「むぅ…」
さてこちらは桜子を待つ龍之介。唯の目を盗んでサッと出て来たは良いのだが、中
途半端な時間に待ち合わせ場所に着いてしまった。もう10分早く着いていたらゲー
センにでも駆け込んでいたのだが、この時間では駆け込んでコインを放り込んだ時点
で戻って来なければならない。
「あと20分かぁ…」
いつもは5分前待機が義務付けられているので、5分程度は大して苦痛ではないの
だが、プラス15分は大きい。なんとも手持ち無沙汰というか……
「ご…、ごめんなさい」
だが幸いな事に龍之介はそれ程待たずに済んだ。目の前にはやや息を乱した桜子の
姿。
「や、おはよう。随分早いね。こんなに速く来ること無かったのに」
10分以上待ち伏せされていたとはさすがに思わなかったらしい。
「でも、綾瀬君を待たせちゃって……」
申し訳無さそうに小さくなる桜子。そんな桜子の様を見、
(か、かぁいい……)
何しろ常に人を待たせる、自分が待つ側になってもその人間は悠然とやって来るの
で、桜子のような反応は龍之介にしてみると新鮮だった。
「いや、今来たばっかだからそんなに待ってないよ。それより、誘ってくれてありが
と」
「あ… わ、私の方こそ、来てくれてありがとう。 …あと …その ……ご、ごめ
んなさいっ」
深々と頭を下げる桜子に、
「だからいいって。本当に来たばっかりなんだから」
まだ待たせてしまった事を詫びているのか、と思った龍之介が苦笑を漏らす。
「い、いえっ…… そうじゃなくて…… ほっぺた… 叩いちゃった…こと」
うつむき加減に消え入りそうな声で。
「ああその事? 気にしなくていいよ。ところでこの後はどうするつもりだったの?」
上手い具合に誘導したつもりだったが、話題を逸らされてしまった。
『あの娘は誰?』
と直接聞くのは摩耶の条件に反してしまうから聞けない…… というより桜子自身
が恐くて聞けなかった。やはり龍之介が自主的に話してくれるのを待つしかなさそう
だ。そんな桜子の沈黙をどう取ったのか、龍之介が続ける。
「……もし決まって無かったら、俺に任せてくれないかな?」
「え……?」
実のところ、友人2人とあれこれシュミレート(まずは映画、次は昼食、ウィンド
ウショッピングして……等々)してあり、原則それに沿った行動をするように言われ
ていたのだ。……が、
「えっと… 良いけど……」
桜子としてはそんな監視下に置かれているようなデートは御免だった。そうは言っ
ても付いて回られるのだろうが……
「よし、じゃあ決まりっ。天気も良いし、『ATARU』でアトラクション巡りと行
こう。目標12個ね」
(註:FFSでは『ATARU』はアミューズメントパークという設定になっていま
す)
「え?」
無理だ。以前美弥達と回った時はせいぜい6つだった。そんな桜子の言外の意味を
感じ取ったのか、
「無理じゃないよ」
にやり、と含みのある笑い。
「ま、ついて来てよ」
※
「いきなり取り決めを無視して、こっちに来るとはね……」
目深に帽子を被り、ジーンズとポロシャツといういでたちの美弥とジャンパースカー
トにブラウス、髪を下ろしてメガネの摩耶は、端から見るとカップルのように見える。
どのみち変装しても桜子にはバレているし、龍之介に面は割れていないので意味は
無いのだがそこはそれ、気分の問題だった。
「まあ、女の子に主導権を取られるようじゃ綾瀬君も大した事無いと思ってたんだけ
どね。流石だわ」
「なにが流石なんだか……。要は女の子慣れしてるって事でしょ」
身も蓋もない美弥。本人は気付いていないかもしれないが、実のところ龍之介に嫉
妬していた。古い付き合いの桜子を、自分の元から連れ去ろうとしている龍之介に。
「妬かない妬かない。それにまだ桜子の恋が成就するとは限らないんだから」
その辺の事をわかっていて言っているのか、それとも『彼氏が出来そうな桜子』に
妬いていると思ったのか、摩耶が茶化す。
「あのねぇ…、私はあの鬼畜野郎に桜子が弄ばれるのを心配して……」
「はいはい。わかったから少し静かにね」
本当にわかっているのか、甚だ疑問である。カップルである事を装う為なのか、調
子に乗って摩耶が美弥の腕を取り、強引に腕を組む。“むに”と肘に当たる感触も身
体的起伏の緩やかな美弥にしてみれば、腹立ちを憶えこそすれ、嬉しくも何ともなかっ
