Ready Steady
構想・打鍵 Zeke

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。
 本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。 

「うーむ……」

 机の上にある現実を見つめ、俺は唸ってしまった。もちろん中間試験が近いという 

理由で机に向かっているわけではない。

 そこには、ついさっき買ってきたばかりのCDが封を切られて置いてあった。前々 

から楽しみにしていたモノで、学校帰りに早速購入して来たのだ。

 まあ、それはいい。予定内の出費だ。 

「困った……」

 にも係わらず困っているのは、この後に続くであろう連続出費に関してだ。 

 いや、決して忘れていた訳では無い。誕生日があるのはしっかりと覚えていた。 

 CDだって本当はもう一枚欲しいのがあったのだが、

「(もう一枚買ったら、今月は水を飲んで暮らさなきゃならないからな)」 

 と思い止まったくらいだ。



 しかし俺は今月が5月だと言う事を失念していた。 

「(もう1人いた……)」

 と思い出したのは、CDショップを出、缶コーヒーでも飲もうと自販機に小銭を入 

れた時だった。次の瞬間、俺が返却レバーに手を掛けたのは言うまでもないだろう。



「迂闊だった… そう言えば5月だったんだよなぁ…」

 支給日当日福沢諭吉だった俺の小遣いは、翌日『Mute』のツケを支払った事で、 

新渡戸稲造と複数の夏目漱石に分裂し、今は新渡戸稲造氏だけが難しい顔をして俺の 

顔を見つめている。

 単純計算すれば2500円ずつなのだが、それでは水を飲んで過ごすハメになるし、 

更に悪いことに、片一方は……



 まあなんだ……、こっちの気持ちは伝えたし、向こうもOKしてくれたんだから、 

――してくれたんだよな?――『俺の彼女』って事になる訳だ。

 もっともその『彼女』の誕生日を“うっかり”忘れていたのだけど…… いや、そ 

んなことはどうでもいいのだ(と言う事にして置いてくれい!)

 つまりは、一日一緒にいたい――本当は一晩一緒にいたいと言いたいところだが、 

んな事言ったらぶん殴られそうだ――早い話、どこかに一緒に遊びに行っても良いだ 

ろうって訳だ。



 んで、そうなると「新渡戸稲造/2」では心許ない……って言うか、完全に不足。 



 しかしだ、ここで友美を蔑(ないがし)ろに出来るか? と問われれば否となる。

今となっては、唯一俺の誕生日を祝ってくれる貴重な存在が友美だからだ。



「確か去年は英和辞典だったよなぁ…」 

 中学に入った時、「辞書を買いなさい」と美佐子さんから渡された金を見事に使い 

込んでしまった俺は、それまで借り物の辞書を使って英語の授業に臨んでいたのだ。 



「安いもんじゃ無いだろうに……。」

 その辞書を手に取り、ひっくり返す。友美らしいと言うか、値段の表示があった場 

所がマジックで塗りつぶされていた。

 一緒に受験勉強をするようになって同じ辞書を使っているありがたみが実感出来た 

英和辞典。ある意味、高校合格を縁の下で支えてくれたアイテムだろう。

 それを誕生日にプレゼントしてくれた友美に対し、何もお返ししないというのは如 

何にも拙い。

 プレゼントは金額じゃなく気持ちだと言うが、感謝の気持ちを表すある程度の尺度 

にはなるだろう。



「美佐子さんから前借りするのもなんだしなぁ……」

 お願いすれば無理ではないが、女の子に誕生日プレゼントを贈るために前借りする 

のは少し格好悪い気がする。

「仕方がないな…」





 やむなく俺は最終手段を使うことにした。廊下へ出てはす向かいの部屋の前に立ち、 

「唯、ちょっといいか?」

 と声を掛ける。いるのは知っていた。唯の女子校は試験週間で今週中は半ドンで上 

がりの筈だからだ。

「なぁに?」

 聞き慣れた声が返ってくる。当たり前だ。一緒に暮らし始めてそろそろ8年になる。 

これで慣れなかったらちょっと問題だ。

「いや、だから入っていいか?」

 高校生になった事だし、それなりにケジメを付けようと思い一応断わりを入れたの 

だが、唯の奴はそれがわからなかったらしく、

「??…… いいよ」

 妙な間を置いて返事を寄こした。一応、お許しが出たので、遠慮無くドアを開ける。



(うーん…、如何にも女の子の部屋だな)

