〜10years Episode14〜
構想・打鍵:Zeke
 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。 
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。 
 

「はあはあはあはあ……、ぜぇぜぇぜぇ……」 
 俺は走っていた。 
 何故走っているのか? しかも全速力で……
 答えは至極簡単、遅刻しそうなのだ。 

「うがぁ〜、間に合わんっ!」 
 そしてついでに言うなら焦っていた。とてつもなく……
 学校などに遅刻するならこんなに焦りはしない。教師には多少怒られるが、その程
度だ。 
 では何故か? 待たせている人間が問題なのだ。 

 5月最後の週末。木々は青々と生い茂り……ってそんな悠長に回りなんか見られる
訳もなく、俺はひたすら走り続る。 
 走り続けた結果、努力は報われた。50m程先の道路を渡りきれば、待ち合わせの
場所……八十八駅だ。 

「はひ〜、な、何とか間に合いそうだ。」 
 時間的余裕は1分余り。だが、神はそこで俺に最後の試練を与えた。なんと、目の
前で歩行者用の信号機が点滅を始めたのだ。 
「でぇ――――っ!」 

 ここの歩行者用信号は一度変わると、5分は待たされる。
 たった5分……だが俺にはその5分が命取りになる事を良く知っていた。いや、5
分どころか1秒だって命取りだ。 
 ついでに言うと、車道の向こうでこちらを見ている彼女と目が合ってしまった。
「南無三っ……」 
 俺は構わず全速力で横断歩道に飛び出した。飛び出した瞬間、信号機は青の瞬きを
止め、赤へと変わる。 
 はっきり言って命がけだ。ちょっと気の早いドライバーが車道の先頭にいたら、俺
は哀れにもヒキガエルになっていた事だろう。 

「はぁ、はぁ、はぁ……」
 ゴーン ゴーン ゴーン…… 
 息も絶え絶えになりながら彼女の前に立つのと、駅の時計が午前9時という時間を
音でもって周辺に告知したのは、ほぼ同時だった。 
(ま、間に合った……。)
 心の中でそんな安堵の溜息をつく。 

『バカねぇ、そんな慌てなくてもいいのに……。』
 愚かにも俺はそんな彼女の言葉を期待してしまう。当然だろう、ある意味命(少し
大袈裟だが)を賭けて来たのだ。もちろんそれは幻想だったのだが…… 

「おそい!」
 膝に手をつき、呼吸を整えている俺の頭上から、そんな言葉が降りかかる。
(……は?) 
 俺は耳を疑った。次に自分の腕時計を疑ったが、それはすぐに否定した。駅の時計
はきっちり9回、鐘を鳴らしたのだ。 
(待ち合わせ時間を間違えたのでは? という最悪の事態は考えないことにする。)
 結果として、俺は彼女の方を疑う事にした。 

「遅いたって、時間ピッタリじゃないか。」
 腕時計を彼女の目の辺りに掲げ、抗議の声を上げる。だが、彼女は俺の抗議に声を
あっさりと受け流し、 
「私を誘ったのは誰だっけ?」 
 と聞いてきた。俺は渋々と、
「……俺。」 
 と答える。するとやっぱりというか、 
「誘った人間を待たせてどーするの? せめて待ち合わせ時間の5分前には来てなさ
 いよ。」 
 表面的には怒っているように見えるが、彼女の瞳はそれを否定していた。だからと
いって、ここで、 
『いやー悪い悪い』 
 などと笑いながら謝ると逆鱗に触れる。
(好きで誘った訳じゃないわい。) 
 俺は心の中で呟きつつ、 
「悪かったよ。」
 と謝った。仕方がない、理由はどうあれ誘ったのは間違いなく俺なのだから……

            ☆            ☆ 

 話は昨日の金曜日にまで遡る。
 その日も俺はバイト代の出ないバイトに明け暮れていた。 

「ミックス二つに、アイスコーヒー二つ。」
「なによ、その愛想のない顔は。接客業なんだからもう少し笑顔を振りまきなさい。」
 床のモップ掛けだけだった筈の約束は、何故か接客業が追加されていた。 
 暇だったので、早めに行ったら、 
『暇そうね。ちょっと手伝ってよ。』 
『何で俺が……モップ掛けだけの約束だろ。』 
『……ふーん、そんなに安い物だったのか、私のくちび……』
『わぁ―――――っ! わかった、わかったから……』 
 ……体の良い脅しだ。

