「仕方がない。こうなったら前向きに考えてやる」
あれから10分。一応龍之介も粘るには粘ったのだ。
「そんな横暴な手段を使う奴らには屈しないぞ。俺は1人でもやってやる」
という具合に……
問題は巻き添えを食う形になった残りの2人だ。てっきり龍之介だけかと思ったら、
「そんなわけで… ごめんね、いずみちゃん」
こうなると他人事だと笑ってはいられない。哀願するように友美を見るも、その瞳
は、
『頑張って説得して』
と言っていた。もちろん自分を説得してくれと言っている訳じゃ無かろう。
結果、龍之介は陥落した。唯一の中立勢力、樹を取り込もうとしたものの、
「いいじゃん、たかが1日2日。補習を受けたら2週間だよ」
この一言で龍之介も冷静になれたのだろう。そこで前述の前向き発言に至った次第。
「しかし何処に行くにしても、この時期に宿が取れるのかよ」
普通この時期に海と言ったら何処の宿も一杯であろう。
「そうなのよねぇ。どっかに穴場が無いかしら」
ペラペラと情報誌を捲りながら溜息を吐く綾子。情報誌に載っている穴場情報を見
ている時点で望み薄だ。加えて載っている宿という宿が『○○駅下車バス○時間』。
本当に海の宿なのか疑いたくなってしまう。まあ、だからこそ穴場なのだろうが。
「せめて車があればなぁ」
頭の後ろで手を組んで洋子が嘆く。
「アホか、車があっても運転手がいなきゃ話にならんだろ」
現在彼らは15歳〜16歳。日本の法律では免許は取得できない。
「そうね。車だけならレンタカーがあるし」
「そうか。となると運転手さえ確保出来ればいいんだな」
「誰か知り合いにいない? 免許持ってそうな人」
仮に居たとしても、引っ張り出される方はいい迷惑だろう。大体面識が無い人間ば
かりの旅行に、ただの運搬係として付き合う人間など奇特以外の何者でもない。
それがわかっているのか、
「いや、この際免許の有無は問わん。18歳に達していれば、今から合宿で免許を取
りに行って貰うまで……」
やや現実的な意見を述べる龍之介。問題は18歳以上で合宿免許を取れるほど暇な
人間を見つけられるか、という事なのだが、
「おお、うってつけの人材がいるぞ」
この場にいる全員と面識があり、18歳以上で、尚且つ大学生のくせにこんな昼間
からバイトに精を出している――つまり教習所に通える時間的余裕がある――人間が…
その人物の方へ龍之介が顔を向け……
「嫌」
……る間もなく、漢字一文字で拒否された。まだ何も言ってないのに。
「まだ何も言って無いじゃないかよ」
一言の元に拒否を示された龍之介が不満そうに口を尖らせる。
「あら、そう? じゃあどうぞ」
右掌をちょっと差し出す仕草。言ってみろという事らしい。
「じゃあ、簡潔に言ってやる。自動車免許取れ」
「嫌」
先ほどと寸分違わぬ答えだった。漢字一文字じゃ違えようも無いが。
「なにぃっ! 愛する俺の頼みが聞けないってのか!?」
「お生憎様。私の愛する人は、私の嫌がる事を強要させないの」
事情を知っている人間が聞いたら、勝手にやってくれと言いたくなってしまうやり
取りだが、この場にいるメンバーから見ると、龍之介が軽くあしらわれているように
しか見えない。
ってか、実際軽くあしらわれているだけなのだが…
「うーむ、さすがだ」
あれだけ手の掛かる龍之介を、いとも簡単に屈服させる愛衣にいずみが驚嘆とも取
れる感想を漏らす。そして、
「無理無理。愛衣姉にはライダーとしてのプライドがあるんだから。お前ごときが何
か言ったところで、そう簡単に4輪の軍門に下るわけ無いさ」
単車乗りとは斯くも志の高い人種らしい。
そんな会話が耳に入っているのかいないのか、がっくりと肩を落とす龍之介。免許
云々よりも『愛する』発言を軽くいなされた事によるダメージの方が大きいのかもし
れない。
「くそぅ、振り出しに戻る、か」
「仕方がないから、電車とバスを乗り継いで行こっか?」
綾子が情報誌の一端を指さして言う。八十八町からだと、電車で3時間掛かる駅か