 初めて入る訳じゃないが、未だにこんな感想しか出てこない。 

 薄い暖色系の壁紙、無数のペンギンが舞って(?)いるカーテン、ベッドの上に鎮 

座在(ましま)しているヌイグルミ…… これが以前俺の部屋だったかと思うと悲し 

くなってくる。

「どうしたの?」

 そんな俺の心情を知らない唯が、椅子に腰掛けたまま顔をこちらに向ける。本来な 

ら一言(高校生にもなって云々……と)言ってやりたい所だったが、頼み事を前に機 

嫌を損ねるのもなんなので、ぐっと堪えてやった。



「いや、ちょっと確認して置きたい事があってだな……」 

 いきなり『金貸してくれ』じゃかなり情けないので、それなりの段階を踏んだ方が 

良かろう。

「確認って?」

「まあ、大した事じゃ無いんだが……、明後日が何の日か分かってるよな?」 

「うん。友美ちゃんの誕生日でしょ。お兄ちゃんはもうプレゼントとか用意した?」 

 うんうん。話が早くて助かるなぁ。

「いや、その件でだな…… 日本の経済が今、非常に厳しいのはお前も新聞やテレビ 

 を見て分かっていると思うが、それは何も日本の中枢部だけに限った事じゃないん 

 だ。株価の低迷、土地価格の下落、更には金利の低下で……」



 新聞やテレビで得た知識で、とにかく最近は不景気だってのを唯の奴に認識させよ 

うと思ったのだが、

「えーと…、数寄屋造りの代表的な建築物は…… 桂離宮だったかな?」 

 おい……

 俺の話を無視して机に向かってやがる。ちなみに桂離宮は数寄屋風別荘建築の代表 

作で、八条宮の別荘として建てられたんだが、そんな事はどうでもいい!



「俺の話を聞かんか、こら」 

「聞いてるよ。今、日本の財政は厳しいって言うんでしょ? ついでにお兄ちゃんの 

 財政も…」

 分かってるじゃないか。

「分かっているなら話が早い、ちょっと相談なんだが……」 

「なぁに? 唯、お兄ちゃんの頼み事なら何でも聞いて上げるよ ……お金以外の事 

 だったら……」

「………」

 機先を制された……。くそ、昔は俺の言う事を素直に聞いていたのに、最近は扱い 

にくくなりやがって……



「でも、どうしてそんなに困ってるの? まだ月の半ばだよ? プレゼントを買うぐ 

 らいのお小遣いも残ってないの?」

 いちいち疑問符を付けるな。残っていることは残っているけど、使い道が決まって 

いるんだ。 ……と、言えるわけもなく、

「いやぁ、ついうっかりCDを買ってしまってだな……」 

 取り敢えず事実だけを伝えてみる。しかし唯は軽蔑(非難かもしれない)の眼差し 

を俺に向け、

「うっかり友美ちゃんの誕生日を忘れちゃってた…… なんて事はないんでしょ?」 

 苦しい所を突いてきた。当たらずとも遠からずって処だが……

「莫迦ゆうな。忘れるわけないだろ」 

 友美の誕生日を忘れていない事は間違いないので、はっきりと答えてやる。 

「そうだよねぇ、もう16年も一緒だもんねぇ… 唯の誕生日には何もくれなくても、 

 友美ちゃんには毎年欠かさず上げてるもんねぇ…」

 しまった。やっぱり根にもっていやがる。 

「その代わり唯だって俺の誕生日には何もプレゼントして無いだろ。おあいこだ」 

「だってお兄ちゃん、唯に誕生日教えてくれ無いじゃない」

 今度は間違いなく非難の目だ。まずい、藪蛇だったか…… 話を元に戻そう。 



「ま、まあ、それはそれとしてだ…… そういう訳だから金貸してくれ」

 俺にしては珍しく、両手を顔の前に合わせて頭まで下げてやった。 

 なのに……

「買ってきたCD上げればぁ?」

 それが出来りゃ世話は無い。 

「もう、封切っちまったよ。それに友美が聞くようなCDじゃ無い」

 聞こうと思えば聞けるだろうが…… 

「あーぁ…、友美ちゃん、かわいそう……」

 だから金を貸せと言ってるんじゃないか。こいつ… 何を拗ねてんだ? ……って 

わかってるけど……

 ……仕方がない、妥協だ。



「分かったよ。今度の誕生日には、なんかやる」 

 これで万事解決。と、思ったのだが……、

「唯の誕生日、覚えてる?」

 へ? 

「何月何日かちゃんと言えたら、何とかして上げる」

 ゆ、唯の誕生日ぃ〜? た、確か年初めだったような……? 

「い、1月ぅ……」

 俺は恐る恐る伺うように答えてみる。なんか俺って最近立場が弱いような…… 

「……1月?」

 どうやら1月は当たっているらしい。しかしその後が問題だ。何日だったっけ?  

えーと… まだ冬休みの内だったと思うが…… 3ヶ日じゃあ無かったよな。そうな 

ると4,5,6,7か… 7日は外しても良いだろう。4日……でもなかった様な気 

がする……。

 となると……



「1月…… 何日?」

 最後通牒にも似た響きで唯が答えを促してくる。ええい、ままよ! 

「5日……」

 と、答えた瞬間、唯の眉がつり上がったのを俺は見逃さなかった。 

「じゃなくて、6日だ!」

 咄嗟に言い替える。

「………」

「………」

 暫く奇妙な睨み合いが続いた。……が、 

「まあ、いいや…」

 どうやら俺は賭に勝ったらしい。まあ、1月の出費は免れないが、ひょっとしたら 

忘れてくれるかも知れない。

 とにかく、当面の懸案はなんとかなる。

「悪いな。3千円ばかしでいいぞ」 

 ホッとして右手を差し出す俺に、だが唯は怪訝な顔を向けて、

「唯、お金を貸して上げるなんて言ってないよ」 



 なんだと!