 そんな訳で、俺は強張った笑みを振りまきながら『Mute』の「お手伝い」をし
ていたのだ。 
 で、その日の仕事が終わり、後片付けの最中の事…… 
 きっかけはマスターの一言だった。

            ☆            ☆

「え――――っ! お見合いっ!?」
 いや、正確に言うと愛美さんの声だったかもしれない。 
「うん……そんなわけで今週末、『Mute』は休みだから。」
 その声と表情から察するに、マスターはお見合いに乗り気では無いようだ。
 だが、マスターの目の前に座っていた愛美さんは、 
「お見合い…… マスターが? お見合い……」
 呆然自失といった感じで、ブツブツと口の中で呟いている。俺は俺で 
「ううっ…… マスターもいよいよ墓場行きですか。迷わず成仏して下さい。」
  少し大袈裟に嘆いて見せた。何しろ結婚は人生の墓場なのだ。 
 するとやっぱりというか……
「冗談じゃない。義理だよ、義理。」 
 力無く手を振って、その意志が無いことを示す。と……
「えっ! 義理なんですか?」 
 パッと愛美さんの顔に笑顔が戻る。年上なのにこういう仕草がとっても可愛いらし
く見えてしまう。……どっかの誰かに見習って貰いたいもんだ。 

「でも義理でお見合いして、そのまま……って話は良くありますね。」
 何故か愛衣の奴が冷たく言い放つ。その顔は何か知らんが不機嫌そうだ。 
 するとまた愛美さんは青くなり、 
「で、でも……マスターまだ若いし、結婚なんて……ねぇ。」
 最後の『ねぇ』は何故か俺に向かってだった。それにしても見合いの話がいつの間
にか結婚の話になっている。 
「そーいや、マスターっていくつなんです? 年……」
 愛美さんの『ねぇ』の意味に遅まきながら気付いた俺の声に、 
「え? あ、俺? 今年で25歳。五捨六入すればまだ二十歳だよ。」
 はっはっ……と乾いた笑い。なんなんだその五捨六入ってのは……。 
 そんな乾いた笑いを気にした風もなく
「……25歳。」 
 愛美さんはそう呟き、何やら指折り数えている。どうも自分との年齢差を計算して
いるようだ。やっぱり可愛い。 
 そんな事を思った矢先、またも愛衣の言葉が被さる。
「今年早々25歳になった人が、何を『今年で』ですか。」 
 バラのトゲというよりはサボテンのトゲといった様な感じの声に
「はは…は……。叶君、随分と言い方にトゲがあるみたいに聞こえるんだけど……」
 マスターも俺と同じ様な雰囲気を感じ取ったらしい。 
「そうですか? 気のせいですよ。……看板仕舞いますからね。」
 と、外へ出ていってしまう。 
 なんなんだ? 一体…… 

「龍之介くん…… 龍之介くん。」
 ボケッとその様子を見ていた俺の背後から声が聞こえた。振り返ると、マスターが
手招きしている。 
「ちょっと…」 

 手招きに従う様に、俺はマスターにカウンターの端まで連れて行かれ……
「なんです?」 
 不審気にこちらを見ている愛美さんを気にしつつ聞くと、マスターは二通の茶封筒
をカウンターの上に置き、 
「これ、バイト代。2週間ご苦労さん。」 

 その瞬間、俺の中でファンファーレが鳴り響いた。何しろ慈善事業だと諦め切って
いたのだから、喜びも一塩だ。 
「あ、ありがとうございますぅ。」 
 そう言う俺の目は、きっと涙目だったろう。
「それから、」 
 更にマスターはもう一通の茶封筒から二枚の紙切れを出し、
「これ、如月アミューズメントパークのチケット。まだ開園は少し先なんだけど、関
 係者や抽選で当たった人達に、本格的な営業の前に、ゆっくりと遊んで貰おうって
 企画らしい。」 