らバスが出て、更にそのバスで1時間半。
「これって電車とバスの繋がりはどうなんだ? 駅に着いて、バスが来たのが1時間
後だったら笑えないぞ」
乗り換え等も考えると、最短でも5時間近く掛かる計算になる。接続が悪ければ、
それなりの覚悟をせねばなるまい。
「やっぱ、車が欲しいよなぁ」
先ほどと同じ事を繰り返す洋子に、龍之介が
「だから車じゃなくて運転手……」
からん…
言い掛けた時、入口のカウベルが鳴った。
「こんにちわー…って、何これ」
入ってきた愛美は店内の蒸した空気に顔をしかめた。今度は紛れもなく空調故障に
対するブーイングだろう。
「あのね… 店のドアに貼ってある『冷房故障中』の文字が見えなかった?」
「あ、そうなの? 災難ね」
と言っている割には同情している様には見えない。にこにことその顔に満面の笑み
を浮かべ、愛衣の正面にあるスツールに腰掛ける。
「アイスコーヒーお願いね」
にこにこにこ。
相変わらずの笑顔でオーダーする愛美。その笑顔が何を意味するのか、愛衣には察
しがついていたのだが、敢えてこちらから聞くような事はしない。
一方愛美の背後では、例の連中が、
「なるべく現地での滞在時間を稼ぐために、始発電車を使ってだな…」
「無理だよ。絶対お兄ちゃん起きないもん」
「大丈夫だ。遊びに行くとなったら自然と目が覚める。なんならずっと起きててやる
ぞ」
「海で泳ぐんだから体調は万全にして置いた方がいいわよ。そういう油断が水の事故
に繋がるんだから」
相変わらず進展の無い論議を続けていた。
「はい。お待たせしました」
にこにこにこ。
まだ笑っている愛美の前にアイスコーヒーを出し、尚もそれを無視し続ける愛衣。
「ねぇ」
にこにこにこ。
「なによ」
「聞いてよ」
にこにこにこ。
「なにを?」
「だから結果」
にこにこにこ。
「だからなんの?」
端で聞いていると、噛み合っているんだかいないんだかよくわからない会話だ。と
は言え、愛衣の方は愛美がなにを聞いて欲しいのか分かっていたし、あまつさえ結果
の方も想像がついていた。何しろさっきから笑顔が絶えない。
それでも黙っているのは、曲がりなりにも愛美が友人だからだ。…が、当の愛美は
そんな愛衣の友情には気付かず、致命的な一言を発してしまった。
「もぉ、今日免許取りに行くって言ったじゃない」
……
「免許?」
瞬間、その場にいた数人が鋭く反応し、更に内1名は直接行動に出た。
「愛美さん、免許取ったの?」
背後からの声というか歓声に、愛美は無感動な(「言わんこっちゃない」という顔
をしている)友人を放り出し、スツールごとその声の方へ身体を向けて、
「うん。後ろの電光掲示板に合格者の番号が出るんだけどね、もぉドキドキで……」
そんな事は誰も聞いてないのに喋りまくる愛美。誰かに聞いて欲しくてウズウズし
ていたらしい。彼女の回りには夏らしく、ヒマワリの花が咲き乱れているかのようだっ
た。
「すごい。じゃあ、もう車が運転出来るんだ」
「今度ドライブに連れてって下さい」
示し合わせたかのように、唯と綾子が畳みかける。そんな後輩達に愛美はいたく満
足したようで、
「そうね。夏休みに何処か行こうか」
懸かった魚は思いの外大きかったらしい。
「本当ですか!? だったら、海… なんか良いなぁ… ねえ、みんな?」
綾子の言葉に、いずみを除く女の子全員と龍之介が首を大きく縦に振った。近年希
に見るシンクロ率の高さだ。
「海? 海水浴なの? どうせならもうちょっと遠くに行かない?」
地元の海水浴場までの搬送係とでも思われたのだろうか、ちょっと表情が曇る。免
許を取った者ならばわかると思うが、とにかく運転したいものなのだ。そして出来れ
ば遠出をしたい(でも1人じゃ嫌)。愛美の不満の表情が如実にそれを物語っていた
…が、次の瞬間一転して笑顔になり、
「あ、そーだっ。私の叔母が伊豆で旅館をやってるんだけど、良かったらどう? 格
安で泊まれるように手配するけど?」
おおおっ…!
