓鏡智・妙観察智・平等性智・成所作智・法界體性智)」

「五食(法喜食・禅悦食・念食・願食・解脱食)」

五眼五力(肉天慧法仏・信進念定慧)

五見=有身見・辺執見・邪見・見取見・戒禁取見

《六随眠(十随眠)貪・瞋・痴・慢・見・疑》

『五見「有身見(我見・我所見{我に属する})・辺執見(常見・断見)・邪見{因果の道理}・見取見{自らの見解を最高とし他の見解を誤り}・戒禁(かいごん)(じゅ)(けん){誤った戒律}」』

五欲=財・色・食・名・睡

「五欲(色欲・声欲・香欲・味欲・触欲)・又は(財・色・飲食・名誉・睡眠)・五境に対し(色声香味触))」

「五欲(色声香味触の五つの対象に対する欲望)(財・色・飲食・名(名誉)・睡眠)」

「五食(法喜食・禅悦食・念食・願食・解脱食)」

【五蓋(貪欲・瞋恚・惛眠・掉悔(じょうけ)・疑)惛沈・睡眠掉挙(じょうこ)(心を浮動させる)後悔(心を悩ませる)】

「五蓋(愛欲・瞋恚・昏沈睡眠・『掉挙・後悔・悪作(おさ)』・疑))

「五蘊(陰)盛苦(苦を盛る)(五蘊集苦)」

五停心観「(不淨観・貪・欲望)(慈悲観・瞋・怒り)(因縁観・癡{痴}・無知・因果の理)(界{十八界}差別観・我に対する執着・)(数息観・心の散乱・尋、伺)抑制」

「五根(信根・精進根・念根・定根・慧根)・根(能生・増生・増上の意味)」

五法「名=(事物の仮名)・相=(事物の色相)・分別=(分別虚妄の想念)・正智=(正見の智)・如如=(不変不異の真如)」

五薀・色(物質現象の世界)・受(感受の世界)・想(表象の世界)・行(意志の世界)・識(知識の世界)

『「五陰(五蘊)」色(身体)・受(感受作用)・想(想念作用)・行(心作用)・識(認識作用)「固定した実体的なもののないことをいう」・蘊(集められたもの)・陰(旧訳)』

空(実体のない事縁に応じて自在に変化すべき物

五陰(五蘊積聚の義で集まって成るものは空なるものぞの意

色(地水火風即肉体)

受(向ふから来るものを受けこむ感覚じゃ、眼の色に於けるが如しじゃ)

想(納領じゃ、受込んだものを想像するじゃ、これで善悪邪正が起って来る)

行(愈々遷流活動の義じゃ

識(心王で瞭別の義じゃ)

五陰何れも愈々消滅して実体なき事の如しじゃ(証道歌 飯田欓隠老師

五蘊

色(身体及び物質)

受(感受作用)

想(表象作用)

行(意志)

識(認識作用・識別作用)

 

洞山五位(禅語を読む 西村 恵信)

正中偏(君位)理法は現象世界では、はたらきとして現れる

偏中正(臣)現象世界は理法そのものである

正中来(君、臣を視る)現象世界は縁起の理法そのものである

兼中至(臣、君に向かう)現象世界は理に(かな)い、空に帰する

兼中到(君臣合す)理法と現象は一つである

「洞山功勲五位

一.向位(向かうべき方向)

二、奉位(奉仕すること)

三、功位(成就した位・大悟徹底)

四、共功位(教化自在の位)

五、功々位(共功位の究極)」

五眼=肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼

「五乗〈人乗・天乗・声聞乗・縁覚乗・菩薩乗〉」

五見=有身見・辺執見・邪見・見取見・戒禁取見

五仏(大日・不空成就・宝勝・(あしゅく)・弥陀)

「五性(凡夫性・二乗性・菩薩性・如来性・外道性)」

「五境(色聲香味触)」

五語=真語・実語・如語・不誑語・不異語

五相(起・住・来・去・語)

十惑(十使)(見惑)

五利使(見道)(身見辺見邪見見取見戒禁取見

五鈍使(修道)(貪瞋癡慢疑

五住の煩悩三界の見惑欲界の思惑色界の思惑無色界の思惑根本無明惑

五薀十八界

五停心観(ごじょうしんかん)(観法)(止行)・(不浄観(貪・欲望)・慈悲観(瞋・怒り)・因縁観(痴・無知)・界分別観(我執)(界・四界・地水火風)・数息観(尋・伺))

 

鎌倉五山・京都五山・北陸五山(永平寺・總持寺・寶鏡寺・大乗寺・永光寺)

「鎌倉五山(円覚寺えんかくじ)(見長寺けんちょうじ)(寿福寺じゅふくじ)(浄智寺じょうちじ)(浄妙寺じょうみょうじ)」

「京都五山(南禅寺なんぜんじ)(相国寺そうこうじ)(建仁寺けんにんじ)(東福寺とうふくじ)(万寿寺まんじゅじ)」

 

六趣(地獄趣・畜生趣・餓鬼趣・阿修羅趣・人趣・天趣)

『「東班【六知事】【都寺(つうす)】【監寺(かんす)】【副寺(ふくす)】【維那(いの)】【典座(てんぞ)】【直歳(しつず)】」

「西班【六頭首】【首座(しゅそ)】【書記】【蔵主(ぞうす)】【知客(しか)】【知殿(ちでん)】【知浴(ちよく)】」』

色声香味触法

六大・六界(地水火風空識)

「七大(地水火風空見識)」

「六念(六念処・六念法・六随念)念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天」

六波羅密(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)

「小室六門集心経頌破相論(観心論)二種入安心法門悟性論血脈論」

小室六門集心教頌破相論(相対的な考えを破る)二種入(真理に至る二つの道)安心法門(心を安らげる教え)

悟性論(人間の本質とは何か)血脈論(真理の伝わり方)()

南宗 六宗

「六知事(都寺(つうす)▲監寺(かんす)▲副寺(ふくす)▲維那(いのう)▲典座(てんぞ)▲直歳(しつすい)」

 

生死(しょうじ)

「七慢(慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑下慢・邪慢)」

『七仏「毘婆戸仏(びばし)・尸棄仏(しき)・毘舎浮仏・拘留孫仏(くるそん)・拘那含牟尼仏(くなごんむに)

・加葉仏・釈迦牟尼仏」』

菩提(覚・智・道)意訳

五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)

七逆罪(五逆罪・殺和尚・殺阿闍(あじゃ)()

十悪罪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚痴

「八大人覚(少欲・知足・楽寂静(ぎょうじゃくじょう)・勤精進(ごん)・不忘念・修禅定・修智慧・不戯論(けろん)

白隠八難透(法窟の関鎖)疎山寿塔牛窓櫺乾峰三種犀牛の扇子白雲未在南泉遷化倩女離魂婆子焼庵

1法身(悟りの体験)

2機関(悟りをはたらかせる)

3言詮(悟りを言葉にする)

4難透(悟りを徹底させる)

5向上(悟りを超越する)

6五位(悟りの整理)

7十重禁戒(悟りを日常の生活に活かす)

8末後の牢関(悟りの定義)

9最後の一訣(悟りからの飛躍)

笑う禅僧(安永祖堂老師)

長沙蚯蚓・

「八風(四順・四違{利・誉・称・楽・衰・毀・譏・苦(そし・る)})」

八正道

正見(業自性正見・十事正見「果報・父母衆生・現世来世」・四諦正見「苦集滅道」)・

正思惟(出離「離欲」思惟・無瞋思惟・無害思惟)・

正語(妄語・綺語・両舌・悪口)・

正業(不殺生・不盗・)・

正命(道徳・正当な生活)・

正精進(四正勤「断不善・不生不善・善の増長・生善)・

正念(四念処「身・受・心・法」注意・気づいた状態)・

正定(集中力を完成)

{正定正念によって正見が得られる}

「八正道(見・思・語・業・命・精進・念・定)」

「八種妄見(生滅・去来・同一・差別・断滅・常住)」

「八不(不生不滅・不垢不淨・不増不減・不去不来)」

「三論宗の八不中道(不生・不滅・不去・不来・不一・不異・不断・不常)」

 

九想観(九相・死体の朽ちていく)

 

十念(六念・念休息・念安般{呼吸}・念身{身非常}・念死)

十界・十界互具・百界・十如是・一念三千・空仮中の三諦・三諦円融

『十悪八邪(観無量寿経第十六の冥想の説明)「十悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・愚癡)八邪(八正道の逆)(邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪方便・邪念・邪定)」』

十二処・十八界(六根・六塵・六識)

 

金剛経(六喩の偈)

一切有為の法は夢幻泡影の如く、露の如くまた(いなずま)の如し。応にかくの如きの観を作すべし、と。

「法身・機関・言詮(ごんせん)・難透難解・五位・十重禁・虚堂代別・末後の牢関等・(公案配列)

(真空妙有)「法という何か実体らしいものが、存在しておるという事じゃないのです。そういう法らしい存在がないのが、法の実体なんです。」(正法眼蔵 行仏威儀 井上 義衍老師)

 

中論・十二門論・百論

何処(どこ)彼処(かしこ)

常住坐臥著衣喫飯屙屎(あじ)送尿

八風(利衰・苦楽・毀誉(きよ)称譏(しょうき)毀誉褒貶利害苦楽

天上天下唯我独尊・大地と有情同事成道山川草木悉皆成仏・有情非情同事成道山川草木悉皆成仏

天地同根万物一体

汝但諸縁、内クコト、心如クナレバ牆壁シト一レ二  (達磨大師)

一切の業障海は、皆妄想より生ず(普賢経)

我説即是空(龍樹の中観論) 因縁所生法、我説即是空、亦説為假名、亦説中道義

文殊(理・体・平等)普賢(智・相・差別)観音(用・平等差別理智一如円融)

 

十善戒

不殺生・不偸盗・不邪淫(身業)

不妄語・不綺語・不悪口・不両舌(語業)

不貪欲・不瞋恚・不邪見(意業)

「十波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧・願・力・方便・智)」

十二支

無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死

【大般若転読偈文

諸法皆是因縁生、因縁生故無自性、

無自性故無去来、無去来故無所得、

無所得故畢竟空、畢竟空故是名般若波羅蜜、南無一切三宝無量広大、発阿耨多羅三藐三菩提】

十二因縁(順観・逆観)

無明(むみょう)(過去世の無始の煩悩・迷いの中)

(ぎょう)(志向作用・業)

(しき)(識別作用)

名色(みょうしき)(物質現象・精神現象)

六処(ろくしょ)(感覚器官「眼耳鼻舌身意」)

(そく)(六つの感覚器官に感受対象が触れる事・外界との接触)

(じゅ)(感受作用)

(あい)(渇愛「有愛・非有愛・欲愛」刺激欲・心の刺激)

(しゅ)(執着)

()(存在・生存)

(しょう)(生まれる)

老死(ろうし)(老い・死)

 

余念なく、素直に思い(素直な心)、行い、(言動)、成り切る、其の侭に、有りの儘に。

死後(死)・死前(生)・生前(?)・生後(死)

死ぬまで生きる

生きている間は死なない

死んだ後は生きない

生きながら死んでいる者はいない(渡辺 充)

死にながら生きている者はいない

自己との会話を切る・しない。(())

在りの侭)(())

生命の個・個の生命(())

執われた状態如何・執われない状態如何(())

迷執が薄れる(浮かび難い)(())

創の一字 ((つく)り出す)(())

「無思」(())

「陀羅尼(翻訳によって原意からはずれることを厭い、サンスクリック語をそのまま漢字に音写した経文のこと)」

「修正義(還俗し在家主義を唱えた仏教学者大内青巒が明治23年(1890)に作成」

「警策(文殊菩薩の手の代わりとみなされている)」

 

 

自己との対話(抽象体)(抽象との対話)(())

「あると思う」と「ある」ことの違い(認識・概念・観念と事実)(())

心は有るものでは無く、生じるもの(縁に依りて・眼で見・耳で聞き・・・心が生じる

(心を持ち来たれ・不安を持ち来たれ・罪を持ち来たれ)」(())

心・ある・あるない・生じさせた・「生じさせたり、生じさせなんだり、自由自在」(())

左の耳から右の耳へ抜ける(莫妄想・二念を継がず)(())

実体化された・・・(())

「意識が起きない不念起不生無心意根を坐断大死一番死に切る一念さえ起きない(二念は妄想)」(())

無心非思量忘我自己を忘じて止心意識停念想観(())

『迷則此岸。悟則彼岸。迷悟共亡。離彼此岸』

「把握(肯定)・放行(否定)」

「這箇(しゃこ)(それ)・那頭(あれ)」

「無位の真人とは体験のことである」

 

業(行為とその行為が及ぼす影響力のこと)

 

考えた時にある思った時にある思ったら発生するあるのでは無く、思ったらある

既にあるのでは無く、発生させている(創り出している)(())

「思い考え雑念想念妄念観念イメージ自己との会話自問自答マインド・トーク」思量・不思量・非思量(())

「加える捏造(ねつぞう)誤解妄想被害妄想関係妄想」(())

自動思考認識をゆがめるもの認知のゆがみ(())

不生の仏心・不生仏心(())

発生する(生ずる)(())

 

馬祖(嗣・南嶽懐譲・法嗣・百丈壊海・南泉普願・帰宗(きす)()(じょう)・麻谷宝徹・盤山寶積

百丈壊海・法嗣・黄檗希運・潙山霊祐)(南泉普願・法嗣・趙州従諗・長沙景岑)(帰宗(きす)()(じょう)・法嗣・大愚・芙蓉霊訓)(盤山寶積・法嗣・普化

 

【学道用心集

菩提心を発すべき事

正法を見聞し、必ず修習すべき事

仏道は必ず行に依って証入すべき事

有所得心を用いて、仏法を修すべからざる事

参禅学道は正師を求むべき事

禅に参じて知るべき事

仏法を修行して出離を欣求する人は、須らく禅に参ずべき事

禅僧行履の事

道に向かって修行すべき事

直下承当の事】

 

 

「楞厳経」 鈴木 大拙 悟りより

憍陳(きょうちん)五比丘

(仏の音声で悟る)(所証の機縁)

優婆尼沙陀

(不淨相を観じて無学道を成じた)

香厳童子

(沈香を嗅いで・木に非ず・火に非ず・去るに著くる所なく、来るに従って来る所なし・こう感じて無漏を発明した)

薬王薬土

(二人の菩薩・苦い・酢ぱい・(から)い・淡い・甘い・(から)い・空に非ず・有に非ず・身心に即するに非ず・身心に離る々に非ず・という所から、悟りを開いた)

跋陀婆(ばつだば)()及び十六人の開士{菩薩}

(お風呂・触覚から悟の道に入った)

摩訶迦葉及び紫金光比丘尼

(世間の六塵即ち実在と考える世界は変壊の性で実体の無いものである・空寂であると悟って諸漏、有漏の境界を離れることが出来た。)

阿那律陀(あなりつだ)

(目なくして十方を観見する時に、精眞洞然として掌の上の果を観るるが如しに感じて阿羅漢になった)

利般特(しゅうりはんどく)迦(記憶不足の羅漢・出入の息を調べる・悟の境界に立入った)

憍梵鉢提(きょうぼんはだい)

(味の性質を分析・体のも非ず・物にも非ずを観じて三有を遠離すことが出来た)「*(三有・三界・{欲界・色界・無色界})」

畢陵伽婆蹉(ひつりょうがばしゃ)

(毒の刺・非常に痛んだ・清浄心は痛・非痛を感じぬものと観じて三七日のうち無学を発明した・苦しみの性質を分析してその道に入ったものとみえる)

()菩提(ぼだい)

(空性を証得して羅漢道を成就)

舎利(しゃり)(ほつ)

(迦葉兄弟に会って、諸法因縁の法を聞いて、心の無際を悟った・大無畏を得た)

普賢菩薩(ふけんぼさつ)

(心聞発明して、分別自在の所に円通した)

孫陀羅難陀

(坐禅して鼻端白きを観る観法・鼻中の気を見るに出入煙の如し・身心内に明らかにして(まど)かに世界に洞徹して(あまね)く虚淨の状態である玻璃(はり)の鏡・出入の息が光明赫奕として十方世界を照らすまで心の光が輝き出で、円通を得る)(*淨玻璃(はり)の鏡・閻魔庁で生前の善悪の行為を映し出す鏡)

富樓那彌(ふるなや)多羅(たら)尼子(にし)

(辯「*弁」才無礙な所から苦諦は元来空であると説いて実相に達した・法音を以って魔怨を消滅・そこに円通の相を見た人)

優波離(うばり)

(戒律の生涯・身心寂滅の境界に入ることを得た)

大目(だいもく)健連(けんれん)

(因縁法に深き意味を存すを聞いて阿羅漢道を成就した)

烏芻瑟摩(うすさま)(*明王)

(不淨を除く神・火光三昧力で、すべてのものを焼き尽くして、そこに円通を感じ得た人)

持地菩薩

(大地の性と自分の肉体の性と同一性を有って居るということを感じて道に入った・土木行動)

月光菩薩

(水観の力によって無碍を得た人)

瑠璃光法王子

(風力を観じて安心の道を得た)

虚空蔵菩薩

(虚空を観じて虚空の無辺なることを観察して円通を得た)

弥勒菩薩

(一切は唯心である、唯識であると観じて円通を得た)

大勢至菩薩

(念仏から円通を得られた)

観音菩薩

(聞の中に、流を(かへ)して、所を亡じ、所入既に寂にして、動静の二相了然として生ぜず・聞もなく所聞もなく・覚と所覚とも空である・空と所空も亦滅し了る・生滅も亦滅して寂滅が現前する。十方円明境界に入る・慈悲の力を体得せられた・悲仰性を得られた・)慈悲を垂れる力と慈悲を願う力との両方を感得せられた)

