【親友】
一方、唯のクラスにも噂の波紋は広がっていた。
「別に難しい事を聞いてる訳じゃないだろ? 龍之介の奴とはどういう関係かって聞
いてるだけじゃないか。」
噂を聞きつけて冷やかしに来ていた男子生徒数人が、唯に詰め寄る。
「さっきから何度も言ってるじゃない。ふたりは正真正銘従兄妹同士だって。」
降って湧いた様な噂に困惑気味の唯、それを見かねた綾子が横から口を挟むのだが、
「宮城には聞いてねーよ。鳴沢に聞いてるんだ。」
鼻で笑うような男子の態度が、綾子の癇に障った。
「へー、そう。そこまで強引に唯に詰め寄るって事は、あんた達には唯が綾瀬君の従
妹じゃないって証拠があるんだ。」
「んなもあるか! 無いから直接聞いてるんだよ。」
「あたしにはあるわよ、唯と綾瀬君が従兄妹同士だって証拠が。」
今度は綾子が鼻で笑う番だった。
「へぇ、見せて貰いたいね。」
唯に詰め寄るのを中断し、綾子の方へ顔を向ける。くだらん事だったら承知しない
ぞといった雰囲気だ。
「私が知らないからよ。」
「は?」
一瞬、男子達は呆気にとられた。『何を言ってるんだこいつは』そんな表情を綾子
に向ける。綾子はそれを無視し、
「もしふたりがそんな関係だったら、私に話してくれている筈だもの。」
身じろぎもせずに、男子生徒と向き合う。その目は自信に満ちていた。7年間の付
き合いは伊達じゃないと言わんばかりだ。
「とまあ、そう言う訳だ。これ以上何か聞きたいって言うなら、私が聞いてやるよ」
綾子の背後から洋子も援護射撃を開始する。これでは彼らも口を噤まざるを得なかっ
た。それでもまだブツブツと口の中で何か言っていたが、
「話が無いならさっさと消えろ。」
ドスのきいた洋子の言葉に身の危険を感じたのか、如何にも渋々といった感じで教
室を出ていく。
「‥‥ったく。」
去って行く男子生徒にまだ怒りの収まらない綾子。
「ごめんね、ふたりとも‥‥。」
唯がふたりに最大限の感謝を込めた笑顔を向けるが、心の中は申し訳なさで一杯だっ
た。こんなにも自分を思ってくれているのに、そのふたりに隠し事をしている自分が
ひどく卑怯に思えた。
「唯も黙ってないで何か言ってやればいいのに‥‥大人しくしてるから面白がってか
らかいに来るのよ。」
「うん‥‥」
確かに秘密は知っている人間が少なければ少ないほどバレにくい。
だが、既に洋子との付き合いは1年半、綾子に至っては自分がこの街に来て以来、
7年もの付き合いになる。最近では休日になると、この3人に友美を加えた4人で、
遊ぶことが多くなっていた。
(もう良いよね?)
唯は自分自身に問うてみる。
反面、恐いのもまた事実だった。もちろん、ふたりがその秘密を外に漏らす事がで
はない。事実を隠していた事で、ふたりに詰(なじ)られるのが恐かったのだ。
だが、この機会を逃すとまた負い目を持ってふたりに接しなければならない。
唯は決断した。龍之介や友美が何か言うかもしれないが、それを説得するのは自分
の役目だ。
「ねぇ、放課後‥‥」
ふたりを見上げ、切り出す。
が、ふたりの意識は唯に向いていなかった。怪訝そうにその視線を追う。廊下がや
けに騒がしい。廊下を行き来する生徒の流れが妙なのだ。
「‥‥なんだ?」
好奇心旺盛な洋子が真っ先に廊下へ飛び出した。残されたふたりも、一瞬顔を見合
わせ、
(行こうか?)