た。
※2時間後…
「……何時?」
「うーん…と、12時ちょい前」
美弥の問いに、自らの左手に巻かれた時計に摩耶が目を落としつつ答える。
「…ったく、少しは休憩入れなさいよ」
体の弱い桜子を気遣うような発言にも取れるが、実のところ2人の疲労の方が大き
いかもしれない。当事者達は目一杯楽しんでいるらしく、疲れなど知らない様子。他
人のデートなど尾行するものでは無いと言うことだ。
「大体何よ、さっきからエラくマイナーなヤツにしか乗って無いじゃない。面白味の
無いヤツ」
マイナーなので他のアトラクションに比べ並ぶ時間が短い。故に休む間もなく動き
回る。結果、金魚の糞のようにくっついて回る2人の疲労は蓄積するばかり。
なのだが……
「ま、そのおかげで午前中だけで5ヶ所も回れている訳なんだけどね」
「……う」
摩耶が何を言わんとしたのか解ったのか、美弥は言葉を詰まらせた。以前自分達だ
けで回ったときは午前中で2ヶ所しか回れなかったのだ。目玉と言われる人気アトラ
クションばかりに目が行き、ほとんどを並んで過ごしたのである。
「それに、人気が無いって言っても、昔の遊園地並の乗り物じゃない。それなりに楽
しめるでしょ?」
それは桜子の表情が雄弁に語っていた。楽しそうに笑っちゃってまあ……
「疲れたぁ、お腹空いたぁ。そろそろお昼にしなさいよぉ」
分が悪いと感じたのか、話題を代える美弥。その祈りと言うか、文句が通じたのか
桜子と龍之介の足は飲食店街へ向いた。
飲食街では昼時と言うこともあって、さすがに並ばない訳にはいかなかった。だが、
そこはそれ。総合商業施設を謳っているだけあって、飲食店の数もハンパじゃないの
が『ATARU』の特徴だった。
おまけに商店街及び飲食街と繋がる箇所にはゲートチェックがあり、一度アトラク
ション側の入場券を買えば、出入りは自由。この辺は微妙に原作に忠実だったりする。
もちろんショッピングモール側からもお客が押し寄せてくるので、どのみち並ぶこ
とに代わりはない。選択肢が増えたという程度だ。
「うっわ。混んでるなぁ」
どの店舗にも出来ている行列を見て、篠原いずみは溜息を吐いた。やはり時間をず
らすべきだったかと思ったが、あまり時間をずらし過ぎると夕飯に影響が出る。
するとどうなるか? お母様からありがたいお言葉を戴く事になるのだ。曰く、
『お友達との外食にしても、3度いただくお食事の1つなのだから、規則正しく……
云々』
そんな事情からごった返す飲食店に果敢に挑んだわけだが、この人ゴミを見ている
だけで食欲が減退していきそうだった。そんないずみの背後から、
「いずみちゃんさえ良ければ、私はファーストフードでも構わないけど?」
という友美の声。確かにファーストフードなら列が長くても捌ける速度は段違いだ。
座って食べるには運という要素が必要かも知れないが。
「へぇ、友美でもファーストフードなんか食べるんだ」
「どうして?」
『意外』という顔で自分を顧みるいずみに、尋ね返す友美。
「いや、何となく口に合わなさそうだな……って」
とんでもない偏見だ。それに立場的に言ったらいずみの方がそう思われるに違いな
い。実際いずみがハンバーガーの味を知ったのは中学3年の時で、それまでは
『あんなモノは食するに値しない』
という海原雄山のような祖父の言葉を真に受け、口にする事がなかったのだ。
それでも一度口にしたハンバーガーの味が忘れられず、こっそりシェフにお願いし
て作ってもらった事があるのだが、これが凄かった。
某有名国産牛の極上赤身と、サツマイモだけで育てた特上黒豚を黄金比率で混ぜ合
わせた挽肉で作られたハンバーグ。無農薬有機農法で育て上げたレタスにタマネギ、
そして数年モノのピクルスを付け合わせに、特選素材は仕事人が手がけたトマトで作っ
たケチャップ。更にバンズは国産小麦を自然培養のイースト菌で発行させ、50年物
の釜で焼き上げた逸品。
三宅厨房と関口厨房が南北統一したような有様だった。
いや、それはそれでとても素晴らしい物だったのだが、やはりあのチープさが忘れ
られない。そんなわけで、いずみは密かに『もう一度あの味を』という思いを胸に抱
いていたのだ。
しかし自分よりも遙かにお嬢様的な友美をそんな事に付き合わせるのは悪いと思っ