「だって、さっきお前『何とかする』って言ったじゃないかよ」 

 確かに金を貸すとは言っていなかったが……

「うん。要は友美ちゃんの誕生日に何かプレゼント出来れば良いんでしょ?」 

 それは確かにそうだが……

「まさか『肩たたき券』とか言うんじゃないだろうな?」 

 小学生じゃあるまいし……

「あ、それ結構当たってるかも」

 おい……

「……とにかく、今日は試験勉強があるから、明日教えて上げるね。大丈夫、絶対友 

 美ちゃん喜ぶから。唯が保証するよ」

 お前に保証されてもなぁ… と思ったが、どうしようもない。 

 俺は追い出されるように、唯の部屋を後にした。





※翌日……

「はい。じゃ、これ着けて」 

 閉店と相成った『憩』の厨房に俺と唯はいた。で、唯の奴が今俺に手渡した布地の 

ものは…、

「なんだよ、これ」

 広げたその布はどう見ても前掛け…… いやエプロンだ。 

「見て分かんない? エプロンだよ」

「そんなの見りゃわかる。エプロンなんか着けさせて何やらせるんだよ」 

 しかしこの時俺は、これから何をやらされるか大体想像がついていた。

「ん? 作るんだよ、バースデーケーキを」 

 やっぱり…… 

 目の前には卵やら薄力粉、その他ケーキを作る為の材料が整然と並べられていた。 

 イチゴがあると言うことは、イチゴのショートケーキだろうか?

「で? 俺に何をしろと?」 

 俺は諦めて腹を括った。恐らくここで、2時間ばかり唯に扱き使われてケーキは俺 

が作ったと言う事になるのだろう。



「まずは卵を黄身と白身に分けて…」

 言われたとおりに卵3つを黄身と白身に分ける。 

「で、白身の方を泡立てて…」

「泡立て器は何処だ?」

「あ、ごめん。……はい」 

 と言って唯が俺に手渡したのは泡立て器……いや、泡立て器は泡立て器で良いのだ 

が……

「じゃなくて、あの電気で『ガーッ』て奴があるだろう?」

 以前美佐子さんが使っているのを見たことがあるのだ。 

「ハンドミキサーの事?」

「ハンドミキサーだかコンクリートミキサーだか知らんが、何を好んで今さら手動で 

 泡立てねばならんのだ。あるんだったらさっさとよこせ」

 地球を汚染してまで文明の恩恵を受けているんだ。使わなきゃ損だろう。 

「ダメだよ。お兄ちゃんの手作りってところがミソなんだから」

 ……手作りって、電化製品を使わないって事なのか? 

「……焼く時は俺の体温で暖めろと言うのか?」

「どうしてそうひねくれるかなぁ? 出来るところは自分でやろうと思わない?」 

「思わない」

 今度ばかりは威厳を持ってきっぱりと言ってやった。……が、 

「じゃあ、欲望に負けてCD買っちゃった罪滅ぼしだと思えば?」

 いちいち言ってることが的を射ていやがる… ちなみに「的」は「得る」モノでは 

無く「射る」モノだと言っておこう。…とか頭の中でうんちくを垂れてみても、唯は 

ハンドミキサーとやらを出してくれそうに無い。諦めて従うほか無さそうだった。



 シャカ シャカ シャカ …

(何だかなぁ…「男子厨房に入るべからず」とは言わないが、作っているのがケーキっ 

 てのはちょっとアレだよなぁ…)

 などと考えながらゆるゆると泡立てていると、 

「もっと手早くしないと、いつまで経っても泡立たないよ」

(へいへい…)

 シャカシャカシャカシャカシャカシャカ…… 

 言われた通りに手早く泡立て器を動かす。その横で唯が砂糖と香料を手際よく入れ 

て来る。なるほど、分量の心配をする必要は無いと言うわけだ。

 こうして格闘すること10分余り… 見事に卵の白身は泡だった。これをメレンゲ 

というらしい。



「じゃ、次は黄身の方も同じように…」

 別のボウルに取ってあった黄身を同じく手動の泡立て器でかき混ぜる。今度は泡立 

てる必要が無いのでゆるゆるやっていると、またも横から唯がザカザカと砂糖やら今 

作ったメレンゲを入れて来て、

「はい、混ぜて混ぜて」

 急かしやがる。こうなりゃヤケだ。 

「うおぉぉぉ…っ!」

 気合いと共に一気に混ぜ合わせてやる。

「はあ、はあ、はあ…… ど、どうだっ!」 

 威張ることではないのだが、胸を張って言ってやる。

「その調子その調子」 

 唯はそう言いながら、今度は溶かしバターを入れ、

「はい、混ぜて」

 と来た。 

 シャカシャカシャカ……

 最早何も言い返せず、俺は唯に従った。我ながら我慢強い。 

 友美、感謝しろよぉ。

 


次へ 戻る

このページとこのページにリンクしている小説の無断転載、及び無断のリンクを禁止します。