(うん。)
ふたりは目だけで会話し、洋子の後に続いた。
☆
騒ぎの元は廊下の突き当たりの教室のようだった。何故かと云うと、そこに人集り
が出来ているからだ。
背の高くない唯や綾子などは、人集りの内側でなにが起きているかわからなかった
のだが、
「おらおら、どいたどいた。」
こういったイベント(?)にはめっぽう強い洋子が人集りを掻き分け、中へと進む。
その洋子の後ろを、カルガモの雛の如く唯と綾子が続く。
ほどなくして最前列まで出てきた3人は、そこに見知った顔を見つけた。
「なんだ、優等生じゃないか。意外だな、こーゆー事には興味が無いと思ったのによ」
茶化した様な声で洋子が言うのだが、声を掛けられた方の友美はまるでその声が耳
に入っていないかの様に、騒ぎの起こっている教室内を呆然と見つめている。
その瞬間、唯には騒ぎを起こしている人物の見当が付いた。
「友美ちゃん。」
名を呼ぶが返事はない。仕方なく、今度は肩に手を置き、
「友美ちゃん‥‥友美ちゃんってば!」
揺すると、ようやく友美が振り返る。
「あ、唯‥‥ちゃん。」
その顔は『血の気が失せたのでは?』と思える程青ざめていた。
「どうしたの? 何が‥‥」
言いかける唯の声を
ガラガラ ガッターン!
「きゃあっ!」
教室内からの派手な音と、その近くにいる女の子のモノだろうか、悲鳴が断ち切っ
た。一瞬そちらへ目を向けかける唯の耳に、
「本当の従妹じゃないんだって。」
どこかでそう囁く声が聞こえた。
(え?)
更に追い打ちを掛けるように、
「唯ちゃん、ごめん‥‥ごめんなさい。わたし、わたしが‥‥」
声の震えを堪えるような友美の声。
予想していなかった訳ではないが、全身を激しい悪寒が駆け巡った。
ガッシャーン!
またも派手に何か(人)が机を巻き添えにして倒れる音が響く。唯は今度こそ教室
内に目を向けた。
惨状‥‥と云うには少し表現が大袈裟かも知れないが、唯にしてみれば十分、惨状
と云える状況だった。
教室の中央辺りの机や椅子が、きれいになぎ倒されている。その周辺には当事者を
除いて生徒の姿はなく、皆、壁際に張り付くようにしてその様子を眺め、それを止め
ようとする者はひとりもいない。
「自分に不都合な噂が立ったからって、他人の噂を流して良いって道理はないだろ」
倒れた生徒――西島達也――に向かって怒りを顕(あら)わにする龍之介。
「噂? 俺と香織は正真正銘の従兄妹同士だぜ。‥‥どっかの誰かさん達と違ってな。
大体、その噂に過剰反応して出てくるあたり、噂が事実だって言ってる様なもんだ
よなぁ。」
やられた方も負けじと、廊下にいる観客達にも聞こえるように、わざと大声で言い
返す。
「悪いのか?」
唯は‥‥いや、その場にいた全員が耳を疑う。
今、龍之介の口から出た言葉は、明らかに噂を肯定する言葉だった。
そんな雰囲気をまるで感じていないかのように、今しがた殴り倒した人間の胸ぐら
を掴み、締め上げる。
「は、はは‥‥なんだ、やっぱり事実だったじゃねえか。毎晩、鳴沢相手に頑張って
るってか?」
「てんめぇ〜」
締め上げた手とは反対側の拳を握りしめ、力を込める。
「だめっ!」
その様子を見た唯は、咄嗟に教室内へ飛び込んだ。そして今にも殴り掛からんとし
ていた龍之介の手を抱きかかえる。
「お兄ちゃん、もう‥‥いいよ。」
必死の訴え。唯には龍之介が自分の為にこんな事をしているのだと言う事がわかっ
ていた。自惚れなどではない。例え対象が自分じゃなくても、友美でも綾子でも、龍
之介は同じ行動に出るだろう。
「唯?」
なんでこんな所にいるんだ? といった様な目。唯の抱えた腕から込められた力が
抜けて行く。しかし、
「へっ、なにが『お兄ちゃん』だ。血の繋がりなんか無いくせに。」
負け惜しみの一言が、静まりかけていた龍之介の怒りに火を付ける。唯もその手を
止める事はできなかった。
ばぐっ!
壁際まで飛ばされた身体は、数人の生徒によって受け止められたが、軽い脳しんと
うでも起こしたのか、もう彼は何も言えなくなっていた。
直後に騒ぎを聞きつけた教師が教室内に入って来たが、彼らには野次馬と化した生
徒達を追い払うぐらいしか出来る事は無かった。
もちろん、その後に拡がった噂を止める事など出来ようはずもない。
人の噂は75日と言うが、まだその初日が始まったばかりだった。
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