ていた。そもそも今日は自分の買い物に付き合って貰うカタチだったので、尚更だ。
「ううん。割とよく食べるわよ。あ、でもMDよりもMBの方が味が良いかな」
MDもMBも店の名前なのだが、作者の好みが多分に入っているので店名は伏せて
おこう。
「へぇ、そんなに差があるもんなんだ。私が前食べたのはMDだったかなぁ」
さすがに全国最大のチェーン店数を誇るだけのことはある。
「安さは魅力よねぇ」
溜息混じりに呟く友美。友美のような社長令嬢といえど、1ヶ月の小遣いに関して
言えば普通の高校生と大差無い。あまり関係ないが、唯や龍之介より少ないのだ。
故にこの『安さ』は『味』よりもウェイトが高くなりがちになる。
結局……
「いらっしゃいませ、こんにちわぁ」
二人は妙なイントネーションの挨拶で0円のスマイル振りまく店員の前に立つこと
になった。カウンターで二人にスマイルを振りまいてくれたのは男性アルバイト(推
定体重80kg)というお約束だったが、物語の進行上で特に含みがある訳ではない。
「ふう。良かったな、座れて」
二人掛けのテーブルに腰掛け、いずみが溜息を吐く。
半ば諦めて覗いてみた二階席だが、幸いにして座れなくて立ち往生するという事態
は避けられた。
「空いてなかったら外で食べちゃうのも良いと思ってたんだけどね」
同じく腰掛けながら友美が応える。此処にはそういったオープンスペースが多く存
在していた。テーブルにパラソルとか付いて。
「でも、それって結構恥ずかしくないか?」
「そうかしら? 歩きながら肉まんを食べるのとそう変わらないと思うけど?」
くすっと笑っていずみを見る。
「ちぇっ、意地悪だな、友美は」
しかし言われてみれば確かにそうだ。肉まんを食べながら歩いてもさして羞恥は感
じられない。何故肉まんが良くて、ハンバーガーはダメなのだろう? 中華とアメリ
カンの差だろうか? などと一瞬考えるが、
(まあ、深く考えるのはよそう)
あっさり結論を出して(なにしろ腹ぺこなので)カサカサとハンバーガーの紙を剥
ぐと、いずみはチーズバーガーにかぶりついた……
「どうしたの?」
そんないずみに友美が不思議そうな顔をしてみせる。チーズバーガーにかぶりつい
たまま、5秒近く硬直していたのだから、友美の疑問ももっともだろう。
「何かあるの?」
何気に振り返り、いずみの視線を追おうとする友美に、
「んー! んんぅーっ!」
いずみがなにやら言ったようだが、チーズバーガーにかぶりついたままなので、意
味を成さない。ちなみに翻訳をすると、
『わぁっ! そっち見ちゃダメだ、友美!』
となるのだが……、何故見ちゃいけないのか?
……分かり切った事だった。お約束だった。
友美といずみの視線の先では、例の二人が楽しそうにお食事をしている最中だった
のだ。
※
「今のでいくつ目だっけ?」
「えーと、11個かな」
お昼時に前述の様な事があったとは露知らぬ2人。午後もアトラクションの消化に
精を出していた。午前中の2時間で6つ制覇したにも関わらず、午後の4時間で5つ
しか回れなかったのは、いい加減不人気アトラクションもネタが尽きたからに他なら
ない。大体そんなに不人気アトラクションが多かったら、営業側も困るだろう。
「でも凄い。友達と来た時は一日掛かって6つしか回れなかったもの」
それでも桜子は素直に感嘆の声を上げた。
「はは。最初はちょっとマイナーものばっかだけどね」
照れたようにポリポリと頬を掻き、それに答える。
「時間的にはもう1箇所くらい回れるかな。どれにする?」
午前中は選択肢が無いに等しかったが、午後は比較的選択の幅が広がった。『なる
べく列の短い所』という条件付きではあったが。
最後ぐらいはちょっと並んでも構わないと言うことで、桜子にリクエストを求めた
のだが……、
「うん……と、アレがいいな」
と、桜子が指さしたのは『ナイトトレイン』、いわゆるジェットコースターだ。
「あ…… あれ?」
心なしか龍之介の顔が引きつったのは気のせいではない。実はあんまり良い思い出
が無いのだ。いや、ジェットコースターが苦手な訳では無い。現に他の場所にあるジェッ
トコースターの類は何とも無いのだ。強いて言えば『ナイトトレイン』との相性が悪
いという事になるだろうか。
しかし、桜子はそんな龍之介には気付かないのか、
「あ、ほら、待ち時間45分だって。ラッキーだね」
