〜10years Episode12〜
構想・打鍵:Zeke
監修:同級生2小説化計画企画準備委員会
 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。 
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。 
 

【愛衣】

「ありがとうございました。」
 閉店20分前。最後のお客がドアを押して出て行くと店内はクラシックの音楽だけ 
が流れる空間になる。オーダーストップ(閉店30分前)になった時点でマスターは 
帰ってしまうから、これから閉店までの約20分、さして広い空間ではないがそれを 
独り占めに出来るこの時間帯が愛衣は好きだった。
 最後のお客が残した洗い物を片付け、あとは何をするでもなくスツールに腰掛け、 
音楽に聴き入る。
 早いものでもう高校3年になってしまった。そろそろ進路を決めなければならない 
のだが、これといった将来のビジョンは浮かんでいない。最も近い像は高校卒業と同 
時に家族のいる海外へ移り住むという事だろうか。連休中に会いに行ったときも散々 
そのことを言われた。帰り際に、
「高校卒業してから考える。」
 取り敢えずそう言って逃げて来たのだ。 
 妹は比較的元気だった。顔色も良く、久しぶりに外を二人で散歩したりもした。そ 
の時の話題は専ら洋子の事だった。
「いつ会えるかな。」
 と問う妹に
「夏休みに‥‥」 
 つい口が滑ってしまった。事実、夏休みにそういう計画を立てていたのだが、 
『突然会いに行ってびっくりさせてやろう。』と洋子に言われていたのだ。
「いけない、内緒だって言われてたんだ。」 
 その時の妹の顔を思い出し、洋子には悪いと思ったが、明かして良かったと思って 
しまった。あの笑顔を見られるなら‥‥

「私、何をやってるんだろう。」
 向こうで一緒に暮らしていればあの笑顔を何度もみられるのだ。にも係わらず自分 
は日本いる‥‥一人でだ。何故か‥‥恐いのだ。妹の笑顔を見る事も出来るが、苦し 
む姿もまた多く見ることになるだろう。それが恐かった。
            
 かららん! 
 思い出に浸る愛衣を店のカウベルの音が現実に引き戻した。
 ハッとなって時計を見る‥‥9時半、閉店時間だ。 
「すみません、閉店で‥‥龍之介。」
 振り返って立ち上がりかけた彼女の目に、入口に立つ龍之介の姿が入った。 
「いいかな?」
 いくらかはにかんだ様な表情をしていたが、いつもの龍之介で無い事が容易に見て 
取れた。
「困るのよね、閉店間際に来られるのって。」
 そうは言いながらも、愛衣はスツールを立ち上がるとカウンターに入り、龍之介を 
招き入れた。

「何にする?」
「任せる。」
 短いやり取りの後、無言の瞬間(とき)が店内のクラシックと共に流れる。 
「お待たせ。」
 コースターに置かれたグラスには、透明な氷と共に乳白色の液体が踊っていた。 
「何だよ、これ。」
 任せるとは言ったが、まさかジュースが出てくるとは思わなかったらしい。当然愛 
衣の答えも、
「任せるって言ったからグレープフルーツジュース。」
「あのさぁ、俺のこの憂いのある表情がジュースを欲しているような顔に見えるか?」
「ただ暗いだけじゃない。」
 ばっさりと切り捨てる愛衣。
「だからってジュースかよ、お子様的な‥‥」 
 ぶつぶつ言いながらストローに口を付ける。
「そう? 今の龍之介にはピッタリだと思うけど?」 
「ふん!」
 いくらか拗ねたようにグラスの中味を吸い込む。口の中にグレープフルーツ特有の 
苦味を伴った甘さが広がる‥‥と、同時にその特有の苦味とは異なった苦味が感じ取 
れた。一瞬、龍之介の動きが止まる。
「お・さ・け。大丈夫よ、ほんの少しだけだから。」 
 そう言って自分が手に持つグラスを、龍之介のそれにカチンと当てた。