 如月アミューズメントパーク……一昨年取り壊された如月遊園地の跡地に立つ、総
合アミューズメント施設だ。そう言えば、今夏開園という告知ポスターを見た事があ
る。チケットを見ると今週末の日付が入っていた。 
「いいんですか?」 
 そう言いつつ、俺は両手を差し出していた。我ながら情けない。
「うん。どうせ俺は用事が入っちゃってるし……誰か女の子でも誘って行って来なよ」
 マスターにそう言われた瞬間、頭の中に複数の顔が浮かぶ。 
 女の子……ねぇ。

 唯……は、あんな事があったばかりだからなぁ。 
 友美……も似たようなモンだし……。
 洋子……冗談だろ? 
 綾ちゃん……なんか誘ったら、後で唯がうるさいだろうなぁ……。
 と、なるとやっぱり…… 

「ねぇ、愛美さ……ぐぇっ!」 
 最後まで言えなかったのは、トレーナーの首の部分を後ろから引っ張られたからだ。
「な、何すんですか、マスタ……ぁ!?」 
 当然俺は抗議の声を上げるのだが、その声は尻窄みに小さくなって行く。なんとな
れば……マスターは振り返った俺の襟首を締め上げ、 
「龍之介くん、君はボクを殺すつもりか?」 
 静かに……だが、背中に鬼火を背負ったかの様な迫力で俺に迫る。 
 マスターが誰に殺されるのかは知らないが、その前に俺の方がマスターに殺されそ
うだった。 
「ほかに誘う娘がいるだろっ! 君にはっ!」 

 そんな訳で、今、俺の目の前には愛衣がいる。

            ☆            ☆

 しかしどうにも合点が行かない。なぜ愛衣はマスターの見合い話に憤慨ししたのだ
ろう? ひょっとして愛衣の奴はマスターに気があるんだろうか? 
 そのくせ俺が誘うと、今までの不機嫌さは何処へやらという感じの笑みを見せ、
『うん、行く。ありがとう。』 
 ときたもんだ。ひょっとして俺って遊ばれてるんだろうか?

 そんな事を考えていたのだが、ふと気付くと愛衣が俺の顔を覗き込むようにじっと
見ている。 
「なんだよ。」 
 と聞いても返事はない。相変わらず“じぃっ”と俺の顔を見つめるだけ。ルージュ
でもひいているのか、唇が妙に艶っぽい。……この唇に俺は…… しかも2度も……
 思わず頭の中に『あの時』の情景が…… 
 ……と、 
「……ん」 
 相も変わらず俺を見ていた愛衣が、今度は注意をひく様に鼻を鳴らす。しかし俺に
は何の事かさっぱりわからない。すると今度は 
「ん―――っ!」 
 少し唇を突き出し、怒ったように……
 まさかこんな公衆の面前でキスを強請(ねだ)っているのでは…? 
 なんて考えは瞬時に打ち消す。そんなことをしたら間違いなく張り手が飛んでくる
だろう。 
 しょうがないので、 
「何だよ、唇がどうかしたのか? ……別にルージュははみ出して無いみたいだけど」
 と言ってやった。すると…… 
「あのね……気付いたら言いなさいよ。少なくとも今日は龍之介の為にひいたんだか
 ら。それにこの色、龍之介に見せるのは初めてなんだけど……」 
 なるほど、そう言われればいつもつけてる色とは違うような気がする。

「……はぁ、唯や友美が不憫に思えてくるわ。」 
「なんでだよ。」 
「あんたの事だから、ふたりが目一杯お洒落しても、それに気付いてあげられなかっ
 たんじゃない?」 
 ……へぇ、そんなもんなのか。とすると3人で出掛ける時、唯や友美が卸し立ての
服を着てくるのは、別に自慢してる訳じゃなかったのか? 
 そういやこの間も……
「なんかやったの?」 
「ああ、唯の唇が妙にテカテカしてるから、フライドポテトでも食ったのか……って
 なんで何かあったってわかるんだよ!?」 
「顔見りゃわかるわよ。それで? フライドポテトがどうしたの?」
 頼むから表情から俺の心の中を読み取らないでくれ。 
「だから、フライドポテトでも食ったのか? って聞いたら一日中不機嫌だった。」
「……救い様のない鈍感ね。」 
 溜息と共に言ってくれる。 
 しかし、そう言われれば合点が行く。アレはルージュだったのか……うーむ、悪い
ことしたかな? 帰ったらフォローしておこう。 

 などと考えている内に、列車がホームに滑り込んで来た。


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