普通は1時間待ちが当たり前なので、15分の差がとてもラッキーに思えたらしい。
嬉々としてして龍之介の腕を引っ張り、列の最後尾へ。
「あーあー。ちょっとは恐がって見せなきゃ」
その様を遠目に見ていたお目付役が嘆いた。
「好きだからねぇ… あの娘。ジェットコースター系のヤツが」
前回来たときも、桜子が『絶対に乗る!』と頑として譲らず、おかげで一番混んで
いる時間に並ぶ羽目になったのだ。結局その時は2時間待った。
「アレが無きゃ、もう2、3箇所回れたわね」
「それでも合計8、9個。綾瀬君はちゃんと桜子のお気に入りに乗って12箇所」
「……やけに肩持つじゃない」
「美弥が不信感持ち過ぎなの。いい加減認めてあげたら?」
「……遊び上手ってのは認めたげるわ。でも、それと桜子と付き合う資格があるかど
うかは別問題よ」
※
「大丈夫?」
ベンチにもたれ掛かった龍之介に、桜子が濡れたハンカチを手渡しながら聞いた。
「大丈夫…… と言いたいトコだけど、もうちょっと休ませて…」
2度ある事は3度も4度もあるという事か。もうこれは相性と言うほか無いだろう。
「あー…やっぱ此処のコースターとは相性悪いみたいだな、俺」
自身でもそれを認めぼやき気味に呟く。その言い回しに桜子が敏感に反応した。
「前にも乗った事あるんだ」
つまりそれは、前にも“誰か”と乗った事があるという事で……
「うん? ああ、春休みにも中学ン時の仲間とね。……実を言うと、今日の妙なメニュー
もその時一緒にいた1人が考案したんだ」
卒業旅行という訳ではないが、クラスの連中数名と遊びに来た時、2グループに別
れ、『どちらが多く回れるか』という勝負をしたのだ。アトラクション間の移動距離
の短縮を計った龍之介達と、今回のようにマイナー系を乗り継いだ……
「知ってる? 水野友美って」
どくん!
と桜子の鼓動がひとつ高鳴った。才色兼備、文武両道、隣に住んでいて、幼馴染み
で…… そして、付き合いの長さでは到底及ぶ事が出来ない存在。
「……知ってる……。有名……だもの」
「あ、そうなの? あいつあんまり目立つ方じゃ無いんだけど…… やっぱ学年トッ
プってのが効いてンのかな?」
身内に近い間柄のせいか、その存在を過小評価し過ぎているようだ。しかし桜子の
言いたい『有名』はそんな事では無い。
「そうじゃなくて…… その……綾瀬君との仲が……」
「はは… 俺と友美が付き合ってるって噂?」
そういう噂事態が流れているという事実は龍之介自身も把握していたらしい。その
返答にこくんと首を縦に振る桜子。
顔を覆うように塗れハンカチ当てていた龍之介にもそれが雰囲気でそれがわかった
のか、
「そんなんじゃないよ、俺と友美は。ま、幼馴染みの一言で済ませられる仲じゃ無い
とは思っているけどね。兄姉に近いかもしれないな」
何処か照れたように苦笑し言ってくれる。
桜子はどう返答して良いモノか迷った。龍之介の言っている事が事実かどうか確か
めようが無いからだ。それに、まだ一番の疑問が氷解していない。
「じゃあ……」
(あの娘は?)
というセリフが口を吐きそうになった。思い留まったのはその場の雰囲気としか言
いようが無い。或いは無言の龍之介が発せられた信号を桜子が感じたからだろうか。
そのセリフからほんの僅かな間を置き、龍之介が口を開いた。
「唯は……違うんだ」
初めて聞く固有名詞だったが、桜子にはそれが誰の事を指しているのかわかった。
「唯って、あのリボンの?」
「そう」
相変わらず身体を起こす事なく、だらけたようにベンチにもたれ掛かったままで応
える。表情は顔をハンカチで覆ったままなのでわからない。
「桜子ちゃん……さ」
「え?」
「インプリンティング…って知ってる?」
インプリンティング……以前テレビで見たことがあった。
「知ってる。生まれたばかりの雛が最初に見た物を親と思いこんじゃうっていうアレ
でしょ?」
そのテレビ番組では、生まれたばかりの雛に風船を最初に見せ、親と思いこませて
いた。風船を動かすと、ヒヨコがその後をチョコチョコと付いて歩く様は……
「可哀想だよね。贋モノだって気付かずにそれを思い込まされちゃうなんて……」
同時にそんな事をさせる人間に憤りすら感じたのを覚えている。でもなんで今そん
な事を話題にするのだろう?