(*円通・智慧によって悟られる絶対の真理・作用は自在)

(*追加項目)

 

無記(記すことが無い)(ネット佐倉哲エッセイ集より)

(十難無記)

一、世界は無住である

二、世界は無常である

三、世界は有辺である

四、世界は無辺である

五、身体と霊魂とは一つである

六、身体と霊魂とは別である

七、人格的完成者(如来)は死後に生存する

八、生存しない

九、生存し且つ生存しない

十、生存しないし且つ生存しないのでもない

(十四難無記)

十一、世界は無住且つ無常

十二、世界は無住でもなく無常でもない

十三、世界は右辺且つ無辺

十四、世界は右辺でもなく無辺でもない

(ネット佐倉哲エッセイ集より)

『無記

①世界は時間的に常住であるか

②世界は時間的に常住であるか

③世界は空間的に有限であるか

④世界は空観的に無限であるか

⑤霊魂と身体は同一であるか

⑥霊魂と身体は別異であるか

⑦如来は死後に存在するか

⑧如来は死後に存在しないか

⑨如来は死後に存在しかつ存在しないか

⑩如来は死後に存在するのでもなく存しないのでもないのか』

(仏教思想のゼロポイント 魚川 祐司)

「開経偈

無上甚深微妙法

百千万劫難遭遇

我今見聞得受持

願解如来真実義」

 

三十七品

四念住(四念処)

(観身不淨観受是苦観心無常観法無我

四正断(四正勤)

(未生悪令不生已生悪令滅未生善令生已生善令道増長

四神足

(欲神足心神足進神足思惟神足

五根

(信根精進根念根定根慧根

五力

(信力精進力念力定力慧力

七等覚支

(択法覚支精進覚支喜覚支除覚支捨覚支定覚支念覚支)

八正道支(八聖道)

(正見道支正思惟道支正語道支正業道支正命道支正精進道支正念道支正定道支)

 

釈迦十大弟子

舎利弗(しゃりほつ)智慧第一

目建(もくれん)超能力

大迦葉(だいかしょう)厳格な修行者

須菩提(しゅぼだい)「空」の最高理解者

富楼那(ふるな)説法の名手

 

迦施延(かせんねん)論議の達人

阿那律(あなりつ)天眼の持ち主

優波離(うばり)戒律の精通者

羅睺羅(らごら)釈迦の息子

阿難(あなん)記憶力抜群

 

 

【十六條戒

三帰戒(信門)(南無帰依仏・南無帰依法・南無僧)

三聚淨戒(願門)(攝律儀戒・攝善法戒・攝衆生戒)

十重禁戒(行門)(不殺生戒・不偸盗戒・不貪淫戒・不妄語戒・不酤酒戒・不説過戒・不自讃毀他戒・不慳法財戒・不瞋恚戒・不謗三寶戒)】

 

西天四七(二十八)

一、摩訶迦葉(マカカセフ)二、阿難陀(アナンダ)三、商那和修(ショウナワシュ)四、優婆鞠多(ウバキクタ)

五、提多迦(ダイタカ)六、彌遮迦(ミシヤカ)七、婆須密(バシュミツ)八、佛陀難提(ブツダナンダイ)

九、伏駄密多(フダミツタ)十、波栗濕縛(バリシバ)十一、富那夜奢(フナヤシキ)十二、阿那菩提(アナボダイ)

十三、迦毘摩羅(カビモラ)十四、那伽閼羅樹那(ナギヤアラジュナ)十五、迦那提婆(カナダイバ)十六、羅睺羅(ラゴラ)

十七、僧伽難提(ソウギヤナンダイ)十八、伽耶舎多(ガヤシヤタ)十九、鳩摩羅多(クモラタ)二十、闍夜多(シヤヤタ)

二一、婆修盤頭(バシユバンゾ)二二、摩拏羅(マヌラ)二三、鶴勒那(カクロクナ)二四、獅子菩提(シソバダイ)

二五、婆舎斯多(バシヤシタ)二六、不如密多(フニョミツタ)二七、般若多羅(ハンニャタラ)二八、菩提達磨(ボダイダルマ)

 

菩薩の修行(五十二位)

十信・十住・十行・十回向・まで・(凡夫の位)・から・十地・等覚・妙覚・(菩薩の位)・

十地「歓喜地(布施)・離苦地(持戒)・発光地(忍辱)・焔慧地(精進)・難勝地(禅定)・現前地(智慧)・遠行地(方便)・不動地(智度)・善慧地(願度)・法雲地(力度)」

前七地まで(有功用道)後八地以上(無功用道)

「菩薩の十信・十住(三賢)・十行(三賢)・十回向(三賢)・十地(十聖)」

 

五十二位「(煩悩を断破する階級を示したものである。)(我執、妄想の惑を断ずるのである)

(見惑・知恵の惑・理に迷ふているものを云ふ)(思惑・情意の惑・事に迷ふている者を云ふ)」

十信・・・初発心(三世因果ヲ信ジテ悪ヲ悔ヒ将来ノ悪ヲ憎ミ身口意ノ三業ニ於テ悪ヲナサヌ

十住・・・声聞・縁覚(善悪因果ヲ信ズルノミナラズ見聞覚知ノ事物に執着スル念慮ナクシテ

十行・・・      宇宙ノ真相ガオボロゲニ知ラレル

十回向・・

十地・・・菩薩(初地ヨリ九地ノ菩薩ニ至ルト我執ト法執トヲ除イテ真如ノ真相ヲ知ル故ニ迷イナシ)

等地・・・仏(金剛不壊ノ心ヲ得ル爆地一破シ来ル)

妙覚・・・

親鸞のはらわた(井上 義光老師)

 

経行経行鐘(きんひんしょう)

粥座(しょくざ)齋座(さいざ)薬石(やくせき)

 

()()(一回)引磬(いんきん)(四回)引磬(いんきん)(一回)」()()(二回)(ちゅう)(かい)経行(きんひん)二便往来」

 

 

坐布(ざふ)・坐蒲(ざふ)・坐褥(ざにく)・坐物(ざもつ)

 

 

 

二十四流宗源圖記(虎關和尚)

一、千光派 建仁開山 千光国師 栄西禅師(備中吉備津の人)

二、道玄派 永平寺開山 道元禅師(山城京師の人)

三、聖一派 東禅寺開山 聖一国師 

圓爾辨圓禅師(駿河安部郡の人)

四、法燈派 興國寺開山 法燈圓明国師 

心地覚心禅師(信州神林の人)

五、大覚派 建長寺開山 大覚禅師 

蘭渓道隆禅師(宋、西蜀の人)

六、兀庵派 建長寺第二世 兀庵普寧禅師(宋、西蜀の人)

七、大休派 淨智寺開山 大休正念禅師 (支那、温州の人)

八、法海派 仏心寺開山 法海禅師

無象静照和尚(相州鎌倉の人)

九、無学派 圓覚寺開山 無学祖元和尚

佛光禅師(宋、明州の人)

十、一山派 一山一寧禅師(宋、臺州の人)

十一、大應派 横嶽寺開山 大應国師

南浦紹明禅師(駿河安部郡の人)

 

十二、西派 西子曇禅師(宋、臺州の人

十三、鏡堂派 鏡堂覚圓禅師(宋、西蜀の人)

十四、佛慧派 佛慧禅師靈山道隠和尚(宋、杭州の人)

十五、東明派 東明慧日禅師(宋、明州の人)

十六、清拙派 清拙正證禅師(支那、福州の人)

十七、(みん)()派 (みん)()楚俊禅師(元、明州の人)

十八、愚中派 佛通寺開山 愚中周及禅師(美濃岐阜の人)

十九、竺仙派 竺仙梵僊禅師(元、明州の人)

二十、別傅派 別傅妙胤禅師(元の人)

二一、古先派 古先印元禅師(九州薩摩の人)

二二、大拙派 大拙祖能禅師(相州鎌倉の人)

二三、中厳派 中厳圓月禅師(相州鎌倉の人)

二四、東凌派 東凌永璵禅師(元、四明の人)

 

 

 

祖 師 年 表

 

釈尊 前五世紀

摩訶迦葉(まかかしょう)(禅宗西天第一祖)(西天第一祖の迦葉尊者)

64年中国渡来(覚「筧」山宝巻)

白馬寺AD68(中国最初の寺)

芙蓉道楷(ふようどうかい)(~118

竜樹(ナーガールジュナ)150-250

無着310-390

無着(395470

世親320-400頃(400480

善無畏  金剛智 

不空三蔵

密教唐で活躍 

鳩摩(くま・くも) 羅什  344-431413350-409 

道安(仏図の弟子)312-385

傅大士(傅翕・497569

真諦499-569

不空金剛705-774

肇法師(僧肇)(そうじょう)(嗣鳩摩 羅什・実子?) 384(374)-414

僧肇384374-414

僧叡378-444

道融372-445

道生?-434

肇論

仏図 澄(ぶと ちょう)232-348310-洛陽へ

曇鸞(どんらん)476-542

無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経

中国浄土経・中国十三宗

僧稠(大乗心行論)480-560

善無畏  金剛智 

不空三蔵

密教唐で活躍 

インド僧

淨影寺 慧遠 大乗起心論義疏 523-592 

菩提達磨 ?~528 112150歳) 521年

達摩(禅宗東土初祖)

菩提達摩

達磨初祖

中国着 (二入四行論)

曇鸞(どんらん) 476-542

僧稠(大乗心行論)  480-560

慧可4875934/22

傅大士(ふだいし)  497569

傅大士(傅翕・ふきゅう)(在俗居士)(497~569)」

三祖僧璨500505-606)(信心銘)僧璨鑑智

慧文

南岳慧(惠)思(515-577

天台智顗  538597

三論吉蔵(549-623

聖徳太子574-622

四祖道信580651道信大医

玄奘三蔵602-664 3/7(四大訳経家)

 

618-907 唐 (289年)

杜順(とじゅん)・智儼(602-668)(則天武后)・法蔵(643-712

慈恩大師(基)632-682

玄奘三蔵602-6643/7

五祖弘忍  ?602674675弘忍大満

五祖(修心要論・『最上乗論』)

六祖 慧能 638-713 (六祖壇経)慧能大鑑

牛頭 法融675-713(嗣四祖道信)(心銘)

神秀 ?~706 

慧忠国師

耽源和尚

法如(六祖)  638689

永嘉 玄覚(ようがげんかく(ようか) 675-713(証道歌)

証道歌(最上乗仏性歌)

南嶽 懐譲  677-744 神会      684-758荷沢神会(神会語録)

青原行思(ぎょうし)

石頭希遷(嗣青原行思)700-790(参同契)

薬山惟儼(~828

浄衆寺無相  684-762

保唐寺無住  714-774 

馬祖 道一 709-788  (馬祖語録)

天台湛然(711-782

荊渓湛然(釈韯)

華厳澄観(738-839

潙山霊祐771-853(いさんれいゆう)

仰山慧寂807-883

仰山慧寂(法嗣 南塔の光湧{こうゆう})

南塔の光湧{こうゆう}(法嗣 芭蕉禅師)

香巌智閑(きょうげんしかく(ちかん))生年不明??

經山洪?

霊雲志勤(見桃)

劉鉄磨尼

大梅法常(752839)(だいばいほうじょう)

盤山宝積(720-814)(嗣 馬祖)

普化和尚(嗣 盤山宝積)

(ちょうか)(どう)(りん)(ちょうかどうりん)(741~824)

百丈 懐海 720(749)-814 

百丈大智禅師

黄檗希運  生年不詳(伝心法要)(法嗣(はっす)睦州道從(ぼくしゅうどうしょう)・法嗣 雲門文偃(うんもんぶんえん)(~949))

臨済禅師(臨済録)

西堂 智蔵 735-814 

霞天然(739-824

南泉 普願748-835  

南陽慧忠?-775

趙州従諗(778-897

宝寿(ほうじゅ)

塩官(えんかん)

夾山善会(かっさんぜんね)805-881

巴陸顥鑑(はりょうけんかん)

「曹山慧霞(そうさんえか)」

 

 

飛鳥時代(538645

538(百済から仏教伝わる)

593(聖徳太子摂政となる)

607法隆寺建てられる

奈良時代(645794

645(大化の改新)

672(壬申の乱)

701(大宝律令)

空海(774835)(師・真言宗 八祖 惠果(けいか)阿闍梨)

最澄 (7667679/15822)(師・道邃(どうすい)) 2年後 帰朝

平安 (794-1185)  (392年)

法然源空 (11331212

明恵  1173-1232

明庵栄西(興禅護国論)

鎌倉(1185-1333)(149年)

明菴(みょうあん)栄西(建仁寺)11411215 (嗣虚庵懐敞)(ようさい・えいさい)

明庵栄西(みんなんようさい)(1141~1215)(建仁寺開山)(千光和尚)

法 然  11331212

明恵  1173-1232

親 鸞11731262

兀庵普寧(11981276)(西蜀の人・1260来朝・1265帰国)

希元道元(27才悟る) 1200年 1/19~ ~1253年 9/22

ニ祖 孤雲 懐弉(元達磨宗の人)

三祖 徹通 義介

瑩山 紹瑾(けいざん じょうきん)

寒巌義尹(かんがんぎいん)(1217-1300)(嗣懐奘)

無学祖元(1226-1286(嗣)無準師範

聖一国師  弁円 円爾(べんねんえんに)  1202-1280

(嗣)無準師範

日 蓮12221282

明全~1225

蘭渓道隆 帰化  1213-1278

「蔵山順空(ぞうざんじゅんくう)(12331308)」

南浦 紹明(大応国師)   1235-1309(大応国師語録)

兀庵普寧(ごったんふねい)帰化  ?-1276

宗峰 妙超(大燈国師)  1282-13381/13(大灯国師語録)

法燈円明国師  1207-1298

良遍僧都(11941252)(観心覚夢鈔・かんじんかくむしょう)

 

 

安史の乱(755-763

圭峰宗密 780-841

洞山良价(とうざんりょうかい)807869(宝境三昧)

大珠 慧海 -800  -830 

ほう居士  ?ー808

徳山 宣鑑 782-865 

帰宗智常(兄弟弟師・南泉)

(法嗣・大愚)

法嗣・芙蓉霊訓ー法嗣・雪峰義存

(雪峰の法嗣・玄沙師備)

浄衆寺無相  684-762

保唐寺無住 714-774 

疎山匡仁(そざんきょうにん)(837909

雲門 文偃(ぶんえん)((嗣雪峰 義存)  864-949

洞山守初(とうざんしゅしょ)(嗣雲門 文偃(ぶんえん))

投子大同和尚(とうすだいどう)(819914

羅漢桂琛(けいちん) 867-928

風穴 延沼(ふけつ えんしょう) 896-973

玄沙 師備(嗣雪峰 義存) 雪峰 義存(嗣徳山)  835-908

巌頭(嗣徳山) 洞山守初(嗣雲門 文偃)  822-908

巌頭全奯(がんとうぜんかつ)(嗣徳山)822-908

雪峰 義存(~908(嗣徳山)(雪峰の法嗣・玄沙師備(~835))

巌頭全豁(がんとうぜんかつ)(828887

欽山(きんざん)

瑞巌師彦(しげん)

曹山慧霞和尚

禾山無殷和尚(かざんむいん)(884960

布袋和尚契此(けいし)(不明~917)

布袋(契此 長江子 かいし ちょうこうし)(?~917?)