「どこまで知ってる‥‥」 
 グラスを半分ほど明けたところで龍之介がポツリと聞く。
「ほとんど全部。龍之介の知らないことまで知ってるかもね。」 
「知ってるよ、唯が妙な連中に絡まれた事もな。‥‥絡んだ連中の察しもついてる」
 ストローを使わずに直接グラスに口を付け、忌々しげに中味を流し込む。
「なんだ、あの子話しちゃったんだ。でも‥‥それだけ?」 
 例え樹が話さなくても、言うべき時が来れば自分から話してしまおうと思っていた 
のだからそれはそれで良いのだが‥‥、
「それだけって‥‥まだ他になんかあったのか?」 
 まるでその前にも似た事があったかの様な口振りに龍之介が狼狽する。
「違うわよ。」 
 そんな龍之介の態度に溜息をつきつつ、
「例えば、洋子。どうしてると思う? それから綾ちゃんとか友美ちゃんは?」 
「友美や綾ちゃんはともかく、洋子の事なんて俺が知るかよ。」
 自分の想像が外れたことにホッとし、そしてそれを隠すかのようにぶっきらぼうに 
愛衣の問いに答える。
「じゃあ教えて上げる、洋子はこの2日間学校を休んでる。多分、唯に会いたくない 
 んだろうね。」
 それは龍之介に少なからぬ動揺を与えた。『自分がいなくても洋子が唯をかばって 
くれる』勝手な思い込みだが、ある意味龍之介は洋子に信頼を寄せていた。
(‥‥いや、洋子以外にも味方になってくれそうな人物がまだいる。) 
 だが、その考えは次の愛衣の一言で崩れ去った。
「多分‥‥綾ちゃんも洋子ほど極端じゃないけど、唯を避けてるんじゃないかな」
「な、なんでだよ! あの二人、唯と仲が良い筈だろ?」
 思わず声のトーンが高くなる。 
「その仲が良いと思っていた友達に、二人は隠し事されたんだよ。」
 諭すような口調。 
「友達にだって隠し事の一つや二つ‥‥」
「友美ちゃんは知ってるのに?」 

 頭の中でパズルが完成しつつあった。
 洋子と綾子は友美が知っている事を唯に隠されていた。もし、友達にランク付けが 
許されるなら、二人は友美より格下に位置していると思っただろう。二人は唯の事を 
一番の友人と考えているのにだ。
 更に言うなら、この場合、単に隠しただけでなく嘘をつき続けていたことになる。 
 二人のショックは龍之介にもある程度想像できた。
 現に洋子は学校まで休んでいるという。一番仲の良い友達に放された唯は? 
 龍之介の頭の中に、たった一人で好奇の視線に耐える唯の姿が浮かんだ。

「バカが‥‥辛いなら休めゃいいのに‥‥」 
 口から呟きが漏れる。そんな呟きを愛衣は聞き逃さなかった。
「バカはどっちよ、辛くても唯が学校に行く理由がわからないの?」 
「母親想いだからな、唯は‥‥」
 無難な答え。
「それだけ?」
”じっ”と龍之介を見たまま質問を重ねる。 
「‥‥ふん。」
 龍之介はその質問をはぐらかすようにグラスの中味を一気に呷り、 
「おかわり。」
 グラスを愛衣へ突き出す。
「‥‥わかってるんじゃない。」 
 突き出されたグラスを受け取り、カウンターの中へ戻ると、今度はジンの量を少し 
増やして――と言っても、普段店で出すものと同じ程度――龍之介へ手渡す。

「で、龍之介君の素直な意見はどうなのかな?」
 どこか茶化したような言い方は、明らかに龍之介を子供扱いしていた。 
「素直な意見って何だよ。」
「このまま唯と一緒に暮らして行くのか、それとも‥‥」 
「‥‥‥‥」
 答えに窮する。納得のいかない‥‥不本意な答えなら出ている。 
「‥‥決まってるじゃないか。あんな謂われのない噂を流されて‥‥あんな目に会っ 
 て、唯が一緒に暮らしたいと思うか?」
 少し語気が荒くなる。
「あんな目に会っても唯は一緒に暮らしたいと思ってるよ。」 
「そんなのこの先どうなるかわからないじゃないか! 俺は『守ってやる』って言え 
 るほど自惚れちゃいないし、そんな力もないよ。」
「今まではちゃんと『お兄ちゃん』してきたじゃない。」 
「化けの皮が剥がれた兄貴でどうやって守れってんだ!」
「唯のこと‥‥好きじゃないの?」 
「好きだよ!」
 間髪入れずに答える龍之介。解っていた筈なのに、ちくりと愛衣の胸の奥が痛んだ。
「嫌いな訳無いだろ、でなきゃ7年も一緒に住んでいない。」
「好きなら‥‥自分の彼女として守りなさいよ。」 
 意識的、という訳では無かったが、どこか突き放す様な言い方になる。が、そんな 
愛衣の言い回しも、酔いの回った龍之介は気付か無かった。
「そういう好きじゃない、妹としてだよ!」 
 この言葉が偽りである事も愛衣にはわかっていた。
「前に‥‥」
(キスしたじゃない。)そう言おうとしてやめた。言うと自分を追いつめてしまうよ 
うな錯覚に捕らわれたからだ。
「覚えてるよ。」
 それでも龍之介には愛衣の言いたかった事が伝わったらしい。 
「でもあれから2年だぞ、俺にも色々あったんだよ。」
 先程よりいくらか声がトーンダウンしている。 
「‥‥色々って?」
「だから‥‥色々だよ。」
「ほかに‥‥好きな娘が‥‥いるの?」