「俺と唯が初めて会ったのは……、8年前かな? 事故で俺はお袋を、同じ事故で唯
は親父さんを亡くした。俺の両親と唯の両親は学生時代の仲間らしくて、親父は俺
の世話を含めて唯と唯の母親を家に入れたんだ」
「義理の妹って事?」
淡々と語る龍之介に桜子が尋ねる。
「いや。単純に家に入って貰っただけ。親父は忙しいらしくてさ、年に何日も家に居
ないんだ。言い方が悪いけど、わかりやすく言うとベビーシッター兼ハウスキーパー
ってトコかな。だから同居人」
納得できた。それが真実という保証は無いが、信じて良いと桜子は判断した。だが、
先程の『インプリティング』の話はなんだったのだろう?
「嬉しかったよ、単純に。そりゃ遊び友達は沢山いたけど、夕方家に帰って来ても一
緒に遊べる人間が居るって事がさ」
桜子には姉が2人いるので、何となくわかる気がした。宴が終わった後のようなあ
の虚無感。その後家に帰ると騒がしいほど賑やかな部屋。そう言えば、外で遊ぶより
家の中で姉達と遊んでいる事の方が多かったように思える
「それからはずっと一緒。一緒にメシ食って、テレビ見て、時たま一緒の布団で寝た
り、風呂入ったり……変な意味じゃないよ」
話の流れからそんな事は分かる筈なのだが、余計な注釈を入れるのは後ろめたさの
所為だろうか。
「あと、ケンカもよくしたよ。下らない事が原因だったけど」
何か思い出したのか、喉の奥で“くくっ”と笑ったような声が桜子の耳にも届いた。
よく分かる話だ。自分もつまらない事で姉に食って掛かった事がある。もし姉じゃ
なく兄だったら唯と同じ立場になるだろうか、とふと考える。だが、そこには大きな
違いが横たわっていた。
血の繋がり、という抗しがたい隔たりが……
そして、時が経てばそれは大きな意味を持つようになる。
「その後はお約束なのかな。思春期ってヤツでさ、お互い一番身近な相手を意識しち
まった」
(やっぱり……)
『意識した』要するに『好きになった』という事だ。それぐらいは桜子にも解る。
今日、龍之介が付き合ってくれた事に因る『望み』が打ち砕かれた瞬間だった。
……のだが、
「あ……」
同時に、先程龍之介が言った言葉の意味も理解した。
インプリンティング……
生まれたと同時に目に入った物体を親と思いこんでしまう雛。
……同じように、
恋愛感情に目覚めたと同時に一番近くにいた存在に魅かれてしまった女の子。
そして、一番近くにいた女の子を『好き』と思い込んでしまった男の子。
「さっき桜子ちゃんは“雛が可哀想だ”って言ったよね? 多分同じテレビ番組だと
思うよ、見てたの…… 俺もそう思った」
「贋モノだって気付かずに思い込まされたってのも、同じ意見だね」
表情は解らないが、多分苦虫をかみ潰したような、それでいて自虐的な笑いを漏ら
しているのではないかと桜子は想像した。
「それに気付いてから、唯とは距離を置くようにして来た。あいつはそれが不満らし
いけど」
駅前で出会した時、龍之介の態度が妙だった事、唯がどこか不満そうな表情をして
いた事がなんとなく理解できた。
「これが俺と唯の偽らざる関係。出来れば桜子ちゃんの胸の中だけに仕舞って置いて
欲しい……ね」
いつの間にか身を起こして、桜子の目を覗き込むように龍之介は言った。『出来れ
ば』とは言っているが、『喋るな』と威圧しているようにも取れる。
「ひとつ…… 聞いていい?」
その瞳から逃れるように俯き、桜子は問い返した。
「綾瀬君とその娘……唯…ちゃんは付き合っている訳じゃ無いのよね?」
「そうだけど……」
その後に何かを続けようとした龍之介を遮るように、
「じゃあ…私、がんばろうかなぁ……」
呟く桜子。その精一杯のセリフに龍之介は胃がキリキリと痛むのを感じた。
唯という存在を受け入れ、尚かつ、いつそちらへ傾いてしまうかも知れない自分に
そこまで言ってくれるのか、この娘は!?
正直、今の話で愛想を尽かしてくれればどれ程楽だったろう。良かれと思ってやっ
て来た事が裏目に出てしまった。
これが優しさの代償と言うなら、今度こそはっきりと言わなければならない。
決定的な一言を……
「だめだよ。俺、今好きな女性(ひと)がいるから」
そう言った龍之介の声は冷酷とも言える声音だった。
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