 

帰宗智常(きすちじょう)

帰宗道詮(きすどうせん・930985

618-907 唐 (289年)

汾陽善昭  947-1024

祖堂集 952

宗鏡録 961

960-1127 北宋(167年) 1127-1279 南宋(152年)(319年)

 

 

仏国国師(高峰顕日) (心地覚心)  1241-1316

(無本覚心)(無門慧開の印可)(普化宗・和歌山)

中峰明本  1263-1323中峯(ちゅうほう)明本(みょうほん)(1263~1323)

明庵栄西(興禅護国論)

永平道元(正法眼蔵)

慧蕚(えがく)

蘭渓道隆(大覚禅師語録)

高峰原(こうほうはら)(みょう)(1238~1295)

孤峰覚明 (三光国師)  1271-13616/27

南浦紹明(大応国師語録)

宗峰妙超(大灯国師語録)(1282-1337

徹翁義亨(テットウギコウ)(1295-1369)(嗣 宗峰妙超)

徹翁 義亨  1295-1369

寂室元光(1290~1367)    (永源寂室和尚語)

抜隊(ばっすい)(とく)(しょう)(1307~1387)(塩山名法語)

抜隊和尚(ばっすい) (孤峰覚明の印可)  1327-1387

愚中 周及  1323-1409 10/4

室町(1333-1573)(241年)

梅天禅師(兄弟弟子・至道無難)1561-

愚堂東寔  1579-1661

大愚宗築  1584-1669

夢想疎石(夢中問答)

一休宗純(狂雲集)

沢庵宗彭(不動智神妙録・太阿記)1573-1645

鈴木正三(驢鞍橋・反故集・(ふもと)草分(くさわけ)・四民日用・万安禅師「曹洞宗」・大愚)

雲居希膺(雲居和尚語録)

安土桃山(1573-1603)(31年)

隠元隆琦(1592~1678)

(隠元禅師語録・黄檗和尚太和集)

 

 

 

 

石頭自回和尚(せきとうじかい)

汾陽善昭947-1024

雪竇 重顕980-1052如淨の師(雪竇頌古)

雪竇重顕禅師(セッチョウジュウケン・9801052

黄竜慧南1002-1069(黄竜三関)

兜率従悦(とそつじゅうえつ)1044-1091兜率の三関

宏智正覚(わくしんしょうかく)

大慧和尚(法嗣 圜悟)  1089-1163

如淨 1162-1227(嗣雪竇智鑑)

五祖法演(嗣白雲守端)(法嗣圜悟)1024?~1104

東坡居士(蘇軾)(そはく)(10361101

圜悟 克勤(えんご こくごん)  1063-1135

(垂示・著語・評唱)(頌・百則頌古)

()(がい)和尚(おしょう)(圜悟克勤・嗣偃谿(えんけい)禅師(ぜんじ)

高峰原妙(1238-1295)(24歳悟)(法嗣中峰 明本)

中峰 明本   1263-1323(嗣高峰原妙)

無準 師範   1178-1249

無門慧開  1183-1260

虚堂和尚1185-1269

 

 

1368-1644 明

 

1368-1644 明

 

960-1127 北宋(167年) 1127-1279 南宋(152年)(319年)

 

 

菩提達磨(二入四行論)

 

僧璨鑑智(信心銘)

大鑑慧能(六祖壇経)

嘉玄覚(証道歌)

荷沢神会(神会語録)

馬祖道一(馬祖語録)

蘊(龐居士語録

黄檗希運(伝心法要)

臨済義玄(臨済録)

南泉普願(南泉語録)

趙州従諗(趙州録)

洞山良价(洞山録)

雲門文偃(雲門広録)

大慧宗杲(大慧普覚禅師語録)

五祖法演(五祖法演禅師語録

西伯鈔

宗門葛藤集

空谷宗(くうこく)

汾陽録(ふんようろく)

道樹録

撃節録(きゃくせつろく)

永平頌古

拈評三百則(ねんぴょう)

請益録(しょうえき)

 

益翁宗謙(やくおうしゅうけん)  ?-1570

 

江戸(1603-1868)(266年)

至道無難(宿屋居士)  1603-1676(嗣愚道禅師)(即心記・自性記)

月舟宗胡(1618~1696)

卍山道白(1636~1715)(鷹峰法語)

盤珪永琢(ようたく)  1622-1693

道者超元(1602~1662)(どうしゃちょうげん)(念仏禅・盤珪)

鉄眼道光(1630~1682)(てつげんどうこう)

正受老人(的翁・道鏡 慧端)   1642-1721

無著 道忠(妙心寺派 碩学)  1653-1744

白隠 慧鶴  1689-1768

大休 慧昉  1715-1774

東嶺 円慈  1721-1792

大休 慧昉  1715-1774

仙厓 義梵  1750-1837

藤原惺窩(ふじわらせいか・元相国寺僧)

林羅山(元建仁寺僧)

国仙和尚(法嗣(はっす・良寛)

良寛(1758-1831大愚良寛(良寛禅師奇話)

風外本高禅師   1779-1847 6/22

諸嶽奕堂   1805-1879 M12 6/22

越渓守謙(えっけいしゅけん)1810-1884(妙心寺)

癡鈍者一線和尚(証道歌直截(じきせつ))

今北 洪川(こうせんそうおん)18161826-1892(円覚寺)

萩野独園(おぎのどくおん) 1819-1895

太元孜元(たいげんしげん)(?-1837)(法嗣 儀山善来)(岡山曹源寺)

儀山善来(ぎざんぜんらい)(1802-1878)(法嗣 滴水 宜牧)

滴水 宜牧(てきすいぎぼく)1821-1899(天竜寺)

明冶(1868-1912)(45年)

 

西有 穆山(ボクザン)  1821 10/23-1910 12/4

中原 南天棒(鄧州全忠)  1839(天保10-1925(T14

龍淵 玄碩   1842-1918

飯田 とう隠  1863(文久34/22-1937S129/20 74歳

鈴木 大拙  1870(M3 11/11-1966(S41 7/12 96

 

18701213m3/11/2)~1949s24)・42

加藤 咄堂 ( 友 島田 番根 みつね) ( 師 大内 青巒)

( 師 大内 青巒)  島田自照居士  島田軍吉

関 精拙(1877-1945

竹田 黙雷 岡本 南海(印記) 18??()-1930S5)歳 M25 39歳 建仁寺管長 

井上 義衍  18947/27-1981S433/2 6/15 87

大正(1912-1926)(15年)

 

昭和(1926-1989)(64年)

山田無門 1900-1988

大森 曹玄  1904(M37)-1994(6) 8/18 90歳

青野 敬宗  1914(3)1/7-1993(5) 3/11 79

川上 雪担  ー2011.5/25

平成(1989-

 

 

語 句

 

 

(伊)渠・彼

 

(恁麼)甚麼・乍麼・與麼・什麼(同義)

そのような・このような・あのような

 

(一隻眼)

左右の眼以外の一つの眼うぃ云ふ(見處の高き眼、照見の正しき眼の意)

 

(地)

覚えず出す声の境

(舟を引く時に発する声)

 

(偈)頌

 

 

(四威儀)行住坐臥

 

緇(シ・くろ)(僧)素(ソ・ス・もと・より)(俗)

 

(作麼生)如何・どうだ・どうした・如何なるわけ

 

 

(打成一片)

打して一片と成す

成り切ること

 

(底)其のものと云ふ意

 

 

(什麼)何物

 

(涅槃)

滅度・圓成・寂滅・無為・無作・無生

迷妄を脱し真理を究め、寂滅無為の法性を究めて不生不滅の法身の眞證に帰するを云ふ

 

 

 

(無相)一切の執着を離れたる境界

 

 

 

 

 

 

禅書をお譲りいたします

 

200102月更新


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画 像 

商品番号

著作名

著者名

定価

売値

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ページ数

発行日

備 考

 

新品 IMGP1698.JPG

譲渡済001

国訳禅宗叢書虚堂和尚語録6・7・8巻

 

,000円*3
15,000円

18,000円

横約   15cm
縦約   21cm

約    470P  *3

S・49・
6・30

譲渡済

書込みあり

譲渡済

国訳禅宗叢書虚堂和尚語録6・7・8巻

 

,000円*3
15,000円

16,000円

横約   15cm
縦約   21cm

約    470P  *3

S・49・
6・30

譲渡済

 

 

国訳禅宗叢書枯崖漫録・感山雲臥紀談・山庵雜録・人天寶鑑

 

,000円

横約   15cm
縦約   21cm

約 705P

S・49・
8・25

 

  IMGP1674.JPG

002

従容録講話

秋野孝道

12,500円

1,000円

9800

30,000

横約   15cm
縦約   21cm


,100P

S・52・
4・22

 

  IMGP1671.JPG

003

東溪宗牧禅師語録

 

細谷喝堂

 

,000円

横約   15cm
縦約   21cm



900P

41

 

  IMGP1701.JPG

004

白隠禅師
息耕録開筵普説講和

峯尾大休提唱

,500円

,000円

横約   15cm
縦約   21cm



550P

S・52・
2・10

 

  IMGP1697.JPG

005

正法眼蔵啓迪
上・中・下

西有穆山禅師提唱

,200円*3
,600円

12,000円

横約   15cm
縦約   21cm

約     650P  *3

S・56・
5・26

 

 IMGP1697.JPG

006

正法眼蔵啓迪
上・中・下

西有穆山禅師提唱

,800円*3
,400円

10,000円

横約   15cm
縦約   21cm

約     650P  *3

S・40・
4・8

 

  IMGP1700.JPG

007

天桂禅師
碧巌録講義和本

上・中・下

 

2円70銭

10,000円

横約   15cm
縦約   21cm



100P

*3

M・38・
12・25

41

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新品 IMGP1678.JPG

譲渡済み

009

天台宗
論議200題

  古宇田亮

,000円

31,500

横約15cm

約  770P

S・50・ 10・25

東陽堂・

小林書房

45,000

 新品 IMGP1679.JPG

譲渡済み

010

天台宗
論議100題自在房

  古宇田亮

,000円

17,500

縦約21cm

約  360P

S・52・ 11・24

東陽堂・

小林書房

25,000

 

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品目リスト

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画 像 

商品番号

著作名

著者名

定価

売値

サイズ

ページ数

発行日

備 考

 

  IMGP1699.JPG

011

禅門法語集   上・中・下

 

  4円

18,000円

24000

25900

 

横約   15cm
縦約   21cm

約    

570P

*3

T・10・
6・13

48

H8

抜隊・月庵・一休・無難・白隠・聖一・大応・宝山・大燈・明峰・夢窓・大智・峩山・大道・正眼沢水・等 

IMGP1669.JPG

 

碧巌録新講和

井上 秀天

2円八十銭

,500

横約   13

cm
縦約   19

cm

,024P

S・8・2・5

 

 表紙傷 み

012

禅門法語集   上・中・下

 

  4円

16,000円

横約   15cm
縦約   21cm


570P

*3

T・10・
6・13

 同上

 

013

禅の語録1
達摩の語録

柳田聖山

,200円 

非譲渡

,000円

4000

横約   15cm
縦約   21cm



250P

S・44・
7・20

二入四行論

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

014

禅の語録2

初期の禅史Ⅰ

柳田聖山

,800円 

非譲渡

,000円 

4000  

5000

横約   15cm
縦約   21cm



430P

S・46・
3・10   

楞伽師資記・伝法宝記 

 

015

禅の語録4

六祖檀経

中川 孝

,500円 

非譲渡

,000円 

4000

6800

横約   15cm
縦約   21cm



250P

S・51・
2・20 

 

 

 

禅の語録5

 

馬祖の語録

入矢義高編

,500円

 

横約   15cm
縦約   21cm



220P

S・59・
10・10 

 

 

016

禅の語録6
頓悟要門

平野宗浄 

,200円 

非譲渡

,000円 

4000

4800

横約   15cm
縦約   21cm



230P

S・45・
3・30 

 

 

017

禅の語録7

ほう居士語録

入矢義高

,700円 

非譲渡

,000円

4000

5000

横約   15cm
縦約   21cm


220P 

S・48・

11・30 

 

 

018

禅の語録8

伝心法要

宛陵録 

入矢義高

,200円

非譲渡

4000

4800

横約   15cm
縦約   21cm

 

 

 

 

019

禅の語録9

禅源諸詮集都序 

鎌田茂雄

,600円 

非譲渡

,000円

4500

5800

横約   15cm
縦約   21cm


370P

S・46・
12・20 

 

 

020

禅の語録11
趙州録 

秋月龍珉 

,200円 

非譲渡

,000円 

8800

4500

10800

横約   15cm
縦約   21cm  



450P

S・47・
12・15 

 

 

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商品番号

著作名

著者名

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備 考

 

 

021

禅の語録16

信心銘 証道歌  十牛図 座禅儀

梶谷宗忍

柳田聖山

辻村公一

,100円

非譲渡

,000円

4500

6800

横約   15cm
縦約   21cm  



240P

S・49・
7・10

 

 

022

禅の語録17

大慧書

荒木見悟

,200円

非譲渡

,000円

3000

5000

横約   15cm
縦約   21cm  



270P

S・44・
5・10

 

 IMGP1669.JPG

譲渡済023

禅の語録19
禅関策進

藤吉慈海

,200円

非譲渡

,000円 9000

6800

11880

横約   15cm
縦約   21cm  



240P

S・45・
8・20

譲渡済

 

 

禅の語録19
禅関策進

藤吉慈海

,200円

非譲渡

,000円 9000

6800

11880

横約   15cm
縦約   21cm  



240P

S・45・
8・20

 

 

037

  玄沙広録

上・中・下

 

 

 25000

30000

32400

 

 3

  62

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神会の語録

唐代語録研究班

6300

6000

横約   15cm
縦約   21cm  

372P

 

H18/

6/28

 

 

024

碧巌録大講座

第一巻~

第十五巻

(全 15冊)

加藤咄堂

2円
*15

32,780円

アマゾン2016/5

横約   15cm
縦約   21cm



400P

S・15・
6・15

15

 

碧巌録・無門関・信心銘・参同契・宝鏡三昧・証道歌・本朝参禅録

 IMGP1673.JPG

025

白隠禅師提唱
碧巌集秘抄

 

10,000円

 

,000円

横約   15cm
縦約   21cm



900P

S・48・
8・31

限定600部内294番
原版T・5覆刻版

 

026

碧巌録講話
上・下

釈 宗演

1円50銭
1円70銭

,000円

横約   15cm
縦約   21cm

約 500P  *2

T・4・
10・1

T5・

12・23

 

 

027

碧巌録講話
前編・  後編

釈 宗演


,000円

横約   14cm
縦約   19cm

約 430P  *2

S・5・
5・20

 

 

028

現代碧巌録
上・下

村瀬玄妙

,800円

,000円

横約   14cm
縦約   19cm

約 430P  *2

S・47・
5・26

 

 

029

新釈
碧巌集

風間敏夫

,800円

,000円

横約   14cm
縦約   19cm



450P

1978・
2・25

 

 

030

碧巌物語

山田無文

,500円

.000円

横約   15cm
縦約   21cm



370P

S・51・
6・20

 

 

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画 像

商品番号

著作名

著作名

定価

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備 考

 

  IMGP1696.JPG

031

  禅門逸話集

 

 

 12000

 

  3

  58

 

  IMGP1676.JPG

032

  鉄笛倒吹講話

  風外禅師述

  8000

 

 8000

 横約   16cm
縦約   23cm  

 約」213P

 H元年

 

 

033

  禅の心髄

無門関

  安谷白雲

 

  非譲渡3000

 

 

 s46

 

 

 

034

  無門関讃燧

飯田トウ隠

 

 非譲渡3000

 

 

 h26

 

 

 

035

 無門関

  朝比奈宗源

 

 非譲渡2500

 

 

 

 

 

 

036

 禅の心髄

従容録

 

 

 非譲渡4000

 

 

 s48

 

 

 

 

百家の逸話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

円悟心要

 

2.500円?

 

非譲渡

 

 

 

 

東陽堂・

小林書房

 

 

梅天禅師仮名法語

 

4、580円

非譲渡

 

 

 

 

東陽堂・

小林書房

IMGP1675.JPG

008

槐安国語
提唱録

飯田トウ隠

10,000円

非譲渡

28,000円

横約   15cm
縦約   21cm

約    

700P  

S・63・
7・30

29

 

 

 

 

禅友に与ふるの書

飯田トウ隠

5,000円

非譲渡

 

 

 

 

みづほ書房

販売中

 

038

  参禅漫録

 飯田トウ隠

  2000

 非譲渡3000

 

 

  61

 

 

 

039

  トウ隠禅話集

 飯田トウ隠

 

 非譲渡9000

 

 

  10

 

 

040

  禅学読本

 飯田トウ隠

  2000

 非譲渡2500

 

 

  63

 

 

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画 像 

商品番号

著作名

著者名

定価

売値

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ページ数

発行日

備 考

 

 

041

  趙州録開莚普説

 飯田トウ隠

  3000

 非譲渡3000

 

 

  7

 

 

 

042

  永嘉大師正道歌提唱

 飯田トウ隠

  1000

 非譲渡1500

 

 

 s36

 

 

 

043

無門関讃燧

飯田トウ隠

3000

非譲渡

 

 

 

 

 

044

  普勘坐禅儀一茎草

 飯田トウ隠

  2000

 非譲渡12000

 

 

  S8

 

 

IMGP1677.JPG

045

碧巌集提唱録

 飯田トウ隠

,000

非譲渡500030,000

 

926P

431215

 

 

046

現代相似禅評論

破有法王

匿名

(飯田トウ隠)

6500

 

10,000

 

横約   15cm
縦約   21cm

350

60520

 

 

047

  春翁とう文語録

 伊牟田トウ文

  3500

 非譲渡

 

 

 

 

 

048

 

 

 

 

 

 

 

 

  IMGP1702.JPG

049

  参同契葛藤集・宝鏡三昧歌講話

岸沢惟安 

  1,500

 

 4800

 

 

 S47820

 

 

  IMGP1663.JPG

050 譲渡済

  関山慧玄禅師伝

  廣田宗玄

  2500

 

  横約   16cm
縦約   23cm  

  256P

 2009/6/25

  譲渡済

 

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商品番号

著作名

著者名

定価

売値

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発行日

備 考

 

 

051

  無門関を読む

ひろ さちや 

  2800

 

 

 

  2005/1

 

 

052

公案解答集

ひろ さちや 

  2800

 

 

 

  2006/2/14

 

 

053

  心銘提唱

 井上義衍

 

 非譲渡

5000

 横約   15cm
縦約   21cm

  P87

  S50/6/20

  無空堂

 

054

  げんにーび(現成公案提唱録)

  井上 貫道

1400 

 非譲渡

  横約   15cm
縦約   21cm

  221P

 

 H1311

 

 

055

  照庵大智老尼語録 上

 照庵大智(井上 大智) 

 3000

 非譲渡

   横約   15cm
縦約   21cm

  211P

 

H20/5/3

 

 

 

056

  禅道法話集

貫首禅師 

(北野 玄峰)

 

 5000

    横約   15cm
縦約   21cm

  122P

 

  S4/8/30

 

 

  IMGP1694.JPG

057

  宗鏡録(5冊)

  永明延寿禅師

1200元 

(一元=1215円)

  5,000

 

     横約   15cm
縦約   21cm

 

  85

 

  ページ端折アリ多数

058

 THE・禅

  原田雪渓

  2,136

 10,000

非譲渡

 横約   14cm
縦約   

19cm

  294P

  1994

 

 ページ端折アリ多数

059

 参同契普説

 原田雪渓

  1,942

 2,500

10,000

非譲渡

 横約   14cm
縦約   

19cm

  251

  1996

  二冊ある為

きれいな方を

7,000円で譲ります

 

060

 宝境三昧普説

 原田雪渓

 2,000

2000

非譲渡

 

 横約   14cm
縦約   

19cm

 348

 2013

ペンハウス 販売中

2016年現在

 

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備 考

 