掛かった魚に、カジキマグロ級のヤツが食い付いてきた感じだ。もちろん異論のあ
る者が居るはずもない。
※
「でも大丈夫なんですか?」
善は急げと言うわけで、受話器を上げる愛美に向かって友美が訪ねた。如何に親戚
とは言え、掻き入れ時の時期に、この人数を受け入れて貰えるだろうかという意味だ。
だが愛美は心配無用という顔で、
「大丈夫大丈夫。免許取れたら友達と遊びにいらっしゃいって言われてるから」
アドレス帳を開き、番号をプッシュする。それを聞いて安心したのか、
「よっしゃ、これで足と宿は確保出来たな」
先ほどゴネていた龍之介も、話が具体的になってきた所為か、俄然乗り気になって
きた。もっとも彼の場合、乗り気になる要素が増えたのだから当然かも知れない。何
しろ愛美が行くと言うことは……、
「あとは期末テストで失敗しないようにしないとね」
そんな彼の妄想を感じ取ったとは思えないが、友美が現実を突きつけてくれた。
「……気を削ぐような事を言うなよ」
だが事実だ。もしこれで試験にコケたら全てが水泡に帰す。
「ごめん。ちょっといい?」
そんな『死ぬ気で試験をがんばれ』という無言の圧力が漂う空間を切り裂く形で愛
美の声が届いた。一斉に5人の視線がそちらへ向く。
「あのね、この人数でこの予算なら、二泊して行けばって言ってるんだけど……」
「お願いしますっ!」
打てば響くような返事。最早何の相談もいらなかった。
「いやー、ラッキーだなぁ。これも普段の行いが良いお陰だ」
「お前の何処を押せばそんなセリフが出てくるんだ?」
などと言うやり取りを余所に、受話器を置いた愛美がカウンター席に戻ると、それ
を待っていたかのように、
「ちょっと… なによ、参加人数が11人ってのは」
愛衣が睨め付けた。なるほど、この人数ならば旅館の方も有り難がるだろう。
「あれ? だって此処にいる全員でしょ?」
振り返って後輩達に確認する。自分が行くのに愛衣が行かないなどとは夢にも思っ
ていなかったのだろう。
「あ、ごめん…私、不参……むぐぐっ」
何かを言い掛けたいずみだが、その口は洋子によって塞がれた。
「ははは。お前を放って私達だけで楽しめると思うのか? 一緒に行こうぜ」
友情万歳、てな具合にいずみを睨む洋子。何処まで本気かわからないが、人数が減
る事で2泊3日がオシャカになる、という考えが無かったとは言えまい。
続いて、キッと残った男子生徒2人に視線を飛ばす。その視線に気圧されたのか一瞬
戸惑うあきら。彼はスポーツ特待生に近い形で入学したので、学園生活は部活動が第
一になる。
「いや、俺は新人戦が近いし……」
と言い掛けたが、
「山籠もりをする、とでも言って抜け出してきな」
ニベもなかった。そしてその隣。
「ボクは最初から行くつもりなんだけど」
何を考えているんだかわからないような表情で、樹がのほほんと答える。なら最初
から話に加われば良いものだが、多分2人(あきら、いずみ)の手前、遠慮していた
のだろう。
「となると、あとは……」
その場に居た全員の目が愛衣に向く。
「……わかったわよ、行けばいいんでしょ」
溜息混じりに了承。表面的には渋々といった具合に見られるが、ひょっとしたら、
『龍之介を野放しに出来ない』という意識が…ある…… かもしれない。
「やりぃっ!」
ぱちん、と洋子が指を鳴らす。
「でも、それでも10人だよ。あとの1人って?」
ひの… ふの… と人数を数えていた唯が愛美に訊ねる。数え間違えたのかと思い
きや、
「え? あらぁ、そぉ言われればそうねぇ」
この惚け方は、あらかじめそう仕組んだ惚け方だ。
「それに11人って…… そんなに乗れる大きな車あるのかな?」
ミニバンブームである昨今でさえ、最大で8人乗りが精々である。核家族化進む昨
今、十分すぎる定員数ではあるが、さすがに11人が乗れる車となると、マイクロバ
ス以上になってしまう。
「うーん、それも盲点だったわねぇ」
ちっとも『盲点だった』というような顔をしないで、チラチラと愛衣の方を見る愛
美。どうやら彼女には、もう1人運転手にも心当たりがあるようだ。