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    ・

 ‥‥ひどく長い間が空いた。店内に流れるクラシックが、丸々一曲流れる間、二人 
とも沈黙を守っていた。
 ふと気がつくと静寂が訪れていた。5秒‥‥ 10秒‥‥

「帰る。」
 沈黙を打ち破ったのは否定の言葉でも肯定の言葉でも無かった。いや、否定しない 
というのはこの場合、肯定に近いのかもしれない。
「悪かったな、閉店間際に押し掛けて‥‥。」 
 立ち上がりかけた龍之介だが、アルコールのせいか、足下がおぼつかない。 
「ちょっと、大丈夫?」
 聞き返したそばで龍之介が大きくフラついた。
「ほら、あぶない。」 
 後ろ向きにひっくり返りそうになる龍之介を愛衣が咄嗟に抱きかかえる。龍之介の 
方もそのまま後ろに倒れるほど間抜けではないので、結果として互いに抱き合うよう 
な格好になってしまった。出会った頃は二人の身長にそれほどの差は無かったのだが、
今では3〜4センチ程龍之介の方が高い。

「唯は‥‥幸せだよね、血が繋がって無くてもこんなに心配してくれるお兄さんがい 
 るんだもん。」
 龍之介の肩にあごをのせる様にして耳元で囁く。それほど二人は密着していた。 
「愛衣だって妹想いだろ? 休みの度に会いに行ってるじゃないか。」
「そんなこと無いよ。本当にそう思ってるなら、一緒に住んでる‥‥。」

 そう、それは前々から疑問に思っていたことだった。妹想いの姉が一人暮らしをし 
てまで一緒にいることを拒む理由が龍之介にはわからなかった。
「なあ、どうして一緒に住まないんだ?」 
 その疑問をそのまま口にしてみると、
「龍之介は一緒に暮らした方がいいと思う?」 
 逆に愛衣がゆっくりと龍之介の身体を押し戻しながら聞き返す。更に互いの顔が見 
て取れ位の距離を置き、
「私が赤道を挟んで反対側の国に行っちゃってもいい?」 
 少し潤んだ目は、ある意志が感じ取れた。真剣に答えを求めている目‥‥それは龍 
之介にも伝わった。だから素直に答えられた。
「良くない。」
 一切の脚色が無い答え。離れた距離が再び近付き始める。 
「どうして?」
 聞き返す。想いが止まらない。唇が出会う。
「どうしても‥‥」 
「ちゃんと答えて。」
 胸に置いた手に愛衣がほんの少し入れて龍之介を押さえ、囁くような声で答えを求 
める。わずかな力でもそれは効果的だった。もちろん拒んでいる訳ではない。唇を許 
すには龍之介の然るべき応えが必要なだけだった。
 10センチも無い距離で目と目が合う。 
(言わなくてもわかるだろ。)
 龍之介の目はそう語っていた。
 愛衣の腕に先程より強い力、押し戻す力が込められる。 
 一瞬、困ったように視線を外す龍之介。だがそれは本当に一瞬だった。再び愛衣の 
目を見つめ返した龍之介の口から、遂にその言葉が出た。
「…きだからだよ。」 
 最初の一音が掠れる。不完全な言葉だが、容易に想像はついた。しかし想像は想像 
でしかない。
(聞こえないよ。)
 だが、その言葉は声にならない。声になる前に龍之介は愛衣に唇を重ねていた。



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