 ページ端折アリ多数

061

 南天棒行脚録

  中原鄧州

  1300

 7,500

 横約   13cm
縦約   

19cm

  413

1984年 

 

 

ページ端折アリ多数

 

062

 

南天棒禅話

中原鄧州

1,300

5,000

 

 横約   13cm
縦約   

19cm

300

1985

 

 

063

禅の真髄

岡本 南海

90

3500

5800

非譲渡

横約15cm
縦約21cm

236

 

M45/4/25

 

 

 

064

円悟心要講話(道元禅の要諦) 

小川 弘貴

 

 

 

 

 

 

 

065

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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語 録

MS明朝

 

語 録

 

 

語 録

 

 

語 録

 

語 録

MS明朝

 

 

 

 

 

 

 

語 録

 

語 録

MS明朝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

語 録

 

語 録

MS明朝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

語 録

 

語 録

MS明朝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

語 録

 

MS明朝語 録

 

 

 

 

 

 

 

語 録

 

語 録

MS明朝

 

語 録

 

 

板橋 興宗老師 絵画 リンク

 

 

人生は河の流れのごとく 絵

人生は河の流れごとく Cirl+クリック)

 

 

猫のように生きる 絵

猫のように生 trlリック)

 

 

 

心が軽くなる生き方のヒント 絵

 

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鈴木 大拙(前)リンク先

 

鈴木 大拙

 

臨 済 の 基 本 思 想(全集第三巻)鈴木 大拙

臨済の基本思想 全集第三巻 鈴木 大拙

「知性的なものでなかった」

「分別意識上」

「分別智(論理的思索)」

「直示説法」

四喝・四料揀・三句・三玄三要・四賓主・四照用

「人格的代名詞」

「仏性を見ることを禅経験とした」

 

『彼(黄檗)は心を説く(心思想)(萬法唯心)(唯傅一心)(自心本来是佛)(本源清淨心)(此心即無心之心)。』

 

「心思想」

「概念は抽象的」

「分析の結果・分別識上の話」

「法身の寂・報身の智・化身の用」

「淨妙国土(清淨衣・法身仏)・無差別国土(無差別衣)(報身仏)・解脱国土(光明衣)(化身仏)・(法報化)(清淨・無分別・無差別)」

「此の種の身、是れ你が即今目前聴法底の人なり」

「用(文殊)(法身妙慧)(理)・無差別(普賢)(智身知根)(菩行)・解脱(観音)(大慈悲)(生死)」

「長沙景岑(嗣南泉普願)」

「眼(文殊)(妙観察智)(源に返る)・耳(観音)(大慈)・心(普賢)(妙行)」

「人には何も不足がない」

「現今目前聴法無依道人」

「佛は本来佛なのだから作佛の成佛のと云ふことはいらぬ」

「用思想」

「禅機の挙揚」

「四料揀(人境論)」

「四照用(照用論)」

「三句・三玄・三要」

「文殊(理)・普賢(行)」

「應物現身」

「三句・・・一句須らく三玄門を具すべし、一玄門に須らく三要を具すべし」

「知性的領解」

「室内の秘事」

「賊・截断・色相」

「根機を料揀」

「概念の上で云えるこてで・・・」

「見得する四つの方角であると云ってよい」

 

『「学人接得の方法論

六祖慧能(見)・荷澤神會(知)・馬祖道一(大用)・臨済(人)」』

「心・性・智・法」

「佛・眞身・本来身・法身」

「達摩が心を説き、慧能が見性を説いても、・・・」

「建立(肯定)・掃蕩(否定)」

「欠少無し」

「使用自在」

「草賊大敗(小盗人は大敗をやったわい。)」

「一拶を與へる」

「心(いつわ)る」

「知識を求めるのでないのは固まりであるが、・・・」

「未得底」

「四喝(金剛王寶剣・すべてのものを截断するに喩へたと)(人境倶奪)(用)」

「踞地金毛の獅子(喝の體)(踞地・不動)(何ものも近傍すべからずであろう)・存在の実体は、思量分別即ち理性的分析を容れるべき餘地のないもの、そのままで體得すべきであるといふ意味なのである」

「探竿影草・竿(魚釣竿の先に何かつけて魚のゐるか、ゐないかを探索することだと云ふ)(人を試みる喝)(言語道断底)」

「無義を義とするものである」

「受け取る対機と心境如何に由るものである」

「知性衣・理性衣・分別衣」

「赤裸裸・本来無事の姿に直面」

「無分別が分別せられ、分別の底に無分別を見るのである

「求心歇む處即ち無事なり」

「無事・無功用・無造作・平常」

「畢竟空を徹見することに外ならぬのである」

『「無明の一念の起滅の處を求むるに不可得なることを了することである」「貪愛の一念なるものは諸法空相の處には何ものの攫み得べきにあらざることを了することである」

「元来清淨の法界では一念心の解を入るべきなきを了することである」「煩悩などといふものの元より空にして依る所のないものであるといふことを了することである」「因縁も空、心も空、法も空なることを了することです」』

「知性的技巧」

「相似の表顯」

「文字の勝相」

「霊性的自覚はこのはたらきそのものであると云はなくてはならぬ」

「聞くものを見つけるわけにいかないのである」

「浄土思想では他人のはたらき」

「本願の機能」

「聞くものが聞く」

「あるものはありないものはない」

生死というは因果のことである

「白隠の皮薄」

「枯木の禅徒」

「知性的分別を掃蕩」

「二性空(有無・愛憎・善悪とかいふ二元的思想を起さぬことである〈大珠慧海〉))」

「解脱は知性的分別の論理から離れる義」

「離脱の事実があれば、それはそのままで霊性的自覚の體得なのである」

「布施(二性空)」

「一切性空」

「一切處に無心なることを得(一相もの得べきものなしといふことになる)」

 

臨済の基本思想 全集第三巻 鈴木 大拙

臨 済 の 基 本 思 想(全集第三巻)鈴木 大拙

 

禅の思想

禅の思想 (鈴木 大拙)

『まえがき』

「禅は行為である」

「だれの行為か」

「概念的把握」

「知的にいえば・・・、行の面からすれば・・・」

「守一・看淨・看心

「体(静態面)・用(動態面)」

「禅の思想(無知の知・無念の念・無心の心・無意識の意識・無分別の分別・相非相即・事事無礙・万法如如)」

「禅の行為(無功用・無行の行・無用の用・無作の作・無求の求)」

「禅意」

『まえがき』

《第一編 禅思想》

『ニ入四行観(二種入)(四行観)』

「為客塵妄想レテ、不能顕了スルコト

「行入(報寃行隋縁行無所求行称法行)」

「性(絶対的実在)」

「三種の空(人空法空倶空)」

「壁観(真性と冥符)」

「寂然無為の境地(離分別)(真性)」

「無我(無心・無為・無求)」

「安心無為」

「主意」

「人惑(業縁の現実にまどわされぬ)」

「倶空(否定をまた否定する)」

「法を得た(不得の得)」

「体認」

「印証(諸仏所伝の心体なり)」

「行(用)」

『ニ入四行観(二種入)(四行観)』

 

『安心法門』

「不生是非

阿誰カトハ者亦我也

「不

「心は有無の範疇にはいらぬものだ」

「迷い(自心計・自心現量)(分別計較)(憶想分別)」

「行は用(はたらきである)」

「識心寂滅、無動念処、是名正覚」

「同一事象」

「物に即して見を起さず」

「知性的方面・行為的方面」

「行為禅」

『安心法門』

 

『信心銘』

「心が有心の心になると、もともと洞燃として何らのさわりものもなく、明白をきわめたものが、見えなくなる。」

「絶言絶虜」

「不ムルコト、唯ラク。」

は求めずしておのずから現われる」

「四句骨子

、」

亦莫ルコト

一心不レバ

万法無トガ。」

「非思量処」

「知的分別(揀沢)」

「情意的分別(憎愛)」

「不揀沢(天上天下唯我独尊)」

「不分暁漢(わからずや)」

「四庫奴(でんしゃぬ)(いなかもの)(無智文盲のわからずや)」

「理非の道筋」

「花開き花散る

『信心銘』

 

『頓悟無生般若頌(顕宗記)(()(たく)神会(じんね))(686~760)』

「般若は法身の論理性である」

「無知・無生・無行」

「我法(人法)」

「禅意」

「妙有を摩訶般若と云う」

「真空を清浄涅槃と云う」

はたらきの面から見て、いろいろと名を異にするのである」

「同じものをわけて話する」

「即非論理の形式(回互論理)」

「霊性的自覚」

「印度式(静態性)=一種の観法(心を凝らして静寂を守る)」

「中国式(動態的方向)=禅をはたらかさんとする」

『頓悟無生般若頌(顕宗記)(()(たく)神会(じんね))(686760)』

 

参同契(さんどうかい)

「参(まじわる)」

「同(万別千差の個多の世界をそのままにして、そこに万法斉観底の一物のあることを指示するのである)」

「契(参同の事実を経験し、認識し、契悟するの義である)」

「契証の義(心)(契悟)」

「事(個多の世界)・理(一元)」

「回互(一切諸法の間に見られる相即相入の関係)」

「不回互(個多からそれぞれの立場に住していることである)」

「回して(え・して)」

「殺人の機・活人の用」

「個多の世界」

「聞声悟道・見色明心」

「明(千差の個多の世界)・暗(平等一色の世界)」

「静態禅・動態禅・看心禅・清淨禅・黙照禅・看話禅(かんな)

参同契(さんどうかい)

 

坐禅箴(宏智(わくし)撰・道元撰)

「無分別之思」

「紛飛の動念」

「分別識上」

「肯心自ら許す」

「肯他(自肯)」

「分別の思ひなし」

坐禅箴(宏智(わくし)撰・道元撰)

《第二編 禅行為》

「無功用の行為ー無作の作」

「了得」

「偏固」

「分別意識的」

「個多」

「根源的禅経験」

「六六でも九九でも八八でもないし三八九でもよいで(無理会の文字)」

「応ジテハス、」

「我執」

「舌がなければ、善もいわず悪もいわずである」

「見性経験」

「無分別の分別・無知の知・無功用の功用・無心の心(禅経験)」

()(こん)(耳分別)・眼根(見分別)」

「心、形なくして不可得なりと知る」

「心不壊・心無心・心不可得・心無形・無覚の覚」

「見即是性」

「不可知論」

「論理・概念・思惟」

「父母未生時」

「法身(理致ともいう)」

「初入・機関・向上(法身・言詮・難透・向上)」

「インド式(静観性)・中国式(力用性)」

「経験の表現方法」

「禅理の挙揚」

「学禅」

「無心の月が天辺に光っている」

《第三篇 禅問答》

「弁道(参究・参学・究弁・究徹)」

「傅大士の(橋流水不流)・道楷の青山運歩・雲門の東山水上行」

「言を尋ね句を追うて、・・・」

「是箇甚麼道理(これこのなんのどうりぞ)」

「循環論法」

「日日是好日(にちにちこれこうにち)」

「向テカ什麼ルト。我レニ、如一レ。如スル一レ水。」

「安心立命」

「妄想の縁起」

「兎角・亀毛」

「縁生身」

「隠語」

「何物(定義)」

「不可得の可得底」

「参(まじわるで万象入りまじわって存在する差別の現象面を指す)」

「同(万象を一貫する平等の本体面を指す)」

「契(この者の契合相即する理またその理の認識たる智を指す)」

「規矩に従って坐に耽る

「洞家(とうけ)」

「馬が水にたってゐる・馬が水をながめてゐる・馬の顔がうつってゐる(水が馬をながめている)」

「学禅者」

禅の思想 (鈴木 大拙)

 

 

禅の思想

 

     仏教の大意

仏教の大意 鈴木 大拙

(分別・差別)ー「感性的・知性的世界」

(無分別・無差別)ー「霊性的世界」

般若(無知の知・無分別の分別・無念の念・無念無想・無我無心)

識(分別識)

照用自在の働き

大死一番の外ない

経験事実

能覚・所覚

理智・思慮の境地

対象界を超越する

根源に到達する

「分別の上に分別を重ねて七重八重に其の身を縛りつけるのです」

「大死一番絶後に蘇生すると言う経験が無いと仏教が解らない」

絶対清浄境

我執分別の人間我

観音の別名(施無畏者)

分別的説明を加えない

善悪の価値に対する自覚がない(無業)

業縛の自覚

認覚

 

因果は知性面の事象

二元的観察

無心で無我である

不可思議体(不可思議身)

色=事・空=理(相応)

空(梵語・舜若多・シューニャータ・空無の義)

理事無礙

「空と云うものが別に存在するものではありません」

色声香味触法

実質がないという義

円融無礙

 

幻在する・幻有・仮有

偏計所執・依他起性・円成実性

四つあると云うのではない(四通りに見られると云うのである)

「法界の真相は事々無礙を会するときに初めて認覚せられるのである」

法界観

直覚

跡を留めず(跡を払う)

讃岐の庄松(妙好人・明治初頃他界・全く文字のない貧農の一人)「庄松ありのままの記」

 

仏教の大意

 

悟 り

悟り 鈴木 大拙

 

得悟の心境

悟りは周縁のない円

静観主義

盲目禅・暗窟禅

瞑想的訓練

自性に徹見(自分の性に徹底する)

心性を了解

自分の性を見なくてはならぬ

自性即仏

仏(覚者・覚性)

見聞の性が即心

心が即ち仏

本性を徹見する

究境の目的は自性を見ると云う所にある

心を空ずる

心眼が開く

仏性に徹底した

沈思黙考

エクハルト「突破」ドイツ十三、十四世紀

自救不了

黙照禅(暗証禅)

大疑の状態

一念不生(前後際断)

入流忘所

寒灰枯木底の漢

地一声(ハッ発する「」)

噴地一発・(爆地一声)

晦堂和尚

木犀(もくせい)の好い香がきけるか」

黄山谷(こうさんこく)

「いい香がする}

「それだ、我汝に隠したことはないではないか」

「空を体得すると、安心の道が開けると云うてよいのである」

「悟りの状態が色々の因縁によって得られる」

無言無説

「楞厳経」

憍陳(きょうちん)五比丘

(仏の音声で悟る)(所証の機縁)

優婆尼沙陀

(不淨相を観じて無学道を成じた)

香厳童子

(沈香を嗅いで・木に非ず・火に非ず・去るに著くる所なく、来るに従って来る所なし・こう感じて無漏を発明した)

薬王薬土

(二人の菩薩・苦い・酢ぱい・(から)い・淡い・甘い・(から)い・空に非ず・有に非ず・身心に即するに非ず・身心に離る々に非ず・という所から、悟りを開いた)

跋陀婆(ばつだば)()及び十六人の開士{菩薩}

(お風呂・触覚から悟の道に入った)

摩訶迦葉及び紫金光比丘尼

(世間の六塵即ち実在と考える世界は変壊の性で実体の無いものである・空寂であると悟って諸漏、有漏の境界を離れることが出来た。)

阿那律陀(あなりつだ)

(目なくして十方を観見する時に、精眞洞然として掌の上の果を観るるが如しに感じて阿羅漢になった)

周利般特(しゅうりはんどく)迦(記憶不足の羅漢・出入の息を調べる・悟の境界に立入った)

憍梵鉢提(きょうぼんはだい)

(味の性質を分析・体のも非ず・物にも非ずを観じて三有を遠離すことが出来た)「*(三有・三界・{欲界・色界・無色界})」

畢陵伽婆蹉(ひつりょうがばしゃ)

(毒の刺・非常に痛んだ・清浄心は痛・非痛を感じぬものと観じて三七日のうち無学を発明した・苦しみの性質を分析してその道に入ったものとみえる)

()菩提(ぼだい)

(空性を証得して羅漢道を成就)

舎利(しゃり)(ほつ)

(迦葉兄弟に会って、諸法因縁の法を聞いて、心の無際を悟った・大無畏を得た)

普賢菩薩(ふけんぼさつ)

(心聞発明して、分別自在の所に円通した)

孫陀羅難陀

(坐禅して鼻端白きを観る観法・鼻中の気を見るに出入煙の如し・身心内に明らかにして(まど)かに世界に洞徹して(あまね)く虚淨の状態である玻璃(はり)の鏡・出入の息が光明赫奕として十方世界を照らすまで心の光が輝き出で、円通を得る)(*淨玻璃(はり)の鏡・閻魔庁で生前の善悪の行為を映し出す鏡)

富樓那彌(ふるなや)多羅(たら)尼子(にし)

(辯「*弁」才無礙な所から苦諦は元来空であると説いて実相に達した・法音を以って魔怨を消滅・そこに円通の相を見た人)

優波離(うばり)

(戒律の生涯・身心寂滅の境界に入ることを得た)

大目(だいもく)健連(けんれん)

(因縁法に深き意味を存すを聞いて阿羅漢道を成就した)

烏芻瑟摩(うすさま)(*明王)

(不淨を除く神・火光三昧力で、すべてのものを焼き尽くして、そこに円通を感じ得た人)

持地菩薩

(大地の性と自分の肉体の性と同一性を有って居るということを感じて道に入った・土木行動)

月光菩薩

(水観の力によって無碍を得た人)

瑠璃光法王子

(風力を観じて安心の道を得た)

虚空蔵菩薩

(虚空を観じて虚空の無辺なることを観察して円通を得た)

弥勒菩薩

(一切は唯心である、唯識であると観じて円通を得た)

大勢至菩薩

(念仏から円通を得られた)

観音菩薩

(聞の中に、流を(かへ)して、所を亡じ、所入既に寂にして、動静の二相了然として生ぜず・聞もなく所聞もなく・覚と所覚とも空である・空と所空も亦滅し了る・生滅も亦滅して寂滅が現前する。十方円明境界に入る・慈悲の力を体得せられた・悲仰性を得られた・)慈悲を垂れる力と慈悲を願う力との両方を感得せられた)