「なによ」
愛美の言いたいことが判らないのか、それとも判っていてそのフリをしているのか、
愛衣の返事は素っ気ない。仕方無く愛美は怖ず怖ずと、
「確か…… 隆史さんって車持ってなかったっけ?」
つまりはそういう事だった。
※
「海かぁ… そういや、日本の海は久しく行ってないな」
結局、話の都合上マスターはあっさり陥落した。パーティーは運転手2人と2台の
車を手に入れたってな具合。確保した座席数は、
「僕のは一応5人乗りだけど、バックシートは狭いから、イイトコ4人だね」
「私はお父さんのミニバンを借りてくるから…… 確か7人乗れたと思う」
4+7=11。謀ったようにぴったりだった。まあ、謀ったのだから当然だろう。
こうして全ての問題が解決した……かに見えたのだが、
「それは良いけど…… 愛美、あんた運転大丈夫なんでしょうね?」
愛美の腕前を知る愛衣としては、真っ先に出てくる懸案だった。AT車をエンスト
させた腕前は記憶に新しい。
しかし、愛美は愛衣の不安を吹き飛ばすような笑顔で、
「大丈夫、任せて。何たって一発合格だもん」
“ぴっ”と人差し指と中指で挟んだライセンスを掲げる。
「それは筆記の話でしょうが。路上検定何回落ちたか言ってごらん」
路上検定。いわゆる自動車教習所の卒業試験の事だ。これに合格しないと、筆記試
験が受けられない。更に、実際の運転で筆記と実技のどちらが技量の目安になるのか
は言うまでもない。
「……回」
ぼそっと呟くようにその回数を口にする愛美。瞬間、その場にいた愛衣とマスター
を除く全員の顔が、サッと青ざめた。何回と明確に聞こえたわけではない。『回』し
か聞こえなかった事が彼らに恐怖を感じさせたのだ。
「3回落ちて、4回目に受かったのよねぇ。確か」
そんな彼らの心情を汲み取ったわけでもないだろうが、愛衣が補足してくれる。常
識外れ(10回以上)の回数を予想した数名がホッと胸をなで下ろした。
……だが、「だって… あれは絶対おかしいよ。工事現場の警備員が“行け行け”って手を振っ
てたから急いで踏切を渡ろうとしたら教官がブレーキ踏んじゃうんだもの」
教訓:どんな時でも一旦停止は一旦停止。
「坂道発進だっておかしいよ。車は重量物で地球には重力があるんだもん。下がって
当たり前でしょ?」
ぞぞーっ…
こんなやり取りを聞いて、龍之介達は自分達がとてつもなく細い糸の上に立たされ
ているのだという事実を感じた。
そうなのだ。免許を持っている=運転が上手という訳では決して無い。
ごうんごうんごうん………
いつの間にか修理の終わった空調機が、彼らの背中に冷風を吹き付ける。
無言の時刻(とき)が流れた。恐らく全員が同じ事を考えているのだろう。愛美の
運転する車に乗ることが、どういう事なのかを……
話し合いなど無駄な事だ。誰だって死にたくはない。ならば……
「じゃんけんぽん! あいこでしょっ!!」
運を天に任せて、マスターの愛車のシートを巡る壮絶な争いが始まった。その枠は
3つ。友情は斯くも遠くになりけり。
「うー…、ひどいよみんな」
そのジャンケンがどういった意味を持つのかわかったのだろう。口を尖らせ不満を
述べるが、誰も聞いていなかった。しかし全員が全員その争奪戦に参加したわけでは
無い。あれだけ悪く言っていた愛衣は、その争奪戦には参加せずにいた。そしてその
幼馴染み洋子も。
「なんだかんだ言って、愛衣ちゃんは優しいよね」
ちょっとはにかんだ笑みを見せる愛美。その時点で、目の前にいる友人が自分に命
を預けてくれているという事がわかったからだ。その信頼に応えるべく、
「大丈夫。家の車はオートマ(AT)だし、旅行の日まで少しは練習しておくから」
拳を握りしめ、決意を顕わにする。
……しかし、
「ああ… 悪いけど、私は自分の(単車)で行くから」
「私は愛衣姉の後ろ」
2人の無情な言葉が愛美を突き崩した。信頼と友情は別物という事だろう。
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