(*円通・智慧によって悟られる絶対の真理・作用は自在)

(*追加項目)

二回目

「禅の真髄というのは人生及び世界に関して新たな観察点を得ようとするのである」

「今までの見方のほかまだ一つの見方があるということを知らなくてはならぬ」

「新たな見地を開いてそこから物を見渡す」

「新たな観点を得る(悟り)(霊的体験)」

「得悟の心境」

「悟りの体験」

「妨げといたものがなくなるので新たな天地が開ける」

「活動の自由性を体得する」

「空々寂々底のものだ」

「新たな立場」

「二元相対の世界を離れた境地」

「究意の目的は自性を見るというところにある」

「はたらきを停めてしまって沈思黙考に耽る」

「はずみを言(あら)わす言葉(地一声(思わず知らずハッと発する声)

「新見地」

「自我の念・老婆親切」

「悟りを爆発させるところの機会になる」

「我見の角」

「自救不了」

「感覚的機縁」

「盤珪禅師の不生禅・道元禅師の修証不二禅」

「入流亡所」

二回目

 

三回目

「考え方に対して、大きな転廻を生じなくてはならないのである」

「霊的体験(経験)」

「学禅・学禅者」

「哲学的議論に耽る」

「坐禅から知慧の光を閃めかす」

「心印を単伝した(心印単伝)」

「違った見処を得させようと力めた」

「坐禅観法」

「この性が即ち仏であるからだ」

「仏は汝の心そのものである」

「心を空ずる」

「沈思黙考に耽る」

地一声(ハッと発する声)

「噴地一発・爆地一声・(打布袋)(打漆桶)(忽然トシテ爆地)(忽然啐地破)(掃太虚空

(十方虚空悉消隕)」

「ただそれだけのことである」

「新見地」

「分別の上のわかり方」

「人からおそわることもできないものであるなら・・・」

「説明できないところの何かがあって、・・・」

「分別または分析的方法で、その弟子に伝えることができない何かがあるということは、・・・(禅の体験)」

「自分が自分の目をふさいで見えないように自分で隠しているということに考える方が真実である」

「機(はずみ)」

「学禅者」

「暗証禅」

「この死んだ身を誰が引っぱりまわしてあるくのだ」

「公案が自分にくっついて離れなかった・・・その状態をいうものと考えておいてよい」

「空中を飛んであるくような気持もした」

「高度の心力集中がなくてはならぬ」

「盤珪禅師(不生禅)・道元禅師(修証不二禅)」

「・・・一発不生、前後際断・・・ここに停滞している者が(すこぶ)る多い」

「得所」

看経講学

三回目

 

悟 り

 

禅経験の研究について

『禅経験の研究について』

「心非心、即是名心」

二回目

「心は非心で、これが即ち心だ」

「即非の論理(般若の論理)」

「癖物」

二回目

禅経験の研究について

 

禅の問答

禅の問答 鈴木 大拙

 

禅問答は知的ではない(論理的・説明的・解釈的・啓蒙的・教訓的でない)

 

人々悉有仏性

 

祖師再来意

近前来

六耳不謀(*三人)

(兀兀地思量)(不思量底)(非思量)(薬山)

 

 

龐蘊(ほううん)(居士)

作麼生(そもさん)

天地未分以前

天皇道悟ー龍譚(りゅうたん)崇信

心要

馬祖ー南泉ー趙州

 

長沙(平常心)

眠らんと要せば即ち眠り

坐せんと要せば即ち坐す

熱するときは即ち涼をとり

寒の時は即ち火に向ふ

 

 

即心是仏(心に即して是れ仏)

即心即仏(心に即して即ち仏)

(すなわち・とりもなおさず・そのもの・そのまま・直接・媒介を容れず・瞬間的・直覚的・知覚的)(禅的表現)

非心非仏(心に非ず、仏にあらず)

(非は対立の世界)

(即は自己同一の世界)

禅経験

説明法

知見を容れざる処(説明したり・解釈したり・現象学では無い)

アポリア(困惑)

天地未分以前

父母未生以前

知的に抽象化・一般化

対立の世界を見る

 

本自縛。

ムルコトヲ解。

ヂキニズレレヲ無等等トス

(大珠)

トイフ不得ナリ

差別の眼を以って見て居る

我法二執の縛を去り

宗旨眼

縁(知覚のこと

 

二回目

「知的・論理的・説明的・解釈的・啓蒙的・教訓的」

「恁麼(このとおり)(これ)」

「本来身」

(てん)(こう)道悟(師)・龍潭(りゅうたん)(すう)(しん)(弟子)」

「心要」

「見則ルトキハ直下(じきげニ)便(すなわチ)ヨ、スレバワントたがフ

「禅経験は『見』につきる」

「法身の三因(真如・智慧・功徳)・三徳恩徳(如来の大願力)断徳(一切煩悩を断じた)智慧の徳(一切諸法を照破する)

「諸法如(すべてのものがその本来の姿である・おる)」

「犀牛の扇子(斉安和尚碧91)」

「雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)(980~1052)」

「圜悟克勤(えんごこくごん)(1063~1163)」

「垂示・著語・評唱・下語」

「禅の口頭の遊戯」

「差別見」

「空見識」

「我法二執の縛」

「普通の理路をたどって言い(あらわ)すことができぬ」

「鳴らぬ鐘をきく(降る雨を止める)

二回目

 

禅の問答

 

古田 紹欽 (禅問答と悟り)解説

古田 紹欽 (禅問答と悟り)解説

 

文字にとらわれな

理屈づめに究めたところで・・・

論理的推究

「非思量(薬山)(一体何を一所懸命に坐して思量しているのか?」

非論理の論理

修行体験

無自覚なものではない

「自己の本性を徹見する(真実の自己を知る見性仏性を見る)」

「見は(あらわ)すとよんだほうが誤解がなくていいとおもうが・・・」

本性は仏性である

二回目

「不立文字(文字にとらわれるな)」

「禅問答に最と危険なものは論理的推究である」

「自己の本性の徹見・真実の自己を知る・見性・仏性を見る・性(見ると読むより現わすとよんだほうが誤解がなくていいと思うが、本性を顕わしえたところに悟りが存するのである)」

「本性(仏性)」

二回目

古田 紹欽 (禅問答と悟り)解説

古田 紹欽 (禅問答と悟り)解説

 

禅の第一義

禅の弟一義 鈴木 大拙

 

本来の面目を欲得せしむ

生何れより来たり死何れに去る

「命根裁断せざる限り地一下のこれ有るべからず(白隠)」

命根(無明の一念子自我の意識

心の本源に徹し・・・

妄念・妄心・妄想

空滅(空無寂滅)

霊雲禅師(桃)

忽然念起

忽然念起の消息

理智分別

四秒(吸)十六秒(止)八秒(吐)

定より慧を生ずる

心の本源

生死の起滅

虚妄分別

「諸縁を屏息して一念を生ずることなかれ」

「本来面目果して何の相好ありとせんか」

禅(梵語・禅那・思惟・冥想・静観)

莫妄想

知識(分別の圏外に逸脱すること能はず)

 

虚妄の概念

智解分別

唯是れ如如なり

皆是分別事上の妄想なり

解打鼓

「禅学の悟道と云うは万物の存在し、活動する理を悟るとの義なり(直覚的)(閃めく一條の理)」

皆妄執なり

這裡の消息を明にする

「分別上の思索を弄し・・・智慧にて推しさらんとする也」

「・・・未了底が智慧の上より自ら造り出して測度するより来る也」

分別智の捕虜

「分別思慮の上に置かず従来するに任せて・・・機微の消息を補ふるの謂ひなり(禅学の悟り)」

「當に汝の面前より出入すと喝破せられても其機到らされば如聾如啞なると同様なるべし」

「超越したる處より事物を見下して、最後の安心を無分別の處に求める如き宗旨・・・」

「此無差別を差別界にも及ぼし、善悪是非を無視し、・・・」

禅の弟一義 鈴木 大拙

禅の第一義

 

禅仏教入門

禅仏教入門 鈴木 大拙

 

鈴木大拙外護者安宅弥吉

知的了得底

柝木(ひょうしぎ)

「文字上の教育を受けない(行為によって学ぶ)」

教育方式

(たん)()(木仏を焼く)

本地の風光

「静寂・安閑・無為」

「すべてこの事実を説いたものに外ならない」

禅は何も教えない(方向を示すだけ方向指示

知性の汚物を(ぬぐ)い去るだけ

三界にわたって真存在するものは何もない

空(シューニャター)

竜樹(中論・十二門論)

提婆(百論)

なにもないのだ、絶対にないのだ

対象世界に束縛される

自心に惑乱する

無明(論理的二元論の別命)

日常言語

説かざる底の法(不是心・不是仏・不是物)

不二の教理(菩薩入不二法門)

唯識(絶対的観念論)

論理的思惟方法(虚無的か)

高次の肯定

形式論理学

「西来的の意(この竹はなんと高いことじゃ。あそこにあるあの竹はなんと低いことじゃ)」

修行・経験である

不可知論

 

言葉であり観念にすぎぬ

心とその働きが解る

「万法を生み出すものを法性もしくは法身という(大珠)」

この心が生じるとき一切の存在が生ずる

「無身は本来無象であって条件に応じて個々の形を現ずる」

「高度の抽象的思弁的能力を要求する学究ではない」

「心の住処(無住処特定の対象に住していない(善・悪・有・無・心・事物・二元論に住せぬをいう空・非空・涅槃・非涅槃無住処、心の真の住処))」

坐禅(禅那・ドヤーナ)

「もう飛んで行ってしまったなどと言うが始めからちゃんとここに居るではないか」

考察

戒(シーラ)サンスクリット語

定(ドヤーナ)

慧(プラジュニャー)

般若(プラジュニャー)

達磨(六世紀来中国)

根源的な分別を捨て去るにある

 

「悟り(分別知をことごとく棄て去ったところで到達されるものなのだ)」

文字上の教育を受けない

相対意識の・・・

知的了得底

門(感覚・観念・論理・分別意識)

「分別的な物の考え方思考態度」

存在の本当の姿(本来の面目)

 

禅仏教入門 鈴木 大拙

禅仏教入門

 

無心ということ

無心ということ 鈴木 大拙

 

無心とは何か

無我無心

一所懸命

絶対の受動性の発揮

七情

「論理を離れ、分別を超越したところの境界」

「解脱・自由を得る(遊戯三昧)」

宗教(聖・相対の世界)

分別(真理)

倫理(善)

芸術(美)

無相の探求

無霊魂説・主義

何とかか彼とか

心無心

心非心

言を仮りて理を顕わさんことを要する

運用自在

無心というは妄想なしとの義である

主張を持たない世界

心になんらのはからいがない

無心の世界

仏の働きをする人・・・

行為の世界は二元の世界

根機(型ということです)

無心の定義

自然((おの)ずから(しか)らしむ)

「形ある世界を脱ぎ()てた世界に入り込まなければならぬのです」

「身心脱落の世界は無分別の世界である無心の世界である

余念・他念

人間の計らい

宗教体験の極地

無心の機能に外ならぬ

無心を体得した人々

無心の消息

自然に取れてくる

真理に近づけようとするのだ

悟った体験

宗教的体験の表現

無心の状態を道破したもの

消息分明

非論理の徹底

無心の境地(宗教生活の極地)

「対立の境地を全く没却してしまって・・・空無の世界」

無心の処

言詮(言い(あらわ)し)

玄沙師備(痴{病}人に説法)(盲聾唖)

拈弄(ねんろう・注釈・()って弄ぶ)

心像

虚(無心)

悟徹

只管(ひたすら)

計らいのない世界

往相・環相

虚名

神儒仏

本心(虚霊)

不生(思案なしの

「生まれのままのもとへ、たちかへらすばかりでござる」

道をたのしむ人

天理まかせ

無心な境涯

釈尊悟道偈(法句経 153・154偈)

自我の一念(我執)(禍のたね)

繋縛を受けぬ

無我無心・無念無想の天真佛

無心の生活

観行法(絶観論)

人間の価値の標準

無我の世界

無心の体験

働きが出なくてはならぬ

「五識の世界を統括(意識自分の経験として考えている)」

「我という識を立てる(末那識)無意識と有意識にまたがっている」

我識(アートマン我執

阿頼耶識(無明の巣窟)

分別の世界(差別の世界)

善悪・邪正・真偽・美醜

阿頼耶(蔵識・無没識)

阿頼耶識(ある意味で記憶)

無心の境地

任運騰々

無心の体得

「無心の世界はどうしても知的分別ではいけない」

分別界の文字を駆使しても・・・

無義の義

絶対無価値の境地

知的論争

同一事実を指示している

無心の境地(自性本来清浄・陥りやすい穴)

動的に体験させようと・・・

無心を体験(見性)

「見性の体験には見るものもなく、見られる性ない」

無心の境涯

自覚二元に世界

妄想・情識

体験の世界

概念の世界

性即仏

仏即性

故云見性成仏・・・見無所見・・・

「見性体験を概念的に言い尽くさんとしても・・・」

「一が二で、二が一、そして「即」関係が言語道断であるという」

神秘主義

知性主義

汎神論的

虚妄・仮名

一切皆空

無主

見聞覚知を認めない所(無の世界)

「色空の関係は差別と平等・多と一・仏と衆生・神と人間」

アトガキ

宗教体験の根本義を無心に見た

無心の境地の体得

無心の概念的把握

「問うな学ぶな手出しをするな(白隠)」

矛盾的体験

「無心というこい(不生禅・即非の論理・霊性的自覚)」

無心ということ 鈴木 大拙

二回目

「無心とは何か・無心の探求・無心の活動・無心の完成・無心の生活・無心の體驗」

「無心の境涯」

「心なきところに働きが見える」

「空に執われる」

「融通無碍」

「あるから信ずるのでなくして、信ずるからあるのです」

相廻向(往相・還相)」

解脱するということは自由を得ようとすることに外ならぬのです」

「自由を得ることは、善悪などの値打のつけられる世界を超越してしまうことです」

「無分別の世界に這入ってしまうことです」

「何ら他から拘束せられることがないのです」

「分別の世界(真理)」

・倫理の世界(善)・芸術の世界(美)・主教の世界(聖)」

「我楽苦他」

「無霊魂説(主義)」

「無心論・無我論(我執を否定する)」

「自分の計らいをもたずに・・・」

「體と心を無にしたと云うのでもない」

「何も無くしたといふことではない」

「心無心・心非心」

「如来説、諸心皆為ズト、是ゾケテ為。所以ナント者ナント何、須菩提、過去心得、現在心得、本来心得。」

「無住・無所得」

「達磨の無心論(和訳P166)」

「我無心なれども、能く見、能く聞き、能く覚し、能く知る。」

「心なるものを覓めても不可得である」

「妄りに心を生じて種種の業を造り、妄りに執じて有心となすから、・・・」

「妄執」

「無心を覚悟」

「対治の法」

「不可得を以って得とする」

「無心と云ふは眞心と云ふことで、・・・」

「無心と云ふは妄想の心なしのとの義である」

「無心無照亦無用、無照無用無為。此是如来眞法界、不カラノ菩薩スニ譬喩。」

「何等の主張をもたない世界」

「無ニシテ於心、無ニシテ。(心に事なかれ、事に心なかれ)(徳山)

「静態・動態」

「自然法爾(無心の世界)」

「形もましまさぬ故に、自然とは申すなり」

「無心を体得した人々」

「無心の状態に外ならぬ」

「無心の消息がわかる」

「塵欲」

「得失是非を一時に放下して、無心の状態を道破」

「心をとどめず、・・・」

「無心の處」

「計いのない世界」

「虚名なり」

「則不生(明徳のかへ名)(不生でゐる)(思案なし)」

「さてさて人は思案なしでさへゐれば、それで何も申しぶんのないのにと、・・・(盤珪禅師)」

「迷故三界城、悟故十方空、本来無東西、何處有南北。」

「見誤る」

「無心の境涯」

「天眞佛(無我無心・無念無想)」

「汝、屋舎の主よ、今こそ汝の正體を認めた、これからは、またと屋舎を作るなよ、汝の梁折れた、棟木は崩れた。有為轉變の相を離れて貪愛の心はうちひしがれた(法句経第15304偈)」

「屋舎の主(分別意識)(分別意識の中心である《自我》の一念)」

「我執(悟りによりて取り壊された・・・)(何らの繋縛を受けぬ)」

「人間から見てつけた価値」

「人間の価値を標準」

「道徳上の批判」

「人慾といふものが加はるほどいけない」

「惻隠の心(孟子)」

「無心の世界」

「《我》の意識」

「有心の世界」

「道徳の世界」

「始めから何も無いところに、何かをこしらへ上げたからである」

「五識(色声香味触)」

「我識(我執の又の名にすぎぬ)」

「我執は妄想の一つである」

「阿頼耶識(無明の窠窟)(蔵識・無没諸)(記憶)

「末那識(自覚性と無自覚性の両面を備へてゐる)」

「善悪邪正真偽美醜」

「意識世界」

「無心の世界は知的分別ではいけない(分別の無分別・無分別の分別)」

「無心の境地(自性本来清淨)」

「動的に体験」

「分けて見るが、・・・」

「その名を異にするのである」

「無心を體得(見性)(無心の境涯)」

「体験の世界・概念の世界」

「虚妄で名(心・道)」

二回目

無心ということ 鈴木 大拙

無心ということ

 

東 洋 的 一

 

 

東 洋 的 一

 

禅 の 研 究 (選24

禅の研究 鈴木 大拙

 

《禅宗(1906)》

「仏心宗」

「禅の境地」

「禅の修業」

「内的自覚(悟り)」

「大梵天王問仏決疑経(金波羅華)」

「正覚に対する師の証明」

「指示人心・見性成仏」

「何人にも実体のあるものではない」

「口さきのもの・言葉の遊びにすぎぬ」

「黄檗の仏法多子無し(もともと黄檗の仏法などと、何程のこともないわい)」

「霊性の自覚を獲得せしめる方法として・・・」

「何一つ嫌うものなく、・・・」

「口念」

「無記空」

「空心」

「論証・解釈・論議・知的解釈」

「思念の対象と一つになることである」

「自己自身の意識の内面を静かに観照する習慣を積むことといえよう」

 

《禅仏教 1938》

 

「知性の作用(文字)」

「知慧分別の無益なこと」

「概念的知識を蓄積」

「仏とは性が人の形をとったまでのことである」

「心・性・仏(言い方の相違)」

「超知」

自性そのものを徹見する」

「断崖絶壁の一本の木枝知性)」

「和尚が答えてくれるものとばかり思っていたので、・・・」

「知的な説明」

「一切はそのあるがままでよい」

 

《禅経験 1939》

「具象(象徴)」

「業と涅槃」

「潙山霊祐・潙山瀬安」

「味得」

「境涯を表明」

「知不到、言詮不及」

「禅経験・禅意識・禅理」

「問と答との間の質の相違である」

「ただ笑うのみ」

「存在も非存在あるがための存在であり、逆もまた然り、・・・」

知性の線に沿って推し進め・・・抽象概念で以って追求しようとすれば・・・」

「観念・範疇」

「抽象語」

「劉鐡磨(りゅうてつま)(潙山問答)」

《「馬祖

『菩提達摩が西国からわざわざやって来たのは何の為であるか』」

『もう少し前へおいで、教えてやろう』という。そこで僧が一、二歩近づくや否や祖は一掌を与える。

『何の不可思議もないわい』といった」》

「思いめぐらし」

 

《仏教哲学における理性と直感 1951》

 

《仏教哲学における理性と直感1951》

「識は人間の感覚と知性の世界ではたらく」

「否定か肯定かどちらかである」

《僧問う『摩訶般若(偉大な又は絶対の般若)とは何ですか』

淸聳禅師曰く、『雪が烈しく降りしきって、一切のものがその中にかくれているわい。』

僧、無言のまま。

師問う、『わかったか。』

僧『わかりません。』

摩訶般若

捨てるにあらず、取るにあらず。

人もしこれを会せざれば、

風寒うして、雪は降りしく。》

「般若直観」

「三昧(凝心)」

「生死脱得底」

「般若の覚醒」

「知慧分別」

「未分化の分化」

《「般若の側・分別の側『(空・存在・非散在の世界)』『(如如・極めて明確に規定された世界)』『(般若直感・理性的分別作用)』『(涅槃・生死)』『(菩提(覚り)・無用)』『(清淨・汚染)』『(心・感官(五感の作用)』『(法(究極の真実)』・諸法(個的存在)』『(純粋経験・雜多の経験)』『(純粋行為・因果の世界)』『(未分化(無差別)・分化(差別)『(無分別・分別)』『(無心又は無念・個々別々の意識)』『(永遠の今又は絶対の現在・相対的時間)』『(不二・二元的なもの)』》

「見地」

「自己というものを証悟したものが一人でもあるか(文遂和尚)」

「知的にそれを思考してみてもだめであるだ」

「般若直感の上」

「古鏡(分化以前の自己の別名)」

「概念というものがいかに何の役にも立たぬものか示そうとするのだ」

「シンボル」

「験主問」

「(あした)というものはついに到来せぬ」

「認識・論的方法論」

「無理会・不知の中」

「知覚作用」

(くら)まされている」

「客観的方法」

《仏教哲学における理性と直感1951》

 

《胡適博士に答う(1953)》

「聖者とは空名にすぎぬ」

「平常心是道(びょうじょうしんぜどう)」

「平常心とは、造作することなく、是とか非とかに拘らず、又、取捨選択することなし。断見に落ちず、常見にも著せず、聖なく凡なく賢者も菩薩もない。只今自己が行き、坐り、限り、機に応じ物に接する、これことごとく道である。」

「内的経験の産物」

「誰しも皆これを具有しているが、然し誰れもがこれに気づかぬということを知っているのである。」

「不知的知識(わしは仏法などしらぬ)」

「知的概念化」

「禅(冥想・静慮・凝心)」

「定慧不二」

《胡適博士に答う(1953)》

 

 

《問答(1953)》

「執着という奴が、我々に多いな害をなす」

「得たり顔にふるまう大隋に痛棒をくらわしてやればよいのだ」

 

《問答(1953)》

 

《禅における自然の役割》

「一念不起」

「智慧分別による応答」

「純粋主体性の体験」

「無心の心・無念の念・本覚・本然清淨・這箇(ただ這れ是れ)

「葛藤に引きずりこまれてしまう」

「言語記述」

「知欲」

「我々が自分でつくり出したものだ」

「創作」

《禅における自然の役割》

 

禅 の 研 究 (選24

 

公 案 論 (全集 4)公案論 (全集 4)

全集 4 公案論 鈴木 大拙

「法理」

「知的分別を刺激してその作用の究竟・・・」

「話頭・古則・公案」

「不得要領」

「分別計較」

「参学者」

「公案のために復た新たなる繋縛」

「禅意を得るにある」

「骨董禅」

全集 4 公案論 鈴木 大拙

公 案 論 (全集 4)

 

金 剛 経 の 禅(新4 禅選集)

金剛経の禅(新4 禅選集) 鈴木 大拙

 

「什麼処(どこ)・恁麼(いんも)・什麼(なに)・(什麼什麼)そもそも」

「体・用」

「体のない用も考えられぬ・用なき体なるものはない」

「三昧境」

「波羅蜜=到彼岸=度(完全)」

『「応無所住而生其心」「無心又は無念ということと同じである。住するというものはなにかという一定の場所、又は事柄にとらわれて、そこから離れられないのが住である。それは貪着ということである。とにかく何かにとらわれるところが自由がきかない、それが貪着である」』

「貪着・執われ」

「立シテ無念。無相。無住。」

「除其煩悩・当行正念・当行不生不滅・不善不生・善法不滅・身為本・欲貪為本・虚妄分別為本・顚倒想為本・無住為本・為本」

「無住則無本・従無住本・立一切苦

「離卻(りきゃく)」

《心三通り「心臓・団心(物の中心・又は核心)」「集起心(チツタ)(多くの働くものをある場所に集めてその集めたところから何かの(はたらき)が起きてくる機)意識(分別心に相当したものを摩那という。思慮分別の心である。禅では分別で起滅したところで働く心である。(無念・無相・無住))」》

「嬰孩行」

「分別計較(けきょう)」

「向こうが本来もっているもののように思って、そんな取り扱いをする」

這箇(しゃこ)(それ)・心のまま・一無位の真人・無所住底」

「インド(如・如々・真如・)(如《そのように》・)」

「中国(只麼(しも)(そのように)・)」

「日本(そのまま)」

「そのまま禅」

「口頭禅」

「心・念・識」

「法(常に不変の意味を持つ)(動かぬ義がある)」

「行(動いてやまぬ義がある)」

「直覚・自知」

「論理的なお言葉」

「禅的認識」

「そんなものがあるなら、それを出して見せてくれないか(生死)」

「おれの所には生死などというものはないぞ(関山国師)」

「看破・道破」

「可得底」

「念(時)・方(空間)」

「一念の念は刹那の義(只今)」

「只今の体得にありp65(飯田隠師)」

「無念を宗となす」

「この無心の無念が体得せられた時に、仏教はことごとくわかるのである」

「絶対の現在の自己限定」

「悟りは覚りである、知覚である」

「三昧の状態を招致することである」

「頓着するな」

「彼と是」

「体(理・平等)・用(事・差別)」

「正中来・偏中至(動的)」

「兼中到(行為的)」

(まだほんとうに落ちつくべきところに落ちついていないとの義)」

(最後の到着点につくというのである)」

無功用の働き兼中到の妙味が発揮せられる)」

「平等・差別(正偏・黒白・参同・明暗)」

金剛経の禅(新4 禅選集) 鈴木 大拙

金 剛 経 の 禅(新4 禅選集)

 

禅への道(新4 禅選集) 鈴木 大拙

禅への道(新4 禅選集) 鈴木 大拙

「非知性的不合理」

「分別作用」

「諸行無常、生者必滅」

「差別の相から解脱する(至道で無難)」

「知的分別(揀択)・情意的分別(憎愛)」

「真理の顕現」

「窠窟(かくつ)」

「這裡の消息」

「眼睛(生気を象徴する)」

「君自看」

言語は分別智そのものであるといってよい」

「委細頓着せず、淡々乎」

 

『「僧問う、「いかなるか これ一句」(絶対究竟の一句)。師応諾す(うんと返事すること)。再び問う、(自分の言葉がわかったのか、わからぬのか、はっきりせぬようで、また問うた)。師云、「我聾を患へず」(わしはつんぼじゃないぞ。)』

「是什麼(これなんぞ)(是とは何を指示するのか)」

「執着するところの妄心」

「生トモイワジ、死トモイワジ。」

「知性の分別的対立の世界」

「知性的対立の世界をつくす」

「学禅」

「文字の上で模索」

「文字言句を逐う」

「文字言句の出てこぬさきを経験せぬからである」

「不見の見」

「修禅の人」

「『悟』経験・体得」

「西洋的理知主義」

「意識的な虚構・偽造」

「我性」

「非我の働き」

「執着から生ずる」

「応無所住(無心)」

「無分別の分別(霊性の働き)」

「無と思わぬときぞ無となる」

五蘊皆空照見して、無我無心を経験することを禅では見性といい、・・・」

「禅経験を味得」

「眼続・心続・色続(手足)」

「対立の世界であって、・・・」

「境地を味得」

禅への道(新4 禅選集) 鈴木 大拙

禅への道(新4 禅選集) 鈴木 大拙

 

宗 教 論 集(選 集 8)

 

宗 教 論 集(選 集 8)

 

禅 ちくま文庫 鈴木 大拙

禅 ちくま文庫 鈴木 大拙

「大用=大きな働きの義(絶対の働き)」

「文字上だけの会得」

「智慧の覚醒を強調」

「思惟作用・表象作用」

「個人体験」

「生死の束縛」

「知得底」

「灰頭拖土面」

「悟りに到らしめるにある」

「みずから悪をなしてみずから傷つき、・・・(法句経165・166)」

「問いがなされないかぎり、いかなる答えも生まれない」

「平常心(如実の状態、あるがままの実在、あるがまま)」

「二元の消滅(無為一空)」

「集成的存在」

「悟りの体験」

「禅(自己の存在の本性を見ぬく術であって、それは束縛から自由の道への道を指し示す)」

「一切の束縛から解放する」

「知性がおのれの興味のためにかりに作り出した無意味な区別にすぎない」

「人騒がせな知性が入ってきて、人生を破壊しようとする」

「筋の通った、知性な明らかなもの、・・・」

「心の世界は、時間や空間の拘束を受けない」

「みな、みずからの心が創り出すものである」

「心が分別する時、そこに種々の事物が現れる」

「もし分別しなければ、心は物事のまことのすがたを洞見する」

「三達智(宿命智・過去)(天眼智・未来)(漏尽智・解脱)」

「自証聖智境界」

「論理を越え、観念の専横と誤述を斥けるところである」

「二元的推理」

「空はどこにあるか」

「非論理的」

「かれに何が欠けているのか」

「精神の

「仏でないものは何か」

「知性によることになる」

「理知主義」

「ただそれを知らないだけだ」

「実地教示」

「言葉にならない声を発せられた、・・・」

「善巧方便(無言)」

「観念の遊戯でもない」

禅 ちくま文庫 鈴木 大拙

禅 ちくま文庫

 

新9 禅の見方・禅の修業 鈴木 大拙

新9 禅の見方・禅の修業 鈴木 大拙

「平常心(びょうじょうしん)(分別や知解を入れぬ心)」

「普通の認識論の原則」

「禅は概念ではわからぬ」

「禅は知識ではない」

「認識の対象ではない」

「いくら水の記述や説明しても水はわからぬ」

「知解分別の心」

「概念的解釈」

「論理的知解」

「論理批評」

「言葉の上の問答」

「般若の空理」

「自内証」

「釈明」

「自覚証智」

「打発の機」

「口頭の禅・体得の禅」

「頓とは頓(と)みに妄念を除くなり、悟とは無所得を悟るなり」

「妄念の不起」

「正覚の体験」

「遊戯性」

「我執の一念」

「概念かぶれ」

「心の自主自由な働き」

「非思量の心境」

「修禅の目的(見性・悟道)」

「原梵語の『生』はサトッワで『存在』の義である」

「柔軟心(忍辱行)」

「我慢心の異名」

「痩我慢」

「虚心坦懐」

「一念不生(無念・無心と見てよい)」

新9 禅の見方・禅の修業 鈴木 大拙

新9 禅の見方・禅の修業 鈴木 大拙

 

続禅選集 5 東洋的な見方

続禅選集 5 東洋的な見方 鈴木 大拙

 

「入不二法門(一切法において、言なし、説なし、示なく、識なく、諸々の問答を離れる)(文殊菩薩)」

「種々多様な形態をとる」

「体・相・用」

「自他二分性・自己同一性」

「賞棒罰棒」

「生死(二分性)」

「二分性から離脱する」

「一句で意根をたち切れ」

「思慮計較」

「無心・無念の境地を体得」

「思うままに行動する」

「頑是ない・無邪気」

「他余(他己)」

「境涯・境地・心境」

「体得底(不可得・無所得)(無功用)」

「仏は慈悲の室に居て、無限の忍辱と精進とを着物にして、空の坐にすわっている」

時の上から解釈して、『即今』という(ただいま)」

「(平常心是れ道なり)(如今行住坐臥、応機接物)(如今鑑覚)(如今即今)」

鑑(鏡のように照らすの義)

「如今鑑覚(内覚観)(大珠慧海)」

「悟解・証覚・無生心・無住心・無所住の心・自性見・見性」

「能所観(我他・彼此・主客)」

「妄心・妄想・妄像」

噴地(ふんじ)一発(いっぱつ)地一下(かじいちげ)

「知解覚悟」

「去住自在」

「ただいま・ただここ」

「妙(玄偏に少)(玄・かすか)(言いあらわそうと思っても言いあらわせぬものである)」

「心こそ、心迷わす、心なれ、心に心ゆるすな心」

「能所の二途にわかれて出る」

「妙(無念)」

「無心の心・心の無心」

「解釈学」

「思議の世界(思議界)・不思議の世界(不思議界)」

「何の詮索がいりますか」

「仏心とは大慈悲是なり」

 

続禅選集 5 東洋的な見方 鈴木 大拙

 

 

続禅選集 5 東洋的な見方

 

選集 8 宗教論集

 

選集 8 宗教論集

 

 

 

 

 

鈴木 大拙

応無所住に其心  金剛経 鈴木大拙

三世心無所得 金剛経鈴木大拙

禅への道鈴木大拙

 

 

 

鈴木 大拙(後)リンク先

 

傳法偈(景徳傳燈録)

 

 一、摩訶迦葉傳法偈

   法法本来法、無法無2非法1

   何於2一法中1、有法有2非法1

 ニ、阿難傳法偈

   本来付有法、付了言2無法1

   各各須2自悟1悟了無2無法1

 三、商那和修の傳法偈

   非法亦非心、無心亦無法、

   説2是心法1時、是法非2心法1

 四、優婆麹多の傳法偈

   心自本来心、本心非法、

   有法有2本心1、非心非2本法1

 五、提多迦の傳法偈

   通2達本心法1、無法無2非法1 

   悟了同2未悟1心亦無法。

 六、彌遮伽の傳法偈

   無心無得、説得不法、

   若了2心非1、心始了2心心法1

 七、婆須密多の傳法偈

   心同2虚空界1、示2虚空1

   燈2得虚空1時、無3是無2非法1

 八、佛陀難提の傳法偈

   虚空無2内外1、心法亦如此、

   若了2虚空1故、是達2真如理.

 九、伏駄密多の傳法偈

   真理本無名、因名顕2真理1

   受2得真実法1真亦非偽。

一○、婆栗濕縛の傳法偈

   眞體自然眞、因眞説理、

   領2得眞眞法1、無行亦無止。

一一、富那夜奢の傳法偈

   迷悟如2隠顕1、明暗不2相離1

   今付2隠顕法1、非一亦非二。

一二、阿那菩底(馬鳴)の傳法偈

   隠顕即本法、明暗元不二、

   今付2悟了法1、非取亦非離。

一三、迦毘摩羅の傳法偈

   非隠非顕法、説2是眞実際1

   悟2此隠顕法1、非愚亦非智。

一四、那伽閼刺樹那(龍樹)の傳法偈

   為2隠顕法1、方説2解脱理1

   於法心不1、無瞋亦無喜。

一五、迦那提婆の傳法偈

   本對2傳法人1、為説2解脱理1

   於法實無證、無終亦無始。

一六、羅喉羅多の傳法偈

   於法實無證、不取亦不離、

   法非2有無相1、内外云何起。

一七、僧伽難陀の傳法偈

   心地本無生、因地従縁起、

   縁種不2相妨1、華果亦復爾。

一八、伽耶舎多の傳法偈

   有種有2心地1、因縁能発明、

   於縁不2相礙1、當生生不生。

一九、鳩摩羅多の傳法偈

   性上本無生、為對求2人説1

   於法既無得、何懐2決不快1

二○、闍夜多の傳法偈

   言下合2無生1、同2於法界性1

   若能如是解、通2達事理1竟。

二一、婆修盤頭の傳法偈

   泡幻同無礙、如何不2了悟1

   達法在2其中1、非今亦非古。

二二、摩孥羅の傳法偈

   心随2萬境1轉、轉處實能幽、

   随流認2得性1、無喜復無憂。

二三、鶴勒那の傳法偈

   認2得心性1時、可2不思議1

   了了無得、得時不知。

二四、獅子菩提の傳法偈

   正説2知見1時、知見倶是心、

   當心即知見、知見即2于今1.

二五、婆舎斯多の傳法偈

   聖人説2知見1、當境無2是非1

   我今悟2眞性1、無道亦無理。

二六、不如密多の傳法偈

   眞性心地蔵、無頭亦無尾、

   應縁而化物、方便呼為智。

二七、般若多羅の傳法偈

   心地生2諸種1、因事復生理、

   果満菩提圓、華開世界起。

 

 

 

 

廓庵十牛図

 第一―尋牛

  尋ねゆくみ山の牛は見えずして

   ただうつせみの声のみぞする

 第二―見跡

  志深きみ山のかいありて

   枝折の跡を見るぞ嬉しき

 第三―見牛

  青柳の糸の中なる春の日に

   つねはるかなる形をぞ見る

 第四―得牛

  離さじと思えばいとど心牛

   これどまことのきづななりけり

 第五―牧牛

  日数へて野飼の牛も手なるれば

   身にそう影となるぞうれしき

 第六―騎牛帰家

  すみのぼる心の空にうそぶきて

   たちかへりゆく峰の白雲

 

 第七―忘牛存人

  よそあしとわたる人こそはかなけれ

   一つ難波のあしと知らずや

 第八―人牛倶忘

  雲もなく月も桂も木もかれて

   払ひはてたるうはの空かな

 第九―返本還源

  法の道あとなきもとの山なれば

   松は緑に花は白露

 

 第十―入廛垂手

  手は垂れて足はそらなる男山

   枯れたる枝に鳥や住むらん

  

 

 

 

坐禅和讃―白隠禅師

 

 衆生本来佛なり、()

 水と氷の如くにて、

 水を離れて氷なく、

 衆生の外に佛なし、

 衆生近きを知らずして、

 遠く求むるはかなさよ、

 譬へば水の中に居て、

 渇を叫ぶが如くなり、

 長者の家の子となりて、

 貧里に迷ふに異ならず、

 六趣輪廻の因縁は、

 己が愚痴の闇路なり、

 闇路に闇路を踏みそへて、

 いつか生死を離るべき、

 夫れ摩訶衍の禅定は、

 稱歎するに餘りあり、

 布施や持戒の諸波羅密、

 念佛懺悔修行等、

 其の品多き諸善行、

 皆この中に歸するなり、

 一座の功をなす人も、

 積みし無量の罪ほろぶ、

 悪趣何處にありぬべき、

 浄土即ち遠からず、

 辱なくも此の法を、

 一たび耳にふるる時、

 讃嘆随喜する人は、

 福を得ること限りなし、

 況んや自から囘向して、

 直に自性を證すれば、

 自性即ち無性にて、

 即に戯論を離れたり、

 因果一如の門ひらけ、

 無二無三の道直し、

 無相の相を相として、

 行くも歸るも餘所ならず、

 無念の念を念として、

 謡ふも舞ふも法の聲、

 三昧無礙の空ひろく、

 四智圓明の月さゑん

 此時何をか求むべき、

 寂滅現前するゆへに

 當所即ち蓮華國、

 此身即佛なり。

 

 

 

 

信心銘―三祖僧璨(鑑智禅師)

 

 至道無難、唯嫌揀擇。

 

 但だ憎愛莫れば、洞然として明白な

 り。

 

 毫釐も差有れば、天地懸に隔たる。

 

 

 現前することを得んと欲せば、

 順逆を存すること莫れ。

 

 違順相争ふ、是れを心病と為す。

 

 玄旨を識らざれば、徒に念静を労す。

 

 圓なることは太虚に同じ、

 欠くることもなく餘ることもなし。

 

 良に取捨するに由る、

 所以に如ならず。

 

 有縁を逐ふこと莫れ、

 空忍に住すること勿れ。

 

 一種平懐なれば、

 泯然として自ら盡く。

 

 

 動を止めて止に帰すれば、

 止更に彌動ず。

 

 惟だ両辺に滞らば、

 寧ろ一種を知らんや。

 

 須叟も返照すれば、

 前空に勝却す。

 

 前空の転変は、皆妄見に由る。

 眞を求むることを用いず、

 惟だ須らく見を息むべし。

 

 二見に住せず、

 愼んで追尋すること勿れ。

 

 纔に是非有れば、

 紛然として心を失す。

 

 

 二は一に由って有なり、

 一も亦守ること莫し。

 

 一心生ぜざれば、萬法に咎無し。

 

 咎無ければ法無し、

 生ぜざれば心にあらず。

 

 能は境に随って滅し、

 境は能を逐うて沈む。

 境は能に由って境たり、

 能は境に由って能たり。

 

 両段を知らんと欲せば、

 元是れ一空。

 

 一空、両に同じ、

 斉しく萬象を含む。

 

 

 精麤を見ざれば、

 寧ろ偏黨有らんや。

 

 大道體寛く、易無く難無し。

 

 小見は狐疑す、

 轉た急なれば轉た遅し。

 

 之れを執すれば度を失う、

 必ず邪路に入る。

 之れを放てば自然なり、

 體に去住無し。

 

 性に任せて道に合ひ、

 逍遙として悩を絶す。

 

 念を繫くれば眞に乖く、昏沈不好なり。

 

 不好なれば神を労す、

 何ぞ疎神を用ひん。

 一乗に趣かんと欲せば、

 六塵を悪むこと勿れ。

 

 六塵を悪まざれば、

 還って正覚に同じ。

 

 智者は無為なり、愚人は自縛す。

 

 法に異法無し、妄に自ら愛著す。

 

 心を将って心を用ふ、

 豈に大錯に非ざらんや。

 

 迷へば寂乱を生じ、

 悟れば好悪無し。

 

 一切二辺、良に斟酌に由る。

 

 夢幻空華、何ぞ把捉を労せん。

 

 得失是非、一時に放却す。

 

 眼若し睡らざれば、諸夢自ら除く。

 

 心若し異ならずんば、萬法一如なり。

 

 一如體玄にして、

 兀爾として縁を忘る。

 

 萬法斉しく観ずれば、帰復自然なり。

 其の所以を泯じて、方比すべからず。

 

 動を止むれば動無し、

 止を動ずるに止無し。

 

 両既に成ぜず、

 一何ぞ爾ること有らん。

 

 究竟窮極、軌則を存せず。

 

 心の平等なるに契へば、

 所作倶に息む。

 

 狐疑浄盡すれば、正信調直なり。

 

 一切留まらざれば、記憶す可き無し。

 

 虚明自照すれば、心力を労せず。

 

 思量に非ざる處、識情測り難し。

 真如法界、他無く自無し。

 

 急に相應せんと要せば、

 惟だ不二と言ふ。

 

 不二なれば皆同じ、

 包容せずといふこと無し。

 

 十方の智者、皆比の宗にる。

 

 宗は促延に非ず、一念萬年。

 

 在と不在と無く、十方目前。

 

 極小は大に同じく、

 境界を忘絶す。

 

 極大は小に同じく、邊表を見ず。

 

 有は即ち是れ無、無は即ち是れ有。

 若し比の如くならずんば、

 必ず守ることを須ひざれ。

 

 一即一切、一切即一。

 

 但だ能く是の如くならば、

 何ぞ畢らざることを慮らん。

 

 信心不二、不二信心。

 

 言語道断、去來今にず。

 

 

 

 

参同契―石頭禅師

 竺土大仙の心、東西密に相附す。

 

 人根に利鈍あり、道に南北の祖なし。

 

 霊源明に皎潔たり。

 

 支派暗に 流注す、

 事を執する元是れ迷、

 理に契ふも亦悟にあらず。

 門門一切の境、回互と不回互と、

 回して更に相渉る。

 

 爾らざれば位によって住す。

 

 色もと質像を殊にし、

 聲もと楽苦を異にす。

 

 暗は上中の言に合ひ、

 明は清濁の句を明す。

 四大の性自ら復す。

 

 子の其の母を得るが如し。

 

 火は熱し、風は動揺、水は濕ひ、

 地は堅固、眼は色、耳は音声、

 鼻は香、舌は鹹酢、

 然も一一の法に於て、

 根によって葉分布す。

 

 本末須らく宗に帰すべし、

 尊卑其の語を用ふ。

 

 明中に当って暗あり、

 暗相を以て遇ふこと勿れ、

 暗中に当って明あり、

 明相を以て観ること勿れ、

 明暗各相対して、

 比するに前後の歩の如し、

 万物自ら功あり、

 當に用と處とを言ふべし。

 

 事存して函盖合し、

 理應ずれば箭鋒拄ふ、

 言を承けては須らく宗を會すべし、

 自ら規矩を立すること勿れ、

 觸目、道を會せずんば、

 足を運ぶも焉ぞ路を知らん、

 歩を進むる近遠にあらず、

 迷うて山河の固を隔つ、

 謹んで参玄の人に白す、

 光陰虚しく度ること莫れ。

 

 ((ちゅう)) 諸法(しょほう)(みな)()因縁生

    一切平等

    平等即差別

    差別即平等

    生死即涅槃

    煩悩即菩提

 

 

 

 

寳鏡三昧―洞山大師

 

 如是の法、佛祖密に附す。

 汝、今之 れを得たり。

 宜しく善く保護すべし。

 

 銀盌に雪を盛り、明月に鷺を蔵す。

 之れに類して斉しからず。

 混ずるときんば處を知る。

 

 

 意言に在らずんば、

 來機亦赴く、

 動ずれば窠臼を成し、

 差へば顧佇に落つ。

 

 背觸倶に非なり。大火聚の如し。

 但だ文彩に形せば、

 即ち染汚に属す。

 

 夜半正明、天曉不露、

 物の為に則と作る。

 用て諸苦を抜く。

 有為に非ずと雖も、

 是れ語なきにあらず。

 

 寶鏡に臨んで、

 形影相覩るが如し。

 汝是れ渠にあらず、

 渠正に是れ汝。

 世の嬰兒の五相完具するが如し。

 不去不來、不起不住、婆婆和和、

 有句無句、終に物を得ず。

 語未だ正からざるが故に。

 

 重離六爻、偏正回互、

 畳んで三と為り、變じ盡きて五と為る。

 

 荎草の味の如く、金剛の杵の如し。

 

 正中妙挟、敲唱雙び擧ぐ。

 宗に通じ、途に通ず。挟帯挟路。

 

 錯然なるときんば吉なり。

 犯忤すべからず。

 

 天眞にして妙なり。

 迷悟に属せず。

 因縁時節、

 寂然として照著す。

 細には無間に入り、大には方所を絶す。

 毫忽の差、律呂に應せず。

 

 今、頓漸あり、

 宗趣を立するに縁って、

 宗趣わかる。

 即ち是れ規矩なり。

 

 

 

 宗通じ、趣極るも、

 眞常流注、

 外寂に内搖くは、

 繋げる駒、伏せる鼠。

 

 先聖此れを悲んで、

 法の檀度となる。

 其の顛倒に随って、

 緇を以て素となす。

 顛倒想滅すれば、肯心自ら許す。

 古轍に合はんと要せば、

 請う前古を観ぜよ。

 佛道を成ずるになんなんとして、

 十劫樹を観ず。

 

 虎の缺たるが如く、馬の馵の如し。

 

 下劣有るを以て、寶几珍御、

 驚異有るを以て、貍奴白牯。

 

 羿は巧力を以て射て百歩に中つ。

 箭鋒相値ふ。巧力何ぞ預からむ。

 

 木人方に歌ひ、石女起って舞ふ。

 情識の到るに非ず。

 寧ろ思慮を容れんや。

 

 臣は君に奉し、子は父に順ず。

 順ぜざれば孝に非ず。

 奉せざれば輔にあらず。

 潜行密用は愚の如く、魯の如し。

 但だ能く相續するを、

 主中の主と名く。

 

 

 

 

禅・小冊子

 

(坐禅を志す人へ)(井上 希道老師)

 

「坐禅の目的は・・・心の本を追求し明らかにすることである」

「分かっても伝えることが出来ない」

「思慮分別が出る以前に着目することです」

「徹して自己を忘じるのみ」

「知性や概念が動き出す以前の状態に立ち返り」

「天然の作用(摩訶般若の知慧)」

「天然の無為なる働き

空の体得見性であり悟りです」

「心を常にニュートラルにし、絶えずゼロになった時は、クセが落ちた時であり心の正体明らかになった時である」

心の正体はっきりした自覚見性

「心と言うているだけで心なんて別に無いのですね」

「そのこと(無実体)を確認するのが坐禅の目的です」

『「クセ」の無い心(別に「心」など無いでしょう)』

「大悟とは徹底なきなり、徹底死に切って、再び蘇生した時の自覚です」

「感覚や心の現象に過ぎない(一切の実体が無い)(心の真相)」

「坐禅は何も求めず何もせず何も思わず、・・・」

「心は何時も空っぽで五官も冴えています」

 

一法印)=諸法実相

諸行無常、諸法無我、生滅滅已、(涅槃寂静)。(寂滅為楽)。(三法印)

一切皆苦(四法印)

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽。(大涅槃経)

釈尊の体得した絶対空の世界

「無常偈(雪山偈)

諸行無常、是生滅法、

生滅滅已、寂滅為楽。

「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」

達摩(達磨)大師

汝但諸縁一、

クコト

心如クナレバ牆壁

シト

文字(皮・道副)・因縁(肉・尼総持)・空(骨・道育)・三拝(髄・慧可)

慧可

 

 

神秀

身是菩提樹 心如明境台

朝朝勤払拭 莫使若塵埃

慧能大鑑禅師

菩提本無樹 明境亦非台

本来無一物 何処若塵埃

仏道を習うというは、自己を習うなり。

自己を習うというは、自己を忘るるなり。

自己を忘るるというは、

万法に証せられるなり。

万法に証せられるというは、

自己の身心および他己の身心をして

脱落せしむるなり。

(道元禅師玄 現成公案)

工夫は只だ

人我の見を離る

見を離る々の機要

内、虚にして

外、事あるのみ

是人我を

離る々の道

これ坐禅の

玄旨なり

       玄魯(井上 義衍老師)

 

 

空の義(頁243 参禅夜話「五薀皆空」)(参禅夜話 飯田 欓隠老師)

随所現、縁に従って所として現れざるなし

無去来、本躰は天地一枚、何處からも来ず、どこへも行かぬ、何時も變らぬ、水の波の如し、不生不滅もこれから出た

無染、因縁生のみにて相手がない、染汚の入る隙間が無い、煩悩ともいはず、菩提ともいはぬ、物に聞いてみよ

「空の真相とは因縁なんです」井上 義衍老師

思慮分別も分別のままなれば、見るままと少しも違はぬじゃ。

分別も分別せずば分別も分別ながら分別はなしと。

(般若心経恁麼来 飯田 欓隠 老師)

 

修行の根本 照庵大智老尼

 

正修行とは一念の前後際断された様子を自覚して「念」に投入していくのです。

「只管の一念」を護持

只管=余念のない事=何の癖も汚れも無い=縁に応じて自在=本質の純粋性を不純にしている

認める事の非なる事を知らねばならぬ

坐禅・只管・髄息とかにのみ思いを置かず常に今に在る相手なし

物の上に考えや念を添えねばその物のみ

一念を「今」ということに替えて

自分の考えを加えぬよう注意し「千変万化のまま只在る」ように努力

意の全く無い一念を護持し通す菩提心の強い事が肝心

 

修行の根本 照庵大智老尼

 

禅に生きる 原田 雪渓

分別を起こす道具を〔意(意識)〕と言います」

心の働きというのは、ただの考える道具です」

「過去は過去のことを思うからあるが、・・・」

「身心脱落というのは、縁によって自分を忘れ、縁になったことです。脱落身心というのは、自分がなくなったからあらゆるものがないということです。」

「【悟り】などというものが実体として最初からあるかのように思うのは迷妄であり錯誤である。」

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

①思わないようにする(思いを無くそうとする)ことは不要と理解し

②思った(考えた)内容や思う(考える)働きについて考えることは不要と理解し

③意図的に考えをする(例えば仕事の計画を考える)ことは不要と理解し

何かの状態をきっちりつくろうとし、それを維持しようとすることは不要と理解し

万事を休息して坐ること=五感の内容、意図的でない思いの内容意図的でない考えの内容でいます

①~④を理解し⑤ができるようになると、思いや坐中の状態などが気にならなくなるのでただ坐れます

 

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

 

①事実・真実の絶対的な内容がすでにある

②事実を概念化(相対化)し迷い始めた

今の事実(五感の内容、思い考えの内容)に対して考えることをやめ事実(五感の内容、思い考えの内容)のとおりに過ごすことをすると

④自ずと事実が事実のとおりに現れ概念を通さず直知しはっきりするという単純なしくみです。

何かを思わないようにすることは、間違いです。

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

悟りとはこれから何かになるのではなく、元々ある事実を事実のとおりに知ったということです。

松本 自證 氏 より(井上 貫道 老師より印可)

 

大地と有情同事成道山川草木悉皆成仏

有情非常同事成道山川草木悉皆成仏

 

奇哉奇哉一切衆生皆具有如来智慧徳相

 

諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽。(大涅槃経)

 

諸法実相一法印)

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。(寂滅為楽)(三法印)

一切皆苦(四法印)

 

一切有為の法、如夢幻泡影、如露亦如電、応如是観。

 

諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。

 

蛇呑水々為毒、牛呑水々為乳。

、亦説中道義

 

心猶如巧画師、能作種々五薀。

 

天地與我同根、萬物與我一体。

 

諸法皆是因縁生、因縁生故無自性、無自性故無去来、無去来故無所得、無所得故畢竟空、畢竟空故是名般若波羅蜜、

南無一切三宝無量広大、発阿耨多羅三藐三菩提(大般若転読偈文)

 

諸法因縁生。因縁生自性。無自性ナシ去来。無キカ去来所得

所得畢竟空ナリ。畢竟空般若波羅蜜。(略般若経)

 

身是菩提樹 心如明境台 朝朝勤払拭 莫使

 

菩提本無樹 明境亦非台 本来無一物 何処若塵埃  恵能)

 

春に百花あり秋に月あり、夏に涼風あり冬に雪あり、もし閑事の心頭に挂くるなくんば、すなわちこれ人間の好時節。

(無門関 19則 平常是道)

空手把鋤頭一、歩行騎水牛一、人従橋上過、橋流水不流(()大士(だいし)・善慧・497569

 

過水の偈 洞山良价

切に()む他に随って(もと)むを、迢迢我与疎なり、我今独り自ら往く、処処に渠に逢ふことを得、

渠は今正に是れ我、我は今是れ渠ならず、応に須く与麼に会して、方めて如如に契ふを得たり、

本自縛。不ムルコトヲ解。直ヂキニズレレヲ無等等トス。(大珠)

 

心は万境によって転ず、転処実に能く幽なり、流れに随うて性を認得すれば、喜びもなし亦憂ひもなし

 

ヲモ、不ヲモ。了法空ニシテ無相ナルコトヲ

 

スレバ一物一、

 

傅大士 法身の偈

空手にして鋤頭(じよとう)()る(鋤)、歩行にして水牛に()る(騎)、人橋上より過ぐれば(橋)、橋流れて水流れず(水)

 

四大元無主、五蘊本来空、以頭当百刃

捨諸縁。休息万事。不善悪。莫是非。停心意識之運転。止念想観之測量

作仏。豈坐臥乎。(普勘坐禅儀 道元禅師)

 

本来の面目(道元禅師)

春は花 夏ほとゝぎす 秋は月 冬雪さえて凉しかりけり

 

迷即此岸 悟即彼岸 迷悟共忘 離彼此岸 (古語)

 

花無心にして枝を離れ 枝有心にして落花を送る 落花意ありて流水に随い 流水無心にして落花を送る

 

晴れてよし曇りてもよし富士の山、もとの姿

極楽へ行かんと思う心こそ、地獄へ堕つる始めなりけり(一遍)

 

「どう見ても雪より黒いものはない」「それがわかればよろしい」 能役者(金春(こんぱる) (ぜん)(ちく)

 

引き寄せて結べば柴の庵りなり、解くれば元の野原なりけり(古人)

引き寄せて結びし(しば)の庵なれば、解かずそのまゝ野原なりけり

解くればもとの野原なりけり、解くずそのまま野原なりけり

 

花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花に至る、花亦知らず、蝶亦知らず、不知(しらず)不知(しらず)にして、帝則(ていそく)(かな)う(良寛)

鳴る」

 

鐘が鳴るのよ、橦木は鳴らぬ、鐘が無ければ、音はせぬ。』「奪人不奪境」

『鐘は鳴らない、橦木が鳴るよ、橦木無ければ、音はせぬ。』「奪境不奪人」

『鐘も鳴らない、橦木も鳴らぬ、鐘と橦木の(あい)が鳴る。』「人境両倶境」

『鐘が鳴ります、橦木も鳴るよ、鐘と橦木で、音がする。』「人境倶不奪」

 

・・・・・・・・

・・・・・・・・

 

大死一番来たれ (大死一番大活現成)

 

妄想を除かず、真を求めず。

 

幻化の空身即法身、法身覚了すれば、無一物。

本来本法性、天然自性心。三世の諸仏、何によって修行する。(道元禅師)

     ・・・・・

     ・・・・・

天然自性心

 

虚心・虚心坦懐

 

 

「見性(自分の本性を見る)」(色即是空 原田 雪渓)

 

花無心にして蝶招き

蝶無心にして花を尋ね

花開くとき蝶来り

蝶来る時に花開く

吾れも亦人を知らず

人も亦吾れを知らず

知らず帝則に従ふ(良寛)」

 

花無心にして蝶招き

蝶無心にして花に至る

花亦知らず、蝶亦知らず

不知、不知にして帝則に叶う(良寛)

 

坐禅和讃―白隠禅師

 

 衆生本来佛なり、

 水と氷の如くにて、

 水を離れて氷なく、

 衆生の外に佛なし、

 衆生近きを知らずして、

 遠く求むるはかなさよ、

 譬へば水の中に居て、

 渇を叫ぶが如くなり、

 長者の家の子となりて、

 貧里に迷ふに異ならず、

 六趣輪廻の因縁は、

 己が愚痴の闇路なり、

 闇路に闇路を踏みそへて、

 いつか生死を離るべき、

 夫れ摩訶衍の禅定は、

 稱歎するに餘りあり、

 布施や持戒の諸波羅密、

 念佛懺悔修行等、

 其の品多き諸善行、

 皆この中に歸するなり、

 一座の功をなす人も、

 積みし無量の罪ほろぶ、

 悪趣何處にありぬべき、

 浄土即ち遠からず、

 辱なくも此の法を、

 一たび耳にふるる時、

 讃嘆随喜する人は、

 福を得ること限りなし、

 況んや自から囘向して、

 直に自性を證すれば、

 自性即ち無性にて、

 即に戯論を離れたり、

 因果一如の門ひらけ、

 無二無三の道直し、

 無相の相を相として、

 行くも歸るも餘所ならず、

 無念の念を念として、

 謡ふも舞ふも法の聲、

 三昧無礙の空ひろく、

 四智圓明の月さゑん

 此時何をか求むべき、

 寂滅現前するゆへに

 當所即ち蓮華國、

 此身即佛なり。

 

信心銘―三祖僧璨(鑑智禅師)

 

 至道無難、唯嫌揀擇。

 

 但だ憎愛莫れば、洞然として明白なり。

 

 毫釐も差有れば、天地懸に隔たる。

 

 現前することを得んと欲せば、

 順逆を存すること莫れ。

 

 違順相争ふ、是れを心病と為す。

 

 玄旨を識らざれば、徒に念静を労す。

 

 圓なることは太虚に同じ、

 欠くることもなく餘ることもなし。

 

 良に取捨するに由る、

 所以に如ならず。

 

 有縁を逐ふこと莫れ、

 空忍に住すること勿れ。

 

 一種平懐なれば、

 泯然として自ら盡く。

 

 

 動を止めて止に帰すれば、

 止更に彌動ず。

 

 惟だ両辺に滞らば、

 寧ろ一種を知らんや。

 

 須叟も返照すれば、

 前空に勝却す。

 

 前空の転変は、皆妄見に由る。

 眞を求むることを用いず、

 惟だ須らく見を息むべし。

 

 二見に住せず、

 愼んで追尋すること勿れ。

 

 纔に是非有れば、

 紛然として心を失す。

 

 

 二は一に由って有なり、

 一も亦守ること莫し。

 

 一心生ぜざれば、萬法に咎無し。

 

 咎無ければ法無し、

 生ぜざれば心にあらず。

 

 能は境に随って滅し、

 境は能を逐うて沈む。

 境は能に由って境たり、

 能は境に由って能たり。

 

 両段を知らんと欲せば、

 元是れ一空。

 

 一空、両に同じ、

 斉しく萬象を含む。

 

 

 精麤を見ざれば、

 寧ろ偏黨有らんや。

 

 大道體寛く、易無く難無し。

 

 小見は狐疑す、

 轉た急なれば轉た遅し。

 

 之れを執すれば度を失う、

 必ず邪路に入る。

 之れを放てば自然なり、

 體に去住無し。

 

 性に任せて道に合ひ、

 逍遙として悩を絶す。

 

 念を繫くれば眞に乖く、昏沈不好なり。

 

 不好なれば神を労す、

 何ぞ疎神を用ひん。

 一乗に趣かんと欲せば、

 六塵を悪むこと勿れ。

 

 六塵を悪まざれば、

 還って正覚に同じ。

 

 智者は無為なり、愚人は自縛す。

 

 法に異法無し、妄に自ら愛著す。

 

 心を将って心を用ふ、

 豈に大錯に非ざらんや。

 

 迷へば寂乱を生じ、

 悟れば好悪無し。

 

 一切二辺、良に斟酌に由る。

 

 夢幻空華、何ぞ把捉を労せん。

 

 得失是非、一時に放却す。

 

 眼若し睡らざれば、諸夢自ら除く。

 

 心若し異ならずんば、萬法一如なり。

 

 一如體玄にして、

 兀爾として縁を忘る。

 

 萬法斉しく観ずれば、帰復自然なり。

 其の所以を泯じて、方比すべからず。

 

 動を止むれば動無し、

 止を動ずるに止無し。

 

 両既に成ぜず、

 一何ぞ爾ること有らん。

 

 究竟窮極、軌則を存せず。

 

 心の平等なるに契へば、

 所作倶に息む。

 

 狐疑浄盡すれば、正信調直なり。

 

 一切留まらざれば、記憶す可き無し。

 

 虚明自照すれば、心力を労せず。

 

 思量に非ざる處、識情測り難し。

 真如法界、他無く自無し。

 

 急に相應せんと要せば、

 惟だ不二と言ふ。

 

 不二なれば皆同じ、

 包容せずといふこと無し。

 

 十方の智者、皆比の宗にる。

 

 宗は促延に非ず、一念萬年。

 

 在と不在と無く、十方目前。

 

 極小は大に同じく、

 境界を忘絶す。

 

 極大は小に同じく、邊表を見ず。

 

 有は即ち是れ無、無は即ち是れ有。

 若し比の如くならずんば、

 必ず守ることを須ひざれ。

 

 一即一切、一切即一。

 

 但だ能く是の如くならば、

 何ぞ畢らざることを慮らん。

 

 信心不二、不二信心。

 

 言語道断、去來今にず。

 

参同契―石頭禅師

 竺土大仙の心、東西密に相附す。

 

 人根に利鈍あり、道に南北の祖なし。

 

 霊源明に皎潔たり。

 

 支派暗に 流注す、

 事を執する元是れ迷、

 理に契ふも亦悟にあらず。

 門門一切の境、回互と不回互と、

 回して更に相渉る。

 

 爾らざれば位によって住す。

 

 色もと質像を殊にし、

 聲もと楽苦を異にす。

 

 暗は上中の言に合ひ、

 明は清濁の句を明す。

 四大の性自ら復す。

 

 子の其の母を得るが如し。

 

 火は熱し、風は動揺、水は濕ひ、

 地は堅固、眼は色、耳は音声、

 鼻は香、舌は鹹酢、

 然も一一の法に於て、

 根によって葉分布す。

 

 本末須らく宗に帰すべし、

 尊卑其の語を用ふ。

 

 明中に当って暗あり、

 暗相を以て遇ふこと勿れ、

 暗中に当って明あり、

 明相を以て観ること勿れ、

 明暗各相対して、

 比するに前後の歩の如し、

 万物自ら功あり、

 當に用と處とを言ふべし。

 

 事存して函盖合し、

 理應ずれば箭鋒拄ふ、

 言を承けては須らく宗を會すべし、

 自ら規矩を立すること勿れ、

 觸目、道を會せずんば、

 足を運ぶも焉ぞ路を知らん、

 歩を進むる近遠にあらず、

 迷うて山河の固を隔つ、

 謹んで参玄の人に白す、

 光陰虚しく度ること莫れ。

 

 ((ちゅう)) 諸法(しょほう)(みな)()因縁生

    一切平等

    平等即差別

    差別即平等

    生死即涅槃

    煩悩即菩提

 

参同契―石頭禅師

 竺土大仙の心、東西密に相附す。

 

 人根に利鈍あり、道に南北の祖なし。

 

 霊源明に皎潔たり。

 

 支派暗に 流注す、

 事を執する元是れ迷、

 理に契ふも亦悟にあらず。

 門門一切の境、回互と不回互と、

 回して更に相渉る。

 

 爾らざれば位によって住す。

 

 色もと質像を殊にし、

 聲もと楽苦を異にす。

 

 暗は上中の言に合ひ、

 明は清濁の句を明す。

 四大の性自ら復す。

 

 子の其の母を得るが如し。

 

 火は熱し、風は動揺、水は濕ひ、

 地は堅固、眼は色、耳は音声、

 鼻は香、舌は鹹酢、

 然も一一の法に於て、

 根によって葉分布す。

 

 本末須らく宗に帰すべし、

 尊卑其の語を用ふ。

 

 明中に当って暗あり、

 暗相を以て遇ふこと勿れ、

 暗中に当って明あり、

 明相を以て観ること勿れ、

 明暗各相対して、

 比するに前後の歩の如し、

 万物自ら功あり、

 當に用と處とを言ふべし。

 

 事存して函盖合し、

 理應ずれば箭鋒拄ふ、

 言を承けては須らく宗を會すべし、

 自ら規矩を立すること勿れ、

 觸目、道を會せずんば、

 足を運ぶも焉ぞ路を知らん、

 歩を進むる近遠にあらず、

 迷うて山河の固を隔つ、

 謹んで参玄の人に白す、

 光陰虚しく度ること莫れ。

 

 ((ちゅう)) 諸法(しょほう)(みな)()因縁生

    一切平等

    平等即差別

    差別即平等

    生死即涅槃

    煩悩即菩提

 

傳法偈(景徳傳燈録)

 

 一、摩訶迦葉傳法偈

   法法本来法、無法無2非法1

   何於2一法中1、有法有2非法1

 ニ、阿難傳法偈

   本来付有法、付了言2無法1

   各各須2自悟1悟了無2無法1

 三、商那和修の傳法偈

   非法亦非心、無心亦無法、

   説2是心法1時、是法非2心法1

 四、優婆麹多の傳法偈

   心自本来心、本心非法、

   有法有2本心1、非心非2本法1

 五、提多迦の傳法偈

   通2達本心法1、無法無2非法1 

   悟了同2未悟1心亦無法。

 六、彌遮伽の傳法偈

   無心無得、説得不法、

   若了2心非1、心始了2心心法1

 七、婆須密多の傳法偈

   心同2虚空界1、示2虚空1

   燈2得虚空1時、無3是無2非法1

 八、佛陀難提の傳法偈

   虚空無2内外1、心法亦如此、

   若了2虚空1故、是達2真如理.

 九、伏駄密多の傳法偈

   真理本無名、因名顕2真理1

   受2得真実法1真亦非偽。

一○、婆栗濕縛の傳法偈

   眞體自然眞、因眞説理、

   領2得眞眞法1、無行亦無止。

一一、富那夜奢の傳法偈

   迷悟如2隠顕1、明暗不2相離1

   今付2隠顕法1、非一亦非二。

一二、阿那菩底(馬鳴)の傳法偈

   隠顕即本法、明暗元不二、

   今付2悟了法1、非取亦非離。

一三、迦毘摩羅の傳法偈

   非隠非顕法、説2是眞実際1

   悟2此隠顕法1、非愚亦非智。

一四、那伽閼刺樹那(龍樹)の傳法偈

   為2隠顕法1、方説2解脱理1

   於法心不1、無瞋亦無喜。

一五、迦那提婆の傳法偈

   本對2傳法人1、為説2解脱理1

   於法實無證、無終亦無始。

一六、羅喉羅多の傳法偈

   於法實無證、不取亦不離、

   法非2有無相1、内外云何起。

一七、僧伽難陀の傳法偈

   心地本無生、因地従縁起、

   縁種不2相妨1、華果亦復爾。

一八、伽耶舎多の傳法偈

   有種有2心地1、因縁能発明、

   於縁不2相礙1、當生生不生。

一九、鳩摩羅多の傳法偈

   性上本無生、為對求2人説1

   於法既無得、何懐2決不快1

二○、闍夜多の傳法偈

   言下合2無生1、同2於法界性1

   若能如是解、通2達事理1竟。

二一、婆修盤頭の傳法偈

   泡幻同無礙、如何不2了悟1

   達法在2其中1、非今亦非古。

二二、摩孥羅の傳法偈

   心随2萬境1轉、轉處實能幽、

   随流認2得性1、無喜復無憂。

二三、鶴勒那の傳法偈

   認2得心性1時、可2不思議1

   了了無得、得時不知。

二四、獅子菩提の傳法偈

   正説2知見1時、知見倶是心、

   當心即知見、知見即2于今1.

二五、婆舎斯多の傳法偈

   聖人説2知見1、當境無2是非1

   我今悟2眞性1、無道亦無理。

二六、不如密多の傳法偈

   眞性心地蔵、無頭亦無尾、

   應縁而化物、方便呼為智。

二七、般若多羅の傳法偈

   心地生2諸種1、因事復生理、

   果満菩提圓、華開世界起。

 

 

(獅子吼)(今月一覧)(2015/1月~直近月)(拡散・拡散)

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禅・小冊子終り

 

祖師云う

 

(尋言遂語・じんごんちくご・解行すること勿れ)

 

雪ほど黒いものはない

 

学道の人、悟りを得ざるは古見を存ずる故なり(道元禅師言)

 

「求著スレバ、不レバ目前(臨済録)」

 

「第22祖摩羅尊者

 心随万境転、」

 転處実能幽、

 随流認-得性

 無喜亦無憂。」

 

「言詮不及、心行所滅の境位」

 

「不色空」

 

「色異空、

 空異色、

 色非空、

 空非色。」

 

「色不空、

 空不色、

 色即是空、

 空即是色。」

 

「佛性を見得(成佛)」

 

 

 

 

 

 

 

私見・己見

作我・発生我

分別そのままに、無分別のままに、そのままに